澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「香港立法議員資格剥奪」と、「学術会議会員任命拒否」と。

(2020年11月12日)
昨夜(11月11日)の時事配信記事のタイトルが、「中国、『忠誠』なき議員を排除 香港民主派は抗議の辞職表明」である。権力がその本性を剥き出しに、権力に抵抗する者の排除を断行したのだ。中華人民共和国、さながら臣民に忠誠を求めた天皇制の様相である。しかし、果敢に抵抗する人々がいる。

民主主義社会では、民衆が権力をつくり、民衆の承認ある限りで権力の正当性が保たれる。だから、権力は民衆に「忠誠」を誓う立場にある。権力が民衆に「忠誠」求めることは背理である。権力が「反忠」の人物を排斥してはならない。

原理的に権力には寛容が求められる。民衆を思想・信条で選別し差別してはならない。政治活動の自由を奪ってはならない。権力に抵抗する思想や表現や政治活動を弾圧してはならない。いま、天皇制ならぬ、「人民」の「共和国」がそれをやっているのだ。

「今ごろ何を騒いでいるのだ。中国ではごく当たり前のこと」「香港が中国並みになったというだけのこと」という訳知りの声もあろうが、かくもたやすく、かくも堂々と、権力がその意に沿わない民主主義者を排除する図に衝撃を受けざるを得ない。

報道では、民主派議員19人が11日夕に会見し、4人以外の15人も抗議のため一斉辞職すると表明。定数70の立法会で21人いた民主派は2人に激減することになり、今後は親中派の独壇場になるという。

この民主派議員たちの抗議の辞職は、香港社会だけでなく、国際社会に向けての捨て身のアピールなのだ。この香港民主派の抵抗を支持する意思を表明しよう。

時事は、こんな報道もしている。
《「独立思想広めた」教師失職 当局、現場への介入強化―香港》(20年10月06日20時48分)

 香港政府の教育局は6日までに、「香港独立思想を広めた」として、九竜地区の小学校教師1人の教師登録を取り消したと発表した。独立派の主張を授業で扱ったことによる登録抹消は異例で、教育現場に対する当局の介入強化や教員への萎縮効果が懸念されている。

 この教師は、昨年、小学5年生の授業で独立派の活動家である陳浩天氏が出演したテレビ番組を紹介。「番組によると、独立を訴える理由は何か」「言論の自由がなくなれば香港はどうなってしまうか」などと尋ねる質問用紙を配布した、という。教師自身が独立を主張したとは報じられていない。
それでも、教育局は「教材が偏っており、生徒に害を与えた」と指摘。この教師は既に離職しているが、今後他の教師による「問題行動」が確認された場合、同様に処分はあり得ると表明した、と報じられている。

強権とたたかっている香港の人々に敬意を評したい。こんな社会はごめんだ。中国のようにはなりたくない。

いや、日本も危うい。菅政権は、政権批判の立場を堅持する日本学術会議を快く思わず、政権批判の発言をした6名の任命を拒否した。思想・良心の自由、表現の自由、学問の自由を侵害する行為だとの批判を覚悟しての強権の発動である。中国共産党の香港に対する強権的姿勢と、本質において変わるところはない。

まだ、私たちは声を上げることができる、政治活動もできる、選挙運動もできる。選挙で政権を変更することもできる。三権分立も何とか守り続けている。この自由や民主主義を錆び付かせないように、大切にしたい。まずは、粘り強く学術会議任命拒否を撤回させねばならない。

嗚呼、中国よ。その大地には民主主義の芽は育たないのか。

(2020年11月11日)
新華社電は、本日、中国の全国人民代表大会常務委員会会議が、香港立法会の議員資格として「中国や香港政府への忠誠心を求める」ことを決定した、と伝えた。「香港独立を宣伝したり、外国勢力に香港への介入を求めたりすれば、議員資格を失う」と明示したという。

その決定を受け、香港政府は即日、香港民主派議員4人の資格を剥奪した。北京の指示に香港政府が忠実に従った。北京は、香港の民衆の全てに、同様の忠誠を求めているのだ。

この中国の蛮行の犠牲となって議員資格を剥奪された、香港民主派4人の氏名を、畏敬の念をもって記しておこう。

 楊岳橋(Alvin Yeung)氏
 郭栄鏗(Dennis Kwok)氏
 郭家麒(Kwok Ka-ki)氏
 梁継昌(Kenneth Leung)氏

【AFP=時事】は、「今回の措置は、中国全人代の常務委員会が、地方政府は国家安全保障上の脅威とみなす議員の資格を剥奪できると決定したことを受けてのもの」と伝えている。

共同は、「香港への統制を強める習近平指導部は、中国に批判的な香港の民主派議員を「忠誠心に欠ける」と見なして排除を進めるとみられる。香港に「高度の自治」を約束した「一国二制度」の形骸化が一段と鮮明になった。」と報じている。

昨日の毎日の記事には、「民主派議員19人は9日夜に記者会見し、議員資格の剥奪が決まれば、集団辞職して抗議する方針を表明した。民主派は「反対派の存在を許さない中央政府のやり方は1国2制度に反している」と強く反発した。」とされている。

「決定前の立法会の議席は親中派が41、民主派が21、欠員が8。民主派が4人欠けることで、重要法案を否決できる3分の1を大きく下回り、影響力が大きく後退するのは必至だ。さらに残りの民主派議員も辞職すれば、立法会はほぼ親中派議員だけとなり、異例の事態となる。」(朝日)

朝日によれば、「(資格を剥奪された)議員4人は7月、国安法に反対し、立法会選で民主派が過半数をとれば政府提案の法案を否決すると表明したことなどが問題視されていた。また10月以降も議事妨害をしているとして、全人代常務委メンバーの譚耀宗氏は、常務委員会が開かれるのを前に「香港の特別区に忠誠を誓い、基本法を守るという原則に反している」と語った。」という。

なるほど、林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官が語ったとおり、「6月末に香港国家安全維持法(国安法)が施行された後、香港に三権分立は存在しない」のだ。三権分立だけではない。民主主義もない。立憲主義もない。そもそも法の支配すらないのだ。

中国には、思想・良心の自由が存在しない。表現の自由もない。政治的活動の自由もない。つまりは、中国においては、国家権力は万能なのだ。意に沿わない議員の資格を剥奪することが自由にできる。権力が恣になんでもできるというこの中国のありかたを「独裁」と言い、野蛮という。

菅政権が、学術会議が推薦した6名の新会員候補の任命を拒否して、その理由を語ろうとしない。これも、野蛮な権力の行使である。決して、中国を嗤う資格はないが、この超大国の大地には民主主義の芽は育たないのだろうか。暗澹たる思いを禁じえない。

