いよいよ今日が大晦日。今年を振り返らねばならないのだが、そんな余裕を持ち合わせていない。ともかく、この1年の365日、途切れなく当ブログを書き続けた。非力な自分のできることはやった感はあるものの、世の泰平は感じられない。憲法は危うく、真っ当ならざる言論が幅を利かせる、少しも目出度くはない越年である。
何しろ、衆・参両院とも、改憲派が議席の4分の3を超している。改憲発議は既に可能なのだ。安倍晋三政権が長期の命脈を保っていることそれ自体が、諸悪の象徴であり、また諸悪の根源でもある。
安倍が掲げる反憲法的な諸課題に対峙するとともに、安倍を徹底して批判し安倍にNOを突きつけることで、安倍が主導する改憲策動を阻止しなければならない。
そのような心構えで年を越すしかない。2017年の暮れに、「アベの悪政 あ・い・う・え・お」である。
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あ 安倍晋三よ、あんたが国難。
右手に明文改憲、左手に解釈壊憲を携えて、平和・人権・民主主義を破壊しようというのが、アベシンゾーとその仲間たち。特定秘密保護法・戦争法、そして共謀罪までのゴリ押し。さらには、原発再稼働、カジノ法案、働き方改悪…。安倍晋三という存在自体が、日本国民にとっての災厄である。すこしの間なら辛抱して嵐が過ぎ去るのを待てばよい。ところが、こうも長すぎると後戻りできないまでの後遺障害を心配せざるを得ない。明文改憲の現実もあり得ないでない。いまここにある安倍晋三という国難を除去することこそが、覚醒した真っ当な国民にとっての喫緊の課題である。
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い 一強が招いた政治腐敗
2017年は、森友問題と加計学園疑惑に揺れた一年だった。すべてはアベ一強政治が招いた腐敗。忖度という言葉が、流行語大賞を取ってさらに話題ともなった。もり・かけとも、アベシンゾー夫妻との親しい間柄で甘い汁を吸おうとしたオトモダチ。朋友相信じた仲。にもかかわらず、その一人籠池泰典は、妻ともども、拘置所での年越しを余儀なくされている。旗色悪しと見たアベに、トカゲの尻尾よろしく切り捨てられたからだ。私は、籠池の思想には唾棄を催すが、その人柄には親近感を覚える。いまやすべてを失った彼に、一抹の同情を禁じえない。
一方、加計孝太郎は、すべてを保持したままこの年の瀬を逃げ切ろうとしている。安倍と気の合う仲間にふさわしい陰湿さに、忌まわしさを感じるばかり。何を考え、どこで、何をしながらの年越しだろうか。
水の流れが澱めば、必ず腐敗する。アベ一強忖度政治の教訓を噛みしめたい。
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う うっかりせずに、しっかり反対「安倍9条改憲」
アベ改憲は4項目。「緊急事態」・「教育の拡充」・「参院選挙の合区」と、自衛隊を明文化しようという「アベ9条改憲」。アベの関心は、もっぱら9条で、その他は改憲擦り寄り、下駄の雪諸政党にバラ播かれた餌だ。いずれも、明文改憲なくとも困ることは生じない。
問題は、「9条改憲」のみなのだ。「現にある自衛隊を憲法上の存在として確認するだけ」「だからなんにも変わらない」というウソを見抜かなければならない。本当に「何にも変わらない」のなら、改憲の必要などない。本当は様変わりするのだ。
「自衛隊違憲論」者(当然、私もそのなかにいる。)にとって、自衛隊を明文化しようという「アベ9条改憲」が、驚天動地のトンデモ改憲案であることは論を待たない。しかし、「自衛隊は自衛のための最低限度の実力を超えるものではなく『戦力』にあたらない。それゆえ『戦力』の保持を禁じた9条2項に違反しない」という専守防衛派にとっても、憲法の景色は様変わりすることになる。
武力組織としての自衛隊を憲法が認めることは、9条2項を死文化することになる。そのことが、自衛隊の質や量、可能な行動範囲への歯止めを失うということになるのだ。それだけではなく、いまや自衛隊は戦争法(安保関連法)によって、一定の限度ではあるが集団的自衛権行使が可能な実力部隊となっている。これを憲法で認めるとなれば、憲法が集団的自衛権行使を容認することにもなる。
うかうかと、アベの甘言に欺されてはならない。
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え 越年しても忘れない
アベ改憲のたくらみも、壊憲政治も、そして政治と行政の私物化も、すべてはアベシンゾウとその取り巻きのしでかしたこと。アベ一強政治が続いたからこその政治危機であり、腐敗である。
これに対する国民の側の反撃の運動も、大きく育ちつつある。覚醒した市民と立憲主義を大切に思う野党の共闘こそが希望だ。来年こそ、この共闘の力を発揮して、アベ退陣と、改憲阻止を実現したい。このことを、けっして越年しても忘れてはならない。
先日の「安倍靖国参拝違憲訴訟の会・関西訴訟団」の闘いを締めくくる声明の末尾に、「戦争を志向し人権を侵害する行為を見逃さない司法が確立し、今後、閣僚らの靖国参拝が永遠にとどめられるまで、闘いをやめないことを宣言する。」とあった。闘いに負けない秘訣は、「永遠に闘い続け、闘いをやめないこと」だ。そう。決意しよう。
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お 沖縄の悲劇と沖縄の希望
そして、特筆すべきは沖縄の闘い。オスプレイやCH53が墜落する。米兵の犯罪が横行する。辺野古の新基地建設のための大浦湾の埋立が進んでいる。反対運動が弾圧を受けている。DHCテレビがフェイクニュースを垂れ流す。米軍が保育園や小学校にヘリの部品を落とすと心ない本土のウヨクが政権の意向を忖度して、保育園や小学校に「ヤラセだろう」と電話をかける…。
沖縄全土が、反アベ・反トランプとならざるを得ない深刻な事態。いまや、アベ政権対オール沖縄の、安全保障政策をめぐる政治対決の様相。新年2月4日には名護市長選挙、これを前哨戦として11月には沖縄県知事選が闘われることになる。
沖縄は、いまだに虐げられた非劇の島である。しかし、粘り強くスクラムを組んだ闘いを続けることにおいて、希望の島となりつつある。アベ政権にNOを突きつける意味でも、オール沖縄支援したい。
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か からだ気をつけ 風邪引かぬよう
ところで、先日同期の児玉勇二さん(元裁判官・現弁護士)から、「健康に生きたいー真の健康への自立と連帯」という旧著(1981年刊)を送っていただいた。280ページにもおよぶ、児玉さんの健康回復実践と思索の記録である。
キーワードは、「自然治癒力」。人間が自然の一部であることを自覚して、生活に自然を取り込むよう心がけること。人工的な環境・人工的な食品・人工的な薬品を避けて、自然の中での運動にいそしみ、偏食なく伝統的な自然食品を摂取すべきだという。「食品公害」という語彙が頻繁に出てくる。この書は、まだサプリメントが横行していない時代のものだが、定めしサプリメントは健康の敵。
私は健康に自信がない。児玉さんに学び、「自然治癒力」を体内に取り込んで、すこしでも平和な世、誰もの自由や権利が尊重され商業主義に毒されない真っ当な世になるまでを見極めたい。それが、年の瀬の私の願い。
(2017年12月31日)
この社会に理不尽な差別が絶えない。新たな差別が生み出されてもいる。部落や在日に対する差別に加えて、どうやら「沖縄差別」「沖縄ヘイト」というものが存在するらしい。このような差別を許していることを恥ずかしいとも、腹ただしいとも思う。
