(2020年8月27日)
香港教育当局が「愛国教育」を重視する中国の習近平指導部の意向を受け、学校で使う教科書への管理を強化している。今年の検定では複数の出版社が当局の修正要求を受け、香港に「三権分立」の仕組みがあるとの記述や、民主化運動に関する写真などを削除した。香港各紙が18日に報じた。民主派は「教科書を通じて『親中国政府』の考え方を浸透させる狙いだ」と強く反発している。(毎日)
人民支配の鉄則は「アメとムチ」…だが、それだけでは十分でない。全人民にムチすることは現実には不可能であり何より非効率で愚策である。ムチよりはアメが先行するが、アメの量は常に限られている。のみならず、人民は必ずしもアメのみにて生きるものではない。アメとムチ以外に、人民の精神を自発的服従に仕向ける工夫が必要なのだ。
それを「マインドコントロール」と言っても、「洗脳」と言ってもよい。あるいは、端的にダマシとか、イデオロギー支配、共同幻想、ナショナリズム喚起とでも。その結果としての、国家ないし権力への忠誠心の醸成、少なくとも意識的な抵抗心の放棄がなければ、安定した人民支配はできない。そのために、手垢のついた愛国心が持ち出される。
国家の経営者は、国民に経済的利益を与えることに腐心し、権力にまつろわぬ者には刑罰を与えるだけでなく、当該の国家や権力を正義とするマインドコントロールに知恵を絞る。その知恵の働かせどころは、まずは教育であり、次いでメディアである。情報と考え方をコントロールして、権力に好都合なことだけにバルブを開き、不都合なことはシャットアウトするのだ。
だから、国家や権力に絡めとられぬように、教育もメディアも、権力から独立して自由でなければならない。これが、市民革命を経た近代社会の常識であり、約束ごとである。もちろん、前近代の天皇制国家は、教育にもメディアにも徹底して介入を試みた。今なお日本の現実は、この弊風を払拭しきれていない。
が、中国の香港教育への介入のこの露骨さは驚くべきものだ。あらためて、中国には、民主主義思想も人権思想もなく、一党独裁あるのみと確認するほかはない。「党は正しい方針を持っている。だから近視眼的な批判は慎むべきだ」という思想と対決しなければならないと思う。
香港は、中国とはまったく別のリベラルな教育制度を運用してきた。その象徴が、「通識」という科目だという。日本の公民に近いものだろうか。日本でも一時流行った「リベラルアーツ」教育のようでもある。《幅広い社会問題を学んで批判的精神や多様な見方を育てる》というのが科目の目標で、高校の必修科目となっている。これが、中国から危険視の対象となった。
この「通識」が、香港の若者の民主的な思考や態度を養ってきたと言われ、2019年6月に本格化した政府への抗議デモでは、高校生らが校舎前で手をつないで政府に抗議の意思を示す「人間の鎖」が各地で繰り返し見られた。
中国にしてみれば、これを何とかしなければならない。《絶対であるべき党のものの見方を相対化して、幅広く社会問題を学び、批判的精神や多様な見方を育てる》ことは危険視されるのだ。中国政府は昨年来、この通識を「愛国心ではなく、批判的思考を育んでいる」として非難してきた経緯があるという。
中国政府はよく分かっている。《批判的な精神》と《愛国の精神》とは、真っ向から対立する理念なのだ。香港に対する統制を強化する「香港国家安全維持法」(国安法)が6月に施行されたことを踏まえ、香港当局は中国の意を受けて愛国教育を徹底する方針を打ち出した。まずやり玉に上げられたのが、通識教育である。
「通識」の教科書の書き換えが要求された。「香港教育図書社」の教科書の例では、「香港の法制度の特徴として『三権分立の原則に従い、個人の自由と権利、財産の保障を極めて重視する』との記述があった。だが検定後は削除され、代わりに『デモで違法行為をした場合、関連の刑事責任を負う』との記述が加えられた。」(香港明報)という。他の三つの出版社でも「香港では三権分立の制度が取られている」との表記が削除された。
なるほど、中国には権力分立の観念はない。立法・行政・司法の各権力の上に、党という「権威兼権力」が君臨している構造なのだ。あたかも、大日本帝国憲法において、議会と内閣と司法の上に、天皇という「権威兼権力」が君臨していたごとくに。
この他にも教科書の検定では、14年の民主化要求デモ「雨傘運動」の現場や政府への抗議メッセージを記した付箋が貼られた壁を撮影した写真や、19年の政府への抗議デモに関して「警察がデモを禁止したことで市民の自由が侵害された」「政府が経済、政治、生活に関する市民の要求に応じなかったことも一因」などの記述が削除された。いずれも民主派の抑え込みを図る当局の意向が反映されたとみられる。(毎日)
香港では19年、抗議活動に関連して18歳以下の学生約1600人や19歳以上の学生約2000人、教職員100人以上が拘束された。中国政府は教育現場への締め付けを強めるため、国安法で学校に対して「宣伝、指導、監督および管理を強化する」と明記し「国家安全教育」を進めると盛り込んだ。香港当局は6月、教育現場で国歌斉唱などを義務づける「国歌条例」も施行。教育現場への締め付けは着実に強まっている。(毎日)
1989年の天安門事件や2014年の雨傘運動など民主化デモに関する記述の削除・削減が加速した。教師ら学校関係者は21日、「洗脳教育を断固拒否する」との声明を発表、反発を強めている。(産経)
また、ある教科書では「私は香港人だ」と記された旗を持つデモ参加者のイラストが、「中国の経済発展の成果を享受できて、私は中国人であることが誇らしい」と説明されたイラストなどに差し替えられた。(産経)
中国国営新華社通信は21日、「通識科の『消毒』は、香港の教育が正しい道に進む第一歩だ」と題する論評を配信し、教科書改訂を歓迎しました。ある在日香港人は本紙に「今回の改訂は、政権に従順な新しい世代をつくり出すための第一歩だ」と警戒感を示しました。(赤旗)
(2020年8月11日)
いよいよ、習近平政権が香港の民主派に牙を剥いた。一つは、メディアに対する弾圧であり、もう一つは民主的活動家の逮捕である。「香港国家安全維持法」が武器とされている。これは対岸の火事という事態ではない。国際世論による徹底した中国批判が必要だ。もしかしたら、既に遅すぎるかも知れない…。
中国は世界に、自らの野蛮を堂々と宣言したのだ。中国は、自国に対する批判の言論を許さない。政権に不都合な言論の自由を認めない。言論の自由を主張する不届きな言論機関は容赦なく弾圧する、と。
それだけではない。また中国は、民主的な選挙制度を求める運動を許さないとも宣言したのだ。人民の意思によって権力が形成されるという子供じみた思想を認めない。党と国家あってこその人民ではないか。党と国家に従順ならざる者の口は塞がねばならない、と。もちろん、中国人民には自由も民主主義も保障される。が、それは党と国家が認める枠内でのことだ、これをはみ出したら徹底して弾圧する、と威嚇したのだ。
97年の香港返還における「1国2制度」は50年の約束だった。その際の「2制度」とは、果たして《社会主義と資本主義》という経済体制の別を意味していただろうか。当時既に中国は《社会主義》といえる体制にはなかった。70年代の末には、改革開放政策に踏み切り、80年代の中ごろには鄧小平の「先富論」がまかりとおる世になっていた。「先富論」とは、中国版「トリクルダウン」理論のことではないか。
結局、「2制度」を認めるとは、《共産党の一党独裁》を香港には及ぼさず、《議会制民主主義》を尊重する、という約束であったはず。自国ではともかく、香港の人権や政治的自由や、民主主義・立憲主義を、少なくとも50年は尊重すると約束ししたのだ。中国よ、これを守ろうという道義をも投げ捨てたのか。
下記URLが、「香港国家安全維持法」の全条文である。中国国営新華社通信が7月2日に日本語で配信したもの。あらためてこれを読み直してみた。
https://mainichi.jp/articles/20200714/k00/00m/030/141000c
全6章・66か条からなる奇妙な法律である。本年(2020年)6月30日、「中国の全国人民代表大会(全人代)常務委員会で可決、成立したのを受け、香港政府は同日深夜、国安法を公布、施行した。」とされる。香港の市民から自由を奪う法律が、香港市民の関与なく制定される。それ自体が占領立法ないしは異国の支配だ。
この法の眼目は、第3章 犯罪行為及び処罰にある。ここに規定されているのは、次の4罪である。
第1節 国家分裂罪
第2節 国家政権転覆罪
第3節 テロ活動罪
第4節 外国または域外勢力と結託して国家の安全を害する罪
香港の民主活動家、周庭(アグネス・チョウ)氏が10日夜、「国家安全維持法(国安法)違反の疑いで逮捕された」と報じられているが、被疑事実は明らかにされていない。
