あゝ河野太郎よ 君を泣く
ひとたびならず 二度までも
アベの膝下に甘んずる
その心根の哀れなる
君、矜持を捨てることなかれ
気骨を失うことなかれ
筆を抑えることなかれ
膝を屈することなかれ
アベに尻尾を振るなかれ
折節正しき言行の
末頼もしき君なれば、
君への期待はまさりしも
よもや政府にへつらって
アベの幕下に名を連ね
魂売るとは思いきや
親の情けはまさりしを
アベに屈して生きよとて、
五十四までを育てしや
かつては党のあるじにて
保守正統の良心と
令名高き親の名を
嗣いで来たりし君なれば
君 籠絡さるることなかれ
自分を廉く売るなかれ
アベの政府は
風前の塵と吹き飛ぶときならん
世論の支持の急落は
民意と天意のなせるわざ
君の出番にあらざるぞ
閣僚ポストと引き換えに
牙を抜かれてなるまいぞ
にもかかわらずなんとした
あゝ河野太郎よ 君を泣く
8月3日に入閣し
8月6日に異例も異例の昇進人事
それも あろうことか秘密裡に
これを 適材適所といわれるか
経産省のノンキャリア
アベ友疑惑のキーパーソンを
イタリア大使館一等書記官に
省をまたいだ ご褒美栄転
アベに追随結託人事
先には疑惑を隠した佐川宣寿の栄転
こたびはアベ昭恵と右翼を取り持つ
谷査恵子の口止め隔離
汚いアベの姑息な人事
民の怒りに油をそそぐ
あゝ 河野太郎よ 君を泣く
君はアベと同罪だ
君は知らじな民の怒りを
民が持つちょう虎の尾を
アベと一緒に踏むなかれ
あゝ河野太郎よ君を泣く
節を屈することなかれ
脱原発を述べし君
「核のゴミには目をつぶり、
やみくもに再稼働しようというのは無責任」
アベを批判の舌の根の
乾かぬうちの入閣で
はや その気骨は挫けたか
沈没間近の船のごと
アベのお粗末内閣の
閣僚名簿の君の名は
あらまほしきとおぼえしか
まことの保守はすでになく
右翼の輩がのさばりぬ
アベを批判の頼もしき
君の人望潰えなば
あゝまた誰をたのむべき
君 膝を屈することなかれ
アベに尻尾を振るなかれ
あゝ河野太郎よ 君を泣く
(2017年8月16日・連続第1599回)
8月15日。国民の感覚では、72年前の本日に15年続いた戦争が終わった。戦争に「負けた」ことの不安や悔しさもあったろうが、戦争が「終わった」ことへの安堵感が強かったのではないか。これ以上の戦争被害はひとまずなくなった。空襲の恐怖も、灯火管制もこの日で終わった。非常時に区切りがついて、ようやくにして日常が戻ってきた日。
法的には、8月14日がポツダム宣言受諾による降伏の日だ。そして、降伏文書の調印は9月2日。しかし、多くの国民が戦争の終結を意識したのは8月15日だった。
この日の正午、NHKが天皇の「終戦の詔書」を放送している。1941年12月8日早朝の「大本営発表」からこの終戦の日まで、終始NHKは太平洋戦争遂行の道具であり続けた。天皇や軍部に利用されたというだけではない。国民に対する煽動と誤導への積極的共犯となった。
ところで、この「玉音放送」の文章は、官製悪文の典型という以外にない。こんなものを聞かされて、「爾臣民」諸君の初見の耳に理解できたはずはない。持って回った、空虚な尊大さと仰々しさだけが印象に残るすこぶる付きの迷文であり駄文というべきだろう。ビジネス文書としてこんな文章を起案したら、上司にどやされる。
あのとき、天皇はまずこう言わねばならなかった。
「国民の皆様に、厳粛にお伝えいたします。昨日、日本政府はアメリカ・イギリス・中国・ソ連連名の無条件降伏勧告書(ポツダム宣言)に対する受諾を通告して、無条件降伏いたしました。戦争は日本の敗北で終わったのです。」
そして、こうも付け加えなければならなかったろう。
「戦争を始めたのは、天皇である私と、政府と軍部です。戦争で大儲けした財閥はともかく、一般国民の皆様が戦争責任の追及を受けるおそれはありません」
「天皇である私と政府は、何千万人もの外国人と、何百人もの日本国民の戦没者に対して、戦争をひき起こした者としての責任を痛感しております。誠実に戦後処理を行ったあとは、命をもってもその責任をとる所存であります」
「私の名による戦争を引き起こして、取り返しのつかない事態を招いたことを、幾重にもお詫びもうしあげます。そして、国民の皆様に日本の復興に力を尽くしていただくよう、よろしくお願いいたします。」
72年後の本日。戦争責任を引き受けることのないまま亡くなった当時の天皇の長男が、現天皇として全国戦没者追悼式で式辞を述べた。そのなかに次の一節がある。
「ここに過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されないことをせつに願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対して、心から追悼の意を表し、世界の平和とわが国の一層の発展を祈ります。」
「深い反省」の言葉があることに注目せざるを得ない。同じ場での安倍晋三の式辞には、反省も責任もないのだから、十分に評価に値する。また、憲法前文のフレーズを引用して、「今後、戦争の惨禍が再び繰り返されないことをせつに願い」と言っていることにも、同様である。
なお、天皇の式辞のなかに宗教的な臭みのある用語のないことに留意すべきだろう。この点は、よく考えられていると思う。これに比して、安倍の式辞には、御霊(みたま)が3度繰り返されている。「御霊(みたま)の御前(みまえ)にあって、御霊(みたま)安かれと、心より、お祈り申し上げます。」という調子。靖国神社参拝と間違っているのではないか。非常に耳障りであるし、意識的な批判が必要だと思う。
さて、天皇の「深い反省」について考えてみなければならない。誰が、誰に、何を反省しているのか、である。
まず、反省の主体は誰なのだろうか。天皇個人なのだろうか。天皇が象徴する日本国民なのだろうか。あるいは、戦争当時の天皇(裕仁)を代理しているのだろうか。それとも、抽象的な日本国の漠然たる反省だということなのだろうか。
また、「深い反省」を語りかけている相手は、軍人軍属の戦没者だけなのだろうか。「戦陣に散り戦禍に倒れた人々」という表現は、原爆や空襲被害者も含まれているのだろうか。また、日本人戦没者だけなのだろうか。被侵略国の犠牲者ははいっているのだろうか。戦没者以外の傷病者はどうなのだろうか。
さらに、いったい何をどう反省しているのだろうか。まさか、負けるような戦争をしたことではあるまい。戦争をしたこと自体であろうし、戦争するような国を作ったことなのだろう。「反省」には責任がともなうことは自覚されているだろうか。どのように責任をとるべき考えているのだろうか。
巨大な惨禍をもたらした戦争の反省のあり方が、一億総懺悔であってはならない。
