澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「知らなかったから問題ない」では済まされないー安倍「疑惑内閣」は出直せ。

政治とカネについて疑惑が浮上すると、必ずこう繰り返されてきた。「些細なミス、訂正すれば済むことだ」「法的には問題ないが道義的責任を感じて辞任する」「疑惑を指摘されたカネは直ぐに返還したから、もう問題はない」。それで済まされたのでは民主主義が泣く。今国会で、もう一つのフレーズが付け加えられた。首相自身の言葉としてである。

「知っていたかどうかが重要な要件で、知らなかったから問題ない」というものだ。えっ? 我が耳を疑った。政治家がそんなことを言って開き直ってよいのか。ましてや疑惑の元締である安倍首相がそんなことを言って、批判の矢ぶすまにならないでおられるのか。この国はそれほど生温いのか。権力者に寛大なのか。信じがたい。

西川公也農相の辞任直後に、下村博文文科相の疑惑が浮上した。政治団体の無届け、そして無届け政治団体を通じてのヤミ献金の疑いである。しかも、政治資金規正法違反の疑惑だけでなく、政治資金収支報告書の記載から見えてくる「闇の勢力との黒い交際疑惑」などのスキャンダルが「教育行政をつかさどる責任者として、明らかに不適格」なのだ。しかし、ドミノ倒しになっては政権がもたないとばかりの必死の抵抗を続けている。

ところが、下村だけでなく、さらに望月義夫環境相、上川陽子法相にも疑惑の火がついた。この両名は、いずれも、補助金受領者からの献金を禁じた公職選挙法に違反するというもの。国からの補助金受領者からの政治家への献金は、「補助金受領にお骨折りいただいたことへの謝礼」と見られかねない。見方によっては、キックバックともとらえられかねない。だから、政治とカネとの汚い疑惑を断ちきり、カネに左右されない政治への信頼をゆるがせにしないための制度なのだ。

望月・上川の両閣僚は、この信頼を裏切った。世間はこう考えざるを得ない。「やはり、政治家にカネを渡している企業に補助金が行くんだ」「補助金をもらった企業は、やはり政治家に金を渡してお礼をし、次もよろしくと挨拶するのだ」と。

だから、安倍首相は、望月・上川の両閣僚と一緒に、政治の廉潔性への信頼を汚してたことに対して、深謝しなければならない。ところが、反省の弁を述べるどころか開き直って発したのが、「本人は知らなかったのだから、責任がない」「指摘されてわかったから直ぐカネは返した」「これで何の問題もない」というのだ。

改めて、政治資金規正法第1条を掲げておきたい。安倍晋三も下村博文も望月義夫も、そして法務大臣の立場にある上川陽子も、よくこの条文をかみしめるべきである。

第1条(目的) この法律は、議会制民主政治の下における政党その他の政治団体の機能の重要性及び公職の候補者の責務の重要性にかんがみ、政治団体及び公職の候補者により行われる政治活動が国民の不断の監視と批判の下に行われるようにするため、政治団体の届出、政治団体に係る政治資金の収支の公開並びに政治団体及び公職の候補者に係る政治資金の授受の規正その他の措置を講ずることにより、政治活動の公明と公正を確保し、もつて民主政治の健全な発達に寄与することを目的とする。

望月・上川両名の責任は、「寄附の質的制限」違反であり、その根拠条文は以下のとおりである。

第23条の3
第1項 国から補助金交付の決定を受けた会社その他の法人は、当該給付金の交付の決定の通知を受けた日から同日後1年を経過する日までの間、政治活動に関する寄附をしてはならない。
第6項 何人も、第1項の規定に違反してされる寄附であることを知りながら、これを受けてはならない。

第1項が企業に対する献金禁止規定であり、第6項が政治家の側に対する献金受領禁止規定である。違反に対する制裁は、両者とも「3年以下の禁錮又は50万円以下の罰金」となっている。

確かに、政治家を処罰するためには、「第1項の規定に違反してされる寄附であることを知りながら」という要件の充足が必要である。しかし、何よりも、問題は政治家の行為が犯罪として成立するかどうかではない。先に引用した政治資金規正法の趣旨に明記されているとおり、「政治活動の公明と公正を確保するために」「国民の不断の監視と批判の下に行われ」ことを最重要とするのが法の趣旨である。政治家は、犯罪構成要件の充足如何を問題としてたれりとする次元であってはならない。政治に対する国民の信頼を傷つけたことを謙虚に反省し謝罪しなければならないのだ。それでこそ、「民主政治の健全な発達」を期待することが可能となる。

なお、政治家が自分に政治献金してくれる企業の動向に無関心であることは考えにくい。しかも本件の場合、「鈴与」が受領した補助金の額は2件で合計2億円を超える巨額である。常識的には「知らなかったはずはない」として追及を受けて当然というべきだろう。安倍晋三流の弁護の仕方は強引に過ぎる。また、仮に本当に知らなかったとすれば、相手方企業だけに犯罪が成立してしまうことになる。そのような事態を作出したことにおいて、政治家としては失格と言うべきではないか。

予算委員会での追求の先頭に立っている民主党の諸議員は、よく調べて鋭く質問している。とりわけ、「下村大臣は教育を食い物にしていると言っていい」は、本質をよく衝いていて小気味よい。声援を送りたい。

それにしても、今次安倍内閣は政治とカネの疑惑まみれ。指を折れば、松島みどり・小渕優子・宮澤洋一・江渡聡徳・西川公也、そしてこれに加えて時の人となっている下村博文・望月義夫・上川陽子の3閣僚。「襟を正せ」「姿勢を改めよ」では言葉が足りない。やはり、「顔を洗って出直せ」というしかないのではないか。
(2015年2月27日)

6紙社説の比較に見る西川農相辞任劇の波紋

西川公也農相の政治献金問題がおさまりつかず辞任にまで発展した。これに安倍首相の「ニッキョーソはどうした!」ヤジ事件のおまけまでついて、政権への震度は思った以上に大きくなりつつある。

これまで何度も聞かされた言葉が繰り返された。「法的には問題ないが道義的責任を感じてカネは直ぐに返還した」「あくまで法的に問題はないが、審議の遅滞を招いては申し訳ないので辞任することにした」。要するに、「カネを返せば問題なかろう」「些細なミス、訂正すれば済むことだ」「やめて責任を取ったのだからこれで終わりだ」。終わりのはずを蒸し返し執拗に追求するのは、些細なことを大袈裟にしようという悪意あってのこと、という開き直りが政権の側にある。

しかし、既視感はここまで。今回は、世論もメデイアも野党も、この「カネを返したから、訂正したから、辞めたから、一件落着」という手法に納得しなくなっている。トカゲのシッポを切っての曖昧な解決を許さない、という雰囲気が濃厚に感じられる。問題の指摘を続ける野党やメディアへのバッシングも鳴りをひそめている。

本日(2月24日)の各紙夕刊に「首相の任命責任、国会で追及へ」「野党首相出席要求」「衆院予算委が空転」の大見出し。野党各党の国対委員長が国会内では、「西川氏辞任の経緯や、首相の任命責任をただす考えで一致した」と報じられている。何が起こったのかを徹底して明らかにし、問題点を整理して、不祥事の再発防止策を具体化する。刑事的制裁が必要であればしかるべき処分をし、制度の不備は改善し、責任の内容と程度とを明確にして適正な世論の批判を可能とする。そのような対応がなされそうな雰囲気である。

今朝の朝刊6紙(朝・毎・読・東京・日経・産経)の社説がこの問題を取り上げている。世間の耳目を集める問題では、おおよそ「朝・毎・東京」対「読売・産経」の対立となり、日経がその狭間でのどっちつかずという図式になる。ところが今回は違う。産経の姿勢がスッキリしているのだ。少し驚いた。

まず標題をならべてみよう。
 朝日「農水相辞任 政権におごりはないか」
 毎日「西川農相辞任 政権自体の信用失墜だ」
 東京「西川農相辞任 返金で幕引き許されぬ」
 産経「西川農水相辞任 改革に水差す疑惑を断て」
 日経「農相辞任で政策停滞を招くな」
 読売「西川農相辞任 農業改革の体制再建が急務だ」

標題はほぼ内容と符合している。朝日・毎日・東京が、徹底した疑惑の解明を求め、安倍政権の責任を論じている。それぞれ的確に問題点を指摘し、首相の責任の具体化を求める堂々たる内容。読売と日経が明らかに立場を異にし、「切れ目のない政策継続」に重点を置き、安倍政権を擁護してその傷を浅くする役割を演じようとしている。

