澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

敗戦記念日に、「安倍退陣」と「戦争法案廃案」を再確認

早朝、閑散とした上野公園を散歩する。DHCスラップ訴訟の支援の方からいただいた「article9」デザインのTシャツを着て、昨夜の雨のおかげで涼やかな風の中を歩き出す。

東大本郷キャンパスを鉄門から抜けて、無縁坂を下って不忍池に。今年もみごとに咲いた蓮の花を愛でつつ、弁天堂から清水堂へ。とき忘れじの塔から、上野大仏のご尊顔を拝して、噴水広場が終点。折り返しての帰り道に、五條神社を下って、また不忍池をめぐっての帰宅。ゆっくり歩いて汗ばむ1時間半ほどの道草散歩道。目に触れるものみな、のどかで平和な風景。

70年前の今日のこの公園は、どのようであっただろうかと考える。ここ上野は、維新期には「上野の戦争」の舞台となり、その後「恩賜公園」となった。関東大震災の避難場所となり、東京大空襲の夥しい犠牲者の埋葬地ともなった。その後の70年は、曲がりなりにも平和が続いている。動物園と博物館・美術館そして芸大に象徴される平和。

私のこれまでの人生は、「戦後70年」とほぼ重なる。物心ついたときは、既に「終戦後」だったから、戦前の空気は直接には知らない。一回り上の世代が語る、敗戦の「断絶」と「価値観の大転換」を聞かされて育った。自分でものを考える年齢になって、後天的に「敗戦による歴史の断絶」を学んで胸に刻んだ。

今日は、その歴史の断絶を意識し、再生した日本が国是とした「平和」を考え、噛みしめるべき日なのだ。

当たり前のことだが、ものごとに失敗があったと気付いたときには、失敗の原因を見極めなければならない。失敗の原因について自己に非があれば反省し、被害者には謝罪して、再び同じ失敗を繰り返すことのないように改善策を講じることになる。「原因究明⇒反省・謝罪」の揺るぎないプロセスがなければ、「再発防止の改善策」は出てこない。再発防止への努力の姿勢への信頼や共感を得ることもできない。

「歴史認識」とは、日本が犯した侵略戦争と植民地支配という「壮大な」失敗についての、「原因究明と反省・謝罪」のことである。戦前の何をどう反省して、戦前と対置された戦後の出発点としたのかという問いへのそれぞれの回答なのである。とりわけ、あの戦争をどのようなものと理解するかで、「再発防止」のあり方も異なってくる。

歴史修正主義の立場では、「やむなく仕掛けられた防衛戦争だったが」、「戦力不十分故に負けた」との理解もあり得る。この理解からは、「格段に強力な国防体制をつくりあげて、再び敗戦の憂き目を見ることのない軍国日本を建設しよう」ともなりかねない。

常識的な理解では、
(1) 戦前の天皇制国家が富国強兵を国策とした。
(2) 「富国」と「強兵」の追求が軍国主義と植民地支配政策を生みだした。
(3) 軍国主義は、侵略戦争を引き起こし過酷な植民地支配を支えた。
(4) 内外に未曾有の惨禍を遺して旧日本はいったん滅亡し、
  廃墟の中から別の原理の新日本が再生した。
(5) 日本の再生の原理とは、再びの戦争と植民地支配をせぬこと(平和・国際協調)であり、軍国主義の支柱となった天皇制を廃棄しての民主主義(国民主権)である。

だから、安倍談話は端的に日本に非があったことを率直に認め、「侵略戦争と植民地支配によって近隣諸国の民衆にこの上ない被害をもたらしたことを反省するとともに近隣諸国の民衆に謝罪し、再び平和の脅威とならないことを誓約する」で必要にして十分なのだ。

ところが、昨日の「戦後70年・安倍談話」はこうなってはいない。本心において、侵略戦争をしたという自覚がなく、植民地支配で迷惑をかけたとも思ってはいない。だから、反省も謝罪もしたくはないのだ。ところが、諸般の情勢から、反省や謝罪をしたように見せなければならない羽目に陥って、この外部から強制された起案なのだ。真意とは異なる文章だから、的確にポイントを書けない。末節と装飾が過剰な、ごまかしの長文となってしまっている。だから、およそ人の心を打つところがない。悪文であり、駄文である。

よく読むと、自分の言葉では侵略戦争と植民地支配とについて反省していない。もとより謝罪もない。村山談話・小泉談話が認めた「侵略戦争と植民地支配についての反省と謝罪」は、「歴代内閣の立場」として紹介されているに過ぎない。「歴代内閣の立場は、今後も揺るぎないものであります」という表現はあるが、自分もそれに積極的に賛成するとは言っていない。

この文章は、書き手が、自分の意を正確に伝えたいとも、意のあるところを読み取って欲しいとも思っていない。論理が一貫しないので滑らかさに欠け、ボキボキ折れているようで、読みにくいことこの上ない。歴史的な記述のレベルの低さも覆うべくもなく、これが一国の首相の名で出される文章であるとは情けない。一見無能な筆者が論理的に混乱しているとも思わせるが、起案の官僚がこんな悪文を書く無能力とは考えにくい。やはり意図的に争点をぼかした起案と見るべきであろう。

70年目の8月15日。今日のこの日は、さわやかな散歩で始まったが、安倍談話を読み直して、あらためての怒りのうちに一日が終わろうとしている。反省のないこの危険な人物を、首相の座に就かせておいてはならない。「安倍政治を許さない」「戦争法案を廃案に」との覚悟の必要を再確認する日となった。
(2015年8月15日)

