澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

100年前にロシア革命があった。

今年・2017年は、ロシア革命から100週年の年である。
その年の十月革命から内戦を経て1922年にソビエト連邦が成立した。各国からの干渉戦争を乗り越え、ナチスドイツとの大戦に勝利して、戦後はアメリカ合衆国と対峙する超大国として世界に君臨したが、結局は官僚独裁の弊によって1991年に崩壊した。崩壊はしたが、資本主義の矛盾を克服しようとする人類史上の壮大な試みとして、その意義を否定することはできない。

若いころの私には、マルクスもレーニンも毛沢東もそしてカストロも、輝く魅力にあふれる存在だった。社会主義陣営にこそヒューマニズムがあり未来があるものと感じていた。必ずや「東風が西風を圧する」ものと思いこんでもいた。

否応なく自分の身の回りに見える資本主義社会の矛盾は明らかだった。社会には大きな経済格差があり貧困があった。多くの人々が、低賃金や失業や生活の不安におののいていた。資本の利益に適うとされる限りで、人は人たるに値する処遇を期待することができるが、資本の利益に資することのないとされる人は、切り捨てられ見捨てられる。

人は、人として遇されるのではない。資本に利潤をもたらす労働力としてのみ価値あるものとされる。そのことを当然とし馴らされた国民が保守政党を支持することで、この国の政治が成り立っている。政党政治も民主主義も醜悪な欺瞞以外のなにものでもないと映った。

これに比較して、資本主義の矛盾を克服する試みとしての、社会主義の理念の正しさに疑いはなく、ソ連や中国の社会主義もまぶしいものに見えた。スターリンの粛正も、毛沢東の経済政策の失敗も、当時はよく知らなかった。あるいは、よく知ろうとはしなかったというべきだろう。結局は、ソ連や中国の実態に触れることのないままの観念的な思い込みに過ぎなかった。

中国はいち早く「改革開放」という名の資本主義化に舵を切り、さらにソ連が崩壊するに至って、社会主義の壮大な実験の失敗が明らかとなった。

現実の社会主義建設の試みは失敗したが、そのことによって、克服すべき資本主義の矛盾が解決されたわけではない。むしろ、競争者がなくなったことで、資本主義の傲りは著しいものになったと言えよう。

資本主義の矛盾への対処は、革命というドラスティックな処方が唯一のものではない。資本主義という猛獣を退治しようとしたのが社会主義革命だが、退治するのではなく、その牙を抜き訓育しようという種々の策が各国で試みられている。民主主義的政治原理で、経済の制度や運用をコントロールしようという試みといってよい。ここには、法や人権の観念が大きな役割を果たすことが期待されている。

資本主義の原初の姿が、搾取の容認であり競争の放任である。すべてを市場の原理に任せて良しとするのだ。その破綻は、既に誰の目にも明らかであって、資本の放縦への規制が必要なのだ。資本の行動に枠をはめ、まずは労働者の保護と公正な市場の管理が不可欠なのだ。そして、資本の回転の各過程で、下請け企業の保護や消費者の保護、環境の保護などが必要となる。

ところが、今また、規制を排し資本に無限の自由を与えようという、新自由主義の潮流がはびこっているではないか。労働者の使い捨ては容認され、格差はますます拡がり、貧困はさらに深刻の度を深めている。100年前のロシア革命は、「人間を大切した社会主義」の樹立に成功しなかったが、それに代わって眼前にあるのは「人間を大切にしない野放図な資本主義」である。

私は、人間の尊厳こそが最優先の価値と考える。民主々義的政治過程によって資本を規制することを通じて、「人間を大切にした節度ある社会」を目指したいと思う。ロシア革命は失敗したが、人類は資本主義の基本構造の変革という現実の選択肢をもっているとを示した点に、その意義を見出すべきだろう。
(2017年1月3日)

「投資を呼び込み雇用を創出するため」という賭博解禁法案の立法理由

アベ・シンゾーでございます。何をやっても国民の怒りが政権批判に向かない、この不思議な国の内閣ソーリ大臣で、ご存じのとおり立法府のチョーでもございます。賭博解禁法案について、ワタクシの忌憚のないところをご披露申しあげます。最後まで、ご静聴ください。

議員立法として提出されております「特定複合観光施設区域の整備の推進に関する法律案」でございますが、提案者諸君は「IR法案」と言っておるようでございます。しかし、ご指摘のとおり、この法案眼目は賭博の解禁にあるわけでございます。ですから、正確に申しあげれば「賭博解禁法案」、あるいはもっと端的に「賭場開帳御免法案」「バクチ法案」というべきでありましょう。

これを「カジノ法案」だとか、「IR法案」というのは、呼び方をマイルドにして実態をごまかそうという姑息なやり方。これは、不必要に国民世論の反発を恐れた、政治家として恥ずべき愚かな姿勢と言わねばなりません。お隣の韓国とは、我が国は国柄が違うのです。天皇陛下を戴くこの国は、どんな法案が出てきても、どんな強行採決をしようとも、「政府が右といえばまさか左とは言えない」ということでことが収まる「美しい国」ではありませんか。この国民性を徹底して信頼して真実を述べるべきが当然ではありませんか。

はっきりと申しあげます。アベ政権は、維新とともに、賭博解禁の法律制定を行おうとしています。で、それがナニカ?  文句があったら、次の選挙でアベ政権を倒せばよろしいのではございませんか。

ご存じのとおり、賭博は犯罪です。刑法185条は単純賭博罪を定め、「賭博をした者は、50万円以下の罰金又は科料に処する」とし、同186条は、常習賭博と賭博場開張等図利の罪を定めて、「常習として賭博をした者は、3年以下の懲役に処する。」「賭博場を開張し、又は博徒を結合して利益を図った者は、3月以上5年以下の懲役に処する」と定めています。

しかし、こんな法律は日本国憲法よりも古い、時代遅れの法律というべきではありませんか。時代が変わり、人々の生活環境が変わり、経済環境が変われば法律の改正や廃止は当然のことではありませんか。

いま、アベ政権は、愚かな賭博禁止に、合理的な風穴を開けようというのです。「IR法案」などと呼称しようという卑屈な姿勢はとりません。堂々と、数の力で審議も省略して強行突破させていただこうというのです。国民の皆さまから、いただいた議席を有効に活用しようというのです。それがナニカ?

このバクチ解禁法案につきましては、我が党の議員にも後ろめたさが感じられまして、「外国人観光客の集客を見込んでいる」とか、「ビジネスや会議だけではなく、家族でそうした施設を楽しむことができる施設」とか言っていますが、誰が聞いてもみっともない態度。わざわざ法案を作るのは「バクチ」を解禁するからであって、「入場者の大半は国民を、しかも地元民」を見込んでいます。それがナニカ?

皆さん、今国民が望んでいる政治の役割とはなんでしょうか。言うまでもなく、働く場を作り、雇用を創出することではないでしょうか。いま、アベ政権は雇用を作り、税収を増やしています。でも、まだ十分とは言えません。その目玉が、賭博なのです。

賭博にこそ大きな投資があるわけで、それこそが雇用の創出にもつながっていくのです。今回のこの賭博解禁法案こそが様々な投資を起こし、大きな雇用を作っていくということになるのです。だから、採決を強行しても、この法律の成立が必要なのです。それがナニカ?

何よりも経済振興が大切です。投資と雇用の創出。そのためには、徹底した規制の緩和、いや規制の撤廃で、儲けのために自由に事業ができるようにしなければなりません。

まずは賭博禁止の規制の緩和ですが、もちろんこれだけに終わらせてはなりません。いろんな規制に切り込んでいかなくてはなりません。

大阪の橋下徹さんは、「米兵に風俗の活用でも検討したらどうだ、と言ってやった。まあこれは言い過ぎたとして発言撤回したけど、やっぱり撤回しない方がよかったかも。きれいごとばかり言わず本気で解決策を考えろ!」などと発言していました。卓見だと思います。

今、管理売春は犯罪(十年以下の懲役及び三十万円以下の罰金)ですがこの規制も緩和ないし撤廃して売春を公認すれば、一大産業になります。大きな投資を呼び込み、雇用の創出と税収の増加を見込むことができます。アベ政権は、維新とともに真剣に検討課題といたします。えっ、それがナニカ?

事業成功の要諦は、みんなが望むことを的確に把握し、その要望に応えた商品やサービスを提供することににあります。ですから、政治を預かる者にとっての経済活性化の要諦は、国民が望む商品やサービスの提供を可能とするよう規制を緩和し撤廃することにほかなりません。そのような観点から、アベ内閣は、まず賭博を、次いで売春を、そしてその次には大麻を、麻薬を、覚せい剤の販売許容を検討します。日本が麻薬・覚せい剤を公認すれば、世界中からカネと人が集まります。投資が増え、雇用が飛躍的に増大すること間違いなし。銃砲刀剣類所持等取締法を抜本的に見直して、全国民が自由に銃や刀剣類を購入できるようにすることも経済政策として魅力満点です。「投資と雇用創出のため」と呪文を唱えれば、日本国民は抵抗しませんよ。それから、サラ金復活政策もありますね。これも大きな投資と雇用の創出。多重債務者の激増は、司法書士や弁護士業界の雇用創出にもつながります。

そして、言うまでもなく究極の投資は軍事費であり、最大の雇用創出は軍隊です。ワタクシ・シンゾーが、投資を呼び込み雇用を創出するために、まず手はじめに賭博解禁法案を強行しようとしていることについての深謀遠慮をよくご理解いただきたいと願う次第です。えっ、それがナニカ?
(2016年12月10日)

「政治とカネ」「規制緩和」「消費者」「サプリメント」「言論の自由」最高のタイミングで明日控訴審判決 -「DHCスラップ訴訟」を許さない・第68弾

明日(1月28日)が、私自身が訴えられているDHCスラップ訴訟の控訴審判決。
  係属裁判所は、東京高裁第2民事部(柴田寛之裁判長)。
  時刻は、午後3時。
  法廷は、東京高裁822号法廷(庁舎8階)。
  司法記者クラブで、5時からの記者会見が予定されている。

私のブログでの表現は、吉田嘉明の人身攻撃にわたるものではなく、彼自身が手記で語った行為に対する批判である。私の表現は、典型的な「公共に関わる事項に関して、もっぱら公益を目的とする」言論であり、前提とする事実の真実性にいささかの疑問もない。だから、私のブログによって、いかに吉田嘉明とDHCの名誉が傷つけられようと、私のブログは、「表現の自由」の旗に守られているのだ。吉田とDHCは「身から出たサビ」として、名誉の侵害を甘受せざるを得ない。表現の自由とは、人畜無害の表現を保障するだけのものであるだけなら、憲法にわざわざ規定するだけの意味に乏しい。一審判決はこのことを認めた。その一審判決の認定が覆ることは、万に一つもあり得ない。