周氏は、逮捕後の11日未明のフェイスブックで「外国勢力と結託して国家の安全に危害を加えた罪」に問われたと公表したという。しかし、当局側の発表はない。いったい、何をもって「外国勢力と結託し」て、どのように「国家の安全に危害を加えた」というのだろうか。
この罪の構成要件は以下のとおりである。甚だしく出来が悪い。いったい何が罪になるべきことなのかが分からない。むしろ、分からないのが付け目と言わんばかりではないか。
第29条 外国または域外の機構、組織、人員のために国家の安全に関わる国家の秘密または情報を盗み、探り、買収、不法に提供した場合、以下の行為のいずれか一つを外国または域外の機構、組織、人員に実施するよう求め、外国または域外の機構、組織、人員と共謀して実施し、もしくは外国または域外の機構、組織、人員の指図、コントロール、資金援助またはその他形式の支援を直接または間接的に受けて実施した場合は、いずれも犯罪に属する。
1、中華人民共和国に対して戦争を発動し、もしくは武力または武力による脅しを以て、中華人民共和国の主権、統一、領土保全に対し重大な危害をもたらした場合。
2、香港特別行政区政府または中央人民政府が法律、政策を制定、執行するのをひどく妨害し、かつ重大な結果を招く恐れのある場合。
3、香港特別行政区の選挙に対し操作、破壊を行い、かつ重大な結果を招く恐れのある場合。
4、香港特別行政区または中華人民共和国に対して制裁、封鎖またはその他の敵対行動を行った場合。
5、各種の不法な方式を通じ、香港特別行政区住民の中央人民政府または香港特別行政区政府に対する憎しみを引き起こし、かつ重大な結果を招く恐れのある場合。
こんなわけの分からぬ条文で、犯罪に該当していると判断されれば、法定刑は「3年以上10年以下の懲役」である。さらに、「犯罪行為が重大な場合は、無期懲役または10年以上の懲役に処する」とされる。しかも、同法第65条は、「この法律の解釈権は全国人民代表大会常務委員会に属する」と定める。さらには、「国家の安全を害する罪を犯したと判決を言い渡された場合は、候補者として香港特別行政区が行う立法会、区議会選挙に参加する資格、もしくは香港特別行政区のいずれかの公職または行政長官選挙委員会委員に就任する資格を直ちに失う」(第35条)とまで念を入れて定めているのだ。ムチャクチャとしかいいようがない。
かつて、中国刑法には罪刑法定主義がなく、むしろ「本法各則に明文の規定がない犯罪は、本法各則の最も類似する条文に照らして罪を確定し、刑を言い渡すことができる」という罪刑法定主義否定の条文が設けられていた。97年10月施行の改正現行刑法で初めて、「法律によって明文で犯罪行為と規定されていないものは、罪を確定し、刑罰を科すことはできない」とされた。「国家安全維持法」も5条に同様の規定を置いてはいるが、曖昧模糊たる構成要件で刑罰権を発動しようというのだ。
中国習政権の発想は、治安維持法で反政府運動を取り締まった旧天皇制政府とまったく同じであり、同罪である。
コントロールの効かない権力の暴走は恐ろしい。中国国内でのコントロールに期待できなければ、批判の国際世論を喚起するしかない。
(2020年8月4日)
期間:2020年8月10日(月)?12日(水)
時間:8月10日 13:00?18:00
8月11日 10:00?18:00
8月12日 10:00?16:00
場所:文京シビックセンター1階 アートサロン(展示室2)
最寄り駅 後楽園(丸の内線・南北線)、春日(三田線・大江戸線)
入場無料
文京・真砂生まれの村瀬守保写真展
村瀬守保さん(1909年?1988年)は1937年(昭和12年)7月に召集され、中国大陸を2年半にわたって転戦。カメラ2台を持ち、中隊全員の写真を撮ることで非公式の写真班として認められ、約3千枚の写真を撮影しました。天津、北京、上海、南京、徐州、漢口、山西省、ハルビンと、中国各地を第一線部隊の後を追って転戦した村瀬さんの写真は、日本兵の人間的な日常を克明に記録しており、戦争の実相をリアルに伝える他に例を見ない貴重な写真となっています。一方では、南京虐殺、「慰安所」など、けっして否定することのできない侵略の事実が映し出されています。
一人一人の兵士を見ると、
みんな普通の人間であり、
家庭では良きパパであり、
良き夫であるのです。
戦場の狂気が人間を野獣に
かえてしまうのです。
このような戦争を再び
許してはなりません。
村瀬守保
漫画家たちの満州引き上げ証言
中国からの引揚げを体験した漫画家たちの記録
赤塚不二夫、ちばてつや、古谷三敏、北見けんいち、森田拳次、高井研一郎、山口太一など中国から引き揚げてきた漫画家たちが、少年時代の忘れようとして忘れられない過去をまとめてマンガに描いた作品を展示しています。
DVD上映
1 侵略戦争
2 中国人強制連行
3 20世紀からの遺言
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8月は、あの戦争を語り継ぐべきときである。75年前の8月、日本の国民は塗炭の苦しみを経て敗戦を迎えた。夥しい人命が失われ、生き残った人々も愛する多くの人を失った。8月は凝縮された悲しみのとき。忘れてはならないのは、その悲しさ切なさは、日本によって侵略を受けた隣国の人々には、さらに深刻で大規模なものだったことである。
この戦争の惨禍を再び繰り返してはならない。被害者にも加害者にもなるまい。そのような国民的合意から、平和憲法が制定され、我が国は平和国家として再出発した、…はずなのだ。
今あるこの国の再出発の原点である「戦争の惨禍」を、絶対に繰り返してはならないものとして、記憶し語り継がねばならない。平和を維持するための不可欠の営みとして。とりわけ、8月には意識して戦争を語ろう。戦争の記憶を継承しよう。
そのうえで、なぜ戦争が起きたのか。なぜ日本は朝鮮を侵略し、満蒙を日本の生命線だと言い募り、華北から華中、華南へと戦線を拡大したのか。あまつさえ、英・米・蘭にまで戦争を仕掛けたのか。敗戦必至となっても戦争を止めず、厖大な犠牲を敢えて積み重ねたのはどうしてなのか。
できれば、さらに考えたい。この戦争を主導した者の責任追及はなぜできなかったのか。最大の戦犯・天皇はなぜ戦後も天皇であり続けたのか。
8月の戦争を語る企画として、昨年文京では、日中友好協会を中心に「平和を願う文京・戦争展」が開催された。内容は、「日本兵が撮った日中戦争」として、文京・真砂生まれの村瀬守保の中国戦線での写真展を中心に、DVD上映(「侵略戦争」「中国人強制連行」)、そして文京空襲についての体験者の語りが好評だった。思いがけなくも、3日間で1500人もの来観者を得て、大盛況だった。
この盛況の原因は、実は文京区教育委員会のお蔭だった。実行委員会は、文京区教育委員会に後援申請をした。「区教育委員会の後援」とは名前を使ってもよいというだけのこと。「平和宣言」をもつ文京区である。平和を求める写真展を後援して当然なのだが、文京教育委員会はこれを不承認とした。事務局の承認原案を覆しての積極的不承認である。
これを東京新聞が取りあげて後掲の記事にした。この記事を読んで、後援申請を不承認とした文京区教育委員会に抗議の意味で参加という人が多数いて、大盛況だったのだ。
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昨年(2019年8月)の顛末を記しておきたい。
この企画の主催者は、日中友好協会文京支部(代表者は、小竹紘子・元都議)である。同支部は、2019年の5月31日付で、文京区教育委員会に後援を申請した。お役所用語では、「後援名義使用申請書」を提出した。
その申請書の「事業内容・目的」欄にはこう記載されている。
「保護者を含めて戦争を知らない世代が、区民の圧倒的多数を占めています。従って子どもたちに1931年から1945年まで続いた日中戦争、太平洋戦争について語り伝えることも困難になっています。文京区生まれの兵士、村瀬守保氏が撮った日中戦争の写真を展示し、合わせて文京空襲の写真を展示し、戦争について考えてもらう機会にしたい。」
なんと、この申請に対して、文京区教育委員会は「後援せず」と決定した。このことが、8月2日東京新聞朝刊<くらしデモクラシー>に大きく取りあげられた。
同記事の見出しは、「日中戦争写真展、後援せず」「文京区教委『いろいろ見解ある』」、そして「主催者側『行政、加害に年々後ろ向きに』」というもの。
日中戦争で中国大陸を転戦した兵士が撮影した写真を展示する「平和を願う文京・戦争展」の後援申請を、東京都文京区教育委員会が「いろいろ見解があり、中立を保つため」として、承認しなかったことが分かった。日中友好協会文京支部主催で、展示には慰安婦や南京大虐殺の写真もある。同協会は「政治的意図はない」とし、戦争加害に向き合うことに消極的な行政の姿勢を憂慮している。
同展は、文京区の施設「文京シビックセンター」(春日一)で八?十日に開かれる。文京区出身の故・村瀬守保(もりやす)さん(一九〇九?八八年)が中国大陸で撮影した写真五十枚を展示。南京攻略戦直後の死体の山やトラックで運ばれる移動中の慰安婦たちも写っている。