産経の「改革に水差す疑惑を断て」という標題だけが、「改革の継続」と「疑惑を断て」のどちらに重点が置かれているのかわかりにくい。ところが、その内容は、安倍政権に手厳しい。「改革や農業政策の継続」の必要は殆ど語られていない。普段の安倍晋三応援団の姿勢とはまったく趣を異にしている。この産経の論調は、日経・読売2紙の安倍政権ベッタリ姿勢を際立たせることになっている。これは、一考に値するのではないか。

以下、主要な部分を抜粋する。
「国の補助金を受けた会社から寄付を受けてはならないことなど、政治家としてごく基本的なルールを軽視していた。その結果、職務遂行に支障を来す事態を自ら招いたのであり、辞任は当然だ。安倍晋三首相の任命責任も重い。…閣僚らに厳格な政治資金の管理を求めるのはもとより、『政治とカネ』の透明化へ具体的措置をとるべきだ。

問題視されたのは、日本が環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉に参加する直前、砂糖業界の関係団体から西川氏が代表の政党支部に100万円が寄付されたことなどだ。西川氏は自民党TPP対策委員長だった。しかも、業界団体である精糖工業会は国から補助金を受けていた。政治資金規正法は1年間の寄付を禁止しており、別団体からの寄付の形がとられた。こうした行為に対し、脱法的な迂回献金との批判が出るのは当然だろう。同支部は補助金を受けた別の会社からも300万円の寄付を受けた。

首相や西川氏の説明は『献金は違法なものではない』ことを主張するばかりで、不適切さがあったとの認識がうかがえない。砂糖は日本にとってTPPの重要品目であることからも、政策判断が献金でゆがめられていないか、との疑念を招きかねない。

形式的には別の団体が寄付を行っても、実質的に同一の者の寄付とみなされるものは、規制をかける必要が出てくるだろう。脱法的な寄付を封じる措置を、政治資金規正法改正などを通じてとるべきだ。」

おっしゃるとおり。まことにごもっとも、というほかはない。とりわけ、「脱法的な寄付を封じる措置を、政治資金規正法改正などを通じてとるべきだ」には、諸手を挙げて賛成したい。8億円もの巨額の裏金を、明らかに政治資金として政治家に交付しておいて、「献金なら届けなければ違法だが、貸金なら届出を義務づける法律はない」と開き直っている大金持ちがいる。このような「脱法を封じる法改正」を実現すべきは当然ではないか。

各紙の社説を通読して、その全体としての批判精神に意を強くしたが、いくつかコメントしておきたい。

東京新聞は、次のようにいう。
「業界との癒着が疑われる政治献金はそもそも受け取るべきではなく、返金や閣僚辞任での幕引きは許されない。与野党問わず『政治とカネ』をめぐる不信解消に、いま一度、真剣に取り組むべきだ」「カネで政策がねじ曲げられたと疑われては、西川氏も本望ではなかろう」

具体的事例を通して、政治資金規正法の精神を掘り下げようとする論述である。
「業界との癒着が疑われる政治献金は受け取るべきではない」というのは、もちろん正論である。「カネで政策がねじ曲げられてはならない」とする民主主義社会の大原則がある。「業界との癒着が疑われる政治献金」は、「カネで政策がねじ曲げられているのではないか」という疑惑を呼び起こすものである。つまりは、政治の廉潔性や公正性に対する信頼を傷つけるものとして、授受を禁ずべきなのだ。

企業や金持ちから政治家に渡されるそのカネが、現実に廉潔なものか、あるいは政治をねじ曲げる邪悪なものであるかが問題なのではない。国民の政治に対する信頼を傷つける行為として禁止すべきなのだ。「私のカネだけは廉潔なものだから、献金も貸金もなんの問題ない」という理屈は、真の意味で「いくら説明してもわからない」人の言い分でしかない。

なお、「カネで政策がねじ曲げられているのではないか」という疑惑を呼び起こす政治献金は、「業界との具体的な癒着が疑われる政治献金」に限らない。企業や団体、富裕者の献金は、すべからく財界や企業団体の利益となる政治や政策への結びつきをもたらすものとして、政治の廉潔性や公正性に対する社会の信頼を傷つけるものである。献金にせよ、融資にせよ、本来一般的に禁ずべきが本筋であろう。少なくも、上限規制が必要であり、透明性確保のための届出の義務化が必須である。

毎日が、社説の文体としては珍しい次のような一文を載せている。
「『いくら説明をしてもわからない人はわからない』。自ら疑惑を招いての辞任にもかかわらず、まるで問題視する方が悪いと言わんばかりに開き直って記者団に語る西川氏の態度に驚いてしまった。」

私も、自らの体験として、「まるで問題視する方が悪いと言わんばかりに開き直って語る態度」に思い当たる。
2012年12月都知事選における宇都宮候補の選挙運動収支報告書を閲覧して、私は明らかな公選法違反と濃厚な疑惑のいくつかを指摘した。当ブログで33回にわたって連載した「宇都宮君立候補はおやめなさい」シリーズでは、この公選法違反の指摘は大きな比重を占めている。「自らの陣営に法に反する傷がある以上、君には政治の浄化などできるはずもない。だから宇都宮君、立候補はおやめなさい」という文脈でのことである。

この指摘に対して、2014年1月5日付で、宇都宮陣営から「澤藤統一郎氏の公選法違反等の主張に対する法的見解」なるものが発表された。中山武敏・海渡雄一・田中隆の3弁護士が、まさしく「まるで問題視する方が悪いと言わんばかりに開き直って」の居丈高な内容だった。

同「見解」は、まことに苦しい弁明を重ねた上、「選挙運動費用収支報告書に誤った記載があることは事実であるが、この記載ミスを訂正すれば済む問題である」と開き直った。3弁護士は、「陣営に違法はなかった」ことを主張するばかりで、自ら資料収集ができる立場にありながら、具体的な説明を避け、資料の提示をすることもなかった。

宇都宮君も、中山・海渡・田中の3弁護士も、もちろん違反の当事者である上原公子選対本部長(元国立市長)も熊谷伸一郎選対事務局長も、今、野党とメディアが政権に求めているとおりに、経過を徹底して明らかにして自浄能力の存在を示し、謝罪すべきである。そのうえで、「2014年1月5日・3弁護士見解」を撤回しなければ、選挙の公正や政治資金規制について語る資格はない。

私は、「保守陣営についてだけ厳格に」というダブルスタンダードを取らない。宇都宮君らが選挙についてどう語るかについてこれからも関心をもち、その言動に対しては保守陣営に対するのと同様に、批判を展開したいと思っている。

自浄能力のない政権へは、野党とメディアの批判が必要である。革新陣営が広く社会的な信頼を勝ちうるためにも、私の批判が有用だと信じて疑わない。
(2015年2月24日)

次回口頭弁論は2月25日(水)10時30分 ー 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第36弾

私が被告になっているDHCスラップ訴訟の次回口頭弁論が近づいてきました。日程をご確認のうえ、是非傍聴にお越しください。

2月25日(水)午前10時30分? 口頭弁論期日
東京地裁631号法廷(霞ヶ関の地裁庁舎6階南側)

同日11時00分?   弁護団会議兼報告集会
東京弁護士会507号会議室(弁護士会館5階)

今回の法廷では、前回期日での裁判長からの指示に基づいて、
被告が再度の主張対照表を提出し、原告が被告の準備書面3・4に対する反論の準備書面を陳述の予定です。

法廷終了後の報告集会兼弁護団会議は、東京弁護士会館507号室で、11時?13時の時間をとっていますが、実際には正午少し過ぎくらいまでになると思います。

報告集会の予定議事は次のとおりです。
☆弁護団長の進行経過と次回以後の展望の説明。
  裁判所の求釈明の趣旨と本日陳述の準備書面の内容
  当日の法廷を踏まえて、次回以後の審理の展望
☆ミニ講演 「スラップ訴訟と表現の自由」
  内藤光博専修大学教授
☆議事1 審理の進行について
     本日までの審理の経過をどう見るか。
     今後の主張をどう組み立てるか。
☆議事2 DHCスラップ訴訟第1号・折本判決(1月15日・地裁民事30部)をどう評価し、本件にどう活用するか。他事件被告弁護団との連携をどうするか。
☆議題3 今後の立証計画をどうするか。
☆議題4 反訴の可否とタイミングをどうするか。
☆議題5 マスコミにどう訴え、どう取材してもらうか
☆議題6 同種の濫訴再発防止のために何をすべきか

