澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

舛添要一さん、まずは国旗国歌法をしっかり理解して

昨日(2月27日)舛添要一新都知事の定例記者会見が行われ、その全文の記録がネットで読める。URL配下のとおり。
http://www.metro.tokyo.jp/GOVERNOR/KAIKEN/TEXT/2014/140227.htm

興味深いことには、知事が10・23通達や処分の問題について語っている。もちろん、知事の側から積極的に切り出したものではない。質疑応答の中で、果敢に切り込んだ記者の質問に応じてのもの。慎重な口調ながら、石原や猪瀬とは明らかに異なる対応。今回会見の発言内容には理解不足が目立つものの、もう少し事実を知ってもらえたら、もう少し教員側の意見に耳を傾けてもらえたら、またもう少し人権や民主主義の基本原則からこの問題を考えてもらえたなら、石原・猪瀬の時代とは違った舛添流教育行政となるのではないか。

舛添さんの発言のさわりをいくつか抜き出して、コメントをしたい。
【知事発言】…国旗国歌法、これは国会できちんと通りました。それから、もうご承知のように、広島の学校の校長先生が自殺するという事件があって、あの当時、国会議員だった野中広務さん含めて、これはおかしいじゃないかっていうことで、国旗国歌法を定めたと。だから、憲法のもとにある国旗国歌法、これは日本国民である限りは、それはきちんと守らないといけません。それがまず大前提で、もちろん公務員はそれを守らないといけない。

【澤藤コメント】「憲法のもとにある国旗国歌法、これは日本国民である限りは、それはきちんと守らないといけません」は、まったく意味をなさない。舛添さんも、この会見碌を読み直して、「まずいことを言っちゃった」と思っているはず。国旗国歌法は、国旗のデザイン(日章旗)を定める第1条と、国歌のメロディと歌詞(君が代)を定める第2条の2か条だけからなる法律。掲揚義務も斉唱義務も、もちろん尊重義務もない。うっかり法案に国旗国歌尊重義務などを盛り込んだら、憲法問題を生じることとなり、反対世論が昂揚して法案は成立しえない、という政府の読みがあったからだ。だから「きちんと守らないといけません」という、守るべき規範がそもそもない。おそらく、舛添さんは国旗国歌法をきちんと読み込んだことがない。
 
「日本国民である限りは、それはきちんと守らないといけません。それがまず大前提で、もちろん公務員はそれを守らないといけない」という発言は、もしかしたら、彼は法を読まずして間違った思い込みをしているのかも知れない。国旗国歌法を根拠として国民には旗と歌の尊重義務があり、公務員には強制可能なのだと。明らかな間違い。誰かが教えてあげなければならない。その機会は、都議会の質疑か、記者会見の席かということになるのだろう。

また、舛添さんの「日本国民である限りは、それはきちんと守らないといけません」という説教調が気になるところ。知事の仕事は、説教を垂れることではない。しかも、憲法遵守義務は、天皇や首相や知事自身に説くべきで、国民に説くべきものではない。さらに、言っていることが、「日本国民である限りは、国旗国歌への敬意表明はきちんと守らないといけません」に聞こえる。しかし、国旗国歌法は、日本国民の誰にも、なんの命令も要望もしていないのだ。

【知事発言】それから、…処分の中身は適当であったかどうかと、これはもう最高裁の判決があるわけですから、その判決に従うと、司法に従うということは、これは三権分立の国として当然あると思います。

【澤藤コメント】間違っていることを言っているわけではないが、行政の長の言として適切さを欠く。三権分立の理念の把握も浅薄だと言わざるを得ない。
知事発言には、権力の発動である行政処分が不当に人権を侵害することのないよう慎重な配慮を要するとの姿勢を感じ取ることができない。処分の謙抑性や慎重さではなく、積極性だけが強調されて、事後的に司法判断において違法とされればその判断に従えばよいだけだ、と言っている。
我が国の司法が、立法や行政に対する違憲審査権を持ちながら、その権限の行使に極めて消極的なことはよく知られた事実である。だから、知事としては、「いやしくも最高裁から、『違法な処分だから取り消す』という不名誉極まる判決を言い渡されることなどなきよう、慎重な配慮が必要」と部下にも都民にもいうべきなのだ。「最高裁からの違法判断の判決があれば、それに従えばよい」などというのは無責任な居直りに過ぎない。

【知事発言】それから、10.23通達含めて、これからどうするかっていうのは、これは少しまた検討課題で時間をいただきたいと思います…。その不起立懲戒処分がどうなんだろうかということについては、…重過ぎるのか低過ぎるのか…これ、もう少し事務方含めて、都教委がどういう判断であるかっていうのを直接やっぱり聞かないとわかりません。その上で、今言ったご質問にもどう対応するかを考えたいと思ってます。

【澤藤コメント】なかなかに期待を抱かせる発言ではないか。その文言のまま受けとって、10・23通達の見直し、少なくも処分濫発の見直しに期待したい。石原教育行政では、また石原後継を称する猪瀬教育行政でも、舛添さんのような率直な見解にはなり得ない。

【知事発言】私は…やはり国旗に対してきちんと敬意を払う、国歌に対してもきちんと起立して歌うということは、私は当然だと思ってますから、それ以外の解釈あるとすれば、まさにその解釈こそ、司法の場に委ねればいいと思ってますけど、ま、そういうふうに思ってます。

