澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

北星学園への卑劣な攻撃を許さないー「電凸・告発」の顛末

各紙に既報のとおり、昨日(12月26日)北星学園関連の第2弾告発状が札幌地検に提出された。告発人は348名(道内154名・道外194名)、告発人代理人の弁護士は438名(道内165名・道外273名)である。第1弾と同じ5名の弁護士が告発人代理人代表として名前を出している。私もその一人だ。

被告発人は「たかすぎしんさく」と名乗る人物。2度にわたって北星学園に架電し、通話の内容を録音したうえ字幕や静止画像を交えて、ユーチューブに投稿するという手口。業務妨害を意図しての「電話突撃」という手法が右翼に定着しているという。これを略して「電凸」(でんとつ)。この用語もネットの世界で定着していると初めて知った。たかすぎしんさくの手口は「電凸」と「ユーチューブ投稿」とを組み合わせたものだ。

たかすぎしんさくのユーチューブ投稿画像は、犯罪行為そのものであるだけでなく、そのまま犯罪の証拠でもある。告訴・告発、あるいは損害賠償請求をするに際して完璧な証拠を入手できるのだから、告発側にはこの上なく好都合なのだ。それだけではなく、捜査機関にとっては、プロバイダーとIPアドレスをたどることによって、被告発人を割り出すことも容易なはず。

われわれが、たかすぎしんさく告発の予定を公にした途端に、問題のユーチューブ画像は閲覧できなくなった。たかすぎしんさくも、これはやばいと思って引っ込めたのだろう。もちろん、録画してあるから今さら撤回しても時既に遅しなのだ。もっとも、早期に自発的に画像の公開を撤回したことは情状において酌むべきことにはなるはずだ。

刑法第233条(業務妨害)は、「虚偽の風説を流布し、又は偽計を用いて、人の信用を毀損し、又はその業務を妨害した者は、3年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。」と定める。
行為態様は「虚偽の風説の流布」「偽計」の2通り、法益侵害態様は「信用を毀損」「業務を妨害」の2通りである。その組み合わせによるバリエーションは4通りとなってどれでも可罰性があることになるが、われわれは、最初からユーチューブ投稿を目論んでの電凸は、「虚偽の風説の流布による業務妨害」にぴったりだと考えた。

北星学園に対する電話での業務妨害の典型としても、また右翼の常套手段となった電凸に対する制圧策としても、たかすぎしんさく電凸は、一罰百戒の効果をも期待しうるものとして恰好の告発対象なのだ。

虚偽の風説とは、ユーチューブ画像の中で、たかすぎしんさくが繰りかえし口にしている、「国賊大学」「嘘つき大学」「犯罪者を採用」「爆破予告電話は自作自演」等の表現をいう。これをユーチューブに流して不特定多数の誰もが閲覧できるようにしたことが「流布」に当たるのだ。
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12月26日午後2時45分、告発人代理人弁護士8名が、札幌地検を訪れ、渡邉特別刑事部長立会いのもと、特別刑事部志村康之検事に、告発状・告発人目録・告発人代理人目録・各資料・委任状を提出した。

席上、告発人代理人から担当検事に、告発の趣旨を説明し、たかすぎしんさくの人物特定のための情報を提供した。この間、志村検事はきちんとメモを取っていたと報告されている。

また、渡邉部長から、「今回の告発人は弁護士以外の人なのですね」との確認の発言があり、さらに「3回目の告発もあるのですか」と、和やかな雰囲気だったという。

その後、3時10分から札幌弁護士会館で記者会見が行われた。

会見席の横断幕には、
「言論への批判は堂々と言論で」
「教員を解雇させるため根拠のない事実を広めることは犯罪だ!!」
と大書されていた。なお、記者会見の主体は、「国賊大学等虚偽の風説を流布する行為を告発する全国告発人・弁護士有志」である。

テレビを含む会見参加のメデイアに対して、告発代理人を代表して郷路征記弁護士から約30分にわたって、告発の経過、犯罪事実の説明、犯情の悪さ等の説明があった。記者の関心は高く、質疑は活発だったと報告されている。

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第1弾・第2弾と、果敢に告発を重ねたこと、しかも告発の動きを隠密理にするのではなく公然と目に見える形で行ったことが、右翼の卑劣な攻撃を掣肘する効果に結実していると思う。このことは味方をも励まし、植村隆さんの雇用継続に一定の貢献もしたのではないかと思っている。

朝日バッシングの理不尽な蠢動に対しては、しばらくは有効な反撃がなかった。右翼勢力のなすがままに、やられっぱなしだったのではないか。これを見て図に乗った有象無象の輩がこれくらいのことはやってもよいと、勘違いしてしまったのだ。なにしろ、歴史修正主義の大立者が内閣総理大臣となっているこの時代の空気なのだから。

それでも、犯罪は犯罪、そして犯罪には刑罰である。手をゆるめずに刑事告発の目を光らせることは、不当な業務妨害を制圧するための効果は大きい。扇動する者と乗せられる者があり、とりあえずは着実に乗せられた者を摘発するしかないが、メディアや評論家など煽った者たちの責任は大きい。

ところで、告発代理人となった弁護士たちは相当の時間も労力も使った。東京での作戦会議に、札幌や大阪からの参加は身銭を切ってのものだ。しかし、これは誰に依頼されての仕事でもない。強いて言えば、今危うくなっている、日本の民主義が依頼者である。哀しいかな、この依頼者は弁護士報酬を支払う意欲も能力もない。もちろん、民主主義以外に弁護士たちに指示や指令をする者はなく、400名を超す弁護士内部の誰にも他に対する命令権限などあろうはずもない。すべての告発人代理人となった弁護士たちは、まったく自発的に弁護士法に基づく弁護士としての使命を実践したのだ。

この告発準備において意見を交換したメーリングリストの最後に、次のような投稿があった。

日本の民主主義になり代わってお礼を申しあげます。
何ごとかを成し遂げたという、この充実感こそが仕事への唯一の報酬。
一番苦労した人が、一番その充実感を味わうことになる。だから、一番多くの報酬を受けることにもなる。

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                 告  発  状

                    2014年(平成26年)12月26日
 札幌地方検察庁検察官殿
      告  発  人  別紙告発人目録に記載  (計348名)

      告発人代理人共同代表 弁護士 阪口徳雄  (大阪弁護士会)
      告発人代理人共同代表 弁護士 中山武敏(第二東京弁護士会)
      告発人代理人共同代表 弁護士 澤藤統一郎 (東京弁護士会)
      告発人代理人共同代表 弁護士 梓澤和幸  (東京弁護士会)
      告発人代理人共同代表 弁護士 郷路征記  (札幌弁護士会)
      上記代表を含む別紙告発人代理人目録記載の弁護士(438名)

      被告発人  たかすぎしんさく こと 住所氏名不詳者
             (以下、本告発状では「被告発人たかすぎ」という)

第一 告発の趣旨
 被告発人たかすぎの下記各行為は、刑法233条(虚偽の風説の流布による業務妨害罪・以下、「業務妨害罪」という。)に該当することが明らかである。
 しかも、同被告発人の行為態様は、虚偽の風説をインターネットの動画サイトを利用することによって流布するものであるため、これまでには考えられない規模の多数人に対する伝播が行われ、しかも日々その規模は増大しつつある。その結果、業務妨害の法益侵害は規模が大きいというだけでなく、それが現に累積増加しつつあり、直接間接に影響が深刻化している。
 貴職におかれては、本件の上記特徴を的確に把握のうえ、早急に被告発人たかすぎに対する捜査を遂げ、厳正な処罰をされたく、告発する。

第二 告発事実
第1 2014年(平成26年)8月7日インターネット動画掲載に関わる件
   被告発人たかすぎは、2014年(平成26年)8月上旬、元朝日新聞記者である植村隆氏が非常勤講師として勤務する学校法人北星学園(理事長 大山綱夫)が運営する北星学園大学(学長 田村信一。札幌市厚別区大谷地西2丁目3番1号所在。以下、「同大学」という)の代表電話に架電し(以下、「本件電話1」という。)、対応した同大学事務局学生支援課のかわもと某(以下、「かわもと」という。)に対して、「植村さんは国賊に近い方なんですよ。・・・そういう問題があって神戸の松蔭学院大学も、これ採用を止めたんですよ。不適格やて。そういう方をおたくはね、そういう事実をわかっとって採用されてるんですよ。ね、北星学園大学はね、国賊大学いうことなるんですよ。こういうことやっとったら。」(以下、「虚偽事項1」という。)と虚偽を申し向け、さらに、本件電話1によるかわもととのやり取りを自ら録音し、その音声ファイルに同大学の校舎を写した静止画像と字幕をつけて動画ファイルとし、同年8月7日、インターネットの動画共有サイトであるYouTubeにこれをアップロードし、上記虚偽事項1を含む本件電話1を誰もが聴取可能なものとして公開し、もって虚偽の風説を流布して同大学の業務を妨害した。

