負の記憶をよみがえらすものー「日の丸」と「南軍旗」
本日は、東京「君が代」裁判・第4次訴訟の弁護団会議。7月3日提出期限の原告準備書面(5)を作成のための内容討議。私を除いて、同僚各担当者の進捗状況は順調だ。みんなよくやる。実に頼もしい。
多くのテーマが議題に上ったが、その一つが「国家が国旗国歌を強制することのイデオロギー性」、あるいは「国旗国歌を強制する儀式のイデオロギー性」。国家が特定のイデオロギーを持つことによって、それと抵触する国民の精神的自由を侵害することになる。憲法の条文を引用すれば、19条の思想良心の自由侵害、20条の信教の自由の侵害。そもそも国旗国歌というものが、国民を国家に統合する機能をもつ以上、国家主義のイデオロギーと無縁ではない。それが、「日の丸・君が代」であることは、無色な国家への統合ではなく、旧天皇制国家の理念への統合という特定のイデオロギーを持つことになるのではないか、という問題意識。
旗や歌が、特定の価値観やイデオロギーの象徴となることについては、最近のアメリカで再確認されている。米南部サウスカロライナ州チャールストンの黒人教会で起きた銃乱射事件を契機として、犯人が所持を誇示していた「南軍旗」を公共の場所から撤去すべきだという意見が世論の支持を獲得しつつあるというのだ。
6月26日同市内で催された犠牲者の葬儀では、オバマ大統領が追悼演説をして、「南軍旗」の掲揚を「組織的な抑圧と人種に基づく支配の記憶をよみがえらすものだ」と主張し、撤去を呼びかけたと報じられている。シンボルとしての旗の取扱いの問題として興味深い。当然に「日の丸・君が代」問題と重なる。
伝えられているところでは、南部諸州では白人保守層を中心に、旧南部の魂を表すものとして、あるいは南北戦争の南軍側戦没者に敬意を示すものとして「南軍旗」(The Battle Flag)への支持が根強いそうだ。大統領は、同旗の撤去は「南軍の兵士の勇気を侮辱するものではなく、奴隷制(の維持)という戦争の目的が間違っていたと認めるだけのことだ」と訴え、さらに「癒えていない傷を抱える多くの人々にとっては、控えめだが、意味のある癒やしとなる」と述べ、黒人らの人種差別への不満解消にもつながるとの認識を示した(毎日)という。また、大統領は、同演説の最後で、黒人の心の支えになってきた賛美歌「アメージング・グレース」を歌い出し、参列者数千人が合唱したという。旗だけでなく、シンボルとしての歌の出番もあったわけだ。
1861年アメリカ合衆国からの分離独立を宣言した南部諸州によってアメリカ連合国(Confederate States of America)の建国が宣言された。その陸軍旗が「南軍旗」である。赤地の正方形にX状の青い帯を交差させ、その帯に連合国参加13州を表す13個の星を配したデザイン。この軍旗のもと、将兵の士気もモラルもプライドも高かったとされる。
南北戦争は夥しい犠牲を払って1865年に終結。南軍は敗れて、軍旗もなくなった…はず。ところが、南軍旗はさまざまな形で南部各州に温存され受継されてきた。それぞれの州のアイデンティティを象徴するものとしてであるらしい。サウスカロライナ州では州議会の議事堂前に掲げられたままになっているという。27日には、南軍旗掲揚に反対する黒人活動家の女性がポールをよじ登り、旗を降ろすという「事件」がおきた。同女性は逮捕されたが、「白人優位を取り除き、真の人種的正義と平等の実現を真剣に考えるべき時だ」と掲揚の中止を訴え、反対派は「これは憎しみの旗ではなく(歴史的)遺産の旗だ」と語っているという。どこも、よく似た話しとなるようだ。
旗も歌もシンボル(象徴)である。何をシンボルしているのか、明確な場合もあるが、不明確なこともある。人によってイメージが食い違い、社会的に理解が分裂していることも少なくない。
南軍旗は白人保守層には、南部のアイデンテティや勇気の象徴でもあり、南北戦争の戦没者への敬意のシンボルでもあるようだが、差別をする側にとっての威嚇のシンボルとしても作用し、差別される側には恐怖と困惑のシンボルともなっている。
日の丸も、事情はよく似ている。1945年8月まで日の丸は、大日本帝国と深く結びついて、皇国のシンボルであった。皇国の臣民であることに疑問を持たない者にとっては、皇国の精強と繁栄のシンボルでもあったろう。しかし、同時に対外的には近隣諸国への侵略と植民地支配のシンボルであり、国内的には天皇制による思想弾圧と宗教統制のシンボルでもあった。要するに、南軍旗と同様の負の歴史の象徴なのである。日の丸の「負」の意味は、日本国憲法の普遍的な諸理念に照らしてのものである。
70年前に、日本は原理的な転換を遂げ、まったく理念を異にする新たな国に生まれ変わった。日の丸のシンボライズの対象であった「大日本帝国=皇国」は消滅した…はずであった。ところがいま、国旗国歌として法定されたものが、戦前とまったく同じ「日の丸・君が代」なのである。
南軍旗と同様、ある人にとっては、戦前戦後を通じての「日本」のシンボルとして愛着の対象であるが、別の人にとっては日本の軍国主義による侵略戦争と植民地支配の象徴として到底受容できない。「君が代」も同じ。戦前戦後の断絶など意識しない人々にとっては、戦前と同じ国歌に抵抗感がない。しかし、戦後の理念的大転換にこだわる人々にとっては、その歌詞が明らかに天皇の御代の永続をことほぐ内容であることから国民主権の世にふさわしからぬとして、受け入れがたいことになる。
信仰を持つ者にとってはさらに事態は深刻である。「日の丸」は太陽神アマテラスのシンボルであって、ある信仰にとっての忌むべき偶像に当たりうる。一般的にどのように思われているかが問題ではなく、信仰者一人ひとりにとってのシンボルの理解が重要なのである。「君が代」も、祖先神の子孫であり、かつ自身も現人神であるとされている天皇への讃歌として歌うことができないとする人が確実に存在する。
要は、特定の旗や歌を、どのような理念のシンボルと把握するかということなのだ。ハーケンクロイツも、南軍旗も、そのシンボライズする理念が受け入れがたいものとなったとき、旗も廃絶されあるいは撤去されることになる。
理念への対処は目に見えない。理念を象徴する旗や歌の扱いで、理念を受容するか排斥するかを示すことが可能となる。南軍旗の掲揚拒否の動きがそれを教えている。本来、70年前の敗戦時に、あるいは日本国憲法制定時に、「日の丸・君が代」は廃絶宣言をされてしかるべきだった。南軍旗撤去問題の報道に、あらためてそう考える。
にもかかわらず、廃絶宣言を免れて生き延びた「日の丸・君が代」を、あろうことか権力的に強制しようというのが東京都教育委員会の立場なのだ。到底是認し得るはずもなかろう。
(2015年6月30日)