注目すべきは、私の控訴審判決が、実にタイムリーな時期に巡り合わせたということである。この事件は、憲法上の表現の自由をめぐる裁判であるが、問題とされている私の表現の内容は、「政治とカネ」「規制緩和」「消費者」「サプリメント」そして、「スラップ」に関わる問題提起である。各テーマが、今つぎつぎと話題になっているではないか。

まずは、「政治とカネ」である。甘利明の「1200万円賄賂収受疑惑問題」が沸騰した時点での判決。「吉田・渡辺8億円授受」と、「甘利・S興業1200万円授受」事件、その薄汚さにおいて、それぞれが兄たりがたく弟たりがたし、である。もう一度、「吉田嘉明・渡辺喜美8億円授受事件」の記憶を整理して思い出してもらうのに絶好のタイミング。私は、「吉田が資金規正法を僣脱する巨額の『裏金』を政治家に提供して『カネの力で政治を買おうとした』ことを批判した。このような批判が封じられてよかろうはずがない。

それだけでない。吉田嘉明は週刊新潮に寄せた自らの手記に、経営者の立場でありながら自らの事業に対する主務官庁(厚労省)の規制を「煩わしい」と無邪気に広言している。通常の国語解読能力を持つ読者が、普通の感覚でこれを読めば、吉田嘉明は行政規制の緩和ないし撤廃を求めて8億円の「裏金」を提供した動機を語っていると理解できる。経営者が、行政規制からの経営の自由を求めて政治に介入したことを、私は批判した。

15人が亡くなった、傷ましい長野県での夜行バス事故は、行政規制遵守に徹しようとしない業者の姿勢から生じた。「廃棄カツ横流し」に端を発した「“ごみ”が“食べ物”に逆戻り」の事態も、コンプライアンス軽視の姿勢が批判されている。吉田嘉明は、コンプライアンス対象の規制自体を緩和ないし撤廃しようと広言しているのだ。誰の目にも、私の批判の真っ当さが明らかではないか。

さらに、吉田嘉明の規制緩和要求は、口に入れるサプリメントと肌に塗る化粧品を製造販売する事業者の言として、とうてい看過できない。行政規制を煩わしいとする行動原理を持つ経営者は消費者にとってとてつもなく危なっかしい。その姿勢は、消費者被害に直結するものとして批判されて当然ではないか。

これについても、「サプリメントカフェイン過剰摂取死亡事故」が現実に生じ、内閣府食品安全委員会が「『健康食品』の検討に関する報告書」を発表したばかりのタイミングである。機能性表示食品制度など、健康食品・サプリメントの規制緩和が健康被害に及ぼす具体的警告のインパクトは大きいが、その内容は、私の吉田への批判そのものと重なる。

そして、「スラップ訴訟」問題である。DHC吉田の貢献もあって、スラップ訴訟という用語とイメージが、ようやく人口に膾炙し、社会に浸透してきた。いま、スラップ訴訟は社会に蔓延しその弊害が話題となっている。私が取材される機会も増えてきた。ドールフーズからスラップ訴訟を仕掛けられた顛末をドキュメントとしたスウェーデン映画『バナナの逆襲』もこれから封切られる。

この絶好のタイミングで、DHCスラップ訴訟は、明日(1月28日)控訴審判決言い渡しとなる。乞うご期待、である。

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明日(1月28日)の「DHCスラップ訴訟」控訴審判決。私自身が被告とされ、いまは被控訴人となっている名誉毀損損害賠償請求訴訟の判決です。
関心のある方は、ぜひ傍聴にお越しください。

ただし、これまで毎回欠かさず行ってきた報告集会は省略いたします。1回結審(12月24日)で、判決日が1月28日。この間の日程があまりに短く、集会参加が困難なことと、場所の確保ができません。しかも、当日は在京の三会とも弁護士会の役員選挙期間中とあって、会議室は全部選挙事務のために塞がっています。ご了解ください。

報告集会に代えて、近くの待合室で簡単なご報告を申しあげ、希望者には直ちに判決書きをご送付いたしますので、メールアドレスかファクス番号を登録してください。

なお、少し日をおいて、十分な準備のもとに、スラップ訴訟撲滅を目指すシンポジウムを開きたいと思います。ご期待ください。
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なお、これまでの経過の概略は以下のとおりです。
《DHCスラップ訴訟経過の概略》
  参照 http://article9.jp/wordpress/?cat=12 
 2014年3月31日 違法とされたブログ(1)
    「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判
 2014年4月2日 違法とされたブログ(2)
    「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻
 2014年4月8日 違法とされたブログ(3)
    政治資金の動きはガラス張りでなければならない
 同年4月16日 原告ら提訴(当時 石栗正子裁判長)
  5月16日 訴状送達(2000万円の損害賠償請求+謝罪要求)
  6月11日 第1回期日(被告欠席・答弁書擬制陳述)
  7月11日 進行協議(第1回期日の持ち方について協議)
  7月13日 ブログに、「『DHCスラップ訴訟』を許さない」シリーズ開始
        第1弾「いけません 口封じ目的の濫訴」
    14日 第2弾「万国のブロガー団結せよ」
    15日 第3弾「言っちゃった カネで政治を買ってると」
    16日 第4弾「弁護士が被告になって」
    以下本日(1月27日)の第68弾まで
  8月20日 705号法廷 第2回(実質第1回)弁論期日。
  8月29日 原告 請求の拡張(6000万円の請求に増額) 書面提出
    新たに下記の2ブログ記事が名誉毀損だとされる。
     7月13日の「第1弾」ー違法とされたブログ(4)
       「いけません 口封じ目的の濫訴」
     8月8日「第15弾」ー違法とされたブログ(5)
       「政治とカネ」その監視と批判は主権者の任務
   2015年7月 1日 第8回(実質第7回)弁論 結審(阪本勝裁判長)
 2015年9月2日 請求棄却判決言い渡し 被告(澤藤)全面勝訴
      9月15日 DHC・吉田控訴状提出
     11月 2日 控訴理由書提出
     12月17日 控訴答弁書提出
     12月24日 控訴審第1回口頭弁論 同日結審
 2016年1月28日 控訴審判決言い渡し(予定)
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訴訟の概要は以下のとおりです。

株式会社DHCと吉田嘉明(DHC会長)の両名が、当ブログでの私の吉田嘉明批判の記事を気に入らぬとして、私を被告として6000万円の損害賠償請求の裁判を起こした。正確に言えば、当初の提訴における請求額は2000万円だった。不当な提訴に怒った私が、この提訴を許されざる「スラップ訴訟」として、提訴自体が違法・不当と弾劾を開始した。要するに、「黙れ」と言われた私が「黙るものか」と反撃したのだ。そしたら、2000万円の請求額が、3倍の6000万円に増額された。「『黙るものか』とは怪しからん」というわけだ。なんという無茶苦茶な輩。なんという無茶苦茶な提訴。

一審判決は、「(澤藤の)本件各記述は,いずれも意見ないし論評の表明であり,公共の利害に関する事実に係り,その目的が専ら公益を図ることにあって,その前提事実の重要な部分について真実であることの証明がされており,前提事実と意見ないし論評との間に論理的関連性も認められ,人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものということはできない」。だから、DHC・吉田の名誉を毀損しても違法性を欠く、として不法行為の成立を否定した。
おそらくは、控訴審判決も同じ判断になるだろう。

スラップの訳語は定着していないが、「恫喝訴訟」「いやがらせ裁判」「萎縮効果期待提訴」「トンデモ裁判」「無理筋裁判」…。裁判には印紙代も弁護士費用もかかる。普通は、この費用負担が濫訴の歯止めとなるのだが、金に糸目をつけないという連中には、濫訴の歯止めがきかない。スラップ防止には、何らかの制裁措置にもとづく、別の歯止めが必要だ。たとえば、高額の相手方弁護士費用の負担をさせるとか、スラップ常連弁護士の懲戒などを考えなければならない。この判決が確定したあとに、私はこの件について徹底してDHC吉田の責任を追及し、そのことを通じて社会的な強者によるスラップの撲滅のために、問題提起を続けていこうと思う。

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《仮にもし、一審判決が私の敗訴だったら…》
私の言論について、いささかでも違法の要素ありと判断されるようなことがあれば、およそ政治批判の言論は成り立たなくなります。原告吉田を模倣した、本件のごときスラップ訴訟が乱発され、社会的な強者が自分に対する批判を嫌っての濫訴が横行する事態を招くことになるでしょう。そのとき、市民の言論は萎縮し、権力者や経済的強者への断固たる批判の言論は、後退を余儀なくされるでしょう。そのことは、権力と経済力が社会を恣に支配することを意味します。言論の自由と、言論の自由に支えられた民主主義政治の危機というほかはありません。スラップに成功体験をさせてはならないのです。

何度でも繰り返さなければなりません。
「スラップに成功体験をさせてはならない」と。
(2016年1月27日)

事業者が主務官庁の規制を「煩わしい」と言ってのける傲慢さ -「DHCスラップ訴訟」を許さない・第67弾

私が当ブログでDHCの吉田嘉明を批判したポイントは、次の4点にある。なお、この4点は、当ブログの記載が吉田とDHCの名誉を毀損したという表現のポイントでもある。

(1)「政治とカネの問題」ー吉田が資金規正法を僣脱する巨額の「裏金」を政治家に提供して「カネの力で政治を買おうとした」こと。
(2)「規制緩和問題」ー経営者の立場でありながら自らの事業に対する主務官庁の規制を「煩わしい」と広言し、行政規制からの経営の自由を求めて政治に介入したこと。
(3)「消費者問題」ー口に入れるサプリメントと肌に塗る化粧品を製造販売する事業者が、行政規制を煩わしいとする行動原理を持っていれば、消費者被害を起こさざるを得ない。
(4)「スラップ訴訟の提起」ー自分への批判を嫌忌して、批判の言論を封殺するための高額損害賠償請求訴訟の提起は民事訴訟存在の趣旨を逸脱するものとして許せない。

以上の(1)は民主主義政治過程の根幹をなす問題、(2)は政治や行政とは何かという本質を問う問題、(3)は国民の生存権の基盤に関わる問題だが、この3テーマは一連の問題となっている。吉田は、行政規制を嫌って規制緩和を求め、その手段として「カネで政治を買おうとした」。そのことによる被害者は、行政規制で健康被害から守られている消費者である。そして、(4)が独立した、司法の役割を問う問題として、いずれも重要な問題提起なのだ。

