澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

「市民の力の勝利」ー成功体験は理性ある市民の手に

「北星学園大学の植村隆さん雇用継続の決定について、各紙がそれぞれの社風で記事を書いている。東京新聞と北海道新聞がほぼ同じ内容。見出しに、「『脅迫に負けるな』支援受け」「市民の力の勝利」と文字が躍る。

この二つの見出しが事態を端的に物語っている。せめぎ合いは「卑劣な脅迫者」と「真っ当な市民」との間のものだった。最初は脅迫者側が優勢に見えたが、「脅迫に負けるな」という市民の声が大きなうねりになって結実し、「市民の力の勝利」に至ったのだ。このことの意味は極めて大きい。

道新に(東京にも)次のような感動的な一文がある。「これは市民の力の勝利だ」と述べた北星学園大学教員の名言である。
「今回、確信した。民主主義は政治家や学者によって守られるものではない。市民が納得のいかないことに声を上げ、議論をし、自らも説明責任を果たすことでしか、実現しない」
この度は、市民の側が成功体験を積み上げ自信をもった。

同じ道新に(東京にも)、次のコメントが紹介されている。
「結城洋一郎小樽商大名誉教授の話 北星大が脅迫に屈すると『あいつを気に入らないから辞めさせろ』と、あらゆる組織で同じことが起きかねない。今回の誇りある決断は、そうした風潮を抑止する。」「警察は警備を強化し、脅迫などの捜査を進めるべきだ。愉快犯であっても、厳しい態度を示すべきだ。」
不当な連中に間違った成功体験を経験させてはならないのだ。

朝日は、精神科医香山リカさんのコメントを掲載している。
「この間、…間接的に脅迫を肯定するかのような議論が、ネットを中心に一部で見られたのは大変残念だった。万一、また学問の自由や大学の自治を侵害する卑劣な行為が起きた場合、大学内部で対処せず、今回のように情報公開し、外部の支援者がスクラムを組んで大学を守る方法が有効ではないか。その意味でよい先例になったと思う。」
実に的確な指摘だと思う。(1)卑劣な行為起きた場合内部だけの問題としない。(2)情報公開し外部に訴える。(3)外部の支援者がスクラムを組んで卑劣な行為を糾弾する。香山さんは、今回の教訓をこのように定式化して、「よい先例になった」と評価しているのだ。

敢えてもう一つ付け加えるとすれば、(4)外部の犯罪行為には躊躇なく警察や検察の手を借りて取締りを依頼しよう。告訴や告発を躊躇することは、業務妨害や、脅迫・強要・名誉毀損・侮辱犯に間違ったメッセージを送ってしまうことになりかねない。北星への卑劣な脅迫者たちは、「これくらいのことはたいしたことはない」「俺たちの立場は政権や社会に支持されている」「こんなことに警察が手出しすることはないだろう」と思い込んでいたのではないか。

私が今回使った「成功体験」という言葉は、北大教授の町村泰貴さんのブログから借用したもの。便利で使いやすい言葉だ。この人のブログからは、教えられることが多い。
町村さんは、11月5日付のブログで、「北星学園大学は脅迫に屈することを選ぶ模様」と嘆いている。そのなかに、「このような形で脅迫に屈すれば、脅迫者たちの成功体験が次の脅迫を呼ぶことであろう。」という一文がある。指摘のとおり、彼らに「成功体験」をさせてはならないのだ。

町村さんは、さらにこう続けている。
「学問と言論の自由は、当然ながら、世間の反発を買うような内容の言動も含めて、その自由が保障される必要がある。もちろん内容面についての批判を受けることは甘受しなければならないのだが、それを超えて、辞職しろとか、自決しろとか、そのような脅迫を甘受する必要はないのであり、そのような脅迫は原則として取り締まりの対象となるべきである。
そして脅迫に対しては、大学は脅迫者に対する刑事告発や民事責任追及といった方法をもって対抗し、かつそれが危害を加えられるおそれに至れば、警備にコストがかかるかもしれない。そのコストは、本来脅迫者たちから損害賠償として取り立てるべき筋のお金である。」

ここまでが民事訴訟法学者の言である。この示唆を受けて、あとは実務法律家が語らなければならない。「大学が、脅迫者に対する刑事告発や民事責任追及といった方法をもって対抗する」には弁護士の助力を必要とする。道の内外を問わず、多くの弁護士が北星の役に立とうと身構えている。

町村ブログの重要な示唆は民事訴訟提起の勧めである。刑事告訴や告発も辞さないというだけでなく、民事訴訟も考慮せよというのが町村教授提案ではないか。なるほど、考えてみれば、大学が警備費用など余計な出費を負担する筋合いはないのだ。この損害は、脅迫に加わった多数加害者たちの共同不法行為として構成することが可能ではないか。住所氏名が判明した脅迫行為加担者には、警備費用などのコスト分を損害として賠償請求訴訟の提起が十分に可能である。共同不法行為が成立する以上は人数割りで損害が按分されるのではない。共同不法行為加担者の一人ひとりが、損害の全額を賠償する責任を持つことになる(民法719条)のだ。この際、いくつかの実例を作っておくことが、後々のために有益ではないだろうか。

その町村さんが昨日のブログでこう書いている。
「おりしも、パキスタンではあのマララさんを襲ったグループが学校を襲って100人以上もの死者を出した事件が今日報じられている。思想も過激さも大きく異る二つのケースだが、子どもを攻撃対象とする卑劣さにおいて北星学園大学脅迫犯とパキスタンの過激派とは同根だ。こうした連中を助長し、のさばらせ、共感したりすることは有害だ。
逆に、脅迫には屈しないということを選んだ北星学園大学に、心からのリスペクトを送りたい。」
まったく同感である。
(2014年12月18日)

北星学園大学の英断に敬意ーいっそうの支援の輪を拡げよう

北海道は今日は猛吹雪とのこと。そのなかで、北星学園にだけは暖かい陽が射し、さわやかな風が吹いたようだ。言論の自由と大学の自治を蹂躙しようとした卑劣な排外主義の横暴に歯止めがかけられたのだ。

まずは、北星学園理事長と学長連名の本日付下記声明を熟読いただきたい。苦悩しつつも、理性ある社会の連帯の声に励まされながら建学の理念を貫いた、その真摯な決意を読み取ることができる。

http://www.hokusei.ac.jp/images/pdf/2014_1217.pdf

まずは、北星学園の皆さんに敬意を表しなければならない。そして、この成果獲得の過程に満ちている多くの教訓を確認しなければならない。そしてまた、これですべてが解決したわけではない。このステップを確信として、さらに大きな支援の輪を広げなくてはならないと思う。

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元朝日新聞記者である植村隆氏は、23年前に2通の従軍慰安婦問題報道の記事を書いたとして故ないバッシングの対象とされてきた。二つの記事はいずれも立派なもので、これを非難するのは「理由なく難癖をつける」に等しい。にもかかわらず、同氏に対するバッシングは、本人のみならず家族に及び、さらにその矛先は勤務先の北星学園大学に向けられた。

本年の5月以後、心ない者の扇動に乗せられた卑劣きわまりない脅迫・強要・業務妨害の電話やメールが一斉に北星学園に押し寄せた。「大学への脅迫や抗議は5月~11月半ばだけでも2千近くに上った」(道新)という。この事態は、今の時代の空気を象徴するものとして、凝視しなくてはならない。排外主義の空気がこうまで色濃くなっているという背筋が寒くなる現実があるのだ。

