澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

りそな・イイね、DHC・ダメだね。

今朝(1月6日)の毎日新聞1面に、「りそな『核製造企業への融資禁止』 国内大手銀初の宣言」という記事。おや、「りそな」が、そんなに立派な金融機関だとは知らなかった。以前、DHCと比較してワコールを賞讃したことがあった。本日は、DHCと比較するのも失礼かと思うが、りそなホールディングス(HD)のCSR活動に敬意を表したい。りそなが融資禁止の対象としているのは、核製造企業だけではない。CSR(企業の社会的責任)を徹底しようという試みなのだ。

まずは、毎日記事の抜粋である。

りそなホールディングス(HD)は、核兵器を開発・製造・所持する企業に対して融資を行わない方針を定め、公表した。該当企業には一切の融資を行わないと宣言したもので、こうした取り組みは国内の大手銀行では初めて。2017年7月に核兵器禁止条約が国連で採択され、欧州を中心に投融資を禁止する銀行や機関投資家が広がっており、国内でも同様の動きが出てくるか注目される。

具体的には、核兵器・化学兵器・生物兵器や対人地雷・クラスター弾などの製造企業▽人身売買や児童労働、強制労働への関与が認められる企業▽環境に重大な負の影響を及ぼすおそれのある開発プロジェクト――などへの融資を行わないと明記。融資先の社会・環境へ配慮した活動を支援するとした。

私の問題意識はこんな具合だ。
資本主義とは、本来が利潤追求至上主義を容認する経済システムである。個別企業が、競争に勝ち残り利潤を最大化するためには、チャンスさえあれば儲かることならなんにでも手を出すことになる。そして、直接利潤につながらない無駄なコストは冗費として削減せざるを得ない。
見えざる神の手が市場を予定調和に導くというのはウソも甚だしい。資本の利潤追求の衝動と市場原理に任せておけば、労働者の搾取は限りなく進行し、消費者の安全も、環境も損なわれる。資本主義原理の外からの規制が必要なのだ。大切なのは、企業でも市場でもなく、社会の構成員である民衆の利益なのだ。いったい、どうすれば、民衆の利益のために、社会が企業を統制することができるだろうか。

核兵器やその部品を作る会社なら儲かるだろう。公的融資も受けているはずだ。そんな企業への融資は回収の安全性が高い。利潤追求原則から言えば、望ましい融資先ではある。しかし、核兵器に対する世論の厳しさを考慮すると、核兵器産業に対する融資は、強い社会的指弾を受けることになりかねない。明らかに企業ブランドにはマイナスイメージだ。長い目では、融資機関の企業利益にならないとの判断とならざるを得ない。

本格的には、法と行政による権力的規制という手段が控えているが、世論の指摘や消費者の運動によって、非権力的な企業行動の誘導が可能なのだ。ブランドのプラスイメージ獲得のためのCSR。社会はこれに応えなければならない。

念のために、りそなホールディングス(HD)のホームページを開いてみて、驚いた。そのCSR(企業の社会的責任)コーナーの充実ぶりにである。
https://www.resona-gr.co.jp/holdings/csr/index.html

まずは、社長のトップメッセージの中に次の一文がある。

「国連で採択されたSDGs(持続可能な開発目標)の達成に向け、「2030年SDGs達成に向けたコミットメント(Resona Sustainability Challenge 2030)」を11月に公表しました。SDGs達成に向け、環境・社会課題をテーマとしたお客さまとの建設的な対話の推進をはじめとする6つのコミットメントに取り組み、活力あふれる地域社会の実現に貢献してまいります。」

この真面目さが素晴らしい。在日ヘイトを垂れ流すDHC会長メッセージとは、天と地ほどの落差だ。SDGsが何度も出て来る。SDGsは17の具体的な目標として知られるが、それは「貧困をなくす」「飢餓をゼロに」から始まって、「人や国の不平等をなくそう」「ジェンダーの平等」「平和と公正をすべての人に」などが掲げられている。りそなホールディングスは、そのすべての課題に具体的な取り組みを示している。SDGsセミナー「中小企業のためのSDGs入門」を開催しました、という報告もある。

そして、こんな企業の行動宣言がある。

りそなWAY(りそなグループ行動宣言)
社会と「りそな」
「りそな」は社会とのつながりを大切にします。
「りそな」が存在する意義を多くの人々に認めていただけるよう努力します。
広く社会のルールを遵守します。
良き企業市民として地域社会に貢献します。

従業員と「りそな」
「りそな」は従業員の人間性を大切にします。
「りそな」の一員であることに誇りを持って働ける職場を創ります。
創造性や変革に挑戦する姿勢を重んじます。従業員一人ひとりの人間性を尊重し、能力や成果を公正に評価します。

さらに、CSR(企業の社会的責任)コーナーは、項目だけを拾えば、次の具合だ。
CSRに関する考え方
経営理念、行動宣言とCSR方針の関係
2030年SDGs達成に向けたコミットメント
社会的責任投融資に向けた取り組み
重点課題(マテリアリティ)の特定
CSR目標・実績
国際的なイニシアチブへの参加
日本版スチュワードシップ・コードの受入れ
CSRへの取組み
コーポレートガバナンス
コンプライアンス
消費者課題/お客さまサービス
コミュニティ
環境
ダイバーシティ
人権

こんな企業なら応援したくなるではないか。
これと比較する目で、DHCのホームページを眺めてみよう。
https://top.dhc.co.jp/company/jp/

両社の比較は、月とスッポン、提灯と釣り鐘。
DHCのホームページには、みごとなまでに何にもない。IRも、企業倫理も、CSRもまったくないのだ。今や、吉田嘉明会長の露骨な在日差別メッセージもなくなっている。あるのは商品宣伝だけ。儲け以外にはなんの関心もないというこの徹底ぶり。

メディアも世論も消費者も、ワコールや「りそな」を賞讃するだけでは不十分ではないか。デマとヘイトとスラップのDHCを徹底して批判することが必要だ。賞讃と批判が両々相俟って、社会に親和的な企業を育成し、反社会的な企業を淘汰することが可能になる。とりわけ、消費者のDHC製品不買の行動が、デマやヘイトやスラップをなくすることに大きな力となる。DHC製品を買わないというだけで、よりよい社会をつくることに寄与できるのだ。

なお、下記の「社員による会社評価ランキング」という興味深いサイトを見つけた。
ランキングは、各社社員のクチコミによるものだという。DHC社員からのクチコミ報告数は1125件とされている。
https://www.vorkers.com/a0910000002XwSf/ranking/

DHCは、日用品・化粧品部門659社中「総合評価ランキング」では640位となっている。また、「(社内の)風通しの良さランキング」では、659社中の659位、つまり最下位なのである。その厳密な正確性は分からないが、DHCが「りそな」のような、「広く社会のルールを遵守します」「良き企業市民として地域社会に貢献します」「従業員の人間性を大切にします」との姿勢をもっていないことを如実に示している。社会も、消費者も、従業員も、デマとヘイトの企業は弾劾すべきなのだ。
(2019年1月6日)

ゆく秋や 哀れスルガは 身の終わり

師走である。何とも、季節の遷りが速い。
暦の上では、昨日までは秋。その秋の終わりに、スルガ銀行不祥事の処分が発表になった。同銀行は昨日(11月30日)、シェアハウス向けの不正融資問題で117人を処分し、同時に業務改善計画を金融庁に提出したと発表した。

ところで、言葉遊びである。誰が作ったやら、これほどうまくできている例を他に知らない。

  あきのかがすおうとするがみのおわり

漢字で表記すると面白くもおかしくもないが、こうなる。
  秋の蚊が、吸おうとするが、身の終わり。

元気のよい夏の蚊ではない。ヨタヨタと元気のない秋の蚊である。血を吸おうと人の肌にとりついたが、たちまち事は露見。逃げ遅れて叩かれ、哀れ身の終わりとなった。それだけの句。

いくつの国名を読み込んでいるか。
 「安芸の加賀、周防と駿河、美濃尾張」で6か国、は正解ではない。
ひらがなの「の」と「と」を、能登と読んで7か国が正解なのだ。17文字すべてが、国名の読み込みに使われている。たいへんな才能というべきか、恐ろしく暇な御仁の手すさびか。

