「靖国神社で最も重要な祭事は、春秋に執り行われる例大祭です。秋の例大祭は10月17日から20日までの4日間で、期間中、清祓・当日祭・第二日祭・第三日祭・直会の諸儀が斎行されます」「当日祭には天皇陛下のお遣いである勅使が参向になり、天皇陛下よりの供え物(御幣物)が献じられ、御祭文が奏上されます」(靖国神社ホームページから)
靖国神社は、戊辰戦争における官軍の戦死者を祀った東京招魂社(1869年創建)がその前身。「靖国」との改称(1879年)の後も、天皇制を支えた陸海軍と深く結びついた軍国神社であった。天皇の軍隊の戦死者を祭神とし、英霊と美称して顕彰する神社である。単に、追悼して慰霊するだけではない、戦死者の最大限顕彰を通じて天皇が唱導する侵略戦争を美化する宗教的軍事装置であった。天皇制との結びつきはこの神社の本質。だから、いまだに勅使が出向いて来るのだ。
戦死者を英霊とし祭神として最大限に賛美するとき、その戦死をもたらした戦争への否定的評価は拒絶されることになる。靖国神社をめぐる論争の根源は、明治維新以来天皇制政府が繰り返してきた戦争の侵略性を冷静に検証するのか、無批判に美化するのかをめぐってのもの。従って、宗教法人靖国神社は、一貫して歴史修正主義の一大拠点となってきた。
敗戦とともに、陸海軍は消滅した。しかし、軍と運命共同体であったはずの靖国との軍事的宗教施設であった靖国神社は、軍と切り離されて宗教法人として生き残った。形式上国家との関係を断ち切って、天皇とも軍とも一切無縁の存在になるはずだった。しかし、その実態はそうなっていない。靖国神社自身がかつてと変わらぬ権力との結びつきを強く希望し、国家主義・軍国主義推進勢力がこれを利用している。しかも、靖国の強みは民衆と結びつき、民衆がこれを支えていることにある。
かつては靖国国営化法案、その後は首相と天皇の公式参拝推進運動。自民党憲法改正草案でも、政教分離条項の骨抜き案‥。靖国問題は「戦後民主々義の理念を擁護」するか、「戦後レジームからの脱却」を志向するか。その象徴的なテーマとなってきた。靖国が軍や戦争と深く結びついた過去を持ち、その過去の心性をそのままに現在に生き残ったことからの必然と言えよう。ことは、何よりも戦争と平和に深く関わり、歴史認識や天皇制、民族主義等々での見解のせめぎ合いの焦点となっている。歴史修正主義派や軍国主義的傾向の強い保守派をさして、「靖国派」という言葉が生まれることにも必然性があるのだ。
その靖国神社の今年の秋期例大祭。話題は多い。
まず、安倍首相は参拝こそ見送ったが、参拝に代えて真榊を奉納した。「内閣総理大臣 安倍晋三」と肩書きを付しての奉納である。単なる記帳ではなく、これ見よがしに「内閣総理大臣」と明記した名札を誇示した真榊の写真が公開されている。
真榊とは神道において神の依り代となる常緑樹を祭具にしつらえたもの。その奉納が宗教性を帯びた行為であることに疑問の余地はない。県知事から靖国神社に対する玉串料の奉納が、憲法20条3項にいう「国及びその機関はいかなる宗教的活動もしてはならない」に違反することは、愛媛玉串料訴訟の大法廷判決が確認しているところ。内閣総理大臣から靖国神社に対する真榊の奉納も違憲であることは明確というべきである。
憲法20条は、政教分離原則を定める。「政」とは政治権力のこと、「教」とは宗教のこと。この両者は厚く高い壁で遮られなければならない。お互いの利用は醜悪なものとして許されないのだ。形式的には、政治権力と厚い壁で隔てられるべき「教」とは宗教一般とされてはいるが、実は、憲法が警戒するのは国家神道の復活であり、分けてもその軍国主義的側面を象徴する靖国神社にほかならない。
国家を代表する立場にある首相が、特定の宗教団体を特別の存在として、「内閣総理大臣」と肩書きを付したうえ首相補佐官を使者として、宗教祭具を宗教施設に奉納することは、紛れもなく違憲である。首相が靖国神社参拝を見送ったことを評価する向きもあるが、真榊の奉納も違憲違法な行為であることを確認し強調しなければならない。
首相だけが問題なのではない。相変わらず、保守派議員の集団での靖国神社参拝が絶えない。秋季大祭の初日(10月17日)には、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の111人が参拝した。この議員の数が、憲法の危機的状況をよく物語っている。この議員たちには、靖国神社参拝の集団に加わることが選挙民の支持獲得に有利だという計算がある。そのような計算をさせる「主権者」の意識状況であることを肝に銘じなければならない。もっとも、昨年春の例大祭時(2013年4月23日)には、衆参合計168議員が集団参拝(衆議院議員139人、参議院議員29人)と報じられていたから、やや少なくはなっている。
ハイライトは、高市早苗総務相、山谷えり子国家公安委員長、有村治子女性活躍担当相の女性3閣僚が、18日相次ぎ靖国を参拝したこと。安倍内閣右翼3シスターズのそろい踏み。この女性たちが、靖国派閣僚の急先鋒なのだ。
参拝後の各閣僚のコメントが、下記の通り右派に通有の決まり文句。
「国のために尊い命をささげられたご英霊に感謝の誠をささげた。平和な国づくりをお誓い、お約束した」「1人の日本人が国策に殉じられた方々を思い、尊崇の念を持って感謝の誠をささげるという行為は、私たちが自由にみずからの心に従って行うものであり、外交関係になるものではない」「国難に際し命をささげられたみ霊に対し、心を込めてお参りをした。国難のとき、戦地に赴き命をささげられた方々にどのように向き合うか、どのように追悼するかは国民が決める話であり、他国に『参拝せよ』とか『参拝するな』と言われる話ではないと認識している」
これらのコメントには、侵略戦争への反省のかけらもない。そもそも、軍国神社は平和を語り願うためにふさわしい場ではない。「ご英霊に尊崇の念を捧げる」行為が自由にできるのは私人に限ってのこと、「国またはその機関」としての資格においては違憲違法な行為である。「外交関係になるものではない」は、現実を見ようとしない勝手な思い込み。「他国に『参拝せよ』とか『参拝するな』と言われる話ではない」は、被侵略国、被植民地の民衆の神経をことさらに逆なでする傲慢な暴言。右派閣僚3シスターズ。その無神経な参拝も、その後のコメントの内容も醜悪というほかはない。
ところで、朝日が10月17日付社説で、次のように「靖国参拝―高市さん、自重すべきだ」と呼びかけている。
「高市さん、ここは(靖国神社参拝を)自重すべきではないか。
そもそも、首相をはじめ政治指導者は、A級戦犯が合祀されている靖国神社に参拝すべきではない。政教分離の原則に反するとの指摘もある。
しかも、北京で来月開かれるアジア太平洋経済協力会議(APEC)での日中首脳会談の実現に向けて、関係者が努力を重ねているときである。それに水を差しかねない行為を慎むのは、閣僚として当然だ。」
というもの。参拝反対の立場は結構だが、何とも生ぬるい指摘ではないか。