中国での国旗法改正、ますますの国家主義、ますますの強権体質。

(2020年10月18日)
中国での国旗法改正を伝える本日の共同通信記事に、解説を加えたい。

 「中国の全国人民代表大会(全人代=国会)常務委員会は17日、国旗の尊厳を損なうことを禁じた国旗法改正案を可決した。来年1月1日に施行する。国営通信の新華社が伝えた。香港でも関連条例を改正して適用。デモで中国の国旗を否定するような掲げ方をした場合は取り締まり対象となりそうだ。」

 中国では、国旗法と国歌法とが別になっている。いずれも、国民に自国の国旗・国歌に対する侮辱行為を刑事罰をもって禁止している。これは、事実上の愛国強制法にほかならない。こんな法律を作らねばならないこと自体が、国家の脆弱性を自白しているに等しく、情けない。のみならず、いまその強制をさらに強化しようというのだ。

 「第1条で「国旗の尊厳を守り、愛国主義精神を発揚し、社会主義の価値観を育成し実践する」とうたった。破損したり汚れたりした国旗を掲揚することや、国旗を逆さまに掲げる行為などを禁じた。香港で昨年から続く抗議デモでは、中国国旗を燃やしたり、海に投げ捨てたりする場面もあった。こうした行為を取り締まるとみられる。」

 共同通信記事は、国旗法第1条を「国旗の尊厳を守り、愛国主義精神を発揚し、社会主義の価値観を育成し実践する」と訳して報道したが、原文は下記のとおりである。

「第一条 ?了??国旗的尊?,?范国旗的使用,??公民的国家?念,弘??国主?精神,培育和践行社会主?核心价??,根据?法,制定本法。」

私の訳だから、正確性は保証しかねるが、こんなところだろう。
「第1条 国旗の尊厳を擁護し、国旗取扱いの規範を定め、国民の公民的国家観念を増強し、愛国主義精神を発揚し、社会主義核心価値観を育成し実践するために、憲法に基づいて、本法を制定する。」

これは、なんともおどろおどろしい国家主義の価値観を全国民に押し付けようという「国民精神善導法」である。しかも、善導は刑罰で担保されている。なお、「社会主義核心価値観」とは、中国共産党唱道のスローガンで、具体的には、「富強、民主、文明、和諧、自由、平等、公正、法治、愛国、敬業、誠信、友善」と定義づけられる。これを私は、中国版教育勅語と理解している。国家が、国民に特定の価値観を注入しようという発想において同類なのだ。

爾臣民父母ニニ兄弟ニニ夫婦相和シ朋友相信恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ

よく似ていないだろうか。もちろん、「天壤無窮ノ皇運」「偉大な中国共産党の興隆」に置き換えて読まねばならない。

 「少数民族の自治地区では、民族の伝統的な祝日にも国旗を掲揚するよう義務付けた。中央政府に対する反感が強い新疆ウイグル自治区などで、愛国心を植え付ける狙いとみられる。」「香港でも関連条例を改正して適用。デモで中国の国旗を否定するような掲げ方をした場合は取り締まり対象となりそうだ。」

 国旗も国歌も、国家の象徴である。国旗国歌に敬意を表明せよとの強制は、国民の上に国家を置く全体主義の発想。およそ文明国にあるまじき法である。要するに、まつろわぬ人々をあぶり出し、国家の統制下に置く手段としての立法なのだ。

なお、NHKは本日(10月18日)午後、こう伝えている。

「中国で、国旗の尊厳を損なう行為を禁じ愛国心を示すよう求める法律の改正案が可決されました。少数民族の伝統的な祝日でも国旗の掲揚が義務づけられるほか、香港でも関連する条例が改正されて適用される見通しで、中国政府としては国民の愛国心を高めたいねらいがあるとみられます。

改正された法律は来年1月1日から施行され、学校で国旗を毎日掲揚することや祝日には広場や公園など公共の場所でも掲揚することなどを求めています。

少数民族が多く住む自治区では民族の伝統的な祝日にも国旗を掲揚しなければならないと義務づけており、政府への反発が根強くある新疆ウイグル自治区などでも愛国心を高めたいねらいがあるとみられます。

さらに、法律では、これまで禁じていた破損したり汚れたりした国旗の掲揚に加えて、国旗を逆さまに掲げる行為なども禁じたほか、国旗を通じて国民に愛国の気持ちを表現するよう求めています。

今回の法律の改正を受けて、今後、香港やマカオでも関連する条例が改正され適用される見通しです。香港では、去年から続いた一連の抗議活動で中国の国旗を燃やしたり投げ捨てたりする場面もあり、中国政府としてはこうした行為に厳しく対処する姿勢を示した形です。」

 日本の国旗国歌法は、国旗国歌の定義を決めるだけで、国旗国歌の尊重義務もなければ、敬意表明を強制する条文もない。もちろん、日本国憲法下の刑法に国旗国歌侮辱罪などあり得ない。ただ、公務員である教員に対する起立・斉唱の職務命令が、国旗・国歌(日の丸・君が代)への敬意表明行為強制の根拠とされている。(「外国に対して侮辱を加える目的でその国の国旗その他の国章を損壊した者に対する「外国国章損壊罪」はある)

国家主義・愛国主義の強制は、民主主義や人権の対立物である。スガ政権や、これを支持する人々にとっては中国の強権的国家主義垂涎の的であろう。中国とは対等の立場で友好関係を築かねばならないが、国民統制に便として、中国の強権性や国家主義を学んではならない。

中国・国慶節に思う今昔の感。

(2020年10月2日)
昨10月1日が国慶節であった。1949年10月1日、毛沢東が天安門で「中華人民共和国成立了!」と高らかに宣言したとき、北京の空は飽くまでも高く、飽くまでも青く澄みわたり、多くの人々が新しい歴史が始まると胸を躍らせた。ここから本当の「人民の国」ができるのだ、と考えたのだ。

それから70年余、曲折を経ながらも中国は経済的な発展を遂げた。しかし、偉大な「人民の国家」にはなっていない。強大な権力を握る党幹部と、強盛な大資本の支配する国になっているのが現実の姿だ。私も、かつては「人民中国」を人類の希望と考えていた。今思うことは、この大国はいつまで人権や民主主義の理念をを排斥し続けるのだろうか、という無念でしかない。

中国とは何であるか、香港の現状がこれをよく映しよく物語っている。昨日(10月1日)も香港でのデモが弾圧されている。おそらくは、ウィグルも、チベットも、内モンゴルも同様なのだろうが、あまりにも情報が少ない。下記は、6年前(2014年10月2日)の当ブログの一節である。むろん香港の事態は、当時に比較して遙かに深刻になっている。

香港は、1997年英国から中国に「返還」された。その際に50年間の「1国2制度」(一个国家两?制度)による高度の自治を保障された。99年にポルトガルから返還されたマカオ(澳門)がこれに続いている。

两?制度(2種類の制度)とは、建前としては「社会主義」と「資本主義」の両制度ということであったろう。しかし、1978年以来の改革開放路線突き進む中国を「社会主義」と理解する者は、当時既になかったと思われる。「市場的社会主義」とか「社会主義市場経済」とか意味不明の言葉だけは残ったにせよ、社会主義の理想は崩壊していたというほかはない。

