自民党の改憲策動は今どうなっているんだい。もう、アベ改憲はとても無理だろう。
いや、それは甘い。新聞に「改憲遠のく」の記事が出ているが、運動体には迷惑な話だ。気を抜いてはならない現状だと思う。
そうかな。常識的にはアベ政権は死に体じゃないか。こんな政権に、憲法改正などという力業ができるとは到底思えない。むしろ、運動の成果に自信をもつべきではないのか。
改憲は、内閣の仕事ではない。改正案の審議も発議も、もっぱら国会の仕事だ。アベの力が衰えても、与党がやる気になればできることだ。9月の総裁選でアベ三選が阻止されても、後継総裁が「アベなきアベ改憲」を強行しないとも限らない。
今、アベが火だるまになっているのは根底に改憲強行姿勢があるからじゃないか。アベが追い落とされれば、次の総裁が誰であれ改憲は仕切り直しで、しばらくはおとなしくするだろう。そのような、硬軟おりまぜた柔軟性が自民党のしたたかさだと思うがね。
アベ9条改憲は、12年4月の「改憲草案」よりは、ずっと妥協し後退したものだ。党内には、これを不満とし「改憲草案」の国防軍案を主張する強硬派も少なくない。アベなきあとも、せめてアベ改憲の実現をと、まとまる可能性を否定できない。
自民党が、そんなイデオロギー政党だろうか。自民党の議員が、憲法が票になると思っているはずはない。景気対策、産業振興、震災復興、雇用や年金、教育費援助、農林漁業支援などの現実的な政策に傾斜せざるを得ないところだろう。
いや、今両院ともに、改憲派の議席が3分の2を超している。党内には、いまこそ千載一遇のチャンスという雰囲気が横溢していると見るべきだろう。
その一方で、今のアベ総裁のままでは選挙は戦えないという声が党内に満ちているとも報じられている。アベのバスに乗り遅れまいと有象無象が群がった時代は夢のまた夢。今は、沈みそうなアベ丸から、みんなわれ先に逃げ出そうとしている図ではないか。
党内には、「この連休で気分が変わる。」「内閣支持率も5月中旬にはV字回復」という楽観論もある。これまで何度もの危機を乗り切ってきたアベのしたたかさを過小評価してはならない。
聞きたいのは、アベ改憲スケジュールの現段階だ。もともとは「2020年東京オリンピックまでに改正憲法施行」で、逆算すると、今通常国会中に国会に「改正原案」を発議し、今年の末までに、国会が「改正案」を国民投票に発議しなければ間に合わない。それが頓挫したということではないのか。
当初予定のスケジュールが、かなり難しくなっていることは疑いない。しかし、頓挫したということではない。
少し、詳しく説明してくれないか。
3月14日に、自民党改憲本部が9条改正案の7案を提示した。この中には、9条2項削除案と存続案が混在しているが、初めから最有力だったのは、「9条1項2項はそのまま残して、自衛隊を憲法に明記する」というアベ提案に沿った、「9条2項を維持して、9条の2に、『必要最小限度の実力組織として、自衛隊を保持』」という案だった。
それでまとまらなかったのか。
3月15日が自民党改憲本部の全体会議だった。細田博之本部長は、一任を取り付けようとしたが、まとまらなかった。第2項維持派が「自衛隊」明記案と「自衛権」明記案に分かれたためだと言われている。ここで、アベの求心力低下が表面化した。
その後に、一任を取り付けたと報道されたんじゃないのか。
3月22日に再度の全体会合が開かれた。報道では、「安倍晋三首相の意向に沿って9条第1項(戦争放棄)と第2項(戦力不保持)を維持しつつ自衛隊の存在を明記する憲法改正について、これまでの有力案から『必要最小限度』を削除する修正案が提示された。会合では修正を支持する意見が多数を占め、同本部は今後の対応を細田氏に一任。細田氏は修正案に基づき条文化を進める。」となっている。確かに、一任取り付けとはなった。
これまでの有力案から、「必要最小限度」を削除すると、「実力組織として、自衛隊を保持する」ということか。
おそらくは、条文としてはこうなるだろうということだ。
「9条の2第1項 前条(註・現行9条1・2項)の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。
同第2項 自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。」
「おそらくは」って、3月25日の自民党大会までに条文案を一本化して、この党大会を具体的な改憲発議に向けての決起集会にするはずだったのだろう。
それが、そうはならなかった。翌日の朝日新聞の一面トップの見出しが、「改憲発議 年内厳しく 支持急落 日程窮屈に」。「党改憲推進本部が急いでまとめた『改憲4項目』の条文案が大会で披露されることはなかった」と報じられている。
改憲テーマは、「9条」・「緊急事態」・「参院選の合区」・「教育充実」の4項目だった。どの項目についても、改憲本部長からの条文化が示されなかったのなら、改憲スケジュール頓挫、ということではないのかね。
いや、今のところは「日程窮屈に」なった程度ということだろう。水面下では、公明党との摺り合わせが進行しているはずだ。
ボクは、3月2日に神風が吹いたと思っている。その日の朝日新聞・朝刊のトップ記事が、森友・決裁書「書き換え疑い」の報道だった。「書き換え疑い」は、すぐに「疑い」がとれ、「改ざん」となった。
その記事がもとで3月27日佐川証人喚問までは漕ぎつけたが、尋問では官邸の責任を否定し、細部は証言の拒否だった。
さらに加計問題だ。愛媛県の文書が出てきて、15年4月2日の官邸での面会が話題となった。これに「首相案件」とあった。さらには農水省、内閣府、文科省から内部文書が出てきた。当時の首相秘書官だった柳瀬が窮地に立たされている。
法的な問題としては、イラク派兵の日報が出てきたことは大きい。1万5000頁もの文書が報告されていなかった。シビリアンコントロールはどうなっているのか。
統合幕僚監部の三佐が、国会前の路上で民進党小西洋之参議院議員の「国民の敵」と罵倒した事件はもっと大きい。こんな、危険な自衛隊を憲法上の組織として位置づけるなど、とんでもないことだ。
このことへの反論として、「憲法に自衛隊の規定も、自衛隊へのシビリアンコントロールの規定もないことが問題だ。憲法に規定すればよい」などという珍論がある。
そして、おまけは財務事務次官福田淳一のセクハラ報道だ。福田の言動もひどいが、麻生の対応が致命的だった。これは、安倍内閣の断末魔の図ではないかね。
アベにとっての起死回生の望みが日米首脳会談だった。結局はなんの土産も持ち帰ることができなくて、安倍外交の失敗が際立つ結果となった。朝鮮半島をめぐる国際問題で、まさしく日本は蚊帳の外だ。
アベが倒れれば、アベ改憲策動はなくなる。アベの失点は、護憲勢力に朗報だろう。
アベが取りこぼして、「オウンゴールでアベ政権が倒れた」ではダメなんだ。改憲阻止の国民運動がアベを打倒したという構図にならなければ、アベ後継の改憲策動が始まることになる。
いま、アベが倒れたとして、これを「オウンゴール」というのは引っかかる。アベを糺弾する運動や言論があってのアベ退陣だろう。アベ改憲阻止とは、何よりもアベ政権を倒すこと。行政を私物化し、隠蔽・改ざん・捏造の、腐敗したアベ政権を糺弾することが今大切だろう。
何よりも、「改憲にこだわっていたのでは、選挙民がアベ自民党を見限る」「改憲論では選挙に勝ち目がない」という世論喚起の運動を高めなければならない。3000万署名を積み上げることが、喫緊の課題だ。
そこのところは異論がないね。いかなる改憲策動も、衆・参どちらかの議院で、護憲派が3分の1の議席をとればよい。今の世論分布なら、護憲野党の共闘で可能となるはずだ。それまで頑張ればよい。
もちろん、そのとおりだ。私は油断せぬよう、楽観せぬよう、世論喚起の運動を押し進めたい。
ボクの方は楽観しながら、市民と野党の共闘が実現するよう運動に参加するつもりだ。
(2018年4月23日)
今、安倍改憲のたくらみが進行しています。日本国憲法が危ない。とりわけ9条が危ない。そのことによる平和が危ない。そう思わざるを得ません。
これまでも、憲法の危機は何度もありました。戦後、政権を担い続けてきた保守政党が、憲法を敵視し続けてきましたから、潜在的には常に憲法は危機にあったことになります。ときおり、その潜在的危機が顕在化し、その都度改憲反対の運動が危うく、改憲を阻止してきました。
とりわけ自民党は、立党以来「自主憲法の制定」を党是としてきた政党ですから、自民党が議会内の多数派である限り、保守の側が「憲法を改正せよ」と言い、革新派が「憲法を守れ」と言う、奇妙な構図が続くことになります。
ご存じのとおり、憲法96条は「改正手続」を定めています。憲法自身が、国民の意思で憲法改正をすることを想定しています。ですが、憲法が想定する「改正」とは、本来が憲法がコアの価値とするもの、人権や民主主義や平和などを、より確かに、より深く、より実効的に保障する方向での、本当の意味での改正を意味していたはずです。たとえば、民主主義や平等に反することが明らかな天皇制を廃止することや、現行憲法の形式的な平等を実質的な平等に高めること、などが予想される典型と言ってよいでしょう。
しかし残念ながら、革新派に真の意味の憲法改正を発議する力量がないため、保守派が憲法「改悪」を発議し、革新派が改憲を許さず、憲法を守り抜いてきた、という「奇妙な構図」が作られてきたのです。
しかし、このことは大きな意味のあることだったと思います。改憲の危機が訪れるたびに、国民は改憲を阻止する運動を展開することで、日本国憲法を自らの血肉としてきました。
日本国憲法は、形式的には大日本帝国憲法の改正手続を経て成立しています。ですから、国民主権の憲法の制定(文言上は「改正」)を天皇が裁可して交付せしめる、という奇妙キテレツなこととなっています。ですから、このとき日本国民は、日本国憲法制定について主権者として、国民投票をしていません。しかし、その後70年余年、権力に抗して、保守派が嫌う日本国憲法を幾たびの危機から守り抜くことで、自らの憲法として獲得してきたものと胸を張ってよいと思います。
もっとも、今回の「安倍改憲」は、前例のない具体的スケジュールをもっての改憲案と言えます。それだけに、深刻なのです。
深刻だという理由の第1は、手続的な法制が整備されていることです。改憲手続き法(国民投票法)とともに、国会法の関係規定の改正が済んでいます。手続的に、泥縄ではなく、しっかりと舞台は整えられていることが重要です。
しかも、両院とも「改憲派」(自・公・維+α)の議席が、3分の2を超えています。数え方によっては、改憲派の議席は80%にもなると報じられています。国民意識と乖離した恐るべき事態といわざるを得ません。かつて、国会の中に厳然としてあった、3分の1の護憲の壁がないのです。
そして、今、保守派というよりは右翼陣営の頭目が、改憲の実現に血道を上げています。右翼陣営は、「アベのいるうち」「3分の2の議席あるうち」こそが、千載一遇のチャンスだと改憲世論の喚起に躍起になっています。
このことは、アベがいなくなれば、改憲派が3分の2の議席を失えば、右翼のいう「千載一遇の改憲チャンス」は潰えることになります。彼らも、危機感を持っているということです。