「A級戦犯の合祀」は靖国神社の立場をわかりやすく象徴するものだが、合祀以前に問題がなかったわけではなく、分祀が実現すれば問題がなくなるわけでもない。「A級戦犯以外の英霊の合祀」なら問題なしと解されかねない危険も秘めている。
「A級戦犯合祀」の問題性指摘は欠かせないものではあるが、「A級戦犯が合祀されている靖国神社に参拝すべきではない」との書きぶりは、「靖国問題」を「A級戦犯合祀問題」へと矮小化する誤解を生じかねない。
「政教分離の原則に反するとの指摘もある」とは、自分の見解としてではなく他人事として触れている姿勢。迫力を欠くことこの上ない。あとは、「国益にマイナス」論だ。
朝日は、どうして真っ向から靖国神社のなんたるかを語らないのか。遊就館の偏頗な歴史認識を語らないのか。天皇制や、軍国主義や、侵略戦争、植民地支配の国策がもたらした惨禍から日本国憲法が成立し、政教分離原則もできていることをなぜ敢えて文章にしないのか。本質論を避けて通ろうとするごとくで、歯がゆさを禁じ得ない。
(2014年10月19日)
第二次安倍改造内閣の方針の目玉は、「地方創生」と「女性の登用」だそうである。その両者とも、これまでの政権のなきどころだったということだ。いずれも全国的な成果を上げるには大変な事業だが、閣僚の女性登用だけは手軽に形を作ることができる。
こうして、高市早苗(総務大臣)、松島みどり(法務大臣)、小渕優子(経済産業大臣・原子力経済被害担当等)、山谷えり子(国家公安委員会委員長・拉致問題担当等)、有村治子(女性活躍担当・消費者及び食品安全・規制改革等)が閣僚となった。これに、自民党政調会長の稲田朋美を加えて、6人の女性政治家が「アベトモ」として光の当たる場所に据えられた。「女性閣僚5名は過去最多」「内閣も自ら女性活用へ」などはしゃぐマスメディアもあって、内閣支持率のアップに寄与しているらしい。
それだけでなく、市民団体の中でも、「安倍さん、よいこともやるじゃない」という評価もあると聞く。私には理解しがたい。この顔ぶれで本当に「よいこと」なのだろうか。
女性が政治のリーダーシップをとることは歓迎すべきことである。一般論ではあるが、男性と比較して女性の方が平和志向的といえよう。「母性」が象徴するように、生命やいとけなきものに対する思いやりが強い。か弱きものへの目線が暖かく、人権志向的であるとも言える。だから、女性のリーダーシップ歓迎は、実は平和や人権を歓迎してのことである。
NHKの朝ドラ「花子とアン」の終盤、柳原白蓮のラジオ放送でのスピーチが話題となったという。白蓮の実像についても、そのスピーチの内容がどこまで史実であるも、私は知らない。しかし、ドラマにおけるスピーチとして紹介されているその内容には、頷けるものがあり胸を打つものがある。川柳子が「NHK 朝ドラだけは 平和主義」としているのは、あながち揶揄だけではない。
「私が今日ここでお話したいのは平和の尊さでございます。先の戦争で私は最愛の息子純平(史実では香織)を失いました。私にとって息子は何ものにも代え難い存在でございました。『お母様は僕がお守りします』。幼い頃より息子はそう言って母である私をいつも守ってくれました。本当に心の優しい子でした。子を失うことは心臓をもぎ取られるよりもつらいことなのだと私は身をもって知りました。
もしも女ばかりに政治を任されたならば戦争は決してしないでしょう。かわいい息子を殺しに出す母親が一人だってありましょうか。もう二度とこのような悲痛な思いをする母親を生み出してはなりません。もう二度と最愛の子を奪わせてはならないのです。戦争は人類を最大の不幸に導く唯一の現実です。最愛の子を亡くされたお母様方、あなた方は独りではありません。同じ悲しみを抱く母が全国には大勢あります。私たちはその悲しみをもって平和な国を造らねばならないと思うのです。私は命が続く限り平和を訴え続けてまいります」
「もしも女ばかりに政治を任されたならば戦争は決してしないでしょう。かわいい息子を殺しに出す母親が一人だってありましょうか」というこのスピーチに賛同して、「女性政治家よ出でよ」「もっともっと女性を議員に、閣僚に」と、叫びたいのだ。
しかし、女性ならみんながみんな平和志向で人権志向だというわけではない。中にはひどいのも少なくない。6人くらいなら、ひどいのばかり集めることは容易なこと。
評価されるべき女性政治家の要諦として、まずは、国民の命を大切にする立場から戦争には絶対反対であるか、が問われなければならない。ついで、女性の地位や人権、社会進出のために尽力する姿勢を吟味すべきである。具体的にはいくつかの試金石がある。
先の我が国の戦争を侵略戦争とする歴史認識に立脚しているか
「従軍慰安婦」を許容した戦争を真摯に反省する立場であるか
近隣諸国との友好平和関係樹立のために邁進しているか
集団的自衛権行使容認に反対であるか
原水爆廃絶に本気で取り組んでいるか
原発の再稼働に反対し脱原発を貫いているか
選択的夫婦別姓の早期実現に熱意をもっているか
男女共同参画推進に実績を持っているか
生殖に関する女性の自己決定権を擁護する立場か
男女の役割分担固定化に反対の立場を明確にしているか
女性の労働条件の向上に尽力しているか
日本会議や靖国派の議連に参加していないか
6名すべてが、間違いなくアウトだ。女性でありさえすれば閣僚登用歓迎などとは言っておられない。稲田朋美に至っては、予算委員会の質問で安倍晋三と一緒になって河野談話を攻撃し、安倍に「日本が国ぐるみで性奴隷にした、いわれなき中傷が世界で行われている」とまで言わせている。
このような6人組では、「もしも女ばかりに政治を任されたならば戦争は決してしないでしょう」「かわいい娘を、戦争の最も悲惨な犠牲者である『従軍慰安婦』にさし出す母親が一人だってありましょうか」「すべての悲惨の原因である戦争を再び繰り返してはなりません」とはならない。
「従軍慰安婦」について、狭義の強制性の有無だけを問題にして、あらゆる人に悲惨な犠牲を強いる戦争の根源的な罪悪性を問題にしようとしない女性政治家たち。戦争を根絶しようとする意見に与しようとしない女性閣僚たち。
今、安倍内閣では光当たる立場にあるこの女性政治家たちは、実は女性の味方でもなく、国民の味方でもない。こんな政治家登用に、「安倍さん、よいこともやるじゃない」などと、けっして言ってはならない。
(2014年10月14日)
「法廷で裁かれる日本の戦争責任ー日本とアジア・和解と恒久平和のために」(高文研)を読んでいる。600ページを超す浩瀚な書。日本の戦争責任を追及する訴訟に携わった弁護士が執筆した50本の論文集である。とても全部は読み通せない。結局は拾い読みだが、どれを読んでも、熱意に溢れ、しかも事件と書き手の個性が多彩でおもしろい。
各論文は、宇都宮軍縮研究室発行の月刊「軍縮問題資料」の2006年から2010年まで連載特集「法廷で裁かれる日本の戦争責任」として掲載されたものを主としている。これに加筆し、書き下ろしの論文を加えて、沖縄出身の端慶山茂君が責任編集をしたもの。同君は私と修習が同期、親しい間柄。
