澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「はだしのゲン」攻撃の逆効果に学ぶ

昨日(10月26日)の毎日に、「【読書世論調査】はだしのゲン、5割『読んだ』」の見出しで、次の記事が報じられている。

「毎日新聞が8〜9月に実施した「第68回読書世論調査」で、広島の被爆体験を描いた漫画「はだしのゲン」を読んだことがある人は2人に1人に上ることが分かった。このうち9割超は小中学生が読むことを『問題ない』としており、戦争の悲惨さを伝える平和教育の教材として肯定的に受け止めていることがうかがえる。」

調査は全国の16歳以上の男女3600人を対象に郵送方式で実施し、2406人から有効回答を得たという大規模なもの。調査では49%が「はだしのゲン」を読んだことが「ある」と答えた。「特に学校で読んだことが推測される30代は年代別で最も多い73%が読んでいた」という。

興味深いのは、「小中学生が読むことについては、全体で85%、読んだ人に限ると97%が『問題ない』と答えた」ということ。詳細のデータは報告されていないが、「小中学生が読むことについて問題があると考えるか否か」の回答には、読んだ群と、読んでいない群との間で大きな落差があることだ。その差はほぼ24%と推定される。

読んだ人々は、自分の読書経験から判断している。その97%が「小中学生が読むことについて問題がない」と回答していることは注目すべき肯定度というべきである。これが、実際に読んだことのない者だけでの同じ設問についての回答が73%(推定)となるのはどうしてだろうか。

自分で読まない人々の回答は、ことさらに残虐なシーンだけを抜き出して強調したプロパガンダに少なからず影響されたのではないだろうか。全体の文脈から切り離して、戦闘や原爆の残酷な場面や、日本兵の女性に対する暴行の場面、あるいは差別表現だけを抜き出して、これを「小中学生が読むことについて問題がないか」と問われれば、躊躇することは当然に考えられる。それでも、7割を超える人が「問題ない」と回答していることを心強く思うべきなのだろう。

毎日の見出しに強調されてはいないが、実際に「はだしのゲン」を読んだことがある人たちが自分の読書経験から判断して、実にその97%が「小中学生が読むことについて問題がない」と回答していることは、もっと世に知らしむべことだと思う。この調査結果を教えられれば、読んだことがない人々の意見も変わってくるのではないか。「描写が過激」なのは、戦争の現実の悲惨に近づこうとした結果にすぎないということへの理解が得られると思う。

このような調査が行われたのは、「間違った歴史認識を植えつけている」という一部の心ない人々の陳情に松江の市教委が過剰に反応したことがきっかけになっている。2012年12月、松江市教委は、「旧日本軍の残虐行為などの描写に過激な部分がある」という理由で、読むのに教師の許可が必要な閉架措置とするよう学校側に要請することにした。それが「知る権利」や「表現の自由」を侵すものだと社会問題に発展して、結局市教委の事務局の手続きに不備があったということに落ち着き、13年8月に市教委は閲覧制限を撤回した。良識ある世論の大きな勝利である。

この事件をきっかけに、「はだしのゲン」の単行本は注文が相次いで増刷を重ねたという。昨年(13年)の夏には、例年同時期の2?3倍の売れ行きがあったと報じられている。続いそうした社会的関心の高まりが、今回の毎日の調査にもつながっている。

「間違った歴史認識を植えつけている」からこのマンガを子どもに見せるべきでない、という陳情は完全に裏目に出た。松江市教委の判断もである。このような「逆効果」こそが、歴史修正主義からの攻撃に対する最も有効な反撃となる。これが、この事件から学ぶべき最大の教訓ではないか。

なお、「はだしのゲン」は、マンガという媒体で戦争の悲惨を訴えて成功した典型例である。小説や詩歌だけでは十分にできなかったことを、優れた映画がなしえた。多くの人の感性に訴え得て反戦の気運を盛り上げた。その映画よりもさらに広範な多くの読み手を得て、「はだしのゲン」は、原爆の悲惨を訴え戦争にまつわる現実を突きつけた。

戦争は、常にそれを推進する勢力と押しとどめようとする勢力との、壮大なせめぎ合いのテーマとなる。だから、二度と戦争をしてはならないと訴える作品は、戦争推進勢力から疎まれる。あわよくば、折あらば、排斥しようとの試みの標的となる。一部右翼の排斥の蠢動は、「はだしのゲン」の反戦作品としての影響力を無視し得なくなった表れとして故中沢啓治の名誉でもあろう。

戦地での戦闘行為は、戦争のごく一部に過ぎない。長い長い国民全体の戦争準備期間における諸々の政治経済教育報道の過程があり、戦争に関係づけられた国民生活がある。戦後も国民各人の人生の後遺症を引きずることになる。

「はだしのゲン」は、戦前の市民生活から、思想差別、民族差別、皇軍の残虐、被爆後の広島の生活までを壮大に描ききった大河ストリーである。だから、読ませたくない勢力の標的となった。いま、「はだしのゲン」攻撃に対する反撃成功の教訓に学ぶべき意義は大きい。
(2014年10月27日)

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Published in 月曜日, 10月 27th, 2014, at 17:23, and filed under 未分類.

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