何とも凄い題名の書が出たものと驚いた。
「黙って働き 笑って納税」(里中哲彦著・現代書館)というのだ。
一瞬、消費税の本質暴露本かと思ったのは大間違いで、戦時中の国策標語を集めた著作だという。税務署がつくったというこの凄い標語を書名にしたセンスが光る。
国策の二大領域は、徴税と徴兵。その徴税における国家の本音を実によく表現している。この本音、実は戦時に限らず、平時の今にも通じるもの。平時には言えず、戦時だからこそあからさまにしえたこの標語は、今読み返すに十分な値打ちがある。今は表面慇懃でにこやかな税務署であるが、その本音は国民に対して「文句など言わずに黙々と働け。そして、喜んで稼いだ中から国家に納税したまえ」と言いたいのだ。戦時国策標語は、今に通じる「権力の本音」と読むことによって、今なおその強い生命力を失わない。
本日の東京新聞(朝刊)に、大きくスペースを割いて同書が紹介されている。同書は「傑作百選」を掲載しているそうだが、同紙は11の標語を転載している。どれも、権力のホンネを語るものとしてすこぶる興味深い。
徴兵に関するものは次の三つ。
「りつぱな戦死とゑ(え)がほの老母」(名古屋市銃後奉公会)
「産んで殖(ふ)やして育てて皇楯(みたて)」(中央標語研究会)
「初湯(うぶゆ)から 御楯と願う 国の母」(仙台市)
言うまでもなく、皇楯(御楯)は、「醜の御楯」を意味する。皇軍の兵士のことだ。軍国主義の国家では、国民の命に価値はない。国民が、天皇に役立つ存在になることではじめて価値あるものとされる。天皇のために死ねば、立派なこと、名誉なこと。靖国にも祀ってやろう。遺族を褒賞してやろう。だから、「九段の母たちよ、子の死を笑顔で喜べ」というのだ。
自民党の改憲草案が「日本は、天皇を戴く国家である」ということの実質的な意味がここにある。安倍晋三が「取り戻そう」という日本がここにある。人が国のためにあるのか、国が人のためにあるのか。これらの標語は、本質的な問題と倒錯とを表現している。
勤倹スローガンが、次の5本。
「欲しがりません 勝つまでは」(大政翼賛会、42年)
「嬉(うれ)しいな 僕の貯金が弾になる」(大日本婦人会朝鮮慶北支部)
「酒呑(の)みは 瑞穂(みずほ)の国の寄生虫」(日本国民禁酒同盟)
「飾る心が すでに敵」(中央標語研究会)
「働いて 耐えて笑つて 御奉公」(標語報国社)
これは息苦しい。お節介極まる社会。趣味も嗜好も倫理も道徳も、個人的なものは一切許されない。社会的同調圧力が極限まで個人を支配した。これこそ草の根ファシズムであろう。
好戦標語もあふれた。転載されているのは次の2本。
「米英を消して明るい世界地図」(大政翼賛会神戸市支部)
「アメリカ人をぶち殺せ!」(主婦之友)
いくつもの教訓を読み取ることができる。このようなスローガンの大半は、権力に繋がる立ち場の者ではなく庶民が考えたもの。シニカルにではなく、大真面目にである。今にして思えば、精神の内奥まで権力に取り込まれていたのかと、慨嘆せざるを得ない。
著者の里中さんは、東京新聞にこう語っている。
「日本を取り戻すと訴えた自民党。良いことのようだが、取り戻されるべき肝心の日本の中身は何か」「保守化が進むことが良いことなのか。国策標語に踊らされた戦中の先達を他山の石とし、政治家が振りまく標語の分かりやすさにとらわれず、政策の是非を議論していかなければならない」
恐るべきは教育のなせる業であり、批判を失った国民精神頽廃の哀れな末路である。戦争のもたらす国民の一体感や高揚感を拒絶しよう。他国や他国民・他民族へのヘイトスピーチは、開戦への国策に乗せられた結果と知るべきである。
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8月の園芸家(「園芸家12カ月」カレル・チャペックより)
「さて、自然に生えている植物なら、園芸マニアはどこからでも掘ってきて、自分の庭にとりいれることができる。しゃくなのは、それ以外の天然物だ。(ちくしょう!)園芸家はそう思って、マッターホルンやゲルラッハシュピッツェを見上げる。この山がおれの庭にあったらなあ。そしてあの物凄く大きな木のはえた原生林の一部分と開墾地、それからこの谷川、いや、それよりもむしろこの湖のほうがいいな。あそこのみずみずしい草原もうちの庭にわるくないな。それから、ほんのちょっぴり海岸があってもいいかもしれない。荒れ果てたゴシック式の尼寺も一つぐらいほしい。それから、千年ぐらいたったこのボダイジュもほしいな。この古めかしい噴水もうちの庭にわるくないな。それから、どうだろう、鹿が一群れに、アルプスカモシカが一つがいいたら。でなきゃ、せめてこの古いポプラの並木があったら。さもなきゃ、あそこのあの岩か、さもなきゃ、あそこのあの河か、さもなきゃ、このカシワの林か、さもなきゃ、あそこに青白く見えている滝か、でなきゃ、せめてこの静かな緑色の谷があったらなあ」
私はカレル・チャペックのような高望みはしない。小さな山が二つとその間を結ぶ小川が一本、その両脇に小さな草原があれば満足だ。
一つの山には早春に白い花をつけるタムシバを5,6本。煙るようなクリーム色の花で木が覆われるクヌギを4,5本。ヤマザクラは欲張りません、大きな奴を3本。その下に、アカヤシオとシロヤシオ、ヤマツツジをちりばめる。その下草には一面のヤマブキソウ、ヤマシャクヤクとレンゲショーマ。
小川のほとりにはリュウキンカ、ショウジョウバカマ、黄色と紫色のツリフネソウがあればいい。
片方の草原は春の花。カタクリ、エンゴサク、アズマイチゲ、イカリソウ、オキナグサ。
もう一方は秋草の原。ヤマユリ、ササユリ、アヤメ、キキョウ、オミナエシ、ナデシコ、ニッコウキスゲ、ワレモコウ、リンドウ。傍若無人なススキはいらない。
そしてもひとつの山はモミジ山。春のえんじ色の花がひときわ美しいハウチワカエデとヤマモミジ5,6本。黄葉するブナ、これは大木になるので2本。端っこに赤いヤブツバキを3本ほど。この林の下にはクマガイソウとエビネの大群落を。
ほんのささやかな望みです。
(2013年8月26日)
本日の「朝日」に、興味深い世論調査の結果が掲載されている。関心の第1点は、昨年暮れの総選挙時と参院選後の今とを比較して、主要施策をめぐる民意はどう動いたか。そして第2点は、民意と議席とはどの程度の一致があるのか。その他の調査は、どうでも良いこと。
まず第1点。主要施策をめぐる民意は、この半年余でどう動いたか。
*改憲問題
「改憲に「賛成」「どちらかと言えば賛成」と答えた賛成派は44%。「反対」「どちらかと言えば反対」と答えた反対派(24%)を上回ったが、衆院選時(51%)から7ポイント下がった」
やや分かりにくいが、図式化すれば以下のとおり。
改憲賛成 昨年51% ⇒ 今年44% (7%の減)
改憲反対 昨年18% ⇒ 今年24% (6%の増)
と、半年の間に、有権者1億人のうちの、600万?700万人が宗旨を変えて、改憲賛成派から改憲反対派に乗り換えた勘定になる。なんと心強いことか。
*集団的自衛権問題
「集団的自衛権の行使容認の賛成派は39%で、衆院選時の45%から6ポイント下がった。安倍晋三首相は参院選の大勝後、議論を加速させる方針を示し、行使容認に前向きな小松一郎駐仏大使を内閣法制局長官に起用。しかし、有権者にはこうした政権の姿勢と温度差があることがうかがえる」
集団的自衛権容認 昨年45% ⇒ 今年39% (6%の減)
集団的自衛権反対 昨年18% ⇒ 今年20% (2%の増)
こちらも半年の間に、有権者1億人のうちの、600万人が集団的自衛権行使容認の意見を変えて、反対か中立にまわっている。
また、「改憲の発議要件を衆参の3分の2から過半数に緩和する96条改正では賛成派はより少なくなり、31%にとどまった。」 と報じられている。紙面には詳報がなく、昨年からの変化を正確には追えないが、本年5月を中心に劇的な変化を遂げた結果であろうと推察される。『現状において、96条改正賛成意見は、国民全体の3分の1に満たない』というのだから、まことに心強い。
自信をもとう。世論は変わるということに。しかも、こんなに急速に、である。
憲法、とりわけ9条をめぐる議論においては、護憲派の意見はまことに威勢が悪い。平和主義やパシフィズムという言葉には、意気地なし・優柔不断・腰抜けという否定的な語感がつきまとう。改憲派の「寸土たりとも敵に祖国の領土を踏ませない」などという威勢よく勇ましいナショナリズムや、戸締まり論・安保防衛論は俗耳にはいりやすい。しかし、紛争が現実化するおそれがあるときほど、9条の出番であり、平和主義の有効性が試される。いま、そのようなときに、世論が憲法擁護論に傾きつつあることに、意を強くする。
ついで、第2点。民意と議席とはどの程度の一致があるのか。
改憲については、「参院選比例区で自民に投票した人に限っても、賛成派は58%で、参院議員全体の賛成派(75%)とはいずれも大きな開きがある。」という。
改憲についての世論調査の国民意識は、前述のとおり44%が賛成というものでしかない。ところが、今回の参院選当選者全体の改憲賛成派は75%に上る。「30%を上回る民意と議席の乖離」ができているという調査結果なのだ。自民党支持者でさえ改憲賛成は58%。この議会構成は異常といわざるを得ない。
この世論調査によれば、国民全体の改憲賛成派は44%。44%の改憲意見を含む有権者を母体にした選挙が行われた。その結果形づくられた議会の改憲賛成派が75%になっているのだ。本来、鏡のように民意を正確に反映すべきが選挙の役割ではないか。この極端な齟齬は到底容認し得ない。
また、「原発の再稼働については反対派が6ポイント増の43%にのぼり、28%の当選議員とは15ポイントの開きがあった」とされている。
つまり、「民意は原発再稼働反対43%」なのだ。ところが、「参院の当選者は原発再稼働反対28%」に過ぎない。ここでも、民意と議会が大きく齟齬を来している。
議会の議席が民意を正確に反映することなく、第1党に極端に有利にゆがめられているのは、小選挙区効果にほかならない。衆議院だけが小選挙区を採用しているわけではない。参議院選挙の地方区31選挙区が1人区、つまりは事実上の小選挙区である。ここでの29議席獲得が、自民党大勝と民意との齟齬の原因となった。なお、2人区も3人区も、それなりの小選挙区効果を持つ。
「衆参のネジレ」の解消が話題とされたが、「民意と議会のネジレ」こそがより深刻な未解決の問題である。小選挙区制をなくし、鏡のように民意を正確に反映する選挙制度を確立しなければならない。「朝日」の調査は、「民意が動いたこと」「しかし、せっかく動いた民意が正確に議会に反映していない」ことを物語っている。政権も、議会の多数が、民意を離れた「虚構の多数」であることを知るべきである。数を頼んでの横暴は、やがて民意の鉄槌を覚悟せねばならない。
地道に平和や人権をめぐる主張を発信し続けることが大切なのだと、改めて思う。あらゆる機会を捉えて、憲法と憲法の理念を語り続けよう。そして、なんとしても、最悪の選挙制度である小選挙区制を変えよう。そうすれば、ずっと風通しの良い議会政治が実現するはずなのだ。
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『兵士たちの戦後史』(吉田裕著)読後感〔6〕・「餓死した英霊たち」