「週刊新潮」2014年4月3日号に掲載された吉田嘉明の「独占手記」では、DHCが「サプリは業界1位の売り上げを誇る」という編集者のコメントに続く部分で、吉田自身がこう言っている。
「私の経営する会社は、主に化粧品とサプリメントを取り扱っています。その主務官庁は厚労省です。厚労省の規制チェックは他の省庁と比べても特別煩わしく、何やかやと縛りをかけてきます。天下りを一人も受け入れていない弊社のような会社には特別厳しいのかと勘ぐったりするくらいです。いずれにせよ、50年近くリアルな経営に従事してきた私から見れば、厚労省に限らず、官僚たちが手を出せば出すほど、日本の産業はおかしくなっているように思います。つまり、霞ヶ関、官僚機構の打破こそが、今の日本に求められる改革であり、それを託せる人こそが、私の求める政治家でした」

「サプリは業界1位の売り上げを誇る」経営者が、自らの事業に対する主務官庁の規制を「煩わしい」と広言しているのである。これは、驚くべきことというよりは、恐るべきことと言わねばならない。彼の行動原理の原点、彼の政治への介入の目的は、主務官庁の「煩わしい規制」の緩和を求めてのこととの独白なのだから。

事業者が、主務官庁からの規制を「煩わしい」として、この規制から逃れようとすれば、何が起こるか。昨日(1月19日)の二つの社説が、説得的に解説している。

まずは、「廃棄カツ横流し 信頼の土台が揺らぐ」とする東京新聞社説。
「“ごみ”が“食べ物”に逆戻り-。こんな手品が、なぜまかり通るのか。安いのはうれしい、でもいつも正しいとは限らない。私たちは、大切な日々の命の糧を、正しく選んでいるのだろうか。
 『消費者をばかにするにもほどがある』。街角のこの一言が、すべてを語っているようだ。食品の偽装は後を絶たない。高級料亭(廃業)が、客の食べ残しを調理し直して別の客に供していたことがある。有名和菓子店が、余った商品を冷解凍し、“まき直し”と称する新たな包装を施し、製造年月日を偽って売っていたのにも驚いた。
 しかし今度は、よりによってごみである。異物が混入し、捨てざるを得ない大量の残さ、つまり危険なごみが、ごみ処理業者を通じて「食品」として横流しされていた。“ごみ”を買わされ、食べさせられた買い手の怒りは、察するにあまりある。
 「CoCo壱番屋」の冷凍カツ以外にも、本来廃棄されるべき多くの食材が「商品」として流されていた形跡があるという。食品流通の安全や食の信頼そのものの土台が揺らぐ事件である。」
「消費者としては、表示を信用するしかない。だが、“激安”には“激安”になるわけがあるというのも、もう一つの教訓だ。不正に振り回されることがないように、食べ物という特別な商品の選択の仕方を少し考えたい。」

「食べ物という特別な商品」には、生産・流通・消費の過程を市場原理に任せておけばよいとはならない。食の安全と、安全な食の安定供給は、政治と行政の責任であり、多くの取締法規が消費者の健康を守っている。決して、「厚労省に限らず、官僚たちが手を出せば出すほど、日本の産業はおかしくなっている」とは言えず、「霞ヶ関、官僚機構の打破による規制緩和こそが、今の日本に求められる改革」とは事業者のホンネではあろうが、消費者の立場とは相容れない。

「冷凍カツ」についても「サプリメント」についても、消費者は口に入れるモノとしてのその安全を知ることができない。消費者は、安全の保障を行政規制に求め、事業者が誠実に行政規制を尊重することを期待しているのだ。ところが、このような規制を「煩わしい」と言ってのける事業者は、徹底して糾弾しなければならない。

もう一つは、朝日の社説「夜行バス事故 生かされなかった教訓」というもの。

「ここまで法令違反が積み重なっていたことにあぜんとする。15人が亡くなった長野県での夜行バス事故である。バス会社の運行管理のずさんさが次々と明らかになってきた。過去の事故の教訓はなぜ生かされなかったのか。人命第一という当然の大原則を、業界全体が肝に銘じるべきだ。」
「運転手の体調を出発前に確認しない▽にもかかわらず、書類に体調管理の済み印を押した▽運転手に健康診断を受けさせない▽休憩のタイミングなどを運行指示書に記さない――。こんな違反がなかば常態化していた。命を預かっているという自覚が欠けているというほかない。国交省や警察は、厳しく対応すべきだ。」
「4年前に起きた関越道での夜行バスによる46人死傷事故を機に、国交省はバス会社が満たすべき安全基準を厳しくした。同時に、安値を求める消費者心理に一定のブレーキをかけるために運賃の下限額も定めた。安全のためには相応のカネがかかるという前提だった。しかし今回の事故は、この仕組みが「ザル化」している実態を浮き彫りにした。」
「規制緩和で、貸し切りバス事業者はこの十数年で1・5倍の約4500社に増えた。運賃が下限割れしていても、バスを遊ばせているよりはましといった感覚もあるという。そうした問題を防ぐはずの国交省の監査は、手が回りきっていない。予算や人員規模に限界があるとしても、チェック機能がゆるい問題は明らかだ。」
「ずさんなバス運行を野放しにしない。官民、ユーザーをあげた真剣な方策が必要である。」

この社説には、「行政規制の徹底が乗員の安全を守っていること」「規制緩和が、行政のチェック機能を低下させて、消費者の生命の危険をももたらしていること」の問題意識が露わになっている。

もう一度、吉田の手記の一文を思い起こそう。
「私の経営する会社は、主に化粧品とサプリメントを取り扱っています。その主務官庁は厚労省です。厚労省の規制チェックは他の省庁と比べても特別煩わしく、何やかやと縛りをかけてきます。」「厚労省に限らず、官僚たちが手を出せば出すほど、日本の産業はおかしくなっているように思います。」「霞ヶ関、官僚機構の打破こそが、今の日本に求められる改革であり、それを託せる人こそが、私の求める政治家でした」

こういう事業者の見解は、消費者の側からは「恐るべき独白」として批判されて当然なのだ。批判を封じようとしてのスラップ訴訟などは、逆ギレも甚だしいというほかはない。
(2016年1月20日)

DHCスラップ訴訟控訴審結審、判決は1月28日ー「DHCスラップ訴訟」を許さない・第64弾

本日、東京高等裁判所第2民事部(柴田寛之裁判長)でDHCスラップ訴訟の控訴審第1回口頭弁論期日が開かれ、控訴理由書と控訴答弁書の陳述ののち、弁論を終結した。次回判決言渡しとなった。判決言渡期日は、2016年1月28日(木)午後3時00分。822号法廷。

1回結審での、年末年始休暇をはさんでの1か月先の期日指定。常識的には控訴棄却の定番コースではあるのだが…。「典型的なスラップ訴訟」「DHC・吉田嘉明は、勝訴の見込みないことを知りながらの提訴」ではあるが、判決は水物。言い渡しあるまでは、心穏やかではない。

被控訴人の控訴答弁書の陳述は、私が要旨を朗読する方法でした。やや長文だが、下記に全文を掲載する。

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 弁護士の澤藤です。思いがけなくも訴えられて被告となり、いまは被控訴人本人の立場にあります。被控訴人本人として、控訴答弁書を要約して陳述いたします。

 最初に訴訟の進行について要請申し上げます。本件では当事者双方に、今後の主張・挙証の必要は考えられません。本日弁論終結の上、すみやかな控訴棄却の判決をお願いいたします。

 一審以来、本件における主要な争点は、名誉毀損とされた各表現が「事実の摘示」なのか、それとも「意見ないし論評の表明」なのか、という一点に集中しています。
 当該表現が、「事実の摘示」か「意見・論評」か。この論点設定は、名誉毀損訴訟において最高裁が示した枠組みに従ってのものです。当事者双方が、それぞれの立場で、この枠組みにしたがった主張を展開しています。

 しかし実は、問題の本質、あるいは実質的な判断基準は、別のところにあるように思われるのです。訴訟とは具体的な事例に則して、憲法あるいは法の理念をどう理解して適用すべきかという、優れて理念的な営みであり、憲法理念を社会にどう具現するのかという実践的な営みでもあるはずだと思うのです。その観点からは、判例の形式的な引用とは別の実質的な判断過程が必要と考えざるをえません。

 憲法的視点から見れば、本件は憲法21条が保障している表現の自由と、13条によって憲法上の権利とされている人格権とが衝突する場面での調整のあり方を問うものにほかなりません。本件具体的事例においてこの調整はいかになされるべきか。被控訴人は言論の自由保障という憲法価値の優越を主張し、控訴人らはこのような人の名誉を侵害する言論は憲法の保障の埒外にある、と言っていることになります。

 憲法が言論の自由を特に重要な基本権とし、その保障を高く掲げたのは、誰の権利も侵害しない、「当たり障りのない言論」を自由だと認めたのではありません。敢えて言えば、当たり障りのある言論、つまりは誰かの評価を貶め、誰かの権利を侵害する言論であってこそ、これを自由であり権利であると保障することに意味があるのです。
 もっとも、弱者を貶めて強者に迎合する言論を権利と保障する意味はありません。言論の自由とは、本来的に権力者や社会的強者を批判する自由として意味のあるものと言わざるを得ません。私のブログにおける表現は、控訴人吉田嘉明らを批判するもので、吉田嘉明らの社会的評価の低下をきたすものであることは当然として、それでも憲法上の権利の保障が認めらなければなりません。

 原判決は実質的に以上の理を認めました。
 原判決は、私の名誉毀損15個の表現を、いずれも「一般の読者の普通の注意と読み方を基準とすれば」というキーワードを介して、「意見ないし論評を述べたものであり,事実を摘示したものとはいえない」と判断しました。その上で、「本件各記述は,いずれも公共の利害に関する事実に係り,その目的が専ら公益を図ることにあって,その前提事実の重要な部分について真実であることの証明がされており,前提事実と意見ないし論評との間に論理的関連性も認められ,人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものということはできないから違法性を欠く」と結論しています。「長崎教員批判ビラ配布事件」平成元年12月21日最高裁判決が引用されていますので、明示はされていませんが、「公正な論評の法理」を採用したものと理解されます。

 原判決の以上の説示に異論のあろうはずはありません。しかし、おそらくは、実質的な判断の決め手となったものは、憲法21条の重視のほかには、以下の3点だろうと思われるのです。第1点が言論のテーマ、第2点が批判された人物の属性、そして第3点が言論の根拠です。
 
 その第1点は、私のブログでの各記述が政治とカネにまつわる、典型的な政治的言論であることです。
 私は、控訴人吉田嘉明が、政治資金規正法の理念に反して自分の意を体して活動してくれると期待した政治家に、不透明な巨額の政治資金を「裏金」として提供していたことを批判したのです。このような政治的批判の言論の保障は特に重要で、けっして封殺されてはなりません。

