澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

行政の規制権限不行使は違法。規制緩和などもってのほか。

一昨日(10月27日)、首都圏建設アスベスト訴訟(横浜第1陣事件)控訴審で、東京高裁が国とメーカーの責任を認める判決を言い渡した。5年前の原告全面敗訴判決を逆転したもの。

「あやまれ!つぐなえ!なくせ!アスベスト被害」というスローガンの実現に、大きな前進である。提訴や控訴時の原告団弁護団の写真の中の、今は亡き山下登司夫弁護士の表情が心なし嬉しそうに見える。

アスベストは毒物である。遅効性だが極めて危険な発がん物質。これが、地域に飛散すれば公害となる。工場の生産過程で労働者に接触すれば労災・職業病となる。また、アスベストを素材とする製品が事業者から消費者に売り渡されれば、消費者問題となる。さらに、このような危険物が、国民の健康や生命を脅かすことのないよう、国は、メーカーや使用者や事業者を規制しなければならない。この国で、全ての人が安心して暮らしてゆけるように。

屋外での「建設アスベスト訴訟」に先行して、「工場労働者型(屋内型)」訴訟が大阪地裁に提起された。2006年5月のこと。いわゆる泉南アスベスト国家賠償訴訟である。健康被害又は死亡による損害賠償を求めたのは、泉南地域の石綿工場の元労働者や近隣住民及びその遺族。

キーワードは、「国の規制権限の不行使」。被害の発生が予想される事態においては、国は被害の予防のために規制権限の行使が義務づけられ、行使しなかったことが違法となって生じた損害を賠償しなければならない。まさしく、これに当たるというのが原告らの主張だった。

同様の訴訟は、じん肺訴訟弁護団が経験している。筑豊や北海道の炭坑で働いていた坑内労働者は、坑内の粉じん被曝によって高い確率でじん肺に罹患する。じん肺の症状認定を得た元労働者が企業に責任を追及しようとしても、中小炭坑は全てつぶれて責任追及先が存在しないという事情があった。誰が潰したか、エネルギー転換の名のもとに国が中小炭坑を潰した。では国に責任を取らせよう。こうして、じん肺国家賠償訴訟が始まった。そして元抗夫らは、みごとな勝訴を収めた。ここでも、キーワードは、「国の規制権限の不行使の違法」。

泉南アスベスト国家賠償訴訟も同じ構造だった。しかし、もちろん規制権限の具体的法的根拠の構造はちがう。泉南訴訟第一陣訴訟では、一審大阪地裁判決は原告勝訴となったが、控訴審は全面敗訴となった。ここからの頑張りで、上告審で逆転勝訴し、差し戻し審の大阪高裁で国の有責を前提する和解が成立し、後続訴訟での和解のルールが開けた。

そして、建設現場でアスベストによる健康被害を受けた元建設作業員と遺族約90人が、国と建材メーカー43社に総額約28億円の賠償を求めたのが、「建設アスベスト訴訟」(横浜地裁・第1陣訴訟)である。2012年の判決では、原告が国に対しても、メーカーに対しても敗訴となった。一昨日の東京高裁(永野厚郎裁判長)判決は、これを逆転したもの。もっとも、これまで国は、7事件で1勝6敗である。その1勝の逆転敗訴なのだ。

この事件での被告のうち、原告を雇用していた使用者は、(一人親方を除いて)労働者に対する安全配慮義務違反としての責任が認められた。アスベスト製材を販売していた建材メーカーには、75年の時点でアスベストの健康上の危険性を製品に警告表示する義務があったのにこれを怠った責任が認められた。そして、被告の国に関しては、「1980年までに事業主に対し、労働者に防じんマスクを着用させるよう罰則付きで義務付けなかった」ことを規制権限不行使の違法と認めた。

同種訴訟は、東京、横浜、大阪、京都、福岡、札幌の6地裁に7件の提起がされた。
法務省のホームページには判決の全体像を次のようにまとめている。

これまでの判決の結果は,以下のとおりです。
(1) 横浜地方裁判所(第1陣)平成24年5月25日判決(全部棄却・相手方控訴,東京高等裁判所に係属中)
(2) 東京地方裁判所平成24年12月5日判決(一部認容・双方控訴,東京高等裁判所に係属中)
(3) 福岡地方裁判所平成26年11月7日判決(一部認容・双方控訴,福岡高等裁判所に係属中)
(4) 大阪地方裁判所平成28年1月22日判決(一部認容・双方控訴,大阪高等裁判所に係属中)
(5) 京都地方裁判所平成28年1月29日判決(一部認容・双方控訴,大阪高等裁判所に係属中)
(6) 札幌地方裁判所平成29年2月14日判決(一部認容・双方控訴)

これに、次の判決が加わる
(7) 横浜地方裁判所(第2陣)平成29年10月判決(認容・双方控訴,東京高等裁判所に係属中)札幌地方裁判所平成29年2月14日判決(一部認容・双方控訴)

一昨日の判決が上記(1)についてのもの。地裁において唯一の原告全面敗訴となった判決が、控訴審第1号判決において逆転したのだ。この判決の意義は大きく、先例から見て、今後の全面和解解決に道を開いたものと考えられる。

なお、「国の規制権限不行使の違法」を根拠とする国家賠償訴訟は、数多く活用されている。国には東京電力に対し、適切な規制権限の行使を違法に怠った責任があるとするのが、原発国家賠償訴訟。そして、消費者被害の回復にも活用が試みられている。かつて、豊田商事事件について、その被害防止のために適切な規制権限を発動しなかった責任を問うて、豊田商事国家賠償訴訟が提起された。原告弁護団は国をよく追い詰めたと思うが、わずかにおよばず敗訴となった。

私は、豊田商事の被害が金銭だけであって、人命や健康ではなかったことが、勝敗を分けたものと思っている。

DHCの吉田嘉明は、3年前の週刊新潮誌上の手記で、「自社(DHC)に対する厚生労働行政が厳格に過ぎる」との不満を述べている。だが、行政に手心があってはならない。消費者に健康被害を及ぼすような事件があれば、行政も「規制権限不行使による怠慢の違法」を追求されることになる。そのようなことのないよう、規制行政は厳格に行われなければならない。消費者の健康や人命を守るために必要な規制の緩和など、けっしてあってはならない。
(2017年10月29日)

当協同組合の発展に祝意を、そして協同組合運動の発展に期待を。

開業医共済協同組合の第8回通常総代会に顧問弁護士としてご挨拶申しあげます。

当組合の業務も財務も、たいへん順調とのご報告で結構なことと存じます。自信あふれる理事長の開会の辞の中に、協同組合の理念に触れたところがあって、興味深く拝聴いたしました。

協同組合は相互扶助を目的とする自治的な組織です。その組織は平等な権利をもつ組合員による民主的な運営を原則とします。徹底した平等や民主的運営は、協同組合の本質だと思います。

私は、弁護士として長年消費者問題の分野に携わり、消費者運動にも関わってきました。その中で、消費者問題とは何か、消費者運動とは何を目指しているのかを考え続けてきました。

消費者問題とは、資本主義経済の矛盾の一側面にほかなりません。そこでは、事業者と消費者の利害が衝突しています。圧倒的な強者である事業者の横暴から弱者である消費者の利益を擁護することが消費者問題の普遍的テーマです。

事業者と消費者の対峙とは、実は、〈利潤追求の原理〉と〈生身の人間がよりよく生きたいという要求〉との対峙なのだと思います。事業者すなわち企業の利潤追求至上主義が生活者としての消費者の利益を損ねているところに、消費者問題の根源があります。

この世は資本主義社会です。市場原理によって人々は動いています。いや、市場原理が人々を支配していると言って差し支えないでしょう。市場における企業の利潤追求は、必ずしも消費者の利益を顧みません。利潤追求に適う限りでは消費者の利益を尊重しますが、それ以上のものではあり得ません。過度な消費者利益要求への妥協は企業間競争の敗北を招きかねないことにもなります。

社会の隅々にまで、市場原理が浸透している社会とは、人の欲望の全てが利潤のために商品化された社会です。形あるものだけでなく、全てのサービスも、労働力も…。もちろん保険業務も、資本が利潤追求の対象としています。

資本による利潤追求は合理的であり、その方法は洗練されています。しかしこの社会は、全てを資本による利潤追求に任せ、市場原理に席巻させてよいはずはありません。市場原理になじまない分野もあり、市場原理を排除すべき分野もあり、市場原理の修正を求めなければならない分野もあるのだと思うのです。

協同組合とは、資本主義社会の中での弱者が相互扶助原理をもって、利潤追求主義から自分たちの利益を防衛しようという試みにほかならないと思うのです。

消費者運動では、利潤追求主義が行き着くアンフェアな取引による商品や、ブラック企業の商品を意識的に排除することで、賢い消費行動を通じて、環境保護やコンプライアンス推進を実現する試みがなされています。その運動が大きくなって、企業の行動に影響を与えることが期待されます。

協同組合運動も、資本に対抗する拡がりをもってくれば、平等や民主的運営は、社会の普遍的価値として重みをもってくることになるでしょう。さらに、国際協同組合同盟(ICA)は、「協同組合は、自助、自己責任、民主主義、平等、公正、そして連帯の価値を基礎とする。」「協同組合の組合員は、誠実、公開、社会的責任、そして他人への配慮という倫理的価値を信条とする。」と定めているそうです。

利潤追求と市場原理万能の社会にあっても、生身の人間を尊重し経済的弱者の相互扶助の精神をより大切なものとしたいと思いますし、さらには経済合理性よりは、人々が快適に共同生活を送っていくための基本理念の実現を優先する社会を作りたいと思うのです。

当協同組合の運営が順調であることは、そのような意義をももっているものとして、祝意を表します。そしてこの順調がさらに継続しますよう、祈念申し上げます。
(2017年10月23日)