差別は、社会のマジョリティがつくり出す。権力の煽動と結び付くことで、差別は深刻化し、痛みを伴うものとなる。マジョリティの周辺部に位置する弱者が、「無知と偏見」によって煽動に乗じられることとなる。軽挙妄動して差別の行動に走るのは、より弱い立場にある被差別者に、安全な位置から差別感情を吐露する者。こうしてカタルシスを得ようとする「無知と偏見」に彩られた者たちなのだ。
権力やマジョリティの中枢に位置するエスタブリッシュメントは「無知と偏見」を助長することによって、自ら手を汚すことなくヘイトに走る者を利用するのだ。
いま、「無知と偏見」の輩が、沖縄ヘイトに走っている。本日(12月25日)付毎日の朝刊一面トップ記事が、「米軍ヘリ窓落下被害小学校に続く中傷」の大見出し。「のぞく沖縄差別」と続く。
12月13日米軍ヘリが普天間第二小学校の校庭に窓を落下させて以来、米軍への抗議ではなく、小学校や普天間市教委に抗議の電話が続いているという。「文句言うな…」「やらせだ」「自作自演だ」など…。
毎日新聞はよくぞトップ記事としてこのことを書いた。全国紙がこれだけの扱いをしたことそれ自体のインパクトが大きい。
リードは、「米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)に隣接する市立普天間第二小学校への米軍ヘリの窓落下事故で、同校などに『学校を後から建てたくせに文句を言うな』といった抗議電話が続いている。第二小の歴史を踏まえ、差別意識ものぞく抗議の背景を考えた。」というもの。事実関係は、今さら繰り返すまでもない。
この件については、朝日の報道が先行している。恐るべき中傷の内容だ。
「市教委によると、中傷電話は事故翌日の14日が13件と最も多く、その後も1日2?3件ある。米軍が窓を落としたことを認めているにもかかわらず、『事故はやらせではないか』などと中傷する内容もあった。東京在住と説明した男性は『沖縄は基地で生活している。ヘリから物が落ちて、子供に何かあっても仕方ないじゃないか』と言ったという。
18日には、謝罪に訪れた米軍大佐が『最大限、学校上空は飛ばない』と告げたことに、喜屋武悦子校長が『最大限ではなく、とにかく飛ばないでほしい』と反発し、文書での回答を求めたが、これに対しても『校長のコメントは何だ。沖縄人は戦闘機とともに生きる道を選んだのだろう』と批判する電話があった。」
この報道を踏まえて、12月22日朝日は、「沖縄への中傷 苦難の歴史に理解欠く」という社説を掲載した。
冒頭に、「沖縄の長い苦難の歩みと、いまなお直面する厳しい現実への理解を欠いた、あるまじき言動だ。強い憤りを覚える。」と珍しく感情を露わにした。
「後から学校を造ったくせに文句を言うな」「沖縄は基地で生活している」。事実を正しく把握しないまま、学校側をののしるものもあるという。
「中傷電話が『無知と偏見』によるものであるのは明らかだ。日々の騒音や墜落への恐怖に加え、心ない日本国民から『二次被害』まで受ける。あまりに理不尽な仕打ちではないか。」
「今回だけではない。オスプレイの配備撤回を求めて沖縄の全市町村長らが東京・銀座をデモ行進したとき、『売国奴』との罵声が飛んだ。ヘリパッド建設工事に抗議する住民を、大阪府警の機動隊員は『土人』とさげすんだ。沖縄差別というべき振る舞いが後を絶たない。」
「嘆かわしいのは、本土の政治家らの認識と対応である。防衛政務官が沖縄の基地負担は重くない旨のうその数字を流す(13年)。自民党若手議員の会合で、普天間飛行場の成立過程について間違った発言がまかり通る(15年)。沖縄担当相が土人発言を批判せず、あいまいな態度をとる(16年)――。
誹謗中傷を許さず、正しい情報を発信して偏見の除去に努めるのは、政治を担う者、とりわけ政府・与党の重い責任である。肝に銘じてもらいたい。」
まったく同感。「無知と偏見」に凝り固まった「政府・与党の走狗」たちの迷妄を啓くことは、容易ならざる難事なのだ。
ところで、本日の毎日の記事は社会的背景を考えさせる4名のコメントを付している。
まず、翁長知事。
「翁長雄志知事は21日、『目の前で落ちたものまで「自作自演」だと来る。それ自体が今までにない社会現象だ』と語った。」
次いで、沖縄現地の政治学者。
「中傷の背景に何があるのか。沖縄国際大の佐藤学教授(政治学)は『基地集中を中国の脅威で正当化する誤った正義感がある。一度デマが広がると、事実を提示しても届かない』と話す。」
そして江川昭子さん。
「ジャーナリストの江川紹子氏も『政権に一体感を覚える人には、飛行反対は現政権にたてつく行為と映るのだろう』と指摘する。」
最後が、安田浩一さん。
「2013年、東京・銀座でのオスプレイ反対デモは『非国民』との罵声を浴び、昨年には沖縄県東村でヘリパッド移設に反対する住民に大阪府警の機動隊員が『土人』と言い放った。差別問題に詳しいジャーナリストの安田浩一氏は「沖縄が悪質なデマ、『沖縄ヘイト』の標的になっている。それを日本社会全体の問題として議論すべきだ」と語った。」
全員が、社会現象として「沖縄差別」を論じている。「無知と偏見」の輩が、現政権に煽られ、現政権にたてつく者に対する攻撃を行っているのだ。「無知と偏見」の輩には確信がある。安倍政権と米軍に味方する自分こそが、この社会の多数派で、政権と米軍に楯突く不届き者を懲らしめてもよいのだ、という確信。強者にへつらうイジメの心理である。そのイジメの心理の蔓延が、社会現象としての「沖縄差別」を形成している。
この沖縄差別に象徴される今の社会が安倍晋三を政権に押し出し、また政権に就いた安倍が差別を助長し利用している。DHCテレビが制作し、DHCが提供のテレビ番組「ニュース女子」も在日差別と沖縄差別に充ち満ちたフェイク番組だった。これも、在日や沖縄を攻撃しても安全という、イジメの構造が生み出したものだ。
沖縄差別は、安倍政権と同じく、日本社会の病理が生み出したものだ。あらゆる差別とともに、安倍政権も一掃しなければならない。イジメは加害者と被害者だけで成立するのではない。これを見て見ぬふりをする多くの傍観者の存在が不可欠なのだ。本土の私たちが、そのような消極的加害者であってはならない。「沖縄差別NO!」の大きな声をあげよう。そして、「安倍政権NO!」の声も。
(2017年12月25日)
本日のブログは、宮川泰彦さんの論稿「日本軍による久米島住民虐殺事件」の転載。
宮川さんは、かつて東京南部法律事務所という共同事務所で席を並べた同僚弁護士。沖縄出身で、父君も自由法曹団員弁護士と聞いていた。沖縄出身の弁護士といえば、まずは徳田球一である。そして、古堅実吉、照屋寛徳なども。闘士然としたイメージがまとわりつくが、宮川さんは温厚な人柄。少し前まで自由法曹団東京支部長で、それを降りた後に日朝協会東京都連会長を務めている。
宮川さんの母方のルーツは久米島とのこと。久米島は、「沖縄本島から西に約100km、沖縄諸島に属する島で、最も西に位置する島である。人口は1万人弱で、行政上は島全域が久米島町に含まれる。面積は59.53K?で、沖縄県内では、沖縄本島、西表島、石垣島、宮古島に次いで5番目に大きな島である。(ウィキペディア)」という。島は、元は二つの村からなり、宮川さんの祖父に当たる方が、一村の村長だったという。その島で、終戦時に複数の住民虐殺事件があった。加害者は本土の軍人。宮川さんならではの押さえた筆致が、生々しい。
とりわけ、終戦後に朝鮮出身者の一家7人がいわれなき差別観から、皆殺しの惨殺(後記の?事件)に至っていることが、なんともいたましい。驚くべきことは、戦後加害者に謝罪も反省の弁もないことだ。沖縄の住民の本土に対する不信の念の根はこんなところにあるのだろう。そして、言い古されたことだが、「軍隊はけっして住民をまもらない」ことをあらためて確認すべきだろう。