日本国憲法は歴史認識の所産と言ってよい。憲法自身が、前文において「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、この憲法を確定する」と言っている。明治維新以来の国策となった富国強兵の行き着くところが侵略戦争と植民地主義であり、その破綻であった。その歴史への真摯な反省が、国民主権・平和・人権の理念に貫かれた憲法を創出した。また、侵略と植民地支配への反省こそが、大戦後の国際社会への日本の復帰の条件でもあった。ところが、今政権は、「戦後レジームから脱却」し「日本を取り戻す」と呼号している。日本の責任と反省を忘れ去ろうとしているごとくである。その今、日本の戦争責任を確認することには大きな意義がある。
「法廷で裁かれる日本の戦争責任」は、政治的・道義的な戦争責任ではなく、法的責任を追及しこれを明確にしようとする提訴の試みの集成である。15年戦争と植民地支配における「戦争の惨禍」の直接の被害者が、侵害された人間性の回復を求めて、日本国を被告として日本の裁判所に提訴したもの。
そのような戦争被害者が日本の戦争責任を追及した訴訟の数は多い。本書の巻末に、「戦争・戦後補償裁判一覧表」が90件を特定している。この表には日本人のみを原告とした訴訟の掲載は省かれている。原爆、空襲、沖縄地上戦やシベリア抑留の被害など、本書では10本の論文に紙幅か割かれている「日本人の戦争被害」の各訴訟を加えれば、優に100件を超すことになる。
本書は、そのすべてを網羅するものではなく、50本の論文が必ずしも1件の訴訟の紹介という体裁でもない。どの論文も独立した読み物となっており、どこからでも読むことができる。全体を「従軍慰安婦」「強制連行」「日本軍による住民虐殺、空爆、細菌・遺棄兵器」「韓国・朝鮮人BC級訴訟」「日本人の戦争被害」などに分類されている。各訴訟が、それぞれに創意と工夫を凝らしての懸命の法廷であったことが良く分かる。困難な訴訟に果敢に取り組んだ弁護士たちの熱意に頭が下がる。本書は日本の弁護士の良心の証でもある。このような献身的な働きが、各国の民衆間の信頼を形作り、平和の基礎を築くことになるだろう。今政権は、「戦後レジームから脱却」し「日本を取り戻す」と呼号して、日本の責任と反省を忘れ去ろうとしている。本書は、その禍根の歴史を忘れてはならないとする警告の書として読まれなければならない。
なお、本書の発刊が本年3月であるが、その後半年を経て、思いがけなくも本書は新たな発刊の意義を見出す事態となった。朝日新聞の吉田清次証言記事取り消しと、これに勢いづいた右翼メディアや靖国派政治家の、朝日や河野談話への執拗な攻撃である。あたかも「日本軍慰安婦」の存在そのものがなかったかのごとき言論が横行している。本書は、この無責任言論への有力な反論の武器となっている。悲惨な性奴隷としての実態のみならず、軍の関与も強制性も判決が事実認定しているのだ。時効・除斥期間、国家無答責、国家間の請求権放棄合意等々の厚い壁に阻まれて、勝訴には至らなくても、証拠に基づく裁判所の認定事実には重みがある。
1993年8月の「河野談話」の末行は次のとおりに結ばれている。
「なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。」
「慰安婦」問題について本邦において提起された訴訟とは、1991年から93年にかけて提訴された「アジア太平洋戦争 韓国人犠牲者補償請求訴訟」「在日・宋神道訴訟」「関釜朝鮮人『従軍慰安婦』謝罪訴訟」の3件である。被害者らの勇気ある名乗り出と提訴が、河野談話を引き出したのだ。そして、韓国・朝鮮人「慰安婦」提訴の後には、中国・台湾・フィリピン・オランダ人などの訴えが続いた。訴訟が明らかにしたこと、訴訟が世に訴えたことは大きい。
本書の「まえがき」のタイトルが、「和解と恒久平和のために」となっている。そして、まえがきを要約した袴の惹句が、次のとおりである。
「日本の裁判所が日本の戦争責任について審理している裁判例50件を、主に訴訟担当弁護士が解説。戦争の惨禍の加害と被害の実相を明らかにし、日本とアジア諸国とのゆるぎない和解を成立させ、恒久平和実現への願いを込める!」
本書は、禍根の戦争の歴史を忘れてはならないとする警告の書である。来年は戦後70年となるが、情勢はますます、本書の警告を必要としている。図書館などに備えていただき、多くの人に目を通していただきたいと思う。
(2014年10月13日)
昨日と今日(9月20・21日)は、日民協執行部の夏期合宿。恒例では8月中の行事だが、今年は諸般の事情あってやや遅い日程となった。参加者は23名。
企画のメインは、情勢認識をできるだけ統一するための憲法問題討論会。全体のタイトルは「安倍政権の改憲・壊憲政策の全体像」というもの。分野別に担当者を決めて、30分の報告と、報告をめぐっての40分の討論。時間通りには収まらない満腹感のある議論となった。
全討論の最後を森英樹新理事長がまとめた。私の理解した限りでのことだが、大要以下のとおり。
「安倍政権の改憲路線が、各分野にわたる全面的なものであり、これまでにない質的に本格的なものでもあることは、おそらく共通の認識と言ってよいでしょう。これまでは、一内閣一課題の程度でしか問題にし得なかったことを、あれもこれも俎上に載せている。
今回合宿の討論会で取り上げたのは、下記6分野でした。
9条関係(平和主義、集団的自衛権をめぐる問題)
21条関係(表現の自由、あらゆる分野での憲法擁護言論封殺の動き)
25条関係(生存権、社会福祉・医療保険、介護保険制度)
27条関係(労働権、雇用の喪失と雇用形態の)
31条以下の被疑者被告人の権利(刑事司法改悪の現状)
前文(歴史認識問題・右翼の台頭)
本日取り上げられなかった分野として、下記があります。
26条(教育を受ける権利)
28条(労働基本権、とりわけ争議権問題)
30条(納税者基本権)
第4章(議会制民主主義・選挙制度)
第6章(司法)
第8章(地方自治)
できれば、もう一回これらの分野での報告と議論の機会を持ち、パンフレットとして出版することを考えてはどうでしょうか。
安倍政権の、このような全面改憲のイデオロギーを支えているのが、「戦後レジームからの脱却」というキーワードです。
「戦後」とは、1945年敗戦以前の近代日本を否定的にとらえる時代認識の用語として固有名詞化したものです。戦後民主主義、戦後平和、戦後教育、戦後憲法等々。戦前を否定しての価値判断があります。安倍さんは、これを再否定して「美しい日本」を取り戻すという文脈となる。
また「レジーム」とは、単なる体制や枠組みというだけでなく、フランス大革命以前の体制を「アンシャンレジーム」と言ったことから、唾棄すべき、古くさい体制というニュアンスが込められている。