この17文字の中に「するが(駿河)」が入ってるのが、実に示唆的でもあり、予言的でもある。
今話題のスルガ銀行。2004年の商号変更前は、駿河銀行だった。静岡県沼津市に本店を置く地方銀行の雄の一つ。元は堅実な経営姿勢で知られ、バブルで傷を負わなかったことが賞讃された。よりによってその「駿河」が、消費者の血を吸おうとして、この秋身の終わり同様の体である。

メディアは、厳しく同行のコンプライアンス軽視の姿勢を批判している。いつもながらの企業の不祥事発覚のたびに、行政規制の重要さを再確認させられる。この行政規制とコンプライアンスが重要なのだ。

思い出す。バブルが終わって吹き出した日本企業の醜状。私は、当時日弁連の消費者委員長としてこれに向き合った。それまで消費者問題とは、豊田商事であり、茨城カントリークラブであり、武富士であり、あるいは霊感商法であり、原野商法等々であった。言わば、経済社会の片隅、あるいは日陰に生じるものであった。

ところが、蓋を開けてみれば、似たようなことを銀行も生保もやっていた。証券会社などはもっとひどかった。その典型が変額保険であり、過剰融資問題であった。シェアハウス向け融資と基本構造を同じくする。以来、消費者問題とは企業社会そのものと向きあうべきものと意識されるようになった。

資本主義社会とは個別資本の利潤追求の行動を是認する制度である。しかし、この野蛮な資本の衝動を放置していたのでは、人を限りなく搾取し収奪することになる。法や行政による規制が絶対に必要なのだ。

バブル経済崩壊のあと、経済社会を立て直すためにとして、規制緩和論が台頭した。新自由主義という「理論」の衣をまとって。だが、消費者問題に携わる現場からは、悲鳴にも似た規制緩和論への反発が生じた。企業は常に規制緩和を求め、消費者はこれに抵抗を続けざるを得ない。

たとえば、DHCの吉田嘉明である。吉田嘉明は政治家・渡辺喜美に8億円の裏金を提供した。その動機として彼が最も力んで主張しているのは、「日本国をより良くしようと脱官僚を掲げる政治家(註-渡辺喜美)を応援するために、大金(註-8億円)を貸し付けた」というのである。

今さら言うまでもないが、吉田嘉明は化粧品とサプリメントを製造販売する会社の経営者として厚労省の規制に服する。ところが、新潮手記の冒頭には、「厚労省の規制チェックは他の省庁と比べても特別煩わしく、何やかやと縛りをかけてきます」「霞ヶ関、官僚機構の打破こそが今の日本に求められる改革」「それを託せる人こそが、私の求める政治家」と露骨に書き連ねているのだ。

並みの文章読解能力を持つ人がこの手記の記載を読めば、吉田嘉明のいう「国をより良くする」とは「脱官僚」と同義であり、「日本をダメにしている監督官庁の規制をなくすることを意味している」と理解することになる。彼が「国をより良くしようと脱官僚を掲げる政治家を応援するために、8億円もの大金を政治家に渡した」のは、「他の省庁と比べても特別煩わしい厚労省の規制チェックを緩和する」期待を込めてのことなのだ。彼の手記は、そのような読者の理解を誘導する文章の筋立てとなっているのだ。

秋の蚊を叩きながら、つくづくと思う。
「企業の利益よりも、消費者の利益が大切ではないか」「コンプライアンスは大切だ」「もっと果敢に行政規制の制度を活用すべきだ」。

また、こんな見え透いた企業人の言葉に欺されてはいけない。
「規制緩和こそが経済再生の切り札だ」 「企業の自由な行動を保障しなければ日本企業の競争力が失われる」。

ゴーンの逮捕が、企業人の倫理観の欠如を改めて国民に印象づけた。規制あってなお、その遵守がなされていない。
(2018年12月1日)

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ウソとごまかしの『安倍政治』総検証!

12月3日(月)18時~20時(開場17時30分)

衆議院第1議員会館 地下1階「大会議室」

最寄り駅は、丸ノ内線・「国会議事堂前」、または有楽町線・「永田町駅」です。
(集会にはどなたでもご参加いただけます。議員会館ロビーで、担当の者が入館証を配布していますので、お受け取りのうえ入館下さい。)

競争原理ではなく、協同・連帯の精神をこそ ― 開業医共済協同組合祝賀会で

開業医共済協同組合の「加入者2000名達成祝賀会」に祝辞を申しあげます。
私は、縁あって貴協同組合の顧問を務めておりますが、意気に感じて積極的にその任をお引き受けしたつもりです。その気持ちの一端をお話しすることが、加入者2000名達成の祝意を表明することになろうかと存じます。

私は、開業医の皆様と同じく個人経営の弁護士です。医師の皆様は専門診療科を標榜しておられますが、弁護士の業務にはそれがありません。幅広くなんでもやることになるのですが、自ずと専門分野というものが定まってきます。私の場合の専門分野は、消費者問題です。

消費者問題を扱う弁護士というと、過払い請求のサラ金弁護士を思い浮かべる方がいらっしゃるかも知れませんが、私はこの四半世紀、クレジット・サラ金債務整理の仕事はしていません。また、消費者問題として悪徳商法被害救済をイメージされる方も多いこととでしょう。それが間違いというわけではないのですが、私は消費者問題の基本テーマは、消費者が企業社会をどうコントロールすることができるのか、という課題だと思っています。

その意味では、対峙する相手は「悪徳」事業者であるよりは、経済社会の中枢に位置している大企業なのです。そして、個別の消費者被害の救済から一歩進んで、企業をあるいは企業社会をどう制御できるか、あるいはすべきかを考えなければならない。そう考えてきました。

私たちが現実に生きているこの資本主義社会というものは、企業社会ということでもあります。この社会の実力者である個々の企業が、それぞれ最大利潤を求めて競争にしのぎを削っている苛酷な社会。その競争の勝者には過大な利益がもたらされる反面、敗者は路頭に迷わねばなりません。企業という経済単位間の相互の関係は、生存を懸けた「競争」ということであって、けっして、連帯でも友愛でもありません。

また、企業はその内部で、あるいは商品生産や流通の過程で、労働者を雇用しなければなりません。あるいは弱小の企業に下請けをさせます。企業がその実力を恣にして、雇用する労働者や弱小企業に対して、最大利潤追求の衝動をむき出しにすれば、労働者や弱小企業の人間的な存在を否定することになることは見易いところですが、似た問題は消費市場でも生じていることを見落としてはなりません。

この社会では個別企業の需要見込みによって大量の商品生産が行われ、サービスの供給が行われます。その商品は、すべて最終的には消費市場で消費者に購入してもらわねばなりません。需要見込みによって作られた大量商品の最終消費なしには、再生産のサイクルが正常に稼働しません。何が何でも、消費者の消費意欲を喚起し、無駄なものでも、生産されたものを消費者に押しつけ買わせなければなりません。言わば、企業が消費者を操らなければならないのです。そこからさまざまな弊害が試用時ます。これが、消費者問題の基本構造です。

企業の要請に応じて、消費者操作のための技術が発達し専門化しています。まずは、消費者心理のマインドコントロールというべき宣伝・広告の巧妙化と大規模化。そして、商品購買に必要な金融・与信のシステムの構築。本当は必要のないもの、不要なものを買わせなければならないのです。そのための企業による対消費者コントロールが行われているのが、消費市場の力関係の現実と言わざるを得ません。

消費者運動・消費者問題とは、消費市場における企業による対消費者コントロールによる諸弊害をなくしていくこと。できれば根絶することですが、そのためには利潤追求至上主義の企業を、消費者の手でコントロールしなければなりません。それは、利潤追求第一を当然のこととして許容する社会ではなく、人間尊重をこそ大切にする社会のありかたを模索する運動の一分野だと考えられます。

ところで、この消費者運動における問題意識は、協同組合運動にも共通していると思うのです。協同組合という存在は、企業社会の中の飛び地のようなところに位置を占めています。企業と同様の経済行動の単位でありながら、利潤追求組織ではなく、その運営原則は、相互扶助であり、連帯であり友愛なのです。