同支部は五月三十一日に後援を区教委に申請。実施要項には「戦場の狂気が人間を野獣に変えてしまう」との村瀬さんの言葉を紹介。「日本兵たちの『人間的な日常』と南京虐殺、『慰安所』、日常的な加害行為などを克明に記録した写真」としている。
区教委教育総務課によると、六月十四日、七月十一日の区教委の定例会で後援を審議。委員からは「公平中立な立場の教育委員会が承認するのはいかがか」「反対の立場の申請があれば、後援しないといけなくなる」などの声があり、教育長を除く委員四人が承認しないとの意見を表明した。
日中友好協会文京支部には七月十二日に区教委が口頭で伝えた。支部長で元都議の小竹紘子さん(77)は「慰安婦の問題などに関わりたくないのだろうが、歴史的事実が忘れられないか心配だ。納得できない」と話している。
村瀬さんの写真が中心の企画もあり、二〇一五年開催の埼玉県川越市での写真展は、村瀬さんが生前暮らした川越市が後援。協会によると、不承認は文京区の他に確認できていないという。
協会事務局長の矢崎光晴さん(60)は、今回の後援不承認について「承認されないおそれから、主催者側が後援申請を自粛する傾向もあり、文京区だけの問題ではない」と話す。「このままでは歴史の事実に背を向けてしまう。侵略戦争の事実を受け止めなければ、戦争の歯止めにならないと思うが、戦争加害を取り上げることに、行政は年々後ろ向きになっている」と懸念を示した。
なんと言うことだろう。戦争体験こそ、また戦争の加害・被害の実態こそ、国民が折に触れ、何度でも学び直さねばならない課題ではないか。「いろいろ見解があり、中立を保つため」不承認いうのは、あまりの不見識。「南京虐殺」も「慰安所」も厳然たる歴史的事実ではないか。教育委員が、歴史の偽造に加担してどうする。職員を説得して、後援実施してこその教育委員ではないか。
「戦争の被害実態はともかく、加害の実態や責任に触れると、右翼からの攻撃で面倒なことになるから、触らぬ神を決めこもう」という魂胆が透けて見える。このような「小さな怯懦」が積み重なって、ものが言えない社会が作りあげられてていくのだ。文京区教育委員諸君よ、そのような歴史の逆行に加担しているという自覚はないのか。
文京区教育委員会事案決定規則(別表)によれば、この決定は、教育委員会自らがしなければならない。教育長や部課長に代決させることはできない。その不名誉な教育委員5名の氏名を明示しておきたい。
すこしは、恥ずかしいと思っていただかねばならない。そして、ぜひとも、今年こそ汚名を挽回していただきたい。
教育長 加藤 裕一
委員 清水 俊明(順天堂大学医学部教授)
委員 田嶋 幸三(日本サッカー協会会長)
委員 坪井 節子(弁護士)
委員 小川 賀代(日本女子大学理学部教授)
(2020年7月27日)
昨日(7月26日)の毎日新聞朝刊に、「中国『不動産王』、共産党党籍剥奪 指導部批判問題視か」の記事。その全文が次のとおり。
「中国共産党北京市西城区規律検査委員会は23日、「不動産王」として知られた任志強氏の党籍を剥奪した。中国各紙の電子版が24日、報じた。理由の一つとして「党の原則に反対する文章を公開で発表した」と指摘されており、新型コロナウイルス対策を巡り習近平指導部を批判したことが問題視された可能性がある。
香港紙などによると、中国国内では新型ウイルスの初期対応に関し、情報隠蔽などを批判する文章がインターネット上で出回り、任氏が友人に送った文章が流出したなどと報じられていた。」
政党の規律は、もとより私的自治の問題。党の判断が最大限尊重されることになる。しかし、中国共産党の党籍剥奪となれば、同列に論じることはできない。党が政権の上位に位置しているからだ。中国共産党員の党籍剥奪は、深刻な政治的社会的制裁となる。
「党の原則に反対する文章を公開で発表した」「新型コロナウイルス対策を巡り習近平指導部を批判した」ことが党籍剥奪の理由とすれば、中国に表現の自由は存在しないにも等しい。
しかも、24日夕刻の毎日新聞デジタルには、以下の記事が付け加えられていた。
「任氏は著名な企業家だったが、3月中旬に行方不明となり、同委員会が4月上旬に規律違反で調査中だと発表。新型コロナ対策を巡る言論統制強化を象徴する事件の一つとみられていた。任氏については収賄や職権乱用なども指摘されており、今後は検察による手続きに入る。」
まず「行方不明」が先行し、次いで「規律違反で調査中」となり、そして「党籍剥奪」となったわけだ。さらに、「今後は検察による刑事手続きに入る」ことになる。任志強は単なるビジネスマンではない。習近平批判で知られた政治家でもある。その舌鋒の鋭さで知られ歯に衣着せぬ発言から「任大砲」(大口叩きの任)とか、最近は「中国のトランプ」とも呼ばれてもいたという。
2016年2月、習近平総書記が、中国中央電視台、人民日報、新華社通信を視察した後、「党・政府が管轄するメディアは宣伝の陣地であり、党を代弁しなければならない」と、党への忠誠を命じたことがある。これに対して任は微博(中国版Twitter)上で「納税者が治めた税金を納税者に対するサービス提供以外に使うな」「人民政府はいつの間に、党政府に変わったのだ? 人民政府が使うカネは党費なのか?」「メディアが人民の利益を代表しなくなる時、人民は隅に捨てられ、忘れ去られる」などと疑問を呈して、以来国営メディアから非難の集中砲火を浴びているとされる。
彼の微博アカウントは3700万人以上のフォロワーを持ち、政権に批判的な内容を発信した。だが、2016年に政府の命令でアカウントは閉鎖されたという。
報道によると、今回党籍剥奪の根拠とされた任の「党の原則に反対する文章を発表」の内容は、中国当局が感染拡大の情報を隠蔽したと指摘したうえで、感染の抑え込みに成功したとして習氏が自らの権力を強めようとしているとの批判だとのこと。党の信用を貶める発言は、「党の原則に反」する規律違反というわけだ。
美根慶樹という元外交官がいる。香港総領事館や中国大使館にも勤務し、『習近平政権の言論統制』(蒼蒼社・2014年5月)という著書のある人。この人が、任志強について、こう語っているのが興味深い。(抜粋の引用元は、下記ブログ)
http://heiwagaikou-kenkyusho.jp/china/2515
中国では、共産党の一党独裁体制に面と向かって歯向かうことはもちろんできないが、可能な限り客観的に見ようとする人たちが、少数ではあるが存在している。具体的には、
?人権派の弁護士や学生などいわゆる民主派、
?政府の経済政策に批判的な学者・研究者、
?一部の新聞記者、
?少数民族の活動家、
?特定のグループに属さず、いわば一匹狼的に活動している人、
などに大別できるだろう。任志強は?のタイプの人物である。任志強は不動産売買で巨万の富を築いた後、もっぱら「微博」〔中国版ツィッター〕を通して共産党の在り方に批判的な発言を続けた。
任志強は多くの支持者を集め、フォロワー数が3700万に達して社会に大きな影響力を持つようになった。当然当局からは要注意人物とみられていたが、蔡霞中共中央党校教授などは、任志強は「意見発表の権利を持つ」、「党規約と党規則は任志強たちの党員の権利を保護している」などと論じて同人を擁護したので2016年春、大論争となった。
…任志強は新型コロナウイルスによる感染問題をきっかけに、ふたたび口を開き、2月23日、米国の華字サイト「中国デジタル時代」に習近平の新型コロナ肺炎対応を批判する文章「化けの皮がはがれても皇帝の座にしがみつく道化」を発表し、中国政府が言論の自由を封じていることが感染対応の阻害になり、深刻な感染爆発を引き起こしたと、批判した。
…北京市規律監査委員会は4月7日、同人に対する調査が行われることになったと発表した。中国の常識では、この調査は決定的なものであり、今後同人が再浮上することはあり得ない。
なるほど、このようにして政権批判勢力が潰されていくのだ。対岸の火事として傍観するのではなく、他山の石としなければならない。
(2020年7月16日)
7月13日、当ブログに「法輪功を邪教として弾圧する、中国政府の言い分に耳を傾ける。」という記事を掲載した。
https://article9.jp/wordpress/?p=15223
この表題はいかにも弱い。「中国政府の言い分に耳を傾ける」ではなく、「中国政府を糾弾する」「弾劾する」がふさわしいかも知れない。少し遠慮しても、「中国政府の言い分を検証する」くらいが自然だろう。
しかし私の深層心理には、中国政府を不必要に「糾弾する」「弾劾する」と書きたくない「甘さ」がある。宗教弾圧を行っている中国政府を批判しながらのこの「甘さ」。誰かがこの「甘さ」を批判するかと思っていたら、その反対の側からの批判にぶつかった。「常軌を逸したアンチ中国」というのだ。bogus-simotukareという、ペンネームだけの匿名の人。いかにも世の中は広い。いろんな人がいるものだ。