 **************************************************************************

本件はいくつもの重要な意義をもつ争訟となっています。
(1) まず何よりも、憲法21条によって保障されている「表現の自由」が攻撃されています。この訴訟は、不当な攻撃から表現の自由を守る闘いにほかなりません。
 しかも、攻撃されている表現は、典型的な政治的言論です。仮に、いささかでも被告の表現が違法とされるようなことがあれば、およそ政治的言論は成り立ち得ません。
(2) 本件で攻撃の対象とされた表現の内容は「政治とカネをめぐる問題」です。具体的には、「大金持ちが、金の力で政治を左右することを許してはならない」とする批判の論評(意見)です。現行法体系における政治資金の透明性確保と上限規制の重要性が徹底して論じられなければなりません。
(3) しかも、原告の攻撃の直接的対象は、8億円という巨額の金員拠出の意図ないし動機を厚生行政の規制緩和を求めてのものとした常識的な批判なのです。厚生行政における対業者規制は、国民の生命や健康に直接関わる、国民生活の安全を守るために必要な典型的社会的規制です。安易な規制緩和を許してはなりません。行政の規制緩和を桎梏と広言する事業者に対する消費者(国民)の立場からの批判の封殺は許されません。
(4) さらに、言論封殺の手法がスラップ訴訟の提起という、訴権の濫用によることも大きな問題点です。経済的強者が高額請求の訴訟提起を手段として、私人の政治的言論を封殺しようとする憲法上看過できない重大問題を内包するものです。これを根絶し、被害を出さないためにどうすべきかをご一緒に考えたいと思います。

 **************************************************************************

以上のような、意義ある訴訟の舞台設定は、DHC・吉田側が作ってくれたものです。このせっかくの機会を生かさない手はありません。上記(1)の表現の自由は訴訟の結果としての判決で実現するとして、(2) 以下の各問題については、明らかになった問題点を世に大きく訴え、世論の力で制度改革に繋げたいと願っています。

その第1は、(2)の「政治とカネをめぐる問題」です。DHC吉田は、「政治資金に使われると分かりながら資金提供したことについての道義的責任」に関して、「献金なら限度額が法で定められておりますが、貸金に関してはそういう類の法規制はありません。借りた議員がちゃんと法にのっとって報告しておれば何の問題もないのです」と言っています。もし、そのとおりなら、この事件は政治資金規正法の欠陥が露呈したことになります。金力の格差が政治を歪めてはならないとする民主主義の大原則にも、政治資金規正法の趣旨にも反する脱法についての開き直りを許さないために、法改正を目ざさなくてはなりません。

今、西川農相への複数の献金問題が話題を呼んでいます。そのうちの一つが、農林水産省から補助金交付の決定を受けていた精糖工業会からの献金。これを追求された農相と政権は、「精糖工業会そのものからの献金ではなく、会が入っているビルの管理会社(精糖工業会館)からの献金だから問題ない」と言っています。これも明らかな脱法行為。「こんな脱法が許されれば、誰もが真似をして法は骨抜きとなる」と、厳しく野党からの追及を受けています。

DHC吉田から渡辺に渡ったカネも同じ。「献金ではなく貸金だから、いくら巨額になっても無制限の青天井」では、「こんな脱法が許されれば、誰もが真似をして法は骨抜きとなる」と、厳しく追及を受けねばなりません。脱法を防ぐ法改正が必要なのです。

また、(3)サプリメントの規制緩和問題についても、(4)目に余るスラップ訴訟防止の方策についても、まずはその弊害の実態をよく認識し、その上で知恵を出し合いたいと思います。

是非、次回法廷のあとの報告集会にご参加いただき、意見交換に加わっていただくよう、お願いいたします。
(2015年2月21日)

「日の丸・君が代」強制と闘う意義ー卒業式直前原告5団体決起集会で

弁護団の澤藤です。お集まりの皆さまに、弁護団を代表して冒頭のご挨拶を申しあげます。
石原慎太郎第2期都政下で、「10・23通達」が発出されたのが2003年。希望の春が憂鬱な春に変わった最初の卒業式が2004年春でした。それから年を重ねて今年は12回目の重苦しい春を迎えることになります。この間、闘い続けて来られた皆さまに心からの敬意を表明いたします。
 
この間、法廷の闘いでは予防訴訟があり、再発防止研修執行停止申立があり、人事委員会審理を経て4次にわたる取消訴訟があり、再雇用拒否を違法とする一連の訴訟がありました。難波判決や大橋判決があり、いくつかの最高裁判決が積み重ねられて、今日に至っています。

法廷闘争は一定の成果をあげてきました。都教委が設計した累積過重の思想転向強要システムは不発に終わり、原則として戒告を超える懲戒処分はできなくなっています。しかし、法廷闘争の成果は一定のもの以上ではありません。起立・斉唱・伴奏命令自体が違憲であるとの私たちの主張は判決に結実してはいません。戒告に限れば、懲戒処分は判決で認められてしまっています。

また、何度かの都知事選で、知事を変え都政を変えることが教育行政も変えることになるという意気込みで選挙戦に取り組みましたが、この試みも高いハードルを実感するばかりで実現にはいたっていません。

しかし、闘いは終わりません。都教委の違憲違法、教育への不当な支配が続く限り、現場での闘いは続き、現場での闘いが続く限り法廷闘争も終わることはありません。今、判決はやや膠着した状況にありますが、弁護団はこれを打破するための飽くなき試みを続けているところです。

法廷で目ざすところは、これまでの最高裁の思想良心の自由保障に関する判断枠組みを転換して、憲法学界が積み上げてきた厳格な違憲審査基準を適用して、明確な違憲判断を勝ち取ることです。まだ、1件も大法廷判決はないのですから、事件を大法廷で審査して、あらたな判例を作ることはけっして不可能ではありません。

また、憲法19条違反だけでなく、子どもの教育を受ける権利を規定した26条や教員の教授の自由を掲げた23条を根拠にした違憲・違法の判決も目ざしています。国民に対する国旗国歌への敬意表明強制はそもそも立憲主義に違反しているという主張についても裁判所の理解を得たい、そう考えています。

現在の最高裁判決の水準は、意に沿わない外的行為の強制が内心の思想・良心を傷つけることを認め、起立斉唱の強制は思想良心の間接的な制約にはなることを認めています。最高裁は、「間接的な制約に過ぎないのだから、厳格な違憲判断の必要はない」というのですが、「間接的にもせよ思想良心の制約に当たるのだから、軽々に合憲と認めてはならない」と言ってもよいのです。卒業式や入学式に「日の丸・君が代」を持ち出す合理性や必要性の不存在をもう一度丁寧に証明したいと思います。

また、違憲とは言わないまでも、大橋判決のように、「真摯な動機からの不起立・不斉唱・不伴奏に対する懲戒処分は、戒告といえども懲戒権の逸脱・濫用に当たり違法」とする手法も考えられます。弁護団は、裁判所に憲法の理念にしたがった判決を出すよう、説得を続けたいと覚悟を決めています。

ところで、この10年余の闘いを続けて思うことは多々あります。最も、印象に強くあることは、闘うことの積極的な意義です。私たちは、先人が作ってくれた近代憲法のシステムの中で権利を享受しているだけではなく、具体的な権利の拡大の運動をしているのです。

歴史的に、思想・良心の自由も、信仰の自由も、表現の自由も、始めからあったわけではありません。文字どおり、血のにじむ闘いがあって、勝ち取られた歴史があるのです。私たちは、今まさしくそのような歴史に参加しているのです。また、憲法に書かれている条文が、現実の社会生活での具体的な権利として生きるためには、それぞれの現場での闘いが必要なのです。

私たちは、国家と対決し、国家に絡め取られることのない思想・良心の自由を勝ち取るべく闘っています。これは国民主権原理を支える重大な闘いだと思います。それだけではなく、次の世代の主権者を育てるに相応しい教育を守り、作り上げる闘いもしているのだと思います。教育を、国家の僕にしてはなりません。国旗と国歌を中心に据えた卒業式とは、生徒一人ひとりではなく国家こそが教育の主人公であることを象徴するものと言わざるを得ません。

闘うことを恐れ、安穏を求めて、長いものに巻かれるままに声をひそめれば、権力が思うような教育を許してしまうことになってしまいます。苦しくとも、不当と闘うことが、誠実に生きようとする者の努めであり、教育に関わる立場にある人の矜持でもあろうと思います。

私たち弁護団も、法律家として同様の気持で、皆さまと意義のある闘いをご一緒いたします。今年の卒業式・入学式にも、できるだけの法的なご支援をする弁護団の意思を表明してご挨拶といたします。
(2015年2月14日)

