澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

平和と教育の伝道師ー幼いが偉大なマララさん

9月3日、ヒジャブ(イスラム女性が髪を隠すための被り物)と民族衣装に身を包んだマララ・ユスフザイさん(16歳)がイギリスのバーミンガムの公立図書館の開館式で訴えた。
「世界平和への唯一の道は読書と知識を得ること、そして教育だ。たくさんの本を読んで力をつけたい」「本とペンはテロを打ち負かす武器だ」と強調して、聴衆から大きな拍手を受けた。

マララさんは2009年11歳の時、パキスタンのタリバン支配地域スワートから、ペンネームでブログを書き続けた。タリバンがイスラム法によって、女子校を破壊(08年に150校爆破)し、それが自分の通う学校に及びそうなことを危惧している。「ヘリコプターの夢を見る。友人が移住してしまって11人しか残っていない」「タリバンがカラフルな服を禁止するので、地味な服を着なければならない」「アナウンサーが殺されたのではないかという噂」「明日から冬休みと校長から言われたが、再開日については話がない。タリバンが学校閉鎖を命じたからだ。もう二度と学校に来られないかと思って、いつもより友達と長く遊んで、学校を目に刻んだ」「大砲の音で夜3回も目を覚ました」などと戦時下の生活を綴っている。

その後パキスタン軍がタリバンをスワートから追い出した。マララさんは「勇気ある少女」とパキスタン政府から表彰され、本名も明かされた。CNNのインタビューに「私には教育を受ける権利がある。遊んだり、歌ったり、おしゃべりをし、市場に行き、発信する権利がある」と喜びを語っている。

しかし、その後が大変だった。マララさんは「本当の勇気ある少女」になるよう運命づけられた。2012年10月9日(15歳)、マララさんは帰宅途中のスクールバスに乗り込んできた数名の男に頭部と首を銃撃されたのだ。一緒にいた女子生徒とともに。タリバンが犯行声明を出した。重態のマララさんは治療と身の安全のためにイギリスのバーミンガムの病院に搬送された。世界中から救命を願う声が寄せられ、4カ月後マララさんは奇跡的な回復を遂げた。「私は生きています。話すこともできるし、みんなの姿を見ることもできます。私はこれからも人々のために、すべての少女、すべての子どもが教育を受けられるように尽くしていきます」と健気なお礼の言葉を述べた。

そして、今年7月13日16歳の誕生日を迎えたばかりのマララさんは、国連で演説をした。満場の拍手で迎えられたマララさんは小さな身体でちょっと恥ずかしそうに、しかし堂々と英語で感謝のスピーチを述べた。自分を撃ったタリバン兵士を許しますと述べたあと「『ペンは剣より強し』ということわざがあります。これは真実です。過激派は本とペンを恐れます。教育の力が彼らを恐れさせます。彼らは女性を恐れています。女性の声の力が彼らを恐れさせるのです」「すべての政府に全世界のすべての子どもたちへ無料の教育を確実に与えることを求めます。すべての政府にテロリズムと暴力に立ち向かうことを求めます。残虐行為や危害から子どもたちを守ることを求めます。先進諸国に発展途上国の女の子たちが教育を受ける機会を拡大するための支援を求めます」「1人の子ども、1人の教師、1冊の本、1本のペン、それで世界を変えられます。教育こそがただひとつの解決です。エデュケーション・ファースト(教育第一で)」と訴えた。

マララさんの国連演説の1カ月前には、パキスタンのクェッタで女子大生のバスにリモート式爆弾が仕掛けられ、帰宅途中の14名の女子学生が殺害されている。そうしたなかでも、マララさんと一緒に銃撃された少女たちもひるまず、自分が倒れても続く者があると、命がけで女子の教育の必要性を訴えている。マララさんは「そうしたみんなの声をここ国連で代弁して訴えている」と述べている。

9月7日にはオランダのハーグで、人権団体「キッズライツ」による「国際子ども平和賞」がマララさんに授与され、「私はあらゆるところで教育が当然のものと考えられている世界に住みたい」と述べた。ノーベル平和賞も彼女に与えられるのではないかとまで言われている。

女性の教育を受ける権利を否定する「野蛮なタリバン」だが、神の教えに忠実に従っての「野蛮」なのだ。マララさんの小さな肩にのしかかる難題はあまりにも重すぎるようにみえて痛々しい。マララさんは、「タリバンの子どもたちにも教育を」と訴えている。なるほど、「教育こそがただひとつの解決です。エデュケーション・ファースト(教育第一で)」には頷かざるを得ない。

日本では、教育を受ける権利が当然のものと考えられてはいるが、「いじめ」「体罰」「自死」など、マララさんの想像もつかない問題が山積している。その解決も、「エデュケーション・ファースト」以外にはない。単に制度としての教育ではなく、教育の内容が問われている。

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  『オリンピック拒絶宣言』

目が覚めて、いつものようにラジオのスイッチを入れた。せっかくの日曜日の朝から不愉快なニュース。2020年オリンピック・パラリンピックは東京に決まったという。番組は、日本中が喜びに沸き立っているに違いないという、押しつけがましさ。世論調査でも、賛成は7割でしかなかったはず。あとの3割の意見は切り捨てなのか。

「これで一儲け」と、たくらんでいる連中が、誰よりも大喜びだ。土建屋・不動産屋・株屋に金貸し。そして、これで政権が安定すると鼻息荒い国政・都政の保守派の面々も。さらに、国策に躍らされることが大好きな人々も。

私の不愉快の源泉は、「国民こぞっての祝賀のムード」という、押し付けがましい雰囲気にある。慶事も弔事も、当事者だけのもの。無関係の人へ押しつけてはならない。感動の押しつけに至っては、迷惑千万。「君が代唱って、日の丸振って、みんなで万歳」なんて、虫酸が走る。好きな人だけ仲間内でやっていただきたい。

子どもたちを、祝賀行事やら、記念のイベントに動員することはやめてもらいたい。整列させて、日の丸もたせて、声を合わせて唱わせたり、歓呼の声を…、なんて悪夢の再来だ。

近代オリンピックの発足当初は、個人参加だった。その理念が素晴らしい。これを国別対抗ゲームにしたところから、各国のナショナリズムと結びついて大会は隆盛化した。スポーツとナショナリズム。本来は何の結びつきもないものを結合させたことが、このイベントの巨大化の原因となり、間違いにもなった。

古代オリンピックは、平和の祭典であったという。仮に戦争があっても、各ポリスは戦闘をやめてオリンピックに参加したという。この伝統を大切に思う立ち場からは、今回の招致レースでは当然にイスタンブールに花を持たせるべきだったろう。シリア・イスラエル・中東全域の平和に貢献するだろう。

現代オリンピックは、肥大化したコマーシャリズムとナショナリズムの祭典となった。そのうえに、各国の王族だの貴族だのが幅を利かせる奇妙なイベントに堕している。

私は、厳粛に宣誓する。
オリンピックを拒否する。東京オリンピックには何の協力もしない。

せめては、オリンピックを契機とした人と人との交流が、平和の礎とならんことを願うのみ。
(2013年9月8日)

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Published in 日曜日, 9月 8th, 2013, at 21:44, and filed under 未分類.

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