論稿は、自由法曹団東京支部の「沖縄調査団報告集」の末尾に掲載されたもの。
自由法曹団東京支部は、今年(2017年)9月16日(土)から18日(月・祝)にかけて、沖縄本島に支部所属の若手団員及び事務局員等総勢23名からなる調査団を派遣し、関係各所を訪問した。若手とは言いがたい宮川さんもその一員として訪沖し、久米島(戦争)犠牲者追悼碑に祖父(久米島具志川村長)の名を確認し手を合わせたところから筆が起こされている。以下に、宮川さんのご了解を得て転載する。
(2017年11月10日)
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日本軍による久米島住民虐殺事件
みやがわ法律事務所 宮川 泰彦
「平和の礎」久米島犠牲者追悼碑に刻まれた濱川昌俊(私の祖父・久米島具志川村長)と濱川猛(伯父・軍医)の名を確認し手を合わせた。
その際にガイドの横田政利子さんから「この久米島の追悼碑には、軍によって殺された島民の名も刻まれている」との説明を受けた。私の母の故郷である久米島で日本軍による虐殺があったことはきいてはいたが、正しくは知らない。そこで簡略ではあるが、自分なりに確認してみた。
<久米島の日本軍と米軍無血上陸>
久米島は沖縄本島の西、那覇市から約100キロにある周囲48キロの島。島には日本海軍が設置したレーダーを管理運営する通信兵の守備隊30名ほどが配置されていた。隊長は鹿山海軍兵曹長。
1945年6月に入り、米軍は久米島を攻略するために偵察部隊を上陸させ、情報収集するため島民を拉致し情報を得た(後記?事件)。さらに、米軍は、後記?事件の仲村渠らからの情報も得ており、久米島には通信兵などの守備兵がわずかしかいないことを把握していたことから、艦砲射撃などは行なわず、無血無抵抗のまま6月26日間島に上陸し占鎖した。久米島守備隊は何ら抵抗せず、山中に引きこもった。
<スパイ容疑虐殺方針>
米軍は、無血上陸前の6月13日夜、ゴムボートで偵察隊を島に送り、比嘉亀、宮城栄明ら3名を連行した。翌14日解放された宮城は農業会仮事務所へ行き、米軍に連行された事実を報告した(後記?事件参照。)。
鹿山隊長は、その翌日6月15日付で、具志川村・仲里村(当時の久米島の2村)の村長、警防団長宛てに「達」を発し、さらに軍布告で「拉致された者が帰宅しても、自宅にも入れず、直ちに軍駐屯地に引致、引き渡すべし。もしこの令に違反した場合は、その家族は勿論、字区長、警防班長は銃殺すべし」とした。
以降悲惨な虐殺が続く。
? 6月27日 安里正二郎銃殺
久米島郵便局に勤務していた安里正二郎は上陸した米兵に見つかり、アメリカの駐屯地に連行され、鹿山隊長宛ての降伏勧告状を託された。安里は隊長のもとに持参したところ、鹿山隊長に銃殺された。鹿山は1972年に行なわれたインタビューで「島民の日本に対する忠誠心をゆるぎないものにするための断固たる措置」だったと語っている。見せしめにしたのだ。
? 6月29日 宮城栄明、比嘉亀の家族、区長、警防団長ら9名虐殺
比嘉一家4人、宮城一家3人、さらに区長と警防団長も責任をとらされ、9名が銃剣で刺殺された。9名は宮城の小屋に集められた。刺殺した鹿山らは、火を放って立ち去った(廃山は火葬だと言い放っていたそうだ。)。黒焦げの死体は針金で縛られ、それぞれ数か所穴があいていた。
? 8月18日 仲村渠(なかんだかり)明勇一家虐殺
明勇は、海軍小禄飛行場守備隊に配属され、6月はじめに捕虜となり収容所に入れられた。部隊で負傷し米軍に収容されていた比嘉氏とともに、我々の一命にかえても久米島への攻撃を中止させたいということを、通訳を通して米軍に懇願していた。その結果「君たちふたりが道案内するならば艦砲射撃は中止する」ということになった。明勇は、米軍の久米島攻略に道案内として同行し、久米島は無防備の島であることを説明した。そして久米島は米軍の総攻撃の難を逃れた。明勇は、住民に対し、「戦争は終わった、安心して山から帰宅するように」と声をかけまわった。
しかし、仲村渠明勇は鹿山隊に捕まり、米軍のスパイとして、妻、1歳の子とともに、手りゆう弾で爆殺された。
? 8月20日 谷川昇一家7名虐殺
朝鮮釜山出身の行商人谷川(戸籍名は具仲会)は、妻ウタ(旧姓知念)と長男(10才)、長女(8才)、二女(5才)、二男(2才)と赤ん坊の7名の家族。日本軍からは、谷川は朝鮮人だからスパイをやりかねないと早くから目をつけられていたうえに、行商の品物が米軍からの供与品ではないかと疑われ、谷川はおびえていた。地元の警防団長は一家がかたまっているのは危険だから、散らばって身をひそめるようアドバイスした。8月20日夜になって日本軍は捜索にやってきた。谷川は長男を連れて逃げたが捕えられ、首にロープをかけられ数百メートル引きずられて死亡した。長男は銃剣で刺殺された。妻のウクは赤ん坊を背負い、2歳の二男を抱いて逃げたが捕えられ首を斬られ、泣き叫ぶ二男と赤ん坊もウタの死体の上に重ねて切り殺された。長女と二女は、裏の小屋に隠れていたが、不安にかられて外へ出たところを捕えられ、両親のいる方向へ連れていかれる途中で斬殺された。この日は月夜で、月光の下での虐殺を多くの住民が目撃している。
<これらの事件の特徴>
(1) 赤ん坊から大人まですべてがスパイ容疑者とされ、虐殺されたこと。
(2) すべての虐殺が、1945年6月23日(牛島中将と長参謀長が自決した日)の日本軍が組織的戦闘を終えた日、沖縄戦の終結の後に行なわれていること。上記?、?の虐殺は8月15日の太平洋戦争終結(天皇の玉音放送)の後であること。
(3) 何故戦争が終わっても住民を虐殺したのか。
この点につき、鹿山は「われわれの隊は30名しかいない。相手の住民は1万人いる。地元の住民が米軍側についたら、われわれはひとたまりもない。だから、見せしめにやった」とマスコミのインタビューに答えている。なお、鹿山は1972年のインタビューで、「私は悪くない」「当然の処罰だったと思う」などと、平然と答えている。
日本軍の正体を率直に表していると思う。
以上、佐木隆三「証言記録沖縄住民虐殺」新人物往来社、大島幸夫「沖縄の日本軍」新鮮社、編者・上江洲盛元「太平洋戦争と久米島」、wikipedia「久米島守備隊住民虐殺事件」などから引用して整理してみた。
さあ、東京都議選が始まった。アベ一強政治に破綻が生じ、人心が離れつつある絶好のタイミング。この都議選は一地方議会の選挙にとどまらない。民意の在処をはかるまたとない機会。アベ政権による政治の私物化と、それを抑制できない自公与党体制への国民の審判のまたとないチャンス。共謀罪の廃止や、9条改憲阻止の民意を示すチャンスでもある。中央政治に、大きな影響を期待しうる注目すべき選挙。
この選挙はアベ一強批判選挙だ。最大の注目点は、自民党にどれだけの打撃を与えられるかということだ。前回選挙に比較して、前回の2013年6月都議選での自民党の当選者は59名、獲得票数は163万票、得票率は36%だった。この水準からのマイナス分が、アベ自民批判の国民の審判だ。具体的には、森友・加計両事件に象徴される政治の私物化とねじ曲げ。そして共謀罪強行に見られるアベ自民の徹底した非民主的姿勢への批判。
問題は小池新党(都ファ)の評価である。その基本性格は自民党凋落分の保守の受け皿。その機能は自民党離れ票の革新政党への流れを堰き止めるための防波堤。それが客観的な小池新党の役割。
127議席の過半数が64。小池新党単独ではこの数字に届かないが、公明と与党体制を組むことによって過半数に達するとの見方もあるようだ。