攻撃の標的として確かに学校は弱い。北星学園は、大学生だけでなく中高一貫の女子校を抱えている。本当に安全を守れるのか、保護者を安心させることができるのか。トラブルのある学校への進学希望者が減るのではないか、いたずら電話などに完璧な対処ができるのか、心配は尽きない。職員にも大きなストレスがかかっている。現実に警備費用の負担が大きくのしかかっているとも聞こえてくる。経営の観点だけからなら結論は単純だ。一人の非常勤講師の雇用継続を拒否した方が合理的な判断であることは間違いない。

しかし、その北星学園は最終的に毅然とした判断に至った。本日植村氏の雇用契約を来年度も継続するむねを正式に発表した。経営ではなく敢えて理念にしたがった選択をしたのだ。

その経過は、北海道新聞に手際よくまとめられている。
「同大は当初、学生や受験生の安全を優先して、雇用を打ち切る方針で検討していた。しかし、大学を運営する学校法人の理事会などで、『雇用打ち切りはキリスト教を基礎とした建学精神に反する』と反対意見が多く出された。
また市民グループ『負けるな北星!の会』が発足し、全国の弁護士380人が脅迫状事件で容疑者不詳のまま札幌地検に告発するなど、支援の動きが国内外に広がった。札幌弁護士会が『民主主義に関わる』として協力を申し出たこともあり、大学は講師の契約更新に必要な安全確保ができると判断したとみられる」

本日の学長声明では、「暴力と脅迫を許さない動きが大きく広がり、そのことについての社会的合意が広く形成されつつあり、それが卑劣な行為に対して一定の抑止力になりつつあるように思われます」と言っている。極めて率直に正直に、「北星学園ひとりの力だけでは、この事態を乗り越えられない」「多くの人の励ましを得て、この社会の声の力強い後押しがあるなら乗り越えられるだろう」というのだ。

私たちは、もっともっと支援の輪を広げ、力強い応援をしなければならない。

言うまでもないことだが、大学運営の業務の平穏は守られなければならない。この業務平穏を妨害することは犯罪である。私たちは、2度目の告発を準備中で、今度は早期の起訴にまで持ち込みたいと考えている。

北星学園に対する「電凸」を「虚偽の風説の流布による業務妨害」(刑法233条)とするもので、近々札幌地検に告発状を提出する予定。電凸という用語は私も今回初めて知ったが、これは今やネット社会の住民のいやがらせ常套手段。これを防遏する意味が大きい。

卑劣な攻撃から平穏な学園を防衛するためには、さらなる刑事告訴や告発、場合によっては民事の損害賠償も考えねばならない。それが、社会の責任であり、人権と社会正義の擁護を使命とする実務法律家の使命でもある。これを徹底してこそ、民主主義的秩序を擁護することが可能となる。

あらためて背筋が凍る思いがする。もし、北星学園が暴力と脅迫に屈して逆の結論を出していたとしたら…。暴力と脅迫はさらにエスカレートし、至るところで跋扈しかねない。非理性的な排外主義の社会的圧力が、言論の自由や学問の自由、大学の自治を蹂躙しかねない。かろうじて、そうはならなかった。その意味で、今日は良い日だったのだ。吹雪荒れる日ではあっても…。
(2014年12月17日)

植村隆・北星学園応援の声を上げよう

本日(12月14日)の毎日「今週の本棚」(書評欄)トップに、将基面貴巳著「言論抑圧ー矢内原事件の構図」(「中公新書」907円)が紹介されている。書評執筆者は北大の中島岳志。紹介する書物のテーマがもつ今日性についての強い問題意識が熱く語られ、それゆえに迫力ある書評となっている。

冒頭から問題意識が明確に表示されている。
「慰安婦報道に携わった元朝日新聞記者・植村隆氏へのバッシングが続いている。植村氏は、赴任予定だった神戸松蔭女子学院大学から教授ポストの辞退に追い込まれ、現在は非常勤講師を務める北星学園大学で雇い止めの瀬戸際に立たされている。現政権は脅迫への積極的な批判や対策に乗り出さず、一方で朝日新聞叩きに加勢する。」

この状況が「いつかきた道」を想起させるのだ。
「右派からの苛烈な攻撃と過剰反応する大学。そして、権力からのプレッシャー。歴史を想起すれば、1930年代に相次いだ言論抑圧事件が脳裏をよぎる。」

1937年に東京帝国大学経済学部を追われた矢内原忠雄を取り巻く背景事情は、まさしく現在進行する北星学園大学の植村隆のそれと瓜二つなのだ。

80年前の事件では、紆余曲折の末、結局は文部大臣の圧力に屈した帝大総長の即決によって矢内原は大学を追われる。矢内原は最終講義を次の言葉で締めくくったという。「身体ばかり太って魂の痩せた人間を軽蔑する。諸君はそのような人間にならないように…」

中島は、書評を次のとおりの熱い言葉で締めくくっている。
「本書は約80年前の事件を取り上げながら、現代日本を突き刺している。我々は歴史を振り返ることで『いま』を客体化し、立っている場所を確認しなければならない。必読の書だ。」

この「必読の書」は、今年9月下旬に発刊されたもの。植村・北星学園バッシング事件応援のために生まれてきたような書。矢内原事件とは異なり、植村・北星学園の事件は未決着だ。「バッシングにマケルナ!」の声援が日増しに大きくなっている。中島に呼応して、多くの人が、それぞれの持ち場でその影響力を駆使して、この事件を語ってもらいたい。書く場があれば書いていただきたい。元々が根拠をもたない攻撃なのだ。多くの人の言論の集積で、必ずやこの攻撃を食い止めることができるに違いない。

私も自分のできることとして、下記のとおりこの件についてブログを書いている。

12月10日http://article9.jp/wordpress/?p=3991
植村隆の「慰安婦問題」反撃手記に共感

12月3日http://article9.jp/wordpress/?p=3958
ニューヨークタイムズに、右翼による「朝日・植村バッシング」の記事

11月29日http://article9.jp/wordpress/?p=3925
「試されているのは一人ひとりの当事者意識と覚悟」-北星学園「応援」を自らの課題に

11月15日http://article9.jp/wordpress/?p=3858
「負けるな北星!」  学内公聴会発言者に敬意を表明する

嬉しいことに、読者からの反応がある。若い友人からいただいた12月10日ブログへの感想を、2例引用しておきたい。

「12月10日の植村隆さんの手記を紹介するブログを読んで涙が止まりませんでした。植村バッシングの本質を鋭くついている点や手記最後の部分への共感など、本当に植村さんの言いたいことを代弁して下さっていて、うれしく思います。

『文藝春秋』編集部の前文はいやらしい書き方ですが、本質的批判ではないと私は受け止めています。アリバイ作りというか、『文藝春秋』は植村さんの手記を載せる以上、右翼からのバッシングを恐れてあのような前文を書かざるを得なかったのでしょう。違う意味での『委縮』だと思います。

