澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

皇太子は、今もなお、「いとけなき 吾子の笑まひに」いやされているだろうか。

最近、散歩コース新開拓の意欲はない。昨日も今日も、不忍池をゆっくりとまわった。はや春の萌し。風はなく、雲一つない青空。幼い子どもたちが、はしゃぎながら駆け回っている。外国人観光客のいくつもの言語が耳に心地よい。

梅が咲き始めた。福寿草も咲いている。マンサクも満開。雪割草が美しい。水鳥も草木ものんびりとしている。平和な風景。

走っている人がいる。達者にバラライカを爪弾く人がいる。句作に没頭している人がいる。そして、野鳥の会が水鳥の説明をしている。

あれがアオサギです。ちょっと見えにくいですが、鶴くらいの大きさ。ここでは、ダイサギ・チュウサギ・コサギも見ることができますよ。

アオサギ。きれいですね。最近は、増えているんですか。減っているんですか。

実は、郊外の鷺山が開発でつぶされたのですが、結構都心で増えているようなんです。昔は、鳥は食糧としてねらわれましたが、今の時代、野鳥を食べようという人もいませんからね。平和が何より。

ホントにそのとおりですね。安倍改憲に反対して、平和憲法を守らなくては。

そうです。そうです。

噴水広場には、なにかのイベントで人が集まっている。鬼に扮した人が、風船芸をやっていた。器用に、金棒や鬼の面やらを風船でつくっている。そういえば、今日は節分。子どもたちか、「鬼は外」とやっていた。

本日は盛大に、アベは外」とまいりたい。安倍辞めろ」「アベ退陣」「アベ出てけ。安倍がいなくなれば、当面「福は内」「国は平和」なのだ。

ところで、五條神社境内の掲示板に、月替わりで、「生命の言葉」が掲げられている。「神社は心のふるさと 未来に受け継ごう 「美(うるわ)しい国ぶり」」とある。神社が「美しい国ぶり」などという言葉をいつころから使い出したのだろうか。

この毎月の「生命の言葉」は、東京都神社庁が作成して配布し、傘下の各神社が掲示しているもの。 今月の「言葉」は、皇太子(徳仁)の歌。

皇太子 徳仁親王殿下

 いとけなき 吾子の笑まひに
 いやされつ 子らの安けき
 世をねがふなり

13年前、2006年の歌会始に、「笑み」の題で詠んだ歌とのこと。
文意明瞭となるよう、二行に書き分ければ、
 いとけなき 吾子の笑まひに いやされつ
 子らの安けき 世をねがふなり

1行目の「吾子」は自分の実の子で、二行目の「子ら」は子ども一般を指すのだろう。「自分の子どもの愛らしい微笑みに親として心癒されながら、自分の子だけでなく日本中の子らが、あるいは世界中の子らが、安心して暮らせる平和な世の中であって欲しい」という至極分かり易く、真っ当な内容。「世をねがふなり」は、少しエラそうな感じもするが、全体として好ましい印象を受ける。「吾子」が幼児であったこの頃には、この家族にとっての心落ちつく環境があったのだろう。

その皇太子(徳仁)は、もうすぐ天皇に就位する。そのことを意識して、東京都神社庁は今月の「言葉」に、この人の歌を取りあげたのだろう。さて、改めて思うのだ。この人、天皇となること、あるいは天皇にならざるを得ないことを、本心ではどのように思っているのだろうか。

私の尊敬する友人が、ごく最近、ある団体の通信にこんな文章を寄稿している。

私たちの憲法が、天皇を「国の象徴」「国民統合の象徴」で、「皇位は世襲」などと定めているために、私たち国民は、天皇をはじめ皇室の人たちの人権を、無茶苦茶に無視して、この70年を過ごしてきた…。…およそ、人間を「象徴」にしてしまうような憲法は、「象徴」にさせられた人間の基本的人権を蹂躙せずにはすまない。

皇太子は、13年前には「吾子の笑まひに いやされつ」と詠んだ。しかし、今そのような余裕ある心境ではなさそうだ。敬語を使いながらも意地の悪い、そして遠慮のない報道によれば、妻も、子も、そして自分自身も、押し潰されんばかりの重圧の下にあるという。しかし、今のところ、その境遇から逃れる術はない。非人間的な制度のために。
(2019年2月3日)

いまこそことある時なるぞ  死ぬるが臣下のほまれなり をゝしき大和心もて かたみに人の血を流し 獸の道に死ねよかし 

和歌のジャンルといえば、まずは相聞。そして挽歌。他には叙情・叙景歌。その他は傍流、釣りでいう外道の類。

紀貫之も、古今和歌集の序でこう言っている。

やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける。…生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の中をも和らげ、猛き武士の心をも慰むるは歌なり。

「猛き武士の心をも慰むるは歌なり」に同意する。これこそが、やまとうたの本流であり本領ではないか。ところがその正反対もあるのだ。戦意昂揚歌というトンデモ・ジャンル。今、国会でそれが問題となっている。

敷島の 大和心のをゝしさは ことある時ぞ あらはれにける

これは日露戦争の際に、ときの天皇(睦仁)が詠んだ歌とのこと。「ことある時」とは、大国ロシアとの戦争。臣なる民の命をかけた戦闘を、安全なところから、「大和心のをゝしさ」と、上から目線で督戦している歌である。

この戦意昂揚歌と対をなすのが、与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」の厭戦詩である。晶子は、旅順の弟の命を案じて、天皇にプロテストしている。

「すめらみことは、戰ひにおほみづからは出でまさね、かたみに人の血を流し、獸の道に死ねよとは、死ぬるを人のほまれとは、大みこゝろの深ければ もとよりいかで思されむ。」

晶子の怨嗟の詩のとおり、天皇は宮中で「大和心のをゝしさ」を嘉していた。いうまでもなく、「大和心のをゝしさ」とは、多くの兵士の死を意味する。

安倍晋三が、この歌を施政方針演説で引用した真意はどこにあるのだろうか。天皇・戦争・国家主義・帝国主義・国民統合のイメージは、普通なら避けたいところだ。しかし、彼が敢えてこんな歌を引用したのは、自分のコアな支持者への共感を意識してのことなのだろう。それは、不安と危機感を掻きたて、かつての「強い日本」への郷愁をアピールすることと重なる。

日露戦争は、朝鮮の覇権を争った帝国主義戦争だった。これに勝った日本は朝鮮の併合に至る。現在の日韓問題は日本が朝鮮を植民地化したことに起因する。創氏改名も、日本軍「慰安婦」問題も、徴用工問題も、在日差別も…、すべてが日露戦争から始まると言ってまちがいではない。

敢えて今、その日露戦争についての天皇の督戦歌。当然に韓国の民衆の感情を逆撫でするだろうし、日本の平和勢力をも刺激する。しかし、これであればこそ、右翼は大歓迎なのだ。たとえば産経。

「天皇陛下のもと、苦難乗り越えた日本人の強さ強調 平成最後の施政方針演説で首相」という見出しの記事。

「首相は、明治天皇の御製を引用した。大和魂は平時には見えにくくても、有事にはおのずと立ち現れる。大日本帝国憲法下の明治天皇と、現行憲法における象徴天皇で制度は異なるが、首相は近代以降、日本人が天皇陛下の下で結束し、幾多の試練を乗り越えてきた歴史を強調した。」