【澤藤コメント】おやおや、自由主義者で個人主義の理解者であるはずの舛添さんから、こんな俗論が飛び出すとは思ってもみなかった。東京オリンピックを主宰する立ち場となったから、こんな発言となったのだろうか。「私が、国旗・国歌に対して敬意を払うべし」という意見をもっていることはわかった。問題は、そのことにはない。論理がそこから幾段も飛躍するところにある。「自分だけではなく、すべての国民が国旗国歌に敬意をはらうべきが当然である」。さらに、「国旗国歌に敬意をはらうよう公権力によって強制することも当然」となっているのだ。

憲法とは、究極において国家と個人との関係をどう規律するかの規範である。少なくとも、憲法が最大の関心とするところは、権力の主体としての国家と人権主体としての個人との関係にほかならない。個人を先国家的な存在とし、国家を後個人的な存在とする憲法は、個人の国家観を当然に多様なものと認める。国家の都合で個人の国家観が制約され統制されることはあり得ない。主権者である国民個人の意思で国家がつくられたのだから、当然といえばあまりに当然。

主権者によってつくられた国家が、主権者である国民に対して、自らの象徴である国旗国歌への敬意表明を強制することは、背理であり矛盾であり、倒錯である。そんな出過ぎたことは国家に許容されてはいないのだ。

果敢な記者の質問が明らかにしてくれたことは、舛添さんは、国旗国歌法についても、また自民党の改憲草案の国旗国歌尊重義務条項についても、10・23通達についても、関連訴訟の最高裁判決についても、ほとんどご存じないようであること。是非とも、自由主義者・個人主義者としての舛添さんの本領を発揮して、頑迷固陋な国家主義が固化した石原教育行政の残滓を洗い流していただきたい。

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      滝の氷柱よさようなら、春の凱旋行進曲のお通りだい
今年、にわかの雪国となってしまった関東地方では、慣れない雪と氷に嫌というほど苦しめられた。それでも一昨日あたりから、気温が上昇して一息ついている。春めいたと喜んでいる人もいるけれど、雪を楽しむ余裕のある北国では、気温が上がって美しい景色が台無しになって残念がっている人もいる。青森県西目屋村の「乳穂ケ滝(におがたき)」では25日朝、滝が高さ33メートルの氷柱になって地面に到達した。しかし、午後には暖気でその氷柱は崩落してしまった。同村の観測によると氷柱の命はたった5時間だったそうだ。

岩手県花巻市石鳥谷町の「たろし滝」(13メートル)も一度地面に届いた氷柱が、雨で崩落してしまった(2月11日)。「たろし」は「垂氷(たるひ)」が変化したもので「つらら」の意味。両方の滝は地元の保存会が毎年、氷柱の太さを測って、その年の米の作柄を占っている。毎年氷柱ができるわけではなく、やっとできた氷柱の命も短い。関係者はハラハラしながら見守っている。楽しみなお祭りでもあり、観光行事でもある。ここに限らず、北国の各地には、雪や氷の美しい造形をお国自慢にしているところがたくさんあるに違いない。

しかし季節はめぐり、さしもの冬将軍も春のほほえみの前にはしぶしぶながら退席を覚悟したようだ。例年どおり、伊豆の河津川は濃いピンクの河津桜と黄色い菜の花の花づなで華やかに飾られた。カレル・チャペックは春の喜びを次のように語っている。

「『それ!』というあの神秘な掛け声が鳴りわたったらしい。朝のうちはまだかたい襁褓(むつき)につつまれていた芽が、柔らかい葉先をおしだして、レンギョウのしなやかな枝にきらりと小さな金の星がひかり、梨のふっくりした芽がすこしひらき、何の芽かわからないが、その先にみどりをおびた金色の蕾がかがやいていた。ねばねばした鱗片からは、若々しいみどりが顔を出し、ふとった芽がひらきかかって小さな葉脈と小さなたたみ目のやさしい透かし細工が押し合って出ようとしていた。赤くなってはにかむことはないのだ。たたんだ扇を開くがいい。うぶ毛をはやしてねむっている芽よ、目を覚ませ。スタートの命令がもう出たのだ。楽譜にのらない行進曲の、はなやかなラッパを吹き鳴らすがいい!日をうけて光れ、金色の金管楽器。とどろけ、太鼓。吹け、フリュート。幾百万のヴァイオリンたちよ、おまえたちのしぶき雨をまきちらすがいい。茶色と緑のしずかな庭が凱旋行進曲を始めたのだ」(「園芸家12カ月」カレル・チャペック)

冬の寒さに閉じこもって、今年も壮大な氷雪の美しさをみすみす見逃してしまったけれど、めぐりきた春のさそいなら、うけて立てそうだ。コートを脱ぎ捨てて、お花見に行こう。おっとその前に、NHKの籾井さん、百田さん、長谷川さんおやめなさい。花見の酒がまずくなる。
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      NHKに対する「安倍首相お友だち人事」への抗議を
☆抗議先は以下のとおり
 ※郵便の場合
  〒150-8001(住所記入不要)NHK放送センター ハートプラザ行
 ※電話の場合 0570?066?066(NHKふれあいセンター)
 ※ファクスの場合 03?5453?4000
 ※メールの場合 http://www.nhk.or.jp/css/goiken/mail.htmlに送信書式
☆抗議内容の大綱は
 *籾井勝人会長は即刻辞任せよ。
 *経営委員会は、籾井勝人会長を罷免せよ。
 *百田尚樹・長谷川三千子両経営委員は即時辞任せよ。
 *経営委員会は、百田尚樹・長谷川三千子両経営委員に辞任を勧告せよ。
よろしくお願いします。
(2014年2月28日)

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