結局のところ、「1国2制度」とは、「社会主義か資本主義か」ではなく、政治的な次元での制度選択の問題であった。一党独裁下にある人口12億の大国が、自由と民主々義を知った700万人の小国を飲み込むまでの猶予期間における暫定措置。それが「1国2制度」の常識的理解であったろう。

しかし、今や事態はこの常識を覆そうとしているのではないか。一国2制度は、大国にとってのやっかいな棘となっている。少なくとも、小国の側の意気込みに大国の側が慌てふためいているのではないか。「この小国、飲み込むにはチト骨っぽい。とはいえ放置していたのでは、この小国の『民主とか自由という害毒』が大国のあちこちに感染しはしまいか」。大国にとっても深刻な事態となっているのだ。

がんばれ香港。がんばれ若者たち。君たちの未来を決めるのは、君たち自身なのだから。

なお、中国の考え方については、浅井基文さんのブログが参考になる。ここに紹介されている、中国の独善と強権の論調には寒気を感じざるにはおられない。

https://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/index.html

浅井さんは、たとえばこう言う。

「社会主義市場経済」とは何ものであるかについて、(2019年)9月21日付の「求是網」は、南開大学マルクス主義学院教授の劉鳳義教授署名文章「社会主義市場経済の制度的優位性」を掲載しました。この文章は、「社会主義市場経済」とは何ものであるかに関する説明を行っており、私のような経済にずぶの素人でもそれなりに理解できる内容となっています。
私が刮目するのは、改革開放初期の中国は鄧小平流の「黒猫白猫」論のレベルにとどまっていましたが、今や理論的思想的に自らを定位しようとする高みを目指しているということです。もちろん、ケチをつけることは簡単です。しかし、社会主義市場経済の優位性に関する7点にわたる理論的主張を先入主なく吟味する価値はあるのではないでしょうか。

私には、とうてい「それなりに理解できる内容」とは思えないが、7点にわたる理論的主張の各項目と、7点目「中国共産党の領導」の全文を転載させていただく。なお、「ケチをつけることは簡単です」ということには、浅井さんに深く同意する。どこの国にも、権力におべんちゃらを惜しまない「学者」という者が存在するのだ。

<社会主義市場経済のメリットと優位性>
?人民の良好な生活に対する要求を満足することを社会主義的生産の根本目的とすること。
?公有制を主体とし、多種類の所有制経済の共同発展という基本的経済制度。
?労働に応じた分配を主体とし、多種類の分配方式を併存するという基本的分配制度。
?発展の理念を分かち合い、ともに豊かになる道。
?「効率的な市場」と「有能な政府」という両面における優位性の発揮。
?開放拡大と人類運命共同体構築推進。

?中国共産党の領導が社会主義市場経済の制度的優位性であること。
中国共産党の領導は中国の特色ある社会主義のもっとも本質的な特徴であり、また、社会主義市場経済の制度的な優位性でもある。中国共産党は一貫してもっとも広範な人民大衆の根本的利益を代表し、人民を中心とする発展思想を堅持し、人民の福祉の増進、人の全面的発展の促進、共同富裕に向かっての着実な前進をもって経済発展の出発点及び着地点としている。経済工作に対する党の集中統一領導を堅持することは、経済と政治の有機的統一を実現するのに有利であり、市場の活力を刺激し、経済の効率を高めることができるとともに、社会主義制度の優位性を発揮し、各方面の積極的要素を十分に引き出し、社会の公正正義を促進することができる。改革開放以来、我が国の経済及び社会が衆目の認める偉大な成果を実現し、人民の生活水準が大幅に向上することができたのは、我々が確固として党の領導を堅持し、各レベルの党組織及び党員全体の役割を十分に発揮させたことと不可分である。

「天安門事件犠牲者追悼集会」弾圧に国際的な批判の声を。

(2020年9月21日)
天安門事件は、1989年6月4日の出来事である。この日、当時昂揚した民衆の民主化運動を、中国政府(共産党)が人民解放軍の武力をもって弾圧した。中国の現代史における恥辱の日として記憶されなければならない。

この武力弾圧による犠牲者の数はよく分からない。中国共産党の公式発表では、「319人」となっているが、信用されていない。「1000人超」説もあれば、「1万人余」説まである。

この事件は、以後中国国内では情報統制の対象となって、あたかもなかったかのごとき扱いだという。これを香港の民主主義は、黙過出来ないとした。毎年6月4日、香港島ヴィクトリアパークにおいて事件で犠牲になった学生たちを追悼する大規模な集会が開催されてきた。2012年にはその参加者が18万人にも達したという。

今年(2020年)の6月4日にも、例年のとおり、香港島ヴィクトリアパークで天安門事件追悼集会が開催された。しかし、今年の集会に警察の許可は下りなかった。理由は、新型コロナウイルスの感染防止のためとされた。この不許可を不当として、会場の公園には数千人の市民が参集した。

香港当局は、不許可の集会に参加の民主活動家24人を起訴した。罪名は「違法な集会に参加した罪」なのだという。香港国家安全維持法が6月末に施行され、民主的活動家らの逮捕や起訴が相次いだ時期のことである。中国共産党の意向による香港民主派への締めつけと捉えられている。

当然に、民主派からの反発は強い。今回の起訴について、主催団体は「集会やデモは香港で認められた市民の権利で、警察は感染防止策を悪用して追悼集会の火を消そうとしている。私たちは弾圧を恐れない」とコメントしている。

その民主派活動家24人の裁判が始まっている。9月15日が第1回の法廷であった。被告人のひとり、李卓人氏はこう述べたという。

「天安門事件を追悼することは私たちの権利だ。天安門事件の追悼は無罪だ」

ところで、天安門事件の責任を追及することは、ひとり香港のみならず国際社会の責務ではないか。天安門事件の追悼を犯罪視している中国の現状に接すると、その思いは一入である。31年前、国際社会は、民主主義と人権を蹂躙した野蛮な中国政府(共産党)を厳しく批判すべきだったのだ。しかし、現実はそうならなかった。日本の対応について、今外交文書が公開されて明らかになっている。

時事通信の「『人権軽視外交』検証を=天安門事件外交文書」という記事が配信されている。記者の秘めた怒りがほとばしるような文章となっている。

「外務省が時事通信の開示請求に対し天安門事件外交文書ファイル9冊(計3123枚)を公開した。西側諸国が対中制裁を強化する中、日本政府はいち早く政府開発援助(ODA)再開に動いたが、当時の詳細な外交方針が判明したのは初めて。」

「(89年6月)22日に作成された極秘文書「わが国の今後の対中政策」には、「わが国が有する価値観(民主・人権)」より「長期的、大局的見地」を重視し、中国の改革・開放政策を支持すべきだと明記。その上で「今次事態の衝撃がなるべく小さくなるよう対処」するとともに、「西側が一致して対中非難等を行うことにより中国を孤立化」することは「得策でない」と基本的考えを記していた。」