第2 2014年(平成26年)10月2日インターネット動画掲載に関わる件
   被告発人たかすぎは、同年10月2日、再び同大学の代表電話に架電(以下、「本件電話2」という。)し、対応した同大学事務局の氏名不詳某に対して、「もう9月以降のカリキュラムに植村さんの名前が入っとった言うてるやんか、調べたら。北星学園大学は嘘つきの大学なんですか、これ。そういうことになりますよ。」(以下、「虚偽事項2」という。)と語気鋭く申し向け、又、「北星学園大学ゆうところは、国賊の人間を採用しているゆうことでよろしいんですか」、「北星学園大学の、これ大変なことになりますよ。こういうことやられとったら。犯罪者をね、採用するなんてふざけたことをしなさんな!これ。違いますか、これ。犯罪以上のもんですよ、この方は。」(以下、「虚偽事項3」という。)と語気鋭く申し向け、さらに本件電話2による氏名不詳従業員某とのやりとりを自ら録音し、その音声ファイルに同大学の校舎を写した静止画像と、「『脅迫文』や『爆破予告電話』などは国賊、植村隆を擁護し、雇用している同大学への批判をかわす為の『自作自演』の可能性があると思います。」(以下、「虚偽事項4」という。)との文言を含む字幕をつけて動画ファイルとし、同日、インターネットの動画共有サイトであるYouTubeにこれをアップロードし、上記虚偽事項2、3を含む本件電話2と虚偽事項4を含む字幕を誰もが閲覧・聴取可能なものとして公開し、もって虚偽の風説を流布して同大学の業務を妨害した。

第三 構成要件該当性について
1 「業務妨害罪」における虚偽の風説の流布とは、真実と異なった内容の事項を不特定又は多数の人に伝播させることをいう(「条解刑法 第3版」691頁 9~10行目)。
  以下、同書に従って個々の構成要件要素について検討する。
2 客観的構成要件要素  
(1) 虚偽とは「客観的真実に反すること」(客観説)とするのが、一貫した判例(大判明治44年12月25日)の立場である。
   本件における「国賊大学」「嘘つき大学」「犯罪者を採用」「爆破予告電話は自作自演」等の表現は、その表現が表す事実自体が真実に反するという意味において明らかな虚偽である。
のみならず、憲法23条は学問の自由を保障し、大学は高度の自治を保障されている。大学教員の人事はその自治の重要な一環であって、外部からの大学の人事への介入こそが違法な行為である。大学の人事に不当な攻撃を加えて「国賊」「嘘つき」などとその社会的評価をおとしめようとする論難自体が「業務妨害罪」における「虚偽の風説」に該当するものである。
以上のとおり、同大学は「国賊」でも「嘘つき」でもなく、また「犯罪者を採用した」「爆破予告電話を自作自演した」事実もない。
   これに対して、被告発人側から「当該表現は侮蔑的ではあっても意見・論評に過ぎなく、真偽の判断に馴染まない」との弁明のあることが考えられる。しかし、意見・論評であっても後記のとおり、業務妨害罪の構成要件たる「風説」に該当するものとしてこの弁明はなりたたない。また、当該意見ないし論評の根拠たる事実が一見明白に真実に反することにおいてもそのような弁明のなり立つ余地はない。
   なお、虚偽はある事項の全部について真実に反することを要せず、一部で足りるものと解されている。
(2) 風説とは一般には噂のことであるが、噂という形で流布されることが必要でなく、行為者自身の判断・評価として一定の事項を流布させる場合であっても良いとされている。したがって、「国賊大学」とは被告発人たかすぎの同大学に対する判断・評価と解されるが、それそのものが、業務妨害罪の構成要件たる「風説」に該当するのである。
なお、虚偽の風説は、具体的事実を適示する必要はなく(大判 明治45年7月23日)、悪事醜業の内容を含んでいることも必要ではない(大判 明治44年2月9日)とされている(同書 691頁 下から5~1行目)。
(3) 流布とは不特定、または多数の人に伝播させることを言うが、必ずしも行為者自身、自らが直接に不特定又は多数の人に告知する必要はないとされ、他人を通じて順次それが不特定又は多数の人に伝播されることを認識して行い、その結果、不特定又は多数の人に伝播された場合も含むとされている(同書 692頁 1行目~4行目)
   本件電話1および同2をインターネット動画共有サイトであるYouTubeにアップロードした被告発人たかすぎの行為は、極めて強力な不特定多数者への伝播手段の利用であって、法の想定をはるかに超えた態様としての「風説の流布」に該当するものというべきである。
(4) 以上のとおり、被告発人たかすぎは、客観的真実に反する本件各虚偽事項を風説として不特定かつ多数の人に伝播したものであるから、その行為の構成要件該当性に疑問の余地はない。
(5)もっとも、虚偽とは「行為者が確実な資料・根拠を有しないで述べていた事実である」という主観説の立場がある。主観説に基づく判例としては、東京地方裁判所昭和49年4月25日判決(判例時報744号 37頁)が指摘されている。
   本件の場合には、被告発人たかすぎが確実な証明に必要な資料・根拠を何ら有することなく各虚偽事項を述べたことは明らかと言うべく、主観説の立場からも、虚偽の事項を述べたものとして構成要件該当性に問題がない。
3 故意
(1) 客観説の故意の内容については、行為当時に知られていた当該事実に関して真実とされる客観的知見を基準にして、これと齟齬する認識があることである。
   また、主観説によれば、自己の言説が確実な根拠・資料に基づかないことの認識が故意とされる。
(2) 本件における「国賊大学」「嘘つき大学」「犯罪者を採用」「爆破予告電話は自作自演」等の表現は、当時知られた客観的な事実に照らして大きく齟齬していることが明白であることから客観説における故意の存在が推認されるべきは自明と考えられる。
   また、被告発人たかすぎが、上記各虚偽事項の真実性を確実とする根拠・資料を有していることはあり得ないと考えられることから、主観説を採用するとしても、故意の存在は明らかである。
 (3) なお、本件各虚偽事項における「国賊」「嘘つき」などの表現が侮蔑的な評価ないし意見であるとしても、当該の表現を含む言説が風説として流布されれることによって同大学の業務を妨害する危険があることを認識していれば、故意の成立を妨げない。また、その評価の根拠たる事実が真実でないことについて被告発人たかすぎは認識していたものというべきであり、その立証にたりる確実な資料を有していないことも明らかであるから、この点についての故意の存在も疑問の余地がない。
4 結論
   以上のとおり、被告発人たかすぎの本件各架電とインターネットサイトへの各掲載によって同大学の業務を妨害したものとして、業務妨害罪の外形的構成要件要素の充足に疑問の余地なく、かつ故意の存在も当然に推認される。また、本罪は抽象的危険犯とされ、具体的な業務への支障の発生を要件とするものではない。したがって、被告発人たかすぎの同大学に対する業務妨害罪の構成要件該当性は明らかである。
5  なお、同じ罰条(刑法233条)には、「虚偽の風説の流布」と並んで、「偽計による」業務妨害の構成要件が規定されている。
   「虚偽の風説の流布」と「偽計」との関係については、虚偽の風説の流布も偽計の一態様であるとし、偽計の概念の中に虚偽の風説の流布が含まれるとする見解が妥当であるとされており、(同書 693頁 18~20行目)本件を「偽計による業務妨害」として把握することも可能と思われる。
   しかし、本件の場合には、虚偽の風説の流布に該当することが明らかな事例であるから、偽計による業務妨害罪によらずして、典型性の高い虚偽の風説の流布による業務妨害罪として立件すべきが相当と考えられる。

第四 本件犯行の背景と告発の動機
1 同大学の非常勤講師である植村氏が元朝日新聞の記者としていわゆる従軍慰安婦問題の記事を書いたのは1991年(平成3年)8月11日付の朝日新聞大阪本社版朝刊であるが、それが捏造記事であるとして植村氏を糾弾、社会的に抹殺せんとする動きが2014年(平成26年)2月6日付週刊文春(同年1月末発行)の「“慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」と題する記事以降急速に強まった。
植村氏の解職を求める電話等が植村氏本人にではなく、その雇用主になる予定の神戸松蔭女子学院大学に対して1週間で250通集中するという事態が発生し、それによって同大学は植村氏に対し、教授に迎え入れられる状況ではない、学生募集に支障がでるとの判断を示し、同大学内に何の繋がりも持たなかった植村氏は、教授就任を諦めざるを得なかった。植村氏は同大学教授への就任のため朝日新聞社を退社する手続をとっており、同年3月末、同社を退社となった。
2 その後、植村氏が北星学園大学の非常勤講師として勤務していることが知られるところとなり、同氏の解職を求める電話、メール、手紙が同大学に集中することになった。
  それらの中でも電話によるものは特に業務への妨害性が高いが、ネットでは抗議や要求等をする電話のことは「電凸」(電話突撃の略で、「でんとつ」と読む)と称されており、本人ではなく雇用主や広告主などの第3者に対して電凸することが、意図的に煽られている。その方が圧倒的に高い効果を得られるからと言われている。
被告発人たかすぎの本件2回の電凸行為は、同大学への架電して大学側の対応を自ら録音しておいて、それをYouTubeにアップロードして社会に公開し、誰もが閲覧、聴取可能なようにしたというところに極めて大きな特徴がある。
  本件電話1のYouTube閲覧者数は12月8日現在で42,135名、本件電話2のYouTubeに関しては7,922名であって、個人が他の手段では到底達することができない多数への伝播となっている。そればかりではない。YouTubeにアップされた被告発人たかすぎの電凸ファイルは、
  保守速報(http://hosyusokuhou.jp/archives/39576639.html)
  嫌韓ちゃんねる(http://ken-ch.vqpv.biz/no/1206.html)等
 のブログにダウンロードされて、そこで閲覧可能となり、そこでも電凸が煽られて電凸が更に広まっていくという事態が進行している。
  以上のとおり、被告発人たかすぎの本件各電凸は、同大学に対する電凸攻撃を煽り、そそのかす役割を果たしているものである。そして、その役割は現時点でも日々継続している。
3 被告発人たかすぎの本件犯行の動機は、偏に植村氏の言論が自分の主義主張に反していたからということだけを理由に、植村氏に私的なリンチを加えて、社会的抹殺することを企て、そのための手段として同大学から失職させることを目的として、本件各電凸行為をおこなっているのである。
  植村氏は、現在実質的に生計の道を断たれた状態にあり、それに加えて同大学の非常勤講師としての職をも失わせようという被告発人たかすぎの本件犯行は、非人道的なものとして犯状極めて悪質と言わなければならない。
  また、被告発人たかすぎの本件各行為は、植村氏の言論とは全く関係のない雇用主である同大学の業務を妨害するという極めて卑劣なものである。本件「電凸行為」は同大学の新入生勧誘等の業務を具体的に妨害することなど、業務の支障は大きくこの点でも不当卑劣、犯状悪質と言わざるを得ない。
被告発人たかすぎの本件行為等の結果、同大学に対する抗議電話やメールは累計2000件以上だという。同大学が被告発人たかすぎの行為によって、多大な業務上の妨害を受けていることは明らかである。雇用主に電凸しそれをインターネットで伝播することによって被告発人たかすぎは、その不当な目的達成のため、信じられないほど大きな効果を獲得しているのである。
この日本の社会の平穏を確立し、自由に語り自由に書ける安心な国として維持してゆくために、本件のごとき犯罪の防遏に対する捜査機関の果敢な決断が、今、求められていると我々は考える。
本件犯行に対して、可及的速やかに厳正な捜査を遂げて、被告発人たかすぎの処罰を求めるものである。

