「9月16日強行採決」を許さない
戦争法案推進側は冷静で合理的な判断をしているのだろうか。反対世論の圧倒的な盛り上がりを強行突破するリスクをどのように計算しているのだろうか。敢えて、強行採決を辞さないという構えが理解できない。
圧倒的な世論が、「一度廃案にして出直せ」「何をそんなに急ぐのか」「次の会期でも、その次でもよいではないか」と言っている。しかし、政権と与党は、飽くまで今国会成立をゴリ押しの姿勢を崩さない。修正案にすら耳を傾けようとしない。参院特別委は中央公聴会を15日に開くという日程を決めてしまった。報道では、16日に委員会採決強行とか、連休突入前の18日が参院本会議決議のリミットなどと言われている。追い詰められて、これしかないということなのか。それとも、「この運動の高揚もどうせ一時的なもの」と国民をなめきっているということなのだろうか。
本日(9月10日)の毎日朝刊トップには、「安保関連法案:自民が衆院再可決検討」の大見出し。政権中枢は、「参院の与党がぐずぐずしていると、衆院で『60日ルール』を実行して再可決してしまうぞ。そうなれば、参院の存在意義に傷がつく。それがイヤなら参院で早く採決してしまえ」ということなのだ。参院与党への明らかな恫喝。
推進勢力は、実質的にあと10日足らずとの焦り。日程は大詰めだが、参院の議論が煮詰まっているのかといえばそんなことはまったくない。参院段階での新たなテーマがいくつも出てきている。多くの課題を未解明のままで、スケジュールがひとり歩きすることを許してはならない。
参院段階で明らかになったのは、実はこの法案がアメリカの必要が発端で、日米の制服組が枠組みを作り、日本の制服組が法案を練り、政権がこれに乗ったものなのだ。「制服の制服によるアメリカのための」法案。少しずつ、その実態が明らかにされつつあるから、強引に幕引きをしようとしているのだ。公明党に対する創価学会員の批判も、長引けば長引くほど大きくなるという見通しなのだろう。
そのような事態で、本日の朝日が「『違憲』法案に反対する」と題した社説を載せた。立派なものだ。以下、その抜粋。
「法案に対する世論の目は相変わらず厳しい。
朝日新聞の8月下旬の世論調査では法案に賛成が30%、反対は51%。今国会で成立させる必要があると思う人は20%、必要はないと思う人は65%だった。
多くの専門家が法案を『憲法違反』と指摘し、抗議デモが各地に広がる。国民の合意が形成されたとはとても言えない。それなのに政府・与党が数の力で押し切れば、国民と政治の分断はいっそう深まるばかりだ。」
「もう一度、9条のもつ意味を考えてみたい。
時に誤った戦争にも踏み込む米国の軍事行動と一線を引く。中国や韓国など近隣諸国と基本的な信頼をつなぎ、不毛な軍拡競争に陥る愚を避ける。平和国家として、中東で仲介役を果たすことにも役に立つ。
現実との折り合いに苦しむことはあっても、9条が果たしてきた役割は小さくない。
確かに、米軍と自衛隊による一定の抑止力は必要であり、その信頼性を高める努力は欠かせない。そうだとしても、唯一の「解」が、「違憲」法案を性急に成立させることではない。国際貢献についても、自衛隊派遣の強化だけが選択肢ではない。難民支援や感染症対策、紛争調停など多様な課題が山積みである。9条を生かしつつ、これらの組み合わせで外交力を高める道があるはずだ。
数の力で、多様な民意を一色に塗りつぶせば、国民が将来の日本の針路を構想する芽まで奪うことになる。」
毎日社説も、「これでも採決急ぐのか」と小見出しを付けたもの。「参院の役割」に焦点を当てている。
「審議の内容は、採決に踏み切る状況からは依然としてほど遠い。参院は『良識と抑制の府』としての役割を果たすべきだ。」
「参院特別委の鴻池祥肇委員長(自民)は礒崎陽輔首相補佐官がかつて今月中旬の成立に言及した際、「参院は衆院の下部組織や官邸の下請けではない」と批判した。その通りだが、採決を急ぐようでは衆院と変わらない。『先の大戦で貴族院が(軍部を)止められず戦争に至った道を十分反省をしながら、参院の存在を作り上げた。衆院の拙速を戒め、合意形成に近づけるのが役割だ』。これも鴻池氏の言葉である。参院の存在意義を今こそ、示す時だ。」
さらに、毎日社説には、次の具体的な指摘がある。
「法案を審議するほど疑問が深まる構図は変わらない。8日の参考人質疑でも、内閣法制局の長官経験者から重要な疑義が示された。
安保関連法案のうち、他国軍への後方支援を定めた重要影響事態法案と国際平和支援法案は、戦闘作戦行動のため発進を準備する航空機への給油を可能とする。政府はこれまで『認めなかったのはニーズがなかったため』だと説明していた。
ところが参考人として陳述した大森政輔元内閣法制局長官は内閣法制局が政府の内部検討にあたり、この活動を憲法違反だと指摘していたことを明らかにした。
1999年に周辺事態法が制定された当時、大森氏は長官だった。その際、内閣法制局側は給油活動は『典型的な武力行使との一体化事例であり、憲法上、認められない』と主張した。だが、外務省と対立したため『表面上は(米軍からの)ニーズがないからということにしたのが真相』なのだと言う。
これも法案の根幹に関わる問題だ。ところが、政府が十分な説明もしていない段階で、特別委は中央公聴会を15日に開くという日程を決めてしまった。」
これは大問題ではないか。
また、毎日社説は、次のようにも言っている。
「自民党の高村正彦副総裁は講演で『国民のため必要(な法律)だ。十分に理解が得られていなくても決めないといけない』と語った。国民理解は置き去りでいいとでも言うのだろうか。」
この高村の言は、民主主義とは対極の考え方。「国民よりも与党・政権が賢いのだから、任せておけば良いのだ」との思い上がり。主権者の意思を閣議決定で覆してよいという考え方がここにも顔を覗かせている。
論語に、「民は由らしむべし。知らしむべからず」とある。高村や安倍の頭は、この2500年前のレベルなのだ。どうせ民衆は「民衆自身のために必要な法律であることを理解できない」。だから、理解できずとも為政者を信頼して付いて来させればよいのだという思い上がりである。
こんな調子で、違憲の法案を成立させられたのではたまらない。いまや、愚かな安倍政権に、民衆自身が大きな声と力を見せつけるしか方法はなさそうだ。
(2015年9月10日・連続893回)