この、安倍改憲の経過をまとめておきましょう。
昨年(2017年)5月3日、安倍晋三は右翼改憲集会へのビデオ・メッセージを送り、また同日の読売新聞紙上で、「アベ9条改憲」の提案を行いました。「9条1項2項はそのまま残して、自衛隊を憲法に明記する」という、今問題の改憲案です。
この提案の種本は、伊藤哲夫(日本会議)「明日への選択」論文です。この案は、一面「力関係」を見据えた現実的提案ではありますが、けっしてそれだけではありません。護憲派の運動の分断という狙いを明確にしています。
つまり、戦争法反対運動が盛りあがったのは、「自衛隊違憲論」派と「自衛隊合憲論を前提とする専守防衛派」の共闘があったからだ。この両派に楔を打ち込むことが肝要で、この案なら、両派を分断することができる、というのです。
自衛隊を合憲化するだけの9条改憲案だから、「専守防衛」派は大きな反対はしないだろう。とすれば、「自衛隊違憲論」者を孤立させることができる、という思惑なのです。
自民党憲法改正推進本部は、この案を中心に議論を重ね、同年12月20日に、次のようにとりまとめました。
改憲4項目 テーマは、「9条」・「緊急事態」・「参院選の合区」・「教育充実」
9条改正案は下記の両論併記
※現行憲法9条1、2項を変えず、
自衛隊を明記する条文を新設する安倍晋三首相(党総裁)の提案
※9条2項を削除して「国防軍」を盛り込む?2012年の改憲草案
9条改正案については、2018年3月14日。改憲本部が、7案を提示しました。
そして、当初の見込みとしては、3月25日の自民党大会において、党内一本化した条文案を作りあげようと予定していました。3月25日党大会を改憲運動の出発点とし、その後は改憲諸政党(公・維・希)と案文を摺り合わせて、『改正原案』を作成し、今国会中に改正原案を衆議院に発議し、今秋、あるいは遅くも年内には憲法改正案を発議して、国民投票を実現したい。これが彼らのスケジュールでした。
憲法改正発議までの手続の概要を確認しておきましょう。
用語が混乱しやすいのですが、まずは衆院に『改正原案』発議が行われることになります。本会議を経て、衆院の憲法審査会で実質的な審議をすることになります。そして、過半数で可決されて本会議に戻り、今度は3分の2以上の特別多数決で可決となり、参院に送付となります。衆院と同じ手続で可決になると、成立した『改正案』が国民投票に発議されることになります。
発議後、60?180日の国民投票運動期間を経て、国民投票となります。
この国民投票運動は原則自由。新聞広告もテレビコマーシャルも自由です。カネに飽かせた、「自由な」運動が氾濫することになるでしょう。国民投票は、有効投票の過半数で可決となります。投票率の有効要件はありません。
いま、決定的に重要なのは、改正原案を作らせない運動です。2019年の政治日程は、元号制定・天皇退位・次天皇即位の礼・大嘗祭・参院選・消費税値上げと目白押しです。
19年の4月までがヤマ場で、19年7月参院選で、護憲野党共闘が勝利すれば、このヤマ場を乗り切れることになります。
「憲法に自衛隊を明記する」という安倍9条改憲案は、
?2項を削除し「通常の軍隊」を保持
?9条1項と2項を維持し「自衛隊」を明記、
?9条1項と2項を維持し「(自衛隊ではなく)自衛権」を明記、
の3案が検討されてきました。
3月14日自民党憲法改正推進本部役員会の7案とは以下のようなものです。
▽2項削除案
(1)総理を最高指揮官とする国防軍を保持(9条の2)
(2)陸海空自衛隊を保持(9条2項)
▽2項維持案(自衛隊を明記)
(3)必要最小限度の実力組織として、自衛隊を保持(9条の2)
(4)前条の範囲内で、行政各部の一として自衛隊を保持(9条の2)
(5)前条の規定は、自衛隊を保持することを妨げない(9条の2)
▽2項維持案(自衛権を明記)
(6)前2項の規定は、自衛権の発動を妨げない(9条3項)
(7)前2項の規定は、国の自衛権の行使を妨げず、そのための実力組織を保持できる (9条3項)
ずいぶん対立しているようですが、結局は安倍提案の「2項維持案(自衛隊を明記)」の(3)案が最有力と報じられています。
なお、自衛隊(あるいは自衛権)の明記は、現行の9条1項2項のあとに、「9条3項」として書き加えるか、あるいは9条と10条の間に「9条の2」を新設して、ここに書く案の両者があります。「9条の2」新設案は、「従前の9条はそのまま」という印象を強く出すねらいがあると思われます。
問題は、安倍9条改憲は、「9条2項を残す」案なのだから、自衛隊を明記したところで現在と実質的に変わらないのではないか。「戦力不保持を定めた9条2項」が憲法に残れば、後々この残った9条2項を有効なものとして使えるのではないか、軍拡の歯止めになるのではないか、とごまかされるおそれです。それは間違いと、考えざるをえません。
まずは、「後法は前法を破る」という法解釈の原則があります。明らかに矛盾する法が、あるいは条項が存在する場合、後法が有効になります。後法に反する限りで、前法は無効とならざるを得ません。
「自衛隊は戦力に該当して違憲』という前法は、「自衛隊は憲法上の存在」という後法によって、無力化されるおそれが高いのです。
もともと自衛隊は合憲と考えていた専守防衛派にとっても、「戦争法によって変質し、集団的自衛権行使可能な自衛隊の追認」となるおそれがあります。「憲法では専守防衛の原則が貫かれているはず」が通用しなくなるおそれが高いのです。
いま、自民党や右翼勢力にとっても、事態は芳しくありません。3月22日に、改憲本部会合で「本部長一任」を取り付けましたが、3月25日自民党党大会では、誤算に終わった模様です。朝日の報道では、「改憲発議 年内厳しく 支持急落、日程窮屈に」「党改憲推進本部が急いでまとめた「改憲4項目」の条文案が大会で披露されることはなかった」というものとなっています。
9条改憲を除く、その他の改憲テーマは次のようなものです。
1.いつでも武力攻撃時に適用可能な緊急事態条項
2.選挙制度の基本原則を破壊する「合区解消」改憲案
3.教育の充実につながらない26条改憲案
改憲をめぐってせめぎ合いが続いています。私たちがすべきこと、できることは、こんな改憲案にこだわっていたのでは、自民党は民意から離れて選挙で大敗するだろう。という世論を作りあげること。それには、改憲反対の3000万署名を積み上げなくてはなりません。
是非とも、今回の憲法の危機を乗り越えて、この憲法をさらに国民のものとしたいものと念じています。
(2018年4月7日)
自民党は、2012年4月に「日本国憲法改正草案」を発表した。これは、自由民主党という戦後の日本を主導してきた政党が、いったい何者であるかを遺憾なく示す記念碑的重要文書である。のみならず、現在の政権党がいったいどんな政治社会の建設を意図しているのか、そのホンネを赤裸々に語った文化財的文書として定着している。この貴重な文書をゆめゆめ粗末に扱ってはならない。軽々に改竄させたり、隠蔽させてはならない。できることなら、額装して朝に夕にこれを復誦し、現政権のホンネはここにあることを肝に銘ずべき代物なのだ。
私も、「アベ改憲・4項目」だの、「アベ9条改憲7案」だのと、政権や自民党の本心ならざるフェイントにごまかされて、この貴重文書の存在を忘却の彼方に押しやっている日常に反省しきりである。
しかし、ありがたいことに、折に触れて、この自民党改憲草案の存在を想起せざるを得ない事態に遭遇する。そのたびに、ああ、自民党とはこんな党だったではないか、と自分に言い聞かせるのである。
そのようなことは、天皇制や「日の丸・君が代」や、政教分離や、緊急事態や、防衛問題などのテーマに多いが、一昨日(4月4日)のニュースに接して、「歴史・伝統・文化」というキーワードで、自民党改憲草案を想起した。
4日、京都・舞鶴市で行われた大相撲春巡業で、舞鶴市の多々見良三市長が、土俵上であいさつ中に体調を悪化させて倒れた。くも膜下出血の発症だったという。一刻を争う緊急事態に、医療の心得のある女性が、機敏に土俵上で市長の心臓マッサージを行った。場内アナウンスは、この女性の行為に感謝するどころか、「女性は土俵から降りてください」と複数回の指示をしたという。
「救命行為を直ちに中止せよ」というアナウンスは信じがたい。その行為が犯罪になることさえ考えられる。バカげた事態というのは適切ではない。誇張ではなく、恐るべき事態と言うべきだろう。問題は、なぜこんなことが起きたのかだ。
この問題について、日本相撲協会の八角理事長が、4日下記のコメントを出した。
本日、京都府舞鶴市で行われた巡業中、多々見良三・舞鶴市長が倒れられました。市長のご無事を心よりお祈り申し上げます。とっさの応急処置をしてくださった女性の方々に深く感謝申し上げます。
応急処置のさなか、場内アナウンスを担当していた行司が「女性は土俵から降りてください」と複数回アナウンスを行いました。行司が動転して呼びかけたものでしたが、人命にかかわる状況には不適切な対応でした。深くお詫び申し上げます。
以上が全文。「人命にかかわる状況には不適切な対応」とは、「人命にかかわるほどの状況でなければ、不適切な対応とは言えない」という含意が見え見えである。
この「女性は土俵から降りてください」発言は、「人命にかかわる状況には不適切な対応」だったと責められるべきではない。「人命にかかわる状況においてまでも女性差別を貫徹しようとしたことは、相撲協会の徹底した女性差別体質を現したものとして不適切な対応」なのだ。
今回の件は、「人命にかかわる状況」だったから例外的に臨機応変の対応をすべきだった、のではない。女性を土俵に上げてはならないなどという差別の愚かさ、ばかばかしさを如実に示したものと受けとめなければならない。女性という、社会の半数をなす人々を、穢れたものとする思想と行動の払拭が求められているのだ。
本日(4月6日)兵庫県宝塚市で開かれた予定の大相撲の地方巡業「宝塚場所」で、同市の中川智子市長が巡業の実行委員会に「土俵上であいさつしたい」との意向を伝えたが断られ、やむなく土俵下であいさつをした。「私は女性市長ですが人間です。女性であるという理由で、市長でありながら、土俵の上であいさつができない。悔しい。つらい」と訴えると、観客から拍手が起こったという。
この興行の主体は公益財団法人相撲協会である。「公益法人」でなくとも、大相撲は、十分に社会的な存在となっている。社会的な存在である以上は、性による不合理な差別は許されない。
協会に聞いてみたいものだ。
「なぜ、土俵は女人禁制なのか」「その女人禁制の理由は現在なお妥当性をもつのか」と。
女性差別の理由は、それが伝統とか文化であるから、というものでしかなかろう。伝統も文化も曖昧模糊。実はなんの実体もない。伝統とは因習に過ぎず、文化とは野蛮にほかならず、合理的理由を説明できないときの説明拒否の逃げの一言でしかないのだ。相撲協会は、こうはっきり言えるだろうか。「相撲は神事であり、神事では女性は穢れたものとされているから」と。そんな神は、敗戦時に、大日本帝国とともに滅亡して死に絶えたのだ。差別を合理化する神も神事も、生き返らせてはならない。どだい、女から生まれなかった横綱も大関もいないのだから。