第五 立証方法(略)

(2014年12月27日)

朝日バッシングを「第二の白虹事件」としてはならない

何年前のことだったろうか。何をきっかけにしての話題だったかも忘れたが、新聞記者だった弟から、「兄さん、白虹事件というのを知っているだろう」と話しかけられたことがある。憲法を学び、表現の自由に関心をもち続けてきた私だが、恥ずかしながら「白虹」も、「朝日・白虹事件」も知らなかった。

そのときの弟の説明で、「白虹日を貫く」という言葉が皇帝の凶事を表す天象として史記の中にあること、戦前の大阪朝日新聞が紙面にこの言葉を載せて弾圧を受けたことを知った。不敬を理由とした国家の言論弾圧事件であっただけでなく、右翼の跳梁がすさまじく、朝日の社長が襲われたり、不買運動が展開されたりして、日本の新聞界全体が萎縮したことも知った。国家と右翼勢力が意を通じて言論を弾圧し攻撃する、国民がこれに抵抗するでなく傍観する構図。なんと、今とよく似ているではないか。

昨日(12月22日)毎日夕刊に「牧太郎の大きな声では言えないが…:『第二の白虹事件』の年」というコラムが印象に残る。学生時代に、この事件を「新聞の国家権力への屈服」と教えられたとして、以下のように解説している。

「1918(大正7)年8月26日の大阪朝日新聞夕刊は、「米騒動」に関する寺内正毅内閣の失政を糾弾する新聞人の集会をリポート。その記事に、こんなくだりがあった。
『食卓に就いた来会者の人々は肉の味酒の香に落ち着くことができなかった。「白虹日を貫けり」と昔の人が呟いた不吉な兆が黙々として肉叉(フォーク)を動かしている人々の頭に電のように閃く』
この中の「白虹日を貫けり」という表現が問題になった。
司馬遷の「史記」にある言葉。燕の太子丹の刺客となった荊軻が始皇帝の暗殺を謀る。白い虹(干戈)が日輪(天子)を貫く自然現象が起きて暗殺が成功する!との意味らしい。
大阪府警察部新聞検閲係は、新聞紙法41条の「安寧秩序ヲ紊シ又ハ風俗ヲ害スル事項ヲ新聞紙ニ掲載シタルトキ」に当たるとして、筆者と編集人兼発行人の2人を裁判所に告発した。不買運動も起こった。右翼団体が大阪朝日新聞社の社長を襲撃し、「国賊!」と面罵した。

2014年、朝日新聞は「慰安婦報道」「吉田調書」の誤りで、いまだに一部から「国賊」扱いされている。「白虹事件」の後、新聞は戦争に加担するメディアになった。そんなことがないように!と願うばかりだが…」

ネットを検索したら、「電網木村書店 Web無料公開」というサイトを見つけた。問題の記事を書いた記者の一人で、禁錮2月の実刑になった大西利夫記者が、後に『別冊新聞研究』(5号)の「聴きとり」に答えてこう言っているそうだ。

「白虹事件というのは、日本の言論史の上でかなり大きな意味をもっておりまして、『朝日』もこれから変わりますし、他の新聞も、うっかりしたことは書けん、というように…。」
「その時の『朝日』のあわて方もひどかったんです。天下の操觚(そうこ)者[言論機関]を以って任じ一世を指導するかのように見えた大朝日も権力にうちひしがれて、見るも無残な状態になる有様を私、見たような気がして、余計ニヒリスティックになるんです。」

本日の朝刊で、朝日が「白虹事件」の二の舞を演じているのではないかと、危惧せざるを得ない。第三者委員会の人選はどうしてこのようなものになったのだろう。もっと適切で妥当な人選は可能だったはずではないか。

本日の朝日に掲載された「第三者委員会報告書(要約版)・個人意見」欄の、岡本行夫・北岡伸一両委員の言いたい放題に腹が立ってならない。こんな駄言に紙面を提供して、「天下の操觚者を以って任じ一世を指導するかのように見えた大朝日」なのか。

牧太郎は、「『白虹事件』の後、新聞は戦争に加担するメディアになった。」と言い、大西利夫も、「『朝日』もこれから変わりますし、他の新聞も、うっかりしたことは書けん、というように…」と言っている。白虹事件のあと、朝日だけでなく、言論界全体が変わったのだ。「変わった」とは権力批判、政権批判の牙を抜かれたということだ。さらには、迎合する姿勢にさえ転じたということ。

岡本行夫も北岡伸一も、明らかに「朝日よ変われ」「現体制受容に舵を切れ」とトーンを上げている。北岡に至っては、「過剰な正義の追求は、ときに危険である」「バランスのとれたアプローチが必要」と、朝日の姿勢にお説教を垂れている。さらには、憲法9条についての論調の攻撃までし、安倍内閣の安全保障政策に対する朝日の批判を「レッテルを張って」「歪曲する」ものと決めつけてもいる。これは、朝日バッシングを「第二の白虹事件」とし、朝日とメデイァ全体の在野性、権力批判の姿勢を骨抜きにしようとするものにほかならない。

朝日バッシングを「第二の白虹事件」にしてはならない。朝日は萎縮から抜け出て踏みとどまらねばならない。他の新聞もメディアもだ。牧太郎は、コラムを「読者の皆さん、民主主義が守られる『良いお年』を!」と結んでいる。しかし、安閑としていては到底よいお年などあり得ない。民主主義を守るためには声を上げることが必要ではないか。
(2014年12月23日)

あなたも「北星学園・電凸業務妨害事件」の告発人になってください

昨日(12月20日)、「負けるな北星!の会」が、札幌市内でシンポジウム「報道の自由、大学の自治を考える~北星問題の根底にあるもの」を開催した。大学関係者や弁護士だけでなく、市民参加者350名を得て盛会だったとのこと。

この集会では植村隆さんが、「慰安婦捏造」という事実無根の批判に反論の報告を行った。週刊金曜日・月刊創・世界・東京新聞・ニューヨークタイムズ・文芸春秋と、ようやく植村さん側の理路整然たる主張が出揃ったところである。これに加えての、公開の集会での植村さん自身の発言はインパクトが大きい。

これまでの植村さんには、「目立つことをすれば、北星学園に迷惑を掛ける」という遠慮があったように見受けられる。しかし、北星が雇用継続の態度を明確にした今、北星とともに理不尽な脅迫や暴力と闘う以外に道はない。毅然とした姿勢の北星学園と植村さん、その両者に対して精一杯の支援を継続したい。

私たち支援の弁護士は、11月7日北星学園に対する2通の脅迫状発送者を威力業務妨害で札幌地検に告発した。この告発の効果には大きいものがあったと報告を受けている。しかし、これで学園の業務への妨害がなくなったわけではない。業務妨害行為を掣肘して学園の平穏を取り戻すために、引き続く法的措置が必要と考えざるをえない。思いを同じくする人たちが、インターネットにおける北星バッシングの酷さに憤って告発を企図し、私たち弁護士がこれに呼応して代理人を買って出た。

被告発人は本名や住所は不詳だが、「たかすぎしんさく」と称する人物。告発事案は、同被告発人の北星学園に対する「電凸・ユーチューブ投稿」を「虚偽の風説を流布した」行為態様の「業務妨害」とするもの。

核になる告発人は他大学の教員を中心とした有志だが、告発人には多くの市民参加が望ましい。元来が一人北星が受けている圧力を、市民が肩代わりして分散し分担しようという発想からの告発運動である。

緊急のことだが、このブログをお読みのあなたも、ぜひ告発人として委任状を提出していただけないだろうか。
下記の「負けるな北星!の会」ホームページに、「告発人に賛同のお願い」「委任状」と「告発状(案)」が掲載されている。「告発人に賛同のお願い」をよくお読みの上、プリントアウトした委任状に署名捺印して掲記の「送り先」に郵送をお願いしたい。

http://makerunakai.blogspot.jp/2014/12/blog-post_16.html

「電凸告発委任のお願い」の内容要旨は以下のとおり。
「電話とネットを使って北星学園大学を攻撃した「たかすぎしんさく」と称する人物を告発する、そのための「委任」のお願いです。その告発人から委任を受けて弁護士が責任を引き受けて、札幌地検に告発することになります。
その目的は大きく次の2点です。
(1) 北星学園大学の負担を分散して軽減すること
(2) 跳梁するネット右翼の言論に対抗すること
賛同される方は、委任状に署名、押印して、その原本を指定の「送り先」まで郵送してください。」