まず、統治権の総覧者であり宗教的権威をもって戦争を唱導した天皇に最大の戦争責任があることは論を待たない。そして、天皇を御輿に担いで軍国主義国家を作って侵略戦争と植民地支配に狂奔した政治支配層の責任は明確であろう。これに加担したNHKや各紙の責任も大きい。そして、少なからぬ国民が、八紘一宇や大東亜建設、五族協和などのスローガンに浮かれて戦争に協力し、戦争加害国を作りあげたことの責任と反省も忘れてはならない。
国民それぞれが、それぞれことなる質と量との責任を負っていることを確認すべきなのだ。一般国民は、天皇や軍閥との関係では被害者であり、近隣諸国との関係では加害国の一員としての立場にある。
そして思う。今、私たちは、再びの戦前の過ちを繰り返してはならないことを。言論の自由を錆びつかせてはならない。好戦的な政府の姿勢や、歴史修正主義の批判に躊躇があってはならない。附和雷同して、国益追求などのスローガンに踊らされてはならない。近隣諸国への差別的言動を許してはならない。平和憲法「改正」必要の煽動に乗じられてはならない。
かつての臣民に戻ることを拒否しよう。主権者としての矜持をもって、権力を持つ者にも、権威あるとされる者にも、操られることを拒否しよう。平和を擁護するために。
8月15日、あらためての決意である。
(2017年8月15日・連続第1598回)
「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」が、『佐川国税庁長官(前理財局長)の罷免を求める1万人署名運動』に取り組んでいる。
ネット署名の締め切りは8月20日(日)24時まで。あと一週間。署名のフォームは、下記のURL。是非ご協力いただきたい。拡散もお願いしたい。現在の署名者数は、約5000くらいと思われる。
http://bit.ly/2uCtQkK
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佐川宣寿国税庁長官昇進問題の持つ意味について、私なりに考えてみたい。
森友学園問題・加計学園問題とも、安倍晋三というお粗末な政治家が過剰な権力を持ったことから生じた政治と行政の歪みである。政治と行政の歪みの手段は、恣意的な情報操作である。消極的には権力に不都合な情報の隠蔽であり、積極的には意図的に人心を誘導するための情報の捏造である。
8月15日が近い。「政府の行為によって再び戦争の惨禍を繰り返してはならない」という反省と決意は、「大本営発表」によって国民意識が操作され誘導された苦い体験にもとづく、情報民主主義の徹底でもあったはずではないか。
民主主義の政治過程を実効あるものとするためには、国民の知る権利の保障が不可欠である。情報を遮断された状態での国民は真の主権者ではあり得ない。情報操作の対象とされた主権者は裸の王様に過ぎない。主権の行使に必要な正確な情報を得ることのできない状態では、民主主義は成立し得ない。操作され誘導された国民の政治意識も政策的選択も無意味である。選挙での与党勝利も、世論調査での内閣支持率も、所詮は茶番であり民主主義の形骸に過ぎない。こうして維持された政権は、再びの大本営発表を繰り返すことになるだろう。
佐川宣寿理財局長とはいったい何をしたのか。安倍政権が政治と行政を歪めたのではないかという国民大多数が抱いた疑惑の解明を頑なに阻止したのだ。情報を徹底して隠蔽することによって政権を守り抜いたのだ。安倍政権は、露骨な論功行賞で、この功に報いた。理財局長から、国税庁長官への栄転である。
安倍晋三は、「政権に忠実な犬には昇進のご褒美がある」と、実例をもって示した。言い換えれば、「公務員は国民に忠実であってはならない。政権にこそ忠誠を尽くせ」と、誰の目にも分かるようにデモンストレーションしたのだ。
佐川理財局長のみっともなさは、官僚としての良心を捨てて、国民の疑惑解明要望の声に背を向けたところにある。自らの良心と格闘しながら、情報を開示する努力を放棄して、疑惑を糊塗するための記録の隠蔽、記憶の偽証をやってのけたのだ。その苦しい努力は無駄にはならず、昇進に実を結んだ。これこそ、政権が望むところであることが雄弁に語られた。謙虚に丁寧に説明するという安倍政権のホンネがよく分かろうというもの。
この事態を看過してはならない。民主主義を形骸にさせてはならない。主権者としての不断の努力を怠ってはならない。せめては、佐川宣寿国税庁長官の罷免を求める1万人緊急署名運動を成功させようではないか。
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*紙による署名も、8月20日(日)までの到着なら可。
郵便局局留め宛分は → 8月18日(金)到着分までとなる。
下記のURLを参照のこと。
http://bit.ly/2ub1F8W
なお、下記のURLで、リアルタイムのネット署名数と、添えられた意見を読むことができる。(署名者の氏名は秘匿されている)
http://bit.ly/2h5AR94
これがとても興味深いコメントになっている。中心になっている醍醐聡さんから、下記のメールがあったので転載する。
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ネット署名に添えられたメッセージを読んでいきますと、手前みそのようですが、佐川国税庁長官の罷免を求める署名運動に共感が広がっていることを実感します。私にとって、運動の糧にもなっています。
まだでしたら、皆さまも、ぜひ、訪ねていただいて読んでいただけたらと思います。
ネット署名に添えられたメッセージ → http://bit.ly/2h5AR94
私の拙い呼びかけよりも、いろいろな体験をされた方の貴重なメッセージを読んでいただくのが一番と思い、その後、届いた中から、いくつかを紹介させていただきます。
署名簿を添えた罷免の申しれは8月21日(月)となりました。
それに伴い、署名の締め切りを8月20まで延長しました。
詳しくは以下をご覧ください。拡散もお願いします。
・「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」HP
http://sinkan.cocolog-nifty.com/blog/2017/07/1-2e8c.html
・ツイッター
https://twitter.com/toketusa98/status/895867223776022529
————–以下、ネット署名に添えられたメッセージより —————–
「この要求が通らなければ、今後確定申告時に『領収書は廃棄した』『自動的に消去された』という申告者が殺到すると思うが当然受け入れてもらえますよね?」(8月10日、埼玉県)