ロンドンの高層公営住宅の火災に思うーこの惨事は格差社会の落とし子だ

6月14日ロンドンの高層公営住宅の大規模火災。これが、格差社会がもたらした悲惨な事故として物議を醸している。

かつての英国は、「揺りかごから墓場まで」の福祉が充実した先進国とのイメージが強かった。しかし、サッチャリズムの禍々しい旋風以来、この国も弱者に冷たい新自由主義の社会になっているようだ。

「16日夕には、ロンドン各地で地元行政や政府に抗議するデモが行われた。火災が起きた公営住宅を所有する地元の区役所には数百人が詰めかけ、責任追及を求めて『メイ首相は退陣しろ』などとシュプレヒコールをあげた。」(朝日)という。

大火になった原因が耐火性の低い安価な外壁材の使用にあった、防火設備の不備の放置もあった。これが低所得者層が多く住む公営住宅の管理の不備と指弾されている。

「発火原因が4階の冷蔵庫の爆発」で、「大火になった原因が耐火性の低い安価な外壁材の使用」との指摘が、よく分かる。安全にはコストがかかる。金をけちれば惨事につながるのだ。

下記の一文をお読み願いたい。

「 冷凍庫に限らず、各種電気製品はみな火を噴く報告例をもっている。電気行火やファンヒーターはもちろん、テレビも、パソコンも、扇風機も、冷蔵庫も火を噴くのだ。コンセントも発火源となり、コードの被覆も燃える。もちろん、製品のすべてが発火するわけではない。しかし、小さい確率でも発火事故は確実に起こり続けている。
冷蔵庫や冷凍庫の発火は、サーモスタットの小さな火花が製品内の可燃物に引火することで起こる。実は冷凍庫の断熱材ウレタンフォームが可燃物なのだ。石油でできており、庫内に石油を敷き詰めているのと変わらないという。その密閉が破綻して酸素と触れあう状態となれば発火の条件が調うことになる。安価ではあるが、危険なのだ。」

これは、ロゴス社の季刊誌『Fraternity フラタニティ』No.3 2016年8月1日号に、「私がかかわった裁判闘争・第3回」「『冷凍庫が火を噴いた』訴訟ー消費者事件の持つ意味」として、私が寄稿した記事の一部である。できれば、「フラタニティ」をご購読いただけたらありがたい。
http://logos-ui.org/fraternity.html

家人の留守の間に冷凍庫が火を噴いた。これが火元となって店舗兼居宅が全焼した。目撃者はない。1991年7月、福島県いわき市でのことである。被害者が、その被害の損害賠償を冷凍庫製造元の三洋電気に請求したというのが問題の事件の概要。この訴訟、正式には「三洋電機冷凍庫発火事故製造物責任訴訟」と呼称していた。製造物責任法(PL法)制定運動が訴訟を支援し、法運用の象徴的な事件として知られた事件。消費者運動対企業の天下分け目の大事件と注目された訴訟だった。

弁護士実務に消費者事件・消費者訴訟というジャンルがあり、弁護士会内に消費者弁護士・消費者族という一群がある。イメージは、「族議員」とさして変わらない。私は、長く消費者問題に取り組んできた消費者弁護士である。

消費者問題とはなにか。一言で言えば、商品流通の末端における消費者と事業者の矛盾である。資本主義社会では、すべての人の生活を支える消費財は、利潤獲得を目標とする商品となっている。人の生活は、企業がつくった商品や、企業が提供するサービスに依存して営まれている。最大限利潤を求める企業と、生身の生活者との利害の葛藤が不可避となる。これも、資本主義の矛盾のあらわれかたの一面。

実際、労働問題と消費者問題、労働事件と消費者事件とは似た面が多々ある。いずれも一方は営利を目的とする企業である。これに対峙する労働者も消費者も個人としてはまことに弱い存在で、保護が不可欠である。そして、労働運動や消費者運動を通じて、個別の利益を超えた権利の拡大が必要なことも共通している。

消費者事件においては、強い立場の企業(事業者)と、弱い立場の消費者の対峙がある。とりわけ、提供される商品やサービスが高度化し、消費者の側に事実上商品選択の能力が失われると、原理的に「賢い消費者像」を期待し得なくなる。「消費者よ、注意せよ」のスローガンは意味を失い、もっぱら「業者注意」を強調しなければならなくなる。

事業者と消費者との大きな力量格差を、どうすれば民事訴訟実に的確に反映させて実質的平等を実現することができるか。これが、消費者事件に取り組む、消費者弁護士の問題意識である。その典型が、PL訴訟にあらわれる。

安全であるはずの食品やサプリメントで中毒事故を起こした。薬品の副作用で半身不随となった。テレビが火を噴いて子どもが火傷した。自動車のブレーキが効かず人身事故を起こした。走行中自転車の車輪がはずれて路上に投げ出された。化粧品で顔が真っ黒になった。赤ちゃんがベビーベッドの隙間に挟まれて大けがをした。草刈り機の刃こぼれが飛んできて失明した。ハシゴが折れて転倒し骨折した。シロアリ駆除剤で人間がまいってしまった……。身近な「製品事故」は、枚挙にいとまがない。深刻な被害も少なくない。しかし、伝統的な損害賠償法制では、被害を受けた消費者は加害企業の過失を立証しなければ損害賠償を受けられない。この過失の立証が消費者に大きな壁となって立ちはだかっていた。

企業の利益に優越して生活の安全を重視する社会の要求が、製品に起因する事故で損害が生じた場合には、企業に無過失でも賠償の責任があってしかるべきだという法原則転換の要求となる。これが不法行為責任一般とは区別された意味での「製造物責任」である。

消費者の声が産業界の反対を押し切る形で、ようやく1995年7月1日の製造物責任法(通称PL法)施行にこぎ着けた。この日以後に出荷された商品については、PL訴訟に過失の立証は不要となった。商品に事故の原因となった「欠陥」さえあれば、メーカーは無過失でも責任を負う。「欠陥」とは「商品が通常有すべき安全性を欠いていること」と条文に定義されている。つまり、消費者がふつうの使い方をしていて事故が起これば、その商品には欠陥があったことになり、製造業者に被害の賠償責任が生じるのだ。

さて、可燃性断熱材の使用が悲劇の原因となったロンドン公営住宅の大規模火災。被害の把握の視点に、PL訴訟との共通点を見ることができる。その理念は、弱者の保護である。

PL事故被害の消費者と、住宅の安全性欠如によって被害を被った居住者と。いずれも、この資本主義社会が構造的に生みだした事故の犠牲者として保護されなければならない。日本国憲法の条文を引けば、憲法25条(生存権の保障)であり、13条(個人の尊厳の確保)であろう。

現代憲法は、国民に国家からの自由を保障しただけでなく、国家に対して国民への福祉政策の実現を命じている。PL法による製品の安全も、住環境の安全も、日本国憲法はその実現を目指すべく命じている。資本主義経済原則が国民にもたらす災厄を防止し救済する福祉政策の実現こそが憲法の生存権規定の目指すところ。

可燃性の断熱材がもたらす火災は、あるときはPL事故として、またあるときは建築被害として、憲法の命じる生存権保障ないしは福祉政策の理念から、救済対象とされ防止対策が施されなければならない。
(2017年6月17日)

DHCにもアパホテルにも不買運動こそが有効な対応だ-「DHCスラップ訴訟」を許さない・第95弾

昨日(1月18日)の当ブログの結論部分を再掲しよう。
消費者のDHC商品の購入が、DHCを太らせ、デマとヘイトの番組作りの資金となる。そこで、消費者諸君に呼びかけたい。とりわけDHCの顧客層に。
「あなたがDHC商品を一つ買えば、デマとヘイトの番組作りを後押しして、日本の民主主義を一歩後退させることになる。反対に、あなたがDHC商品の購入を控えれば、デマとヘイトの番組作りは一歩後退し、日本の民主主義を一歩前進させることになる。」
DHC商品不買の運動は、デマとヘイトを抑制する民主主義運動なのだ。

この理は、当然のことながらDHCを標的とするものに限らない。また、「スラップ」「デマ」「ヘイト」問題にも限らない。民主主義社会での国民が、投票行動によらず消費者としての市場の選択権を行使して日々なし得る民主主義運動として、幅広いテーマでの有効性をもつ。このようにして、消費者が政治や社会を動かし得る側面に注目して、消費者主権という概念が生まれている。

消費者主権の担い手である自覚的な消費者は、ダボハゼの如く安い商品に飛びついてはならない。いかがわしい商品宣伝に踊らされてはならない。日々購入する商品が安全なものであるか、環境問題に配慮した商品であるか、フェアトレードを遵守したものであるかを吟味しなければならない。その選択が、商品の安全性だけでなく、環境問題、途上国の少年労働の問題にまで、影響を及ぼすのだ。

ブラック企業として名の出た企業の製品は買わない。そのような企業が経営する店には行かない。そのような振る舞いが、ブラックのままでは経営の継続ができないという教訓を社会に行き渡らせ、自身の労働条件の向上に資することにもなるのだ。さらには、ヘイトやデマを宣伝し、裏金で政治を操ろうとする経営者や企業の反憲法的行動に歯止めを掛けることも可能となる。スラップも同様だ。スラップ常連の企業の商品のボイコットが、この社会の言論の萎縮を回避することになるのだ。

DHCによく似た企業のよく似た経営者が、俄然話題となっている。アパホテルの歴史修正主義書籍問題だ。

「『アパホテルの全客室に、南京大虐殺を否定する内容を含む書籍が置かれている。中国人はこの事実を知った上で宿泊するかどうか決めるべき』と伝える動画が中国のSNS『微博』に投稿され、中国で大きな話題となっている。これについて、アパホテル親会社のアパグループが1月17日見解を発表した」と報じられている。

