澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

家計の不安を感じている方は、日本共産党に投票を。

(2022年6月25日)
 今の世は資本主義隆盛の時代です。極端に富が偏在し、経済格差にあえぐ大多数の人々にとっては、まことに生きるに厳しい社会となっています。この経済社会では、人は人として尊重されません。資本が利潤を生むための手段である労働力の提供者としてのみ重宝な存在とされ、労働力再生産過程の局面でのみ保護の対象となるに過ぎません。

 この冷徹な資本本位の経済原則を、人間尊重の理念で修正しなければ、この世は人が生きるに値しない暗黒の社会に堕してしまいます。人がその尊厳を保って暮らしていけるように資本の横暴を規制し修正する手段が民主主義の政治です。そのために、法の支配や立憲主義という大きな理念があり、種々の政党が政治活動を行っています。

 その諸政党を比較してみる視点は、富の偏在・経済格差・貧困という資本主義社会の根本的な矛盾に、誰の立場から、どのように、どの程度にまで切り込む政策をもっているのかということになります。言うまでもなく、この社会が経済的な意味での階級社会である以上、全ての人々の利害が一致することはあり得ません。基本的には、経済的な強者と弱者の対立の構造で今の世の政治は動いています。いったいどちらの側に立ってものを言うのか、が厳しく問われています。

 自民党とは、《一握りの、大資本・大金持ち》からの政治献金を受領して、その利益を代表する立場を基本とする政党です。大資本の走狗と言って差し支えありません。これに徹底して対峙し、経済的弱者の側に立つことを鮮明にしているのが、日本共産党にほかなりません。その他の諸政党は、自民党と共産党の中間にあって、自民党よりの公明・維新・国民、共産党に近い社民・立憲・れいわと位置づけることができるでしょう。

 産業革命をきっかけに資本主義が誕生して以来、その弱肉強食の冷酷さが多くの人に不幸をもたらしてきました。その経験から労働運動が勃興し革新政党も発展して、福祉国家政策が世界の常識になりました。所得や富の再分配を通じて経済的な弱者にも、人間たるに値する生活を保障し、資本主義の矛盾に対処しようという国のありかたです。

 ところが近年、資本の側の巻き返しが目立つのです。「政治や行政による資本への規制を緩和せよ撤廃せよ」「資本に、もっと利潤獲得の自由を与えよ」「資本の負担を減らせ」「資本に対する課税を減らせ。弱者に課税せよ」という、新自由主義の動きです。

 自民党は、この資本の要請にほぼ忠実に応えてきました。小泉規制改革で手を付け、アベノミクスが本格的にこれを実行して、今その破綻に至ろうとしています。押し寄せて来た物価の高騰がその破綻の一つの表れです。

 今回の参院選。物価高騰から国民生活をどう守るかが、最大争点の一つとして注目されつつあります。そして、その対策としての消費税減税が実行されるか否かが切実な具体的政策課題となっています。

 物価高騰は、けっして偶発的なウクライナ危機によるだけのものでなく、その基本的要因は、「アベノミクスによる異次元の金融緩和」にあります。これが異常円安を招き、輸入品の物価を押し上げています。しかも今、この金融緩和政策の破綻が明らかなっているのに、公定歩合引き上げなどの金融緩和政策見直しもできない窮地に陥っています。

また、自民党は労働法制の規制緩和で正社員を非正規に置き換えて、働く人を『使い捨て』にしてきました。これが日本の経済の競争力の低下の要因でもあり、多くの人の生活を苦しめてきたことも明らかです。

 財源をどうするか。大企業と大金持ちに応分の負担をしてもらえばよいだけのことです。大企業にはアベノミクスでため込んだ巨額の内部留保があります。これに課税することで、財源を確保するだけでなく、賃金を上げさせることにもなります。

 いま、賃金が上がらず、年金は下がり続け、重い教育費が家計を圧迫し続けているなかでの物価の高騰です。雇用が不安・賃金が上がらない・老後が不安・教育費の負担が不安という方は、ぜひとも共産党に投票していただきたいのです。基本は、どの政党が経済的弱者の味方なのかという視点です。

 政治の責任で賃金を上げ、社会保障と教育予算の充実をはからねばなりません。そして、まずは「消費税の引き下げ」です。消費税こそは、弱者に苛酷で金持ちに負担の軽い、「逆進性」の高い悪税と言わねばなりません。

 共産党はこう言っています。
 「消費税導入から33年、一貫して消費税反対を貫いてきた日本共産党への一票で、消費税減税を実行させよう」

あの「国家戦略特区」、やっぱり「ずさんで、でたらめ」なのだ。

加計学園事件で、ダーティーなイメージをすっかりと定着させた国家戦略特区。久しぶりに、全国紙の一面に顔を出した。毎日新聞が、6月11日・12日と連続して問題の各事件をトップで報道した。

国家戦略特区問題とくれば、主役は常に諮問会議議長の安倍晋三である。が、このたびの毎日報道2事件の準主役は同一人物で、国家戦略特区諮問会議・ワーキンググループ座長代理の原英史である。

この人、元は通産官僚。2009年に退官して、2010年民間人の立場で雑誌『SAPIO』に連載した記事の表題が、『おバカ規制の責任者出てこい!。いささか不真面目な物言いだが、この人の考え方も、この人を有識者委員に迎えた国家戦略特区の基本スタンスも察しがつこうというもの。

規制がおバカか、無理無体の規制緩和がおバカなのかが、今深刻な課題として、問われているのだ。

11日の記事は、見出しが国家戦略特区 政府ワーキンググループ委員関連会社 提案者から指導料200万円 会食も」「外国人美容師解禁を巡る原氏と特区ビズ社の関係」という記事。

リードだけ引用すれば、下記のとおり。

「政府の国家戦略特区を巡り、規制改革案を最初に審査するワーキンググループ(WG)の原英史座長代理と協力関係にあるコンサルタント会社が、2015年、提案を検討していた福岡市の学校法人から約200万円のコンサルタント料を受け取っていた。原氏は規制緩和の提案を審査・選定する民間委員だが、コンサル会社の依頼で、提案する側の法人を直接指導したり会食したりしていた。」

12日の記事は、見出しが府、特区審査開催伏せる」「WG委員関与 HPと答弁書」というもの。
これもリードだけ引用すれば、下記のとおり。

「国家戦略特区ワーキンググループ(WG)の原英史座長代理が申請団体を指南し、協力会社がコンサルタント料を得ていた問題で、原氏と同社が関与した漁業法にかかわる規制改革案のヒアリング開催が、首相官邸ホームページ(HP)で伏せられている。政府は審査の透明性を確保するとして、提案者や規制官庁にヒアリングした日付・案件を公表しているが、今回の案件が掲載されていないのは提案者の要望を受け入れたとみられる。事実と異なるヒアリング件数の政府答弁書も閣議決定していた。」

ジャーナリズムの真骨頂は、権力に不都合な事実を洗い出し暴き出すところにある。毎日は、よく取材してこの任を果たした。これは、氷山の一角ではないのか。願わくは、各紙、各記者が、さらに徹底して追求して、ディテイルを明らかにしていただきたい。

問題の会社は「特区ビジネスコンサルティング」(略称「特区ビズ」、現在は商号変更して「イマイザ」)というのだそうだ。いかにもふざけた名称だし、「特区ビジネスコンサルティング」という業務の成立自体が胡散臭い。「この『特区ビズ』は、少なくとも15年3~12月は、原が代表を務める政治団体『土日夜間議会改革』と同じマンションの一室(東京都千代田区)に事務所を設置。一部のスタッフは団体と特区ビズの業務を掛け持ちし、電話番号も同じだった。特区ビズの社長は、政治団体の事務も担当していた」と報じられている。原は、毎日に反論をこころみているが、この点については否定していない。

また、「同社は15~16年、数十件の特区提案にコンサルタント業務などで関与。このうち少なくとも福岡市中央区の美容系学校法人が、日本の美容師資格を持ちながら国内で就労できない外国人を特区内で働けるようにする規制改革を希望し、同社にコンサル料を支払った。法人などによると14年11月以降、原氏らは法人側と福岡市内でたびたび面会。法人副理事長(当時)は原氏と市内のかっぽう料理屋で会食し、費用は法人が負担した。副理事長はコンサル料の支払いを認め、『特区ビズの方として原氏と会った。提案書の書き方を教わった』と語った。提案は15年1月、特区ビズ社名で内閣府に提出され、WGで審査中」という。この点についても、事実に争いはなさそう。