韓国のナッツ姫と日本のナッツ姫ーともに傲慢ではた迷惑

大韓航空前副社長の趙顕娥(チョ・ヒョナ)被告の「ナッツリターン事件」に興味津々である。もちろん、韓国財閥事情への関心ではなく、国は違えど同じようなことはよく起こるものだという身近な事件に引きつけての興味である。「ナッツ姫の横暴ぶり」は、権力や金力を笠に着た傲慢で品性低劣な人間に往々にしてある振るまい。ところで、世の中には、なんの権力も権限もないのに、自分には人に命令する権限があると勘違いで思い込む、愚かで横暴なはた迷惑な人物もいる。こちらの手合いも始末に悪い。

共同通信など複数のメディアが、韓国紙京郷新聞が起訴状を基に事件を再現した記事を転載している。その中の次の部分が目を惹いた。

「趙被告は乗務員がナッツを袋のまま出すと『ひざまずいてマニュアルを確認しろ』と激怒。客室サービス責任者に『この飛行機をすぐ止めなさい。私は飛ばさない』と迫った。責任者が『既に滑走路に向かっており、止められません』と答えると『関係ない。私に盾突くの?』と激高した。」

「私に楯突くの?」という言葉は、聞き捨てできない。かつての都知事選宇都宮選対本部長上原公子(元国立市長)が2012年12月11日午後9時過ぎに、四谷三丁目の選対事務所に私の息子を呼びつけて投げつけた「この人、私の言うことが聞けないんだって」という言葉と瓜二つ、いやナッツ二つなのだ。

私の息子は宇都宮けんじ候補の随行員として、およそ1か月間献身的によく働いていた。選挙戦をあと4日残すだけの最終盤のこの時、ナッツ上原はなんの理由も告げずにいきなりその任務を取り上げたのだ。もうひとりの随行員だった誠実な女性ボランティアともどもに。秘密のうちに二人の後任が準備されていた。

このことへの抗議に対して、ナッツ上原は、熊谷伸一郎選対事務局長(岩波書店社員)と顔を見合わせて冷笑したうえ、「この人、私の言うことが聞けないんだって」というナッツフレーズを吐いたのだ。

その傲慢さ、人格の尊厳への配慮のなさ、品性の低劣さにおいて、日韓両国のナッツ姫は甲乙つけがたい。もっとも、韓国のナッツ姫は一応は労働契約上の労務指揮権を持っている。リターン命令はその労務指揮権の「権限の逸脱・濫用」にあることになる。一方、日本のナッツ上原は、革新陣営の選挙活動にボランティアで集う仲間に対して調整役の責務を負う立場にあって、なんの権力も権限も持つわけではない。ナッツ上原は、より民主的でなければならない立場にありながら、その理念に反する点で際立っており、見方によっては韓国のナッツ姫よりもタチが悪い。

このような事件が起きたときに、関係者の人権感覚と対応能力が浮き彫りになる。宇都宮健児君は任務外しについて上原や熊谷との共犯者ではなかった。しかし、この横暴を知りながら事後に黙認したことにおいて、人権感覚・対応能力ともにまったく評価に値する人物ではないことを露呈して、私は友人としての袂を分かつことにした。

なお、私の息子は、ナッツ上原に対して、「対等な関係のボランティア同士。権力関係にはない。あなたに私に対する命令の権限があるはずはない。ましてやまったく不合理な命令は聞けない」と抗議している。

ところが、その後公開された選挙運動収支報告書において、上原が「労務者」として報酬10万円を受領していると届け出ていることが判明した。「労務者」とは「選挙運動員」の指示を受けて機械的な業務のみに従事する立場。ボランティアとして一銭の報酬も受けとっていない選挙運動員である私の息子と対等ではない。ところが、この局面では労務者上原が、選挙運動員に権力的な指示を押しつけている。あり得ないはなしなのだ。

もっとも、選対本部長が「労務者」であろうはずはない。この10万円は選対本部長としてのお手盛り選挙運動報酬と考えざるをえず、明らかな公選法違反に当たるものである。

この私の指摘に「反論」した三弁護士(中山・海渡・田中)による「澤藤統一郎氏の公選法違反等の主張に対する法的見解」(1014年1月5日付)の中身が、真摯さを欠いたお粗末極まるものだった。およそ「法的見解」などと言える代物ではない。もっと真剣に事実に肉薄し、自陣営のカネの動きの不透明さについて明確化する努力と謝罪をしていれば、自浄能力の存在を証明して、「三弁護士」の権威を貶めることもなかったと思われるが、結局は「何らの違法性もないものである」「記載ミスを訂正すれば済む問題である」とごまかしの論理に終始した。繰り返される保守陣営の公選法違反が摘出される度に聞かされてきたことと同じセリフしか聞くことができなかった。

当ブロクでの公選法違反の指摘に、宇都宮陣営は報告書の当該記載の抹消をしただけでこと終われりとしている。もちろんそれでは、添付書類と辻褄が合わないことになる。いまだに、放置されたままだ。その他にも、宇都宮選挙には多々問題があった。詳細は、このプログに「宇都宮君、立候補はおやめなさい」シリーズとして33回連続して掲載したので、是非ご覧いただきたい。
https://article9.jp/wordpress/?cat=6

そのほか、選対内部で随行員二人の任務外しに加担した労務屋同然の働きをした人物が何人もいる。何が正しいかではなく、なりふり構わず何が何でも組織防衛を優先する、「革新」を標榜する人々の常軌を逸した行動パターンを思い知った。さらに驚くべきことに、このブラック選対で労務屋同然のダーティーな働きをした人々が、「ブラック企業大賞」選考企画の中心にいたようだ。深刻なブラックジョーク現象というほかはない。

聞くところによると、「今年、宇都宮健児が大きく運動を展開させる注目のテーマ」を「選挙制度」としているそうだ。ちょっと信じがたい。仮に宇都宮君が選挙制度について語るのであれば、何よりも都知事選でのカネの動きの不透明さや、明らかに合理性あるルールに違反したことへの反省と謝罪から始めなければならない。それなくして、彼が公職選挙法の不備や不当について語る資格はない。

ところで、韓国のナッツ姫。現地の報道では、大弁護団が話題となっているようだ。「趙前副社長が雇った弁護団は数十億ウォン(数億円)を受け取っているはず」「執行猶予を勝ち取れば、弁護団は大富豪になるだろう」などと揶揄されている。

ナッツと弁護士。日韓両国において切っても切れない縁のようだが、けっして美しい縁ではない。腐ったナッツに集まるハエと悪口を言われるような関係となってはならない。
(2015年1月31日)

政治資金規制法のザルの穴を塞ごう

1月14日、解党して既にない「みんなの党」の元代表・渡辺喜美が不起訴処分となった。昨年(2014年)6月2日付で、同人には学者ら16人が告発状を提出している。私も24人の告発人代理人のひとりだ。

14日午後3時半過ぎ、代理人代表の阪口徳雄弁護士に東京地検特捜部の担当検事から、電話で下記の通知があった。
?本日告発を受理し、本日不起訴処分にした。
?不起訴理由は「嫌疑不十分」。
不起訴理由の具体的内容について説明はされなかったとのことだ。

報道では「渡辺喜美元代表が化粧品通販大手会長から計8億円を借り入れた問題で、東京地検特捜部は14日、渡辺氏を不起訴処分(嫌疑不十分)とした。渡辺氏は借り入れを政治資金収支報告書に記載しなかったなどとして政治資金規正法違反などの疑いで告発されていたが、特捜部は『法律違反を犯したといえる証拠がなかった』と説明した」という。

また同日、自分の選挙区の祭りで「ウチワ」を配ったとして告発されていた松島前みどり前法務大臣も「嫌疑不十分で不起訴」となった。

公職選挙法は、政治家が選挙区内の人に「金銭や財産上の価値のある物品」の寄付を禁止している。問題のウチワは財産上の価値のある物品にあたり、これを選挙区内の人に配布したことまでは確認されたが、「配布の主体は松島本人ではなく、松島が代表を務める自民党の支部だとしたうえで、罰則の条件である選挙に関係した寄付とまでは認められないとして嫌疑不十分で不起訴とした」と報じられている。

どちらの事件も、「嫌疑不十分」だが、疑惑を徹底追求した結果とは到底考えがたい。これだけ世間を騒がせた問題について検察が甘いのではないか。東京地検特捜部の存在感が薄い。