真夏の夜のまやかしー奇々怪々なり安倍談話

安倍談話が発表となった。村山富市の「何を言っているのか、分からん」というのが言い得てまことに妙だ。これが、多くの人の偽らざる気持ちを代弁する名言だろう。ことほどさように、いたずらに目眩ましの贅言が積み重ねられている。意図的に、わけの分からぬ代物に仕立てたのだ。

わけの分からぬ複雑なモノは、見る人それぞれが見たいように見ることができる。安倍の狙いないしは願望はその点にある。苦し紛れ安倍の忍法カメレオンだ。国内世論や、公明党・中・韓には、「侵略・植民地支配・反省・お詫びのキーワードがすべて揃っているでしょう」と言い訳ができるように組み立てた。彼が支持基盤としている国内右翼の面々には、「よく読んでみて。私は自分の見解として何にも言っていない。これまでの政府の立場を承継せざるを得ないというだけのこと」とすり抜けることができる。コウモリ路線を狙ったわけだ。

その評価は、両面から適切になされなければならない。
一面、安倍は言いたくもない「侵略・植民地支配・反省・お詫び」を言わざるを得なかったのだ。歴史修正主義者が、「謙虚に歴史に学ぶ」などと、屈辱的な言葉を口にした。これは、彼が追い詰められている証左だ。このことには自信を持つべきだろう。

他面、実のところ、談話は先の大戦を侵略戦争といわず、天皇制政府の植民地支配を反省していない。歴代政権の立場を踏襲するとはいったが、自分の言葉として反省もお詫びもしていない。中・韓のメディアも国民も、これで納得するはずはない。村山富市その人が、「村山談話が受け継がれたという印象はない」と言っていることに着目しなければならない。

コウモリ路線とはどちらにもよい顔をしようということだが、結局はどちらからも評価されることなく排斥されることになる。それが、安倍の命運なのだ。

安倍晋三とは何者か。歴史修正主義者というだけの人物ではない。「アンダーコントロール」だの「完全ブロック」だのと、平気で嘘を言える人物である。口から出任せを信用できるはずもなかろう。本当に「歴代政権の立場を踏襲する」のなら、まずはただちに戦争法案を撤回しなければならない。この法案は、日米の軍事的連携を深めて、主として中国を牽制しようという法整備である。安倍は、繰りかえし、「これまで以上に日本の安全性は高まる」と言っているが、あちらから見れば挑発行為だ。緊張が高まり、危険が増大することは目に見えている。

次いで、靖国神社参拝根絶を宣言しなければならない。自分だけでなく、閣僚の参拝もさせてはならない。侵略神社への閣僚の参拝が、どんなに中韓両国民の神経を逆撫でしているか、よく知っているはずではないか。

さらに、侵略や植民地支配の反省の立場を明記した歴史教科書を採択させ、つくる会系の歴史修正主義教科書を厳格に排斥することも必要だ。

そうすれば、安倍の評価は少しは上がるはず。どうだ、アベ君。頑張ってみないか。

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安倍談話ーあら面妖な その1
有識者懇の言い分には耳を傾けたとの安倍晋三。どうして、名だたる憲法学者の言には耳を傾けないの。不思議だな。

安倍談話ーあら面妖な その2
「特定の国を想定したものではないと言いながら、ウクライナや南シナ海・東シナ海などで力による現状変更は許すことができない」と言っちゃう。どうして? 不思議だな。

安倍談話ーあら面妖な その3
「最も重要なのは、不戦のメッセージ」などと言いつつ、どうして戦争法案を夏の終わりまでに成立させようというのだろう。どうして? 不思議だな。

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 旗幟鮮明 は叩かれる、
 隠忍自重 と身をすくめ、
 捲土重来 期すべきが、 
 自業自得 の身の破滅。

 美辞麗句 をちりばめて、
 自画自賛 はしておれど、
 奇々怪々 なる文面は、
 四面楚歌 へと一直線。

(2015年8月14日)

国民(私たち市民)の70年談話-戦後70周年を心に刻んで

私たちは、これまでにない危機意識の中で戦後70年目の8月15日を迎えようとしています。私たちにとっての8月15日とは、何よりもまず先の大戦で内外の人びとにもたらせた辛酸、苦痛、悲惨を心に刻む日であり、同時に、同じ過ちを繰り返さないために私たち自身の過去の歴史を真摯に省みるべき日でもあります。
先の大戦で日本は、アジア諸国を侵略し、植民地として、これらの国々とそこに住む人びとに、この上なく甚大な被害と苦痛を与えました。中国においては、人体実験をして生物兵器を開発し、また、毒ガスを使用するなど想像を絶する非人道的な方法で多くの死傷者をだしています。
日本軍が捕虜とした連合国兵士に対しても、捕虜に関する国際条約に反する扱いをし、多くの死傷者を生じさせました。
戦時中、朝鮮半島、中国、フィリピン、インドネシアなど多くのアジア諸国において、そこに住む女性を日本軍が関与して強制的に「慰安婦」と呼ぶ、性奴隷として、人間の尊厳と人権を深く傷つけました。慰安婦とされた女性の多くは、いまなおその時に受けた深い心の傷に苦しんでいます。
また、軍国化した政府が国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れました。軍関係者のみならず、おびただしい非戦闘員の戦争犠牲者を生み出し、この大戦での犠牲者だけで310万人にもおよぶ結果となりました。沖縄は、地上戦の戦場となり、住民の4人に1人が犠牲になりました。広島、長崎には原爆が投下され、人類で最初の被爆国となり、強制的に日本に連れて来られた在日外国人を含む多くの人命を失うとともに、今なお多くの被爆者が後遺障害で苦しんでいます。
私たちは、この深刻な歴史の事実を謙虚に受け止め、心に刻み、政府に対しては、被害を受けた国とそこに住む人々に対し、痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明することを強く求めます。また同時に私たち国民自身も、このような事態を防ぎ得なかったことに責任があったことを自覚し、戦後その自覚に基づく行動が必ずしも十分でなかったことを率直に認めて真摯に反省し、そのことを心からお詫びするとともに、近隣諸国の人びとと手を携えて揺るがぬ平和を構築すべき決意を再確認いたします。また、戦争と植民地支配の歴史がもたらした内外のすべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げ、この歴史の教訓を次の世代に語り伝えていくように努めるとともに、政府に対しては、近隣諸国と真の信頼関係をつくり出すことができる歴史教育を行うよう強く求めます。
日本は、非軍国主義化と民主化の徹底を求めるポツダム宣言を受け入れて、無条件降伏をしましたが、1945年8月15日は、また、新生日本の再出発の日となりました。その後、女性も含む普通選挙で選ばれた議員で組織された第90帝国議会(制憲議会)で、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の3大特色を有する日本国憲法の制定が審議されましたが、当時の内閣総理大臣吉田茂は、「戦争放棄」の規定をおくに至った動機について、日本が今後世界の平和を再び脅かすことがないように、平和主義と民主主義を徹底するためである旨述べております。
私たちは「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようすることを決意し、」(日本国憲法前文)「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、」(同9条)、全世界のすべての人びとが、「恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認」し、「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占め」ることを誓い(同前文)、「不断の努力によって、これを保持し」(同12条)ていくことを心に刻みました(同97条)。

