澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「漁民のための漁業法」から、「資本のための漁業法」に ― アベ政権の水産改革批判(その1)

11月6日、政府は「漁業法等の一部を改正する等の法律案」を閣議決定するとともに、国会に上程した。

次のように「改正の趣旨」が説明されている。

「漁業は、国民に対し水産物を供給する使命を有しているが、水産資源の減少等により生産量や漁業者数は長期的に減少傾向。他方、我が国周辺には世界有数の広大な漁場が広がっており、漁業の潜在力は大きい。適切な資源管理と水産業の成長産業化を両立させるため、資源管理措置並びに漁業許可及び免許制度等の漁業生産に関する基本的制度を一体的に見直す。」

私には、次のように読めてしまう。

「漁業は、国民の水産物需要に対する供給産業として魅力的な利潤追求の場であるところ、現行の規制だらけの水産行政では参入が不自由だし魅力に乏しい。しかし、資源の減少等により生産量や漁業者数は長期的に減少傾向にある今こそ、規制緩和による資本参入の絶好のチャンス。我が国周辺には世界有数の広大な漁場が広がっており、儲けのための漁業の潜在力は大きい。参入規制を排して、《適切な資源管理》と《水産業の成長産業化》を両立させるとの名目をもって資本が自由に活動できるよう、資源管理措置並びに漁業許可及び免許制度等の漁業生産に関する基本的制度を、外部資本のために抜本的かつ一体的に見直す。」

これは、「アベノミクス」の一端としての「水産改革」における法的整備である。資源管理措置、漁業許可・免許制度等の基本的制度を見直すって? いったい何をどう見直すというのか。誰のために、何を目指して? 貫く理念はなんなのか? 問題は根が深く大きい。「アベ政権が出してくる法案だ。どうせ碌なものではない」という程度では看過し得ない。重大な危険を孕んだ法案として、反対の立場を明確にしておきたい。

私は、「浜の一揆」訴訟を担当する中で、漁民と接し漁業の実態に触れる機会を持つようになって驚いている。あまりに急速な浜の衰退に、である。漁業人口の減少と、漁家の収入の低下、そしてそれがもたらす後継者不足。漁業自体は魅力的な職業であっても生計の維持すら困難になりつつあるのだ。2018年11月1日を基準日として5年ぶりの漁業センサスの作成作業が始まっている。その統計が明らかになれば、世の耳目を惹くことになるだろう。

日本の沿岸漁業を守るための改革が必要なことは明らかだ。だが、それは飽くまで漁民・漁家・漁村・地域社会を守るという方向の改革でなくてはならない。効率の悪い現行の漁業をご破算にして、効率重視の大資本の儲け口とすることこそが漁業の再生」という規制緩和政策の餌食にしてはならない。

今回の水産改革法案は、漁業法・水産業協同組合法・水産資源保護法をメインに、48の法改正を伴う大規模なものとなっている。しかし、なによりも留意すべきは、これだけの改革が、漁民・漁家からの要望で出てきたものではないことである。水産物の消費者の要求でもない。いや、漁民を支持母体とする保守政治家からの提案ですらない。

この改革の出所は、例の如く「規制改革推進会議」である。つまりは、財界の要求であり、財界の走狗たる「有識者」の発案なのだ。その発想の基本に新自由主義がある。資本ないしは企業利益最優先の立場。

昨年(2017年)11月17日、規制改革推進会議水産ワーキング・グループが、この問題についての「議論の整理」を公表している。

「漁業の成長産業化と漁業者の所得向上に向けた担い手の確保や投資の充実のための環境整備」という項目があり、下記のようにあけすけに語られている。

・漁業資源管理や調整を目的とする漁業許可制等について、意欲と能力があり将来の成長産業化に向けた担い手が円滑に漁業に参加し得る制度とその運用を実現する観点から、全面的に検証し改革することが重要。
・近隣諸国漁業者に比肩する競争力の維持・強化の観点から、現在のインプットコントロールを重視する漁業許可制度のあり方について検証し改革することが重要。
・船舶職員及び小型船舶操縦者法、船舶安全法など、船舶に関する一般的なルールに関し、海技士の数や、トン数、船の長さなどに関連する基準や閾値について、漁業の競争力強化の観点から、実態に即した検証、評価をすることが重要。
・区画漁業権、定置漁業権など、大型の設備投資を行い、相当程度の事業規模となる漁業を営む権利について、資金調達時の担保としての利用や、より付加価値の高い漁業を営む能力を有する担い手への引継ぎなどを円滑に行う観点から、検討することが重要。

回りくどい言い方をやめ、修飾を排して直截・端的に言えばこういうことだ。

「現行の漁業は、意欲も能力も欠ける担い手によるものとなっている。だから、能率が悪く、生産性が低い。その結果、競争力も弱く、投資の対象としての旨味はない。漁業の外部から、新たな資本と経営を参入させ、企業に魅力ある制度に変えてしまうことが重要」

その規制緩和の意図が法案になった。漁業法の第1条の目的規定はこう書き換えられようとしている。

現行法 (この法律の目的)

第1条 この法律は、漁業生産に関する基本的制度を定め、漁業者及び漁業従事者を主体とする漁業調整機構の運用によつて水面を総合的に利用し、もつて漁業生産力を発展させ、あわせて漁業の民主化を図ることを目的とする。

改正法案

第1条 この法律は、漁業が国民に対して水産物を供給する使命を有し、かつ、漁業者の秩序ある生産活動がその使命の実現に不可欠であることに鑑み、水産資源の保存及び管理のための措置並びに漁業の許可及び免許に関する制度その他の漁業生産に関する基本的制度を定めることにより、水産資源の持続的な利用を確保するとともに、水面の総合的な利用を図り、もつて漁業生産力を発展させることを目的とする。

よくお読みいただきたい。新自由主義者たちはどこをどう変えようというのか。
現行漁業法の制定は、戦後経済改革の目玉の一つだった。財閥解体と農地解放につづく、「漁民中心の経済民主化」を顕現したもの。だから、「漁業者及び漁業従事者を主体とする漁業調整」との文言があり、「漁業の民主化」が輝かしい理念として掲げられた。

改正法案からは、漁業者及び漁業従事者を主体とする」との文言が消え、「漁業の民主化」も抹殺された。その結果、「漁業生産力を発展させること」だけが究極の目的となったのだ。

アベ政権。その主要な政治手法は、「隠し」と「欺し」である。まずは「隠し」。これまで漁民にはひた隠しにされていた漁業法「改悪」案。いつまでも隠してはおられない。これからは「欺し」のテクニックが駆使される。私も、眉に唾付けながら、漁民の立場からこの「漁業法改悪」に対する見解を書き連ねて行きたい。
(2018年11月10日)

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?「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」からの訴えです。
「会」は、麻生財務大臣の辞任を求める<署名運動>と<財務省前アピール行動+デモ>を呼びかけています。

財務省前アピール行動+デモ
11月11日(日)
13時? 財務省前アピール行動
14時  デモ出発

■<署名>と<財務省前アピール行動+デモ>の資料一式をまとめたサイト■
http://sinkan.cocolog-nifty.com/blog/2018/10/1111-5336-1.html
ぜひ、これをメールやツイッタ?で拡散してください。

■できるだけメッセージを添えてネット署名を■
上記の「まとめサイト」の右サイド・バーの最上段に、
1.署名用紙のダウンロード http://bit.ly/2ygbmHe
2.ネット署名の入力フォーム http://bit.ly/2IFNx0A
3.ネット署名のメッセージ公開 http://bit.ly/2Rpf6Pm
が貼り付けられています。

なお、署名の第1次集約は11月7日で締めきり、9日に財務省へ出向いて麻生財務大臣の罷免を求める10,699筆の署名簿を提出しました。

引き続いて署名を重ね、11月28日(水)を最終締め切り日と予定しています。

ぜひとも、ご協力をよろしくお願いします。
なお、署名の文面は以下のとおりです。
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財務大臣 麻生太郎 様

無責任きわまりない麻生太郎氏の財務大臣留任に抗議し、即刻辞任を求めます

森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会

10月2日に発足した第4次安倍改造内閣で麻生太郎氏が財務大臣に留任しました。しかし、第3次安倍内閣当時、財務省では、佐川宣寿氏が理財局当時の国会での数々の虚偽答弁、公文書改ざんへの関与の責任をとって国税庁長官の辞任に追い込まれました。また、福田淳一氏は女性記者への破廉恥なセクハラ発言を告発され、事務次官の辞職に追い込まれました。いずれも麻生氏が任命権者の人事でした。
しかし、麻生氏は厳しい世論の批判にも居直りを続け、事態を放置しました。それどころか、森友学園への国有地の破格の安値売却について、録音データなど動かぬ証拠を突きつけられても、なお、「処分は適正になされた」「私は報道より部下を信じる」と強弁し続けました。
福田次官のセクハラ行為については、辞任が認められた後も「はめられたという意見もある」などと暴言を吐きました。
なによりも、第3次安倍内閣当時、財務省では公文書の隠蔽、決裁文書の改ざんという前代未聞の悪質きわまりない国民への背信行為が発覚しましたが、それでも麻生氏は、会見の場で記者を見下す不真面目で下品下劣としか言いようがない答弁を繰り返しました。
こうした経歴の麻生氏が私たちの税金を預かり、税金の使い道を采配する財務省のトップに居座ることに、私たちと大多数の国民は、もはや我慢の限界を超えています。
麻生氏を留任させた安倍首相の任命責任が問われるのはきわめて当然のことですが、任命権者の意向以前に私たちは、麻生氏自身が自らの意思で進退を判断されるべきだと考え、次のことを申し入れます。

申し入れ

麻生太郎氏は財務省をめぐる数々の背任、国.に対する背信の責任をとって直ちに財務大臣を辞任すること

私は上記の申し入れに賛同し、以下のとおり、署名します。

(2018年11月10日)

片山さん、ずさんで、でたらめ。めちゃくちゃじゃないですか。

稲田朋美に代わっての片山さつき地方創生相。期待にたがわぬ、目立ちぶり、おさわがせぶりである。
最初に、週刊文春が「口利き疑惑」を報じた。この人の古巣である財務省・国税局への口利きを依頼され、100万円で引き受けたという「疑惑」。口利きの依頼者である会社経営者は、自社が青色申告の承認を取消されそうになって、財務省出身の片山に泣き付いたのだ。それにしても、ずいぶんと古典的な手口の事件。

口利き依頼者は、片山事務所から言われるとおりに「口利きの着手金」100万円を支払ったものの、結局青色申告承認は取消された。腹を立てるのは当たり前、片山に直接クレームを申し出て、トラブルになった。トラブルになった時点で、片山は100万円(あるいは+α)をそっくり返金してことを収めるやり方もあったろう。が、そうはしななかった。おそらくは、この依頼者を舐めてかかっていたからだ。

週刊文春が報じた疑惑が事実だとすると、片山の行為は、あっせん利得罪の構成要件に該当する公算が高い。起訴にまで至るかはともかく、表沙汰になれば捜査対象となる可能性はきわめて高い。だが、この口利き依頼者の行為も褒められたものではない。片山にあっせん利得罪が成立するなら、口利きを依頼した会社経営者側にも、対向犯として、あっせん利得処罰法上の利益供与罪(4条)が成立することになる。その法定刑は、「1年以下の懲役又は250万円以下の罰金」。片山は、「これは飽くまでも裏の話。犯罪者となるリスクを覚悟でこの依頼者が、表の話にするはずはない」と高をくくっていたのだろう。

事実、この口利き依頼者は、週刊文春の取材に、最初から積極的に応じたという風ではない。ところが、腹に据えかねて、おそらくはリスクを自覚しつつ片山との対決を決意したのだ。このような口利き依頼者は多くなかろう。暗数を推認することは困難だが、少なからぬ類似の件があるだろうと思わせる。

片山はこの口利き疑惑が話題になると、週刊文春を被告として民事訴訟を提訴した。これが小狡い。積極的に国民に丁寧な説明をしようというのではない。メディアからの問合せに誠実に答えようというのでもない。自らの提訴で疑惑を「訴訟案件」とすることによって、「訴訟」を盾に追求をそらすことかできると考えたのだ。この小細工が、却って疑惑を決定的なものとした。愚策というほかはない。蛇の道は蛇、類は友を呼ぶ。こんな愚策に加担しようという理念に欠けた弁護士もいる。

口利き疑惑のあとは、自らが認めた限りで2件の政治資金規正法違反である。政治資金収支報告書の不記載。これは、「疑惑」ではない。歴とした犯罪の成立。あとで訂正しようと、報告書提出の時点で、犯罪は既遂となっているのだから。

実は、政治資金規正法違反はこれだけではないのだという。そして、公職選挙法違反の看板設置疑惑も。カレンダー配布疑惑も。

一昨日(11月7日)の参院予算委員会。共産党の小池晃が、片山さつきを問い詰めた。

○小池晃君 日本共産党の小池晃です。片山大臣にお聞きします。自身が代表を務める政治団体の資金収支報告書、先月31日、今月2日と2回にわたって訂正しました。このように記載漏れが続くのはあってはならないことだと思いますが、御自身の責任をどう考えていますか。
○国務大臣(片山さつき君) お答えいたします。まず、収支報告を訂正したことについては大変申し訳なく思っておりますが、現在、事務所においてまだ精査中でございまして、近いうちには全体の結果がお示しできると思います。こうした事態が生じた理由としては、平成28年の参議院選挙の際に選挙収支の事務を担当していた方がその年秋に退任してしまい、28年の収支報告を担当し、その年の秋に着任した秘書が誤認したことによるものによるものでございます。以上でございます。

○小池晃君 訂正はこれで終わりでないということですね。しんぶん赤旗日曜版の調査では、まだ未記載あります。全国宅建政治連盟、全日本トラック事業政治連盟、日本専門新聞政治連盟など5団体、7件。2009年から2016年分、合計145万円分、未記載ですね。
○国務大臣(片山さつき君) いずれにいたしましても……(発言する者あり)はい。お答えをさせていただきますが、要するに、領収書を出して、その保存が不十分であったことが理由になっておりますので、それを今1件1件確認しているところでございますので、近いうちにお示しできると考えております。以上でございます。

○小池晃君 自分の責任全く語っていないですよ。全部秘書のせいだという態度でしょう、これ。こんなに記載漏れ続いていれば、毎年の収支だって、これ、つじつまが合わなくなるんじゃないですか。結局、めちゃくちゃじゃないですか、これ。余りにずさんじゃないですか。
○国務大臣(片山さつき君) お答えいたします。法にのっとって適正な監査も受けた上に、毎年の収支報告は提出させていただいております。以上でございます。

○小池晃君 それがもう長年にわたってずさん、でたらめだったということでしょう、これ。大臣、大臣の資金管理団体、山桜会、間違いないですか。
○国務大臣(片山さつき君) 2013年の6月以降は山桜会でございます。

○小池晃君 山桜会の会計責任者とされる税理士さんに問い合わせました。「私が会計責任者ではない、勝手に名前を使われた。収支報告を見たこともないし、報告書の訂正についても知らない」と答えました。ところが、その数時間後に文書が送られてまいりまして、自分が会計責任者だと回答しています。どうなっているんですか。
○国務大臣(片山さつき君) お答えいたします。昨日、西村税理士、この会計責任者に、6月7日の山桜会発足につきまして、承諾の上で会計責任者を引き受けていただいた方ですが、御連絡がございまして、今おっしゃったメディアから御連絡があったので、何か非常にびっくりして、一切自分は知らない、存ぜぬのようなことを言ってしまったんだけれども、後から、誤解をされているようだから、以下のようにお答えしたという紙をいただきました。《2013年6月7日、山桜会発足に伴い会計責任者を引き受けました。その際、私の代行、括弧、片山事務所秘書に印鑑を預けました。会計責任者としての任務は適正に遂行しておりました。》御署 名入りです。以上でございます。

○小池晃君 びっくりして、何か動転して言ったと言うけど、向こうから電話掛けてきたんですよ、留守電に入れたらば。きちんと丁寧に説明したそうですよ、最初は。私は全然知りませんということをるる説明されたんですよ、その、今名前言われたから私も言うけど、西村さんは。ところが、その後で文書で送ってくる。何なんですか、これは。
○国務大臣(片山さつき君) いずれにいたしましても、2013年6月7日の山桜会の発足時に会計責任者を引き受けておりますし、その記録もきちっと残っておりますので、その事実はしっかりしておって、そのことを今このように文書でお答えになっているんだと思います。その御指摘の記者さんと税理士さんの会話につきましては、私どもは伺っておりませんので、ちょっとお答えできません。

○小池晃君 全く説明できないんですね、これね。名古屋にあるグローリア21 という介護の株式会社を御存じですか。
○国務大臣(片山さつき君) お答えをいたします。ヘルスケアの関係をやっていらっしゃって、私どもも、講演会に来ていただいている方だと思います。会社さんというか、団体さんだと思います。

○小池晃君 この会社と全く同じ住所、名古屋市中川区打中2の105に一般社団法人日本シニア検定協会がありますが、御存じですか。
○国務大臣(片山さつき君) お答えをいたします。そのシニア検定の協会につきましては、私は会長をしていたことがありますから当然存じておりますし、このグローリアさんもその有力なメンバーだったと承知しております。

○小池晃君 このグローリア21 は、経済産業省の新連携計画に認定をされて補助金を受けていますか、御存じですか。
○国務大臣(片山さつき君) お答えいたします。それは今お伺いしたんで、それが事実ならばそうなんだろうなと思います。

○小池晃君 関連する企業が補助金を受け取ってはいけないことは御存じないんですか。
○国務大臣(片山さつき君) お答えをいたします。その21さんは、済みません、社団法人だったか会社だったかちょっと失念しておりますが、いずれにしても、私はそこの役員でもなく株主でもなく、シニア検定というのは全く別の一般社団法人でございますので、そういったことには当たらないかと考えております。

小池晃君 グローリア21、株式会社です。じゃ、片山大臣は政治資金の提供を受けたことはないんですね、グローリア21 から。
○国務大臣(片山さつき君) いわゆる寄附というのを受けたことはないと思います。

○小池晃君 これはきちんと調べて報告をしていただきたいと思います。思いますじゃなくて。
 総理、口利き疑惑が指摘されたり、政治資金収支報告を何度も訂正しなければいけない、更にまだ訂正事項はあるとおっしゃっているわけですね。こういう人に大臣をやらせていいんですか。私は、これは総理の任命責任問われていると思いますよ。いかがですか。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) 個別の事案については具体の事実関係に即して判断されるべきものであり、お答えは差し控えたいと思いますが、いずれにせよ、内閣、与党、野党を問わず、一人一人の政治家は、その言動について国民から不信を持たれることのないよう、説明責任を果たしながら、常に襟を正していかなければならないと考えております。その上で、片山大臣には、党の政調会長代理など様々な政策立案に携わってきた経験の上に、与えられた職責をしっかりと全うしてほしいと考えております。

○小池晃君 全然答えていないんですね。不信持たれているじゃないですか。山のように不信持た れているじゃないですか、ね。それが許されるのかと聞いているんですよ。大臣として適格だと思いますか。これだけ不信を次々突き付けられている人が大臣であり続けることが適切だと総理はお考えですか。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) 御指摘の点等については、説明責任を果たしながら、常に襟を正していかなければならないと考えておりますが、その上で、党の政調会長代理などの経験を生かして、しっかりと職責を果たしてもらいたいと考えております。

小池晃君 何度も何度も収支資金報告を書き換えなければいけない、まだ書き換えなきゃいけないことが残っていると、そういう人を大臣にしておいていいんですか、そのことを聞いているんですよ。襟正すといったって、ずっと正しっ放しじゃないですか。まだ全然正されていないじゃないですか、どうなんですか

○内閣総理大臣(安倍晋三君) 政治資金収支報告書の件については、ただいま片山大臣の方から当時の状況等も含めて説明があったと承知をしておりますが、しっかりと調べ直して対応していくものと考えております。

○小池晃君 大臣失格だということを申し上げたいと思います。

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?「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」からの訴えです。
「会」は、麻生財務大臣の辞任を求める<署名運動>と<財務省前アピール行動+デモ>を呼びかけています。

財務省前アピール行動+デモ
11月11日(日)
13時? 財務省前アピール行動
14時  デモ出発

■<署名>と<財務省前アピール行動+デモ>の資料一式をまとめたサイト■
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ぜひ、これをメールやツイッタ?で拡散してください。

■できるだけメッセージを添えてネット署名を■
上記の「まとめサイト」の右サイド・バーの最上段に、
1.署名用紙のダウンロード http://bit.ly/2ygbmHe
2.ネット署名の入力フォーム http://bit.ly/2IFNx0A
3.ネット署名のメッセージ公開 http://bit.ly/2Rpf6Pm
が貼り付けられています。

ぜひとも、ご協力をよろしくお願いします。もちろん、メッセージを割愛して、ネット署名だけでも結構です。
なお、署名の文面は以下のとおりです。
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財務大臣 麻生太郎 様

無責任きわまりない麻生太郎氏の財務大臣留任に抗議し、即刻辞任を求めます

森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会

10月2日に発足した第4次安倍改造内閣で麻生太郎氏が財務大臣に留任しました。しかし、第3次安倍内閣当時、財務省では、佐川宣寿氏が理財局当時の国会での数々の虚偽答弁、公文書改ざんへの関与の責任をとって国税庁長官の辞任に追い込まれました。また、福田淳一氏は女性記者への破廉恥なセクハラ発言を告発され、事務次官の辞職に追い込まれました。いずれも麻生氏が任命権者の人事でした。
しかし、麻生氏は厳しい世論の批判にも居直りを続け、事態を放置しました。それどころか、森友学園への国有地の破格の安値売却について、録音データなど動かぬ証拠を突きつけられても、なお、「処分は適正になされた」「私は報道より部下を信じる」と強弁し続けました。
福田次官のセクハラ行為については、辞任が認められた後も「はめられたという意見もある」などと暴言を吐きました。
なによりも、第3次安倍内閣当時、財務省では公文書の隠蔽、決裁文書の改ざんという前代未聞の悪質きわまりない国民への背信行為が発覚しましたが、それでも麻生氏は、会見の場で記者を見下す不真面目で下品下劣としか言いようがない答弁を繰り返しました。
こうした経歴の麻生氏が私たちの税金を預かり、税金の使い道を采配する財務省のトップに居座ることに、私たちと大多数の国民は、もはや我慢の限界を超えています。
麻生氏を留任させた安倍首相の任命責任が問われるのはきわめて当然のことですが、任命権者の意向以前に私たちは、麻生氏自身が自らの意思で進退を判断されるべきだと考え、次のことを申し入れます。