「安倍政権、官僚の不誠実さに憤り、もどかしい思いをして居ました。この思いを共有できる人達がいるのが何とも嬉しく、諸兄らの活動に加えて頂けたら…署名しました。此の輪が日本全国に広がるのを期待します。」(8月10日、愛知県)
「私は、財務省外局のOBです。と言っても、佐川氏のようなエリートではなく、いわゆる木端役人でした。しかし、就職時には憲法・国公法遵守の宣誓をし、在職中も出来る限り公正な行政にすべく努力してきたつもりです。少なくとも知っていることを『知らない』とシラをきったり、会〔ママ〕ったことを『記憶にない』ととぼけたり、などと言うふざけた回答をしたことはありません。又、関係者(内外とわず)との会議や交渉事があれば、全て記録に残しておくのは当たり前でした。”すぐ廃棄”などしたら、それこそ『処分物』でした。しかし、残念ながら財務省では、いけしゃあしゃあと嘘をつける人間の方が出世すると言うのは、私の在職中から全く変わっていないと言うのも実感です。この際、こういう財務省の体質にメスを入れ、少しでも国民目線の役所に転換してほしいと切望します。このままでは、『財務省OBです』なんて、とても知人に名乗れません。」(8月11日)
「JALは2007年に最大労組と一体となって、約1万人の客室乗務員の個人情報をファイルしていたことが発覚しました。1回目の裁判で会社が認諾し裁判から逃げましたが、5名の管理職が関与していたことが明らかになりました。その関与していた管理職らが、何とその後昇格をしたのです。違法なことをしても昇格をできるというという世界はJALだけではありませんでした。この度の佐川氏の国税庁の長官への就任でふと思い出しました。佐川氏は1企業の役員ではありません。国民の税金を預かる大事な立場です。就任にあたり公正な税のあり方云々を述べて言いますが、森友問題で8億円もの税金を明快な説明もなくうやむやにしようとした方が、公正な税の扱いを述べる資格はありません。よりにもよってなぜそのような立場につけるのか理解できません。就任の記者会見もできないような後ろめたいことがある方に、国民の税金を任せるわけにはいきません。マスコミももっと追究すべきです。」(8月12日、神奈川県、JALで解雇された者)
「総理大臣はじめ、政府要人、官僚が臆面もなく虚偽発言を押し通す。証拠を隠滅する。公文書を可能な限り公開しようとしない。それが日本の現政権下では常態化してしまっています。国政・地方(必ず同時)選挙で、投票率85%前後、しかも、死票を4%前後に止める完全比例代表制の選挙制度を採用する政治的民度の高いスウェーデンからは、日本は民主主義の後進国と見做されます。こういう政治状況を変えるのは,市民の異議申し立て、抵抗運動以外にありません。憲法16条の請願権を最大限に活かすことが肝要です。これは市民の権利であり、これを活かすことによって民度を高め、ジャーナリズムにも本来の使命へと軌道修正させることにもなります。」(8月10日、スウェーデン)
「嘘つきは泥棒の始まり。泥棒が税金を集める国なんて聞いたことがありません。国税不払い運動が起こる前に罷免を。」(8月10日、岐阜県、ジャーナリスト)
「食もままならない子どもたちが増え続ける中、為政者の意を受け、巨額の国家資産を一部の人たちに還流する。国家公務員の任に非ずです。今直ぐ職を辞し、真実を述べるべきです。」(8月10日、アムネスティ京都四条の会)
「このような運動をしてくれている人がいることを知って大変嬉しく思いますぜひ目的を達成したいです」(8月10日、東京都)
(2017年8月13日・連続第1596回)
本日(8月9日)、長崎原爆忌。
長崎原爆平和祈念俳句大会という催しが続いていて今年が第64回だという。
以下が、その第64回大会の、大賞以下、知事賞、県議会議長賞などの受賞作品。
雑巾のねぢれて乾く原爆忌(小田恵子)
空蝉をちちよははよと拾ひけり(山本奈良夫)
八月の色紙は鶴になりたがる(牛飼瑞栄)
焦げ臭い地球儀を拭く八月(山田紅蓮)
浦上のまほらへ母の日傘行く(中川城子)
八月の影の重さを曳いて老い(谷川彰啓)
家中に昭和が歩いている八月(坂田正晴)
できるコトは祈りだけです原爆忌(相川文子)
長崎の傷痕のごと曼珠沙華(山本奈良夫)
オバマ氏の鶴の飛び翔つ朱夏の天(草野悠紀子)
戦争の卵ぷかぷか春の海(福島露子)
72年前の今日午前11時2分。市民の頭上で2発目の原子爆弾が炸裂した。その惨劇から72年。怒りのヒロシマ、祈りのナガサキと言われるが、もちろん長崎にも怒りは渦巻いている。
本日長崎市の平和公園で開かれた平和祈念式典での、田上富久市長の平和宣言は、今年7月国連総会本会議が採択した核兵器禁止条約への言及に多くの時間を割いた。被爆地の市長として、「被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間だった」と歓迎するとともに、日本政府に対し、「条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できない」と痛烈に批判した。
その部分は、以下のとおりである。
「ノーモア ヒバクシャ」 この言葉は、未来に向けて、世界中の誰も、永久に、核兵器による惨禍を体験することがないように、という被爆者の心からの願いを表したものです。その願いが、この夏、世界の多くの国々を動かし、一つの条約を生み出しました。
核兵器を、使うことはもちろん、持つことも、配備することも禁止した「核兵器禁止条約」が、国連加盟国の6割を超える122か国の賛成で採択されたのです。それは、被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間でした。
私たちは「ヒバクシャ」の苦しみや努力にも言及したこの条約を「ヒロシマ・ナガサキ条約」と呼びたいと思います。そして、核兵器禁止条約を推進する国々や国連、NGOなどの、人道に反するものを世界からなくそうとする強い意志と勇気ある行動に深く感謝します。
核兵器を持つ国々と核の傘の下にいる国々に訴えます。
安全保障上、核兵器が必要だと言い続ける限り、核の脅威はなくなりません。核兵器によって国を守ろうとする政策を見直してください。核不拡散条約(NPT)は、すべての加盟国に核軍縮の義務を課しているはずです。その義務を果たしてください。世界が勇気ある決断を待っています。
日本政府に訴えます。
核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにもかかわらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません。唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めてください。日本の参加を国際社会は待っています。