戦後、まもなく始まった東西冷戦の中で、1951年に政府は、連合国との間で講和条約を締結するとともに、アメリカとの間で安全保障条約を締結し、1954年には、アメリカの意向を受けて自衛隊を創設しました。ただ、沖縄は、その後も、アメリカの占領が長く続き、アメリカ軍の基地が集中することになり、今日の問題の原因を作り出すことになりました。
私たちの国では、以後、平和主義と軍事化の問題が政治の争点として一貫して続くこととなりました。私たちは、原水爆禁止平和運動、安保改定反対運動、沖縄復帰の運動など平和で真に自立した国となるべく運動を続けるとともに、砂川、長沼訴訟、厚木、横田、嘉手納等基地公害訴訟、教科書裁判、戦後補償裁判、「君が代」訴訟など多くの訴訟を提起するなどして、日本国憲法を血肉化するため努めてきました。
歴代内閣は、国民の強い声に押されて、憲法9条の下では、集団的自衛権の行使は認められないとの考えを示し、アメリカの軍備拡張の要求に対しては、憲法9条を盾に非軍事の政策を重視する対応をしてきました。このことが日本の経済発展をもたらす一因となりました。
東西冷戦中、世界では、朝鮮戦争、ベトナム戦争アフガニスタン紛争など多くの紛争が生じましたが、日本は、常に国民の強い意思を背景に、参戦したり、他国の戦争に直接加担することを避ける選択をし、広く非軍事で世界の平和に貢献すべく努めてきたことに対して、評価を得てきました。
私たちは、唯一の被爆国として、核兵器が非人道の極みであるとの自覚に立って、政府に対し、核抑止力に依らない安全保障の検討を求め、人類を破滅させる危険性のある核兵器の廃絶に向けた運動を継続してきましたが、今の時代にあって、ますますこのことが重要になってきています。
この戦後70年の中で、2011年の東日本大地震後の福島原発事故による地球環境の汚染は、持続可能な社会を破壊し、人類の生存を危険にさらすことを明らかにしました。核管理の難しさと人類の歴史を遙かに超える核廃棄物の無害化の時間にかんがみても、原発を廃止した上で、人びとが安心して生活し、住み続けることのできる持続可能な社会を創っていかなければなりません。
私たちは、戦後70年、憲法の精神を生かし、戦争をせず、戦争に加担もせず、非軍事で世界の平和に貢献したことが、アジアの近隣諸国との信頼関係を維持し、平和な世界を創っていくことを学びました。私たちはこの70年の貴重な経験を心に刻み、未来を考える礎にしてまいります。
私たちがこの夏かつてない危機意識を持つに至ったのは、安倍首相率いる政権与党が、閣議決定のみで集団的自衛権行使についての解釈を変え、今国会で、安全保障関連法案を強引に成立させようとしているからです。
しかしながら、安倍首相が、先の大戦で、日本がアジア諸国を侵略し、そこに住む人びとに甚大な被害と苦痛を与えたことを痛切に反省され、日本が再び世界の平和を脅かすことがないようにするため、現行憲法が制定されたことに思いが至ったならば、安全保障関連法案の提出は本来あり得ないことです。安全保障関連法案は、戦後日本の平和の歩み大きく踏み外すものであり、立憲主義にも反し、違憲です。私たちは、安全保障関連法案の廃案を目ざし、粘り強く活動していくこととします。
私たちは、この機会に改めて、戦後70年の間、日本が一度も戦争をせず、平和であり続けるためにたゆまぬ努力を続けてきた先人と、非軍事で世界の平和に貢献することの重要性を評価した国際連合および近隣諸国をはじめ世界の国々とそこ住む全ての人びとに心から感謝致すとともに、日本国憲法の理念に従い、全世界のすべての人びとが平和のうちに生存する権利を有することを踏まえ、非軍事であらゆる方法を駆使することにより平和な世界を構築するため不断に努力を続けていくことを誓います。
    国民(私たち市民)の70年談話実行委員会
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明日(8月14日)安倍政権の「戦後70年談話」が発表になる。内容は、蓋を開けてみるまでは分からない。