93年、自民党政権に変わって、細川護煕を首班とする非自民8会派連立内閣が成立した。細川首相は、就任初の所信表明で「過去の我が国の侵略行為や植民地支配などが多くの人々に耐えがたい苦しみと悲しみをもたらしたことに、改めて深い反省とお詫びの気持ちを申し」述べた。また、8月15日の「全国戦没者追悼式」で、我が国の戦没者のみならず、「アジア近隣諸国をはじめ、全世界すべての戦争犠牲者」を追悼した。
戦後50年となる95年8月15日には、社会党の村山富市首相が、「植民地支配と侵略によってアジア諸国に損害と苦痛を与えたことに対して反省とお詫び」をする、「村山談話」を発出した。衆議院においては、「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」もあげられた。
一方、これらの政権の新しい動きへの反発も素早く大きかった。日本遺族会が中心となって、全国的な草の根「不戦決議反対運動」が取り組まれた。反対運動の裾野を広げるため、「戦争の性格は棚上げして、我が国が一方的に悪いと断罪することに反対」として、地方議会に「戦没者への追悼感謝決議」を採択させる運動が展開された。97年になると「新しい歴史教科書をつくる会」が結成され、「自虐史観」「東京裁判史観」を否定する教科書採択運動がはじめられた。2001年から2006年まで首相であった小泉純一郎は執拗に靖国神社に参拝し続けた。こうした動きは、当然のこととして中国、韓国との関係悪化を招いた。
このようなせめぎあいを背景にしながら、元兵士たちの動向にも大きな変化が現れた。老齢や死を意識し始めた元兵士たちが「遺言」としての、正直で虚飾のない「証言」をはじめたのである。自由な発言を抑止してきた戦友会活動が下火になってきたことも理由のひとつである。どんな悲惨な戦争であっても真実を知りたいという遺族意識の変化も後押しをした。
戦争指導者への遠慮のない批判。戦争責任をめぐる議論がなされていないことの指摘。被侵略国への贖罪の意識と自分の犯した罪の告白と謝罪。戦争の大義が虚構であったことへ自覚と慚愧の念。曖昧なままの被侵略国への戦後処理の問題…。その証言や議論の行き着いた先に、「戦死は犬死にか」という、遺族や兵士にとって辛く認めがたい論争があった。この問題について、家永三郎は「『犬死』というのは、その語感からすれば、遺族にとって最も『残酷』にきこえる言葉であろう。しかし、私もまたあえて十五年戦争による死はすべて『犬死』であったことを確認したい。・・もちろん、私は『犬死』という残酷な響きをもつ言葉で、戦争による犠牲を規定するだけで終わらせるつもりは毛頭ない。むしろ、『犬死』を『犬死』に終わらせないためにどうするべきであるかを考えるのが、生き残った者あるいは生き残った者から生まれてきた者の義務と思うのである」(「歴史と責任」中央大学出版部)と述べている。
作間忠雄は「日本はあの戦争の敗北により初めて明治以来の独善的・侵略的な天皇制絶対主義から決別できたのであるから、彼らの死は決して単なる『犠牲』ではなく、『無駄死』でもなかった。戦後の日本を民主・平和国家へ先導したのは彼らであり、『日本国憲法』はその輝かしい記念塔である」(週刊金曜日の論文)という。
中国戦線を転戦した中隊長としての経歴をもつ藤原彰は、兵士の死について「侵略戦争、不正不義の戦争のために死んだことは、無用な、役に立たない死であることはいうまでもない。」と断じた上で、「日本軍の死者の大半は、戦局の帰趨に全く関係のない、役に立たない死に方をしていたのだということを明らかにしたいのである」という。その立場から、藤原は、日本軍の戦死者の多くが、戦病死という名の餓死者であったということを論証する。戦局や戦闘の帰趨に全く影響を及ぼすことのない、おびただしい数の無残な死を生み出したことが、アジア・太平洋戦争の大きな軍事的特質であり、その死の有り様を明らかにすることこそが歴史の課題だという。(「餓死(うえじに)した英霊たち」藤原彰著 青木書店)
吉田裕は次のように結論する。「元兵士の歴史認識は、保守的なものではなかつた。むしろ、彼らは戦争の歴史をひきずり、それに向かい合いながら、戦争の加害性、侵略性に対する認識を深めていった世代だった。同時に彼らは、彼らの戦友を「難死」に追い込んでいった日本の軍人を中心とした国家指導者に対する強い憤りを終生忘れることのなかった世代でもあった。」
吉田は、それとともに「1985年当時は、高齢者が靖国参拝を支持し、若者が反対するという構図があったのに対し、2001年以降はその構図が完全に崩壊する」ことに危惧の念を述べている。(「台頭・噴出する若者の反中国感情」吉田裕 「論座」2005年3月号)
維新橋下の「侵略戦争」「従軍慰安婦」否定発言、安倍政権の「憲法改正」、「靖国参拝」、「河野談話・村山談話見直し」へのあくなき熱意、教育委員会の「教科書検定問題」、「はだしのゲン」への攻撃などが続いている。昨年の選挙での自民党の圧勝後、歴史を逆転させて、「戦前の戦争ができる国」を取り戻そうという動きは大きく強くなっている。吉田の指摘通りの若者の保守化の動きも目立ってきている。
元兵士の皆さん。靖国の英霊にはならなかった皆さんにお願いしたい。願わくは、長く生き抜かれて、生きたまま「平和な民主国家の護国の鬼」とならんことを。この国を担うすべての者に、とりわけ若者の世代に、鬼気迫る戦争の真実と悲惨とを語り続けていただきたい。私たちは、その痛苦の声に、全身全霊をもって耳を傾けることをお約束する。
(2013年8月25日)
日本の、いや 、世界の「はだしのゲン」を、松江市教育委員会が市内の学校図書館から追い払おうとした。昨年12月、書庫に収めて目に触れないようにする閉架措置を校長会で求めた。理由は、内容に過激なところがあるから、というもの。全10巻を保有する39校すべてがこれに応じて、いま、松江市の子どもは容易には「はだしのゲン」に会えない。
市教委がこのような措置をしたきっかけは、松江市議会に昨年8月、1人の「市民」から「誤った歴史認識を子供に植え付ける」と学校の図書館から「撤去」を求める陳情があったことだ。市議会はこの陳情を不採択にしたにかかわらず、「教育委員会(事務局)」と「校長会」は、その陳情に従ったということらしい。
陳情した「たった1人の市民」がいう「誤った歴史認識」とは、明らかに「はだしのゲン」の核心をなしている反戦・反核の思想のことだ。当然に描かざるを得ない、日本のアジア侵略の実態や、平和を求める人たちへの弾圧の描写を、「誤った歴史認識」として、隠したいのだ。問題は深く、大きい。
伝えられるところでは、陳情の内容は、以下のとおりである。
「『はだしのゲン』には、天皇陛下に対する侮辱、国歌に対しての間違った解釈、ありもしない日本軍の蛮行が掲載されています。このように、間違った歴史認識により書かれた本が学校図書室にあることは、松江市の子どもたちに間違った歴史認識を植え付け、子どもたちの『国と郷土を愛する態度の涵養』に悪影響を及ぼす可能性が高いので、即座に撤去されることを求めます。」
安倍政権が喜んで飛びつきそうな陳情内容ではないか。市議会はこの陳情を不採択にしたが、校長会はどれだけの議論をしたのか。問題の大きさ、深刻さをどれだけ認識していたのだ。「教育委員会」事務局のひと言で「校長会」はご無理ごもっともだったのか。
その措置が17日に世間に明らかになると、市教委には全国から抗議や苦情が寄せられた。そのうち全世界から抗議が押し寄せるだろう。1人の陳情に即応する機敏な教育委員会のことだから、22日に開かれた市教育委員の定例会で何らかの結論を出したと思いきや、26日の次回会議で継続審議するのだそうだ。5人の教育委員は事務局の言いなりの「おかざり」か。事務局は問題発覚後、全49小中学校校長にアンケートをした。結果は、「閉架の必要は無い」が16校。「再検討すべきだ」が8校。「必要性はあり」が5校、「その他・記載なし」が20校だった。
菅官房長官は21日に「設置者である地方公共団体の教育委員会の判断によって学校に対して閲覧制限等の具体的な指示を行うことは、通常の権限の範囲内だろう」と述べた。これはおかしい。地教行法には教育委員会の権限が書いてあるが、子どもたちの知る権利を奪う措置に、事務局限りでの判断の権限はない。
下村文科相も、同日、「学校図書館は子どもの発達段階に応じた教育的配慮の必要がある」として、市教委の権限に基づく行為で問題がないと述べた。これも、歴史修正主義派なればこその「はだしのゲン」憎さの表れに過ぎない。
お先走りのはしごを外されなかったと、松江市教育委員会はさだめしホッとしていることだろう。
学校図書館だけではない。この騒動の中で、鳥取市立中央図書館も2年前から、見えないところに「別置き」していたことがわかった。22日、日本図書館協会はこれらの措置に抗議する要望書を、松江市の教育委員会と清水伸夫教育長充てに送った。子どもたちの自主的な読書活動を尊重し、閲覧制限を再考、撤廃するよう求めている。
「日本図書館協会」は資料収集の自由、資料提供の自由、利用者の秘密を守る、すべての検閲に反対する、という「図書館の自由に関する宣言」を1979年の総会で決議している。この宣言は全国の図書館に掲げられ、「司書」の誇りとなっている。「図書館の自由が侵される時、われわれは団結して、あくまで自由を守る」とする宣言を実践した「日本図書館協会」に惜しみない共感と拍手を送りたい。
また、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)も、23日松江市教育委員会あてに、「はだしのゲン」閲覧制限をすみやかに撤回するよう求める要請書を送っている。
同要請書は、日本被団協が原爆の残酷さ、あの日の地獄、今日までつづく苦悩を語り続けてきたことを述べ、「私たちと同じ体験を誰にも味わわせないためです」と強調。「『はだしのゲン』は原爆の実相を伝える作品です。国の内外で、原爆を知る本、必読の本として高く評価されています」とのべ、「閲覧制限しなければならない理由はありません」と指摘しているという(24日付赤旗)。
こういうとき、何が出来るだろうか。閲覧制限を企てたことに抗議して、多くの人に、「はだしのゲン」を勧めよう。「はだしのゲン」を図書館から借りて読もう。せっかくの機会だから、全巻揃えるのも良かろう。中澤啓治さんがいないのが寂しいが、再びの「はだしのゲン」フィーバーを起こしたいもの。
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『マッチ擦るつかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの祖国はありや』
ご存じ、寺山修司の歌。「身捨つるほどの祖国はありや」のフレーズは、作者よりも遙かに有名になってしまった。
