澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

海外軍事産業と安倍政権の目には、「日本はすでに憲法改正」なのだ。

「幕張メッセで大規模武器見本市」のニュースは、聞き流していた。苦々しいことではあるが、今さら騒ぐほどのことでもあるまい。そう高を括っていた。

しかし、本日(11月21日)の赤旗の報道に驚いた。見出しが、「『日本はすでに憲法変更』!? 武器見本市の公式ガイドに」というのだ。これは騒がねばならないことだった。紛れもなく、平和を願う多くの日本人の心を傷つける」イベントなのである。社会面の左肩に4段抜きの記事だが、それでも扱いが小さ過ぎはしまいか。

このイベントの名称は、DSEI Japan 2019」という。英国のイベント企画専門企業が主催し、西正典・元防衛事務次官が実行委員長を務め、防衛装備庁が出展。防衛省、外務省、経済産業省が後援している。「安倍政権の全面支援」で行われていると言ってよい。

読みにくいが、赤旗記事に「公式ガイドブック」の一部の写真が出ている。主催者(Clarion Events)の挨拶と思しき内容。日本語で、こう書いてある。

近年の日本国憲法の一部改正に伴い、軍備拡大、自衛隊の海外派遣、日本の防衛産業のより積極的な海外展開が可能になったこともあり、日本で総合防衛展示会を展開する最適なタイミングだと捉えています。DSEIの知名度を東半球に浸透させることができれば、DSEI Londonよりも、アジア市場からの参加者が遙かに増えることで期待できるとともに、アジア市場への参入の足がかりになります。

イギリスに本拠を置く主催者Clarion Eventsは、自社の説明で、「英国で最も歴史のあるイベント主催企業と知られており、世界各国で高く評価されている主要な防衛・セキュリティ展示会の開催を手掛ける世界最大手です。DSEI(ロンドン)をはじめ、LAAD(ブラジル)、BIDEC(バーレーン)、EDEX(エジプト・カイロ)などの開催の実績を持ちます。」という。「DSEI Japan」は、日本で初めて開催される総合防衛・セキュリティ展示会です。また、DSEIブランドを英国外に初めて展開する展示会となります。」とも説明されている。

本日の赤旗記事を抜粋する。

「18日から20日まで、国内(千葉県・幕張メッセ)で初めて開かれた国際的な武器見本市「DSEI JAPAN2019」の主催者が、日本はすでに憲法を『変更』していると公言し、そうした認識が公式ガイドブックに記されていることが分かりました。

見本市の運営を取り仕切るイベントディレクターのアレックス・ソーア氏はガイドブックに掲載されたインタビューで『最近の日本国憲法の変更(Changes)は、軍備拡大、自衛隊の海外派遣、日本の国内産業(軍需企業)が地球規模で進出することを可能にした』と明言。そうしたことから、日本での開催は『最適なタイミング』であり、『アジア市場への参入の足がかりになる』としています。同インタビューの翻訳文では、憲法の「Changes」を「一部改正」と訳しています。

安倍政権が進める立憲主義破壊の『戦争する国づくり』が、『死の商人』に貴重なビジネスチャンスを与えていることを如実に示しています」「政府として、日本がすでに『憲法を変えた』との認識を認めた責任は免れません。」

英国の死の商人たちの目には、近年日本の平和憲法が「一部改正」(Changes)したと映っている。それゆえ、「軍備拡大、自衛隊の海外派遣、日本の防衛産業のより積極的な海外展開が可能になった」というのだ。だから、今こそビジネスチャンスだと、煽っているのだ。

煽られた企業として、名前が出て来るのは、「IHI、川崎重工業、スバル、日本電気、富士通、三菱重工業、三菱電機を含む日本と欧州の防衛産業を代表する企業をはじめ、中小企業等、60社を超える企業」(第1回 DSEI Japan説明会出席者)なのだ。

さらに重要ななことは、この「憲法改正(Changes)」の言葉が発せられたイベントを、「防衛装備庁が出展。防衛省、外務省、経済産業省が後援しており、事実上『安倍政権の全面支援』で行われている」という事実である。こんなコンセプトのイベントを後援(事実上は主催)した安倍政権の責任は重大である。

安倍改憲とは、「軍備拡大、自衛隊の海外派遣、日本の防衛産業のより積極的な海外展開」を意味することがよく分かる。すべては、防衛予算の拡大を伴うこと。国内外の死の商人たちの牙の前に、弱り目の日本が好餌として差し出されようとしている。安倍改憲阻止とは、「軍備拡大の阻止、自衛隊海外派遣の阻止、防衛産業のより積極的な海外展開の阻止」を意味するのだ。
改憲阻止の重要性が具体的に肌に滲みる出来事ではないか。
(2019年11月21日)

安倍長期政権という日本の不幸と国民の責任

安倍晋三の首相としての通算在任日数が本日(11月19日)で2886日を数え、憲政史上最長タイとなったと報じられている。めでたくも何ともない。日本の不幸がこれだけ続いたということだ。

長期政権の理由を穿鑿すれば、小選挙区制による権力集中や、官僚の人事権の集約、野党のありかた、経済状況…その他諸々があるのだろうが、結局は国民が許したということにならざるを得ない。

「国民は、そのレベルにふさわしい政治しか持てない」とも「政治は国民を映す鏡」ともいう。「国民は、そのレベルにふさわしい首相しか持てない」とも「首相の品性は国民を映す鏡」と言い直してもよいだろう。安倍政治の継続は、結局国民の「この程度のレベル」を映し出しているものと言うしかない。残念だが、そのとおりで仕方がない。

安倍晋三唯一の功績と言えば、政治家というものは尊敬や信頼とは無縁だということを国民によく知らせてくれたことだろう。国民から、こんなにも見下された首相も珍しい。基本的な日本語能力に欠けること甚だしい。感情を抑えられずに野次を飛ばす。オトモダチを優遇して恥じない。嘘とゴマカシ、文書の隠匿・改竄の常習者。丁寧に説明すると繰り返して、毎度の頬被り。

なによりも、歴史修正主義者で、復古主義者で、軍国主義者で、格差貧困の容認者で、改憲論者である。こんな人物の政権長期化は、安倍を担ぐ右翼勢力の蟠踞の反映というしかない。

私が、安倍晋三という若手政治家を初めて意識したのは、NHK・ETVの特集番組「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」の改変問題のとき。何度かNHKに抗議と激励に足を運んだ覚えがある。あのとき、安倍晋三という政治家を、知性に欠けたゴリゴリの歴史修正主義者として印象づけられた。その後、このときの第一印象が変わることはない。