もとより天下に名だたる歴史修正主義のお家元・安倍晋三のこと。植民地支配は八紘一宇・五族協和と信じ込んでいるのだろうし、侵略も自存自衛の防衛戦争と言い張りたいのがホンネのところ。安倍談話を出すと言い出したころには、「村山(50年)談話・小泉(60年)談話を引き継ぐだけなら安倍(70年)談話を出す意味がない」と安倍カラーを出すことに意欲満々だった。

しかし、明らかに彼の思惑は外れた。今や、「国民世論環境の変化」による風圧は強い。到底彼の思い通りの談話が出せる情勢にない。彼の本心を披瀝する談話は、安倍内閣の存在そのものを吹き飛ばしかねない。彼は本心を口にすることはできない。いやいやながらも、植民地支配や侵略を表現せざるを得ないのだ。

とはいうものの、支持者の手前遠慮ばかりもしておられない。少しはホンネも語ってみたい。明日の安倍談話は、ジレンマの末に、自分を取り巻く状況をどの程度深刻にとらえているか、その認識の表明にほかならない。安倍が正確に事態を認識しているとすれば、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んででも、自身の本心から遙かに乖離した内容の発言をしなければならない。キーワードとを含んでの村山談話の承継やむなし、なのである。

本日(8月13日)安倍政権の談話に対峙する「国民の70年談話」が必要と考えた者が企画したシンポジウムが開催された。憲法が前提とした歴史認識を正確に踏まえるとともに、戦後日本再出発時の憲法に込められた理念を再確認して、諸分野での「戦後」をトータルに検証のうえ、「国民の70年談話」を採択しようというものである。

シンポジウムのタイトルは、「『国民の70年談話』─日本国憲法の視座から~過去と向き合い未来を語る・安全保障関連法案の廃案をめざして~」というもの。
3部構成で、途中に日フィルの弦楽四重奏の演奏がはいった。
◆第1部 「過去と向き合う」 有識者の講演
◇日フィルの演奏 「鳥の歌」など
◆第2部 「未来を語る」 会場発言リレートーク
◆第3部 「国民(私たち市民)の70年談話」の発表と採択

第1部の「過去と向き合うは」各パネラーからの以下のレクチャー。
■戦後改革における民主主義の理念と現状
  堀 尾 輝 久(元日本教育学会・教育法学会会長)
■人間らしい暮らしと働き方のできる持続可能な社会の実現に向けて
  暉 峻 淑 子(埼玉大学名誉教授)
■日本国憲法を内実化するための闘い─砂川・長沼訴訟の経験から
  新 井  章 (弁護士)
■日本国憲法の立憲主義体制を否定する強権政治
  杉 原 泰 雄 (一橋大学名誉教授)

第2部「未来を語る」は、シールズ、安保関連法案に反対するママの会、日本ジャーナリスト会議(JCJ)、杉並市民の会、「日の丸・君が代」訴訟原告団、婦人有権者同盟、日航乗員労働組合、沖縄からの報告、「女の平和」などの運動体から生き生きした報告がなされた。いろんな分野から、自発性の高い、創意と工夫に満ちた運動の報告は、実に新鮮で刺激的なものだった。戦後70年の今、安倍政権を樹立した反憲法勢力と、憲法を携えた国民運動がせめぎ合っていることを実感するとともに、戦争法案を廃案にして平和や憲法を擁護していく展望を与えてくれるものだった。

そして第3部で、前掲の「談話」が読み上げられ満場の拍手で採択された。

願わくは、明日の安倍談話が、最大限に彼の本心を押し殺し、「国民(私たち市民)の談話」にできるだけ近似したものとなって欲しいものである。
(2015年8月13日)

「13日・国民の70年談話」を、「14日・安倍談話」評価の物差しに

8月14日に予定されている安倍談話。「戦後70年談話」と銘打って、近隣諸国へのメッセージとして発信するものとなれば、その骨格は下記のようなものとなろう。

(1) 70年前の敗戦を分岐点として、その前後で歴史は二分されているという認識のもと、
(2) 未曾有の惨禍をもたらした先の大戦を総括して、
(3) 70年前における日本の再出発の理念を再確認し、
(4) 戦後70年間その理念は堅持されたかを検証し、
(5) 今後さらにその理念の実現を目指した未来を語る。

「戦後」談話なのだから、戦争と平和がテーマとなる。戦前の軍国主義や植民地支配が加害被害両面の戦争の惨禍をもたらし、国民の敗戦体験が恒久平和主義の理念を生みだしたことを述べ、戦後70年は曲がりなりにもその平和が保たれた貴重な時代であって、この先も平和が継続するよう努力しなければならない、と結ばれることになろう。

上記の構成で戦争と平和を語れば、次のようなものとならざるを得ない。
「先の大戦は侵略戦争であった。過酷な植民地支配と相俟って、日本は近隣諸国民にこの上ない悲惨と苦痛を与えた。日本は、このことを深く反省し、心から謝罪する。70年前、日本は平和で民主的な国家として再出発した。憲法が最重要の理念とする平和は、この70年間なんとか続いた。さらにこれからも平和持続のための努力を誓う」

これが、戦後継続した保守政権が採用してきた常識的な立場である。念のため、談話の主語は「日本国を代表する首相」である。敗戦をはさんでも、日本という国家に継続性が認められる以上、戦前の天皇制政府が行った植民地支配と侵略戦争については、国家・国民を代表して現首相が反省と謝罪をすべきが当然であろう。

これと比較して、「国民の戦後70年談話」の方は、首相談話のようにシンプルな構成とはなりにくい。それは、主として、国民(あるいは「市民」・「私たち」)の立場の多様性にある。