歌作の背景の事情は一切知らない。素直に読めば、「霧深し」は作者内面の心象であろう、晴れやらぬ思いの中で「祖国はありや」との作者の煩悶が詠われている。これが、戦前の兵士の歌であれば、とりわけ出陣学徒の歌であれば、その心情がよく分かる。「身を捨てよ」と迫る祖国の実在を問うことの煩悶はあり得たはず。天皇制の教説は嘘っぱちとしても、自分と自分を取り巻く小さな社会と自然とは確実に存在した。ことここに至っては、そのために身を捨てることを選ぶべきではないか…、という煩悶。「きけ、わだつみのこえ」所収歌としてふさわしく、せいぜいが、生き残り兵の終戦直後の煩悶として共感が可能であろう。
しかし、この歌が終戦時10歳に達していなかった人物の作となると、すっかりしらけてしまう。まことに不自然で、心情を吐露した歌とは到底思えない。私は、寺山よりは少し若い世代だが、「祖国」なんぞへの思い入れはまったくなく、「祖国はありや」などという煩悶は思いもよらない。この歌への共感は無理というものだ。物心ついたころから、「愛国心」などというものの嘘くささは自明のものだったではないか。もっとも、寺山の父は外地で戦没しているそうだ。父の思いをこの歌に仮託したのかも知れない。
集団が成立するとその集団の維持のために、集団存立の正当性が語られなければならない。集団が成員にもたらす利益だけでなく、感性に訴える大義が求められる。いわば、ウソが必要になるのだ。
集団が争いを抱えると、集団内での団結強化のために、集団の美化や紛争における主張の正当性が強調されることになる。ウソの上塗りが必要となる。ヤクザの出入りも、祭りのケンカも、国家間の戦争も基本は変わらない。集団内部だけで通じる、自国の優越や祖国愛などのフィクションが語られることになる。神の恩寵や、建国神話までが総動員される。
おそらくは、常に「愛国心はゴロツキの隠れ家」である。愛国心や祖国愛は、一種の信仰だが、有害な信仰であって、愛国者を尊重するに値しない。
いかなる国も、国民がそのために身を捨てるほどのものではありえない。自分たちが作った国が、国民のために、どれだけ有用かだけを考えればよいこと。国のために身を捨てよなどとは、本末転倒、倒錯も甚だしい。
『霧は晴れて山影はさやか 捨つには惜しき国ならざるや』
(2013年8月24日)
憲法改正とは、国の形を変えてしまうということ。「安倍改憲」によって形を変えられたこの国においては、国家の秘密が跋扈し、秘密の保全が人権に優先する。
現行日本国憲法は、人権の尊重と国民主権、そして恒久平和主義の3本の柱で成り立っている。そのとおりの形で国ができているわけではないが、その方向に国を形づくる約束なのだ。日本国憲法が気に入らない安倍政権とその取り巻きは、今憲法を変えようとしている。それは、とりもなおさず、人権の尊重と国民主権そして恒久平和主義とは異なる方向に国の形を作り変えようということだ。彼らが目指す国の形は、新自由主義が横溢する国、そして軍事大国である。富者に十分なビジネスチャンスが保障され貧者の救済は可能な限り切り捨てる国。当面はアメリカの補完軍事力として世界のどこででもアメリカに追随して戦争のできる国。そしてやがては、挙国一致で富国強兵の軍事大国日本を「取り戻そう」ということなのだ。
憲法を変えることが国の形を変えることである以上は、経済、外交、防衛、教育、財政、税務、福祉、防災、メディア規制、公務員制度…、その他諸々の法律の新設や改正が必要となる。憲法改正後になすべきが本筋の諸法制の整備を改憲策動と並行して一緒にやってしまおう。それが安倍政権の思惑であり、「手口」である。
96条改正を先行させてこれを突破口とし、憲法の明文改正が安倍政権の「悲願」ではあるが、これは容易ではないし時間もかかる。選挙に勝って議席数では優勢な今、できるだけのことをしておかねばならない。その発想からの解釈改憲や立法改憲の策動が目白押しである。これは、実質的な「プチ改憲」にほかならない。
そのスケジュールの全体象が明確になっているわけではないが、今秋の臨時国会での論争点として考えられるものは、次のとおりである。
*内閣法制局長官人事を通じての集団的自衛権行使容認の解釈変更
*秘密保全法の制定
*国家安全保障基本法の制定
*日本版NSC設置法(安全保障会議設置法改正・法案提出済み)
*防衛計画の大綱の改定
*日米ガイドラインの改定
いまは、安保法制懇という「政府言いなりの有識者・御用学者グループ」に意見を諮問している段階。その回答を待って、この秋一連の策動が本格化する。とりわけ、公表されている自民党の国家安全保障基本法案によれば、集団的自衛権を認め、軍事法制を次々と整備し、国民や自治体を軍事に動員し、軍備を増強、軍事費を増大し、交戦権の行使を認め、多国籍軍への参加を容認し、武器輸出三原則を撤廃することになる。明文憲法改正なくして、戦争が可能になる。
そして、本日の各紙は、「秘密保全法」案の内容が本決まりになったと報道している。やはり、この秋は常の秋ではない。憲法にとって、また国の将来にとって、尋常ならざる事態なのだ。
秘密保全法の制定は、国家安全保障基本法が要求する軍事法制整備の一環でもあり、「軍事機密を共有することになる」アメリカからの強い要請にもとづくものでもある。かつての軍機保護法や国防保安法を彷彿とさせる。
1985年に国会に「国家秘密法」が上程された当時のことを思い出す。これも、1978年の旧日米ガイドラインにおいてアメリカから求められた、防衛秘密保護法制強化の具体策としてであった。いわば、アメリカからの「押し付け軍事立法」である。澎湃として、反対の世論が湧き起こり、結局は廃案となった。
このとき、推進派との議論を通じて、行政の透明性確保の必要と、国民の知る権利の大切さについて学んだ。政府を信頼して国家秘密を手厚く保護する愚かさを、国民が共有したときに廃案が決まったと思う。
今回の秘密保全法は、かつての国家秘密法に比較して、次の諸点において遙かに危険なものとなっている。
*その漏洩等を処罰の対象とする秘密の範囲は、かつては「防衛と外交」の情報に限られていた。今回は、「公共の安全及び秩序の維持」に関する情報まで含む。いったい何が具体的に「公共の安全及び秩序の維持」に関する秘密となるか、ことの性質上、「それは秘密」となりかねない。
*処罰対象の行為は、漏洩、不正な取得を最高懲役10年の重刑(現行国家公務員法の守秘義務違反は懲役1年)で処罰するほか、過失犯や未遂犯も罰する。共犯、煽動行為も独立して処罰対象となる。報道や評論の自由に、恐るべき萎縮効果をもたらすことになる。
*情報を取り扱う者についての「適性評価制度」が導入される。公務員本人のみならず、家族のプラバシーにまで踏み込んだ調査・監督が行われ、思想や経歴による差別を公然と認めることになる。
秘密保全法のすべての条項が、改憲策動と繋がる。9条改憲によって戦争のできる国に形を変えるからには、厳格に軍事機密を保全する法制が必要だとの発想からの立法だからである。さらに、人権ではなく国権が重要という発想からの立法だからでもある。個人の自由だの権利だのとうるさいことを言わせておいたのでは国の秩序が保てない。「公益及び公の秩序」の確立のためには、基本的人権が制約されて当然。とする安倍改憲思想の表れなのだ。
現行憲法を改正して、国の形を変えてはならない。そのようなたくらみをする政権を容認してはならない。秘密保全法は、軍国主義と全体主義が大好きな一部の人を除いて、大方の国民の賛意を得ることができないだろう。国民の反対運動が許すはずがない。安倍政権のそのゴリ押しは、自らの墓穴を掘ることになるに違いない。
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『兵士たちの戦後史』(吉田裕著) 〔5〕 「大正生まれの歌」
70年代に入り、アメリカの対中国政策が見直され米中国交正常化がすすめられる。その動きにおされて日本も動いた。72年田中角栄首相が訪中し日中共同声明に調印して、国交が正常化された。声明には「過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」という文言が盛られた。
平和への舵が大きく切られたが、これを警戒するかのごとく、このころから戦友会、遺族会、軍恩連などの旧軍人団体の運動が一段と活発化していった。これらの団体は日中友好の動きに警戒感を持ち、「侵略戦争」「戦争責任」などの言葉が使われないよう、ブレーキの役目を担った。靖国国家護持運動を支えて、「靖国神社法案」を1969年から75年まで5回提出させる原動力となった。その試みは達成されず、すべて廃案に終わって、法制化は断念された。しかし、その後も自民党の強力な支持母体となり圧力団体となって、靖国神社を支えた。それに応えるように、78年には靖国神社は秘密裏にA級戦犯14名の合祀を行った。82年には文部省は教科書検定で、「侵略戦争」を「進出」と書き換えさせ、85年8月15日には中曽根康弘首相が靖国神社に「公式」参拝した。これら一連の動きは、アジア諸国、中国、韓国から強い批判を浴びた。それから30年たった今でも、根治できない悪性腫瘍の種となっている。
遺族会の動きは、73年のオイルショックに続く経済低成長にもかかわらず、軍人恩給を大幅に増加させていく実利を獲得した。
「曹長で敗戦を迎えた山本武は1978年に年額30万円の軍人恩給を受給し、年金も加えて、夫婦の旅行、孫たちへのプレゼント、孫のオーストラリア留学の援助などを賄って、恩給のありがたさを痛感している。『なぜあのような悲惨な、日本が滅亡するような無駄な戦争を長く続けたのかと憤りを覚え、自分たちが裏切られた』という思いを抱くようになっていたが、軍恩連の運動に参加するなかで、軍人恩給受給者の待遇改善のためには、『与党である自民党に頼るしかない』と判断し、自民党への集団入党運動を推進していくことになる。」(山本武「我が人生回顧録」安田書店1984年)
80年代になると、少しづつではあるが、侵略戦争の実態に迫る、元兵士自身の証言が出てくる。「ああ戦友、支那事変、台湾歩兵第一連隊第一中隊戦史」(小野茂正編1982年)には、三光作戦、慰安婦、上官への批判が語られている。「南京虐殺と戦争」(曽根一夫著 泰流社 1988年)には、自身の中国人女性強姦の告白がある。「悔恨のルソン」(長井清著 築地書館 1989年)には、米軍捕虜の斬首、飢餓状態での人肉食を告白、懺悔している。
このように一般の将兵が、自身または仲間の行った残虐行為を語りはじめているが、これらはまだまだ希な例であった。大半の兵士の気持ちは、下記の「大正生まれ」の歌に歌われたとおりだったと思われる。
(1)大正生まれの俺達は
明治と昭和にはさまれて
いくさに征って 損をして
敗けて帰れば 職もなく
軍国主義者と指さされ
日本男児の男泣き
腹が立ったぜ なあお前
(2) 略
(3)大正生まれの俺達は
祖国の復興なしとげて
やっと平和な鐘の音
今じゃ世界の日本と
胸を張ったら 後輩が
大正生まれは 用済みと
バカにしてるぜ なあお前
元兵士の相当部分が、自分たちが従軍した戦争に疑問を持ちつつも、社会の否定的評価への反発と、軍人恩給拡充の実利を求めることで、保守陣営に組み入れられた。しかし、その戦争に対する個別の思い入れは、真実を語って懺悔をする人から、「大正生まれの歌」に表れた世を拗ねた感情まで、振幅は大きい。巨大な戦争に従軍した兵士たちの戦後精神史は、それぞれの事情を抱えて複雑である。
(2013年8月23日)