ところで、安倍晋三政権長期化に祝賀のムードはない。既に、レームダック状態。散る潮時がいつかだけが問題となっている。

私は、第2次安倍政権発足直後から、改憲の危機を感じて当ブログ「憲法日記」を書き始めた。まさか、こんなに安倍政権が長く続くとは思いもよらずに。その所為でブログの更新は本日で2423日連続となった。もう少し続けなければならないが、先は見えてきた。もう少しで辞められそうだ。

 散れよかし? はなのさかりは過ぎにけり 散りゆくものは汝が身なるらん

(2019年11月19日)

桜散る 水に落ちたる 犬の背に

来年(2020年)4月の「桜を見る会」は、中止になったという。これは、明らかに急速に盛り上がった「安倍晋三の行政私物化糾弾」世論の成果である。と同時に、一定の譲歩をもって、これ以上の世論の追及を交わそうという戦術でもある。

今安倍政権は窮地にある。2大臣更迭、萩生田「身の丈」発言、大学受験業者癒着問題を抱えた上での、「桜」問題である。閣僚が起こした問題ではない。今度は、自分自身の落ち度。これで、安倍は「水に落ちた犬」状態だが、手を緩めてはならない。今こそ「安倍打つべし」である。

本日(11月13日)午後、官房長官が記者会見で唐突にその旨の発表をした。安倍晋三は、午後7時前、官邸を出る際に記者団に対し、「私の判断で中止することにした」と述べたという。「私の判断で中止」って、何をエラそうな口の利きかた。

なぜ中止なのか。いかなる違法を認めたのか。自分の責任をどう感じているのか。国民への謝罪の言葉はないのか。11月8日参院予算委員会での質疑に対する傲慢な答弁はいったい何だったのか。「来年度中止」でことの幕引きがはかれると思っているのか。

安倍晋三は、実は悩んだに違いない。劣勢に追い込まれた今、徹底抗戦して切り抜けるか。それとも、陣を退いて立て直すか。徹底抗戦は、どうにも勝ち目がなさそう。その闘いで負った疵は致命傷になりかねない。ここは、いったん退かざるを得ない。しかし、退くのも難しい。退けば、野党の連中は嵩にかかって追撃してくるに違いない。どこかで、踏みとどまることができるだろうか。

一面は、しおらしく非を認め、そして一面は「慣行だった」「民主党政権時代も同じだった」と交わしながら陣を退いて立て直すことにしよう。もっとも、安倍政権になってから、招待客も費用も増加してきたと突かれるのは辛いところ。それにしても、「キョーサントー」の質問からだ。面白くもない。

この事態で、各メディアが、一斉に「桜を見る会」の実態について取材し報道している。もう、遠慮の必要はないのだ。後援会やその周辺の人びとが、様々に勧誘されて申し込んで参加しているという。各界代表でもない人が、功績の有無など関係なく。そもそも、多くの人が、安倍晋三の後援会が開催する行事だと思いこんでいたのだともいう。「桜を見る会」の会場では酒やつまみなどの軽食が無料でふるまわれたほか、土産ものも配られたという。今回の報道で公的な行事であることを初めて知ったとも。

この件については、野党のまとまりがよかった。野党側は安倍晋三から説明を聞く必要があるとして、予算委員会の集中審議を求めていく方針だが、与党側は「桜を見る会」の実施手続に問題はなく、集中審議の必要はない、としていた。事態が一転した今、与党は、「来年は中止になったのだから、集中審議の必要もなくなった」とでもいうのだろうか。しかし、野党がこれで戈を収めてよいはずはない。

違法な行為の法的責任は事後的になくなることはない。民事でも刑事でも同様だ。政治的、道義的責任も同じこと。公私混交甚だしい、安倍晋三の責任を徹底して追及しなければならない。

朝日が、こう報じている。

「安倍晋三首相が開いた「桜を見る会」に参加した政治家たちが、当時のブログなどを次々に削除している。朝日新聞が、ウェブ上に保管されているデータから内容を確認すると、自身の後援会関係者らと「見る会」を満喫する光景が浮かぶ。
 藤井律子・周南市長は、参院予算委員会で「桜を見る会」が取り上げられた8日の夜、2014年と18年のブログを消した。
 18年の「桜を見る会」は4月21日にあり、後日こう書いた。「片山さつき先生とも久しぶりの再会を果たしました。『今日は、山口県からたくさんの人が来てくださっているわね?。10メートル歩いたら、山口県の人に出会うわよ!』と、いつものように元気よくお声をかけていただきました」

プレジデントオンラインがこう書いており、なるほどと思わせる。

「菅原氏や河井氏は有権者に「自腹」で金品を配った。一方、安倍政権の幹部たちは「桜を見る会」において、地元後援会の人間を堂々と税金を使って接待している。
「政治家が自分のお金でやったら明らかに公職選挙法違反。(今回の件では)税金を利用している。モラルハザードを安倍政権が起こしている」という田村氏の指摘は多くの国民が共感しているのではないか。」
「桜を見る会」の問題は、菅原、河井の両氏が辞任したスキャンダルよりも悪質ではないか。そういう疑念が広がりつつある。

(2019年11月13日)

「桜を見る会」への批判を ー 「究極の行政私物化」「選挙民を税金で買収」「記録の廃棄」

安倍晋三の「桜を見る会」悪用疑惑。一挙に大問題となってきた。今度こそ、徹底追及して事実を究明し、傲った政権にピリオドを打ちたい。

本日の本郷三丁目交差点での「湯島本郷九条の会」の宣伝活動でも、すべての弁士が「安倍9条改憲阻止」とともに、期せずして「桜を見る会」問題を取りあげた。

安倍晋三追及の論陣は急速に広がりはじめている。メディアも野党も、そしてネットの世界でも。たとえば、小沢一郎。彼は、朝日・毎日・東京の各紙を引用する形で、安倍批判の発言を繰り返している。私は、小沢一郎という人物に好感を持っているわけではないが、彼の昨日(11月11日)のツイッターにこう書かれていることには文句なく賛同する。

ある意味で「権力の私物化」の最終形態だろう。地元後援会850人を、飲食を伴う政府主催のお花見に御招待。全部税金。証拠はきれいに隠滅。たまたま各界の功績ある方々が地元後援会にいたと。この総理の感覚は麻痺している。問題は、国民の感覚まで麻痺したら、この国はついに終わりということである。

このツイッターによく表れているとおり、問題点その1は、安倍晋三の「権力の私物化」である。国民の税金を使って、私的な後援会活動に使う。なるほど、「私物化の最終形態」と言ってよい。政治の私物化、行政の私物化、総理大臣職の私物化でもある。森友事件、加計学園事件でも話題となった、安倍晋三のタチの悪さ・薄汚さがここでもよく表れている。普通、右翼は潔癖なはずなのだが、こういう汚い政治家をどうして応援できるのか。