申し入れ

麻生太郎氏は財務省をめぐる数々の背任、国.に対する背信の責任をとって直ちに財務大臣を辞任すること

私は上記の申し入れに賛同し、以下のとおり、署名します。

(2018年11月9日)

「あたらしい憲法のはなし 『天皇陛下』」を読む

周知のとおり、日本国憲法は、1947年5月3日に施行された。その年の8月、文部省は新憲法の解説書をつくっている。よく知られている「あたらしい憲法のはなし」である。新制中学校1年生用社会科の教科書として発行されたもの。1947年8月2日文部省検査済とされている。

「憲法」「民主主義とは」「國際平和主義」「主権在民主義」「天皇陛下」「戰爭の放棄」「基本的人権」「國会」「政党」「内閣」「司法」「財政」「地方自治」「改正」「最高法規」の15章からなるもの。《再軍備》《逆コース》が災いして、1950年に副読本に格下げされ、1951年から使われなくなった。そういわれている。

ときに礼賛の対象とされてきた「あたらしい憲法のはなし」だが、今見直して、その内容は時代の制約を受けたものと言わざるを得ない。とりわけ、天皇に関する解説は、萎縮して何を言っているのかよく分からない。こんなものを戦後民主主義の申し子のごとく、褒めそやしてはならない。以下に、第5章『天皇陛下』の全文とその批判を掲記しておきたい。

五 天皇陛下
 こんどの戰爭で、天皇陛下は、たいへんごくろうをなさいました。

 えっ? 「こんどの戰爭で、天皇陛下は、国民の皆様にたいへんごくろうをかけてしまいました」のお間違いではありませんか。天皇(裕仁)もその家族も苦労なんかしていませんよ。国民は、天皇が始めた戦争で、文字通り辛酸を嘗めたのです。「苦労しました」なんてものじゃない。徴兵され、あるいは徴用され、上官からのビンタを受け、戦地で死の恐怖に曝され、ジャングルの中で飢えに苦しみ、空襲で焼け出され、実に310万人もの死者を出したのです。天皇(裕仁)とその家族は、戦地へ行くことも死の恐怖に怯えることもなく、なによりも飢えていないじゃないですか。

 なぜならば、古い憲法では、天皇をお助けして國の仕事をした人々は、國民ぜんたいがえらんだものでなかったので、國民の考えとはなれて、とうとう戰爭になったからです。

 「なぜならば」って、「なぜ、天皇が、こんどの戰爭でたいへんごくろうをなされたのか」という理由ですよね。そんなこと、わざわざ教科書に書くことじゃないでしょう。でも、「天皇をお助けして國の仕事をした人々は、國民ぜんたいがえらんだものでなかった」だけは、多分正しい。たとえば、東条英樹に組閣を命じたのは、國民ぜんたいではなく、天皇(裕仁)自身だったのですからね。

 そこで、これからさき國を治めてゆくについて、二度とこのようなことのないように、あたらしい憲法をこしらえるとき、たいへん苦心をいたしました。ですから、天皇は、憲法で定めたお仕事だけをされ、政治には関係されないことになりました。

「二度とこのようなことのないように」って、日本語の正確な読み方では、「二度と天皇陛下が、たいへんごくろうをなさるようなことのないように」ってこと。そんなことのために、憲法をこしらえたの? そんなふうに憲法をこしらえるために苦心したというの? ヘンなの。でも、「天皇は、憲法で定めたお仕事だけをされ、政治には関係されないことになりました。」は、そのとおり。ここだけ、天皇に「陛下」が付いていませんね。これは偶然?

憲法は、天皇陛下を「象徴」としてゆくことにきめました。みなさんは、この象徴ということを、はっきり知らなければなりません。日の丸の國旗を見れば、日本の國をおもいだすでしょう。國旗が國の代わりになって、國をあらわすからです。みなさんの学校の記章を見れば、どこの学校の生徒かがわかるでしょう。記章が学校の代わりになって、学校をあらわすからです。いまこゝに何か眼に見えるものがあって、ほかの眼に見えないものの代わりになって、それをあらわすときに、これを「象徴」ということばでいいあらわすのです。こんどの憲法の第一條は、天皇陛下を「日本國の象徴」としているのです。つまり天皇陛下は、日本の國をあらわされるお方ということであります。

 こんな説明で分かるはずはありません。「天皇は『日本の國をあらわされるお方』」って言うんですか。それって何のことだか分かりません。ほんとうは、この文章を書いた人もさっぱり分かっていないんですね。天皇自身だって、なんだか分からない。だから、「はっきり知らなければなりません。」といわれても、「なんだか分かりません」としか言いようがない。分かったふりをする必要はありませんよね。
それぞれの学校にバッジがあり校旗があって、バッジを付けていたり校旗を掲揚していれば、どこの学校の生徒かがわかります。象徴の説明としてはよく分かりますね。でも、天皇って本当にバッジみたいなもんですか。校旗みたいなもんですか。アメリカにも、フランスにも、中国にも韓国にも、天皇はいません。なぜ戦後の日本に天皇がまだいるのか、本当に必要なのか、ここには何も書いてありません。書けないんですよね。なんだか得体が知れないけれど、否定しがたくともかく存在するもの。語るときには、敬語を使わなければならないもの。それが天皇ですね。天皇ってなんだ、と説明しなければならないので、憲法に書いてあるとおり、「象徴」と書き込んでみただけ。でも、本当にはなんの説明にもなっていない。そんなものですよね。

 また憲法第一條は、天皇陛下を「日本國民統合の象徴」であるとも書いてあるのです。「統合」というのは「一つにまとまっている」ということです。つまり天皇陛下は、一つにまとまった日本國民の象徴でいらっしゃいます。これは、私たち日本國民ぜんたいの中心としておいでになるお方ということなのです。それで天皇陛下は、日本國民ぜんたいをあらわされるのです。

この辺が、文部省の本音でしょうか。「一つにまとまっている」のが良いことだと考えているんですね。戦時中、日本の国民は「一億火の玉」となり、「一つにまとまって」侵略戦争に邁進しました。その「火の玉」の中心にいたのが天皇ですが、その反省はないのでしょうか。日本の国民を、もう一度天皇中心の「一億火の玉」にしたいのでしょうか。どうしてまた、あらためて日本國民ぜんたいがこんなにも危険な天皇を中心にまとまらなければならないというのでしょうか。

 このような地位に天皇陛下をお置き申したのは、日本國民ぜんたいの考えにあるのです。これからさき、國を治めてゆく仕事は、みな國民がじぶんでやってゆかなければなりません。

 おや、そうでしょうか。天皇制をなくそうという意見もあったはずです。多くの国民が天皇の名による戦争で苦しみ、10万もの人が、治安維持法によって天皇の警察に逮捕されひどい目に遭わされたのですから。けっして、「日本國民ぜんたい」の考えであったはずはないとおもいますが。

 天皇陛下は、けっして神様ではありません。國民と同じような人間でいらっしゃいます。ラジオのほうそうもなさいました。小さな町のすみにもおいでになりました。ですから私たちは、天皇陛下を私たちのまん中にしっかりとお置きして、國を治めてゆくについてごくろうのないようにしなければなりません。これで憲法が天皇陛下を象徴とした意味がおわかりでしょう。

 これって、教科書の文章ですよね。とてもヘン。二つの文を結ぶ順接の接続詞「ですから」が理解不能です。前の文は「天皇は神でない」ということで、後の文は「天皇にごくろうのないようにしなければなりません」ということ。なぜ、「天皇は神でない」ということを理由ないし根拠として、「ですから、私たちは、天皇を私たちのまん中にしっかりとお置きして、國を治めてゆくについてごくろうのないようにしなければなりません」と言えるのでしょうか。論理として成立し得ません。「これで憲法が天皇陛下を象徴とした意味がおわかりでしょう。」と言われたって、金輪際分かるはずがない。

非論理的で出来の悪い文章。当時の文部省のお役人は、こんな程度だったのでしょうかね。もしかしたら、結論が先に決まっていたのかも知れません。「ですから私たちは、天皇陛下を私たちのまん中にしっかりとお置きして、國を治めてゆくについてごくろうのないようにしなければなりません」とまとめる必要があったのでしょうね。また、もしかしたら「ですから」って付けたのは、わざと子どもたちへの突っ込みどころをこしらえたのかも知れません。わざわざヘンな文章をこしらえて、子供たちに天皇の存在に対する疑問を醸成するよう深謀遠慮があったのかも。これも文部官僚による面従腹背の伝統だと思えば、当時の文部省のお役人の優秀さがよく分かります。

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?「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」からの訴えです。
「会」は、麻生財務大臣の辞任を求める<署名運動>と<財務省前アピール行動+デモ>を呼びかけています。

財務省前アピール行動+デモ
11月11日(日)
13時? 財務省前アピール行動
14時  デモ出発

■<署名>と<財務省前アピール行動+デモ>の資料一式をまとめたサイト■
http://sinkan.cocolog-nifty.com/blog/2018/10/1111-5336-1.html
ぜひ、これをメールやツイッタ?で拡散してください。

■できるだけメッセージを添えてネット署名を■
上記の「まとめサイト」の右サイド・バーの最上段に、
1.署名用紙のダウンロード http://bit.ly/2ygbmHe
2.ネット署名の入力フォーム http://bit.ly/2IFNx0A
3.ネット署名のメッセージ公開 http://bit.ly/2Rpf6Pm
が貼り付けられています。

ぜひとも、ご協力をよろしくお願いします。もちろん、メッセージを割愛して、ネット署名だけでも結構です。
なお、署名の文面は以下のとおりです。
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財務大臣 麻生太郎 様

無責任きわまりない麻生太郎氏の財務大臣留任に抗議し、即刻辞任を求めます

森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会

10月2日に発足した第4次安倍改造内閣で麻生太郎氏が財務大臣に留任しました。しかし、第3次安倍内閣当時、財務省では、佐川宣寿氏が理財局当時の国会での数々の虚偽答弁、公文書改ざんへの関与の責任をとって国税庁長官の辞任に追い込まれました。また、福田淳一氏は女性記者への破廉恥なセクハラ発言を告発され、事務次官の辞職に追い込まれました。いずれも麻生氏が任命権者の人事でした。
しかし、麻生氏は厳しい世論の批判にも居直りを続け、事態を放置しました。それどころか、森友学園への国有地の破格の安値売却について、録音データなど動かぬ証拠を突きつけられても、なお、「処分は適正になされた」「私は報道より部下を信じる」と強弁し続けました。
福田次官のセクハラ行為については、辞任が認められた後も「はめられたという意見もある」などと暴言を吐きました。
なによりも、第3次安倍内閣当時、財務省では公文書の隠蔽、決裁文書の改ざんという前代未聞の悪質きわまりない国民への背信行為が発覚しましたが、それでも麻生氏は、会見の場で記者を見下す不真面目で下品下劣としか言いようがない答弁を繰り返しました。
こうした経歴の麻生氏が私たちの税金を預かり、税金の使い道を采配する財務省のトップに居座ることに、私たちと大多数の国民は、もはや我慢の限界を超えています。
麻生氏を留任させた安倍首相の任命責任が問われるのはきわめて当然のことですが、任命権者の意向以前に私たちは、麻生氏自身が自らの意思で進退を判断されるべきだと考え、次のことを申し入れます。

申し入れ

麻生太郎氏は財務省をめぐる数々の背任、国.に対する背信の責任をとって直ちに財務大臣を辞任すること

私は上記の申し入れに賛同し、以下のとおり、署名します。

(2018年11月8日)

米軍基地を本土に「引き取る運動」について

親しい小村滋君からの【アジぶら通信 第48号】(2018年11月5日付)が届いた。相変わらず沖縄の記事が満載。彼の沖縄に対する思いが溢れている。
そのトップの記事は、「『辺野古』は普天間代替でない!? 」という見出。

こんな書き出しだ。「例えば11月2日の朝日新聞1面の辺野古新基地問題の記事は『米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設計画で……』で始まっていた。3面や社会面に関連の記事があるときも、書き出しはこの『ハンコ』が押されている。毎日新聞も似た表現の『ハンコ』だ。この表現が『普天間代替施設は辺野古だ』と、多くの人たちに思わせる原因の一つだろう。しかし沖縄に住む、基地問題に関心のある人で、『普天間代替』と思っている人は少ない。」

小村君らしい。古巣の朝日の記事への批判だ。その紋切り型の「ハンコ」的言い回しの不正確を衝いている。枕詞のごとくに、「辺野古」を語るのに、「普天間飛行場の辺野古への移設問題」と言ってはいけない。それが、本土の人々の考え方を誤導している、と言っている。

指摘のとおり、まずもって普天間飛行場には海がない。対して「辺野古」は海の基地でもある。多様な自然を残し工事直前までジュゴンが泳いだ海。この海を潰しての基地の建設。これが「代替」であろうはずがない。

反対派の稲嶺進・前名護市長時代に作ったパンフは普天間になかった「辺野古」の3機能を挙げる。
? 全長270?の護岸を持ち、ヘリを運ぶ250?余の大型船が接岸できる
? 約1万6000?の弾薬搭載エリア。辺野古には元々弾薬庫があるが、新しく建て直すという
? 航空機用の燃料を運ぶ109?のタンカーを横付けできる桟橋
しかも沖縄戦後の米軍占領時代に銃剣とブルドーザーで奪い取った基地が最新鋭設備に更新されて、治外法権に近い地位協定で。日本政府が1兆円余を投じて、あと100年間は使えるという。

以上は1面の要約だが、異論のないところ。しかし、2面以後は論争的テーマを扱っている。
2面の見出しは、「沖縄の基地 全国議論なるか」「小金井市議会で陳情を採択 意見書では共産党が???」となっている。

「東京都小金井市議会で9月25日『沖縄の米軍普天間飛行場移設の候補地として本土の全自治体を対象に公正で民主的な手続きで決める』とする陳情が賛成多数で採択された。この陳情は、今年5月に発刊された『沖縄発 新しい提案 辺野古新基地を止める民主主義の実践』に基いて沖縄出身の市民が提出したものだ。米軍基地による過重な負担を沖縄に押し付けて無関心でいる本土の日本人の『沖縄差別』を乗り越える画期的な試みと思われた。しかし10月5日の同市議会でひっくり返った。陳情に賛成した共産党が、意見書を採択する段階で『本土移転を選択肢とする部分に同意できない』と反対に転じ、採択が見送られた。背景には、革新陣営に根強い『全ての基地に反対』論がありそうだ。結果として、本土と沖縄の分断を図る安倍政権の策に乗せられることにならないか。」これが問題提起だ。

この陳情は、沖縄発の「新しい提案」と言われる考え方に基づいたもの。「新しい提案」は、引き取る運動」を提起している。次のステップで問題の解決を目指す、という。
?辺野古新基地建設工事を直ちに中止し、普天間基地を運用停止にする。
?普天間基地の代替施設について、沖縄以外の全国のすべての自治体を等しく候補地とする。
?その際、米軍基地が必要か否か、普天間基地の代替施設が国内に必要か否か当事者意識を持った国民的議論を行う。
?国民的議論において普天間基地の代替施設が国内に必要だという結論になるのなら、民主主義および憲法の精神に則り、地域への一方的な押し付けとならないよう、公正で民主的な手続きにより決定する。

沖縄の現状を憂うる者にとって、「?辺野古新基地建設工事を直ちに中止し、普天間基地を運用停止にする。」ことに異論のあろうはずはない。問題は、次の「?普天間基地の代替施設について、沖縄以外の全国のすべての自治体を等しく候補地とする。」の賛否である。これは必ず分かれる。

たとえば原発を考えて見よう。福島の原発、柏崎刈羽の原発、東海第2の原発を、沖縄を含む全土で引き受けようという運動が成り立ち得るだろうか。私はあり得ないと思う。

一方、NIMBY(ニンビー)という言葉がある。“Not In My Back Yard”の略語、それは必要だが「我が家の裏庭には御免だ」というエゴの姿勢を揶揄する際に用いられる。「保育所は必要だ。しかし、我が家の隣に建てられちゃあ、やかましくてかなわん。」「児童相談所は大切な施設だ。だが、そんなものを町内に建てられたら、地価が下がってしまう。」という類のエゴ。ゴミ処理場が典型だろう。どこかに絶対に必要だ。その必要なものなら、すべての受益者の民主的な議論で、立地を決めなければならない。

米軍基地は、原発だろうか、それともゴミ処理場か。わたしは、原発同様のもので断じてゴミ処理場ではないと考えている。どこにもあってはならない、言わば絶対悪である。“Not In Any Yard”なのだ。

もちろん違う立場もあろう。安保必要論からの立場。「抑止力は有効だし必要だ」「中国や北朝鮮からの攻撃に備えた米軍基地は日本のどこかに必要だ」「沖縄だけに負担を押しつけるのではなく、全土で分担が必要だ」という立場。米軍基地必要論を前提に、その偏在を沖縄差別と突きつけられると、心優しい人々には断り切れなくもなるだろう。

おそらく小村君の考え方は、それとも違う。「『基地は、原発かゴミ処理場か』と、最初に切り分けをして本土引き受け賛成か反対かというのではなく、そのことも含めた議論誘発の提案として意味を認めてよいじゃないか。自分も含めて、本土の人間に、我がことと真剣に考えるきっかけを提供する提案だと思う。」ということなのだろう。だから、基地不要論者の小村君が、紙幅を割いてこの提案を紹介しているのだ。そう思う。

実践的な問題として私は考える。この陳情案は、もっと練り上げる必要があったのではないか。私の地元、文京区では、もっとシンプルな請願案で採択に至っている。
https://article9.jp/wordpress/?p=11263

「新しい提案」や「引き取る運動」を前面に出したのではうまくいかない。それこそ、「結果として、本土と沖縄の分断を図る安倍政権の策に乗せられる」ことになりかねない。アジぶら1面のとおり、「普天間移設先」問題としてではなく、「辺野古『新基地』建設反対」を前面に出した陳情にすれば、事情はずいぶん違ったものになったのではないだろうか。
(2018年11月7日)

徴用工訴訟・韓国大法院判決に真摯で正確な理解を(その3) ― 弁護士有志声明と判決文(仮訳)全文

10月30日韓国大法院の徴用工訴訟判決が、原告(元徴用工)らの被告新日鉄住金に対する「強制動員慰謝料請求」を認容した。この判決言い渡し自体は「事件」でも「問題」でもない。主権国家である隣国司法部の判断である。加害責任者は我が国の企業、まずは礼節をもって接すべきである。
この判決に対する政権と日本社会の世論の感情的な反応をたいへん危ういものと思わざるを得ない。私たちの社会の底流には、かくも根深く偏狭なナショナリズムが浸潤しているのか、肌が粟立つ思いを禁じえない。

1923年9月関東大震災後の在日朝鮮人大量虐殺は、日本人による朝鮮民族への差別意識が生んだ残虐な蛮行であった。多くの「普通の日本人」が、流言飛語に踊らされて、数千人の無抵抗の人々をなぶり殺しにしたのだ。

その後も、日本人は、侵略先の人々を、暴支膺懲・不逞鮮人などと言い続けてきた。戦後70年余。従軍慰安婦問題も解決し得ていない。そして、今またおぞましい差別意識の跳梁を危惧せざるを得ない。

われわれの父祖は、いつの時代にもそれなりの理由付けで「自分たちが正しい」と思い込み、あるいは思い込まされて、排外意識を正当化し続けてきた。この歴史の苦い教訓を思い起さねばならない。過ちを繰り返してはならない。

もっとも、自国の判決であれ他国の判決であれ、当然に批判や論評の自由はある。しかし、その論評は判決の内容を正確に理解してのものでなくてはならない。的はずれの感情論は、事態を混乱させる。無用の軋轢を生み、深刻化させる。我が国の政府は、この判決の理解を意識的にミスリードしているとしか思えない。

もしかしたら、政権は内政の失敗による不人気を、ことさらに韓国への不満を煽ることで挽回しようとしているのではないか。こんな思惑に乗じられてはならない。

大切なことは、冷静に事態を認識することだ。本日は、そのために二つの資料を急ぎ掲載する。この問題を論じる出発点としていただきたい。

一つは、昨日(11月5日)発表の弁護士109名と研究者7名の共同声明。私も賛同者の一人だが、よく練れた内容となっている。現在、さらにこれに対する賛同者を募っている。

もう一つは、10月30日判決の日本語版(仮訳)である。仮訳だが信頼のできる内容。判決に賛成するにせよ、反対するにせよ、まずは判決の正確な理解から出発していただきたい。
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弁護士有志声明の骨格

声明は下記の4節からなる。
1 元徴用工問題の本質は人権問題である
2 日韓請求権協定により個人請求権は消滅していない
3 被害者個人の救済を重視する国際人権法の進展に沿った判決である
4 日韓両国が相互に非難しあうのではなく、本判決を機に根本的な解決を行うべきである

 以上の各節のタイトルが、その内容を適切に表している。
 元徴用工問題の本質は人権問題であって、本件「強制動員慰謝料請求」は奪うことのできない人権侵害に対する救済金として、日韓請求権協定によって消滅させられていないとするのが今回判決(多数意見)である。日本の最高裁判決も、個人請求権が協定によって消滅していないとする点では同様である。
 この判決は、被害者個人の救済を重視する国際人権法の進展に沿った判決として評価すべきものである。日韓両国は本判決を機として、問題の本質が人権問題であることを確認し、被害者の立場を尊重しつつ、根本的な解決に向けて取り組むべきである。
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2018年11月5日

元徴用工の韓国大法院判決に対する弁護士有志声明

 韓国大法院(最高裁判所)は、本年10月30日、元徴用工4人が新日鉄住金株式会社(以下「新日鉄住金」という。)を相手に損害賠償を求めた裁判で、元徴用工の請求を容認した差し戻し審に対する新日鉄住金の上告を棄却した。これにより、元徴用工の一人あたり1億ウォン(約1千万円)を支払うよう命じた判決が確定した。
 本判決は、元徴用工の損害賠償請求権は、日本政府の朝鮮半島に対する不法な植民地支配及び侵略戦争の遂行と直結した日本企業の反人道的な不法行為を前提とする強制動員被害者の日本企業に対する慰謝料請求権であるとした。その上で、このような請求権は、1965年に締結された「日本国と大韓民国との間の財産及び請求権に関する問題の解決と経済協力に関する協定」(以下「日韓請求権協定」という。)の対象外であるとして、韓国政府の外交保護権と元徴用工個人の損害賠償請求権のいずれも消滅していないと判示した。
 本判決に対し,安倍首相は、本年10月30日の衆議院本会議において、元徴用工の個人賠償請求権は日韓請求権協定により「完全かつ最終的に解決している」とした上で、本判決は「国際法に照らしてあり得ない判断」であり、「毅然として対応していく」と答弁した。
 しかし、安倍首相の答弁は、下記のとおり、日韓請求権協定と国際法への正確な理解を欠いたものであるし、「毅然として対応」するだけでは元徴用工問題の真の解決を実現することはできない。
 私たちは、次のとおり、元徴用工問題の本質と日韓請求権協定の正確な理解を明らかにし、元徴用工問題の真の解決に向けた道筋を提案するものである。