こんなふうに考えると、自ずから「自民党改憲草案」が思い浮かぶのだ。党の公式解説書である、「Q&A」に、こんな文章がある。
(憲法)前文は、我が国の歴史・伝統・文化を踏まえた文章であるべきですが、現行憲法の前文には、そうした点が現れていません。
人権も民主主義も平和も、人類史的に普遍的な理念などと考えてはいけない。「日本の憲法は、日本固有の歴史・伝統・文化を踏まえたものでなくてはならない」という屁理屈の布石である。この「日本固有の歴史・伝統・文化」の尊重とは、とりもなおさず、天皇制であり、天皇制を支えた家制度であり、男性中心の女性差別である。究極には、個人の尊厳ではなく、国家や全体主義社会を優越的価値とする為政者に好都合な秩序観のことである。
念のため、「自民党改憲草案」の前文(抜粋)を掲記しておこう。
「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。
日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。
我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。
日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。」
土俵は女人禁制、それこそは、長い歴史と固有の文化の所産であり、男性である天皇を戴く国家での当然のありかたである。日本国民は、「和」とされる上下・貴賤の秩序を尊び、家族や社会全体をこのヒエラルヒーに組み込んで国家を形成する。
自民党は、この良き伝統を墨守して、ここに、土俵は女人禁制の良俗を守り抜くことを宣言する。
自民党・安倍政権と相撲協会、まことによく似ているではないか。
(2018年4月6日)
本郷三丁目交差点をご通行中の皆さま、こちらは「本郷・湯島9条の会」です。昼休みのこの時間に平和を守るための訴えをさせていただいています。少しの時間、耳をお貸しください。
「森友学園」への国有地売却をめぐる「決裁文書」の改竄が明るみに出て、国会が揺れています。アベ政治の腐敗が露わになって、政権が軋んでいます。
改竄書面は、「貸付決議書」「売払決議書」「特例承認の決議文書」などの14点。78ページ、改竄個所は300個所にも及ぶものです。
改竄前にあって、不都合として削除された文章の中には、森友学園との交渉経緯に関連した「安倍昭恵首相夫人から『いい土地だから前に進めてください』とのお言葉をいただいた」との記述があったことも判明しました。籠池さんの、「日本会議大阪支部代表」の名刺のコピーも消されていました。
「不都合なことはなかったことにしよう」。これが、歴史修正主義者のやり口です。なるほど、公文書の改竄は歴史修正主義者・安倍晋三のやり口にふさわしい。
しかし、公文書とは何でしょうか。公文書管理法は、公文書を「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源として、主権者である国民が主体的に利用し得るもの」としています。公文書の正確さは、「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」の命です。これが改竄されて約1年。関係者がだんまりを決めこんでいたのです。朝日新聞のスクープがなければ、闇に葬られかねないところでした。
改竄は、なんのために行われたか。明らかに、安倍晋三と昭恵の夫婦をかばうためにです。
ご承知のとおり、安倍首相は昨年2月17日の国会答弁で、「私や妻が関係していたということになれば、まさにこれはもう私は、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめるということははっきりと申し上げておきたい。全く関係ないということは申し上げておきたいと思います」と明言しました。
ここから、文書の改竄が始まったのです。つまり、「私や妻が関係していた」という歴史は抹消しなければならない。そうしなければ、「もう間違いなく総理大臣も国会議員もやめ」ざるを得ないからです。
さあ、隠されていた文書が暴かれて、「妻が関係していた」ことが明らかになったではありませんか。ここに至っては、自分が国会で公言したとおりに、「総理大臣も国会議員も」やめていただくほかはありません。
今や、国民の怒りが爆発しています。「アベはやめろ」「アベ内閣は総辞職せよ」「アベ政治は、もう終わりにさせよう」という声が沸き起こっています。この声を政権打倒に結びつけようではありませんか。
森友学園事件とはなんだったのでしょうか。首相の妻が極右の教育者の教育方針に感涙した。首相自身もこれを容認していた。そのご威光を忖度した官僚によって、極端な右翼教育を掲げる小学校建設のために、国有地をただ同然で払い下げられたというものではありませんか。
加計学園問題とはなんでしょうか。これも、首相のお友達に、特別の便宜をはかって、所轄の文科省と農水省の反対を押し切って、官邸主導で半世紀ぶりに獣医学部の設置認可がなされたのです。手練手管を弄して、権力者のお友達に巨額の利益が転がり込むという薄汚い事件。
アベ晋三の、政治の私物化、行政の私物化そのものではありませんか。
こんなアベ政権に、日本国憲法の改正を論じる資格はありません。自民党は3月25日の党大会で、憲法改正の自民党原案を具体化すると言っていますが、とんでもない。とっとと退場してもらいましょう。
今や、森友・加計問題を徹底して追及することが、安倍内閣を退陣に追い込むことであり、アベ改憲を阻止することにもなっています。
私たちは、安倍晋三首相、即刻退場せよと声を大にして叫びます。
《安倍はやめろ!》《アベ政治を許さない!》と。
皆さん!全国の広範な市民と共に安倍政権の9条改憲の野望を断固阻止する大波を起こそうではありませんか!
そのための、《アベ9条改憲阻止・3000万人署名》にご協力をお願いいたします。!
(2018年3月13日)
なんともお寒い晩ですが、こんな日に雪の残る悪路を踏み分けて「『日の丸・君が代』強制に反対!板橋のつどい・18」に足を運んでいただき、まことにありがとうございます。本日は、「日の丸・君が代」強制拒否訴訟から見える憲法状況というタイトルで、1時間余のお話しをさせていただきます。
はじめに、「日本国憲法が危ない」ということについて認識を共有していただき、次いで「日の丸・君が代」強制拒否訴訟の到達点と現在の課題を確認し、そこから見えてくる自民党改憲案(「日本国憲法改正草案」)の問題点や、天皇退位と「明治150年」問題、そして最後に「アベ9条改憲問題」との関わりについて触れたいと思います。
まず申しあげなければならないのは、いま憲法は危機にあると言うことです。とりわけ、9条が、つまりは平和主義が危ないということです。
これまでも、度々憲法は危機にあると言われてまいりました。自民党は、立党以来自主憲法制定を党是とする改憲指向政党です。政権与党が改憲指向政党なのですから、これまでも憲法は、恒常的に危機にあったとはいえるでしょう。しかし、今日のように具体的な改憲スケジュールが提示されたことは、かつてなかったことです。
今、国民投票法があり、それに伴う国会法も整備され、憲法改正案を作成し国民投票を発議する手続は調っています。しかも、衆参両院とも、改憲勢力が議席数の3分の2を超えています。改憲勢力は今がチャンスと意気込んでいるのです。
いま、アベ晋三は9条改憲案を提示しています。憲法の遵守に、最も忠実でなくてはならない人物が、憲法の攻撃に最も前のめりになっています。2017年5月3日、アベは右翼の改憲集会にビデオ・メッセージを送り、9条改憲を提案しました。9条の1項と2項はそのままとして、第3項を加えることで「憲法に自衛隊を明記する」という、「加憲的9条改憲案」です。
12月22日には、自民党は正式に改憲案の整理を行いました。そのとりまとめでは4項目についての改憲案が提示され、そのうち9条改正については2案が併記されています。2案の違いは、9条2項を残すか削除するかの点。2項を残すアベ9条改憲案は、対案と比較してマイルドに見える仕掛けとなっています。
この提案には、種本があります。右翼のシンクタンク日本政策研究センターの機関誌「明日への選択」16年9月号の伊藤哲夫論文。この日本会議常任理事という肩書を持つ人物が、加憲的9条改憲案の発案者です。
彼は、「加憲」を「あくまでも現在の国民世論の現実を踏まえた苦肉の提案でもある」「まずはかかる道で『普通の国家』になることをめざし、その上でいつの日か、真の『日本』にもなっていくということだ」と、現実主義の見地からの妥協案であるとしていますが、実はそれだけではない。彼は、その狙いが「護憲派の分断」にあると明言しています。
自衛隊違憲論者と、専守防衛に徹する限り自衛隊は合憲であると考える勢力の間に楔を打って分断するのだというのです。アベは、これに乗ったわけです。この点の警戒が重要だと思います。
本年1月4日、アベは伊勢神宮での記者会見の年頭所感で改憲に意欲を見せ、1月22日の施政方針演説でも、改憲の論議を活発にと言っています。3月25日の自民党大会には両案併記だった9条改憲案を党内で一本化し、改憲諸政党(公・維・希)と摺り合わせて、今国会中に改正原案を作成し、国会に改正原案発議をすることになります。
衆院には100人の賛成を付すことで、『改正原案』が発議されます。本会議で趣旨説明のあと、衆院の憲法審査会の審議に付され、過半数の賛成で本会議に報告となり、本会議で3分の2以上の賛成で衆院を通過し、参院に送られます。同じ手続を経て参院も3分の2以上の賛成で通過すると、改正原案は国会の『憲法改正案』となって発議されて、国民投票にかけられることになります。国民投票運動期間として、60日?180日が設定されて、国民投票での過半数の賛成で憲法改正が成立することになります。
しかし、実はこのスケジュールは極めてタイトだと言わざるを得ません。2019年の後半には、重要な政治日程が立て込んでいます。元号・退位・即位の礼・大嘗祭・参院選・消費税値上げなど。とすれば、勝負は今年ということになります。改憲勢力としては、来年4月頃までに国民投票の実施に漕ぎつけたいところ。
今、超党派で提起されている「9条改憲阻止の3000万署名」の成否が鍵となります。改憲にこだわっていたのでは、参院選には勝てないという空気を作り出さねばなりません。
そして、来年の参院選では、改憲反対を掲げる野党の共闘によって改憲勢力を3分の2以下に落とすことは、前回参院選の結果から見て十分に可能だと思われます。
そのような憲法情勢を念頭に、「日の丸・君が代」強制問題から見えてくるものをお話ししたいと思います。
第1は、「日の丸・君が代」強制拒否訴訟の到達点と課題です。
私は、次のように、訴訟の時期の区分ができると思っています。
1 高揚期(予防訴訟の提訴?難波判決)
※再発防止研修執行停止申立⇒須藤決定(04年7月)研修内容に歯止め
※予防訴訟一審判決(難波判決)の全面勝訴(06年9月)
2 受難期(最高裁ピアノ判決?)