それでも、植村さんの主張が、保守系雑誌にきちんと載ったことの意義は大きいと思っております。
これからもよろしくお願いいたします。」

「12月10日の澤藤さんのブログで植村隆さんの手記が発表されたことを知って、さっそく図書館でコピーして読みました。この手記は非常に重要ですね。

この手記は、事件について教えてくれるばかりでなく、現在のわれわれの社会の政治的言論の異様な状態──自由な発言と議論と批判を排除して、嘘と隠蔽と根回しとイメージを操作することによって集団の合意を形成しようとし、自分と異なる意見にたいしては反論するのではなく圧力をかけることによって黙らせようとする──を理解するための重要な鍵をいくつか与えてくれるように思います。

植村さんの手記を読むと、この事件が、脅迫電話や脅迫状や『電凸』を仕掛けたネトウヨだけが犯した犯罪ではないことに気づかされます。

1991年8月10日の植村さんの最初の記事から2014年の植村宅や北星学園に対する嫌がらせまで、この事件を紡いでいった一つ一つの鎖の輪のなかに登場する諸個人──西岡力は中でももちろん重大ですが、その他にも、朝日新聞東京本社からはじまって、慰安婦問題を大きく取り上げようとしなかった大手新聞各社、雇用契約を一方的に破棄した神戸松蔭女子大学の幹部、本人取材をスルーした読売新聞記者、盗撮したフラッシュ女性記者、ネットで中傷を繰り広げた者たち、その中傷に屈して雇い止めを望んだ北星学園大学の一部のひとたち、謝罪会見を準備した朝日新聞本社の幹部とそれを指揮し会見を実際に行なった木村社長にいたるまで──これら諸個人の判断と行動の一つ一つの積み重なりが、この事件を構成しているのだということに気づかされます。

もし、これら諸個人の一人一人が、正しく判断し、真実を言う勇気をもっていたら、この事件は起らなかったのではないかと思います。

組織や集団において責任ある地位にいる諸個人、その人たちの不見識と無責任と怯懦が、そして、そのような人々を組織や集団のトップに押し上げるような組織運営のシステムが、今日の言論の危機を招いているのではないでしょうか。

有権者に、判断のための情報と議論をする時間を与えず、イメージだけを与えて、自分たちが勝てるうちに総選挙をやってしまおうとする安倍首相のやりかたが、ナオミ・クラインが『ショックドクトリン』と批判したまさにその手法です。また、一国の首相がフェイスブックで個人のコメントに噛みつくような世の中では、勇気も見識もない跳ねっ返りが、気にくわない相手を匿名で恫喝するのも当然のことのように思えてきます。

このようなモラルと言論空間の変容は、政治、経済、社会の変容と結びついてもいるわけで、そちらの方も別の機会に考えてみたいと思います。

いずれにしても、澤藤さんが12月10日の憲法日記で書いていらっしゃるように、この現実に起きている恐るべき悪夢について、『今何が起こっているのか、何がその原因なのか、そしてどうすればこの状況を克服できるのか。理性と良識ある者の衆知と力を結集しなければならない』という言葉に賛同します。

今日の恐るべき政治の主導者たちが、毎日のように昼夜を問わず料亭やホテルや別荘や研究所に集まって悪知恵と悪だくみに磨きをかけているのに対して、それを打ち破ろうとする者たちがなかなか彼らに勝てないのは、そして野党や市民運動が脆弱なのも、知恵を出し合って一緒に議論したり探究したりしていないからではないでしょうか(もしかしたら、すぐれた研究はたくさんあるのに、僕が勉強していないだけなのかもしれませんが)。それにしても、この現状を打開するための知の探究は、一人でできるものでははないし、また、一人ですべきものでもないように思います。

またお目にかかってお話ししましょう。寒さの折り、お体を大切になさってください。」

植村手記を我がこととして読む人がおり、また、植村手記を現代の病理を象徴する重要な事件として真剣に読み解こうとする人がいる。植村・北星学園が孤立した状況は確実に克服されつつある。

私は、この問題についてのブログを発信し続けよう。そして、弁護士としてできることを追求する。さしあたっては、仲間と語らって、ネットにアップされた典型的な悪質いやがら事案を刑事事件として立件させることに努力する。
(2014年12月14日)

植村隆の「慰安婦問題」反撃手記に共感

本日(12月10日)発売の「文藝春秋・新年号」に、「慰安婦問題『捏造記者』と呼ばれて」と題する朝日新聞植村隆元記者の「独占手記」が掲載されている。

私が普段この雑誌を購入することはない。が、今号だけは別。さっそく買って読んでみた。素晴らしい記事になっている。「週刊金曜日」・「月刊創」・ニューヨークタイムズ・東京新聞(こちら特報部)に続いて、ようやく出た本人自身の本格的な反論。

タイミングが実によい。明日(12月11日)が北星学園の理事会だと報じられている。この手記は、学園の平穏を維持する立場から植村講師雇用継続拒否もやむを得ないと考える立場の理事に、再考を促すだけのパワーをもっている。

手記は、植村バッシングが実はなんの根拠ももってはいないこと、にもかかわらず右翼メディアと右翼勢力とが理不尽極まる人身攻撃を行っていること、この異様な事態にジャーナリズムの主流が萎縮して必要な発言をしていないことを綿密に語っている。

これは今の世に現実に起きている恐るべき悪夢である。マッカーシズムにおける「赤狩り」とはこんな状況だったのであろう。あるいは天皇制下の「非国民狩り」もかくや。今何が起こっているのか、何がその原因なのか、そしてどうすればこの状況を克服できるのか。理性と良識ある者の衆知と力を結集しなければならないと思う。

植村手記はその最終章で、「頑張れ北星」「負けるな植村」の声が高まりつつあるとして希望を語っている。そして、自分を励ます言葉で結ばれている。まだまだ、救いの余地は十分にある。我々が声を上げさえすれば…。

手記は全27頁に及ぶ。時系列とテーマで、「手記その①」~「手記その⑦」の7章から成る。それぞれが読み応え十分な内容となっている。これまでの経緯を述べて、文春・読売・西岡力らのバッシングに対する全面的な反論になっている。

その手記に前置して、「我々はなぜこの手記を掲載したのか」という編集部の2頁におよぶコメントが付けられている。これはいただけない。文春編集部の懐の狭さを自白するお粗末な内容。しかし、それを割り引いても、植村手記にこれだけのスペースを割いたのは立派なもの。営業政策としての成功も期待したい。朝日バッシングの重要な一側面をなす植村問題について語るには、今後はこの手記を基本資料としなければならない。文春を購入して多くの人にこの記事を読んでもらいたいと思う。ただ読み流すだけでなく、徹底して読み込むところから反撃を開始しよう。

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植村手記に前置された文春編集部のリードは、あからさまな植村批判の内容となっている。読者には白紙の状態で手記を読ませたくないという姿勢をありありと見せているのだ。編集部なりの要約にもとづく植村への批判を先に読ませて、その色眼鏡を掛けさせてから手記本文を読ませようという訳だ。

このリードは、「植村隆氏が寄せた手記は、日本人に大きな問題を突きつけている」と始まる。読み間違ってはいけない。大きな問題とは、植村の言論に対するバッシングという手記執筆以前の異常な現象をさしているのではなく、この文章の文意のとおり、「手記」自体が問題だと言っているのだ。問題の具体的内容は、「(1)ジャーリズムの危機」、と「(2)社会の危機」だという。もう一度、間違ってはいけないと念を押さねばならない。「(1)ジャーリズムの危機」とは、23年前の記事に対する現今のメディアの執拗な攻撃のことではない。植村の手記に表れているジャーナリストとしての姿勢にあるのだという。植村が「真実を見極めるべきジャーナリズムの仕事にふさわしくなく、(従軍慰安婦)として被害にあったと主張する人に『寄り添う』と言っていること」を、危機だというのだ。これには驚いた。