1 元徴用工問題の本質は人権問題である
 本訴訟の原告である元徴用工は、賃金が支払われずに、感電死する危険があるなかで溶鉱炉にコークスを投入するなどの過酷で危険な労働を強いられていた。提供される食事もわずかで粗末なものであり、外出も許されず、逃亡を企てたとして体罰を加えられるなど極めて劣悪な環境に置かれていた。これは強制労働(ILO第29号条約)や奴隷制(1926年奴隷条約参照)に当たるものであり、重大な人権侵害であった。
 本件は、重大な人権侵害を受けた被害者が救済を求めて提訴した事案であり、社会的にも解決が求められている問題である。したがって、この問題の真の解決のためには、被害者が納得し、社会的にも容認される解決内容であることが必要である。被害者や社会が受け入れることができない国家間合意は、いかなるものであれ真の解決とはなり得ない。

2 日韓請求権協定により個人請求権は消滅していない
 元徴用工に過酷で危険な労働を強い、劣悪な環境に置いたのは新日鉄住金(旧日本製鐵)であるから、新日鉄住金には賠償責任が発生する。
 また、本件は、1910年の日韓併合後朝鮮半島を日本の植民地とし、その下で戦時体制下における労働力確保のため、1942年に日本政府が制定した「朝鮮人内地移入斡旋要綱」による官斡旋方式による斡旋や、1944年に日本政府が植民地朝鮮に全面的に発動した「国民徴用令」による徴用が実施される中で起きたものであるから、日本国の損害責任も問題となり得る。
 本件では新日鉄住金のみを相手としていることから、元徴用工個人の新日鉄住金に対する賠償請求権が、日韓請求権協定2条1項の「完全かつ最終的に解決された」という条項により消滅したのかが重要な争点となった。
 この問題について、韓国大法院は、元徴用工の慰謝料請求権は日韓請求権協定の対象に含まれていないとして、その権利に関しては、韓国政府の外交保護権も被害者個人の賠償請求権もいずれも消滅していないと判示した。
 他方、日本の最高裁判所は、日本と中国との間の賠償関係等について、外交保護権は放棄されたが、被害者個人の賠償請求権については、「請求権を実体的に消滅させることまでを意味するものではなく、当該請求権に基づいて訴求する権能を失わせるにとどまる」と判示している(最高裁判所 2007年4月27日判決)。この理は日韓請求権協定の「完全かつ最終的に解決」という文言についてもあてはまるとするのが最高裁判所及び日本政府の解釈である。この解釈によれば、実体的な個人の賠償請求権は消滅していないのであるから、新日鉄住金が任意かつ自発的に賠償金を支払うことは法的に可能であり、その際に、日韓請求権協定は法的障害にならない。
 安倍首相は、個人賠償請求権について日韓請求権協定により「完全かつ最終的に解決した」と述べたが、それが被害者個人の賠償請求権も完全に消滅したという意味であれば、日本の最高裁判所の判決への理解を欠いた説明であり誤っている。他方、日本の最高裁判所が示した内容と同じであるならば、被害者個人の賠償請求権は実体的には消滅しておらず、その扱いは解決されていないのであるから、全ての請求権が消滅したかのように「完全かつ最終的に解決」とのみ説明するのは、ミスリーディング(誤導的)である。

3 被害者個人の救済を重視する国際人権法の進展に沿った判決である
 本件のような重大な人権侵害に起因する被害者個人の損害賠償請求権について、国家間の合意により被害者の同意なく一方的に消滅させることはできないという考え方を示した例は国際的に他にもある(例えば、イタリアのチビテッラ村におけるナチス・ドイツの住民虐殺事件に関するイタリア最高裁判所(破棄院)など)。このように、重大な人権侵害に起因する個人の損害賠償請求権を国家が一方的に消滅させることはできないという考え方は、国際的には特異なものではなく、個人の人権侵害に対する効果的な救済を図ろうとしている国際人権法の進展に沿うものといえるのであり(世界人権宣言8条参照)、「国際法に照らしてあり得ない判断」であるということもできない。

4 日韓両国が相互に非難しあうのではなく、本判決を機に根本的な解決を行うべきである
 本件の問題の本質が人権侵害である以上、なによりも被害者個人の人権が救済されなければならない。それはすなわち、本件においては、新日鉄住金が本件判決を受け入れるとともに、自発的に人権侵害の事実と責任を認め、その証として謝罪と賠償を含めて被害者及び社会が受け入れることができるような行動をとることである。
 例えば中国人強制連行事件である花岡事件、西松事件、三菱マテリアル事件など、訴訟を契機に、日本企業が事実と責任を認めて謝罪し、その証として企業が資金を拠出して基金を設立し、被害者全体の救済を図ることで問題を解決した例がある。そこでは、被害者個人への金員の支払いのみならず、受難の碑ないしは慰霊碑を建立し、毎年中国人被害者等を招いて慰霊祭等を催すなどの取り組みを行ってきた。
 新日鉄住金もまた、元徴用工の被害者全体の解決に向けて踏み出すべきである。それは、企業としても国際的信頼を勝ち得て、長期的に企業価値を高めることにもつながる。
 韓国において訴訟の被告とされている日本企業においても、本判決を機に、真の解決に向けた取り組みを始めるべきであり、経済界全体としてもその取り組みを支援することが期待される。
 日本政府は、新日鉄住金をはじめとする企業の任意かつ自発的な解決に向けての取り組みに対して、日韓請求権協定を持ち出してそれを抑制するのではなく、むしろ自らの責任をも自覚したうえで、真の解決に向けた取り組みを支援すべきである。
私たちは、新日鉄住金及び日韓両政府に対して、改めて本件問題の本質が人権問題であることを確認し、根本的な解決に向けて取り組むよう求めるとともに、解決のために最大限の努力を尽くす私たち自身の決意を表明する。

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2018.10.30新日鉄住金事件大法院判決(仮訳)

(なお、翻訳者は、張界満(第二東京弁護士会)・市場淳子・山本晴太(福岡県弁護士会)である。

事 件 2013タ61381 損害賠償(キ)
原告・被上告人 (略)
被告・上告人  新日鉄住金株式会社
差戻し判決 大法院 2012. 5. 24. 宣告 2009タ68620 判決
原審判決 ソウル高等法院 2013. 7. 10. 宣告 2012ナ44947 判決
判決宣告 2018. 10. 30.

主    文

上告を全て棄却する。
上告費用は被告が負担する。

理    由

 上告理由(上告理由書の提出期間が過ぎた後に提出された上告理由補充書等の書面における記載は上告理由を補充する範囲内で)を判断する。

1. 基本的事実関係
差戻し前後の各原審判決及び差戻し判決の理由と差戻し前後の原審が適法に採択した各証拠によれば次のような事実が認められる。
ア. 日本の韓半島侵奪と強制動員など
日本は1910.8.22.韓日合併条約以後、朝鮮総督府を通じて韓半島を支配した。
日本は1931年満州事変、1937年日中戦争を起こすことで徐々に戦時体制に入って行くようになり、1941年には太平洋戦争まで起こした。日本は戦争を経験しながら軍需物資生産のための労動力が不足すると、これを解決するために1938.4.1.「国家総動員法」を制定・公布し、1942年「朝鮮人内地移入斡旋要綱」を制定・実施して韓半島各地域で官斡旋を通じて人力を募集し、1944年10月頃からは 「国民徴用令」によって一般韓国人に対する徴用を実施した。太平洋戦争は1945.8.6.日本の広島に原子爆弾が投下された後、同月15日、日本国王が、アメリカをはじめ連合国に無条件降参を宣言することで終った。
イ.亡訴外人と原告2、原告3、原告4(以下「原告ら」という)の動員と強制労動被害及び帰国経緯
(1)原告らは1923年から1929年の間に、韓半島で生まれ、平壌、保寧、群山などで居住した者らであり、日本製鉄株式会社(以下「旧日本製鉄」という)は1934年1月頃に設立され、日本の釜石、八幡、大阪などで製鉄所を運営した会社である。
(2)1941.4.26.基幹軍需事業体にあたる旧日本製鉄をはじめとする日本の鉄鋼生産者らを総括指導する日本政府直属機構である鉄鋼統制会が設立された。鉄鋼統制会は韓半島で労務者を積極拡充することにして、日本政府と協力して労務者を動員し、旧日本製鉄は社長が鉄鋼統制会の会長を歴任するなど鉄鋼統制会で主導的な役割をした。
(3) 旧日本製鉄は1943年頃、平壌で大阪製鉄所の工員募集広告を出したが、その広告には大阪製鉄所で2年間訓練を受ければ、技術を習得することができ、訓練終了後、韓半島の製鉄所で技術者として就職することができると記載されていた。亡訴外人、原告2は、1943年9月頃、上記広告をみて、技術を習得して我が国で就職することができるという点にひかれて応募した後、旧日本製鉄の募集担当者と面接をして合格し、上記担当者の引率の下、旧日本製鉄の大阪製鉄所に行き、訓練工として労役に従事した。
亡訴外人、原告2は、大阪製鉄所で1日8時間の3交代制で働き、ひと月に1、2回程度外出を許可され、ひと月に2、3円程度の小遣いを支給されただけで、 旧日本製鉄は賃金全額を支給すれば浪費する恐れがあるという理由をあげ、亡訴外人、原告2の同意を得ないまま、彼ら名義の口座に賃金の大部分を一方的に入金し、その貯金通帳と印鑑を寄宿舎の舎監に保管させた。亡訴外人、原告2は火炉に石炭を入れて砕いて混ぜたり、鉄パイプの中に入って石炭の残物をとり除くなど火傷の危険があり、技術習得とは何ら関係がない非常につらい労役に従事したが、 提供される食事の量は非常に少なかった。また、警察がしばしば立ち寄り、彼らに「逃げても直ぐに捕まえられる」と言い、寄宿舎でも監視する者がいたため、逃亡を考えることも難しく、原告2は逃げだしたいと言ったのがばれて寄宿舎の舎監から殴打され体罰を受けたりもした。
そうする中、日本は1944年2月頃から訓練工たちを強制的に徴用し、それ以後から亡訴外人、原告2に何らの対価も支給しなかった。大阪製鉄所の工場は1945年3月頃、アメリカ合衆国軍隊の空襲で破壊され、この時、訓練工らのうちの一部は死亡し、亡訴外人、原告2を含む他の訓練工らは1945年6月頃、咸境道清津に建設中の製鉄所に配置され清津に移動した。亡訴外人、原告2は寄宿舎の舎監に日本で働いた賃金が入金されていた貯金通帳と印鑑をくれるようと要求したが、舎監は清津に到着した以後も通帳と印鑑を返さず、清津で一日12時間もの間、工場建設のために土木工事をしながらも賃金を全くもらえなかった。亡訴外人、原告2は1945年 8月頃、清津工場がソ連軍の攻撃により破壊されると、ソ連軍を避けてソウルに逃げ、ようやく日帝から解放された事実を知った。
(4) 原告3は1941年、大田市長の推薦を受け、保局隊として動員され、旧日本製鉄の募集担当官の引率によって日本に渡り、旧日本製鉄の釜石製鉄所でコークスを溶鉱炉に入れ溶鉱炉から鉄が出ればまた窯に入れるなどの労役に従事した。上記原告は、酷いほこりによる困難を経験し、溶鉱炉から出る不純物によって倒れてお腹を怪我し3ヶ月間入院したりもしたし、賃金を貯金してくれるという話を聞いただけで、賃金を全くもらえなかった。労役に従事している間、最初の6ヶ月間は外出が禁止され、日本憲兵たちが半月に一回ずつ来て人員を点検し、仕事に出ない者には「悪知恵が働くやつだ」と足蹴にしたりした。上記原告は1944年になると、徴兵され軍事訓練を終えた後、日本の神戸にある部隊に配置され米軍捕虜監視員として働いていたところ解放になり帰国した。
(5)原告4は1943年1月頃、群山部(今の群山市)の指示を受け募集され、旧日本製鉄の引率者に従って日本に渡り、日本製鉄の八幡製鉄所で各種原料と生産品を運送する線路の信号所に配置され線路を切り替えるポイント操作と列車の脱線防止のためのポイントの汚染物除去などの労役に従事したが、逃走がばれ、約7日間ひどく殴打され、食事の提供も受けられなかった。上記原告は労役に従事する間、賃金を全く支給してもらえず、一切の休暇や個人行動を許されず、日本の敗戦後、帰国せよという旧日本製鉄の指示を受け故郷に帰って来るようになった。
ウ.サンフランシスコ条約締結など太平洋戦争が終わった後、米軍政当局は、1945. 12.6.公布した軍政法令第33号に在韓国日本財産をその国有・私有を問わず米軍政庁に帰属させ、このような旧日本財産は大韓民国政府樹立直後の1948.9.20.に発効した「大韓民国政府及びアメリカ政府間の財政及び財産に関する最初の取決め」によって大韓民国政府に移譲された。
アメリカなどを含む連合国48ヶ国と日本は、1951.9.8.戦後賠償問題を解決するためサンフランシスコで平和条約(以下「サンフランシスコ条約」という)を締結し、上記条約は1952.4.28.発効した。サンフランシスコ条約第4条(a)は、日本の統治から離脱された地域の施政当局及びその国民と日本及びその国民の間の財産上の債権・債務関係は、上記当局と日本の間の特別約定として処理するという内容を、第4条(b)は、日本は上記地域で米軍政当局が日本及びその国民の財産を処分したことを有効だと認めるという内容を定めた。
エ.請求権協定締結の経緯と内容等
(1) 大韓民国政府と日本政府は1951年末頃から国交正常化と戦後補償問題を論議した。1952.2.15.第1次韓日会談本会議が開かれ関連論議が本格的に開始されたが、大韓民国は第1次韓日会談当時 「韓・日間財産及び請求権協定要綱8項目」(以下「8項目」という)を提示した。8項目の中で第5項は「韓国法人または韓国自然人の日本銀行券、被徴用韓国人の未収金、補償金及びその他請求権の弁済請求」である。その後7回の本会議と、このための数十回の予備会談、政治会談及び各分科委員会別会議などを経て1965.6.22.「大韓民国と日本国間の基本関係に関する条約」と、その付属協定である「大韓民国と日本国間の財産及び請求権に関する問題の解決と経済協力に関する協定」(条約第172号、以下「請求権協定」という)などが締結された。
(2)請求権協定は前文で『大韓民国と日本国は、両国及び両国国民の財産と両国及び両国国民間の請求権に関する問題を解決することを希望し、両国間の経済協力を増進することを希望して次のとおり合意した』と定めた。第1条で「日本国が大韓民国に10年間にわたって3億ドルを無償で提供し、2億ドルの借款を行うことにする」と定め、続いて第2条で次のとおり規定した。
1. 両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む)の財産、権利及び利益と両締約国及びその国民間の請求権に関する問題が1951年9月8日にサンフランシスコ市で署名された日本国との平和条約第4条(a)に規定されたことを含め、完全かつ最終的に解決されたことを確認する。
2. 本条の規定は次のこと(本協定の署名日までにそれぞれの締約国が取った特別措置の対象になったものを除く)に影響を及ぼすものではない。
一方の締約国の国民として1947年8月15日から本協定の署名日までの間に他方の締約国に居住した事がある者の財産、権利及び利益
(b)一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益として1945年8月15日以後においての通常の接触の過程において取得され、または他方の締約国の管轄下に入ったもの
3. 2.の規定によることを条件に、一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益として本協定の署名日に他方の締約国の管轄下にあることに対する措置と、一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対するすべての請求権として同日付以前に発生した事由に起因することに関しては、如何なる主張もできないことにする。
(3)請求権協定の同日に締結され1965.12.18.発效した「大韓民国と日本国間の財産及び請求権に関する問題の解決と経済協力に関する協定に対する合意議事録(?)」[条約第173号、以下「請求権協定に対する合意議事録(?)」という]は、請求権協定第2条に関して次のとおり定めた。
(a)『財産、権利及び利益』とは法律上の根拠に基づいて財産的価値が認められる全ての種類の実体的権利をいうことで了解された。
(e) 同条3.によって取られる措置は同条1.でいう両国及びその国民の財産、権利及び利益と両国及びその国民間の請求権に関する問題を解決するために取られる各国の国内措置をいうことで意見の一致を見た。
(g) 同条1.でいう完全かつ最終的に解決されたことになる両国及びその国民の財産、権利及び利益と両国及びその国民間の請求権に関する問題には、韓日会談で韓国側から提出された『韓国の対日請求要綱』(いわゆる8項目)の範囲に属するすべての請求が含まれており、したがって同対日請求要綱に関しては如何なる主張もできなくなることを確認した。
オ.請求権協定締結による両国の措置
(1)請求権協定は、1965.8.14.大韓民国国会で批准同意され、1965.11.12.日本衆議院及び1965.12.11.日本参議院で批准同意された後、まもなく両国で公布され、両国が 1965.12.18.批准書を交換することで発效した。
(2)大韓民国は、請求権協定によって支給される資金を使うための基本的事項を定めるために1966.2.19.「請求権資金の運用及び管理に関する法律」(以下「請求権資金法」という)を制定し、続いて補償対象になる対日民間請求権の正確な証拠と資料を収集するために必要な事項を規定するため、1971.1.19.「対日民間請求権申告に関する法律」(以下「請求権申告法」という)を制定した。ところで請求権申告法で強制動員関連被害者の請求権に関しては「日本国によって軍人・軍属または労務者として召集または徴用され、1945.8.15.以前に死亡した者」のみを申告対象として限定した。以後、大韓民国は請求権申告法によって国民から対日請求権申告を受け付けた後、実際補償を執行するために1974.12.21.「対日民間請求権補償に関する法律」(以下「請求権補償法」という)を制定し、1977.6.30.まで総83、519件に対して総 91億 8、769万3、000ウォンの補償金(無償提供された請求権資金3億ドルの約 9.7%にあたる)を支給したが、そのうち被徴用死亡者に対する請求権補償金として総8、552件に対して1人当り30万ウォンずつ総25億6、560万ウォンを支給した。
(3) 日本は1965.12.18.「財産及び請求権に関する問題の解決と経済協力に関する日本国と大韓民国の間の協定第2条の実施による大韓民国などの財産権に対する措置に関する法律」(以下「財産権措置法」という)を制定した。その主な内容は、大韓民国またはその国民の日本またはその国民に対する債権または担保権として請求権協定第2条の財産、利益に該当するものを請求権協定日である1965.6.22.消滅させるというものである。
カ.大韓民国の追加措置
(1) 大韓民国は2004.3.5.日帝強占下強制動員被害の真相を糾明し、歴史の真実を明らかにすることを目的に「日帝強占下強制動員被害真相究明などに関する特別法」(以下「真相究明法」という)を制定した。上記法律とその施行令により「日帝強占下強制動員被害」に対する調査が全面的に実施された。
(2) 大韓民国は、2005年1月頃、請求権協定と関連した一部文書を公開した。その後構成された「韓日会談文書公開後続対策関連民官共同委員会」(以下「民官共同委員会」という)では、2005.8.26.「請求権協定は日本の植民支配賠償を請求するための交渉ではなく、サンフランシスコ条約第4条に基づき韓日両国間の財政的・民事的債権・債務関係を解決するためのものであり、日本軍慰安婦問題等、日本政府と軍隊等日本国家権力が関与した反人道的不法行為に対しては、請求権協定で解決されたものとみることはできず、日本政府の法的責任が残っており、サハリン同胞問題と原爆被害者問題も請求権協定の対象に含まれなかった」という趣旨の公式意見を表明したが、上記公式意見には下記の内容が含まれている。
〇韓日交渉当時、韓国政府は日本政府が強制動員の法的賠償、補償を認定しなかったことにより、『苦痛を受けた歴史的被害事実』に基づき政治的補償を求め、このような要求が両国間無償資金算定に反映されたと見なければならない。
〇請求権協定を通して日本から受けた無償3億ドルは、個人財産権(保険、預金等)、朝鮮総督府の対日債権等、韓国政府が国家として有する請求権、強制動員被害補償問題解決の性格の資金等が包括的に勘案されたと見なければならない。
〇請求権協定は、請求権の各項目別金額決定ではなく、政治交渉を通じて総額決定方式で妥結されたため、各項目別受領金額を推定するのは難しいが、政府は受領した無償資金のうち相当金額を強制動員被害者の救済に使用しなければならない道義的責任があると判断できる。
〇しかし、75年、我が政府の補償当時、強制動員負傷者を保護対象から除外する等、道義的次元から見た時、被害者補償が不十分であったと見る側面がある。
(3) 大韓民国は2006.3.9.請求権補償法に基づいた強制動員被害者に対する補償が不十分であることを認めて追加補償方針を明らかにした後、2007.12.10.「太平洋戦争戦後国外強制動員犠牲者等支援に関する法律」(以下「2007年犠牲者支援法」という)を制定した。上記法律とその施行令は、?1938.4.1.から1945.8.15.間に日帝によって軍人・軍務員・労務者などで国外に強制動員され、その期間中または国内に帰って来る過程で死亡したり行方不明となった「強制動員犠牲者」の場合、1人当り2、000万ウォンの慰労金を遺族に支給し、?国外に強制動員されて負傷により障害を負った「強制動員犠牲者」の場合、1人当り 2、000万ウォン以下の範囲内で障害の程度を考慮して大統領令で定める金額を慰労金として支給し、?強制動員犠牲者のうち生存者または上記期間中国外で強制動員されてから国内に帰って来た者の中で強制動員犠牲者にあたらない「強制動員生還者」のうち生存者が治療や補助装具使用が必要な場合に、その費用の一部として年間医療支援金80万ウォンを支給し、?上記期間中で国外に強制動員され労務提供などをした対価として日本国または日本企業などから支給を受けることができたであろう給料などを支払ってもらえなかった「未収金被害者」またはその遺族に未収金被害者が支給を受けることができたであろう未収金を当時の日本通貨1円に対して大韓民国通貨 2、000ウォンに換算して未収金支援金を支給するよう規定した。
(4) 一方、真相糾明法と2007年犠牲者支援法が廃止される代わりに2010.3.22.から制定され施行されている「対日抗争期強制動員被害調査及び国外強制動員犠牲者等支援に関する特別法」(以下「2010年犠牲者支援法」という)はサハリン地域強制動員被害者等を補償対象に追加して規定している。