日本政府は1989年の天安門事件を受け、犠牲となった市民の人権よりも、国際的孤立に陥った中国共産党に手を差し伸べる外交を優先していた。31年がたち、強大になった中国が、自由を謳歌(おうか)した香港への統制を強化するなど、中国が絡む人権問題が深刻さを増す中、当時の日本の対中外交について徹底した検証が必要だ。
 改革・開放が進めばいずれ自由化・民主化する国なのか、市民に銃口を向けることをためらわない強権国家なのか。国際社会は流血の惨事を目の当たりにし、対中関係で難しい決断を迫られた。
 結局、前者の見方を選択し、国際社会の中に取り込むことで中国の変化を促す「関与政策」が主流となった。日本はその先頭に立ち、軍事拡張路線を続ける中国の経済発展のため政府開発援助(ODA)をつぎ込んだ。天安門事件後の日中外交は、「内政不干渉」の下で中国の政治体制や人権問題に異を唱えず、経済的な実利を追求することで両国関係の安定を目指したものと言えた。
 しかし強国路線を掲げる習近平政権に入り、民主化はますます「幻想」と化した。人権や台湾・香港、南シナ海、尖閣諸島などの問題で、日米欧への対抗を強める中、ポンペオ米国務長官は今年7月、関与政策の失敗を宣言した。
 天安門事件後の日本外交文書によると、日本政府は当時の「弱い中国」を国際的に孤立させれば、「冒険主義的対外政策に走らせる」と懸念した。この分析は共産党の本質を見極めたものだが、孤立させない道を選択したのに、なぜ民主化へと進まなかったのか。
 日本をはじめ各国が、巨大市場に目を奪われ、人権問題などで妥協した関与政策を進めた結果、巨額資金が中国に流れ込み、独裁体制をパワーアップさせてしまったという歴史的側面を忘れてはならない。[時事通信社]

この度明らかになった当時の外交方針のもと、1990年に日本は世界に先駆けて対中円借款凍結を解除して経済的関係を修復し、91年8月には海部俊樹首相が訪中、翌92年4月には江沢民総書記が来日、その年の10月には天皇夫妻に訪中させて、日本は民主・人権問題よりは、経済関係の安定を選択し実行した。その結果が、今日の香港・台湾・内モンゴル・ウィグル、チベットの問題ではないか。

遅きに失してはいようが、日本は、「天安門事件犠牲者の追悼を犯罪として起訴する」中国・香港当局に、「民主・人権」擁護の立場から、厳しい批判をするべきであろう。

「九一八事変」の日に、日本の罪を思う。

(2020年9月18日)
9月18日である。中国現代史に忘れることのできない日。そして、日本の歴史を学ぶ者にとっても忘れてはならない日。満州事変の端緒となった、柳条湖事件勃発の日である。

柳条湖事件とは、関東軍自作自演の「満鉄爆破」である。1931年の9月18日午後10時20分、関東軍南満州鉄道警備隊は、奉天(現審陽)近郊の柳条湖で自ら鉄道線路を爆破し、それを中国軍によるものとして、北大営を襲撃した。皇軍得意の謀略であり、不意打ちでもある。

満州での兵力行使の口実をつくるため、石原莞爾、板垣征四郎ら関東軍幹部が仕組んだもので、関東軍に加えて林銑十郎率いる朝鮮軍の越境進撃もあり、たちまち全満州に軍事行動が拡大した。日本政府は当初不拡大方針を決めたが、のちに関東軍による既成事実を追認した。「満州国」の建国は、翌1932年3月のことである。

こうして、泥沼の日中間の戦争は、89年前の本日1931年9月18日にはじまり、14年続いて1945年8月15日に日本の敗戦で終わった。その間の戦場はもっぱら中国大陸であった。日本軍が中国を戦場にして戦ったのだ。これを侵略戦争と言わずして、いったい何と言うべきか。

この事件の中国側の呼称は、「九一八事変」である。「勿忘『九一八』」「不忘国耻」(「9月18日を忘れるな」「国の恥を忘れるな」)と、スローガンが叫ばれる。「国恥」とは、国力が十分でないために、隣国からの侵略を受けたことを指すのであろうが、野蛮な軍事侵略こそがより大きな民族の恥であろう。日本こそが、9月18日を恥ずべき日と記憶しなければならない。

ネットに、こんな中国語の書き込みがあった。

「九一八」,是國恥日,也是中華民族覺醒日。面對殘暴的侵略者,英勇頑強的中國人民從來不曾低下高昂的頭!

(「9・18」は、国恥の日であるが、中華民族目覚めの日でもある。勇敢な中国人民は、暴虐な侵略者を見据え、けっして誇り高き頭を下げることはない。)

中国は、9月21日に事件を国際連盟に提訴している。国際連盟はこれを正式受理し、英国のリットンを団長とする調査団が派遣されて『リットン報告書』を作成した。これは、日本側にも配慮したものであったが、日本はこれを受け容れがたいものとした。

1933年3月28日、国際連盟総会は同報告書を基本に、日本軍に占領地から南満州鉄道付近までの撤退を勧告した。勧告決議が42対1(日本)で可決されると、日本は国際連盟を脱退し、以後国際的孤立化を深めることになる。こうして、国際世論に耳を貸すことなく、日本は本格的な「満州国」の植民地支配を開始した。

今、事件現場には「九一八歴史博物館」が建造されている。その展示は、日本人こそが心して見学しなければならない。そして、1月18日(対華21か条要求)、5月4日(五四運動)、7月7日(盧溝橋事件)、9月18日(柳条湖事件)、12月13日(南京事件)などの日は、日本人こそが記憶しなければならない。

ところで、89年前と今と、日本と中国の力関係は様変わりである。中国は、強大な国力を誇る国家になった。しかし、国内に大きな矛盾を抱え、国際的に尊敬される地位を獲得し得ていない。むしろ、力の支配が及ばない相手からは、警戒され恐れられ、あるいは野蛮と軽蔑され、国際的な孤立を深めつつある。

かつての日本は、国際世論に耳を傾けることなく、孤立のまま暴走して破綻に至った。中国には、その轍を踏まないよう望むばかり。国際的な批判の声に中国の対応は、頑なに「内政干渉は許さない」と繰り返すばかり。然るべき相互の批判はあって当然。真に対等で友好的な日中の国交と、そして民間の交流を望みたい。

中国による「民族文化ジェノサイド」を防止する有効な手立ては?