前内閣法制局長官山本庸幸氏の最高裁判事就任記者会見での発言。「集団的自衛権の行使は解釈の変更では困難」と言ってのけたのだから、安倍政権の思惑を真っ向否定した内容。当然のこととしてインパクトがすこぶる大きい。その影響を無視し得ないとして、政権がこれに噛みついた。最高裁判事の憲法解釈に踏み込んだ記者会見発言も異例だが、菅官房長の最高裁判事発言への批判は、さらに輪を掛けた異例中の異例。内閣の司法権独立への配慮がたりないと攻撃を招きかねない。それほどの、政権の焦りと、思惑外れの悔しさが滲み出ている。
朝日の報道が、「最高裁判事が集団的自衛権の行使容認には憲法改正が必要だとの認識を示したことについて、菅義偉官房長官は21日の記者会見で『最高裁判事は合憲性の最終判断を行う人だ。公の場で憲法改正の必要性まで言及することは極めて違和感を感じる』と批判した」というもの。
毎日によれば、菅発言は『合憲性の最終判断を行う最高裁判事が公の場で憲法改正の必要性にまで言及したことに非常に違和感を感じる』というもの。
各紙とも、この発言を「政府高官が最高裁判事の発言を批判するのは極めて異例」と評している。
安倍内閣としては、波風立てぬようにうまい手口を考えたつもりであったろう。
例の麻生流「ナチスに学べ」の手口。ある日だれも気づかないうちに、さりげなく長官が代わって解釈が変わり、実質的に憲法を変えてしまおうという学ぶべき手口の実践。山本氏を最高裁に「栄転」させて、その後釜に自分の言うことを聞く小松氏をもってくる。しかも、山本氏の前任最高裁判事が外務省出身の竹内氏なのだから、収まりがよい。最高裁も外務省も文句なく、よもや山本氏に不満のあろうはずはない。そう読んだのが、とんでもない読み間違い。
一寸の虫にも五分の魂、「栄転」の官僚にも五尺の魂があったのだ。いや、山本氏個人の魂を読み間違えたのにとどまらない。これまで営々と憲法解釈を積み上げてきた内閣法制局全体の矜持を読み間違えたのだ。阪田雅裕元内閣法制局長官が、朝日のインタビューで「法制局は首相の意向に沿って新たな解釈を考えざるを得ないのでは?」と問われて、「そうですね。僕らも歴代内閣も全否定される」と答えている。「全否定されてはたまらん」という悲鳴が聞こえる。法制局だけではない、歴代内閣も同様ではないか。
ところで、官房長官の『公の場で憲法改正の必要性まで言及することは極めて違和感を感じる』との発言。大きく的を外した批判と指摘せざるを得ない。
山本発言は、集団的自衛権の容認は、「解釈改憲では非常に難しい」ことが主たるメッセージ。そのうえで、集団的自衛権容認を実現する手法としては「憲法改正が適切」と言ったのだ。発言の趣旨が「解釈改憲では非常に難しい」にあって、「憲法改正が適切」にはないことは、文脈から明らかである。
官房長官の本音が、「解釈改憲では非常に難しい」の側への批判にあったことは明白だが、そうは言えなかった。いうべき理屈が立たないからだ。だから、「憲法改正が適切」の方に噛みついた。「最高裁判事は合憲性の最終判断を行う人。その立場の人が憲法改正の必要性まで言及することは不適切」という理屈をこじつけてのこと。
しかし、「極めて違和感を感じる」のは、菅官房長官のこんな発言を聞かされる国民の側だ。山本氏は、「憲法改正が必要」とは語っていないではないか。解釈改憲ではできないことだから、やるんなら解釈の変更ではなく、正々堂々と真正面から憲法改正手続を踏むしかない、と言っているに過ぎない。官房長官発言は、要するに、政権としての不快感を示しておくということで、理屈の通った批判ではない。
注目すべきは、連立政権のパートナー公明党の代表が、敢えてこの件に言及したことである。目をつぶってもいられる官房長官発言に敢えて異をとなえて、山本氏の擁護にまわったことの意味は大きい。いま、山本氏擁護の風が吹いているという読みがあるということなのだから。
日経報道では、「公明代表、山本判事を擁護 『ギリギリ許される発言』」との見出しで、「公明党の山口那津男代表は22日午前の記者会見で、前内閣法制局長官の山本庸幸最高裁判事が集団的自衛権の行使容認には憲法解釈変更でなく憲法改正が適切との認識を示したことについて『立場上ギリギリ許される発言だ』と擁護した。集団的自衛権の行使容認に向けた議論に関しては『抽象的に個別的自衛権、集団的自衛権と言われてもなかなか理解しにくい』と指摘した」とのこと。
明らかに、法制局長官のクビのすげ替えによる集団的自衛権行使容認の姑息な手口は、その手口の汚さで、政権の孤立化を招きつつある。少なくとも、この件については、既に潮目は変わっている。
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『兵士たちの戦後史』(吉田裕)より〔4〕 伊藤桂一の「戦記もの」
「兵士たちの戦後史」は「兵士たちが語る戦争」にたくさんのページを割いている。その中で、「戦記もの」ブームの代表的な作家・伊藤桂一が取り上げられている。
週刊新潮に連載された「悲しき戦記」は伊藤と同じように兵士としての従軍体験をもつたくさんの読者を獲得した。吉田は、伊藤の「戦記小説」が大きな共感を呼んだ理由を次のように整理して、よく読まれた理由を明快に述べている。
第一に、歴史の中に埋もれ忘れ去られようとしている兵士の戦争体験を記録し代弁しようとした誠実な姿勢。第二に死んでいった戦友の「顕彰」ではなく「鎮魂」の姿勢。伊藤の場合、軍隊上層部に対する痛烈な批判が、むなしく死んでいった同胞を弔い、追悼することになっている。第三に、苛烈な戦闘ではなく、戦場の日常、兵隊の暮らしを書いたこと。第四に、軍隊組織の非合理性、戦場の過酷で凄惨な現実はテーマにしなかったこと。伊藤の「小説」には戦争犯罪に関わる事柄はことさらに省かれている。「書き手」の伊藤と、「読み手」である元兵士との間の「暗黙の了解」において、共犯関係が成り立っている。
伊藤自身の軍隊に対する姿勢は「兵隊たちの陸軍史」(番町書房刊)のはじめに、「昭和二十年八月十五日の印象ー序に代えて」に次のように述べられている。
「軍隊からの開放感に歓喜しつつ酔った・・軍隊という、不合理な組織全体への反感である。もっともこれは、軍隊からいえば逆に私は歓迎されざる兵隊であり、従って甚だ進級が遅れていた。軍隊に嫌われたのは初年兵時代における私の抵抗のせいであり、その祟りが、終戦時まで尾を引いたのである。・・六年六カ月にわたる下積みの意識があり、それを不当な待遇とする怒りがあり、敗戦によって軍隊の瓦解したことは、軍隊に怨みを果たしたような思いもあったのである。」「下積みだが、やるだけのことはやってきた。という自身への誇りは、私にも、他の古参兵なみにあったのである。そして同時に、むやみに威張り散らすだけの将校に対する反感も、多くの古参兵なみにあった。だから軍が崩壊し、当然この階級差も崩壊してしまったのを見ると、内心快哉を叫ばずにはいられなかったのである。実をいえば六年六カ月の間、兵隊としての私は、敵ーである中国軍と戦った、という意識より、味方ーである日本軍の階級差と戦ってきたのだ、という意識の方がはるかに強かった。陰湿にして不当な権力主義に、古参兵がいかに悩まされたかは、五年か六年隊務についた者は身にしみてわかっているはずである。・・終戦の直前、私たちの部隊は、歴然と二つの生き方に分けられていた。一つは寸暇も惜しんで陣地構築をしている兵隊たち、他の一つは、寸暇を惜しんで宴会の楽しみに耽っている部隊長と上層部将校たちーである。・・わたしにしても、そのことに抗議しようと考えたわけではなく、またそれの出来る筋合いのものでもなかった。しかし一つだけ考えたのは、この土地でこの部隊長の命令によっては絶対に死なないぞ、ということであった。」
その伊藤のインタビュー記事が今年8月11日付け東京新聞「あの人に迫る」に出た。68年前のキリギリス鳴きしきる真夏の草原で、敗戦をきいて呆然と立ち尽くす、自分の姿を見ているような目つきの、95歳の老人の写真が載っていた。その昔、心ならずも戦争に行かなければならなかった元兵士の老人は、なにかちょっと恥ずかしそうに、しかし、言うべきことは言っておきたいとインタビューに答えた。
「戦記作家になったきっかけは」という問いに「終戦直後に海外から復員した兵士への世間の目は冷たかった。出兵するときは『お国のために頑張って』と多くの人に温かく見送られた兵士たちも、敗戦後は『負けた上に、生きて帰ってきて』と陰口を言われるようなことも多く、元兵士たちの肩身は狭かった。戦争を美化するつもりはないが、兵士たちが国や家族を思い、一生懸命に戦った記録を残そうと思った。」と答えている。
次の問答が続く。
「憲法改正の動きがあります」「現行の憲法は平和国家を提唱する最良の規範だ。・・国民が無関心なのに空気や流れだけで改憲の動きが加速している気がする。とても危険だと思う。」
「今の日本をどう見ますか」「兵隊たちの犠牲と、無謀な作戦でそれを強いた指導者たちの無責任、この関係は、いたるところで今の日本にも見られる。・・日本が変わらないのは、戦後あの戦争について真面目に考えなかったからだ。・・経済発展が優先されすぎた。南京事件や従軍慰安婦の問題が今も解決できないまま国際問題になっているのも、日本政府が戦後すぐに戦争の実態の検証を怠った結果だと思う。・・福島第一原発の事故でも、広島や長崎の原爆被害を経験している中で、なぜ原発を建設したのか。・・復興への歩を進めながら、時には立ち止まり、じっくり過去を反省する時間が必要だ」「残り少ない戦中世代の人たちに『いつ死んでも心残りの無いように自身の戦場での経験を若い人に語り伝えてほしい』と言いたい。それが私たちの責任でもあり、使命でもある。」
「戦記もの」には語られなかった、「暗く凄惨な戦闘の現実」に向き合う本格的な戦争記録、戦争作品は1980年代になると現れた。森村誠一と下里正樹は「悪魔の飽食」で、関東軍細菌戦部隊・731部隊の存在を広く世間に知らしめた。本多勝一は「南京への道」(1987年) 、「天皇の軍隊」(1991年)で日中戦争時の日本軍の残虐行為を語って、侵略戦争の実態を暴いた。
森村も本多も兵役の経験がない世代。読者との「暗黙の共犯関係」を意識することがなかったのだ。それだけに、彼らへの攻撃は激しく、森村誠一は外出時には防弾チョッキを着用し、本多勝一はサングラスとカツラを着けなければならない事態となった。真実の暴露を嫌う大きな力が牙をむきだしたのである。はからずものことだが、これらの戦争の本質を語った著作は、その著作の内容においてだけではなく、その著作が社会に及ぼした影響においても、戦争の本質を暴いたのだ。
(2013年8月22日)
内閣法制局長官のクビのすげ替えによる、集団的自衛権行使容認への安倍流解釈改憲の薄汚さの形容。いろいろに言われているものを整理してみよう。
「これは改憲クーデターだ」
内閣限りの憲法解釈の変更で、日本を戦争ができる国に変えてしまおうというたくらみ。国民の意思を抑え込んでの国の基本構造の転換は、まさしく「改憲クーデター」というにふさわしい。
「立憲主義に反する」
恣意的な権力行使を許さぬよう、国民が権力者を縛るのが憲法制定の趣旨。権力が勝手な解釈で憲法の縛りをすり抜けることは、立憲主義を無にするものとして許されない。
「これは法治主義違反」