企業の経営には民主主義原則はありません。徹底した効率追求です。しかし、協同組合は平等な成員の民主的手続によって運営されなければなりません。消費者運動とともに、協同組合運動が発展することは、相対的に企業の存在感狭小化につながります。企業を存立基盤とする保守政党の政策にも影響を及ぼさざるを得ません。社会の民主化度の進展につながります。

消費者問題の分野で企業の横暴をどう克服するかを考えてきた私にとって、協同組合運動への寄与は、これまでの活動の延長線上のものなのです。そう考えてお引き受けした、貴協同組合の顧問です。貴組合の発展こそは歓迎すべき、まさに慶事なのです。

念願であった、「加入者2000名達成」。貴組合の発展を心から喜びたいと存じます。おめでとうございます。
(2018年10月23日)

2月1日(木)10時30分「DHCスラップ2次訴訟」第2回法廷 ― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第118弾

私(澤藤)自身が被告とされた「DHCスラップ訴訟」。今、「DHCスラップ第2次訴訟」となり、これに反訴(リベンジ訴訟)で反撃している。

その第2回口頭弁論期日(形式的には3回目)の法廷が近づいている。
 2018年2月1日(木)午前10時30分
 東京地裁415号法廷・東京地裁4階(民事第1部)

今回の法廷では、反撃訴訟訴状(反訴状)に対する反訴被告(DHC・吉田)側の答弁書の陳述が行われる。

どなたでも、なんの手続も必要なく傍聴できます。ぜひ、多数の方の傍聴をお願いいたします。なお、現在東京地裁庁舎では一部のエレベータが稼働していません。エレベータに行列ができています。少し早めに、お越しください。

なお、いつものとおり、傍聴された方には、これまでの進行の解説文と今回口頭弁論期日に陳述となるDHC・吉田側の答弁書のコピーを配布いたします。

また、閉廷後の報告集会は今回に限って行いません。閉廷後に控え室で多少の時間をとってご挨拶と、意見交換をいたしたいと思います。実は、2月1日は東京弁護士会役員選挙の真っ最中。東京弁護士会の会議室はすべて選挙事務所に割り当てられて借りることができません。しかも、アスベスト問題で裁判所のエレベータが満足には動かない事態。加えて、法廷でなすべきことは反訴被告側の陳述のみ。そんなわけで、これまでは毎回行ってきた報告集会を今回は行わず、法廷終了後に裁判所控え室で小さな報告会を行うことにします。
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この反撃訴訟において、何が問題とされているのか。是非とも、ご理解をいただきたい。ご理解だけではなく、ご支援もお願いしたい。言論の自由の保障のために、ひいては民主主義のために。

DHCと吉田嘉明は、私を被告としてスラップ訴訟を提起した。実は私だけでなく、同じ時期に少なくとも10件の同種の提訴をしている。提訴はせずに同種の言論妨害も行っているが、その件数は分からない。

吉田嘉明の私への提訴は、侵害された権利の回復を求めてのものではない。自分(DHCと吉田嘉明)への批判の言論を封じるための提訴だから違法なのだ。言論の自由をこよなく大切なものとするこの民主主義社会において、訴訟を言論封殺の手段としてはならない。これが、「スラップ訴訟を許さない」という意味である。

私は、当時吉田嘉明という人物については何も知らなかった。興味もなかった。だから、格別に先入意識はなく、吉田嘉明に対する侮蔑感も反感も持ってはいなかった。吉田の思想や差別的言動について知ることになったのは、スラップ訴訟の応訴の過程においてのことである。

私は、純粋に、彼が書いた週刊新潮手記を論評する限度で3本のブログ記事を書いた。典型的な政治的言論と言ってよい。中心は政治とカネの問題である。そして、カネの力での規制緩和に警鐘を鳴らし、消費者問題にも言及した。それが、経営者として規制緩和を目指す吉田嘉明にとっては不愉快な内容となった。しかし、だからといって私を訴えるのは筋違いも甚だしい。

当然のことながら、彼にも言論の自由はある。私の批判に異論や反論があれば、堂々と反批判の言論を行えばよい。富豪の彼には、私のブログとは較べものにならない、強力な反批判の言論のツールを持ち合わせている。

ところが、言論に対して批判の言論のツールを駆使することなく、いきなりの提訴。しかも6000万円という明らかに過大な請求。言論をもっての反論ではないこの提訴は、自分を批判するとこのような面倒なことになるぞ、という恫喝以外のなにものでもない。これがスラップというものだ。批判の言論の萎縮を狙っての提訴というところに、その本質がある。

私が事実無根の記事を書いたか。私が彼の人格を攻撃したか。いささかもそのようなことはない。だから、DHC・吉田の私に対するスラップ訴訟は請求棄却となった。一審も控訴審もそして最高裁もだ。しかし、吉田嘉明は負けることが明らかな提訴を敢えてして負けた、それだけのこと。なんの制裁も受けていない。むしろ、「私(吉田嘉明)を批判してみろ。高額損害賠償請求の提訴をするぞ」という威嚇の実績をつくったのだ。提訴した得は確保している。一方、私は故ない提訴を受けてこれを斥けて勝訴はしたが、私に生じた金銭的、時間的、精神的な損失は回復されていない。

だから、DHCと吉田嘉明にはしかるべき制裁措置が必要だし、私の損害は回復されなければならない。こうしてこそ、世にスラップが横行することを防止できる。典型としてのDHCスラップ訴訟にはきちんとしたケジメが必要だ。DHCスラップ2次訴訟(反撃訴訟)とは、そのような意味を持つ訴訟なのだ。

次回法廷で陳述予定の反訴答弁書の中に、いくつかDHC・吉田嘉明側の興味深い言い分が記載されている。以下は、その一節。
「反訴被告吉田は,日本国をより良くしようと脱官僚を掲げる政治家(註-渡辺喜美)を応援するために,大金(註-8億円)を貸し付けたのであって,政治を金で買うなどという気持ちなど微塵もなかった。当該貸付について,いろいろな意見を言うのはよいとしても,このような反訴被告吉田の純粋な思いを踏みにじるような事実無根の過激な罵倒に対して,名誉毀損だと主張して損賠賠償請求訴訟を提起することが違法になる余地など全くない。」

吉田嘉明には、「純粋な思い」があったのに、これを澤藤のブログの記載によって「踏みにじられた」という。澤藤は、「事実無根の過激な罵倒」をしたのだという。まるで私(澤藤)が、年端の行かぬ子どもをいじめているかのごとき言い分。これを、針小棒大とは言わない。誇大妄想と言うほかはない。

「反訴被告ら(註-DHC・吉田嘉明)は,8億円という貸付動機について事実と異なる言動をした者のうち,反訴原告(註-澤藤)のようにあまりにも酷い表現をした者に限定して訴訟提起しているのである。」

吉田嘉明が最も力んで主張しているのは、8億円の「貸付」動機である。吉田嘉明によれば、「日本国をより良くしようと脱官僚を掲げる政治家(註-渡辺喜美)を応援するために,大金(註-8億円)を貸し付けた」というのである。

今さら言うまでもないが、吉田嘉明は化粧品とサプリメントを製造販売する会社の経営者として厚労省の規制に服する。ところが、新潮手記の冒頭には、「厚労省の規制チェックは他の省庁と比べても特別煩わしく、何やかやと縛りをかけてきます」「霞ヶ関、官僚機構の打破こそが今の日本に求められる改革」「それを託せる人こそが、私の求める政治家」と無邪気に書き連ねているのだ。

並みの文章読解能力を持つ人がこの手記の記載を読めば、吉田嘉明が「国をより良くする」とは「脱官僚」と同義であり、「日本をダメにしている監督官庁の規制をなくすることを意味している」と理解することになる。彼が「国をより良くしようと脱官僚を掲げる政治家を応援するために、8億円もの大金を政治家に渡した」のは、「他の省庁と比べても特別煩わしい厚労省の規制チェックを緩和する」期待を込めてのことと考えざるをえない。彼の手記は、そのように理解を誘導する文章の筋立てとなっているのだ。