告発人の名前は告発先の札幌地検には明示されるが、それ以外に公表されることはない。代理人弁護士は、道内外の弁護士で200人以上となる見通し。
一応の締め切りを12月24日到着までとするが、24日には間に合わなくなったとしてもお願いしたい。

なお、「たかすぎしんさく」の電凸ユーチューブは、電凸告発の予告をした途端に非公開となって、今は閲覧できない。どのような内容であったかは、告発状に詳細なのでこれをお読みいただきたい。

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この世には、表もあれば裏もある。日の当たるところで真っ当に暮らす者ばかりではなく、もっぱら陰でうごめく者もある。表の世界の論理で、裏の社会を批判するのは野暮というもの。表の世界の住人にとって、裏のできごとは見て見ぬふりをし、触らず関わらず、敬して遠ざくのが賢いやり方、それが謂わば常識となっている。

この常識は、裏の世界が裏だけで完結している限りにおいて妥当する。裏の世界が、その分を越えて表の世界に足を踏み入れるようになった途端に、裏の世界の「常識」は通用しなくなることを知らねばならない。裏の世界の言動も、表の陽の光を当てられれば、表の世界のマナーもルールもわきまえねばならないことを、裏の人間は骨身に沁みて学ばねばならない。

これまで関心なく無視してきたいわゆるネトウヨの世界。北星学園バッシング問題に関わったことから、無関係では済ませられなくなった。私を含む「電凸告発」弁護士グループに関するネトウヨ記事を仲間が抽出していくつも転送してくれた。典型は次のようなもの。

   この弁護士連中も犯罪者だな
  殺せ
 
  そもそもこの弁護士らの素性を公表せんかい!
  こういう告発をする弁護士には、
  日本国民がきゃつらを提訴することも可能だろう

  職件乱用でやりたい放題のアカ弁護士を訴えて
  弁護士資格を剥奪したれや!

  そうだ!この弁護士達を懲戒請求するのはどうよ?
  確か橋下も言っていたよな。
  不満があるなら弁護士に対して懲戒請求すれば良いってさ

匿名に隠れてしか発言のできない卑劣漢たちの放言である。自分は匿名性の防壁に隠れて他への攻撃を専らにすることを、卑怯、陰険、奸佞と言わねばならない。この自らの姿勢について恥じるところのないところが情けなく救いがない。

私の印象に過ぎないのかも知れないが、「右翼」には彼らなりの美学も正義感もあったはずではないか。とりわけ、弱者を痛めつけたり、卑怯未練に振る舞うことを恥とする倫理の感覚を持っていたのではないか。ネトウヨには、そのような倫理の持ち合わせはないのだろうか。とすれば、いったいネトウヨとは何なのだ。
(2014年12月21日)

「市民の力の勝利」ー成功体験は理性ある市民の手に

「北星学園大学の植村隆さん雇用継続の決定について、各紙がそれぞれの社風で記事を書いている。東京新聞と北海道新聞がほぼ同じ内容。見出しに、「『脅迫に負けるな』支援受け」「市民の力の勝利」と文字が躍る。

この二つの見出しが事態を端的に物語っている。せめぎ合いは「卑劣な脅迫者」と「真っ当な市民」との間のものだった。最初は脅迫者側が優勢に見えたが、「脅迫に負けるな」という市民の声が大きなうねりになって結実し、「市民の力の勝利」に至ったのだ。このことの意味は極めて大きい。

道新に(東京にも)次のような感動的な一文がある。「これは市民の力の勝利だ」と述べた北星学園大学教員の名言である。
「今回、確信した。民主主義は政治家や学者によって守られるものではない。市民が納得のいかないことに声を上げ、議論をし、自らも説明責任を果たすことでしか、実現しない」
この度は、市民の側が成功体験を積み上げ自信をもった。

同じ道新に(東京にも)、次のコメントが紹介されている。
「結城洋一郎小樽商大名誉教授の話 北星大が脅迫に屈すると『あいつを気に入らないから辞めさせろ』と、あらゆる組織で同じことが起きかねない。今回の誇りある決断は、そうした風潮を抑止する。」「警察は警備を強化し、脅迫などの捜査を進めるべきだ。愉快犯であっても、厳しい態度を示すべきだ。」
不当な連中に間違った成功体験を経験させてはならないのだ。

朝日は、精神科医香山リカさんのコメントを掲載している。
「この間、…間接的に脅迫を肯定するかのような議論が、ネットを中心に一部で見られたのは大変残念だった。万一、また学問の自由や大学の自治を侵害する卑劣な行為が起きた場合、大学内部で対処せず、今回のように情報公開し、外部の支援者がスクラムを組んで大学を守る方法が有効ではないか。その意味でよい先例になったと思う。」
実に的確な指摘だと思う。(1)卑劣な行為起きた場合内部だけの問題としない。(2)情報公開し外部に訴える。(3)外部の支援者がスクラムを組んで卑劣な行為を糾弾する。香山さんは、今回の教訓をこのように定式化して、「よい先例になった」と評価しているのだ。

敢えてもう一つ付け加えるとすれば、(4)外部の犯罪行為には躊躇なく警察や検察の手を借りて取締りを依頼しよう。告訴や告発を躊躇することは、業務妨害や、脅迫・強要・名誉毀損・侮辱犯に間違ったメッセージを送ってしまうことになりかねない。北星への卑劣な脅迫者たちは、「これくらいのことはたいしたことはない」「俺たちの立場は政権や社会に支持されている」「こんなことに警察が手出しすることはないだろう」と思い込んでいたのではないか。

私が今回使った「成功体験」という言葉は、北大教授の町村泰貴さんのブログから借用したもの。便利で使いやすい言葉だ。この人のブログからは、教えられることが多い。
町村さんは、11月5日付のブログで、「北星学園大学は脅迫に屈することを選ぶ模様」と嘆いている。そのなかに、「このような形で脅迫に屈すれば、脅迫者たちの成功体験が次の脅迫を呼ぶことであろう。」という一文がある。指摘のとおり、彼らに「成功体験」をさせてはならないのだ。

町村さんは、さらにこう続けている。
「学問と言論の自由は、当然ながら、世間の反発を買うような内容の言動も含めて、その自由が保障される必要がある。もちろん内容面についての批判を受けることは甘受しなければならないのだが、それを超えて、辞職しろとか、自決しろとか、そのような脅迫を甘受する必要はないのであり、そのような脅迫は原則として取り締まりの対象となるべきである。
そして脅迫に対しては、大学は脅迫者に対する刑事告発や民事責任追及といった方法をもって対抗し、かつそれが危害を加えられるおそれに至れば、警備にコストがかかるかもしれない。そのコストは、本来脅迫者たちから損害賠償として取り立てるべき筋のお金である。」

ここまでが民事訴訟法学者の言である。この示唆を受けて、あとは実務法律家が語らなければならない。「大学が、脅迫者に対する刑事告発や民事責任追及といった方法をもって対抗する」には弁護士の助力を必要とする。道の内外を問わず、多くの弁護士が北星の役に立とうと身構えている。

町村ブログの重要な示唆は民事訴訟提起の勧めである。刑事告訴や告発も辞さないというだけでなく、民事訴訟も考慮せよというのが町村教授提案ではないか。なるほど、考えてみれば、大学が警備費用など余計な出費を負担する筋合いはないのだ。この損害は、脅迫に加わった多数加害者たちの共同不法行為として構成することが可能ではないか。住所氏名が判明した脅迫行為加担者には、警備費用などのコスト分を損害として賠償請求訴訟の提起が十分に可能である。共同不法行為が成立する以上は人数割りで損害が按分されるのではない。共同不法行為加担者の一人ひとりが、損害の全額を賠償する責任を持つことになる(民法719条)のだ。この際、いくつかの実例を作っておくことが、後々のために有益ではないだろうか。

その町村さんが昨日のブログでこう書いている。
「おりしも、パキスタンではあのマララさんを襲ったグループが学校を襲って100人以上もの死者を出した事件が今日報じられている。思想も過激さも大きく異る二つのケースだが、子どもを攻撃対象とする卑劣さにおいて北星学園大学脅迫犯とパキスタンの過激派とは同根だ。こうした連中を助長し、のさばらせ、共感したりすることは有害だ。
逆に、脅迫には屈しないということを選んだ北星学園大学に、心からのリスペクトを送りたい。」
まったく同感である。
(2014年12月18日)

北星学園大学の英断に敬意ーいっそうの支援の輪を拡げよう

北海道は今日は猛吹雪とのこと。そのなかで、北星学園にだけは暖かい陽が射し、さわやかな風が吹いたようだ。言論の自由と大学の自治を蹂躙しようとした卑劣な排外主義の横暴に歯止めがかけられたのだ。

まずは、北星学園理事長と学長連名の本日付下記声明を熟読いただきたい。苦悩しつつも、理性ある社会の連帯の声に励まされながら建学の理念を貫いた、その真摯な決意を読み取ることができる。

http://www.hokusei.ac.jp/images/pdf/2014_1217.pdf

まずは、北星学園の皆さんに敬意を表しなければならない。そして、この成果獲得の過程に満ちている多くの教訓を確認しなければならない。そしてまた、これですべてが解決したわけではない。このステップを確信として、さらに大きな支援の輪を広げなくてはならないと思う。

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元朝日新聞記者である植村隆氏は、23年前に2通の従軍慰安婦問題報道の記事を書いたとして故ないバッシングの対象とされてきた。二つの記事はいずれも立派なもので、これを非難するのは「理由なく難癖をつける」に等しい。にもかかわらず、同氏に対するバッシングは、本人のみならず家族に及び、さらにその矛先は勤務先の北星学園大学に向けられた。