私は、地元(文京)で共産党・福手よう子候補の第一声に立ち会った。文京区は定数2で前回選挙では貴重な議席を確保している。長く都議だった現職の後継新人候補を当選させようと熱気は高い。応援に駆けつけた大阪の辰巳孝太郎、東京の吉良佳子両議員ともども熱弁を振るった。
「国政を私物化し、憲法を壊す安倍自公政権を首都・東京から変えよう」「そのための共産党の躍進を」「加計学園の疑惑。安倍首相は岩盤規制に穴を開けたというが、加計学園しか通れない特別の穴だったではないか」「安倍首相に直ちに臨時国会を開かせて必要な証人喚問をさせるよう徹底追及しよう」「特定秘密保護法・戦争法、そして共謀罪。さらには憲法9条改憲の安倍政権は徹底追及するしかない」「共謀罪法廃止も、改憲阻止も都議選の大きな争点」「開発優先の都政から、生活重視の都政への大転換を」「そして、築地市場の豊洲への移転をきっぱりと中止し、築地市場を未来に引き継ごう」「小池知事は豊洲移転を中止して、築地を営業しながら再整備する道を真剣に具体化すべきだ」「文京区内の待機児童をなくそう、特養待機高齢者をなくそう。孤独死をなくそう」「そのため、大塚車庫跡地の福祉施設利用を実現しよう」「国保税の引き下げを実現しよう」…。実に多彩な訴えだった。
自民党を減らす。だが自民離れ票を小池新党に止めてはならない。ぜひとも、自民離れ・公明離れの票を、共産党の受け皿にまで。そのような気迫のこもった演説。大いに期待したい。
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ところで、本日(6月23日)は沖縄慰霊の日。毎年、この日のことは当ブログで触れている。以下は、一昨年6月23日当ブログの一節。
沖縄県には、2か条の「沖縄県慰霊の日を定める条例」がある。1974年10月21日に制定されたもの。その全文が以下のとおり。
「第1条 我が県が、第二次世界大戦において多くの尊い生命、財産及び文化的遺産を失つた冷厳な歴史的事実にかんがみ、これを厳粛に受けとめ、戦争による惨禍が再び起こることのないよう、人類普遍の願いである恒久の平和を希求するとともに戦没者の霊を慰めるため、慰霊の日を定める。
第2条 慰霊の日は、6月23日とする。」
本日が、その沖縄県の「慰霊の日」。「その日は県はもちろん県下の全市町村とも閉庁となり、沖縄戦の最後の激戦地であった南部の戦跡地で『沖縄全戦役者追悼式』が行われます」(大田昌秀「沖縄 平和の礎」岩波新書)。
この日の慰霊の対象は全戦没者である。戦争の犠牲となった「尊い生命」に敵味方の分け隔てのあろうはずはなく、軍人と民間人の区別もあり得ない。男性も女性も、大人も子どもも、日本人も朝鮮人も中国人も米国人も、すべて等しく「その死を悼み慰める」対象とする。「戦争による惨禍が再び起こることのないよう、人類普遍の願いである恒久の平和を希求する」立ち場からは、当然にそうならざるを得ない。
味方だけを慰霊する、皇軍の軍人・軍属だけを祀る、という靖国の思想の偏頗さは微塵もない。一途にひたすらに、すべての人の命を大切にして平和を希求する日。それが、今日、6月23日。
酸鼻を極めた国内で唯一の地上戦終了の日。第32軍(沖縄守備軍)司令官牛島満と長勇参謀長が自決し、旧日本軍の組織的な戦闘が終わった日をもって、沖縄戦終了の日というのだ。
私は、学生時代に、初めてのパスポートを手に、ドルの支配する沖縄を訪れた。右側の車線を走るバスで南部の戦跡を回った。牛島中将の割腹の姿を模したものという黎明の塔を見て6月23日を脳裡に刻した。沖縄戦は1945年4月1日の米軍沖縄本島上陸から牛島割腹の6月23日までと教えられた。
大田昌秀はこれに異を唱えている。終戦50年を記念して、知事として沖縄戦の犠牲者のすべての名を永遠に記録しようという「平和の礎」建設の計画に関連して語っている。(以上引用終わり)
私は、大学4年の冬に1か月余沖縄にいた。そのとき、大田昌秀と仲宗根政善の両氏に出会っている。
大田は、琉球大学の学徒で有名人ではなかった。この人から聞いた話として記憶にあるのは、従軍学徒の南部戦跡での悲劇だった。鉄血勤皇隊員の死亡の多くは、井戸に水汲みに行っての狙撃の犠牲だったという。井戸は米軍陣地から丸見えの位置にあり、水汲みは不可欠な任務だった。標的にならざるを得ない危険な仕事。このような仕事は、兵ではなく中学生学徒の仕事とされた。遺書を書き米軍の隙を突いて井戸に駆け寄って、多くの命が奪われたという。級友が死んでいく中で、自分は軍中枢の伝令の役を担って、井戸汲みの役は免れた。伝令の最中に捕虜になって生き延びたが、水汲み役で死んでいった級友に対する負い目に堪えられず、以来南部の戦跡にはけっして行かないということだった。この人があとで著名になり知事となって、あの時の人かと思い当たった。
仲宗根政善は、当時知らぬものとてない著名人で、当時は東大に勤務していた。たまたま沖縄に帰っておられたときでお目にかかる機会を得た。最近、その人に、次のような歌が残されていることを知った。
日の丸の旗もあがらず爆音の
とどろきわたる復帰のあさけ
沖縄のいくさをへにし身にしあれば
などかなじまぬ国旗、君が代
叙勲の報すなほにはなれず
戦に失せし乙女の姿浮かびて
「沖縄のいくさをへにし身にしあれば などかなじまぬ国旗、君が代」という感懐はよく分かる。日の丸も君が代も、沖縄のいくさをもたらした元凶。穏やかな沖縄の人々に、いくさの悲劇を押しつけたものの象徴。沖縄のいくさをへにし身として、日の丸にも君が代にも、なじみがたいというのだ。怒りの表現ではなく、なげきの表現となっていることに意味が深いのであろう。
仲宗根政善が
いわまくら かたくもあらん
やすらかに ねむれとぞいのる
まなびのともは
と詠ったあの悲劇のときから72年。
今年も、沖縄全戦没者追悼式が行われた。辺野古新基地建設を強行するアベ晋三が「沖縄基地負担の軽減」を口にする奇妙さ。
東京都民が、沖縄県民になし得ることは、7月2日投票の都知事選でアベ自民党に痛打を与えることだ。自民党の票と議席を減らそう。
(2017年6月23日)
本日(5月31日)の各紙朝刊が、沖縄県の国に対する提訴の方針が固まった旨を報じている。国は強引に名護市辺野古の新基地建設工事を強行している。これを差し止める訴訟。翁長知事は6月県議会に必要な議案を提案して予算措置を確保し、7月にも提訴の予定とのこと。県議会の議席配分は翁長知事を支える与党が多数を占めており、訴訟に必要な議案は可決される見通し。提訴した場合には併せて、判決が出るまでの工事の中断を求める仮処分も申し立てることになる。
本日の琉球新報社説は、ボルテージが高い。「『辺野古』で国提訴へ 堂々と県の立場主張せよ」というタイトル。主要部分を引用しておきたい。
「法的な疑義を残したまま、沖縄の民意に反する工事を強行する国の不当性を追及する場となる。堂々と県の立場を主張してほしい。
名護市辺野古での新基地建設工事で岩礁破砕許可を得ないまま作業を進める国に対し、県は7月にも工事差し止め訴訟を起こす。県議会6月定例会に、訴訟費用に関する議案を提出する。
翁長雄志知事は『あらゆる手段を使い、辺野古新基地建設を阻止する』と言明してきた。その一手としての国提訴であり、支持したい。
仲井真前知事が国に出した岩礁破砕許可の期限は3月末で切れている。それにもかかわらず、国は工事を強行した。沖縄側からすれば、岩礁破砕許可の免許を更新しないまま無許可で工事を強行し、辺野古の貴重な海を破壊していることになる。
辺野古新基地問題に絡んで、国は事あるごとに『法治国家』という言葉を用いて新基地建設を正当化してきた。しかし、法を逸脱する行為を繰り返してきたのは国の方だ。