もう1件。12日報道の件はこんな内容だ。
「複数の関係者によると、この改革案は漁業法で制限されていた真珠養殖の規制緩和を求めるもので、2015年6月ごろ、関東地方の真珠販売会社が提案した。その際、原氏は同社に自身と協力関係にある『特区ビジネスコンサルティング』(特区ビズ、現在は商号変更)を紹介。特区ビズが提案資料を作成し、原氏もたびたび助言した。この規制改革案はその後、WGでの議論を踏まえ、昨年12月の漁業法改正で実現した。」

特区の設定とは、他にない特例を認めようというもの。行政に求められる公平性の原則をくずして、例外としての不公平取り扱いを認めることなのだ。そのような、原則を崩すだけの際だった合理性・必要性が求められる。他の件にもまして、手続の徹底した透明性の確保と、厳正厳格な公平性・中立性について国民の高度な信頼が求められる。

しかし、毎日の取材があぶり出した事実は、国民の疑惑を招くに十分である。あのアベの下で、またぞろ問題が出てきたと思わせる。これに対する原の反論は、「自分はカネをもらっていない」という弁明である。毎日は「原がカネを受けとった」とは言っていないのだが。

毎日は、取材対象の弁明についても、こう記事にしている。
「元経産官僚の原氏は、…毎日新聞の取材に『(同社に)協力はしているが(コンサル料は)知らない。会社と私は関係ない』と説明した。内閣府は『委員が提案者の相談に応じ、制度を紹介するのは通常の活動』としつつも、同社と原氏の関係は『事務局として承知していない』と回答した。

ワーキンググループ幹部とコンサルの業者が、こんなにも一体となって、こんなにも親密にビジネスとしてほいほいと動いていることに、愕然とせざるを得ない。コンサルを求める方も、ビジネスチャンスを窺う利にさとい企業である。こんな環境でコンサルの業者が動けば、当然にカネも動く。一体となっている特区諮問会議委員にもカネにまつわる疑惑が生じるのは当然のことだ。

こういう話しは、なかなか外へは出にくい。特区ビジネスのクライアントとしても後ろめたい話で、積極的に語りたいことではない。カネが絡み、諮問会議の関係者が絡んでいればなおさらのことだ。ようやく氷山の一角が見えた貴重な事例。一事が万事、これがありふれた事態なのかと思わせる。まずは、行政や国会の場での、徹底した疑惑の解明が望まれる。

なお、規制改革を担当する内閣府特命担当大臣は、あの片山さつきである。片山さつき自身の問題については、2018年11月9日付けの当ブログをご覧いただきたい。

片山さん、ずさんで、でたらめ。めちゃくちゃじゃないですか。
http://article9.jp/wordpress/?p=11428

嗚呼、アベ内閣。あっちもこっちも、「ずさんで、でたらめ。めちゃくちゃ」だ。
(2019年6月13日)

船橋秀人君! 君こそ、東洋大学の希望だ。

東洋大学と竹中平蔵、哲学とゼニの取り合わせ。高邁な理想を掲げる大学に、政治絡みでの儲け方だの節税手口だのを教えようというのだろうか。この違和感に、学内から批判の声が上がったのは真っ当な反応ではないか。

話題の人、同大学4年生の船橋秀人君は「竹中平蔵による授業反対!」と書いた立て看板を学内に掲げ、ビラを撒いた。船橋君のビラの内容は次のとおりだ。至極真っ当で、立派な意見ではないか。私は全面的に賛意を表する。一人立ち上がった彼に、敬意も表したい。これを大きく拡散しよう。

この大学はこのままでいいのだろうか?
我々の生活が危ない!
竹中氏の過悪、その一つは大規模な規制緩和である。特に2003年の労働者派遣法の改悪がこの国にもたらしたものは大きい。それまで限定されていた業種が大幅に拡大されることで、この国には非正規雇用者が増大したのである。「正社員をなくせばいい」や「若者には貧しくなる自由がある」といった発言は、当時の世論を騒がせた。しかしながら、この男まるで反省の素振りを見せない。「朝まで生テレビ!」という番組では、自らの政策の肝であったトリクルダウン(お金持ちが富むことでその富が貧しい者にも浸透するという理論)について、「あり得ない」というある種開き直ったかのような発言をしており、まるで自分がやった責任について無自覚なようだ。また、昨年可決された高度プロフェッショナル制度については、「個人的には、結果的に(対象が)拡大していくことを期待している」などという驚くべき思惑を公言している。つまり、初めは限定的なものだからという理由で可決された労働者派遣法が、今これほどまでに対象を拡大したように、高度プロフェッショナル制度は、今後とも更なる拡大が予想されるのである。無論、我々も例外ではない。労働者はこれから一層使い捨てにされることになるのだ!!
 
様々な利権への関与!?
竹中氏が人材派遣会社のパソナグループの会長を務めているということも忘れてはならない。というのも労働者派遣法の改悪は、自らが会長を務める会社の利権獲得に通じていたからだ。まさに国家の私物化である。また、最近では昨年法案の正当性について全く審議されずに可決された水道法改正案と入管法改正案についても関与していたことが明るみになっている。更に加計学園との関連も取りざたされており、今後ともこの男の暴走を追及する必要がありそうだ。
 今こそ変えよう、この大学を、この国を

皆さんは恥ずかしくないですか、こんな男がいる大学に在籍していることが。僕は恥ずかしい。そして、将来自分や友達や自分の子どもが使い捨てにされていくのを見ながら、何も行動を起こさなかったことを悔いる自分が、僕は恥ずかしい。意志ある者たちよ、立ち上がれ! 大学の主役は、我々学生なのだ。右も左も前も後も何にも分からない人も、みんな集まれ。民主主義は決して難しいものではない。共に考え、議論し、周りに訴えながら、もう一度みんなでこの社会を立て直そう!!

船橋君によれば、これに対する大学の対応は、次のようなものだった。
「21日朝9時から立て看板を出し、ビラを配り始めたら、10分と経たないうちに学生課の職員がビラ配布の中止と看板の撤去を求めてきました。その後、学生課の部屋に連れていかれ、職員5、6人から約2時間半にわたって詰問されました」
「職員らは学生生活ハンドブックの条項を示しながら、『大学の秩序を乱す行為』に該当するとし、退学処分をちらつかせてきました。さらに『君には表現の自由があるけど、大学のイメージを損なった責任を取れるのか』と大きな声で言われたり、『入社した会社で立場が危うくなるのでは』とドーカツされたりしました」

複数の報道では、男性職員から「性行不良で改善の見込みがないと認められる者」「本学の秩序を乱し、その他学生に反した者」など、退学に関して規定された学則第57条を示しながら「表現の自由には責任が伴う。何らかの処分で責任を取ってもらう」などと追及されたという。

「表現の自由には責任が伴う。何らかの処分で責任を取ってもらう」は、特筆すべき迷言! 要するに、「表現の自由なんてここにはない。だから、ものを言うな。言えば処分が待ってるぞ。」と脅しているわけだ。

企業は組合幹部にこう言うだろう。「団結権には責任が伴う。何らかの処分で責任を取ってもらう」
防衛省は、「平和には責任が伴う。戦争に行ってもらおう」
厚労省にはこう言いたい。「統計には責任が伴う。何らかの形で責任を取ってもらう」

東洋大のホームページには、こうある「今や11学部44学科、10研究科32専攻、法科大学院を擁し、学生数が約3万人という、大変大きな総合大学となりました。いずれの学部・研究科等においても、建学の精神に基づいて人財養成の目的や教育目標を定め、物事を自ら深く論理的・体系的に考え、判断し、行動することができる、社会に有為な人財の育成に心を砕いています」。その規模には驚かざるを得ない。近時急成長している大学であることには間違いない。

竹村牧男学長は、そのメッセージで、「物事を自ら深く論理的・体系的に考え、判断し、行動することができる、社会に有為な人財の育成に心を砕いています。」と言っている。船橋秀人君こそ、学長メッセージにピッタリの人物ではないか。

