改憲阻止の立ち場から注目の堺市長選
しばらく国政選挙がない。「もしかしたら、次の国政レベルの選挙は、憲法改正の国民投票かも」などと言われてギョッとする。そうならないとは思うが、3年後の参院選とそのころの総選挙は、憲法をめぐる天王山。あるいは、天下分け目の関ヶ原。その帰趨は、決定的なものとなる。
国政選挙並みに注目される地方選挙が、堺市長選。今月15日告示で29日投票の日程。市長選の争点は、堺市の「大阪都」構想への参加の是非である。が、これとともに、大阪維新の会の存亡を懸けた選挙戦となっている。橋下徹自身がそう言い、私もそう思う。もっとも、橋下は「存」を望み、私は「亡」を願う。「自民党の右からの補完勢力」の消長が注目の所以である。
現職竹山修身市長と「大阪維新の会」公認の新人西林克敏前市議との一騎打ち。竹山を推すのが、自民府連・民主・共産。反橋下徹統一戦線である。自民の中央は改憲勢力の一翼として維新を温存しておきたいところ。だから態度を決めかねている。中央と地元とのネジレは、この党らしいところ。公明はどっち付かずで、どっちにも付けない。自主投票とのこと。これもこの党らしい。
昨年暮れの衆院選がピークだった維新の会は、東京都議選に大量の立候補をさせて惨敗した。これが終わりの始まり。惨敗は今夏の参院選でも続いて、党勢の衰退は誰の目にも明らかになった。そして、大阪府内政令指定都市・堺での、いわば地元での選挙戦敗北は、本格的な政党消滅へのレッドカード。もしかすると、「トドメの選挙」「終わりの終わり」となるのかも知れない。
私は、中学・高校は大阪。市内ではなく、大阪府下南河内の小さな町で金剛葛城の山なみを眺めて過ごした。大阪人の気風はよく分かる。なによりも、アンチ中央、アンチ東京である。私も、阪神タイガースのファンだった。ジャイアンツは大嫌い。
堺を隣町とは思っていなかったが、自治体の合併でいつの間にか隣接市となっていた。堺の気風も分からないではない。大阪への対抗心がある。アンチ大阪である。
現在、大阪市の人口が250万、堺市が84万。堺は、大阪市の3分1の規模。規模は小さくても、プライドは高い。呑み込まれてなるものぞ、との気概が伝わってくる。
大阪都構想自体が、アンチ東京の情念の産物とすれば、堺の大阪都構想反対もアンチ大阪の産物。幾層もの地域ナショナリズムが複雑に拮抗している。堺市長選での、竹山側のスローガンが、「堺は一つ」「堺をつぶすな」「堺の乗っ取りを許すな」。おそらく、これで維新の勝ち目はない。維新は、堺市民に、都構想による具体的なメリットを示すことができない。単なる「維新の敗北」で終わるか、「党消滅に繋がる惨敗」となるか、関心はそこに集中する。
維新橋下の戦術は、専ら、「竹山市長は、あろうことか共産党の応援まで受けている」「竹山市長は共産党公認候補」「共産党の市長を誕生させるのか」などの反共攻撃である。これも、いかにも橋下らしい「手口」。既に、末期症状である。
橋下維新の支援者の多くは、理念に共感してのものではない。「何かをやってくれそうだ」「これから大きくなりそうだから乗り遅れまい」の2点での期待に基づく先物買である。「何をやろうとしているのか」が見えてきて、「もう先が見えてきた」となったら、風船の破裂同様、急速にしぼむことが目に見えている。
なんといっても、町衆の自治都市を支えた誇り高き歴史をもつ堺の人々である。橋下維新に打ち勝たずばおられまい。そのことが、改憲勢力に打撃を与えることにもなり、財界がたくらむ道州制を阻んで、「団体自治、住民自治」確立への第一歩ともなる。
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『旧日本軍の化学兵器』
シリアでの化学兵器使用が大問題となっている。化学兵器といえばオウム真理教のサリン散布事件を思い出させる。もっと年齢が高い人なら、関東軍の731部隊を思い出すだろう。旧「満州」で石井四郎軍医(中将)以下3000人(終戦時3560人)もの部隊が、東京大学に匹敵する予算を使って生物化学兵器を研究していた。ペスト、コレラなどの細菌兵器やマスタード、イペリットなどの毒ガス化学兵器である。朝鮮人、中国人、モンゴル人、アメリカ人、ロシア人を「マルタ(丸太)」と称して生体実験に使った。その数は3千人にものぼるといわれている。その戦慄すべき実態は、森村誠一の「悪魔の飽食」にくわしい。
化学兵器の使用を禁止した1925年ジュネーブ議定書を無視して、関東軍は大量破壊兵器(毒ガス弾)を生産し、使用した。「きい剤」(致死性びらん剤)「あか剤」(くしゃみ剤)「みどり剤」(催涙剤)などと名付けられて数百万発の化学兵器がつくられたといわれる。中国戦で使用されて残った兵器を、終戦時に、関東軍は中国に遺棄して逃げ帰った。終戦の混乱に紛れ、記録も隠滅廃棄され、生産数も遺棄数も廃棄場所も正確には把握しようもない。ソ連軍や中国国民党軍に引き渡したものもあったらしい。
それらが戦後しばらくして、中国各地で中国国民の死傷害事件を起こす原因になった。2003年には731部隊の本拠地のあったチチハルの建設現場で遺棄イペリットガスによって43人が被毒し、1人死亡という惨事が起こっている。中国側は遺棄化学兵器による事故は約1000件、2000人の死傷者が出ていると集計している。
日本は、1997年に発効した「化学兵器禁止条約」により、中国に遺棄された化学兵器を処分する義務を負った。遺棄した責任国の義務として資金、技術を提供し、2000年以来中国各地において処理作業を続けている。そして今年、2013年8月29日南京市での作業が終了したと発表された。専用装置内で化学兵器を爆破し、処理作業して、48000発の「あか筒」を無毒化したという。しかし、どうしてもヒ素だけは処分できないので、濃縮して密封容器に入れて保管してある。そのヒ素をどうするかという問題は未解決のまま残っていると報じられている。
さらに、南京市が終わっても、武漢市、広州市、石家荘市、ハルビン市での処理が続く。そのあとに、最大量(30?40万発)の埋設地である吉林省のハルバ嶺が手つかずで控えている。2022年が終了目標にされている。気が遠くなるような話。
日本国内でも、北海道屈斜路湖(96年)、広島県大久野島(99年)、さがみ縦貫道路工事現場(02年)、平塚市(07年)などで、旧日本軍由来の埋蔵遺棄化学兵器による事故が起こっている。
サリンなどの化学兵器は「貧者の核兵器」といわれるように、作るのが容易である。しかし、処分するのは難しい。旧日本軍のような道義心に欠ける集団が作り、悪魔の殺戮を行ったあとは、「我がなきあとに洪水は来たれ」となってしまう。
化学兵器だけではない。多くの遺棄兵器が洪水や怪物となっている。兵器ばかりではない。今や、「原発」が化学兵器の数百倍も手に負えない洪水や怪物となりつつある。福島の汚染水の現状を見れば、原発再稼働や輸出など愚かなことだ。
愚かな歴史を断ち切ろう。「我がなきあとにも、常に美しき緑の野を」。
(2013年9月7日)