問題になった書籍は、アパグループ代表者の著書「本当の日本の歴史 理論近現代史 II」というもの。アパグループのホテルの各客室に置かれており、「南京虐殺事件が中国側のでっちあげであり、存在しなかったことは明らかである」などの主張が盛り込まれている、という。

この書籍を読んで「ショックを受けた」として、問題提起した米国人大学生の言が行き届いている。
彼(アパグループの元谷代表)には自分の本をホテルに置いたり言いたいことを言う権利はあるが、彼の政治的思想を知らない中国人客からお金を取っているのは不誠実」「彼の思想を知った上で宿泊するかどうか決めるべき」というのだ。まったくそのとおりだ。

この本の内容はお粗末極まる。「いわゆる定説と言われるものに囚われず、著者が数多くの資料等を解析し、理論的に導き出した見解に基づいて書かれたものです」というものなのだが、「定説と言われるものに囚われず」とは、定説の根拠を徹底的に分析し検証しようということではない。定説の根拠は一切無視して、結論ありきで素人見解の自説を述べるのだ、と言っているに過ぎない。

興味深いのは、「元谷は、『異なる立場の方から批判されたことをもって書籍を客室から撤去することは考えていない。日本には言論の自由が保証されており、一方的な圧力によって主張を撤回するようなことは許されてはならない』と、今後も書籍を客室に起き続けると表明した。」と報道されていること。

そのとおりだ。日本には言論の自由が保障されている。だから、このようなお粗末で劣悪な言論と言えども、公権力が取り締まることはできない。歴史修正主義者も、日本国憲法による基本権擁護の恩恵に与っているのだ。

かの動画投稿の大学生は、ネットでこう語っているという。
ここに泊まれば、彼の懐にお金が入る。事実を知って泊まるかどうか決めてほしい
これこそ、消費者主権行使の呼びかけなのだ。

「この動画は18日夕までの3日間で9500万回以上再生され、中国メディアは『右翼ホテル』などと一斉に報道。ネット上では『会員カードを切り刻み、友人に泊まるなと伝えた』『日本旅行はよいが、このホテルには泊まらないで』などの書き込みが続く(朝日)」。

アパホテルは、歴史修正主義宣伝とセットでの宿泊を勧誘している。その行為は自由だ。しかし、顧客の拒否の選択ももとより自由である。かの動画投稿の大学生は、多くの消費者に「正確な選択の前提条件」を提供したのだ。典型的な歴史修正主義言説としての「南京事件はなった」「中国のでっちあげだ」という言論を不快に思う人は、アパホテルに泊まってはならない。

資本主義というものは、それなりの合理性をもった制度である。DHCやアパホテルなどの非合理で憲法理念に反する企業に対しては、消費者主権を有効に働かせなければならない。まずは、その商品の不買運動が有効な第一歩である。
(2017年1月19日)
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     「DHCスラップ」勝利報告集会にご参加を
弁護士 澤藤統一郎
私自身が訴えられ、6000万円を請求された「DHCスラップ訴訟」。
その勝訴確定報告集会のお知らせです。
この問題と勝訴の意義を確認するとともに、攻守ところを変えた反撃訴訟の出発点ともいたします。ぜひ、集会にご参加ください。

日程と場所は以下のとおりです。
☆時 2017年1月28日(土)午後(1時30分~4時)
☆所 日比谷公園内の「千代田区立日比谷図書文化館」4階
 「スタジオプラス小ホール」
☆進行
弁護団長挨拶
田島泰彦先生記念講演(「言論の自由」の今日的意義)
常任弁護団員からの解説
テーマは、
「名誉毀損訴訟の構造」
「サプリメントの消費者問題」
「反撃訴訟の内容」
☆会場発言(スラップ被害経験者+支援者)
☆澤藤挨拶
・資料集を配布いたします。反撃訴訟の訴状案も用意いたします。
・資料代500円をお願いいたします。
言論の自由の大切さと思われる皆さまに、集会へのご参加と、ご発言をお願いいたします。

       「DHCスラップ訴訟」とは
私は、ブログ「澤藤統一郎の憲法日記」を毎日連載しています。既に、連続1400日になろうとしています。
そのブログに、DHC・吉田嘉明を批判する記事を3本載せました。「カネで政治を操ろうとした」ことに対する政治的批判の記事です。
DHC・吉田はこれを「名誉毀損」として、私を被告とする2000万円の損害賠償請求訴訟を提起しました。2014年4月のことです。
私は、この提訴をスラップ訴訟として違法だとブログに掲載しました。「DHCスラップ訴訟を許さない」とするテーマでの掲載は既に、90回を超します。そうしたら、私に対する損害賠償請求額が6000万円に跳ね上がりました。
この訴訟は、いったい何だったのでしょうか。その提訴と応訴が応訴が持つ意味は、次のように整理できると思います。
1 言論の自由に対する攻撃とその反撃であった。
2 とりわけ政治的言論(攻撃されたものは「政治とカネ」に関わる政治的言論)の自由をめぐる攻防であった。
3 またすぐれて消費者問題であった。(攻撃されたものは「消費者利益を目的とする行政規制」)
4 さらに、民事訴訟の訴権濫用の問題であった。

私は、言論萎縮を狙ったスラップ訴訟の悪辣さ、その害悪を身をもって体験しました。「これは自分一人の問題ではない」「自分が萎縮すれば、多くの人の言論の自由が損なわれることになる」「不当な攻撃とは闘わなければならない」「闘いを放棄すれば、DHC・吉田の思う壺ではないか」「私は弁護士だ。自分の権利も擁護できないで、依頼者の人権を守ることはできない」。そう思い、自分を励ましながらの応訴でした。
スラップ常習者と言って差し支えないDHC・吉田には、反撃訴訟が必要だと思います。引き続いてのご支援をお願いいたします。

「消費者主権」の視点からスラップ訴訟対策を考える -「DHCスラップ訴訟」を許さない・第74弾

1月28日、DHCスラップ訴訟控訴審判決言い渡しの日の夕方、「バナナの逆襲」を作製したスウェーデン人の映画監督フレデリック・ゲルテンさんとお話しする機会があった。

その中で印象的だったのは、世界的大企業Dole社から仕掛けられた「スラップ訴訟」との闘いにおいて、「最も効果のあった闘い方は、スウェーデンでの不買運動方針の提起だった」ということ。映画の中でも描かれているが、まず消費者が声を上げる。「スーパーはDole社の商品を扱うな」と申し入れをする。理由を聞いたスーパーの経営者が、これに賛同してドール・バナナの入荷を拒否する。初めは小さかったその動きが、広がりそうな勢いとなったところで、ドールフード社が折れるのだ。なるほど、さもありなんと思う。

私は、長く消費者問題に取り組んできた。消費者運動では、単なる「消費者の権利」を超えた「消費者主権」が語られてきた。多義的に用いられる「消費者主権」だが、私は「市場での消費者の自覚的な選択を通じて消費者がよりよい社会を作っていく運動」(あるいはその力量)ととらえている。

具体的な消費者被害を通じて見えてくる現実の消費者像は市場の主権者という理想像とはほど遠い。広告に操られて怪しげなサプリメントを購入する思慮のない消費者であり、少しでも安価なものであれば安全に目をつぶっても飛びつく無自覚な消費者であり、必ず儲かるからという甘言に欺されて涙を流す金融商品購入者である。生産や流通を牛耳る事業者との対等な関係を築けていない。

それでも、消費者運動は着実に前進を見せている。理念としての消費者主権の確立を、運動の目標として高く掲げ続けている。消費者を営利の操作対象の地位から脱却させ、あるべき社会の能動的な形成者とする目標である。企業が社会を圧している現状において、市民が賢明な商品選択を通じて企業をどうコントロールするかという問題意識をもったときに、はじめて主権者としての消費者の力が現実化する。

その正反対の議論が、企業側から出て来る「対企業コントロール拒否論」である。「企業活動にもっと自由を」「労働市場も生産も流通も販売も、すべてを見えざる神の手に任せよ」「限りない規制緩和を」「規制をなくせ」という野放図なDHC・吉田嘉明流の規制緩和論である。その実現のために巨額の裏金の授受さえ行われている。

企業が提供する商品やサービスに関して、消費者が選択する基準が価格や外見だけであってはならない。広告・宣伝に踊らされてはならない。消費者には、「社会的な公正」や、「環境に配慮し自然と社会の健全な持続性」までを視野に入れた自覚的な消費行動が求められる。

ブラック企業や、アンフェアトレード企業の製品は安価かも知れない。しかし、そのような企業の跋扈は、社会的公正を害する。社会的不公正の放置は、消費者自身に手痛いしっぺ返しをもたらす。

市場における消費者の選択においては、よりよい社会を目指すための諸要素が重視されてしかるべきだ。軍需産業と結びついた企業の製品は買わない。差別や規制緩和推進を広言するような企業の商品はボイコットする。フェアトレードや原発反対を表明する企業の商品を積極的に選択する。そのなかに、スラップを提起して表現の自由を攻撃する企業を市場を通じて排除することも含まれて当然だ。

「バナナの逆襲」を観れば、産地に農薬禍をもたらしたDole社の商品はけっして買うまいと思う。アンフェアなトレードで知られるユニクロもそうだ。ブラックとして名高いワタミも同じ。せっかくの電力自由化だ。原発事故を起こした東電をボイコットして、他社に乗り換えよう。そして、スラップ訴訟の常連DHCにも同様の制裁を。

先日、姪の一人が「私、DHCはもうやめた。絶対に買わない」と言ってくれた。これは、正しい価値ある選択と言ってよい。「DHCの製品は買わない」ことの意味は、消費行動を通じての、表現の自由への攻撃を許さないという意思表示であり、規制緩和推進という消費者利益侵害への抗議でもあり、政治とカネの汚い癒着を徹底して糾弾するという宣言でもあるのだから。