戦後の日本の言論空間は、少なくとも矜持のある新聞には、こんな論調を許して来なかったのではないか。恐るべし産経。恐るべし安倍晋三というしかない。

こんな人物に、憲法を取り扱わせてはならない。一日も早く安倍退陣の実現を。第198通常国会冒頭の改めての決意である。
(2019年1月29日)

宗教弾圧の手段とされた不敬罪 ― 天皇の神聖性を擁護するために

あれからもう40年以上も経っている。私が弁護士になって4年目か5年目ころのこと。どう呼び出されたか記憶にないが、東京弁護士会の談話室で、大阪の弁護士Iさんと面談した。

彼は、「実は、おしえおやが…」と切り出した。「おしえおや」とは、二人の間では説明不要だった。ある教団の教主が、刑事再審を請求したいと考えている。ついては受任の気持はないか、という打診だった。飽くまで打診で、依頼ということではなかったが。

I弁護士も私も、その教団が経営する私立高校の卒業生だった。彼の方が、一学年上だったが親しい間柄。彼は、文芸部の部長で私が部員という関係でもあった。大学時代には交流がなかったが、思いがけなくこの人と同じ23期司法修習生となって再会した。彼は、青年法律家協会の活動や、任官拒否を許さぬ修習生運動の良き理解者だった。修習終了後私は東京で弁護士登録し、彼は大阪弁護士会に所属して教団の法律事務を担当していたようだった。

その教団は、戦前天皇制政府から苛酷な大弾圧を受けて解散に追い込まれた歴史をもつ。相当数の幹部が治安維持法で検挙されたが、初代教祖とその長男の二代目教祖は、治安維持法違反ではなく、いずれも不敬罪で起訴された。初代は、判決以前に衰弱して亡くなり、二代目は有罪判決を受けて確定し下獄した。その後間もなく終戦を迎えGHQの指示によって解放された。このあたりの教団史のあらましは、高校の「宗教の時間」で教えられていた。特高警察や思想検事の取り調べの酷さなども、直接体験した教団幹部から聞かされていた。

戦後二代目は教団を再興し、当時相当の教勢となっていた。「教主(おしえおや)」となっていたこの人の「ご親講」は、高校生時代に何度となく拝聴した。さすがに、人を惹きつける魅力を持った人物だという印象。

I弁護士の話では、その教主が、「他の罪ならともかく、不敬の罪名を背負ったままでは、日本人として死ぬに死ねない」という思いを抱えているという。そこで「再審によって不敬の汚名を晴らしたい」との意向だというのだ。

I弁護士は、天皇制と闘うのだから、澤藤なら引き受けると考えていた様子だった。私は、考え込んだ。直ぐには返答できなかった。

一面、やってみようかと気持は動いた。事件としては面白い。弁護士としてやりがいがあるとは思った。法的な道筋は見えていなかったが、取り組むに値するし、歴史の発掘になるかも知れないとも思った。

しかし、ある程度のことを知っていただけに、躊躇の気持も強かった。この教団は、天皇制に抵抗して弾圧されたのではなく、天皇制に従順であったにもかかわらず、弾圧されたのだ。だから、教主の主張にいつわりのないことはそのとおりなのだが、そのことが引っかかった。

不敬罪は天皇や皇族に対して「不敬の行為」あったことが構成要件とされている。この教団の場合は、布教した教義の内容が「不敬」とされた。天皇制政府は、天皇を神聖なる存在として維持するために、天皇を天皇たらしめている神話と抵触する宗教教義の一切を認めず、弾圧した。その弾圧の手段の一つが不敬罪だった。にもかかわらず、弾圧された当人の希望は、「自分は天皇や皇室への不敬の気持はまったくなかった。むしろ、自分の皇室崇敬の気持ちの篤いことを訴えて、不敬罪の汚名を雪ぎたい」というのだ。天皇に弾圧された者が天皇への崇敬の念を強調しているこの奇妙。天皇制というものの異様な本質を見た思いだった。私には、皇室崇敬の気持など毛頭ない。はたして信頼関係を形成できるだろうか。私が適任と言えるだろうか。また、何より私が時間と情熱をかけて取り組む事件なのだろうか。

そして、当時30代初めの私には、あの宗教団体のリーダーを相手に、自分のペースを守りながらことを処理できる自信は到底なかった。

考えた末に、お断りした。そのときI弁護士には、「不敬罪は、今の世では汚名ではなく、むしろ勲章みたいなものじゃない。不名誉と思うことも、勲章返上の必要もないと思うよ」と、半分冗談、半分本音を言っている。

なお、私の父は、戦前からのその宗教の信仰者だった。戦後のあるとき、回心あって安定した職を捨ててこの教団の職員となった。このとき、母がよく同意したものと思う。当時4歳(か5歳になったばかり)だった私の意見は聞かれなかった。私も、Iさんも、このような教団職員の子弟として育っち、教団が経営する私立高校に入学したのだ。

Iさんは、弁護士となって教団の法律事務を担当することで、親孝行をしたはず。私は、高校卒業後、教団と無縁となっただけでなく、再審の打診も断って親不孝を重ねた。

天皇の代替わりが近づいて、天皇制とは何だろうかと考えることが多い。そのとき、真っ先に思い出すのがこの件。不敬罪というものの存在を、身近に感じた機会は他になかった。今にして思えば、I弁護士と一緒に、貴重な再審事件をやっておけばよかったと思っている。その結果がどうであったにせよ…。

再審請求がなされたとは聞かないうちに、あのときの「教主」は亡くなった。私の父も世を去り、I弁護士も早逝して今は世にない。往時茫々だが、象徴天皇制はいまだに健在で、あの当時から2回目となる天皇の代替わりを迎えようとしている。
(2019年1月28日)

元号を論じる「松尾貴史のちょっと違和感」に、ちょっと違和感。

毎日新聞日曜版に連載の「松尾貴史のちょっと違和感」。毎回楽しみに目を通している。「ちょっと違和感」とは、政権やこの社会の多数派の俗論へのプロテスト。「断固反対!」ではない「ちょっと違和感」というところがセンスのよさ。論旨明快で文章のリズムもイラストも立派なものだ。

しかし、いつも感心というわけは行かない。本日の「『平成』誕生の公文書公開延期 勝手に起点変えるインチキ」の記事には、「ちょっと違和感」を禁じ得ない。タイトルとなっている「公文書公開要件期間の起点を勝手に変えるインチキ」の指摘には同感で何の違和感もない。問題は元号というものに対する彼の感覚への「ちょっと違和感」である。

元号というものは、「不便・不合理・非効率」なものである。これは誰もが認めざるを得ないところ。時間的にも空間的にも通有性を欠く。グローバルの時代に普遍性がない。西暦との換算の必要は明らかに不要なコストである。元号の本家・中国はこんなものの使用を止めた。同じ分家スジの韓国・朝鮮も止めた。日本でも、かつて元号が廃れそうな時代があった。元号の自然消滅は間もなくかと思われたその時代に、危機感を募らせた右翼の運動が元号法の制定に成功して、この絶滅危惧種を永遠の消滅から救った。ひとえに、天皇制と元号との結び付きがあるからである。