(2020年9月12日)
中国の香港民主派への弾圧の印象が強烈で、以来この大国の人権状況が気にかかってならない。香港以前には、チベット・ウイグルに対する弾圧が問題とされており、香港後は台湾だろうと思っていたら、突然に内モンゴル自治区における「同化政策」が大きな住民の反発を招いているという報道である。

私は、昨年(2019年)8月に、旧関東軍の戦跡をめぐる内モンゴルの旅に参加した。ハイラルからノモンハン、ホロンバイル、そしてロシア国境の満州里まで。あの独特の縦書きのモンゴル文字をあちこちで見かけたが、その文字と言語の消長が問題となっているとは気が付かなかった。見る目のないことは如何ともしがたく、バス旅行の行程では不穏な空気を感じ取ることもできなかった。

それでも、モンゴル族の現地ガイドに「漢族との差別はありますか。不満はないのですか」と聞くと、漢族の通訳に聞こえぬよう配慮しつつ、「それは、当然にありますよ」と語っていた。が、明らかにそれ以上に話はしたくないという態度で、このテーマでの会話の発展はなかった。

あれから1年。この9月から始まった新学期での学校教育が様変わりだという。これまで保障されていた内モンゴル自治区内小中学校でのモンゴル語教育が、事実上中国語(北京官話)だけとされることに、モンゴル族の住民が激しく反発して抗議行動が噴出し、これを当局が厳しく取り締まっている、という。ああ、香港と同様の構図だ。

本日(9月12日)のNHKWEBNEWSは、「中国 内モンゴル自治区 小中学校での中国語教育強化に抗議活動」として、以下のように報じている。

 中国で少数民族のモンゴル族が多く住む内モンゴル自治区の小中学校で、新学期から中国語の教育が強化されたことを受けて、現地では生徒や保護者らによる抗議活動が起きています。
 これに対して地元の公安当局は、騒動を起こしたなどとして100人以上の顔写真をインターネット上に公開して出頭や情報提供を呼びかけるなど、抑え込む姿勢を示しています。
 
 中国内陸部の内モンゴル自治区では、地元政府が先月下旬、新学期に合わせて一部の教科書をモンゴル語から中国語に変更すると発表しました。

 アメリカに拠点を置く人権団体「南モンゴル人権情報センター」によりますと、中国語の教育が強化されることにモンゴル族の生徒や保護者の間で反発が広がり、複数の地域で抗議活動が起きているということです。

 これに対して地元の公安当局は、騒動を起こしたなどとして、インターネット上に100人以上の顔写真を公開して、出頭や情報提供を呼びかけています。また、現地には公安省のトップも訪れ、「反分裂主義との闘いを進め、民族の団結を促進しなければならない」と訓示していて、抗議活動を抑え込む姿勢を示しています。

 これについて中国外務省の趙立堅報道官は、11日の記者会見で「これはあくまで内政問題だ」と述べるにとどめ、海外メディアの報道に神経をとがらせています。

《公安省のトップ》《反分裂主義との闘い》は意味不明だが、住民の抗議行動と、公安当局の取締りの意図は、よく分かる。そして、相変わらずの「あくまで内政問題だ」という逃げ口上。

時事ドットコムニュースの見出しは、より深刻である。『中国・内モンゴル、標準語教育に住民反発 同化政策、「文化絶滅」の懸念』というのだ。内容も詳細でよく分かる。

 【北京時事】中国北部の内モンゴル自治区で、小中学校の授業で使う言語をモンゴル語から標準中国語に変更することにモンゴル族住民が反発し、抗議デモや授業のボイコットが相次いでいる。当局は参加者の拘束など弾圧を強めている。

 同自治区は1学期開始前の8月26日、少数民族系の小中学校1年の国語の教科書をモンゴル語から標準中国語にかえると通知。来年以降は段階的に道徳や歴史にも中国語授業を広げる方針だ。保護者や一般市民が各地の街頭で抗議活動を展開し、授業をボイコットした生徒は数千人以上とみられる。

 米国のNGO「南モンゴル人権情報センター」によれば、警察はデモ参加者を暴力的に取り締まり、一部を拘束。インターネット上で100人以上の参加者の顔写真を公開し、出頭や情報提供を呼び掛けた。寄宿制の学校では生徒が自宅に帰らないよう警官隊が敷地を封鎖したという。

 AFP通信によると、住民の1人は「ほとんどのモンゴル族は授業の変更に反対だ」と述べ、子供が母語を流ちょうに話せなくなると危惧。「言葉は数十年で絶滅の危機にひんする」と訴えた。

 こうした「同化政策」は、チベット自治区や新疆ウイグル自治区でも進む。「中華民族」の結束を目指し標準中国語の浸透を図る習近平政権は異論を排除する構えだ。趙克志国務委員兼公安相は2日まで内モンゴル自治区に入り「反分裂闘争を推進し、民族の団結を促せ」と警察幹部に訓示した。

 国際社会には波紋が広がり、モンゴルのウランバートルでは抗議活動が行われた。エルベグドルジ前大統領はツイッターで「モンゴル文化のジェノサイド(抹殺)は生存への闘いをあおるだけだ」と非難した。しかし、中国外務省の華春瑩報道局長は3日の記者会見で「国の共通言語を学んで使うのは各市民の権利であり義務だ」と主張し、批判に耳を貸そうとしなかった。」

中国は、今や世界の悪役を買って出ようというのだろうか。「モンゴル文化のジェノサイド」といわれる政策を何故強行しようとするのか。清の時代の中央政府は、地方や辺境を決して中央一色に染め上げようとはせず、「因俗而治」(俗に因りて治む)を国策にしたという。「因俗而治」を訳せば、「各地の文化習俗を尊重した統治」と言えようか。現代中国はこの知恵を失って、退化してしまったのではないか。

それにしても、香港も内モンゴルも当局の力があまりに強い。中国の横暴に有効な歯止めとなる手立てはないものかと思っていたら、こんな報道が目に入った。

「北京冬季五輪、実施再検討を 人権団体がIOCに文書」「160 超の人権団体、北京冬季五輪開催の再考をIOCに要請」という、ロイターやAFPの記事である。もしかしたら、この方式は効くかも知れない。中国だって、国際的な孤立は避けたいのだろう。

「2022年に開催を予定している北京冬季五輪について、世界各国の160以上の人権団体が9日までに、実施再検討を求める文書を国際オリンピック委員会(IOC)に連名で送付した。中国政府の人権侵害を理由に挙げている。

 新疆ウイグル自治区や香港での対応をめぐって、中国政府に対して国際的な批判が上がっている。8日に公開された連名の文書には、「中国での人権侵害の悪化を見過ごせば、五輪精神が損なわれる」などと記された。これに対して中国外務省の報道官は、IOCに送られた文書をスポーツの政治利用だと非難。「五輪憲章の精神に反している」などと反論した。(ロイター時事)。」

「160を超える人権擁護団体が連名で国際オリンピック委員会(IOC)に書簡を送り、2022年の北京冬季オリンピック開催を再考するよう要請した。中国政府による人権侵害を理由に挙げている。

過去数カ月間、この種の要請は各人権団体から何度も行われていたが、今回の書簡はこれまでで最大規模。新疆ウイグル自治区に暮らすウイグル族への対応や「香港国家安全維持法」の施行を巡り、中国に対する国際的な批判が高まっている。