国民とは、一面は被治者であると同時に主権者でもある。戦前は臣民に過ぎなかった存在が、戦後は理念においては主権者となった。しかし、実のところは権力による統治の対象としてあり続けてもいる。

その国民が戦前において戦争や軍国主義・国家主義に演じた役割はどのようなものだったのだろうか。欺され、煽られ、操作されて戦争に駆り出された人々もあれば、積極的に富国強兵策に加担して利益に預かった人々もいる。また、天皇制政府に徹底して抵抗し反戦運動の故に過酷な弾圧を受けた人々もいるのだ。

「侵略戦争」や「植民地支配」という評価は、客観的なものとしてなしうる。しかし、反省や謝罪のあり方は、それぞれの立場において異なるものとなる。たとえば、国民(市民・私たち)の中に、在日の人々やニューカマーを含むとして、その人々を日本人と同じように「反省」や「謝罪」の主体とする不自然は明らかだろう。戦前平和を求める運動で過酷な弾圧を受けた人々についても、同様である。

国民(市民)の立場から、反省や謝罪をするのかについては微妙な問題がある。少なくとも、「日本国政府に対して、近隣諸国の民衆への加害責任を自覚して、徹底した反省と謝罪をするよう要求する」ことには異論がない。しかし、それだけでよいのか。戦後に生まれた世代の国民(市民)にも、加害者としての責任があり、反省と近隣諸国への謝罪が必要だろうか、必要とすれば何について反省し、どのように謝罪すべきなのか。このあたりの書きぶりは微妙なところである。とりわけ、謝罪が前面に出て来ると、談話の主体として、在日の人々を含むとすることが奇妙なこととなってくる。

戦後70年の総括については、憲法的視座からはさほど困難な問題はない。一貫して保守政権が9条を中心とする改憲を策動し、国民が憲法を擁護してきた。政府がアメリカに従属しながら自衛隊を創設し防衛力を増強し、国民の側がこれに対峙して憲法と平和を擁護してきた70年であった。国民の平和を求める運動の中で、54年のビキニ水爆実験に端を発した原水爆禁止運動と、60年の安保改定阻止運動の盛り上がりとその影響は特筆すべきものであった。

現時点での、安倍政権動向はきわめて危険であり、これから先の「未来志向」において、政権と国民の立場の違いは大きい。安倍談話の未来志向の基本は、「積極的平和主義」となるだろう。「消極的に何もしないで平和を待つのではなく、平和を求める諸国と共同して積極的に平和を創出する」覚悟が語られることだろう。

おそらくは、ここが対決点だ。安倍談話は、積極的平和主義の名のもとに何をしようというのだろうか。明らかに、自衛隊を世界中に派遣することが想定されている。あるいは集団的自衛権行使という戦争が想定されている。軍事力がもたらす「武力に基づく平和」の思想である。互いの軍備による抑止力に依存した「平和」。国民の側は、これに憲法9条が指し示す「武力によらない平和」を対置しなければならない。「平和を望むなら戦争を語らねばならない」ではなく、「平和を望むなら、もっともっと平和を語る」努力をしなければならない。それが、「憲法の視座から」の談話の主要な意味である。

国民の談話は、13日のシンポジウムで発表される。そして、14日には、安倍談話の発表となる。歴史認識と平和のあり方において、彼我の意識の差が明確になるだろう。13日発表の「国民談話」を、安倍談話評価の物差しとして使っていただきたい。
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なお、下記のURLが、8月13日「国民の70年談話」シンポジウムの確定内容のチラシになっています。
ぜひとも拡散をお願いいたします。
http://article9.jp/documents/symposium70th.pdf

集会のコンセプトは次のとおりです。
いま、政権と国民が、憲法をめぐって鋭く対峙しています。
その政権の側が「戦後70年談話」を公表の予定ですが、これに対峙する国民の側からの「70年談話」を採択して発表しようというものです。
そのことを通じて、彼我の歴史認識や平和な未来への展望の差異を明確にし、きちんとした批判をし、国民の立場からの平和な未来の展望を語ろうという企画です。

日時■2015年8月13日(木)11時~13時40分
(開場10時30分)
会場■弁護士会館 2階講堂「クレオ」ABC
  http://www.nichibenren.or.jp/jfba_info/organization/map.html
■参加費無料 (カンパは歓迎)
<シンポジウム>「国民の70年談話」─日本国憲法の視座から~過去と向き合い未来を語る・安全保障関連法案の廃案をめざして~
◇第1部 過去と向き合う
■戦後70年日本が戦争をせず、平和であり続けることが出来たことの意義
  高 橋 哲 哉(東京大学教授)
■戦後改革における民主主義の理念と現状
  堀 尾 輝 久(元日本教育学会・教育法学会会長)
■人間らしい暮らしと働き方のできる持続可能な社会の実現に向けて
  暉 峻 淑 子(埼玉大学名誉教授)
■日本国憲法を内実化するための闘い─砂川・長沼訴訟の経験から
  新 井  章 (弁護士)
■安全保障関連法案は憲法違反である
  杉 原 泰 雄 (一橋大学名誉教授)
◇レクイエム 弦楽四重奏(日本フィルハーモニー)
◇第2部 未来を語る会場発言リレートーク
  お一人5分間でお願いします。時間の許す限り。
◇第3部 「国民の70年談話」の発表と採択
(2015年8月11日)