かくも、「不便・不合理・非効率」な元号の使用が法的制度となり、事実上その使用が強制される理由は、天皇制の維持強化に関わっているからにほかならない。だから、国民主権や国民の主権者意識を大切に思う立場からは、元号とは天皇制維持の小道具として有害なものというほかない。松尾貴史氏には、この「有害性」の感覚がない。むしろ、新元号積極的受容の印象さえ受ける。そこが、「ちょっと違和感」なのだ。そもそも、「新元号の制定こそが、時間の起点を勝手に変えるインチキ」ではないか。天皇の都合での改元に大いに違和感あり、ではないか。

まず、書き出しの「巷(ちまた)では、『新元号は何になるのか』と持ちきりである。いや、誰かが情報を持っているわけではないので、持ちきりというほどでもないかもしれないが、とにかく多くの人が気になっているようだ。」は、本当だろうか。少なくとも私の周りでは、「この際、元号廃止になれば良い」「すっぱり元号使用を止める絶好のチャンス」「あらためて元号使用の強制はまっぴら」という声が強い。あるいは、「元号の変更、不便極まりない」「もったいぶるほどの改元か」という冷めた意見。

同氏の「昭和天皇が崩御し、次の元号が『平成』であると当時の小渕恵三官房長官が額装された新元号の書を示して発表した時の厳粛というか、改まったような感覚は訪れるのだろうか。そういう意味での小渕氏の雰囲気というのはなかなかに適任だったのではないか。」という書きぶりのセンスにも驚く。

いうまでもなく、新元号は新天皇の即位と結びついている。時の海部首相は、現天皇(明仁)の就任式(即位礼正殿の儀)で、高御座の天皇を仰ぎ見て、「テンノーヘイカ・バンザイ」とやった。天皇と臣下との関係を可視化して、国民に見せたのだ。もちろん、そうすることが、この国の国民を統御するに有効だとの思惑あっての喜劇である。これをも、同氏のセンスでは「厳粛というか、改まったような感覚」というのだろうか。きっと、安倍と菅もこの「テンノーヘイカ・バンザイ」をやる。海部だったから喜劇だが、安倍と菅だと救いようのない悲劇になる。

同氏の今日のコラムでは、新元号の予想に紙幅が費やされている。これは、安倍政権や官房長官の思惑へのお付き合い。安倍と菅を「不誠実の権化」と考えるセンスの持ち主であれば、新元号など関心をもたずに無視すべきなのだ。

実は、最近になって、みずほ銀行の通帳の表記が、いつの間にか西暦に変わっていることに気が付いた。こちらの方のセンスが良い。

同銀行のホームページを閲覧したところ、次の記事に出会った。

通帳の「お取引内容欄」を見やすくするため、新システム移行時に印字文言を一部変更しています。主な変更点は以下の通りです。
■お取引日付
通帳の取引年月日の表記を和暦から西暦へ変更しています。
なお、西暦は下2桁を表示しています。
(例えば、2018年11月30日の場合、18-11-30と表記)

みずほ銀行の藤原弘治頭取は、いま全銀協の会長である。
昨年5月17日その会長記者会見で、全銀協として改元にどう対応するかという質問に、彼はこう答えている。

全銀協の会長として銀行界の対応について申しあげれば、今、言われたような和暦を使用するような帳票、申込書、契約書、店頭のポスターやパンフレット、これらの差替えの事務やシステムを中心とした対応が出てくるが、これは元号が国民生活に広く浸透していることの表れだと思う。
 全銀協としても、旧元号が記載された手形や小切手の、改元以降の取扱いをどうしていくかなど、業界全体で決めることが望ましいルールについてもこれから検討していく。
 また、システム面でも、改元の対応に加えて、仮に即位の日である来年5月1日が祝日となった場合、前後を含めて10連休ということになり、その準備も必要になると思っている。全銀システムなど、業界インフラの対応をしっかり行い、会員各行への注意喚起を行うなど万全の対応をして参りたいと思う。

そつのない回答だが、「和暦・西暦の併用は面倒極まるがやむを得ない」と言っているように聞こえる。全銀協会長としては、そうは言いつつも、みずほ銀行では、西暦統一に踏み切ったわけだ。

これまでは、労金や城南信用金庫が西暦派として知られてきた。みずほの西暦派移行は、天皇の生前退位がもたらした、この社会の元号離れを象徴する出来事だろう。警察庁も運転免許証の有効期限表示について、原則を西暦表記とし、元号をかっこ書きとすると発表している。これは今年の3月以後、システム改修を終えた都道府県から順次実施されるという。

また、ある経済ニュースのサイトで、こんな記事を見つけた。「2019年4月30日を越えると、平成を使った和暦の表現が困難になる」ことから、5月期決算企業で財務諸表の日付を和暦から西暦使用に変更した上場企業があるという。

企業社会の合理性は、明らかに西暦使用を必要としている。これに、保守政権や国民の一定部分に根を下ろした権威主義が抵抗している構図だ。政権の思惑や天皇制への郷愁に無批判な議論には「ちょっと違和感」あって、どうしても一言せざるを得ない。
(2019年1月27日)

「おや、湯島の天神様、お久しぶり。」「どなたかと思えば、神田の明神様。ご無沙汰ですな。」 ― 神さまの井戸端会議

天神様は、いまが書き入れ時。さぞかしお忙しいことで。

いやいや、忙しいのは神職や売り子だけのこと。私が忙しいわけではございませんな。

さすがに入学試験の直前。合格祈願の人々が山をなしているじゃないですか。

それが、何しろこの人数でな。合格定員の何倍もの祈願者でして。お参りの全員を合格させるのは無理な話。いったい誰を合格させてやればよいのやら。

こんなのはどうでしょうかね。祈祷料の金額でランクをつける。各学校5人限定で100%合格コース100万円、確率75%合格コース50万円。50%コース5万円なんてね。

それは愚案ですな。途端に合格祈願と合格実績の相関関係の皆無がバレてしまう。

やっぱりね。実は、ウチも同じ悩みを抱えていましてね。ウチの初詣はもっぱら企業関係者。ライバル企業の両者が、絶対にあの会社には負けたくはない、という祈願。

それこそ、お賽銭の額で決めればよろしいのでは。私ら、所詮は資本主義の世の神や仏なのですからな。

商売繁盛と祈られても、経営にリスクは付きものですからね。皆を儲けさせることなどできるわけがない。

学業もそうですな。合格する者、落第する者。両者がくっり分かれるから、私らの商売が成り立つ。

それにしても、儲けたい、もっと儲けたいと言う人々の、ぎらぎらとした執念を見せつけられると、こちらのほうの身がすくむ。

明神様がそんな気弱なことを言ってはいけませんな。いつの世にも、人の欲しいものはカネでしょう。カネが儲かる御利益という需要を見つけた、商売お上手な明神様でしょうが。