本年の5月以後、心ない者の扇動に乗せられた卑劣きわまりない脅迫・強要・業務妨害の電話やメールが一斉に北星学園に押し寄せた。「大学への脅迫や抗議は5月~11月半ばだけでも2千近くに上った」(道新)という。この事態は、今の時代の空気を象徴するものとして、凝視しなくてはならない。排外主義の空気がこうまで色濃くなっているという背筋が寒くなる現実があるのだ。

攻撃の標的として確かに学校は弱い。北星学園は、大学生だけでなく中高一貫の女子校を抱えている。本当に安全を守れるのか、保護者を安心させることができるのか。トラブルのある学校への進学希望者が減るのではないか、いたずら電話などに完璧な対処ができるのか、心配は尽きない。職員にも大きなストレスがかかっている。現実に警備費用の負担が大きくのしかかっているとも聞こえてくる。経営の観点だけからなら結論は単純だ。一人の非常勤講師の雇用継続を拒否した方が合理的な判断であることは間違いない。

しかし、その北星学園は最終的に毅然とした判断に至った。本日植村氏の雇用契約を来年度も継続するむねを正式に発表した。経営ではなく敢えて理念にしたがった選択をしたのだ。

その経過は、北海道新聞に手際よくまとめられている。
「同大は当初、学生や受験生の安全を優先して、雇用を打ち切る方針で検討していた。しかし、大学を運営する学校法人の理事会などで、『雇用打ち切りはキリスト教を基礎とした建学精神に反する』と反対意見が多く出された。
また市民グループ『負けるな北星!の会』が発足し、全国の弁護士380人が脅迫状事件で容疑者不詳のまま札幌地検に告発するなど、支援の動きが国内外に広がった。札幌弁護士会が『民主主義に関わる』として協力を申し出たこともあり、大学は講師の契約更新に必要な安全確保ができると判断したとみられる」

本日の学長声明では、「暴力と脅迫を許さない動きが大きく広がり、そのことについての社会的合意が広く形成されつつあり、それが卑劣な行為に対して一定の抑止力になりつつあるように思われます」と言っている。極めて率直に正直に、「北星学園ひとりの力だけでは、この事態を乗り越えられない」「多くの人の励ましを得て、この社会の声の力強い後押しがあるなら乗り越えられるだろう」というのだ。

私たちは、もっともっと支援の輪を広げ、力強い応援をしなければならない。

言うまでもないことだが、大学運営の業務の平穏は守られなければならない。この業務平穏を妨害することは犯罪である。私たちは、2度目の告発を準備中で、今度は早期の起訴にまで持ち込みたいと考えている。

北星学園に対する「電凸」を「虚偽の風説の流布による業務妨害」(刑法233条)とするもので、近々札幌地検に告発状を提出する予定。電凸という用語は私も今回初めて知ったが、これは今やネット社会の住民のいやがらせ常套手段。これを防遏する意味が大きい。

卑劣な攻撃から平穏な学園を防衛するためには、さらなる刑事告訴や告発、場合によっては民事の損害賠償も考えねばならない。それが、社会の責任であり、人権と社会正義の擁護を使命とする実務法律家の使命でもある。これを徹底してこそ、民主主義的秩序を擁護することが可能となる。

あらためて背筋が凍る思いがする。もし、北星学園が暴力と脅迫に屈して逆の結論を出していたとしたら…。暴力と脅迫はさらにエスカレートし、至るところで跋扈しかねない。非理性的な排外主義の社会的圧力が、言論の自由や学問の自由、大学の自治を蹂躙しかねない。かろうじて、そうはならなかった。その意味で、今日は良い日だったのだ。吹雪荒れる日ではあっても…。
(2014年12月17日)

植村隆・北星学園応援の声を上げよう

本日(12月14日)の毎日「今週の本棚」(書評欄)トップに、将基面貴巳著「言論抑圧ー矢内原事件の構図」(「中公新書」907円)が紹介されている。書評執筆者は北大の中島岳志。紹介する書物のテーマがもつ今日性についての強い問題意識が熱く語られ、それゆえに迫力ある書評となっている。

冒頭から問題意識が明確に表示されている。
「慰安婦報道に携わった元朝日新聞記者・植村隆氏へのバッシングが続いている。植村氏は、赴任予定だった神戸松蔭女子学院大学から教授ポストの辞退に追い込まれ、現在は非常勤講師を務める北星学園大学で雇い止めの瀬戸際に立たされている。現政権は脅迫への積極的な批判や対策に乗り出さず、一方で朝日新聞叩きに加勢する。」

この状況が「いつかきた道」を想起させるのだ。
「右派からの苛烈な攻撃と過剰反応する大学。そして、権力からのプレッシャー。歴史を想起すれば、1930年代に相次いだ言論抑圧事件が脳裏をよぎる。」

1937年に東京帝国大学経済学部を追われた矢内原忠雄を取り巻く背景事情は、まさしく現在進行する北星学園大学の植村隆のそれと瓜二つなのだ。

80年前の事件では、紆余曲折の末、結局は文部大臣の圧力に屈した帝大総長の即決によって矢内原は大学を追われる。矢内原は最終講義を次の言葉で締めくくったという。「身体ばかり太って魂の痩せた人間を軽蔑する。諸君はそのような人間にならないように…」

中島は、書評を次のとおりの熱い言葉で締めくくっている。
「本書は約80年前の事件を取り上げながら、現代日本を突き刺している。我々は歴史を振り返ることで『いま』を客体化し、立っている場所を確認しなければならない。必読の書だ。」

この「必読の書」は、今年9月下旬に発刊されたもの。植村・北星学園バッシング事件応援のために生まれてきたような書。矢内原事件とは異なり、植村・北星学園の事件は未決着だ。「バッシングにマケルナ!」の声援が日増しに大きくなっている。中島に呼応して、多くの人が、それぞれの持ち場でその影響力を駆使して、この事件を語ってもらいたい。書く場があれば書いていただきたい。元々が根拠をもたない攻撃なのだ。多くの人の言論の集積で、必ずやこの攻撃を食い止めることができるに違いない。

私も自分のできることとして、下記のとおりこの件についてブログを書いている。

12月10日http://article9.jp/wordpress/?p=3991
植村隆の「慰安婦問題」反撃手記に共感

12月3日http://article9.jp/wordpress/?p=3958
ニューヨークタイムズに、右翼による「朝日・植村バッシング」の記事

11月29日http://article9.jp/wordpress/?p=3925
「試されているのは一人ひとりの当事者意識と覚悟」-北星学園「応援」を自らの課題に

11月15日http://article9.jp/wordpress/?p=3858
「負けるな北星!」  学内公聴会発言者に敬意を表明する

嬉しいことに、読者からの反応がある。若い友人からいただいた12月10日ブログへの感想を、2例引用しておきたい。

「12月10日の植村隆さんの手記を紹介するブログを読んで涙が止まりませんでした。植村バッシングの本質を鋭くついている点や手記最後の部分への共感など、本当に植村さんの言いたいことを代弁して下さっていて、うれしく思います。

『文藝春秋』編集部の前文はいやらしい書き方ですが、本質的批判ではないと私は受け止めています。アリバイ作りというか、『文藝春秋』は植村さんの手記を載せる以上、右翼からのバッシングを恐れてあのような前文を書かざるを得なかったのでしょう。違う意味での『委縮』だと思います。

それでも、植村さんの主張が、保守系雑誌にきちんと載ったことの意義は大きいと思っております。
これからもよろしくお願いいたします。」

「12月10日の澤藤さんのブログで植村隆さんの手記が発表されたことを知って、さっそく図書館でコピーして読みました。この手記は非常に重要ですね。

この手記は、事件について教えてくれるばかりでなく、現在のわれわれの社会の政治的言論の異様な状態──自由な発言と議論と批判を排除して、嘘と隠蔽と根回しとイメージを操作することによって集団の合意を形成しようとし、自分と異なる意見にたいしては反論するのではなく圧力をかけることによって黙らせようとする──を理解するための重要な鍵をいくつか与えてくれるように思います。

植村さんの手記を読むと、この事件が、脅迫電話や脅迫状や『電凸』を仕掛けたネトウヨだけが犯した犯罪ではないことに気づかされます。

1991年8月10日の植村さんの最初の記事から2014年の植村宅や北星学園に対する嫌がらせまで、この事件を紡いでいった一つ一つの鎖の輪のなかに登場する諸個人──西岡力は中でももちろん重大ですが、その他にも、朝日新聞東京本社からはじまって、慰安婦問題を大きく取り上げようとしなかった大手新聞各社、雇用契約を一方的に破棄した神戸松蔭女子大学の幹部、本人取材をスルーした読売新聞記者、盗撮したフラッシュ女性記者、ネットで中傷を繰り広げた者たち、その中傷に屈して雇い止めを望んだ北星学園大学の一部のひとたち、謝罪会見を準備した朝日新聞本社の幹部とそれを指揮し会見を実際に行なった木村社長にいたるまで──これら諸個人の判断と行動の一つ一つの積み重なりが、この事件を構成しているのだということに気づかされます。

もし、これら諸個人の一人一人が、正しく判断し、真実を言う勇気をもっていたら、この事件は起らなかったのではないかと思います。

組織や集団において責任ある地位にいる諸個人、その人たちの不見識と無責任と怯懦が、そして、そのような人々を組織や集団のトップに押し上げるような組織運営のシステムが、今日の言論の危機を招いているのではないでしょうか。

有権者に、判断のための情報と議論をする時間を与えず、イメージだけを与えて、自分たちが勝てるうちに総選挙をやってしまおうとする安倍首相のやりかたが、ナオミ・クラインが『ショックドクトリン』と批判したまさにその手法です。また、一国の首相がフェイスブックで個人のコメントに噛みつくような世の中では、勇気も見識もない跳ねっ返りが、気にくわない相手を匿名で恫喝するのも当然のことのように思えてきます。

