澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「民意が動いた」「しかし、民意は議会に反映されていない」

本日の「朝日」に、興味深い世論調査の結果が掲載されている。関心の第1点は、昨年暮れの総選挙時と参院選後の今とを比較して、主要施策をめぐる民意はどう動いたか。そして第2点は、民意と議席とはどの程度の一致があるのか。その他の調査は、どうでも良いこと。

まず第1点。主要施策をめぐる民意は、この半年余でどう動いたか。
*改憲問題
「改憲に「賛成」「どちらかと言えば賛成」と答えた賛成派は44%。「反対」「どちらかと言えば反対」と答えた反対派(24%)を上回ったが、衆院選時(51%)から7ポイント下がった」

やや分かりにくいが、図式化すれば以下のとおり。
  改憲賛成  昨年51% ⇒ 今年44% (7%の減)
  改憲反対  昨年18% ⇒ 今年24% (6%の増)
と、半年の間に、有権者1億人のうちの、600万?700万人が宗旨を変えて、改憲賛成派から改憲反対派に乗り換えた勘定になる。なんと心強いことか。

*集団的自衛権問題
「集団的自衛権の行使容認の賛成派は39%で、衆院選時の45%から6ポイント下がった。安倍晋三首相は参院選の大勝後、議論を加速させる方針を示し、行使容認に前向きな小松一郎駐仏大使を内閣法制局長官に起用。しかし、有権者にはこうした政権の姿勢と温度差があることがうかがえる」

  集団的自衛権容認  昨年45% ⇒ 今年39% (6%の減)
  集団的自衛権反対  昨年18% ⇒ 今年20% (2%の増)
こちらも半年の間に、有権者1億人のうちの、600万人が集団的自衛権行使容認の意見を変えて、反対か中立にまわっている。

また、「改憲の発議要件を衆参の3分の2から過半数に緩和する96条改正では賛成派はより少なくなり、31%にとどまった。」 と報じられている。紙面には詳報がなく、昨年からの変化を正確には追えないが、本年5月を中心に劇的な変化を遂げた結果であろうと推察される。『現状において、96条改正賛成意見は、国民全体の3分の1に満たない』というのだから、まことに心強い。

自信をもとう。世論は変わるということに。しかも、こんなに急速に、である。
憲法、とりわけ9条をめぐる議論においては、護憲派の意見はまことに威勢が悪い。平和主義やパシフィズムという言葉には、意気地なし・優柔不断・腰抜けという否定的な語感がつきまとう。改憲派の「寸土たりとも敵に祖国の領土を踏ませない」などという威勢よく勇ましいナショナリズムや、戸締まり論・安保防衛論は俗耳にはいりやすい。しかし、紛争が現実化するおそれがあるときほど、9条の出番であり、平和主義の有効性が試される。いま、そのようなときに、世論が憲法擁護論に傾きつつあることに、意を強くする。

ついで、第2点。民意と議席とはどの程度の一致があるのか。
改憲については、「参院選比例区で自民に投票した人に限っても、賛成派は58%で、参院議員全体の賛成派(75%)とはいずれも大きな開きがある。」という。

改憲についての世論調査の国民意識は、前述のとおり44%が賛成というものでしかない。ところが、今回の参院選当選者全体の改憲賛成派は75%に上る。「30%を上回る民意と議席の乖離」ができているという調査結果なのだ。自民党支持者でさえ改憲賛成は58%。この議会構成は異常といわざるを得ない。

この世論調査によれば、国民全体の改憲賛成派は44%。44%の改憲意見を含む有権者を母体にした選挙が行われた。その結果形づくられた議会の改憲賛成派が75%になっているのだ。本来、鏡のように民意を正確に反映すべきが選挙の役割ではないか。この極端な齟齬は到底容認し得ない。

また、「原発の再稼働については反対派が6ポイント増の43%にのぼり、28%の当選議員とは15ポイントの開きがあった」とされている。

つまり、「民意は原発再稼働反対43%」なのだ。ところが、「参院の当選者は原発再稼働反対28%」に過ぎない。ここでも、民意と議会が大きく齟齬を来している。

議会の議席が民意を正確に反映することなく、第1党に極端に有利にゆがめられているのは、小選挙区効果にほかならない。衆議院だけが小選挙区を採用しているわけではない。参議院選挙の地方区31選挙区が1人区、つまりは事実上の小選挙区である。ここでの29議席獲得が、自民党大勝と民意との齟齬の原因となった。なお、2人区も3人区も、それなりの小選挙区効果を持つ。

「衆参のネジレ」の解消が話題とされたが、「民意と議会のネジレ」こそがより深刻な未解決の問題である。小選挙区制をなくし、鏡のように民意を正確に反映する選挙制度を確立しなければならない。「朝日」の調査は、「民意が動いたこと」「しかし、せっかく動いた民意が正確に議会に反映していない」ことを物語っている。政権も、議会の多数が、民意を離れた「虚構の多数」であることを知るべきである。数を頼んでの横暴は、やがて民意の鉄槌を覚悟せねばならない。

地道に平和や人権をめぐる主張を発信し続けることが大切なのだと、改めて思う。あらゆる機会を捉えて、憲法と憲法の理念を語り続けよう。そして、なんとしても、最悪の選挙制度である小選挙区制を変えよう。そうすれば、ずっと風通しの良い議会政治が実現するはずなのだ。