いやあ、天神様こそ、学歴社会の入学試験難に目を付けて、あらたな御利益を見つけ出した大したヤリ手じゃないですか。

ほかに人が望むものは、長寿に無病息災でしょうかな。それに、家内安全と良縁・安産。このあたりが、神仏需要の古典的な王道。

最近では、交通安全に当選祈願。過労死退散、パワハラ・セクハラの厄除け、痴漢冤罪退散祈願まであるそうですがね。ニッチの神さま連中も相当なもの。

人の世の不幸がある限り、神や仏にすがろうという庶民の願いはなくなりませんな。その点、私らの商売、しばらくは安泰ということ。

同感ですな。安倍晋三政権が続いてくれることは心強い。経済格差を拡大して多くの人を不幸にしてくれているのだから。安倍さんありがとうだ。

いいや、とんでもない。安倍晋三ありがたくなんかない。私ら平和産業だ。何より平和あっての庶民の願いではないか。わたしゃ9条改憲絶対反対じゃ。

ウチは、その点チト難しくてね。軍事産業関係者の参詣だってないわけじゃない。もともとワタシ自身が武士の頭領だったしね。文人の天神様とは、すこうし違うのかも。

最近は、初詣の参詣者に呼びかけて、神社が憲法改正に賛成の署名運動をやっているところもあるとか。古来神社は平和を願うところ。自衛隊を憲法に書き込めなどとは、世も末じゃ。

さて、本当に古来神社は平和を願うところだったのでしょうかね。戦勝祈願だの怨敵退散祈祷だの、結構ヤバイことお願いされた記憶はございませんか。神社とは、敵と味方をきちんと分けて、徹底して味方の利益ばかりを祈ってきましたでしょ。

ふーむ。もともとが神社とは産土の神を祀る場としてつくられたという。地域共同体の利益を守ることが神社の第一義だった。だから敵味方峻別主義という側面は当然といえば当然。世情次第で、地域コミュニティ・ファースト主義は、戦勝祈願にも、怨敵退散祈祷にもなる。しかし、それは神社に罪があるのではなく、世に戦乱があるからのことで、やむを得んじゃろ。

そうはおっしゃいますがね。そこに付け込まれての国家神道だったんじゃありませんか。地域コミュニティ・ファースト主義は、すんなりと「日本民族ファースト主義」、「大日本帝国ファースト主義」に置き換えられたのでしょう。神社には、そういう素地があったのですよ。

とはいえね、神社と言っても一色ではない。民間信仰の神社と官製神社とは大違いだ。私もあなたも、社格はたかが府社だ。庶民の信仰が支えで、天皇制権力との結びつきは希薄だから、自由にものが言える。しかし、伊勢神宮だの、靖国神社だの、明治神宮ともなれば、出自が天皇家と関わるのだから、完全に体制派。アチラは安倍改憲バンザイなんだろうね。

その体制派神社。初詣にしても、結婚式らの副業にしても、けっこう繁盛のご様子。昨年が明治維新150周年。今年は、天皇の代替わり。なにかと、官製神社が話題となって、こっちの商売への影響を心配しなけりゃなりませんな。

まことにそのとおり。官製神社の民業圧迫はいけません。首相や閣僚の靖国神社参拝も、伊勢詣りも、ありゃ憲法違反でしょうが。

憲法違反でも政教分離いはんでも、隙あらばやってしまおうというのが、安倍の安倍たる所以。ことしは、大嘗祭やら代替わりの儀式やらが目白押しでしょう。何とかならんものでしょうかね。

裁判所の利用も難しいようだし、マスコミも頼りない。結局は神頼みしか残されていないようでね。

ああ、嘆かわしい。神さま、なんとかなりませんか。この世には、カミもホトケもないのでしょうか。
(2019年1月22日)

徴兵検査のない成人を迎えた若者に訴える。ぜひ主権者として、平和憲法擁護の自覚を。

本日(1月14日)は「成人の日」。数少ない、天皇制とは無縁の、戦後に生まれた祝日。「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」日(祝日法)とされている。関東は天気も晴朗。「みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」にふさわしい日となった。私も、この日に、若者諸君に祝意と励ましの言葉を贈りたい。

何をもって「成人」であることを自覚するかは、社会によって時代によって異なる。かつての日本では徴兵検査だった。その時代、すべての成人男子には否応なく兵役の義務が課せられた。男子にとって大人になるとは、天皇の赤子として、天皇の軍隊の兵士になる義務を負うことだった。軍人勅諭を暗唱し、行軍と殺人の訓練を受けた。戦地に送られ、命じられるままの殺戮を余儀なくもされた。

その時代、主権は天皇にあって国民にはなかった。立法権も天皇に属し、帝国議会は立法の協賛機関に過ぎなかった。女子には、その選挙権も被選挙権もなかった。その時代、天皇制を支えた家制度において女性は徹底的に差別され、民事的に「妻は無能力者」とされていた。

あり得ないことに、天皇は神を自称していた。もちろん、神なる天皇は操り人形に過ぎなかった。この天皇を操って権力や富をほしいままにした連中があって、その末裔が今の日本の保守政治の主流となっている。

天皇、戦争、女性差別は一体のものだった。そのような非合理な国は亡ぶべくして亡びた。国の再生の原理は、新しい憲法に確固として記載された。国民主権、平和、そして自由と平等である。徴兵制はなくなった。天皇に対する批判の言論も自由である。女性差別もなくなった…はずである。その憲法の「改正」をめぐって、いませめぎ合いが続いている。

平和も、国民主権も、性差のない平等も、言論の自由も、昔からあったものではない。これからずっと続く保障もない。現実に、憲法は一貫して「改悪」の攻撃に曝されている。徴兵検査のない成人式も、主権者の意識的な努力なければ、今後どうなるか定かではない。

私たち戦後間もなくの時代に育った世代は、日本国憲法の理念を積極的に受容して、今日までこの憲法を守り抜いてきた。しかし、この憲法をよりよい方向に進歩させることは今日までできていない。いま、せめぎ合っているのは、憲法を進歩させようという改正問題についてのことではない。大日本帝国憲法時代の「富国強兵」の理念を復活させようという勢力が力を盛り返そうとしているのだ。言わば、「成人男子には徴兵検査を」という時代への方向性をもった「憲法改悪」なのである。

今の若者は保守化していると言う言葉をよく聞く。しかし、今のままでよいじゃないかというほどの社会はできていない。今のままでは将来が不安だと若者たちも気付いているはずだ。

この世の不正義、この世の不平等、権力や資本の横暴、人権の侵害、平和の蹂躙、核の恐怖、原発再稼働の理不尽、沖縄への圧迫。格差貧困の拡大、過労死、パワハラ、セクハラ…。この世の現実は理想にほど遠い。若さとは、この現実を変えて理想に近づけようという変革の意志のことではないか。

若さとは将来という意味でもある。社会がよりよくなればその利益は君たちが享受することになる。反対に社会が今より悪くなればその不利益は君たちが甘受しなければならない。

君たちには多様な可能性が開けている。未来は、君たちのものだ。君たち自身の力で、未来を変えることができる。これから長く君たちが生きていくことになるこの社会をよりよく変えていくのは君たちだ。

さて、今年は、選挙の年だ。君たちの一票が、この国の命運を決める。とりわけ7月に予定の参院選。いまは、自・公・維・希の改憲勢力が、かろうじて議席の3分の2を占めている。この3分の2の砦を突き崩せば、安倍改憲の策動は阻止することができる。君たちの肩に、主権者としての責任が重くのしかかっている。