2.上告理由第1点に関して
差戻し後の原審は、その判示と同じ理由をあげ、亡訴外人、原告2が本件訴訟に先立ち、日本において被告を相手に訴訟を提起し、同事件の日本判決で敗訴・確定されたとしても、同事件の日本判決が日本の韓半島と韓国人に対する植民支配が合法的であるという規範的認識を前提に日帝の「国家総動員法」と「国民徴用令」を韓半島と亡訴外人、原告2に適用することが有効であると評価した以上、このような判決理由が込められた同事件の日本判決をそのまま承認するのは大韓民国の善良な風俗や、その他の社会秩序に違反するものであり、したがって、我が国で同事件の日本判決を承認して、その効力を認定することはできないと判断した。
このような差戻し後の原審の判断は、差戻し判決の主旨によることとして、 そこに上告理由の主張とともに外国判決承認要件としての公序良俗違反に関する法理を誤解する等の違法はない。

3. 上告理由第2点に関して
差戻し後の原審は、その判示と同じ理由を引いて、原告らを労役に従事するようにした旧日本製鉄が、日本国の法律が定めたことによって解散され、その判示の「第2会社」が設立された後、吸収合併の過程を経て被告に変更されるなどの手続きを経たとしても、原告らは旧日本製鉄に対する本件請求権を被告に対しても行使することができると判断した。
このような差戻し後の原審の判断は、差戻し判決の趣旨によるものであり、そこに上告理由の主張のように、外国判決承認要件としての公序良俗違反に関する法理を誤解する等の違法はない。

4. 上告理由第3点に関して
ア.条約は全文・付属書を含む条約文の文脈および条約の対象と目的に照らして、その条約の文言に付与される通常の意味に従って誠実に解釈されなければならない。ここにおいて、文脈は条約文(全文および付属書を含む)の他に、条約の締結と関連して当事国間に成立したその条約に関する合意などを含み、条約の文言の意味が模糊としていたり曖昧であったりする場合などには、条約の交渉記録および締結時の事情などを補充的に考慮して、その意味を明らかにしなければならない。
イ.このような法理に従って、先に見た事実関係および採択された証拠により知ることが出来る次のような事情を総合してみれば、原告らが主張する被告に対する損害賠償請求権は、請求権協定の適用対象に含まれると見ることはできない。その理由は以下のとおりである。
(1)まず、この事件で問題となる原告らの損害賠償請求権は、日本政府の韓半島に対する不法な植民支配および侵略戦争の遂行と直結した日本企業の反人道的な不法行為を前提とする強制動員被害者の日本企業に対する慰謝料請求権(以下「強制動員慰謝料請求権」という)という点を明確にしておかなければならない。原告らは被告を相手に未支給賃金や補償金を請求しているのではなく、上記のような慰謝料を請求しているのである。
これと関連した差戻し後の原審の下記のような事実認定と判断は、記録上これを十分に首肯することができる。即ち、? 日本政府は日中戦争や太平洋戦争など、不法な侵略戦争の遂行過程において基幹軍需事業体である日本の製鉄所に必要な人力を確保するために、長期的な計画をたてて組織的に人力を動員し、核心的な基幹軍需事業体の地位にあった旧日本製鉄は、鉄鋼統制会に主導的に参加するなど、日本政府の上記のような人力動員政策に積極的に協力して、人力を拡充した。? 原告らは、当時、韓半島と韓国民らが日本の不法で暴圧的な支配を受けていた状況において、その後、日本で従事することになる労働内容や環境についてよくわからないまま、日本政府と旧日本製鉄の上記のような組織的な欺罔により動員されたと見るのが妥当である。? さらに、原告らは成年に至っていない幼い年齢で家族と離別し、生命や身体に危害を受ける可能性が非常に高い劣悪な環境において、危険な労働に従事し、具体的な賃金額も知らないまま強制的に貯金をしなければならず、日本政府の苛酷な戦時総動員体制のもとで外出が制限され、常時、監視され、脱出が不可能であり、脱出の試みが発覚した場合には苛酷な殴打に遭いもした。? このような旧日本製鉄の原告らに対する行為は、当時の日本政府の韓半島に対する不法な植民支配および侵略戦争の遂行と直結した反人道的な不法行為に該当し、このような不法行為によって原告らが精神的苦痛を受けたことは経験則上明白である。
(2)先に見た請求権協定の締結経過とその前後の事情、特に下記のような事情によれば、請求権協定は日本の不法な植民支配に対する賠償を請求するための取り決めではなく、基本的にサンフランシスコ条約第4条に基づき、韓日両国間の財政的・民事的債権・債務関係を政治的合意によって解決するためのものであったと考えられる。
? 先に見たとおり、戦後賠償問題を解決するために1951.9.8.米国など連合国48ケ国と日本の間に締結されたサンフランシスコ条約第4条(a)は、「日本の統治から離脱した地域(大韓民国もこれに該当)の施政当局およびその国民と日本および日本の国民間の財産上の債権・債務関係は、これらの当局と日本間の特別約定によって処理する」と規定している。
? サンフランシスコ条約が締結された後、ただちに第一次韓日会談(1952.2.15.から同年4.25.まで)が開かれたが、その時、韓国側が提示した8項目も基本的に韓日両国間の財政的・民事的債務関係に関するものであった。上記の8項目中第5項に「被徴用韓国人の未収金、補償金およびその他の請求権の返済請求」という文言があるが、8項目の他の部分のどこにも、日本植民支配の不法性を前提とする内容はないため、上記の第5項の部分も日本側の不法行為を前提とするものではなかったと考えられる。従って、上記の「被徴用韓国人の未収金、補償金およびその他の請求権の返済請求」に強制動員慰謝料請求権まで含まれると考えることは難しい。
? 1965.3.20.大韓民国政府が発刊した『韓日会談白書』(乙第18号証)によれば、サンフランシスコ条約第4条が韓日間の請求権問題の基礎になったと明示しており、さらには「上記第4条の対日請求権は戦勝国の賠償請求権と区別される。韓国はサンフランシスコ条約の調印当事国でないために、第14条の規定による戦勝国が享有する『損害および苦痛』に対する賠償請求権を認められなかった。このような韓日間の請求権問題には賠償請求を含ませることはできない。」という説明までしている。
? その後に実際に締結された請求権協定文やその付属書のどこにも、日本植民支配の不法性に言及する内容は全くない。請求権協定第2条1.においては、「請求権に関する問題は、サンフランシスコ条約第4条(a)に規定されたことを含み、完全かつ最終的に解決されたもの」として、上記の第4条(a)に規定されたこと以外の請求権も請求権協定の適用対象になりうると解釈される余地があるにはある。しかし、上記のとおり、日本の植民支配の不法性が全く言及されていない以上、上記の第4条(a)の範疇を越えて、請求権、すなわち植民支配の不法性と直結する請求権までも上記の対象に含まれると見ることは難しい。請求権協定に対する合意議事録(?)2.(g)においても「完全かつ最終的に解決されるもの」に上記の8項目の範囲に属する請求が含まれていると規定しているだけである。
? 2005年、民官共同委員会も「請求権協定は基本的に日本の植民支配の賠償を請求するためのものではなく、サンフランシスコ条約第4条に基づき、韓日両国間の財政的・民事的債権・債務関係を解決するためのものである」と公式意見を明らかにした。
(3)請求権協定第1条により日本政府が大韓民国政府に支給した経済協力資金が第2条による権利問題の解決と法的な代価関係があると考えられ得るかも明らかではない。
請求権協定第1条では「3億ドル無償提供、2億ドル借款(有償)の実行」を規定しているが、その具体的な名目については何の内容もない。借款の場合、日本の海外経済協力基金により行われることとし、上記の無償提供および借款が大韓民国の経済発展に有益なものでなければならないという制限を設けているのみである。請求権協定の全文において、「請求権問題の解決」に言及してはいるものの、上記の5億ドル(無償3億ドルと有償2億ドル)と具体的に連結する内容はない。これは請求権協定に対する合意議事録(?)2.(g)で言及された「8項目」の場合も同様である。当時の日本側の立場も、請求権協定第1条のお金が基本的に経済協力の性格であるというものであったし、請求権協定第1条と第2条の間に法律的な相互関係が存在しないという立場であった。
2005年、民官共同委員会は、請求権協定当時、政府が受領した無償資金のうちの相当額を強制動員被害者の救済に使用しなければならない「道義的責任」があったとしたうえで、1975年の請求権補償法などによる補償は「道義的次元」から見る時、不充分であったと評価した。そして、その後に制定された2007年の犠牲者支援法および2010年の犠牲者支援法の両方が、強制動員関連被害者に対する慰労金や支援金の性格が「人道的次元」のものであることを明示した。
(4) 請求権協定の交渉過程で日本政府は植民支配の不法性を認めないまま、強制動員被害の法的賠償を徹底的に否認し、これに伴い韓日両国の政府は日帝の韓半島支配の性格に関して合意に至ることができなかった。このような状況で強制動員慰謝料請求権が請求権協定の適用対象に含まれたと見るのは.難しい。
請求権協定の一方の当事者である日本政府が不法行為の存在およびそれに対する賠償責任の存在を否認する状況で、被害者側である大韓民国政府が自ら強制動員慰謝料請求権までも含む請求権協定を締結したとは考えられないためである。
(5) 差戻し後の原審において、被告が追加で提出した証拠なども、強制動員慰謝料請求権が請求権協定の適用対象に含まれないという上記のような判断に支障を与えるとは考えられない。
上記の証拠によれば、1961.5.10.第5次韓日会談予備会談の過程で、大韓民国側が「他国民を強制的に動員することによって負わせた被徴用者の精神的、肉体的苦痛に対する補償」に言及した事実、1961.12.15.第6次韓日会談予備会談の過程で大韓民国側が「8項目に対する補償として総額12億 2,000万ドルを要求しながら、そのうちの3億 6,400万ドル(約30%)を強制動員被害補償に対するものとして算定(生存者1人当り200ドル、死亡者1人当たり1,650ドル、負傷者1人当り2,000ドル基準)」した事実などを知ることもできる。
しかし、上記のような発言内容は大韓民国や日本の公式見解でなく、具体的な交渉過程で交渉担当者が話したことに過ぎず、13年にわたった交渉過程において一貫して主張された内容でもない。「被徴用者の精神的、肉体的苦痛」に言及したのは、交渉で有利な地位を占めようという目的から始まった発言に過ぎないものと考えられる余地が大きく、実際に当時日本側の反発で第5次韓日会談の交渉は妥結されることもなかった。また、上記のとおり、交渉過程で総額12億2,000万ドルを要求したにもかかわらず、実際には請求権協定は3億ドル(無償)で妥結した。このように要求額にはるかに及ばない3億ドルのみを受けとった状況で、強制動員慰謝料請求権も請求権協定の適用対象に含まれていたものとは、とうてい考えにくい。
ウ.差し戻し後の原審がこのような趣旨から、強制動員慰謝料請求権は請求権協定の適用対象に含まれないと判断したのは正しい。その点において、上告理由の主張のように請求権協定の適用対象と効力に関する法理を誤解しているなどの違法はない。
一方、被告はこの部分の上告理由において、強制動員慰謝料請求権が請求権協定の適用対象に含まれるという前提の元に、請求権協定で放棄された権利が国家の外交的保護権に限定されてのみ放棄されたのではなく、個人請求権自体が放棄(消滅)されたのだという趣旨の主張もしているが、この部分は差し戻し後の原審の仮定的判断に関するものとして、さらに検討してみる必要はなく、受け入れることはできない。

5.上告理由第4点に関して
差し戻し後の原審は、1965年に韓日間に国交が正常化したが、請求権協定関連文書がすべて公開されていない状況において、請求権協定で大韓民国国民の日本国または日本国民に対する個人請求権までも包括的に解決されたとする見解が、大韓民国内で広く受け入れられてきた事情など、その判示のような理由を挙げて、この事件の訴訟提起当時まで原告らが被告を相手に大韓民国で客観的に権利を行使できない障害事由があったと見ることは相当であるため、被告が消滅時効の完成を主張して原告らに対する債務の履行を拒絶することは著しく不当であり、信義誠実の原則に反する権利の濫用として許容することはできないと判断した。
このような差戻し後の原審の判断もまた差戻判決の趣旨に従ったものであって、そこに上告理由の主張のような消滅時効に関する法理を誤解するなどの違法はない。

6.上告理由第5点に関して
不法行為によって受けた精神的苦痛に対する慰謝料の金額に関しては、事実審の裁判所が諸般の事情を参酌して、その職権に属する裁量によってこれを確定できる(大法院1999.4.23.宣告 98ダ41377判決など参照)。
差戻し後の原審はその判示のような理由で原告らに対する慰謝料を判示金額に定めた。差戻し後の原審判決の理由を記録に照らし検討すれば、この部分の判断に上告理由の主張のような慰謝料の算定における著しく相当性を欠くなどの違法はない。

7.結論
したがって、上告をすべて棄却し、上告費用は敗訴者が負担することとし、主文の通り判決する。この判決には上告理由第3点に関する判断について、大法官李起宅の個別意見、大法官金昭英、大法官李東遠、大法官盧貞姫の個別意見が各々あり、大法官権純一、大法官趙載淵の反対意見がある他には、関係判事の意見は一致し、大法官金哉衡、大法官金善洙の多数意見に対する補充意見がある。

8.上告理由第3点に関する判断に対する大法官李起宅個別意見
ア.この部分の上告理由の要旨は、原告らが主張する被告に対する損害賠償請求権は請求権協定の適用対象に含まれ、請求権協定に含まれている請求権は国家の外交的保護権のみでなく個人請求権まで完全に消滅したものと見なければならないというものである。
この問題に関して、すでに差戻判決は、「原告らの損害賠償請求権は請求権協定の適用対象に含まれなくておらず、含まれるとしても、その個人請求権自体は請求権協定だけでは当然消滅せず、ただ請求権協定でその請求権に関する大韓民国の外交的保護権が放棄されただけである」と判示し、差戻し後の原審もこれにそのまま従った。
上告審から事件を差戻された裁判所は、その事件を裁判する時に、上告裁判所が破棄理由とした事実上および法律上の判断に拘束される。このような差戻判決の拘束力は再上告審にも及ぶのが原則である。従って、差戻判決の拘束力に反する上記のような上告理由の主張は受け入れられない。具体的に検討すれば次のとおりである。
イ.裁判所組織法第8条は「上級裁判所裁判における判断は該当事件に関して、下級審を拘束する。」と規定しており、民事訴訟法第436条第2項は「事件を差戻されたり移送された裁判所は再び弁論を経て裁判しなければならない。この場合には、上告裁判所が破棄の理由とみなした事実上および法律上の判断に拘束される。」と規定している。従って、上告裁判所から事件を差戻された裁判所は、その事件を裁判する時に上告裁判所が破棄理由とした事実上および法律上の判断に拘束される。ただし、差戻し後の審理過程で新しい主張や証明が提出されて、拘束的判断の基礎となった事実関係に変動が生じた場合には、例外的に拘束力が及ばないこともある(大法院1988.3.8.宣告87ダカ1396判決など参照)。
この事件で、仮に差戻し後の原審の審理過程で新しい主張や証明を通して、差戻判決のこの部分の判断の基礎になった事実関係に変動が生じたと評価しうるならば、拘束力が及ばないと考え得る。
しかし、まず多数意見が適切に説示した通り、差戻し後の原審で被告が追加で提出した証拠により知りうる第5次および第6次韓日会談予備会談の過程での大韓民国側の発言内容だけでは、とうてい「原告らの損害賠償請求権は請求権協定の適用対象に含まれない」という差戻判決の拘束的判断の基礎になった事実関係に変動が生じた場合だと見るのは困難である。
また、差戻判決の仮定的判断、即ち、「個人請求権自体は請求権協定だけで当然消滅せず、ただ請求権協定でその請求権に関する大韓民国の外交的保護権が放棄されたのみである」という部分も、その判断の基礎になった事実関係に変動が生じたと見るのが困難なのは同様である。これと関連して、差戻し後の原審で新たに提出された証拠は、主に請求権協定の解釈についての各自の見解を明らかにしたものに過ぎず、「事実関係」の変動だと評価することも難しい。
ウ.差戻判決の拘束力は差し戻し後の原審だけでなく再上告審にも及ぶのが原則である(大法院1995.8.22.宣告94ダ43078判決など参照)。
ただし、大法院2001.3.15.宣告98ドゥ15597の全員合議体の判決は「大法院は法令の正当な解釈適用とその統一を主たる任務とする最高法院であり、大法院の全員合議体は従前に大法院で判示した法令の解釈適用に関する意見を自ら変更できるものでるところ(裁判所組織法第7条第1項第3号)、差戻判決が破棄理由とした法律上の判断もここで言う「大法院で判示した法令の解釈適用に関する意見」に含まれるものであるから、大法院の全員合議体が従前の差戻判決の法律上の判断を変更する必要があると認める場合には、それに拘束されず、通常の法令の解釈適用に関する意見の変更手続きにより、これを変更できると見なければならないだろう。」として、差戻判決の拘束力が再上告審の全員合議体には及ばないという趣旨として判示したことがある。
しかし、上記の98ドゥ15597の全員合議体判決の意味を「全員合議体で判断する以上、いつでも差戻判決の拘束力から抜け出せる」というものとして理解してはならない。「差戻判決に明白な法理の誤解があり、必ずこれを是正しなければならない状況であったり、差戻判決が全員合議体を経ないまま従前の大法院判決が取った見解と相反する立場を取ったりした場合のような例外的な場合に限り拘束力が及ばない」という意味として解釈しなければならない。このように見ない場合、法律で差戻判決の拘束力を認めた趣旨が没却される恐れがあるからである。実際に、上記の上の98ドゥ15597の全員合議体判決の事案自体も、差戻判決に明白な法理誤解の誤りがあったのみならず、差戻判決が全員合議体を経もしないまま、既存の大法院判決に抵触する判断をした場合であった。
このような法理に従って、この事件に立ち返って検討するなら、請求権協定の効力と関連して、差戻判決が説示した法理に明白な誤謬があるだとか、従前の大法院判決に反する内容があるとは考えられない。従って、この事件を全員合議体で判断するとしても、おいそれと差戻判決が説示した法理を再審査したり、覆したりすることができると見ることはできない。
エ.結局どの角度から見ても、この部分の上告理由の主張は差戻判決の拘束力に反するものとして受け入れられない。
一方、先に見た上告理由第1、2、4点に関する判断の部分において、「差戻し後の原審の判断は差戻判決の趣旨に沿うものであって、上告理由の主張のような違法はない」と判示したのは、上記のような差戻判決の拘束力に関する法理に沿うものと考えられるので、この部分の判断に対しては、多数意見と見解を異にしないという点を付け加えておきたい。
以上の通りの理由で、上告を棄却するべきであるという結論においては、多数意見と意見を同じくするが、上告理由第3点に関しては多数意見とその具体的な理由を異にするために、個別意見としてこれを明らかにしておく。