この一人の選択は、第一歩として影響は小さいながらも正しい「一票」だ。選挙権の行使は投票日だけのものだが、消費者主権の行使は、日常の消費行動を通して、日々正義を実践することにほかならない。正しい「一票」は、積み上がった力となりうる。そのようにして、スラップ訴訟を仕掛けるようなダーティーな企業には、消費者主権が懲罰を与える。その経済的な打撃によって、表現の自由を擁護し、司法の健全化も実現する。

「バナナの逆襲」を観て、対DHC不買運動の提起も有効な選択肢たりうると思っている。現実の有効な手段とするためにどうすべきか。今後、大いに議論したい。
(2016年2月24日)

『消費者法ニュース』「スラップ訴訟(恫喝訴訟・いやがらせ訴訟)特集号」本日発売 -「DHCスラップ訴訟」を許さない・第70弾

多くの方から、一昨日(1月28日)の「DHCスラップ訴訟控訴審勝訴判決」に、祝意のご挨拶をいただいた。あらためて御礼を申し上げます。

ほとんどの方が、「当然の勝訴とは思いますが、よかったですね」「当たり前の判決ですが、おめでとう」というもの。そして、「DHCや吉田嘉明は、こんなスラップを提起した責任をどうとるつもりなのでしょうか」というご意見も。

なかに、「判決主文には訴訟費用はDHC・吉田の負担とされている。具体的には、どのくらいの金額を支払わせることが出来るのか」というありがたい問合せもあった。残念ながら、これはDHC・吉田が訴状と控訴状に貼った印紙の代金について、「澤藤からはとれません」というだけのもの。私(澤藤)には1円もはいってこないのだ。これが、スラップのスラップたる所以。スラップの標的とされたものが、その訴訟に勝訴しただけではなんの見返りもない。弁護士費用も、応訴の時間消費も、その間の減収の補償もない。そこが、スラップを起こす者の付け目でもある。

もっとも、「こんなことをする、DHCの製品は決して購入しません」という声もあった。これは嬉しいことだし、本質を衝いた問題提起でもあると思う。

弁護士は別として、DHC・吉田の私に対する訴訟によって、「スラップ」「スラップ訴訟」という言葉を初めて知ったという方が、ほとんどのようだ。「スラップ」の陰湿でダーティーなイメージと、こんな提訴をする企業や経営者への社会的評価の低下は避けがたい。大きな規模でDHCの化粧品やサプリメントの商品イメージの低下にまでつながれば、再度のスラップの抑止効果を期待出来るところ。

「スラップに成功体験をさせてはならない」だけではなく、スラップ提起者への法的、社会的な制裁が必要である。そのために、まずは「スラップ」「スラップ訴訟」の実態と、社会的被害を世に知らしめなければならない。

そのような試みは、着実に始まっている。たとえば、本日発売の『消費者法ニュース』が「スラップ訴訟(恫喝訴訟・いやがらせ訴訟)」の特集を組んでいる。

『消費者法ニュース』は季刊誌である。消費者問題に携わる研究者・弁護士・司法書士・消費生活相談員・消費生活コンサルタント・市民活動家・消費者被害者らが寄稿して支えている。

2015年10月発行の前号(105号)の概要をご覧いただけば、その充実振りがご理解いただけよう。
特集1:不招請勧誘規制(Do Not Call制度、Do Not Knock制度)
特集2:公益通報者保護法の改正
シリーズ1:消費者庁・消費者委員会・国民生活センター・地方消費者行政、以下15の各テーマについてのシリーズが連載されている。続いて、学者の目、相談員の目、Q&A、判例・和解速報、国民生活センター情報、政府・政党・国会議員の声、消費者運動の歴史、判決全文紹介…とならぶ。

さて、本日(1月30日)発売の106号は、スラップ訴訟について30頁を超す盛りだくさんの特集。下記9本の論稿が並んでいる。もちろん、私も執筆者のひとり。

1 「スラップ概論」 弁護士(福岡)青木歳男
2 「伊那太陽光発電スラップ訴訟」 弁護士(長野)木嶋日出夫
3 「スラップに成功体験をさせてはならない─DHCスラップ訴訟の当事者として─」 弁護士(東京)澤藤統一郎
4 「ホームオブハート事件─ 消費者被害者に対する加害者側によるSLAPP事例─」MASAYA・MARTHこと倉渕グループ問題を考える会代表・山本ゆかり
5 「第一商品株式会社からの不当訴訟について」 弁護士(東京)荒井哲朗
6 「スラップ訴訟と名誉毀損の法理について」 弁護士(東京)飯田正剛
7 「カルト問題とスラップ」 やや日刊カルト新聞主筆・鈴木エイト
8 「スラップとメディア」 フリージャーナリスト・藤倉善郎
9 「アメリカにおける『戦略に基づく公的参加封じ込め訴訟』(SLAPP)」 創価大学法科大学院教授・藤田尚則

スラップに深く関心を持っている、当事者・弁護士・ジャーナリスト、そして研究者の深刻な問題提起と貴重な提言が持ち寄られている。消費者問題の切り口を主とする特集で、必ずしもスラップ全体をカバーするものではないが、これからスラップを語る出発点としての貴重な基本文献となっている。ようやくにして、スラップは人々の口の端に上るようになり、スラップの提起は唾棄すべき愚行であるとの社会通念が着実に形成されつつあると実感する。

スラップはさまざまに定義されているが、私は、「強者の側からの民事訴訟の濫訴を手段とした、表現の自由や市民活動の自由に対する侵害の試み」と考えている。弁護士費用・訴訟費用の負担を厭わない公権力や経済的強者の側の武器として、極めて有効なのだ。表現の自由・市民活動の自由に、重大な脅威をもたらし、我が国の民主主義を変容させかねない。

司法本来の主たる役割は、法がなければ守られない社会的弱者の権利救済にある。しかし、スラップは、その正反対の望ましからぬ役割に利用された提訴である。しかも、強者が弱者を提訴するそのことだけで、大半の目的を達する。被告とされた本人だけではなく、被告以外の多くの者、つまりは社会に対する表現や行動の萎縮効果をもたらすからである。スラップを默過し放置することは、司法の悪用を認めることにほかならない。

巻頭論文となった、青木歳男「スラップ概論」の中に「便利でお得なスラップ」という一節がある。これが、「スラップの社会学」であり、「スラップの費用対効果」である。だから、スラップがはびこり、スラップが根絶されないのだ。

(1)組織力と財力に優れた大規模な組織から訴訟を提起されるという事態は、一個人からすれば経済的・心理的に大きな負担であり、確実に被告への過大な負担を与えることが可能となる。
(2)被告の周囲の者に対しても、提訴の可能性を示唆することができ、被告への協力を躊躇させることができ、反対運動のような場合であれば反対運動自体を抑制することが出来る。
(3)加えて、他の言論機関に対しても名誉毀損訴訟の可能性を示唆することができ、メディア全般への牽制にもなる。
(4)スラップを防ぐ手立てがなく、一度被告とされると、原告が納得するまで訴訟に付き合わなければならない(米国の反スラップ法では予備審にて却下という救済制度があることと対照的である)。
(5)提訴は合法な行為であり、表面上それ自体非難されるものでない。反訴により違法性を認定されなければ不当性を指摘されることは少ない。
(6)特に名誉毀損訴訟での提訴の場合、日本の判断基準は曖昧であるから、不当であるかどうか名誉毀損が成立するかどうか(考え方としては名誉毀損が成立してもスラップと考える場合もあるが)ハッキリしないので、不当だと批判されにくい。
(7)多くの被告は訴訟の長期化を避けるため(負担が増えるため)反訴提起は起こりにくいし、反訴において不当訴訟として認定されるための要件は大変厳格である。
(8)スラップを提起したことが広く社会に知られた場合、原告が社会的非難を受ける危険性はあるが、スラップが報道される例は多くない。
(9)原告は、社会的評価を低下させる表現を見つけて訴訟を弁護士に委任すればよく、その費用は大規模組織のメディア対策費とすれば極めて低廉である。不当訴訟と認容を受けても賠償額は弁護士1名分程度の費用が上積みされたに過ぎない(幸福の科学事件判決の認容額は100万円、武富士事件の認容額は120万円、伊那太陽光発電スラップ訴訟は50万円)。
(10)現実に言論の萎縮が生じており、大変効果的な手段であると考えられる。

オウム真理教は江川昭子さんを訴え、幸福の科学は山口廣さんを訴え、DHC・吉田は係争中の労組員や私を含む批判者多数を訴えた。提訴側は、スラップに敗訴したところで何の失うものもない。負けてもともと、やり得なのだ。負けても得るものがある。スラップ常連者は、自らを厄介な存在と社会に認識させることで、自らに対する社会からの批判の言論をブロックできるのだ。

スラップ提起によるイメージの悪化が、客離れや自然発生的なボイコットあるいは不買運動などによって、スラップ提起者に経済的な打撃が生じる状況が生じれば、抑止的な効果を期待することが出来る。しかし、そのことは常に期待できることではないし、スラップの主体が、顧客を抱えているとも限らない。何らかの法的あるいは制度的な制裁の仕組みが必要である。

この点については、カリフォルニア州の「反スラップ法」が典型として参考になる。「消費者法ニュース」の藤田尚則論文は、大要次のように紹介している。

「同法は、SLAPPの標的(被告)を訴訟から早期に解放するための手続を定め、『裁判所が、原告は請求において勝訴する蓋然性があることを立証したものと決定しない限り、特別の削除申立てに服さなければならない。』と規定し、特別の削除申立ては『原告の訴状の送達から60日以内に提起することができるものとし、又は裁判所の裁量で当該裁判所が適切と決定するその後の適切な時期に提起することができるものとする。申立ては、裁判所書記官によって申立ての送達後30日以内に裁判所の未決訴訟事件表の状況が後の審尋を要求しない限り審尋に付されるよう訴訟日程表に登載されなければならない。』と規定している。更に同法は、ディスカバリー(日本法にはない証拠開示手続)による負担から被告を保護するため、訴訟における全てのディスカバリー手続は…申立ての通知の提出まで停止される。…そのうえ被告の経済的負担軽減のために『特別の削除申立てに勝訴した被告は、彼又は彼女の弁護士費用及び訴訟費用を回収する権利を付与される。』と規定している。」