さっそく次のような句が詠まれることになる。
   みそぎ終えうちわ片手に観劇へ(稲留洋征・16日「毎日」万能川柳)

さて、渡辺喜美告発に対する不起訴処分には、告発人らが検察審査会への審査申し立てを検討することになる。その成り行きは別として、今回の経緯から政治資金規正法の大きな抜け穴が明らかとなり、意識的にこの抜け穴を利用した者たちの汚さが明らかとなってきた。まずは世論による指弾が必要であり、次いで法改正による抜け穴塞ぎが必要なことを訴えたい。

渡辺告発状は、DHC吉田嘉明会長から2010年と12年とに交付を受けた計8億円の金員について、これを政治資金収支報告書か選挙運動資金収支報告書のどちらかには記載すべきであったのに、どちらにもこれを記載していなかったことを告発事由とするものである。前者であれば政治資金規正法違反、後者であれば公職選挙法違反である。

関係条文だけを掲記しておこう。

※政治資金規正法関係
☆借入政治資金の会計帳簿不記載
第9条(会計帳簿の備付け及び記載)
1項 政治団体の会計責任者は、会計帳簿を備え、これに当該政治団体に係る次に掲げる事項を記載しなければならない。
一号 すべての収入及びこれに関する次に掲げる事項
 チ 借入金については、その借入先、当該借入先ごとの金額及び借入年月日
(違反には24条1項1号により 3年以下の禁錮又は50万円以下の罰金)
☆借入政治資金の報告書不記載
第12条(報告書の提出)
1項 政治団体の会計責任者は、毎年十二月三十一日現在で、当該政治団体に係るその年における収入、支出その他の事項で次に掲げるものを記載した報告書を、その日の翌日から三月以内に、都道府県の選挙管理委員会又は総務大臣に提出しなければならない。
一号 すべての収入について、その総額及び総務省令で定める項目別の金額並びに次に掲げる事項
 リ 借入金については、その借入先、当該借入先ごとの金額及び借入年月日
(違反には25条1項2号により 5年以下の禁錮又は100万円以下の罰金)

※公職選挙法関係
☆選挙運動に関する収入及び支出の会計帳簿の備付及び記載
第185条 出納責任者は、会計帳簿を備え、左の各号に掲げる事項を記載しなければならない。
一 選挙運動に関するすべての寄附及びその他の収入(公職の候補者のために公職の候補者又は出納責任者と意思を通じてなされた寄附を含む。)
二 前号の寄附をした者の氏名、住所及び職業並びに寄附の金額(金銭以外の財産上の利益については時価に見積つた金額。以下同じ。)及び年月日
(違反には246条1項2号により 3年以下の禁錮又は50万円以下の罰金)
☆選挙運動に関する収入及び支出の報告書の提出
第189条 出納責任者は、公職の候補者の選挙運動に関しなされた寄附及びその他の収入並びに支出について、第185条第1項各号に掲げる事項を記載した報告書を、前条第1項の領収書その他の支出を証すべき書面の写しを添付して、当該選挙に関する事務を管理する選挙管理委員会に提出しなければならない。
(違反には246条1項5の2号により 3年以下の禁錮又は50万円以下の罰金)

渡辺喜美側は8億円について「個人的借り入れで、収支報告書への記載義務はない」と弁明していた。「個人的借り入れ」とは、「私生活上の支出に充てるための金員の借り入れであって政治活動や選挙活動とは無関係のもの」という趣旨であろう。

いかに巨額の金額でも、「個人的な借入」と弁明が通るのであれば、恐るべき事態が惹起する。すべての政治資金の動きを暗闇に隠すことが可能となるではないか。会計帳簿不記載も、収支報告も不要ということになってしまう。それでよいのか。

今回の8億円授受の経過は、スポンサーと政治家との間の内紛によって、偶然に表面化した。それなければ闇のカネとして、吉田と渡辺の持ちつ持たれつの関係は継続していたことになる。

「特捜部は規正法に違反すると認定できるだけの証拠はないと判断した」と報道されている。たまたま、資金交付者が手記を発表して、巨額の資金交付とその経緯がこれだけ明確になった本件で、「嫌疑不十分」「証拠がない」ということであれば、およそ「貸金の形態をとった政治資金の調達については、告発あっても立件不可能」と宣告したに等しい。

あらためて、政治資金規正法の目的と理念を読み直してみよう。
第一条(目的)この法律は、議会制民主政治の下における政党その他の政治団体の機能の重要性及び公職の候補者の責務の重要性にかんがみ、政治団体及び公職の候補者により行われる政治活動が国民の不断の監視と批判の下に行われるようにするため、政治団体の届出、政治団体に係る政治資金の収支の公開並びに政治団体及び公職の候補者に係る政治資金の授受の規正その他の措置を講ずることにより、政治活動の公明と公正を確保し、もつて民主政治の健全な発達に寄与することを目的とする。
第二条(基本理念)
1項 この法律は、政治資金が民主政治の健全な発達を希求して拠出される国民の浄財であることにかんがみ、その収支の状況を明らかにすることを旨とし、これに対する判断は国民にゆだね、いやしくも政治資金の拠出に関する国民の自発的意思を抑制することのないように、適切に運用されなければならない。
2項 政治団体は、その責任を自覚し、その政治資金の収受に当たつては、いやしくも国民の疑惑を招くことのないように、この法律に基づいて公明正大に行わなければならない。

公職選挙法の目的規定は次のとおりである。
第1条(目的)この法律は、日本国憲法の精神に則り、議会の議員及び長を公選する選挙制度を確立し、その選挙が選挙人の自由に表明せる意思によつて公明且つ適正に行われることを確保し、もつて民主政治の健全な発達を期することを目的とする。

この理念に照らして、8億円授受が法の趣旨を脱法するものであることは明らかである。これでも検察が立件できないというのであれば、脱法を防止する法改正が喫緊の課題となっている。

朝日の1月16日社説が、同じ思いを述べている。抜粋したい。
「(東京地検特捜は)8億円は渡辺氏の個人的な借金だった可能性が否定できず、政治資金規正法に基づき収支報告書に記載しなかった刑事責任を問うのは困難、と判断した。
 貸し手の化粧品大手ディーエイチシー(DHC)会長が明かした密接な関係や借金の額は常識からかけ離れている。それでも、カネが政治団体としてでなく、あくまでも個人としての借り入れの範囲とみなされれば、処罰は難しいという現行法の限界を今回の処分は示している。
 リクルート事件などの政治腐敗への反省から、90年代以降、政治団体の収支や政治家の資産を公開する流れが進んだ。その理念は、政治資金をたえず国民のチェックや批判にさらさせるところにあった。
 政治家個人への寄付も原則禁止されている。だが、個人の借金には規制の穴がある。政治家には資産を報告する義務があり、借入金の記載欄もある。だが、だれから借りたか、利息、担保などの借り入れ条件を明らかにする必要はない。
 借金があるのに記載しなかったとしても罰則がない。のちに虚偽記載が表面化しても、訂正すれば、それですんでしまう。それでも通常の借り入れなら、所有する不動産などが抵当に入り、カネの動きはある程度、把握される。しかし、スポンサーが担保を求めず貸し付けたら、チェックの目は届かず、カネの移動は闇にとどまる。
 政治団体の収支だけでなく、資産報告書の政治家個人の貸し借りやその目的も外からチェックできる仕組みを作らなければ、政治資金をガラスばりにする理念は果たせそうにない。
 たとえ支援者からの申し出だとしても、政治家がひとの目に触れない形で多額の借り入れをすることは、便宜供与のリスクと背中合わせの行為である。抜け道をふさぐ手立てを国会で真剣に議論するときだ。」

まったくそのとおりだ。今回の「8億円事件」は政治資金規正法の美しい理念に、大きな黒い穴があることを見せつけた。この穴をくぐり抜けようという策動を再び許さないために、早急に法改正が必要との声を上げよう。
(2015年1月18日)

「DHCスラップ訴訟」第1号判決は被告完勝 ー 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第34弾

本日(1月15日)午後1時10分、東京地裁611号法廷で、民事第30部(本多知成裁判長)が「DHCスラップ訴訟」での第1号判決を言い渡した。この事件の被告は、横浜弁護士会所属弁護士の折本和司さん。私同様の弁護士ブロガーで、私同様に8億円を政治家に注ぎこんだ吉田嘉明を批判して、2000万円の損害賠償請求を受けた。