また、二度と戦争をしてはならないと固く決意した日本国憲法の平和の理念と非核三原則の厳守を世界に発信し、核兵器のない世界に向けて前進する具体的方策の一つとして、今こそ「北東アジア非核兵器地帯」構想の検討を求めます。
なんとよく練られた、条理にあふれた宣言文ではないか。この訴えに対して、日本政府の首相は、何も答えない。6日広島で、そして今日長崎で批判されたにもかかわらず、である。言い訳はこうだ。
長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典あいさつ(官邸ホームページから)
真に「核兵器のない世界」を実現するためには、核兵器国と非核兵器国双方の参画が必要です。我が国は、非核三原則を堅持し、双方に働きかけを行うことを通じて、国際社会を主導していく決意です。
共同通信が伝えるところでは、「安倍晋三首相は長崎市で開かれた『原爆犠牲者慰霊平和祈念式典』後に記者会見をし、国連で7月に採択された核兵器禁止条約に加わらない理由として『核兵器国の参加が不可欠だ。我が国のアプローチと異なることから署名、批准することはない』などと話した。」という。
被爆者ならずとも、怒らずにはおられない。被爆者の怒りの激しさ深さは、はかり知れない。
朝日(電子版)は、「長崎の被爆者、首相に『どこの国の総理か』 核禁条約で」と伝えている。以下の記事。
?「あなたはどこの国の総理ですか。私たちをあなたは見捨てるのですか」
9日午後、長崎市で被爆者代表の要望を首相らが聞く会合があった。冒頭、長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会の川野浩一議長(77)は首相に要望書を渡す前に強い口調で言った。
米国の「核の傘」に依存し、条約に冷淡な首相には面と向かってただしたかった。要望書は長崎の被爆者5団体がまとめたが、『(条約採択の場に)唯一の戦争被爆国である我が国の代表の姿が見えなかったことは極めて残念です。私たち長崎の被爆者は満腔の怒りを込め、政府に対し強く抗議します』と記した。
被爆者だけではない。国民こぞって、満腔の怒りを込め、政府に対し、安倍晋三首相に対して強く抗議しよう。「いったい、あなたはどこの国の総理なのか」「被爆者とともに満腔の怒りを込め、政府に強く抗議します」と。
(2017年8月9日)
古川柳は、どら息子の心境をこう喝破する。
母親はもつたいないがだましよい(誹風柳多留)
この前句は、「気をつけにけり気をつけにけり」である。
「前句を息子に用心している母親として、その母をまんまと欺して、勿体ないという体をつける」(宮田正信)と解説される。
どら晋三も、こう思っている。
国民はもったいないがだましよい
政治家に用心している国民をまんまと欺して、勿体ないというふりをするのだ。
普段は頭の高い俺が、神妙な態で8秒も頭を下げれば、国民なんて甘いものさ。支持率低下は下げ止まったじゃないか。調査によっては、少々だがアップしさえしている。
本当は、核廃絶には反対なんだ。平和は核の抑止力によって保たれている現実をみなきゃならない。でも、そんな本音を口にしたら、またまた支持率ダウンだ。憲法改正もできなくなる。だから、「核保有国と非核国の橋渡しの努力」などと言って国民を欺す以外にない。ましてやここは広島だ。さすがに被爆者までは欺せなかったが、国民は欺せたように思うよ。
どら百合子も、こう思っている。
都民とはもったいないがだましよい
これまで石原慎太郎以来の都知事と自民党議会に用心している都民をまんまと欺して、勿体ないというふりをするのだ。
「セーフシティ」「スマートシティ」「ダイバーシティ」「東京大改革」「忖度だらけの古い都議会を新しく」などという、わけの分からぬ呪文で甘い都民をたぶらかした。どうです、見事なものでしょう。
いったい、都民ファーストの会とは何なのだろう。小池百合子とは何者だろうか。その代表の野田数とは? そして、55人の大勢力となってひしめく都民ファーストの会所属都議とは、いかなる志と政策を持っているのだろうか。それが、さっぱり分からないのだ。
毎日新聞が、7月の東京都議選で当選した127人の都議全員に、安倍政権の評価や憲法改正の賛否について尋ねた。その回答は、自民・公明・共産・民進の議員については、さもありなんというもの。
ところが、小池百合子知事率いる第1会派「都民ファーストの会」の議員らの回答は驚くべきものだった。というか、あきれかえったものと評すべきだろう。
「『都民ファーストの会』の議員のほとんどが無回答とし、その理由について記した議員の大部分が『都政に専念するため』と説明した。都民ファースト本部から示された模範回答を、そのまま書き込んだといい、所属議員からも『自由な発言が許されない雰囲気がある』との声が上がっている。」というのだ。
以下、毎日の報道の紹介である。
アンケートでは(8月)8日に予定されている都議会臨時会を前に、都議の政治的スタンスを確認するため「安倍政権を評価するか」「憲法改正に賛成か」を尋ね、都民ファースト所属の2人を除く125人から回答を得た。
都民ファーストの議員は、民進党出身の石川良一都議が安倍政権を「評価しない」、民進党出身の中山寛進都議と自民党出身の山内晃都議が「わからない」としたが、他の50人は無回答だった。無回答の理由は、ほとんどが都民ファースト本部が示したという模範回答の「都議として都政に専念する立場であり、国政についてのコメントは控える」と書いた。憲法改正についても石川、中山、山内の3都議が「わからない」とした以外は無回答だった。
都民ファーストは新人が39人を占める。今回のアンケートに限らず会派の締め付けは厳しく、都議が報道機関の取材に応じる場合も原則、本部の許可を得る必要がある。また報道機関も、本部に都議への質問内容を事前に提出することを求められている。
こうした状況について、都民ファースト関係者は「自由な発言が許されない雰囲気がある。都議が話したことを悪く報道されるのを恐れて守りに入っている」と説明。ある都議も「今のメディア対応のやり方が正しいとは思わない」と漏らす。
これに対し、野田数(かずさ)代表は「どんな取材を受けるのか本部が把握することは、民間企業なら当然の対応。うちは既存政党よりも確実に情報公開が進んでいる」と強調した。
毎日のアンケートは、「安倍政権への評価」と「憲法改正の賛否」の2点である。都議たるものが、この2点について、意見をもたないということは考えられない。その意見の表明に躊躇があってはならない。都議が、自分が何者であるかを明確にすることは都民に対する責任ではないか。
