澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

都教委は、学校への「半旗掲揚依頼」を拒絶する防波堤でなければならない。

(2022年8月7日)
 昨日(8月6日)の東京新聞朝刊トップ記事が、「都教委も半旗掲揚依頼 安倍元首相葬儀 都立255校に文書送信」の大見出し。のみならず、22面と23面の「こちら特報部」に詳細な関連記事。その見出しを連ねてみる。

《安倍氏葬儀に都教委が半旗依頼 「政治的中立に反する行為」背景は?》
《弔意の「強制」 日の丸・君が代問題と同根》
《「教員、生徒たちへの刷り込み心配」》
《「特定の政党を支持してはならない」 教育基本法に明記しているのに》
《教育行政への侵食 安倍政権下で進行》

ネット記事では、もう少し見出しが増える。
《複数校が掲げる》
《都の担当者「強制したつもりはない」》
《政治的中立求める教育基本法に反する恐れ》
《東京以外にも相次ぎ判明》
《国の関与を疑う声も》
《「不当な支配」国が都合よく解釈し、介入》

https://www.tokyo-np.co.jp/article/194182
https://www.tokyo-np.co.jp/article/194189

 一面トップの記事のリードは以下のとおり
 「東京都教育委員会が先月12日の安倍晋三元首相の葬儀に合わせ、半旗を掲揚するよう求める文書を都立学校全255校に送り、現実に複数校がこれに応じて半旗を掲揚して学校として安倍氏に対する弔意を表明していた掲揚していたことが分かった。専門家は「政治的中立を求める教育基本法に反する恐れがある」と指摘。同様の依頼は川崎、福岡市などでも判明している。」

 「特報部」のリードは以下のとおり。

 「首都・東京の教育委員会が、安倍晋三元首相の葬儀の日に半旗掲揚を求めていたことが判明した。教育基本法の「政治的中立」に反する恐れを専門家は指摘するが、少なくとも全国7自治体の教委も同様の要請を行っていた。「弔意は強制していない」と口をそろえる様子から浮かぶのは、子どもや教師の権利に無頓着な教育行政の姿だ。こんな状態で、世論を二分する「国葬」を行って大丈夫なのか。

 以上の見出しとリードで、この記事の言わんとするところは十分に通じる。教育の本質に切り込んだ報道として高く評価しなければならない。東京新聞に敬意を表したい。蛇足ながら、東京新聞の見出しをつなげてみるとこんなところだ。

 安倍晋三の葬儀というまったくの私的な行事に合わせて、東京都教育委員会が全都立学校に半旗を掲揚するよう依頼の通知を発し、現実にこれに従って複数の学校が半旗を掲げて安倍に対する弔意を表明したことが分かった。
 安倍晋三と言えば、特定政党の特定政治主張に旗幟鮮明な復古主義政治家である。このような毀誉褒貶激しい政治家の私的な葬儀に学校が公的に弔意を表するのは、本来的に教育に要請されている政治的中立性に明らかに反する違法な行為である。教育基本法14条2項が「学校は特定の政党を支持してはならない」と明記しているのにどうしてこんなことになってしまっているのだろうか。

 この都教委による学校現場に対する要請は、当局は否定しているが、事実上の「弔意の強制」にほかならない。生徒・教員の思想・良心の自由をないがしろにしている点で、同じ都教委が生徒・教員に、国家への敬意表明を強制し続けている「日の丸・君が代」問題と、同根と言わねばならない。

 このような「教育行政が教育を侵食する本来あってはならない現象」は、安倍政権下で進行してきたもので、現場の教員は、あたかも安倍氏やその政治路線が正しいものであるような、学校という教育装置を違法に使っての生徒たちへの刷り込みの効果を心配している。

 もとより教育は特定政治勢力によって支配されてはならず政治一般から独立しなければならない。また、教育が特定の政党や政治家を支持したり支援するようなことは絶対にしてはならない。そのことは、教育基本法に明記されているのに、教育は本来のあり方から、大きくねじ曲げらた現状にある。これは、政治が教育行政に大きく侵食してきた結果であって、このことは安倍政権下で進行してきた憂うべき現象である。同様のことが、都教委にとどまらず全国で生じているということから、国の関与を疑う声もある。教育基本法によって禁じられている「不当な支配」を、国が都合よく解釈して、「政治が行政に介入し、行政が教育に介入する」ということが常態化してしまっているのではないか。

