不気味なり、安倍国葬。菅の弔辞と参列者の拍手。
(2022年10月2日)
安倍国葬とは、いったい何だったのだろうか。国民の反対を押し切って強行された、この権力顕示のイベント。論者の立ち位置によって評価はまったく異なるものとなっている。冷静な目で幾重にも検証しなければならない。そのことは、この国葬を期として、「今より後の世はいかにかならむ」を考察することでもある。
典型的な右派の見方として、9月30日[産経・主張]が、「安倍氏の国葬 真心込めて故人を送れた」という歯の浮くような、政権へのおべんちゃら。
「安倍晋三元首相の国葬が執り行われた。日本の国として、功績のあった故人を、真心込めて送ることができて本当に良かった」と述べ、とりわけ、菅義偉の弔辞を持ち上げてこう言及している。
「感動を呼んだのは、安倍氏を長く支えた菅義偉前首相による友人代表の弔辞だった。菅氏は、暗殺された伊藤博文を偲んだ山県有朋の歌を『私自身の思い』として、2度読み上げた。安倍氏の読みかけの本にペンで線を引いてあった歌だった。
『かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の世をいかにせむ』
式場では、日本の葬儀としては異例の拍手がおこったが、中継をみていて共感した人は多かったのではないか。言葉の力が、故人を見事に送ったのである。」
伊藤博文や山県有朋を持ち出して、自分たちに重ねることを恥ずべきこととは思わない感性に呆れる。無批判にこれに拍手する参列者にも、である。日本国憲法の諸理念に照らして、偏った人々があの空間に集まっていたのだ。これが、安倍国葬の実態。
ところで、右翼・右派を感動させたという山県有朋の一首は、実は「使い回しだった!」というリテラの9月30日付記事が読ませる。リテラ、大したもの。これを紹介したい。
https://lite-ra.com/2022/10/post-6232.html
長いタイトルである。「菅義偉が国葬弔辞で美談に仕立てた『山縣有朋の歌』は使い回しだった! 当の安倍晋三がJR東海・葛西敬之会長の追悼で使ったネタを」。情報量の多い記事もかなりの長文。
リテラは言う。「この弔辞、…ドラマチックな話ではまったくない」「薄っぺらなハリボテ的演出がされた駄文だった」。「『山縣有朋の歌』は安倍元首相自身がJR東海・葛西会長の追悼で引用したものだった」
安倍は今年6月17日、Facebookにこう投稿しているという。
〈一昨日故葛西敬之JR東海名誉会長の葬儀が執り行われました。
常に国家の行く末を案じておられた葛西さん。
国士という言葉が最も相応しい方でした。
失意の時も支えて頂きました。
葛西さんが最も評価する明治の元勲は山縣有朋。
好敵手伊藤博文の死に際して彼は次の歌を残しています。
「かたりあひて尽しゝ人は先だちぬ今より後の世をいかにせむ」
葛西さんのご高見に接することができないと思うと本当に寂しい思いです。
葛西名誉会長のご冥福を心からお祈りします。〉
あの葛西敬之である。「安倍の最大のブレーンと言われていた極右財界人」。 その葛西が亡くなったとき、安倍は葬儀で弔辞を述べ、さまざまなメディアで追悼の言葉を発した。そのとき、持ち出していたのが、今回、菅が紹介した山縣の歌だった。安倍にその歌が載っている評伝『山縣有朋』を薦めたのが、葛西だったからだ。2014年12月のことだったという。極右葛西が、明治の軍国主義の総元締め山縣有朋を信奉しているのは有名な話なのだそうだ。
リテラは、「極右国家主義政治の師匠とも言える葛西氏から“日本の軍国主義路線の大元”山縣の評伝を教えてもらった安倍氏が、その師匠の追悼に本に載っている山縣の歌を使ったのである。」「安倍氏は6月24日発売の極右雑誌「WiLL」(ワック社)8月号に掲載された櫻井よしこ氏との対談でも、葛西氏が山縣有朋を敬愛していたこと、葛西氏から岡義武の『山縣有朋』を薦められたことなどを語った上で、『まさに、私たちが葛西さんに贈りたい歌です』として、この歌を紹介していた。」
《ところが、菅前首相は今回、故人である安倍氏が他の人を偲ぶために使っていたその歌を、何の説明もないまま、今度は自分の心情の表現として借用してしまったのだ。これって、弔辞のマナーとしてありなのだろうか。》
さらに、リテラは、「明治軍国主義の権化・山縣有朋を国葬の場で美談仕立てで持ち出すグロテスク」と中見出しを付けて、こう言っている。
「これだけなら、“愛国者のハリボテ”だった無教養な安倍・菅コンビらしいオチというだけの話で済むかもしれない。しかし、今回の菅前首相の弔辞の本当の問題は、「使い回し」かどうか以前にある。それは国葬の弔辞で山縣有朋を持ち出したことそのものだ。
「山縣有朋といえば、明治政府の軍事拡大路線を指揮した日本軍閥の祖で、治安警察法などの国民弾圧体制を確立した人物。自由民権運動を潰し、天皇と国家神道支配の強化、富国強兵と中央集権体制の確立のため、自分の息のかかった地方長官会議に建議させ、井上毅内閣法制局長官や儒学者の元田永孚らに命じて、あの「天皇と国家のために命を捧げろ」と教える教育勅語をつくらせたことでも知られる。
そして、安倍元首相の“明治軍国主義の祖”山縣への傾倒ぶりは相当で、首相在任中の2017年に防衛大の卒業式で…批判を浴びたスピーチも、山縣が発意した『軍人勅諭』を踏襲しているとも指摘されていた。
また、菅前首相も自身に抵抗する官僚を監視し干し上げてきた弾圧体質も、自由民権運動を弾圧したり、反長州の人間を徹底的に排除するなどした山縣有朋と通じるものがある」
「その後、山縣が指揮した大日本帝国がどんな道を辿ったと思っているのか。」
深く同感する。伊藤が作り山県が運用の基礎を固めた大日本帝国憲法。その基本理念を否定し大転換して日本国憲法が制定された。しかし、大日本帝国憲法の残滓は、官邸にも、国会にも、そしてこの武道館のセレモニーにも色濃く生き残っているのだ。もしかしたら、生き延びているにとどまらず、大手を振って復活することになるのかも知れない。そんな不気味さを感じさせる、菅の弔辞であり、参列者の拍手ではないか。あらためて問われなければならない。「安倍国葬とは、いったい何だったのだろうか」と。