予想のとおり、本日の「DHC対折本」訴訟判決は、請求棄却。しかも、その内容において、あっけないくらいの「原告完敗」「被告完勝」であった。まずは、目出度い初春の贈り物。判決を一読すれば、裁判所の「よくもまあ、こんな事件を提訴したものよ」という言外のつぶやきを行間から読み取ることができよう。「表現の自由陣営」の緒戦の勝利である。スラップを仕掛けた側の大きな思惑外れ。

判決は争点を下記の4点に整理した。この整理に沿った原被告の主張の要約に4頁に近いスペースを割いている。
(1)本件各記述の摘示事実等による社会的評価の低下の有無(争点1)
(2)違法性阻却事由の有無(争点2)
(3)相当因果関係ある損害の有無(争点3)
(4)本件各記述削除又は謝罪広告掲載の要否(争点4)

そして、裁判所による「争点に対する判断」は実質2頁に過ぎない。その骨子は、「本件各記述が原告らの社会的評価を低下させるとの原告らの主張は採用できない」とし、「そうすると、原告らの請求は、その余の争点について判断するまでもなく、いずれも理由がないから、これらを棄却する」という、簡潔極まるもの。4つのハードルを越えなきゃならないところ、最初のハードルでつまずいて勝負あったということ。第2ハードル以下を跳ぶ権利なし、とされたわけだ。原告側には、さぞかしニベもない判決と映ったことだろう。

折本弁護団は勝訴に際してのコメントを発表した。要旨は以下のとおりである。

 折本弁護士のブログは、「DHCの吉田会長が、みんなの党代表渡辺喜美氏に8億円を渡した」という、吉田氏自身が公表した事実を摘示した上で、日本における政治と金の問題という極めて公益性の高い問題について、弁護士の視点から疑問を指摘し、問題提起を行ったものにすぎない。
 その記載が名誉毀損にならないものであることは、ブログを読めば一目瞭然であるし、本日の判決も名誉毀損に当たらないことを明確に判断した。
 もしもこの記載に対する反論があるならば、正々堂々と言論をもってすれば済むことであるしそれは週刊誌という媒体を通じて自らの見解を公表した吉田氏にとっては容易いことである。にもかかわらず、吉田氏は、言論をもって反論することを何らしないまま、同氏及び同氏が会長を務める株式会社ディーエイチシーをして、折本弁護士に対していきなり合計2000万円もの慰謝料請求を求める訴訟を提起するという手段に出たものである。これは、自らの意見に批判的な見解を有するものに対して、巨額の慰謝料請求・訴訟提起という手段をもってこれを封じようとするものであると評価せざるを得ず、言論・表現の自由を著しく脅かすものである。
 かかる訴訟が安易に提起されること自体、言論・表現活動に対する萎縮効果を生むのであり、現に、同氏及び同社からブログの削除を求められ、名誉毀損には当たらないと確信しつつも、不本意ながらこれに応じた例も存在する。
 吉田氏及び株式会社ディーエイチシーは、折本弁護士に対する本件訴訟以外にも、渡辺氏に対する8億円の「貸付」について疑問・意見を表明したブログ等について、10件近くの損害賠償請求訴訟を提起している。これらも、自らの意見に沿わない言論に対して、自らの資金力を背景に、訴訟の脅しをもってこれを封じようとする本質において共通のものがあると言わなければならない。
 当弁護団は、吉田氏及び株式会社ディーエイチシーが、本日の判決を真摯に受け止めるとともに、同種訴訟についてもこれを速やかに取り下げ、言論には言論をもって応じるという、言論・表現活動の本来の姿に立ち返ることを求めるものである。

2時半から、記者クラブで折本さんと折本弁護団が記者会見を行った。
小島周一弁護団長から、「原告からは人証の申請もなく、判決言い渡しの法廷には原告代理人の出廷もなかった。訴訟の進行は迅速で、第3回口頭弁論で裁判長から結審の意向が明示され、慌てた被告側が原告本人の陳述書を出させてくれとして、第4回期日を設けて結審した。この訴訟の経過を見ても、本件の提訴の目的が本気で勝訴判決をとることにあったとは思えない。表現行為への萎縮効果を狙っての提訴自体が目的であったと考えざるをえない」
「DHCと吉田氏は本日の判決を真摯に受け止め、同種訴訟についても速やかに取り下げるよう求める。」

折本さんご自身は、「弁護士として依頼者の事件を見ているのとは違って、自分が当事者本人となって、この不愉快さ、気持の重さを痛感した」「DHC側の狙いが言論の封殺にあることが明らかなのだから、これに負けてはならないと思っている」とコメントした。

引き続いて、山本政明弁護士の司会で澤藤弁護団の記者会見。山本さんの外には、光前幸一弁護団長と神原元弁護士、そして私が出席し発言した。光前弁護士から、澤藤事件も折本事件と基本的に同様で、言論封殺を目的とするスラップ訴訟であることの説明がなされた。そして最後を「これまでの表現の自由に関する最高裁判例の主流は、判決未確定の刑事被告人の罪責を論じる言論について、その保護の限界に関するものとなっている」「本件(澤藤事件)は、純粋に政治的な言論の自由が擁護されるべき事案として判例形成を目指したい」と締めくくった。

私が事件当事者としての心情を述べ、最高2億から最低2000万円の10件のDHCスラップ訴訟の概要を説明した。神原弁護士からは、植村事件との対比でDHCの濫訴を批判する発言があった。

澤藤弁護団の記者会見は初めての経験。これまで、フリーランスの記者の取材はあっても、マスメディアに集団で報告を聞いてもらえる機会はなかった。

私がまず訴えたのは、「今日の折本事件判決が被告の完勝でよかった。もし、ほんの一部でも原告が勝っていたら、言論の自由が瀕死の事態に陥っていると言わなければならないところ。私の事件にも、その他のDHCスラップ訴訟にも注目していただきたい。

ぜひ、若手の記者諸君に、自分の問題としてお考えいただきたい。自分の記事について、個人として2000万円あるいは6000万円という損害賠償の訴訟が起こされたとしたら…、その提訴が不当なものとの確信あったとしても、どのような重荷となるか。それでもなお、筆が鈍ることはないと言えるだろうか。権力や富者を批判してこそのジャーナリズムではないか。金に飽かせての言論封殺訴訟の横行が、民主主義にとっていかに有害で危険であるか、具体的に把握していただきたい。

スラップ訴訟は、今や政治的言論に対する、そして民主主義に対する恐るべき天敵なのだ。
(2015年1月15日)

明日「DHCスラップ訴訟」第1号判決の言い渡し ー 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第33弾

明日(1月15日)午後1時10分、東京地裁611号法廷で、民事第30部(合議係)が「DHCスラップ訴訟」での第1号判決を言い渡す。

DHCはサプリメントや化粧品の製造販売を主たる業とする非上場株式会社。吉田嘉明はそのオーナー会長である。昨年の3月末、自ら週刊誌(「週刊新潮」4月3日号)に手記を発表して、みんなの党・渡辺喜美への政治資金8億円拠出の事実とその経過を曝露した。多くのメディアが、渡辺喜美バッシングに走ったが、吉田自身の責任を追及する声もあがった。吉田はそのうちの少なくとも10件の記事を名誉毀損として、東京地裁に謝罪要求や損害賠償請求の訴訟を提起した。それだけでなく、件数はよくわからないが、民事訴訟提起をちらつかせて少なからぬ数のネット記事の抹消請求をして回ってもいる。

東京地裁への10件の提訴は、明らかに自己の行為への批判の言論を嫌忌してこれを封殺しようとするものである。この種の訴訟を「スラップ訴訟」という。民事訴訟の提起は国民としての権利の行使だという反論はあろう。しかし、経済的強者が、訴訟にかかる経費などは度外視して、自分を批判する記事の執筆者に巨額の金銭請求をするのだ。賠償請求額は最も低額なもので2000万円、最高額は2億円である。パリでは言論の自由が銃弾で攻撃された。ここ日本では、スラップ訴訟が銃弾に代わる役割を果たそうとしている。私は2000万円で提訴され、ブログで提訴自体の批判を続けたために、今では6000万円の請求を受けるに至っている。このような面倒な事態を避けるために、批判の筆を抑えようと考えてはならない。多くの人々が、「DHCや吉田に対する批判は避けた方が賢明だ」と考えるようになったら、それこそ彼らの思う壺なのだから。

この10件のスラップのうち、1件は取り下げで終了している。残る9件のうちの第1号判決が明日言い渡しとなる。被告は横浜弁護士会所属の弁護士である。私同様、ブログで「DHC8億円事件」について、吉田の責任に関わる意見を表明して、これを名誉毀損とされたものである。