船橋君は、こうも言っている。
「日本大学のアメフト部の悪質タックル問題で、学生の側から意見を言わない、言えない状況をニュースで目の当たりにして「こんなので良いのかと思ったし、自分も批判されているような気持ちになった」と感じたことも、行動を起こした理由」

「(在籍した)4年間で、校内に立て看板が立つことはなかった。僕は卒業間際まで動くことが出来なかったけれど、単身で声を上げたことで組織の問題などを考えて欲しいし、根本的な議論につなげて欲しい。後輩にも受け継いで欲しい」

東洋大(白山キャンパス)は、我が家からは散歩圏内。地域との連携も良く、親近感がある。これまでの評判は悪くない。立派になって欲しいと思う。竹中平蔵の採用はともかく、これを批判する人物を育てたのだから、東洋の希望は大いにある。

大学に望むことを、一言申しあげたい。学内を「学則」が支配する世界だと思い込んではおられないか。大学こそ、最も風通し良く憲法の理念が行き渡る空間であって欲しい。船橋君の憲法上の権利主張を、「学生生活ハンドブック」の細則で押さえ込もうというのは、研究機関や教育機関の発想として貧弱ではないか。どうだろう。この問題、公開の場で真摯な意見交換をしてみては。
(2019年1月25日)

漁業法改正は対決法案に ― アベ政権の水産改革批判(その3)

昨夕(11月14日)NHKラジオ「Nらじ」に、二平章さん(JCFU全国沿岸漁民連絡協議会事務局長・茨城大学客員研究員)が出演し、今回の水産改革について沿岸漁民の立場からの解説をされた。19時30分からの約25分間。落ち着いた語り口で分かり易く説得力があった。下記のURLで、2か月間聞けるという。
http://www4.nhk.or.jp/nradi/24/

「アベ様のNHK」という揶揄は、最高幹部や政治部には当てはまっても、その決め付けが必ずしも常に正しいわけではない。一緒に出演していたNHKの専門解説委員も司会者も、公平な態度だった。

先日、TBSラジオ・荻上チキの「セッション22」が、このアベ水産改革を手放しで礼賛していたのに驚いたが、これに較べてNHKの姿勢が遙かに真っ当なのだ。

また、NHKは下記のURLで聴取者の意見を募集している。ネトウヨの世界とは違った、真面目な意見が寄せられている。反響が大きければ、また「Nらじ」は水産改革関連問題をとりあげたいとの意向だという。
http://www6.nhk.or.jp/nradi/bbs/commentlist.html?i=54038

そして、本日(11月15日)衆院本会議で、漁業法改正案が審議入りした。

本日衆院本会議で各党の代表質問質問に立ったのは以下の議員。

細田健一(自由民主党)  
神谷裕(立憲民主党・市民クラブ)  
緑川貴士(国民民主党・無所属クラブ)
金子恵美(無所属の会)
田村貴昭(日本共産党)
森夏枝(日本維新の会)

下記のURLで、動画を見ることができる。
http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=48459&media_type=fp

維新を除く全野党が、明確に漁業法「改正」案に反対の立場からの質問。立憲民主党の神谷裕などは迫力十分。緑川貴士もなかなかのもの。そして、田村貴昭の質問も鋭い。

メディアはこう報道している。

日経の見出しが、「漁業法、企業参入で与野党対決 衆院審議入り」というもの。
「企業が新規参入しやすいように漁業権制度などを見直す漁業法改正案が15日、衆院本会議で審議入りした。漁業権を地元の漁業協同組合に優先する仕組みなどを見直し、漁業を成長産業に育てる狙いがある。野党は小規模漁業者への影響が大きく拙速だと批判しており、今国会で対決型法案となりそうだ。」

「企業の参入規制を緩和して漁業を成長産業に」がアベ水産改革のスローガンだ。これに対して、野党が「小規模漁業者への影響」の立場から反対という図式。明らかに法案の狙いは、「漁民のための漁業法」から、「資本のための漁業法」に、というものだ。

この構図、一見すると「漁民」対「企業」の角逐のごとくである。多くの国民にとっては、「『漁民』の獲った魚も『企業』が獲った魚も、味に変わりはなさそうだ」「それなら、どちらでも廉い方がよい」のだろうか。実はそうではない。

多くの国民は、消費者であると同時に勤労者でもある。かつ勤労者はそれぞれの分野で、企業と共存しつつも対峙している。労働者として、自営業者として、商店主として、農民として、そして漁民として。あるいは、小規模経営者として、より大きな企業と。資本の放縦に対する規制においては、利害を共通にしているのだ。

労働に関する規制をなくして企業が小児労働を雇用すれば、その企業の商品は安価となる。しかし、消費者がこのような商品を安価だからとして歓迎することはできない。アンフェアーな企業の商品流通を許せば、たちまち多くの労働者の賃金の引き下げ圧力として波及する。大店法の規制があった時代には、各地の商店街が賑わった。いま、その規制がなくなって大規模スーパーとショッピングモールに席巻されて、商店街のにぎわいが消えた。多くの商店主の稼働の場が失われたのだ。

規制の緩和ないし撤廃は、一面効率と生産性を向上させるが、他面多くの勤労者の生計の場を奪う。消費者は、市場における適正な競争原理の働きを歓迎はするが、規制の撤廃や過度の緩和は望まない。結局、それは自分の首を絞めることにつながるのだから。漁業の参入規制を緩和して企業に漁業を営ませる。それは、けっして多くの消費者(=勤労市民)にとって歓迎すべきことではない。

いずれにせよ、アベ政権とその取り巻きの思惑のとおりにはことが運んでいない。漁業法改悪問題は、対決法案となってきた。
(2018年11月15日)

「漁民のための漁業法」から、「資本のための漁業法」に ― アベ政権の水産改革批判(その1)

11月6日、政府は「漁業法等の一部を改正する等の法律案」を閣議決定するとともに、国会に上程した。

次のように「改正の趣旨」が説明されている。

「漁業は、国民に対し水産物を供給する使命を有しているが、水産資源の減少等により生産量や漁業者数は長期的に減少傾向。他方、我が国周辺には世界有数の広大な漁場が広がっており、漁業の潜在力は大きい。適切な資源管理と水産業の成長産業化を両立させるため、資源管理措置並びに漁業許可及び免許制度等の漁業生産に関する基本的制度を一体的に見直す。」

私には、次のように読めてしまう。

「漁業は、国民の水産物需要に対する供給産業として魅力的な利潤追求の場であるところ、現行の規制だらけの水産行政では参入が不自由だし魅力に乏しい。しかし、資源の減少等により生産量や漁業者数は長期的に減少傾向にある今こそ、規制緩和による資本参入の絶好のチャンス。我が国周辺には世界有数の広大な漁場が広がっており、儲けのための漁業の潜在力は大きい。参入規制を排して、《適切な資源管理》と《水産業の成長産業化》を両立させるとの名目をもって資本が自由に活動できるよう、資源管理措置並びに漁業許可及び免許制度等の漁業生産に関する基本的制度を、外部資本のために抜本的かつ一体的に見直す。」

これは、「アベノミクス」の一端としての「水産改革」における法的整備である。資源管理措置、漁業許可・免許制度等の基本的制度を見直すって? いったい何をどう見直すというのか。誰のために、何を目指して? 貫く理念はなんなのか? 問題は根が深く大きい。「アベ政権が出してくる法案だ。どうせ碌なものではない」という程度では看過し得ない。重大な危険を孕んだ法案として、反対の立場を明確にしておきたい。

私は、「浜の一揆」訴訟を担当する中で、漁民と接し漁業の実態に触れる機会を持つようになって驚いている。あまりに急速な浜の衰退に、である。漁業人口の減少と、漁家の収入の低下、そしてそれがもたらす後継者不足。漁業自体は魅力的な職業であっても生計の維持すら困難になりつつあるのだ。2018年11月1日を基準日として5年ぶりの漁業センサスの作成作業が始まっている。その統計が明らかになれば、世の耳目を惹くことになるだろう。

日本の沿岸漁業を守るための改革が必要なことは明らかだ。だが、それは飽くまで漁民・漁家・漁村・地域社会を守るという方向の改革でなくてはならない。効率の悪い現行の漁業をご破算にして、効率重視の大資本の儲け口とすることこそが漁業の再生」という規制緩和政策の餌食にしてはならない。