次いで、「(2)社会の危機」とは、「植村氏とその家族に向けられたいやがらせ、脅迫の数々」を言っている。しかし、この明白な犯罪行為を含む卑劣な諸行為は、文春自身を含む、朝日バッシングに加担したメディアが主導して作りだした社会の雰囲気によって起こされたものではないか。そのことについての自省の弁はない。

ちなみに、数えてみたところ、「(1)ジャーリズムの危機」に関する記事は63行であるのに対して、「(2)社会の危機」に関する記事は9行に過ぎない。

もっとも、誰が読んでも、文春のリードの書き方はおざなりで切れ味にも迫力にも乏しい。91年当時の植村署名記事や今回の植村手記を、本気で批判しているとは思えない。「ジャーナリズムの危機」などという大袈裟な言葉が空回りしている。植村手記掲載に対する右翼からの批判を予想し、先回りして弁解の予防線を張っておこうという姿勢なのだろう。文春自身がジャーナリズムの萎縮の一つの態様を見せているのだ。

そんなことを割り引いても、植村手記掲載は月刊文藝春秋編集部の英断といって差し支えない。これが、植村バッシング終息への第一歩となりうるのではないか。

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「手記その⑤慰安婦捏造記者と書かれてー西岡力氏への反論」や、「手記その⑥バッシングの日々ー大学の雇用契約も解消された」を読むと、この社会は異常な心理状態にあると薄ら寒さを感じる。国賊や売国奴、反日の輩を探し出して天誅を加えなければならないとする勢力が跋扈しているのだ。このような排外主義者にメディアの商業主義が調子を合わせ、扇動的な言論を売っているという構図ではないか。

植村手記は押さえた筆で書いているが、「週刊文春」、「フラッシュ」、「週刊新潮」、「週刊ポスト」の名を挙げて、取材姿勢や記事の内容の問題点を具体的に指摘している。さらに、「読売の取材姿勢」については、小見出しを作って問題にしている。

これらのメディアの報道に追随して、無数の匿名のブログやツイッターが悪乗りのバッシングを競い合っている。その標的は最も高い効果を狙って、弱いところに集中する。今攻撃対象となっているのは植村氏の家族であり、北星学園なのだ。その卑劣な無数の言動のなかには、少なくない業務妨害や名誉毀損、侮辱、脅迫、強要などの明らかな犯罪行為が含まれている。

文藝春秋社や小学館などは、堂々たる主流の出版メディアではないか。まだ遅くない。その見識を示して、このような異様な現状を修復することに意を尽くすべきではないか。

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最終章「手記その⑦『負けるな植村!』ー私の何が悪かったのか」は、窮状を訴えつつも感動的な決意の表明であり、国民への呼びかけともなっている。「負けるな植村!」は、自身に対する激励である。91年に慰安婦問題の記事を書いた当時の32歳の植村が、今56歳になった北星学園講師の植村へのエールでもある。

「歴史の暗部を見つめようとする人々を攻撃し、ひるませようとする勢力が2014年の日本にいる。それには屈しないと声を上げる人々もいる。お前も一緒に立ち向かえと、若き日の自分から発破をかけられているのだ。」
「私は『捏造記者』ではない。不当なバッシングに屈する訳にはいかない」

これが結びの言葉だ。私たちが、この言葉を受け止め、呼応する決意をつなげなければならない。

手記の文中に「『慰安婦問題』を書くと攻撃を受けるという認識が朝日新聞自体にも広がっているようだ。記者たちの萎縮が進んでいるように思える」「そこが私を攻撃する勢力の『狙い』なのではないか」「松蔭、帝塚山に続いて、北星も脅しに屈したら、歯止めが利かなくなる」とある。私たち一人ひとりに、このような萎縮と闘うことが求められている。

まずは、この手記を徹底して読みこもう。そして、植村氏と北星を激励しよう。さらに、自らの課題として「歴史の暗部を見つめようとする人々を攻撃しひるませようとする勢力」に屈しない決意を固めよう。他人事ではないのだ。
(2014年12月10日)

ニューヨークタイムズに、右翼による「朝日・植村バッシング」の記事

12月3日付のニューヨークタイムズに、右翼的潮流による「朝日・植村バッシング」に関する記事が大きく掲載された。
下記URLで閲覧が可能である。
http://www.nytimes.com/2014/12/03/world/asia/japanese-right-attacks-newspaper-on-the-left-emboldening-war-revisionists.html?_r=0

見出しは、「歴史修正主義者を勢いづかせている、日本の右翼の左派新聞に対する攻撃」と訳して大きくはまちがつていないだろう。単に、植村隆・北星学園大学講師に対する卑劣な脅迫についての現象面の報道にとどまるものではなく、背後の構造をとらえての右翼的な潮流への批判となっている。匿名の右翼だけでなく、安倍晋三首相や読売新聞が名指しで批判の対象となっていることに注目しなければならない。

残念ながら、日本のメディアで、これだけまとまった朝日バッシング批判の記事に接したことがない。批判の姿勢も立派なものだ。とはいえ、日本のメディア事情について、内容はかなり悲観的だ。日本のジャーナリズム全体の沈黙に対する批判がある。

このニューヨークタイムズの記事が、良心的なグローバルスタンダードと言えるのだろう。外国メディアですら、声を上げている。私たちも黙ってはおられない。

とりあえず、全文を翻訳してみた。仮訳である。間違いも多かろうが、これで大意はつかんでいただけると思う。

拡散していただけたらありがたい。これが、反撃の第一歩に繋がればと思う。

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ニューヨークタイムズ
戦争修正主義者を勢いづかせている、日本の右翼の左派新聞に対する攻撃
マーティン・ファックラー    2014年12月2日

