パロディ「憲法9条の理念で、壁なき世界実現を」
村上春樹が、「ウェルト文学賞」を受賞し、ベルリンの壁崩壊にちなんだご当地スピーチが話題となっている。私は、そのような文学賞の存在を知らなかった。だから受賞自体に関心はないが、スピーチの内容にはいささかの関心をもった。
作家のスピーチともなれば、毎回目先を変えて気の利いたことを言わなければならない。たいへんなプレッシャーだろうが、今回も概ね好評のようだ。東京新聞は「壁なき世界実現を」とタイトルを付けている。毎日は「壁のない世界 想像してみよう」。朝日は、「今も多くの壁がある」。東京新聞のものを推したい。
各紙が、スピーチの「要旨」を掲載している。英語による講演を共同通信が翻訳したもの。示唆に富むとは思うものの、ものたりなさも大きい。
さわりというべきは、以下の一節。
「壁は人々を分かつもの、一つの価値観と別の価値観を隔てるものの象徴です。壁は私たちを守ることもある。しかし私たちを守るためには、他者を排除しなければならない。それが壁の論理です。壁はやがて、ほかの仕組みの論理を受け入れない固定化したシステムとなります。時には暴力を伴って。ベルリンの壁はその典型でした。」
さて、「一つの価値観と別の価値観」の間にある隔たりを「壁」というのなら、壁はあって当然。むしろ、多数派からの同調圧力にさらされる少数派にとっては厚い壁が必要である。とりわけ、「反日」や「非国民」などの中傷にさらされ、あるいは民族的な差別攻撃から身を守るための強固な壁は不可欠である。村上が論じているのは、「他者を排除しなければならない」という特殊な意味合いを込めた「壁」への非難である。問題とされているのは価値観の隔たりそのものではなく、他者の価値観への非寛容や、価値観の違いに発する暴力の象徴としての「壁」なのだ。
端的に「壁」を、非寛容や暴力に置き換えた方が分かり易く正確な表現となったのではないだろうか。たまたま、「ベルリンの壁崩壊・25周年」にちなんで、気の利いたスピーチとするために「壁」が持ち出されたのだ。
来年、第2次大戦終結70年を意識すれば、こうとも言えるのではないか。
「軍事力は人々を分かつもの、一つの民族と別の民族を隔てるものの象徴です。軍事力は私たちを守ることもある。しかし、私たちを守るためには他者を排除しなければならないということが軍事力の論理です。軍事力はやがて、軍事以外の仕組みの論理を受け入れない固定化したシステムとなります。そして、いつか悲惨な戦争をもたらすことになります。第2次大戦はそのような戦争と悲惨の典型でした」
他者を排除しなければならないとする軍事力の論理を否定することによって、異なる他者との共存と平和を実現する思想がもたらされる。この思想が一国の実定憲法に書き込まれたのが、「日本国憲法9条」であり、その前文に明記されている平和的生存権にほかならない。
同スピーチの次の部分。目くじら立てることではないものの、やや明確性に欠ける。
「世界には民族、宗教、不寛容といった多くの壁があります。小説家にとって、壁は突き破らなければならない障害です。小説を書くとき、現実と非現実、意識と無意識を分ける壁を抜けるのです。反対側にある世界を見て自分たちの側に戻り、作品で描写するのです。人がフィクションを読んで深く感動し、興奮するとき、作者と一緒にその壁を突破したといえます。その感覚を経験することが読書に最も重要だと考えてきました。そういう感覚をもたらすような物語をできるだけたくさん書いて多くの読者と分かち合いたい。」
これも、次のように言い換えることができるだろう。
「現実の世界には、民族、宗教を隔てる不寛容の壁があります。それぞれの価値観や文化を認め合うことによってこの不寛容の壁を突き破らなければ、平和はありません。とりわけ軍事力によって形づくられた壁は平和への危険な障害となります。
この障害を取り除くには、なによりも壁の反対側にある世界を理解して自分たちの側に戻り、反対側の世界の人々も平和を望む同じ生身の人間であることを知ることが大切です。それこそが、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」することの基礎ではないでしょうか。
そのような相互理解を妨げるもの。それが、他者排除の論理に基づく軍事力であり、相互不信による軍備増強の競争にほかなりません」
最後は、こうまとめてみよう。
「フィクションとしての平和や相互理解を描くことは、現実の平和を築くことそのものではありません。しかし、ジョン・レノンが歌ったように、誰もが想像する力を持っています。不寛容や軍事力の壁に取り囲まれていても、その壁の向こう側の、より平和で自由な世界の物語を語り続けることができるのです。そのことが大切です。何かが始まる出発点になり得るからです。想像の世界での戦争や平和の体験を出発点とし、人間に対する深い信頼をもたらすような創作をつうじて、さまざまな民族や宗教の人々とともに、日本国憲法の理念に基づく世界の平和を享受することができるようにしたいものです」
(2014年11月8日)