投票日だけの主権者であってはならない。常に、主権者としての自覚をもって、民主主義や人権・平和のために何ができるかを考える人であって欲しいと思う。

一つ、主権者としての自覚における行動を提案したい。DHCという、サプリメントや化粧品を販売している企業をご存知だろうか。その製品を一切購入しない運動に参加して欲しい。商品の積極的不買運動、ボイコットでこの企業に反省を迫ろうというのだ。

DHCとは、デマとヘイトとスラップをこととする三拍子揃った企業。その会長である吉田嘉明が在日や沖縄に関する差別意識に凝り固まった人物。電波メディアを使って、デマとヘイトの放送を続けている。そして、吉田嘉明とDHCは、自分を批判する言論に対するスラップ(言論抑圧を動機とする高額損害賠償訴訟)濫発の常習者でもある。詳しくは、当ブログの下記URLを開いて、「DHCスラップ訴訟を許さない」シリーズをお読みいただきたい。
https://article9.jp/wordpress/?cat=12

あなたがなんとなくDHC製品を買うことが、デマとヘイトとスラップを蔓延させることになる。あなたの貴重なお金の一部が、この社会における在日差別の感情を煽り、沖縄の基地反対闘争を貶める。また、安倍改憲の旗振りに寄与することにもなる。

言論の自由を圧迫するスラップ訴訟は、経済合理性を考えればあり得ない。しかし、DHCの売り上げの一部が、こんな訴訟を引き受ける弁護士の報酬にまわることにもなる。

DHC製品不買は、「消費者主権」にもとづく法的に何の問題もない行動。意識的にDHC製品を購入しないだけで、この社会からデマとヘイトとスラップをなくすることができる。若者たちに訴える。ぜひ、主権者としての自覚のもと、「DHC製品私は買わない」「あなたも買っちゃダメ」と多くの人に呼びかけていただきたい。投票日だけの主権者ではない、自覚的な主権者の一人として。
(2019年1月14日)

総理大臣・安倍晋三の仕事始めは伊勢神宮参拝から

皆様、安倍晋三でございます。明けましておめでとうございます。
内閣総理大臣としての年頭記者会見に当たり、天皇陛下と皇族の方々、そして国民の皆様にも謹んで新年のご挨拶を申しあげます。

平成31年、平成最後となる新年の仕事始めとして、先ほど伊勢神宮を参拝し、皇室の弥栄と我が国の安寧、発展をお祈りいたしました。国民主権とは申しますが、なんといっても、我が国の国柄からすれば、国家あっての国民であり、皇室あっての国家ではありませんか。ことの順序として、まずは皇室の弥栄をお祈り申しあげ、次いで国家の安寧・発展を願った次第です。国民の幸せは、特に祈念いたしませんでしたが、それは皇室の弥栄と、国家の安寧・発展に付録としてくっいてくるものですから、安倍内閣が国民の福利を無視するものというような印象操作の発言は慎んでいただくようお願いいたします。

今年は、ほぼ200年ぶりに天皇の生前退位によって皇位継承が行われる歴史的な年であります。その年頭に、皇室の祖先神をお祀りされている伊勢神宮を参拝いたしますと、神鎮まりいます境内の凜とした空気に、いつにも増して身の引き締まる思いであります。

今年も、美しく強い国を取り戻すために、内閣総理大臣としてしっかりとことをなそうと決意を新たにした次第です。いうまでもなく、国の理想を語るものは憲法でございます。何よりも必要な喫緊の課題と憲法改正を位置づけなくてはなりません。皇室を戴く我が民族の歴史と文化にふさわしい憲法を実現しなければ、美しく強い国を取り戻すことはできないのです

しかし、皆さん。ご存じのとおり、この国には「美しく強い国を取り戻す」という自明な正しい目的を理解できない「あんな人々」が少なくありません。憲法改正を喫緊の課題と考えない、非国民同然の「あんな人々」に負けるわけにはいかないのです。

今年の干支にちなんで、改憲に猪突猛進とまいりたいところですが、「急いては事を仕損じる」ともいうではありませんか。いのししの動きは、自由自在。障害物があれば左右によけたり、ひらりとターンすることができる。意外と身のこなしがしなやかな動物だそうであります。私も本年は、いのししのようなスピード感としなやかさを兼ね備えながら、ときには寝たふりもして「あんな人々」を欺いて、憲法改正に邁進いたします。もとより、ウソとごまかしは、私の最も得意とするところですから、これを存分に駆使したい。亥年の年頭に当たって、そう決意しています。

ですから、街頭で日の丸や旭日旗を振る右翼の各位、匿名に隠れてヘイトを垂れ流すネトウヨの諸君、そして改憲陣営・歴史修正主義派、反中嫌韓の皆様には、現政権に相変わらぬ御理解と御支援を賜りますよう、よろしくお願いいたします。

さて、今年5月1日には皇太子殿下が御即位され、改元が行われます。新しい元号は、これまでは先帝の死後に新帝が決定し公表する慣わしとなってきました。しかし、今回もこれを貫こうとすれば、国民生活への多大な混乱が生じます。実は国民生活の混乱などは些事でどうでもよいことなのですが、大きな混乱を機に元号不使用の国民世論が爆発的に増えることが予想され、そのことが看過し得ません。

政治を与る者として痛感するのは、天皇制とは便利なものだということです。ナショナリズムの中核にあって、国民の統合を支え、何の根拠もなく国民の情緒的一体感をつくってくれる。天皇が被災地へ行って、被災者に慰めの言葉をかけてくれると、補償や復興の実現なくても政治の失敗に対する怨嗟の声が上がることを防止してくれる。対策を安上がりにすることもできるのです。

かつて、靖国神社について、その最大の存在理由は「最も安上がりな戦没将兵の遺族対策にある」と言われていたそうです。「もったいないことに、天皇陛下様が、戦死したウチの息子のためにお祈りしてくれる」という遺族臣民の心情あってこそ、戦没将兵の遺族補償を安価に切り捨てることができたのです。臨時大祭のたびに、時の天皇は必ず親拝されましたが、その経済効果は莫大なものであったわけであります。今の天皇陛下の被災地訪問も、同様の経済効果を有しているものとして、ありがたくてなりません。

そのように天皇制が機能するのも、国民が天皇制を支持している限りのことです。国民から冷たい目で見られる天皇、国民から見離された天皇制は、惨めな存在となるだけでなく、政権にとって何の利用価値もないものとならざるを得ません。存在の必然性を欠く天皇制を維持するのですから、あの手この手の工夫が必要ですが、その最大級の手立てが、元号です。年の数え方を天皇の在位に合わせて、いつもいつも国民に天皇の存在を意識させる優れものにほかなりません。

この元号を、国民生活に不便なものとすれば、一斉に国民の元号使用は遠のいてしまいます。それは象徴天皇制の危機であり、政権が便利な道具を失うことでもあるのです。だから、国民生活への影響を最小限に抑える観点から、即位に先立って4月1日に新元号を発表する考えです。「1か月前では遅すぎる。もっと早期に新元号の発表を」という声の強いことは承知しています。もちろん、元号廃止の声があることも。しかし、それでは、私の固有の支持基盤である保守層が納得しないのです。このあたりが、ぎりぎりのところ。私も苦しいのです。その辺のところをご了解ください。