このようなモラルと言論空間の変容は、政治、経済、社会の変容と結びついてもいるわけで、そちらの方も別の機会に考えてみたいと思います。

いずれにしても、澤藤さんが12月10日の憲法日記で書いていらっしゃるように、この現実に起きている恐るべき悪夢について、『今何が起こっているのか、何がその原因なのか、そしてどうすればこの状況を克服できるのか。理性と良識ある者の衆知と力を結集しなければならない』という言葉に賛同します。

今日の恐るべき政治の主導者たちが、毎日のように昼夜を問わず料亭やホテルや別荘や研究所に集まって悪知恵と悪だくみに磨きをかけているのに対して、それを打ち破ろうとする者たちがなかなか彼らに勝てないのは、そして野党や市民運動が脆弱なのも、知恵を出し合って一緒に議論したり探究したりしていないからではないでしょうか(もしかしたら、すぐれた研究はたくさんあるのに、僕が勉強していないだけなのかもしれませんが)。それにしても、この現状を打開するための知の探究は、一人でできるものでははないし、また、一人ですべきものでもないように思います。

またお目にかかってお話ししましょう。寒さの折り、お体を大切になさってください。」

植村手記を我がこととして読む人がおり、また、植村手記を現代の病理を象徴する重要な事件として真剣に読み解こうとする人がいる。植村・北星学園が孤立した状況は確実に克服されつつある。

私は、この問題についてのブログを発信し続けよう。そして、弁護士としてできることを追求する。さしあたっては、仲間と語らって、ネットにアップされた典型的な悪質いやがら事案を刑事事件として立件させることに努力する。
(2014年12月14日)

植村隆の「慰安婦問題」反撃手記に共感

本日(12月10日)発売の「文藝春秋・新年号」に、「慰安婦問題『捏造記者』と呼ばれて」と題する朝日新聞植村隆元記者の「独占手記」が掲載されている。

私が普段この雑誌を購入することはない。が、今号だけは別。さっそく買って読んでみた。素晴らしい記事になっている。「週刊金曜日」・「月刊創」・ニューヨークタイムズ・東京新聞(こちら特報部)に続いて、ようやく出た本人自身の本格的な反論。

タイミングが実によい。明日(12月11日)が北星学園の理事会だと報じられている。この手記は、学園の平穏を維持する立場から植村講師雇用継続拒否もやむを得ないと考える立場の理事に、再考を促すだけのパワーをもっている。

手記は、植村バッシングが実はなんの根拠ももってはいないこと、にもかかわらず右翼メディアと右翼勢力とが理不尽極まる人身攻撃を行っていること、この異様な事態にジャーナリズムの主流が萎縮して必要な発言をしていないことを綿密に語っている。

これは今の世に現実に起きている恐るべき悪夢である。マッカーシズムにおける「赤狩り」とはこんな状況だったのであろう。あるいは天皇制下の「非国民狩り」もかくや。今何が起こっているのか、何がその原因なのか、そしてどうすればこの状況を克服できるのか。理性と良識ある者の衆知と力を結集しなければならないと思う。

植村手記はその最終章で、「頑張れ北星」「負けるな植村」の声が高まりつつあるとして希望を語っている。そして、自分を励ます言葉で結ばれている。まだまだ、救いの余地は十分にある。我々が声を上げさえすれば…。

手記は全27頁に及ぶ。時系列とテーマで、「手記その①」~「手記その⑦」の7章から成る。それぞれが読み応え十分な内容となっている。これまでの経緯を述べて、文春・読売・西岡力らのバッシングに対する全面的な反論になっている。

その手記に前置して、「我々はなぜこの手記を掲載したのか」という編集部の2頁におよぶコメントが付けられている。これはいただけない。文春編集部の懐の狭さを自白するお粗末な内容。しかし、それを割り引いても、植村手記にこれだけのスペースを割いたのは立派なもの。営業政策としての成功も期待したい。朝日バッシングの重要な一側面をなす植村問題について語るには、今後はこの手記を基本資料としなければならない。文春を購入して多くの人にこの記事を読んでもらいたいと思う。ただ読み流すだけでなく、徹底して読み込むところから反撃を開始しよう。

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植村手記に前置された文春編集部のリードは、あからさまな植村批判の内容となっている。読者には白紙の状態で手記を読ませたくないという姿勢をありありと見せているのだ。編集部なりの要約にもとづく植村への批判を先に読ませて、その色眼鏡を掛けさせてから手記本文を読ませようという訳だ。

このリードは、「植村隆氏が寄せた手記は、日本人に大きな問題を突きつけている」と始まる。読み間違ってはいけない。大きな問題とは、植村の言論に対するバッシングという手記執筆以前の異常な現象をさしているのではなく、この文章の文意のとおり、「手記」自体が問題だと言っているのだ。問題の具体的内容は、「(1)ジャーリズムの危機」、と「(2)社会の危機」だという。もう一度、間違ってはいけないと念を押さねばならない。「(1)ジャーリズムの危機」とは、23年前の記事に対する現今のメディアの執拗な攻撃のことではない。植村の手記に表れているジャーナリストとしての姿勢にあるのだという。植村が「真実を見極めるべきジャーナリズムの仕事にふさわしくなく、(従軍慰安婦)として被害にあったと主張する人に『寄り添う』と言っていること」を、危機だというのだ。これには驚いた。

次いで、「(2)社会の危機」とは、「植村氏とその家族に向けられたいやがらせ、脅迫の数々」を言っている。しかし、この明白な犯罪行為を含む卑劣な諸行為は、文春自身を含む、朝日バッシングに加担したメディアが主導して作りだした社会の雰囲気によって起こされたものではないか。そのことについての自省の弁はない。

ちなみに、数えてみたところ、「(1)ジャーリズムの危機」に関する記事は63行であるのに対して、「(2)社会の危機」に関する記事は9行に過ぎない。

もっとも、誰が読んでも、文春のリードの書き方はおざなりで切れ味にも迫力にも乏しい。91年当時の植村署名記事や今回の植村手記を、本気で批判しているとは思えない。「ジャーナリズムの危機」などという大袈裟な言葉が空回りしている。植村手記掲載に対する右翼からの批判を予想し、先回りして弁解の予防線を張っておこうという姿勢なのだろう。文春自身がジャーナリズムの萎縮の一つの態様を見せているのだ。

そんなことを割り引いても、植村手記掲載は月刊文藝春秋編集部の英断といって差し支えない。これが、植村バッシング終息への第一歩となりうるのではないか。

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「手記その⑤慰安婦捏造記者と書かれてー西岡力氏への反論」や、「手記その⑥バッシングの日々ー大学の雇用契約も解消された」を読むと、この社会は異常な心理状態にあると薄ら寒さを感じる。国賊や売国奴、反日の輩を探し出して天誅を加えなければならないとする勢力が跋扈しているのだ。このような排外主義者にメディアの商業主義が調子を合わせ、扇動的な言論を売っているという構図ではないか。

植村手記は押さえた筆で書いているが、「週刊文春」、「フラッシュ」、「週刊新潮」、「週刊ポスト」の名を挙げて、取材姿勢や記事の内容の問題点を具体的に指摘している。さらに、「読売の取材姿勢」については、小見出しを作って問題にしている。

これらのメディアの報道に追随して、無数の匿名のブログやツイッターが悪乗りのバッシングを競い合っている。その標的は最も高い効果を狙って、弱いところに集中する。今攻撃対象となっているのは植村氏の家族であり、北星学園なのだ。その卑劣な無数の言動のなかには、少なくない業務妨害や名誉毀損、侮辱、脅迫、強要などの明らかな犯罪行為が含まれている。

文藝春秋社や小学館などは、堂々たる主流の出版メディアではないか。まだ遅くない。その見識を示して、このような異様な現状を修復することに意を尽くすべきではないか。

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最終章「手記その⑦『負けるな植村!』ー私の何が悪かったのか」は、窮状を訴えつつも感動的な決意の表明であり、国民への呼びかけともなっている。「負けるな植村!」は、自身に対する激励である。91年に慰安婦問題の記事を書いた当時の32歳の植村が、今56歳になった北星学園講師の植村へのエールでもある。

「歴史の暗部を見つめようとする人々を攻撃し、ひるませようとする勢力が2014年の日本にいる。それには屈しないと声を上げる人々もいる。お前も一緒に立ち向かえと、若き日の自分から発破をかけられているのだ。」
「私は『捏造記者』ではない。不当なバッシングに屈する訳にはいかない」

これが結びの言葉だ。私たちが、この言葉を受け止め、呼応する決意をつなげなければならない。

手記の文中に「『慰安婦問題』を書くと攻撃を受けるという認識が朝日新聞自体にも広がっているようだ。記者たちの萎縮が進んでいるように思える」「そこが私を攻撃する勢力の『狙い』なのではないか」「松蔭、帝塚山に続いて、北星も脅しに屈したら、歯止めが利かなくなる」とある。私たち一人ひとりに、このような萎縮と闘うことが求められている。

まずは、この手記を徹底して読みこもう。そして、植村氏と北星を激励しよう。さらに、自らの課題として「歴史の暗部を見つめようとする人々を攻撃しひるませようとする勢力」に屈しない決意を固めよう。他人事ではないのだ。
(2014年12月10日)

ニューヨークタイムズに、右翼による「朝日・植村バッシング」の記事

12月3日付のニューヨークタイムズに、右翼的潮流による「朝日・植村バッシング」に関する記事が大きく掲載された。
下記URLで閲覧が可能である。
http://www.nytimes.com/2014/12/03/world/asia/japanese-right-attacks-newspaper-on-the-left-emboldening-war-revisionists.html?_r=0