 第2点は、本件ブログの各記述の批判対象者となった控訴人吉田嘉明の「公人性」がきわめて高いことです。その経済的地位、国民の健康に関わる健康食品や化粧品販売企業のオーナーとしての地位、労働厚生行政や消費者行政に服すべき地位にあるというだけではありません。政治家に巨額の政治資金を提供することで政治と関わったその瞬間において、残っていた私人性をかなぐり捨てて、高度の公人としての地位を獲得したというべきです。このときから強い批判を甘受すべき地位に立ったのです。しかも、吉田は自ら週刊誌の誌上で巨額の政治資金を特定政治家に提供していたことを暴露しているのです。金額は8億円という巨額、政治資金規正法が求めている透明性のない「裏金」です。控訴人吉田嘉明が批判を甘受すべき程度は、この上なく高いといわざるを得ません。

 そして第3点が、本件ブログの各記述は、いずれも控訴人吉田自身が公表した手記の記載を根拠として推認し意見を述べているものであって、意見ないし論評が前提として依拠している事実の真実性については、ほとんど問題となる余地がなかったことです。加えて、本件ブログの各記述は、いずれも前提事実からの推認の過程が、きわめて明白であり、かつ常識的なものであることです。
 控訴人吉田はその手記において、行政規制を不当な桎梏と感じていることを表明しています。企業とは、何よりも利潤追求のための組織です。企業経営者が、行政の対企業規制に明確な不満を述べて、規制緩和を標榜する政治家に政治資金を提供したら、これはもう、規制緩和を推進することによる利潤の拡大を動機とするものと相場が決まっています。
 このような常識的な推論に、立証を求められる筋合いはありません。まさしく、推論を意見として述べることが政治的言論の自由保障の真髄と言うべきで、控訴人吉田は、対抗言論をもって弁明や反批判をすべきであったのに、判断を誤ってスラップ訴訟の提起をしたのです。

 以上の3点を実質的な決め手として請求棄却の判決に至った原判決には、いささかの誤りもありません。

 控訴人らは、原判決を不満とし控訴理由書においても、「動機の推認も事実の摘示」だと繰り返しています。私のブログでの意見表明について、いまだに「動機の真実性の証明を求める」とか、「その証明ない限りは違法」という控訴人らの主張の蒸し返しは、児戯に等しいと言わざるを得ません。私がした程度の推論は、常識に属するものです。このような見解の表明が許されないとすれば、言論の空間は逼塞し表現の自由は枯渇してしまうでしょう。訴訟とはある最高裁判決の文章を具体的事例に有利に引用しあうゲームではありません。最高裁が示した字句を機械的に引用して、形式論理の整合性の優劣を争う愚かな競争ではないはず、だと申しあげておきたいと思います。

 ところで、私は「澤藤統一郎の憲法日記」と題するインターネット・ブログを毎日連載しています。現在の形で立ち上げた、第1回が2013年4月1日。以来、一日も欠かさずに書き続けています。昨日のブログが連続997回目。明後日に1000回に到達します。このブログにおいて、私なりに憲法理念を書き連ねてきました。権力を担う者、社会的な力をもつ強者には、遠慮のない批判の言論を続けていますが、弱者を批判したことはありません。一貫して社会的弱者の権利を擁護する立場から、強者の側を批判する姿勢を堅持しています。私は弁護士として、社会から自由を与えられ、誰におもねることもない自由を享受しています。この自由を、弱者の人権を擁護し権力や強者を批判するために行使することが、弁護士としての使命だと考えてきました。私のブログはその立場で貫かれていることを自負しています。

 その連載ブログの365回目となる2014年3月31日に、「DHC・渡辺 8億円事件」を取り上げました。続けて4月2日と、4月8日にもこの件を取り上げました。私がこの事件に反応した理由の一つとして、私が消費者問題に関心を持つ弁護士として、消費者行政の規制緩和に反対する運動に携わってきたことがあります。私は東京弁護士会の消費者委員会委員長も、日弁連の消費者委員長も経験しています。消費者に安全を提供すべき企業経営者が、行政規制を煩わしいと広言しながら、政治家に「裏金」を渡すなどと言うことが許されてはならないと強く思いました。それだけでなく、これを発言することは私の責務だとも思ったのです。

 ところが、このブログの記述がDHCや吉田嘉明の名誉を侵害し、2000万円に相当する精神的損害を被ったとして損害賠償請求訴訟の対象とされました。私にとっては到底信じがたい訴訟です。私自身が典型的なスラップ訴訟の被告とされたことを自覚し、言論の自由のために、恫喝に屈してはならない、スラップに成功体験をさせてはならない、と決意しました。

 これも弁護士の使命として、口をつぐんではならないと覚悟して、ブログで「DHCスラップ訴訟を許さない」シリーズを書き始めました。途端に、請求が拡張され、6000万円に跳ね上がりました。この経過自体が、本件提訴のスラップ性を雄弁に物語っていると考えています。

 私は、原審の法廷陳述でも担当裁判官にお願いしました。まずは、私の5本のブログを細切れにせずに、丸ごと全体をお読みいただきたい。その上で、日本国憲法が最高法規とされている現在の日本社会において、この私の言論が違法な言論として許されざるものであるのかをお考えいただきたい。言わば、まずは常識的な憲法感覚において、私のブログが違法なものかどうかを判断願いたいのです。

 そして、お考えいただきたい。もし仮に、私の言論にいささかでも違法の要素ありと判断されることになれば、原告吉田を模倣した、本件のごときスラップ訴訟が乱発される事態を招くことになるでしょう。社会的な強者が自分に対する批判を嫌っての濫訴が横行するそのとき、市民の言論は萎縮し、権力者や経済的強者への断固たる批判の言論は、後退を余儀なくされることにならざるをえません。この社会の言論は萎縮せざるを得ません。およそ政治批判の言論は成り立たなくなります。そのことは、権力と経済力が社会を恣に支配することを意味します。言論の自由と、言論の自由に支えられた民主主義政治の危機というほかはありません。スラップに成功体験をさせてはならないのです。

 最後に、本件の判断を射程距離に収めると考えられる、憲法21条についての最高裁大法廷判決(昭和61年6月11日・民集40巻4号872頁(北方ジャーナル事件))の一節を引用いたします。

「主権が国民に属する民主制国家は、その構成員である国民がおよそ一切の主義主張等を表明するとともにこれらの情報を相互に受領することができ、その中から自由な意思をもって自己が正当と信ずるものを採用することにより多数意見が形成され、かかる過程を通じて国政が決定されることをその存立の基礎としているのであるから、表現の自由、とりわけ、公共的事項に関する表現の自由は、特に重要な憲法上の権利として尊重されなければならないものであり、憲法21条1項の規定は、その核心においてかかる趣旨を含むものと解される」

 この最高裁大法廷判例が説示する「公共的事項に関する表現の自由は、特に重要な憲法上の権利」との憲法理念に則った判決を期待いたします。

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なお、控訴審から新たに弁護団に加わっていただいた弁護士の中に、徳岡宏一朗さんがいる。本日の法廷と報告集会に参加していただいた。

その徳岡さんのブログにDHCスラップ訴訟が紹介されている。ありがたいこと。下記のURLをご参照いただきたい。私のブログとは段違い。見栄えがよく、読み易い。
  http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/0278962f4551fe0531c2218cb9b922d4

(2015年12月24日・連続第998回)

カフェイン過剰摂取死亡事件が示すサプリメント規制強化の必要性ー「DHCスラップ訴訟」を許さない・第62弾

「『エナジードリンク』と呼ばれるカフェインを含む清涼飲料水を大量に飲んだ九州の男性が中毒死した問題で、福岡大(福岡市)は(12月)21日、解剖の結果、カフェインの血中濃度が致死量に達していたことが分かったと発表した。胃の中からカフェインの錠剤も見つかり、解剖した同大の久保真一教授(法医学)は記者会見で『短期間の大量摂取は危険だ』と注意を呼びかけた。」(毎日)

「久保教授によると、男性は深夜勤務のある仕事に従事し、夜勤明けに自宅で吐き、その後亡くなった。死因・身元調査法に基づき解剖したところ、血液1ミリリットル中のカフェイン含有量は致死量に達する182マイクログラムで、胃からは粉々になったカフェインを含む錠剤も検出された。男性が服用したとみられる。
 男性に既往症はなかったが、亡くなる1年ほど前から眠気覚ましに、カフェインを含む『エナジードリンク』と呼ばれる飲料を飲むようになったと家族は教授に説明。3、4度吐いたことがあり、亡くなる1週間ほど前からは眠気で仕事に支障が出ていたとも話した。
 久保教授は、こうした状況から、摂取した時期や量は分からないものの、男性がカフェインを含む飲料や錠剤を比較的短時間にたくさんとったことにより、急性カフェイン中毒で死亡したと結論づけた。10月に神戸市であった学会で発表したという
。」(朝日)

コンビニに置いてある清涼飲料と気軽に入手可能な錠剤サプリメントでのカフェン過剰摂取。それが現実の死亡事故となった。サプリメント先進国アメリカでこそ相当数の報告があるものの、我が国では初めての報告という。しかし、解剖なければ死因は分からなかったはず。死因分からぬままの同種症例は他にもあったのではないか。また、死亡にまでは至らないカフェイン過剰摂取健康障害事例がなかったはずはない。この事件が示唆する、健康食品・サプリメントによる健康被害のひろがりは、深刻な事態といわねばならない。

カフェインもビタミンもミネラルも、自然食品に含まれている。普通の食生活において自然食品を摂取している限り健康に害はない。ところが、企業の宣伝に煽られて、過剰摂取におちいると健康被害が生じることになる。過剰な広告による過剰な商品摂取が危険なことはつとに警告されてきたところ。だが、健康食品もサプリメントも、取締法規と行政規制は「自己判断・自己責任」の問題として放置したままである。

過剰摂取が特に危険とされている微量栄養素として、ビタミンA・ビタミンD・鉄・セレン・ゲルマニウム・クロム・カルシウムなどが警告の対象となっている。また、病人特に腎不全患者は高用量のビタミンC摂取を回避すべきとされてもいる。(内閣府食品安全委員会・報告書)

実は、これらの健康食品・サプリメント類の過剰摂取健康被害は表面化しにくい。通常因果関係の立証はきわめて困難である。しかし、解剖例から明確にされた、カフェイン過剰摂取死症例の存在は、他のビタミン・ミネラル類についても過剰摂取による隠れた健康被害が広範にあることを示唆するものと考えなければならない。