8日に公開された書簡には、アジア、欧州、北米、アフリカ、オーストラリアに拠点を置く、ウイグル族やチベット族、香港住民、モンゴル族の人権団体が署名。「中国全土で起きている人権危機の深刻化が見過ごされてしまえば、オリンピック精神と試合の評価は一段と損なわれるということをIOCは認識しなければならない」としている。(AFP)」

戦前の日本では天皇への不敬言動が犯罪だった。今の香港では「打倒共産党」発言が起訴される。

(2020年9月10日)
本日(9月10日)の赤旗国際面に《香港 「扇動」で民主派起訴 英国統治時代の法根拠》という【香港=時事】の記事。恐い話だが避けて通れることではない。せめて声を上げよう。これは、私たち自身の問題でもあるのだから。

短い記事だから、全文をご紹介しよう。

 香港当局は9日までに、民主派政党「人民力量」副主席の譚得志氏を「扇動的発言」を繰り返したなどの罪で逮捕、起訴した。問題視された発言は、昨年以降の反政府デモで多用されてきたスローガン「光復香港、時代革命(香港を取り戻せ、革命の時だ)」などで、民主派は「言論弾圧だ」と反発している。
 香港メディアによると、譚氏に適用された罪は英国統治時代に制定された法に基づくもの。1997年の中国への香港返還後、同罪での訴追は例がない。植民地支配に抵抗する親中派の取り締まりに用いられた歴史があり、社会の現状にそぐわないとの批判の声が司法関係者からも上がっている。6月末の国家安全維持法施行後、香港の民主派摘発は加速しており、同法以外にもあらゆる手段が当局側の選択肢にあると示した形だ。

以上が、時事ドットコムからの引用だが、赤旗の記事には以下の、恐るべき一文が続いている。

 当局側の資料によると、譚氏は1月17日から8月23日までの間、デモや集会で、「光復香港」を389回警察を罵る言葉を324回、「打倒共産党」を34回繰り返しました。罪に問われたのは、3?7月の言動に関してだといいます。

なんという権力の野蛮。デモや集会で、「光復香港」と叫ぶことも、「打倒共産党」と声を上げることも犯罪というのだ。民主主義の原則からは、「光復香港」も「打倒共産党」も、最も擁護されねばならない言論である。「表現の自由」とは、権力が最も不快とする言論こそが自由でなければならないという原則なのだから。

しかも、この野蛮な権力の末端は、どこかにじっと身を潜めて民主派政治家の「違法」発言回数を数えている。そうして作られた「資料」が、どこかに山を成して積まれているのだ。権力の恣意が、その資料のどこかをつまみ上げて活用することになる。

香港での「光復香港」・「打倒共産党」は、今の日本での「安保条約廃棄」「自民党打倒」「天皇制廃絶」程度のスローガンだろう。こんなことを口にできない社会は、想像するだに恐しい。

かつての天皇制国家も野蛮を極めた。今、香港に三権分立はなく、三権を睥睨する至高の存在としての中国共産党がある。その至高の中国共産党に対して、人民風情が打倒を叫ぶなどは、逆賊の犯罪として許されない。これと同様に、大日本帝国憲法下の三権を睥睨する至高の存在としての天皇がいた。その天皇の神聖性や権威を冒涜することは、逆臣の犯罪として許されなかった。

当時刑法第74条(不敬罪・1947年廃止)は、「天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子又ハ皇太孫ニ對シ不敬ノ行為アリタル者ハ3月以上5年以下ノ懲役ニ處ス」「神宮又ハ皇陵ニ対シ不敬ノ行為アリタル者亦同シ」という、バカバカしい犯罪を作っていた。また、治安維持法が、国体(=天皇制)の変革を目的とする結社を禁じてもいた。今にしてバカバカしいが、当時は思想警察が国民生活に立ち入って、不敬の言動に耳をそばだてていた。ちょうど、今、香港の警察が民主派活動家の「違法」発言回数を数えているように、である。

いったいいつの間に、中国共産党は天皇制権力に擬せられる存在になってしまったのだろう。かつての天皇制権力の野蛮を繰り返させてはならないように、今香港で行われている中国共産党の野蛮を批判しなければならない。

心しよう。常に権力への警戒を怠ってはならない。いかなる権力に対しても、批判を継続しなければならない。その批判の武器としての「表現の自由」を鈍麻させてはならない。香港の事態を他人事と看過してはならないのだ。

中国当局は、「香港国家安全維持法」批判の国際世論に耳を傾けよ。

(2020年9月7日)
独善性の強い国と言えば、長くアメリカがトップの地位を保ってきた。大戦後の歴史を通じて世界の警察官を任じてきたが、「割に合わない」として今その役割から降りようとしている。替わって、その座を占めつつあるのが理念なき中国である。経済力があっても、近代の常識が通じない大国だから、まことに厄介である。

その中国の香港支配の現状は、これまでの国際公約を反故にするというだけではなく、誰が見ても、法の支配と民主主義の原則に反し、人権を弾圧するものと指摘せざるをえない。人類が築き上げた文明の共通ルールをないがしろにするものなのだ。

ある政権の国内人権抑圧に対しては、これを批判する国際世論を集約することが対応の基本手段である。この批判に対して、当該国は「内政干渉」と反発するのが定番だが、批判は決して無力ではない。当該国の反発は、その効果の証左にほかならない。

中国の「香港国家安全維持法」(国安法)施行にもとづく香港市民の民主化運動弾圧は、既に大きな国際世論の批判の的になっており、国連マターにもなっている。同法は20年6月30日全国人民代表大会常務委員会において全会一致(162票)で可決され、即日公布・施行となった。その同じ日に、スイス・ジュネーブで第44回国連人権理事会が開催され、国家安全維持法に関する審議が行われている。

この日、英国、フランス、ドイツなど日本を含む27か国が、国連人権理事会の会合で「強い懸念」を示す共同声明を発表した。一方、同じ会合でキューバ政府が53か国を代表して中国への支持を表明。中国の香港政策を巡り国際社会が分裂した形となった。

27か国の対中国批判声明は、国連にも登録されている中英共同宣言(1984年)が香港の高度な自治を規定していると指摘し、香港市民の頭越しに行われた同法制定は「1国2制度」を損なうと批判するもので、併せて中国の新疆ウイグル自治区における人権侵害についても言及したものという。

一方、中国に賛意を示した53か国の声明は、27か国批判声明を「内政干渉だ」と非難した上で、同法が「香港の繁栄と安定に資する」と中国政府の見解をなぞったもの、と報じられている。

念のため、国家安全維持法を批判した27か国を挙げておこう。
 英国、フランス、ドイツ、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、オーストリア、スロベニア、スロバキア、アイルランド、スウェーデン、デンマーク、フィンランド、アイスランド、ラトビア、エストニア、リトアニア、ノルウェー、スイス、リヒテンシュタイン、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、パラオ、マーシャル諸島、ベリーズ、日本。(米国はトランプ政権になってから、同理事会を脱退)