日本の札幌発
その記事を書いたとき、植村隆は33歳であった。当時日本の二番目に大きい朝日新聞の調査報道記者であった彼は帝国軍が世界第二次大戦時に女性が軍の売春施設で働くことを強制されたかどうかを調査していた。彼の「未だに涙を伴う記憶」と題する記事は韓国の慰安婦の物語の最初のものであった。
この25年も前の記事が、現在ジャーナリストを引退して56歳になる植村氏を政治的右翼がターゲットにしている。タブロイド紙が彼に韓国人の嘘をまき散らしている売国奴との烙印を押している。暴力の脅しが大学での教授の機会を一つ奪い、二つ目をまさに奪おうとしていると、彼は言う。超国粋主義者らは彼の子どもを追いかけ、ティーンエイジの彼の娘を自殺に追い込めと人々を扇動するインターネット記事を発信している。
こうした脅しは右翼のニュースメディアや政治家による、日本の保守主義者が好んで憎む朝日新聞に対する広範で痛烈な攻撃の一部である。しかし、この最近のキャンペーンは戦後日本における一番激しいものであった。安倍晋三首相をふくむ国家主義政治家が日本の進歩主義の政治的影響の要塞の一つを脅した攻撃の奔流をあらわにしたものである。戦時中の売春の強制にたいする1993年の政府の謝罪の再考を要求する修正主義者を勢いづかせるものでもあった。
「彼らは歴史を否定するように脅迫を使っている」と植村氏は言い、自分自身を守るための緊急の訴訟手続きにまで言及し、書類の束を持って、北の都市でインタビューに応じた。「彼らは黙らせようとして脅している」
メディアの言う「朝日新聞への戦争」は朝日新聞が批判者たちに屈服して、80年代と90年代初めに掲載した12本の記事を撤回した(今年)8月に始まった。これらの記事は、朝鮮の婦人を軍事売春施設へ誘拐したと述べた吉田清治という日本軍元兵士の言葉を引用している。吉田氏の証言は20年前に信憑性が否定されていたが、朝日新聞の態度をすかさずとらえて、135年つづいた新聞のボイコットを要求した。
10月には安倍氏自身が「朝日新聞の間違い報道はたくさんの人々を傷つけ、悲しませ、苦痛を与え、怒らせた。日本のイメージを傷つけた」と述べて、国会の委員会で攻撃をした。
この月の選挙において、解説者たちは日本の保守派は有力な左派新聞の脚を縛ろうとしたと分析した。朝日新聞はずっと日本の戦時軍国主義の賠償を支持し、安倍氏のほかの問題についても反対していた。しかし、2年前の選挙の壊滅的な敗北のあとにリベラルな反対派がさんざんな有様になるにつれて、だんだんに孤立化してしまった。
安倍氏とその同志は長い間うかがっていた大きな獲物、つまり日本軍が何万人もの朝鮮人や日本人でない婦人を戦時中に性奴隷として強制したという国際的に受け入れられた意見を追い詰めるチャンスとして朝日新聞の苦難をつかまえたのである。
大部分の歴史家の主流意見は帝国軍隊は侵略した征服地の女性を慰安施設として知られる軍営の売春施設で働かせるためにかり集めたということで一致している。その施設は中国から南太平洋に及んでいる。その女性たちは工場や病院の仕事を提供すると騙されて、慰安施設に着くと帝国軍人のための性的慰安を強制された。東南アジアにおいては施設で働かせるために女性をまさに誘拐したという証拠がある。
兵士たちと性行為を強制されたと後に証言した女性たちは中国人、朝鮮人、フィリピン人そしてかつてオランダの植民地であったインドネシアにおいて捕らえられたオランダ人であった。
しかし、戦争が始まったときすでに20年余も日本の植民地であった朝鮮において日本軍が女性を誘拐したり、捕まえたりしたという証拠はほとんどない。歴史修正主義者はこれを、女性たちが性奴隷として捕まえられたということを否定し、慰安婦は単に金のために軍について歩いた売春婦だと言いつのるための事実としている。彼らの意見によれば日本は、恨みを晴らそうとする南朝鮮によって繰りひろげられる中傷キャンペーンの犠牲者である。
吉田氏は嘘をついたー朝日新聞は1997年に彼の証言を変えるべくもないーという朝日の結論ではなく、正式訂正を出すのに時間がかかりすぎたということが、従軍慰安婦問題研究者にとっての驚きであった。朝日の記者たちは安倍政権がそれらの記事を朝日新聞記者を非難するために使うようになったがために朝日新聞はそれを結局はおこない、記録を率直に出すことによって攻撃が鈍ることを望んだといった。
にもかかわらず、その動きが弾劾の嵐をひきおこし、修正主義者に彼らの歴史解釈を引き起こす新しい引き金を与えることになった。彼らは外国の専門家たちを不信で頭を抱え込ませるようにした。つまり朝日新聞に従軍慰安婦が強制の犠牲者であったということを世界に納得させる責任があるとしむけたのである。
何人もの女性が苦難について証言するようになつたが、日本の右翼は国際的な日本非難を引き起こしたのは朝日新聞の報道が原因だと主張した。それらの非難には20世紀最悪の人権侵害のケースだとして明白で無条件の謝罪を要求した2007年の合衆国議会決議がふくまれる。
安倍氏とその同盟者にとっては、朝日を辱めることは、1993年の従軍慰安婦への謝罪をくつがえし、屈辱的な帝国日本の肖像画を削除したいという積年の願いを実現することである。右翼の多数は日本はアメリカ合衆国を含む第二次大戦の交戦国と較べて、悪い行いはしていないと言いつのっている。
「朝日新聞の今回の行いは修正主義者にとっては『それ見たことか』という機会を与えた」と中野晃一上智大学教授は言う。「安倍は日本の栄光を傷つけたという彼の歴史的な信念を追い求めるチャンスだと考えている」
朝日の保守的競争紙で世界最大の発行部数を誇る読売新聞はライバルの苦境について、従軍慰安婦報道の間違いを大きく扱った宣伝用リーフレットで大文字で書き立てた。8月以来、朝日の発行部数は約700万部のうち230797部も減少した。
右翼紙は植村氏を朝日が訂正した記事のなかに彼の記事などなかったにかかわらず、「慰安婦のでっち上げをした者」とあげつらっている。
植村氏は彼の味方をするメディアはほとんどないという。朝日でさえ怖がって彼を守ろうとはしなかった。のみならず、自分自身でさえ守らなかった。9月に、朝日新聞社長はテレビで謝罪し、編集長を処分した。
「安倍は朝日問題で他のメディアを自己検閲に追い込むよう脅している」と法政大学の政治学者山口二郎は言う。彼は植村氏を支える申し立てを組織している。「これは新しいマッカーシズムだ」という。
植村氏が地方文化と歴史を教えている北海道のミッションスクールである北星学園大学は超国家主義者の爆弾攻撃の脅しによって、彼との契約を見直そうとしている。先日の午後に植村氏の支持者たちが校内のチャペルに集まった。軍国主義へ向かう行進が異議を踏みにじった戦前の暗黒時代の過ちを繰り返さないように警告する説教を聞くためであった。
植村氏は公に姿をさらすことは気が進まないのでと説明して、参加はしなかつた。
「これは他のジャーナリストを沈黙追い込むよい方法だ」「彼らは私と同じ目にあいたいとは思わない」と彼は言った。

(2014年12月3日)

「試されているのは一人ひとりの当事者意識と覚悟」-北星学園「応援」を自らの課題に

本日(11月29日)の毎日新聞・オピニオン面の「メディア時評欄」に目が留まった。筆者は阪井宏、その肩書は「北星学園大教授(ジャーナリズム倫理)」。

標題が、「大学脅迫問題、問われるのは『覚悟』」とある。これを読んで、心強く思うとともに、あらためて私自身の覚悟も問われていることを自覚した。具体的な行動を起こさねばならない。

阪井論文は、次のように状況を説明する。
「朝日の慰安婦報道にかかわった元記者が教壇に立つ大学が、相次いで脅迫を受けた。脅されたのは、帝塚山学院大学(大阪狭山市)と、私の勤める北星学園大学だ。両大学は今春以降、文書、電話、メールで脅迫を受けた。『辞めさせなければ、学生に痛い目に遭ってもらう』と学生への危害をほのめかす文書もあった。」
「帝塚山の元記者は自ら辞職した。北星は当初、脅しに屈しない姿勢を示した。全国から応援の声が寄せられた。市民団体『負けるな北星!の会(通称・マケルナ会)』が東京と札幌で生まれた。大学教員、ジャーナリスト、弁護士らが名を連ね、学生5000人足らずの私大がにわかに注目の的となった。」
「しかし10月31日、学長が元記者の本年度での雇い止め方針を表明すると、空気が変わった。報道には弱腰の大学を嘆くかのようなニュアンスも漂う。」