名誉毀損とされたのは、同弁護士の2014年3月29日付のブログ。「渡辺喜美が受け取った8億円の意味」と標題がつけられているもの。かなり長文だが、要点を抜粋してみる。これで全体を判断することに危険は残るが、十分に大意を掴めるとは思う。

「みんなの党の渡辺喜美が、DHCの会長から、総額8億円を受け取っていたというニュースが流れた。このお金は、3億円と5億円に分かれていて、両方とも選挙の前に渡辺喜美の側の要請に基づいて渡されたという。しかし、渡辺喜美の収支報告書には、このDHCの会長からのお金は載っていないのだ。

徳洲会にしろ、DHCの会長にしろ、そんな多額のお金を政治家に渡すのは、何のためなのか?…ただ単に政治家個人を応援する目的で多額の金を渡すということは考えにくい…。

(渡辺)本人は、あくまで、個人的な貸し借りだとするが、これは、そういうことでないと政治資金規正法や公職選挙法との関係でアウトになってしまうわけで、金額からしても、嘘臭いというほかないだろう。だが、DHCの会長側は「選挙のための資金」との認識を示しており、金が渡されたタイミングからしても、「個人的な」「貸し借り」という説明は筋が通らないように見える。

DHCの会長が渡したとする5億円については、借用証はないという。…収支報告書にも載らない、借用証もない、そんなお金が、本当に「貸し借り」なのだろうか?この点、渡した方、受け取った方の両者が口を揃えて、「貸し借り」だと言っているのだが、安易に鵜呑みにしてはいけないところだ。なぜならば、仮に、政治活動のための寄付ということであれば、資金管理団体を通していないから、渡した側にも微妙な問題が生じることになるからだ。

うがった見方をすれば、当時党勢が上げ潮だったみんなの党が選挙で躍進してキャスティングボードを握れば、政権与党と連立し、厚生労働省関係のポストを射止めて、薬事法関係の規制緩和をしてもらう、とまあ、その辺りを期待しての献金だった可能性だってないとはいえないだろう。

断定的なことはいえないが、実際、大企業の企業献金も含めて、かなりのものが、何らかの見返りを求めてのものであり、そういった見返りを求めての献金は、実質的には「賄賂」だと思うのだ。しかし、これが、刑法上の贈収賄にならないどころか、おおっぴらに横行してしまっているのが、今の日本の実情だ。」

以上のブログの指摘は極めて常識的で真っ当なものではないか。これをしも違法ということになれば、ものが言えない社会の到来といわざるを得ない。

この弁護士ブロガーは、吉田の行為は実質的に違法との認識を示しながらも、現状では法的責任の追求がなかなかに困難な実情を語っている。

実は、ある雑誌の編集部から吉田に対して昨年4月21日付けの文書による問合せがなされている。そのなかに「吉田会長は政治資金に使われると分かりながら資金提供をされましたが、その資金提供が原因で渡辺氏は本人の意思で党代表を辞任しました。資金提供をされた側として道義的責任をどうお考えでしょうか」という質問事項がある。

問われているのは、巨額のカネで政治がうごかされることを防止しようとする政治資金規正法の趣旨僣脱に関する道義的責任である。当然のことながら、一握りの金持ちの資金によっ政治が左右されてはならない。だから政治献金額には明確な上限規制があり歯止めがかけられている。それが、いかに巨額でも貸金なら問題はないと思うのか、道義的責任を感じないのか、という問合せである。渡辺だけに責任をとらせて、自分の道義的責任についてはどう考えるのか、と問われてもいる。

これに対する吉田の回答が次のとおりである。
「政治資金に使われるとわかりながら資金提供したから道義的責任は感じないのかと、あなたはおっしゃっています。献金なら限度額が法で定められておりますが、貸金に関してはそういう類の法規制はまったくありません。」
彼のアタマには、法的責任だけがあって、道義的責任の言葉はなきがごとくである。法をかいくぐりさえすれば、道義などには関心がない、と言っているのだ。

その彼が回答書の最後を、次のように締めくくっている。
「返済されないかも知れない浄財を、ただ国家のためだけを思い、8億円も投げ出す勇気と大義をあなたはお持ちでしょうか」
おや、貸し借りのはずではなかったの? 私の論評はこれ以上は敢えて差し控えよう。諸賢はこの吉田の言をどう読むだろうか。

以上のやり取りは、10件の訴訟のうち取り下げとなった1件の訴訟で、被告側が提出した書証の一部である。

さて、私が把握している限りだが、「DHCスラップ訴訟」10件は以下のとおりである。すべて、原告は吉田嘉明とDHC。そして、代理人弁護士は、今村憲、山田昭、木村祐太の3名である。

(1)提訴日 2014年4月14日 被告 ジャーナリスト
  請求金額 6000万円
  訴えられた記事の媒体はウェブサイト
(2)提訴日 2014年4月16日 被告 経済評論家
  請求金額 2000万円
  訴えられた記事の媒体はインターネット上のツィッター
(3)提訴日 2014年4月16日 被告 弁護士(澤藤)
  請求金額 当初2000万円 後に6000万円に増額
  訴えられた記事の媒体はブログ。
(4)提訴日 2014年4月16日 被告 業界新聞社
  請求金額 当初2000万円 後に1億円に増額
  訴えられた記事の媒体はウェブサイトと業界紙
(5)提訴日 2014年4月16日 被告 弁護士
 (2015年1月15日一審判決予定)
  請求金額 2000万円 
  訴えられた記事の媒体はブログ
(6) 提訴日 2014年4月25日  被告 出版社
  請求金額 2億円
  訴えられた記事の媒体は雑誌
(7) 提訴日 2014年5月8日  被告 出版社
  (2014年8月18日 訴の取下げ)
  請求金額 6000万円
  訴えられた記事の媒体は雑誌
(8) 提訴日 2014年6月16日  被告 出版社
  請求金額 2億円
  訴えられた記事の媒体は雑誌
(9) 提訴日 2014年6月16日  被告 ジャーナリスト
  請求金額 2000万円
  訴えられた記事の媒体は雑誌(寄稿記事)
(10) 提訴日 2014年6月16日  被告 ジャーナリスト
  請求金額 4000万円
  訴えられた記事の媒体は雑誌(寄稿記事)

常軌を逸した、恐るべき濫訴と評せざるを得ない。
名誉毀損とされている各記事の内容は大同小異。「見返りへの期待なしに大金を出すことは常識では考えられない」「8億円の政治資金拠出ないし貸付は、厚生労働行政の規制緩和を期待してのことであろう」「政治資金規正法を僣脱するかたちでの金銭授受には問題がある」としたうえ、「DHC・吉田の行為は、金の力で民主主義的政治過程を歪めるもの」との批判を中心としたもの。典型的な政治的言論なのである。

しかも、いずれも原告が自ら公開した週刊誌の手記の記載に基づいて、誰もが考える常識的な推論を述べているに過ぎない。一部に政治的な言論の範疇にない吉田やDHCの素行についての論及も散見されるが、目くじら立てるほどのものではない。

さて、明日の判決。訴訟進行の経過から見て、請求棄却の判決となることは間違いがない。そして、こんな訴訟を提起したDHCと吉田嘉明やこれを補佐した者たちの責任も追及されなければならない。
判決の内容は明日のブログでご報告したい。
(2015年1月14日)

ドリル優子姫を当選させてーメデタヤナ群馬5区のお正月

穏やかで目出度い正月だ。暮れの選挙では、この群馬5区から優子お嬢様がみごとに当選なさった。万々歳さ。これで、今年もまた明治座に行けるよね。今度の演しものはなんだろう。楽しみにしてんだから。

なんたって、自民党の公認で公明党の推薦なんだから、これだけで当選が決まったようなものだね。対立候補は社民党と共産党。社民の候補には民主も支援したそうだが、所詮束になっても勝負にならない。バラバラだからなおさらさ。社民党も共産党も、アベノミクスは失敗だとか、TPPは危険だ、憲法改正反対とか集団的自衛権行使容認は問題だとか、小難しいこと言っていたけど聞く人は少なかったよ。とりわけ共産党は「政治とカネ」問題について優子さんを糾弾するなんて強く言って、あれじゃかえって票を減らすんじゃないかね。

結局は11万票で圧勝だった。71%の得票率。残りの29%を、社民と共産の2候補が分け合った。もっとも、優子さんは2年前の選挙では13万票で、得票率は77%だったから、政治とカネの問題で法律違反があったという悪口の影響がなかったわけじゃない。フタを開けてみたら、共産党もけっこう票を増やしていたからちょっとびっくりだった。