しかも、野田数は、都民から信任を得た都議を民間企業の社員と同等に考えている様子なのだ。「都民ファーストの会」は業務命令で、都議にいかようにも指示ができる。口封じも当然、と言っているわけだ。これは、重大事である。
毎日のアンケートは、思いがけなくも、都議会の中の巨大なブラックボックスの存在を炙り出した。結局、小池知事党の都議は、都民への責務をラストとし、所属政党への忠誠をファーストとしたわけだ。「都民ファーストの会」は、実態に合わせて名称を変更した方がよい。「我が党ファーストの会」あるいは、「小池知事ファーストの会」と。
「だましよい」と甘く見られた都民諸君。わけても小池知事党に貴重な一票を投じた諸君。どうやら、親心に付け込んで母親をだますオレオレ詐欺の被害に遭った模様ですぞ。
(2017年8月7日)
1945年8月6日午前8時15分。広島に投下された原子爆弾が炸裂したその時刻こそが人類史を二つに分ける瞬間となった。人類史上最大の衝撃の事件。悲惨きわまりない大量殺戮というだけではない。人類は、核エネルギーという、自らを滅ぼすに足りる手段を獲得したことを自らに証明したのだ。
以来72年。人類は、自らを滅ぼしてなお余りある手段を獲得したことを十分に自覚しているだろうか。人類は、自らを滅ぼすに足りる手段を「絶対悪」としてその廃絶に展望を見出しているだろうか。残念ながら、その答は「否」である。
世界の主要国は、自国の核は自衛のための核、自国の核保有は平和を維持するために必要という立場を捨てず、核の保有だけでなく戦術化に余念がない。
それでも、人類の良心は核兵器の廃絶に真摯な努力を傾け続けており、希望は見える。その希望の灯の一つが、本年(2017年)7月7日国連総会において122か国・地域の賛成多数により採択された核兵器禁止条約(「核兵器の開発、実験、製造、備蓄、移譲、使用及び威嚇としての使用の禁止ならびにその廃絶に関する条約」)である。
周知のとおり、主要な核保有国は不参加。アメリカの核の傘の下にある被爆国日本も、不参加となっている。一方に、「核保有に固執する少数派の大国とその従属国連合」があり、これに「核廃絶を求める良心多数派諸国」が対峙する構図ができあがっている。
核廃絶実現の課題は、この条約をどう実効あらしめるかにかかっている。核廃絶を求める国際世論をさらに大きくして、「核保有に固執する少数派大国とその従属国」を押し込まなければならない。日本国民の役割は、極めて重要である。
本日、その対峙の構造が国民の目に見えるものとなった。
原爆投下から72年目の「原爆の日」。広島市の平和記念公園では、午前8時から「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)が営まれた。松井一実市長の平和宣言は、明確に核兵器禁止条約を評価し、これに与しない日本政府を批判するものとなった。対して、安倍首相挨拶はこの課題への直接の言及を避け、見苦しい努力放棄の言い訳逃げることで、「核保有に固執する少数派大国とその従属国」の立場を堅持するものとなった。
松井市長は、平和宣言で改めて核兵器を「絶対悪」と強調。「核兵器の使用は、一発の威力が72年前の数千倍にもなった今、敵対国のみならず自国をも含む全世界の人々を地獄へと突き落とす行為であり、人類として決して許されない行為です」「絶対悪である核兵器の使用は人類として決して許されない行為であり、核保有は人類全体に危険を及ぼすための巨額な費用投入にすぎない」と批判した。それだけでなく、集会参加の安倍首相の目の前で、日本国憲法の条文を引用して憲法が掲げる平和主義を体現して各国に条約締結を促すよう要求し、米国の「核の傘」に依存し条約採択に参加しなかった日本政府に対し、条約の締結促進を目指して「核保有国と非保有国との橋渡しに本気で取り組むよう」具体的な課題を突きつけた。
松井一実市長自身が、本年6月、国連本部で始まった核兵器禁止条約の第2回交渉会議に出席し、「条約草案は被爆者の苦しみや願いをきちんと受け止め、言及していることを心から歓迎する」と述べているのだ。これに対して、「唯一の被爆国」を自称する日本政府は、この条約の締結には最初から冷淡で議論への参加もしていない。
松井市長に続いてあいさつした安倍晋三首相は、条約に言及しないことで「核保有に固執する少数派の大国とその従属国連合」の立場に立つことをあらめて明確にした。「核廃絶を求める国際的多数派諸国」の良心に背を向けたといってもよい。
ひるがえって思う。どうしてこんな人物が、平和憲法をもつ日本の首相でいられるのだろうか。本当に日本の民主主義は機能しているのだろうか。
(2017年8月6日)
信教出版社の『福音と世界』2017年8月号が、「象徴天皇制・国家・キリスト教」の特集号となっている。この号に、島薗進教授の「存続した国家神道と教育勅語の廃止問題」という論文が掲載されている。過日、上智大学に教授をお訪ねした際に、この雑誌をいただき、ようやく本日目を通した。
「存続した国家神道と教育勅語の廃止問題」という論文のタイトルが、著者の問題意識をよく表している。「存続した国家神道」とは、神道指令(1945年12月)が必ずしもわが国の国家神道を解体したわけではない、ということなのだ。その後も、今に至るまで、国家神道はこの国に根をはり生き延びている。教育勅語は国家神道を支えた重要な柱だったが、神道指令での廃絶を免れ、衆参両院の「教育勅語排除決議」(48年6月)以後もけっして国民意識から払拭されてはいない。だからことあるごとに、表舞台に現れてくる。指摘されてみれば、なるほどそのとおりだ。
論文冒頭の問題設定部分が以下のとおり。
1945年8月以前の日本では、国家神道が深く国民に浸透していた。これに対して、戦後の日本の社会は国家神道が解体され、宗教的にニュートラルな社会になった。そう理解されてきた。1945年12月にGHQ(連合国司令部)が発した「神道指令」(国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件)は、国家神道の解体を目指したものであり、そのとおりになったというのだ。だが、神道指令は国家と神社の分離を指示してはいるか、皇室の神道祭祀や天皇崇敬について制限する内容は含まれていない(島薗2010)。それはまた、教育勅語にふれることもなかった。
著者は、国家神道における教育勅語の位置づけをこう述べている。
国家神道の柱のひとつが明治天皇の教えの言葉とされる教育勅語である。教育勅語は国民が天皇崇敬を内面化する上できわめて大きな役割を果たした。