問題点その2は、選挙民に対する供応である。「地元後援会850人を、飲食を伴う政府主催のお花見に御招待」である。内閣府の「『桜を見る会』開催要項」によれば、「来会者のために茶菓の接待をする」と明記されている。自分のカネではなく、権力を濫用しての選挙時に選挙運動を担う850人もの人への大規模な供応。「茶菓の接待」の内容を追及しなければならない。

問題点その3は、「証拠はきれいに隠滅」である。招待者名簿は、速やかに破棄されたという。これも、安倍政権の常套手段。都合の悪い記録は破棄するか隠蔽する、あるいは改竄する。「破棄をした」は到底信じがたいが、仮に破棄したとしても内閣府は、各省庁や各界からの推薦に基づいて招待者名簿を作っている。再現は容易なはず。しかし、「隠すのは、疚しいから」であり、 「隠れたるより現るるはなし」でもある。

問題点その4は、いつもながらの牽強付会の言い逃れ。。「たまたま各界の功績ある方々が850人も地元後援会にいた」と言ってのける甚だしい無神経。これを「桜論法」と言おう。花に似ず美しくはないが、花に似てすぐに散る言い逃れ。
前記「開催要項」は、「桜を見る会」の招待範囲を次のように、特定している。
「皇族、元皇族
各国大使等
衆・参両院議長及び副議長
最高裁判所長官
国務大臣
副大臣及び大臣政務官
国会議員
認証官
事務次官等及び局長等の一部
都道府県の知事及び議会の議長等の一部
その他各界の代表者等
計 約1万人
この列挙において「その他各界の代表者等」に後援会員をもぐり込ませようというのは、無理な話。いったいどのような手続で、これらの人びとを特定して選考し、「招待状」を送付したというのか。これを「その他各界の代表者」と強弁する安倍流には、徹底した批判が必要である。

そして問題点その5は、「国民の感覚」である。明らかに、安倍晋三の感覚はおかしい。廉恥の心に欠けているからこんなことをして反省の弁すらない。問題は、この感覚のおかしな男を支えている地元の有権者の感覚である。首相の「桜を見る会」に招待されて喜んでいる850人の感覚が安倍晋三同様に麻痺しているのだ。全国民が、山口一区の選挙民並みになったら…、この国はついに終わりということである。

この国を終わりにしてはならない。安倍政権を終わりにしなければならない。
(2019年11月12日)

恥を知れ、安倍晋三。

昨日(11月8日)の参院予算委。質疑の中で、またまた安倍晋三の醜態が明らかとなった。改めて思う。こんな人物を行政府の長としている、わが国のみっともなさと不幸を。そして、最近よく聞く安倍晋三こそ国内最大のリスク」というフレーズに同感する。

安倍の「醜態その1」は、一昨日の衆院予算委に続いての閣僚席からの野次である。
毎日が、簡潔にこう伝えている。「安倍首相、再びやじ 質問議員指さして」「金子参院予算委員長『厳に慎んで…』」
https://mainichi.jp/articles/20191108/k00/00m/010/282000c

首相が8日の参院予算委員会で、質問する立憲民主党の杉尾秀哉氏を指さしながらやじを飛ばしたとして、杉尾氏が抗議する一幕があった。首相は6日の衆院予算委でも野党議員にやじを飛ばし、棚橋泰文衆院予算委員長が不規則発言を慎むよう要請した。
杉尾氏によると、放送局に電波停止を命じる可能性に言及した2016年の高市早苗総務相の発言について質問した際、首相が自席から杉尾氏を指さして「共産党」とやじ。金子原二郎参院予算委員長が「不規則発言は厳に慎んでほしい」と注意した。
杉尾氏は取材に「国会は政策を論議する場であり、やじは首相の適性や品格に関わる問題だ」と語った。

安倍にとっては、「共産党」が悪口なのだ。戦前の天皇制時代に作られた時代感覚そのままの恐るべきアナクロニズム。それにしても、立憲民主党の杉尾秀哉氏を指さしながらの「共産党」である。意味不明。というよりも、理解を超えた発言。他人ごとながら、「この人、ほんとに大丈夫かね」と心配になる。

安倍の「醜態その2」は、共産党・田村智子議員の質問によって、明らかになった醜行。本日(11月9日)の赤旗トップ記事になっている。
「桜見る会を安倍後援会行事に」「参加範囲は『功労・功績者』のはずが」「税金私物化 大量ご招待」「田村氏追及に首相答弁不能」という大見出し。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik19/2019-11-09/2019110901_01_1.html

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik19/2019-11-09/2019110903_01_1.html

「安倍内閣のモラルハザード(倫理の崩壊)は安倍首相が起こしている」―。日本共産党の田村智子議員は8日の参院予算委員会で、安倍晋三首相主催の「桜を見る会」に安倍首相や閣僚らが地元後援会員を多数招待していた問題を追及しました。安倍首相は質問に答えられず、審議はたびたびストップ。安倍首相が先頭にたって公的行事・税金を私物化している疑惑が深まりました。

「桜を見る会」の参加者数・支出額は安倍政権になってから年々増え続け、2019年の支出額は予算額の3倍にもなっています。田村氏は、各界で「功労・功績のある方」を各府省が推薦するとしながら、自民党議員・閣僚の後援会・支持者が多数招待されていることを明らかにしました。

安倍首相の地元・山口県の友田有県議のブログ記事では、“後援会女性部の7人と同行”“ホテルから貸し切りバスで会場に移動”などの内容が記されています。
田村氏は「安倍首相の地元後援会のみなさんを多数招待している」「友田県議、後援会女性部はどういう功労が認められたのか」とただしました。
安倍首相は答弁に立てず、内閣府官房長が「具体的な招待者の推薦にかかる書類は、保存期間1年未満の文書として廃棄している」と答弁しました。田村氏は「検証ができない状態ではないか」と厳しく批判しました。

田村氏は「安倍事務所に参加を申し込んだら、内閣府から招待状がきた」という下関の後援会員の「赤旗」への証言を紹介。「下関の後援会員の名前と住所をどの府省がおさえられたのか。安倍事務所がとりまとめたとしか考えられない」とただしました。
さらに田村氏は、友田県議や吉田真次下関市議のブログに、「桜を見る会」とあわせて安倍首相夫妻を囲んだ前夜祭の盛大なパーティーの様子が紹介されていると指摘。「桜を見る会が『安倍首相後援会・桜を見る会前夜祭』とセットになっているんじゃないか」「まさに後援会活動そのものだ」と追及しました。

安倍首相は「お答えを差し控える」と答弁を拒否し、議場は騒然。田村氏は「桜を見る会は参加費無料でアルコールなどをふるまう。政治家が自分のお金でやれば明らかな公職選挙法違反だ。こういうことを公的行事と税金を利用して行っていることは重大問題だ」と強く訴えました。

