澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

当ブログ連続更新3周年に訴える。「万国のリベラル・ブロガー団結せよ」

2013年4月1日から毎日連続更新を続けてきた当ブログは、本日で丸3年となった。この間、36か月。1096日(365日+365日+366日)である。1日1記事を書き続けて、本日が連続1096回目、明日のブログから4年目にはいる。

「三日坊主」という揶揄の言葉はあるが、「三年坊主」とは言わない。むしろ、「石の上にも三年」というではないか。その三年間の途切れない継続にいささかの達成感がある。とはいうものの、このブログを書き始めた動機からは甚だ不満足な現下の政治状況と言わざるを得ない。

今次のブログ連載は2013年1月1日から書き始めた。正確には、日民協ホームページの一隅を借りて以前にも連載していた「憲法日記」の再開であった。第2次安倍政権の発足に危機感を持ったことがきっかけ。安倍流の改憲策動に抵抗する一石を投じたいとのことが動機である。案の定、この政権は「壊憲」に余念なく、危険きわまりない。しかも、日本全体の右傾化によって発足したこの政権は、この3年余で、保守陣営全体を極右化しつつある。

当ブログ再開当時「当たり障りのあることを書く」と宣言しての気負いから、直ぐさま間借り生活の窮屈を感じることとなった。そのため、自前のブログを開設して引っ越し、連続記録のカウントを始めたのがその年の4月1日。以来、あちこちに問題を起こしつつの「憲法日記」の連続更新である。

安倍内閣がまだ続いていることに焦慮の思いは強いが、他方この間のブログの威力とさらなる可能性を実感してもいる。「保育園落ちた。日本死ね」の1本のブログが、政治を動かしている現実を目の当たりにしたばかりでもある。以前、当ブログでは「ブロガー団結宣言」を掲載したが、あらためて、その修正版として「リベラル・ブロガー団結宣言」を再掲載したい。

「すべてのリベラル・ブロガーは、事実に関する情報の発信ならびに各自の思想・信条・意見・論評・パロディの表明に関して、権力や社会的圧力によって制約されることのない、憲法に由来する表現の自由を有する。

リベラル・ブロガーは、市井の個人の名誉やプラバシーには最善の配慮を惜しまない。しかし、権力や経済的強者あるいは社会的権威に対する批判においていささかも躊躇することはない。政治的・経済的な強者、社会的な地位を有する者、文化的に権威あるとされている者は、リベラル・ブロガーからの批判を甘受しなければならない。

無数のリベラル・ブロガーの表現の自由が完全に実現するそのときにこそ、民主主義革命は成就する。万国のリベラル・ブロガー万歳。万国のリベラル・ブロガー団結せよ。」

現代的な言論の自由を語るとき、ブロガーの表現の自由を避けては通れない。憲法21条は、「言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と定める。日本国憲法に限らず、いかなる近代憲法も、その人権カタログの中心に「表現の自由」が位置を占めている。「表現の自由」の如何が、その社会の人権と民主主義の到達度を示している。文明度のバロメータと言っても過言でない。

しかし、人がその思想を表明するための表現手段は、けっして万人のものではない。この表現手段所有の偏在が、個人の表現の自由を空論としている現実がある。「言論、出版その他一切の表現の自由」における、新聞や出版あるいは放送を典型とする言論の自由の具体的な担い手はマスメディアである。企業であり法人なのだ。基本的人権の主体は本来個人であるはずだが、こと表現の自由に限っては、事実上国民は表現の受け手としての地位にとどめられている。メディアの自由の反射的利益というべき「知る権利」を持つとされるにすぎない。

そもそも、本来の表現の自由は個人のものであったはず。その個人には、せいぜいがメディアを選択する自由の保障がある程度。いや、NHKの受信にいたっては、受信料支払いを強制されてなお、政権御用のアベチャンネルを押しつけられるありさまではないか。

その事情を大きく変革する可能性がネットの世界に開けている。IT技術の革新により、ブログやSNSというツールの入手が万人に可能となって、ようやく主権者一人ひとりが、個人として実質的に表現の自由の主体となろうとしている。憲法21条を真に個人の人権と構想することが可能となってきた。まことにブログこそは貧者の武器というにふさわしい。個人の手で毎日数千通のビラを作ることは困難だ。これを発送すること、街頭でビラ撒きすることなどは不可能というべきだろう。ブログだから意見を言える。多数の人に情報を伝えることが可能となる。ブログこそは、経済力のない国民に表現の自由の主体性を獲得せしめる貴重なツールである。ブログあればこそ、個人が大組織と対等の言論戦が可能となる。弱者の泣き寝入りを防止し、事実と倫理と論理における正当性に、適切な社会的評価を獲得せしめる。ブログ万歳である。

この「個人が権利主体となった表現の自由」を、今はまだまだ小さな存在ではあるが大きな可能性を秘めたものとして大切にしたい。反憲法的ネトウヨ言論の氾濫や、匿名に隠れたヘイトスピーチの跋扈の舞台とせず、豊穣なリベラル言論の交換の場としたい。この新しいツールに支えられた表現の自由を手放してはならない。

ところが、この貴重な表現手段を不愉快として、芽のうちに摘もうという動きがある。その典型例がDHCスラップ訴訟である。経済的な強者が、自己への批判のブログに目を光らせて、批判のリベラル・ブロガーを狙って、高額損害賠償請求の濫訴を提起している現実がある。もちろん、被告として標的にされた者以外に対しても萎縮効果が計算されている。

だから、全国のリベラル・ブロガーに呼び掛けたい。他人事と見過ごさないで、リベラル・ブロガーの表現の自由を確立するために、あなたのブログでも、呼応して声を上げていただきたい。さらに、全ての表現者に訴えたい。表現の自由の敵対者であるDHCと吉田嘉明に手痛い反撃が必要であることを。スラップ訴訟は、明日には、あなたの身にも起こりうるのだから。
(2016年3月31日・「憲法日記」連続3年更新の日に)

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