私のブログには数多くの批判がある。「当たり障りのあることだけを書く」と宣言しているのだから、当然のことだ。多くの批判は、右の耳から入ってくる。なるほどと思わせられることはほとんどない。批判とは名ばかり、会話も意見交換も成り立たない罵詈雑言の類。
不思議なことだが、私が天皇について忌憚のない見解を述べると、天皇の神聖性を傷つけられたといたく怒る人がいる。天皇のご親戚でもない人が、天皇に代わって、私を批判しようというのだ。あるいは、アベ晋三に代わって、アベ批判に反批判を試みる人がいる。いずれも、右の方から聞こえる声で、反論する気にもならない。
左の耳からの批判には、そのような経験がない。ところが、今回初めて、「中国を批判すれば、反論を買って出る」人がいることを初めて知った。天皇やアベを叩くと、代わってものを言うのは、ネトウヨという人種であろう。中国を批判すると反論を買って出る人、これを何と呼ぶべきか。適切なネーミングはまだない。
それにしても、この中国贔屓は、いささか品位に欠ける。中国を応援するつもりで、実は中国を貶めているのではないか。その逆効果が、中国に「甘い」私には心配でならない。
タイトルから凄い。「澤藤統一郎の『常軌を逸したアンチ中国』を嗤う」というのだ。ふーん、私は「単なるアンチ中国」ではなく、「常軌を逸したアンチ中国」なんだ。だから、「嗤われて」いるのだ。そして、私(澤藤)には「心底呆れざるを得ません。」という。「人権擁護を目的とする弁護士として「反中国」で法輪功擁護に暴走するとは、澤藤氏は恥ずかしくないのか」。「澤藤氏は『反中国』で頭が狂ってしまった典型例」。「澤藤氏の知人、友人が『お前の法輪功認識は間違ってる!』ときっちりダメ出しすべきでしょう。」「まあ、それでもそうした苦言や批判を無視するバカが澤藤氏なのかもしれませんし、もはや澤藤氏の周囲には『まともな人間はいない』のかもしれませんが。
私は、「アンチ中国」に徹することができない「甘い」立場から、中国のために、この贔屓の引き倒しの存在を嘆かざるをえない。親中国の立場の人物は、このような言葉遣いしかできない人たちで占められているのか。匿名性に隠れて卑怯な言辞を弄することにおいてネトウヨ並み。とうてい、常識的な話が通じる相手ではない。そう思われてしかるべきであろう。朱は交われば赤くなる、この人だけでなく中国まで貶められた印象をもたれることになる。
この人(bogus-simotukare氏)の私に対する批判の「論理」展開は、批判の対象を歪めておいて、勝手に作りあげ決めつけた幻覚を攻撃しているに過ぎない。反論も空しいが、一点だけ申し上げておきたい。
私にとって、法輪功が真に「邪教」であるか否かはさしたる問題ではない。確たる論拠を示すことなく、法輪功を「邪教」と決めつけて弾圧を正当化している中国政府の姿勢を問題にしているのだ。国家は、国民の精神的自由に介入してはならないのだから。
ところがこの人は、法輪功を「邪教」だと断定する。だから、中国政府が取り締まるのは当然だというのだが、そう言うには、覚悟をもって「邪教」を定義し、その定義に該当する根拠を示さなければならない。
ところが、この人の法輪功を「邪教」と断じる根拠は、法輪功が次の4点を主張しているからだという。
◆進化論は間違ってる(エセ科学)
◆法輪功を信じれば末期ガンなど近代医学でも治らない病気も治る(エセ科学)
◆LGBTは精神病。法輪功を信じれば直る(LGBT差別&エセ科学)
◆フェミニズムは共産主義の陰謀。女性は男性に従うのが当たり前(女性差別)
これではお話しにならない。宗教に「エセ科学」というレッテル貼を張って国家による取締りを正当化するなど、とんでもない話。本当に、こんな理由で中国政府が法輪功を取り締まっているとしたら、たいへんな強権国家、弾圧国家というほかはない。
「◆進化論は間違ってる」という思想も信念も信仰も自由である。これをもって取締りも弾圧もあってはならない。聖書を読み信じている人も、古事記を信じている神社も、信仰は自由でなくてはならない。「◆法輪功を信じれば末期ガンなど近代医学でも治らない病気も治る」という信仰も自由である。世の御利益信仰は大同小異このようなことを言っている。いちいち、取り締まるようなことは許されない。「◆LGBTは精神病。法輪功を信じれば直る」「◆フェミニズムは共産主義の陰謀。女性は男性に従うのが当たり前」いずれも、思想も信仰も自由なのだ。人は多様に生きてよい。国家が、「正しい思想」「邪悪な宗教」を決めてはならない。当たり前のことだ。
私は、法輪功についての知識はない。知ろうという意欲もない。ただ、中国政府が、大使館のホームページに記載した、あの程度の理由で宗教弾圧をすることはけっして許されないと言いたいのだ。そして、そんなことをしている中国政府を嘆かざるをえない。
はからずも、bogus-simotukareの立論は、私に、中国政府の誤りについて重ねて確信を与えてくれた。感謝しなければならない。以下に、同氏の文章の全文を掲載させていただく。
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澤藤統一郎の「常軌を逸したアンチ中国」を嗤う(2020年7/15日分)(副題:法輪功は間違いなく邪教ですよ!、澤藤さん)
澤藤氏に反論、批判を加えようと思ったのですがコメント欄が無いというのにまず呆れますね。
仮にも「弁護士」「市民活動家」でありながら、読者と対話しようという意思が全くないのが澤藤氏のようです。
まあリベラル21もそうですが、日本の「自称リベラル、自称左派」の一部(澤藤氏や阿部治平)には心底呆れざるを得ません。
「詳細な引用はしませんが」ここで澤藤氏の書いてる文章「中国は香港やウイグルで酷い人権弾圧をしている。だから法輪功摘発も不当な弾圧で、法輪功は邪教では無く何一つ問題が無い宗教かもしれない(俺の要約)」は「米国は間違ってる、だからソ連が100パー正しい」「中国は間違ってる。だから解放前チベットに問題は無い、100パー正しい」「日本警察には問題がある。だからオウム真理教には問題は無い、オウムは犯罪などやってない」「近代医学には限界がある。だから代替医療は正しい」レベルの与太でしかありません。
しかも澤藤氏が「法輪功は邪教では無い」と断言できず「かもしれない」としているところはあまりにも姑息でしょう。彼も「法輪功は邪教では無い」と断言する勇気は無いようですが、ならばこんな駄文は最初から書くべきでは無い。
なお、お断りしておきますがここで俺が指摘しているのは「法輪功は邪教だ」ということにすぎません。暴力団や極左過激派であろうとも違法捜査が許されないのと同様、法輪功が邪教だろうとどんな捜査が許されるわけではありません。それでは例えば『ダーティーハリー』第1話の世界になってしまいます。
『ダーティーハリー』第1話ではハリーが拷問で吐かせ、自白によって、彼が拉致し殺害したと思われる少女の遺体まで見つかった容疑者は「マジの快楽殺人鬼」であり、「ハリーの違法捜査」を理由に釈放された後で、性懲りも無く快楽殺人に走り、犯行に及んでるところをハリーに射殺されますが、それは「だからハリーが拷問で自白させても問題ない、釈放などさせるべきでは無かった」つう話では無いわけです(娯楽映画である『ダーティーハリー』ではハリーが英雄として描かれますが)。
中国の法輪功摘発も同様であり、「法輪功が邪教である」以上、取り締まりは当然ですが、それが「違法捜査になってないか」どうかはまた別問題です。
しかしよりにもよって大紀元時報 | グローバルニュースや明慧日本語版などの系列メディアで
◆進化論は間違ってる(エセ科学)
◆法輪功を信じれば末期ガンなど近代医学でも治らない病気も治る(エセ科学)
◆LGBTは精神病。法輪功を信じれば直る(LGBT差別&エセ科学)
◆フェミニズムは共産主義の陰謀。女性は男性に従うのが当たり前(女性差別)
などのデマ、ヘイトスピーチを垂れ流す法輪功を「擁護するかのような文章を書き飛ばす」とはねえ。これらの法輪功の問題点については拙記事で批判したことがありますのでお読み頂ければ幸いです。
人権擁護を目的とする弁護士として「反中国」で法輪功擁護に暴走するとは、澤藤氏は恥ずかしくないのか。
さすがに法輪功のこうしたデマ、ヘイトを「自称・リベラル」澤藤氏が支持してるとも思いませんが、「弁護士でも何でも一介のサラリーマンにすぎない」俺ですら大紀元時報 | グローバルニュースや明慧日本語版をチェックして気づくこと(法輪功のデマやヘイト)を澤藤氏が「調べなかった」「気づかなかった」と言うならお粗末すぎて話になりません。
「法輪功の問題点にすら気づかない澤藤に弁護を頼んだら、勝手な思い込みで勝てる裁判も負けるんじゃ無いか」という恐怖感を俺なら感じますね。何せ「中国への反感」から法輪功のデマ、ヘイトに気づかないわけですから。
それともまさかとは思いますが、こうした法輪功のデマ、ヘイト体質を知りながらこんな駄文を書き飛ばしたのが澤藤氏なのか?
