傾聴・浜矩子の憲法論
本日届いた日弁連の機関誌「自由と正義」(9月号)に、浜矩子さんの「グローバル経済と日本国憲法」というインタビュー記事が掲載されている。これが滅法面白い。頷かせる。消費増税問題を例外として、浜さんの経済解説は傾聴に値するものとして接してきた。改めて、憲法問題についての姿勢にも敬意を表したい。
インタビューは、一見「愚問賢答」のごとくである。しかし、「賢答」を引き出しているのは、実は質問者の手腕なのかもしれない。たとえば次のごとくである。
問:国防軍を創設しアメリカと一緒に戦争のできる国に変わることは、外国と相互依存関係にある日本の取引にどのようなインパクトを与えるでしょうか。
答: 質問そのものに異論があります。日本の経済的取引にどのような影響かあろうがなかろうが、日本は戦争のできる国になってはいけない。他の国から、「アメリカと一緒に戦争できない国とは、取引できませんよ。」と言われたとしても、「じやあ結構です。」と言える明確なスタンスが必要です。あくまで、これが大原則です。…この種のテーマは、メリット・デメリットの枠から離れて議論されるべきです。経済的な効果効用に結び付けて議論されることを、注意深く避けていく必要があります。この問題については、損得勘定の次元では議論しないというスタンスを固持しなければなりません。
問:軍事産業が活発になっていくと雇用も生まれるからよいのではという意見に対しては、どのようにお考えでしょうか。
答:論評に値しません。兵器を作って幸せになれるか、なっていいのかという問題です。…よもや、そんな人はいないと思いますが、雇用が増えるから軍事産業の拡充を図ろう、などとプロモーションする政治家などがいるとすれば、論評どころか、まともな軽蔑にさえ値しないと思います。
問:財界では、海外における日本企業の権益を維持するため、軍事力で助けてほしいという要望があるようですが。
答:日本企業の権益を維持するために軍事力に頼る必要があるのであれば、そもそも、そのような経済活動をしなければいい。そもそも、軍事力に守ってもらう必要があるような地域に、企業が進出するということは、いかなる場合において正当化されるか。それを考える必要がありますよね。危険地域には、必ず何らかの対立の構図がある。そのただ中に飛び込んで行くことが、どのような理由で正当づけられるのか。
問:憲法改正の議論において、経済的な視点を踏まえた議論がなされていないように感じるのですが、いかがお考えでしょうか。
答:そもそも、経済的な視点など、出てくる必要がないし余地がありません。軍隊を持つことの経済的効用を研究テーマとした論文を執筆するのであれば、経済的な視点で考える必要があります。ですが、憲法改正論議と経済計算は関係がありません。「経済的な視点を用いた議論」を行うと、例えば国防軍の創設というテーマについて、損であればやめるべきだが、得であるならばやった方がいいということになってしまいますよね。そんなバカな話はないでしょう。平和に関わる問題を巡って損得勘定の次元で議論をしてはいけないと思うのです。
この質問者もそうだが、私にも、「経済学者は事象を社会科学的にとらえる。そこには、理念や倫理がはいる余地がない」という思い込みがある。「経済行動の単位をなす一人ひとりの平和への願いを超えて、資本主義経済は戦争体制への傾斜を深めざるを得ないのではないか」との危惧がある。浜さんの回答は、小気味よくこの先入観をはずしてくれる。
浜さんは、こうも言っている。「経済学者であろうと、法律学者であろうと、弁護士であろうと、平和の価値は同じように理解されるべきです。商売によって、平和の価値が変わるとは思えません。」そして、最後を次の名言で締めくくっている。
「…どんなに儲かっても、認められないものは認められないのです。」
(2013年9月15日)