※ピアノ伴奏強制事件の最高裁合憲判決(07年2月)
⇒これに続く下級裁判所のヒラメ判決・コピペ判決
難波判決 高裁逆転敗訴(11年1月)まで。
3 回復・安定期(大橋判決?)
※取り消し訴訟(第1次訴訟)に東京高裁大橋判決(11年3月)
全原告(162名)について裁量権濫用として違法・処分取消
※君が代裁判1次訴訟最高裁判決(12年1月)
君が代裁判2次訴訟最高裁判決(13年9月)
君が代裁判3次訴訟最高裁判決(16年7月)
間接制約論(その積極面と消極面)
*「間接」にもせよ、思想・良心に対する制約と認めたこと
*2名の裁判官の反対意見(違憲判断) とりわけ宮川意見の存在
*多数裁判官の補足意見における都教委批判
残念ながら、「10・23通達」や懲戒処分の違憲判断は回避され、戒告処分の違法性は否定されました。他方、 減給・停職は裁量権濫用として違法とされ、裁判による取消が定着しています。これによって、当初石原教育行政がたくらんだ累積加重システムは破綻し、教員の抵抗は続いています。
訴訟が抱えている現在の課題について一言します。
第4次訴訟では、17年9月に一審判決があり、間もなく18年2月に控訴審第1回期日を迎えようとしています。
そこで、違憲判決を勝ち取る努力を続けています。
間接強制論は、国旗国歌への起立斉唱を、「儀式的行事における儀礼的所作」に過ぎないから、「思想良心への直接制約に該らない」といいます。しかし、果たしてそうでしょうか。今、権威ある宗教学者の助力を得て、「儀式的行事における儀礼的所作」が思想・良心の自由をいかに傷つけることになるかの意見書をまとめていただきました。近々、裁判所に提出し、これを基軸に判例を批判し違憲論を展開したいと考えています。
違憲論以外にも課題は山積しています。最高裁判例の枠の中で可能な限り憲法に忠実な判断を求めなければなりませんし、国際人権論からのアプローチも必要です。
そして、石原や小池のような右翼に都政を任せるのではなく、都政を都民の手に取り戻して、憲法の生きる都政を実現する運動が不可欠だと痛感しています。
第2 自民党改憲案(「日本国憲法改正草案」)との関わり
2012年4月の自民党改憲案は、かなりの程度にまで、自民党のホンネを語るものとなっています。その自民党改憲案第3条は、「(国旗及び国歌)とされ、
第1項 国旗は日章旗とし、国歌は君が代とする。
第2項 日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない。と明記されています。
自民党の公式解説(Q&A)では、さらに次のようになっています。
「我が国の国旗及び国歌については、既に「国旗及び国歌に関する法律」によって規定されていますが、国旗・国歌は一般に国家を表象的に示すいわば「シンボル」であり、また、国旗・国歌をめぐって教育現場で混乱が起きていることを踏まえ、3条に明文の規定を置くこととしました。
当初案は、国旗及び国歌を「日本国の表象」とし、具体的には法律の規定に委ねることとしていました。しかし、我々がいつも「日の丸」と呼んでいる「日章旗」と「君が代」は不変のものであり、具体的に固有名詞で規定しても良いとの意見が大勢を占めました。
また、3条2項に、国民は国旗及び国歌を尊重しなければならないとの規定を置きましたが、国旗及び国歌を国民が尊重すべきであることは当然のことであり、これによって国民に新たな義務が生ずるものとは考えていません。
国旗国歌法には盛りこむことができなかった国旗国歌(日の丸君が代)尊重の義務を憲法に書き込もうというのが、自民党のホンネなのです。
ここに見えるものは、「国権」と「人権」の相克における、国権至上主義にほかなりません。
そもそも、日本国憲法否定の「自主憲法の制定」が自民党本来の党是であり使命とされています。これを正直に述べた改憲草案こそがアベ自民のホンネ。石原・小池ら右翼のホンネでもあります。自民党の人権なし崩し策動に、一歩の譲歩も許してはならないと思っています。「日の丸・君が代」強制に対するたたかいは、そのような改憲勢力のホンネとの切り結ぶ局面だと思っています。
第3 天皇退位と明治150年
「日の丸」も「君が代」も、天皇制とあまりに深く結びついた歴史をもっています。否定されたはずの、天皇の権力や権威が再び利用されようとしている今、「日の丸・君が代」強制への闘いは新たな意味を持つに至っています。
※天皇の生前退位表明は、明らかに越権。
※明治150年のイデオロギー攻勢
※自民党改憲草案前文冒頭
「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。
※草案第1条 「天皇は、日本国の元首であり…」
※草案第4条(元号について)
「元号は、法律の定めるところにより、皇位の継承があったときに制定する。
解説(Q&A) 4条に元号の規定を設けました。この規定については、自民党内でも特に異論がありませんでしたが、現在の「元号法」の規定をほぼそのまま採用したものであり、一世一元の制を明定したものです。」
第4 アベ9条改憲問題との関わり
教育における国旗・国歌の強制とは、国家と国民の対峙の場において、国家の存在が国民の人権に優越するという全体主義思想の表れです。また、「日の丸・君が代」の強制とは、歴史的に國體思想(天皇崇敬)に無反省な公権力の行使として許されることではありません。
戦前の「日の丸・君が代」強制は、とりわけ戦時色が強くなって以来、学校と軍隊とで忠君愛国が強調され、「日の丸・君が代」は愛国のシンボルとなりました。
愛国心教育や民族差別教育とは、戦争をしようという国の常套手段です。「戦争は教場から始まる」という名言を今再度噛みしめなければなりません。戦争の歴史とあまりに深く結びついたこの旗と歌、その押しつけを許さないという抵抗は、アベ9条改憲への反対と通底するものがあるはずだと思います。
(2018年1月27日)
本日(1月21日)のNHK「日曜討論」は、「明日から通常国会 与野党論戦の焦点は」というタイトル。その番組紹介は次のとおり。
「通常国会が22日に召集され、論戦が始まります。各党は国会審議で何を訴えるのか? 予算案の評価は? 働き方改革は? そして憲法をめぐる議論は? 与野党の幹部が討論します。」
今次通常国会最大のテーマは、アベ改憲発議の有無とその内容だ。自民党は、国民に向かって、説得的に改憲案の内容と必要性を説明しなければならないが、改憲案の必要性を説得的に説明するなどは無理筋の話し。
NHKオンライン(NHKの公式ホームページ)によれば、本日の「日曜討論」では、「憲法改正について、自民党は自衛隊の存在を明記すべきだとして、3月の党大会までに党としての方針をまとめたいとしたのに対し、立憲民主党などは9条の改正には反対する考えを強調しました。」と述べている。
討論における各党の発言を眺めておこう。
自民党の柴山筆頭副幹事長は
「憲法学者の多くは、まだ、自衛隊は違憲だということを言っているので、混乱をなくすために自衛隊を明記することを、しっかりと進めていくべきだ。党大会がある3月の終わりには党の方針をなんとかまとめる方向で進めていけたらいい。与野党が衆参の憲法審査会でそれぞれの考え方を戦わせ、一定の方向性が見られればベストだ」
と述べたという。
「憲法学者の圧倒的多数が、自衛隊は違憲だと言っている」という自民党の認識は正確で、まことにそのとおりだ。しかも、それは今に始まったことではない。憲法学者に限らず、日本語をまともに読む能力のある者が憲法を素直に読んで、自衛隊の実態と照らし合わせれば、「正気の日本人の圧倒的多数が、自衛隊は違憲」だと判断するだろう。
だから、本来は憲法という規範に照らして、「違憲の自衛隊をなくす」「あるいは、縮小する」ことが正しい。少なくとも、これ以上は自衛隊を増強しないよう心がけなければならない。にもかかわらず、「混乱をなくすために自衛隊を明記することを、しっかりと進めていくべきだ」とは、「違憲の事実が明らかなようだから、憲法の方を変えてしまえ」ということではないか。何とご無体な。これが、自民党の憲法観。これでは何のための憲法か、存在の意味がなくなる。
公明党の斉藤幹事長代行はこうだという。
「憲法改正で最も大切なのは、やはり幅広い合意だ。衆議院、参議院それぞれで3分の2以上の賛成を得て、そのうえで国民投票にかけるので、国論を二分しない幅広い国民合意を作り上げていく姿勢こそ、今、われわれ国会に求められていると思う」
アベ自民よりよっぽど理性的で、真っ当な姿勢ではないか。もっとも、これまで何度も経験していることだが、いつの間にか大事なところで、自民党に擦り寄り屈服して変節する「下駄の雪」体質が、この党の政権にとっての利用価値。前回総選挙での国民の批判が骨身に応えているうちは、軽々にアベ自民の改憲策動に擦り寄ることはできまい。
立憲民主党の長妻代表代行は
「安倍総理大臣は、9条について『自衛隊を書き込んだとしても一切、武力行使の限界は変わらない』と言っているが、2項を削らずに自衛隊を明記しても違憲の議論は消えないので、説明自体が間違っている」
と述べたという。「9条2項を削らずに自衛隊を明記しても違憲の議論は消えない」はそのとおりだろうが、全体として、えらく理論的に難しいことをおっしゃる。もう少し、端的に分かり易くできないだろうか。
希望の党の岸本幹事長代理は
「安倍総理大臣は『9条に自衛隊を書き込んでも何も変わらない』と言っており、立法事実がない。立法事実がない改正はありえず、安倍総理大臣が言う9条改正には反対だ。議論はするが優先順位は相当、後ろにくる。期限を切る必要は全くない」と述べたという。
希望の党のこの発言はまことに興味深い。これまで、小池百合子党と見られたことが裏目に出て、権力に擦り寄る姿勢を批判されたことが堪えているのだ。右転落は、実は大きく支持を失うということ。この発言を読む限り、立派なものではないか。
民進党の川合幹事長代理は、
「9条の改正について、少なくとも、『国民の多くは安倍政権下で憲法改正することを望んでいない』という世論調査の結果も出ている。国民が望んでいないことに政府や政治が血道を上げ、発議を無理やり行うことが果たして適切なのか」
と述べたという。
「国民が望んでいないことに政府や政治が血道を上げ、発議を無理やり行うことが果たして適切なのか」は、まったくそのとおりだ。アベ政権の改憲路線に対峙する立場を明示するところなくては野党としての存在の意味はない。
共産党の小池書記局長は、
「自衛隊が書き込まれれば9条の1項と2項は死文化し、何の制約もなく海外で武力行使ができるようになる。憲法の不戦の概念が根本的に変わる。市民と力を合わせて絶対に発議を許さない」
と述べたという。
「自衛隊が書き込まれれば9条の1項と2項は死文化する」「憲法の不戦の概念が根本的に変わる」は、あり得ることだろう。「後法は前法を破る」のが原則なのだから。「市民と力を合わせて絶対に発議を許さない」には賛同する。
