天皇制の呪縛「権威への依存性」を断ち切れ
天皇制を論じる出発点は丸山眞男(「超国家主義の論理と心理」)なのであろうが、私の世代感覚からは、丸山の論じるところはあまりに常識的に過ぎてインパクトは薄い。丸山は天皇制の呪縛と闘ってかろうじて逃れ得た人、という程度のイメージ。
丸山自身の次のような言は、丸山自身には重い意味を持っているのだろう。
「『國體』という名でよばれた非宗数的宗教がどのように魔術的な力をふるったかという痛切な感覚は、純粋な戦後の世代にはもはやないし、またその『魔術』にすっぽりはまってその中で「思想の自由」を享受していた古い世代にももともとない。しかしその魔術はけっして『思想問題』という象徴的な名称が日本の朝野を震撼した昭和以後に、いわんや日本ファシズムが狂暴化して以後に、突如として地下から呼び出されたのではなかった。日本のリベラリズムあるいは『大正デモクラシー』の波が思想界に最高潮に達した時代においても、それは『限界状況』において直ちにおそるべき呪縛力を露わしたのである。」(「日本の思想」岩波新書)
私は、この一節がいう「純粋な戦後世代」に属する。もちろん、『國體』という観念の「魔術的な力」についての痛切な感覚とは一切無縁である。天皇制の呪縛とは、「天皇教」のマインドコントロールということにほかならない。その「魔術」や「おそるべき呪縛力」に絡めとられてしまった学問にいったいどんな意味があるというのだ。そんな「知性」はニセモノに過ぎないのではないか。そう、突き放すのみ。
しかし、丸山の「日本のリベラリズムあるいは『大正デモクラシー』の波が思想界に最高潮に達した時代においても、それは『限界状況』において直ちにおそるべき呪縛力を露わしたのである」という指摘は、過去のものではなく今耳を傾けなければならない。現天皇の生前退位表明以来の象徴天皇制に関する諸議論を、「天皇制の呪縛との関わり」という視点で吟味が必要なのだ。
戦前の天皇は、統治権を総覧する主体(旧憲法第1条)であるだけでなく、「神聖ニシテ侵スヘカラ」ざる存在とされた(旧憲法第3条)。3条は、『國體』という名でよばれた非宗数的宗教が条文化されたものと読むことができる。1条の政治権力は、3条の神聖性や文化的道徳的権威の基盤のうえに構築されたものなのだ。
旧天皇制は、「権力的契機」と「権威的契機」とからできていた。丸山の前掲書を我流に引用するなら、
「伊藤(博文)が構想した明治憲法体制は、『国家秩序の中核自体を同時に精神的機軸とする』ものであった。新しい国家体制には、『将来如何なる事変に遭遇するも…上(天皇)元首の位を保ち、決して主権の民衆に移らざる』ための政治的保障に加えて、ヨーロッパ文化千年にわたる『機軸』をなして来たキリスト教の精神的代用品をも兼ねるという巨大な使命が託されたわけである。」
「國體」とは、急ごしらえではあっても、「ヨーロッパ文化千年にわたる『機軸』をなして来たキリスト教」に相当するものとして構想され、この擬似宗教による権威が天皇の政治権力正当化の役割を担った。
敗戦と日本国憲法制定によって、旧天皇制の「権力的契機」は払拭された。このことによって、直接的な政治的支配の道具としての天皇の有用性はほぼ解消された。しかし、「権威的契機」は象徴天皇制として生き残った。この残滓としての象徴天皇制が、社会的統合機能を司る。その統合が、「権威への依存性」を涵養する役割を果たす。
刈部直の「丸山眞男?リベラリストの肖像」(岩波新書)は丸山眞男が論じたところを、的確にそしてコンパクトに紹介する。直接に丸山を読むより、刈部を読む方が、丸山がよく分かるのではないだろうか。
刈部の書から、天皇制に関する核心部分を引用してみる。キーワードは、「権威への依存性」である。