さらに、「ワシントン州反SLAPP法」がスラップ被害者の救済を強化したものとして、次のように紹介されている。

「原告が明白且つ確信を抱かせるに足る証拠に基づいて申立てに成功し得る蓋然性を立証できなかった場合、裁判所は『訴訟費用及び相当の弁護士費用を含まない10,000ドル』の支払いを原告に命じ、『裁判所が応答当事者〔原告〕の行為及び同様の立場に置かれた他者によるそれに匹敵した行為の反復を抑止するに必要と決定した、応答当事者及び当該当事者の弁護士又は法律事務所に対する制裁を含む付加的救済』を命ずると規定している」

このような立法例を参考にして、我が国の「反スラップ法」「民事訴訟におけるスラップ抑制制度」を創設したいものと思う。

「消費者法ニュース」の購読申込みは下記URLで。
  http://www.clnn.net/form/order.html
(2016年1月30日)

「政治とカネ」「規制緩和」「消費者」「サプリメント」「言論の自由」最高のタイミングで明日控訴審判決 -「DHCスラップ訴訟」を許さない・第68弾

明日(1月28日)が、私自身が訴えられているDHCスラップ訴訟の控訴審判決。
  係属裁判所は、東京高裁第2民事部(柴田寛之裁判長)。
  時刻は、午後3時。
  法廷は、東京高裁822号法廷(庁舎8階)。
  司法記者クラブで、5時からの記者会見が予定されている。

私のブログでの表現は、吉田嘉明の人身攻撃にわたるものではなく、彼自身が手記で語った行為に対する批判である。私の表現は、典型的な「公共に関わる事項に関して、もっぱら公益を目的とする」言論であり、前提とする事実の真実性にいささかの疑問もない。だから、私のブログによって、いかに吉田嘉明とDHCの名誉が傷つけられようと、私のブログは、「表現の自由」の旗に守られているのだ。吉田とDHCは「身から出たサビ」として、名誉の侵害を甘受せざるを得ない。表現の自由とは、人畜無害の表現を保障するだけのものであるだけなら、憲法にわざわざ規定するだけの意味に乏しい。一審判決はこのことを認めた。その一審判決の認定が覆ることは、万に一つもあり得ない。

注目すべきは、私の控訴審判決が、実にタイムリーな時期に巡り合わせたということである。この事件は、憲法上の表現の自由をめぐる裁判であるが、問題とされている私の表現の内容は、「政治とカネ」「規制緩和」「消費者」「サプリメント」そして、「スラップ」に関わる問題提起である。各テーマが、今つぎつぎと話題になっているではないか。

まずは、「政治とカネ」である。甘利明の「1200万円賄賂収受疑惑問題」が沸騰した時点での判決。「吉田・渡辺8億円授受」と、「甘利・S興業1200万円授受」事件、その薄汚さにおいて、それぞれが兄たりがたく弟たりがたし、である。もう一度、「吉田嘉明・渡辺喜美8億円授受事件」の記憶を整理して思い出してもらうのに絶好のタイミング。私は、「吉田が資金規正法を僣脱する巨額の『裏金』を政治家に提供して『カネの力で政治を買おうとした』ことを批判した。このような批判が封じられてよかろうはずがない。

それだけでない。吉田嘉明は週刊新潮に寄せた自らの手記に、経営者の立場でありながら自らの事業に対する主務官庁(厚労省)の規制を「煩わしい」と無邪気に広言している。通常の国語解読能力を持つ読者が、普通の感覚でこれを読めば、吉田嘉明は行政規制の緩和ないし撤廃を求めて8億円の「裏金」を提供した動機を語っていると理解できる。経営者が、行政規制からの経営の自由を求めて政治に介入したことを、私は批判した。

15人が亡くなった、傷ましい長野県での夜行バス事故は、行政規制遵守に徹しようとしない業者の姿勢から生じた。「廃棄カツ横流し」に端を発した「“ごみ”が“食べ物”に逆戻り」の事態も、コンプライアンス軽視の姿勢が批判されている。吉田嘉明は、コンプライアンス対象の規制自体を緩和ないし撤廃しようと広言しているのだ。誰の目にも、私の批判の真っ当さが明らかではないか。

さらに、吉田嘉明の規制緩和要求は、口に入れるサプリメントと肌に塗る化粧品を製造販売する事業者の言として、とうてい看過できない。行政規制を煩わしいとする行動原理を持つ経営者は消費者にとってとてつもなく危なっかしい。その姿勢は、消費者被害に直結するものとして批判されて当然ではないか。

これについても、「サプリメントカフェイン過剰摂取死亡事故」が現実に生じ、内閣府食品安全委員会が「『健康食品』の検討に関する報告書」を発表したばかりのタイミングである。機能性表示食品制度など、健康食品・サプリメントの規制緩和が健康被害に及ぼす具体的警告のインパクトは大きいが、その内容は、私の吉田への批判そのものと重なる。

そして、「スラップ訴訟」問題である。DHC吉田の貢献もあって、スラップ訴訟という用語とイメージが、ようやく人口に膾炙し、社会に浸透してきた。いま、スラップ訴訟は社会に蔓延しその弊害が話題となっている。私が取材される機会も増えてきた。ドールフーズからスラップ訴訟を仕掛けられた顛末をドキュメントとしたスウェーデン映画『バナナの逆襲』もこれから封切られる。

この絶好のタイミングで、DHCスラップ訴訟は、明日(1月28日)控訴審判決言い渡しとなる。乞うご期待、である。

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明日(1月28日)の「DHCスラップ訴訟」控訴審判決。私自身が被告とされ、いまは被控訴人となっている名誉毀損損害賠償請求訴訟の判決です。
関心のある方は、ぜひ傍聴にお越しください。

ただし、これまで毎回欠かさず行ってきた報告集会は省略いたします。1回結審(12月24日)で、判決日が1月28日。この間の日程があまりに短く、集会参加が困難なことと、場所の確保ができません。しかも、当日は在京の三会とも弁護士会の役員選挙期間中とあって、会議室は全部選挙事務のために塞がっています。ご了解ください。

報告集会に代えて、近くの待合室で簡単なご報告を申しあげ、希望者には直ちに判決書きをご送付いたしますので、メールアドレスかファクス番号を登録してください。

なお、少し日をおいて、十分な準備のもとに、スラップ訴訟撲滅を目指すシンポジウムを開きたいと思います。ご期待ください。
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なお、これまでの経過の概略は以下のとおりです。
《DHCスラップ訴訟経過の概略》
  参照 http://article9.jp/wordpress/?cat=12 
 2014年3月31日 違法とされたブログ(1)
    「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判
 2014年4月2日 違法とされたブログ(2)
    「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻
 2014年4月8日 違法とされたブログ(3)
    政治資金の動きはガラス張りでなければならない
 同年4月16日 原告ら提訴(当時 石栗正子裁判長)
  5月16日 訴状送達(2000万円の損害賠償請求+謝罪要求)
  6月11日 第1回期日(被告欠席・答弁書擬制陳述)
  7月11日 進行協議(第1回期日の持ち方について協議)
  7月13日 ブログに、「『DHCスラップ訴訟』を許さない」シリーズ開始
        第1弾「いけません 口封じ目的の濫訴」
    14日 第2弾「万国のブロガー団結せよ」
    15日 第3弾「言っちゃった カネで政治を買ってると」
    16日 第4弾「弁護士が被告になって」
    以下本日(1月27日)の第68弾まで
  8月20日 705号法廷 第2回(実質第1回)弁論期日。
  8月29日 原告 請求の拡張(6000万円の請求に増額) 書面提出
    新たに下記の2ブログ記事が名誉毀損だとされる。
     7月13日の「第1弾」ー違法とされたブログ(4)
       「いけません 口封じ目的の濫訴」
     8月8日「第15弾」ー違法とされたブログ(5)
       「政治とカネ」その監視と批判は主権者の任務
   2015年7月 1日 第8回(実質第7回)弁論 結審(阪本勝裁判長)
 2015年9月2日 請求棄却判決言い渡し 被告(澤藤)全面勝訴
      9月15日 DHC・吉田控訴状提出
     11月 2日 控訴理由書提出
     12月17日 控訴答弁書提出
     12月24日 控訴審第1回口頭弁論 同日結審
 2016年1月28日 控訴審判決言い渡し(予定)
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訴訟の概要は以下のとおりです。

株式会社DHCと吉田嘉明(DHC会長)の両名が、当ブログでの私の吉田嘉明批判の記事を気に入らぬとして、私を被告として6000万円の損害賠償請求の裁判を起こした。正確に言えば、当初の提訴における請求額は2000万円だった。不当な提訴に怒った私が、この提訴を許されざる「スラップ訴訟」として、提訴自体が違法・不当と弾劾を開始した。要するに、「黙れ」と言われた私が「黙るものか」と反撃したのだ。そしたら、2000万円の請求額が、3倍の6000万円に増額された。「『黙るものか』とは怪しからん」というわけだ。なんという無茶苦茶な輩。なんという無茶苦茶な提訴。