なるほど、安倍晋三は共産党が嫌いなわけだ。が、問題は安倍自身がしたことの責任だ。田村議員が指摘するとおり、「政治家が自分のお金でやれば明らかな公職選挙法違反」なのだ。これに呼応して、山添拓議員が、「私費でやれば公選法違反。税金で堂々やるとは、私物化も甚だしい!」とツイートしている。さて、政治家が自分のお金でやれば明らかな公職選挙法違反」だが、「税金で堂々やる」のは犯罪にならないのだろうか。そんなはずはなかろう。

問題の条文は公選法199条の2 第1項である。公選法の条文は、極めて読みにくく作られている。文意をとりやすいように整理すれば次のとおりである。

公職選挙法第199条の2
第1項 政治家は、当該選挙区内にある者に対し、いかなる名義をもってするを問わず、寄附をしてはならない。

その違反に対する罰則は、下記のとおり。
第249条の2
第1項 第199条の2第1項の規定に違反して当該選挙に関し寄附をした者は、1年以下の禁錮又は30万円以下の罰金に処する。
第2項 通常一般の社交の程度を超えて第199条の2第1項の規定に違反して寄附をした者は、当該選挙に関して同項の規定に違反したものとみなす。

もちろん、有罪が確定すれば、原則5年間の公民権(選挙権・被選挙権)停止となる。

問題は、この安倍晋三による「税金私物化 大量ご招待」を、「寄附」と見ることができるか、である。私は、できると思う。もしこの安倍晋三の税金私物化が、公職選挙法違反にならないとすれば、公選法は甚だしいザル法である。ザルの目を塞ぐ法改正が必要となる。

「寄附」の定義規定は次のとおりである。
公職選挙法第179条第2項
「この法律において「寄附」とは、金銭、物品その他の財産上の利益の供与又は交付、その供与又は交付の約束で党費、会費その他債務の履行としてなされるもの以外のものをいう。」

つまり、安倍晋三が山口1区の有権者に、「金銭や物品」を配ることだけが、公職選挙法で禁止された「寄附」に当たるものではない。禁じられているのは、「財産上の利益の供与」一切なのだ。

立法の趣旨は明らかである。カネを持つものが、カネで政治を壟断することを防止するためである。典型的には、カネで票を買うことは買収罪となり、カネを支払っての選挙運動員を使って票を集めることは、間接的に票を買うことになるとして、運動員買収罪となる。しかし、通常の選挙犯罪は、特定の選挙との具体的な関連性が要求される。たとえば、次のとおり。

第221条1項 次の各号に掲げる行為をした者は、3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する。
第一号 当選を得若しくは得しめ又は得しめない目的をもつて選挙人又は選挙運動者に対し金銭、物品その他の財産上の利益若しくは公私の職務の供与、その供与の申込み若しくは約束をし又は供応接待、その申込み若しくは約束をしたとき。

選挙「買収」は、「当選を得若しくは得しめ又は得しめない目的をもつて」という形で、特定の選挙との具体的関連性が要件となっている。しかし、寄附にはその目的規定がない。特定の選挙との関連性が希薄ではあっても、カネの力で選挙民の投票行動が左右されるようなことがあってはならないとするのが法意なのだ。

本件では、安倍晋三がその選挙区の有権者を「参加費無料でアルコールなどをふるまう」会に招待し参加させたことが寄附に当たるか、が問われている。本来の「功労・功績者」への招待であれば公職選挙法条の犯罪とはならないが、欲しいままに予算を計上し、あるいは予算を大幅に上まわる人を招いて、事実上後援会員を「タダで飲み食いさせ」たのは,明らかに財産上の利益の供与であるから、寄附に当たる。問題は、「寄附」とは、自腹を切っての供与だけをいうもので、権力者が税金を欲しいままに使っての選挙民に対する利益供与は除かれるのか、という点に収斂する。

この寄附禁止規定は、「政治家が自分のカネでやる」ことを想定していたには違いない。しかし、身銭を切っての寄附の悪質性よりも、権力者がその地位を利用ないし悪用して、国民の財産を掠めとっての「寄附」がより悪質であることは、誰の目にも明らかではないか。

法の制定時、こんな安倍晋三流の悪質極まりない選挙違反は想定されていなかった。それが、安倍一強の驕りによってここまで腐敗が進行したということではある。しかし、実質的な負担者が誰であれ、有権者に利益を供与せしめた者すべてが、公選法199条の2 第1項違反と解すべきで、その解釈が罪刑法定主義に反するものではないと、私は思う。
それにしても、汚い。恥を知れ、安倍晋三。
(2019年11月9日)

オッチョコ首相とミノタケ大臣、それに擦り寄るハゲタカ企業。

高校生諸君。おそらく普段は関心を持つこともない国会審議だろうが、昨日(11月6日)の衆院予算委の集中審議にだけには、目を光らせて報道をよく読んでいただきたい。審議の内容が、共通試験への民間業者導入という、君たちの大学進学に関係する身近な話題であるからだけではない。これから君たちが担うことになるこの社会の成り立ちの基本を活写するものとして、極めて教訓に富むものとなっているからだ。

結論から言おう。まず目に付くのは、オッチョコチョイの安倍晋三首相、「身の丈」大事をホンネとする文科大臣、そんな政治家に擦り寄って利益を得ようというベネッセを筆頭とするハゲタカ「教育産業」の醜さだ。この構図がよく読み取れる。

しかし、問題はその奥にある。オッチョコ首相の野次はなくとも、首相の腰巾着として成り上がった文科大臣の「身の丈」発言がなくても、教育が企業の儲けの手段となり、教育さえも市場原理に委ねられていくことの問題性をしっかりと捉えなければならない。そして、現政権が強力に推し進めている「民間活力導入」における、政・官・財の癒着の構造を見すえなければならない。

まずは、この国の首相たる者のオッチョコぶりに注目せざるを得ない。
6日の衆院予算委員会で、安倍晋三首相が着席中に飛ばしたヤジに野党が猛反発し、審議が一時中断した。今井雅人議員が加計学園問題で文部科学省内で見つかった文書に言及した際に首相が不規則発言。今井氏によると、首相は今井氏を指さして「あなたが(文書を)作ったんじゃないの」とヤジったという。(毎日から)

この文書は、首相側近の萩生田(当時内閣官房副長官)が文科省に、加計問題での首相の意向を伝達したという圧力の証拠となる重大メモ。署名はないが、手書きのメモとして、文科省に保管されていたもの。唐突に、その作成者だと言われて、今井議員は当然に怒った。「侮辱です、謝罪してください」と声高な訴えに対して、首相はしどろもどろになりながらもこう答えた。