公権力の行使が法に基づくものであってはじめて国民生活は安定する。ところが、法制局長官の人事次第で法の内容が変わったとしたら…、それこそ「法治」ではなく「人治」の悪夢だ。
「まさしく脱法行為だ」
国民が制定した憲法は、国民が憲法改正手続をも決めている。この正規の手続を踏まずに、条文の解釈を変えることによって事実上の改憲をしてしまうもの。これが、憲法の改正規定を僣脱する「脱法行為」なのだ。
「なし崩し改憲は許されない」
例の麻生流「ナチスに学べ」手口。「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね」というもの。安倍流解釈改憲は、その手口を学ぼうとしてのもの。
「憲法解釈がなし崩しに変更されたら、他国から攻撃されるより先に『法治国家』日本が崩壊する」。これは、毎日・特集ワイド(8月20日)の締めくくりの名言。
「これはどう見ても本末転倒」
「本」は憲法改正の正規の手続。「末」は人事権利用の解釈改憲手口。解釈改憲のすべてが本末転倒となる。視点を変えて、憲法の平和主義が「本」、アメリカへの従属が「末」と解してもよい。
「これは邪道だ」
邪道は、正道に対するもの。正々堂々と国民に信を問うのが正道。正道を歩んだのでは、国民を説得する自信を欠くからこその安倍流邪道なのだ。
「やり口が姑息だ」
姑息とは、卑怯、卑劣、怯懦の同義語。要するに、正々堂々としていない、公明正大なところがない、潔さも毅然さもない、アンフェアな手口ということ。
「これは裏口改憲ではないか」
表口からの訪問は、門前払いとなることが目に見えている。だから、こっそりと裏口から、という手口となる。改憲内容以上に、こういう改憲のやり方が国民の反発を招くことになるだろう。
「解釈の限界を超えている」
これは、手口の汚さそのものではないが決定的な批判である。阪田雅裕元内閣法制局長官が、「集団的自衛権の行使容認と9条2項の整合性は…憲法全体をどうひっくり返してもその余地がない」というとおりなのだ。
そして、この手口を薄汚さの視点から批判する人としては、今のところ、阪田雅裕・山本庸幸の元内閣法制局長官のお二人、自民党長老の古賀誠・山崎拓の両氏、それに元防衛庁官房長の柳沢協二氏などが目立っている。
加えて、公明党からも名乗りを上げた人がいる。
「公明党の斉藤鉄夫幹事長代行は20日夜のBS番組で、憲法解釈の変更による集団的自衛権行使の容認について「本当に(行使を認める)必要があるなら、憲法改正の議論をすることの方が筋ではないか。憲法解釈上、認めるのは論理的にかなり無理がある」と、反対する考えを示した。
斉藤氏は集団的自衛権について「海外で外国軍と軍事行動することができる権利だ」と指摘。「(行使を認めれば)平和国家として生きていくと宣言してきた日本の生き方を根本から変える」と強調した。
公明党にも、筋の通った人がいる。他党からも、陸続とこれに続く人の出でんことを期待したい。
なお、実は今朝の「毎日」を開いて驚いた。昨日(8月20日)の山本庸幸氏記者会見記事についてである。
大きな活字の見出しが、「集団的自衛権:山本最高裁判事『改憲が適切』」となっている。そして、何とも小さな活字で、「解釈変更『難しい』」と添えられている。これだけ見れば、山本庸幸最高裁判事が「集団的自衛権容認に向けて改憲すべきが適切」と語ったごとくではないか。しかも、解釈変更「難しい」の添え書きは、「解釈の変更は難しいのだから断固憲法改正をすべきだ」とさえ読める。こんな見出の付け方でよいのか。
ちなみに各紙を較べてみた。
朝日「集団的自衛権行使容認『非常に難しい』 最高裁判事会見」
共同「前法制局長官、憲法解釈変更は困難 集団的自衛権で」
時事「憲法解釈変更『難しい』=集団的自衛権で山本新判事―最高裁」
東京「集団的自衛権『憲法解釈では容認困難』最高裁判事就任 山本前法制局長官」
日経「山本新判事、解釈変更『難しい』 集団的自衛権行使で」
読売の報道はなく、産経が「『憲法改正が適切』 前内閣法制局長官 最高裁判事就任で」である。今回の見出に関する限り、毎日が産経並みなのだ。何たる醜態…。
私は長年の「毎日」愛読者。型に嵌められずに、各記者がのびのびと記事を書いている雰囲気がよい。ということは社論に統一性を欠くということでもある。張り切って記事を書いた記者は、整理部にこんな見出しをつけられて、さぞ不満なことだろう。
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夏の花「クサギ(臭木)」
夏の花木は情緒に欠ける。花の色が強烈なものが多い。ノウゼンカズラ(凌霄花)のあのオレンジ色はどうだ。ヒャクジッコウ(百日紅)の紅色は野暮ったい。百日もの長い間咲いて、一体全体、夏をいつまで長引かせるつもりだ。濃いピンクのぼってりした八重花のキョウチクトウ(夾竹桃)が咲いていると景色が重苦しくなる。排気ガスを生産しているのはお前さんか。紫紅のムクゲ(木槿)は毎日毎日花を咲かせ続けてよくも飽きないものだ。ムクゲの無限の強靱さに人は圧倒されてしまう。
と、あまりの暑さに、お門違いの言いがかりをつけてみる。実を言えば、ヒャクジッコウにも雪のような白花がある。キョウチクトウだってムクゲだって、一重の白花は清々しいものだ。夏の花は生命力と不屈のパワーにあふれて、暑さにも乾燥にもびくともしない。これくらいの暑さで、弱音を吐く人間は、恐れ入って見習うべきであろう。
その夏の花のなかで、とくに名前で大損をしている花がある。クサギ(臭木)である。触ったりもんだりすると枝や葉っぱに臭気がある。ビタミン剤のような、オナラのような臭いがする。けれども、この若葉は立派な山菜で、ゆでたり、油で炒めたりしておいしくいただける。臭いのは摘んでいるときだけで、加熱すると全く臭わなくなる。ゆでて乾燥して、飢饉のときのための保存食にしたこともある。
真夏の今頃、8,9月いっぱい咲くクサギの花はなかなか美しい。枝の先が散状花序でおおわれて、5メートルほどの木全体が薄いピンクのパラソルを拡げたようにみえる。近寄ってみると、1センチぐらいの真っ白いプロペラのような花が、ピンクがかった萼から長く突き出て無数に咲いている。こよりのような蘂が猫のひげのようにピンピンと出ている。不思議なことに、花はユリのような甘い香りがする。それに誘われて、昼はいろいろなアゲハチョウ、夜間はスズメガなどが群がって賑やかである。
そして、晩秋には、実がなる。つやつやとした赤紫色になった5弁の萼の真ん中に濃い藍色をした丸い実がコロンと鎮座する。これが木全体をおおうようについて、秋空に浮き上がる。大変派手で、サイケデリックである。この藍色の玉のような実を煮出して、「クサギ染め」ができる。媒染なしで、絹は青空のような透明なブルーに染まる。明礬などの媒染を使って、木綿もブルーから濃い紺色まで染めることができる。
「臭木」の名ゆえ、わざわざ庭に植える人も少ないが、実生がよく出るので、地方へ行けば、日当たりのよい道路脇などに無造作にはえている。学名は「クレロデンドロン・トリコトミュウム」で、「運命の木」の意だそうだ。なぜ「運命の木」なのかはよく分からないが、この学名をつけた人は、乾いた標本しか手に取ったことがなかったのだろう。
この美しい木には「臭木」の名はふさわしくない。「運命の木」もイマイチ。よい名前をつけてもらってさえいたら、この木はもっと人の身近に植えられたろうに、と少しかわいそうな気がする。
(2013年8月21日)
安倍晋三流改憲手法の特徴は「薄汚さ」の一言に尽きる。正々堂々と国民に信を問おうという姿勢に欠けるのだ。彼の辞書にはフェアプレイという語彙がない。
その薄汚い姿勢は、彼の人間性に根差してもいるのだろうが、むしろ彼の自信のなさを物語るものとして理解すべきであろう。彼には、堂々と国民に語りかけ、説得し、手続きを踏んだ憲法改正を実現する自信がない。だから、「薄汚い」と言われても、「姑息」「邪道」と批判されても、奇手・奇道に走らざるを得ないのだ。
その薄汚い「手口」の典型が、96条先行改正論であり、内閣法制局長官のクビのすげ替えによる集団的自衛権行使容認の解釈改憲である。志を同じくする「薄汚い」連中が、同志として合い寄り、助け合って姑息な「手口」の実現をはかろうとしている。しかし、政界も官界も、ましてやジャーナリズムも学界も、当然のことながら国民も、けっして「薄汚さ」を容認する者ばかりではない。むしろ、「薄汚さ」には反発を感じる潔癖派が大勢を占めていると見るべきだろう。改憲の是非や集団的自衛権行使の可否以前に、まずはこの「手口」の汚さが問われなければならない。
おそらくは、安倍はその手口の汚さ故に、孤立を深めることになる。「兵は詭道なり」と衒って策を弄した安倍は、結局は策に溺れて改憲に失敗することになろう。
本日毎日夕刊「特集ワイド」の次の記事が目を引く。
「批判は身内からも上がる。『目指すところは安倍さんと同じ』という山崎拓・元自民党副総裁は解釈改憲を否定する。『長官を代えて解釈を変える手法は、スポーツの試合で自分に有利なように審判を代えるようなもの。集団的自衛権を行使したいのなら憲法改正手続きに沿って国民投票を行い、堂々と民意を問うべきだ。そうではなく、歴代政権の解釈が間違いというなら何が間違いだったのか、あるいは時代がどう変わったのかをきちんと説明する。本質的な議論なしに解釈改憲に向かえば国民は反発し、政権は揺らぐ。そうなれば憲法改正はできずに終わる』」
山崎拓は、「改憲派」ではあるが「薄汚い派」ではない。安倍流「薄汚い手口」には賛同できないし、この手口は結局失敗すると見ているのだ。
安倍流の改憲手口を容認していると見られることは、「薄汚い派」のレッテルを貼られていること。これは誰もが望むところではない。その表れが、本日(8月20日)の山本庸幸氏の記者会見発言である。
以下の共同の配信記事が、要点をとらえている。
「内閣法制局長官から最高裁判事に就任した山本庸幸氏が20日、最高裁で記者会見し、憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を容認する考え方について『法規範そのものが変わっていない中、解釈の変更で対応するのは非常に難しい。実現するには憲法改正が適切だろう』と持論を述べた。」
さすがに品の良い最高裁判事の言を補えば、
「憲法そのものが変わっていないのに、解釈の変更で実質的に憲法そのものを変えてしまうのは、本来やってはいけないこと」「集団的自衛権の行使容認を実現したいのなら、正々堂々と国民に信を問う手続を踏んで、憲法改正をやるのが筋というもの」
ということなのだ。言外に、姑息なやり口に対する批判がある。
各紙が、「憲法判断をつかさどる最高裁判事が、判決や決定以外で憲法に関わる政治的課題に言及するのは、極めて異例」と指摘しているとおりである。しかし、黙っていれば、氏は「薄汚い派」の仲間だと誤解されかねない立ち場にあった。懐柔されて、「栄転」した元長官と見られてもやむを得ない立ち場。「自分はこの薄汚い策動にコミットしていない」と明確に宣言しておきたかったのだろう。安倍流手口が孤立する側面を表している。
朝日の報道では、「氏は『集団的自衛権は、他国が攻撃された時に、日本が攻撃されていないのに戦うことが正当化される権利で、従来の解釈では(行使は)難しい』と述べた」という。
