たった一人の反対票を投じ、「凛として筋を通した」バーバラ・リー。
(2021年9月5日)
市民団体「日本平和委員会」の機関紙が、旬刊の「平和新聞」。その「9月5日」号が、間近に迫った20年目の「9・11」に関連して、アフガン問題の特集で充実している。
が、敢えて「ジャーナリスト・伊藤千尋のプーラ・ビーダ」を紹介したい。ここに、バーバラ・リーに触れた記事があるからだ。(なお、「プーラ・ビーダ」とは、「純粋な人生」の意味で、平和憲法持つ国コスタリカのあいさつ言葉と説明されている)
バーバラ・リーについては、私なりにコメントしておきたい。
2001年9月14日、9・11同時多発テロの3日後のこと。米連邦議会の上下院は、ブッシュ大統領に対しテロへの報復戦争について全面的な権限を与える決議を成立させた。これに対し、上下両院を通じてただ一人反対票を投じたのが、カリフォルニア選出のバーバラ・リー(Barbara Lee)民主党下院議員だった(下院賛成票420・反対票1)。私は、この一票を、議会制民主主義に生命を吹き込んだものとして高く評価する。その「ただ一人反対を貫いた下院議員」の議会での発言の一節がこうであったという。下院でただ一人反対票を投じ
私は確信しています。軍事行動でアメリカに対する更なる国際的なテロを防ぐことは決して出来ないことを。この軍事力行使決議は採択されることになるでしょう。(それでも、)…誰かが抑制を利かせなければならないのです。誰かが、しばし落ち着いて我々が取ろうとしている行動の意味をじっくり考えなければならないのです。皆さん、この決議の結果をもっと良く考えて見ませんか?
良心に従い、良心を貫いた、たった一人の反対票。そのおかげで、狂気の時代のアメリカは、全体主義の烙印から救われたのだと思う。以下、伊藤千尋の記事の抜粋である。【「9・11」から20年】「凛として筋を通す」と表題されている。そして、「一挙に愛国社会へ」「ぶれない政治家が」と小見出しが打たれている。
「世界を驚かせた「9・11」のテロから20年。私は10日前の2001年9月1日付けで朝日新聞のロサンゼルス支局長に就任しました。テロの日の米国を今もよく覚えています。
(略)2日後の新聞は一変しました。「われわは被害者だ。報復あるのみ。今は大統領のもとに団結しよう」という主張ばかり。テレビは一日中、愛国歌「神よアメリカを祝福したまえ」を流します。街の建物の窓は星条旗だらけ。車もすべてか国旗をつけて走っるように見えます。
3日後、戦争する権限を大統領に一任する法が連邦議会で可決されました。反対したのは上下院でたった一人だけ。黒人女性のバーバラ・リー議員です。彼女はたちまち全米から「裏切者」と非難されました。
4ヵ月後の講演会で彼女は反対した理由を語りました。「議会の投票前に憲法を読みなおして、思い出したのはベトナム戦争です。大統領が虚偽の口実で戦争を始めました。大統領に全権を任せればまた同じことが起きる。今こそ私たちは過去に学ぶべきです。行政を監視する議会の役割を放棄すべきではない」と。
後ろで聴いていた私は思わず最前列に走り、壇上の彼女に質問しました。「たった一人でも反対するには勇気が必要です。あなたの勇気の源は何ですか」と。
リー議員は「勇気を出したのではありません。憲法を考え、憲法に沿って行動したまでです」と微笑んで答えました。自分は憲法を背負っているという自信が支えだったのです。彼女はその主張を貫きました。1年後、議会の改選が行われ、リー議員は再び立候補しました。まだ愛国社会のさなかで、彼女は惨敗すると言われました。ところが逆に、対立候補の4倍の票を得て圧勝したのです。ぶれない政治家こそが人々の信頼を勝ち得るのです。
20年後の今、米国はベトナムの轍を踏み、アフガンから撤退しています。リー議員を非難した人々がこの間、彼女を訪ねて涙を浮かべて謝罪しています。人間だれしも周囲から孤立することがあります。正しいと信じていても同調圧力に耐えられず、つい妥協しがちです。そんなときは彼女を思い出しましょう。
凛として筋を通す生き方こそ、尊敬に値するのです。」
付け加えるべきことはない。バーバラ・リーのように、凛として筋を通した生き方に共感あるのみ。