「政治家を金で買う」は、もちろん比喩である。8億という政治資金規正法上の手続に隠れた巨額の金を「脱官僚を掲げる政治家」に渡して、官僚による規制の緩和を期待することを、「政治家を金で買う」と比喩したのだ。この比喩を捉えて「事実無根」などということは意味をなさず、およそ反論になっていない。こんなことでの提訴は言いがかりも甚だしく、違法と認定してもらわねばならない。
(2018年1月29日)

行政の規制権限不行使は違法。規制緩和などもってのほか。

一昨日(10月27日)、首都圏建設アスベスト訴訟(横浜第1陣事件)控訴審で、東京高裁が国とメーカーの責任を認める判決を言い渡した。5年前の原告全面敗訴判決を逆転したもの。

「あやまれ!つぐなえ!なくせ!アスベスト被害」というスローガンの実現に、大きな前進である。提訴や控訴時の原告団弁護団の写真の中の、今は亡き山下登司夫弁護士の表情が心なし嬉しそうに見える。

アスベストは毒物である。遅効性だが極めて危険な発がん物質。これが、地域に飛散すれば公害となる。工場の生産過程で労働者に接触すれば労災・職業病となる。また、アスベストを素材とする製品が事業者から消費者に売り渡されれば、消費者問題となる。さらに、このような危険物が、国民の健康や生命を脅かすことのないよう、国は、メーカーや使用者や事業者を規制しなければならない。この国で、全ての人が安心して暮らしてゆけるように。

屋外での「建設アスベスト訴訟」に先行して、「工場労働者型(屋内型)」訴訟が大阪地裁に提起された。2006年5月のこと。いわゆる泉南アスベスト国家賠償訴訟である。健康被害又は死亡による損害賠償を求めたのは、泉南地域の石綿工場の元労働者や近隣住民及びその遺族。

キーワードは、「国の規制権限の不行使」。被害の発生が予想される事態においては、国は被害の予防のために規制権限の行使が義務づけられ、行使しなかったことが違法となって生じた損害を賠償しなければならない。まさしく、これに当たるというのが原告らの主張だった。

同様の訴訟は、じん肺訴訟弁護団が経験している。筑豊や北海道の炭坑で働いていた坑内労働者は、坑内の粉じん被曝によって高い確率でじん肺に罹患する。じん肺の症状認定を得た元労働者が企業に責任を追及しようとしても、中小炭坑は全てつぶれて責任追及先が存在しないという事情があった。誰が潰したか、エネルギー転換の名のもとに国が中小炭坑を潰した。では国に責任を取らせよう。こうして、じん肺国家賠償訴訟が始まった。そして元抗夫らは、みごとな勝訴を収めた。ここでも、キーワードは、「国の規制権限の不行使の違法」。

泉南アスベスト国家賠償訴訟も同じ構造だった。しかし、もちろん規制権限の具体的法的根拠の構造はちがう。泉南訴訟第一陣訴訟では、一審大阪地裁判決は原告勝訴となったが、控訴審は全面敗訴となった。ここからの頑張りで、上告審で逆転勝訴し、差し戻し審の大阪高裁で国の有責を前提する和解が成立し、後続訴訟での和解のルールが開けた。

そして、建設現場でアスベストによる健康被害を受けた元建設作業員と遺族約90人が、国と建材メーカー43社に総額約28億円の賠償を求めたのが、「建設アスベスト訴訟」(横浜地裁・第1陣訴訟)である。2012年の判決では、原告が国に対しても、メーカーに対しても敗訴となった。一昨日の東京高裁(永野厚郎裁判長)判決は、これを逆転したもの。もっとも、これまで国は、7事件で1勝6敗である。その1勝の逆転敗訴なのだ。

この事件での被告のうち、原告を雇用していた使用者は、(一人親方を除いて)労働者に対する安全配慮義務違反としての責任が認められた。アスベスト製材を販売していた建材メーカーには、75年の時点でアスベストの健康上の危険性を製品に警告表示する義務があったのにこれを怠った責任が認められた。そして、被告の国に関しては、「1980年までに事業主に対し、労働者に防じんマスクを着用させるよう罰則付きで義務付けなかった」ことを規制権限不行使の違法と認めた。

同種訴訟は、東京、横浜、大阪、京都、福岡、札幌の6地裁に7件の提起がされた。
法務省のホームページには判決の全体像を次のようにまとめている。

これまでの判決の結果は,以下のとおりです。
(1) 横浜地方裁判所(第1陣)平成24年5月25日判決(全部棄却・相手方控訴,東京高等裁判所に係属中)
(2) 東京地方裁判所平成24年12月5日判決(一部認容・双方控訴,東京高等裁判所に係属中)
(3) 福岡地方裁判所平成26年11月7日判決(一部認容・双方控訴,福岡高等裁判所に係属中)
(4) 大阪地方裁判所平成28年1月22日判決(一部認容・双方控訴,大阪高等裁判所に係属中)
(5) 京都地方裁判所平成28年1月29日判決(一部認容・双方控訴,大阪高等裁判所に係属中)
(6) 札幌地方裁判所平成29年2月14日判決(一部認容・双方控訴)

これに、次の判決が加わる
(7) 横浜地方裁判所(第2陣)平成29年10月判決(認容・双方控訴,東京高等裁判所に係属中)札幌地方裁判所平成29年2月14日判決(一部認容・双方控訴)

一昨日の判決が上記(1)についてのもの。地裁において唯一の原告全面敗訴となった判決が、控訴審第1号判決において逆転したのだ。この判決の意義は大きく、先例から見て、今後の全面和解解決に道を開いたものと考えられる。

なお、「国の規制権限不行使の違法」を根拠とする国家賠償訴訟は、数多く活用されている。国には東京電力に対し、適切な規制権限の行使を違法に怠った責任があるとするのが、原発国家賠償訴訟。そして、消費者被害の回復にも活用が試みられている。かつて、豊田商事事件について、その被害防止のために適切な規制権限を発動しなかった責任を問うて、豊田商事国家賠償訴訟が提起された。原告弁護団は国をよく追い詰めたと思うが、わずかにおよばず敗訴となった。

私は、豊田商事の被害が金銭だけであって、人命や健康ではなかったことが、勝敗を分けたものと思っている。

DHCの吉田嘉明は、3年前の週刊新潮誌上の手記で、「自社(DHC)に対する厚生労働行政が厳格に過ぎる」との不満を述べている。だが、行政に手心があってはならない。消費者に健康被害を及ぼすような事件があれば、行政も「規制権限不行使による怠慢の違法」を追求されることになる。そのようなことのないよう、規制行政は厳格に行われなければならない。消費者の健康や人命を守るために必要な規制の緩和など、けっしてあってはならない。
(2017年10月29日)

当協同組合の発展に祝意を、そして協同組合運動の発展に期待を。

開業医共済協同組合の第8回通常総代会に顧問弁護士としてご挨拶申しあげます。

当組合の業務も財務も、たいへん順調とのご報告で結構なことと存じます。自信あふれる理事長の開会の辞の中に、協同組合の理念に触れたところがあって、興味深く拝聴いたしました。

協同組合は相互扶助を目的とする自治的な組織です。その組織は平等な権利をもつ組合員による民主的な運営を原則とします。徹底した平等や民主的運営は、協同組合の本質だと思います。

私は、弁護士として長年消費者問題の分野に携わり、消費者運動にも関わってきました。その中で、消費者問題とは何か、消費者運動とは何を目指しているのかを考え続けてきました。

消費者問題とは、資本主義経済の矛盾の一側面にほかなりません。そこでは、事業者と消費者の利害が衝突しています。圧倒的な強者である事業者の横暴から弱者である消費者の利益を擁護することが消費者問題の普遍的テーマです。

事業者と消費者の対峙とは、実は、〈利潤追求の原理〉と〈生身の人間がよりよく生きたいという要求〉との対峙なのだと思います。事業者すなわち企業の利潤追求至上主義が生活者としての消費者の利益を損ねているところに、消費者問題の根源があります。

この世は資本主義社会です。市場原理によって人々は動いています。いや、市場原理が人々を支配していると言って差し支えないでしょう。市場における企業の利潤追求は、必ずしも消費者の利益を顧みません。利潤追求に適う限りでは消費者の利益を尊重しますが、それ以上のものではあり得ません。過度な消費者利益要求への妥協は企業間競争の敗北を招きかねないことにもなります。