今回の水産改革法案は、漁業法・水産業協同組合法・水産資源保護法をメインに、48の法改正を伴う大規模なものとなっている。しかし、なによりも留意すべきは、これだけの改革が、漁民・漁家からの要望で出てきたものではないことである。水産物の消費者の要求でもない。いや、漁民を支持母体とする保守政治家からの提案ですらない。

この改革の出所は、例の如く「規制改革推進会議」である。つまりは、財界の要求であり、財界の走狗たる「有識者」の発案なのだ。その発想の基本に新自由主義がある。資本ないしは企業利益最優先の立場。

昨年(2017年)11月17日、規制改革推進会議水産ワーキング・グループが、この問題についての「議論の整理」を公表している。

「漁業の成長産業化と漁業者の所得向上に向けた担い手の確保や投資の充実のための環境整備」という項目があり、下記のようにあけすけに語られている。

・漁業資源管理や調整を目的とする漁業許可制等について、意欲と能力があり将来の成長産業化に向けた担い手が円滑に漁業に参加し得る制度とその運用を実現する観点から、全面的に検証し改革することが重要。
・近隣諸国漁業者に比肩する競争力の維持・強化の観点から、現在のインプットコントロールを重視する漁業許可制度のあり方について検証し改革することが重要。
・船舶職員及び小型船舶操縦者法、船舶安全法など、船舶に関する一般的なルールに関し、海技士の数や、トン数、船の長さなどに関連する基準や閾値について、漁業の競争力強化の観点から、実態に即した検証、評価をすることが重要。
・区画漁業権、定置漁業権など、大型の設備投資を行い、相当程度の事業規模となる漁業を営む権利について、資金調達時の担保としての利用や、より付加価値の高い漁業を営む能力を有する担い手への引継ぎなどを円滑に行う観点から、検討することが重要。

回りくどい言い方をやめ、修飾を排して直截・端的に言えばこういうことだ。

「現行の漁業は、意欲も能力も欠ける担い手によるものとなっている。だから、能率が悪く、生産性が低い。その結果、競争力も弱く、投資の対象としての旨味はない。漁業の外部から、新たな資本と経営を参入させ、企業に魅力ある制度に変えてしまうことが重要」

その規制緩和の意図が法案になった。漁業法の第1条の目的規定はこう書き換えられようとしている。

現行法 (この法律の目的)

第1条 この法律は、漁業生産に関する基本的制度を定め、漁業者及び漁業従事者を主体とする漁業調整機構の運用によつて水面を総合的に利用し、もつて漁業生産力を発展させ、あわせて漁業の民主化を図ることを目的とする。

改正法案

第1条 この法律は、漁業が国民に対して水産物を供給する使命を有し、かつ、漁業者の秩序ある生産活動がその使命の実現に不可欠であることに鑑み、水産資源の保存及び管理のための措置並びに漁業の許可及び免許に関する制度その他の漁業生産に関する基本的制度を定めることにより、水産資源の持続的な利用を確保するとともに、水面の総合的な利用を図り、もつて漁業生産力を発展させることを目的とする。

よくお読みいただきたい。新自由主義者たちはどこをどう変えようというのか。
現行漁業法の制定は、戦後経済改革の目玉の一つだった。財閥解体と農地解放につづく、「漁民中心の経済民主化」を顕現したもの。だから、「漁業者及び漁業従事者を主体とする漁業調整」との文言があり、「漁業の民主化」が輝かしい理念として掲げられた。

改正法案からは、漁業者及び漁業従事者を主体とする」との文言が消え、「漁業の民主化」も抹殺された。その結果、「漁業生産力を発展させること」だけが究極の目的となったのだ。

アベ政権。その主要な政治手法は、「隠し」と「欺し」である。まずは「隠し」。これまで漁民にはひた隠しにされていた漁業法「改悪」案。いつまでも隠してはおられない。これからは「欺し」のテクニックが駆使される。私も、眉に唾付けながら、漁民の立場からこの「漁業法改悪」に対する見解を書き連ねて行きたい。
(2018年11月10日)

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 「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」からの訴えです。
「会」は、麻生財務大臣の辞任を求める<署名運動>と<財務省前アピール行動+デモ>を呼びかけています。

財務省前アピール行動+デモ
11月11日(日)
13時~ 財務省前アピール行動
14時  デモ出発

■<署名>と<財務省前アピール行動+デモ>の資料一式をまとめたサイト■
http://sinkan.cocolog-nifty.com/blog/2018/10/1111-5336-1.html
ぜひ、これをメールやツイッタ-で拡散してください。

■できるだけメッセージを添えてネット署名を■
上記の「まとめサイト」の右サイド・バーの最上段に、
1.署名用紙のダウンロード http://bit.ly/2ygbmHe
2.ネット署名の入力フォーム http://bit.ly/2IFNx0A
3.ネット署名のメッセージ公開 http://bit.ly/2Rpf6Pm
が貼り付けられています。

なお、署名の第1次集約は11月7日で締めきり、9日に財務省へ出向いて麻生財務大臣の罷免を求める10,699筆の署名簿を提出しました。

引き続いて署名を重ね、11月28日(水)を最終締め切り日と予定しています。

ぜひとも、ご協力をよろしくお願いします。
なお、署名の文面は以下のとおりです。
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財務大臣 麻生太郎 様

無責任きわまりない麻生太郎氏の財務大臣留任に抗議し、即刻辞任を求めます

森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会

10月2日に発足した第4次安倍改造内閣で麻生太郎氏が財務大臣に留任しました。しかし、第3次安倍内閣当時、財務省では、佐川宣寿氏が理財局当時の国会での数々の虚偽答弁、公文書改ざんへの関与の責任をとって国税庁長官の辞任に追い込まれました。また、福田淳一氏は女性記者への破廉恥なセクハラ発言を告発され、事務次官の辞職に追い込まれました。いずれも麻生氏が任命権者の人事でした。
しかし、麻生氏は厳しい世論の批判にも居直りを続け、事態を放置しました。それどころか、森友学園への国有地の破格の安値売却について、録音データなど動かぬ証拠を突きつけられても、なお、「処分は適正になされた」「私は報道より部下を信じる」と強弁し続けました。
福田次官のセクハラ行為については、辞任が認められた後も「はめられたという意見もある」などと暴言を吐きました。
なによりも、第3次安倍内閣当時、財務省では公文書の隠蔽、決裁文書の改ざんという前代未聞の悪質きわまりない国民への背信行為が発覚しましたが、それでも麻生氏は、会見の場で記者を見下す不真面目で下品下劣としか言いようがない答弁を繰り返しました。
こうした経歴の麻生氏が私たちの税金を預かり、税金の使い道を采配する財務省のトップに居座ることに、私たちと大多数の国民は、もはや我慢の限界を超えています。
麻生氏を留任させた安倍首相の任命責任が問われるのはきわめて当然のことですが、任命権者の意向以前に私たちは、麻生氏自身が自らの意思で進退を判断されるべきだと考え、次のことを申し入れます。

申し入れ

麻生太郎氏は財務省をめぐる数々の背任、国.に対する背信の責任をとって直ちに財務大臣を辞任すること

私は上記の申し入れに賛同し、以下のとおり、署名します。

(2018年11月10日)

トランプもNRA(全米ライフル協会)も「恥を知れ」。「ふざけるな」。

昨年(2017年)10月1日のラスベガス銃乱射事件での驚愕の思い冷めやらぬうちに、2月14日またまたフロリダ州の高校での大量殺人事件が起こった。ラスベガスでの犠牲者は58人、政府も政治もこの大事件に何らの対応策を打てないうちに、また17人の若い命が犠牲になった。明らかに、アメリカは病んでいる。

この事態に、現地から声が上がっている。2月17日の抗議集会でのことだ。伝えられているところでは、追悼集会ではなく、銃を規制しない政治家たちへの抗議集会の模様なのだ。鋭い発言をした高校生のエマ・ゴンザレの名が、話題となっている。