日本維新の会の馬場幹事長は、
「『9条が改正されれば戦争に巻き込まれるのではないか』という漠然とした不安を持つ人がいるが、根本的な原因は安全保障法制にあり、存立危機事態の中身を絞り込むべきだ」
と述べたという。
いかにも、獅子に対する狐の論理。「存立危機事態の中身を絞り込むこと」で、9条改憲に対する国民の不安を払拭しようというのが維新案。「一応9条改憲反対派」という立場。
自由党の森幹事長代理は、
「国家の私物化が強く疑われている安倍総理大臣が、権力を抑制する憲法の改正を提唱していくことに国民は怒らなければならない」
と述べたという。
各論における批判では、全面的な批判たりえず時間も足りない。ズバリと、核心を衝いたアベ政治への基底的な批判。そのとおりではないか。
社民党の又市幹事長は
「9条2項の戦力の放棄、交戦権の否認を有名無実化しようという狙いがあって、やろうとしているのは明らかだ」
と述べたとのこと。まったくそのとおりではないか。
9条改憲を狙っているのはアベ自民だけ。アベ自民の改憲提案は明らかに孤立している。アベ自民をさらに孤立させよう。たとえ保守でも真っ当な保守は9条改憲など主張してはいない。アベ君、もうキミの出番はない。アベ自民に引導を渡そう。
(2018年1月21日)
本日(1月17日)の毎日新聞夕刊、「私だけの東京・2020に語り継ぐ」欄に、作家・早乙女勝元のインタビュー記事が掲載されている。タイトルは、「散歩道を『寅さんの故郷』に」だが、やはりこの人だ。戦争の記憶と憲法9条に触れている。
「ばかの一つ覚えみたいに東京大空襲のことを書いてきました…。私の場合、亡くなった10万人という桁外れの人たちの声に押されてやってきたところがあります。それと空襲直後、級友を捜して歩いて見た光景です。隅田川沿いの桜並木に、吹き飛ばされた色とりどりの衣類がまとわりついて桜みたいだったり、人が焼け焦げた後に足袋の金属製のこはぜ(留め具)だけがたくさん残り、踏むとぷちぷちと鳴ったりしたのを鮮烈に覚えています。…殺された多くは民間人で主に女性と子どもです。鎮魂がすぐに広がらなかった…思い出すのは痛みを伴いますし、子どもが生き返るわけじゃない。かさぶたを厚くしておこうという気持ちが被災者にはあったんです。
でも、それでは、戦争の犠牲になるのは民間人だという史実が後世に伝わらない。政府は被災者には何の補償もせず、逆に空爆を指揮した米国軍人に勲章を与えました。「忘れよう」のままでは、なかったことにされかねない。
3月10日の一晩で10万人が死んだのが東京です。すべて戦争のせいです。その戦争を永久に放棄した憲法9条を改めるなどとなれば、死んでからも、お前は一体何をしてきたんだと言われそうな気がします。」
彼がいうとおり、日本の政府は軍人には累積総額で50兆円を上回る恩給を支払いながら、民間の被災者にはびた一文の賠償も補償もしていない。それだけでなく、政府は周到な準備によって一晩に10万人の民間人を虐殺した殺人者カーチス・ルメイに、勲一等旭日大綬章を授与している。1964年佐藤内閣の頃のことだ。これが戦争であり、戦争処理である。こんなことは、繰りかえし語り継がなければならない。絶対に戦争を繰り返させないために。
そしてまた彼がいうとおり、アベ政権によって「戦争を永久に放棄した憲法9条を改める」たくらみが進行している。このたくらみの切迫性と、予定されている手続について記しておきたい。もちろん、改憲手続を阻止の運動に資するために。
長く与党であり続けてきた自民党は、「自主憲法制定」を結党以来の党是としてきた。だから、これまでも度々の「憲法の危機」はあった。しかし、その都度国民の改憲阻止の運動がこの危機を克服し、戦後70年余の長きにわたって、日本国憲法は無傷で今日に至っている。その危機克服の過程において、国民は憲法を誇るべき我がものとし、血肉化してきた。国民が憲法を守り、その憲法が国民の人権や平和を守ってきたのだ。
ところが、「戦後レジームからの脱却」「日本を取り戻す」というスローガンを掲げて登場したアベ政権による憲法の危機は根深い。アベ晋三は、行政府の長として誰よりも憲法を守らねばならない立場にある。にもかかわらず、誰よりも憲法の改正に熱心で、危ういほど前のめりの姿勢なのだ。そのため、憲法改正手続のここまでの具体化は、日本国憲法が成立して以来、いまだかつてなかったことだ。政権を取り巻く右翼陣営は、「今こそ、憲法改正のチャンス」「安倍内閣の今を逃せば、永遠にその機会が失われる」という意気込みと悲壮感。憲法の危機とは、立憲主義の危機であり、国民の人権や民主主義、平和の危機ということでもある。
アベは、昨年(2017年)5月3日に、日本会議が主催した「憲法改正を求める集会」にビデオメッセージを寄せて改憲を提案した。「憲法9条1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む」というもの。「2020年を新しい憲法が施行される年にしたいと強く願っている」と改憲の時期まで明示する積極さ。
これを受けて、自民党憲法改正推進本部が、昨年暮れの12月20日に「論点整理」を発表した。改憲項目として4点があげられ、9条については次の2案併記となっている。
?9条1項2項を維持した上で、自衛隊を憲法に明記するにとどめるべき
?9条2項を削除し、自衛隊の目的・性格をより明確化する改正を行うべき
この第1案が、「安倍9条改憲案」あるいは「加憲的9条改憲案」と呼ばれる本命の案。いずれこの案に一本化される。第2案は、第1案をよりマイルドに見せる仕掛けに過ぎない。
近々、一本化のうえ条文化された具体的な「安倍9条改憲案」がとりまとめられる。とはいうものの、「自衛隊を明文で書き込む」にせよ、「自衛隊を憲法に明記する」にせよ、条文化の幅は広く、硬軟いくつものバリエーションが考えられる。
おそらくは、硬めの原案をまとめて公明党と摺り合わせ、少し柔らか目なところを落としどころとするのだろう。戦争法原案作りの手法だ。実は事前に両党間の裏取引ができていて、デキレースを見せつけられるのかも知れない。さらに維新や希望の党などの改憲勢力と摺り合わせ、その他の政党にも形だけは意見を聞いて、「憲法改正原案」を作成することになる。
こうして、改憲勢力諸政党間の意見の摺り合わせででき上がった「憲法改正原案」が、国会に提案される。提案は、衆院では100人、参院では50人以上の賛同者を必要とする。ここまでは自・公・維・希など改憲派諸政党間の水面下の動きが中心となる過程。そして、「憲法改正原案」が作成されると、舞台は国会に移ることになる。おそらくは、衆議院の先議となるだろう。
衆議院憲法審査会のホームページをご覧いただこう。
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/h27_shiryosyu.pdf/$File/h27_shiryosyu.pdf
「衆議院憲法審査会 関係資料集」の「3 憲法改正国民投票における手続の概要」(19頁・20頁)の図がとても分かり易い。学習会資料には不可欠のアイテム。
「憲法改正原案」提案者となった議員が本会議で趣旨説明のあと、衆議院憲法審査会に付託されて審議・公聴会を経て、過半数で可決されれば本会議報告となる。本会議での3分の2以上の賛成で可決されれば衆議院を通過し、参議院に送付される。参議院で同様の手続を経て、両議院ともに3分の2以上の賛成で可決されれば、国会がこれを憲法改正案として国民に発議する。
憲法改正案の発議と同時に、60日から180日の範囲とされる国民投票運動期間が始まり、これを経て国民投票が行われることになる。仮に有効投票の過半数の賛成があれば、憲法は改正となり、現行憲法と一体を成すものとして公布されることになる。
この過程を整理すれば、
(1) 今から「自民党案」の確定まで
現行の両案を一本化して条文化する作業。この成案が議論の出発点となる。
(2) 「自民党案」の確定から「憲法改正原案」の作成まで
政党間の協議が行われる。公明・維新・希望が世論の動向をどう読むかが鍵となる。
(3) 「改正原案」提出から「憲法改正案」の発議まで
審査会審査と決議(過半数)、本会議の議事と議決(3分の2)
(4) 両院による「憲法改正案の発議」から「国民投票」による承認と公布まで
最短60日から最長180日。
憲法改正案が国民に発議されたら、そこから国民の改憲反対運動が始まる、などと悠長に構えている余裕はない。改憲が発議されたら、カネを持っている側が、膨大な費用をかけて広報宣伝をすることになる。テレビCMも垂れ流しになる。発議させないための運動が重要。しかも「憲法改正原案」が作成されるまでが勝負どころというのが、運動に携わる者の一致した見解。
「9条改憲に手を付けたら世論から猛反発を受ける」「とうてい次の選挙を闘えない」と政治家や政党に思わせる目に見える運動が必要で、これが、いま超党派の市民が取り組んでいる3000万署名運動。「憲法9条を変えないでください」というシンプルな要請。
事態は既に緊迫している。ヤマ場は先のことではない。来年(2019年)には、参院選も、統一地方選も、天皇の代替わりも予定されている。改憲派は親天皇派でもあるのだから、スケジュールはタイトと言わなければならない。自ずと今年(2018年)がヤマ場とならざるを得ない。
そしてヤマ場となる今年に9条改憲反対の世論が沸騰すれば、来年の参院選で改憲派を敗北させて3分の2以下の議席に追い込むことが可能となるだろう。そうすれば、改憲は不可能となって9条改憲のたくらみが潰えることになる。今の日本人にとっての果報であるだけでなく、1945年3月10日に亡くなられた(正確には虐殺された)10万の東京下町の人々の魂も喜んでくれるだろう。それだけでなく、310万の日本人戦争犠牲者の鎮魂にもなろう。もちろん、2000万人と推定される近隣諸国の戦争犠牲者へも慶事として報告ができることになる。
(2018年1月17日)
文京区内で弁護士として仕事をしています澤藤大河です。
9条改憲にノーを突きつける3000万署名のスタートに当たり、その必要性や意義、効果、運動の進め方などについて、お話しさせていただきます。
まず、緊迫した情勢について認識を共有したいと思います。
自民党憲法改正推進本部が、暮れの12月20日に「論点整理」を発表しました。改憲項目として4点があげられ、9条については次の2案が併記されています。
?9条1項2項を維持した上で、自衛隊を憲法に明記するにとどめるべき
?9条2項を削除し、自衛隊の目的・性格をより明確化する改正を行うべき