「文科相(萩生田のこと)が与り知らないメモなのだから誰が作ったか不明。今井議員だって私だって可能性があるという趣旨だ。」とムチャクチャな答弁をして場の紛糾を招いた。そして、「自席から言葉を発したことは申し訳なかった」とは言ったものの、「あなたが作った」を撤回せず、謝罪もしなかった。小学生のケンカのレベル。こういう非常識が、わが国の首相の姿なのだ。

ミノタケ文科相の「身の丈」発言には正直のところ驚いた。これが彼らのホンネであることはよく分かってはいたが、まさかこうもあからさまに、普段思っていることを分かり易く口にするとは思わなかった。もちろん、失言などというものではない。

「身の丈」とはそれぞれの個人が抱えている人生の条件のことだ。誰の子として、どこに生まれ、どのような家庭環境と社会環境で育てられてきたか。経済的に恵まれているか否か。「身の丈に合わせる」とは、それぞれの不平等な人生の条件を文句を言わずに受け入れよ、ということである。これを教育行政のトップが発言した意味は大きい。不平等な格差を是正することが教育行政の役割と認識していれば、絶対に身の丈発言はあり得ない。上から目線で、「貧乏人は、貧乏人の身の丈で、できることをするしかなかろう」と言うホンネが,この発言の真意なのだ。

教育における格差是正問題は、社会観の根本に関わる。まず、人は平等であるべきかという問にどう答えるか。一方に、すべての人は当然に平等である、という近代社会の常識がある。日本国憲法のコアの部分も、この常識を取り入れている。

もう一方に、世襲によって固定した身分的差別を容認する非常識がある。王族やら皇族やらの存在をありがたがり、民族や人種や性による差別をも容認するアナクロニズムと言ってよい。日本国憲法も、コアでない部分で天皇制という前世紀の遺物を残している。天皇制は当然のごとく男女の平等も排している。

その中間に、形式的な平等だけを認める立場がある。けっして、結果の平等を認めない。人の経済活動の自由を認めその結果として現れる、格差や不平等を積極的に容認する立場だ。利潤を求める資本にとって、低賃金で働く労働者が不可欠なのだ。だから、資本を代表する立場の政治にとって、建前は人間の平等でも、ホンネは差別の容認となる必然性がある。

教育は、この差別社会における階層間の流動性を促進する機能をもっている。この国の建前は、誰もが平等に教育を受ける権利を謳っている。教育の機会均等こそは、低所得階層にとっての希望へのステップである。

従って、本来教育は,貧富の差なく誰もが平等に受けられるように,無償であることが望ましい。そうすることによって社会はより有為な人材を育てるメリッとを享受することができる。

ところが、政府は無駄な防衛予算には巨額を注ぎ込んでも、教育にはカネを出し渋る。それなればこそ、教育産業の出番が生じる。教育は、教育産業のビジネスチャンスの場となり、市場原理で動くものとなる。圧倒的にカネを持つ親の子が、高学歴を所得するに有利になるのだ。共通試験の民間委託とは基本的にそのような構造の中での出来事である。

加計問題で明らかになったのは、首相が議長を務める「国家戦略特別区域諮問会議」の露骨なオトモダチ優遇だった。今度も、政権と業者の癒着が疑われている。たとえば、次の報道。
「英語試験法人に天下り、旧文部省次官ら2人 衆院予算委」(東京新聞)
「衆院予算委員会は6日、安倍晋三首相と関係閣僚が出席して集中審議を行った。2020年度の大学入学共通テストへの導入が延期された英語民間検定試験に関し、実施団体の一つベネッセの関連法人に旧文部省、文部科学省から二人が再就職していたことが明らかになった。野党は、英語民間試験導入の背景に官民癒着があるのではないかと追及した。文科省の伯井美徳高等教育局長は予算委で、旧文部省の事務次官経験者が同法人に再就職し、10月1日まで理事長を務めていたことを明らかにした。国立大学の事務局長を務めた文科省退職者も同日まで参与を務めていたと述べた。
また、立憲民主党の大串博志氏は「(民間試験導入が)民間に利益が及ぶ形で考えられているのではないか。疑念を呼ぶこと自体が大きな問題だ」と批判した。

おそらく高校生諸君は、怒るだろう。君たちは食い物にされているのだ。直接には教育産業に、そして教育改革を推進するという政治家たちに。また、今の社会や政治はこんなひどいものだと呆れることだろう。その責任は、私も含めた君たちの親やその親の世代にある。君たちの世代には、こんなオッチョコ首相やミノタケ大臣ではないマシな政治家を選任し、資本の論理が横行する社会ではなく、真に人間を尊重する社会を実現してもらいたい。

なお、明日(11月8日)には、参院予算委でも集中審議が予定されている。こちらにも、ぜひ関心をお寄せいただきたい。
(2019年11月7日)

独白 ― 萩生田光一「身の丈発言」のホンネを語る。

人事の要諦は適材適所だよ。私が、文部科学大臣。これこそ理想の適材適所。安倍政権の傑作じゃないか。口さがない輩は、「加計学園にあれだけドップリ浸かって、疑惑を抱えた萩生田が文科行政のトップとはブラックジョークか」などと悪口を言うが、ためにする言いがかりで八つ当たりも甚だしい。森友・加計批判を強引に乗り切った私こそが、教育行政のトップを担うにふさわしい。一見して明白だよ。

私は、予てからの教育勅語信奉者だ。日々、勅語の精神を政治に行政に体現しようと、議員会館の私の部屋には、勅語の額が掲げてある。掲げてあるだけではない。朝に夕に勅語を拝読三唱し、明治大帝の大御心の深さの一端でも、我が心にしようと誠心誠意努力を重ねている。そんな私なのだから、子どもたちに倫理を教える文科省の大臣にもっともふさわしいんだ。

往々にして、勅語は失効しただの、アナクロニズムだのという不敬の言動にお目にかかるが、ものを知らないということは恐ろしい。勅語の最後にはこう書いてある。

「斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所。之ヲ古今ニ通シテ謬ラス、之ヲ中外ニ施シテ悖ラス。朕、爾臣民ト?ニ拳々服膺シテ咸其?ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ」

どう? おそれいらない? つまり、勅語の精神はだね、なんたって神さまがお示しになったものだから、正しいに決まっている。「古今の歴史を通じて、また世界のどこにおいても」けっして間違っていないと書いてあるんだ。勅語が示している道は、令和の御代においても、我等臣民の永遠に守るべきものなのだから、これを信奉している私こそが文科大臣に最もふさわしいわけだ。

その私の、「身の丈」発言だ。「身の丈」で生きることって、大切なことだよ。常々思っていることを口にしただけだが、形勢不利となれば、撤回も謝罪もなんでもありだ。これも、子どもたちに教訓的だろう。