社会の隅々にまで、市場原理が浸透している社会とは、人の欲望の全てが利潤のために商品化された社会です。形あるものだけでなく、全てのサービスも、労働力も…。もちろん保険業務も、資本が利潤追求の対象としています。

資本による利潤追求は合理的であり、その方法は洗練されています。しかしこの社会は、全てを資本による利潤追求に任せ、市場原理に席巻させてよいはずはありません。市場原理になじまない分野もあり、市場原理を排除すべき分野もあり、市場原理の修正を求めなければならない分野もあるのだと思うのです。

協同組合とは、資本主義社会の中での弱者が相互扶助原理をもって、利潤追求主義から自分たちの利益を防衛しようという試みにほかならないと思うのです。

消費者運動では、利潤追求主義が行き着くアンフェアな取引による商品や、ブラック企業の商品を意識的に排除することで、賢い消費行動を通じて、環境保護やコンプライアンス推進を実現する試みがなされています。その運動が大きくなって、企業の行動に影響を与えることが期待されます。

協同組合運動も、資本に対抗する拡がりをもってくれば、平等や民主的運営は、社会の普遍的価値として重みをもってくることになるでしょう。さらに、国際協同組合同盟(ICA)は、「協同組合は、自助、自己責任、民主主義、平等、公正、そして連帯の価値を基礎とする。」「協同組合の組合員は、誠実、公開、社会的責任、そして他人への配慮という倫理的価値を信条とする。」と定めているそうです。

利潤追求と市場原理万能の社会にあっても、生身の人間を尊重し経済的弱者の相互扶助の精神をより大切なものとしたいと思いますし、さらには経済合理性よりは、人々が快適に共同生活を送っていくための基本理念の実現を優先する社会を作りたいと思うのです。

当協同組合の運営が順調であることは、そのような意義をももっているものとして、祝意を表します。そしてこの順調がさらに継続しますよう、祈念申し上げます。
(2017年10月23日)

ロンドンの高層公営住宅の火災に思うーこの惨事は格差社会の落とし子だ

6月14日ロンドンの高層公営住宅の大規模火災。これが、格差社会がもたらした悲惨な事故として物議を醸している。

かつての英国は、「揺りかごから墓場まで」の福祉が充実した先進国とのイメージが強かった。しかし、サッチャリズムの禍々しい旋風以来、この国も弱者に冷たい新自由主義の社会になっているようだ。

「16日夕には、ロンドン各地で地元行政や政府に抗議するデモが行われた。火災が起きた公営住宅を所有する地元の区役所には数百人が詰めかけ、責任追及を求めて『メイ首相は退陣しろ』などとシュプレヒコールをあげた。」(朝日)という。

大火になった原因が耐火性の低い安価な外壁材の使用にあった、防火設備の不備の放置もあった。これが低所得者層が多く住む公営住宅の管理の不備と指弾されている。

「発火原因が4階の冷蔵庫の爆発」で、「大火になった原因が耐火性の低い安価な外壁材の使用」との指摘が、よく分かる。安全にはコストがかかる。金をけちれば惨事につながるのだ。

下記の一文をお読み願いたい。

「 冷凍庫に限らず、各種電気製品はみな火を噴く報告例をもっている。電気行火やファンヒーターはもちろん、テレビも、パソコンも、扇風機も、冷蔵庫も火を噴くのだ。コンセントも発火源となり、コードの被覆も燃える。もちろん、製品のすべてが発火するわけではない。しかし、小さい確率でも発火事故は確実に起こり続けている。
冷蔵庫や冷凍庫の発火は、サーモスタットの小さな火花が製品内の可燃物に引火することで起こる。実は冷凍庫の断熱材ウレタンフォームが可燃物なのだ。石油でできており、庫内に石油を敷き詰めているのと変わらないという。その密閉が破綻して酸素と触れあう状態となれば発火の条件が調うことになる。安価ではあるが、危険なのだ。」

これは、ロゴス社の季刊誌『Fraternity フラタニティ』No.3 2016年8月1日号に、「私がかかわった裁判闘争・第3回」「『冷凍庫が火を噴いた』訴訟ー消費者事件の持つ意味」として、私が寄稿した記事の一部である。できれば、「フラタニティ」をご購読いただけたらありがたい。
http://logos-ui.org/fraternity.html

家人の留守の間に冷凍庫が火を噴いた。これが火元となって店舗兼居宅が全焼した。目撃者はない。1991年7月、福島県いわき市でのことである。被害者が、その被害の損害賠償を冷凍庫製造元の三洋電気に請求したというのが問題の事件の概要。この訴訟、正式には「三洋電機冷凍庫発火事故製造物責任訴訟」と呼称していた。製造物責任法(PL法)制定運動が訴訟を支援し、法運用の象徴的な事件として知られた事件。消費者運動対企業の天下分け目の大事件と注目された訴訟だった。

弁護士実務に消費者事件・消費者訴訟というジャンルがあり、弁護士会内に消費者弁護士・消費者族という一群がある。イメージは、「族議員」とさして変わらない。私は、長く消費者問題に取り組んできた消費者弁護士である。

消費者問題とはなにか。一言で言えば、商品流通の末端における消費者と事業者の矛盾である。資本主義社会では、すべての人の生活を支える消費財は、利潤獲得を目標とする商品となっている。人の生活は、企業がつくった商品や、企業が提供するサービスに依存して営まれている。最大限利潤を求める企業と、生身の生活者との利害の葛藤が不可避となる。これも、資本主義の矛盾のあらわれかたの一面。

実際、労働問題と消費者問題、労働事件と消費者事件とは似た面が多々ある。いずれも一方は営利を目的とする企業である。これに対峙する労働者も消費者も個人としてはまことに弱い存在で、保護が不可欠である。そして、労働運動や消費者運動を通じて、個別の利益を超えた権利の拡大が必要なことも共通している。

消費者事件においては、強い立場の企業(事業者)と、弱い立場の消費者の対峙がある。とりわけ、提供される商品やサービスが高度化し、消費者の側に事実上商品選択の能力が失われると、原理的に「賢い消費者像」を期待し得なくなる。「消費者よ、注意せよ」のスローガンは意味を失い、もっぱら「業者注意」を強調しなければならなくなる。

事業者と消費者との大きな力量格差を、どうすれば民事訴訟実に的確に反映させて実質的平等を実現することができるか。これが、消費者事件に取り組む、消費者弁護士の問題意識である。その典型が、PL訴訟にあらわれる。

安全であるはずの食品やサプリメントで中毒事故を起こした。薬品の副作用で半身不随となった。テレビが火を噴いて子どもが火傷した。自動車のブレーキが効かず人身事故を起こした。走行中自転車の車輪がはずれて路上に投げ出された。化粧品で顔が真っ黒になった。赤ちゃんがベビーベッドの隙間に挟まれて大けがをした。草刈り機の刃こぼれが飛んできて失明した。ハシゴが折れて転倒し骨折した。シロアリ駆除剤で人間がまいってしまった……。身近な「製品事故」は、枚挙にいとまがない。深刻な被害も少なくない。しかし、伝統的な損害賠償法制では、被害を受けた消費者は加害企業の過失を立証しなければ損害賠償を受けられない。この過失の立証が消費者に大きな壁となって立ちはだかっていた。

企業の利益に優越して生活の安全を重視する社会の要求が、製品に起因する事故で損害が生じた場合には、企業に無過失でも賠償の責任があってしかるべきだという法原則転換の要求となる。これが不法行為責任一般とは区別された意味での「製造物責任」である。

消費者の声が産業界の反対を押し切る形で、ようやく1995年7月1日の製造物責任法(通称PL法)施行にこぎ着けた。この日以後に出荷された商品については、PL訴訟に過失の立証は不要となった。商品に事故の原因となった「欠陥」さえあれば、メーカーは無過失でも責任を負う。「欠陥」とは「商品が通常有すべき安全性を欠いていること」と条文に定義されている。つまり、消費者がふつうの使い方をしていて事故が起これば、その商品には欠陥があったことになり、製造業者に被害の賠償責任が生じるのだ。

さて、可燃性断熱材の使用が悲劇の原因となったロンドン公営住宅の大規模火災。被害の把握の視点に、PL訴訟との共通点を見ることができる。その理念は、弱者の保護である。