この第1案が、私たちが「安倍9条改憲案」あるいは「加憲的9条改憲案」と呼んでいる本命のもので、第2案に比べればよりマイルドに見える仕掛けになっています。一見マイルドに見えるこの「加憲的改憲案」ならさしたる抵抗を受けることなく、すんなり国民に受け容れられるのではないか。安倍政権や自民党にはそのような思惑があるものと感じられます。これから、この案が条文化されて自民党案となり、安保法制のときと同様に、公明党と摺り合わせて与党案となり、さらに維新や希望の党などの改憲勢力と摺り合わせ、その他の政党にも意見を聞いて、「憲法改正原案」としておそらくは先議の衆議院に提出されることになります。
「憲法改正原案」は、本会議で趣旨説明のあと、憲法審査会に付託されて、過半数で可決されれば本会議での3分の2以上の賛成で衆議院を通過し、参議院に送付されます。参議院で同様の手続を経て可決されれば、国会が国民に発議して、国民投票が行われることになります。
改憲が発議されたら、そこから国民の改憲反対運動が始まる、などと悠長に構えている余裕はありません。改憲が発議されたら、状況は極めて厳しいものになることを覚悟せざるを得ません。国民投票運動は、原則自由です。自由は望ましいことのようですが、カネを持っている側は、膨大な費用でのCMや宣伝がやり放題です。既に、安倍政権はこのことを意識して芸能人の抱き込みを始めた感があります。
他方で公務員や教員などへは、その地位を利用した運動を禁止して締め付け、萎縮効果を狙っています。ですから、発議させないための運動が大切なのですが、これも「憲法改正原案」が作成されるまでが勝負どころと言わねばなりません。
「憲法改正原案」作成を許さない運動が必要で重要なのです。「9条改憲に手を付けたら世論から猛反発を受ける」「とうてい次の選挙を闘えない」と政治家や政党に思わせる目に見える運動、それが今提起されている3000万署名なのです。
事態は緊迫しています。ヤマ場は先のことではありません。「今年の暮れ」「来年の初め」などではなく、これから始まる通常国会が大事だと考えざるをえないのです。
この署名運動の担い手や対象の人々について、一言述べておきたいと思います。
私は、国民の憲法9条に関する考え方は、大別して3グループに分類できると思っています。
一方に、「自衛隊違憲論派」と名付けるべきグループがあります。伝統的左派や宗教的平和主義者、あるいはオーソドックスな憲法学者たちがその中核に位置しています。憲法9条の1項2項を文字通りに読んで、その武力によらない平和を大切に思う人々。このグループは、今ある自衛隊は違憲の存在だと考えます。
その対極に、「海外派兵容認派」とでも名付けるべきグループがあります。「軍事大国化推進論派」と言ってもよいでしょう。軍事的な強国になるべきが最重要の課題と考え、自衛隊を国防軍とし、集団自衛権行使を肯定する、安倍政権の無条件支持派です。日本会議などの右翼をイメージすれば分かり易いはずです。
しかし、この両翼だけではなく、その中間に最も大きなグループがあります。
今ある自衛隊は、いざというときの防衛のために存在を認める。しかし、これ以上自衛隊を大きくする必要はないし、海外に進出して武力の行使をする必要はない、と言う人々。集団的自衛権行使は否定し、専守防衛に徹すべしというグループです。実は、政府の公式見解も、3年前まではこの考え方でした。
安保法制反対運動では「自衛隊違憲論派」と「専守防衛論派」とが共同したことによって、大きな運動となりました。この両者の共闘で、「海外派兵容認派」と対決したのです。
今度の9条改憲反対運動でも、同様の構図を描かなければなりません。その場合のポイントは、専守防衛派の人々にも、9条改正の必要はないことを理解してもらうことになります。いやむしろ、安倍9条改正を許すと、専守防衛を越えた軍事大国化や海外派兵の危険性があるということの訴えが必要だと思うのです。
そのことを意識して、本日のお話しのポイントは次のようなものとしました。
☆憲法とは何か、憲法を変えるとはどういうことかについての基本の理解。
☆安倍改憲によっていったい何が起こるか
9条改憲がなされたらどうなる?
☆署名運動のなかで、出てきそうな疑問や意見と、それにどう答えるか
実践的やりとりについて
☆署名運動の影響力について
まずは、憲法とはなにかということですが、
形式的に「憲法」と名前が付けられた法律というだけではまったく意味がありません。「国家統治の基本を定めた法。政治権力とそれを行使する機関の組織と作用及び相互の関係を規律する規範。」などと言っても、大して変わりはありません。
私たちが憲法と呼ぶものは、「立憲的意味の憲法」なのです。「自由主義に基づいて定められた国家の基礎法」、あるいは、「専断的な権力を制限して広く国民の権利を保障するという立憲主義の思想に基づく憲法」でなくてはなりません。よく言われているとおり、立憲主義とは「国家権力を憲法で縛る」思想です。日本国憲法は、そのような立憲主義憲法にほかなりません。
2018年初頭、安倍は、内閣総理大臣年頭記者会見で、「憲法は、国の未来、理想の姿を語るものであります。」と言いました。大間違いです。法学部の試験なら落第です。
日本国憲法第9条は、こう言っています。
1項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
内閣総理大臣は、この条文を誠実に守らなければなりません。憲法に縛られるのです。意に染まない憲法だから、変えてしまえとは、とんでもない発想と言わねばなりません。
ところで、憲法9条をどう変えるか。自民党の具体的な改正条文案は未定です。昨年末までにはできるという報道がありましたが、「自衛隊を憲法に位置づける」を具体的に条文化するとなると結構難しいのです。
改憲条文案予想の1は、シンプルに次のようなものです。
9条第3項 自衛隊は、前項の戦力にはあたらない
しかしこれでは、ここでいう「自衛隊」って何?という問題が出てきます。多くの人は、現状の自衛隊と思うかもしれないが、その内容はここで定められていません。行動範囲、や装備に歯止めを掛けることになりません。
予想の2は、
9条第3項 前二項の規定は、国が外国から武力攻撃を受けたときに、これを排除するための必要最小限度の実力の行使を妨げるものではなく、そのために必要な最小限度の実力組織を前項の戦力としてはならない
これだと、集団的自衛権の行使がまったくできなくなります。
安倍改憲派に認識が乏しいのですが、現在の国際法において武力行使ができるのは、国連憲章第51条が定める「自衛権の行使」をするときに限られます。憲法98条2項は、国際法・条約を誠実に遵守することを求めているから、「自衛権の行使」を超えた武力行使は、そもそも国際法上許されないのです。
そこで、正確に言おうとすれば、元内閣法制局長官だった阪田雅裕さんが言うように、9条1項・2項に続けて…。
第3項 前項の規定は、自衛のための必要最小限度の実力組織を保持することを妨げるものではない。
第4項 前項の実力組織は、国が武力による攻撃を受けたときに、これを排除するために必要な最小限度のものに限り、武力行使をすることができる。
第5項 前項の規定にかかわらず、第3項の実力組織は、わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされる明白な危険がある場合には、その事態の速やかな終結を測るために必要な最小限の武力行使をすることができる。
何とも、いいかげんにしろ!と言いたくなるような複雑さ。
さて、明文改憲されたらどうなるでしょうか。
制限規範から根拠規範へ
つまり、自衛隊に関しては、「これはできない」ではなく、「あらゆることができる」へ原則が変わることになります。
たとえば、自衛隊に対する国民の協力義務という問題があります。自衛隊からみれば国民に対する協力要請を求める権利の問題です。
武力攻撃事態等における業務従事命令には、現在従わない場合の罰則はありません。しかし、自衛隊が憲法上明記される組織となれば、従わない場合の罰則が設けられることになるでしょう。
自衛隊のための土地収用も可能になるでしょう。
1889年の旧土地収用法2条1号では
「国防其他兵事ニ要スル土地」が収容対象に挙げられていました。
しかし、新憲法下の1951年の土地収用法では軍事目的収用は削除されました。
だから、成田空港という民間空港の土地収用はできても、自衛隊の百里基地の滑走路については、土地収用ができません。いまだに、副滑走路が、くの字に曲がったままです。9条改憲が成立すれば、おそらくこのくの字の滑走路は真っ直ぐ伸びることになるでしょう。
戦時中にできた陸軍成増飛行場の例があります。今は、光が丘団地になっているところ。
首都防衛に必要として、1943年6月24日、該当地区の関連地主約500人が、印鑑持参で区役所に呼び出され、買収契約が強制調印され、居住する約60戸に対し、8月末までに立ち退くよう申し渡されたということです。土地は時価より高額で買い取られたが、農作物の補償はなく、移転費用は現物支給であったそうです。7月には赤羽工兵隊成増大隊(臨時編成)が駐留開始。8月には荒川作業大隊その他諸動員隊が駐留開始。同年12月21日には飛行場が完成。これが、軍隊のやり方です。
軍事機密保護法の制定も必要になります。
軍法会議も設置されます。
このことは、自民党「日本国憲法改正草案」(2012年4月)に、
「国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪または国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に審判所を置く」と明記されています。
どちらも、「普通の」軍隊になるために必須のアイテムです。
軍事産業が拡大し、それに伴って軍学協同体制が拡大するでしょう。
軍事セクターが巨大化し。歯止めがきかない事態になります。
今でさえ、閣議決定で、あっという間に数千億円の防衛予算が付いてしまいます。
ジブチでこんなことがありました。
アフリカのソマリア沖での海賊対処を理由に自衛隊がジブチ共和国内に設置しているジブチ基地で、業務委託企業が雇用するジブチ人労働者の解雇をめぐる労働争議に対し、自衛隊が装甲車と銃で威嚇し、排除していたことが25日、現地関係者らへの取材で分かりました。(山本眞直)
2016年6月14日、自衛隊から営繕や調理などの業務委託を受注していた元請けのT企業が、下請け委託業者を予告なしに契約解除しました。新規に業務委託を受けたF企業(本社・横浜市)は7月24日、前下請け企業のジブチ人労働者全員の雇用を拒否すると表明しました。
ジブチ人労働者でつくる日本基地労働者組合(STBJ)によれば、全労働者(約90人)がこれに抗議し、ジブチ労働総同盟(UGTD)の支援を受けストライキで抵抗。
同24日、解雇撤回を求めて基地に入ろうとした際、自衛隊は基地正門付近で、装甲車2台と銃を構えた自衛隊員約30人が威嚇し排除した、といいます。
2017年10月26日「赤旗」報道
この人たちが、日本に帰国して、労働組合や労働争議を見る目がどうなるのだろうか。たいへん気になるところです。軍隊が民衆の運動や労働争議弾圧に使われる例は、けっして珍しいものではありません。