一審判決は、「(澤藤の)本件各記述は,いずれも意見ないし論評の表明であり,公共の利害に関する事実に係り,その目的が専ら公益を図ることにあって,その前提事実の重要な部分について真実であることの証明がされており,前提事実と意見ないし論評との間に論理的関連性も認められ,人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものということはできない」。だから、DHC・吉田の名誉を毀損しても違法性を欠く、として不法行為の成立を否定した。
おそらくは、控訴審判決も同じ判断になるだろう。

スラップの訳語は定着していないが、「恫喝訴訟」「いやがらせ裁判」「萎縮効果期待提訴」「トンデモ裁判」「無理筋裁判」…。裁判には印紙代も弁護士費用もかかる。普通は、この費用負担が濫訴の歯止めとなるのだが、金に糸目をつけないという連中には、濫訴の歯止めがきかない。スラップ防止には、何らかの制裁措置にもとづく、別の歯止めが必要だ。たとえば、高額の相手方弁護士費用の負担をさせるとか、スラップ常連弁護士の懲戒などを考えなければならない。この判決が確定したあとに、私はこの件について徹底してDHC吉田の責任を追及し、そのことを通じて社会的な強者によるスラップの撲滅のために、問題提起を続けていこうと思う。

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《仮にもし、一審判決が私の敗訴だったら…》
私の言論について、いささかでも違法の要素ありと判断されるようなことがあれば、およそ政治批判の言論は成り立たなくなります。原告吉田を模倣した、本件のごときスラップ訴訟が乱発され、社会的な強者が自分に対する批判を嫌っての濫訴が横行する事態を招くことになるでしょう。そのとき、市民の言論は萎縮し、権力者や経済的強者への断固たる批判の言論は、後退を余儀なくされるでしょう。そのことは、権力と経済力が社会を恣に支配することを意味します。言論の自由と、言論の自由に支えられた民主主義政治の危機というほかはありません。スラップに成功体験をさせてはならないのです。

何度でも繰り返さなければなりません。
「スラップに成功体験をさせてはならない」と。
(2016年1月27日)

事業者が主務官庁の規制を「煩わしい」と言ってのける傲慢さ -「DHCスラップ訴訟」を許さない・第67弾

私が当ブログでDHCの吉田嘉明を批判したポイントは、次の4点にある。なお、この4点は、当ブログの記載が吉田とDHCの名誉を毀損したという表現のポイントでもある。

(1)「政治とカネの問題」ー吉田が資金規正法を僣脱する巨額の「裏金」を政治家に提供して「カネの力で政治を買おうとした」こと。
(2)「規制緩和問題」ー経営者の立場でありながら自らの事業に対する主務官庁の規制を「煩わしい」と広言し、行政規制からの経営の自由を求めて政治に介入したこと。
(3)「消費者問題」ー口に入れるサプリメントと肌に塗る化粧品を製造販売する事業者が、行政規制を煩わしいとする行動原理を持っていれば、消費者被害を起こさざるを得ない。
(4)「スラップ訴訟の提起」ー自分への批判を嫌忌して、批判の言論を封殺するための高額損害賠償請求訴訟の提起は民事訴訟存在の趣旨を逸脱するものとして許せない。

以上の(1)は民主主義政治過程の根幹をなす問題、(2)は政治や行政とは何かという本質を問う問題、(3)は国民の生存権の基盤に関わる問題だが、この3テーマは一連の問題となっている。吉田は、行政規制を嫌って規制緩和を求め、その手段として「カネで政治を買おうとした」。そのことによる被害者は、行政規制で健康被害から守られている消費者である。そして、(4)が独立した、司法の役割を問う問題として、いずれも重要な問題提起なのだ。

「週刊新潮」2014年4月3日号に掲載された吉田嘉明の「独占手記」では、DHCが「サプリは業界1位の売り上げを誇る」という編集者のコメントに続く部分で、吉田自身がこう言っている。
「私の経営する会社は、主に化粧品とサプリメントを取り扱っています。その主務官庁は厚労省です。厚労省の規制チェックは他の省庁と比べても特別煩わしく、何やかやと縛りをかけてきます。天下りを一人も受け入れていない弊社のような会社には特別厳しいのかと勘ぐったりするくらいです。いずれにせよ、50年近くリアルな経営に従事してきた私から見れば、厚労省に限らず、官僚たちが手を出せば出すほど、日本の産業はおかしくなっているように思います。つまり、霞ヶ関、官僚機構の打破こそが、今の日本に求められる改革であり、それを託せる人こそが、私の求める政治家でした」

「サプリは業界1位の売り上げを誇る」経営者が、自らの事業に対する主務官庁の規制を「煩わしい」と広言しているのである。これは、驚くべきことというよりは、恐るべきことと言わねばならない。彼の行動原理の原点、彼の政治への介入の目的は、主務官庁の「煩わしい規制」の緩和を求めてのこととの独白なのだから。

事業者が、主務官庁からの規制を「煩わしい」として、この規制から逃れようとすれば、何が起こるか。昨日(1月19日)の二つの社説が、説得的に解説している。

まずは、「廃棄カツ横流し 信頼の土台が揺らぐ」とする東京新聞社説。
「“ごみ”が“食べ物”に逆戻り-。こんな手品が、なぜまかり通るのか。安いのはうれしい、でもいつも正しいとは限らない。私たちは、大切な日々の命の糧を、正しく選んでいるのだろうか。
 『消費者をばかにするにもほどがある』。街角のこの一言が、すべてを語っているようだ。食品の偽装は後を絶たない。高級料亭(廃業)が、客の食べ残しを調理し直して別の客に供していたことがある。有名和菓子店が、余った商品を冷解凍し、“まき直し”と称する新たな包装を施し、製造年月日を偽って売っていたのにも驚いた。
 しかし今度は、よりによってごみである。異物が混入し、捨てざるを得ない大量の残さ、つまり危険なごみが、ごみ処理業者を通じて「食品」として横流しされていた。“ごみ”を買わされ、食べさせられた買い手の怒りは、察するにあまりある。
 「CoCo壱番屋」の冷凍カツ以外にも、本来廃棄されるべき多くの食材が「商品」として流されていた形跡があるという。食品流通の安全や食の信頼そのものの土台が揺らぐ事件である。」
「消費者としては、表示を信用するしかない。だが、“激安”には“激安”になるわけがあるというのも、もう一つの教訓だ。不正に振り回されることがないように、食べ物という特別な商品の選択の仕方を少し考えたい。」

「食べ物という特別な商品」には、生産・流通・消費の過程を市場原理に任せておけばよいとはならない。食の安全と、安全な食の安定供給は、政治と行政の責任であり、多くの取締法規が消費者の健康を守っている。決して、「厚労省に限らず、官僚たちが手を出せば出すほど、日本の産業はおかしくなっている」とは言えず、「霞ヶ関、官僚機構の打破による規制緩和こそが、今の日本に求められる改革」とは事業者のホンネではあろうが、消費者の立場とは相容れない。

「冷凍カツ」についても「サプリメント」についても、消費者は口に入れるモノとしてのその安全を知ることができない。消費者は、安全の保障を行政規制に求め、事業者が誠実に行政規制を尊重することを期待しているのだ。ところが、このような規制を「煩わしい」と言ってのける事業者は、徹底して糾弾しなければならない。

もう一つは、朝日の社説「夜行バス事故 生かされなかった教訓」というもの。

「ここまで法令違反が積み重なっていたことにあぜんとする。15人が亡くなった長野県での夜行バス事故である。バス会社の運行管理のずさんさが次々と明らかになってきた。過去の事故の教訓はなぜ生かされなかったのか。人命第一という当然の大原則を、業界全体が肝に銘じるべきだ。」
「運転手の体調を出発前に確認しない▽にもかかわらず、書類に体調管理の済み印を押した▽運転手に健康診断を受けさせない▽休憩のタイミングなどを運行指示書に記さない――。こんな違反がなかば常態化していた。命を預かっているという自覚が欠けているというほかない。国交省や警察は、厳しく対応すべきだ。」
「4年前に起きた関越道での夜行バスによる46人死傷事故を機に、国交省はバス会社が満たすべき安全基準を厳しくした。同時に、安値を求める消費者心理に一定のブレーキをかけるために運賃の下限額も定めた。安全のためには相応のカネがかかるという前提だった。しかし今回の事故は、この仕組みが「ザル化」している実態を浮き彫りにした。」
「規制緩和で、貸し切りバス事業者はこの十数年で1・5倍の約4500社に増えた。運賃が下限割れしていても、バスを遊ばせているよりはましといった感覚もあるという。そうした問題を防ぐはずの国交省の監査は、手が回りきっていない。予算や人員規模に限界があるとしても、チェック機能がゆるい問題は明らかだ。」
「ずさんなバス運行を野放しにしない。官民、ユーザーをあげた真剣な方策が必要である。」

この社説には、「行政規制の徹底が乗員の安全を守っていること」「規制緩和が、行政のチェック機能を低下させて、消費者の生命の危険をももたらしていること」の問題意識が露わになっている。

もう一度、吉田の手記の一文を思い起こそう。
「私の経営する会社は、主に化粧品とサプリメントを取り扱っています。その主務官庁は厚労省です。厚労省の規制チェックは他の省庁と比べても特別煩わしく、何やかやと縛りをかけてきます。」「厚労省に限らず、官僚たちが手を出せば出すほど、日本の産業はおかしくなっているように思います。」「霞ヶ関、官僚機構の打破こそが、今の日本に求められる改革であり、それを託せる人こそが、私の求める政治家でした」

こういう事業者の見解は、消費者の側からは「恐るべき独白」として批判されて当然なのだ。批判を封じようとしてのスラップ訴訟などは、逆ギレも甚だしいというほかはない。
(2016年1月20日)

DHCスラップ訴訟控訴審結審、判決は1月28日ー「DHCスラップ訴訟」を許さない・第64弾

本日、東京高等裁判所第2民事部(柴田寛之裁判長)でDHCスラップ訴訟の控訴審第1回口頭弁論期日が開かれ、控訴理由書と控訴答弁書の陳述ののち、弁論を終結した。次回判決言渡しとなった。判決言渡期日は、2016年1月28日(木)午後3時00分。822号法廷。