これが時代の空気なのだろうか。卑劣な輩が群れをなして、弱いところを狙って理不尽な攻撃を仕掛けているのだ。大学は学生の安全に配慮しなければならない立場。文書、電話、メールでの脅迫には弱い。「学生に痛い目に遭ってもらう」などという脅迫を無視することなど到底できない。大学の苦境はよく分かる。経営陣も、第一線の職員も、そして学生も、不安でもあろうし面倒でもあろう。学生の家族の憂慮もさぞかしと思われる。学長の「元記者の本年度での雇い止め方針を表明」も、現実的な対応として、深く悩んだ末のことであったろう。(その後、この学長の方針表明は、決して確定的なものではないとされている)

この状況を踏まえての阪井宏意見に耳を澄まさねばならない。
「毎日は今月8日、全国の弁護士380人が脅迫の容疑者を本人不詳のまま刑事告発するという動きを社会面準トップで取り上げた。地元紙はマケルナ会のシンポジウムを紹介し、『大学が間違った選択をしないよう応援する』との北大教授の発言を伝えた。ありがたい応援である。ただ、この事件は北星だけの頑張りで済む話ではない。あらゆる組織が、いつ何時、同様の脅迫によって活動を阻害されるかも分からない。ところがそんな事態の深刻さが報道からは伝わってこない。」

渦中にある人でこその言葉である。多数の弁護士や他大学教授らの行動に対して「ありがたい応援」と敬意を払ってはいる。しかし、「大学(北星)が間違った選択をしないよう応援する」という姿勢に苛立ちが感じられる。「自分のこととしてとらえきれていないのではないか」という鋭い指摘と読み取らねばならない。

阪井が当事者としては言いにくいことを私なりに解釈すれば、「この事件は北星だけの頑張りで済む話ではない。この時代に、人権や平和を語ろうとするあらゆる組織が、いつ何時、同様の脅迫によって活動を阻害されるかも分からない。それぞれにとって、自分自身の問題なのだ。その深刻な事態をみんな良くわかっていないのではないか。『応援する』『頑張れ』というだけでは、自分の問題としてとらえたことにならない。この事態の困難さを、少しずつでも、自ら引き受ける覚悟が必要ではないのか」ということなのだ。

そこで、阪井は次のように具体的な提案をする。
「志ある大学教員に提案したい。自らが勤務する大学に、元記者を講師として招く授業をぜひ検討してほしい。マスコミ各社にもお願いしたい。多彩なカルチャー講座の一コマに、元記者を呼んではどうか。市民の方々にも問いたい。集会所の会議室を借り、元記者と語る手があるではないかと。」

そのとおりだ。匿名性に隠れて卑劣な脅迫状を送りつけ、インターネットで記者の家族を誹謗する輩、そして歴史を偽ろうとする者とは果敢に闘わねばならない。いま、北星学園が余儀なくされている孤立した闘いに具体的な援助が必要なのだ。まずは警察や司法当局の本腰を上げての真剣な対応が必要だが、それだけではない。これまで北星学園独りが前面に立って受けている圧力を分散することを考えなければならない。元記者と北星支援の声を全国で上げようではないか。それは、北星への卑劣な攻撃を許さないとする大きな世論があることを示すことでもあり、またさらに大きな世論を形成する運動でもある。

「自らのフィールドでテロと戦う。その決断は口で言うほどたやすくはない。単独ではきつい。しかし、大きなうねりとなれば話は別だ。元記者を招く動きが全国に広がれば、脅迫者は的を絞れない。」

集会を組織することは、右翼の標的になることかも知れない。だから、「自らのフィールドでテロと戦う」決断が必要ということになる。だからこそ、いま、北星学園ひとりが標的となって孤立している「テロとの戦い」の一部を引き受ける意味がある。阪井は、「応援する」と口先だけで言うのではなく、「テロとの戦い」の一部を自ら引き受けよ、その覚悟を示せ、と具体案を提示しているのだ。

阪井は、最後を次のように結んでいる。
「この国の民主主義を人任せにしてはいけない。試されているのは我々一人ひとりの当事者意識と覚悟だろう。」

私も、全国の弁護士380人とともに脅迫の容疑者を本人不詳のまま威力業務妨害罪で刑事告発したひとりだ。告発人となった弁護士団の共同代表の一人でもある。これまで「頑張れ北星」と言っては来た。しかし、指摘されてみれば、なるほどそれでは足りない。提案の通り、東京で「集会所の会議室を借り、元記者と語る市民集会」を周囲に呼び掛け企画したいと思う。

もう、「元記者」などと言わなくてもよいだろう。北星学園大学講師の植村隆氏のスケジュールを管理し調整する手立てを講じてもらいたいと思う。「負けるな北星!の会(通称・マケルナ会)」のホームページが適当てはないか。マケルナ会で具体的な招請方法を練っていただき、募集していただきたい。私は、仲間を語らって必ず応募する。
(2014年11月29日)

吉田清治証言紹介記事取り消しー朝日・赤旗・道新を評価する

北海道新聞が11月17日の朝刊1面に「『吉田証言』報道をおわびします」と題して社告を掲載し、2ページにわたって検証記事を特集した。

毎日の同日夕刊が要領よく報道している。
「従軍慰安婦報道を巡り北海道新聞社(村田正敏社長)は17日朝刊で、朝鮮人女性を強制連行したとする吉田清治氏(故人)の証言を報じた記事について『信憑性が薄いと判断した』として取り消した。同紙は1面で『検証が遅れ、記事をそのままにしてきたことを読者の皆さまにおわびし、記事を取り消します』としている。

北海道新聞によると、吉田氏の証言に関する記事を1991年11月22日朝刊以降、93年9月まで8回掲載(1本は共同通信の配信記事)した。このうち今回取り消した1回目は、吉田氏を直接取材し『朝鮮人従軍慰安婦の強制連行「まるで奴隷狩りだった」』との見出しで報じた。この記事は韓国紙の東亜日報に紹介された。他の7本は、吉田氏の国会招致の動きなど事実関係を報じた内容のため『取り消しようがない』としている」

吉田証言紹介記事の取り消しは、本年8月5日の朝日、9月27日の赤旗に続いて、道新が3紙目となる。もちろん、この3紙だけでなく、当時は各紙とも記事にした。先んじて、検証の上取り消し謝罪した3紙の誠実さは評価されなければならない。
これに続く他紙の対応が注目される。とりわけ、産経と読売である。

以下は、本年8月5日付け朝日の検証記事の一節。まずは、産経の報道について。
「韓国・済州島での『慰安婦狩り』を証言していた吉田氏。同氏を取り上げた朝日新聞の過去の報道を批判してきた産経新聞は、大阪本社版の夕刊で1993年に『人権考』と題した連載で、吉田氏を大きく取り上げた。連載のテーマは、『最大の人権侵害である戦争を、「証言者たち」とともに考え、問い直す』というものだ。
 同年9月1日の紙面で、『加害 終わらぬ謝罪行脚』の見出しで、吉田氏が元慰安婦の金学順さんに謝罪している写真を掲載。『韓国・済州島で約千人以上の女性を従軍慰安婦に連行したことを明らかにした「証言者」』だと紹介。『(証言の)信ぴょう性に疑問をとなえる声があがり始めた』としつつも、『被害証言がなくとも、それで強制連行がなかったともいえない。吉田さんが、証言者として重要なかぎを握っていることは確かだ』と報じた。
 この連載は、関西を拠点とした優れた報道に与えられる『第1回坂田記念ジャーナリズム賞』を受賞。94年には解放出版社から書籍化されている。」
当時の産経は、実に真っ当な報道姿勢をもっていたのだ。