AFPは、こう伝えている。
「米南部フロリダ州で行われた反銃集会で、同州パークランド(Parkland)のマージョリー・ストーンマン・ダグラス高校(Marjory Stoneman Douglas High School)で14日発生した銃乱射事件の生存者である女子生徒が熱弁を振るい、ドナルド・トランプ(Donald Trump)米大統領と全米ライフル協会(NRA)の関係に辛辣な言葉を投げ掛けた。
 同校生徒のエマ・ゴンザレス(Emma Gonzalez)さんは、米大統領選でトランプ陣営がヒラリー・クリントン(Hilary Clinton)元国務長官に勝つためにNRAから数千万ドル(数十億円)の支援を受けた事実を攻撃し、『NRAから寄付金を受け取る全政治家、恥を知れ!』と発言し、集まった人々も『恥を知れ!』と繰り返した。

 同校の生徒や保護者、地元当局者が参加した集会で演説したゴンザレスさんは、『もし(トランプ)大統領が私に向かって、(今回の銃乱射事件は)恐ろしい悲劇だったけれど何の対策も行われないと言うならば、私は喜んで彼(トランプ大統領)にNRAからいくら献金を受け取ったのかと尋ねます」と述べ、次のように続けた。「でもそれはどうでもいいことです。私はもう知っていますから。3000万ドル(約32億円)です」
 そしてその金額を米国で今年これまでに起きた銃乱射事件の犠牲者の人数で割れば『1人の命の値段は幾らになるのでしょうか、トランプさん?』と問いかけた。
 このパワフルな演説はインターネット上ですぐに拡散し、ゴンザレスさんの名前はツイッター(Twitter)でトレンド入りした。」

CNN(ネット日本語版)の伝えるところは、もっと辛辣だ。
「事件現場に居合わせた同校3年生のエマ・ゴンザレスさんは演説で、連邦議会に銃乱射事件の発生を防ぐための法改正を強く求めた。
『大人たちは「これが現実」と言うのが習慣になっているかもしれない』『でも皆さんが行動を起こさなければ、人々は死に続けます』と訴え、銃規制に反対する全米ライフル協会(NRA)から献金を受け取っている政治家に『恥を知れ』と抗議した。また、銃規制を強化しても銃暴力は減らないと主張する政治家らを『ふざけるな』と非難した。

ゴンザレスさんに続いて、数百人の聴衆も『恥を知れ』『ふざけるな』と声を上げた。

集会の冒頭では、州上院議員のゲイリー・ファーマー氏が殺傷能力の高い銃や部品を禁止し、登録制度を強化する法改正を要求。学校の警備強化で対応しようとの案は「的外れ」だと批判し、警備が強化されれば銃を持った者が公園や教会で乱射するだけだと指摘した。

集会の参加者は『銃ではなく子どもたちを守れ』などと書いたプラカードを掲げ、銃規制に反対する議員を追放しようと気勢を上げた。」

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『恥を知れ』『ふざけるな』と言われたトランプは、今回もだんまりのままだ。しかし、ラスベガス事件の前には、彼がなんと言っていたか。これも、AFPが明確に伝えている。

【2017年4月29日 AFP】ドナルド・トランプ(Donald Trump)米大統領は28日、ジョージア(Georgia)州アトランタ(Atlanta)で開かれた同国最大の銃ロビー団体「全米ライフル協会(NRA)」の年次総会で演説し、自身は同団体の「真の友人で擁護者」だと表明した。
NRAは米国の選挙に大きな影響力を持っており、共和党の候補者がその支持を得ようと競い合うことはよくあるが、現職大統領がNRAのメンバーに向け演説するのは異例。昨年の大統領選でNRAは早期からトランプ氏を支持していた。
大統領就任100日目の節目を翌日に控え、NRAの第146回年次総会に出席したトランプ氏は、ロナルド・レーガン(Ronald Reagan)元大統領以来、ほぼ35年ぶりに同総会で演説した現職大統領となったことを「誇りに思う」と表明した。
また、「米国民の大統領として、人々が銃を所持する権利は絶対に侵害しない」と宣言。銃乱射事件の頻発を受け銃規制強化を目指したバラク・オバマ(Barack Obama)前政権を念頭に、「過去8年間におよぶ修正憲法第二条(銃所持の権利保護を定めた合衆国憲法の条項)への攻撃は終わりを迎えた」と語った。

これが、トランプだ。銃の販売で儲けようというものの「真の友人で擁護者」なのだ。だから、高校生たちから、『恥を知れ』『ふざけるな』と言われるにふさわしいのだ。

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「ビジネスインサイダー」というサイトの日本語版の転載だが、2018年に入ってから起きた、銃に関係する事件は以下のとおりだという。日付はいずれも、現地時間。
https://www.businessinsider.jp/post-162201
1月3日:ミシガン州で31歳の男が以前通っていた元小学校の駐車場で銃を使って自殺。
1月4日:シアトル郊外にあるニュー・スタート高校で銃撃。被弾したり、負傷した人はいなかった。
1月5日:アイオワ州フォレスト・シティで、ペレット・ガン(空気銃)の弾がスクールバスの窓を粉々に。通学のため多くの生徒が乗っていたが、負傷者はいなかった。
1月9日:アリゾナ州の小学校のトイレで、14歳の男子生徒が自殺。
1月10日:カリフォルニア州立大学の建物が被弾。負傷者なし。
1月10日:テキサス州にあるグレーソン大学の学生が、インストラクターの下で銃の訓練中に誤まって銃を発射。負傷者なし。
1月15日:テキサス州マーシャルの警察に深夜、ウィレイ大学で銃声が聞こえたとの通報が入った。学生寮の1つに流れ弾が当たったが、負傷者はいなかった。
1月20日:ノースカロライナ州で、ウィンストン・セーラム州立大学のフットボール選手がウェイクフォレスト大学で開かれたイベント中に撃たれて死亡。
1月22日:テキサス州にあるイタリー高校で、16歳の男子生徒が銃を撃ち、女子生徒が負傷。
1月22日:ルイジアナ州ニューオーリンズで、ネット・チャーター高校の前に集まった生徒の集団に向かって、何者かがピックアップトラックから銃撃。男子生徒が1人、負傷した。
1月23日:ケンタッキー州の15歳の高校生が銃を撃ち、2人が死亡し、17人が負傷した。
1月25日:アラバマ州にあるマーフィー高校の外で、16歳の少年が銃を乱射。負傷者はいなかった。
1月26日:ミネソタ州にあるディアボーン高校の駐車場で、バスケットボールの試合中、言い争う2人の人間に何者かが銃を発射。負傷者はいなかった。
1月31日:ペンシルベニア州フィラデルフィアにあるリンカーン高校の外で、バスケットボールの試合後、乱闘騒ぎの結果、銃が使用された。この騒ぎに関与した生徒はいない。1人が死亡。
2月1日:カリフォルニア州ロサンゼルスにあるサルヴァドール B. カストロ中学校で12歳の女子生徒が銃を発射。1人が重傷、他にも4人が負傷した。事件はアクシデントだったと報じられている。
2月5日:メリーランド州にあるオクソン・ヒル高校の駐車場で1人の生徒が撃たれる。
2月5日:ミネソタ州にあるハーモニー・ラーニング・センターで、3年生が職員の銃の引き金を引く。
2月8日:ニューヨーク州ニューヨークのブロンクスにあるメトロポリタン高校で、17歳の少年が銃を撃つ。負傷者はいない。
2月14日:フロリダ州パークランドにあるマージョリー・ストーンマン・ダグラス高校で、元生徒が銃を乱射、複数の死亡者と負傷者を出した。
[原文:There have already been 18 gun-related incidents at American schools in 2018]

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NRAは、米国最大のロビイスト団体として知られる。銃規制を緩和せぬよう、莫大な献金を多数の議員に浴びせている。その最大のターゲットがトランプなのだ。

NRAの言い分は、「市民がより多くの銃を持てば持つほど、国は安全になる」というものだ。エマ・ゴンザレスは怒りに震えて、この論法を『恥を知れ』『ふざけるな』と罵ったのだ。惨劇を間近に見た人、あるいは犠牲者の家族も、これに同意して唱和した。

『恥を知れ』『ふざけるな』の言葉は、NRAもトランプも、銃規制の世論を封じることで莫大な利益を得ているからだ。人の命を危険に曝すことを儲けのタネにしていることの倫理的な批判であり、憤りなのだ。