さらに、詳報では次のとおりである。
Q 憲法9条の解釈変更による集団的自衛権の行使容認について、どう考えるか
A 前職のことだけに私としては意見がありまして、集団的自衛権というのはなかなか難しいと思っている。というのは、現行の憲法9条のもとで、9条はすべての武力行使、あるいはそのための実力の装備、戦力は禁止しているように見える。
しかし、さすがに我が国自身が武力攻撃を受けた場合は、憲法前文で平和的生存権を確認されているし、13条で生命、自由、幸福追求権を最大限尊重せよと書いてあるわけだから、我が国自身に対する武力攻撃に対して、ほかに手段がない限り、必要最小限度でこれに反撃をする、そのための実力装備を持つことは許されるだろうということで、自衛隊の存立根拠を法律的につけて、過去半世紀ぐらい、その議論でずっと来た。 従って、国会を通じて、我が国が攻撃された場合に限って、これに対して反撃を許されるとなってきた。
だから、集団的自衛権というのは、我が国が攻撃されていないのに、たとえば、密接に関係があるほかの国が他の国から攻撃されたときに、これに対してともに戦うことが正当化される権利であるから、そもそも我が国が攻撃されていないというのが前提になっているので、これについては、なかなか従来の解釈では私は難しいと思っている」
これは、理論的根拠にまで踏み込んだ発言として、インパクトが大きい。元内閣法制局長官であり現最高裁判事である人の、世人がもっとも関心を寄せている点での発言なのだから。
もっとも、氏は次のようにバランスをとる発言はしている。
「しかしながら、最近、国際情勢はますます緊迫化しているし、日本をめぐる安全保障関係も環境が変わってきているから、それを踏まえて、内閣がある程度、決断をされ、それでその際に新しい法制局長官が理論的な助言を行うことは十分あり得ると思っている。」
しかし、こちらには理論的な根拠付けがない。通り一遍の、リップサービスと見るしかない。
私には、氏の異例の発言には、これまで心血を注いで積み上げてきた整合性ある憲法解釈をゆがめられようとしていることに対する怒りが感じられる。怒りの源には、官僚としてのプライドと、人としての良心がある。安倍は、心ある人を敵に回して孤立しつつあるのだ。
なお、本日の毎日「特集ワイド」。標題は、「集団的自衛権行使の容認 憲法解釈変更は『脱法行為』」というもの。メインの取材対象者は浦田一郎教授。次のように、胸のすくような切れ味の名言が並んでいる。
「他国での武力行使に道が開かれれば、戦争放棄を貫いてきたこの国の形が変わる。それを解釈変更でやってしまおうなんて卑しい脱法行為だ」
「法に基づいて政治を行う『法治主義』の観点からすると、法は政治より優位性を持つ。集団的自衛権の解釈も何十年も論争を重ねて『できない』と確認したもの。閣議決定で済む話ではない。政治家がやりたくてもできないことをまとめた『足かせ』が憲法。政治家が何でもできるようになったら立憲主義でなくなる」
内閣法制局長官のクビのすげ替えの日に、中央紙がこれだけの特集記事を書ける状況が心強い。そしてその日の、異例の山本記者会見発言である。安倍は、手口の薄汚さで、確実に墓穴を掘っている。96条先行改憲に続いて、集団的自衛権行使容認論でも、これを封じ込める展望が開けつつある。秘密保全法も、国家安全保障基本法も、国家安全保障会議(日本版NSC)関連法案についても同様ではないか。
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『兵士たちの戦後史』(吉田裕著)より〔3〕 高度経済成長の企業戦士と戦記物
「青春といわれる時期にあの大戦争に直面し、その最も悲惨であった末期に、もはやほとんど何も選ぶこともできず、その第一線に骨身を削り、多くの友を失い、いわば戦争が日常であった大正二桁生まれを中心とする世代をさして、一般に戦中派と呼んでいる。」(小野田正之「落日の群像」)
その戦中派が「神武景気(56?57年)」、「岩戸景気(59?61年)」を経て、戦後の高度経済成長を担った。「(罪責型は)戦闘に直接参加して、生き残った者に多かった。死んだ戦友にすまないという気持ちの現れである。・・多くの場合、このすまないという気持ちは、死んだ戦友に代わって、祖国の再建のために努力しようという方向に変わっていった。この祖国の再建のためにという一種のナショナリズムは、高度成長期の労働エートスを、大きく特徴づけていた。」(間宏「経済大国を作り上げた思想」)
「戦士」だった男たちは、そのまま「企業戦士」に変身した。彼らは社会の中堅層になり、自信と自負心を回復しようとした。忘れようとしても忘れられない、戦死した戦友の慰霊に努め、一方で、敗戦や戦争の記憶を作り替えて傷痕を繕い、自分の心に受け入れられるものにしたいと願った。その時代気分が作りあげたものが、「戦記もの」ブームである。
「戦記の種別は、空戦記と海戦記、とりわけ空戦記が多い。陸戦記は極めて少なく中国戦線の戦記は全く登場しない。空戦記が多いのは、読者が無意識のうちに、暗く凄惨な戦闘の現実と向き合うことを回避し、勇壮で華々しい読み物としての『戦記もの』を求めていることの反映だと考えられる。戦記そのものの内容も、大部分の戦記は、戦争の性格や位置づけについての問いかけを全く欠いたままに、その戦争の中で、日本軍の将兵がいかに勇敢に戦い、自らに与えられた任務を忠実に実行したかを強調するものとなっている。(吉田裕)」。こうした戦争の肯定的な取り上げ方に対する批判は多くあったけれど、「戦記もの」はベストセラーになったと吉田裕は書いている。
その戦記作家の代表が伊藤桂一である。人気作家であった。中国に2度、計7年間、異常なほど出世しない一兵卒としての経験をもつ。自身の中国出兵中の駐屯地で起きた出来事を書いた「蛍の河」で1961年の直木賞を受賞した。1917年(大正6年)生まれの95歳で、現在も同人誌を主宰し、詩や短歌を発表されている。
明日は伊藤桂一さんについて。
(2013年8月20日)
俄然有名になった石破茂・「軍法会議」発言。正確には、「軍事法廷」と言ったようだ。
4月21日「週刊BS?TBS報道部」での発言内容は次のようであったという。
石破「(自民党改憲案には)軍事裁判所的なものを創設するという規定がございます。『自衛隊が軍でない何よりの証拠は軍法裁判所が無いことである』という説があって、それは今の自衛隊員の方々が『私はそんな命令は聞きたくないのであります』『私は今日かぎりで自衛隊をやめるのであります』と言われたら、『ああそうですか』という話になるわけです。『私はそのような命令にはとてもではないが従えないのであります」といったら、(今の法律では)目いっぱいいって懲役7年です。
これは気をつけてモノを言わなければいけないけれど、人間ってやっぱり死にたくないし、けがもしたくない。『これは国家の独立を守るためだ』『出動せよ』って言われた時、『死ぬかもしれないし、行きたくないな』と思う人がいないという保証はどこにもない。
だからその時に、それに従え、それに従わなければ、その国における最高刑に死刑がある国なら死刑、無期懲役なら無期懲役、懲役300年なら300年(を科す)。『そんな目にあうぐらいだったら出動命令に従おう』っていうことになる。
『お前は人を信じないのか』って言われるけど、やっぱり人間性の本質から目をそむけちゃいけないと思う。…軍事法廷っていうのは何なのかっていうと、すべては軍の規律を維持するためのものです。」(赤旗から)
要するに、国防軍の軍紀維持の必要から、軍人の命令違反には「死刑、無期懲役、懲役300年」という最高の厳罰をもって臨むべきが当然。そのような刑罰法規を整備して初めて、兵士は「出動命令に従おう」という気になるものだ、と言いたいよう。
なるほど、現行自衛隊法における処罰規定の最高刑は、「防衛出動命令を受けた自衛官が3日以上職務の場所を離れた場合」の懲役7年(自衛隊法122条1項2号)に過ぎない。対して、旧陸軍刑法・海軍刑法では、「軍人軍属が、敵前において上官の命令に反抗しまたは服従しない場合には、死刑または無期もしくは10年以上の禁錮」とされていた。石破は、「自衛隊法じゃだめだ。これでは戦争などできない。これからは本気で戦争しようというのだから、旧軍並みにしなければ」と言ったわけだ。
しかし、番組の質問の趣旨は、軍事実体刑法の問題ではなく手続法の問題。石破が「軍事法廷」と呼んだ、「軍法会議まがいの国防軍・審判所」とはいったい何だろうか。この辺、石破が改憲草案の起案者かと思っていたら、石破自身がよく分かっていないようだ。質問に的確に答えることができていない。軍紀紊乱には厳罰が必要だと言いながら、その厳罰を科す「軍事法廷」の何たるかをまったく説明しようとしていない。なぜ、「軍事法廷」が必要であるかも。
現行日本国憲法では、「軍法会議」の設置は違憲である。
憲法76条1項が、「全て司法権は,最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する」とし、同2項が、「特別裁判所は,これを設置することができない。行政機関は,最終的な上訴審として裁判を行うことができない」と明記しているから。
最高裁判所の系列の外にはみ出す「軍法会議」は、憲法上の「特別裁判所」にあたり、憲法上設置が許されない。
旧憲法は、特別裁判所としての軍法会議を許す規定となっていた。
第60条「特別裁判所ノ管轄ニ属スヘキモノハ別ニ法律ヲ以テ之ヲ定ム」は、法律次第で特別裁判所の設置を認める規定となっており、特別裁判所としての軍法会議が設置された。二審制で、通常の司法裁判所からは完全に独立した存在であった。
旧軍では、軍刑法違反の犯罪があった場合、軍法会議で刑罰を科せられた。しかし、現行憲法下では、自衛隊法違反の隊員は、通常の司法裁判所(地裁・高裁・最高裁)で裁かれることになる。「これではだめだ。本気で戦争やる態勢ではない」。で、自民党改憲草案は、その9条の2第5項に、「国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため,法律の定めるところにより,国防軍に審判所を置く」という規定を新設した。
石破の口から「審判所」ということばが出てこなかった。それほど、なんたるかがよく分からない。その設置の趣旨も、構成も。ただただ、一人前の軍隊の格好をつける必要だけが、前面に出ている感がある。
自民党改憲草案は、76条にはほとんど手を付けていない。その2項は、「特別裁判所は,設置することができない。行政機関は,最終的な上訴審として裁判を行うことができない」となっている。国防軍の審判所は、「特別裁判所」ではあり得ず、最高裁系列からはみ出した「軍法会議」ではない。
軍法会議でないとすると、家庭裁判所や知財高裁のような「下級裁判所」の一形態であるのか、労働委員会や公害審査会、海難審判所のごとき、裁判的機能をもつ行政機関であるのか、実はよく分からない。