戦後70年「安倍談話」は8月14日に。「国民の談話」は8月13日に。

<シンポジウム>「国民の70年談話」─日本国憲法の視座から
~過去と向き合い未来を語る・安全保障関連法案の廃案をめざして~
の確定プログラムのお知らせです。

開場が10時30分。プログラムは11時~13時40分となります。
プログラムの全体を、3部構成にしました。
◆第1部 「過去と向き合う」 有識者の講演
  あの戦争と戦後70年を、各分野で振り返っての
◇日本フィルハーモニー 戦没者鎮魂の弦楽四重奏演奏
◆第2部 「未来を語る」 会場発言リレートーク
  若者、女性、憲法課題に取り組んでいる立場から
  (高校生や大学生、母親、若手弁護士、
   裁判で闘っている方などに発言を依頼しています)
◆第3部 「国民の70年談話」の発表と採択

下記のURLが、シンポジウムの確定内容のチラシになっています。
ぜひとも拡散をお願いいたします。
http://article9.jp/documents/symposium70th.pdf

集会のコンセプトは次のとおりです。
いま、政権と国民が、憲法をめぐって鋭く対峙しています。
その政権の側が「戦後70年談話」を公表の予定ですが、これに対峙する国民の側からの「70年談話」を採択して発表しようというものです。
そのことを通じて、彼我の歴史認識や平和な未来への展望の差異を明確にし、きちんとした批判をし、国民の立場からの平和な未来の展望を語ろうという企画です。

日時■2015年8月13日(木)11時~13時40分
(開場10時30分)
会場■弁護士会館 2階講堂「クレオ」ABC
  http://www.nichibenren.or.jp/jfba_info/organization/map.html
■参加費無料 (カンパは歓迎)
<シンポジウム>「国民の70年談話」─日本国憲法の視座から~過去と向き合い未来を語る・安全保障関連法案の廃案をめざして~
◇第1部 過去と向き合う
■戦後70年日本が戦争をせず、平和であり続けることが出来たことの意義
  高 橋 哲 哉(東京大学教授)
■戦後改革における民主主義の理念と現状
  堀 尾 輝 久(元日本教育学会・教育法学会会長)
■人間らしい暮らしと働き方のできる持続可能な社会の実現に向けて
  暉 峻 淑 子(埼玉大学名誉教授)
■日本国憲法を内実化するための闘い─砂川・長沼訴訟の経験から
  新 井  章 (弁護士)
■安全保障関連法案は憲法違反である
  杉 原 泰 雄 (一橋大学名誉教授)
◇レクイエム 弦楽四重奏(日本フィルハーモニー)
◇第2部 未来を語る会場発言リレートーク
  お一人5分間でお願いします。時間の許す限り。
◇第3部 「国民の70年談話」の発表と採択

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 戦後70周年を迎える今年の夏、憲法の理念を乱暴に蹂躙しようとする政権と、あくまで憲法を擁護し、その理念実現を求める国民との対立が緊迫し深刻化しています。
 この事態において、政権の側の「戦後70年談話」が発表されようとしていますが、私たちは、安倍政権の談話に対峙する「国民の70年談話」が必要だと考えます。
 そのような場としてふさわしいシンポジウムを企画しました。憲法が前提とした歴史認識を正確に踏まえるとともに、戦後日本再出発時の憲法に込められた理念を再確認して、平和・民主主義・人権・教育・生活・憲法運動等々の諸分野での「戦後」をトータルに検証のうえ、「国民の70年談話」を採択しようというものです。
 ときあたかも、平和憲法をめぐるせめぎ合いの象徴的事件として安全保障関連法案阻止運動が昂揚しています。併せて、この法案の問題点を歴史的に確認する集会ともしたいと思います。
 ぜひ、多くの皆さまのご参加をお願いいたします。

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主 催■「国民の70年談話」実行委員会
    代表・新井 章   事務局長・加藤文也
連絡先■東京中央法律事務所(電話 03-3353-1911)

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報じられるところでは、戦後70年の安倍談話の発表は8月14日(金)になる模様である。この日、閣議決定を経て出される首相談話は、日本の戦争と戦後の歴史の総括的評価に関する公式文書となる。
既に、戦後50年村山首相談話が「植民地支配と侵略を、痛切に反省し心からお詫び」するものと出され、これが国の公的な歴史認識として定着し、小泉首相60年談話がこれを踏襲した。「戦後レジームからの脱却」を呼号する、歴史修正主義者安倍晋三が70年談話を出そうというのだから、村山談話修正に執念を燃やしてのことだとは誰にでも分かることだ。

ところが、天の時、地の利、人の和、すべてが安倍の思惑とは大きくかけ離れてしまった。到底中央突破で我意を押し通せる事態ではない。依拠する右翼の諸君のために、多少なりとも村山談話にケチをつけなければならない。その落としどころとして「侵略」「植民地支配」のキーワード外しを考えていたのに、有識者懇談会の答申が、「侵略」も「過酷な植民地支配」も盛り込んでしまった。これをことさらに省けば、内外からの袋叩きが目に見えている。「反省」も然りだ。

残るは「痛切なおわび」。これはなんとかごまかしたい。これを取り入れたら、安倍カラーは皆無。なんのために70年談話発表を言い出したのか、わけが分からなくなってしまう。

そんな見方が一般的で、「安倍談話の原案『おわび』盛らず」となりそうなのだ。一部の報道では、「首相が7日夜に自民、公明両党幹部に示した原案には、戦後50年の村山談話や戦後60年の小泉談話に盛り込まれたアジア諸国への「おわび」の文言が入っていないことが分かった。」とされている。また、「原案には過去の大戦に対する『反省』は盛り込まれていたが、『植民地支配と侵略』については、必ずしも明確な位置づけではなかった。このため、公明側は『なぜ日本は反省をするのか。その対象を明確にしないと伝わらない』と主張し、『侵略』という文言もしっかりと位置づけるよう求めた。」(朝日デジタル)ともいう。