「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」というじゃないか。蟹だってオケラだって、身の丈に合わせて生きているんだ。ましてや知恵のある人間だもの、身の丈に合わせた生き方をしなくては苦しむだけさ。「身の程」を知り、「分相応」の生き方が大切なことを、道徳の時間に改めてよく教えなくてはならない。

人の平等だの、教育の機会均等だのというのは、そりゃ建前だけのこと。ほら、皇室をご覧なさい。畏れ多くも、皇室や皇族の皆様方が、われわれ臣下と平等であるはずはない。だから、安倍晋三首相が、臣下を代表して、高御座のお上を「仰ぎ見て」、「テンノーヘイカ・バンザイ」とやったのだ。これが世の常識というもの。

そして、「テンノーヘイカ・バンザイ」をやった安倍晋三首相も、典型的な三代目政治家。下から這い上がった人ではない。麻生太郎財務大臣も同じ。何の苦労も知らないお坊ちゃんたち。このような,格差の上澄みが支配する世の中であるという現実を、しっかりと知らねばならない。それこそが教育の課題。

憲法が、人間差別の象徴としての天皇の存在を認めているとおり、人間の平等は観念論だ。現実には、人は差別を背負ってこの世に生まれ育つのだ。とりわけ、貧富の格差による差別は如何ともしがたい。この格差を無理に是正しようとすれば、共産主義の世の中になってしまう。それでもよいという覚悟はおありかな。

だから、大学入試の英語民間試験導入を巡る問題で、「お金や地理的に恵まれた生徒が有利になるのではないか」と聞かれて、私は「身の丈」が大切と答えたのだ。なにも、大学入試の英語の科目だけが教育差別というものではない。人は、生まれ落ちたときから、教育格差の中で生きているのだ。幼稚園から大学まで、すべて教育格差で貫かれた現実。自分の身の丈に合わせて勝負してもらう」以外にありようはない。

私は、「受験生に不快な思いを与えかねない説明不足な発言だった。おわびしたい」とは言った。もちろん、慎重に「受験生に不快な思いを与えた」とは認めていない。「説明不足」に過ぎなかったのだから、説明さえすればよいのだ。それで、身の丈に合わせてとは、「自分の都合に合わせて」の意味だと言ってはみた、我ながら上手くない。「身の丈に合わせて」は外部からの強制による余儀なくされた選択で、「自分の都合に合わせて」は強制性のない自発的な選択なのだから。

しかしだ、この程度のことで騒がれるのは、はなはだめんどうだ。やっぱり、教育勅語だよ。上から目線で、教育も教育行政も貫けるのだから、戦前はよかった。ここでうんと天皇の権威を高めて、政治も行政もやりやすくしてもらいたいものさ。
(2019年10月30日・連続更新2403日)

テンノウヘイカバンザイ! 二度と聞きたくなかった 言葉

10月18日の閣議は、10月22日新任天皇の即位披露式にともなうパレードを延期し11月10日に開催することを正式決定した。
台風19号の被災者に配慮した結果の延期だというのだが、実はよく分からない。20日足らずの延期で、被災者への配慮の必要はなくなるとでもいうのだろうか。なぜ、中止にしないのだろうか。なぜ、延期をしてまでも実施にこだわるのだろうか。そして、被災者に配慮しながらも、22日式当日2000人の招待客を飲み食いさせたというのだろうか。

人気商売なのだから国民感情への配慮が必要なことは当然として、あまりに中途半端ではないか。10月23日の毎日夕刊トップが、避難所環境 雑魚寝でいいのか?」「台風19号、公民館に身を寄せたが…」の見出しで、次の記事を載せている。

 台風19号で避難所生活を送る被災者は、22日午前7時現在で3928人にのぼる。今も1000人近くが避難している長野県では、記者自身も家族と避難所へ身を寄せた。だが、そこは必ずしも安心が得られる場所ではなく、結局は自宅へ引き返した。避難所といえば「体育館で雑魚寝(ざこね)」が定番だが、その環境は国際基準に照らすとかなり劣悪と指摘される。このままでいいのか、…

「このままでいいのか」という言葉は、新天皇夫妻に届いているだろうか。

もう一つ。パレードの是非よりも、格段に重い国民への配慮の問題が、新天皇・即位披露式での「テンノーヘイカ・バンザイ」である。

この点について、石川逸子さんから、こんな詩のメールをいただいた。共感して、ご紹介する。
(2019年10月25日)
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天皇より1・3メートル低い位置から
安部首相が「天皇陛下万歳」を三唱しました。
明らかに憲法違反です。
昨年度からの皇位継承に伴う式典関係費は160億円余り。
前回より30%増えたそうです。

大嘗祭違憲訴訟原告として発表した詩ですが、
ご笑読くださいませ。
(なお、詩に「現天皇」とあるのは、前天皇明仁のことですー澤藤)

 

テンノウヘイカバンザイ!
   ー即位・大嘗祭違憲訴訟に向けて 石川逸子

テンノウヘイカバンザイ!
二度と聞きたくなかった 言葉
1990年11月12日
その言葉を聞いて あっけにとられた
あろうことか 現天皇の即位式のとき
海部首相がはるか高御座に坐る天皇を仰ぎ見
テンノウヘイカバンザイ! と三唱したのだ

そのテンノウの名によって
徴兵された 将兵たちが
「テンノウヘイカの おんために」
朝鮮に 中国に 東南アジアに攻め入って
殺戮・強かん・略奪・放火
ありとあらゆる暴虐をはたらいた事実を
忘れたとでもいうのだろうか
いわれなく殺されたアジアの死者たちが
バンザイ三唱を聞いて
地の底から憤怒の声をあげるのが
聞こえないとでもいうのだろうか

台湾からフィリピンの「慰安所」に連れていかれ
日々 殺すといわれて強かんされ
日本軍とともに山へ逃れ
たった一人生き延びた女性は
日本軍に撃たれて死んだ友の遺品に
今も 毎日供え物し 祈りながら
その償いを テンノウにこそしてほしいと
つい先ごろ 日本へ来て訴えている

皇国教育にまるごと染められ
テンノウヘイカバンザイ!
叫びながら
原爆に体ごと焼けて本川をながれていった
私と同年の広島二中1年生もいた

テンノウヘイカバンザイ!
その言葉をさらに
2013年 4月28日 ニュースで聞いた
サンフランシスコ講和条約締結日を祝う式典で
退席しようとする天皇夫妻に
安部首相以下出席者一同が万歳三唱したのだ
アジア・太平洋戦争でヤマトの捨て石にされた沖縄を
今度はアメリカに売った その日
沖縄県民にとっては 屈辱の日だというのに