法廷ではこのような国の姿勢が厳しく問われるべきだ。提訴に向け、県は論理構築を急いでほしい。さらには埋め立て承認の撤回にも踏み込むべきだ。」
同社説は法的な論点を次のように解説している。
「訴訟では名護市漁業協同組合による漁業権の一部放棄後、県に対する岩礁破砕許可の再申請が必要か否かが争点となる。
国の立場は、岩礁破砕許可の前提となる漁業権が消滅したため、再申請の必要はないというものだ。1988年の仙台高裁判決を論拠としている。しかし、正反対の判決も出ており、判例は確定したとは言い難い。
県の立場は、名護市漁協が放棄した漁業権はキャンプ・シュワブ周辺の一部であり、法的には『一部放棄による漁場の縮小』という『変更』に当たるため岩礁破砕許可の再申請は必要と主張してきた。」
馴染みのない論点で、必ずしも分かり易くはない。
辺野古新基地建設工事の是非を巡っては、公有水面埋立法に基づく県知事の承認取消の違法をめぐる訴訟が先行した。同法4条は、「其ノ埋立ガ環境保全及災害防止ニ付十分配慮セラレタルモノ」と認められない限り、知事は「埋立ノ免許ヲ為スコトヲ得ズ」と明記されている。国が埋立を申請する場合は、「免許」といわず「承認」というが(42条)同じこと。今さらながらの繰り言だが、仲井真前知事が県民を裏切って国に埋立承認をしなければ、大浦湾の埋立工事はできなかったわけだ。
仲井真承認に対する翁長取消の効力が争われたのが先行訴訟だったが、新たな提訴で解釈が問題となる法規は、沖縄県漁業調整規則である。条例ではなく、県知事が定めた規則。漁業法と水産資源保護法から授権された法の主たる趣旨は、「漁業調整」と「水産資源の保護」にある。
県漁業調整規則第39条は、「漁業権の設定されている漁場内において岩礁を破砕し、又は土砂若しくは岩石を採取しようとする者は、知事の許可を受けなければならない。」となっている。国が、新基地建設のために大浦湾の埋立工事をするためには、公有水面埋立法に基づく県知事の承認だけでなく、漁業調整規則第39条にもとづく「岩礁破砕許可」を得なければならない。仲井真前知事はこれも与えた。その許可の期限が今年の3月末まで。
県は国に対して、期限が切れた「岩礁破砕許可」の更新手続をするよう行政指導を行っているが、国(沖縄防衛局)はこれを無視している。話し合いの機会さえ持とうとしない。国は、今や知事の「岩礁破砕許可」は不要との見解なのだ。「漁業権の設定されている漁場内での岩礁破砕についてだけ許可が必要だ。しかし、漁業権の主体であつた名護市漁協が漁業補償に満足して、漁業権放棄の手続をした以上は、許可も更新手続も不要」というのだ。これに対する沖縄県の立場は前述の社説が解説しているとおり。
先行訴訟の判決の論理は、余りにも一方的に国の立場に肩入れをした、政治性の高いものとして評判悪いものだった。「政治判決」であり、「忖度判決」でもあったのだ。今度は、真っ当な法律論を展開した判決に接したいものである。
また、琉球新報の社説は、こうも述べている。
「県は仲井真弘多前知事の埋め立て承認書の規定を踏まえ、本体工事前の事前協議を求めたが、国は協議打ち切りを県に通告した。漁業権を巡る国と県の主張は対立したままだ。
漁業権放棄と岩礁破砕許可を巡る法的対立がある以上、国は少なくとも県が求める事前協議に応じるべきであった。現在の沖縄に対する国の態度は、民主主義や地方自治の精神にもとる『問答無用』というべきものだ。」
押さえながらも、国の傲慢な態度に、怒りを禁じえない県民の気持ちが伝わってくる。がんばれ沖縄。アベ政権に負けるな。
(2017年5月31日)
本日(4月25日)、全国紙の各社説の1本はいずれもフランス大統領選挙問題。そして、もう一本のテーマが、北朝鮮、万博、原発、それにカジノなど。沖縄・辺野古はテーマになっていない。沖縄2紙は違う。いずれも、辺野古の新基地建設問題を取り上げた。明確に、「護岸工事着工ノー」の立場を鮮明にしてのこと。
沖縄タイムス社説のタイトルが、「名護市辺野古の新基地建設に反対する沖縄の民意は揺るがない」。そして、琉球新報が、「辺野古護岸着工へ 埋め立て承認撤回する時だ」というもの。「建設に反対する民意」を確認した上で、「埋め立て承認撤回」と、建設阻止の具体策まで踏み込んでいるのが、沖縄のメディアなのだ。
沖縄タイムス社説
「沖縄タイムス社、朝日新聞社等が実施した県民意識調査で、新基地に『反対』する人が61%を占めた。『賛成』は23%にとどまった。これが、県民の意志である。新基地を争点にした主要選挙も流れを一にする。名護市長選、衆院選、参院選と新基地に反対する候補者が完全勝利した。民意の背景にあるのは、沖縄に米軍基地が過度に集中している現状への差別感、沖縄のことは沖縄が決めるといった自己決定権要求の高まり?などである。
安倍内閣に対し県内では『支持しない』が48%で『支持する』の31%を大きく上回った。朝日新聞社の全国世論調査では「支持」が50%で「不支持」が30%。沖縄と全国では逆の結果になった。「辺野古が唯一の解決策」と繰り返し、県との「対話」をないがしろにした対応が県民の危機感を高め、それが安倍内閣の支持率低下につながったのだろう。
翁長知事への「支持」は58%、「支持しない」は22%。自民党支持層でも支持と不支持が拮抗した。今年に入ってから宮古島市、浦添市、うるま市の市長選で翁長知事が推す候補者が3連敗するなど、知事の求心力低下を指摘する声もある。しかし、5割を超える支持率は、新基地に反対する翁長知事への期待感がなお根強いことを表している。
沖縄防衛局は25日にも護岸工事に着手する。石材などを初めて辺野古沿岸部に投入し、埋め立ての外枠を造る。意識調査では本格的な埋め立て工事を始めようとする安倍政権の姿勢について「妥当でない」が65%に上った。
基地負担の軽減について安倍内閣が沖縄の意見を『聞いていない』としたのは計70%に達している。新基地建設が民意に反するのは明らかだ。」
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沖縄県民世論調査―質問と回答〈4月22、23日実施〉
◆あなたは、翁長雄志知事を支持しますか。支持しませんか。
支持する58▽支持しない22
◆あなたは、安倍内閣を支持しますか。支持しませんか。
支持する31(50)▽支持しない48(30)
◆あなたは、今、どの政党を支持していますか。政党名でお答えください。
自民20▽民進7▽公明4▽共産4▽維新1▽自由0▽社民3▽日本のこころ0▽沖縄社大0▽そうぞう0▽その他の政党1▽支持する政党はない46▽答えない・分からない14
◆あなたは、アメリカ軍の普天間飛行場を、名護市辺野古に移設することに賛成ですか。反対ですか。
賛成23(36)▽反対61(34)
◆普天間飛行場を名護市辺野古に移設するため、安倍政権は今、辺野古沿岸部での埋め立て工事を本格的に始めようとしています。あなたは、安倍政権のこの姿勢は、妥当だと思いますか。妥当ではないと思いますか。
妥当だ23▽妥当ではない65
◆アメリカ軍基地が集中する沖縄の負担軽減について、あなたは、安倍内閣が、沖縄の意見をどの程度聞いていると思いますか。(択一)
十分聞いている3(5)
ある程度聞いている24(36)
あまり聞いていない39(40)
まったく聞いていない31(13)
(括弧内は、全国調査の数値)
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琉球新報社説
「3月末に岩礁破砕許可の期限が切れたにもかかわらず、沖縄防衛局は無許可状態で工事を強行してきた。県は護岸工事によって、土砂の投下やしゅんせつなどの行為があれば岩礁破砕行為に当たるとみている。