9. 上告理由第3点に関する判断についての大法官金昭英、大法官李東遠、大法官盧貞姫の個別意見
ア. 請求権協定にもかかわらず、原告が被告に対して強制動員被害に対する慰謝料請求権を行使することができるという点については多数意見と結論を同じくする。ただしその具体的な理由は多数意見と見解を異にする。
多数意見は、「原告らが主張する被告に対する損害賠償請求権は、請求権協定の適用の対象に含まれるとはいえない」との立場をとっている。しかし請求権協定の解釈上、原告の損害賠償請求権は請求権協定の対象に含まれるというべきである。ただし原告ら個人の請求権自体は請求権協定により当然に消滅するということはできず、請求権協定によりその請求権に関する大韓民国の外交的保護権のみが放棄されに過ぎない。したがって原告らは依然として大韓民国において被告に対して訴訟により権利を行使することができる。
このように解すべき具体的な理由は次の通りである。
イ. まず条約の解釈方法について多数意見が明らかにした法理については見解を異にしない。これらの法理に基づき、差戻し後の原審で初めて提出された各証拠(乙第16乃至18、37乃至39、40乃至47、50、52、53、55号証)も含めて原審が適法に採択・調査した各証拠によって明らかになった事実関係を検討すると、多数意見とは異なり原告らの被告に対する損害賠償請求権は請求権協定の対象に含まれると見ることが妥当である。
(1)差戻し後の原審で提出された各証拠をはじめとする採用証拠によって明らかになった請求権協定の具体的な締結過程は次の通りである。
(ア)前記のように1952年2月15日に開催された第1回韓日会談当時、大韓民国は8項目を提示したが、その後日本の逆請求権の主張、独島と平和線問題(訳注 日本で言う『李承晩ライン問題』)についての意見の対立、両国の政治的状況などにより第4回韓日会談では8項目についての議論が適切に行われなかった。
(イ)第5回韓日会談から8項目の実質的な討議が行われ、第5回韓日会談では以下のような議論があった。
?1961年5月10日の.第5回韓日会談予備会談一般請求権小委員会第13回会議で大韓民国側8項目のうち、上記第5項(韓国法人または韓国自然人の日本銀行券、被徴用韓国人の未収金、補償金およびその他の請求権の弁済請求)と関連して、「強制徴用で被害を受けた個人に対する補償」を日本側に要求した。具体的には「生存者、負傷者、死者、行方不明者及び兵士・軍属を含む被徴用者全般に対して補償を要求するもの」であるとして、「これは他国の国民を強制的に動員することにより被った被徴用者の精神的肉体的苦痛に対する補償を意味する」という趣旨であると説明した。これに対し日本側が個人の被害に対する補償を要求するものか、大韓民国として韓国人被害者の具体的な調査をする用意があるか等について質問すると、大韓民国側は「国として請求するものであり、被害者個人に対する補償は国内で措置する性質のもの」との立場を表明した。
?日本側は大韓民国側の上記のような個人の被害補償の要求に反発し、具体的な徴用・徴兵の人数や証拠資料を要求したり、両国国交の回復後に個別的に解決する方法を提示するなど、大韓民国側の要求にそのまま応じることができないという立場を表明した。
?第5回韓日会談の請求権委員会では、1961年5月16日の.軍事政変によって協議が中断されるまで8項目の第1項から第5項までについて討議が行われたが、根本的な認識の差異を確認するにとどまり、実質的な妥協を行うことはできなかった。
(ウ)第6次韓日会談が1961年10月20日に開始された後は、請求権の細部についての議論は時間がかかるばかりで解決が長引くとの判断から政治的な側面の妥協が探られ、下記のような交渉過程を経て第7次韓日会談中の1965年6月22日、ようやく請求権協定が締結された。
?1961年12月15日の第6回韓日会談予備会談一般請求権小委員会第7回会議で大韓民国側は日本側に8項目に対する補償として合計12億2,000万ドルを要求し、強制動員に対する被害補償として生存者1人当たり200ドル、死亡者1人当たり1,650ドル、負傷者1人当たり2,000ドルを基準として計算した3億6,400万ドル(約30%)と算定した。
?1962年3月頃の外相会談では、大韓民国側の支払要求額と日本側の支払準備額を非公式に提示することにしたが、その結果大韓民国側の支払い要求額である純弁済7億ドルと、日本側の支払準備額である純弁済7,000万ドル及び借款2億ドルの間に顕著な差があることが確認された。
?このような状況において日本側は、初めから請求権に対する純弁済とすると法律関係と事実関係を厳格に解明しなければならないだけでなく、その金額も少額となり大韓民国が受諾できなくなるであろうから、有償と無償の経済協力の形式をとり、金額を相当程度引き上げ、その代わり請求権を放棄することにしようと提案した。これに対して大韓民国側は請求権に対する純弁済を受けるべきであるという立場であるが問題を大局的見地から解決するために請求権解決の枠内で純弁済と無相照支払の2つの名目で解決することを主張し、その後再び譲歩して請求権解決の枠の中で純弁済と無相照支払の2つの名目とするが、その金額をそれぞれ区分して表示せず、総額だけを表示する方法で解決することを提案した。
?その後、当時の金鍾泌キムジョンピル中央情報部長は日本で池田首相と1回、大平日本外相と2回にわたって会談し、大平外相との1962年11月12日の第2回会談時に請求権問題の金額、支払細目及び条件等について両国政府に提案する妥結案に関する原則的な合意をした。その後の具体的調整過程を経て、第7回韓日会談が進行中であった1965年4月3日、当時外務部長官であった
李イ東元ドンウォンと日本の外務大臣であった椎名悦三郎の間に「韓日間の請求権問題の解決及び経済協力に関する合意」が成立した。
(2)前記のように、請求権協定の前文は「日本国及び大韓民国は、両国及びその国民の財産並びに両国及びその国民の間の請求権以下「請求権協定上の請求権」という)に関する問題を解決することを希望し、両国間の経済協力を増進することを希望して、次のとおり協定した。」と述べ、第2条1は「両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、1951年9月8日にサンフランシスコ市で署名された日本国との平和条約第4条(a)に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。」と定めた。
また、請求権協定と同日に締結され請求権協定の合意議事録(?)は、上記第2条について「同条1.でいう完全かつ最終的に解決されたことになる両国及びその国民の財産、権利及び利益と両国及びその国民間の請求権に関する問題には、韓日会談で韓国側から提出された『韓国の対日請求要綱』(いわゆる8項目)の範囲に属するすべての請求が含まれており、したがって同対日請求要綱に関しては如何なる主張もできなくなることを確認した。と定めたが、8項目の第5項には、「被徴用韓国人の未収金、補償金およびその他の請求権(以下「被徴用請求権」という)の弁済請求」が含まれている。
このような請求権協定などの文言によれば、大韓民国と日本の両国は、国家と国家の間の請求権についてだけでなく、一方の国民の相手国とその国民に対する請求権も協定の対象としたことが明らかであり、請求権協定の合意議事録(?)は請求権協定上の請求権の対象に被徴用請求権も含まれることを明らかにしている。
(3)請求権協定自体の文言は、第1条に従って日本が大韓民国に支給することにした経済協力資金が第2条による権利問題の解決に対する対価であるのかについて明確には規定していない。
しかし、前記のように、?大韓民国は1961年5月10日の.第5回韓日会談予備会談一般請求権小委員会第13回会議において被徴用請求権について「生存者、負傷者、死亡者、行方不明者及び兵士・軍属を含む被徴用者全般に対する補償」を要求し、他国の国民を強制的に動員することにより被った被徴用者の精神的肉体的苦痛に対する補償」までも積極的に要請しただけでなく、1961年12月15日の第6回韓日会談予備会談一般請求権小委員会第7回会議で強制動員被害補償金を具体的に3億6、400万ドルと算定し、これを含めて8項目の合計補償金12億2,000万ドルを要求し、?第5回韓日会談当時、大韓民国が、上記要求額は国家として請求するものであり被害者個人に対する補償は国内で措置するものであると主張したが、日本は具体的な徴用・徴兵の人数や証拠資料を要求して交渉が難航し、?これに対して日本は証明の困難などを理由に有償と無償の経済協力の形式をとり、金額を相当程度引き上げ、その代わりに請求権を放棄する方式を提案し、大韓民国が純弁済及び無相照の2つの名目で金員を受領するが具体的な金額は項目別に区分せずに総額のみを表示する方法を再提案することによって、?以降の具体的な調整過程を経て1965年6月22日、第1条では経済協力資金の支援について定め、第2条では権利関係の解決について定める請求権協定が締結された。
これらの請求権協定の締結に至るまでの経緯等に照らしてみると、請求権協定上の請求権の対象に含まれる被徴用請求権は、強制動員被害者の損害賠償請求権まで含んだものであり、請求権協定第1条で定めた経済協力資金は実質的にこれらの損害賠償請求権まで含めた第2条で定めた権利関係の解決に対する対価ないし補償としての性質をその中に含んでいるように見え、両国も請求権協定締結当時そのように認識したと見るのが妥当である。
(4)8項目のうち第5項は被徴用請求権について「補償金」という用語を使用し、「賠償金」という用語は使用していない。しかしその「補償」が「植民支配の合法性を前提とする補償」のみを意味するとは考えがたい。上記のように交渉の過程で双方が示した態度だけを見ても、両国政府が厳密な意味での「補償」と「賠償」を区分していたとは思えない。むしろ両国は「植民支配の不法性を前提とした賠償」も当然請求権協定の対象に含めることを相互認識していたと思われる。
(5)それだけでなく、大韓民国は請求権協定によって支給される資金使用の基本的事項を定めるために請求権資金法及び請求権申告法などを制定・施行し、日本によって労務者として徴用され1945年8月15日.以前に死亡した者の請求権を請求協定に基づいて補償する民間請求権に含め、その被徴用死亡者の申告及び補償手続を完了した。これは強制動員被害者の損害賠償請求権が請求権協定の適用対象に含まれていることを前提としたものと思われる。
そして請求権協定に関するいくつかの文書が公開された後に構成された民官共同委員会も2005年8月26日、請求権協定の法的効力について公式意見を表明したが、日本国慰安婦問題など日本政府と軍隊などの日本国家権力が関与した反人道的不法行為については請求権協定によって解決されたと見ることができないとしながらも、強制動員被害者の損害賠償請求権については「請求権協定を通じて日本から受けた無償3億ドルに強制動員被害補償問題を解決するための資金などが包括的に勘案された」とした。
さらに大韓民国は2007年12月10日の請求資金法等により行われた強制動員被者に対する補償が不十分であったという反省的な考慮から2007年の犠牲者支援法を制定・施行し、1938年 4月1日から1945年8月15日までの間に日帝によって労務者などとして国外に強制動員された犠牲者・負傷者・生還者等に対し慰労金を支給し、強制的に動員されて労務を提供したが日本企業などから支給されなかった未収金を大韓民国の通貨に換算して支給した。
このように大韓民国は請求権協定に強制動員被害者の損害賠償請求権が含まれていていることを前提として、請求権協定締結以来長期にわたり、それ従って補償などの後続措置をとってきたことが分かる。
(6)以上の内容、すなわち請求権協定及びそれに関する了解文書などの文言、請求権協定の締結経緯や締結当時の推定される当事者の意思、請求権協定の締結に従った後続措置などの各事情を総合すると、強制動員被害者の損害賠償請求権は請求権協定の適用対象に含まれると見るのが妥当である。
それにも関わらず、これと異なり原告らの被告に対する損害賠償請求権が請求権協定の適用対象に含まれていたとは言いがたいとする本件差戻し後の原審のこの部分の判断には条約の解釈に関する法理などを誤解した誤りがある。
ウ. しかし、上記のような誤りにもかかわらず、「原告らの個人請求権自体は請求権協定のみによって当然に消滅すると見ることができず、ただ請求権協定によりその請求権に関する大韓民国の外交的保護権が放棄されることにより、日本の国内措置で当該請求権が日本国内で消滅しても、大韓民国がこれを外交的に保護する手段を失うことになるだけである」という差戻し後の原審の仮定的判断は下記の理由から首肯することができる。
(1)請求権協定には、個人請求権消滅について、韓日両国政府の意思合致があったと見るだけの十分かつ明確な根拠がない。
過去に主権国家が外国と交渉をして自国の国民の財産や利益に関する事項を一括的に解決する、いわゆる一括処理協定(lump sum agreements)が国際紛争の解決・予防のための方式の一つとして採用されてきたとも見ることができる。ところが、このような協定を通じて国家が「外交的保護権(diplomatic protection)」、すなわち「自国民が外国で違法・不当な取り扱いを受けた場合、その国籍国が外交手続などを通じて外国政府に対して自国民の適切な保護や救済を求めることができる国際法上の権利」を放棄するだけでなく、個人の請求権までも完全に消滅させることができるというためには、少なくとも該当条約にこれに関する明確な根拠が必要であると言わねばならない。国家と個人が別個の法的主体であるという近代法の原理は国際法上も受け入れられているが、権利の「放棄」を認めようとするならその権利者の意思を厳格に解釈しなければならないという法律行為の解釈の一般原則によれば、個人の権利を国家が代わりに放棄する場合には、これをより厳しく解さなければならないからである。ところが請求権協定はその文言上、個人請求権自体の放棄や消滅については何の規定も置いていない。この点で連合国と日本の間で1951年9月8日に締結されたサンフランシスコ条約第14条(b)で、「連合国は、すべての請求、連合国とその国民の賠償請求及び軍の占領費用に関する請求をすべて放棄する」と定めて、明示的に請求権の放棄(waive)という表現を使用したことと区別される。もちろん請求権に関する問題が「完全かつ最終的に解決されたことになる」という表現が用いられはしたが、上記のような厳格解釈の必要に照らし、これを個人請求権の「放棄」や「消滅」と同じ意味とは解しがたい。
前述の証拠によれば、請求権協定締結のための交渉過程で日本は請求権協定に基づいて提供される資金と請求権との間の法律的対価関係を一貫して否定し、請求権協定を通じて個人請求権が消滅するのではなく国の外交的保護権のみが消滅するという立場を堅持した。これに対し大韓民国と日本の両国は請求権協定締結当時、今後提供される資金の性格について合意に至らないまま請求権協定を締結したとみられる。したがって請求権協定で使用された「解決されたことになる」とか、主体などを明らかしないまま「いかなる主張もできないものとする」などの文言は意図的に使用されたものといわねばならず、これを個人請求権の放棄や消滅、権利行使の制限が含まれたものと安易に判断してはならない。
このような事情等に照らすと、請求権協定での両国政府の意思は個人請求権は放棄されないことを前提に政府間だけで請求権問題が解決されたことにしようというもの、すなわち外交的保護権に限定して放棄しようというものであったと見るのが妥当である。
(2)前述のように、日本は請求権協定の直後、日本国内で大韓民国国民の日本国及びその国民に対する権利を消滅させる内容の財産権措置法を制定・施行した。こうした措置は、請求権協定だけでは大韓民国国民個人の請求権が消滅していないことを前提とするとき、初めて理解することができる。すなわち前記のように、請求権協定当時、日本は請求権協定を通じて個人請求権が消滅するのではなく国の外交的保護権のみが放棄されると見る立場であったことが明らかあり、協定の相手方である大韓民国もこのような事情を熟知していたと思われる。したがって両国の真の意思もやはり外交的保護権のみ放棄されることで一致していた見ることが合理的である。
大韓民国が1965年7月5日に発行した「日本国と大韓民国との間の条約と協定解説」には、請求権協定第2条について「財産及び請求権の問題の解決に関する条項により消滅する当方の財産及び請求権の内容を見ると、我々が最初に提示した8項目の大対日請求要綱で要求したものはすべて消滅することになり、従って被徴用者の未収金及び補償金、韓国人の対日本政府及び日本国民に対する各種請求などがすべて完全にそして最終的に消滅することになる。」とされている。これによると当時の大韓民国の立場が個人請求権も消滅するというものであったと見る余地もないとは言えない。しかし、上記のように当時の日本の立場が「外交的保護権限定放棄」であることが明白であった状況において大韓民国の内心の意思が上記のようなものであったとしても、請求権協定で個人請求権まで放棄されることについて意思の合致があったと見ることはできない。さらに後の大韓民国で請求権資金法などの補償立法を通じて強制動員被害者に対して行われた補償内容が実際の被害に比べて極めて微々たるものであった点に照らしてみても、大韓民国の意思が請求権協定を通じて個人請求権も完全に放棄させるというものであったと断定することも困難である。
(3)一括処理協定の効力と解釈と関連して国際司法裁判所(ICJ)が2012年2月3日に宣告したドイツのイタリアの主権免除事件(Jurisdictional Immunities of the State、Germany v. Italy:Greece intervening)が国際法的観点から議論されている。しかしながら、他の多くの争点はともかくとしても、1961年6月2日にイタリアと西ドイツの間で締結された「特定財産に関連する経済的・財政的な問題の解決に関する協定(Treaty on the Settlement of certain property-related、 economic and financial questions)」及び「ナチスの迫害を受けたイタリアの国民に対する補償に関する協定(Agreement on Compensation for Italian Nationals Subjected to National-Socialist Measures of Persecution)」が締結された経緯、その内容や文言が請求権協定のそれと同じではないので、請求権協定をイタリアと西ドイツの間の上記条約と単純比較することは妥当ではない。
エ. 結局、原告らの被告に対する損害賠償請求権が請求権協定の対象に含まれていないとする多数意見の立場には同意することができないが、請求権協定にもかかわらず、原告らが被告に対して強制動員被害に関する損害賠償請求権を行使することができるとする差戻し後の原審の結論は妥当である。そこにはこの部分の上告理由の主張に言うような請求権協定の効力、大韓民国国民の日本国民に対する個人請求権の行使の可能性に関する法理などを誤解した誤りはない。

10. 大法官権純一、大法官趙載淵の反対意見
ア. 大法官金昭英、大法官李東遠、大法官盧貞姫の個別意見(以下「個別意見2」という)が上告理由3について、請求権協定の解釈上原告らの損害賠償請求権が請求権協定の対象に含まれるという立場をとったことについては見解を同じくする。
しかし、個別意見2が請求権協定では大韓民国の外交的保護権のみが放棄されたとして、原告らが大韓民国において被告に対して訴訟によっての権利を行使することができると判断したことには同意できない。その理由は次の通りである。
イ. 請求権協定第2条1は、「…両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が…完全かつ最終的に解決されたことになることを確認する。」と規定している。ここにいう「完全かつ最終的に解決されたことになる」という文言の意味が何なのか、すなわち請求権協定によって両締約国がその国民の個人請求権に関する外交保護権だけを放棄したことを意味するのか、またはその請求権自体が消滅するという意味なのか、それとも両締約国の国民がもはや訴訟によって請求権を行使することができないことを意味するのかは、基本的に請求権協定の解釈に関する問題である。
(1)憲法により締結・公布された条約と一般的に承認された国際法規は、国内法と同等の効力を有する(憲法第6条第1項)。そして具体的な事件において当該法律又は法律条項の意味・内容と適用範囲を定める権限、すなわち法令の解釈・適用権限は司法権の本質的内容をなすものであり、これは大法院を最高法院とする裁判所に専属する(大法院2009年2月12日宣告2004.10289判決参照)。
請求権協定は、1965年8月14日に大韓民国国会で批准同意され、1965年12月18日に条約第172号として公布されたので、国内法と同じ効力を有する。したがって、請求権協定の意味・内容と適用範囲は、法令を最終的に解釈する権限を有する最高法院である大法院によって最終的に定める他はない。
(2)条約の解釈は、1969年に締結された「条約法に関するウィーン条約(Vienna Convention on the Law of Treaties、以下「ウィーン条約」という)」を基準とする。ウィーン条約は大韓民国に対しては1980年1月27日、日本に対しては1981年8月1日に各々発効したものであるが、その発効前に既に形成されていた国際慣習法を規定したものであるから、請求権協定を解釈する際にウィーン条約を適用しても時制法の問題はない。
ウィーン条約第31条(解釈の一般規則)によれば、条約は全文及び附属書を含む条約文の文脈及び条約の対象と目的に照らしてその条約の文言に付与される通常の意味に従って誠実に解釈しなければならない。ここにいう条約の解釈上の文脈とは、条約文の他に条約の締結に関して締約国間で行われたその条約に関する合意などを含む。そしてウィーン条約第32条(解釈の補充的手段)によれば、第31条の適用から導かれる意味を確認するため、又は第31条の規定により解釈すると意味が曖昧模糊となる場合、明らかに不合理または不当な結果をもたらす場合には、その意味を決定するために条約の準備作業または条約締結時の事情を含む解釈の補充的手段に依存することができる。
(3)請求権協定の前文は、「両国及びその国民の財産並びに両国及びその国民の間の請求権に関する問題を解決することを希望し」と述べ、第2条1は「両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が…平和条約第4条(a)に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。」と規定しており、第2条3は、「…一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対するすべての請求権であって…いかなる主張もすることができないものとする。」と規定した。また、請求権協定の合意議事録(?)は請求権協定第2条について「同条1にいう完全かつ最終的に解決されたこととなる両国及びその国民の財産、権利及び利益並びに両国及びその国民の間の請求権に関する問題には、日韓会談において韓国側から提出された「韓国の対日請求要綱」(いわゆる8項目)の範囲に属するすべての請求が含まれており、したがつて、同対日請求要綱に関しては、いかなる主張もなしえないこととなることが確認された。」と規定し、対日請求要綱8項目の中には「被徴用韓国人の未収金、補償金およびその他の請求権の弁済請求」が含まれている。
上記のような請求権協定第2条、請求権協定の合意議事録(?)などの文言、文脈及び請求権協定の対象と目的等に照らし、請求権協定第2条をその文言に付与される通常の意味に従って解釈すれば、第2条1で「完全かつ最終的に解決されたもの」は、大韓民国及び大韓民国国民の日本および日本国民に対するすべての請求権と日本及び日本国民の大韓民国及び大韓民国国民に対するすべての請求権に関する問題であることは明らかであり、第2条3にすべての請求権について「いかなる主張もできないものとする」と規定している以上、「完全かつ最終的に解決されたことになる」という文言の意味は、両締約国はもちろん、その国民ももはや請求権を行使することができなくなったという意味であると解さなければならない。
(4)国際法上国家の外交的保護権(diplomatic protection)とは、外国で自国民が違法・不当な扱いを受けたが、現地の機関を通じた適切な権利救済が行われない場合に、最終的にその国籍国が外交手続や国際司法手続を通じて外国政府に対して自国民に対する適切な保護や救済を求めることができる権利である。外交的保護権の行使主体は被害者個人ではなくその国籍国であり、外交的保護権は国家間の権利義務に関する問題に過ぎず国民の個人の請求権の有無に直接影響を及ぼすことはない。
ところが前述のように請求権協定第2条は大韓民国の国民と日本の国民の相手方の国とその国民に対する請求権まで対象としていることが明らかであるから、請求権協定を国民個人の請求権とは関係なく両締約国が相互に外交的保護権を放棄するだけの内容の条約であるとは解しがたい。また、請求権協定第2条1に規定する「完全かつ最終的に解決される」という文言は請求権に関する問題が締約国間ではもちろんその国民の間でも完全かつ最終的に解決されたという意味に解釈するのがその文言の通常の意味に合致し、単に締約国の間で相互に外交的保護権を行使しないことにするという意味に読むことはできない。
(5)日本は請求権協定締結後、請求権協定で両締約国の国民の個人請求権が消滅するのではなく両締約国が外交的保護権のみを放棄したものであるという立場をとってきた。これは日本政府が自国の国民に対する補償義務を回避するために「在韓請求権について外交的保護権を放棄した」という立場をとったことから始まったものである。しかし下記のように大韓民国は最初から対日請求要綱8項目を提示し、強制徴用被害者に対する補償を要求し、請求権資金の分配は全的に国内法上の問題であるという立場をとり、このような立場は請求権協定締結当時まで維持された。
前述の事実関係及び記録によれば次のような事実を知ることができる。つまり、?大韓民国側は1952年 2月15日の.第1次韓日会談から8項目を日本側に提示し、1961年5月10日の第5回日韓会談予備会談の一般請求権小委員会第13回会議で、8項目のうち第5項について「強制徴用により被害を受けた個人に対する補償」を日本側に要求し、個人の被害に対する補償を要求するのかという日本側の質問に対し「国として請求するものであり、被害者個人に対する補償は国内で措置する性質のもの」という立場を表明した。 ?1961年12月15日の第6回日韓会談予備会談一般請求権小委員会の第7回会議で大韓民国側は日本側に8項目の補償として合計12億2、000万ドルを要求し、その中で強制動員に対する被害補償金を3億6、400万ドルと算定して提示した。 ?請求権協定締結直後の1965年7月5日に大韓民国政府が発行した「大韓民国と日本国との間の条約及び協定解説」には、「財産及び請求権問題の解決に関する条項により消滅する当方の財産及び請求権の内容を見ると、当方が最初に提示したところの8項目の対日請求要綱で要求したものはすべて消滅するところであり、したがって…被徴用者の未収金及び補償金、…韓国人の対日本政府及び日本国民に対する各種請求などがすべて完全かつ最終的に消滅することになるものである。」と記載されている。 ?1965年8月、チャン・キヨン経済企画院長官は、請求権協定第1条の無償3億ドルは実質的に被害国民に対する賠償的な性格を持ったものであるという趣旨の発言をした。 ?請求権協定締結後、大韓民国は請求権資金法、請求権申告法、請求権補償法、2007年および2010年の犠牲者支援法などを制定して強制徴用被害者に対する補償金を支給した。 2010年の犠牲者支援法に基づいて設置された「対日抗争期強制動員被害調査及び国外強制動員犠牲者など支援委員会」の決定(前身である「太平洋戦争前後の国外強制動員犠牲者支援委員会」の決定を含む)を通じて2016年9月頃まで支給された慰労金等の内訳を見ると、死亡。行方不明慰労金3,601億ウォン、負傷障害慰労金1,022億ウォン、未収金の支援金522億ウォン、医療支援金1人当たり年間80万ウォンなど約5,500億ウォンになる。
このような事実を総合してみると、請求権協定当時大韓民国は請求権協定により強制徴用被害者の個人請求権も消滅するか、少なくともその行使が制限されるという立場をとっていたことが分かる。したがって、請求権協定当時の両国の真の意思が外交的保護権のみ放棄するということで一致していたわけでもない。
(6)一方、国際法上戦後賠償問題などについて主権国家が外国と交渉をして自国国民の財産や利益に関する事項を国家間条約を通じて一括的に解決するいわゆる「一括処理協定(lump sum agreements)」は、国際紛争の解決予防のための方法の一つとして請求権協定締結当時国際慣習法上一般的に認められていた条約の形式である。
一括処理協定は国家が個人の請求権などを含む補償問題を一括妥結する方式であるから、その当然の前提として一括処理協定によって国家が相手国からの補償や賠償を受けた場合にはそれに応じて自国民個人の請求権は消滅するものとして処理され、この時その資金が実際には被害国民に対する補償目的に使用されなかったとしても同様とされる[国際司法裁判所(ICJ)が2012年2月3日に宣告したドイツ対イタリア主権免除事件(Jurisdictional Immunities of the State、Germany v。Italy:Greece intervening)、いわゆる「フェリーニ(Ferrini)事件」判決参照]。
請求権協定についても、大韓民国は日本から強制動員被害者の損害賠償請求権を含む対日請求要綱8項目について一括補償を受け、請求権資金を被害者に補償の方式で直接分配したり、または国民経済の発展のための基盤施設の再建等に使用することによりいわゆる「間接的に」補償する方式を採択した。このような事情に照らしてみると、請求権協定は大韓民国及びその国民の請求権などに対する補償を一括的に解決するための条約として請求権協定当時国際的に通用していた一括処理協定に該当するということができる。この点からも、請求権協定が国民の個人の請求権とは関係なく、単に両締約国が国家の外交的保護権を放棄することだけを合意した条約であるとは解釈しがたい。
ウ. 請求権協定第2条に規定している「完全かつ最終的な解決」や「いかなる主張もできないこととする」という文言の意味は、個人請求権の完全な消滅まででなくとも「大韓民国国民が日本や日本国民に対して訴訟によって権利を行使することは制限される」という意味に解釈するのが妥当である。
(1)請求権協定はその文言上の個人請求権自体の放棄や消滅について直接定めてはいない。この点でサンフランシスコ条約第14条(b)で、「連合国は、すべての補償請求、連合国とその国民の賠償請求および軍の占領費用に関する請求をすべて放棄する」と定めて明示的に請求権の放棄(waive)という表現を使用したものとは区別される。したがって請求権協定により個人請求権が実体法的に完全に消滅したり放棄されたとは解しがたいという点では個別意見2と見解を同じくする。
(2)請求権協定第2条1は請求権に関する問題が「完全かつ最終的に解決されたことになることを確認する」と規定しており、「完全かつ最終的な解決」に至る方式は第2条の3に規定している「いかなる主張もできないものとする。」との文言によって実現される。つまり「どのような主張もできないこと」という方法を通じて請求権問題の「完全かつ最終的な解決」を期している。ところで「いかなる主張もできないものとする」という文言の意味は前述したように請求権に関する大韓民国の外交的保護権のみを放棄するという意味に解釈することができず、かといって請求権自体が実体法的に消滅したという意味である断定することも困難である。そうであれば、「いかなる主張もできないものとする。」という文言の意味は、結局「大韓民国国民が日本や日本国民に対して訴訟によって権利を行使することが制限される」という意味に解釈するほかはない。
(3)先に見たように大韓民国は請求権協定締結後、請求権補償法、2007年及び2010年の犠牲者支援法などを制定し、強制徴用被害者らに補償金を支給した。これは請求権協定によって大韓民国の国民が訴訟によって請求権を行使することが制限された結果、大韓民国がこれを補償する目的で立法措置をしたものである。「外交的保護権限定放棄説」に従うと大韓民国が上記のような補償措置をとる理由を見出しがたい。
エ.(1)個別意見2が大韓民国で請求権資金法などの補償の立法を通じて強制動員被害者に対して行われた補償内容が実際の被害に備えて非常に不十分であったという点を請求権協定の効力を解釈する根拠に挙げていることも受け入れがたい。前記のように「一括処理協定(lump sum agreements)」によって国家が補償や賠償を受けたなら、その国民は相手国及びその国民に対して個人請求権を行使することができないのであり、これは支給された資金が実際には被害国民に対する補償の目的に使用されてなくとも変わることはないからである。
(2)日帝強占期に日本が不法な植民支配と侵略戦争遂行のために強制徴用被害者らに与えた苦痛に照らしてみると、大韓民国が被害者らに行った補償が非常に不十分なことは事実である。大韓民国は2006年3月9日の請求補償法に基づく強制動員被害者の補償が不十分であることを認め追加補償の方針を表明した後、2007年の犠牲者支援法を制定し、その後2010年の犠牲者支援法を追加制定した。しかしこのような追加的な補償措置によっても国内強制動員被害者は当初から慰労金支給対象に含まれず、国外強制動員生還者に対しては2007年の犠牲者支援法の制定当時、1人当たり500万ウォンの慰労金を支給する内容の法案が国会で議決されたが、追加的な財政負担などを理由に大統領が拒否権を行使し、結局彼らに対する慰労金支給は行われなかった。
(3)日本政府が請求権協定の交渉過程で植民支配の不法性を認めていなかった状況で大韓民国政府が請求権協定を締結したことが果たして正しかったのか等を含め、請求権協定の歴史的評価については未だ議論があることは事実だ。しかし請求権協定が憲法や国際法に違反して無効であると解するのでなければ、その内容の良否を問わずその文言と内容に従って遵守しなければならない。請求権協定により個人請求権をもはや行使できなくなることによって被害を受けた国民に、今からでも国家は正当な補償を行うべきである。大韓民国がこのような被害国民に対して負う責任は法的責任であり、これを単なる人道的・恩恵的措置とみることはできない。大韓民国は被害国民が訴訟を提起したか否かにかかわらず正当な補償がなされるようにする責務があり、このような被害国民に対して大韓民国が訴訟においてその消滅時効完成の有無を争うことはないと考える。
オ. 要するに、大韓民国の国民が日本及び日本国民に対して有する個人請求権は請求権協定によって直ちに消滅したり放棄されたわけでないが、訴訟によってこれを行使することは制限されることとなったので、原告らが日本国民である被告に対して国内で強制動員による損害賠償請求権を訴訟によって行使することもやはり制限されると解するのが妥当である。
これと異なる趣旨により判示した原審の判断には請求権協定の適用範囲及び効力等に関する法理を誤解した誤りがあり、原審が根拠とした差戻判決の請求権協定に関する見解もやはりこれに背馳する範囲内で変更すべきである。
以上のような理由から、多数意見に反対する。