なぜ 主権者となったわたしたちが
テンノウに平伏する儀式を営まねばならないのか
なぜ アジアのひとたちを逆なでする儀式を強行し
なぜ 退位の礼並びに即位の礼で
テンノウに感謝し
テンノウから「お言葉」を頂かねばならないのか
なお霧に包まれた 大嘗祭行事に付きあい
そのために 多額の税を投入しなければならないのか

テンノウといえば よみがえる苦い記憶
奉安殿への最敬礼をうっかり怠って
教師に いやというほどぶんなぐられた友人
白木の箱を捧げ 眼を伏せた遺族が先頭に立つ
町中の暗い行列
満員電車であろうと 皇居前にさしかかると
帽子を脱いで乗客全員 体をよじって最敬礼していた
滑稽な日々
「畏くも」と教師がいえば
(あ 次はテンノウヘイカという言葉が来る)と察知し
さっと 姿勢を正さねばならなかった子どもの日

テンノウヘイカバンザイ!
など二度と云いたくない
そんな光景を二度と見たくない
バンザイ!を唱えることで
わたしたちの主権は侵され
バンザイ!を唱えることで 権力を得
利を得るものたちが 跋扈する
世が
再来しているではありませんか

本日の緊急臨時閣議における議題と閣議決定

第1.「安倍首相の後援会員ら数百人 税金で“おもてなし”」の件について

一昨日(10月21日)の共産党機関紙「赤旗」本紙のトップに、大要次の記事が掲載されている。

  日曜版スクープに反響 首相主催の「桜を見る会」
  安倍首相の後援会員ら数百人 税金で“おもてなし”
多額の税金が使われている安倍晋三首相主催の「桜を見る会」に、首相の後援会関係者が大量に招待されている―。「赤旗」日曜版(10月13日号)のスクープが大きな反響を呼んでいます。同会は「各界で功績、功労のあった方々を幅広く招待している」(菅義偉官房長官)といいますが、税金で首相自らの後援会関係者を“おもてなし”するという税金私物化疑惑が浮上しているのです。
桜を見る会は内閣の公的行事です。従来1万人前後だった参加者が安倍政権下で増え続け、今年は1万8200人。18年には例年の予算の3倍、5229万円が支出され国会で問題になりました。

日曜版編集部の取材に、首相の地元・山口県の複数の後援会関係者は「桜を見る会に山口県から数百人規模で参加している」「恒例の後援会旅行で、その目玉行事が、桜を見る会だった」と証言。招待者の人選は下関の安倍事務所が行い、飛行機やホテル、バスも事務所が手配するなど、詳しい経緯も判明しました。
桜を見る会には、首相の妻・昭恵氏がスキーや農業、酒造仲間を招待していたことも判明。他の閣僚や自民党幹部らも自らの後援会員を招待しています。

なお、10月16日付「朝日新聞」も次のように報じている。

立憲民主党の初鹿明博衆院議員は質問主意書で、桜を見る会には「極めて少数の一部の方が招待される」とした上で、国の予算を使う必要性について指摘。過去5年間約1766万円だった予算額が、2020年度当初予算の「概算要求で3倍の約5700万円」となっている理由を尋ねた。政府はテロ対策の強化や混雑緩和などの改善点を反映させたことで、「実態に合わせた経費を計上した」と答弁書で回答した。
予算増額については、共産党の機関紙「しんぶん赤旗」が9月に報じた。同党の志位和夫委員長は記者会見で、「桜を見る会は安倍さんのポケットマネーではない。税金が私物化されていたのではという疑惑になる」と批判していた。

 以上のごとく、首相主催の「桜を見る会」に多額の公費を支出していること、当該支出が安倍首相の私的後援会員員の“おもてなし”に使われていることに批判の声があるが、このような印象操作はきわめて危険で、放置しておくことができない。対応を間違えると、森友事件・加計事件の轍を踏むことにもなりかねない。
 
 先に、「『桜を見る会』は、内閣の公的行事であり、公費を支出すべき意義あるもの」とする答弁書を閣議決定(10月15日)したところであるが、本日これを再確認するとともに、次の理由を付加する。

 いかなる人がいかなる人に対してするものであっても、「おもてなし」こそは、日本人の歴史と伝統にのっとった称賛に値する文化的行為である。平等原則に鑑み、首相が多くの人を「桜を見る会」に招待しておもてなしすることも同様であって、何の問題もありえない。他にない国柄を反映した、この首相の立派な行為を悪し様に罵ることこそが、令和の御代を冒涜する非違行為である。

 「税金でのおもてなしは、税金の私物化ではないか」という指摘は、甚だしい悪意を持った者の印象操作に過ぎず、桜を見る会の運営と費用支出に何の問題もない。閣議によってそう決めるのだから、間違いはない。

以上のとおり、閣議決定する。

 

第2. 閣議決定のありかたについての閣議決定。
古今東西・森羅万象、ありとあらゆるものが閣議決定の対象であり、閣議決定できないことはない。とりわけ、歴史の修正には閣議決定が効果的で、多用が望まれる。
もちろん、風の向くまま気の向くままに、言語の意味内容も決定できる。
去る10月15日、既に「セクシー」とは「(考え方が)魅力的な」という意味であることを決定して,話題となってはいるが、なにも今に始まったことではない。

「そもそも」には、「基本的に」という意味がある。
首相夫人は私人である。
島尻沖縄北方担当相は、発言につまっただけで、「歯舞・色丹」という読み方を知らないという事実はない。以上に加えて、本日さらに次の事項を閣議決定する。

「云々」の読み方は、デンデンである。
「未曾有」は「ミゾユウ」と読むことにする。
安倍内閣は常に正しい。野党は常に間違っている。
憲法改正についての審議を拒否することは、議員としての職責の放棄である。
天皇は仰ぎ見るべき存在であり、不敬の言動は慎むべきである。
「テンノーヘイカバンザイ」は、主権在民にふさわしい行為である。
高御座も三種の神器も政教分離原則に違反しない。
日本は朝鮮を侵略も支配もしなかった。
日韓併合は、韓国側からの平和的要請に応じた結果である。
日韓請求権条約の締結によって、日本政府と日本企業の徴用工・従軍慰安婦に対するあらゆる債務がすべて消滅した。
歴史上、日本が他国に軍事侵略をしたことは一度もない。

以上のとおり、厳粛に閣議決定する。

(2019年10月23日)

靖国神社での「南京大虐殺を忘れるな!」抗議に懲役10月の有罪判決。

昨日(10月10日)の午後、東京地裁で建造物侵入の罪に問われた香港人2人の被告に有罪判決が言い渡された。
被告の1人は郭紹傑(グオ・シウギ55才)、言い渡しの量刑は懲役8月・執行猶予3年(求刑1年)。もう一人は厳敏華(イン・マンワ27才)、懲役6月・執行猶予3年(求刑10月)。2人は即日控訴したという。