菅義偉官房長官は『日本は法治国家』と繰り返している。ならば違法行為に当たる護岸工事の着工を中止すべきである。一方、翁長雄志知事は、大量の石材などが海底に投じられ現状回復が困難になる護岸工事を許さず、埋め立て承認の撤回を決断する時だ。
護岸工事は石材を海中に投下し、積み上げて埋め立て区域を囲む。埋め立て区域北側の「K9」護岸の建設から着手する。一部護岸ができ次第、土砂を海中に投入する埋め立ても進める。
政府は地元漁協が漁業権放棄に同意したことをもって漁業権が消失し、岩礁破砕の更新申請は必要なくなったと主張する。これに対し県は、漁業権は公共財であり知事がその設定を決定するもので、漁業権を一部放棄する変更手続きには、地元漁協の内部決定だけでなく知事の同意が必要だとして、国の岩礁破砕許可の申請義務は消えていないと主張し、双方平行線をたどっている。
仲井真弘多前知事の埋め立て承認書に留意事項が付いている。第1項で『工事の実施設計について事前に県と協議を行うこと』を義務付けている。このため県との協議なしに本体工事を実施できないはずだが、政府は一方的に協議の打ち切りを通告した。
これが『法治国家』といえるだろうか。留意事項に違反した国に対して、知事は埋立承認権者として承認を撤回できるはずだ。
知事選で圧倒的多数の信任を得た辺野古新基地阻止の公約を実現するため、承認撤回のタイミングを逃してはならない。」
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2紙が危惧したとおり、本日(4月25日)政府(沖縄防衛局)は無許可状態での本格的護岸工事着工を強行してきた。琉球新報が示唆したように、翁長知事は、仲井眞前知事の承認を撤回するだろう。そして、その撤回の効果をめぐって、県と国とは、またまた法廷で対決することになる。
それにしても思う。民主主義とはいったい何なのだと。沖縄の民意は、明確に辺野古新基地建設を拒否して揺るがない。米軍基地は、単に騒音を撒き散らし風紀上問題の不快なものというものではなく、有事の際には真っ先に標的とされる命の危険を伴うものと認識されつつある。しかし、全国の民意は、沖縄に基地建設を押しつけている。沖縄は辺野古建設を拒否する翁長知事を支持し、全国は辺野古建設を強行するアベ政権を支持しているのだ。
だから、沖縄ではアベ内閣の支持率(31%)は、不支持率(48%)を大きく下回るという全国との逆転現象が起きている。
全体の利益のためとして一部の者に犠牲を押しつける。その犠牲の押しつけを、多数決で正当化する。こんなやり口を民主主義とはいわない。これは多数の横暴であり、差別であり、人権の侵害であり、地方自治の破壊なのだ。アベ政権を支持する者よ、恥を知るべきではないか。
(2017年4月25日)
誰もが思うことでも、口にすることをはばかることがある。誰もは思わないことなら、なおさらである。
その典型の一つは、権力批判である。政治的あるいは経済的・社会的な権力者を批判すると、回りまわって何らかの報復を受け、不利益を被ることになる恐れがある。だから、権力者への批判は、口にすることをはばかられるのだ。痛烈な批判であればあるほど、である。
もう一つの典型は、権威の批判である。天皇や天皇制に関わる言論がその最たるものだろう。権威とは、社会的多数派による特定の人物や事象に対する敬意や神聖性の承認を強制する圧力のことである。社会的排外主義が、すべからく権威の批判者を攻撃目標とする。だから、権威への批判は、口にすることをはばかられるのだ。痛烈な批判であればあるほど、である。
保身を前提とする限り、権力批判も権威批判も、慎むべきが正常な平衡感覚を持つ者の合理的な判断と言ってよい。ゴマを擂ったり、忖度しての阿諛追従まではせずとも、口を慎み沈黙すべきが常識人の処世術にほかならない。
「口は禍の元」「出る杭は打たれる」「長いものには巻かれろ」「大きなものには呑まれろ」「敬して遠ざけよ」「さわらぬ神に祟りなし」と、その手の教訓は世に満ちている。それだけではない。「和を以て貴しと為す」「逆らうことなきを旨とせよ」との書紀の記述以来、従順なる沈黙は道徳の域にまで高められ、権力や権威に対する批判は慎むべきが美徳として染みついているのがこの社会の伝統である。メデイアもこの伝統をよく身につけ、権力者とはともに寿司を食い、天皇には「陛下」と呼んで畏まり、歌を忘れたカナリアとなっている。
我が国のメデイアの自由度の国際的なランク付けが、昨年(2016年)は対象180カ国・地域のうちの72位とされたのは、情けないながらも、さもありなんというべきだろう。国際NGO「国境なき記者団」(本部・パリ)は今年も、もうすぐランキングを発表する。日本が、昨年よりもランキングをあげているとは到底考えがたい。
さて、「誰しもが思うことで、口にすることをはばかること」である。
北朝鮮の現体制は戦前の日本の体制に酷似している。明治維新以来の神権天皇制が三代続いて、その國體は塗炭の苦しみとともに崩壊した。この間ほぼ77年である。北朝鮮が1948年9月9日に朝鮮民主主義人民共和国の樹立を宣言して、もうすぐ70年。既に金帝国が三代続いて、この擬似帝国もそろそろ崩壊の時を迎えているのではないか。
ともに、極端な個人崇拝と権威主義。政権に服しないものには容赦ない弾圧。そして、徹底した情報統制と情報操作。個人崇拝のための漫画チックで大仰な演出。自国のみを貴しとする独善。世界からの孤立。20世紀前半の日本は、無理に無理を重ねたいびつな国家だった。21世紀の北朝鮮も、まことによく似ていると言わねばならない。
さすがに北朝鮮は領袖を神とまでは言わない。統治の正統性の根拠を、フィクションではあれ人民の意思としている。この点では神権天皇制よりはよほど開明的ではある。それでも、「将軍さま」は「天皇陛下」の模倣であり、その実態において正統なる後裔というべきだろう。主体思想が教育勅語に当たることになろうか。両体制の放送におけるアナウンサーのトーンまでがそっくりではないか。
最近、アメリカが「北朝鮮の体制の転換までは求めない」と言い出していることが興味深い。「北朝鮮の体制の転換」とは、金世襲政権の覆滅ということだろう。太平洋戦争末期、敗戦が必至となって降伏の遅延は大規模な国民の生命の喪失を意味することが明らかな事態で、天皇(裕仁)が「國體の護持」にこだわって、終戦を遅延させ、東京大空襲、沖縄の悲劇、広島・長崎の原爆投下をもたらしたことを思い起こさせる。国民の命よりも、天皇制の存続が重要事だったというわけだ。いま、北朝鮮も似たような状況にあるのだろう。そして、アメリカのコメントは、戦後日本の政策に天皇を利用したように、骨を抜いた金世襲政権に利用価値を見だしているというなのだろうか。
とはいえ、旧天皇制日本の軍国主義侵略主義にも「3分の理」はあった。1941年の天皇制日本は、先進帝国主義連合のABCD包囲網に経済的な行き詰まりをみて、その打開のために無謀な先制攻撃で開戦に踏み切った。これを「自存自衛」のやむをえざる戦争といった。
もちろん、北朝鮮にも3分の理がある。すべての軍事的行動は周辺諸国からの具体的な圧力や脅威に対抗するための自衛手段に過ぎない。これ以上軍事的・経済的包囲網が狭められれば、「自存自衛」のための暴発をしかねないではないか。1941年時の日本との違いは、この国が既に核をもっていることにある。この国に対する挑発は危険だ。韓国だけでなく、米軍基地のある日本が戦火の危険にさらされることになる。だから、今回は絶対に軍事的な選択肢をテーブルの上に置くことはできない。現に、次期大統領の椅子を争っている、韓国大統領選挙候補者5人のすべてが、揃ってアメリカの北への先制攻撃に反対しているではないか。