1回結審での、年末年始休暇をはさんでの1か月先の期日指定。常識的には控訴棄却の定番コースではあるのだが…。「典型的なスラップ訴訟」「DHC・吉田嘉明は、勝訴の見込みないことを知りながらの提訴」ではあるが、判決は水物。言い渡しあるまでは、心穏やかではない。

被控訴人の控訴答弁書の陳述は、私が要旨を朗読する方法でした。やや長文だが、下記に全文を掲載する。

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 弁護士の澤藤です。思いがけなくも訴えられて被告となり、いまは被控訴人本人の立場にあります。被控訴人本人として、控訴答弁書を要約して陳述いたします。

 最初に訴訟の進行について要請申し上げます。本件では当事者双方に、今後の主張・挙証の必要は考えられません。本日弁論終結の上、すみやかな控訴棄却の判決をお願いいたします。

 一審以来、本件における主要な争点は、名誉毀損とされた各表現が「事実の摘示」なのか、それとも「意見ないし論評の表明」なのか、という一点に集中しています。
 当該表現が、「事実の摘示」か「意見・論評」か。この論点設定は、名誉毀損訴訟において最高裁が示した枠組みに従ってのものです。当事者双方が、それぞれの立場で、この枠組みにしたがった主張を展開しています。

 しかし実は、問題の本質、あるいは実質的な判断基準は、別のところにあるように思われるのです。訴訟とは具体的な事例に則して、憲法あるいは法の理念をどう理解して適用すべきかという、優れて理念的な営みであり、憲法理念を社会にどう具現するのかという実践的な営みでもあるはずだと思うのです。その観点からは、判例の形式的な引用とは別の実質的な判断過程が必要と考えざるをえません。

 憲法的視点から見れば、本件は憲法21条が保障している表現の自由と、13条によって憲法上の権利とされている人格権とが衝突する場面での調整のあり方を問うものにほかなりません。本件具体的事例においてこの調整はいかになされるべきか。被控訴人は言論の自由保障という憲法価値の優越を主張し、控訴人らはこのような人の名誉を侵害する言論は憲法の保障の埒外にある、と言っていることになります。

 憲法が言論の自由を特に重要な基本権とし、その保障を高く掲げたのは、誰の権利も侵害しない、「当たり障りのない言論」を自由だと認めたのではありません。敢えて言えば、当たり障りのある言論、つまりは誰かの評価を貶め、誰かの権利を侵害する言論であってこそ、これを自由であり権利であると保障することに意味があるのです。
 もっとも、弱者を貶めて強者に迎合する言論を権利と保障する意味はありません。言論の自由とは、本来的に権力者や社会的強者を批判する自由として意味のあるものと言わざるを得ません。私のブログにおける表現は、控訴人吉田嘉明らを批判するもので、吉田嘉明らの社会的評価の低下をきたすものであることは当然として、それでも憲法上の権利の保障が認めらなければなりません。

 原判決は実質的に以上の理を認めました。
 原判決は、私の名誉毀損15個の表現を、いずれも「一般の読者の普通の注意と読み方を基準とすれば」というキーワードを介して、「意見ないし論評を述べたものであり,事実を摘示したものとはいえない」と判断しました。その上で、「本件各記述は,いずれも公共の利害に関する事実に係り,その目的が専ら公益を図ることにあって,その前提事実の重要な部分について真実であることの証明がされており,前提事実と意見ないし論評との間に論理的関連性も認められ,人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものということはできないから違法性を欠く」と結論しています。「長崎教員批判ビラ配布事件」平成元年12月21日最高裁判決が引用されていますので、明示はされていませんが、「公正な論評の法理」を採用したものと理解されます。

 原判決の以上の説示に異論のあろうはずはありません。しかし、おそらくは、実質的な判断の決め手となったものは、憲法21条の重視のほかには、以下の3点だろうと思われるのです。第1点が言論のテーマ、第2点が批判された人物の属性、そして第3点が言論の根拠です。
 
 その第1点は、私のブログでの各記述が政治とカネにまつわる、典型的な政治的言論であることです。
 私は、控訴人吉田嘉明が、政治資金規正法の理念に反して自分の意を体して活動してくれると期待した政治家に、不透明な巨額の政治資金を「裏金」として提供していたことを批判したのです。このような政治的批判の言論の保障は特に重要で、けっして封殺されてはなりません。

 第2点は、本件ブログの各記述の批判対象者となった控訴人吉田嘉明の「公人性」がきわめて高いことです。その経済的地位、国民の健康に関わる健康食品や化粧品販売企業のオーナーとしての地位、労働厚生行政や消費者行政に服すべき地位にあるというだけではありません。政治家に巨額の政治資金を提供することで政治と関わったその瞬間において、残っていた私人性をかなぐり捨てて、高度の公人としての地位を獲得したというべきです。このときから強い批判を甘受すべき地位に立ったのです。しかも、吉田は自ら週刊誌の誌上で巨額の政治資金を特定政治家に提供していたことを暴露しているのです。金額は8億円という巨額、政治資金規正法が求めている透明性のない「裏金」です。控訴人吉田嘉明が批判を甘受すべき程度は、この上なく高いといわざるを得ません。

 そして第3点が、本件ブログの各記述は、いずれも控訴人吉田自身が公表した手記の記載を根拠として推認し意見を述べているものであって、意見ないし論評が前提として依拠している事実の真実性については、ほとんど問題となる余地がなかったことです。加えて、本件ブログの各記述は、いずれも前提事実からの推認の過程が、きわめて明白であり、かつ常識的なものであることです。
 控訴人吉田はその手記において、行政規制を不当な桎梏と感じていることを表明しています。企業とは、何よりも利潤追求のための組織です。企業経営者が、行政の対企業規制に明確な不満を述べて、規制緩和を標榜する政治家に政治資金を提供したら、これはもう、規制緩和を推進することによる利潤の拡大を動機とするものと相場が決まっています。
 このような常識的な推論に、立証を求められる筋合いはありません。まさしく、推論を意見として述べることが政治的言論の自由保障の真髄と言うべきで、控訴人吉田は、対抗言論をもって弁明や反批判をすべきであったのに、判断を誤ってスラップ訴訟の提起をしたのです。

 以上の3点を実質的な決め手として請求棄却の判決に至った原判決には、いささかの誤りもありません。

 控訴人らは、原判決を不満とし控訴理由書においても、「動機の推認も事実の摘示」だと繰り返しています。私のブログでの意見表明について、いまだに「動機の真実性の証明を求める」とか、「その証明ない限りは違法」という控訴人らの主張の蒸し返しは、児戯に等しいと言わざるを得ません。私がした程度の推論は、常識に属するものです。このような見解の表明が許されないとすれば、言論の空間は逼塞し表現の自由は枯渇してしまうでしょう。訴訟とはある最高裁判決の文章を具体的事例に有利に引用しあうゲームではありません。最高裁が示した字句を機械的に引用して、形式論理の整合性の優劣を争う愚かな競争ではないはず、だと申しあげておきたいと思います。

 ところで、私は「澤藤統一郎の憲法日記」と題するインターネット・ブログを毎日連載しています。現在の形で立ち上げた、第1回が2013年4月1日。以来、一日も欠かさずに書き続けています。昨日のブログが連続997回目。明後日に1000回に到達します。このブログにおいて、私なりに憲法理念を書き連ねてきました。権力を担う者、社会的な力をもつ強者には、遠慮のない批判の言論を続けていますが、弱者を批判したことはありません。一貫して社会的弱者の権利を擁護する立場から、強者の側を批判する姿勢を堅持しています。私は弁護士として、社会から自由を与えられ、誰におもねることもない自由を享受しています。この自由を、弱者の人権を擁護し権力や強者を批判するために行使することが、弁護士としての使命だと考えてきました。私のブログはその立場で貫かれていることを自負しています。

 その連載ブログの365回目となる2014年3月31日に、「DHC・渡辺 8億円事件」を取り上げました。続けて4月2日と、4月8日にもこの件を取り上げました。私がこの事件に反応した理由の一つとして、私が消費者問題に関心を持つ弁護士として、消費者行政の規制緩和に反対する運動に携わってきたことがあります。私は東京弁護士会の消費者委員会委員長も、日弁連の消費者委員長も経験しています。消費者に安全を提供すべき企業経営者が、行政規制を煩わしいと広言しながら、政治家に「裏金」を渡すなどと言うことが許されてはならないと強く思いました。それだけでなく、これを発言することは私の責務だとも思ったのです。

 ところが、このブログの記述がDHCや吉田嘉明の名誉を侵害し、2000万円に相当する精神的損害を被ったとして損害賠償請求訴訟の対象とされました。私にとっては到底信じがたい訴訟です。私自身が典型的なスラップ訴訟の被告とされたことを自覚し、言論の自由のために、恫喝に屈してはならない、スラップに成功体験をさせてはならない、と決意しました。

 これも弁護士の使命として、口をつぐんではならないと覚悟して、ブログで「DHCスラップ訴訟を許さない」シリーズを書き始めました。途端に、請求が拡張され、6000万円に跳ね上がりました。この経過自体が、本件提訴のスラップ性を雄弁に物語っていると考えています。

 私は、原審の法廷陳述でも担当裁判官にお願いしました。まずは、私の5本のブログを細切れにせずに、丸ごと全体をお読みいただきたい。その上で、日本国憲法が最高法規とされている現在の日本社会において、この私の言論が違法な言論として許されざるものであるのかをお考えいただきたい。言わば、まずは常識的な憲法感覚において、私のブログが違法なものかどうかを判断願いたいのです。