2人は何をしたのか。昨年(2018年)12月12日、南京大虐殺への抗議活動のために靖国神社(東京都千代田区)の敷地に入って、郭氏が横断幕を広げて抗議のパフォーマンスをし、厳氏がこれを撮影した。「サンデー毎日」記事に拠れば、「靖国神社の神門と第二鳥居の間の石畳で『南京大虐殺を忘れるな! 日本の虐殺の責任を追及する』と中国語で書かれた横断幕を広げ、東條英機元首相の位牌を模した紙を燃やし、もう一人はそれを撮影していた」という。南京大虐殺は、1937年12月13日皇軍の南京占領に始まる。12月12日の靖国での行動は、翌13日に「南京大虐殺を忘れるな!」という放映のためであったろう。彼らにとっては、その撮影場所は靖国神社でなければならなかった。

靖国神社の開門時刻は午前6時という。この撮影時刻は早朝7時のこと。混乱はまったく起きていない。実害のない行為だった。2人に気づいた守衛に制止されて、2人は撮影を止め境内から退去の寸前に、現行犯逮捕され、起訴された。以後10か月間,保釈申請と却下が繰り返され、長期勾留が続いた。支援団体は、この事態を「見せしめ勾留」と抗議し続けてきた。実に、300日間の長期勾留となった。

問題はいくつもある。まず、犯罪構成要件の解釈。本来厳格であるべき解釈が、こんな緩い解釈でよいのだろうか。

 刑法第130条(住居侵入等)「正当な理由がないのに、人の住居若しくは人の看守する邸宅、建造物若しくは艦船に侵入し、又は要求を受けたにもかかわらずこれらの場所から退去しなかった者は、3年以下の懲役又は10万円以下の罰金に処する。」

 公訴事実は、「被告人両名は、共謀の上、正当な理由がないのに、…(靖国神社の)「外苑」と称される敷地内に、同神社神門前、参道入り口から侵入した」というもの。2人は、施錠を壊しあるいはドアを破って建造物に侵入したわけではない。だれもが平穏にはいることのできる「靖国神社の神門と第二鳥居の間の石畳」まで足を運んだことが、「建造物」に「侵入」したとされた。朝日は、「靖国神社境内は「建造物」 侵入し抗議の中国人2人有罪」と見出しを打った。「敷地」が「建造物」であり、だれもが平穏に入れるところに「侵入」とされたわけだ。

判決理由で野沢晃一裁判長は「抗議活動は宗教施設の平穏な環境を害する」と指摘し、「管理権者は参拝以外の目的による立ち入りを禁止しており、管理権を侵害している」と述べたという。はたして、本当にそうなのか、これでよいのだろうか。

この事件では、靖国神社になんの実害もない。2人の靖国神社境内立ち入りの意図が、靖国神社に何らかの実害をもたらすことにあったわけでもなく、表現の自由行使という側面は否定しえない。この微罪に対して、逮捕し、起訴し、さらに10か月に及ぶ勾留を敢えてしたのだ。まさしく「見せしめ弾圧」というにふさわしい。カルロス・ゴーンのケースよりも、はるかに深刻な「人質司法」弊害の典型例というべきだろう。

郭被告は、昨年(2018年)12月『長期勾留』に抗議して、約100時間絶食し、その結果同27日体調不良で検査のため病院に運ばれた」という。また、第1回公判の罪状認否では、「戦争責任を認めないことへの抗議行動で、表現の自由の範囲内だ」と主張したと報道されている。

この事件の被告2人の立場は極めて弱い。天皇代替わりで日本のナショナリズムが沸騰しているこの時期、政権と靖国と日本社会の圧倒的多数派世論を直接の敵にまわしているからだ。しかも、外交的に困難な事情として、中国は味方になってくれないということもある。しかし、最も弱い立場の人権こそが擁護されなければならない。ゴーンのように注目されないこの事件に、世論の関心を期待したい。

むしろこの機会に、2人が訴えたいとした香港の人びとの、靖国に象徴される日本の加害責任追及の声に耳を傾けたい。

以下、9月24日東京新聞朝刊「こちら特報部」「市民運動弾圧のにおい」から抜粋して引用する。

 まず、香港事情に詳しいジャーナリスト和仁廉夫氏の説明。
 米国と開戦した日本が最初に占領したのが、イギリス領だった香港だ。1941年12月25日から3年8ヵ月、軍政下に置いた。殺りくや略奪も多発したという。厳被告も、香港で暮らしていた祖母が日本兵にレイプされないよう、泥墨を顔に塗って男の子のように装い、難を逃れたという経験を聞いて育った。

 「72年に日中の国交は正常化した。その後、日本社会は加害の歴史に目を背けてきた。最近はその傾向か強まっている。謝罪も償いも受けられなかった人々に不満が高まっている」と和仁さんは語る。

 「靖国神社はアジアの人々にとって先の戦争の象徴だから、日本社会が戦争責任に向き合わない限り、同様の抗議は繰り返されるだろう」

 そして、これも「特報部」からの抜粋。

 立命館大学法科大学院の松宮孝明教授(刑法)は検察側の解釈に疑問を持つ。
? 「建造物内部に侵入したのと同じ程度に建物内の平穏が乱されたのでなければ、建造物侵入罪を適用すべきではない」。そして「建造物侵入を唯一の罪として、検察官の裁量で適用が拡大されるなら、市民運動の弾圧にも使える」と問題点を指摘する。

 すでに弾圧のにおいがする事件も起きている。
 一つは「立川テント村事件」。東京・立川の自衛隊官舎の集合ポストに反戦ビラを投函した市民グループの3人が住居侵入罪に問われた。もう一つが「政党ビラ事件」。こちらは、葛飾区のマンションのドアポストに日本共産党の議会報告ビラなどを入れていた男性が同罪に問われた。いずれも2004年に起きた。

 松宮氏は「立川の事件では日中に平穏のうちに行われたビラまきが住居侵入だとして逮捕され、長期間、拘束された。住居でも建物でも、付随した土地での管理者の意に反する行動はすべて侵入罪に問われかねない。特に政治色を帯びた活動が狙われ、思想弾圧の道具にも使われるようになる」と批判する。

 さらに松宮氏は香港の2人の勾留が長期に及んだことに疑問の目を向ける。「建造物侵入しか罪状がなくても、ここまで取り締まれるという先例をつくるための裁判ではないか」「日本の市民社会を萎縮させる可能性を持つ、大変危険な裁判だ」。

昨日の判決は、この疑念を払拭することなく、むしろ疑念を確認するものとなってしまった。控訴審の帰趨にも、注目しなければならない。
(2019年10月11日)

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