しかし、「戦後」を唾棄すべきレジームとして否定して、取り戻す日本というのは、けっして未来を指向するものではない。悲しいかな、古くさく、世界のどこからも「価値観を共有する」とは言ってもらうことのできない、天皇制の戦前に回帰するしかないことになります。
問題は、安倍首相のパーソナルファクターではありません。安倍さん個人はいずれ任を離れます。しかし、安倍さんに、シンパシーを持つ勢力が発言権を持ち始めているということです。
この点が、ドイツと大いに異なるところです。
今年のドイツは、いくつもの意味で節目の年でした。
まず、1914年(第1次大戦開戦)から100年。
ついで、1939年(第2次大戦開戦)から75年。
そして、1989年(ベルリンの壁崩壊)から25年、です。
第1次大戦の開戦は偶発でしたが、これが最初の世界大戦に発展したのは、ドイツがフランスに対する開戦を決意し、フランスへの進路にあたる中立国ベルギーを攻略したことに端を発します。今年の8月3日、その100年目の記念式典が、ベルギーの最初の激戦地であるリエージュ開催されました。関係国の首脳が参集したその式典で、ドイツの元首であるガウク大統領が、謝罪と反省の辞を述べています。
さらに、史上初めて毒ガスが本格的に使用された戦場として名高いイーペルでも、ガウクは次のように述べています。
「罪のない多くのベルギーの人々を殺傷した当時のドイツの行為には、みじんの正義もなかった。追悼の言葉だけでなく、謝罪と反省を行動で示さなければならない」
歴史を反省するとはこういうものか、と思わせる真摯な内容でした。
第2次大戦開戦のきっかけとなった1939年のポーランド侵攻の責任については、言うまでもありません。
戦後のドイツが生き延び復興するには、ヨーロッパ世界に受け入れてもらわねばならないのですから、過去を深く反省するしか方法がなかったと言えばそれまでですが、ドイツの真摯な反省とその実行とは、周辺諸国からの信頼を勝ち得るものとなっています。
それと比較して日本はどうでしょうか。
日本もドイツ同様に、今年は歴史的な節目の年です。
1874年台湾出兵から140年。
1894年日清戦争から120年。
1904年日露戦争から110年。
1914年第一次大戦から100年。
ドイツは歴史を反省する「風景」を作り出しました。しかし、日本は「無風景」のままなのです。
また、中国は三つの「国辱の日」を持っています。いずれも、日本との関係におけるもの。
5月9日 対華21箇条要求の日
7月7日 盧溝橋事件勃発の日
9月18日 柳条湖事件の日
日本のマスコミが、これら各日を意識して特集を組んだり、回顧や報道の記事を書いていないことを残念に思います。
朝鮮との関係では、もうすぐ11月10日。これは、日本が朝鮮の人々に創氏改名を強制したことによって記憶されている日です。この日に、新聞やテレビが関心を持つでしょうか。
ドイツは過去への反省を徹底することによって国際的な信頼を獲得しました。多くの国から「価値観を共有する国」として受容されています。翻って、安倍政権の「改憲・壊憲路線」は、「歴史の反省をしない日本」「とうてい価値観を共有し得ない日本」を浮かび上がらせることに終わる以外にはありません。
その意味では、私たちは自信を持ってよいと思います。安倍改憲・壊憲路線は、日本国民の利益と敵対するだけではなく、近隣諸国や世界各国の良識から孤立するものであることを指摘せねばなりません。
法律家の任務として、改憲の動向に対応するだけでなく、憲法を根底から否定し全分野においてこれをないがしろにする安倍内閣の政策の総体に対抗する運動に寄与しなければと思います。」
(2014年9月21日)
本日は「九・一八」。1931年9月18日深夜、奉天近郊柳条湖で起きた鉄道「爆破」事件が、足かけ15年に及んだ日中戦争のきっかけとなった。小学館「昭和の歴史」の第4巻『十五年戦争の開幕』が、日本軍の謀略による柳条湖事件から「満州国」の建国、そして日本の国際連盟脱退等の流れを要領よく記している。
その著者江口圭一は、ちょうど半世紀後の1981年9月18日に柳条湖の鉄道爆破地点を訪れた際の見聞を、次のように記してその著の結びとしている。
「鉄道のかたわらの生い茂った林の中に、日本が建てた満州事変の記念碑が引き倒されていた。倒された碑のコンクリートの表面に、かつて文化大革命のとき紅衛兵によって書かれたというスローガンの文字があった。ペンキはすでに薄れていた。しかし、初秋の朝の日射しのもとで、私はその文字を読み取ることができた。それは次の文字だった。
不忘“九・一八” 牢記血涙仇」
印象の深い締めくくりである。ペンキの文字は、「九・一八を忘るな。血涙の仇を牢記せよ」と読み下して良いだろう。牢記とは、しっかりと記憶せよということ。血涙とは、この上なく激しい悲しみや悔しさのために出る涙。仇とは、仇敵という意味だけではなく、相手の仕打ちに対する憎しみや怨みの感情をも意味する。
「9月18日、この日を忘れるな。血の混じるほどの涙を流したあの怨みを脳裡に刻みつけよ」とでも訳せようか。足を踏まれた側の国民の本音であろう。足を踏んだ側は、踏まれた者の思いを厳粛に受けとめるしかない。
柳条湖事件を仕組み、本国中央の紛争不拡大方針に抗して、満州国建設まで事態を進めたのが関東軍であった。関東軍とは、侵略国日本の満州現地守備軍のこと。「関」とは万里の長城の東端とされた「山海関」を指し、「関東」とは「山海関以東の地」、当時の「満州」全域を意味した。
私の父親も、その関東軍の兵士(最後の階級は曹長)であった。愛琿に近い、ソ満国境の兵営で中秋の名月を2度見たそうだ。「地平線上にでたのは、盆のような月ではなく、盥のような月だった」と言っていた。「幸いにして一度も戦闘の機会ないまま内地に帰還できた」が、それでも侵略軍の兵の一員だった。
世代を超えて、私にも「血涙仇」の責の一部があるのだろうと思う。少なくとも、戦後に清算すべきであった戦争責任を今日に至るまで曖昧なままにしていることにおいて。
何年か前、私も事件の現場を訪れた。事件を記念する歴史博物館の構造が、日めくりカレンダーをかたどったものになっており、「九・一八」の日付の巨大な日めくりに、「勿忘国恥」(国恥を忘ることなかれ)と刻み込まれていた。侵略された側が「国恥」という。侵略した側は、この日をさらに深刻な「恥ずべき日」として記憶しなければならない。
柳条湖事件は関東軍自作自演の周到な謀略であった。この秘密を知った者が、「実は、あの奉天の鉄道爆破は、関東軍の高級参謀の仕業だ。板垣征四郎、石原莞爾らが事前の周到な計画のもと、張学良軍の仕業と見せかける工作をして実行した」と漏らせば、間違いなく死刑とされたろう。軍機保護法や国防保安法、そして陸軍刑法はそのような役割を果たした。今、すでに成立した「特定秘密保護法」が、そのような国家秘密保護の役割を担おうとしている。