11. 大法官金哉衡、大法官金善洙の多数意見に対する補充意見
ア. 原告らが主張する被告に対する損害賠償請求権、すなわち「強制動員慰謝料請求権」が請求権協定の対象に含まれていないという多数意見の立場は条約の解釈に関する一般原則に従うものであって妥当である。その具体的な理由は次の通りである。
イ. 条約の解釈の出発点は条約の文言である。当事者らが条約を通じて達成しようとした意図が文言として現れるからである。したがって条約の文言が持つ通常の意味を明らかにすることが条約の解釈において最も重要なことである。しかし当事者らが共通して意図したものとして確定された内容が条約の文言の意味と異なる場合には、その意図に応じて条約を解釈しなければならない。
この時、文言の辞典的な意味が明確でない場合には、文脈、条約の目的、条約締結過程をはじめとする締結当時の諸事情だけでなく、条約締結以降の事情も総合的に考慮して条約の意味を合理的に解釈しなければならない。ただし条約締結過程で行われた交渉過程や締結当時の事情は条約の特性上、条約を解釈するために補充的に考慮すべきである。
一方、条約が国家ではなく個人の権利を一方的に放棄するような重大な不利益を与える場合には約定の意味を厳密に解釈しなければならず、その意味が明確でない場合には個人の権利を放棄していないものと解すべきである。個人の権利を放棄する条約を締結しようとするなら、これを明確に認識して条約の文言に含ませることにより個々人がそのような事情を知ることができるようにすべきであるからである。
1969年に締結されたウィーン条約は、大韓民国に対しては1980年1月27日、日本に対しては1981年8月1日に発効したため、1965年に締結された請求権協定の解釈の基準的としてこの条約を直ちに適用することはできない。ただし条約の解釈に関するウィーン条約の主な内容は既存の国際慣習法を反映したものであると見ることができるので、請求権協定を解釈においても参考とすることができる。条約の解釈基準に関する多数意見はウィーン条約の主な内容を反映したものであるから、条約の解釈に関する一般原則と異なるものではない。ただしウィーン条約が請求権協定に直接適用されるものではないから、請求権協定を解釈する際にウィーン協約を文言にそのまま従わねばならないものではない。
ウ. 本件の主な争点は、請求権協定の前文と第2条に現れる「請求権」の意味をどのように解釈するかである。具体的には上記「請求権」に「日本政府の韓半島に対する不法な植民支配・侵略戦争の遂行と直結した日本企業の反人道的不法行為を前提とする強制動員被害者の日本企業に対する精神的損害賠償請求権」、すなわち「強制動員慰謝料請求権」が含まれるか否かが問題になる。
請求権協定では、「請求権」が何を意味するかを特に定めていない。請求権はきわめて多様な意味で使用することができる用語である。この用語に不法行為に基づく損害賠償請求権、特に本件で問題となる強制動員慰謝料請求権まで一般的に含まれると断定することはできない。
したがって請求権協定の文脈や目的なども併せて検討すべきである。まず請求権協定第2条でサンフランシスコ条約第4条(a)に明示的に言及しているから、サンフランシスコ条約第4条が請求権協定の基礎になったことには特に疑問がない。すなわち請求権協定は基本的にサンフランシスコ条約第4条(a)にいう「日本の統治から離脱した地域(大韓民国もこれに該当)の施政当局・国民と日本・日本国民の間の財産上の債権・債務関係」を解決するためのものである。ところで、このような「債権・債務関係」は日本の植民支配の不法性を前提とするものではなく、そのような不法行為に関する損害賠償請求権が含まれたものでもない。特にサンフランシスコ条約第4条(a)では「財産上の債権債務関係」について定めているので、精神的損害賠償請求権が含まれる余地はないと見るべきである。
サンフランシスコ条約を基礎として開かれた第1次韓日会談において韓国側が提示した8項目は次のとおりである。 「?1909年から1945年までの間に日本が朝鮮銀行を通じて大韓民国から搬出した地金及び地銀の返還請求、?1945年8月9日現在及びその後の日本の対朝鮮総督府債務の返済請求、?1945年8月9日以降に大韓民国にから振替または送金された金員の返還請求、?1945年8月9日現在大韓民国に本店、本社または主たる事務所がある法人の在日財産の返還請求、?大韓民国法人または大韓民国自然人の日本銀行券、被徴用韓国人の未収金、補償金およびその他の請求権の弁済請求、?韓国人の日本国または日本人に対する請求であって上記?ないし?に含まれていないものは韓日会談の成立後、個別に行使することができることを認めること、?前記の各財産または請求権から発生した各果実の返還請求、?前記返還と決済は協定成立後直ちに開始し遅くとも6ヶ月以内に完了すること」である。
上記8項目に明示的に列挙されたものはすべて財産に関するものである。したがって上記第5項で列挙されたものも、例えば徴用による労働の対価として支払われる賃金などの財産上の請求権に限定されたものであり、不法な強制徴用による慰謝料請求権まで含まれると解することはできない。その上ここに言う「徴用」が国民徴用令による徴用のみを意味するのか、それとも原告らのように募集方式または官斡旋方式で行われた強制動員まで含まれるのかも明らかではない。また第5項は「補償金」という用語を使用しているが、これは徴用が適法であるという前提で使用した用語であり、不法性を前提とした慰謝料が含まれないことが明らかである。当時の大韓民国と日本の法制では「補償」は適法な行為に起因する損失を填補するものであり、「賠償」は不法行為による損害を填補するものとして明確に区別して使用していた。請求権協定の直前に大韓民国政府が発行した「韓日会談白書」も「賠償請求は請求権問題に含まれない」と説明した。 「その他」という用語も前に列挙したものと類似した付随的なものと解するべきであるから、強制動員慰謝料請求権が含まれるとするのは行き過ぎた解釈である。
請求権協定の合意議事録(?)では、8項目の範囲に属するすべての請求が請求権協定で完全かつ最終的に「解決されるものとされる」請求権に含まれると規定しているが、前記のように上記第5項「被徴用韓国人の未収金、補償金及びその他の請求権の弁済請求」が日本の植民支配の不法性を前提としたものと解することができないから、強制動員慰謝料請求権がこれに含まれると解することもできない。
結局、請求権協定、請求権協定に関する合意議事録(?)の文脈、請求権協定の目的などに照らして請求権協定の文言に現れた通常の意味に従って解釈すれば、請求権協定にいう「請求権」に強制動員慰謝料請求権まで含まれるとは言いがたい。
エ. 上記のような解釈方法だけでは請求権協定の意味が明らかではなく、交渉記録と締結時の諸事情等を考慮してその意味を明らかにすべきだとしても、上記のような結論が変わることはない。
まず請求権協定締結当時の両国の意思がどのようなものであったのかを検討する必要がある。一般的な契約の解釈と同様に条約の解釈においても、外に現れた表示にもかかわらず両国の内心の意思が一致していた場合、その真意に基づいて条約の内容を解釈するのが妥当である。仮に請求権協定当時、両国とも強制動員慰謝料請求権のような日本の植民支配の不法性を前提とする請求権も請求権協定に含めることに意思が一致していたと見ることができるなら、請求権協定に言う「請求権」に強制動員慰謝料請求権も含まれると解することができる。
しかし日本政府が請求権協定当時はもちろん現在に至るまで強制動員の過程で反人道的な不法行為が犯されたことはもとより植民支配の不法性さえも認めていないことは周知の事実である。また請求権協定当時日本側が強制動員慰謝料請求権を請求権協定の対象としたと解するに足りる資料もない。当時強制動員慰謝料請求権の存在自体も認めていなかった日本政府が請求権協定にこれを含めるという内心の意思を持っていたと解することもできない。
これは請求権協定当時の大韓民国政府も同様であったと見るのが合理的である。多数意見において述べたように請求権協定の締結直前の1965年3月20日に大韓民国政府が発行した公式文書である「韓日会談白書」ではサンフランシスコ条約第4条が韓・日間の請求権問題の基礎になったと明示しており、さらに「上記第4条の対日請求権は、戦勝国の賠償請求権とは区別される。大韓民国はサンフランシスコ条約の調印国ではないため、第14条の規定により戦勝国が享有する損害と苦痛に対する賠償請求権は認められなかった。このような韓・日間の請求権問題には賠償請求を含めることができない。」という説明までしている。
一方、上記のような請求権協定締結当時の状況の他に条約締結後の事情も補充的に条約の解釈の考慮要素になりうるが、請求権協定に言う「請求権」に強制動員慰謝料請求権が含まれると解することができないということは、これによっても裏付けることができる。請求権協定以後大韓民国は請求権資金法、請求権申告法、請求補償法を通じて1977年6月30日までに被徴用死亡者8、552人に1人当り30万ウォンずつ合計25億6,560万ウォンを支給した。これは上記8項目のうち、第5項の「被徴用韓国人の未収金、補償金およびその他の請求権の弁済請求」が請求権協定の対象に含まれるによる後続措置に過ぎないと見ることができるから、強制動員慰謝料請求権に対する弁済とは言いがたい。しかもその補償対象者も「日本国によって軍人・軍属または労務者として招集または徴用され1945年8年15日以前に死亡した者」に限定されていた。また、その後大韓民国は2007年の犠牲者支援法などによりいわゆる「強制動員犠牲者」に慰労金や支援金を支給したが、当該法律では名目は「人道的次元」のものであることを明示した。このような大韓民国の措置は、請求権協定に強制動員慰謝料請求権は含まれておらず、大韓民国が請求権協定資金により強制動員慰謝料請求権者に対して法的支払い義務を負うものではないことを前提としているものと言わざるを得ない。
オ. 国家間の条約によって国民個々人が相手国や相手国の国民に対して有する権利を消滅させることが国際法上許容されるとしても、これを認めるためには当該条約でこれを明確に定めねばならない。その上本件のように国家とその所属国民が関与した反人道的な不法行為による損害賠償請求権、その中でも精神的損害に対する慰謝料請求権の消滅のような重大な効果を与えようとする場合には条約の意味をより厳密に解釈しなければならない。
サンフランシスコ条約第14条が日本によって発生した「損害と苦痛」に対する「賠償請求権」とその「放棄」を明確に定めているのとは異なり、請求権協定は「財産上の債権.債務関係」のみに言及しているだけであり、請求権協定の対象に不法行為による「損害と苦痛」に対する「賠償請求権」が含まれるとか、その賠償請求権の「放棄」を明確に定めてはいない。
日本政府の韓半島に対する不法な植民支配と侵略戦争の遂行と直結した日本企業の反人道的な不法行為により動員され、人間としての尊厳と価値を尊重されないままあらゆる労働を強要された被害者である原告らは、精神的損害賠償を受けられずに依然として苦痛を受けている。大韓民国政府と日本政府が強制動員被害者たちの精神的苦痛を過度に軽視し、その実像を調査・確認しようとする努力すらしないまま請求権協定を締結した可能性もある。請求権協定で強制動員慰謝料請求権について明確に定めていない責任は協定を締結した当事者らが負担すべきであり、これを被害者らに転嫁してはならない。
以上のような理由から、多数意見の論拠を補充しようとするものである。
裁判長 大法院長 金命洙
大法官 金昭英
大法官 曺喜大
大法官 権純一
大法官 朴商玉
大法官 李起宅
大法官 金哉衡
大法官 趙載淵
大法官 朴貞ファ(木へんに化)
大法官 閔裕淑
大法官 金善洙
大法官 李東遠
大法官 盧貞姫

(2018年11月6日)

アベ君、ダメじゃないか。しっかりと反省し、きちんと勉強しなくっちゃ。

アベ君、キミは昨日(11月4日)明治神宮に参拝したそうじゃないか。しかも、公用車で乗り付けて、「内閣総理大臣 安倍晋三」と肩書き記帳し、本殿ではしっかりと二礼二拍手一礼の神道形式の礼拝を行った。これは、やってはいけないことだ。キミが守らなければならない日本国憲法というルールの違反だ。

キミの大好きな教育勅語。キミとその仲間は、「全部が間違っているのではない。普遍性を持つ部分もある」などと言っている。自分に都合良さそうな部分のつまみ食いはもちろんいけないが、その教育勅語をキミは読んだことがあるのかね。

そのなかに、「學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ?器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ」とある。いったいキミは、いささかなりとも「學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ」したことがあるか。ウソとごまかしで高名となったキミが、「?器ヲ成就シ」ていないことは公知の事実だ。「進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ」も、ゴリゴリの私益第一主義のキミのこと、キミの信奉する勅語に照らして恥ずかしくはないか。

それはともかく、問題は「常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ」の部分だ。いうまでもなく「國憲」とは憲法のことだが、勅語の時代には大日本帝国憲法で、普遍性を持つというなら今は日本国憲法を指すと考えねばならない。この違いをキミはよく理解しているだろうか。先日の11・3憲法集会で、体育大学の学生に憲法を教えている研究者が、「首相は憲法を理解していない。私の生徒なら明らかに落第」とスピーチし、満場がさもありなんと肯いていた。嘆かわしいが、国民はそのようにキミを理解しているのだ。

大日本帝国憲法は、「朕」が「臣民」に与えた法規範だ。だから、勅語では上から目線の「朕」が「臣民」に「憲法と法律を守りなさい」とエラそうに言っている。しかし、日本国憲法はまったく構造を異にする。主権者国民が権力の委託先に遵守を命じた制限規範なのだ。すべてお任せしますから、ご自由に権力の行使をしてくださいと、全面委任があったのではない。権力の行使はこの限りでせよ、とシバリが掛けられている。そこのところを一番大切なものとして、キミは肝に銘じなければならない。

つまり、キミは大日本帝国憲法下の教育勅語では臣民として、日本国憲法下では権力を付託されたものとして、いずれにしても「常に國憲を重んじ」なければならない立場なのだ。

キミは、日本国憲法99条によって「日本国憲法を尊重し擁護する義務」を負っている。一瞬たりとも、このことを忘れてはならない。キミの本心が、「日本国憲法大嫌い。人権尊重も民主主義も平和主義も、可能な限り軽視したい」「嫌いな憲法を、私好みに変えたい」というものだとはみんなが知っている。しかし、ことはキミの好き嫌いの問題ではない。キミが首相という地位にある限りは、面従腹背でも、憲法を遵守しなければならないのだ。

その憲法に、政教分離を命じた20条と89条がある。キミのために、条文を引いて、分かり易く解説しておこう。

第20条(信教の自由・政教分離)
1項 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2項 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3項 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

第89条(公の財産の支出・利用の制限)
公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため…に、これを支出し、又はその利用に供してはならない

ここには、人権としての信教の自由(信仰の自由・宗教活動の自由・宗教的強制を受けない自由)と、その人権を保障するための制度として、政教分離原則が規定されている。政教分離は、首相であるキミに、神社参拝などしてはならない、と命じている。そこを弁えなければ、いつまでも憲法は落第点だ。

これまで、首相や天皇の公式参拝の可否は、靖国神社について論じられてきた。政治的、外交的、歴史的理由からのことだ。しかし、日本国憲法の政教分離の本旨は、神権天皇制の復活を許さないことを目的とするもの。戦前の天皇制は、天皇崇拝の宗教的な情念を臣民に注入することで、国民的規模のマインドコントロールに大きな成果を上げた。その反省が、「政」(政治権力)と「教」(天皇を神とする宗教)との分離を命じる憲法20条である。比喩的にいえば、人間宣言において生身の人間となった天皇を、再び神に戻さぬための、歯止めである。