石破はTBS番組の発言では、「軍事法廷」の非公開を明言している。もしかしたら、「下級裁判所」との位置づけだと、非公開での審理がしにくいと考えたのかも知れない。問題は残るが、非公開での「審判所」の審理のあとの審級を、最高裁への上告審だけとするシステムが狙いなのかもしれない。事実審は、すべて行政機関としての「審判所」において非公開で行い、上告審だけを法律審である最高裁に行わせる。こんなことを考えているのではないだろうか。
軍隊は、人権擁護とはもっとも疎遠な場所である。軍人勅諭も、戦陣訓も、およそ人権とは無縁の思想で形づくられている。なによりも、国防軍を設置すると明言する改憲を許してはならない。
石破発言は、9条改憲によって現実化する人権の危うさを垣間見せたもの。本来、いかなる犯罪にも、被告人には防御の権利が保障されなければならない。軍隊とても、私刑は許されず、軍紀違反に対する制裁は裁判の手続を採らねばならない。しかし、「軍法会議」設置の思想は、「被告人に面倒な人権保護手続きを保障していたのでは戦争にならない」「軍隊なのだから、一般社会のとおりの人権保障重視ではなく簡易迅速重視。即決即断せざるを得ない」というものである。
軍隊は恐ろしい。軍隊の設計をたくらむ人は、もっと恐ろしい。
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『兵士たちの戦後史』(吉田裕著)より2?講和条約の発効と「逆コース」
戦後の、軍人たちの巻き返しは早かった。1950年朝鮮戦争が勃発すると、東側陣営との対決のためにアメリカは対日占領政策を明確に転換した。前線基地をおく地理的好条件を備えた下位の同盟者として、日本を利用する必要があった。また、日本自身も渡りに舟と、親米保守政権を作ってアメリカの期待にこたえた。51年にはアメリカ主導のサンフランシスコ講和条約を締結した。ソ連や中華人民共和国などが調印しない片面講和で、戦後に難問を残すこととなった。
憲法9条の制約をかいくぐって、50年には、警察予備隊、52年には保安隊・警備隊、54年には自衛隊と軍事力を整備した。こうして旧軍人が大手を振って活躍できる舞台ができた。政治的、社会的に民主化、非軍事化にストップをかける「逆コース」の動きは、いろんな面で素早かった。51年の靖国神社例大祭に内閣総理大臣吉田茂が参拝し、52年には天皇が「親拜」した。また、52年には国の主催で全国戦没者追悼式が行われ、戦没者慰霊の機運が盛り上がった。それに応える旧軍人の結集も着々と準備された。53年になると、日本各地で多くの「戦友会」がつくられ、英霊の顕彰を目的とする「日本遺族会」「旧軍人恩給復活連絡会」が結成された。戦犯の復権も国会議決された。こうして、53年8月には軍人恩給も復活した。200万人以上の旧軍人に、56年には国家予算の8.6%、889億円が支払われた。
「危険な思いをしたり、陛下のために不利益を受けたのは軍人だけじゃない。戦争犠牲者は国民の全部であり、中でも未亡人や戦災孤児が最も痛ましい。軍人に恩給をやるくらいなら戦禍を受けた国民のひとり残らずが、国家から何らかの補償を受けていい筈だと考えるのも尤も千万である。・・既得権益とか国家との契約だとかは敗戦という未曾有の出来事で一応キレイにすっかり忘れて白紙に還って、困る人を国家が扶けるという社会保障の中に包含するのが一番穏当だというのが、今日の私の考え方である」(久富通夫『職業軍人』1956年採光社)。こんなまともな考えの元陸軍中佐がいたのには驚きである。
恩給額は旧軍の階級や年齢で差がある。ちなみに、中佐の恩給最高額は年額8万5120円であった。小学校の教員の初任給が年額9万3600円であった時代のことである。
(2013年8月19日)
公式参拝を「不当ではない」、あるいは「違法ではない」という推進派の論理は、類型化している。各パターンへの反論を整理してみたい。
(1) 「当たり前のことをしているだけだ」論
「英霊に尊崇の念を表するのは当たり前のこと」だろうか。死者に哀悼の念を表するのは当然の心情の発露だが、「英霊に尊崇の念を表する」のはけっして当たり前のことではない。英霊とは、皇軍将兵の戦没者の美称である。天皇への忠誠を尽くしての死が褒むべきものとされている。英霊ということばを発した瞬間に、天皇が唱導した聖戦として戦争が美化され、戦争への批判を許さないものとする。死を悼む心情へ付け入った戦争美化の手口である。英霊への尊崇の念を表するという公式参拝は、実は戦争の侵略性否定の試みである。
「自国のために命を落とした人に祈りをささげるのは日本人として当然のこと」であろうか。一般国民が、靖国神社以外の場所で、自分の流儀で同胞の死を悼むことは、それこそ自然の情の発露として何の問題もあろうはずがない。しかし、「国を代表する立ち場にある者」が、「靖国神社という天皇制国家と緊密に結びついた特定宗教施設」で、「祈りを捧げる」ことは、問題だらけである。英霊ということばを使わなくても、靖国神社という特殊な意味づけをされた場での、公的資格を持った者の、祈りは、現在の国家が、過去の戦争やその戦争による将兵の死に、靖国神社流の特定の意味づけをすることを意味する。その靖国流の意味づけは、政治的な批判の対象ともなり、政教分離原則に違反するものでもある。
「靖国神社を参拝し、国家、国民のために殉じた幾百万の尊い英霊に感謝を捧げることが、首相としての当然の責務である」。この言には、戦争への反省がない。国家の代表として、誤った国策によって国民に多大の辛苦をもたらしたことに対する謝罪がない。近隣諸国の民衆に対する加害責任の自覚も謝罪の気持も表れていない。戦前とまったく同じ「靖国史観」に固執している靖国神社への公式参拝は、他国から、「日本は侵略戦争をしたことを認めようとせず、何の反省もしていない」と非難されて当然である。「(国民のために殉じた幾百万の尊い英霊に感謝を捧げることは、)日本人が日本の伝統・文化に根ざした価値観を守り、日本人としての心を大切に伝え続けることにつながります」などと、余計なことを述べるのは、火に油を注ぐもの。
(2) 「個人の心の自由の問題だ」論
天皇や首相の場合はともかく、閣僚や国会議員の場合には、純粋に個人としての参拝はありうる。その場合は「個人の心の自由」の問題と認めざるを得ない。誰しも私人としての信仰の自由をもっているのだから。しかし、問題になるのは、これ見よがしに肩書をちらつかせ、マスコミへの露出を狙ってなお、「私人の行為」と言い抜けようとする場合に限られる。その参拝が純粋に私的なものかの厳格な見極めが重要である。記帳の肩書に公的資格を書き込めば私人の参拝とは言えない。公用車を使う参拝も、公費から玉串料を出す場合もである。ことさらにマスコミに肩書を露出する場合も問題で、軽々に私的行為と認めることはできない。
(3) 「どこの国だって同じことをやっている」論
どこの国も戦争犠牲者を追悼していると言うのなら、多分そのとおりだろう。しかし、そのことは靖国公式参拝を合理化する根拠にはならない。せいぜいが、「全国戦没者追悼式」の挙行を合理化するに足りる程度。
靖国神社は、近代日本が発明した特殊な軍事的宗教施設である。おそらくは近代以降の世界に類例を見ない。論者は、「どこの国だって」と言わずに、「同じことをしている国」を特定しなければならない。靖国神社の特徴は、戦前は軍の管轄する宗教施設として軍国主義の主柱をなしていたこと、戦後は一宗教法人となりながら戦前の史観を維持し続けていること、今なお戦没者の魂を独占して国家と関わりをもっていること、旧勢力と緊密に結びついて戦争を正当化していること、である。このような類似の例が他国にあろうはずはない
安倍晋三首相は靖国神社を米国のアーリントン国立墓地と同じだと言ったが、アーリントン国立墓地と靖国神社とは、その性格がまったく違う。なによりも、アーリントンは死者の魂を独占していない。遺族の選択に従って、望む者のみを埋葬する。埋葬に伴う宗教儀礼の方式は遺族の自由である。死者を神とすることによって戦死を名誉なものとし、戦争を正当化しようとする観念を持たない。これが、普通の国の在り方だろう。靖国神社の好戦的性格が特殊であり異常なのだ。このことは、ひととき遊就館を一回りすれば明瞭なことである。
(4) 「内政干渉を許すな」論
「戦没者をどのように追悼するかは純粋に国内問題だ。近隣諸国が靖国神社公式参拝を批判するのは不当な内政干渉だ」という論調が高まっている。被侵略国の民衆の批判に耳を傾けようというのではなく、声高にこれを排斥しようとしている。危険な徴候と憂えざるを得ない。
かつての被侵略国が、日本に対して侵略戦争を真摯に反省しているか、再びの脅威になることはないかに関心をもたざるを得ないことは当然のこととしてよく分かる。我が国は、近隣諸国に再びアジアの脅威になることがないことを態度で示し続けなければならない立場にある。近隣諸国にとっては、靖国神社公式参拝は、日本の反省と平和への姿勢が本物かどうかを確認する試金石である。しかも、靖国神社には後年に至って秘密裡にA級戦犯が合祀されたという経過さえある。靖国神社公式参拝とは、現在の国家代表が、神として祀られている過去の戦争指導者に額ずくという側面をもっているのだ。
近隣諸国の公式参拝批判を内政干渉と排斥しては、「日本の軍国主義復活」と指弾されかねず、我が国の国際協調主義の底の浅さを露呈するだけのこととなろう。
(5) 「靖国神社は宗教施設ではない」論
憲法の政教分離原則をすり抜けるために、「靖国神社は、宗教法人となってはいるが、憲法上の宗教ではない」「靖国参拝は、儀礼や習俗であって宗教性をもたない」という、暴論が散見される。
旧憲法28条は、「日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス」とされた。しかし、この条文で保障された「信教ノ自由」が、クリスチャンや仏教徒の靖国神社参拝強制を拒む根拠とはならなかった。そのための憲法解釈技術として、「神社は宗教に非ず」とされたからである。靖国神社参拝は「信教ノ自由」に属することではなく、「臣民タルノ義務」に属するものとされた。今、再びの靖国神社非宗教論も、公式参拝非宗教活動論も、馬鹿げた旧天皇制時代のこじつけ論法の再生に過ぎない。
なお、自民党の日本国憲法改正草案は、公式参拝に道を開くことを意識しての憲法20条3項改正案となっている。
(6) 「平和を祈念しているのに文句があるか」論
「靖国神社公式参拝を、軍国主義復活や歴史修正主義の顕れと短絡して理解することは、大きな誤りである。その反対に、国のために命を失った人とご遺族を慰めて、平和の尊さを確認し再び戦争をしない決意を披瀝するもの」。だから問題ない、という論法がある。
しかし、靖国神社が軍国神社であることは、いまさらどうにも動かしがたい事実である。歴史的に軍国主義の精神的主柱であり、国家神道の軍国主義的側面を担っていたというだけでなく、現在なお、戦争美化の靖国史観を持ち続けている。そこは、平和を語るにふさわしい場ではない。平和を誓うのにふさわしい機会ではない。国の代表が内外すべての戦争犠牲者に責任を認めて謝罪し、平和を語り、不再戦を誓うにふさわしい場所は、まずは国会である。あるいは国民的大集会でもよかろう。けっして靖国神社ではない。
靖国参拝は、軍国主義の鼓吹としか理解されない。平和を祈念しているとの強弁は通じないことを知るべきである。
