安倍晋三 ヒロシマの憂鬱
1945年8月6日午前8時15分。広島に投下された原子爆弾が炸裂したそのとき。その時刻こそが人類史を二つに分ける瞬間である。これこそが人類史上最大の衝撃の事件。悲惨きわまりない大量殺戮。人類は、核エネルギーという、自らを滅ぼすに足りる手段を獲得したことを自らに証明したのだ。
その大事件から、今日がちょうど70年。広島の平和記念式典には55000人が参列した。海外からの参加も、過去最多の100か国を超えるものだった。
松井市長が核兵器を「絶対悪」と呼んでその廃絶を訴えた。
「人間は、国籍や民族、宗教、言語などの違いを乗り越え、同じ地球に暮らし一度きりの人生を懸命に生きるのです。私たちは『共に生きる』ために、『非人道性の極み』、『絶対悪』である核兵器の廃絶を目指さなければなりません。」
さらに注目すべきは次の一節である。
「今、各国の為政者に求められているのは、『人類愛』と『寛容』を基にした国民の幸福の追求ではないでしょうか。為政者が顔を合わせ、対話を重ねることが核兵器廃絶への第一歩となります。そうして得られる信頼を基礎にした、武力に依存しない幅広い安全保障の仕組みを創り出していかなければなりません。その実現に忍耐強く取り組むことが重要であり、日本国憲法の平和主義が示す真の平和への道筋を世界へ広めることが求められます。」
最前列に位置していた、安倍晋三の耳にはこう聞こえたのではないだろうか。
「今、日本の首相に求められているのは、『人類愛』と『寛容』を基にした国民の幸福の追求ではないでしょうか。けっしてナショナリズムの鼓舞でも近隣諸国の危険をあげつらう煽動でもありません。近隣諸国の為政者と顔を合わせ、対話を重ねることが核兵器廃絶への第一歩となります。そうして得られる信頼を基礎にした、武力に依存しない幅広い安全保障の仕組みを創り出していかなければなりません。けっして、武力に基づく積極的平和主義の鼓吹や、切れ目のない防衛体制の構築の宣伝ではないはずです。日本国憲法の平和主義が示す真の平和への道筋を世界へ広めることが切実に求められています。憲法の平和主義を蹂躙して集団的自衛権の行使を可能とする戦争法案を制定するなどは、戦争で亡くなった多くの人たちやそのご遺族の平和への願いを踏みにじる暴挙ではありませんか」
安倍晋三という人物、とてつもなく心臓が強い人なのだろう。それにしても居心地が悪かったに違いない。6月23日の沖縄全戦没者慰霊祭と同様、多くの参列者からの敵意を感じたことだろう。あのときには「何しに来たか」「戦争屋」「帰れ、帰れ」という罵声が浴びせられたことが話題となった。おそらく今日も同様の罵声を覚悟での式典参列だったろう。どのくらいの野次や罵声があったかはよく分からない。「戦争法案反対」「安倍内閣打倒」のスローガンを叫んだデモの洗礼は受けたようだ。
被爆者らが式典後の安倍晋三と面談した。被爆者側が、戦争法案について、「憲法違反であることが明白」「長年の被爆者の願いに反する最たるもの」として撤回を要望した。これに対して、首相は「不戦の誓いを守り抜き、紛争を未然に防ぐものであり、国民の平和を守り抜くためには必要である」と述べたと報道されている。また、首相はここでも「国民の皆さんの意見に真摯に耳を傾けながら、分かりやすい説明をしていく」と応えたという。
問題点が明確になってきた。松井市長が平和宣言の中で述べた「武力に依存しない安全保障」の考え方と、安倍首相のいう「専守防衛を越えた切れ目のない防衛力の整備こそが抑止力となって平和をもたらす」という倒錯した思考とのコントラストである。安倍流抑止論は、自国の軍事力は強ければ強いほど抑止力になって平和をもたらす。この考え方は、核こそが最大の抑止力であり、最大の平和の担保だとなりかねない。
あ?あ、ホントはボク、ちやほやされるのが大好きなんだ。無視されたり、罵声を浴びせられたり、「カエレ、カエレ」とやられるのは、相当にこたえる。そりゃボク戦争は好きだよ、だけど「戦争屋」って言われるのは明らかに悪口だから面白くはない。何しに来たかって? 職務上来ないわけには行かないんだ。部下の書いた原稿を読みに来ただけさ。あの原稿の中でボクの意見が反映されているのは非核三原則の言葉をはぶいたことくらい。核こそ究極の抑止力だもの。日本人の核アレルギーを少しずつ正常化しておかなきゃならない。少しずつ国民をならしていかなとね。でも、職務を離れたら二度とこんなところには来たくない。ホントは右翼の集会に行きたいんだ。そこなら、みんな仲間として温かく迎えてくれる。ちやほやしてくれるもんね。
東京に帰ってきたら、もひとつ、イヤなことが待っていた。ボクが見つくろって人選した「戦後70年談話・有識者懇談会」の報告書だ。ボクが本心大嫌いなことは知っているくせに、「侵略」や「植民地支配」なんて言葉が並んでいる。なんのための諮問なのか、あの連中わからんのかね。以心伝心とか、アウンの呼吸とか。分かりそうに思ったんだけど。もしかしたら、沈みそうな船に見切りをつけて、みんなボクの船から逃げだそうとしているのかな。なんだか、トモダチがだんだん減っていきて、淋しいし心細い。
ようやく広島の6日が終わったら、次は9日の長崎が待っている。少し前までは、「怒りのヒロシマ」「祈りのナガサキ」といわれたものだが、最近の長崎は遠慮がない。また何か言われるんだろうから、ホントは行きたくない。でも、行かないともっともっと叩かれる。ほんに、総理も楽じゃない。
(2015年8月6日)