PL事故被害の消費者と、住宅の安全性欠如によって被害を被った居住者と。いずれも、この資本主義社会が構造的に生みだした事故の犠牲者として保護されなければならない。日本国憲法の条文を引けば、憲法25条(生存権の保障)であり、13条(個人の尊厳の確保)であろう。

現代憲法は、国民に国家からの自由を保障しただけでなく、国家に対して国民への福祉政策の実現を命じている。PL法による製品の安全も、住環境の安全も、日本国憲法はその実現を目指すべく命じている。資本主義経済原則が国民にもたらす災厄を防止し救済する福祉政策の実現こそが憲法の生存権規定の目指すところ。

可燃性の断熱材がもたらす火災は、あるときはPL事故として、またあるときは建築被害として、憲法の命じる生存権保障ないしは福祉政策の理念から、救済対象とされ防止対策が施されなければならない。
(2017年6月17日)

DHCにもアパホテルにも不買運動こそが有効な対応だ-「DHCスラップ訴訟」を許さない・第95弾

昨日(1月18日)の当ブログの結論部分を再掲しよう。
消費者のDHC商品の購入が、DHCを太らせ、デマとヘイトの番組作りの資金となる。そこで、消費者諸君に呼びかけたい。とりわけDHCの顧客層に。
「あなたがDHC商品を一つ買えば、デマとヘイトの番組作りを後押しして、日本の民主主義を一歩後退させることになる。反対に、あなたがDHC商品の購入を控えれば、デマとヘイトの番組作りは一歩後退し、日本の民主主義を一歩前進させることになる。」
DHC商品不買の運動は、デマとヘイトを抑制する民主主義運動なのだ。

この理は、当然のことながらDHCを標的とするものに限らない。また、「スラップ」「デマ」「ヘイト」問題にも限らない。民主主義社会での国民が、投票行動によらず消費者としての市場の選択権を行使して日々なし得る民主主義運動として、幅広いテーマでの有効性をもつ。このようにして、消費者が政治や社会を動かし得る側面に注目して、消費者主権という概念が生まれている。

消費者主権の担い手である自覚的な消費者は、ダボハゼの如く安い商品に飛びついてはならない。いかがわしい商品宣伝に踊らされてはならない。日々購入する商品が安全なものであるか、環境問題に配慮した商品であるか、フェアトレードを遵守したものであるかを吟味しなければならない。その選択が、商品の安全性だけでなく、環境問題、途上国の少年労働の問題にまで、影響を及ぼすのだ。

ブラック企業として名の出た企業の製品は買わない。そのような企業が経営する店には行かない。そのような振る舞いが、ブラックのままでは経営の継続ができないという教訓を社会に行き渡らせ、自身の労働条件の向上に資することにもなるのだ。さらには、ヘイトやデマを宣伝し、裏金で政治を操ろうとする経営者や企業の反憲法的行動に歯止めを掛けることも可能となる。スラップも同様だ。スラップ常連の企業の商品のボイコットが、この社会の言論の萎縮を回避することになるのだ。

DHCによく似た企業のよく似た経営者が、俄然話題となっている。アパホテルの歴史修正主義書籍問題だ。

「『アパホテルの全客室に、南京大虐殺を否定する内容を含む書籍が置かれている。中国人はこの事実を知った上で宿泊するかどうか決めるべき』と伝える動画が中国のSNS『微博』に投稿され、中国で大きな話題となっている。これについて、アパホテル親会社のアパグループが1月17日見解を発表した」と報じられている。

問題になった書籍は、アパグループ代表者の著書「本当の日本の歴史 理論近現代史 II」というもの。アパグループのホテルの各客室に置かれており、「南京虐殺事件が中国側のでっちあげであり、存在しなかったことは明らかである」などの主張が盛り込まれている、という。

この書籍を読んで「ショックを受けた」として、問題提起した米国人大学生の言が行き届いている。
彼(アパグループの元谷代表)には自分の本をホテルに置いたり言いたいことを言う権利はあるが、彼の政治的思想を知らない中国人客からお金を取っているのは不誠実」「彼の思想を知った上で宿泊するかどうか決めるべき」というのだ。まったくそのとおりだ。

この本の内容はお粗末極まる。「いわゆる定説と言われるものに囚われず、著者が数多くの資料等を解析し、理論的に導き出した見解に基づいて書かれたものです」というものなのだが、「定説と言われるものに囚われず」とは、定説の根拠を徹底的に分析し検証しようということではない。定説の根拠は一切無視して、結論ありきで素人見解の自説を述べるのだ、と言っているに過ぎない。

興味深いのは、「元谷は、『異なる立場の方から批判されたことをもって書籍を客室から撤去することは考えていない。日本には言論の自由が保証されており、一方的な圧力によって主張を撤回するようなことは許されてはならない』と、今後も書籍を客室に起き続けると表明した。」と報道されていること。

そのとおりだ。日本には言論の自由が保障されている。だから、このようなお粗末で劣悪な言論と言えども、公権力が取り締まることはできない。歴史修正主義者も、日本国憲法による基本権擁護の恩恵に与っているのだ。

かの動画投稿の大学生は、ネットでこう語っているという。
ここに泊まれば、彼の懐にお金が入る。事実を知って泊まるかどうか決めてほしい
これこそ、消費者主権行使の呼びかけなのだ。

「この動画は18日夕までの3日間で9500万回以上再生され、中国メディアは『右翼ホテル』などと一斉に報道。ネット上では『会員カードを切り刻み、友人に泊まるなと伝えた』『日本旅行はよいが、このホテルには泊まらないで』などの書き込みが続く(朝日)」。

アパホテルは、歴史修正主義宣伝とセットでの宿泊を勧誘している。その行為は自由だ。しかし、顧客の拒否の選択ももとより自由である。かの動画投稿の大学生は、多くの消費者に「正確な選択の前提条件」を提供したのだ。典型的な歴史修正主義言説としての「南京事件はなった」「中国のでっちあげだ」という言論を不快に思う人は、アパホテルに泊まってはならない。

資本主義というものは、それなりの合理性をもった制度である。DHCやアパホテルなどの非合理で憲法理念に反する企業に対しては、消費者主権を有効に働かせなければならない。まずは、その商品の不買運動が有効な第一歩である。
(2017年1月19日)
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     「DHCスラップ」勝利報告集会にご参加を
弁護士 澤藤統一郎
私自身が訴えられ、6000万円を請求された「DHCスラップ訴訟」。
その勝訴確定報告集会のお知らせです。
この問題と勝訴の意義を確認するとともに、攻守ところを変えた反撃訴訟の出発点ともいたします。ぜひ、集会にご参加ください。

日程と場所は以下のとおりです。
☆時 2017年1月28日(土)午後(1時30分~4時)
☆所 日比谷公園内の「千代田区立日比谷図書文化館」4階
 「スタジオプラス小ホール」
☆進行
弁護団長挨拶
田島泰彦先生記念講演(「言論の自由」の今日的意義)
常任弁護団員からの解説
テーマは、
「名誉毀損訴訟の構造」
「サプリメントの消費者問題」
「反撃訴訟の内容」
☆会場発言(スラップ被害経験者+支援者)
☆澤藤挨拶
・資料集を配布いたします。反撃訴訟の訴状案も用意いたします。
・資料代500円をお願いいたします。
言論の自由の大切さと思われる皆さまに、集会へのご参加と、ご発言をお願いいたします。

       「DHCスラップ訴訟」とは
私は、ブログ「澤藤統一郎の憲法日記」を毎日連載しています。既に、連続1400日になろうとしています。
そのブログに、DHC・吉田嘉明を批判する記事を3本載せました。「カネで政治を操ろうとした」ことに対する政治的批判の記事です。
DHC・吉田はこれを「名誉毀損」として、私を被告とする2000万円の損害賠償請求訴訟を提起しました。2014年4月のことです。
私は、この提訴をスラップ訴訟として違法だとブログに掲載しました。「DHCスラップ訴訟を許さない」とするテーマでの掲載は既に、90回を超します。そうしたら、私に対する損害賠償請求額が6000万円に跳ね上がりました。
この訴訟は、いったい何だったのでしょうか。その提訴と応訴が応訴が持つ意味は、次のように整理できると思います。
1 言論の自由に対する攻撃とその反撃であった。
2 とりわけ政治的言論(攻撃されたものは「政治とカネ」に関わる政治的言論)の自由をめぐる攻防であった。
3 またすぐれて消費者問題であった。(攻撃されたものは「消費者利益を目的とする行政規制」)
4 さらに、民事訴訟の訴権濫用の問題であった。