見出しは、「歴史修正主義者を勢いづかせている、日本の右翼の左派新聞に対する攻撃」と訳して大きくはまちがつていないだろう。単に、植村隆・北星学園大学講師に対する卑劣な脅迫についての現象面の報道にとどまるものではなく、背後の構造をとらえての右翼的な潮流への批判となっている。匿名の右翼だけでなく、安倍晋三首相や読売新聞が名指しで批判の対象となっていることに注目しなければならない。

残念ながら、日本のメディアで、これだけまとまった朝日バッシング批判の記事に接したことがない。批判の姿勢も立派なものだ。とはいえ、日本のメディア事情について、内容はかなり悲観的だ。日本のジャーナリズム全体の沈黙に対する批判がある。

このニューヨークタイムズの記事が、良心的なグローバルスタンダードと言えるのだろう。外国メディアですら、声を上げている。私たちも黙ってはおられない。

とりあえず、全文を翻訳してみた。仮訳である。間違いも多かろうが、これで大意はつかんでいただけると思う。

拡散していただけたらありがたい。これが、反撃の第一歩に繋がればと思う。

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ニューヨークタイムズ
戦争修正主義者を勢いづかせている、日本の右翼の左派新聞に対する攻撃
マーティン・ファックラー    2014年12月2日

日本の札幌発
その記事を書いたとき、植村隆は33歳であった。当時日本の二番目に大きい朝日新聞の調査報道記者であった彼は帝国軍が世界第二次大戦時に女性が軍の売春施設で働くことを強制されたかどうかを調査していた。彼の「未だに涙を伴う記憶」と題する記事は韓国の慰安婦の物語の最初のものであった。
この25年も前の記事が、現在ジャーナリストを引退して56歳になる植村氏を政治的右翼がターゲットにしている。タブロイド紙が彼に韓国人の嘘をまき散らしている売国奴との烙印を押している。暴力の脅しが大学での教授の機会を一つ奪い、二つ目をまさに奪おうとしていると、彼は言う。超国粋主義者らは彼の子どもを追いかけ、ティーンエイジの彼の娘を自殺に追い込めと人々を扇動するインターネット記事を発信している。
こうした脅しは右翼のニュースメディアや政治家による、日本の保守主義者が好んで憎む朝日新聞に対する広範で痛烈な攻撃の一部である。しかし、この最近のキャンペーンは戦後日本における一番激しいものであった。安倍晋三首相をふくむ国家主義政治家が日本の進歩主義の政治的影響の要塞の一つを脅した攻撃の奔流をあらわにしたものである。戦時中の売春の強制にたいする1993年の政府の謝罪の再考を要求する修正主義者を勢いづかせるものでもあった。
「彼らは歴史を否定するように脅迫を使っている」と植村氏は言い、自分自身を守るための緊急の訴訟手続きにまで言及し、書類の束を持って、北の都市でインタビューに応じた。「彼らは黙らせようとして脅している」
メディアの言う「朝日新聞への戦争」は朝日新聞が批判者たちに屈服して、80年代と90年代初めに掲載した12本の記事を撤回した(今年)8月に始まった。これらの記事は、朝鮮の婦人を軍事売春施設へ誘拐したと述べた吉田清治という日本軍元兵士の言葉を引用している。吉田氏の証言は20年前に信憑性が否定されていたが、朝日新聞の態度をすかさずとらえて、135年つづいた新聞のボイコットを要求した。
10月には安倍氏自身が「朝日新聞の間違い報道はたくさんの人々を傷つけ、悲しませ、苦痛を与え、怒らせた。日本のイメージを傷つけた」と述べて、国会の委員会で攻撃をした。
この月の選挙において、解説者たちは日本の保守派は有力な左派新聞の脚を縛ろうとしたと分析した。朝日新聞はずっと日本の戦時軍国主義の賠償を支持し、安倍氏のほかの問題についても反対していた。しかし、2年前の選挙の壊滅的な敗北のあとにリベラルな反対派がさんざんな有様になるにつれて、だんだんに孤立化してしまった。
安倍氏とその同志は長い間うかがっていた大きな獲物、つまり日本軍が何万人もの朝鮮人や日本人でない婦人を戦時中に性奴隷として強制したという国際的に受け入れられた意見を追い詰めるチャンスとして朝日新聞の苦難をつかまえたのである。
大部分の歴史家の主流意見は帝国軍隊は侵略した征服地の女性を慰安施設として知られる軍営の売春施設で働かせるためにかり集めたということで一致している。その施設は中国から南太平洋に及んでいる。その女性たちは工場や病院の仕事を提供すると騙されて、慰安施設に着くと帝国軍人のための性的慰安を強制された。東南アジアにおいては施設で働かせるために女性をまさに誘拐したという証拠がある。
兵士たちと性行為を強制されたと後に証言した女性たちは中国人、朝鮮人、フィリピン人そしてかつてオランダの植民地であったインドネシアにおいて捕らえられたオランダ人であった。
しかし、戦争が始まったときすでに20年余も日本の植民地であった朝鮮において日本軍が女性を誘拐したり、捕まえたりしたという証拠はほとんどない。歴史修正主義者はこれを、女性たちが性奴隷として捕まえられたということを否定し、慰安婦は単に金のために軍について歩いた売春婦だと言いつのるための事実としている。彼らの意見によれば日本は、恨みを晴らそうとする南朝鮮によって繰りひろげられる中傷キャンペーンの犠牲者である。
吉田氏は嘘をついたー朝日新聞は1997年に彼の証言を変えるべくもないーという朝日の結論ではなく、正式訂正を出すのに時間がかかりすぎたということが、従軍慰安婦問題研究者にとっての驚きであった。朝日の記者たちは安倍政権がそれらの記事を朝日新聞記者を非難するために使うようになったがために朝日新聞はそれを結局はおこない、記録を率直に出すことによって攻撃が鈍ることを望んだといった。
にもかかわらず、その動きが弾劾の嵐をひきおこし、修正主義者に彼らの歴史解釈を引き起こす新しい引き金を与えることになった。彼らは外国の専門家たちを不信で頭を抱え込ませるようにした。つまり朝日新聞に従軍慰安婦が強制の犠牲者であったということを世界に納得させる責任があるとしむけたのである。
何人もの女性が苦難について証言するようになつたが、日本の右翼は国際的な日本非難を引き起こしたのは朝日新聞の報道が原因だと主張した。それらの非難には20世紀最悪の人権侵害のケースだとして明白で無条件の謝罪を要求した2007年の合衆国議会決議がふくまれる。
安倍氏とその同盟者にとっては、朝日を辱めることは、1993年の従軍慰安婦への謝罪をくつがえし、屈辱的な帝国日本の肖像画を削除したいという積年の願いを実現することである。右翼の多数は日本はアメリカ合衆国を含む第二次大戦の交戦国と較べて、悪い行いはしていないと言いつのっている。
「朝日新聞の今回の行いは修正主義者にとっては『それ見たことか』という機会を与えた」と中野晃一上智大学教授は言う。「安倍は日本の栄光を傷つけたという彼の歴史的な信念を追い求めるチャンスだと考えている」
朝日の保守的競争紙で世界最大の発行部数を誇る読売新聞はライバルの苦境について、従軍慰安婦報道の間違いを大きく扱った宣伝用リーフレットで大文字で書き立てた。8月以来、朝日の発行部数は約700万部のうち230797部も減少した。
右翼紙は植村氏を朝日が訂正した記事のなかに彼の記事などなかったにかかわらず、「慰安婦のでっち上げをした者」とあげつらっている。
植村氏は彼の味方をするメディアはほとんどないという。朝日でさえ怖がって彼を守ろうとはしなかった。のみならず、自分自身でさえ守らなかった。9月に、朝日新聞社長はテレビで謝罪し、編集長を処分した。
「安倍は朝日問題で他のメディアを自己検閲に追い込むよう脅している」と法政大学の政治学者山口二郎は言う。彼は植村氏を支える申し立てを組織している。「これは新しいマッカーシズムだ」という。
植村氏が地方文化と歴史を教えている北海道のミッションスクールである北星学園大学は超国家主義者の爆弾攻撃の脅しによって、彼との契約を見直そうとしている。先日の午後に植村氏の支持者たちが校内のチャペルに集まった。軍国主義へ向かう行進が異議を踏みにじった戦前の暗黒時代の過ちを繰り返さないように警告する説教を聞くためであった。
植村氏は公に姿をさらすことは気が進まないのでと説明して、参加はしなかつた。
「これは他のジャーナリストを沈黙追い込むよい方法だ」「彼らは私と同じ目にあいたいとは思わない」と彼は言った。

(2014年12月3日)

「試されているのは一人ひとりの当事者意識と覚悟」-北星学園「応援」を自らの課題に

本日(11月29日)の毎日新聞・オピニオン面の「メディア時評欄」に目が留まった。筆者は阪井宏、その肩書は「北星学園大教授(ジャーナリズム倫理)」。

標題が、「大学脅迫問題、問われるのは『覚悟』」とある。これを読んで、心強く思うとともに、あらためて私自身の覚悟も問われていることを自覚した。具体的な行動を起こさねばならない。

