都教委にもの申す
教育情報課長に申し上げる。あなたに怨みがあるわけではないが、あなたが窓口だ。あなたを通じて、あなたの背後にいる知事や教育委員長、教育委員、そして教育長に申し上げる。
ただ今、「被処分者の会」の代表者から9点の「請願事項」の説明があった。6日の最高裁判決を踏まえての「会」の要請は多岐にわたるが、大きくは二つのこととご理解いただきたい。
一つは、減給以上の処分の取り消しが最高裁で確定したということについてだ。
ご存じのとおり、最高裁は行政に甘い。めったなことでは行政のやることに批判がましいことをいわない。その最高裁が、さすがに都教委のやり方には目をつぶることができなかった。既に25人(30件)の処分を懲戒権の裁量を逸脱濫用しているとし、違法だから取り消すと判断した。「いくら何でもこれはひどい」「とんでもないやり過ぎだ」と言われたのだ。その重みを受けとめていただきたい。
最高裁の判決によって、減給・停職の処分が違法とされ取り消されたということは、都教委の基本方針が法体系に相容れないものと断罪されたということ。都教委の基本方針とは何だったか。我々が「思想転向強要システム」あるいは「改宗強要システム」と名付けたもの。思想的信条から、あるいは歴史観から、日の丸・君が代にたいする敬意の表明はできないという人に、その思想を変えるまで、処分を累積し加重する。信仰上の理由から、日の丸・君が代強制を拒否する人に対しても同様。
最高裁も驚いた。「都教委って、そこまでやるの?」「いくら何でもそれはやり過ぎ」。保守政権に任命された保守的裁判官が、そう言わざるをえなかったのだ。日本国憲法の精神に照らして、さすがにこれは暴走。違法なのだ。
最高裁から違法といわれた行政機関は、恥辱と思わねばならない。世に、ブラック企業というものがあって、違法を承知の経営を行って恥じない。教員の思想良心を蹂躙し、多数の早期退職者を排出している都教委は「ブラック官庁」だ。それでも最高裁に違法と言われることを、反省する気持ちはあるだろう。潔く自らの非を認め、衷心から謝罪し、反省し、責任を取らねばならない。それが、「間違ったことをした行政機関」の当然の対応。都教委の謝罪と反省とそして責任のとりかたを考えていただきたい。
繰り返すが、間違っているのはあなた方だ。反省すべきはあなた方だ。もう一度、憲法とは何か、教育法体系は何を理念としているか、地方公務員法はどうできているかをよく学び直し、再研修をしていただきたい。不起立者に対し服務事故再発防止研修を命じるなどは、天地が逆さまではないか。
もう一つは、日の丸・君が代強制は、戒告処分としてなら許されるのか、という問題。
確かに、最高裁は、戒告処分の違憲・違法までは認めなかった。だから、戒告処分をによる強制はやって良いといったのか。けっしてそうではない。このことをよく理解していただきたい。
裁判所は、よくよくのことがなければ行政に介入しない。司法消極主義とか、司法の謙抑的態度と言われる。それでも、戒告を違憲と判断した最高裁の裁判官が二人いる。違憲とした東京地裁の判決もある。戒告を受けた167名全員の処分を違法として取り消した東京高裁の判決もある。とても、「戒告程度なら処分も許される」というものではない。
最高裁の多数意見が戒告を違憲とまでは言わなかったことに、図に乗ってはならない。これまで、合憲判断に与した12人の裁判官のうち7人が、「違憲とまでは言えないが放置してはおけない」「現場の混乱を都教委側のイニシャチブで解決せよ」「現場で知恵を出し合い協議して解決すべきだ」と補足意見を書いている。声なき声ではない。明確に文字になっている。このことを重く受けとめていただきたい。
9月6日第二小法廷の判決で、新任の鬼丸かおる裁判官が新たに補足意見を書いた。場合によっては、「戒告処分も裁量権の濫用あるいは逸脱となることもあり得る」と意見を述べている。そして、この裁判官も、都教委に対し「謙抑的な対応が教育現場における状況の改善に資するものというべき」と言っているのだ。明らかに、都教委に対して反省と改善を求めたものである。
もっとも軽い戒告処分と言えども、思想・良心の制約になっていることは最高裁の多数意見も認めているところ。最高裁裁判官の中に都教委のやり方を褒める姿勢を持つものはなく、「違憲とは言えないが望ましくはない」とする者が圧倒的多数なのだ。
もちろん、我々は違憲判決を言い渡さないことで、最高裁が間違っていると思っている。明確な違憲判決獲得まで闘い続けるつもりだ。しかし、今の最高裁判決のレベルでも、最高裁は都教委に対して、日の丸・君が代強制については、やり過ぎることのないよう、たしなめていることを知るべきなのだ。
少なくとも、最高裁の多くの補足意見が、現場でよく話し合えと言っている。話し合いの機会をもとうではないか。そして、教育の営みに関わる者同士にふさわしい、協議の場を作って、子どもたちのために、真の意味での日本の教育の再生のために、日本の民主々義の将来のために、教育現場の改善に知恵を出し合おうではないか。
そのことを申し入れている。教育委員の各氏によく伝えていただきたい。くれぐれも、事務レベルで握りつぶすようなことがないように申し添える。万が一にもそんなことがあれば、私の請願権をおろそかに扱われたことに我慢しかねる。憲法上の権利を侵害されたとして国家賠償請求も考えざるを得ない。このことをきちんとメモをしておいていただきたい。
(2013年9月9日)