また、改憲後の軍事予算の膨張が気になるところです。
米国日本に迎撃弾売却へ 改良型SM3、総額150億
【ワシントン会川晴之】米国務省は9日、日米が2006年度から共同開発してきた弾道ミサイル防衛(BMD)用迎撃ミサイル「SM3ブロック2A」の日本向け輸出を承認し、米議会に通知した。ブロック2Aの輸出承認は初めて。国務省は「日本の海上自衛隊の防衛能力向上に貢献する」と意義を強調した。
北朝鮮の核・ミサイル開発加速を背景に、トランプ米政権は日本に米国製武器の購入を求めており、これが第1弾となる。ミサイル4発や、発射機Mk29などが対象で、販売総額は1億3330万ドル(約150億円)を見込む。このほか、日本は1基当たり約1000億円の陸上配備型の迎撃システム「イージス・アショア」や、最新鋭ステルス戦闘機F35の追加導入を検討している。
弾頭を覆う先端部分のノーズコーンや2段目のロケットエンジンなどに日本の技術を利用している。速度が増すため、短中距離ミサイルより高速で飛ぶ大陸間弾道ミサイル(ICBM)の迎撃や、ミサイル発射直後の「ブースト段階」での迎撃にも利用できる可能性がある。米ミサイル専門家は「BMD能力が飛躍的に高まる」と指摘している。
当初は16年度中に導入を予定していたが、開発が遅れていた。17年2月にハワイ沖で初実験に成功したものの、6月の2度目の実験では迎撃に失敗した。米国防総省はミサイル本体などではなくコンピューター設定など「人為ミス」が失敗の原因と説明している。
毎日新聞2018年1月10日
オスプレイの購入
米国防総省は5日、垂直離着陸機V22Bオスプレイ17機と関連装備を日本に売却する方針を決め、米議会に通知しました。
同省の国防安全保障協力局(DSCA)によると、価格は推定で総計30億ドル(約3600億円)。2015年度の社会保障予算削減分3900億円に匹敵する金額です。
日本政府はオスプレイの購入価格として1機あたり100億円程度を想定しており、15年度軍事費に計上した購入経費も5機分で516億円でした。しかし、米側の提示した価格は1機あたり約212億円で、想定の2倍以上です。
米国製オスプレイの最初の輸出先はイスラエルの予定でしたが、同国が昨年末にとりやめたため、日本が最初の輸入国になる見通しです。このままでは、消費税増税分が社会保障費ではなく、米国の軍需産業を潤すという、異常な対米従属政治になりかねません。
DSCAが通知したのは最新鋭のブロックCで、米海兵隊普天間基地(沖縄県宜野湾市)に配備されているMV22Bオスプレイと同世代です。また、日本側が売却を求めていた関連装備としてロールスロイス社製エンジン40基や通信・航法システムなど12品目、予備の部品などを挙げました。
防衛省は19年度から陸上自衛隊にオスプレイ17機を順次配備し、佐賀空港を拠点とする計画です。
DSCAは「V22BブロックCの売却は陸自の人道支援・災害救助能力や強襲揚陸作戦の支援を高める」と指摘。同機の配備が、自衛隊の「海兵隊」化=強襲揚陸能力の向上につながるとの考えを示しました。
また、DSCAは日本へのオスプレイ配備には「何の困難もない」と述べています。しかし、佐賀空港を抱える地元の佐賀市は「(空港の軍事利用を否定している)公害防止協定が前提だ」(秀島敏行市長)との態度を崩していません。
さて、署名運動は国民との対話です。そのなかでいろんな議論が出てくると思います。その会話に出てきそうな疑問や意見と、それにどう答えるかのやりとりについて、少し考えてみましょう。実践の中で、経験を持ち寄って再度練っていけばよいと思います。
まずは、抑止力論です。自衛隊はあつた方がよい、大きければ大きいほどよい。強ければ強いほどよい。それが抑止力となって平和をもたらすのだから、などという議論。
浅井基文先生が力説されるところですが、抑止とは、元々は”deterrence”(デタランス・威嚇させて恐れさせること)の訳語で、厳格な定義のある軍事用語です。国家が敵国からの攻撃を効果的に未然に防ぐために報復という脅迫を使う軍事戦略で、核兵器の正当化のために作られた概念と言われます。
「報復する能力」と「報復する意志」の双方が必要で、ソ連脅威論の中で、「報復による脅迫」では受け入れられないと考え、「抑止」という誤訳を意図的に作り出し、アメリカの核の傘に入る1985年の防衛白書から表面化しました。
ですから、デタランスは最小限度の軍事力ではなく、相手を脅迫するに足りる武力を想定するものです。両当事国の双方がそう考えれば、限度のない軍拡競争に陥るだけのことになります。
国連憲章第51条は武力攻撃が発生した場合に限り、しかも暫定的に自衛権の行使を認めるのですから「抑止」の観念は認めません。また、日米韓は武力攻撃がなくとも、必要に応じて自衛権を行使すると言っています。軍事力と軍事同盟が、平和をもたらしているのではなく、明らかに緊張を増しているではありませんか。
(中略)
軍事的均衡は防御側不利で、軍拡競争には、日本は経済的にも耐えられません。
アンサール・アッラー(フーシ派)の弾道ミサイル保有数は、100発とも300発ともいわれます。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は1000発以上保有といわれています。一発への対応に100億円かかるとすれば、合計10兆円。それでも、完全に迎撃できるわけではない。武力に武力で対抗することは、無意味というほかはありません。「抑止」にもならないのです。
最後に、原水爆禁止署名についてです。1945年の広島、長崎の被爆があったから、日本で原爆反対の運動が起こったわけではありません。1954年第5福竜丸の被爆で、久保山愛吉さんが犠牲になるというショッキングな出来事があって、杉並区の主婦のグループが始めた原水爆禁止署名が、3200万筆を集めて原水爆禁止世界大会を実現し、被爆者救済へ社会の耳目を集め、世界的運動の中核になったのです。この運動は、米国の対日政策の変更をうながし、非核3原則を国是とし、昨年の核兵器禁止条約の採択やノーベル平和賞にまでつながっています。
平和をつくった署名活動としての学ぶべき前例だと思います。自信をもって、署名を進めようではありませんか。
(2018年1月13日)
A おや、いったいどうした? 新年早々、目が血走っているんじゃないのか。
B 今年は、9条改憲阻止決戦の年じゃないか。のんびりなどしておられるわけはなかろう。
A まあ、落ち着けよ。どうしてそんなに焦っているんだ。
B あのアベが、唐突に9条改憲案を口にしたのが、昨年(2017年)の5月3日。右翼の集会でのことだ。彼のスケジュールは、「2020年を新しい憲法が施行される年にしたいと強く願っている」というものじゃないか。そのためには、今年2018年が天下分け目の決戦の年になる。もうすぐ始まる今年の通常国会から、闘いは始まる。実のところ、緒戦がヤマ場だ。改憲発議原案をつくらせない運動は、待ったなしだ。
A 右翼の集会って、あの日本会議の「公開憲法フォーラム」のことだね。櫻井よしこが講演をして、安倍晋三がビデオメッセージで9条改憲を口にしたというあれ。あんなところでの改憲決意やスケジュールの発表がそもそも異様だが、それにしても、天下分け目とは大仰じゃないか。
B 昨年10月の総選挙では「改憲派」議員が8割を超えたとされる。衆参両院に、改憲発議のための憲法審査会が設置されている。改憲手続き法もできている。自・公と維新が数を恃んで強行すれば、改憲発議ができる情勢になっているではないか。
A とはいえ、保守勢力が70年余にわたって、やろうとしてできなかった憲法改正。発議をして、国民投票で否決されれば、確実に安倍のクビは飛ぶ。今後何十年も憲法に手を付けることができなくなるだろう。しかも、小選挙区制のマジックで改憲派が議席の多数をとったが、国民世論は改憲に否定的だ。安倍一派が、性急にことを起こすとは考えにくいんじゃないか。
B そうでない。アベを取り巻く右翼の連中には、今こそ千載一遇のチャンスという読みがあると思う。あるいは、アベが政権の座に就いている今を措いて改憲のチャンスはない、との読み。多少の無理を承知で、改憲発議に突っ走る可能性は高い。
A そうは言っても、安倍が提案した「96条改憲」も、「緊急事態条項改憲」も、世論によってつぶされている。安倍のホンネの本命が9条改憲による軍事大国化にあることは周知の事実だが、常識的にそれは難しかろう。
B 問題は安倍の変化球だ。「戦争放棄をうたった9条1項と戦力不保持を定めた2項を堅持した上で、自衛隊の存在を明記する条文を加える」という改正案。これなら大した実害はないと国民をごまかす効果を否定できない。
A それはそうかも知れない。これまでの自民党憲法改正草案は、「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない」という憲法9条2項を全文ばっさり削って、国防軍を新設しようとするものだ。それと比較すれば、現行の9条には手を付けず、自衛隊を憲法に位置づけるだけという安倍の改憲案は、格段にマイルドに見える。
B 自民党憲法改正推進本部が昨年暮れの12月20日に発表した「憲法改正に関する論点取りまとめ」でも、安倍の「9条1・2項存置・自衛隊条項加憲案」と、石破らの「9条2項削除論」とが両論併記となっている。こういう手法で、安倍の加憲的9条改憲提案を、おとなしいものに見せている。
A それはそのとおりだが、むしろ安倍のホンネであるゴリゴリの軍事大国路線では世論を動かすことができないという、彼らの弱さのあらわれではないのかな。
B それが、いつもながらのキミの甘さだ。9条2項をそのまま置いたとしても、「集団的自衛権行使を容認された自衛隊」が憲法に書き加えられれば、9条2項は上書きされて死文化してしまう。自衛隊は、日の当たる場所に躍り出て、一人前の軍隊としての存在となる。編成・装備・人員・予算の制限はなくなる。自衛隊は実質的に軍隊となり、国防の危機を煽って攻撃的な兵器を要求し、近隣諸国との軍事緊張を高めることになる。
A それこそ、いつもながらのキミの早急な決め付けだ。自衛隊は、法律にはその存在が明記されている。それを憲法に書き込んだとたんに性格が変わってしまうことにはならないだろう。むしろ、自衛隊の存在をきちんと認めた上で、その膨張や暴走に歯止めを掛けることが大切ではないのか。その観点からは、自衛隊を憲法に書き込み、同時に海外派兵をしないこと、侵略的な兵器をもたないこと、シビリアンコントロールに服することなどを憲法にしっかりと書き加えることも、考えられるのではなかろうか。
B 安倍内閣が集団的自衛権の行使を容認する戦争法を提案したとき、キミも「安倍内閣は憲法を守れ」と声をあげ、一緒に行動したではないか。改憲派に、宗旨を変えたのか?