何が最大の問題か。
 通夜があった7月11日に都総務局が作った「事務連絡」は、半旗掲揚について「特段の配慮をお願いしたい」とし、11、12日の掲揚を依頼したものだという。これが、教育庁を含む各部署にメールで送られ、教育庁(都教委事務局)が都立高校や特別支援学校に転送した。
 このことについて、都教委の担当者は「事務連絡を転送しただけで、掲揚するかは各校の校長に任せた。弔意を強制したつもりはない」と言う。この都教委の弁解に最大の問題点が表れている。いったい何が問題なのか、都教委はまったく分かっていないようなのだ。

 教育委員会は自らが教育に介入することは厳に慎まなければならないというだけではない。その重要な任務として、教育を支配し介入しようという外部勢力からの防波堤となって教育を擁護しなければならない。

 都の総務局が安倍の葬儀に半旗をという発想も批判されなければならないが、教育庁の特殊性を考慮せずに他と同様のメールを送信したことは不見識甚だしい。そして、これを各学校に転送した都教委は、明らかに任務違反である。これに従った校長の責任も厳しく問われなければならない。なんとまあ、この世には、忖度がはびこったものか。その元兇は、安倍晋三なのだが。

私たちは、人権後進国に住んでいる。行政は国連機関が説く国際スタンダードに耳を傾けていただきたい。

(2022年8月4日)
 本日、第一衆議院議員会館の会議室で、「日の丸・君が代」強制問題についての、対文科省交渉が行われた。テーマは、セアート第14会期最終報告における勧告の取り扱い。予め提出していた質問事項に対する回答を求め、これを糺すという交渉内容。

 このブログに以前にも書いたが、国連はいくつもの専門機関を擁して、多様な人権課題に精力的に取り組んでいる。労働分野では、ILO(国際労働機関)が世界標準の労働者の権利を確認し、その実現に大きな実績を上げてきた。また、おなじみのユネスコ(国際教育科学文化機関)が、教育分野で旺盛な活動を展開している。

 その両機関の活動領域の重なるところ、労働問題でもあり教育問題でもある分野、あるいは教育労働者(教職員)に固有の問題については、ILOとユネスコの合同委員会が作られて、その権利擁護を担当している。この合同委員会が「セアート(CEART)」である。日本語に置き換えると「ILO・ユネスコ教職員勧告適用合同専門家委員会」という。名前が長ったらしく面倒なので、以下は「セアート」と呼ぶ。

 2019年3月セアートは、その第13回会期で日本の教職員に対する「日の丸・君が代強制」問題を取りあげた。その最終報告書の結論として次の内容がある。

110.合同委員会(セアート)は、ILO理事会とユネスコ執行委員会が日本政府に対して次のことを促すよう勧告する。
(a) 愛国的な式典に関する規則に関して教員団体と対話する機会を設けること。このような対話は、そのような式典に関する教員の義務について合意することを目的とし、また国旗掲揚および国歌斉唱に参加したくない教員にも対応できるようなものとする。
(b) 消極的で混乱をもたらさない不服従の行為に対する懲罰を避ける目的で、懲戒手続について教員団体と対話する機会を設けること。

 この勧告は、形式的には文科省に対して、実質的には都教委に対して発出されたものだが、文科省も都教委もほぼこれを無視した。この国は、国連から人権後進国であることを指摘され是正の勧告を受けながら、これに誠実な対応をしようとしない。居直りと言おうか、開き直りというべきか。不誠実極まりない。

 教職員側は、この日本政府の怠慢をセアートに報告。2021年10月第13期セアートは、あらためての再勧告案を採択。2022年6月ILOとユネスコはこれを正式に承認した。そのセアート再勧告の結論となる重要部分を抜粋する。