カフェイン死亡事件は、健康食品やサプリメントを行政規制の鎖から野放しにしておくことの危険を象徴するものと言えよう。とりわけ、錠剤サプリメントによる大量摂取が消費者の健康被害に危険を及ぼすことは明らかではないか。

DHC吉田嘉明は、「週刊新潮」2014年4月3日号に手記を寄せてこう言っている。
「私の経営する会社は、主に化粧品とサプリメントを取り扱っています。その主務官庁は厚労省です。厚労省の規制チェックは他の省庁と比べても特別煩わしく、何やかやと縛りをかけてきます」「私から見れば、厚労省に限らず、官僚たちが手を出せば出すほど、日本の産業はおかしくなっているように思います。つまり、霞ヶ関、官僚機構の打破こそが今の日本に求められている改革…」

要するに、「自社を縛っている行政規制が煩わしい。その規制チェックをなくすることが、今の日本に求められている。」という、企業のホンネをあからさまに述べているものと解するほかはない。サプリメント販売の行政規制強化などはとんでもない、ということになろう。

ところが、である。DHCのネット広告の中に次の一文を見つけた。
「今や日本人の6割以上が日常的にサプリメントを使用する時代となりました。しかし、日本の健康食品業界はサプリメントの先進国アメリカに比べると規制が緩く、それを逆手に取った価格や配合成分、効果に疑問を持たざるをえないサプリメントが存在します。残念なことに日本ではそのような“不健康なサプリ”があふれかえっており、“健康なサプリ”が少ないのが現状です。生活の質を向上させるためにサプリメントを購入する際には、企業の宣伝や広告を鵜呑みにするのではなく、自分自身で“健康なサプリメント”と“不健康なサプリメント”をしっかりと見極めましょう。」

この広告では、日本の健康食品業界に対する行政規制が緩いことを嘆いて見せているのである。一方では「規制を特別煩わしい」と言い、一方では「規制が緩い」と言うこのご都合主義は、いったいどういうことなのだろう。

消費者に読ませる広告において規制が緩いことを嘆く姿勢を見せることが、自社製品の安全性アピールに結びつくとの思惑からのことであろうが、企業の広告がホンネと乖離していることの見本と言うべきであろう。どの企業も、ホンネは規制の緩和ないし撤廃を望んでいる。しかし、消費者には規制を嫌っていると思われたくはないのだ。

そして、「価格や配合成分、効果に疑問を持たざるをえない不健康なサプリメント」は、業界のすべての企業の製品に共通している。厚労省も消費者庁も、そして内閣府食品安全委員会もその実態を明らかにしつつ、強く警告を発しているのだ。

企業としては、健康食品と医薬品の境界線上にある商品に関して、一面医薬品としての取り扱いによる規制は煩わしいと思いながらも、他面医薬品としての消費者の信頼は欲しいところ。これが、アンビバレントの本質。行政は1971年の「食薬区分」(「46通達」と言われる)で、一応その切り分けをしているが、なお明確ではない。

公表されたカフェイン死亡事故を無駄にしてはならない。「食薬区分」線上にある製品の行政規制を、今こそ「健康食品・サプリメントへの規制が緩い」と嘆いて、厳格化しなければならない。企業に「規制を特別煩わしい」などと言わせていてはならない。国民の健康のため、いや命をまもるために、である。

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   DHCスラップ訴訟12月24日控訴審口頭弁論期日スケジュール
DHC・吉田嘉明が私を訴え、6000万円の慰謝料支払いを求めている「DHCスラップ訴訟」。本年9月2日一審判決の言い渡しがあって、被告の私が勝訴し原告のDHC吉田は全面敗訴となりました。しかし、DHC吉田は一審判決を不服として控訴し、事件は東京高裁第2民事部(柴田寛之裁判長)に係属しています。

その第1回口頭弁論期日は、
 クリスマスイブの12月24日(木)午後2時から。
 法廷は、東京高裁庁舎8階の822号法廷。
ぜひ傍聴にお越しください。被控訴人(私)側の弁護団は、現在136名。弁護団長か被控訴人本人の私が、意見陳述(控訴答弁書の要旨の陳述)を行います。

また、恒例になっている閉廷後の報告集会は、
 午後3時から
 東京弁護士会502号会議室(弁護士会館5階)A・Bで。
せっかくのクリスマスイブ。ゆったりと、楽しく報告集会をもちましょう。
 弁護団報告は、表現の自由と名誉毀損の問題に関して、最新の訴訟実務の内容を報告するものとなることでしょう。
 表現の自由を大切に思う方ならどなたでもご参加ください。歓迎いたします。
(2015年12月22日・連続第996回)

判決が認定した「DHCに対する行政指導の数々」ー「DHCスラップ訴訟」を許さない・第59弾

DHC・吉田嘉明が私のブログ記事を名誉毀損として、6000万円の慰謝料支払いや謝罪文などを求めているのが「DHCスラップ訴訟」。本年9月2日に東京地裁民事第24部(阪本勝裁判長)で一審判決の言い渡しがあって、被告の私が全面勝訴した。全面敗訴となったDHC・吉田は、一審判決を不服として控訴し、事件は東京高裁第2民事部(柴田寛之裁判長)に係属している。

控訴人側の控訴理由も、被控訴人側の控訴答弁書も裁判所に提出済みで、おそらくは12月24日の第1回口頭弁論で即日結審となり、控訴審判決の言い渡し日が指定されることになるだろう。

控訴人らに、原審での主張の蒸し返し以上の新しい主張はない。目新しいことと言えば、同種訴訟での判決書1通と和解調書1通が書証として提出されたこと。本日のブログではその判決書(被告は、かなりの販売部数を持つ業界紙の発行会社)を紹介したい。

控訴人(DHC・吉田)の証拠説明書によると、この判決を証拠として提出した立証趣旨は、「控訴人吉田による8億円の貸付に関連する記事について,控訴人らに対する名誉毀損を肯定して損害賠償請求や削除請求が認容された事実等」となっている。この立証趣旨の記載だけをみると、別件とは言え「関連事件でそんな判決もあったのか」と一瞬幻惑されざるを得ない。しかし、内容を読んでみると何のことはない。「控訴人吉田による8億円の貸付に関連する記事について」は、DHC・吉田側の完敗判決である。むしろ、よくもまあこんな自分に不利な事実認定の判決をどうして提出してきたのだろうかと、首を捻らざるを得ない。

しかし、せっかくDHC・吉田自らが、自主的に私との訴訟で提出した判決書である。その内容を多くの人に知っていただくことが公共の利益に資することになるものと考え、被告に迷惑のかからない配慮をしつつ、なるべく正確にご紹介したい。

以下は裁判所が証拠によって認定した事実である。けっして、被告の主張ではない。私の感想を交えずに、判決書の記載を20頁から23頁まで、そのまま引用する。なお、原告会社とは、DHCのことである。

エ 原告会社に対する行政指導等
(ア)群馬県は,原告会社から製造委託を受けたコスメイトリックスラボラトリーズ株式会社が製造した清涼飲料「アロエベラ」を購入した消費者から腐敗臭がする等の苦情が寄せられたため,平成13年4月に同社工場を立ち入り調査したところ,食品衛生法の定める殺菌処理を実施していない等の製造管理上の問題が判明したことから,原告会社に対し,自主回収と製造自粛を指導した(甲14,乙2)。なお,原告会社は,当該商品を製造していなくとも,企画・開発に携わった「表示製造業者」として責任を負うべき地位にあった。

(イ)原告会社は,通信販売をしていた「アスタキサンチン」を利用した健康食品に未承認添加物が混入していた疑いが強まったことから,平成14年4月1日までに,販売した製品を自主回収して購入者に返金することを決定し,管轄する保健所に事実関係を報告した(甲15,乙3)。なお,同製品の原料調達には複数のサプライヤーが関与していた。

(ウ)厚生労働省は,平成15年5月30日,原告会社が販売していた健康食品「メリロート」の摂取が原因と見られる健康被害例を発表したが,原告会社がその後の消費者からの問い合わせに「調査中」などとして,自社製品であることを認めない説明をしている疑いがあったため,同年6月10日,原告会社に対し,メリロートが自社の製品であることを消費者に伝えるよう指導した(乙4)。それにもかかわらず,原告会社の対応が不十分であったことから,厚生労働省は,同年10月にも原告会社に対し,メリロートが原因と見られる健康被害事例に対する消費者からの問い合わせに自社製品であることを伝えるよう指導した(乙5)。
厚生労働省は,原告会社が上記指導に対して十分な改善を行わなかったことから,同月31日,ホームページに掲載している「いわゆる健康食品による健康被害事例」に「販売者」の欄を追加し,それまでに寄せられた健康被害事例のうちブルーベリーエキスの製造者及びメリロートの製品販売者が原告会社であることを公表し,消費者等に告知した(乙7)。
独立行政法人国民生活センターは,平成16年6月17日頃,メリロートを含む健康食品について有効成分や表示などを調査した結果として,原告会社の製品を含め,医薬品の基準を超えるメリロートを含有しているものがあったこと,表示に景品表示法や薬事法に違反する疑いがあるものが見られたことを公表し,消費者に対して注意喚起するとともに,販売会社に改善を要請した(乙1O)。
これに対し,原告会社は,同月,メリロートに含まれる有効成分「クマリン」の含有量は,ドイツ保健省の中にある医薬品と医療器具の安全性と効果を評価する専門機関が規定する基準の範囲内であり,薬事法,食品衛生法その他関連法規の観点でも問題はなく,上記機関の定める基準に沿った安全性の高いサプリメントであるから,販売を継続する旨表明した(甲17)。なお,当時,日本の健康食品において,クマリンの配合量に関する規制はなかった(甲17,乙10)。
もっとも,原告は,メリロートの摂取目安量の変更やパッケージ変更を行い(甲16),その後は厚生労働省から指導を受けていない。

(エ)厚生労働省は,平成15年10月,原告会社が発行する会報誌に掲載している健康食品の広告において,厚生労働省が許可する特定保健用食品だけに許される「コレステロールが気になる方に」「血圧が気になる方に」「血糖値が気になる方に」「体脂肪が気になる方に」などの表示を,許可を得ないまま行っていたことにつき原告会社を指導した(乙5,6)。