 そして、お考えいただきたい。もし仮に、私の言論にいささかでも違法の要素ありと判断されることになれば、原告吉田を模倣した、本件のごときスラップ訴訟が乱発される事態を招くことになるでしょう。社会的な強者が自分に対する批判を嫌っての濫訴が横行するそのとき、市民の言論は萎縮し、権力者や経済的強者への断固たる批判の言論は、後退を余儀なくされることにならざるをえません。この社会の言論は萎縮せざるを得ません。およそ政治批判の言論は成り立たなくなります。そのことは、権力と経済力が社会を恣に支配することを意味します。言論の自由と、言論の自由に支えられた民主主義政治の危機というほかはありません。スラップに成功体験をさせてはならないのです。

 最後に、本件の判断を射程距離に収めると考えられる、憲法21条についての最高裁大法廷判決(昭和61年6月11日・民集40巻4号872頁(北方ジャーナル事件))の一節を引用いたします。

「主権が国民に属する民主制国家は、その構成員である国民がおよそ一切の主義主張等を表明するとともにこれらの情報を相互に受領することができ、その中から自由な意思をもって自己が正当と信ずるものを採用することにより多数意見が形成され、かかる過程を通じて国政が決定されることをその存立の基礎としているのであるから、表現の自由、とりわけ、公共的事項に関する表現の自由は、特に重要な憲法上の権利として尊重されなければならないものであり、憲法21条1項の規定は、その核心においてかかる趣旨を含むものと解される」

 この最高裁大法廷判例が説示する「公共的事項に関する表現の自由は、特に重要な憲法上の権利」との憲法理念に則った判決を期待いたします。

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なお、控訴審から新たに弁護団に加わっていただいた弁護士の中に、徳岡宏一朗さんがいる。本日の法廷と報告集会に参加していただいた。

その徳岡さんのブログにDHCスラップ訴訟が紹介されている。ありがたいこと。下記のURLをご参照いただきたい。私のブログとは段違い。見栄えがよく、読み易い。
  http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/0278962f4551fe0531c2218cb9b922d4

(2015年12月24日・連続第998回)

カフェイン過剰摂取死亡事件が示すサプリメント規制強化の必要性ー「DHCスラップ訴訟」を許さない・第62弾

「『エナジードリンク』と呼ばれるカフェインを含む清涼飲料水を大量に飲んだ九州の男性が中毒死した問題で、福岡大(福岡市)は(12月)21日、解剖の結果、カフェインの血中濃度が致死量に達していたことが分かったと発表した。胃の中からカフェインの錠剤も見つかり、解剖した同大の久保真一教授(法医学)は記者会見で『短期間の大量摂取は危険だ』と注意を呼びかけた。」(毎日)

「久保教授によると、男性は深夜勤務のある仕事に従事し、夜勤明けに自宅で吐き、その後亡くなった。死因・身元調査法に基づき解剖したところ、血液1ミリリットル中のカフェイン含有量は致死量に達する182マイクログラムで、胃からは粉々になったカフェインを含む錠剤も検出された。男性が服用したとみられる。
 男性に既往症はなかったが、亡くなる1年ほど前から眠気覚ましに、カフェインを含む『エナジードリンク』と呼ばれる飲料を飲むようになったと家族は教授に説明。3、4度吐いたことがあり、亡くなる1週間ほど前からは眠気で仕事に支障が出ていたとも話した。
 久保教授は、こうした状況から、摂取した時期や量は分からないものの、男性がカフェインを含む飲料や錠剤を比較的短時間にたくさんとったことにより、急性カフェイン中毒で死亡したと結論づけた。10月に神戸市であった学会で発表したという
。」(朝日)

コンビニに置いてある清涼飲料と気軽に入手可能な錠剤サプリメントでのカフェン過剰摂取。それが現実の死亡事故となった。サプリメント先進国アメリカでこそ相当数の報告があるものの、我が国では初めての報告という。しかし、解剖なければ死因は分からなかったはず。死因分からぬままの同種症例は他にもあったのではないか。また、死亡にまでは至らないカフェイン過剰摂取健康障害事例がなかったはずはない。この事件が示唆する、健康食品・サプリメントによる健康被害のひろがりは、深刻な事態といわねばならない。

カフェインもビタミンもミネラルも、自然食品に含まれている。普通の食生活において自然食品を摂取している限り健康に害はない。ところが、企業の宣伝に煽られて、過剰摂取におちいると健康被害が生じることになる。過剰な広告による過剰な商品摂取が危険なことはつとに警告されてきたところ。だが、健康食品もサプリメントも、取締法規と行政規制は「自己判断・自己責任」の問題として放置したままである。

過剰摂取が特に危険とされている微量栄養素として、ビタミンA・ビタミンD・鉄・セレン・ゲルマニウム・クロム・カルシウムなどが警告の対象となっている。また、病人特に腎不全患者は高用量のビタミンC摂取を回避すべきとされてもいる。(内閣府食品安全委員会・報告書)

実は、これらの健康食品・サプリメント類の過剰摂取健康被害は表面化しにくい。通常因果関係の立証はきわめて困難である。しかし、解剖例から明確にされた、カフェイン過剰摂取死症例の存在は、他のビタミン・ミネラル類についても過剰摂取による隠れた健康被害が広範にあることを示唆するものと考えなければならない。

カフェイン死亡事件は、健康食品やサプリメントを行政規制の鎖から野放しにしておくことの危険を象徴するものと言えよう。とりわけ、錠剤サプリメントによる大量摂取が消費者の健康被害に危険を及ぼすことは明らかではないか。

DHC吉田嘉明は、「週刊新潮」2014年4月3日号に手記を寄せてこう言っている。
「私の経営する会社は、主に化粧品とサプリメントを取り扱っています。その主務官庁は厚労省です。厚労省の規制チェックは他の省庁と比べても特別煩わしく、何やかやと縛りをかけてきます」「私から見れば、厚労省に限らず、官僚たちが手を出せば出すほど、日本の産業はおかしくなっているように思います。つまり、霞ヶ関、官僚機構の打破こそが今の日本に求められている改革…」

要するに、「自社を縛っている行政規制が煩わしい。その規制チェックをなくすることが、今の日本に求められている。」という、企業のホンネをあからさまに述べているものと解するほかはない。サプリメント販売の行政規制強化などはとんでもない、ということになろう。

ところが、である。DHCのネット広告の中に次の一文を見つけた。
「今や日本人の6割以上が日常的にサプリメントを使用する時代となりました。しかし、日本の健康食品業界はサプリメントの先進国アメリカに比べると規制が緩く、それを逆手に取った価格や配合成分、効果に疑問を持たざるをえないサプリメントが存在します。残念なことに日本ではそのような“不健康なサプリ”があふれかえっており、“健康なサプリ”が少ないのが現状です。生活の質を向上させるためにサプリメントを購入する際には、企業の宣伝や広告を鵜呑みにするのではなく、自分自身で“健康なサプリメント”と“不健康なサプリメント”をしっかりと見極めましょう。」

この広告では、日本の健康食品業界に対する行政規制が緩いことを嘆いて見せているのである。一方では「規制を特別煩わしい」と言い、一方では「規制が緩い」と言うこのご都合主義は、いったいどういうことなのだろう。

消費者に読ませる広告において規制が緩いことを嘆く姿勢を見せることが、自社製品の安全性アピールに結びつくとの思惑からのことであろうが、企業の広告がホンネと乖離していることの見本と言うべきであろう。どの企業も、ホンネは規制の緩和ないし撤廃を望んでいる。しかし、消費者には規制を嫌っていると思われたくはないのだ。

そして、「価格や配合成分、効果に疑問を持たざるをえない不健康なサプリメント」は、業界のすべての企業の製品に共通している。厚労省も消費者庁も、そして内閣府食品安全委員会もその実態を明らかにしつつ、強く警告を発しているのだ。

企業としては、健康食品と医薬品の境界線上にある商品に関して、一面医薬品としての取り扱いによる規制は煩わしいと思いながらも、他面医薬品としての消費者の信頼は欲しいところ。これが、アンビバレントの本質。行政は1971年の「食薬区分」(「46通達」と言われる)で、一応その切り分けをしているが、なお明確ではない。

公表されたカフェイン死亡事故を無駄にしてはならない。「食薬区分」線上にある製品の行政規制を、今こそ「健康食品・サプリメントへの規制が緩い」と嘆いて、厳格化しなければならない。企業に「規制を特別煩わしい」などと言わせていてはならない。国民の健康のため、いや命をまもるために、である。

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   DHCスラップ訴訟12月24日控訴審口頭弁論期日スケジュール
DHC・吉田嘉明が私を訴え、6000万円の慰謝料支払いを求めている「DHCスラップ訴訟」。本年9月2日一審判決の言い渡しがあって、被告の私が勝訴し原告のDHC吉田は全面敗訴となりました。しかし、DHC吉田は一審判決を不服として控訴し、事件は東京高裁第2民事部(柴田寛之裁判長)に係属しています。

その第1回口頭弁論期日は、
 クリスマスイブの12月24日(木)午後2時から。
 法廷は、東京高裁庁舎8階の822号法廷。
ぜひ傍聴にお越しください。被控訴人(私)側の弁護団は、現在136名。弁護団長か被控訴人本人の私が、意見陳述(控訴答弁書の要旨の陳述)を行います。

また、恒例になっている閉廷後の報告集会は、
 午後3時から
 東京弁護士会502号会議室(弁護士会館5階)A・Bで。
せっかくのクリスマスイブ。ゆったりと、楽しく報告集会をもちましょう。
 弁護団報告は、表現の自由と名誉毀損の問題に関して、最新の訴訟実務の内容を報告するものとなることでしょう。
 表現の自由を大切に思う方ならどなたでもご参加ください。歓迎いたします。
(2015年12月22日・連続第996回)

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