中国支持にまわった53か国は、以下のとおりである。
 中国、キューバ、ドミニカ、アンティグア・バーブーダ、ニカラグア、ベネズエラ、スリナム、カンボジア、ミャンマー、ラオス、スリランカ、ネパール、パキスタン、タジキスタン、イラン、イラク、クウェート、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、バーレーン、オマーン、イエメン、シリア、レバノン、パレスチナ、エジプト、モロッコ、スーダン、南スーダン、エリトリア、ジブチ、ソマリア、ニジェール、ガンビア、シエラレオネ、トーゴ、ギニア、ギニアビサウ、赤道ギニア、ガボン、カメルーン、ブルンジ、中央アフリカ、レソト、コンゴ共和国、モーリタニア、トーゴ、ザンビア、ジンバブエ、モザンビーク、パプアニューギニア、コモロ、ベラルーシ、北朝鮮。

この53か国は、自身が独裁ないし権威主義政治体制であるか、中国からの経済援助の恩恵に預かっているかである。53国の内実はどうであれ、恐るべき「一帯一路」パワーの実力を見せつけられた思いが強い。

中国の経済力にもとづく国際影響力の前に国連の知性も無力かと思うと、実はさに非ず。「香港国安法は人権侵害」「国連特別報告者らが書簡」「国連の人権専門家ら中国に公開書簡」「中国政府に見直し要求」などの報道が飛び込んできた。

[ジュネーブ 4日 ロイター]の次の記事を紹介したい。

国連の人権問題特別報告者ら専門家7人が連名で、中国に異例の書簡を送付し、中国が新たに施行した「香港国家安全維持法」が「特定の基本的人権を侵害」しているとの見解を示した。香港の政治活動の弾圧に利用される可能性があるとしている。

専門家らは、中国政府に書簡を送付して48時間経過後、その内容を公開した。14ページに及ぶ書簡には、「香港国家安全維持法」について法的側面からみた詳細な分析を反映させ、同法が香港司法の独立性を脅かす可能性もあるとしたほか、「国際法における中国の法的義務に従っておらず、『重要部分の精度に欠け』、特定の基本的人権を侵害している」などと指摘した。

また発言や表現の自由、および平和的集会を行う権利を含む基本的自由の抑制や制限に同法が使用されるべきではないとし、香港で多くの合法的な人権保護活動が違法とされたことに懸念を表明。

さらに、中国は「香港国家安全維持法」が国際的な人権保護義務に適合しているかを検証する「完全に独立したレビュアー」を任命すべきとしている。

人権の促進と保護に関する特別報告者のフィオヌアラ・ニ・アオレイン氏は、ロイターに対し「国安法に関する国連による初の包括的な評価であり、中国が国際的な人権義務を順守しているかどうかを法的に分析した。そして(われわれの)見解では、中国は順守していない」と語った。

さらに、香港での表現、集会、公正な裁判などの権利に関して、中国には一段と高度な義務が課せられるとした。アオレイン氏によると、中国当局は書簡の受領を認めているという。

この人権専門家7人連名の書簡に対して、中国当局は何と答えるだろうか。おそらくは、「内政干渉」「誹謗・中傷」「国際陰謀」と反発することだろう。

実は、日本政府もよく似ているのだ。いま市民運動は、国連の勧告に謙虚に対応しようとしない日本政府の傲慢な姿勢を正そうと活動している。「国旗・国歌(日の丸・君が代)強制に関するセアート(ILO/ユネスコ合同勧告委員会)の勧告」についてのことである。

ILO/ユネスコ勧告実施市民会議、文科省交渉の場で
https://article9.jp/wordpress/?p=15275

セアート勧告は、日本政府に対して、「国旗掲揚と国歌斉唱に参加したくない教員への配慮ができるように、愛国的な式典に関する規則について教員団体と対話する場を設定すること。」「不服従という無抵抗で混乱を招かない行為に対する懲罰を回避する目的で、懲戒処分のメカニズムについて教員組合と協議すること」を求めている。

国(文科省)は、この勧告について「我が国の実情や法制を十分斟酌しないままに記述されている」と繰り返して、わが国が尊重するに値するものではないとの意見。しかし、世界の良識は、その傲慢な態度を批判しているのだと知らねばならない。

中国についても同様である。世界の良識の言に謙虚に耳を傾けていただきたい。大国にふさわしい風格を見せていただきたい。いつまでも人権後進国・没道義国家との非難を甘受してはおられまい。国連加盟国として、人権規約締結国として、国連人権理事会の言には、真摯に対応していただきたい。

本日も、香港では市民のデモに対する野蛮な弾圧が報じられている。嗚呼。

皇軍の蛮行を擁護する高校生の意見に衝撃

(2020年9月4日)

第2回「平和を願う文京戦争展・漫画展」コロナ禍に負けず成功!
皆様の財政的ご支援に感謝申し上げます

というご通知をいただいた。
この企画については、下記のURLを参照されたい。
https://article9.jp/wordpress/?p=15387

 コロナの感染者が増加している中、開催された「第2回平和を願う戦争展・漫画展」は、8月10日?12日文京シビックセンターアートサロンで行われ、約500人の方々に見に来ていただきました。
 アンケートも100人の方から回答していただき「初めて加害の実態を知った」「これからも続けてほしい」「もっと若い人に働きかけてほしい」等の意見が、今年もまた寄せられています。
 戦争を知らない若い世代に見てほしいと思って、文京区教育委員会に“後援”の申請を出し、努力をしましたが今年もまた「不承認」となりました。
 日本の侵略戦争の加害の実態を克明に告発する、村瀬氏の写真は戦争を知らない若い世代の多くの人に見てもらいたいと思っています。そのためにも来年は教育委員会の“後援”を取れるよう頑張りたいと思います。
 財政的にも皆様のご協力で黒字になりました。残金は来年の展示に役立てるためプールしておくことを実行委員会で決めさせていただきました。
 ご協力本当にありがとうございました。今後とも引き続くご協力よろしく
お願いします。

     2020年9月

「平和を願う文京戦争展」実行委員会
支部長  小 竹 紘 子

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コロナ禍の中で、慎重に感染防止に配慮した展示企画となった。一時は入場制限もせざるを得ない運営だったが、3日間で入場者数は、ほぼ500人になったという。そして、今年もまた、文京区教育委員会に「後援申請」をしたものの、「不承認」となったのだ。「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式」に追悼文送付を拒否している小池百合子並みの文京区教育委員会である。なお、同様の企画で他区では承認になっているという。

 同封された中学生・高校生によるアンケートがとても興味深い。いくつか、ご紹介しておきたい。

中学生
 こんなにも恐ろしい現実を写した写真があると知って驚きました。
 この戦争展に来た人だけでなく、もっと沢山の人に、この現実を見て知ってほしいと思いました。ありがとうございました。

中学生
 原爆詩集序にかいてある文字が、ところどころ太く書いてあって平和への願いが強く感じられました。写真がとても痛々しかったけれど、これも現実にあったことなんだと思いました。