173. 合同委員会は、ILO理事会とユネスコ執行委員会に対し、日本政府が以下のことを行うよう促すことを勧告する。
(a) 本申立に関して、意見の相違と1966年勧告の理解の相違を乗り越える目的で、必要に応じ政府および地方レベルで、教員団体との労使対話に資する環境を作る。
(b) 教員団体と協力し、本申立に関連する合同委員会の見解や勧告の日本語版を作成する。
(c) 本申立に関して1966年勧告の原則がどうしたら最大限に適用され促進されるか、この日本語版と併せ、適切な指導を地方当局と共有する。
(d) 懲戒のしくみや方針、および愛国的式典に関する規則に関する勧告を含め、本申立に関して合同委員会が行ったこれまでの勧告に十分に配慮する。
(e) 上に挙げたこれまでの勧告に関する努力を合同委員会に逐次知らせる。

 13期と14期の2期にわたる勧告。日本国には誠実に対応する責務がある。さあ、文科省どうする? この件に関して、末松信介文部科学大臣に宛てた教職員組合と市民運動体の質問書の内容は以下のとおりである。

問1 日本語訳に関して
(1) 我々は第14会期最終報告パラグラフ169、パラグラフ173(b)を尊重し、文部科学省とともに第13会期、第14会期最終報告の日本語訳を作成したいと考えている。日本語訳を我々と共同で行うことに関して、貴省の考えを伺う。

(2) 2022年6月29日の「東京新聞」朝刊(こちら特報部)によれば、取材を受けた文部科学省初等中等教育企画課の小林寛和氏は「日本語訳を作るかどうかも含め、対応を検討している」と回答している。検討した結果を明らかにされたい。

(3) 最終報告の日本語訳をどのような手順で進めていくか、貴省の考えを伺う。
我々は当方が訳した日本語版を提示する用意があるので、それを土台にして、貴省から訳に同意できない部分を示していただき、両者で意見交換しながら共通の日本語訳を完成させるという形で進めたいと考えているが、貴省の考えを伺う。

問2 地方教育委員会への送付に関して
(1) 第14会期最終報告は東京都・大阪府・大阪市に送付済みか。他の地方公共団体へは送付済か。いずれかの地方公共団体に送付していた場合、それは英語版、日本語版のどちらか。又は両方か。
また、最終報告とともに送付した文書などがあれば、明らかにされたい。

(2) 文部科学省は第14会期最終報告パラグラフ172及び173(c)を尊重して、最終報告を適切に理解できるような注釈を作成して地方公共団体と共有するか。

(3) セアートは東京都や大阪府・市に限らず、地方公共団体と共有するように勧告している。
貴省は今後、地方公共団体の担当部署との間で、なんらかの形で最終報告を共有することを考えているのか。その計画を明らかにされたい。

(4) 「世界人権宣言」「市民的及び政治的権利に関する国際規約」を踏まえたセアートの判断を尊重して、「教員の地位に関する勧告」パラグラフ80に反する起立斉唱の強制を是正するように、地方公共団体に対して指導・助言を行うか。

 文部科学省からの担当官の回答を逐一叙述する必要はない。全て「検討中」だという。質問は、『問1 日本語訳に関して』と、『問2 地方教育委員会への送付』だけに限った簡明なものである。これに対しての回答が全て「検討中」だというのだ。「いったい、いつまで検討しようというのか」「いつになったら回答が得られるのか」という更問には、「答えられない」を繰り返す。「日本語訳作成という単純な作業を行うのに、いったい何をどう検討しているのか」という問には、「日本語訳の作成が各省庁や自治体にどのような影響を及ぼすことになるのか、十分に検討が必要だと考えている」という。場合によっては、ネグレクトもあり得るという開き直り。

 なるほど、確かに私たちは人権後進国に住んでいるのだ。一人ひとりの思想・良心の自由よりは、愛国が大切だという、国家優先主義でもあるこの国。文科省よ、せめて、開き直らずに、誠実に国連機関が言う「国際基準」に耳を傾けていただきたい。