法制だけではなく、満州侵略を熱狂的に支持し、軟弱外交を非難する世論が大きな役割を果たした。「満蒙は日本の生命線」「暴支膺懲」のスローガンは、当時既に人心をとらえていた。「中国になめられるな」「満州の権益を日本の手に」「これで景気が上向く」というのが圧倒的な世論。真実の報道と冷静な評論が禁圧されるなかで、軍部が国民を煽り、煽られた国民が政府の弱腰を非難する。そのような、巨大な負のスパイラルが、1945年の敗戦まで続くことになる。
今の世はどうだろうか。自民党の極右安倍晋三が政権を掌握し、極右政治家が閣僚に名を連ねている。自民党は改憲草案を公表して、国防軍を創設し、天皇を元首としようとしている。ヘイトスピーチが横行し、歴史修正主義派の教科書の採択が現実のものとなり、学校現場での日の丸・君が代の強制はすでに定着化しつつある。秘密保護法が制定され、集団的自衛権行使容認の閣議決定が成立し、慰安婦問題での過剰な朝日バッシングが時代の空気をよく表している。偏頗なナショナリズム復活の兆し、朝鮮や中国への敵視策、嫌悪感‥、1930年代もこうではなかったのかと思わせる。巨大な負のスパイラルが、回り始めてはいないか。
今日「9月18日」は、戦争の愚かさと悲惨さを思い起こすべき日。隣国との友好を深めよう。過剰なナショナリズムを警戒しよう。今ある表現の自由を大切にしよう。まともな政党政治を取り戻そう。冷静に理性を研ぎ澄まし、極右の煽動を警戒しよう。そして、くれぐれもあの時代を再び繰り返さないように、まず心ある人々が手をつなぎ、力を合わせよう。
(2014年9月18日)
8月5日、朝日新聞が慰安婦問題での吉田清治証言を誤りと認め過去の16本の掲載記事を取り消すとして以来の朝日批判が喧しい。これに、池上彰への記事掲載拒否問題が油を注いだ。
朝日への口を揃えてのバッシング。総批判、総非難の大合唱である。あたかも、一羽のムクドリが飛び立つと、あとのムクドリの大群が一斉に同じ方向に飛び立つという、あの図を思い起こさせる。もちろん、朝日批判に十分な理由はある。これに加わるのは楽だ。
しかし私は、何であれメディアの付和雷同現象を不愉快に思う。ジャーナリストとは、所詮はへそ曲がりの集団ではないか。他人と同じ発想で、同じように口を揃えることを恥とすべきだろう。
とりわけ、吉田清治証言撤回を、日本軍慰安婦問題全体が虚構であったような悪乗り論調を恥とすべきだ。吉田証言の信憑性の欠如は、20年前には公知の事実となっていた。たとえば、吉見義明の「従軍慰安婦」(岩波新書)は1995年4月の発行。巻末に、9ページにわたって参照文献のリストが掲載されているが、吉田の著作や証言はない。もちろん、本文での引用もない。
吉田証言が歴史家の検証に耐え得るものでなかったことについては、貴重な教訓としなければならない。しかし、他の多くの資料と証言とが積み重ねられて、日本軍慰安婦問題についての共通認識が形成されてきた。いまの時点で、吉田証言に信憑性がなかったことを言い募っても、歴史の真実が揺らぐわけではない。
この機会に、日本軍が一体何をしてきたのか、その歴史を見直そう。日本軍の慰安所は、いつからどのようにして設置され、どのように運営されていったのか、どのようにして慰安婦は徴集されたのか、どこの国の軍隊にもあったものなのか、そのような立場におかれた女性がどのような行為を強いられたか、戦時どのような運命を忍受したか、そして戦後どのような人生を送ったのか。さらに、今、世界はこの問題をどう見ているのか。国際法的にどのようにもんだとされているのか。
以下が、国連自由権規約委員会における対日審査最終所見(本年7月25日)の「慰安婦」関連部分の日本語訳(wamホームページから)。
〔14〕委員会は、締約国(日本政府)が、慰安所のこれらの女性たちの「募集、移送及び管理」は、軍又は軍のために行動した者たちにより、脅迫や強圧によって総じて本人たちの意に反して行われた事例が数多くあったとしているにもかかわらず、「慰安婦」は戦時中日本軍によって「強制的に連行」されたのではなかったとする締約国の矛盾する立場を懸念する。委員会は、被害者の意思に反して行われたそうした行為はいかなるものであれ、締約国の直接的な法的責任をともなう人権侵害とみなすに十分であると考える。委員会は、公人によるものおよび締約国の曖昧な態度によって助長されたものを含め、元「慰安婦」の社会的評価に対する攻撃によって、彼女たちが再度被害を受けることについても懸念する。委員会はさらに、被害者によって日本の裁判所に提起されたすべての損害賠償請求が棄却され、また、加害者に対する刑事捜査及び訴追を求めるすべての告訴告発が時効を理由に拒絶されたとの情報を考慮に入れる。委員会は、この状況は被害者の人権が今も引き続き侵害されていることを反映するとともに、過去の人権侵害の被害者としての彼女たちに入手可能な効果的な救済が欠如していることを反映していると考える。
締約国(日本政府)は、以下を確保するため、即時かつ効果的な立法的及び行政的な措置をとるべきである。
(i) 戦時中、「慰安婦」に対して日本軍が犯した性奴隷あるいはその他の人権侵害に対するすべての訴えは、効果的かつ独立、公正に捜査され、加害者は訴追され、そして有罪判決がでれば処罰すること。
(ii) 被害者とその家族の司法へのアクセスおよび完全な被害回復。
(iii) 入手可能なすべての証拠の開示。
(iv) 教科書への十分な記述を含む、この問題に関する生徒・学生と一般市民の教育。
(v) 公での謝罪を表明することおよび締約国の責任の公的認知。
(vi) 被害者を侮辱あるいは事件を否定するすべての試みへの非難。
以上の文脈で語られる「強制」に関して、ことさらに狭く定義しておいて「強制性を否定する」論法に惑わされてはならない。軍の管理のもとにおかれた女性たちが、戦地で「自由」であったはずはない。吉田証言の類の「慰安婦狩り」の事実があろうとなかろうと「強制」は自明であろう。
とりわけ自ら慰安婦として軍に強制されたと名乗り出た人々の証言は重い。それが法廷でのことであればなおさらのことである。本年3月に高文研から出版された、「法廷で裁かれる日本の戦争責任」は、その集大成として貴重な資料となっている。
同書は、「従軍慰安婦」、強制連行、空襲、原爆、沖縄戦などの日本の戦争責任を巡る50件の訴訟について、各担当弁護士が解説したものである。
第?章 「従軍慰安婦」は、以下の8本の解説記事。
※韓国人従軍「慰安婦」訴訟を振り返って
※関釜朝鮮人「従軍慰安婦」・女子挺身隊公式謝罪訴訟
※フィリピン日本軍「性奴隷」裁判
※オランダ及びイギリス等連合国の捕虜・民間拘留者(「慰安婦」を含む)損害賠償訴訟
※台湾人元「従軍慰安婦」訴訟
※中国人元「慰安婦」訴訟と山西省性暴力被害者訴訟
※中国人「慰安婦」第二次訴訟 最高裁判決と今後の闘い
※中国人「慰安婦」訴訟・海南島事件
多くの外国人女性が、日本軍にどのように人格も人権も蹂躙されたかが具体的に描かれている。