(オ)厚生労働省は,平成16年3月25日,コエンザイムQ10が承認なしで化粧品に使用することができない「医療品成分」に該当すると判断し,これを受けた各都道府県は,厚生労働省が化粧品にコエンザイムQ10を使用することを許可した「承認前例」が確認できない場合,同成分配合の化粧品の製造・輸入を自粛するよう化粧品メーカーに要請した。原告会社は,同要請後もコエンザイムQ10を配合する化粧品の製造を継続していたため,神奈川県は,原告会社の横浜工場に同成分配合の化粧品の製造等の自粛を指導したところ,原告会社は,同年4月23日以降は製造していないと回答した。原告会社は,同年5月,コエンザイムQ10を配合した化粧品の販売を休止したとホームベージ上で告知した(乙8,9)。
その後,原告会社は,安全性データを厚生労働省に提出して上記化粧品の販売を再開したが,その後は東京都や厚生労働省から指導を受けていない(甲18)。

(カ)厚生労働省は,承認なく化粧品へ配合することを禁じられている「医薬品成分」に該当すると判断したコエンザイムQ10を配合した化粧品を,平成16年4月に原告会社がテレビ等で公開したことを問題視し,同年5月に東京都に調査を依頼したところ,原告会社が発行する会報誌に薬事法に抵触する記載(効能効果等の広告)が残っているとして,これを改めるよう原告会社を指導した(乙9)。東京都は,その後も原告会社が薬事法違反の広告を行っているとして,同年9月28日までに,原告会社に対し,薬事法違反(無承認無許可医薬品の広告等)の指導を行った(乙12)。

(キ)厚生労働省は,平成18年7月28日,原告会社が通信販売する清涼飲料水について,WHO等が設ける基準値の7倍を超えるベンゼンが検出されたとして,原告会社に対し,製品の自主回収を要請した(乙13)。なお,日本では食品中のベンゼンに関する基準値は定められておらず,水道法上の基準値を超えた製品を一定量飲んだとしても健康に大きな影響はないが,厚生労働省は念のため自主回収を要請したものであり,原告会社は同要請に応じて商品の回収及び製造の休止を行った(甲19,20,21,乙13)。

(ク)厚生労働省は,平成19年4月13日付けで各都道府県に発出した事務連絡の中で,原告会社を含む健康食品販売会社10社に対し,効能効果を暗示させる健康食品名の改善を要請した(乙14)。なお,同要請に対しては,規制の基準が見えにくいとの批判もあった(甲22,23)。

(ケ)公正取引委員会は,平成21年2月3日,「シャンピニオンエキス」と称する成分を使用して口臭,体臭及び便臭を消す効果を標ぼうする商品の製造販売業者(原告会社を含む。)に対し調査を行ったところ,これらの業者が販売する上記商品に係る表示が景品表示法4条2項の規定により,同条1項1号の「優良誤認」に該当するとみなされ,同号の規定に違反する事実が認められたとして排除命令を行った(乙15)。

(コ)経済産業省中部経済産業局は,平成24年8月,原告会社が同局の委託による消費者が利用する機能性食品会社に関する調査結果を承諾なく新聞広告に掲載したことにつき,原告会社に抗議を申し入れた(乙16)。

私は、2014年4月2日のブログで、「『DHC8億円事件』大旦那と幇間 蜜月と破綻」と題して、機能性表示食品制度導入に反対の意見を書いた。その記事のなかで、次のように述べたことが、DHCと吉田嘉明の名誉を毀損したとされた。

「サプリの業界としては、サプリの効能表示の自由化で売上げを伸ばしたい。もっともっと儲けたい。規制緩和の本場アメリカでは、企業の判断次第で効能を唱って宣伝ができるようになった。当局(FDA)の審査は不要、届出だけでよい。その結果が3兆円の市場の形成。吉田は、日本でもこれを実現したくてしょうがないのだ。それこそが、「官僚と闘う」の本音であり実態なのだ。渡辺のような、金に汚い政治家なら、使い勝手良く使いっ走りをしてくれそう。そこで、闇に隠れた背後で、みんなの党を引き回していたというわけだ。
大衆消費社会においては、民衆の欲望すらが資本の誘導によって喚起され形成される。スポンサーの側は、広告で消費者を踊らせ、無用な、あるいは安全性の点検不十分なサプリメントを買わせて儲けたい。薄汚い政治家が、スポンサーから金をもらってその見返りに、スポンサーの儲けの舞台を整える。それが規制緩和の正体ではないか。「抵抗勢力」を排して、財界と政治家が、旦那と幇間の二人三脚で持ちつ持たれつの醜い連携。これが、おそらくは氷山の一角なのだ。」

前掲判決の事実認定をみれば、「スポンサーの側は、広告で消費者を踊らせ、無用な、あるいは安全性の点検不十分なサプリメントを買わせて儲けたい。薄汚い政治家が、スポンサーから金をもらってその見返りに、スポンサーの儲けの舞台を整える。それが規制緩和の正体ではないか。」という私の見解は図星ではないか。

もっとも、前掲の判決は、DHC・吉田の全面敗訴ではない。1%だけ勝っている。1億円の請求に対して100万円だけを認容している。訴訟費用は、100分の99が原告らの負担とされている。一部ウエブサイトの記事削除を命じられたが、謝罪文の請求は全面棄却である。

原告らが勝訴した1%分は、「吉田・渡辺間の政治資金8億円授受事件」に関わるところではない。被告が業界紙の掲載した、「(DHCは)人のものを真似るのが得意。だから訴訟も多い」との記述にまつわるところなのだ。およそ、私の事件となんの関わりもない。これも、公共の利益に資するものとして、判決書き中の裁判所の事実認定を引用しておく。

「オ 原告らを当事者とする訴訟等
(ァ)原告会社は,平成17年1月,解雇した従業員のうち,解雇無効を争ってネットワークユニオンに加入した4名が開設したホームページ上の記載等が名誉毀損に該当するとして提訴したが,原告会社が上記元従業員らに対し,1名当たり200万円から700万円の和解金を支払う内容の和解が成立した(乙19)。
(イ)原告吉田は,東京地方裁判所に対し,東京国税局の違法な税務調査により精神的苦痛を受けたとして,国を被告として約1億4000万円の支払を求める訴訟を提起した。同訴訟においては,平成17年7月14日,原告吉田の請求を棄却するとの判決が言い渡され,同判決は確定した。なお,同判決では,税務調査の際,原告吉田が「高額納税者であることを知っているのか。」「挨拶にも会わない。その辺の会社とは違う。」などと述べて,税務調査に協力できない旨の回答をしたとの事実が認定されている(乙18,22)
(ウ)株式会社ファンケルは,平成22年7月13日,東京地方裁判所に対し,原告会社を被告とし,原告会社が販売する製品がファンケルの特許権を侵害していると主張して,同製品の製造販売の差止め及び損害賠償を求める訴訟を提起した(乙20)。東京地方裁判所は,平成24年5月,原告会社に対して1億6500万円の支払を命じる判決を言い渡したが,原告会社はこれを不服として控訴したところ,知的財産高等裁判所において,原告会社は特許権侵害の事実を認めず,金銭の支払もしない内容で和解が成立した(甲25)。

以上の事実認定にもとづいて同判決は、「ファンケルから提起された特許権侵害に基づく損害賠償請求訴訟においては,控訴審において原告会社が特許権侵害を認めず,金銭も支払わないとの内容の和解が成立しており,同和解の内容からは原告会社がファンケルの商品を模倣していないと推認される。そして,他に原告らが人のものを真似したとの理由で訴訟を提起されたと認めるに足りる証拠はない」として、「原告らが人のものを真似することが原因で多数の訴訟が提起されているとの摘示事実が真実であるとは認められない。」と結論した。

DHC吉田はこの訴訟で、4本の記事における13個所の記述が、名誉毀損や侮辱に当たると主張した。その内の1個所だけがヒットして、1%の勝訴を得たことになった。しかし、「8億円政治資金授受事件」に直接関わる記述では、全部原告敗訴の完敗なのだ。もちろん、私の事件への影響などはあり得ない。

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   DHCスラップ訴訟12月24日控訴審口頭弁論期日スケジュール
DHC・吉田嘉明が私を訴え、6000万円の慰謝料支払いを求めている「DHCスラップ訴訟」。本年9月2日一審判決の言い渡しがあって、被告の私が勝訴し原告のDHC吉田は全面敗訴となりました。しかし、DHC吉田は一審判決を不服として控訴し、事件は東京高裁第2民事部(柴田寛之総括裁判官)に係属しています。

その第1回口頭弁論期日は、
 クリスマスイブの12月24日(木)午後2時から。
 法廷は、東京高裁庁舎8階の822号法廷。
ぜひ傍聴にお越しください。被控訴人(私)側の弁護団は、現在136名。弁護団長か被控訴人本人の私が、意見陳述(控訴答弁書の要旨の陳述)を行います。

また、恒例になっている閉廷後の報告集会は、
 午後3時から
 東京弁護士会502号会議室(弁護士会館5階)A・Bで。
せっかくのクリスマスイブ。ゆったりと、楽しく報告集会をもちましょう。
 表現の自由を大切に思う方ならどなたでもご参加ください。歓迎いたします。
(2015年12月19日・連続第993回)

あなたが健康でありたいと願うなら、「健康食品」はおやめなさいー「DHCスラップ訴訟」を許さない・第57弾

この私が被告とされ、6000万円の慰謝料請求を受けている「DHCスラップ訴訟」。その控訴審第1回弁論期日12月24日が近づいてきた。

何ゆえ私は被告にされ、6000万円の請求を受けているか。発端は、下記の3ブログである。これが違法な名誉毀損の言論だとされたのだ。何度でも掲載して、ぜひとも、多くの人に繰りかえしお読みいただきたい。はたして、私の言論が違法とされ、この社会では許されないものであると言えるのか。それとも民主主義政治過程に必要な強者を批判する言論として庇護を受けるべきものか、トクとお読みの上、ご判断いただきたい。

  http://article9.jp/wordpress/?p=2371 (2014年3月31日)
  「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判 

  http://article9.jp/wordpress/?p=2386 (2014年4月2日)
  「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻

  http://article9.jp/wordpress/?p=2426 (2014年4月8日)
  政治資金の動きはガラス張りでなければならない

以上の私のブログの記事は、政治がカネで動かされてはならないという問題提起であるだけでなく、消費者問題の視点で貫ぬかれてもいる。

例えば、次のようにである。
「(『徳洲会・猪瀬』事件と、『DHC・渡辺』問題とを比較し)徳洲会は歴とした病院経営体。社会への貢献は否定し得ない。DHCといえば、要するに利潤追求目的だけの存在と考えて大きくは間違いなかろう。批判に遠慮はいらない。」
「DHCの吉田は、その手記で『私の経営する会社にとって、厚生労働行政における規制が桎梏だから、この規制を取っ払ってくれる渡辺に期待して金を渡した』旨を無邪気に書いている。刑事事件として立件できるかどうかはともかく、金で政治を買おうというこの行動、とりわけ大金持ちがさらなる利潤を追求するために、行政の規制緩和を求めて政治家に金を出す、こんな行為は徹底して批判されなくてはならない。」(3月31日ブログ)