いずれにせよ澤藤氏は「反中国」で頭が狂ってしまった典型例ですね(阿部治平などもそうですが)。澤藤氏の知人、友人が「お前の法輪功認識は間違ってる!」ときっちりダメ出しすべきでしょう。まあ、それでもそうした苦言や批判を無視するバカが澤藤氏なのかもしれませんし、もはや澤藤氏の周囲には「まともな人間はいない」のかもしれませんが。
(2020年7月13日)
私は信仰をもたない。信ずべき宗教に関心はない。しかし、信仰の自由には大きな関心をもっている。権力による宗教弾圧にも、社会的同調圧力による宗教差別にも敏感でありたいと思う。信仰が人格の中核をなすということを理解しているつもりだし、少なくも理解しようと努めている。信仰の自由は、個人の尊厳を保障するものとして、徹底されなければならない。
思想の自由も表現の自由も、その内容優れたものを選別して認められるものではなく、あらゆる思想・表現に自由が認められなければならない。これを制約するには、極めて厳格な要件を必要とする。信仰も同じことだ。
優れた信仰も劣った信仰もありえない。多様な信仰の自由が認められなければならない。文明社会では、権力が信仰を選別してはならない。
709事件で弾圧された「人権弁護士」の中には、宗教団体・法輪功関連の弁護活動に携わっていた人が多いようだ。なぜ、法輪功は中国当局から疎まれているのだろうか。これがよく分からない。
戦前の天皇制政府の野蛮な宗教弾圧も、必ずしも天皇の権威を貶める教義を掲げる宗教だけを対象にしたわけではない。宗教の規模が大きくなりすぎ、その教祖が天皇と並ぶ精神世界の権威となることを好ましくないとしたことが弾圧の理由ではなかったか。中国の法輪功弾圧も似たような理由に思われる。
弾圧する側とされる側があるとき、まずは弾圧される側の主張に耳を傾けなければならない。これが鉄則である。法輪功側の言い分を十分に聞いてみたいとは思うが、その機会を得ない。やむなく、弾圧する側である中国大使館のホームページを覗いてみる。《邪教「法輪功」の危害》《「法輪功」とは何か》という記事がある。少し、その論述にこだわってみたい。
http://www.china-embassy.or.jp/jpn/zt/xjflg/t62971.htm
「法輪功」とは、いったい何か。一口で言えば、中国の「オウム真理教」です。その教祖は現在アメリカにいる李洪志という人物です。「法輪功」も「オウム真理教」も他のカルト集団と同様ですが、教義や教祖への絶対服従と絶対崇拝を要求し、信者にマインドコントロールを施すのです。
この記述自体がたいへんに胡散臭い。権力がこんな大雑把なアナロジーで宗教弾圧を正当化してはならない。この「論理」のパターンはどうにでも使える。たとえば、次のように。何の論証にもなっていない。
「中国共産党」とは、いったい何か。一口で言えば、中国の「オウム真理教」です。どちらも強固なイデオロギーと排他性と組織規律を特徴としています。「中国共産党」も「オウム真理教」も他のカルト集団と同様に、組織トップやイデオロギーへの絶対服従と絶対崇拝を要求し、その信奉者にマインドコントロールを施すのです。
「法輪功」を、《一口でいえば、中国の「オウム真理教」》と言ってのける乱暴さもさることながら、オウム真理教に似ているから邪教との決め付けはあまりに粗雑。オウムが指弾されたのは、そのメンバーが多くの人を殺傷したからである。殺傷行為は、刑法に触れるものとして処罰の対象となった。しかし、その信仰が断罪されたわけではない。
「法輪功」の教祖である李洪志はまず「善良」を看板にして、「心を修練し、体を鍛える」、長期にわたって「法輪功」を修練すれば、「薬なしで病気を癒し、健康になる」などと口説いて入門させます。続いて彼の書いた「経書」を読ませ、さらに、「地球は爆発する」など「世界の終末説」をばら撒き、教祖のみが世界を救い、「人を済度して天国に行かせる」と唱え、信者たちを恐怖のどん底に陥れて狂乱させます。その結果、信者は教祖に絶対服従するようになり、善悪の判断能力を失い、己を害し、他人を害するなど、極端な行動に走ってしまいます。
古今東西を通じて、終末思想も衆生済度も教祖への絶対的帰依も、宗教教説の定番である。これをもって「法輪功」の邪教の証しというのは、いささか牽強付会の体。
また、世の善悪判断と基準を異にする宗教も巷に満ちている。人を殺せ、盗め、と極端な教説は要警戒だが、「人を済度して天国に行かせる」と称えるから邪教とは説得力に乏しい。このくらいのことしか言えないのでは、中国政府側に「三分の理」もなさそうだ。「己を害し他人を害する」行為があれば、必要な限りで対応するのが文明国の在り方。過剰に取り締まることを宗教弾圧という。
中国政府のこれまでの統計によりますと、「法輪功」の狂信者の中に、自殺或いは投薬や治療を拒否して死亡した者はすでに1600人を超え、精神に障害をきたした者は650余人に達したのです。また、殺人を犯した者は11人で、障害者となった者は144人にのぼります。
中国政府は、自殺・精神障害・殺人に関して、これまでどのような統計を取ってきたのだろうか。仏教徒やキリスト教徒と比較して、この数値は有意な差があるのだろうか。あるいは、中国共産党員というカテゴリーでの自殺・精神障害・殺人件数と比較して、どうなのだろうか。
この中で、特に人を驚かせたのは、今年の1月23日、つまり中華民族が21世紀になって初めて迎える春節(旧正月)を前にして一家団欒で過ごす大晦日に、7人の「法輪功」の狂信者が北京の天安門広場で焼身自殺を図る事件を起こしたのです。その中の2人は未遂に終りましたが、4人がひどい焼けどを負って顔形がまったく分からなくなり、1人がその場で焼死しました。火傷を負った4人の中に、なんと、12歳になったばかりの少女もいました。彼女は「法輪功」に夢中になった母親に焼身自殺の現場に連れて来られたのでした。理性と母性愛をここまで失うとはと、人々を驚かせました。
この事件の真相は分からない。分からないのは、中国に信頼に足りるジャーナリズムが育っていないこと、中国当局の調査が信頼されていないことによる。この件は、新華社によると、法輪功の会員が中国政府による法輪功弾圧に抗議する態度を表明する意味で自らの体に火をつけたものだという。しかし、法輪功の側は、けっして自殺を称揚することはなく、この事件は法輪功を貶めるための捏造であると反論しているという。真相は分からないが、「この事件こそが法輪功の邪教の証明」といわんばかりの中国政府の主張には、首を傾げざるを得ない。もしかしたら、この痛ましい事件こそが、中国が宗教弾圧国家であることの揺るぎなき証明なのかも知れないのだから。
事実が物語っているように、「法輪功」は日本国民に嫌われる「オウム真理教」と同様に、人権を踏みにじり、社会に危害を与える紛れもないカルト教団そのものです。中国政府は信教の自由を尊重します。しかし、他の国と同様に、カルト教団に対しては決して座視することは出来ません。国民の強い要望に答え、法に基づいてカルト教団である「法輪功」を取り締まり、厳しく打撃を与えることは、国民の生活と生命安全を守り、正常な社会秩序を維持するためなのです。
「事実が物語っている」というには、すこぶる根拠薄弱だが、《「法輪功」を取り締まり厳しく打撃を与える》という断固たる国家意思は極めて明瞭である。中国政府は、法輪功に対する宗教団弾圧の実行を広言しているに等しい。しかも、その弾圧を正当化する根拠についての当局の一方的な説明がこの程度でしかないのだ。
思い出すことがある。15年くらいも以前のことだったろうか。日弁連で中国の弁護士会からの訪問団との懇談の機会があり、出席したことがある。流暢な中国側の通訳を介して和やかに消費者問題などを話し合っていたが、日本側の誰かが法輪功を話題にした。
その途端に通訳の表情が一変した。しばらく、ひそひそと中国側内部のやり取りがあって、「その問題は、本日の話題として不適当ですから触れないでください」ということだった。当然、座は白けた。「なんだ、弁護士も話題にすらできないのか」という雰囲気。私は黙っていられない思いで、「人権擁護の立場から法輪功の側で弁護士としての活動を行っている人もいると思いますが、政府から問題にされてはいませんか」と聞いた覚えがある。が、かわされて無視された。
その頃既に、東京の街を歩くと法輪功関係者と思しき人々のビラ配りを見かけるようになっていた。中国政府が、信じがたいほどの人権侵害をしていると訴えるもの。にわかに信じがたい内容だが、昨今の中国政府の言い分とやり口とのギャップを見ていると、法輪功あながち大袈裟に吹聴しているばかりでもなさそうだという気持ちに傾いてくる。
(2020年7月11日)
《中華人民共和国駐日本国大使館》のホームページの内容が興味深い。いろんなことを教えてくれる。考えさせられる。国家とは何なのか、権力とは、そのホンネとは。そして、個人の尊厳とは。民主主義の無力や「人権」という言葉の多義性に思いをいたさずにはおられない。是非に、というほどのことではないが、閲覧をお勧めしたい。