スケールは劣るが、DHC・吉田嘉明と渡辺喜美との関係とよく似ている。厳しい厚労省の規制を嫌って、規制緩和派の政治家にカネをつかませるDHC・吉田嘉明のこのやり口は、徹底して批判されなければならない。NRAがトランプに、吉田嘉明が渡辺喜美に、それぞれつかませるカネは「規制をなくして、スポンサーの眼鏡にかなった立派な政治」を期待してのものだ。刑事上の構成要件該当性はともかく、政治や政治家の廉潔性に対する社会の信用を毀損する点において、実質的に賄賂の収受と変わらない可非難性がある。

また、銃を放任する社会の問題は、国際間の軍事抑止力論争とよく似ている。核拡散の危険を示唆してもいる。大量の銃の拡散は、相互威圧による安全をもたらしはしない。社会的な管理の限界を越えることが、大量殺人や偶発事故に繋がるのだ。既に、事実がそのように物語っているではないか。

私も、エマ・ゴンザレスに唱和しよう。「トランプもNRAも恥を知れ」。「ふざけるな」。

(2018年2月19日)

2月1日(木)10時30分「DHCスラップ2次訴訟」第2回法廷 ― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第118弾

私(澤藤)自身が被告とされた「DHCスラップ訴訟」。今、「DHCスラップ第2次訴訟」となり、これに反訴(リベンジ訴訟)で反撃している。

その第2回口頭弁論期日(形式的には3回目)の法廷が近づいている。
 2018年2月1日(木)午前10時30分
 東京地裁415号法廷・東京地裁4階(民事第1部)

今回の法廷では、反撃訴訟訴状(反訴状)に対する反訴被告(DHC・吉田)側の答弁書の陳述が行われる。

どなたでも、なんの手続も必要なく傍聴できます。ぜひ、多数の方の傍聴をお願いいたします。なお、現在東京地裁庁舎では一部のエレベータが稼働していません。エレベータに行列ができています。少し早めに、お越しください。

なお、いつものとおり、傍聴された方には、これまでの進行の解説文と今回口頭弁論期日に陳述となるDHC・吉田側の答弁書のコピーを配布いたします。

また、閉廷後の報告集会は今回に限って行いません。閉廷後に控え室で多少の時間をとってご挨拶と、意見交換をいたしたいと思います。実は、2月1日は東京弁護士会役員選挙の真っ最中。東京弁護士会の会議室はすべて選挙事務所に割り当てられて借りることができません。しかも、アスベスト問題で裁判所のエレベータが満足には動かない事態。加えて、法廷でなすべきことは反訴被告側の陳述のみ。そんなわけで、これまでは毎回行ってきた報告集会を今回は行わず、法廷終了後に裁判所控え室で小さな報告会を行うことにします。
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この反撃訴訟において、何が問題とされているのか。是非とも、ご理解をいただきたい。ご理解だけではなく、ご支援もお願いしたい。言論の自由の保障のために、ひいては民主主義のために。

DHCと吉田嘉明は、私を被告としてスラップ訴訟を提起した。実は私だけでなく、同じ時期に少なくとも10件の同種の提訴をしている。提訴はせずに同種の言論妨害も行っているが、その件数は分からない。

吉田嘉明の私への提訴は、侵害された権利の回復を求めてのものではない。自分(DHCと吉田嘉明)への批判の言論を封じるための提訴だから違法なのだ。言論の自由をこよなく大切なものとするこの民主主義社会において、訴訟を言論封殺の手段としてはならない。これが、「スラップ訴訟を許さない」という意味である。

私は、当時吉田嘉明という人物については何も知らなかった。興味もなかった。だから、格別に先入意識はなく、吉田嘉明に対する侮蔑感も反感も持ってはいなかった。吉田の思想や差別的言動について知ることになったのは、スラップ訴訟の応訴の過程においてのことである。

私は、純粋に、彼が書いた週刊新潮手記を論評する限度で3本のブログ記事を書いた。典型的な政治的言論と言ってよい。中心は政治とカネの問題である。そして、カネの力での規制緩和に警鐘を鳴らし、消費者問題にも言及した。それが、経営者として規制緩和を目指す吉田嘉明にとっては不愉快な内容となった。しかし、だからといって私を訴えるのは筋違いも甚だしい。

当然のことながら、彼にも言論の自由はある。私の批判に異論や反論があれば、堂々と反批判の言論を行えばよい。富豪の彼には、私のブログとは較べものにならない、強力な反批判の言論のツールを持ち合わせている。

ところが、言論に対して批判の言論のツールを駆使することなく、いきなりの提訴。しかも6000万円という明らかに過大な請求。言論をもっての反論ではないこの提訴は、自分を批判するとこのような面倒なことになるぞ、という恫喝以外のなにものでもない。これがスラップというものだ。批判の言論の萎縮を狙っての提訴というところに、その本質がある。

私が事実無根の記事を書いたか。私が彼の人格を攻撃したか。いささかもそのようなことはない。だから、DHC・吉田の私に対するスラップ訴訟は請求棄却となった。一審も控訴審もそして最高裁もだ。しかし、吉田嘉明は負けることが明らかな提訴を敢えてして負けた、それだけのこと。なんの制裁も受けていない。むしろ、「私(吉田嘉明)を批判してみろ。高額損害賠償請求の提訴をするぞ」という威嚇の実績をつくったのだ。提訴した得は確保している。一方、私は故ない提訴を受けてこれを斥けて勝訴はしたが、私に生じた金銭的、時間的、精神的な損失は回復されていない。

だから、DHCと吉田嘉明にはしかるべき制裁措置が必要だし、私の損害は回復されなければならない。こうしてこそ、世にスラップが横行することを防止できる。典型としてのDHCスラップ訴訟にはきちんとしたケジメが必要だ。DHCスラップ2次訴訟(反撃訴訟)とは、そのような意味を持つ訴訟なのだ。

次回法廷で陳述予定の反訴答弁書の中に、いくつかDHC・吉田嘉明側の興味深い言い分が記載されている。以下は、その一節。
「反訴被告吉田は,日本国をより良くしようと脱官僚を掲げる政治家(註-渡辺喜美)を応援するために,大金(註-8億円)を貸し付けたのであって,政治を金で買うなどという気持ちなど微塵もなかった。当該貸付について,いろいろな意見を言うのはよいとしても,このような反訴被告吉田の純粋な思いを踏みにじるような事実無根の過激な罵倒に対して,名誉毀損だと主張して損賠賠償請求訴訟を提起することが違法になる余地など全くない。」

吉田嘉明には、「純粋な思い」があったのに、これを澤藤のブログの記載によって「踏みにじられた」という。澤藤は、「事実無根の過激な罵倒」をしたのだという。まるで私(澤藤)が、年端の行かぬ子どもをいじめているかのごとき言い分。これを、針小棒大とは言わない。誇大妄想と言うほかはない。

「反訴被告ら(註-DHC・吉田嘉明)は,8億円という貸付動機について事実と異なる言動をした者のうち,反訴原告(註-澤藤)のようにあまりにも酷い表現をした者に限定して訴訟提起しているのである。」

吉田嘉明が最も力んで主張しているのは、8億円の「貸付」動機である。吉田嘉明によれば、「日本国をより良くしようと脱官僚を掲げる政治家(註-渡辺喜美)を応援するために,大金(註-8億円)を貸し付けた」というのである。

今さら言うまでもないが、吉田嘉明は化粧品とサプリメントを製造販売する会社の経営者として厚労省の規制に服する。ところが、新潮手記の冒頭には、「厚労省の規制チェックは他の省庁と比べても特別煩わしく、何やかやと縛りをかけてきます」「霞ヶ関、官僚機構の打破こそが今の日本に求められる改革」「それを託せる人こそが、私の求める政治家」と無邪気に書き連ねているのだ。

並みの文章読解能力を持つ人がこの手記の記載を読めば、吉田嘉明が「国をより良くする」とは「脱官僚」と同義であり、「日本をダメにしている監督官庁の規制をなくすることを意味している」と理解することになる。彼が「国をより良くしようと脱官僚を掲げる政治家を応援するために、8億円もの大金を政治家に渡した」のは、「他の省庁と比べても特別煩わしい厚労省の規制チェックを緩和する」期待を込めてのことと考えざるをえない。彼の手記は、そのように理解を誘導する文章の筋立てとなっているのだ。