だから、靖国だけではない、神社神道の本宗である伊勢神宮参拝もしてはならない。明治天皇(睦仁)を神として祀る明治神宮参拝など、もってのほか。キミは、参拝後、記者団に「明治150年にあたり参拝した。日本国の平和と繁栄、安寧、皇室の弥栄をお祈りした」と述べた、と報じられている。これは個人的イデオロギー吐露と言って済ませられる問題ではない。「天皇を神として祀る神社に参拝して、皇室の弥栄をお祈りする」などは、憲法違反も甚だしい。

政教分離には厳格な判例がある。岩手靖国違憲訴訟控訴審(仙台高裁)判決は、「首相や天皇が、その公的資格において靖国神社を参拝するのは国家が他の宗教団体に比して靖国神社を特別視しているとの認識を国民に与える」ことをメルクマールとして違憲であると述べている。

また、愛媛玉串料訴訟の最高裁大法廷判決は、いわゆる目的効果論に拠りつつ、愛媛県が護国神社に合計9万円の公金を支出して奉納したことは、「一般人がこれを社会的儀礼にすぎないものと評価しているとは考え難く、その奉納者においてもこれが宗教的意義を有するものであるという意識を持たざるを得ず、これにより県が特定の宗教団体との間にのみ意識的に特別のかかわり合いを持ったことを否定することができないのであり、これが、一般人に対して、県が当該特定の宗教団体を特別に支援しており右宗教団体が他の宗教団体とは異なる特別のものであるとの印象を与え、特定の宗教への関心を呼び起こすものといわざるを得ないなど判示の事情の下においては、憲法20条3項、89条に違反する。」と明快に述べている。

キミの理解のために解説すれば、こんなことだ。
明治天皇(睦仁)とその配偶者(美子)の崇敬者において、この両名が死後神になったと信じてこれを祀る信仰の自由は憲法が保障するところ。この二柱を祭神として神社を創り運営することも、宗教法人明治神宮を組織して布教活動を行い宗教行事を行うことも、さらには国民が個人してこの宗教施設に参拝することも、いずれも憲法が大切な人権として保障している。しかし、信仰も宗教活動も、私的なものでなくてはならない。いささかなりとも、公権力が関わってはならないのだ。

「首相の神宮参拝は、国が明治神宮との間にのみ意識的に特別のかかわり合いを持ったことを否定することができない。これが、一般人に対して、国が明治神宮を特別に支援しており明治神宮が他の宗教団体とは異なる特別のものであるとの印象を与え、明治天皇夫妻を神とする宗教への関心を呼び起こすものといわざるを得ないので、憲法20条3項に違反する」

キミが明治神宮に納めた玉串料は私費からということだが、「玉串料を私費から支出さえすれば、違憲を免れる」というのでは、憲法の授業での単位は取れない。メルクマールは、「一般人に対して、県が当該特定の宗教団体を特別に支援しており右宗教団体が他の宗教団体とは異なる特別のものであるとの印象を与え、特定の宗教への関心を呼び起こすもの」であるか否かなのだから。しかも、キミの場合、その私費の出所も、もとをたどれば税金であることを弁えねばならない。
(2018年11月5日)

「華氏119」が語りかける重い課題 ― 「民主主義は再生できるか」

話題の一作、マイケル・ムーアの『華氏119』を観てきた。日本での公開が今月(11月)2日だから、比較的早い時期の観客となったわけだ。旧作『華氏911』は、「9・11後」のアメリカを描いて話題になっが、今回の題名の「119」は、トランプ当選の2016年11月9日後の、分断され荒廃したアメリカを描いたもの。事態はさらに深刻になっている。

中間選挙を目前の封切りは、一見「トランプ弾劾・民主党支持」キャンペーンの意図を感じさせるが、その程度の軽い内容ではない。これは、一面本質的に資本主義の本質を抉る過激な主張がなされていると同時に、民主主義に未来はあるのか、という深刻な問いかけがなされている。いや、既にトランプとその支持者は民主主義を破壊した。正確には、「民主主義は再生できるか」と言うべきだろう。絶望が主調で気が滅入るが、希望の芽を若い世代と女性の行動に見出そうとしている。

最後に印象的なナレーションがある。「ここまで事態を悪化させたのは『希望』だ。憲法があるのだから『希望』はある。選挙に事態を改善する『希望』がある。民主党に、オバマに、司法に、民意に、理性に、文明に、まだ事態を改善する『希望』が残されている。人々が、こう考えている内に、事態は後戻りできない寸前まで悪化してしまっている。今求められているのは、『希望』を語ることではない。『行動』を起こすことだ」という。正確な言葉の再現はできないが、趣旨はそういうことだ。

この映画は訴える力を持っている。このように編集されて事実を突きつけられれば、トランプという存在が、邪悪そのものであることが深い確信にまで至ることになる。しかし、その邪悪は、「11・9」に突然躍り出たものではない。それが、マイケル・ムーアの主張となっている。

トランプ前のミニ・トランプとして、オバマ政権時代のスナイダー・ミシガン州知事の邪悪ぶりが取りあげられている。その典型が、GEの城下街フリントでの水道管鉛中毒事件。(フリントはマイケル・ムーアの出身地でもある)。そのウソとごまかし・隠蔽体質は、アベ政権もかくやと思わせる悪辣さ。住民の抗議が高まるなか、大統領オバマが現地に入る。住民は、ヒーローが住民を助けに駆けつけにきたと涙の大歓迎をするが、…彼は窮地の知事の側に立って住民を宥めるだけ。鉛入りの水道水をほんの少し舐めるだけの演技をしてみせだけで、結局何もしない。オバマが、住民に与えたものは、無力感と政治への絶望とだった。

邪悪なトランプの登場を準備したのが、ビル・クリントンであり、オバマであり、ヒラリーであった。これがこの映画の筋立てである。言わば、トランプこそが邪悪のスーパースター、大悪魔。それと対立するように見えながらも、同じ魔界に、民主党も、ビル・クリントンも、オバマも、ヒラリーもいる。これまでは、小悪魔どもが跳梁していたが、いよいよ邪悪の権化である大悪魔が登場してきたのだ。

邪悪の本質は、飽くなき利潤追求を是認し、巨大企業や大富豪がさらに肥え太る基盤整備を最優先して、圧倒的多数者の貧困も環境破壊も人権も意に介さないということにある。この点において、民主党もトランプと変わりがないではないかという、厳しい批判がなされている。

もう一つの邪悪は、多数派の人々の中にある差別や偏見に自制を求めるのではなく、これを煽り、自らもその先頭に立つことによって支持と票を獲得し、政治的基盤を築こうという手法。トランプは、徹頭徹尾この手口で今のところ成功してきた。民主主義の負の側面を見せつけられる思いである。

マイケル・ムーアの観る社会と政治の構造はこうなっているに違いない。
一方の極に、一握りの大企業・大富豪がいる。他極に圧倒的多数の民衆がいる。そして、その間に今は少数となった中間層がある。格差は無限に広がりつつあり、大企業・大富豪の富の蓄積は経済的・社会的・政治的支配力となっている。中間層は、富豪層に取り入った下僕として民衆支配の道具になり下がり、圧倒的多数の民衆の生活状況は極端に追い詰められている。

この三極の構造を頭に置いて、民主党の立場とは、誰の利益の代弁者であるか。明らかに大富豪層の利益を代弁してきたではないか。クリントンも、オバマも、ヒラリーも、ウォール街から巨額の献金をえて、その見返りの政策を実行してきたではないか。これがこの映画の最も言いたいこと。だからヒラリーは選挙に負けた、だけでなくトランプ登場の舞台を掃き清めたのだ。トランプは、ヒラリーを「ウォール街の代弁者」と攻撃して、票を積み上げたのだから。

ナレーションに幾度となく、「リベラル」が出て来る。あるいは、「既成のリベラル派」。否定的な存在として語られている。ニューヨークタイムズもCBSも、である。所詮、民主党を支持しトランプの野蛮を批判していた彼らも、富豪層に取り入った民衆支配の道具ではないか。

共和党も民主党もトランプも、大多数の民衆の代弁者となっていない。マイケル・ムーアの希望は、予備選でヒラリーに勝っていたはずの、サンダース支持層に向けられる。これまで無名の市井の人が、中間選挙に立候補を表明して素人っぽく、政治活動を始めた姿が映し出される。彼ら彼女ら(多くは女性)が、「民主党を乗っ取る」という姿勢が好もしい。

マイケル・ムーアは、「この国(アメリカ)は本来左派の国」だという。一般の民衆の意見は、すべてのテーマについて、圧倒的に「民主社会主義」的だとも。ところが、議会がそうなっていないのは、選挙制度の問題と、人々のあきらめが問題だという。「『希望』を語るのではなく、行動を」。財界からカネをもらわない、民主党内の新興勢力に温かい目が注がれている。

もう一つの希望は、若者たちである。銃規制に立ち上がった高校生の運動は、本来政治的なものではなく、政治思想とも無縁だ。しかし、彼らは同級生が銃で殺されたことから、行動に立ち上がり多くのことを学んだ。「デモを止めて学校に戻りなさい」という校長の言い分に何の根拠もないこと。「校則違反というけど、全員退学なんてできっこないでしょう」という勇気を。そして、この銃規制が実は政治問題であることも。

彼らはよく分かっているのだ。政治が、多額の献金をしている全米ライフル協会の意向で動いていることを。共和党の議員が、その手先となっていることも。その行動力が、明日への希望である。

マイケル・ムーアは、最後に過去のナチスの画像を映し出して、ヒトラーとトランプとを重ねている。何とまあ、よく似た主張、よく似た政治手法。「最も先進的なドイツ。最も民主的で文化的で科学的なその国で、ファシズムが成立した」「誰もが、その直前まで、そんなことは予想もしなかった」という警告が耳に残る。

若者よ。学生よ。高校生よ。ぜひとも、あなた方にこの映画を観ていただきたい。強くお薦めする。この映画を観て、思うところを語り合ってもいただきたい。この映画に、民主主義先進国アメリカの実態が映し出されている。なぜこうなっているのか。日本とは、どこが同じでどこが違うのか。ナチスドイツが、国会議事堂放火の謀略で緊急事態を自ら作り出し、共産党を弾圧して独裁を達成したことが語られている。米・日とも、そのような事態への警戒は不要だろうか。なによりも、民主主義は正常に機能しているだろうか。漫然と投票しているだけで、よりよい社会が作られていくだろうか。民主主義を健全に機能させる条件とはなんだろうか。いま、トランプのアメリカにも、アベ政治の日本にも、その条件が欠けてはいないだろうか。

トランプの差別容認に苦しめられている人々は、「憲法があるのに負けた」と語っている。憲法はあるだけでは紙に書いた文字に過ぎない。この理念を活かす行動が必要ではないか。この映画に出て来る、「行動に立ち上がった」人々のなんと生き生きとした表情。マイケル・ムーアは、素晴らしい映画を作った。もちろん、「民主主義を再生する」ために、である。
(2018年11月4日)

「改憲発議許さず」―72年目の憲法公布記念日の集会

11月3日。文化の日である。戦後、明治節を廃しての「文化の日」とは意味深のネーミング。睦仁の誕生日を祝う時代は「野蛮」であった。天皇制の野蛮と訣別した今こそ「文化」の時代との宣言。そう理解したいところ。しかし、明治帝の時代に開花した文化の恩恵が今につながっている、その確認の意味をもった日と解する余地もないではない。どちらにも受け取れる。要するに曖昧なのだ。

1946年11月3日を選んで新憲法を公布したのは、吉田内閣である。形式的には天皇(裕仁)が公布した。せっかく欽定憲法を民定憲法に変えたのに、天皇の公布である。要するにうやむやなのだ。

日本国憲法には、前文の前に、「朕」から始まる以下の「上諭」が付いている。

朕は、日本國民の總意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、樞密顧問の諮詢及び帝國憲法第七十三條による帝國議會の議決を經た帝國憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。天皇署名 天皇印

 あくまで、大日本帝国憲法の改正という体裁なのだ。主権者を国民とする憲法が、天皇主権の大日本帝国憲法の改正手続きに則って、主権者天皇が裁可し、天皇が公布せしめたのだ。どう考えても、奇妙奇天烈。

日本国民の権力奪取によって制定された憲法ではないという弱みを随所に抱えた日本国憲法である。とりわけ、天皇制を温存したヌエのごとき憲法。すべての人を平等とし、出自や門地による差別を禁じながらの世襲の天皇制を残置した大いなる矛盾。すべての人に、職業選択の自由や居住地選択の自由を認めながら、天皇という人格にはこれを否定した人権の不徹底。なによりも、天皇の「貴」を認めれば、当然にその対極に「賎」を想定せざるを得ない。日本国憲法とは、拠るべき原理において曖昧模糊、守るべき人権において不徹底なもの。これを、70年余の間に、日本国民は、改悪策動を阻止しつつ、次第に使いこなしてきたのだ。

日本国民は、日本国憲法を改悪させず護ってきただけでなく、これを育ててもきたことを誇ってよいと思う。

もっとも、日本国憲法を快く思わぬ諸勢力の策動も活発である。いま、アベ政権による改憲策動のさなかであるが、市民と野党の対抗勢力がこれを押しとどめている。そのような幾度目かの危機の中での憲法公布72周年の記念日。

好季の好天である。野外集会日和、デモ日和。
「止めよう!改憲発議?この憲法で未来をつくる 11・3国会前大行動?」に足を運んだ。「ウソだらけの安倍政治を変えよう!辺野古新基地建設を止めよう!」というサブスローガンが付いている。

正午集合で12月3日集会のチラシを撒いた。集会開始の1時間前、あっという間に、チラシは捌けてなくなった。もっと持ってくれば良かった。

ところで集会は、参加者1万8000人という発表。この好天を、屋外集会日和と喜んだは浅はかだった。若者や家族連れには、この上ない行楽日和。行楽地が賑わったか。参加者の多くは、高齢者のようだった。

集会に、緊迫感はなかった。沖縄知事選勝利の余韻が漂う雰囲気。辺野古の工事再開への怒りはあっても、レームダック状態のアベ政権には改憲発議の力はなかろう、という、自信がみなぎっている。それが、運動疲れや弛緩もあって、集会規模にも盛り上がりにも微妙に反映している。

アベ改憲の思惑外れには、幾つもの報道がある。たとえば…。
山本幸三といえば、元地方創生担当相。アフリカ人を指して、「何であんな黒いのが好きなんだ」との一言で、一躍有名になった政治家。アベノミクス礼賛のリフレ派としても知られた人。昨日(11月2日)、その人が改憲について、思わぬ発言をしたと報じられている。

「(山本幸三は)憲法9条改正について『9条改正の前に戦争回避の議論が先決』として不要だとする考えを明らかにした。安倍晋三首相が9条改憲を掲げるなか、首相とも近い自民党の閣僚経験者が不要論を展開した。」
「山本氏は、9条1項と2項を維持して自衛隊を明記する案、9条2項を削除する案のいずれも『自衛隊はどこまで出かけるのかという議論が噴出し、国民の理解と支持が高まっている自衛隊が翻弄され、怨嗟の的になる』と懸念。9条については新条創設も含め一切手を付けるべきではないと主張した。」
「自衛隊の文字を憲法に書き込みたいのならば、自衛権の範囲などの議論を起こさないよう憲法73条(内閣の職務)に『自衛隊を指揮・監督すること』と『そっと書き込むことで十分』と提案した。」「自衛隊を憲法に明記しても戦争に勝てるわけではなく、9条2項を削除して他国と同じ軍事力を持っても戦争は回避できないとも強調した。」(毎日)

また、憲法公布72年 改憲議論、自民に孤立感 他党冷ややか」という見出しの、こんな報道も。

「日本国憲法は3日で公布72年を迎える。安倍晋三首相は今国会で憲法改正論議の加速を目指すが、与党・公明党の山口那津男代表は前のめりな発言を慎むようけん制。野党は改憲の賛否を呼びかけるテレビCMの規制を求めるなど、懸案の国民投票法改正案の成立さえ不透明だ。各党とも来年の参院選をにらんで「首相ペース」に乗る気配はなく、むしろ自民党が他党から孤立しつつある。」
「2日の衆院予算委員会。国民民主党の階猛氏から『改憲は急ぐべきでない』と批判された首相は『各党が案を持ち寄って議論しなければ、国民に判断材料を提供できない。まず持ち寄って議論すべきだ』と反論した。」
「首相は、自身に近い新藤義孝元総務相を衆院憲法審査会の与党筆頭幹事に起用。自民の下村博文憲法改正推進本部長は、全国の党支部に改憲推進本部を設けるよう求め、機運を高めようと躍起だ。だが、他党との距離は広がる。公明党には政権がごり押しすれば『おごり』批判が参院選を直撃しかねないという懸念があり、『改憲議論を進めよう』と誘った自民幹部を、公明幹部が『参院選の後でしょう』と一蹴する場面もあった。」
「衆参とも野党第1党となった立憲民主党は『まず国民投票法の不備を補う』(枝野幸男代表)と同法改正案の徹底審議を求め、歩み寄る気配はない。『少なくとも主要野党のどこかとは協調したい』と狙う自民がそこで目を付けたのは、野党第2党の国民だった。」
「国民が条件付きで改憲論議に応じると踏んだ下村氏は10月19日、国民の原口一博国対委員長と会談して秋波を送った。ところが国民はその後、CM規制強化の独自法案を発表。自民党重鎮は『憲法の議論を遅らせようとしている』と不快感を示したが、当てが外れたのは否めない。」
「行政府の長である首相がしばしば改憲に踏み込むことにも、自民以外の与野党には『改憲を発議するのは立法府の国会だ』と批判があり、公明の山口氏は『政府は余計な口出しをしないでほしい』とけん制。9条への自衛隊明記などを訴えてきた首相だが、2日の衆院予算委では『(過去の発言は)私の考え方であり、自民の(改憲条文)案にコメントしたことはない』と苦しい釈明を展開した。」(毎日)

アベ改憲、八方ふさがりである。だが、まだトドメを刺していない。手負いのレームダックとて、何をしでかすかの危険がある。油断してはならない。
(2018年11月3日)

徴用工訴訟・韓国大法院判決に真摯で正確な理解を(その2)

10月30日韓国大法院(最高裁に相当する)の徴用工判決。原告である元徴用工の、被告新日鉄住金に対する「強制動員慰謝料請求」を認容した。

この判決に対する日本社会の世論が条件反射的に反発しあるいは動揺している事態をたいへん危ういものと思わざるを得ない。政権や右派勢力がことさらに騒ぎ立てるのは異とするに足りないが、日本社会の少なからぬ部分が対韓世論硬化の動きに乗じられていることには警戒を要する。まずは、同判決を正確に理解することが必要だと思う。それが、「真摯な理解を」というタイトルの所以である。判決は、けっして奇矯でも、反日世論迎合でもない。法論理として、筋が通っており、条理にかなっていることも理解しなけばならない。

昨日のブログは、時間の足りないなか急いで書いた。文章が練れていない生硬な読みにくさがあるし、判決の全体像を語ってもいない。あらためて、大法院広報官室の本判決に関する「報道資料」(日本語)にもとづいて、紹介記事の続編を書き足したい。

同事件において、被告側は「原告の請求権は日韓請求権協定(1965年)の締結によってすべて消滅した」と抗弁した。この抗弁の成否、つまり、「日韓請求権協定で原告らの損害賠償請求権が消滅したと見ることができるか否か(上告理由第3)」を判決は核心的争点と位置づけている。

この核心的争点における被告の抗弁の根拠は、同請求権協定2条第1項「両締約国及びその国民間の請求権に関する問題が…完全かつ最終的に解決されたことになるということを確認する」、及び同条3項「一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対する全ての請求権として同日以前に発生した事由に起因するものに関しては、如何なる主張もできないことにする」との文言が、原告ら元徴用工の被告企業に対する一切の請求権を含むものであって、「解決済み」で、「如何なる主張もできないことになっている」ということにある。

しかし、この被告の抗弁を大法院は斥けた。その理由を、多数意見は「協定交渉の経過に鑑みて、原告の被告会社に対する『強制動員慰謝料請求権』は、協定2条1項の『両締約国の国民間の請求権』には含まれない」とし、だから同条約締結によって原告の請求権は消滅していない、との判断を示した。これは、論理としては分かり易いもので、昨日のブログで詳細に紹介したとおりである。
https://article9.jp/wordpress/?p=11369

この多数意見とは反対に、請求権協定における「両締約国の国民間の請求権」には、本件の「強制動員慰謝料請求権」も含まれる、とする5名の個別意見がある。

そのうちの2人は、「だから、協定締結の効果として、韓国国内で強制動員による損害賠償請求権を訴として行使することも制限される」「結論として、原判決を破棄して原審に差し戻す」という意見。要するに、原告敗訴の意見。いま、日本政府や産経などが主張しているとおりの結論。

残る3人の意見は、違ったものである。結論から言えば、「強制動員慰謝料請求権」も、「解決済み」ではあるが、解決済みの意味は、国家間の問題としてだけのことで、国の国に対する権利は放棄されているものの、「個々の個人が持つ請求権は、この放棄の限りにあらず」ということなのだ。実は、この見解、日本政府の見解と同じなのだ。多数意見と理由を異にするが、上告棄却で原告徴用工勝訴の結論は同じものとなる。日本政府も反対しようがないのだ。

「報道資料」は、この3裁判官意見をこう紹介している。

「原告らの損害賠償請求権は請求権協定の対象に含まれると解するべきである。ただし原告ら個人の請求権自体が請求権協定によって当然消滅すると解することはできず、請求権協定により、その請求権に関する大韓民国の外交的保護権のみが放棄されたに過ぎない。したがって原告らは依然として大韓民国において被告に対して訴によって権利を行使することができる。」

 この3裁判官見解では、「請求権協定の締結によって『外交的保護権』は放棄された」が、「原告ら個人の被告企業に対する『請求権自体』は、請求権協定によって消滅していない」ということになっている。だから、韓国内での裁判による権利行使は可能という結論なのだ。

『請求権自体』とは異なる、『外交的保護権』という、一般にはなじみの薄い概念がキーワードとなっている。

『外交的保護権』(あるいは、「外交保護権」)とは、大法院の広報部の「報道資料」の表現によれば、

「自国民が外国で違法・不当な扱いを受けた場合、その国籍国が外交手続きなどを通じて、外国政府を相手に自国民の保護や救済を求めることができる国際法上の権利」と解説されている。