「平和主義」(パシフィズム)には、臆病で姑息だというニュアンスが込められている。しかし、強がってのチキンゲームは危険に過ぎる。北朝鮮を、1941年の日本のごとくにしてはならない。臆病でも姑息でも「平和主義」に徹して、外交努力による平和解決を目指す以外に方法はない。中国が果たすべき役割は大きいが、日本には外交的に口を出すべき余地が極めて小さい。そもそも、それだけの権威も信頼感もないのだ。アベ政権頼むに足りず、なのだ。この外交力の欠如は、近隣諸国との外交を軽視してきたアベ政権のこれまでの姿勢の表れである。せめて憲法九条をもつ日本国民の一人として、「平和的手段による解決」を、と声を出し続けよう。
(2017年4月16日)
4月9日、「ユナイテッド航空機『オーバーブッキング』、警官が乗客をボコボコにして引きずり出す」(ハフィントンポスト)という米国内の事件が話題になっている。これは、明らかに消費者問題の範疇の事件なのだが、私には、沖縄の現状を彷彿させる事象として胸が痛む。
なんの落ち度もない市民が、暴虐な力によって理不尽な仕打ちを受け、ひどい目に遭っている。ああ、これはまさしく沖縄の姿だ。強者の理不尽が乱暴に弱者を圧殺している。ああ、これがアメリカだ。そして、現場で暴力に手を染めている制服の狼藉者。ああ、これがアベ政権だ。
ユナイテッド航空と、引きずり出された乗客の関係は、アメリカと沖縄の関係そのものだ。ユナイテッド航空の指示で乗客の引きずり出しを実行した空港の警察は、アベ政権と配下の機動隊という役どころ。引きずり出され負傷した乗客は、沖縄の県土と県民である。その象徴的存在となって長期の勾留を余儀なくされた山城博治さんだといってもよい。
泥棒にも三分の理。この事件でもユナイテッド航空側には、三分ほどの理はあると主張するのだろう。「乗客を機から降ろしてでも、キャビンクルーを乗せなければ、翌日の便の運航に支障が出る。そうすればもっと多くの乗客に迷惑を掛けることにもなる」「しかも、乗客には現金とホテルに無料で宿泊できるとまで提案したが、誰も応じなかったのだ」「だから、実力行使もやむをえないじゃないか」
しかし、この「三分の理」は、実は「七分の非理」であり「無理」である。乗客の任意の席の譲渡を得る解決方法はいくつも考えられたのだし、キャビンクルーを別便で運べばよいだけのことではないか。あるいは、陸路の搬送でも不可能ではなかったようだ。なによりも何の落ち度もない乗客のプライドを傷つける、こんなやり方の実力行使は人権侵害行為として許されることではない。
ハフィントンポストによれば、「警察官が無理やり席から立たせようとしたとき、男性が頭をひじ掛けにぶつけ、叫び声を上げた。あおむけに倒れた男性を引きずっていく警察官を、驚いた他の乗客たちが携帯電話で撮影した」「引きずり出された男性は『唇を怪我していた』」。この事態に、「仕事に行こうとする医者にこんなことをしてはダメだ。オーバーブッキングだからって」「ああ、何てことするの? こんなの間違ってるわ!」「ひどい、何てことをしてるの! あり得ない!」と乗客の悲鳴が、録画されているという。
アメリカとアベ政権も、三分ほどの理はあるというのだ。「中国や北朝鮮などの仮想敵国に対する抑止力を構築するために、日本のどこかに米軍基地を置くことが必要である」「しかし、日本のどこも基地には反対ばかりで、任意の受け入れはあり得ない」「だから、従前の経緯で沖縄に基地を建設するしかないではないか」「しかも、沖縄には、基地の負担に相応の経済的な援助をしている」「だから、基地建設強行の実力行使はやむをえない」
しかし、この「三分の理」も、実は「七分の非理」であり「無理」なのである。
「仮想敵国に対する抑止力構築名目の米軍基地は、実は軍拡競争のスパイラルを招く、平和への敵対物でもある」「仮想敵国に対する抑止力構築のための米軍基地は、有事の際の真っ先の標的になる覚悟なしには地元との共存はできない」「日本のどこも基地には反対ばかりなのは、その存在自体が危険であるだけでなく、日常的に騒音をバラマキ、風紀の紊乱の元凶ともなるからだ」「だから、沖縄への基地建設の押しつけ反対には十分な理由がある」「しかも、経済的観点からも、基地の存在は沖縄の大きな発展阻害要因となっている」「なによりも、県民のプライドを逆撫でするような、こんな基地建設強行の実力行使が許されてはならない」
誰しもが思う。「こんな理不尽なユナイテッド航空には、今後金輪際搭乗してやるものか」と。同じように考えたい。「こんな理不尽な沖縄いじめのアベ政権には、今後金輪際、政権を支えるための投票なんかけっしてしてやるものか」と。
(2017年4月12日)
「二度あることは三度ある」というが、さすがに「四度目もある」とは言わない。「仏の顔も三度まで」であって、通常四度目はない。
アベは、籠池を指して「非常にしつこい」と評し、「簡単に引き下がらない」「教育者としていかがなものか」という。が、アベのしつこさは、これに輪をかけてのもの。
政府は、「『共謀罪』こと組織犯罪処罰法改正案」を明日(3月21日)に閣議決定する方針だという。これは過去3度の廃案法案の蒸し返し。「なんとしつこい」「政治家としていかがなものか」と言わざるを得ない。
4度目の特徴は、テロ対策を金看板に押し出し、東京五輪成功のためと銘打っていることである。これで、世論を誘導しようとの思惑なのだ。昨日(3月19日)の東京新聞が、この点について真っ向からの批判記事を掲載している。その姿勢が小気味よい。
まずは一面のトップ記事。大きな見出しが、「政府の『治安対策戦略』」「テロ対策計画『共謀罪』触れず」「組織犯罪の章で言及」というもの。
これだけではやや分かりにくいが、この見出しに言葉を補えば、「政府の『治安対策戦略』を調べて見ると、《テロ対策計画》の章では『共謀罪』はまったく触れられていない。『共謀罪』に言及しているのは《組織犯罪》の章だけ」というもの。記者の言わんとするところは、「だから、政府自身の考え方が、共謀罪は《組織犯罪》とだけ関連するもので、《テロ対策》とは無関係としているのだ」「ということは、共謀罪法案提出を《テロ対策》として動機づけている政府の説明は、真っ赤な嘘ではないか」「あるいは、甚だしいご都合主義」ということになる。
リードは以下のとおり。「国連では、《国際組織犯罪》と《テロ》とは理論上区別されている」ことを意識して読むと分かり易い。
「政府はテロ対策として『共謀罪』法案が不可欠とするが、これまで策定してきた治安対策に関する行動計画では、テロ対策として『共謀罪』創設が必要との記述がないことが分かった。『共謀罪』はテロ対策とは別の組織犯罪対策でしか触れられていない。政府の行動計画を詳細にチェックすると、『共謀罪』法案がテロ対策とする政府の説明は根拠が弱いことが分かる。」
本文中に以下の指摘がある。
「政府は『共謀罪』について国際組織犯罪を取り締まるために必要と指摘してきたが、2020年東京五輪・パラリンピックの招致が決まったあとは、テロ対策に必要と指摘。『共謀罪』の呼称を「テロ等準備罪」に変更した。
だが、五輪開催決定を受けて13年12月に閣議決定した政府の治安対策に関する行動計画「『世界一安全な日本』創造戦略」では、東京五輪を見据えたテロ対策を取り上げた章に『共謀罪』創設の必要性を明確に記した文言はない。
この戦略で『共謀罪』は「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約締結のための法整備」として、国際組織犯罪対策を取り上げた別の章に記されている。例えばマネーロンダリング(資金洗浄)は組織犯罪対策とテロ対策の二つの章に記述があるが、『共謀罪』を示す法整備が登場するのは組織犯罪対策の章だけだ。」