「政治家を金で買う」は、もちろん比喩である。8億という政治資金規正法上の手続に隠れた巨額の金を「脱官僚を掲げる政治家」に渡して、官僚による規制の緩和を期待することを、「政治家を金で買う」と比喩したのだ。この比喩を捉えて「事実無根」などということは意味をなさず、およそ反論になっていない。こんなことでの提訴は言いがかりも甚だしく、違法と認定してもらわねばならない。
(2018年1月29日)

行政の規制権限不行使は違法。規制緩和などもってのほか。

一昨日(10月27日)、首都圏建設アスベスト訴訟(横浜第1陣事件)控訴審で、東京高裁が国とメーカーの責任を認める判決を言い渡した。5年前の原告全面敗訴判決を逆転したもの。

「あやまれ!つぐなえ!なくせ!アスベスト被害」というスローガンの実現に、大きな前進である。提訴や控訴時の原告団弁護団の写真の中の、今は亡き山下登司夫弁護士の表情が心なし嬉しそうに見える。

アスベストは毒物である。遅効性だが極めて危険な発がん物質。これが、地域に飛散すれば公害となる。工場の生産過程で労働者に接触すれば労災・職業病となる。また、アスベストを素材とする製品が事業者から消費者に売り渡されれば、消費者問題となる。さらに、このような危険物が、国民の健康や生命を脅かすことのないよう、国は、メーカーや使用者や事業者を規制しなければならない。この国で、全ての人が安心して暮らしてゆけるように。

屋外での「建設アスベスト訴訟」に先行して、「工場労働者型(屋内型)」訴訟が大阪地裁に提起された。2006年5月のこと。いわゆる泉南アスベスト国家賠償訴訟である。健康被害又は死亡による損害賠償を求めたのは、泉南地域の石綿工場の元労働者や近隣住民及びその遺族。

キーワードは、「国の規制権限の不行使」。被害の発生が予想される事態においては、国は被害の予防のために規制権限の行使が義務づけられ、行使しなかったことが違法となって生じた損害を賠償しなければならない。まさしく、これに当たるというのが原告らの主張だった。

同様の訴訟は、じん肺訴訟弁護団が経験している。筑豊や北海道の炭坑で働いていた坑内労働者は、坑内の粉じん被曝によって高い確率でじん肺に罹患する。じん肺の症状認定を得た元労働者が企業に責任を追及しようとしても、中小炭坑は全てつぶれて責任追及先が存在しないという事情があった。誰が潰したか、エネルギー転換の名のもとに国が中小炭坑を潰した。では国に責任を取らせよう。こうして、じん肺国家賠償訴訟が始まった。そして元抗夫らは、みごとな勝訴を収めた。ここでも、キーワードは、「国の規制権限の不行使の違法」。

泉南アスベスト国家賠償訴訟も同じ構造だった。しかし、もちろん規制権限の具体的法的根拠の構造はちがう。泉南訴訟第一陣訴訟では、一審大阪地裁判決は原告勝訴となったが、控訴審は全面敗訴となった。ここからの頑張りで、上告審で逆転勝訴し、差し戻し審の大阪高裁で国の有責を前提する和解が成立し、後続訴訟での和解のルールが開けた。

そして、建設現場でアスベストによる健康被害を受けた元建設作業員と遺族約90人が、国と建材メーカー43社に総額約28億円の賠償を求めたのが、「建設アスベスト訴訟」(横浜地裁・第1陣訴訟)である。2012年の判決では、原告が国に対しても、メーカーに対しても敗訴となった。一昨日の東京高裁(永野厚郎裁判長)判決は、これを逆転したもの。もっとも、これまで国は、7事件で1勝6敗である。その1勝の逆転敗訴なのだ。

この事件での被告のうち、原告を雇用していた使用者は、(一人親方を除いて)労働者に対する安全配慮義務違反としての責任が認められた。アスベスト製材を販売していた建材メーカーには、75年の時点でアスベストの健康上の危険性を製品に警告表示する義務があったのにこれを怠った責任が認められた。そして、被告の国に関しては、「1980年までに事業主に対し、労働者に防じんマスクを着用させるよう罰則付きで義務付けなかった」ことを規制権限不行使の違法と認めた。

同種訴訟は、東京、横浜、大阪、京都、福岡、札幌の6地裁に7件の提起がされた。
法務省のホームページには判決の全体像を次のようにまとめている。

これまでの判決の結果は,以下のとおりです。
(1) 横浜地方裁判所(第1陣)平成24年5月25日判決(全部棄却・相手方控訴,東京高等裁判所に係属中)
(2) 東京地方裁判所平成24年12月5日判決(一部認容・双方控訴,東京高等裁判所に係属中)
(3) 福岡地方裁判所平成26年11月7日判決(一部認容・双方控訴,福岡高等裁判所に係属中)
(4) 大阪地方裁判所平成28年1月22日判決(一部認容・双方控訴,大阪高等裁判所に係属中)
(5) 京都地方裁判所平成28年1月29日判決(一部認容・双方控訴,大阪高等裁判所に係属中)
(6) 札幌地方裁判所平成29年2月14日判決(一部認容・双方控訴)

これに、次の判決が加わる
(7) 横浜地方裁判所(第2陣)平成29年10月判決(認容・双方控訴,東京高等裁判所に係属中)札幌地方裁判所平成29年2月14日判決(一部認容・双方控訴)

一昨日の判決が上記(1)についてのもの。地裁において唯一の原告全面敗訴となった判決が、控訴審第1号判決において逆転したのだ。この判決の意義は大きく、先例から見て、今後の全面和解解決に道を開いたものと考えられる。

なお、「国の規制権限不行使の違法」を根拠とする国家賠償訴訟は、数多く活用されている。国には東京電力に対し、適切な規制権限の行使を違法に怠った責任があるとするのが、原発国家賠償訴訟。そして、消費者被害の回復にも活用が試みられている。かつて、豊田商事事件について、その被害防止のために適切な規制権限を発動しなかった責任を問うて、豊田商事国家賠償訴訟が提起された。原告弁護団は国をよく追い詰めたと思うが、わずかにおよばず敗訴となった。

私は、豊田商事の被害が金銭だけであって、人命や健康ではなかったことが、勝敗を分けたものと思っている。

DHCの吉田嘉明は、3年前の週刊新潮誌上の手記で、「自社(DHC)に対する厚生労働行政が厳格に過ぎる」との不満を述べている。だが、行政に手心があってはならない。消費者に健康被害を及ぼすような事件があれば、行政も「規制権限不行使による怠慢の違法」を追求されることになる。そのようなことのないよう、規制行政は厳格に行われなければならない。消費者の健康や人命を守るために必要な規制の緩和など、けっしてあってはならない。
(2017年10月29日)

100年前にロシア革命があった。

今年・2017年は、ロシア革命から100週年の年である。
その年の十月革命から内戦を経て1922年にソビエト連邦が成立した。各国からの干渉戦争を乗り越え、ナチスドイツとの大戦に勝利して、戦後はアメリカ合衆国と対峙する超大国として世界に君臨したが、結局は官僚独裁の弊によって1991年に崩壊した。崩壊はしたが、資本主義の矛盾を克服しようとする人類史上の壮大な試みとして、その意義を否定することはできない。

若いころの私には、マルクスもレーニンも毛沢東もそしてカストロも、輝く魅力にあふれる存在だった。社会主義陣営にこそヒューマニズムがあり未来があるものと感じていた。必ずや「東風が西風を圧する」ものと思いこんでもいた。

否応なく自分の身の回りに見える資本主義社会の矛盾は明らかだった。社会には大きな経済格差があり貧困があった。多くの人々が、低賃金や失業や生活の不安におののいていた。資本の利益に適うとされる限りで、人は人たるに値する処遇を期待することができるが、資本の利益に資することのないとされる人は、切り捨てられ見捨てられる。

人は、人として遇されるのではない。資本に利潤をもたらす労働力としてのみ価値あるものとされる。そのことを当然とし馴らされた国民が保守政党を支持することで、この国の政治が成り立っている。政党政治も民主主義も醜悪な欺瞞以外のなにものでもないと映った。