http://www.china-embassy.or.jp/jpn/
本日(7月11日)現在、同ホームページのトップに「中国関連の人権問題に関するさまざまな謬論と事実・真相」と表題する記事がある。7月8日にアップされたもの。
そのリードが以下のとおり。
最近、米欧の一部の人々が香港、新型コロナウイルス肺炎、新疆などにかかわる問題で、いわれもなく中国の人権状況を非難し、多くの謬論をばらまいており、それは中国に対する無知と偏見に満ち満ちている。
そこで、われわれは事実によって物を言い、真相によって道理を説くため、「中国関連の人権問題に関するさまざまな謬論と事実・真相」を編集・執筆した。
中国大使館が「事実によって物を言い、真相によって道理を説」かねばならない「謬論」は、〈その1〉から〈その31〉に及ぶ。中国に対するこれだけの批判があるとは知らなかった。中国政府も、ずいぶんと外部からの批判を気にしていることがよく分かる。
そのうちの香港に関する10の「謬論」と、それに対置された「事実・真相」を引用する。念のためであるが、私的な編集の手は一切加えていない。恣意的なカットもしていない。これが全文であって、中国当局の主張なのだ。
果たして、中国当局が「事実によって物を言い、真相によって道理を説く」ことに成功しているだろうか。いささかなりとも人権を大切に思う人にとって説得力のある論説になっているだろうか。
ここで赤裸々に語られているのは、みごとなまでの「国家の論理」である。しかも傲慢で批判に耳を傾けようという姿勢はまったく見えない。反面教師の「論理」として繰り返し読み直すに値するものである。ただ恐れるのは、このような「論理」で、中国国民の多くが納得してしまっているのではないかと言うこと。
他人事ではない。安倍政権の嘘とゴマカシ、小池都政無内容な美辞麗句にも、けっして納得してはならない。
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謬論その1 国家安全立法は香港住民の人権と基本的自由を破壊し、「市民的および政治的権利に関する国際規約」に違反する。
事実・真相
◆「中華人民共和国香港特別行政区国家安全維持法」は、香港特別行政区の国家安全維持においては人権を尊重、保障し、香港特別行政区住民が香港特別行政区基本法および「市民的および政治的権利に関する国際規約」「経済的、社会的および文化的権利に関する国際規約」の香港に適用される関係規定に基づいて有する、言論・報道・出版の自由、結社・集会・行進・示威の自由を含む権利と自由を法によって保護しなければならないと明確に規定している。
◆香港関連の国家安全立法は国家分裂罪、国家政権転覆罪、テロ活動罪、外国または域外勢力と結託して国家の安全を害する罪という4種類の犯罪だけを対象にしており、処罰するのは国家の安全を著しく害する容疑のある極少数の犯罪分子で、規律・法規を順守する大多数の香港市民は保護され、大多数の香港住民の安全および法によって有するさまざまな権利と自由は保障されている。
◆世界の100余りの国の憲法は、基本的権利と自由の行使では国の安全を害してはならないと定めている。「市民的および政治的権利に関する国際規約」は、信仰の自由、言論の自由、平和的集会の自由および公開の裁判を受けるといった権利はすべて、国の安全、公の秩序などの理由に基づいて必要な制限を受け得ると定めている。「欧州人権条約」にも類似の規定がある。
謬論その2 香港関連の国家安全立法は定義のあいまいな犯罪行為が列挙され、中国の国家安全機関によって民衆抑圧のために乱用されるおそれがある。
事実・真相
◆香港関連の国家安全立法は国の安全を著しく害する4種類の犯罪行為だけを対象にしており、ともすれば数十にも上る、米英などの国の安全に関わる罪名よりはるかに少ない。この法律は国家安全の法執行を明確に規制し、すべての法執行行為は厳格に法律の定めるところにより、法定の職責に合致し、法定の手続きを順守しなければならず、いかなる個人と組織の合法的権益をも侵害してはならないとしている。さらに、駐香港国家安全公署は厳格に法によって職責を履行し、法によって監督を受けなければならず、その要員は必ず全国的法律を順守するほか、香港特別行政区の法律を順守しなければならないと定めている。
◆米国、英国、カナダ、オーストラリアなどはいずれも国家安全保障のための厳密な法体系をつくっており、国の安全を害する犯罪行為の取り締まりではまったく容赦しない。
謬論その3 国家安全立法は香港にある外国企業が「ビジネスと人権に関する指導原則」の定めによって人権尊重の責任を履行するのを難しくする。
事実・真相
◆香港関連の国家安全立法は国家分裂罪、国家政権転覆罪、テロ活動罪、外国または域外勢力と結託して国家の安全を害する罪という4種類の犯罪だけを対象にしている。これらの犯罪行為は明らかに、法を守る企業または住民の行為や関わりうる活動ではない。法を守る多国籍企業はみな香港が安定と秩序を取り戻すことを望んでいる。法律が実施されれば、香港にある企業が人権尊重の責任を履行するのに役立つだろう。
謬論その4 香港の警察は武力を過度に使用しているのに処罰を受けない(化学剤を使って抗議者に当たる、女性抗議者に対する警察局でのセクハラや性的暴行、医療関係者へのいやがらせなど)。
事実・真相
◆「条例改正の風波」中、香港の警察隊は連続数カ月間に数百回の暴力事件を前にしながら、ずっと法律と警察の内部手引に従って法を執行した。過激なデモ隊は、石、鉄棒の使用からパチンコ玉の打ち込み、傘の先に刃物を結びつけた雨傘さらには危険化学品へと絶えず装備をエスカレートさせたが、警察隊はずっと最大限の冷静さ、理知と自制を保ち、つねに進んで武力を使用しないようにした。一部の者が暴力で突っ込んだり、違法な暴力行為をとり、現場の人々の身体の安全を脅かしたりした時だけ、相応の武力を使って阻止した。これは完全に国際的規範にかなっている。たとえ警官の生命を著しく脅かす危険な武器や暴力による違法行為を前にしても、警察隊はなお自制の姿勢を示し、文明的に法を執行し、プロ精神に徹していた。香港で、警察隊の法執行で死亡したデモ参加者は1人もおらず、逆に2020年5月末までに、590人を超える警備要員が法執行中に負傷している。
◆香港の警察隊の自制的専門的法執行と鮮やかな対照を成しているのは、米国で警察が暴力的法執行で死者を出し、発砲して射殺する行為が珍しくなく、2019年だけで1004回に達していることだ。2020年6月中旬までに、米国各地のフロイド事件で誘発された抗議デモ活動中に少なくとも13人が死亡し、数百人が負傷し、1・35万人超が逮捕されている。そのうち37歳のフリー作家兼記者リンダ・ティラドさんはミネアポリスの抗議活動を報じた際、警察のゴム弾で目を打たれて片方の目を失明した。
謬論その5 中国政府は香港の抗議活動と民主化の宣伝を弾圧している。
事実・真相
◆香港の復帰後の事実は、香港住民が法によって有する言論、報道、出版、結社、集会、行進、デモの自由が十分に保障されていることをすでに証明した。
◆2019年6月の「条例改正風波」の発生以来、一部の過激なデモ隊が故意に暴力事件を造り出し、その行動は平和なデモや意見の自由な表明のという限界を完全に超えて、極端な暴力違法活動に変化している。これらの暴力行為はあからさまに法律に触れ、市民の安全を著しく脅かし、国家の主権と尊厳に公然と挑戦しており、事実ははっきりし、証拠は揺るがず、悪質なものである。
◆文明化法治化した社会で、要求の平和的理性的表明は基本的要求で、ごく当たり前なことだが、権利の行使は必ず法治の枠組み内で行わなければならず、いかなる主張も違法な方法で表明することはできず、まして暴力に訴えることはできない。法治は香港の核心的価値で、香港の長期安定・繁栄を保障する基礎である。法がある以上必ずそれにより、違法は必ず追及するというのは法治の精神の具体的現れである。暴力と暴徒にゼロトレランスで臨んではじめて、香港の法律と秩序を守り、法治を示すことができる。そして暴力と暴徒を支持し放任するのは、民主主義、自由と法治を公然と踏みにじることである。
謬論その6 香港関連の国家安全立法は中国の「中英共同声明」における約束と義務に違反している。
事実・真相
◆中国政府の香港統治の法的根拠は中国憲法と香港基本法であり、「中英共同声明」とは関係がない。1997年の香港の中国復帰に伴って、「中英共同声明」で定められた、英国と関係のある条項はすべて履行が終わっており、英国は復帰後の香港に主権、統治権、監督権をもたない。