「たまたま、今日の朝日に『サプリメント大国アメリカの現状』『3兆円市場 効能に審査なし』の調査記事が掲載されている。『DHC・渡辺』事件に符節を合わせたグッドタイミング。なるほど、DHC吉田が8億出しても惜しくないのは、サプリメント販売についての『規制緩和という政治』を買いとりたいからなのだと合点が行く。」
「サプリの業界としては、サプリの効能表示の自由化で売上げを伸ばしたい。もっともっと儲けたい。規制緩和の本場アメリカでは、企業の判断次第で効能を唱って宣伝ができるようになった。当局(FDA)の審査は不要、届出だけでよい。その結果が3兆円の市場の形成。吉田は、日本でもこれを実現したくてしょうがないのだ。それこそが、『官僚と闘う』の本音であり実態なのだ。渡辺のような、金に汚い政治家なら、使い勝手良く使いっ走りをしてくれそう。そこで、闇に隠れた背後で、みんなの党を引き回していたというわけだ。」
「大衆消費社会においては、民衆の欲望すらが資本の誘導によって喚起され形成される。スポンサーの側は、広告で消費者を踊らせ、無用な、あるいは安全性の点検不十分なサプリメントを買わせて儲けたい。薄汚い政治家が、スポンサーから金をもらってその見返りに、スポンサーの儲けの舞台を整える。それが規制緩和の正体ではないか。『抵抗勢力』を排して、財界と政治家が、旦那と幇間の二人三脚で持ちつ持たれつの醜い連携。これが、おそらくは氷山の一角なのだ。」(4月2日)

「DHCの吉田嘉明は…、化粧品やサプリメントを販売してもっと儲けるためには厚生行政や消費者保護の規制が邪魔だ。小売業者を保護する規制も邪魔だ。労働者をもっと安価に使えるように、労働行政の規制もなくしたい。その本音を、『官僚と闘う』『官僚機構の打破』にカムフラージュして、みんなの党に託したのだ。」
「自らの私益のために金で政治を買おうとした主犯が吉田。その使いっ走りをした意地汚い政治家が渡辺。渡辺だけを批判するのは、この事件の本質を見ないものではないか。」(4月8日)

私は、40年余の弁護士としての職業生活を通じて、一貫して消費者問題に取り組んできた。消費者問題を資本主義経済が持つ固有の矛盾の一つとして把握し、資本の利潤追求の犠牲となる市民生活の不利益を防止し、救済したいと願ってのことである。

もっとも、「DHCといえば、要するに利潤追求目的だけの存在と考えて大きくは間違いなかろう。批判に遠慮はいらない。」「スポンサー(DHC)の側は、広告で消費者を踊らせ、無用な、あるいは安全性の点検不十分なサプリメントを買わせて儲けたい。」などという表現については、ごく少数ながらも「少し言い過ぎではないか」「ややきつい断定ではないのか」という向きもあるようだ。しかし、これは消費者問題に関心を持つ者の間では、誇張でも言い過ぎでもない。まさしく、常識的な見解なのだ。

「DHCといえば、要するに利潤追求目的だけの存在」「広告で消費者を踊らせ、無用な、あるいは安全性の点検不十分なサプリメントを買わせて儲けたい」は、もちろん、必ずしもDHCだけについてだけのことではない。数え切れないほどの「健康食品販売会社」「サプリメント販売業者」あるいはその業界に通有のことである。

健康食品業界の実態が「利潤追求目的だけの存在」「広告で消費者を踊らせ、無用な、あるいは安全性の点検不十分なサプリメントを買わせて儲けている」ことを裏付ける政府報告を紹介しておきたい。先日、このブログで「フードファディズム」とサプリメント広告規制を論じた。フードファディズムとは、「特定の食品が特に健康によいと言うことはありえない」という穏やかな主張。本日ご紹介する報告は、「健康食品に安全性は保障されていない」「むしろ、危険なエビデンスがいっぱい」というものなのだ。さすがに、政府機関の報告だから、「健康食品おやめなさい」と結論をはっきりとは言わない。「健康食品摂取の際には、正確な情報に基づいてご自分の判断で」というにとどまっている。しかし、どう考えても、「あなたが健康を願うのなら、健康食品の摂取はおやめなさい」としか読めない。

当ブログは、本日を第1回として今後何度も執拗に、この政府報告と関連情報を紹介し続ける。DHCにダメージを与える目的というのではなく、消費者の利益のために健康食品業界全体と闘いたいということなのだ。

食品安全基本法にもとづく内閣府の審議会として、2003年7月内閣府に「食品安全委員会」が設置されている。「国民の健康の保護が最も重要であるという基本的認識の下、規制や指導等のリスク管理を行う関係行政機関から独立して、科学的知見に基づき客観的かつ中立公正にリスク評価を行う機関」とされている。

食品安全委員会は7名の委員から構成され、その下に12の専門調査会が設置され、職員60人のほかに、食品のリスク評価を行う専門家100人を擁しているという。

その食品安全委員会の「いわゆる『健康食品』の検討に関するワーキンググループ」が、このほど「『健康食品』の検討に関する報告書」をまとめて公表した。一昨日(12月8日)のことである。

このことの報道に気が付いた人は少ないのではないか。ネットでは毎日新聞が、12月9日朝刊の記事として下記を掲出している。
見出し「健康食品 リスクを公開 食品安全委員会」
本文「健康食品の摂取リスクなどを検討してきた食品安全委員会(佐藤洋委員長)は8日、「いわゆる『健康食品』に関する報告書」を公表した。これに合わせ「健康食品で逆に健康を害することもある。科学的な考え方を持って、食品を取るかどうか判断してほしい」とする異例の委員長談話を発表し、注意喚起した。同委員会の専門家グループでは、食品のリスク要因を主に▽製品▽摂取者▽情報−−の3点から分析した。その上で「健康食品は医薬品並みの品質管理がなされていない」「ビタミンやミネラルのサプリメントによる過剰摂取のリスクに注意」など、健康食品を選ぶ時に注意すべき項目を19のメッセージにまとめ、ホームページで公開している。」

この報道内容に誤りはない。しかし、いかにも通り一遍の報道。この報告書の重大性や衝撃性は伝わってこない。健康食品やサプリメントを摂取している人への警告という視点がない。広告料収入に頼り切っているメディアの弱みが露呈しているのではないかと勘ぐられてもやむを得まい。もっと大々的に、全メディアが報道すべきなのだ。

この報告書を作成したワーキンググループの13人は、すべて医師ないし自然科学の研究者。報告書は42頁の大部なもの。117の引用論文が掲載されている。内容は、きわめて意欲的なものだ。健康食品やサプリメントが、アベノミクスの「第3の矢」の目玉などという思惑に対する遠慮は微塵も感じられない。この内容が国民に正確に伝われば、健康食品会社もサプリメント業界も生き残れるとは到底考えられない。業界は顔面蒼白になってしかるべきなのだ。それだけの衝撃性を持っている。

この報告書の要約版として「いわゆる『健康食品』に関するメッセージ」が同時に公表され、具体的な「19のメッセージ」が掲載されている。参考とするには、これが手頃だ。さらに食品安全委員会は分かり易い21問の「Q&A」まで作っている。その意気込みがすばらしいと思う。

ぜひとも、下記のURLをクリックして、「報告書」「メッセージ」「Q&A」をご覧いただきたい。これを読めば、健康食品やサプリメントを買おうという意欲はなくなるはずだ。「これまで払った金を返せ」とも言いたくなるだろう。
  https://www.fsc.go.jp/osirase/kenkosyokuhin.html

「DHCといえば、要するに利潤追求目的だけの存在と考えて大きくは間違いなかろう。批判に遠慮はいらない。」「スポンサー(DHC)の側は、広告で消費者を踊らせ、無用な、あるいは安全性の点検不十分なサプリメントを買わせて儲けたい。」などという表現が、けっして「少しも言い過ぎではなく」、「きつい断定というのも当たらない」ことを理解していただけよう。私の見解は、「消費者問題に関心を持つ者」だけの意見ではなく、政府の審議会報告に照らしても、「誇張でも言い過ぎでもない」、まさしく常識的な見解なのである。この報告書の具体的内容については、後日詳細に報告したい。

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   12月24日(木)控訴審口頭弁論期日スケジュール
DHC・吉田が私を訴えた「DHCスラップ訴訟」は、本年9月2日一審判決の言い渡しがあって、被告の私が勝訴し原告のDHC吉田は完敗となった。しかし、DHC吉田は一審判決を不服として控訴し、事件は東京高裁第2民事部(柴田寛之総括裁判官)に係属している。

その第1回口頭弁論期日は、クリスマスイブの12月24日(木)午後2時から。法廷は、東京高裁庁舎822号法廷。ぜひ傍聴にお越し願いたい。被控訴人(私)側の弁護団は、現在136名。弁護団長か被控訴人本人の私が、意見陳述(控訴答弁書の要旨の陳述)を行う。

また、恒例になっている閉廷後の報告集会は、午後3時から東京弁護士会502号会議室(弁護士会館5階)A・Bで。せっかくのクリスマスイブ。ゆったりと、楽しく報告集会をもちたい。表現の自由を大切に思う方ならどなたでもご参加を歓迎する。
(2015年12月10日・連続第984回)

怯まず臆せず、政権と自民党を批判したBPO意見書

このごろ巷に流行るもの、「不祥事に、第三者委員会」である。
第三者とは「当事者以外の者、その事柄に直接関係していない人を言う」と辞書は解説しているが、どうも身内のお手盛り委員会と疑われるものが多い。どうやら、「第三者委員会まがい」、ないしは「第三者委員会もどき」である。

不祥事の当事者は、記者会見で神妙に頭を下げ、「第三者委員会を設置して厳重に調査してもらいます」と呪文をとなえる。この呪文が案外に効くのだ。社会からの風圧を遮断し、その調査結果を待ってみようという気分にさせるのだ。そして、学識経験者や弁護士らから成る委員会(もどき)が、世間の記憶が薄れたころに、気の抜けたサイダーのごとき調査結果を発表をする。これが通例、これが通り相場の定番となりつつある。

ところが、昨日(11月5日)、NHKと日本民間放送連盟による第三者機関であるBPO(「放送倫理・番組向上機構」)がNHKの報道番組「クローズアップ現代」のやらせ問題で珍しく立派な意見書を発表した。これこそ、第三者委員会のお手本ではないか。