この詳報のソースは、公明党幹部のメディアへのリーク以外に考えがたい。公明が、安倍を牽制にかかっているのだ。安倍をめぐる「人の和」が崩壊を始めている。

また、8月7日の日テレ報道は「来週発表する戦後70年の首相談話について、安倍首相が過去の村山談話などに盛り込まれた『侵略』との表現を踏襲しない方向で調整していることがわかった。」と報じている。「6日、安倍首相に提出された有識者会議の報告書では『侵略』を明記したが、2人の委員からは異議が出ていた。7日、安倍首相はこうした点をあげながら、『侵略』との表現を踏襲しないことをにじませた」という。なんともフザケた話し。

実のところ、安倍談話がどういうものとなるかは、当日まで分からない。安倍自身も、自分の意思をどこまで貫けるのか、大いに迷っていることだろう。「国民の70年談話」は、先行する安倍談話を批判するものとして案文を作れるものと考えていたが、後出しジャンケンはできそうにない。

侵略戦争や植民地支配という歴史認識に揺るぎがあろうはずはない。これを踏まえて、首相談話には「痛切な反省」と「心からお詫び」が不可欠である。しかし、国民の談話ではどうだろうか。日本の天皇制ファシズムや超国家主義・軍国主義は、近隣諸国民衆の敵であっただけでなく、日本の民衆の敵でもあった。リベラルな日本の良心も、かつての日本国家から野蛮な弾圧を受けたのである。日本の「国民」のどの部分の立場を代理するかで、「反省とお詫び」の内容は大きく変わってくる。

さらには、未来をどう志向するかの問題について、政権と国民の立場の違いは大きい。安倍談話の未来志向の基本は、「積極的平和主義」となるだろう。「消極的に何もしないで平和を待つのではなく、平和を求める諸国と共同して積極的に平和を創出する」覚悟が語られることだろう。

ここが対決点だ。安倍は積極的に何をしようというのか。明らかに自衛隊を世界に派遣することが想定されている。あるいは集団的自衛権という武力による威嚇がもたらす「武力に基づく平和」の思想である。互いの軍備による抑止力に依存した「平和」。国民の側は、これに憲法9条が指し示す「武力によらない平和」を対置しなければならない。「平和を望むなら武力の整備を」ではなく、「平和を望むなら、武力を減らし、なくす」努力をしなければならない。

安倍首相は14日に談話を閣議決定した上で会見する方針という。またまた、同じことを繰り返し、丁寧にはぐらかして説明するのだろう。それでも、きちんと安倍の説明を聞き、きちんと批判しよう。
(2015年8月9日)

8月13日(木)11時~ 日弁連講堂「クレオ」で、<シンポジウム>「国民の70年談話」─日本国憲法の視座から 拡散のお願い

下記のURLが、シンポジウムのチラシになっています。
ぜひとも拡散をお願いいたします。
http://article9.jp/documents/symposium70th.pdf

企画の総合タイトル 
シンポジウム「国民の70年談話」ー日本国憲法の視座から
過去と向き合い未来を語る・安全保障関連法案の廃案をめざして

日時■2015年8月13日(木)午前11時~午後1時20分
会場■弁護士会館 2階講堂「クレオ」ABC
  ・東京メトロ丸ノ内線、日比谷線、千代田線「霞ヶ関駅」B1-b出口より直通
  ・東京メトロ有楽町線「桜田門駅」5番出口より徒歩8分
■参加費無料 (カンパは歓迎)

戦後70周年を迎える今年の夏、憲法の理念を乱暴に蹂躙しようとする政権と、あくまで憲法を擁護し、その理念実現を求める国民との対立が緊迫し深刻化しています。
この事態において、政権の側の「戦後70年談話」が発表されようとしていますが、私たちは、安倍政権の談話に対峙する「国民の70年談話」が必要だと考えます。
そのような場としてふさわしいシンポジウムを企画しました。憲法が前提とした歴史認識を正確に踏まえるとともに、戦後日本再出発時の憲法に込められた理念を再確認して、平和・民主主義・人権・教育・生活・憲法運動等々の諸分野での「戦後」をトータルに検証のうえ、「国民の70年談話」を採択しようというものです。
ときあたかも、平和憲法をめぐるせめぎ合いの象徴的事件として安全保障関連法案阻止運動が昂揚しています。併せて、この法案の問題点を歴史的に確認する集会ともしたいと思います。
ぜひ、多くの皆さまのご参加をお願いいたします。

スケジュール
《第一部》過去と向き合う
■戦後70年日本が戦争をせず、平和であり続けることが出来たことの意義
  高橋哲哉(東京大学教授)
■戦後改革における民主主義の理念と現状
  堀尾輝久(元日本教育学会・教育法学会会長)
■人間らしい暮らしと働き方のできる持続可能な社会の実現に向けて
  暉峻淑子(埼玉大学名誉教授)
■日本国憲法を内実化するための闘い─砂川・長沼訴訟の経験から
  新井 章(弁護士)
■安全保障関連法案は憲法違反である
  杉原泰雄(一橋大学名誉教授)

《第二部》未来を語る
◆若者・高校生・大学生・女性・母親・ジャーナリスト・教員…
 多くの人がそれぞれに語る未来の展望

《第三部》「70年談話」
◆「国民の70年談話」の発表と参加者による採択

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政権と国民とが、憲法をめぐって鋭く対峙している。戦後70年の今日、平和憲法が最大の危機にある。その憲法を蹂躙しつつある政権の側が公表しようとしている「戦後70年談話」に対決する、国民の側からの「70年談話」が必要と考える。