次いで、読売はどうだったのか。
「読売新聞も92年8月15日の夕刊で吉田氏を取り上げている。『慰安婦問題がテーマ「戦争犠牲者」考える集会』との見出しの記事。『山口県労務報国会下関支部の動員部長だった吉田清治さん』が、『「病院の洗濯や炊事など雑役婦の仕事で、いい給料になる」と言って、百人の朝鮮人女性を海南島に連行したことなどを話した』などと伝えている」

当時の読売には、「吉田さんは『病院の洗濯や炊事など雑役婦の仕事で、いい給料になる』と言って、百人の朝鮮人女性を海南島に連行したことなどを話した」「『暴力で、国家の権力で、幼児のいる母親も連行した。今世紀最大最悪の人権侵害だった』などと述べた」などの記事もあったという。

私自身には吉田調書の信憑性を判断して虚偽と断定する能力はない。「第1次サハリン裁判」で吉田清治が証言をした証言調書の抜粋が日本YWCAのパンフレットに掲載されているが、その証言を虚偽だと見抜くのは容易なことではない。当時の各紙の記者が信じ込んだのも無理からぬところ。先行して検証の上記事を取り消した3紙の姿勢を評価し、その他の各紙が次に続くことを期待したい。

その場合に望まれるのは「懺悔」ではなく、「自己検証」の充実である。どうして吉田証言を真実と軽信したのか、どうして訂正記事がこんなに遅れたのか、どうしたら同様の過誤の再発を防止できるのか。是非ともその作業を通じて、国民のジャーナリズムへの信頼を深める努力をしていただきたい。
(2014年11月18日)

「負けるな北星!」  学内公聴会発言者に敬意を表明する

沖縄知事選が始まって以来、沖縄タイムスと琉球新報のサイトに目が離せない。北星学園大学脅迫告発運動に関わって以来は、これに北海道新聞が加わった。3紙とも、よくその使命を果たしていると思う。日本の北と南に、優れた地方紙が育っていることには必然性があるのだろうか。興味深い現象。

その「道新」のサイトが、本日(11月15日)の未明に「元記者雇い止め、学長『慎重に判断』 北星学園大で公聴会」という記事を発信している。短い記事だから、全文を引用する。

「札幌市厚別区の北星学園大が、朝日新聞記者時代に従軍慰安婦問題の報道に携わった非常勤講師との契約を来年度更新しない方向で検討していることについて、同大は14日夜、全教職員を対象とした公聴会を開催した。田村信一学長は終了後、『いろいろな意見が出た。理事会や理事長の意見も聴き、慎重に判断したい』と述べた。
 非公開の公聴会は予定を1時間超過し2時間半続いた。関係者によると、大学側の方針について出席者から『建学の精神のキリスト教に基づく「博愛の精神」と相いれないのでは』という疑問や『雇用打ち切りが学生を守ることにつながるのか』といった意見が出たという」

11月1日付の道新記事のタイトルが、「北星学園大、元記者の契約更新せず 学長、脅迫問題で方針」だったのだから、この2週間で学長の発言にかなりの変化が生じたことが窺える。

道新だけではない。NHKも本日早朝の「北海道News Web」で、次のように報じている。
「朝日新聞の元記者を非常勤講師として雇用している札幌市の大学が、講師を辞めさせるよう脅迫された事件をめぐり、学長が示した来年度は元記者を雇用しない考えについて14日夜、教職員の意見を聴く公聴会が開かれました。
 この事件は、いわゆる従軍慰安婦の問題の取材に関わった朝日新聞の元記者を非常勤講師として雇用している札幌市の北星学園大学に、『辞めさせなければ学生に危害を加える』とする脅迫文が届くなどしたものです。
 田村信一学長が来年度は元記者を雇用しない考えを明らかにしたことを受け、14日夜、大学側が200人以上いる教職員を対象に直接意見を聴く公聴会を開きました。
 出席者によりますと、公聴会にはおよそ100人が参加し、『脅迫に屈して雇用を打ち切るのは大学の自治の放棄になる』など雇用を継続すべきという意見が相次いだということです。
 公聴会のあと田村学長はNHKの取材に対し『いろいろな意見を聞き総合的に判断したい』と述べたうえで、来月初めまでに最終判断する考えを示しました」
公聴会出席者の真摯な発言には敬意を表したい。

私たちは、学長を励ましたいと思う。そのためには、大学が、右翼からの圧力や外部からの学内治安への攻撃を心配することなく、その自治をまっとうできるよう環境を整備しなければならない。380人の弁護士が告発に名を連ねて捜査機関を督励し、大学への激励の意思を表明した。そのうち道内の弁護士は171人に及ぶ。脅迫内容実行の予防には役に立っているのではないか。

「負けるな会」に名を連ねた著名な学者や文化人が、大学に対して来年度からのボランティア講師活動提供を申し出てもいる。私は著名人ではないが、元日弁連消費者委員長として現代の消費者問題のエッセンスや具体的な法的問題を語りたいと思う。

さらに同大学の大学院生らが、「北星・学問の自由と大学の自治のために行動する大学院生有志の会」を結成した、との道新報道もある。同会は、大学に要望書を提出し、「脅迫で誰かの雇用が奪われるという前例ができれば、私たち自身の研究も常に危険にさらされる状況となる」と指摘して再考を求めているという。

卑劣で不当な攻撃に対して私たちの社会がどれほどの耐性をもっているのか、北星学園脅迫事件は、そのテストケースとなっている。心ある多くの人が、動き始めていることに意を強くもちたい。そしてさらに声を揃えて、「負けるな北星!」と叫びたいと思う。
(2014年11月15日)

朝日「吉田調書報道」への「報道と人権委員会」見解に違和感

本日の朝日・朝刊は、福島第1原発事故についての吉田昌郎調書報道に関する「報道と人権委員会」(PRC)見解を受けての「総懺悔録」となっている。PRC見解は当事者の弁明も聴取してのもので丁寧な叙述にはなっている。しかし、どうしても違和感が拭えない。

5月20日記事の「取消」は、はたして妥当だったのだろうか。「訂正」がしかるべきではなかったのか。PRC見解は、記事の功罪の評価においてバランスのとれた的確なものになっているだろうか。全てのメディアや論評が、PRC見解支持で同一方向に纏まってしまうことの不気味さを敢えて問題にしたい。

朝日のPRC見解についてのまとめは以下のとおりである。
A「調書の入手は評価したものの、『報道内容に重大な誤りがあった』『公正で正確な報道姿勢に欠けた』として、同社が記事を取り消したことを『妥当』と判断した」
B「PRCはまた、報道後に批判や疑問が拡大したにもかかわらず、危機感がないまま迅速に対応しなかった結果、朝日新聞社は信頼を失ったと結論づけた」