膨大な証言が積み上がっての「日本の戦争責任」なのだ。吉田証言があろうとなかろうと。
(2014年9月4日)
昨日(9月2日)の定例記者会見で舛添要一都知事は、現在支給されていない朝鮮学校への補助金の支給について、「万機公論に決すべし」との考えを披瀝した。この言を「一歩前進」と評価すべきであろう。ときあたかも、国連差別撤廃委員会からの勧告がこの問題に言及している。差別を撤廃して朝鮮学校にも補助金を支給し授業料無償化を実現すべく「公論」を興そう。知事は、聞く耳を持っているようなのだから。
この点は、2014年都知事選における重要な争点ではなかったが、政策対決点の一つではあった。都は、2010・11年度と続けて予算に計上した2千万円の朝鮮学校補助金支給を「凍結」し、2012年度以降は予算の計上自体を取りやめている。この事態においての選挙戦で、舛添候補は、田母神候補と同様に、石原・猪瀬都政が布いたレールに乗って補助金不支給の「現状維持」を「公約」とした。昨日の記者会見発言は、この公約に固執するものではないことを明らかにしたのだ。石原都政の継承に与するものではないことの表明としても注目に値する。石原元知事は、田母神陣営応援団の立場。舛添知事は、石原・猪瀬承継に縛られる必要はない。
朝鮮学校補助金支給の「万機公論」発言は、予定されたものではないようだ。都のホームページでの広報によれば、共同通信記者の質問に答えてのもの。その質問と回答の要点は以下のとおり。
「【記者】先日、国連の人種差別撤廃委員会で対日審査会合の最終見解が公表されたのですけれど、その中で地方自治体による朝鮮学校への補助金の凍結などについて何か懸念が示されていたようなのですけれど、東京都では2010年度から補助金の支出、朝鮮学校に対して凍結してまして、昨年、支給しないことを決めて発表されてるのですが、知事はこの政策、どのようにしていくべきだと思いますか。」
「【知事】こういうのはやはり万機公論に決すべしでですね。要するに国益に沿わないことはやはり良くないということは片一方でありますけれども、しかし、どこの国の言葉でも、どこの国の子供でも教育を受ける権利はあるわけですから、そういうものを侵害してはいけない。そのバランスをどうとるのかなということが問題だと思います。
だから、私が今問題にしているヘイトスピーチにしても、これが言論弾圧に使われるということであってはいけませんけれども、人種差別を助長するということであれば、国連の理念にも、我が日本国憲法の理念にもそぐわないので、そこのところをバランスをとってやる。そのためにはやはり皆さん方のメディアを含めて、広く議論をしていくということが必要だと思いますので。…検討したいと思います。」
確認をしておこう。知事の言のとおり、「どこの国の言葉でも、どこの国の子供でも、教育を受ける権利はある」「そういうものを侵害してはいけない」。このあと、「権利は当然に平等を要求する」と続くことになろう。補助金支給に差別があってはならない。石原慎太郎元知事からは、とうてい期待しえない発言。石原後継の猪瀬前知事からも、無理だろう。舛添知事がサラリと言ってのけたことを無視せず無駄にせずに、政策転換の一歩とする世論形成の努力をするべきだろう。
ところで、舛添知事会見の記録を読んでも、知事自身が国連人種差別撤廃委員会の対日最終見解に目を通していたのか否かが判然としない。8月29日採択のこの見解に既に目を通していたとすればその関心は見識と評価しえようし、この見解を読まずして政策転換を示唆したとすればこれもなかなかのものではないか。
国連人種差別撤廃委員会の対日最終見解は35項目。ヘイトスピーチ、慰安婦問題、外国人労働者問題、在日外国人の公務就労制限、外国人女性に対する暴力、アイヌ民族差別、沖縄への差別、朝鮮学校の無償化問題、部落差別問題等々にも触れている。グローバルスタンダードからみれば、日本には差別問題満載なのだ。
共同記者が質問で引用した朝鮮学校差別問題の「第19パラグラフ」を文意が通る程度に訳してみた。もちろん私の語学力だから正確ではない。大意以下のとおりである。
「〔19〕当委員会は朝鮮出身の子どもたちの教育の権利を妨げる立法と政府の以下の行為について懸念している。
(a)高等学校授業料補助からの朝鮮学校の除外
(b)朝鮮学校への地方自治体財政からの支給停止や継続的な減額
当委員会は、「市民権を持たない居住者に対する差別についての一般的勧告」(2004年)を再記して、教育の機会についての法規に差別があってはならないこと、その国に永住する子どもたちが学校の入学に当たって妨害を受けてはならないこと、これらを当事国が保障するという先の勧告を繰り返す。
当委員会は、日本に対し、朝鮮学校が高等学校授業料財源からの支出を受給できるように立場を変えること、同時に地方自治体に対して朝鮮学校への補助金支出を回復するように指導することを勧奨する。
当委員会は日本が1960年の「教育における差別撤廃のユネスコ条約」に加入するよう勧告する。」
国連の委員会勧告は、差別問題に意識の低い日本政府を諭すがごとく、なだめるがごとくである。安倍政権には聞く耳なくとも、せめて舛添都政には国連の良識に耳を傾けてもらいたい。そのような声を上げよう。もしかしたら、「東京から日本が変わる」かも知れない。
(2014年9月3日)
私の交友範囲で、最高齢者が吉田博徳さん。1921年6月のお生まれというから、既に93才。矍鑠と背筋が伸びている。好奇心旺盛。新しい話題を絶やさない。私なんぞ、とても老けてはおられない。そのように、いつも励まされる。
私とて、儒教文化の名残の影響を受けて育ってきている。高齢者には、高齢であるだけで敬意を表するに吝かではない。しかし、一緒にいると吉田さんが高齢ということはすぐに忘れてしまう。その気持ちの若さには、いつものことながら驚かされる。過日、韓国旅行をご一緒したときには、日韓の歴史と、行く先々の土地の話しの的確さに舌を巻いた。こんな人生の大先輩が身近にいることを幸運に思う。
吉田さんは、ご自身が歴史である。毛沢東や陳独秀が中国共産党を結成したのが1921年7月だから中国共産党と肩を並べる長寿なのだ。1922年7月結党の日本共産党よりは1才の年嵩。関東大震災のときは満2才だ。そして、もちろんこの齢だから従軍経験がある。中国で皇軍の将校として戦った深刻な体験が、平和を求めるブレない後半生の原点となっているという。
戦後は、裁判所職員の労働組合、全司法労組のかがやける委員長としていくつもの伝説をつくった。退職して、平和運動一筋。70を過ぎて、ハングルを習いこれをものにしている。今、日民協理事のお一人であり、日朝協会東京都連合会会長である。
その吉田さんが、昨日(9月1日)横網町公園での朝鮮人犠牲者追悼集会実行委員長として、挨拶された。