「天壌無窮」神話に基づく教育勅語が宗教文書であることは疑う余地がない。この宗教文書は義務教育の教場において、全国民に徹底して叩き込まれた。こうして、天皇を神とし日本を神の国とする信仰が多くの国民に内面化されたのだ。
著者は、神道指令の理解について、こう指摘する。
「国家神道」とよばれているものが、神道指令では神社神道に限定されていることに注意する必要がある。皇室祭祀や神権的国体論は含まれていないのだ。
しかも、前述のとおり神道指令は教育勅語に触れていない。CIE(民間情報教育局)の宗教班のW・K・バンスがまとめた神道指令の第3次草案の前には、教育班のR・K・ホールによる第1次、第2次草案があった。その「ホール第1次案」(2次案もほぼ同様)では、以下のとおり明確に教育勅語の禁止・撤去が記載されていたのだという。
1890年10月30日に明治天皇によって発せられた教育勅語、ならびにその内容・表現法・文脈・公的儀式や慣習によって築きあげられている象徴性によって国家神道のイデオロギーを反射しているその他のすべての公文書は禁止され、全面的あるいは部分的に税金によって維持されているすべての役所・学校・施設・団体・建物から物理的に撤去されるのであろう。例外として、公文書館・図書館及び大学の水準を有する教育施設(大学・専門学校)では、かかる文書を保存し、展示し、歴史的文書として研究することが許される。
この「教育勅語のほぼ全面的禁止」文言はホール2次案までは残っていたが、バンスが起草した第3次草案では全文削除されてしまった。
その理由として、バンスの言が引用されている。その核心が、次の一文である。
「日本人の多数は、勅語の追放を天皇の地位に対する直接の攻撃とみなすだろう。」
神道指令における国家神道廃絶は、実は不徹底なものだった。とりわけ、国民意識に国家神道を内面化するための最重要のツールであった教育勅語に対する取り扱いにおいて峻厳さを欠いていた。
このような事情から、戦後、教育勅語を復活、再生させようという論が起こってくる。著者はこれに、懐疑の目を向ける。
学校があまりに精神的に空白である、精神的な価値や道徳として何が大事かということが子どもたちに教えられていない、だから、教育勅語を復活させ・て道徳教育をしっかり立て直そう、というような議論が活発になる。しかしそれでいいのだろうか。国家神道の復興が意図され、天皇崇敬を強めて国家の威信を高めることが目指されている。そうした宗教的政治的な意図をもつ文言として教育勅語を見なくてはならない。
道徳教育に関連しての著者の次の指摘は重要だと思う。
道徳の授業は、1945年以前は「修身」だった。そしてその「修身」はこの教育勅語を敷桁するもの、教育勅語の考え方を授業で教えるものとされていた。
したがって、学校教育において道徳という教科はあるが宗教という教科がないということは、そもそも教育勅語の復活が目指されやすい構造を作っている。このように「道徳」を重視するのが、近代日本の精神文化教育の形であったことをよく自覚する必要がある。
著者は、前田多門、安倍能成、田中耕太郎、南原繁、そして天野貞祐ら、教育勅語に対して肯定的な発言をしてきた戦後の文部大臣や知識人の名を挙げる。天野貞祐は、48年勅語排除決議のあと、50年から52年にかけての文部大臣である。
払拭しきれなかった教育勅語礼賛の底流が、塚本幼稚園や、稲田朋美などによって掘り起こされる。そして、歴史修正主義者安倍晋三の手によって、容認の閣議決定(2017年3月)まで行われることになる。
ことは国民意識に関わる問題である。常に、天皇の神聖性や、国家による価値観の押しつけについて、敏感に批判し続けなくてはならない。それが、とりあえずの読後感。
なお、本日、「東京・教育の自由裁判を進める会」のニュース「リベルテ」48号が届いた。そのなかに、原告のお一人の朝日新聞への投書が転載されていた。「教育勅語切り売りは無意味」というタイトル。
「殺すな」「盗むな」「嘘をつくな」「淫行するな」は、仏教の五戒と、旧約聖書の十戒に共通する万古不易の徳目だという。この4徳目が、教育勅語にはすっぽり抜け落ちているという指摘。なるほど。教育勅語の徳目は普遍性をもつものではないのだ。侵略軍となった皇軍に、この4徳目遵守がなかったのは偶然なのだろうか。「教育勅語切り売りは無意味」は説得力をもっている。この投書者は、倫理の教員だという。
(2017年8月5日)
恥ずかしながら私が、政権与党の総裁であり、この国の総理大臣だ。
この欄を借りて政治の要諦を語りたい。常々私が思っていることで新味はない。しかし、今の政局において私の考えを確認しておくことは無意味ではない。とりわけ、今次の内閣改造の意図をご理解いただくために有益ではなかろうか。
誤解を恐れずに結論からはっきり申しあげておこう。政治とは大衆を欺くことである。そう割り切れることが政治家としての資質であり、欺しのテクニックこそが政治家に求められている技術なのだ。
大衆の望むところを把握して、大衆の望むとおりに国政を運用する。それは唾棄すべき大衆迎合政治以外のなにものでもない。それでは、国家かくあるべし、民族かくあらねばならないという、理想や理念が欠けることになる。政治家たるものは、大理想、大理念を抱いて、その実現のために邁進しなければならない。大衆の意思実現のために政治家がいるのではない。政治家たるものは、自分の理想・理念をもって大衆を動かすのだ。必ずしも、理性的な共感を得る必要はない。感性のレベルでも、利益誘導でもなんでもよい。発揮されるべきは欺しのテクニックなのだ。
政治はリアリズムである。理想・理念を語って大衆の支持を得られるとは限らない。むしろ理想・理念に反発するのが大衆の常と言ってよい。政治の究極の目的は、最大多数の大衆の幸福だ。しかし、大衆は多様であり盲目でもある。大衆自らに幸福への道筋を切り開く能力はない。だから、大衆を善導する政治家が必要であり、その善導こそが欺しなのだ。
今、パターナリズムは評判が悪い。しかし、子が自らの人生を決定する能力を欠く以上、親が子のためを思って、その人生に介入することに何の不都合があろうか。政治家と大衆とは、まさしくこの関係にある。
厄介なのは、民主主義という枷だ。天皇の権威、国体の権威、国防保安法や治安維持法の時代であれば、親が子に対する体罰同然の実力の行使が可能だった。今、それができない。とすれば、政治家は大衆を欺すしか方法がない。
最も望ましいのは、大衆の洗脳だ。大衆が、政治家の思想や理念をあたかも自らが望んだごとくに仕向けることだ。それができなくても、消極的な支持が獲得できればよい。アベにまかせていれば、経済も外交も国防もそんなにひどいことにはならないだろうと、是認していただけたら、それで十分。そこまで大衆を欺して、私の理念にしたがってこの国を経営すること。それが、政治というものであり、政治家の役割なのだ。