中学生
 漢字で読めない部分が少しあったが、写真で大体想像ができた。
 当時はとれほど人の命が軽く見られていたのかを知り、日本人として恥ずかしかった。罪のない人々を大勢殺してそれでも平然としていた人達がいたと言うことを知り、戦争は良くないと改めて学んだ。

中学生
 中国の強制連行のDVDを見ましたが、とても激しい暴力を受けていたこと、とてもかこくな労働をさせられていたことを知り、とてもつらくなりました。

中学生
 今では考えられない、考えたら恐怖でしかないことが現実に起こっていたと思うと本当に怖い。二度とこんなことを起こしてはならないと強く思った。
 また後世にどう伝えるかをもっと考えていくことが大切だと思う。

中学生
 私の身内には戦争を経験した人がいますが、誰も戦争に話を避けています。
 それほど辛く、苦しい出来事であると毎回実感します。今、学校で戦争について学んでいますが、心が苦しくなることばかりです。私は、戦争を知ることがとても重要だと思っています。これからも引き続き受継いでいきたいです。

中学生
 残酷な写真も多くありましたが、中でもお正月の少しだけ楽しそうな雰囲気の写真もあって、戦場でもお正月を楽しんでいる様子がよくわかりました。
 このような写真は見て、とても印象に残る物ばかりで、とても貴重なものが多かったので、ぜひこれからも、展示会などで広めていってほしいです。

高校生
 私はふだん、東京高校生平和ゼミナールというところで活動していて、平和ゼミで学ぶことは、日本が被害者であるということです。しかし、日本は被害者であると共に、加害者であることを知るということが、とても少なく、原爆は危険であって核兵器はいらない! それだけでなく、日本がどんなことをして、どんな人がどういうふうに、傷ついてきたのか知る機会を増やすべきだと思う。
 もちろん、核兵器のない世界をつくるために沢山の人が、様々な事を学ぶべきだとも思う。

高校生
 これを見て日本がひどい国だな、という結論で終わってしまうのではないかと不安だ。虐殺等々の行為というのは日本だけでなく、どの国も行っていることだ、実際在日米軍も、交戦国でない日本人に対しひんぱんに非道な行いを行ってきたわけであるし、戦争中であればなおさら多い、どの国でもどのような状態でも、軍隊では起こり得ると言うことをよく理解してほしいと思う。
 そして軍の上層部は、後の世代の人間が、この非道な行いによって迷惑をこうむることになることをよく理解した上で、現場を指揮してほしいと思う。
 ただ日本が悪いという感想で終わりそうな展示を改めてほしい。

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 問題は、最後の「高校生」のメッセージである。企画に対する意見であるとともに、戦争というものに対する見解でもある。そして、過剰なまでに「日本」にこだわるコメント。人々の意見が多様であることは当然だとは思うのだが、私には、どうしても理解しかねる。

「これを見て日本がひどい国だな、という結論で終わってしまうのではないかと不安だ。」「ただ日本が悪いという感想で終わりそうな展示を改めてほしい。」この2行が、意見の骨格をなしている。素直に論理を運べば、「日本がひどい国だな、という結論で終わってはならない」「日本が悪いという感想で終わりそうな展示は改めるべきだ」というのだ。

彼の心情の根底にあるものは、一人ひとりの生身の戦争被害者の悲嘆の感情に対する共感ではない。戦争被害の惨状や悲嘆よりは、「日本がひどい国、悪い国と思われてはならない」という配慮こそがそれ以上の重大事なのだ。これは、恐るべきことではないか。

人には、生まれながらに備わった惻隠の情があり憐憫の情もある。他人の痛みや悲しみへの共感は、太古の昔から生得のものである。殺人を禁忌とする規範も、文明とともに確立している。これに比して、「日本がひどい国、悪い国と思われてはならない」というナショナリズムは生得のものではない。教え込まれて初めて身につけるものではないか。

写真であるいは動画で、戦争の悲惨を突きつけられれば、「こんなにも不幸な人を作り出す戦争を繰り返してはならない」と思うのが、真っ当な人間の心性ではないだろうか。反対に、「こんなに戦争の悲惨さを強調したのでは、日本がひどい国、悪い国と思われてしまうではないか「そう思われないように配慮すべきだ」。どうしてそうなるのか、私にはどうしても理解できない。

もちろん戦争は日本だけが起こしたものでなく、戦争犯罪も日本に限ったことではない。だからと言って日本軍の「虐殺等々の行為」が免責されるわけでも相対化させてよいことにもならない。

どこの国の誰もが、それぞれの立場で、悲惨な被害をもたらす戦争そのものをなくす努力を尽くさなければならない。日本の国民は、日本が行った戦争の加害責任から目を背けてはならない。苦しくとも逃げることなく、自分の父祖の時代に、日本人が他国の民衆した加害行為を事実として正確に見つめなければならない。

「実際在日米軍も、交戦国でない日本人に対しひんぱんに非道な行いを行ってきたわけであるし、戦争中であればなおさら多い、どの国でもどのような状態でも、軍隊では起こり得ると言うことをよく理解してほしいと思う。」は、文意必ずしも明晰ではないが、皇軍が大陸でしたことは、格別非難に値するほどのことではないと、「よく理解してほしい」という趣旨の如くである。

戦争である以上、住民に対する殺戮も、略奪も、陵辱も、「起こり得ると言うことをよく理解して」、非難は避けよとしか読めない。これが高校生の意見だというのが、一入恐ろしい。

さらに、この高校生は、「軍の上層部は、後の世代の人間が、この非道な行いによって迷惑をこうむることになることをよく理解した上で、現場を指揮してほしいと思う。」というのだ。明らかに、これから起きる戦争を想定して、これから起きる戦争指導者に対する注文である。この高校生は、これからの戦争を絶対起こしてはならないものとせず、むしろ肯定しているようなのだ。

彼が語っているのは、戦争による「迷惑」である。「迷惑」という表現にも驚かざるを得ないが、誰に対する「迷惑」かと言えば、南京で虐殺された無辜の住民ではないのだ。後の世代の日本の人間、つまりは自分たちが世界の良識から非難を受けるという「迷惑」だという。その感覚がおかしいとしか言いようがない。

改めて考える。この高校生は、戦争によって理不尽に人が殺される、家が焼かれる、財産を奪われる、弱い立場の者が陵辱される、ということのリアルな受け止めができていないのだ。ゲーム感覚でしか、戦争を理解できないのではないか。

リアルな戦争の実相を伝えることが大切なのだ。改めて、文京区の教育委員各位にお願いしたい。せめて写真や動画で、戦争の現実の一端に触れることを奨励していただきたい。

来年こそは、この戦争展に関する“後援”の申請に対して「承認」していただきたい。各位のご氏名を特定して、お願い申し上げる。

教育長 加藤 裕一
委員 清水 俊明(順天堂大学医学部教授)
委員 田嶋 幸三(日本サッカー協会会長)
委員 坪井 節子(弁護士)
委員 小川 賀代(日本女子大学理学部教授)

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