「南原(繁)にせよ、津田(左右吉)にせよ、丸山がその後も尊敬してやまなかった学者である。彼らに見える皇室に対する敬愛を、明治人と大正人との程度の違いはあれ、みずからもこれまで抱いてきた。しかし、戦時中に軍隊で経験し、再び戦犯裁判で見せつけられることになった、「権威への依存性」は、リベラルな知識人の天皇への親近感のなかにも、しっかりと根をはっているのではないか。それを放置したままで、個人が「自主的な精神」を確立することなどできるのか。―そうした問いが、丸山の中をかけめぐる。そして、「三日か四日」で一気に論文(「超国家主義の論理と心理」)を書きあげた。のち、昭和天皇の崩御に際しての回想で、執筆時の気持ちを生々しく語っている。」
以下は、刈部が引用する丸山の言。
「敗戦後、半年も思い悩んだ揚句、私は天皇制が日本人の自由な人格形成?自らの良心に従って判断し行動し、その結果にたいして自ら責任を負う人間、つまり「甘え」に依存するのと反対の行動様式をもった人間類型の形成?にとって致命的な障害をなしている、という帰結にようやく到達したのである。あの論文を原稿紙に書きつけながら、私は「これは学問的論文だ。したがって天皇および皇室に触れる文字にも敬語を用いる必要はないのだ」ということをいくたびも自分の心にいいきかせた。のちの人の目には私の「思想」の当然の発露と映じるかもしれない論文の一行一行が、私にとってはつい昨日までの自分にたいする必死の説得だったのである。」
こうして丸山は、「天皇制」について、「これを倒さなければ絶対に日本人の道徳的自立は完成しないと確信する」立場に至った、というのだ。いうまでもなく、「これを倒さなければならないとする天皇制」とは象徴天皇制のことである。
しかしなんとまあ、大仰に悩んだ挙げ句の天皇制の呪縛からの脱出劇。必死に自分を説得しての天皇制への訣別宣言。これが、インテリゆえの苦闘なのだろうか。あるいは、旧体制の上層の位置にどっぷり浸っていた精神構造のゆえなのだろうか。
同世代の日本人が、天皇制からの精神的自立のためにこんなにも悩んだとは思えない。少なくも、食糧メーデーに参集した庶民の側は、「朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね ギョメイギョジ」というフレーズに共感する健康な精神をもっていたのではないか。
もっとも、丸山の「権威への依存性」は、リベラルな知識人の天皇への親近感のなかにも、しっかりと根をはっているのではないか。それを放置したままで、個人が「自主的な精神」を確立することなどできるのか、という問には共感する。この場合の「権威」は天皇制に限らない。あらゆる分野に、「権威」が満ち満ちているではないか。この依存性を断ちきって、自分が誰かに従属する「臣民根性」から脱却しなければならないと思う。
天皇・天皇制は、本来民主主義と相容れない。それは、君主に権力が集中する恐れあるからという理由よりはむしろ、権威の象徴としての天皇を認めることが、丸山のいう国民の精神における「権威への依存性」を容認することだからである。まさしくそれを放置したままでは、個人の「自主的な精神」「主権者意識」は育たないからなのだ。
確かに、現行日本国憲法は象徴天皇制を認めている。しかし、それは歴史的な旧憲法体制の残滓であって、憲法の基本構造からみれば夾雑物に過ぎない。将来は憲法を改正して制度を廃絶すべきが当然である。そして、現行憲法が天皇制を廃絶するまでの間は、この夾雑物が、人権尊重・民主主義・平和主義に矛盾せぬよう、可能な限りその存在を極小化する努力を継続すべきなのだ。
その立場からは、国事行為以外の天皇の公的行為を認めてはならない。国会開会式での天皇の「(お)ことば」は不要である。国民体育大会にも植樹祭にも出席は無用だ。天皇に過剰な敬語は要らない。皇室予算は可及的に削減すべきである。そして、何よりも、主権者の一人ひとりが「権威への依存性」を意識的に断ち切る努力をしなければならない。
(2016年9月10日)