これに比較して、資本主義の矛盾を克服する試みとしての、社会主義の理念の正しさに疑いはなく、ソ連や中国の社会主義もまぶしいものに見えた。スターリンの粛正も、毛沢東の経済政策の失敗も、当時はよく知らなかった。あるいは、よく知ろうとはしなかったというべきだろう。結局は、ソ連や中国の実態に触れることのないままの観念的な思い込みに過ぎなかった。

中国はいち早く「改革開放」という名の資本主義化に舵を切り、さらにソ連が崩壊するに至って、社会主義の壮大な実験の失敗が明らかとなった。

現実の社会主義建設の試みは失敗したが、そのことによって、克服すべき資本主義の矛盾が解決されたわけではない。むしろ、競争者がなくなったことで、資本主義の傲りは著しいものになったと言えよう。

資本主義の矛盾への対処は、革命というドラスティックな処方が唯一のものではない。資本主義という猛獣を退治しようとしたのが社会主義革命だが、退治するのではなく、その牙を抜き訓育しようという種々の策が各国で試みられている。民主主義的政治原理で、経済の制度や運用をコントロールしようという試みといってよい。ここには、法や人権の観念が大きな役割を果たすことが期待されている。

資本主義の原初の姿が、搾取の容認であり競争の放任である。すべてを市場の原理に任せて良しとするのだ。その破綻は、既に誰の目にも明らかであって、資本の放縦への規制が必要なのだ。資本の行動に枠をはめ、まずは労働者の保護と公正な市場の管理が不可欠なのだ。そして、資本の回転の各過程で、下請け企業の保護や消費者の保護、環境の保護などが必要となる。

ところが、今また、規制を排し資本に無限の自由を与えようという、新自由主義の潮流がはびこっているではないか。労働者の使い捨ては容認され、格差はますます拡がり、貧困はさらに深刻の度を深めている。100年前のロシア革命は、「人間を大切した社会主義」の樹立に成功しなかったが、それに代わって眼前にあるのは「人間を大切にしない野放図な資本主義」である。

私は、人間の尊厳こそが最優先の価値と考える。民主々義的政治過程によって資本を規制することを通じて、「人間を大切にした節度ある社会」を目指したいと思う。ロシア革命は失敗したが、人類は資本主義の基本構造の変革という現実の選択肢をもっているとを示した点に、その意義を見出すべきだろう。
(2017年1月3日)

「投資を呼び込み雇用を創出するため」という賭博解禁法案の立法理由

アベ・シンゾーでございます。何をやっても国民の怒りが政権批判に向かない、この不思議な国の内閣ソーリ大臣で、ご存じのとおり立法府のチョーでもございます。賭博解禁法案について、ワタクシの忌憚のないところをご披露申しあげます。最後まで、ご静聴ください。

議員立法として提出されております「特定複合観光施設区域の整備の推進に関する法律案」でございますが、提案者諸君は「IR法案」と言っておるようでございます。しかし、ご指摘のとおり、この法案眼目は賭博の解禁にあるわけでございます。ですから、正確に申しあげれば「賭博解禁法案」、あるいはもっと端的に「賭場開帳御免法案」「バクチ法案」というべきでありましょう。

これを「カジノ法案」だとか、「IR法案」というのは、呼び方をマイルドにして実態をごまかそうという姑息なやり方。これは、不必要に国民世論の反発を恐れた、政治家として恥ずべき愚かな姿勢と言わねばなりません。お隣の韓国とは、我が国は国柄が違うのです。天皇陛下を戴くこの国は、どんな法案が出てきても、どんな強行採決をしようとも、「政府が右といえばまさか左とは言えない」ということでことが収まる「美しい国」ではありませんか。この国民性を徹底して信頼して真実を述べるべきが当然ではありませんか。

はっきりと申しあげます。アベ政権は、維新とともに、賭博解禁の法律制定を行おうとしています。で、それがナニカ?  文句があったら、次の選挙でアベ政権を倒せばよろしいのではございませんか。

ご存じのとおり、賭博は犯罪です。刑法185条は単純賭博罪を定め、「賭博をした者は、50万円以下の罰金又は科料に処する」とし、同186条は、常習賭博と賭博場開張等図利の罪を定めて、「常習として賭博をした者は、3年以下の懲役に処する。」「賭博場を開張し、又は博徒を結合して利益を図った者は、3月以上5年以下の懲役に処する」と定めています。

しかし、こんな法律は日本国憲法よりも古い、時代遅れの法律というべきではありませんか。時代が変わり、人々の生活環境が変わり、経済環境が変われば法律の改正や廃止は当然のことではありませんか。

いま、アベ政権は、愚かな賭博禁止に、合理的な風穴を開けようというのです。「IR法案」などと呼称しようという卑屈な姿勢はとりません。堂々と、数の力で審議も省略して強行突破させていただこうというのです。国民の皆さまから、いただいた議席を有効に活用しようというのです。それがナニカ?

このバクチ解禁法案につきましては、我が党の議員にも後ろめたさが感じられまして、「外国人観光客の集客を見込んでいる」とか、「ビジネスや会議だけではなく、家族でそうした施設を楽しむことができる施設」とか言っていますが、誰が聞いてもみっともない態度。わざわざ法案を作るのは「バクチ」を解禁するからであって、「入場者の大半は国民を、しかも地元民」を見込んでいます。それがナニカ?

皆さん、今国民が望んでいる政治の役割とはなんでしょうか。言うまでもなく、働く場を作り、雇用を創出することではないでしょうか。いま、アベ政権は雇用を作り、税収を増やしています。でも、まだ十分とは言えません。その目玉が、賭博なのです。

賭博にこそ大きな投資があるわけで、それこそが雇用の創出にもつながっていくのです。今回のこの賭博解禁法案こそが様々な投資を起こし、大きな雇用を作っていくということになるのです。だから、採決を強行しても、この法律の成立が必要なのです。それがナニカ?

何よりも経済振興が大切です。投資と雇用の創出。そのためには、徹底した規制の緩和、いや規制の撤廃で、儲けのために自由に事業ができるようにしなければなりません。

まずは賭博禁止の規制の緩和ですが、もちろんこれだけに終わらせてはなりません。いろんな規制に切り込んでいかなくてはなりません。

大阪の橋下徹さんは、「米兵に風俗の活用でも検討したらどうだ、と言ってやった。まあこれは言い過ぎたとして発言撤回したけど、やっぱり撤回しない方がよかったかも。きれいごとばかり言わず本気で解決策を考えろ!」などと発言していました。卓見だと思います。

今、管理売春は犯罪(十年以下の懲役及び三十万円以下の罰金)ですがこの規制も緩和ないし撤廃して売春を公認すれば、一大産業になります。大きな投資を呼び込み、雇用の創出と税収の増加を見込むことができます。アベ政権は、維新とともに真剣に検討課題といたします。えっ、それがナニカ?

事業成功の要諦は、みんなが望むことを的確に把握し、その要望に応えた商品やサービスを提供することににあります。ですから、政治を預かる者にとっての経済活性化の要諦は、国民が望む商品やサービスの提供を可能とするよう規制を緩和し撤廃することにほかなりません。そのような観点から、アベ内閣は、まず賭博を、次いで売春を、そしてその次には大麻を、麻薬を、覚せい剤の販売許容を検討します。日本が麻薬・覚せい剤を公認すれば、世界中からカネと人が集まります。投資が増え、雇用が飛躍的に増大すること間違いなし。銃砲刀剣類所持等取締法を抜本的に見直して、全国民が自由に銃や刀剣類を購入できるようにすることも経済政策として魅力満点です。「投資と雇用創出のため」と呪文を唱えれば、日本国民は抵抗しませんよ。それから、サラ金復活政策もありますね。これも大きな投資と雇用の創出。多重債務者の激増は、司法書士や弁護士業界の雇用創出にもつながります。

そして、言うまでもなく究極の投資は軍事費であり、最大の雇用創出は軍隊です。ワタクシ・シンゾーが、投資を呼び込み雇用を創出するために、まず手はじめに賭博解禁法案を強行しようとしていることについての深謀遠慮をよくご理解いただきたいと願う次第です。えっ、それがナニカ?
(2016年12月10日)

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