私は、言論萎縮を狙ったスラップ訴訟の悪辣さ、その害悪を身をもって体験しました。「これは自分一人の問題ではない」「自分が萎縮すれば、多くの人の言論の自由が損なわれることになる」「不当な攻撃とは闘わなければならない」「闘いを放棄すれば、DHC・吉田の思う壺ではないか」「私は弁護士だ。自分の権利も擁護できないで、依頼者の人権を守ることはできない」。そう思い、自分を励ましながらの応訴でした。
スラップ常習者と言って差し支えないDHC・吉田には、反撃訴訟が必要だと思います。引き続いてのご支援をお願いいたします。

「消費者主権」の視点からスラップ訴訟対策を考える -「DHCスラップ訴訟」を許さない・第74弾

1月28日、DHCスラップ訴訟控訴審判決言い渡しの日の夕方、「バナナの逆襲」を作製したスウェーデン人の映画監督フレデリック・ゲルテンさんとお話しする機会があった。

その中で印象的だったのは、世界的大企業Dole社から仕掛けられた「スラップ訴訟」との闘いにおいて、「最も効果のあった闘い方は、スウェーデンでの不買運動方針の提起だった」ということ。映画の中でも描かれているが、まず消費者が声を上げる。「スーパーはDole社の商品を扱うな」と申し入れをする。理由を聞いたスーパーの経営者が、これに賛同してドール・バナナの入荷を拒否する。初めは小さかったその動きが、広がりそうな勢いとなったところで、ドールフード社が折れるのだ。なるほど、さもありなんと思う。

私は、長く消費者問題に取り組んできた。消費者運動では、単なる「消費者の権利」を超えた「消費者主権」が語られてきた。多義的に用いられる「消費者主権」だが、私は「市場での消費者の自覚的な選択を通じて消費者がよりよい社会を作っていく運動」(あるいはその力量)ととらえている。

具体的な消費者被害を通じて見えてくる現実の消費者像は市場の主権者という理想像とはほど遠い。広告に操られて怪しげなサプリメントを購入する思慮のない消費者であり、少しでも安価なものであれば安全に目をつぶっても飛びつく無自覚な消費者であり、必ず儲かるからという甘言に欺されて涙を流す金融商品購入者である。生産や流通を牛耳る事業者との対等な関係を築けていない。

それでも、消費者運動は着実に前進を見せている。理念としての消費者主権の確立を、運動の目標として高く掲げ続けている。消費者を営利の操作対象の地位から脱却させ、あるべき社会の能動的な形成者とする目標である。企業が社会を圧している現状において、市民が賢明な商品選択を通じて企業をどうコントロールするかという問題意識をもったときに、はじめて主権者としての消費者の力が現実化する。

その正反対の議論が、企業側から出て来る「対企業コントロール拒否論」である。「企業活動にもっと自由を」「労働市場も生産も流通も販売も、すべてを見えざる神の手に任せよ」「限りない規制緩和を」「規制をなくせ」という野放図なDHC・吉田嘉明流の規制緩和論である。その実現のために巨額の裏金の授受さえ行われている。

企業が提供する商品やサービスに関して、消費者が選択する基準が価格や外見だけであってはならない。広告・宣伝に踊らされてはならない。消費者には、「社会的な公正」や、「環境に配慮し自然と社会の健全な持続性」までを視野に入れた自覚的な消費行動が求められる。

ブラック企業や、アンフェアトレード企業の製品は安価かも知れない。しかし、そのような企業の跋扈は、社会的公正を害する。社会的不公正の放置は、消費者自身に手痛いしっぺ返しをもたらす。

市場における消費者の選択においては、よりよい社会を目指すための諸要素が重視されてしかるべきだ。軍需産業と結びついた企業の製品は買わない。差別や規制緩和推進を広言するような企業の商品はボイコットする。フェアトレードや原発反対を表明する企業の商品を積極的に選択する。そのなかに、スラップを提起して表現の自由を攻撃する企業を市場を通じて排除することも含まれて当然だ。

「バナナの逆襲」を観れば、産地に農薬禍をもたらしたDole社の商品はけっして買うまいと思う。アンフェアなトレードで知られるユニクロもそうだ。ブラックとして名高いワタミも同じ。せっかくの電力自由化だ。原発事故を起こした東電をボイコットして、他社に乗り換えよう。そして、スラップ訴訟の常連DHCにも同様の制裁を。

先日、姪の一人が「私、DHCはもうやめた。絶対に買わない」と言ってくれた。これは、正しい価値ある選択と言ってよい。「DHCの製品は買わない」ことの意味は、消費行動を通じての、表現の自由への攻撃を許さないという意思表示であり、規制緩和推進という消費者利益侵害への抗議でもあり、政治とカネの汚い癒着を徹底して糾弾するという宣言でもあるのだから。

この一人の選択は、第一歩として影響は小さいながらも正しい「一票」だ。選挙権の行使は投票日だけのものだが、消費者主権の行使は、日常の消費行動を通して、日々正義を実践することにほかならない。正しい「一票」は、積み上がった力となりうる。そのようにして、スラップ訴訟を仕掛けるようなダーティーな企業には、消費者主権が懲罰を与える。その経済的な打撃によって、表現の自由を擁護し、司法の健全化も実現する。

「バナナの逆襲」を観て、対DHC不買運動の提起も有効な選択肢たりうると思っている。現実の有効な手段とするためにどうすべきか。今後、大いに議論したい。
(2016年2月24日)

『消費者法ニュース』「スラップ訴訟(恫喝訴訟・いやがらせ訴訟)特集号」本日発売 -「DHCスラップ訴訟」を許さない・第70弾

多くの方から、一昨日(1月28日)の「DHCスラップ訴訟控訴審勝訴判決」に、祝意のご挨拶をいただいた。あらためて御礼を申し上げます。

ほとんどの方が、「当然の勝訴とは思いますが、よかったですね」「当たり前の判決ですが、おめでとう」というもの。そして、「DHCや吉田嘉明は、こんなスラップを提起した責任をどうとるつもりなのでしょうか」というご意見も。

なかに、「判決主文には訴訟費用はDHC・吉田の負担とされている。具体的には、どのくらいの金額を支払わせることが出来るのか」というありがたい問合せもあった。残念ながら、これはDHC・吉田が訴状と控訴状に貼った印紙の代金について、「澤藤からはとれません」というだけのもの。私(澤藤)には1円もはいってこないのだ。これが、スラップのスラップたる所以。スラップの標的とされたものが、その訴訟に勝訴しただけではなんの見返りもない。弁護士費用も、応訴の時間消費も、その間の減収の補償もない。そこが、スラップを起こす者の付け目でもある。

もっとも、「こんなことをする、DHCの製品は決して購入しません」という声もあった。これは嬉しいことだし、本質を衝いた問題提起でもあると思う。

弁護士は別として、DHC・吉田の私に対する訴訟によって、「スラップ」「スラップ訴訟」という言葉を初めて知ったという方が、ほとんどのようだ。「スラップ」の陰湿でダーティーなイメージと、こんな提訴をする企業や経営者への社会的評価の低下は避けがたい。大きな規模でDHCの化粧品やサプリメントの商品イメージの低下にまでつながれば、再度のスラップの抑止効果を期待出来るところ。

「スラップに成功体験をさせてはならない」だけではなく、スラップ提起者への法的、社会的な制裁が必要である。そのために、まずは「スラップ」「スラップ訴訟」の実態と、社会的被害を世に知らしめなければならない。

そのような試みは、着実に始まっている。たとえば、本日発売の『消費者法ニュース』が「スラップ訴訟(恫喝訴訟・いやがらせ訴訟)」の特集を組んでいる。

『消費者法ニュース』は季刊誌である。消費者問題に携わる研究者・弁護士・司法書士・消費生活相談員・消費生活コンサルタント・市民活動家・消費者被害者らが寄稿して支えている。