その挨拶の中で、2003年に当時の盧武鉉大統領が韓国・済州島の4・3虐殺事件(1948年)について、島民と遺族に謝罪したことを引いて、「その勇気に心から敬服している。政府が犯した誤りを認め、謝罪してこそ、国民との信頼は深まります」「日本は、そのようにして朝鮮と心から信頼できる友好関係をつくらなければなりません」と述べている。
関東大震災時の朝鮮人虐殺に頬被りするのではなく、誠実に事実に向かい合って誤りを誤りとして率直に認め、謝罪する勇気を持たなければならない。それは、「自虐」ではなく、歴史的真実に向かいあう真摯な姿勢であり、矜持を持たない者にはなしえない崇高な行為である。それをなしえてはじめて「心から信頼できる友好関係」を築くことが可能となるだろう。こうして平和なアジアが実現する。そんなことを口にするに、吉田さんはまことにふさわしい人だ。
その吉田さんと、先日日民協の会合で顔を合わせた。やおら財布からお札を抜き出して、「おかしな裁判やられているそうじゃないですか。たいへんですが、がんばって下さい」と、現金のカンパをいただいた。いや、ありがたい。やっぱり、吉田さん。何度でも噛みしめなければならない。こんな大先輩が身近にいることが我が身の幸せなのだと。
(2014年9月2日)
9月1日「震災記念日」である。姜徳相の「関東大震災」(1975年中公新書)と、吉村昭の「関東大震災」(1973年菊池寛賞受賞・77年文春文庫版発行)とを読み返した。
前者は、「未曾有の天災に生き残った人をよってたかってなぶり殺しにした異民族迫害の悲劇を抜いて、関東大震災の真実は語れない」「朝鮮人の血しぶきは、日本の歴史に慚愧の負の遺産を刻印した」との立場に徹したドキュメント。後者も、125頁から229頁までの紙幅を費やして、震災後の朝鮮人虐殺、社会主義者虐殺(亀戸事件)、大杉栄・伊藤野枝(および6才の甥)惨殺の経過を詳細に描写している。
姜の書の中に、「自警団員の殺し方」という一章がある。「残忍極まる」としか形容しがたい「なぶり殺し」の目撃談の数々が紹介され、「死体に対する名状し難い陵辱も、また忘れてはならない。特に女性に対するぼうとくは筆紙に尽くしがたい。『いかに逆上したとはいえこんなことまでしなくてもよかろうに』『日本人であることをあのときほど恥辱に感じたことはない』との感想を残した目撃者がいることだけ紹介しておこう」と結ばれている。
中国では柳条湖事件の9月18日を、韓国では日韓併合の8月29日を、「国恥の日」というようだ。今日9月1日は、日本の国恥の日というべきだろう。現在の日本国民が、3世代前の日本人が朝鮮人に対してした残虐行為を、恥ずべきことと再確認すべき日。
災害を象徴する両国の陸軍被服廠跡地が東京都立横網町公園となっており、ここに東京都慰霊堂が建立されている。その堂内に「自警団」という大きな油絵が掲げられている。いかなる意図でのことだろうか。無慮6000人の朝鮮人を虐殺したこのおぞましい組織は、各地で在郷軍人を中心につくられた。
「在郷軍人というのは何か。軍人教育を受け、甲午農民戦争や日露戦争やシベリア出兵、こういうもので戦争経験をしている。朝鮮人を殺している。こういう排外意識を持った兵士たち」(姜徳相講演録より)なのだ。
なるほど、甲午農民戦争(1894年)や日露戦争(2004年)を経て、日韓併合(2010年)、シベリア出兵(1918年)、そして3・1万歳事件とその弾圧(1919年)を経ての関東大震災(1923年)朝鮮人虐殺なのだ。当時、既に民族的差別意識と、民族的抵抗への憎悪と、そして後ろめたさからの報復を恐れる気持ちとが、広く国民に醸成されていた時代であった。歴史修正主義派は、この点についての責任糊塗にも躍起だが、「新たな戦前」をつくらないためにも、多くの日本人に、加害者としての歴史を確認してもらわねばならない。
過日、高校教師だった鈴木敏夫さんから、「関東大震災をめぐる教育現場の歴史修正主義」という論文(大原社会問題研究会雑誌・2014年6月号)の抜き刷りをいただいた。その中に、高校日本史の教科書(全15冊)がこの問題をどう扱っているかについての分析がある。
「朝鮮人・中国人虐殺に触れているか。人数の表記はどうなっているか」「虐殺(殺害)の主体はどう書かれているか」「労働運動、社会主義運動の指導者の殺害に触れているか」について、「さまざまな努力により、濃淡の差はあるが、…総じて最近の学界の研究成果を反映した内容になっている」との評価がされている。
末尾の資料の中から、いくつかの典型例を紹介したい。
東京書籍『日本史A 現代からの歴史」が最も標準的で充実してる記載といえよう。
○小見出し「流言と朝鮮人虐殺」
「社会的混乱と不安のなかで、朝鮮人や社会主義者が暴動を起こすという事実無根の流言が広まった。警察・軍隊・行政が流言を適切に処理しなかったこと、さらに新聞が流言報道を書きたてたことが民衆の不安を増大させ、流言を広げることになった。
関東各地では、流言を信じた民衆が自警団を組織した。自警団は、在郷軍人会や青年団などの地域団体を中心にして、警察の働きかけにより組織された。彼らは刀剣や竹槍で武装し通行人を検問して朝鮮人を取り締まろうとした。こうしたなかで、首都圈に働きにきていた数多くの朝鮮人や中国人が軍隊や自警団によって虐殺された。「朝鮮人暴動説」は震災の渦中で打ち消されたが、虐殺事件があいついだのは、民衆の中に根強い朝鮮人・中国人蔑視の意識があったからであった。
また、震災の混乱のなかで、労働運動家や社会主義者らにも暴行が加えられ、無政府主義者大杉栄らが殺害される事件が起きた。」
(注に、死者数として「朝鮮人数千人、中国人700人以上と推定される」
清水書院『高等学校日本史A 最新版』が最も詳細。
○[こらむ関東大震災]
「1923年9月1日午前11時58分、関東地方をマグニチュード7.9という大地震が襲った。ちょうど昼食の準備の時間で火を使っていた家庭も多く、各地で火災が発生した。家屋の大半が木造で、水道も破壊され消火活動がほとんど不可能であったことも被害を拡大させた。東京・横浜両市の6割以上が焼きつくされ、関東地方全体で10万の死者と7万の負傷者を出し、こわれたり焼けたりした家屋は70万戸に及んだ。通信も交通もとだえ、余震が続くなかで、翌日から朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ、放火をしてまわっている、暴動をおこすらしいなどのうわさが流れはじめた。
東京市および府下5郡にまず戒厳令が出され、続けて東京府、神奈川・千葉・埼玉3県にその範囲が拡大された。『戒厳』とは、戦争に準ずる内乱や暴動の場合に、軍事上の必要にこたえて行政権と司法権を軍司令官に移しこれに平時の法をこえた強大な権限をあたえることであるが、この戒厳令下で、軍隊と警察は『保護』と称しで大量の朝鮮人をとらえ、留置場に収容したり、殺したりした。また民衆もうわさを信じ、在郷軍人会や青年団、消防団などを中心に自警団をつくり、刀剣・竹やり・木刀などで武装して、通行人を検問し、朝鮮人を襲った。この朝鮮人に対する殺傷は東京・神奈川・埼玉・千葉などを中心に7日ごろまで続き、約6、000人が殺された(『韓国独立運動史』による。内務省調査では、加害者が判明した分として。朝鮮人231人、中国人3人としている)。そのほか中国人も多数被害にあっており、江東区大島だけでも約400人が虐殺された。