羊頭を掲げて狗肉を売るのは、商道徳としては許されないことかも知れない。しかし、政治家は大衆に狗肉が必要だと考えれば、信念をもって狗肉を売らねばならない。狗肉を狗肉として売ることが難しければ、積極的に羊頭を掲げるべきなのだ。
話を具体化しよう。私が目指す政治の理想は二つある。一つは、戦後レジームを否定してあるべき日本を取り戻すことだ。かつては、個の尊重だの、個人の尊厳だのという浮ついた観念はなかった。一億の日本民族が大日本帝国に結集して、富国強兵を誇っていたではないか。あの教育勅語が醸しだす美しくも強い輝ける時代にまで時間軸を巻き戻さねばならない。そして、国防に心配のない国家を建設するのだ。
もう一つは、岩盤規制を打ち砕いて、徹底した企業活動の自由を保障することによる豊かな社会の創出だ。世の中を徹底した競争社会とし、厳しい優勝劣敗の結果としての格差を是認して、一億総活躍国家を実現するのだ。
どちらの理想にも反対者が多い。個人の尊重こそが公理だとか。平等こそが美徳だとか。成長よりも分配だ。自助原理よりは福祉国家だ、という類。要するに、国家主義や民族主義を嫌っての利己主義なのだ。
これを克服しねじ伏せるには、個人主義・自由主義を立脚点としている現行の日本国憲法を変えるしかない。個人よりも家庭が大切で、家庭よりは地域、そして地域よりは国家が最も大切だと根本的な価値観の大転換をしなければならない。そのための憲法改正が私の悲願なのだ。
ようやくにして、両議院の議席の3分の2を改憲派で占めるところまできた。内閣の高支持率も維持してきた。欺しのテクニックが功を奏したのだ。もう一息で、憲法改正が実現できる。そんなところで、焦りと緩みが出た。
これまで、長く続いていた内閣の高支持率が急落した。たった8億円程度の国有地払い下げの価格値引きの不透明。そして、私の友人が経営する学校法人の希望に添った新学部設立認可の件だ。これを機に、私への不満が噴出した。実は、共謀罪や集団的自衛権行使容認に対する国民的批判がもっと深い底にある。そして内閣の不人気は、直近の選挙結果にも表れている。
しかし、もう一歩の憲法改正を失敗に終わらせるわけにはいかない。こういうときにこそ、政治家のホンモノ度が試される。「頭が高い」といわれれば、いくらでも頭を下げよう。一回で足りなければ3回でも5回でも。8秒では短ければ1分頭を下げてもよい。説明が足りないと言われれば、何度でも繰り返し説明をしよう。大切なのは、政治家が理念を捨ててはならないことだ。私は、リアリズムに徹して、それが有効であることを計算して、頭を下げる。説明を繰り返す。
もっとも、低姿勢で反省するとは繰り返すが、反省は「丁寧な説明の不足」の限り。けっしてそれ以上には言及しない。だから、大阪航空局や近畿財務局の行為を解明して責任を明らかにすることはけっしてしないし、加計学園の国家戦略特区指定取り消しもけっしてしない。もちろん、絶対に憲法改正を撤回するとは言わない。この課題は継続するのだ。これを撤回したら、いったい何のための隠忍自重か、わけの分からぬことになる。
「アベ一強」が評判悪いようだから、私に批判的な人物も閣内に取り込む。こうして、低姿勢で経済優先の仕事人内閣の組閣は、すべて憲法改正のためなのだ。すべては、私流のやり方で究極的に大衆を幸福にするために、豊かで強い経済と国家を作るための方便なのだ。私の政治的理想と憲法改正の悲願実現のために、いま私は、「大衆を欺く技術」を最大限発揮しているのだ。
臥薪嘗胆という言葉は今の私のためにある。かつて臥薪嘗胆の末、呉王夫差はやがて越王勾践を破った。私は日本国憲法を改正するのだ。そういうことなのだから、私にお力添えをお願いしたい。
(2017年8月4日)
ヒクヒクうごめく
トカゲの尻尾
切り離された
生身の尻尾
声も出せない涙も出ない
放り出された哀れな尻尾
アタマのために
忖度尽くし
忠義も尽くし
言いつけ守って
けなげにやって
それでもあっさりお見限り
尻尾のスペアはいくつもあると
ある日突然捨てられた
アタマは一つで九尾のトカゲ
硬軟大小さまざまで
色もとりどり
多彩な尻尾
すべての尻尾が消耗品で
取っかえひっかえ目眩まし
飽きた尻尾は切り捨てる
「アタマあっての尻尾です」
精一杯のお世辞をつかい
アタマにゴマすり
へつらい媚びて
挙げ句の果ての
尻尾切り
冷たい風が身にしみる
切り捨てられて
血を出して
無能だアホだと罵られ
尻尾の怨みは
根が深い
尻尾にだって意地がある
2分か3分の魂も
いつかアタマに仕返しと
悔し涙の怨念で
身もだえするやヒクヒクと
明日はトカゲのソカクの日
古い尻尾を投げ捨てて
新たな尻尾に付け替える
こんな儀式で生き延びる
トカゲのアタマのしぶとさよ
尻尾を切って
尻尾を代えて
目先を変えても
おんなじトカゲ
尻尾を切ったで欺されまい
尻尾を代えたで欺されまい
どんな尻尾で飾っても
どんな尻尾も所詮は尻尾
アタマのフロクの飾り物
トカゲのアタマを見極めて
アタマを潰すがなにより肝腎
危険な毒もつ
トカゲのアタマ
しっかり潰そう
みんなして
(2017年8月2日)
はやいもので、今日から8月。「8月は 6日・9日・15日」であり、戦争と平和に思いをいたすべき格別のとき。例年熱い8月だが、今年は安倍政権断末魔の特別な熱さがある。
政権断末魔の象徴が、稲田朋美の防衛相辞任劇である。この無能無責任政治家のおかげで、安倍政権の不誠実さ隠蔽体質を、誰もが公然と批判できるようになった。その意味では、稲田朋美の功績大なるものがある。しかし、防衛省や、自衛隊にとっては、組織の威信を大いに傷つけた、この上ない厄介者である。
ひっそりと夜逃げ同然に庁舎を出ていくのかと思いきや、昨日(7月31日)その厄介者の離任式が行われた。無責任な最低大臣が不祥事で引責辞任するというのだ。しかも、自分の責任を棚に上げ、部下を犠牲にして組織の威信を大いに傷つけた、そんな愚かな元大臣に、なんと寛大で心優しい自衛隊。そして驚くべきは、事態の深刻さを認識する能力さえないこの人物の不気味な笑みである。こんな深刻な事態に、どうして、へらへら笑っていられるのだろうか。
当然のことだが、人は自ずからその場にふさわしい感情表現をする。「怒るべきときに泣いてはならない」は名言である。もちろん、悲しむべきときに笑ってはならない。場違いな笑いは不謹慎極まりない。責任を感じなければならない局面で、えへらえへら笑っているこの人の神経を疑わざるを得ない。