A そうではない。ボクは、憲法を大切に思っている。だからこそ、安倍内閣が戦争法案を国会に提出したときには、立憲主義の危機だと思った。集団的自衛権の行使という名での戦争を行うこと、巻き込まれることは平和の危機だとも思った。だから、真剣に法案反対の運動に加わった。 ところが、キミの理解だと自衛隊は憲法違反ではないということだ。やはり大甘の議論だと思うね。いま、自衛隊の膨張や、暴走に歯止めを掛けているのは、軍事力の保有を認めない9条の存在だ。自衛隊の根拠規定が憲法にないことだといってもよい。自衛隊が、「陸海空軍その他の戦力」に該当するほどの軍事的実力をもつことになれば、あるいは自衛権行使の範囲を逸脱した実力行使があれば、たちまち違憲となる。これが重要なことではないか。
A いや、自衛隊は日本を防衛する実力装置として、国民に深く信頼され、根を下ろしている。今さら、違憲の存在として放置してはおかれないものと思う。最大の問題は海外派兵や侵略戦争を絶対にさせないこと、そして自衛隊の際限のない拡大や防衛予算にどう歯止めを掛けるかということだろう。自衛のための自衛隊は今でも違憲ではないと思うし、憲法を改正して自衛隊を認めてもいいんじゃないのか。
B ボクは、前文と憲法9条が指し示す日本国憲法の平和主義は、武力による平和を否定する思想に基づくものと理解している。「平和を望むなら自国を防衛する武器を磨け」という思想の破綻という現実から9条が生まれた。「平和を望むなら武器を捨てよ」「我が国がまず武器を捨てるから、貴国も捨てよ」という思想が実定憲法となった。これを大切にしなければならない。
A それは理想論としては理解するが、現実の国際政治では通用しない。多くの国民が、そのような危険な実験をしてみる気にはならないだろう。私は、どうしても自衛のための最小限の実力は必要だと思うし、日本国憲法がその実力保持を禁じているとは思えない。
B 「専守防衛」に徹する「最小限度の実力組織」として自衛隊の存在は認めるというキミの立場は、1954年自衛隊法成立から、アベ倍が内閣法制局長官をすげ替えるまでの自民党政権の一貫した見解でもあった。しかし、専守防衛に徹すると言いながら、自衛隊は次第に巨大化し、また米軍との一体化を強める中で、その性格を変えてきたでないか。戦争法が成立した今、自衛隊は「専守防衛」でも、「最小限度の実力組織」でもなかろう。
A 私は立憲主義を尊重する立場で、専守防衛に徹する自衛隊は合憲と考えている。だから、安倍内閣の戦争法には反対をつらいたし、その法律の廃止を求める立場だ。
戦前のような富国強兵策を支える軍隊をもつ必要はないが、自衛権行使のための再使用限度の実力部隊は必要と考えざるをえない。自衛隊は、まだ他国に攻撃する編成や装備をもっているとまでは言えない。かろうじて、「専守防衛」に徹する「最小限度の実力組織」といえると思う。
B キミとボクとの間には、憲法の理解に相当の隔たりがあるけれど、アベ政権の戦争法反対運動には一緒に参加してきた。今度のアベの加憲的9条改憲には賛成なのか反対なのか?
A 正直なところ、すこしの迷いがある。立憲主義を尊重すべきだとするボクの目からは、憲法理念としての9条文言と、現在の自衛隊存在の現実との乖離は確かに大きくなっている。現実に合わせて憲法を変えるか、理念に合わせて自衛隊の現実を変えるかを考えなくてはならない。両方ともに選択肢としてはあり得るが、ボクは当面9条改憲反対を貫きたいと考えている。その何よりの理由が、安倍晋三という人物を信用することができないからだ。安倍晋三を取り巻く人脈の胡散臭さに不安を感じずにはおられない。
ボクは、当面これ以上自衛隊を大きくすることは不要だし、国防予算はもっと削ってよいと思っている。だから、安倍晋三のような、声高に戦後レジームを否定し、強い・美しい日本を取り戻すなどという政権が退場して、もっと落ちついた為政者の時代になれば、その時点で慎重に憲法改正の是非を考えたい。それまでは、キミたちと一緒に、安倍9条改憲に反対するつもりだ。
B 提案された憲法改正案には、是か非か、賛成か反対か、二つに一つの返答しかない。ということは、賛成派も反対派も、一つの思想や理念・立場でまとまったものであるはずはない。アベ9条改憲反対の理由がたったひとつであるはずはなく、多くの考え方の潮流の参加が必要だと思う。
ボクは、憲法9条は一切の武力保持を禁止していると思うが、専守防衛派のキミたちと一体となったから戦争法反対の大きな運動ができたと思っている。アベ9条改憲提案は、明らかに、これまでの護憲派を、「自衛隊違憲論者」と「自衛隊合憲論者」に分断しようという策となっている。アベのブレインは、露骨にそのことを述べてもいる。
A 私の立場は、「自衛隊合憲論」だが、それは専守防衛に徹した本当の意味の「自衛」組織必要論だ。だから、米軍の要請あれば海外にも出よう、武器使用も認めよう、もっともっと軍事力を増強しよう、沖縄の米軍基地も強化しようという安倍政権とは考え方が根本からちがう。安倍晋三の日本を軍事大国化しようという路線には絶対反対だ。
B その点が確認できれば安心だ。平和を築くためには本当に武力が必要か、これからも議論を重ねよう。議論をしつつも、3000万署名の請願のとおり、「憲法第9条を変えないでください」と一緒に言い続けよう。
A 武力不必要論で、現実に日本の領土や国民の安全を守ることができるのか、その議論を重ねつつも「憲法第9条を変えないでください」と一緒に言い続ける、それはけっこうだ。
(2018年1月13日)
ご通行中の皆さま、こちらは平和憲法を守ろうという一点で連帯した行動を続けています「本郷・湯島九条の会」です。私は、近所に住む者で、憲法の理念を大切に、人権を擁護する立場で弁護士として仕事をしています。
本日(1月9日)、正午から1時まで、ここ本郷三丁目交差点「かねやす」前で、恒例の訴えをさせていただきますが、本日は、「安倍9条改憲NO! 憲法を生かす全国統一署名」の呼びかけのために、「3000万署名推進 ! 文京アクション」の皆さんと、共同しての行動です。
「安倍9条改憲NO! 憲法を生かす全国統一署名」とは、今、安倍首相が発案した「安倍9条改憲」を許さず、改憲ではなく現行憲法の精神を生かした政治を行っていただきたいという、内閣総理大臣と衆参両院の議長に宛てた請願署名です。私たちは、3000万筆の賛同署名を集めることで、9条改憲のたくらみを阻止できるものと考えています。3000万筆の賛同署名は、それにとどまらず、圧倒的な9条改憲反対の世論をつくりだし、平和を求める今後の運動の土台を築くことになるはずです。
お願いしております署名は、とてもシンプルな2項目です。その第1項が、「憲法第9条を変えないでください」で、第2項は、「憲法の平和・人権・民主主義が生かされる政治を実現してください」というもの。
みなさまご存じのとおり、昨年(2017年)5月3日の憲法記念日に、安倍晋三首相は唐突に、「新たに憲法9条に自衛隊の存在を書きこむ」「2020年に新憲法施行をめざす」と言い始めました。この発言を受けて、9条改憲への動きが急速に強まっています。本来、憲法を守らなければならない立場の首相が、今の憲法は自分の意に沿わないからと、改憲を提案しているのです。しかも、こともあろうに、9条の改憲です。とんでもないことと言わねばなりません。
安倍さんは言います。「今ある9条の1項と2項はそのまま残します。その上で、憲法9条に自衛隊の存在を書きこむのですから、何も現状と変わるところはありません」。しかし、何も変わるところがないのなら、あえて憲法改正など不要なのです。やはり9条は変わることになるのです。自衛隊の性格も、日本の防衛政策も。
憲法第9条2項は、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」「国の交戦権は、これを認めない」と定めています。私は素直に、自衛隊は陸海空軍を揃えた「戦力」にほかならず、違憲の存在だと考えています。しかし、「自衛隊は「戦力」にあたらず、違憲の存在ではない」と考える人々もいます。いわゆる、「専守防衛派」というべき人たちです。国にも自衛権というものがあるはずだから、万が一、侵略を受けるようなことがある場合に備えて、自衛のための実力組織は必要で、そのような自衛権行使のために徹している実力組織は「戦力」にあたらず違憲ではないというのです。
このような考えの人たちも、9条の存在が、自衛隊の性格や行動や規模に歯止めを掛ける重要な役割を果たしていることを評価して、9条改憲には反対してきました。これまでの改憲反対運動が大きな規模になり得たのは、自衛隊違憲論者と専守防衛論者とがともに「9条改憲反対」で統一した行動を作りあげたからです。
このことが、「軍拡反対」「集団的自衛権行使容認反対」「沖縄米軍基地拡張反対」などの具体的なテーマでの共同行動を可能にしてきたところでもあります。
ところが、「安倍9条改憲」は、あきらかに、これまで積み重ねられてきた「9条改憲反対運動の共闘」に分断を持ち込もうというたくらみにほかなりません。別の言い方をすれば、「自衛隊違憲論者の孤立」を狙った攻勢なのです。
憲法には武装組織の存在を認める規定はありません。「戦力」の保持は明文で禁じられています。9条にも自衛隊を認める規定がないからこそ、自衛隊は「戦力」ではないことの自己証明を宿命づけられています。自衛の範囲を越える武器は持てません。ICBMも空母も、もちろん核兵器も。他国に出兵することもできませんし、「敵」国からの侵略が現実化する以前に防衛出動することもできません。
憲法9条は、戦後70年以上にわたって、日本が海外で戦争をしてこなかった大きな力の源泉です。いま、9条を変えたり、新たな文言を付け加えたりする必要は全くありません。私たちは、日本がふたたび海外で「戦争する国」になるのはゴメンです。
安倍首相を先頭にする、軍事大国化路線、防衛費拡大政策を阻止して、集団的自衛権行使容認の戦争法を廃止することが今の課題です。その課題では、自衛隊違憲論派も、専守防衛派も、手をとりあって共闘することができるのですし、大切なことだと思います。安倍首相の思惑に乗せられて、自衛隊違憲派と、自衛隊容認派が分断させられるようなことがあってはなりません。ともに憲法9条を大切にする立場から、この署名運動に取り組もうというのです。
日本を戦争の出来る国にしないために、3000万人署名に取り組もうという運動が全国の津々浦々に起こりつつあります。
文京区では、今週の土曜日、1月13日13時30分?15時30分に、文京区民センター2A集会室を会場に「安倍9条改憲NO! 3000万署名スタート集会」を開催いたします。
メインの演者として、新進気鋭の地元の弁護士澤藤大河が講演をします。
ぜひご来場ください。
(2018年1月9日)