◆「中英共同声明」の香港に対する基本方針・政策は中国の政策表明であり、全人代が制定した基本法にすでに十分体現されている。中国の政策表明は英国に対する約束ではなく、しかもこれらの政策はすべて変わっておらず、中国は引き続き堅持するだろう。
謬論その7 国家安全立法は中国の中央政府が一方的に香港に押しつけるものだ。
事実・真相
◆国の安全立法はそもそも一国の主権と中央の権限に属することだ。中国の中央政府は国の安全を守る最大の、最終的責任を負っている。全人代は中国の最高権力機関である。全人代が中国憲法と香港基本法の規定に基づき、国家レベルで香港特別行政区における国家安全維持の法制度と執行メカニズムを導入・整備することは、香港の国家安全の法的な抜け穴をふさぎ、国の安全を確実に守るのに必要な措置で、「一国二制度」の長期的安定を確保するための抜本策でもある。
◆基本法第23条は香港特別行政区に国の安全を守る独自の立法権限を与えているが、復帰から23年近くたっても、反中央・香港かく乱勢力と外部の敵対勢力が必死に阻害、妨害したことにより、この立法はなお終わっていない。香港特区の国家安全維持が厳しい局面を迎えている状況下、中央政府にはすみやかに抜け穴を埋め、欠陥を補う権限もあれば責任もある。
◆マカオ特別行政区では2009年初めに国の安全を守る現地立法を終え、「国家安全維持法」を制定するとともに、関連の法執行作業と国の安全を守る付帯立法の検討作業を整然と進めている。2018年、マカオ特区政府はマカオで国の安全を守る実務の統括・調整機関――マカオ特別行政区国家安全維持委員会を設立するとともに、国の安全を守る法制度、組織体制および執行メカニズムの整備を続けている。
◆英国が香港の植民地支配を行っていた頃、英国の「反逆法」が香港に適用され、専門の執行機関もあった。中国中央政府の香港関連国家安全立法に横やりを入れるのは、完全なダブルスタンダードである。
謬論その8 中国は国家安全立法について香港の民衆と意味のある話し合いをしておらず、この立法には世論面の基礎がない。
事実・真相
◆香港国家安全維持法の制定では、香港同胞を含むすべての中国人民の共同の意思が十分体現されている。立法起草過程で、中央と関係部門はさまざまな方法とルートを通じて、特区行政長官と主要高官、立法会主席、香港の法律界、香港基本法委員会委員および全人代代表、政協委員など各界の意見と提案を聞いた。法律案のテキストが出来上がると、関係方面は香港特区政府から出された意見・提案を真剣に検討し、香港特区の実情を十分考慮し、採用できるものはできる限り採用する精神にのっとって、法律案のテキストを繰り返し修正してより完全にし、科学的立法、民主的立法、法による立法を確実にした。
◆中央の関係部門は香港で12回の座談会を開催し、香港政界、法律、商工、金融、教育、科学技術、文化、宗教、青年、労働各界および社会団体、地域団体の120名の代表が参加して率直に意見を述べた。短期間に、香港中聯弁〈中央人民政府駐香港特別行政区連絡弁公室〉は36人の香港地区全人代代表と190人の香港地区政協全国委員の200点余りの意見書を受けとった。香港各界はまた、電子メール、手紙または中国人代網ログインなどの方法で意見を反映することができた。
◆全人代の関係「決定」が公表されると、香港各界の代表はいち早く支持の態度を表明した。300万近い香港人が「撑国安立法」〈国家安全立法支持〉の署名活動に応じ、128万を超える香港人が「米国など外部勢力の介入反対」のネット署名に参加した。
謬論その9 国家安全立法は「一国二制度」の終焉(しゅうえん)を意味しており、香港の高度の自治権を奪った。
事実・真相
◆全人代の「決定」は冒頭に主旨を示し、国が「一国二制度」、「港人治港」〈香港住民による香港管理〉、高度の自治の方針を揺るぎなくしかも全面的かつ正確に貫くことを説明し、その第1条で再度この方針をはっきり説明している。香港関連の国家安全立法の目的は香港の国家安全における致命的な抜け穴をふさぎ、「一国」の基礎を固め、香港が「一国」という基本を堅持すると同時に「二制度」の利点をよりよく生かすことを最大限保証することにある。
◆香港国家安全維持法の実施後も、香港住民が法によって有する諸権利と自由は影響を受けず、特区の独立した立法権と終審権は影響を受けない。「一国二制度」の方針は変わらず、香港特別行政区で資本主義制度がとられることは変わらず、高度の自治は変わらず、法律制度は変わらない。
謬論その10 国家安全立法は香港の繁栄・安定を危うくする。
事実・真相
◆まったく反対に、香港関連の国家安全立法は香港の繁栄・安定の維持により一層資する。2019年6月の「条例改正風波」の発生以来、「香港独立」、「黒い暴力」活動は香港の法治と経済・民生を大きく傷つけ、また香港のビジネス環境と国際的イメージを著しくこわした。香港関連の国家安全立法はまさにこの局面を転換するためのもので、香港の良好なビジネス環境を維持し、香港の金融、貿易、海運センターとしての地位を固め高め、外部からの投資家の自信を強めるうえで利益はあっても弊害はない。香港関連の国家安全立法の「決定」が可決されると、香港上海、チャータード、スワイヤー、ジャーディンなど香港の外資グループは、香港の長期安定に資する、すべての発展の基礎と前提であるとして、続々と支持を表明した。
◆世界を見渡すと、ニューヨークにせよロンドンによせ(ママ)、国家安全保障法実施のためにビジネス環境が壊された国際金融センターは一つもない。香港米国商業会議所の最近の調査によると、7割を超える対象企業が香港から撤退することはないと明確に表明し、6割超の調査対象者が香港を離れることはないとしている。チャンスと利益に盾突く企業はない。
◆マカオ特別行政区は2009年基本法第23条に従って国家安全維持法を可決した。2009年から19年までに、マカオのGDPは153%伸び、観光客数は81%伸び、全体の失業率は10年間の最低に下がっている。
(2020年7月9日)
本日(7月9日)の毎日新聞朝刊8面右肩に、「教皇講話、香港に触れず」の見出しで大きな記事。「急きょ変更、中国にそんたく?」という小見出しがある。
日曜日恒例の教皇講話。事前に配布された予定原稿には、「香港における自由の重要性」に触れる部分があって注目されていた。しかし、直前にこの記述は撤回され、その朗読は省かれたという。この教皇講話の直前の内容変更が、中国への忖度によるものではないのかという、なんとも不愉快な話題なのだ。
このことは、複数のカトリック系メディアが伝えている。教皇は中国との関係改善に前向きで、「中国に配慮した」と失望する声が上がっている、という。
バチカン専門記者のマルコ・トザッティ氏のブログによると、5日の講話に向け、記者に事前配布された原稿では、教皇が香港問題への関心を表明し、「私は社会的な自由、特に宗教の自由が、さまざまな国際文書に記されているように、完全な形で表現されることを願っている」と述べるはずだった。
ところが、教皇が窓に姿を現す直前に、バチカン側から「香港の部分には言及しない」と記者団に通告があり、実際、教皇は読まなかった。具体的な理由の説明はなかったという。トザッティ氏は「中国が教皇に猿ぐつわをかませた」と表現し、政治的配慮があったとの見方を示した。他のカトリック系メディアも同様に報じている。
以上は5日(日曜日)の事実についての報道。毎日記事は、その背景事情を次のように解説している。
教皇はアジア布教の伝統を持つ「イエズス会」の出身で、中国への接近を図ってきた。バチカンと中国は1951年に断交状態となり、バチカンは台湾と外交関係を保持してきた。だが、2018年9月、長年の懸案だった司教の任命方式を巡って互いの関与を認める暫定合意に達し、歴史的な和解を果たした。
暫定合意は今年9月、2年間の期限を迎える。合意締結に関わったカトリックの高位聖職者は6月、イタリアメディアの取材に「期限後に、もう1、2年延長すべきだ」と述べ、双方が協議中であると明かした。こうした微妙な時期だけに、教皇に批判的な保守派の聖職者やメディア関係者を中心に、「教皇は中国の圧力に屈し、香港問題で沈黙している」との推測を呼んでいる。
教皇は、中国への接近を図っている。では、中国はどうか。
一方、中国の習近平指導部は「宗教の中国化」を掲げ、キリスト教やイスラム教、仏教などへの統制を強化している。バチカンとの和解後も、教会からの十字架の撤去や聖職者の拘束などが報告されている。中国の宗教政策を厳しく批判するカトリック香港教区の枢機卿、陳日君氏は「まさか中国共産党から本当に金でももらったのか」とブログでバチカンを痛烈に批判。国安法の施行について「香港が自由を失えば、教会も逃れることはできず、(宗教の)自由を失う」と危機感を示した。