また労働運動家10名が警察にとらえられ、軍隊に殺された亀戸事件、甘粕事件がおこるなど、首都を壊滅状態にした災害の混乱のなか、警察や軍隊そして民衆の手による、罪も無い人びとの虐殺がおこなわれた」
(注に、「亀戸事件」「甘粕事件」の説明がある)
実教出版『高校日本史B』は、簡略ながら必要事項がよく書き込まれている。
○小見出し「関東大震災」
「1923(大正12)年9月1日、関東大震災がおこった。震災直後の火災が京浜地方を壊滅状態に陥れ、混乱のなかで、『朝鮮人が暴動を起こした』などという民族的偏見に満ちたうわさがひろめられ、軍隊・警察や住民が組織した自警団が、6、000人以上の朝鮮人と約700人の中国人を虐殺した。また、無政府主義者の大杉栄・伊藤野枝が憲兵大尉甘粕正彦に殺害され(甘粕事件)、労働運動の指導者10人が軍隊と警察によって殺害された(亀戸事件)。」
さらに、次の段落で、「天譴論」にふれている。また「政府は個人主義の風潮、社会主義の台頭を警戒して、国民精神作興詔書を出すなど思想取り締まりを強化した。震災は国家主義的風潮が強まるきっかけともなった。」と書いている。
山川出版社『詳説日本史』は背景事情への目配りがよい。
○小見出し「関東大震災の混乱」(コラム)
「関東大震災後におきた、朝鮮人・中国人に対する殺傷事件は、自然災害が人為的な殺傷行為を大規模に誘発した例として日本の災害史上、他に例を見ないものであった。流言により、多くの朝鮮人が殺傷された背景としては、日本の植民地支配に対する恐怖心と、民族的な差別意識があったとみられる。9月4日夜、亀戸警察署構内で警備に当たっていた軍隊により社会主義者10名が殺害され、16日には憲兵により大杉栄と伊藤野枝、大杉の甥が殺害された。市民・警察・軍部ともに例外的とは言い切れない規模で武力や暴力を行使したことがわかる。」
一方、採択率は微々たるものだが、「『つくる会』系教科書の先輩格」(鈴木)である明成社『最新日本史』の記載は次のとおり。「これでも検定を通るのかと驚く」(同)のレベル。
○小見出し「戦後恐慌と関東大震災」(縦書き)
「大正十二年(1923)九月一日、大地震が関東一円を襲い、京浜地帯は経済的には大打撃が受けた(関東大震災)。」
・注1「大震災による被害は、全壊一二万戸。全焼四十五万戸、死者・行方不明者十万数千人に及んだ。混乱の中、無政府主義者大杉栄と伊藤野枝が憲兵大尉甘粕正彦に殺害された。また、朝鮮人に不穏な動きがあるとする流言に影響された自警団による朝鮮人殺傷事件が頻発した。その一方、朝鮮人を保護した民間人や警察官もいた。また、政府は戒厳令を布き事態の収拾に当たった。」
心ある高校生には、教科書から一歩踏み出して、せめて吉村昭「関東大震災」に目を通してもらいたいと願う。決して心地よいことではないが、勇気をもって歴史と向かいあうことの必要性が理解できるのではないだろうか。
(2014年9月1日)
学生時代の友人である須田育邦君からお誘いを受けた。
「私の出版発表会を兼ねた、日中交流会へご参加ください。ここは日中友好人士の慰労会のようなところで、国家間の厳しい対決とは無関係です」
古稀を迎えた須田君の処女出版発表会となれば参加せずばなるまい。しかもその書物のタイトルがズバリ「戦争と平和」なのだ。副題が「徐福伝説で見直す東アジアの歴史」と付けられている。壮大な歴史観・文明観が語られており、それには賛否の留保があっても、彼の平和愛好者としての姿勢に評価を惜しむべきではない。日中の友好、東アジアの安定を望む立ち場からの提言がなされている。
最近の彼の生活は7割が上海で暮らし、3割が埼玉だそうだ。日中間の往来の中で、両国の愚かな政治による、日中民衆間の友好意識の冷却化の無念を肌身に感じて、この書物を著したという。
彼は、自分の著書の歴史的意味を堂々と語った。過日の台風のあとに美しい虹が出たように、今日中関係の嵐はやがて晴れて、美しい虹をつくるだろう。私の著書がそのために役立つ、というスピーチ。ああいう風に語れるように真似をしてみたい。
私にとっては馴染みのない雰囲気の日中交流会。在日中国人と中国ビジネスに携わっている日本人との名刺交換会のようなもの。なるほど、中小業者はこのような会合で人脈を掴み、ビジネスチャンスをゲットするのだ。
主催者挨拶のあと、「人民日報・日本週刊版」の副社長氏が日本語でスピーチをした。「私の日本語はボロボロ」などと言いながら、さすがにみごとな演説。
「今、政治的に日中関係は最悪の事態ですが、これは飽くまで一時的なこと。やがて、友好関係は必ず回復します。政治的な関係が悪くても、経済や民間交流の発展はできるはずですし、推し進めなければなりません」「政治がどうであれ、中国の人々の日本製品に対する信頼はとても厚い。ぜひ、中国との取引に熱意をもっていただきたい」「中国進出企業が、全て順調というわけではない。順調なのは3分の1、なんとかやっているのが3分の1。そしてあとの3分の1が見込み違いだったと思っている、と言われています」「順調でない企業の原因は、決して政治や経済の状況が悪化したからではなく、中国流のビジネスへの適合が不十分だからと思われます。ぜひとも、適切なアドバイスを得てそのあたりを心得ていただきたい」
私も、ごく短く、「平和・友好関係を築くためには、なによりも民衆の直接の接触が大切で、経済・文化・情報・人間の交流の活発化が大切。これあれば、政治の思惑を圧して安定した友好関係が保たれる。政治外交関係が悪化しても、平和を維持する力となる」との趣旨を語った。
会合の合間に日本版・人民日報の見本紙が配布された。たまたま私に配布された号を見ておどろいた。一面トップの大見出しが、「高円宮妃久子殿下ご来臨 承子女王も」というのだ。なんのことはない。東京ドームでの世界蘭展の紹介記事。取り立てて中国と関係がある展覧会ではない。なぜ、この展覧会がトップの扱いで、しかもなぜ皇族が見出しに踊るのか。
ほどなく、「人民日報副社長氏」が名刺交換にやってきた。どうしても一言発せずにはおられない。
「私は、かつては中国革命に心惹かれた世代で、『人民中国』を定期講読していたこともある。中国共産党に幻滅を味わった今も、対中・対韓関係での日本政府の歴史認識はおかしいと声を上げ続けている。天皇や皇族の戦争責任をうやむやにしてはならないとの思いは強い。ところが、人民日報が、なんのこだわりもなく皇族礼賛に等しい紙面をつくっているのを見るのは悲しい。日本人に対する配慮でそのような紙面をつくっているとすれば考え直した方がよい。靖国や歴史認識問題を真面目に考え、日中友好を願う人々を失望させることのないように、お願いしたい」
(2014年7月12日)