法律学小辞典(有斐閣)を引用すれば、

「自国民が他国によってその身体や財産を侵害され損害を被った場合に、その者の本国が加害国に対して適切な救済を与えるよう要求すること。国家がもつこのような権利を外交保護権という。」

この裁判官3人の意見は、

「原告らの個人請求権自体は請求権協定だけでは当然消滅すると見ることができず、ただ請求権協定によってその請求権に関する大韓民国の外交的保護権が放棄されることにより、日本の国内措置により当該請求権が日本国内で消滅したことにはなるが、その意味するところは、大韓民国がこれを外交的に保護する手段を失うことになるだけである。」ということ。

つまり、国家は自国民の特定の権利については、国民に代わって相手国に対して救済を求める国家自身としての権利をもつ。まさしく、徴用工の日本企業に対する請求権はそのようなもので、韓国が日本に対して「自国民である徴用工の権利について適切な救済を与えるよう」要求する国家としての権利をもっていた。この権利が外交保護権。しかし、65年請求権協定によってその「国家(韓国)の国家(日本)に対する権利」は消滅したのだ。しかし、「この国家間の協定によって、個人の権利が消滅させられたわけではない」というわけだ。

「報道資料」には、その理由としてこんな説明が付されている。

「請求権協定には、外交的保護権の放棄にとどまらず「個人請求権」の消滅について日韓両国政府の意思の合致があったと見るだけの十分かつ明確な根拠がない。」「国家と個人が別個の法的主体であるという近代法の原理は、国際法上も受け入れられているが、権利の『放棄』は、その権利者の意思を厳格に解釈しなければならないという法律行為の解釈の一般原則によるとき、個人の権利を国家が代わりに放棄する場合には、これをさらに厳格に解釈すべきである。」「請求権協定では『放棄(waive)』という用語が使用されていない。」

さらに重要なのは、以下の日本側の意思についての指摘である。

「当時の日本は請求権協定により個人請求権が消滅するのではなく国の外交的保護権のみ放棄されると解する立場であったことが明らかである。」「日本は請求権協定直後、日本国内で大韓民国国民の日本国及びその国民に対する権利を消滅させる内容の財産権措置法を制定・施行した。このような措置は、請求権協定だけでは大韓民国国民個人の請求権が消滅していないことを前提とするとき、初めて理解できる。」

実はこの点は、日本政府がこれまで国会答弁などで公式に繰り返し表明してきたことなのだ。よく引用されるのは、1991年8月27日参院予算委員会における、当時の柳井俊二外務省条約局長答弁。

大事なところだ。正確に引用しておこう。清水澄子委員の質問に対する、政府委員谷野作太郎アジア局長と柳井俊二外務省条約局長の各答弁。

○清水澄子 そこで、今おっしゃいましたように、政府間(日韓間)は円滑である、それでは民間の間でも円滑でなければならないと思いますが、これまで請求権は解決済みとされてまいりましたが、今後も民間の請求権は一切認めない方針を貫くおつもりでございますか。
○政府委員(谷野作太郎君) 先ほど申し上げたことの繰り返しになりますが、政府と政府との間におきましてはこの問題は決着済みという立場でございます。
○政府委員(柳井俊二君) ただいまアジア局長から御答弁申し上げたことに尽きると思いますけれども、あえて私の方から若干補足させていただきますと、先生御承知のとおり、いわゆる日韓請求権協定におきまして両国間の請求権の問題は最終かつ完全に解決したわけでございます。
 その意味するところでございますが、日韓両国間において存在しておりましたそれぞれの国民の請求権を含めて解決したということでございますけれども、これは日韓両国が国家として持っております外交保護権を相互に放棄したということでございます。したがいまして、いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではございません。日韓両国間で政府としてこれを外交保護権の行使として取り上げることはできないこういう意味でございます。

極めて明瞭に、日韓請求権協定によって「最終かつ完全に解決し」「消滅した」のは、国家が有する外交保護権であって、個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではないことが述べられている。だから、個人が国内法に基づいて訴訟提起することは、当然に可能ということになる。

1992年2月26日衆議院外務委員会での柳井俊二外務省条約局長答弁は、さらに踏み込んでいる。質問者は土井たか子。さすがに切り込んだ質問をしている。

○柳井政府委員 … …
 しからばその個人のいわゆる請求権というものをどう処理したかということになりますが、この協定におきましてはいわゆる外交保護権を放棄したということでございまして、韓国の方々について申し上げれば、韓国の方々が我が国に対して個人としてそのような請求を提起するということまでは妨げていない。しかし、日韓両国間で外交的にこれを取り上げるということは、外交保護権を放棄しておりますからそれはできない、こういうことでございます。

○土井委員 (あなたは、)るるわかりにくい御説明をなさるのが得意なんですが、これは簡単に言えば、請求権放棄というのは、政府自身が持つ請求権を放棄する。政府が国民の持つ請求権のために発動できる外交保護権の行使を放棄する。このことであぅて、個人の持つ請求権について政府が勝手に処分することはできないということも片や言わなきやいけないでしょう、これは。今ここ(日韓請求権協定)で請求権として放棄しているのは、政府白身が持つ請求権、政府が国民の持つ請求権に取ってかわって外交保護権を発動するというその権利、これでしょう。だから、個々の個人が持つ請求権というのは生きている。個々の個人の持つ請求権というのはこの放棄の限りにあらず、これははっきり認められると思いますが、いかがですか。

○柳井政府委員 ただいま土井先生が言われましたこと、基本的に私、正確であると思います。この条約上は、国の請求権、国自身が持っている請求権を放棄した。そして個人については、その国民については国の権利として持っている外交保護権を放棄した。したがって、この条約上は個人の請求権を直接消滅させたものではないということでございます。
 ただ、先ほど若干長く答弁させていただきましたのは、もう繰り返しませんけれども、日韓の条約の場合には、それを受けて、国内法によって、国内法上の根拠のある請求権というものはそれは消滅させたということが若干ほかの条約の場合と違うということでございます。したがいまして、その国内法によって消滅させていない請求権はしからば何かということになりますが、これはその個人が請求を提起する権利と言ってもいいと思いますが、日本の国内裁判所に韓国の関係者の方々が訴えて出るというようなことまでは妨げていないということでございます。

同様の問題は、ソ連との間でも、中国との間でも起きている。
1991年3月26日参議院内閣委員会での、シベリア抑留者に対する質疑では、「条約上、国が放棄をしても個々人がソ連政府に対して請求する権利はある、こういうふうに考えられますが、本人または遺族の人が個々に賃金を請求する権利はある、こういうことでいいですか」という質問に対して、高島有終外務大臣官房審議官が、こう述べている。

私ども繰り返し申し上げております点は、日ソ共同宣言第六項におきます請求権の放棄という点は、国家自身の請求権及び国家が自動的に持っておると考えられております外交保護権の放棄ということでございます。したがいまして、我が国国民個人からソ連またはその国民に対する請求権までも放棄したものではないというふうに考えております。

国家間で請求権の問題が解決されたとしても、個人の請求権を消滅させることにはならない。このことは、韓国・ソ連・中国との関係において、日本政府自身が繰り返し言明してきたことなのだ。

徴用工訴訟・韓国大法院判決を法的に批判することは、少なくも日本政府のなし得るところではない。22万人と言われる強制動員された徴用工。過去の日本がいかに大規模に、苛酷で非人道的な振る舞いを隣国の人々にしたのか。まず、その訴えに真摯に耳を傾けることを行わない限り、公正な解決はあり得ない。

また、政府も企業も肝に銘じなければならない。戦争も植民地支配も、けっしてペイしないものであることを。ツケは必ず回ってくる。それは、けっして安いものではあり得ないのだ。
(2018年11月2日)

徴用工訴訟・韓国大法院判決に、真摯で正確な理解を

一昨日(10月30日)、韓国大法院(最高裁に相当する)は、元徴用工が新日鉄住金を被告として起こした訴訟で被告に賠償を命じた原審判決を支持して確定させた。6年前の差戻し判決時から予想されていたとおりの内容の判決であって、いまさら大騒ぎすることではない。自国の判決であれ、他国の判決であれ、言論による判決批判は自由ではある。しかし、偏狭なナショナリズムから、大仰にその不当を騒いでみせるのははしたない。

歴史認識の如何によって、この判決に対する評価が分かれている。朝鮮(韓国)に対する旧天皇制政府の苛酷な植民地支配を否定的に捉える立場からは冷静にこの事態を受けとめ、歴史の反省を欠く勢力がことさらに憤懣を煽ってことを大きくしようとしている。

昨日(10月31日)の産経「主張」が、右派勢力の判決批判の典型だろう。「『徴用工』賠償命令 抗議だけでは済まされぬ」。抗議だけでなく、何をしろというのだろうか。これに対する批判を試みたい。

 戦後築いてきた日韓関係を壊す不当な判決である。元徴用工が起こした訴訟で韓国最高裁が日本企業に賠償を命じたが、受け入れられない。

 「戦後築いてきた日韓関係」とはいったい何だったのか。誰と誰が、どのような「日韓関係」を築いてきたというのだろうか。いま、あらためてその内実を問い直さねばなない。徴用工だけでなく、従軍「慰安婦」、在韓被爆者、3・1事件被害、関東大震災時の虐殺被害にも、そして、?現在なお続く在日差別やヘイトスピーチまで、真摯な謝罪や対応、被害補償の必要な問題は山積している。これを拒み続けた「戦後日韓関係」ではなかったか。清算できていない過去は、問われ続けざるを得ないのだ。

判決は、新日鉄住金に対するものである。同社は、この判決を受け容れざるを得ない。産経や右翼勢力が「受け入れられない」と言うのは、新日鉄住金に対して、「受け入れるな」という威嚇にほかならない。これは、明らかな越権行為である。

 河野太郎外相は「友好関係の法的基盤を根本から覆す」とし、韓国の駐日大使を呼び抗議したがそれだけで足りるのか。政府は前面に立ち、いわれなき要求に拒否を貫く明確な行動を取るべきだ。

 河野太郎の「友好関係の法的基盤を根本から覆す」はよく分からない言い回し。私の耳には、「お宅の国は、近代的な司法制度などは整備されていないお国ですよね。裁判の内容は、政府の意向によってどうにでもなるはずでしょう。あんな裁判を出させないようにすることが、お互いの国の権力者同士の友好関係の法的基盤なのですから、政府が手を回して判決を変えなさい。」との恫喝に聞こえる。

河野太郎は、砂川事件判決を思い浮かべていただろうか。1959年3月、東京地裁(裁判長・伊達秋雄)は、安保条約に基づく米軍の駐留を違憲とし、駐留軍のための刑事特別法の効力を否定した無罪判決を言い渡した。
この判決をアメリカは、「友好関係の法的基盤を根本から覆す」事態と受けとめ、駐日アメリカ大使を通じて田中耕太郎最高裁長官に働きかけた。この判決を覆す理論の提供までしたのだ。その結果、「友好関係の法的基盤を根本から覆す」事態は回避されて、最高裁はその年の内に全員一致の大法廷逆転判決を言い渡している。

これが河野太郎の言う、「友好関係の法的基盤」なのだ。しかし、21世紀の独立国韓国の司法は、「アメリカ植民地」下の20世紀日本の司法とは違うことを見誤っているのではないか。

 韓国人4人が新日鉄住金(旧新日本製鉄)を相手取った訴訟の差し戻し上告審で、「植民地支配や侵略戦争遂行と直結した反人道的な不法行為」などと決めつけ、個人の請求権を認めた。
 史実を歪(ゆが)め、国同士の約束を無視する判決こそ法に反し、韓国司法の信頼を著しく傷つける。

 同判決は、徴用工個人の請求権一般を論じていない。「日本政府の韓半島に対する不法な植民地支配と侵略戦争の遂行と直結した日本企業の反人道的な不法行為を前提とした強制動員被害者の日本企業に対する慰謝料請求権」だけを論じている。そして、限定されたこの「日本企業に対する慰謝料請求権」は、日韓請求権協定の対象に含まれていないと判断したのだ。史実を歪めてもいないし、国同士の約束を無視する判決でもない。「同判決が法に反し、韓国司法の信頼を著しく傷つける」という産経の主張は、判決に対する嫌悪感だけは分かるが、そもそも何を言っているのか理解できない。同判決が反しているという「法」とは何のことだ。韓国司法が誰に対する信頼を傷つけているというのか。筆の勢いによる書き過ぎ以外のなにものでもなかろう。

産経は、2010年の日韓併合から45年8月までの天皇制日本による朝鮮支配は違法でも反人道的でもないとい言いたいのだろう。実は、このことが法的解釈を離れた最大の問題点なのだ。「戦時徴用は当時の法令(国民徴用令)に基づき合法的に行われた勤労動員であり、韓国最高裁の判断は明らかに誤っている」と言ってのける産経主張は、意見の違いの拠って来たるところを明らかにしてくれている。

 戦後賠償問題は、1965(昭和40)年の日韓国交正常化に伴う協定で、日本が無償供与3億ドル、有償2億ドルを約束し、「完全かつ最終的に解決された」と明記された。無償3億ドルに個人の補償問題の解決金も含まれる。

法的な問題はまさにここだ。「無償3億ドルに個人の補償問題の解決金も含まれるか」が、韓国の法廷で争われた。全員一致ではなかったが、大法院の多数意見が、「本件不法行為による慰謝料請求権は、日韓請求権協定における個人の補償問題の解決金に含まれない」と明確に判断した。6年前の大法院差戻し判決と同じ判断。旧日鐵は事実上この時に敗訴したのだ。

大法院広報官室は、判決言い渡し直後に報道資料として日本語による判決解説を発表している。A4・11頁の丁寧な内容。日本語としてはややこなれていない感もあるが、煩瑣を厭わず、できるだけ正確に要約しておきたい。

同判決の主要争点は4点に整理されている。
? 原告に対する日本の裁判所の判決の効力と既判力 (上告理由1点)
? 被告が旧日本製鉄の債務を承継して負担するのか否か (上告理由2点)
? 日韓請求権協定で原告らの損害賠償請求権が消滅したと見ることができるか否か (上告理由3点)
? 被告が消滅時効完成の抗弁をすることができるか (上告理由4点)

判決は、上記の「? 日韓請求権協定で原告らの損害賠償請求権が消滅したと見ることができるか」を「核心的争点」とし、報道資料は丁寧な解説をしている。

上記?の争点については、下記のとおり大法官(最高裁裁判官)間で見解が分かれた。
● 請求権協定は、
 前文において、「大韓民国と日本国は、両国及び両国国民の財産と両国及び両国国民間の請求権に関する問題を解決することを希望し…”と定めた。
 第1条において、日本が大韓民国に3億ドルを無償で提供し、2億ドルの借款を行う事にすると定め、続いて
 第2条 1項で“…両締約国及びその国民間の請求権に関する問題が… 完全かつ最終的に解決されたことになるということを確認する。”と定めた。
 第2条3項では“…一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対する全ての請求権として同日以前に発生した事由に起因するものに関しては、如何なる主張もできないことにする。”と定めた。
● 請求権協定に対する合意議事録(?)では、“…請求権に関する問題には韓日会談で韓国側から提出された対日請求要綱‘8項目’の範囲に属する全ての請求が含まれており、したがって同対日請求要綱に関しては如何なる主張もできなくなることを確認した。”とした。
● このような請求権協定などの解釈上、
 1)原告らが主張する慰謝料請求権が請求権協定の適用対象に含まれたと見ることができるのか、
 2)含まれるとしたら、それによる効力はどうなるのか、すなわち、権利自体が消滅するのか、外交的保護権だけが消滅するのか、そうでなければ実体法上消滅するのではないが、権利行使が制限されることになるのかなどが本件の争点である。

以上のように問題を整理して、判決の多数意見を次のように紹介している。
多数意見:原告らの慰謝料請求権は請求権協定の適用対象に含まれない
 本件で問題になる原告らの損害賠償請求権は、日本政府の韓半島に対する不法的な植民支配及び侵略戦争の遂行と直結された日本企業の反人道的な不法行為を前提にする強制動員被害者の日本企業に対する慰謝料請求権(以下「強制動員慰謝料請求権」)である(未払い賃金や補償金を求めるものではない)。これは下記のような差戻し後の第2審判決の事実認定に基づくものである
● 日本政府は日中戦争と太平洋戦争など、不法的な侵略戦争の遂行過程で、基幹軍需事業体である日本の製鉄所に必要な人力を確保するため、長期的な計画を立てて組織的に人力を動員し、核心的な基幹軍需事業体の地位にあった旧日本製鉄は、鉄鋼統制会に主導的に参加するなど、日本政府の上記のような人力動員政策に積極的に協力し人力を拡充した
● 原告らは当時韓半島と韓国民たちが日本の不法的で爆圧的な支配を受けていた状況で、将来日本で処することになる労働内容や環境についてよく分からないまま、日本政府と旧日本製鉄の上記のような組職的な欺罔によって動員された
● なおかつ原告らは成年に至っていない幼いときに家族と別れ、生命や身体に危害を被る可能性が非常に高い劣悪な環境で危険な労働に従事し、具体的な賃金額も分からないまま強制的に貯金をしなければならなかったし、日本政府の残酷な戦時総動員体制で外出が制限され、常時監視を受け脱出が不可能であったし、脱出を試みたのがばれた場合、残酷に殴打を受けたりもした
 このような「強制動員慰謝料請求権」は、請求権協定の適用対象に含まれるとは言えない
● 請求権協定は日本の不法的植民支配に対する賠償を請求するための交渉ではなく、基本的にサンフランシスコ条約第4条に基づき韓日両国間の財政的・民事的債権・債務関係を政治的合意によって解決するものであった
 サンフランシスコ条約によって開催された第1次韓日会談で、いわゆる‘8項目’が提示されたが、これは基本的に韓・日両国間の財政的・民事的債務関係に関することであった。上記8項目のうち、第5項に‘被徴用韓国人の未収金、補償金及びその他請求権の弁済請求’という文句があるが、これも日本植民支配の不法性を前提にするものではなかった。
 1965.3.20.大韓民国政府が発刊した‘韓日会談白書’によれば、サンフランシスコ条約第4条が韓・日間請求権問題の基礎になった明示しており、更には“上記第4条の対日請求権は勝戦国の賠償請求権と区別される。韓国はサンフランシスコ条約の調印当事国ではなく第14条規定による戦勝国が享受する‘損害及び苦痛’に対する賠償請求権を認められることができなかった。このような韓・日韓請求権問題には賠償請求を含ませることができない。”と説明している
 請求権協定文やその付属書のどこにも日本の植民支配の不法性を言及する内容は全くない
● 請求権協定第1条によって日本政府が大韓民国政府に支給した経済協力資金(無償3億ドル、有償2億ドル)は、第2条による権利問題の解決と法的な対価関係があると見られるかも明らかではない
 2005年民官共同委員会の発表などを通じて分かる大韓民国政府の立場も、政府が受領した無償資金のうち、相当金額を強制動員被害者の救済に使わなければならない責任が‘道義的責任’に過ぎないということである
● 請求権協定の交渉過程で日本政府は植民支配の不法性を認めないまま、強制動員被害の法的賠償を基本的に否認し、これによって韓日両国の政府は日帝の韓半島支配の性格に関して合意に至ることができなかったが、このような状況で強制動員慰謝料請求権が請求権協定の適用対象に含まれたとするのは難しい。

要するに、「幼いときに家族と別れ、生命や身体に危害を被る可能性が非常に高い劣悪な環境で危険な労働に従事し、具体的な賃金額も分からないまま強制的に貯金をしなければならなかったし、日本政府の残酷な戦時総動員体制で外出が制限され、常時監視を受け脱出が不可能であったし、脱出を試みたのがばれた場合、残酷に殴打を受けたりもした」という態様の「強制動員慰謝料請求権」は、請求権協定の適用対象に含まれるとは言えない。だから、この条約締結によって消滅していないのだという。

あとは、多くを語る必要はない。主権国家の司法部による国際条約の解釈に批判の意見はあり得ても、受容し尊重するしか途はない。むしろ、あらためて日本の植民地支配の実態を見つめ直し、その負の歴史を清算し得ていないことを再認識すべきなのだ。

その上でのことだが、日韓両国の真摯な再協議で、両国関係の再構築に知恵を絞るべきが至当と言うべきだろう。その場合に、まず考えられるのは、日韓請求権協定3条に基づく仲裁手続である。

念のため、抜粋しておこう。

第3条
1項 この協定の解釈及び実施に関する両締約国の紛争は、まず、外交上の経路を通じて解決するものとする。
2項 前項の規定により解決することができなかつた紛争は、いずれか一方の締約国の政府が他方の締約国の政府から紛争の仲裁を要請する公文を受領した日から30日の期間内に各締約国政府が任命する各一人の仲裁委員と、こうして選定された仲裁委員が当該期間の後の30日の期間内に合意する第三の仲裁委員との三人の仲裁委員からなる仲裁委員会に決定のため付託するものとする。ただし、第三の仲裁委員は、両締約国のうちいずれかの国民であつてはならない。
3項 いずれか一方の締約国の政府が当該期間内に仲裁委員を任命しなかつたとき、又は第三の仲裁委員若しくは第三国について当該期間内に合意されなかつたときは、仲裁委員会は、両締約国政府のそれぞれが30日の期間内に選定する国の政府が指名する各一人の仲裁委員とそれらの政府が協議により決定する第三国の政府が指名する第三の仲裁委員をもつて構成されるものとする。
4項 両締約国政府は、この条の規定に基づく仲裁委員会の決定に服するものとする

かつて韓国の憲法裁判所は、慰安婦問題について、下記のような決定を出したことがある(2011年8月30日)。事案は、元従軍「慰安婦」とされた人々が請求人(原告)となって、外交通商部長官・現外交部(外務大臣に相当))を相手に、 日韓請求権協定3条に基づく仲裁手続をしないことの違憲確認を求めたもの。

その主文が、以下のとおりである。
 請求人ら(原告・元「慰安婦」)が日本国に対して有する日本軍慰安婦としての賠償請求権が「日韓請求権協定」第2条第1項により消滅したか否かに関する日韓両国間の解釈上の紛争を上記協定第3条が定めた手続に従い解決していない被請求人(外交通商部長官・現外交部(外務大臣に相当))の不作為は,違憲であることを確認する。

これは、憲法裁判所ならではの主文であり、韓国国内での効力しか持たない。いま、両国関係の再構築のために、この仲裁手続の活用を真摯に模索すべきではないだろうか。
(2018年11月1日)

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