政権の談話に対峙する「国民の側の談話」は、政権の歴史認識を批判し、平和な未来への展望を語るものとなるだろう。

たまたま、本日(8月4日)の朝日新聞朝刊15面に、あの「敗北を抱きしめて」の著者であるジョン・ダワーのインタビュー記事が掲載されている。表題は「日本の誇るべき力」だが、内容を紹介する冒頭の見出しが「国民が守り育てた反軍事の精神 それこそが独自性」というもの。

ダワーは、政府と国民を明確に区別し、「日本の誇るべき力(ソフトパワー)」を「国民が守り育てた反軍事の精神」と高く評価している。多くの国民が同じ思いであろう。

「国民の70年談話」に参考となると思われる部分を抜粋しておきたい。

「世界中が知っている日本の本当の力(ソフトパワー)は、現憲法下で反軍事的な政策を守り続けてきたことです」

「1946年に日本国憲法の草案を作ったのは米国です。しかし、現在まで憲法が変えられなかったのは、日本人が反軍事の理念を尊重してきたからであり、決して米国の意向ではなかった。これは称賛に値するソフトパワーです。変えたいというのなら変えられたのだから、米国に押しつけられたと考えるのは間違っている。憲法は、日本をどんな国とも違う国にしました」

「このソフトパワー、反軍事の精神は、政府の主導ではなく、国民の側から生まれ育ったものです。敗戦直後は極めて苦しい時代でしたが、多くの理想主義と根源的な問いがありました。平和と民主主義という言葉は、疲れ果て、困窮した多くの日本人にとって、とても大きな意味を持った。これは、戦争に勝った米国が持ち得なかった経験です」

「幅広い民衆による平和と民主主義への共感は、高度成長を経ても続きました。敗戦直後に加えて、もう一つの重要な時期は、60年代の市民運動の盛り上がりでしょう。反公害運動やベトナム反戦、沖縄返還など、この時期、日本国民は民主主義を自らの手につかみとり、声を上げなければならないと考えました。女性たちも発言を始め、戦後の歴史で大切な役割を果たしていきます」

「繰り返しますが、戦後日本で私が最も称賛したいのは、下から沸き上がった動きです。国民は70年の長きにわたって、平和と民主主義の理念を守り続けてきた。このことこそ、日本人は誇るべきでしょう。一部の人たちは戦前や戦時の日本の誇りを重視し、歴史認識を変えようとしていますが、それは間違っている」

この観点、この視座において、「国民の70年談話」をまとめたいものと思う。
(2015年8月4日)

8月13日(木)11時~ 日弁連講堂「クレオ」で、「国民の70年談話」ー日本国憲法の視座から 企画のご案内

「安倍・戦後70周年談話」に対峙する、「国民の70年談話」を採択しようという企画のお知らせです。ぜひ多数ご参加ください。できれば、拡散をお願いいたします。

企画の総合タイトル 
「国民の70年談話」ー日本国憲法の視座から
過去と向き合い未来を語る・安全保障関連法案の廃案をめざして

日時 8月13日(木) 11時~14時
場所 日弁連講堂クレオ(霞ヶ関・弁護士会館2階)
参加費無料ですが、企画へのカンパを歓迎いたします。

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(企画の主旨)
 戦後70周年を迎える今年の夏、憲法の理念を乱暴に蹂躙しようとする政権と、あくまで憲法を擁護し、その理念実現を求める国民との対立が緊迫し深刻化しています。
 この事態において、政権の側の「戦後70年談話」が発表されようとしていますが、私たちは、安倍政権の談話に対峙する「国民の70年談話」が必要だと考えます。
 そのような場としてふさわしいシンポジウムを企画しました。憲法が前提とした歴史認識を正確に踏まえるとともに、戦後日本再出発時の憲法に込められた理念を再確認して、平和・民主主義・人権・教育・生活・憲法運動等々の諸分野での「戦後」をトータルに検証のうえ、「国民の70年談話」を採択しようというものです。
 ときあたかも、平和憲法をめぐるせめぎ合いの象徴的事件として安全保障関連法案阻止運動が昂揚しています。併せて、この法案の問題点を歴史的に確認する集会ともしたいと思います。
 ぜひ、多くの皆さまのご参加をお願いいたします。
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◆それぞれの分野における「戦後70年」検証の発言
■戦後70年日本が戦争をせず、平和であり続けることが出来たことの意義
   高橋哲哉 (東京大学教授)
■戦後改革における民主主義の理念と現状
   堀尾輝久 (元日本教育学会・教育法学会会長)
■人間らしい暮らしと働き方のできる持続可能な社会の実現に向けて
   暉峻淑子 (埼玉大学名誉教授)
■日本国憲法を内実化するための闘い──砂川・長沼訴訟の経験から
   新井章 (弁護士)
■安全保障関連法案は憲法違反である 
   杉原泰雄 (一橋大学名誉教授) 
   (なお、杉原先生にはご予定の日程調整をお願いしているところです)
◆「国民の70年談話」の発表と参加者による採択
主催※「国民の70年談話」実行委員会 代表・新井章  
  ※事務局長・加藤文也 (連絡先 東京中央法律事務所)
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いま、政権と国民が、憲法をめぐって鋭く対峙しています。
その政権の側が「戦後70年談話」を公表の予定ですが、これに対峙する国民の側からの「70年談話」を採択して発表しようというものです。そのことを通じて、彼我の思想の差異を明確にし、きちんとした批判をしようというねらいです。
なお、集会のタイトル、主旨等は暫定案とご理解ください。企画の具体化が進行の都度、繰りかえしご案内申し上げます。
(2015年7月25日)

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