この陳日君氏の反中国の立場からの苛烈な教皇批判に驚く。ヒエラルキーという言葉は、もともとがローマカトリック教会における聖職者群の序列や階層秩序をさすのだという。そのヒエラルキーで、教皇に次ぐ位置にある枢機卿(カージナル)が、「中国共産党から金でももらったのか」と教皇を批判する事態の深刻さと、覚悟のほどを知らねばならない。もっとも、香港教区には、もうひとりの枢機卿がいるという。その人は、徹底した反中国の立場ではなさそうだ。毎日はこう伝えている。
中国当局は国安法施行前の6月下旬、中国に近い立場にある香港の宗教指導者らを対象に説明会を開いて「宗教の自由」への配慮をアピールした。香港メディアによると、出席した香港教区のもう一人の枢機卿、湯漢氏は「(国安法の施行は)理解できる。宗教の自由に影響はないと信じている」と述べた。香港の宗教界が国安法という「踏み絵」を前に分断される実情がうかがえる。
陳氏も、湯氏も、中国共産党の横暴に晒されて、厳しい選択を迫られている。陳氏は、いささかの妥協も潔しとせず、たとえ弾圧を受けようとも信仰を枉げてはならない、とする立場。湯氏は、一定の妥協はやむを得ないとする宥和の立場。「国安法が施行されても宗教の自由に影響はないと『信じている』」というのは、中国当局への宥和のメッセージであろう。
毎日記事は、カソリックのみならず、香港の宗教界全体が「国安法という『踏み絵』を前に分断される実情がうかがえる」と記事を結ぶ。この比喩を借りるならば、『踏み絵』を拒絶する立場と、踏むこともやむなしとする立場とが対比されている。
もちろん、踏み絵を迫っているのは中国共産党である。その罪は深い。
(2020年7月7日)
本日は七夕。あいにくのコロナ禍のさなかに列島豪雨の模様。東京も降りみ降らずみ、星空は見えない。
心ならずも引き裂かれた二つの魂が相寄る図は微笑ましくも美しい。しかし、二つの魂が惹かれ合うでもなく相寄るでもなく、一方的な暴力が他を支配する図の醜悪さは見るに堪えない。ヘイト然り。DV然り。パレスチナ然り、そして香港然りである。
香港行政長官の名は、林鄭月娥(キャリー・ラム)。月娥は、月の世界にあるという伝説の仙女「嫦娥」からの命名。「嫦娥」は、不老不死の仙薬を得て天に昇ったが、夫を裏切り月に隠れて蟇蛙になったとされる。いま、月娥は香港の民衆を裏切って、醜態をさらしている。
Bloomberg News日本のネット報道(2020年7月7日 13:58)は、「香港行政長官、国家安全維持法を擁護?警察には広範な権限付与」と伝えている。
香港の林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官は7日、先週施行された香港国家安全維持法(国安法)を擁護した。香港政府は6日開いた国家安全維持委員会の初会合で、令状なしの捜索やオンラインの監視、資産差し押さえなど広範囲に及ぶ新たな権限を警察に与えたばかり。
林鄭行政長官は諮問機関である行政会議会合前の定例記者会見で、「この法律は厳格に執行され、市民の懸念は和らぐ」と主張。「市民が国安法に定期的に抵触することはないことを目の当たりにするだろう」と述べた。
一方、林鄭長官は国安法の執行・管理の多くが公開されない点をあらためて確認し、国家安全維持委は今後の会合から詳細を公表しないと述べた。
なんたることだ。もうムチャクチャとしか言いようがない。こういうことを言わせないように、法の支配の大原則があり、立憲主義があったはず。「人権も民主主義も無視して、今後は徹底して香港の市民を弾圧する」「有無を言わせない」という宣言ではないか。「肚を決めて、香港市民の側を離れて、中国の走狗となる」という林鄭月娥の誓約とも解される。今の世の文明社会にこんなことがあってよいのか。嘆くしか術はない。
また、朝日新聞デジタルが「香港の図書館から消える本 『言論弾圧が広がっている』」と伝えている。以下はその抜粋。
反体制な言動を取り締まる「香港国家安全維持法」(国安法)が施行された香港で、公立図書館が民主活動家らの著書の閲覧や貸し出しを停止した。
対象の書籍は雨傘運動のリーダーだった民主活動家の黄之鋒(ジョシュア・ウォン)氏のほか、立法会(議会)議員の陳淑荘(タンヤ・チャン)氏、作家の陳雲氏の民主派3人が書いた計9種類。各地の公立図書館が計約400冊所蔵していたが、4日までに本棚から撤去されたという。
香港政府は、閲覧・貸し出しの停止措置について、公立図書館に国安法に抵触する蔵書がないかを審査させるためだと説明している。一方で、審査の基準や対象数は公表していない。
野蛮な権力は、不都合な思想を弾圧する。その偉大な始祖が「焚書坑儒」の成語で知られる始皇帝であろう。いま香港で「焚書」が始まったのだ。やがては「坑儒」も。中国の文明は2000年余の昔に戻った如くではないか。天も晴れず、ただ涙するか。
ところで1937年7月7日は盧溝橋事件勃発の日。この日から日中は宣戦布告ないまま、本格的な全面戦争にはいる。あのとき、非は明らかに侵略者である皇軍の側にあり、正義は中国の側にあった。
80余年を経て、中国は国際公約である一国二制度を放擲し一方的な暴力を以て香港の民主主義を蹂躙し、民衆を支配しようとしている。今、中国の側に正義はない。皇軍の醜さを思わせるのみ。
(2020年7月2日)
有史以来の人類の歩みは、野蛮から文明への進化であった。もっと正確には、人類は、野蛮を排して文明を構築しようと努力を積み重ねてきた。もちろん、歴史が一直線に進化してきたわけではなく、これが法則という論証などできようもない。ときに、その逆流を見せつけられて暗澹たる思いを噛みしめることがある。30年前の天安門事件がそうだったし、香港で今進行している事態が同じ出来事である。
野蛮を象徴するものは何よりも暴力である。また、暴力にもとづく独裁であり専政でもある。文明を象徴するものは何よりも非暴力である。また、暴力に基づかない民主政であり、人権の思想である。
6月30日まで、香港は文明の圏内にあった。不完全ながらも、自由と民主主義と人権の享受が保障される世界であった。その深夜、突如として圏境を越えて野蛮が押し入って来た。一夜明けた7月1日の香港は、文明が圧殺されて野蛮に占領された別世界と化した。
何よりも重要な政治的言論の自由が失われ、民主主義と人権は逼塞した。代わって、剥き出しの権力が大手を振って闊歩する専政と弾圧国家の一部となったのだ。これは、資本主義と社会主義との対立などでは断じてない。まさしく、文明が野蛮に蹂躙された図なのだ。
民主主義の要諦は、人民の人民による人民のための政治(government of the people, by the people, for the people)と定式化される。「人民による人民のための政治」(government by the people, for the people)の意は分かり易いが、「人民の政治」(government of the people)は、やや分かりにくい。分かりにくいが、これこそが民主主義の神髄だという。
「人民の政治」(government of the people)のof は、同格を表す前置詞。つまり、(government = the people)であって、治める者と治められる者とが同格で同一であること、「自同性」を意味するのだと説かれる。
7月1日以来、香港人民の治者は北京政府であり中国共産党となった。ここには、治者と被治者の自同性も、同格性も同一性もない。暴力に基づく抑圧者と非抑圧者の関係があるのみ。ここには、民主主義の片鱗もない。
文明は、長い年月をかけて人権思想を育んできた。人権を権力の恣意から擁護しようと、法の支配という原則を作り、権力分立というシステムを作り、司法の独立を守り、罪刑法定主義を世界のスタンダードとしてきた。
その香港の文明は、一夜にして潰えた。今や、野蛮が跳梁する様を見せつけられるのみ。
昨日(7月1日)の香港では、文明の側に属する1万の民衆が、野蛮の中国政府に抗議するデモに立ち上がった。参加者は恐怖心を振り払って、「国安法という悪法を恐れず、中国共産党の独裁に抵抗する」「天が共産党を滅ぼす」「今こそ革命の時だ」―、さまざまなプラカードを手にした市民が声を上げながら行進したと報じられている。その心意気には感動せざるを得ない。
しかし、機動隊は真新しい紫色の警告旗をデモ隊に見せつけた。「国家分裂や中央政権転覆に該当し、国安法違反罪で逮捕される可能性がある」。そして「香港独立」と記した旗を手にした男性がその場で逮捕された。逮捕者は300人余に及んだという。
デモ行進も「香港独立」のプラカードも、文明世界では表現の自由として保障される。しかし、野蛮の世界と化したこの地では許されないのだという見せしめ。文明と野蛮のはざまで、人は揺れ悩む。「怖いが、怒りを我慢できず、ここ(デモ)に来た」という学生の声は、事態の深刻さだけでなく、希望の芽も語っているのではないか。
この歴史の逆流を目の当たりにして、小さくても精一杯の批判の声を積み上げていこうと思う。