なお、最後に申しあげますが、私の仕事始めは伊勢神宮参拝から、そして年頭記者会見はこの伊勢の地で行うことが、恒例でございます。これを、宗教団体や一部偏向した市民団体が、「政教分離に反する」「憲法違反だ」と抗議することも恒例となっています。彼らの主張は、こんなところです。戦前、国家と神道の癒着がもたらした国家神道なるものが、天皇を神とし、日本を神国とする誤った狂信をもたらした。その独善的な狂信が近隣諸国への侵略戦争や植民地主義の精神的土台ともなって、結局は国を滅ぼした。また、国民に筆舌に尽くしがたい惨禍をもたらした。だから、現行日本国憲法は、国家と宗教との間に厚く高い壁を築いて、再びの癒着を禁じた。それが政教分離だ、と。おそらく、それが正しいことだから、やっかいだとは思うのです。

しかし、皆さん、日本は皇室あっての日本ではありませんか。憲法あっての日本ではない。厳格に憲法を守ることで、皇室の尊厳を損なうようなことがあれば、憲法をこそ変えなければならないと考えるべきではありませんか。

それだけではありません。世論も近隣諸国も、私が靖国神社に参拝することには、大騒ぎで反対しますが、伊勢参拝に騒ぐのはごく一部の原理主義者だけではありませんか。確かに、靖国神社は、戦争に関わる軍国神社と言われればそのとおりです。しかし、この伊勢神宮の平和なたたずまいをご覧いただけば、靖国神社との違いは明白ではありませんか。

昭和天皇も、靖国神社については、次のような御製を遺しておられます。

 この年のこの日にもまた靖国の 宮しろのことにうれひはふかし

これは、昭和天皇が、靖国にA級戦犯が合祀されたことについて「うれひはふかし」とおっしゃったものとされています。昭和天皇も、靖国神社に参拝することには、大いに問題があるとお考えだった。しかし、伊勢神宮については、「うれひはふかし」と言ってはいません。それなら、なんの問題もありません。要するに、私は、反対の声が強くなければ憲法など歯牙にもかけないのです。

年頭に、内閣総理大臣が皇室の祖先神に詣でて、皇室の弥栄と国家の繁栄を祈る。万世一系連綿と皇統の続く単一民族の国家日本の歴史と文化に鑑みて当然のことではありませんか。これが違憲なら違憲で結構。今年も、日本国憲法よりは民族の歴史を重んじる姿勢を貫く決意を重ねて申しあげて、年頭のご挨拶といたします。
(2019年1月5日)

「天皇制と調和する民主主義」とは、まがい物の民主主義でしかない。

本日(1月3日)の各紙社説のうち、産経と毎日が天皇代替わりのテーマを取りあげている。極右路線で経営危機を乗り切ろうという産経の相変わらずの復古主義の論調には、今さら驚くこともない。言わば、「犬が人に噛みついた」程度のこと。仮に産経が国民主権原理から天皇を論じることになれば、「人が犬に噛みついた」大ニュースとして注目を集めることになるに違いないのだが。

産経主張の表題が、御代替わり 感謝と敬愛で寿ぎたい 皇統の男系継承確かなものにという時代がかった大袈裟なもの。産経はこれまでも「御代」「御代替わり」なる語彙をたびたび使用してきた。恐るべき時代錯誤の感覚である。そして恐るべき臣民根性の発露。

産経は、「天皇陛下が、皇太子殿下へ皇位を譲られる歴史的な年を迎えた。立憲君主である天皇の譲位は、日本の国と国民にとっての重要事である。」という。これはまさしく信仰の世界の呪文に過ぎない。天皇教という信仰を同じくする者の間でだけ通用する呪文。その信者以外には、まったく通じる言葉ではない。

天皇の代替わりとは、「天皇」という公務員職の担当者が交代するだけのこと。しかも何の国政に関する権能も持ってはならないとされている天皇の地位である。その地位にある者の交代が、「歴史的な」「重要事」ということは、日本国憲法の基本理念の理解を欠くことを表白するものにほかならない。

また、産経は、「長くお務めに精励されてきた上皇への感謝の念と、新しい天皇(第126代)への敬愛と期待の念を持ちながら、国民こぞって御代(みよ)替わりを寿(ことほ)ぎたい。」ともいう。

こういう、「感謝」「敬愛」「寿ぎたい」などの押しつけは、迷惑千万このうえない。このようなメディアの言説は、天皇にまつろわぬ人々を「非国民」として断罪した集団ヒステリーの時代を彷彿とさせる。

産経の論調の中で看過できないのは、「新天皇が国家国民の安寧や五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈る大嘗祭(だいじょうさい)を、天皇の私事とみなす議論が一部にある。これは「祈り」という天皇の本質を損なう考えといえる。大嘗祭が私事として行われたことは一度もない。」というくだり。

産経に限らず、「天皇の本質は『祈り』である」などと言ってはならない。それこそ、憲法が厳格に禁じたところなのだ。かつて天皇は、神の末裔であるとともに最高祭司でもあった。天子とは、天皇の宗教的権威に着目した呼称である。大日本帝国憲法は、天皇の宗教的権威を積極的に認めて、これを天皇主権の根拠とした。国民主権を宣言した日本国憲法は、天皇からいっさいの政治的権能を剥奪しただけでなく、その宗教的権威を認めてはならないことを明定した。それが政教分離の本質である。天皇は公に祈ってはならない。国民国家のために祈るなどは、天皇の越権行為であり、違憲行為なのだ。家内の行事として、私的に祈る以上のことをしてはならない。

毎日の社説には正直のところ驚いた。あらためて、「象徴天皇制の有害性恐るべし」の感を深くせざるを得ない。産経の主張は看過しても、毎日のこのような論調を看過してはならない。積極的批判の必要性を痛感する。

毎日社説の表題は、「次の扉へ ポスト平成の年に 象徴の意義を確かめ合う」というもの。天皇は国民が選挙によって選任する対象ではない。次の選挙で取り替えることも、弾劾裁判もリコールの制度もない。そのような天皇の存在に積極的な意味を与えてはならない。「象徴」とは、存在するだけで積極的な意味も内容もない地位を表しているに過ぎない。「平成からポスト平成へ」で何も変わることはないし、変わってはならない。「次の扉へ」などと、なにかが変わるような国民心理の誘導をしてはならない。

「戦後しばらくは、民主主義と天皇制との併存について疑問視する声が相当程度あった。だが、陛下は国民主権の憲法を重んじて行動し、天皇と国民の関係に、戦前の暗い記憶が影響を与えることのないよう努めた。平成は民主主義と天皇制が調和した時代といえる」

これが、毎日社説のメインテーマであり最も罪深い世論の誘導である。産経のような一見バカげた論調ではないだけに影響力を無視し得ない。

毎日は、次のように時代を区分して、天皇制と国民の関係を整理して見せた。
1 戦前 天皇制と国民との関係は暗い時代
2 戦後しばらく 民主主義と天皇制との併存が疑問視された時代
3 平成 民主主義と天皇制が調和した時代