上記Bは、主として朝日の姿勢や機構の問題だが、Aはジャーナリズムのあり方そのものに関わる。当該の記事を「重大な誤り」と断定する過度の厳格さの要求は、報道の萎縮をもたらすことになりかねない。記事の評価には多様な見解が併存してよいところではないか。PRC見解の立場ばかりが「正しい」か。はたして「妥当」なものだろうか。

まず、闇の中にあった400頁といわれる吉田調書に光を当てて、これを世に出したことの功績は、もっと強調されなければならない。われわれは、この朝日の記事によってはじめて、福島第1原発事故の「本当の恐ろしさ」を知った。「メルト(炉心溶融)の可能性」「チャイナシンドローム」「東日本壊滅ですよ」という言葉が出て来る深刻さだったのだ。事故後の対応の実態もはじめて知って、これにも衝撃を受けた。あらためて、人の手に負えない「原発という危険な怪物」の正体に接した思いであった。国民に原発再稼働是非の判断において不可欠の資料を提供したものが、この朝日の記事ではなかったか。その肯定的評価がPRC見解では不十分ではないか。PRCの結論が、原発事故の恐怖までを「取り消す」印象となることを恐れる。角を矯めて却って牛を殺すの結果となってはいないだろうか。

最大の「誤り」とされている朝日記事の内容は、「所長命令に違反 原発撤退」の見出しを付けた記事について、「①『所長命令に違反』したと評価できる事実はなく、裏付け取材もなされていない。②『撤退』という言葉が通常意味する行動もない。『命令違反』に『撤退』を重ねた見出しは否定的印象を強めている」というもの。

この点、吉田調書では、「操作する人間は残すけれども…関係ない人間は待避させます」とされ、どのように待避が行われたかについて、「私は、福島第1の近辺で、所内に関わらず、線量の低いようなところに一回待避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2F(福島第2原発)に行ってしまいましたと言うんで、しょうがないなと。」となっている。

つまり、所長は、次の指示があれば直ちに応じることができるように、「福島第一の近辺に待避せよ」と命令したつもりだったのだ。ところが、所員は所長の意図とはまったく別の離れた場所(福島第2原発)にまで行って、必要な指示をしても即応はできない事態となった。これを朝日記事が「命令違反」の「撤退」と言って、誤りとは言えないのではないだろうか。「命令」とは、「業務命令」「職務命令」のそれ。広辞苑を援用しての語釈ではなく、勤務時間における労務指揮の内容を「命令」と言って不自然ではない。所長が、次の業務指示に即応できる場所に待避せよと言った、とはその旨の業務命令があったといってよい。それが、どこかで「伝言ゲーム」のように不正確に伝わって、所長が想定した場所から10キロも離れた場所に所員が移動してしまった。これを「命令違反」の「撤退」と言って重大な誤報などと言えるだろうか。

もっとも、「大混乱の中、所長の避難指示不徹底」「明示の指示ないまま所員第二原発へ避難」「曖昧な指示 所長の想定に反した所員の移動」などとした方が正確かも知れないが、「所長命令に違反 原発撤退」と、さほどの差があるとは思えない。

この点について、PRC見解は次のようにいう。
「吉田氏の指示は的確に所員に伝わっていなかったとみるべきである(裏付け取材もなされていない)。さらに極めて趣旨があいまいであり、所員が第二原発への退避をも含む命令と理解することが自然であった。したがって、実質的には、『命令』と評することができるまでの指示があったと認めることはできず、所員らの9割が第二原発に移動したことをとらえて『命令違反』と言うことはできない」「本件記事の見出しは誤っており、見出しに対応する一部記事の内容にも問題がある」

「福島第1の近辺で待避して次の指示を待て」という指示はあったが、それは趣旨が曖昧で的確に所員に伝わっていなかった。だから、『指示』に反した結果とはなったが、それをとらえて『命令違反』とまでは言えない、というのだ。記事に根拠はあった。根も葉もあった。煙だけではなく、火もあったのだ。それでも、「全文取り消しが妥当な」「重大な誤り」という結論になっている。本当にこれでよいのだろうか。

朝日の記事の正確性の問題とは別に、私は9月12日の当ブログで、「明らかに所長の指示がよくない。この事態において、650名もの所員に、『何のために、どこで、いつまで、どのように、待避せよ』という具体性を欠いた曖昧な指示をしていることが信じがたい」と書いた。自分がその立場で十分なことができる自信はないが、しかるべき立場にあるものには、その立場にふさわしい能力が求められる。

PRCも、「所長の指示を極めて趣旨があいまい」と強調した。曖昧な指示だったから、所員が「第二原発への退避をも含む命令と理解」することが自然であり、したがって、実質的には、『命令』と評することができるまでの指示があったとは認めることはできない、だから朝日の記事は重大な誤り、となる。

9月12日当ブログの感想を再掲しておきたい。PRC見解が出たいまも、このとおりだと思う。

「朝日に対して、もっと正確を期して慎重な報道姿勢を、と叱咤することはよい。しかし、誤報と決め付け、悪乗りのバッシングはみっともない。そのみっともなさが、ジャーナリズムに対する国民の信頼を損ないかねない。

各紙に報道された吉田調書を一読しての印象は三つ。
一つは、原発の過酷事故が生じて以降は、ほとんどなすべきところがないという冷厳な事実。なすすべもないまま、事態は極限まで悪化し、『われわれのイメージは東日本壊滅ですよ』とまで至る。原発というものの制御の困難さ、恐ろしさがよく伝わってくる。『遅いだ、何だかんだ、外の人は言うんですけれど、では、おまえがやって見ろと私は言いたいんですけれども、ほんとうに、その話は私は興奮しますよ』という事態なのだ。3号機の水素爆発に際しては、『死人が出なかったというので胸をなで下ろした。仏様のおかげとしか思えない』という。正直に科学や技術が制御できない事態となっていることが表白されているのだ。

二つ目。官邸・東電・現場の連携の悪さは、目を覆わんばかり。原発事故というこのうえない重大事態に、われわれの文明はこの程度の対応しかできないのか。この程度の準備しかなく、この程度の意思疎通しかできないのか、という嘆き。これで、原発のごとき危険物を扱うことは所詮無理な話しだ。

さらにもう一つ。吉田所長の発言の乱暴さには驚かされる。技術者のイメージとしての冷静沈着とはほど遠い。この人の原発所長としての適格性は理解しがたい。
たとえばこうだ。
『(福島第1に異動になって)やだな、と。プルサーマルをやると言っているわけですよ。はっきり言って面倒くさいなと。…不毛な議論で技術屋が押し潰されているのがこの業界。案の定、面倒くさくて。それに、運転操作ミスがわかり、申し訳ございませんと県だとかに謝りに行って、ばかだ、アホだ、下郎だと言われる。くそ面倒くさいことをやって、ずっとプルサーマルに押し潰されている』

吉田調書は、原発事故の恐怖と、原発事故への対応能力の欠如の教訓としてしっかりと読むべきものなのだと思う。」

改めて恐れることは、吉田清治証言が虚偽とされるや従軍「慰安婦」そのものがなかったかのごとき言説がまかりとおること。同様に、吉田昌郎調書報道に「誤り」があるとして、原発事故を起こした東電が免責され再稼働派が勢いづくことである。

これで決着がついたとするのではなく、心あるジャーナリストには、今回のPRC見解を十分に検証し、果敢にこれに切り込んでいただきたいと思う。
(2014年11月13日)

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