2015年10月発行の前号(105号)の概要をご覧いただけば、その充実振りがご理解いただけよう。
特集1:不招請勧誘規制(Do Not Call制度、Do Not Knock制度)
特集2:公益通報者保護法の改正
シリーズ1:消費者庁・消費者委員会・国民生活センター・地方消費者行政、以下15の各テーマについてのシリーズが連載されている。続いて、学者の目、相談員の目、Q&A、判例・和解速報、国民生活センター情報、政府・政党・国会議員の声、消費者運動の歴史、判決全文紹介…とならぶ。

さて、本日(1月30日)発売の106号は、スラップ訴訟について30頁を超す盛りだくさんの特集。下記9本の論稿が並んでいる。もちろん、私も執筆者のひとり。

1 「スラップ概論」 弁護士(福岡)青木歳男
2 「伊那太陽光発電スラップ訴訟」 弁護士(長野)木嶋日出夫
3 「スラップに成功体験をさせてはならない─DHCスラップ訴訟の当事者として─」 弁護士(東京)澤藤統一郎
4 「ホームオブハート事件─ 消費者被害者に対する加害者側によるSLAPP事例─」MASAYA・MARTHこと倉渕グループ問題を考える会代表・山本ゆかり
5 「第一商品株式会社からの不当訴訟について」 弁護士(東京)荒井哲朗
6 「スラップ訴訟と名誉毀損の法理について」 弁護士(東京)飯田正剛
7 「カルト問題とスラップ」 やや日刊カルト新聞主筆・鈴木エイト
8 「スラップとメディア」 フリージャーナリスト・藤倉善郎
9 「アメリカにおける『戦略に基づく公的参加封じ込め訴訟』(SLAPP)」 創価大学法科大学院教授・藤田尚則

スラップに深く関心を持っている、当事者・弁護士・ジャーナリスト、そして研究者の深刻な問題提起と貴重な提言が持ち寄られている。消費者問題の切り口を主とする特集で、必ずしもスラップ全体をカバーするものではないが、これからスラップを語る出発点としての貴重な基本文献となっている。ようやくにして、スラップは人々の口の端に上るようになり、スラップの提起は唾棄すべき愚行であるとの社会通念が着実に形成されつつあると実感する。

スラップはさまざまに定義されているが、私は、「強者の側からの民事訴訟の濫訴を手段とした、表現の自由や市民活動の自由に対する侵害の試み」と考えている。弁護士費用・訴訟費用の負担を厭わない公権力や経済的強者の側の武器として、極めて有効なのだ。表現の自由・市民活動の自由に、重大な脅威をもたらし、我が国の民主主義を変容させかねない。

司法本来の主たる役割は、法がなければ守られない社会的弱者の権利救済にある。しかし、スラップは、その正反対の望ましからぬ役割に利用された提訴である。しかも、強者が弱者を提訴するそのことだけで、大半の目的を達する。被告とされた本人だけではなく、被告以外の多くの者、つまりは社会に対する表現や行動の萎縮効果をもたらすからである。スラップを默過し放置することは、司法の悪用を認めることにほかならない。

巻頭論文となった、青木歳男「スラップ概論」の中に「便利でお得なスラップ」という一節がある。これが、「スラップの社会学」であり、「スラップの費用対効果」である。だから、スラップがはびこり、スラップが根絶されないのだ。

(1)組織力と財力に優れた大規模な組織から訴訟を提起されるという事態は、一個人からすれば経済的・心理的に大きな負担であり、確実に被告への過大な負担を与えることが可能となる。
(2)被告の周囲の者に対しても、提訴の可能性を示唆することができ、被告への協力を躊躇させることができ、反対運動のような場合であれば反対運動自体を抑制することが出来る。
(3)加えて、他の言論機関に対しても名誉毀損訴訟の可能性を示唆することができ、メディア全般への牽制にもなる。
(4)スラップを防ぐ手立てがなく、一度被告とされると、原告が納得するまで訴訟に付き合わなければならない(米国の反スラップ法では予備審にて却下という救済制度があることと対照的である)。
(5)提訴は合法な行為であり、表面上それ自体非難されるものでない。反訴により違法性を認定されなければ不当性を指摘されることは少ない。
(6)特に名誉毀損訴訟での提訴の場合、日本の判断基準は曖昧であるから、不当であるかどうか名誉毀損が成立するかどうか(考え方としては名誉毀損が成立してもスラップと考える場合もあるが)ハッキリしないので、不当だと批判されにくい。
(7)多くの被告は訴訟の長期化を避けるため(負担が増えるため)反訴提起は起こりにくいし、反訴において不当訴訟として認定されるための要件は大変厳格である。
(8)スラップを提起したことが広く社会に知られた場合、原告が社会的非難を受ける危険性はあるが、スラップが報道される例は多くない。
(9)原告は、社会的評価を低下させる表現を見つけて訴訟を弁護士に委任すればよく、その費用は大規模組織のメディア対策費とすれば極めて低廉である。不当訴訟と認容を受けても賠償額は弁護士1名分程度の費用が上積みされたに過ぎない(幸福の科学事件判決の認容額は100万円、武富士事件の認容額は120万円、伊那太陽光発電スラップ訴訟は50万円)。
(10)現実に言論の萎縮が生じており、大変効果的な手段であると考えられる。

オウム真理教は江川昭子さんを訴え、幸福の科学は山口廣さんを訴え、DHC・吉田は係争中の労組員や私を含む批判者多数を訴えた。提訴側は、スラップに敗訴したところで何の失うものもない。負けてもともと、やり得なのだ。負けても得るものがある。スラップ常連者は、自らを厄介な存在と社会に認識させることで、自らに対する社会からの批判の言論をブロックできるのだ。

スラップ提起によるイメージの悪化が、客離れや自然発生的なボイコットあるいは不買運動などによって、スラップ提起者に経済的な打撃が生じる状況が生じれば、抑止的な効果を期待することが出来る。しかし、そのことは常に期待できることではないし、スラップの主体が、顧客を抱えているとも限らない。何らかの法的あるいは制度的な制裁の仕組みが必要である。

この点については、カリフォルニア州の「反スラップ法」が典型として参考になる。「消費者法ニュース」の藤田尚則論文は、大要次のように紹介している。

「同法は、SLAPPの標的(被告)を訴訟から早期に解放するための手続を定め、『裁判所が、原告は請求において勝訴する蓋然性があることを立証したものと決定しない限り、特別の削除申立てに服さなければならない。』と規定し、特別の削除申立ては『原告の訴状の送達から60日以内に提起することができるものとし、又は裁判所の裁量で当該裁判所が適切と決定するその後の適切な時期に提起することができるものとする。申立ては、裁判所書記官によって申立ての送達後30日以内に裁判所の未決訴訟事件表の状況が後の審尋を要求しない限り審尋に付されるよう訴訟日程表に登載されなければならない。』と規定している。更に同法は、ディスカバリー(日本法にはない証拠開示手続)による負担から被告を保護するため、訴訟における全てのディスカバリー手続は…申立ての通知の提出まで停止される。…そのうえ被告の経済的負担軽減のために『特別の削除申立てに勝訴した被告は、彼又は彼女の弁護士費用及び訴訟費用を回収する権利を付与される。』と規定している。」

さらに、「ワシントン州反SLAPP法」がスラップ被害者の救済を強化したものとして、次のように紹介されている。

「原告が明白且つ確信を抱かせるに足る証拠に基づいて申立てに成功し得る蓋然性を立証できなかった場合、裁判所は『訴訟費用及び相当の弁護士費用を含まない10,000ドル』の支払いを原告に命じ、『裁判所が応答当事者〔原告〕の行為及び同様の立場に置かれた他者によるそれに匹敵した行為の反復を抑止するに必要と決定した、応答当事者及び当該当事者の弁護士又は法律事務所に対する制裁を含む付加的救済』を命ずると規定している」

このような立法例を参考にして、我が国の「反スラップ法」「民事訴訟におけるスラップ抑制制度」を創設したいものと思う。

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(2016年1月30日)

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