しかも、毎日は、「天皇が戦前の暗い記憶が影響を与えることのないよう努めた」と評価する。

私には、「民主主義と天皇制」とは対立し矛盾するのみで、その両者が調和することは到底あり得ないと思われる。ましてや能動的に行動する象徴天皇においてをや、である。民主主義とは、自立した主権者の存在があってなり立つ政治制度ではないか。天皇の存在は、主権者の自立の精神を阻害する最大の敵対物にほかならない。

主権者の精神的自立を直接妨げるものが権威主義である。権威を批判しこれに逆らう生き方は困難であり、安易に権威を認めて権威に寄り掛かることこそが安楽な生き方である。したがって権威の存在する社会では個人の精神的自立が容易ではない。天皇の存在自体が権威であって、天皇を受容する精神が権威主義そのものである。天皇とは、この社会において敬語の使用が強制され、天皇への批判が封じられる。そのような天皇という権威の存在は、民主主義にとって一利もなく、百害あるのみと言わねばならない。「天皇制と調和する民主主義」とは、まがい物の民主主義でしかない。
(2019年1月3日)

2019年を「アベ改憲阻止の年」に

あらたまの年のはじめ。2019年の元日に、それらしいことを書き留めておきたい。

まずは、今年の願い。何よりも、今年を「アベ改憲阻止の年」としたい。改憲勢力の側からすれば、「改憲断念を余儀なくされる年」。改憲派にとっては、「アベのいるうち、改憲派が両院ともに3分の2の議席あるうち」が、千載一遇の改憲のチャンスなのだ。「アベを降ろす」か、衆参どちらかの議院で自・公・維の合計議席数を3分の2以下にすれば、改憲を阻止できる。その展望は大いに開けている。

アベ晋三の総裁任期は2021年秋までではあるが、選挙の顔として使えなくなれば、冷酷に取り替えられることになろう。一強政治の驕慢に対する国民的批判は大きなうねりになっている。未解明のままくすぶっているモリ・カケ両事件で露呈された、アベ政権の政治私物化や隠蔽の体質、説明すっとばし手法への批判は抜きがたい。「信なくば立たず」の信が決定的に欠けているのだ。また、新自由主義の基本政策に大きな破綻が見えつつある。露骨な軍事力増強路線への危惧も拡がっている。アベが政権にしがみついたにしても、改憲どころではなくなりつつある。もうすぐレームダック化という様相ではないか。

今年7月の参院選が、当面の決戦のとき。これで市民運動が結節点となった立憲野党共闘が勝てれば、勝負あったとなる。その成否は、各選挙区ごとでの野党共闘ができるか否か、それを通じての政権打倒の雰囲気を作れるかにかかっている。また、その前哨戦としての4月の統一地方選挙の取り組みと結果が、参院選に大きく影響する。年明け早々からの野党共闘の具体化に目が離せない。

防衛大綱論議で年を越したが、2019年は、「3・1朝鮮独立運動」「5・4運動」から100周年の年である。3・1の直前に、日本での「2・8独立宣言」もあった。中国や北朝鮮・韓国との軋轢を語るよりは、日朝・日中関係の歴史を繙く年になる。歴史修正主義者の跳梁と、中国・朝鮮脅威論とが結びついている。この動きと対峙しなければならない。

そして、今年は天皇の生前退位と次期天皇の就位の年でもある。国民主権を支えるものは、国民の主権者意識の確立である。天皇主権から脱して国民主権を獲得した日本国民が、天皇の言葉をありがたがってどうする。国民意識は天皇の言動に影響されてはならないし、天皇の言動に影響されるようなヤワな主権者意識であってはならない。

そもそも、「天皇の象徴としての行為」など認めてはならない。その肥大化に努めた現天皇(明仁)の越権への批判が必要なのだ。そして、臣民根性の抜けきらない人々を政治的に利用しようという支配層の思惑を糺弾し続けなくてはならない。その上で、今年4月1日に発表されるという新元号を使用しないことを心がけるとともに、使用強制に反対を貫ぬきたい。

なお、今年の10月、消費増税が予定されている。8%を10%に、である。今、世論調査では、増税に反対が上回っている。それでは財政か逼迫する? バカげた話しだ。金持ちから、大企業から、応分に取ればよいだけのことではないか。あるいは、「いずも」だのF35Bだの、あるいはイージスアショアだの、無駄な軍事費を削ればよい。庶民増税で金持ち減税、福祉を削って軍事費拡大、では本末転倒も甚だしい。今年は、経済政策や財政問題を避けて通れない年になる。

ところで、元日は目出度いだろうか。どのように目出度いのだろうか。こどもの頃、小学唱歌『一月一日』を唱った。この印象が強い。実はこれ、1893(明治26)年に文部省が「小学校祝日大祭日歌詞並楽譜」の中で発表されたもの。作詞者は千家尊福(出雲国造)である。

 年の始めの 例とて
 終なき世の めでたさを
 松竹たてて 門ごとに
 祝う今日こそ 楽しけれ

私のこどものころは、既にこの1番だけだった。誰からも歌詞の意味や由来などは教えられなかった。漠然とだが、「終なき世」とは、戦争や原爆でこの世が終わることなく平和が続いていくこと、だと思っていた。だから、毎年の始めに平和を祝い、平和を願うのだと思い込んでいた。私が、戦後の広島で小学1年生になったからなのかも知れない。

しかし、原意はまったくそうではない。この歌、天皇の御代の頌歌なのだ。「終なき世」とは、「天壌無窮の天皇の世」のことである。この歌には2番がある。千家が作詞したのは次の歌詞だった。

 初日のひかり 明らけく
 治る御代の 今朝のそら
 君がみかげに 比えつつ
 仰ぎ見るこそ 尊とけれ

「明」と「治」とを読み込んだ明治の御代讃歌。読みようによっては、明治天皇(睦仁)へのへつらい歌。これだと「君がみかげ」の「君」は、万世一系の個性のない天皇ではなく、当代の睦仁を指すことになろう。それあってか、睦仁死後間もなく2番の歌詞が変えられ、敗戦まで次のように唱われた。

 初日のひかり さしいでて
 四方に輝く 今朝のそら
 君がみかげに 比えつつ
 仰ぎ見るこそ 尊とけれ

新年も、初日も、ひかりも、輝く空も、何もかも天皇の姿のごとくに尊いという。そんな歌を唱わされた時代だったのだ。一天四海の天地万物・森羅万象すべてが、天皇の御稜威に結びつけられた奇妙奇天烈な時代。しかも、そんな歌を唱わされたことに対する批判の自覚は国民殆どになかった。今にして恐るべき時代というべきではないか。敗戦で本当にそんな時代は、過去のものとして清算され終わたのか。実は、曖昧に連続しているのではないか。その時代と現在の関係は、「断絶」なのか「連続」なのか。常に問い続けなければならない。

同じ敗戦国ながら、ドイツはナチスの時代を徹底して反省し責任を追及することで、「断絶」に成功しているように見える。日本は、自らの手で戦争責任を追求しなかった。天皇の責任も不問に付され、「連続」の色彩が濃い。その「断絶」と「連続」の対照を象徴的に視覚化しているものが、ハーケンクロイツと日の丸の取り扱いの差異である。