さらにこの人、最後まで顧みて他を言う得意技を発揮。「風通しのよい組織文化を醸成し、一層の連携強化を図り、いかなる困難な状況にも対応してほしい」と述べたと報道されている。隠蔽と嘘ゆえに引責辞任した人物の、この厚かましさに、開いた口が塞がらない。
もう、誰もが、この無能政治家本人と、無能無責任を任命し放置してきた安倍政権を遠慮なく批判できるようになった。
中でも、日刊ゲンダイは辛辣だ。
「KYバカは死んでも治らないということか。防衛省で31日開かれた離任式に笑顔で臨んだ稲田朋美前防衛相に、自衛隊員から大ブーイングの嵐だ。」
筆の滑りでも誇張でもない。これこそ正確な報道と受けとめざるをえないだろう。
大手新聞も負けてはいない。
「南スーダン国連平和維持活動(PKO)の日報問題で引責辞任した稲田朋美前防衛相は31日、防衛省での離任式に臨んだ。幹部を前にしたあいさつで「風通しの良い組織文化を醸成してもらいたい」と注文を付けたが、自身の組織運営を反省する言葉は一切なく、省内には改めて反発も出た。稲田氏は花束を手に笑顔で離任したが、残された職員にはしらけた空気が漂った。」(毎日)
これまで、安倍一強の高支持率に白けていた人々がようやくにして元気がよい。最近会う人ごとに、「ようやく安倍政権打倒の手応え」「もう一息だ」「手抜きしないでなんでもやろう」と声をかけられる。
さて、そのために今具体的に何ができるか。とりあえず、二つの署名運動を成功させたい。
一つは、「共謀罪法」廃止の緊急統一署名、そしてもう一つが「佐川国税庁長官(前理財局長)の罷免を求める1万人署名運動」。両者とも、安倍政権を大いに打つものである。
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「共謀罪法」廃止の緊急統一署名
呼びかけ団体
共謀罪NO!実行委員会
連絡先 日本国民救援会 03.5842.5842/日本民主法律家協会? 03.5367.5430
集約先 日本消費者連盟 〒169‐0051 東京都新宿区西早稲田1‐9‐19‐207
日本国民救援会 〒113‐0034 東京都文京区湯島2‐4‐4 平和と労働センター5F
戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会
連絡先 1000人委員会 03.3526.2920/9条壊すな!実行委員会 03.3221.4668
/憲法共同センター 03.5842.5611
集約先 総がかり行動実行委員会 〒101‐0062 東京都千代田区神田駿河台3.2.11
連合会館1F 平和フォーラム気付
第1次集約:8月31日、第2次集約:9月30日)
署名用紙は、下記からダウンロードできます
http://sogakari.com/?p=3028
内閣総理大臣 様
衆議院議長 様
参議院議長 様
政府と与党などは、2017年通常国会の参議院本会議で、法務委員会の採決を省略する極めて異例な「中間報告」という手段を用いて、共謀罪法(改正組織犯罪処罰法)を、強行採決によって成立させました。
私たちは、この暴挙に強く抗議し、下記の理由から「共謀罪法」の廃止を求めます。
1. 共謀罪法は、277種類もの犯罪について、法益侵害の危険性のない「計画」(共謀)を処罰しようとするものであり、まさに「話し合うことが罪になる」、刑法の原則を根本から破壊する憲法違反の悪法です。
2. 政府は、共謀罪を「テロ等準備罪」と呼び、東京オリンピック等を開催するためのテロ対策に必要だと主張しましたが、共謀罪の対象となる277の犯罪のほとんどはテロと関係がなく、共謀罪がテロ対策だというのはウソです。テロ対策の法制度はすでに整備されています。
3. 共謀罪は処罰の対象をテロリストや暴力団に限定するものではなく、一般市民・団体も対象としています。また、「計画」、「準備行為」、「組織犯罪集団」の定義はあいまいで、何が罪にあたり処罰対象となるのか知ることもできないため、市民の自由な言論・表現・行動に萎縮効果をもたらします。
4. 共謀罪法により、警察や検察の恣意的な判断で、政府や企業にものを言おうとする一般市民や団体が捜査対象にされたり、プライバシーを侵害されたりする市民監視・言論弾圧の危険が現実化します。
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「佐川国税庁長官(前理財局長)の罷免を求める1万人署名運動」
「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」が8月1日から、佐川国税庁長官(前理財局長)の罷免を求める1万人署名運動を始めました。
署名用紙は、http://bit.ly/2ub1F8W をダウンロードしてお使いください。
*署名はいつまで?
→ 8月1日(火)?8月14日(月)までです。
*目標は?
1万筆です。国税庁長官の罷免を要求するには、これくらいの数で「民意の底力」を示すことが不可欠です。
*署名はどのようにしたらよいのか? どこへ送ればよいのか?
・署名用紙:署名欄の下に説明していますので、ご覧下さい。
・ネット署名:http://bit.ly/2uCtQkK をご覧いただき、必要事項を記入の上、送信下さい。
ネット署名は、今からでも受け付けます。皆さまのご協力とお知り合いへの呼びかけ、呼びかけの拡散にご協力をお願いします。
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(参考資料)
「国税長官に佐川氏 財務相『丁寧な説明に努めた』」
(『東京新聞』2017年7月4日、夕刊)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201707/CK2017070402000244.html
「沈黙の佐川新長官 国税庁就任1カ月 異例の会見なし」
(『東京新聞』2017年7月30日、朝刊)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201707/CK2017073002000116.html
国民の疑問が解消されない中、佐川氏は理財局長から次官級の国税庁長官に昇格。
理財局長からの昇格は四人連続だが、国民からは安倍晋三首相を守ったことへの『論功行賞」といった批判が上がり、国税庁にも苦情が寄せられている。今後、就任会見を開けば、記者から森友問題に質問が集中する可能性が高い。
ある国税庁職員は「佐川長官になり、税務調査がやりにくくなった。長官が書類の廃棄を認めているので、調査対象者から『自分たちが書類を廃棄しても構わないだろう』というような嫌みを言われる。現場にも影響が出ている」と、困った表情で語った。」
(2017年8月1日)