阪井論文は、次のように状況を説明する。
「朝日の慰安婦報道にかかわった元記者が教壇に立つ大学が、相次いで脅迫を受けた。脅されたのは、帝塚山学院大学(大阪狭山市)と、私の勤める北星学園大学だ。両大学は今春以降、文書、電話、メールで脅迫を受けた。『辞めさせなければ、学生に痛い目に遭ってもらう』と学生への危害をほのめかす文書もあった。」
「帝塚山の元記者は自ら辞職した。北星は当初、脅しに屈しない姿勢を示した。全国から応援の声が寄せられた。市民団体『負けるな北星!の会(通称・マケルナ会)』が東京と札幌で生まれた。大学教員、ジャーナリスト、弁護士らが名を連ね、学生5000人足らずの私大がにわかに注目の的となった。」
「しかし10月31日、学長が元記者の本年度での雇い止め方針を表明すると、空気が変わった。報道には弱腰の大学を嘆くかのようなニュアンスも漂う。」

これが時代の空気なのだろうか。卑劣な輩が群れをなして、弱いところを狙って理不尽な攻撃を仕掛けているのだ。大学は学生の安全に配慮しなければならない立場。文書、電話、メールでの脅迫には弱い。「学生に痛い目に遭ってもらう」などという脅迫を無視することなど到底できない。大学の苦境はよく分かる。経営陣も、第一線の職員も、そして学生も、不安でもあろうし面倒でもあろう。学生の家族の憂慮もさぞかしと思われる。学長の「元記者の本年度での雇い止め方針を表明」も、現実的な対応として、深く悩んだ末のことであったろう。(その後、この学長の方針表明は、決して確定的なものではないとされている)

この状況を踏まえての阪井宏意見に耳を澄まさねばならない。
「毎日は今月8日、全国の弁護士380人が脅迫の容疑者を本人不詳のまま刑事告発するという動きを社会面準トップで取り上げた。地元紙はマケルナ会のシンポジウムを紹介し、『大学が間違った選択をしないよう応援する』との北大教授の発言を伝えた。ありがたい応援である。ただ、この事件は北星だけの頑張りで済む話ではない。あらゆる組織が、いつ何時、同様の脅迫によって活動を阻害されるかも分からない。ところがそんな事態の深刻さが報道からは伝わってこない。」

渦中にある人でこその言葉である。多数の弁護士や他大学教授らの行動に対して「ありがたい応援」と敬意を払ってはいる。しかし、「大学(北星)が間違った選択をしないよう応援する」という姿勢に苛立ちが感じられる。「自分のこととしてとらえきれていないのではないか」という鋭い指摘と読み取らねばならない。

阪井が当事者としては言いにくいことを私なりに解釈すれば、「この事件は北星だけの頑張りで済む話ではない。この時代に、人権や平和を語ろうとするあらゆる組織が、いつ何時、同様の脅迫によって活動を阻害されるかも分からない。それぞれにとって、自分自身の問題なのだ。その深刻な事態をみんな良くわかっていないのではないか。『応援する』『頑張れ』というだけでは、自分の問題としてとらえたことにならない。この事態の困難さを、少しずつでも、自ら引き受ける覚悟が必要ではないのか」ということなのだ。

そこで、阪井は次のように具体的な提案をする。
「志ある大学教員に提案したい。自らが勤務する大学に、元記者を講師として招く授業をぜひ検討してほしい。マスコミ各社にもお願いしたい。多彩なカルチャー講座の一コマに、元記者を呼んではどうか。市民の方々にも問いたい。集会所の会議室を借り、元記者と語る手があるではないかと。」

そのとおりだ。匿名性に隠れて卑劣な脅迫状を送りつけ、インターネットで記者の家族を誹謗する輩、そして歴史を偽ろうとする者とは果敢に闘わねばならない。いま、北星学園が余儀なくされている孤立した闘いに具体的な援助が必要なのだ。まずは警察や司法当局の本腰を上げての真剣な対応が必要だが、それだけではない。これまで北星学園独りが前面に立って受けている圧力を分散することを考えなければならない。元記者と北星支援の声を全国で上げようではないか。それは、北星への卑劣な攻撃を許さないとする大きな世論があることを示すことでもあり、またさらに大きな世論を形成する運動でもある。

「自らのフィールドでテロと戦う。その決断は口で言うほどたやすくはない。単独ではきつい。しかし、大きなうねりとなれば話は別だ。元記者を招く動きが全国に広がれば、脅迫者は的を絞れない。」

集会を組織することは、右翼の標的になることかも知れない。だから、「自らのフィールドでテロと戦う」決断が必要ということになる。だからこそ、いま、北星学園ひとりが標的となって孤立している「テロとの戦い」の一部を引き受ける意味がある。阪井は、「応援する」と口先だけで言うのではなく、「テロとの戦い」の一部を自ら引き受けよ、その覚悟を示せ、と具体案を提示しているのだ。

阪井は、最後を次のように結んでいる。
「この国の民主主義を人任せにしてはいけない。試されているのは我々一人ひとりの当事者意識と覚悟だろう。」

私も、全国の弁護士380人とともに脅迫の容疑者を本人不詳のまま威力業務妨害罪で刑事告発したひとりだ。告発人となった弁護士団の共同代表の一人でもある。これまで「頑張れ北星」と言っては来た。しかし、指摘されてみれば、なるほどそれでは足りない。提案の通り、東京で「集会所の会議室を借り、元記者と語る市民集会」を周囲に呼び掛け企画したいと思う。

もう、「元記者」などと言わなくてもよいだろう。北星学園大学講師の植村隆氏のスケジュールを管理し調整する手立てを講じてもらいたいと思う。「負けるな北星!の会(通称・マケルナ会)」のホームページが適当てはないか。マケルナ会で具体的な招請方法を練っていただき、募集していただきたい。私は、仲間を語らって必ず応募する。
(2014年11月29日)

吉田清治証言紹介記事取り消しー朝日・赤旗・道新を評価する

北海道新聞が11月17日の朝刊1面に「『吉田証言』報道をおわびします」と題して社告を掲載し、2ページにわたって検証記事を特集した。

毎日の同日夕刊が要領よく報道している。
「従軍慰安婦報道を巡り北海道新聞社(村田正敏社長)は17日朝刊で、朝鮮人女性を強制連行したとする吉田清治氏(故人)の証言を報じた記事について『信憑性が薄いと判断した』として取り消した。同紙は1面で『検証が遅れ、記事をそのままにしてきたことを読者の皆さまにおわびし、記事を取り消します』としている。

北海道新聞によると、吉田氏の証言に関する記事を1991年11月22日朝刊以降、93年9月まで8回掲載(1本は共同通信の配信記事)した。このうち今回取り消した1回目は、吉田氏を直接取材し『朝鮮人従軍慰安婦の強制連行「まるで奴隷狩りだった」』との見出しで報じた。この記事は韓国紙の東亜日報に紹介された。他の7本は、吉田氏の国会招致の動きなど事実関係を報じた内容のため『取り消しようがない』としている」

吉田証言紹介記事の取り消しは、本年8月5日の朝日、9月27日の赤旗に続いて、道新が3紙目となる。もちろん、この3紙だけでなく、当時は各紙とも記事にした。先んじて、検証の上取り消し謝罪した3紙の誠実さは評価されなければならない。
これに続く他紙の対応が注目される。とりわけ、産経と読売である。

以下は、本年8月5日付け朝日の検証記事の一節。まずは、産経の報道について。
「韓国・済州島での『慰安婦狩り』を証言していた吉田氏。同氏を取り上げた朝日新聞の過去の報道を批判してきた産経新聞は、大阪本社版の夕刊で1993年に『人権考』と題した連載で、吉田氏を大きく取り上げた。連載のテーマは、『最大の人権侵害である戦争を、「証言者たち」とともに考え、問い直す』というものだ。
 同年9月1日の紙面で、『加害 終わらぬ謝罪行脚』の見出しで、吉田氏が元慰安婦の金学順さんに謝罪している写真を掲載。『韓国・済州島で約千人以上の女性を従軍慰安婦に連行したことを明らかにした「証言者」』だと紹介。『(証言の)信ぴょう性に疑問をとなえる声があがり始めた』としつつも、『被害証言がなくとも、それで強制連行がなかったともいえない。吉田さんが、証言者として重要なかぎを握っていることは確かだ』と報じた。
 この連載は、関西を拠点とした優れた報道に与えられる『第1回坂田記念ジャーナリズム賞』を受賞。94年には解放出版社から書籍化されている。」
当時の産経は、実に真っ当な報道姿勢をもっていたのだ。

次いで、読売はどうだったのか。
「読売新聞も92年8月15日の夕刊で吉田氏を取り上げている。『慰安婦問題がテーマ「戦争犠牲者」考える集会』との見出しの記事。『山口県労務報国会下関支部の動員部長だった吉田清治さん』が、『「病院の洗濯や炊事など雑役婦の仕事で、いい給料になる」と言って、百人の朝鮮人女性を海南島に連行したことなどを話した』などと伝えている」

当時の読売には、「吉田さんは『病院の洗濯や炊事など雑役婦の仕事で、いい給料になる』と言って、百人の朝鮮人女性を海南島に連行したことなどを話した」「『暴力で、国家の権力で、幼児のいる母親も連行した。今世紀最大最悪の人権侵害だった』などと述べた」などの記事もあったという。

私自身には吉田調書の信憑性を判断して虚偽と断定する能力はない。「第1次サハリン裁判」で吉田清治が証言をした証言調書の抜粋が日本YWCAのパンフレットに掲載されているが、その証言を虚偽だと見抜くのは容易なことではない。当時の各紙の記者が信じ込んだのも無理からぬところ。先行して検証の上記事を取り消した3紙の姿勢を評価し、その他の各紙が次に続くことを期待したい。

その場合に望まれるのは「懺悔」ではなく、「自己検証」の充実である。どうして吉田証言を真実と軽信したのか、どうして訂正記事がこんなに遅れたのか、どうしたら同様の過誤の再発を防止できるのか。是非ともその作業を通じて、国民のジャーナリズムへの信頼を深める努力をしていただきたい。
(2014年11月18日)

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