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ヒョウの「八紘」
ぼくはヒョウの「八紘」。なぜこんな名前をつけられたのか、たぶん予想がつくでしょう。そのとおり「戦争」です。1942年5月に中国の武漢に近い前線から、上野動物園に送られてきたんです。その1年前の春、まだ乳離れもしていないときに、日本の兵隊さんに捕まったんです。お母さんのいないときに、拉致されました。でも、捕まえた兵隊さんだけでなく、たくさんの兵隊さんが、僕を大変可愛がって育ててくれました。殺伐とした兵隊暮らしのなかで、僕は部隊のマスコットになったんです。名前は部隊の番号の8をとって、「ハチ」とつけてくれました。僕を捕まえた成岡さんとはずっと一緒に寝ていたぐらい仲良しでした。
でもそんな平和は続きませんでした。戦争ですもの。部隊は転戦しなければならなくなって、ぼくは遠い日本の上野動物園に送られてきたんです。
そこでは僕の名前は「ハチ」じゃなくて、厳めしい「八紘」になりました。中国で兵隊さんと一緒に戦ったヒョウだと宣伝されて、たくさんの人が僕を見に来ました。でも、いくらたくさんの人で賑やかでも、僕は寂しかったのです。
それから1年後の1943年8月に僕は死んで剥製にされました。毒の餌を食べさせられて殺されたのです。わけがわかりません、あんまりです。
それを知った成岡さんはとっても悲しんでくれました。幸い成岡さんは戦争が終わって日本に帰ってくることができました。そして、あちこち奔走して、僕を探し出して、引き取ってくれたのです。「あのまんま、洞窟の巣穴の中においたままにしておけばよかった、ごめんよ」と涙を流してくれました。
僕が死んでから70年もたちました。剥製の姿となった僕は、今高知子ども科学図書館にいます。夏休みでたくさんの子どもが来て賑やかです。なぜ僕がここにいるのか、事情を知ると子どもたちはみんな、気の毒でたまらないといってくれます。ぼくはひとりでも多くの子どもたちに、「戦争」の話をしようと思っています。
(2013年8月18日)
8月の、「6日・9日・15日」が終わった。終わったけれども、何かが変わったわけではない。もうしばらくの夏の終わりまで、戦争と平和にこだわりたい。本日も靖国問題を。
天皇や、首相・閣僚、自治体首長らの靖国神社公式参拝あるいは玉串料奉納について、推進派から積極的根拠を聴かされる機会はまことに少ない。ほとんどが「反対派がこう述べているが、それはおかしい」の類である。これだけの物議を醸しながら、敢えて公式参拝が必要だという積極理由をホンネではどう考えているのだろうか。
ホンネの第一は、「戦争美化論」である。「侵略戦争糊塗論」と言っても良い。これは靖国神社存立の根拠と緊密に関わる。戦死者を「英霊」と称え神聖な存在として祀ることによって、戦争を美化し、戦争に対する批判を封じ、同時に戦争を起こした国家の責任を回避しようとするものである。ここには、遺族感情や同胞の死に対する国民意識のあからさまな利用が意図されている。公式参拝は、くり返しの戦争美化確認の演出効果を狙ってのものである。
さらに、ホンネを語って最もあからさまなのが、「次の戦争準備論」である。中曽根康弘の「国のために倒れた人に国民が感謝を捧げる場所がなくて、誰が国に命を捧げるか」という、あの名言のとおりである。靖国神社は、「戦没者に国民が感謝を捧げる場所」であり、公式参拝は「国民の代表者が感謝を捧げるセレモニー」と位置づけられる。戦死を意味づけ、英雄視することによって、「次に国に命を捧げる人を得よう」というのだ。英霊の顕彰を通じての英霊再生産が目的なのだ。
そのバリエーションと言ってよいであろう。軍法会議厳罰発言で俄然注目の的となっている石破茂の次のように主張がある。「国家誓約説」とでも名付けようか。
「靖国神社を建立した際の政府の国民に対する約束はいかなる人であっても戦争で散華した人は靖国神社に祀られる。天皇陛下が必ずご親拝下さるという2点であったはず。第1の約束は概ね果たされてはいても、第2については所謂A級戦犯が合祀されて以来、果たされていない状況が続いている」
ここでは、天皇親拝が国家の国民に対する約束であり、その約束の履行として天皇親拜を実現する環境を整備しなければならないとする。この人の頭の中では、親拝を約束したとされる旧憲法時代の国家と、約束の履行をしなければならないとされる現行日本国憲法下の国家とが、切れ目なく連続している。いまだに、天皇親拝を実行しなければならないとする目的は、天皇を利用した戦争へむけての国民統合にあると言わざるを得ない。
以上は、国家の立ち場からのホンネであり、かつ靖国史観のホンネである。遺族感情利用の意図が透けて見えるが、けっして遺族の立場からのホンネではない。改憲して国防軍を創設しようという、自民党の今にこそふさわしいホンネであるが、それだけに今大っぴらに広言することははばかられる類のもの。
ホンネというには不適切だが、最も分かりやすい参拝目的の説明は、「遺族心情論」である。遺族と遺族に連なる人々にとって、社会が戦争や戦死者を忘れ去ること、戦死者の死の意味を否定しさることは耐えがたい精神的苦痛である。戦没者の氏名を霊爾簿に登載し、その一人ひとりを祭神として祀るとされている靖国神社に、国を代表する者が参拝することで、戦死者の霊はいくぶんなりとも慰められようし、遺族の気持ちも慰藉される。そのような遺族の心情に応えることが、天皇や首相らの公式参拝の目的だというものである。
「遺族心情論」に悪乗りした形の「選挙目当て論」ないしは「大衆迎合論」も分かりやすい。遺族会単体での集票力はかつてほどではないが、遺族と遺族を取り巻く人々、あるいは戦争に関わる記憶をもつ多くの人々の数は大きく、保守支持層の相当部分を占める。この層への保守政治家の支持取り付け策として公式参拝推進は格好のテーマである。ぞろぞろと、国会議員が集団参拝する所以である。
私は、「遺族心情論」こそが、靖国問題の核心だと思っている。靖国は確実に、このような遺族やその周囲の心情に支えられている。それあればこそ靖国も靖国派も根無し草ではなく、民衆に支えられている。違憲と言い、外交上かくあるべしと言ってもなかなか通じない。遺族の心情は無下に排斥しがたい点において、反靖国派はたじろがざるを得ない。ここが、靖国派の強みの源泉である。
しかし、ここが切所。感性の上では辛くても苦しくても、逃げることなく理性において遺族の心情に配慮しつつも、これと切り結ばなければならない。戦争を始めたのは国家ではないか、赤紙一枚で国民を戦場に狩り出したのも国家ではないか。「死は鴻毛より軽きと知れ」と国民の命を奪ったのは国家ではないか。そして、国家は、そのまま天皇と置き換えてもよいのだ。天皇を頂点とした国家こそが、かけがえのない国民一人ひとりの戦死に、責任を取らねばならない。その責任に頬被りしての戦死者の利用は許されない。
しかも、あの戦争は、自存自衛のための戦争ではなく侵略戦争であった。被侵略国の民衆が、日本が戦争を反省し再び戦争をしない国家に再生したのかどうかを見つめている。軍国神社靖国と国家の結びつきは、海外から見れば、軍国主義の復活と映るのだ。
靖国神社公式参拝に対しては、政治的な批判と法的な批判が可能であり必要である。政治的批判とは、公式参拝が国内政治や外交の観点から平和や民主々義に反することの批判である。その際のキーワードは、歴史認識となろう。先の戦争を侵略戦争と認めるか否かである。
法的な批判とは、憲法の政教分離原則に違反していることの論証である。憲法原則は、歴史的な反省に立脚してのものであるから、政治的な批判と法的な批判とは究極において一致する。ただし、政治的な批判は、「靖国史観」の体現者としての現在の靖国神社の実態に重きが置かれることになろうが、法的批判においては靖国神社や参拝・玉串料奉納の宗教性が問題であり、その論証は容易であると言えるだろう。
靖国を論じるたびに、心に引っかかりを感じる。靖国思想の最大の犠牲者である戦没者の遺族の心情に切り込まざるを得ないからだ。いわば、戦没者の魂と遺族感情が、靖国神社に人質に取られている状態なのだ。靖国問題の困難さはそこにある。それでもやはり、乗り越えねばならない困難なのだ。
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『兵士たちの戦後史』読後感
吉田裕の同書(岩波書店)は、読者の関心に応えて、多数の文献を手際よく引用して集大成した好著である。同書によれば、第二次大戦敗戦時に日本兵は、本土に436万人、海外に353万人いた。戦後、元兵士、復員兵に対する銃後の国民の冷ややかな蔑視、憎悪は想像を絶するものがあった。
軍神として歓呼の声で送られて、帰ってくればうって変わって、敗残兵、戦犯、やっかいの種という声が投げつけられた。飢えてすさんだ国民は、浮浪者、浮浪児、パンパン(米兵相手の売春婦)と一緒にして、復員兵を鬱憤晴らしの弱い者いじめの対象にした。「軍部」と「国民・天皇」という意識的に設定された2グループの間に、くさびを打ち込もうとするアメリカ軍の対日占領政策が、それを助長しお墨付きを与えた。
「敗戦の祖国はかくも憐れなり、英霊立てど席譲る人もなし」(古庄金治)
と復員兵は嘆いている。
その理由について、中国に7年間の従軍経験のある兵隊作家・伊藤桂一は次のように言っている。「私たち天皇の軍隊は、終戦後、武器なき集団として故国に帰ってきた。迎えてくれたのは、それぞれ近親者だけである。私たちは民族自身のために戦ったのではなかったから、祖国の土を踏んでも、祖国の人たちとまるで他人同士のようにしか接しなかった。前線も銃後も、ともに惨憺たる目にあいながら、互いをいたわり合うことさえしなかったのである。このようなみじめな負け方をした国は、古来歴史上にその例をみないだろう」(「草の海ー戦旅断想」文化出版局)
戦争を挟んでその前後の民衆意識の連続性について、「民衆は天皇・天皇制を存置した上での平和・デモクラシーを求めていた」「アジアに対する優越感、帝国意識も崩壊をまぬかれ、敗戦後も頑強に生き続けた」と、吉見義明は「草の根のファシズム」(東京大学出版会)で述べている。
田中宏巳「復員・引揚げの研究」(新人物往来社)は、南方からの帰還兵は襟章、階級章を剥いで海に投げ込んだが、「中国からの帰還兵には、自分たちは負けていなかったとして、襟章を外そうとしない者が多かった。敗れた軍隊にいた兵士には、襟章、階級章は敗戦、敗北の象徴であったが、一方で決着がつかなかった中国戦線の兵士たちにすれば、日本軍の襟章、階級章はむしろ誇りであったのだろう。」といっている。
こうした意識が敗戦後の国中に複雑に蔓延し、他人を思いやる心を失わせ、空虚な絶望感のただよう社会を作り出した。日本政府からも連合軍からも、意識的に見捨てられた朝鮮人や台湾人の軍人、軍属、従軍慰安婦などの立場を顧慮できるはずもなかった。なまじの経済発展がアジア諸国への優越感を助長した。そして未だに、植民地政策や蔑視の歴史的事実を認識したくない、思い出したくない、忘れたい、できることならなかったことにしようとしている国民意識が確実に存在する。これでは、踏みつけにされた民族や民衆は、たとえ何年たとうとも、屈辱を忘れることができない。
(2013年8月17日)