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 『兵士たちの戦後史』(吉田裕著)読後感〔6〕・「餓死した英霊たち」
93年、自民党政権に変わって、細川護煕を首班とする非自民8会派連立内閣が成立した。細川首相は、就任初の所信表明で「過去の我が国の侵略行為や植民地支配などが多くの人々に耐えがたい苦しみと悲しみをもたらしたことに、改めて深い反省とお詫びの気持ちを申し」述べた。また、8月15日の「全国戦没者追悼式」で、我が国の戦没者のみならず、「アジア近隣諸国をはじめ、全世界すべての戦争犠牲者」を追悼した。

戦後50年となる95年8月15日には、社会党の村山富市首相が、「植民地支配と侵略によってアジア諸国に損害と苦痛を与えたことに対して反省とお詫び」をする、「村山談話」を発出した。衆議院においては、「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」もあげられた。

一方、これらの政権の新しい動きへの反発も素早く大きかった。日本遺族会が中心となって、全国的な草の根「不戦決議反対運動」が取り組まれた。反対運動の裾野を広げるため、「戦争の性格は棚上げして、我が国が一方的に悪いと断罪することに反対」として、地方議会に「戦没者への追悼感謝決議」を採択させる運動が展開された。97年になると「新しい歴史教科書をつくる会」が結成され、「自虐史観」「東京裁判史観」を否定する教科書採択運動がはじめられた。2001年から2006年まで首相であった小泉純一郎は執拗に靖国神社に参拝し続けた。こうした動きは、当然のこととして中国、韓国との関係悪化を招いた。

このようなせめぎあいを背景にしながら、元兵士たちの動向にも大きな変化が現れた。老齢や死を意識し始めた元兵士たちが「遺言」としての、正直で虚飾のない「証言」をはじめたのである。自由な発言を抑止してきた戦友会活動が下火になってきたことも理由のひとつである。どんな悲惨な戦争であっても真実を知りたいという遺族意識の変化も後押しをした。

戦争指導者への遠慮のない批判。戦争責任をめぐる議論がなされていないことの指摘。被侵略国への贖罪の意識と自分の犯した罪の告白と謝罪。戦争の大義が虚構であったことへ自覚と慚愧の念。曖昧なままの被侵略国への戦後処理の問題…。その証言や議論の行き着いた先に、「戦死は犬死にか」という、遺族や兵士にとって辛く認めがたい論争があった。この問題について、家永三郎は「『犬死』というのは、その語感からすれば、遺族にとって最も『残酷』にきこえる言葉であろう。しかし、私もまたあえて十五年戦争による死はすべて『犬死』であったことを確認したい。・・もちろん、私は『犬死』という残酷な響きをもつ言葉で、戦争による犠牲を規定するだけで終わらせるつもりは毛頭ない。むしろ、『犬死』を『犬死』に終わらせないためにどうするべきであるかを考えるのが、生き残った者あるいは生き残った者から生まれてきた者の義務と思うのである」(「歴史と責任」中央大学出版部)と述べている。

作間忠雄は「日本はあの戦争の敗北により初めて明治以来の独善的・侵略的な天皇制絶対主義から決別できたのであるから、彼らの死は決して単なる『犠牲』ではなく、『無駄死』でもなかった。戦後の日本を民主・平和国家へ先導したのは彼らであり、『日本国憲法』はその輝かしい記念塔である」(週刊金曜日の論文)という。

中国戦線を転戦した中隊長としての経歴をもつ藤原彰は、兵士の死について「侵略戦争、不正不義の戦争のために死んだことは、無用な、役に立たない死であることはいうまでもない。」と断じた上で、「日本軍の死者の大半は、戦局の帰趨に全く関係のない、役に立たない死に方をしていたのだということを明らかにしたいのである」という。その立場から、藤原は、日本軍の戦死者の多くが、戦病死という名の餓死者であったということを論証する。戦局や戦闘の帰趨に全く影響を及ぼすことのない、おびただしい数の無残な死を生み出したことが、アジア・太平洋戦争の大きな軍事的特質であり、その死の有り様を明らかにすることこそが歴史の課題だという。(「餓死(うえじに)した英霊たち」藤原彰著 青木書店)

吉田裕は次のように結論する。「元兵士の歴史認識は、保守的なものではなかつた。むしろ、彼らは戦争の歴史をひきずり、それに向かい合いながら、戦争の加害性、侵略性に対する認識を深めていった世代だった。同時に彼らは、彼らの戦友を「難死」に追い込んでいった日本の軍人を中心とした国家指導者に対する強い憤りを終生忘れることのなかった世代でもあった。」

吉田は、それとともに「1985年当時は、高齢者が靖国参拝を支持し、若者が反対するという構図があったのに対し、2001年以降はその構図が完全に崩壊する」ことに危惧の念を述べている。(「台頭・噴出する若者の反中国感情」吉田裕 「論座」2005年3月号)

維新橋下の「侵略戦争」「従軍慰安婦」否定発言、安倍政権の「憲法改正」、「靖国参拝」、「河野談話・村山談話見直し」へのあくなき熱意、教育委員会の「教科書検定問題」、「はだしのゲン」への攻撃などが続いている。昨年の選挙での自民党の圧勝後、歴史を逆転させて、「戦前の戦争ができる国」を取り戻そうという動きは大きく強くなっている。吉田の指摘通りの若者の保守化の動きも目立ってきている。

元兵士の皆さん。靖国の英霊にはならなかった皆さんにお願いしたい。願わくは、長く生き抜かれて、生きたまま「平和な民主国家の護国の鬼」とならんことを。この国を担うすべての者に、とりわけ若者の世代に、鬼気迫る戦争の真実と悲惨とを語り続けていただきたい。私たちは、その痛苦の声に、全身全霊をもって耳を傾けることをお約束する。
(2013年8月25日)

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