日本では、その「連続」の部分から改憲指向が芽生えている。天皇の元首化、秩序偏重、ナショナリズム、軍事大国化、個人の尊厳の軽視…。憲法を尊重することは、明文改憲を阻止するだけのことではない。大日本帝国憲法と日本国憲法との「断絶」を意識し、復古を許さぬことなのだ。

天皇代替わりの年の元日に、改めてそう思う。
(2019年1月1日・連続更新2102日)

原敬とアベ晋三、100年間の進歩はあったか。

昨日(12月27日)は盛岡だった。少し時間に余裕があったので、原敬記念館に足を運んでみた。初めての見学。年末だからであろうか、閑散として見学者は他になかった。

館自身の案内はこうなっている。

 「大正時代に平民宰相として活躍した原敬(はらたかし)の生家に隣接して建設された記念館です。
 原敬はわが国最初の本格的政党内閣を実現し民主政治の確立に命をかけて活躍しました。記念館には、原敬の業績をたたえ政界の貴重な資料や原敬日記(はらけいにっき)、遭難時の衣服、遺品、遺墨等を展示しています。」

 郷土の有名人を顕彰したいという気持はよくわかる。できるだけ偉人として讃えたいのだ。そのキャッチフレーズが、終生爵位を受けなかったところからの「平民宰相」だ。が、「民主政治の確立に命をかけて活躍し」は本当だろうか。さて、讃えるほどの業績として、いったい何があるのだろうか。

盛岡出身の私だが、地元に原敬人気というものを感じたことはない。盛岡ゆかりの人として啄木や賢治を熱く語る人は無数にいる。しかし、「原敬を慕う」「尊敬する」などという風変わりな人物の存在は寡聞にして知らない。むしろ、「利益誘導型保守政治家の原型」「徹底して普通選挙に反対した宰相」というイメージが強い。アベ政治の原型を作った政治家と言ってもおかしくはない。展示物の中には、「民衆からの人気はない」という辛口の記事もあった。

記念館のリーフレットにある原についての解説は次のとおりである。

安政3年(1856)に生まれる。15歳の時、戊辰戦争の敗戦の屈辱を心に秘めて上京し勉学に励んだ。新聞記者を経て主として外務省を中心に明治政府の役人となり、井上馨や陸奥宗光にその才能を認められて活躍し外務次官にまで昇進した。
 明治30年(1897)外務省を退官して再び言論界に戻り、大阪毎日新聞社長として論説及び経営に腕を振るった。明治33年立憲政友会の創設に関わり、政治家の道に入って、明治憲法のもとで政党政治の確立につとめた。明治35年、衆議院議員に立候補して以来故郷の盛岡より連続8回当選し、また中央政界では立憲政友会の幹事長から総裁となり、大正7年(1918)9月首相となった。
 新聞社時代には署名論文に筆をとる一方、数々の著書を残した。
 満19歳から、65歳の兇刃に倒れた当日までの記録「原敬日記」83冊は、学術上の貴重な文献となっている。
 趣味として俳句をたしなみ、「一山」や「逸山」の号でその時々の心境を託したすぐれた作品が数多く残されている。

「勉学に励んだ」「役人となり活躍」「外務次官にまで昇進」「新聞社長として腕を振るった」「政党政治の確立につとめた」「数々の著書を残した」「『原敬日記』は、学術上の貴重な文献」が、褒め言葉なのだろうが、具体的に何をしたのかさっぱり分からない。丹念に展示品を見て回ったがやっぱり分からない。

分かったことは、ちょうど100年前の1918年に原敬が初めて本格的な政党内閣を組織したこと。1921年に彼は暗殺され、早くも政党政治は揺らぐ。そして、政党内閣時代は1932年の5・15事件で終焉を迎える。わずかに15年たらずのこと。

本日になって、ネットで検索をしてみた。ウィキペディアが肯ける内容の解説をしている。興味深いところだけを引用しておきたい。

原は政友会の結党前と直後の2度、貴族院議員になろうとして井上(馨)に推薦を要請している。…また、爵位授与に関しても実はこの時期に何度か働きかけを行っていた事実も明らかになっている(原自身が「平民政治家」を意識して行動するようになり、爵位辞退を一貫して表明するようになるのは、原が政友会幹部として自信を深めていった明治末期以後である)。

この人、ジャーナリスティックな感覚に優れていたのだろう。「平民宰相」のネーミングを有効に活用したのだ。しかし、「平民」は彼にとってそれ以上のものではなかったようだ。所詮は無産階級や無産政党とは異世界に住み、実のところ、「ポーズだけの平民政治家」「普通選挙に反対しとおした平民宰相」であった。

また、つぎの一文が目についた。

首相就任前の民衆の原への期待は大きいものだったが、就任後の積極政策とされるもののうち、ほとんどが政商、財閥向けのものであった。また、度重なる疑獄事件の発生や民衆の大望である普通選挙法の施行に否定的であったことなど、就任前後の評価は少なからず差がある。普通選挙法の施行は、憲政会を率いた加藤高明内閣を待つこととなる。

100年後のアベ政権はこうなるだろうか。

首相就任前の安倍への期待は右翼や改憲勢力や歴史修正主義者において大きく、国民の大半は民主党政権への失望からの消極的支持に過ぎなかった。就任後の積極政策とされるもののうち、ほとんどが大企業や金持ち階級、そして歴史修正主義派向けのものであった。また、森友事件や加計学園問題など、度重なる政治の私物化事件の発生や、公文書の隠匿・捏造・改竄を特徴として、民意の失望を招いた。さらに、立憲主義を理解することなく、首相自らが明文改憲を提唱し、解釈の変更による壊憲に奔走して、平和と民主主義の衰退をきたす元凶と指弾された。

この100年、議会制民主主義に進歩はあるのだろうか。そして、アベ政治後の議会制民主主義の危機を心配しなくてもよいのだろうか。

ところで、同館のリーフに、みごとな筆の「遺墨」が掲載されている。盛岡での戊辰戦争殉難50周年慰霊祭のあとの書だという。

  焚く香の煙のみだれや秋の風

という句に添え書きがあり、「余は、戊辰戦争は政見の異同のみ、誰か朝廷に弓をひく者あらんやと云って、その冤を雪げり」と読める。

「冤を雪ぐ」(えんをそそぐ)は、「冤罪」を晴らして無実を明らかにすること。賊軍とされた南部藩の死者について、「官軍側と政治的見解の相違はあったが、どこにも天皇に刃向かう者などいるはずはない」と弁護してその無実を晴らした、という一文。

時代の制約と言えばそれまでだが、この人どっぷりと天皇制に浸りきった生涯を送った。それが、安全な時代だった。今の時代には恥ずかしい天皇を敬する歌や句を遺している。たとえば次のような。

  大君の御面にかへて御かたみを 年のはじめにをがみつるかな

  はれ衣着て御幸拝むや秋日和

同じくフランス語とフランス文化を学びながら、中江兆民と原敬との天と地ほどの落差はどこからきたのだろうか。肝に銘じたい。原敬なる勿れ、中江兆民たれと。

それでも、議会制民主主義にもとづく政党政治は大切だ。薩長藩閥政治よりも、軍閥政治よりも、よっぽどマシなのだ。今、原敬とアベ晋三とを比較して、この100年間の進歩のなさを確認しなければならないことが哀しい。
(2018年12月28日・連続更新2098日)

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