誰が見ても、「テロ対策を前面に打ち出したのは今回が初めてで、世論を意識した後付けの目的にすぎない」というべきなのだ。東京新聞は、品がよいからこの程度だが、私に言わせれば、「共謀罪はテロ対策に必要」という政府の説明は真っ赤な嘘と言ってよい。
さらに2面に、追い打ちをかける記事が載っている。いまはやりの「ファクトチェック」という趣向。見出しは、「首相の招致演説『ファクトチェック』」「東京は世界有数の安全都市⇒五輪『共謀罪』ないと開けぬ」
これは上手だ。見出しだけで、我が国の首相が嘘つきであることが、よく分かる。
「安倍晋三首相は世論の理解を得ようとテロの脅威を訴え、2020年東京五輪・パラリンピック開催には、(『共謀罪』の成立が)不可欠と主張しているが、3年半前の五輪招致演説では東京の安全性をアピールしていた。本紙の担当記者があらためて招致演説を「ファクトチェック」したところ、数々の疑問が浮かんだ。」
以上の問題意識から、ごく短い「アベ五輪招致演説」の4個所を、東京新聞の「共謀罪担当」、「原発取材班」、「東京五輪担当」記者がチェックしている。こんな短い文章中の4個所。中身は、ほとんど全部ウソと誇張であるといってよい。次のようにである。
ファクトチェック(1)
「首相は今国会で、『共謀罪』法案について「国内法を整備し、国際組織犯罪防止条約を締結できなければ東京五輪・パラリンピックを開けないと言っても過言ではない」「法的制度の中にテロを防ぎ得ない穴があれば、おもてなしとして不十分だ」と強調している。
ところが、首相は13年9月、ブエノスアイレスでの国際オリンピック委員会(IOC)総会で、東京は「20年を迎えても世界有数の安全な都市」と強調して招致に成功した。同法案が成立しなければ五輪は開けないという今の主張とは大きな差がある。」
ファクトチェック(2)
「首相の五輪招致演説といえば、東京電力福島第一原発事故について「状況は、統御されています」と訴えたことで有名。実際には汚染水の流出が続いていたため「根拠がない発言」と批判された。今でも、汚染水は増え続け、溶け落ちた核燃料の状況もほとんど確認できていない。」
ファクトチェック(3)(4)
「これだけではない。演説で首相は「ほかの、どんな競技場とも似ていない真新しいスタジアム」と「確かな財政措置」が、確実に実行されるとも訴えた。
現実には、演説時に決まっていた女性建築家のデザインは迷走の末、白紙撤回。
大会開催費も、当初を大幅に上回る最大1兆8千億円との試算が出て、分担を巡る話し合いが続いており、財政措置が裏付けられているとは言いがたい。」
なお、同日の東京新聞は、一面に、「辺野古反対派リーダー保釈」というキャプションで、支援者と抱き合って喜ぶ山城博治さんの写真を掲げた。よい写真だ。また、社会面トップで「抗議中に逮捕 山城議長」「拘束5カ月、保釈」「『不当な弾圧だった』」の記事を掲載した。「不当な弾圧だった」という山城さんの記者会見の批判を見出しに使った、その姿勢や大いに良しというべきである。だれがどう見ても、不当に長期の勾留。批判は当然なのだから。山城さんと支援の方々に心からの敬意を表し、声援を送る。
(2017年3月20日)
沖縄が心配だ。辺野古新基地建設の工事が本格的な進行を始め、巨大なコンクリートブロックがつぎつぎと海に沈められて珊瑚礁を破砕している。反対派の現地リーダー山城博治さんは逮捕されて勾留4か月にも及ぶ。そして、本土からの沖縄に対する差別意識丸出しで、沖縄の平和運動に対するデマを垂れ流したMXテレビのニュース女子報道に対する制裁が見えてこない。
本土の我々がもっと沖縄に目を向けなければならない。政権と対峙している沖縄の平和運動を支援しよう。そのような無数にある運動体の一つとして、「基地のない平和な沖縄をめざす会」がある。私は、会費を払って機関誌を読むだけの会員だが会の発足直後から20年近く、手作りの機関紙『沖縄』を読み続けている。典型的なミニコミ紙だが、今号が236号。ともかく、継続していることに頭が下がる。
この『沖縄』のメインスローガンは、「沖縄の心を一つに?『建白書』を実現し、未来を拓く『オール沖縄』のたたかいに連帯します。」というもの。そして、毎号下記のサブスローガンが並んでいる。
オスプレイ配備撤回!
普天間無条件返還!
沖縄基地全面返還!
辺野古新基地建設阻止!
憲法改悪反対・日米安保条約廃棄!
高江ヘリパッド建設阻止!
伊江島基地拡張反対!
曖昧さなく、「普天間無条件返還」「沖縄基地全面返還」「日米安保条約廃棄」と言っているところに好感。
2017年2月20日発行の第236号の最も目につく記事が、「DHCとTOKYO MXテレビ」と標題した、次の寄稿。じっくりお読みいただきたい。
「DHCの化粧品を見かける機会は少ないが、DHCの『健康食品』とやらはコンビニエンスストアにいっぱい並んでいる。これらの売り上げ利益で、真っ赤なウソ番組をつくってそれを東京MXテレビが流し、『人を殺す基地は、もういらない』と崇高なたたかいを続ける沖縄の人々、身銭やカンパで遠くからも駆けつける人々を侮辱した。侮しくて涙が出る。
あの『健康食品』とやらには毒がはいっている、そんな気がしてしまった。日当を払って情け容赦もない人権無視の弾圧をさせているのは、安倍政権である。
ますます負けられないたたかいになった。思いだけがつのってかけつけられないのがツラいけど、私は、DHCと東京MXテレビに抗議する!!
『私達は、私達の上地に、海に、基地をつくるな』と当たり前のことを言っているだけである。それを踏みにじるモノに抗議しているだけである。みっともない番組をつくって国民をだまさないで下さい!」(上原文子)
気持ちのあふれた一文ではないか。まったくそのとおりだと肯かざるをえない。寄稿者については知らない。「上原」は沖縄に多い姓。「私達の土地に海に、基地をつくるな」という言葉遣いからは沖縄出身者かも知れない。市井のひとりの声として、人々を励ます文章になっている。
その指摘のとおり、「DHCは『健康食品とやら』の売り上げ利益で、デマ番組をつくっている」。まったくそのとおりだ。だから、DHCの製品を買ってはならない。DHCの『健康食品とやら』を買うことは、デマとヘイトの番組の作成に加担することだ。沖縄に新基地を作らせてはならないと思う人、大浦湾の美ら海を守ろうと思う人は、けっしてDHCの製品を買ってはならない。
「その『健康食品』とやらには毒がはいっている気がする」。これも同感だ。もちろん、比喩としての「毒」。平和運動への猛毒だ。また、それだけでなく、あらゆるサプリメントがけっして安全を保障されてはいないことが、今や健全な常識になっている。食品から普通に摂取している限りは安全な成分も、サプリメントに高濃度に詰め込まれれば、生体に危険ものとなりうる。その意味では「毒」は適切な表現なのだ。
「本土から派遣の警察官に日当を払って、情け容赦もない人権無視の弾圧をさせているのは、安倍政権である」。これもご指摘のとおりだ。平和運動への敵意の点で、アベ政権と、DHC、TOKYO MXとはつがっている。それだけではない。安全性確認不十分なサプリメントの出荷量拡大をアベノミクスの第3の矢に位置づけている点でも、アベ政権とDHC、TOKYO MXとは利益を共通にしているのだ。
私も、一緒になって声を上げよう。平和のためのたたかいを続ける沖縄の人々やカンパで遠くから駆けつける人々を侮辱したDHCと東京MXテレビへの抗議の声を。そして、根本原因を作っているアベ政権への抗議も。
「みっともない番組をつくって国民をだまさないで下さい!」。
そして、「人を殺す基地は、もういらない」と。
(2017年2月27日)