澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「浜の一揆」訴訟、次回法廷で5人が証言ーいよいよ山場に

盛岡地裁での「浜の一揆」訴訟。三陸沿岸の漁民100人が、岩手県知事を被告として、「大規模定置網事業者だけにサケ漁を独占させるのは不公平で不合理だ」「おれたち零細漁民にも、1人年間10トンの枠でサケ漁を許可せよ」という請求。本日(4月20日)の法廷で、原告(漁民)側5人、被告(岩手県)側2人の人証採用が決まった。被告の「一人の採用も必要ない」との意見を斥けてのことである。

次回6月22日には、原告本人4人と被告申請の岩手県漁業調整課長(当時)の合計5人の尋問が行われる。そして、次々回(日程調整中)には、原被告が各申請の専門家証人2人の尋問予定で、この2回廷が審理のヤマ場となる。

大いに満ち足りた気持で法廷を出ると、はからずも盛岡地裁前庭の石割桜が満開。開廷前には眺める余裕もなかったが、閉廷後には青空に映えたその見事な姿を心から楽しんだ。

証人尋問採用に至る経緯の概略は次のようなもの。
原告は1月10日付で7人の人証申請をした。原告本人が4人、証人が3人である。まず専門家(魚類特にサケの生態と漁法の研究者)一人。加えて漁民組合顧問と県漁連会長。この2人の証言を対置することによって三陸沿岸のサケの漁獲をめぐる社会的な対立構造が見えてくる。また、漁連や有力者と県政との癒着構造も見えてくる。と、いうのが原告側の証人採用を求める理由。

裁判所の求めに応じて3月30日に、県漁連会長を除く人証予定者の各陳述書を提出した。その後の4月14日に、被告から人証をすべて不採用とすべしとの意見書が出てきた。被告も、一応は2人(専門家証人と担当課長)の証人申請をしているのだが、「本来、原被告双方の申請人証の採用が必要ない」という。

この被告県知事の、人証申請に対する攻撃的な姿勢は、異例であるばかりでなく異様で異常というべきだろう。本件許可申請以前の原告漁民の要求を頑なに拒否し続けてきた行政の姿勢が、そのまま本件訴訟における応訴態度として示されているというほかはない。

4月18日付でその反論を提出し、漁民組合顧問と県漁連会長の2人については採否の決定留保となったが、その余はすべて採用となった。

その経過での裁判長とのやり取りのなかで、裁判所が考える本件訴訟における争点が見えてきた。原告側と同一ではないものの、ほとんど齟齬はない。結局は、岩手県漁業調整規則23条1項3号に定める「水産資源の保護培養の必要」と「漁業調整の必要」の2点が、認められるか否かだけなのである。証拠調べはこの点に関して行われることになる。

原告ら漁民がサケの漁獲で生計を立てようとすることは、憲法22条1項に基本権として定められた「営業の自由」に属するものである。これを制限して、申請を不許可とするためには、高い合理性に裏付けられた要件を充足しなければならない。

漁業法と水産資源保護法から授権を受けた岩手県漁業調整規則23条1項本文は、「知事は、次の各号のいずれかに該当する場合は漁業の許可をしない」としたうえで、同項の3号に、「漁業調整又は水産資源の保護培養の必要があると認める場合」と定めている。つまり、「漁業調整又は水産資源の保護培養の必要があると認める場合」に限って「許可をしない」こととなり、原則は許可をすべきものなのである。裁判所は、以上の2点を根拠づけるための人証採用を決めたのだ。

争点の一である「水産資源の保護培養の必要」の有無は、自然科学的な根拠の証明に馴染むものである。この点に関して、原告は主として専門家証人によって、本件許可にかかる原告らの固定式刺し網によるサケ漁が「サケ資源の保護培養」に影響するものではないことを立証する。

もう一つの争点である「漁業調整の必要」は、必ずしも定義明確ではない理念的な概念であるところ、究極的には、「現状のとおり、漁協と経済的有力者を主とする大規模定置網業者へのサケ漁の独占を許し、その漁獲高を確保するために原告ら漁民にサケの採捕を禁じることが、憲法や漁業法が掲げる法的正義に適うか」という判断に帰着する。

この判断を左右する幾つかの具体的論点がある。
漁協の自営定置経営の漁獲高確保のために零細漁民にはサケを獲らせないとすることが、「民主化」を掲げる漁業法の理念のもとで許されるのか。また、漁協の運営は真に漁民の利益のために、漁民の意思に基づいてなされているのか。その実態が問われなければならない。

被告が漁業調整における民主的手続の中心にあるとする「海区漁業調整委員会」の運営の実態についても証拠調べを欠かすことができない。この組織が、本当に民主的に運営されているのだろうか。

さらに、原告らは漁業者の立場から、「水産資源の保護培養の必要」と「漁業調整の必要」とを連結する試みとして、TAC(総量規制)とIQ(個別割当)の制度を提唱してきた。本件における各原告の年間10トンを限度とする許可申請は、その制度設定を意識してのものである。原告ら小型漁船漁業者こそが、後継者の育つ漁業の永続を願う立場にあり、水産資源の維持に最も切実な関心をもっている。その原告らが、けっして乱獲による資源の枯渇を招くことはありえない。

ようやく、「浜の一揆」訴訟は山場を迎える。次回6月22日は、盛岡地裁301号法廷で10時から午後いっぱい。誰でも傍聴が可能だが、満席になれば入廷できないことになる。本日なればこそ、法廷に入れなければせめて石割り桜を愛でる眼福にあずかれたが、次回も桜満開というわけにはいかない。また、残念ながら、石割り桜のサクランボは、見応えあるものではない。
(2017年4月20日)

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