政権にも、与党にも、有力政治にも、そしてNHK当局に対しても、怯むことなく臆することなく、指摘すべきを指摘し、批判すべきを批判しているこの姿勢は十分な評価に値する。多くのメディアの論調がこの度のBPO意見書を肯定的に紹介していることは、この社会の健全さを示すものとして爽やかさを感じさせる。

第三者と銘打つ機関の調査結果が辛口であって当たり前なのだが、新聞には「異例の意見書」という大見出しが踊った。「やらせはなかった」というNHKの自己調査を「深刻な問題を演出や編集の不適切さに矮小化している」と批判し、「重大な放送倫理違反があった」「事実と異なることを視聴者に伝えた」と指摘した。(東京新聞)

このまっとうな結論に、NHK当局は「真摯に受けとめる。事実に基づき正確に報道するという原点を再確認し、再発防止策を着実に実行していく」と答えている。(東京新聞)

BPO意見書の異例はこれだけではない。つけ加えて、総務相や自民党の放送への介入を厳しく戒めたのである。これが真骨頂。久方ぶりにまっとうな意見を聞くことができ、清々しい気分で朝を迎えることができた。

各紙が「NHKに自民圧力」「BPO 政府の介入を批判」「番組介入許されない」と報じた。「自民党国会議員らの6月の例会で『マスコミを懲らしめるには広告料収入をなくせばいい』との発言があったことなどを『圧力』の例として列挙。高市早苗総務相が4月末、NHKを厳重注意したことも問題視した」「NHKが自主的に問題を是正しようとしているのに、政府が行政指導で介入するのは、放送法が保障する『自立』の侵害行為だ」「自民党情報通信戦略調査会がNHK幹部を呼び、番組について説明させたのは、放送の自由と自律に対する政権党による圧力そのもので厳しく非難されるべきだ」と政権の介入を厳しく批判した。また、放送局側にも「干渉や圧力に対する毅然とした姿勢と矜持を堅持できなければ、放送の自由も自律も浸食され、やがては失われる」としかるべき対応の努力を促した。(毎日新聞)

この日は、タイミングよく「アベチャンネルはゴメンだ!」「怒りのNHK包囲行動」予定の日。包囲行動のボルテージは自ずから高揚した。NHK西門における、従軍慰安婦問題を追及してきた池田恵理子さん、沖縄辺野古から果敢に報道を続けている景山あさ子さんなど各界からのNHKの偏向報道に対する不満や叱咤激励のリレートークも自ずと力のこもったものとなった。出入りするNHK職員もさぞ肩身が狭かろう。

その後、宮下公園から渋谷ハチ公広場前をコースとしたデモ行進が行われた。コールも曇り空に負けまいと大きく響いた。「アベ政権は報道への介入をやめろ」「NHKをアベちゃんねるにするな」「NHKは政権の介入に屈するな」というコールはBPO意見書のとおりである。「籾井会長はやめろ」「NHKは国民の声を伝えろ」は当然の要求である。

「マイナンバーで受信料を徴収するな」は沿道の若い人々の大きな共感を呼んだ。携帯でシャメを撮る人が多いのも渋谷をデモする醍醐味。ちょっと長丁場の包囲行動は参加者や世話人の方には負担かとも思われたが、解散場所の宮下公園へ着いても快い興奮が充満してさりがたい気分が満ちていた。このような人々の声が、BPO意見に反映しているのだ。
(2015年11月7日・連続第951回)

「機能性表示食品制度に異議あり」ー「DHCスラップ訴訟」を許さない・第42弾

なんと私自身が被告にされ、6000万円の賠償を請求されているDHCスラップ訴訟の次回口頭弁論期日は明日4月22日(水)となった。13時15分から東京地裁6階の631号法廷。誰でも、事前の手続不要で傍聴できる。また、閉廷後の報告集会は、東京弁護士会507号会議室(弁護士会館5階)でおこなわれる。集会では、関連テーマでのミニ講演も予定されている。どなたでも歓迎なので、ぜひご参加をお願いしたい。私は、多くの人にこの訴訟をよく見ていただきたいと思っている。そして原告DHC吉田側が、いかに不当で非常識な提訴をして、表現の自由を踏みにじっているかについてご理解を得たいのだ。

DHC会長の吉田嘉明は、私の言論を耳に痛いとして、私の口を封じようとした。無茶苦茶な高額損害賠償請求訴訟の提起という手段によってである。彼が封じようとした私の言論は、まずは、みんなの党渡辺喜美に対する8億円拠出についての政治とカネにまつわる批判だが、それだけでない。なんのために彼が政治家に巨額の政治資金を提供してたのか、という動機に関する私の批判がある。私は当ブログにおいて、吉田の政治家への巨額なカネの拠出と行政の規制緩和との関わりを指摘し、彼のいう「官僚機構の打破」の内実として機能性表示食品制度導入問題を取り上げた。

この制度は、アベノミクスの第3の矢の目玉の一つである。つまりは経済の活性化策として導入がはかられたものだ。企業は利潤追求を目的とする組織であって、往々にして消費者の利益を犠牲にしても、利潤を追求する衝動をもつ。だから、消費者保護のための行政規制が必要なのだ。これを桎梏と感じる企業においては、規制を緩和する政治を歓迎する。これは常識的なものの考え方だ。

私は2014年4月2日のブログを「『DHC8億円事件』大旦那と幇間 蜜月と破綻」との標題とした。以下は、その一節である。これが問題とされている。

たまたま、今日の朝日に、「サプリメント大国アメリカの現状」「3兆円市場 効能に審査なし」の調査記事が掲載されている。「DHC・渡辺」事件に符節を合わせたグッドタイミング。なるほど、DHC吉田が8億出しても惜しくないのは、サプリメント販売についての「規制緩和という政治」を買いとりたいからなのだと合点が行く。

同報道によれば、我が国で、健康食品がどのように体によいかを表す「機能性表示」が解禁されようとしている。「骨の健康を維持する」「体脂肪の減少を助ける」といった表示で、消費者庁でいま新制度を検討中だという。その先進国が20年前からダイエタリーサプリメント(栄養補助食品)の表示を自由化している米国だという。

サプリの業界としては、サプリの効能表示の自由化で売上げを伸ばしたい。もっともっと儲けたい。規制緩和の本場アメリカでは、企業の判断次第で効能を唱って宣伝ができるようになった。当局(FDA)の審査は不要、届出だけでよい。その結果が3兆円の市場の形成。吉田は、日本でもこれを実現したくてしょうがないのだ。それこそが、「官僚と闘う」の本音であり実態なのだ。渡辺のような、金に汚い政治家なら、使い勝手良く使いっ走りをしてくれそう。そこで、闇に隠れた背後で、みんなの党を引き回していたというわけだ。

大衆消費社会においては、民衆の欲望すらが資本の誘導によって喚起され形成される。スポンサーの側は、広告で消費者を踊らせ、無用な、あるいは安全性の点検不十分なサプリメントを買わせて儲けたい。薄汚い政治家が、スポンサーから金をもらってその見返りに、スポンサーの儲けの舞台を整える。それが規制緩和の正体ではないか。「抵抗勢力」を排して、財界と政治家が、旦那と幇間の二人三脚で持ちつ持たれつの醜い連携。

「大衆消費社会においては、民衆の欲望すらが資本の誘導によって喚起され形成される」とはガルブレイスの説示によるものだ。彼は、一足早く消費社会を迎えていたアメリカの現実の経済が消費者主権ではなく、生産者主権の下にあることを指摘した。彼の「生産者主権」の議論は、わが国においても消費者問題を論ずる上での大きな影響をもった。ガルブレイスが指摘するとおり、今日の消費者が自立した存在ではなく、自らの欲望まで大企業に支配され、操作される存在であるとの認識は、わが国の消費者保護論の共通の認識ー常識となった。

また、消費者法の草分けである正田彬教授は次のように言っている。
「賢い消費者」という言葉が「商品を見分け認識する能力をもつ消費者」という意味であるならば、賢い消費者は存在しないし、また賢い消費者になることは不可能である。高度な科学的性格をもつ商品、あるいは化学的商品など、複雑な生産工程を経て生産されたものについてだけではない。生鮮食料品についてすら、商品の質について認識できないのが消費者である。消費者は、最も典型的な素人であり、このことは、現在の生産体系からすれば当然のことである。必然的に、消費者の認識の材料は、事業者―生産者あるいは販売者が、消費者に提供する情報(表示・広告などの)ということにならざるを得ない。消費者は、全面的に事業者に依存せざるをえないという地位におかれるということである。

このような基本認識のとおりに、現実に多くの消費者被害が発生した。だから、消費者保護が必要なことは当然と考えられてきた。被害を追いかけるかたちで、消費者保護の法制が次第に整備されてきた。私は、そのような時代に弁護士としての職業生活を送った。

それに対する事業者からの巻き返しを理論づけたのが「規制緩和論」である。「行政による事前規制は緩和せよ撤廃せよ」「規制緩和なくして強い経済の復活はあり得ない」というもの。企業にとって、事業者にとって消費者規制は利益追求の桎梏なのだ。消費者の安全よりも、企業の利益を優先する、規制緩和・撤廃の政治があってはじめて日本の経済は再生するというのだ。

アベノミクスの一環としての機能性表示食品制度、まさしく経済活性化のための規制緩和である。コンセプトは、「消費者の安全よりは、まず企業の利益」「企業が情報を提供するのだから、消費者注意で行けばよい」「消費者は賢くなればよい」「消費者被害には事後救済でよい」ということ。

本日発売のサンデー毎日(5月3日号)が、「機能性表示食品スタート」「『第3の表示』に欺されない!」という特集を組んでいる。小見出しを拾えば、「国の許可なく『効能』うたえる」「健康被害どう防ぐ」「まずは食生活の改善 過剰摂取は健康害す」などの警告がならぶ。何よりも読むべきは、主婦連・河村真紀子事務局長の「性急すぎ、混乱に拍車」という寄稿。「健康食品をめぐる混乱は根深く、新制度によるさらなる被害」を懸念している。これが、消費者の声だ。

この問題で最も活発に発言している市民団体である「食の安全・監視市民委員会」は4月18日に、「健康食品にだまされないために 消費者が知っておくべきこと」と題するシンポジウムを開催した。その報道では、「機能性表示食品として消費者庁に届け出した食品の中には、以前、特定保健用食品(トクホ)として国に申請し、「証拠不十分」と却下されたものも交じっている」との指摘があったという(赤旗)。まさに、企業のための規制緩和策そのものだ。

あらためて「合点が行く」話しではないか。消費者の安全の強調は、企業に不都合なのだ。私は、そのような常識をベースに、サプリメント製造販売企業オーナーの政治資金拠出の動機を合理的に推論したのだ。消費者の利益を発言し続ける私の口が、封じられてはならない。
(2015年4月21日)

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