でも、とにかく圧倒的に勝ったんだから、これでもう問題はなくなったんだろう。ミソギが済んだ、ということだよね。なんと言っても民主主義の世の中じゃないか。「小渕候補に政治とカネの問題あり」ってどんなにマスコミが騒いだところで、有権者が「カネや報告書の問題はもういいよ。優子さん、また議員を務めてくださいね」って、改めてお願いして選び直したんだのだから、外からとやかく言われる筋合いはないんじゃないの。

だって今の世、主権者が一番偉いんだろう。昔は、天皇様だったけど。主権者の意思は選挙に表れる。選挙に勝った議員は主権者の代表だ。その議席は私たちのもの。大切にしてもらわなくっちゃ。せっかく選挙に勝ったのに、もしかして起訴されて有罪になって議席剥奪なんてことになれば、民主主義は終わりだ。こんなやり方を、検察ファッショとか、司法ファシズムというそうじゃないか。くれぐれも、慎重にやっていただきたい。今年も明治座に行けなくなったらたいへんなんだから。

政治は、義理と人情だよ。地元は優子さんのお父さんの代から支援し続けてきたんだ。苦しいときにこそしっかりと応援しなくっちゃ。それが、上州人の心意気というもんだ。ドリルでハードデスクに穴を開けたのは、その心意気の表れさ。上州人を侮るなっていう警告さ。誰がやったって? 民意がやったに決まってるさ。

だいたいが、優子さんはちっとも悪くはないんだよ。取り巻きが気が利かないというだけじゃないか。書類をどう作るかなんて些細なことに優子さんを煩わしちゃいけない。政治資金報告書なんてどうにでも書けるものだろう。どうにでも書ける書類の辻褄が合わないって大騒ぎするほどのことなのかね。そんな重箱のスミのミスをつついてどうする。大所高所から大局を見るべきなんで上州の大切な人に傷をつけちゃいけない。

政治は国民のためにある。政治家には国民が喜ぶように動いてもらわなくちゃ。有権者を喜ばせるのが議員の務めじゃないか。その点優子さんはよくやった。明治座公演なんて素晴らしいアイデア。出演者が、小林幸子、梅沢富美男、中村玉緒、それに石川さゆり、天童よしみと本当に私たちが見たい人を揃えているもんね。やっぱり、優子さんの後援会ならではのことだよ。たいしたものだ。

「国民はその程度にふさわしい政治家を選ぶ」のは当たり前だろう。優子さんは群馬5区にぴったりなんだ。どだい、日本全体で日本国民に相応しい政治家を選んで、日本の国民にぴったりの政治になっているんじゃないの。
(2015年1月7日)

衆議院の解散と、みんなの党の解党ー保革対決の図式に

いよいよ解散、またまた暮れの総選挙である。12月14日赤穂浪士討ち入りの日の政治戦が本決まり。さてこの日、首尾よく総理のクビを討ち取れるか。

ところで、なにゆえの選挙か、何を問うべき選挙か。安倍首相の説明は腑に落ちない。当人も、国民が納得するとは思っていない。

首相は、「国民生活、国民経済にとって重い重い決断をする以上、速やかに国民に信を問うべきだと決心した」と言った。「国民に信を問うべき重い重い決断」とは、何なのだ。消費増税を延期することなのか。それとも延期はしても2017年4月には消費増税を行うことなのか。

消費増税自体は既定路線となっている。消費税法など、いわゆる消費増税関連8法の成立によって、法的には10%の増税は決まっていること。いまさら、「国民に信を問う」とは大袈裟な。唐突に「代表なくして課税なし」というスローガンが出てきたことに驚いた。「課税負担には代表権が伴わなくてはならない」との意味でもあるのだから、在日の諸氏へ選挙権付与の布石かと一瞬耳を疑った。が、そうではなく国民に信を問うことで、痛みの負担を我慢してもらおうという思惑での発言でしかなかったようだ。

では、増税延期の方が解散して国民の信を問うべき大きなテーマかといえば、そんなことはない。この経済環境において増税先送りは大多数の国民が歓迎するところで、反対派の抵抗を想定しがたい。法的にも「景気弾力条項」の発動で済むこと。増税先送りは、首相がまなじりを決して「国民の信を得て敢えて断行する」などと口にするほどのテーマではない。

ほんとのところは、「高支持率の唯一の頼みであったアベノミクスのメッキが剥がれてきた。これから好転することも考えにくい。だから、どうせジリ貧になるのなら、傷が小さい内に解散して、議席の目減りを最低限に抑えておきたい」というものだろう。

だから、大義なき解散と評判が悪い。解散に打って出ることで風を起こしたいという思惑は外れたようだ。既に、自民党へは逆風が吹き始めている。しかし、解散の思惑がどうであれ、民意を示すビッグチャンスではある。壮大な政治戦のゴングが鳴ろうとしている。まさしく、国民全てに安倍政権への信任か不信任かの選択が迫られる。シングルイシューもありうる地方選挙とは違うのだ。

消費増税の延期ではなく、増税自体の是非が問われなくてはならない。逆進性の消費増税は格差・貧困を拡大するものではないか。大企業と金持ちは空前の儲けに潤い、一方実質賃金は15か月連続の目減りである。非正規労働者の急増で雇用は不安定となり、残業代は次第になくされつつある。中小企業と地方は冷え込み、TPPの強行で農漁業は切り捨てられようとしている。福祉は削られ、医療も介護も不安だらけだ。

さらに、自民党改憲草案、96条改憲構想、特定秘密保護法の強行、集団的自衛権行使容認の閣議決定、原発再稼働、原発輸出、NHK「国営化」、歴史修正主義、靖国参拝、日米ガイドライン、沖縄基地固定化、オスプレイ導入、教育再生、地教行法改正、道徳の教科化‥‥。挙げればキリがない。たいへんな内閣なのだ。

国民の選択は、自・公の与党、共社の革新、その中間政党のどれかとなる。安倍政権対革新政党の対峙の骨格がまずあって、その間に民主党・生活の党などの中間政党が点在する構図がある。

ところが、これまでのマスコミの論調は、二大政党としての自民・民主に吸収されない「第3極」をもてはやしてきた。前回総選挙時には、みんなの党と維新とが、持ち上げられた。両党とも、その後の離合集散を経て勢力の衰えを露わにしている。そして本日、みんなの党は、両院議員総会を衆院議員会館で開き、解党することを賛成多数で議決した。

「採決は、地方議員も含めた出席者の怒号が飛び交う中、議事進行役を除く国会議員19人で行われ、反対したのは渡辺氏ら6人にとどまった。決定を受け、みんなは28日に正式に解党。衆院選公示日の12月2日に解散を総務相に届け出る」
「これにより、自民、民主二大政党に対抗する第三極の一角が消滅。所属議員は、民主党や維新の党への合流や新党結成を模索する見通しで、野党陣営の候補者調整が進みそうだ」(時事)と報道されている。

総会で解党を求める決議を提案したのは松沢成文参院議員。「党内は与党路線、野党路線、第三極に割れている。これでは選挙を戦えない。それぞれの道を行くべきだ」と発言したという。これは、たいへん示唆的だ。第3極とは、所詮こんなものなのだ。

我々は、みんなの党崩壊のきっかけとなったDHC吉田との間の8億円授受事件に関して、渡辺喜美を政治資金規正法違反として告発している。我々とは、研究者グループの告発人16名、そして代理人弁護士24名のことである。告発状は26頁におよぶもの。東京地検に告発状を提出して以来5か月が経った。そろそろ何らかの捜査があってしかるべき時期ではないか。

具体的事実の詳細に分からぬところがあることから、構成要件と罰条を必ずしも一義的に特定しがたいものの、8億円の授受についての渡辺喜美の行為が政治資金規正法に違反していることについては、自信をもっての告発である。そして、この告発をきっかけとする徹底した捜査の進展によって、渡辺に関しての被告発事実だけでなく、その周辺事実や関連人物までの捜査を通じて事案の全体像をあきらかにされるよう期待してやまない。問題の焦点は、8億円ものカネの授受が、政治をどう歪めたかにあるのだから。

衆議院解散と、みんなの党の解党決議。今回の重要な政治戦は保・革の対決、端的には自・共の対決を軸とするものとなるだろう。本日のみんなの党の解党は「第3極」の衰退を象徴するものとして、保革対立の図式を際立たせるものとなっている。
(2014年11月19日)

澤藤統一郎の憲法日記 © 2014. Theme Squared created by Rodrigo Ghedin.