「ILO/ユネスコ再勧告実現! 7.24 集会」閉会の辞

(2022年7月24日)
 「『日の丸・君が代』ILO/ユネスコ勧告実施市民会議」主催「再勧告実現! 7.24 集会」の閉会のご挨拶を申しあげます。

 本日は、まことに盛り沢山で、中身の濃い、充実した集会でした。たくさんの知らないことを教わりました。いくつもの考え方のヒントもいただきました。とても意義の深い有益な集会だったと思います。しかし、有益だったということは、「こうすればよい」「こうすればこのような成果を得ることができる」という安直なノウハウや結論を得たということではありません。むしろ、問題は、この国の権力構造や、民主主義の成熟度や人権意識、そして司法の体質などにも関わる極めて重い課題であることの再確認を要するとの思い強くしました。

 もちろん、私たちは、日本の政治を変えなければ何も勝ち取ることはできないという立場はとりません。今目の前にある権利侵害や不合理の解決のために全力を尽くしますが、教育現場での国旗国歌強制問題の根の深さを再認識せざるを得ません。

 「10・23通達」発出以来、もうすぐ19年です。もう18年も裁判を継続して「国旗に向かって起立し、国歌を斉唱せよ」という職務命令と闘い続けてきました。最初にこの問題を法的に考えたときに、こう思いました。

 あの旗と歌を、国旗・国歌とみれば、日本という国家の象徴であり、権力機構の象徴でもあります。主権在民の原則を掲げる今の時代に、主権者である国民に対して、国家の象徴である国旗国歌への敬意表明を強制できるはずはありません。
 また、あの旗と歌を、「日の丸・君が代」とみれば、日本国憲法が意識的に排斥した大日本帝国憲法体制の象徴というほかはありません。天皇主権・国家主義・軍国主義・侵略主義・排外主義の歴史にまみれた旗と歌。これを受け入れがたいとすべきが真っ当な精神というべきで、日の丸・君が代への敬意表明を強制できるはずはありません。明らかに、憲法19条の思想・良心を蹂躙する暴挙だ。

 これに対して、都教委やそれにつながる国家主義陣営はどう反論したか。「国民一般に対する国旗国歌(日の丸君が代)の強制と、公務員に対する強制とは別だ。教育公務員はさらに別だ」というのです。

 この論争、緒戦では勝利しました。いわゆる予防訴訟における、2006年9月21日東京地裁「難波判決」です。しかしその直後に最高裁ピアノ判決が出て、以来私たちは憲法論のレベルでは敗訴が続いています。かろうじて、裁量権の逸脱濫用論で勝つにとどまっています。戒告を超える減給・停職は、重きに失する処分として違法で取り消されています。教員側も都教委側も勝ちきれていない状況が続いているのです。
 
 こういうときに、国連という世界の良識が、「教員の国旗国歌強制の拒否も、市民的不服従として許されるべきだ」「現場に混乱をもたらさない態様での思想・良心の自由は保護されなければならない」という勧告は、大いに私たちの闘いを励ますものとなっています。

 日本の政府や都教委は、できることならこの勧告・再勧告を、「勧告に過ぎない。拘束力がない」として、無視しようとしてます。明らかに、自分たちの立場を弾劾する不都合な内容だからです。しかし、これが、世界標準なのです。誠実に対応しないことは、日本の恥を嵩めることになります。私たちは、世論を喚起して都教委や政府に、常識的で真っ当な対応を求めたいと思います。

 本日の集会の成果を生かして、これから多様な努力を積み重ねなければなりませんが、まず目前に文科省交渉があります。
 8月4日、来週の木曜日15時から、
 衆院第1議員会館 地下第4会議室
にご参集ください。
  
 貴重な発言をしていただいたご基調講演の勝野正章(東京大学)さん、阿部浩己(明治学院大学)さん、鼎談の阿部浩己さん、寺中誠(東京経済大学)さん、前田 朗(東京造形大学名誉教授)さん、特別講演の岡田正則(早稲田大学)さん。そして、現場からのご報告の皆様方に、感謝申しあげます。

 コロナ禍を押してご参集いただいた皆様ありがとうございました。そして、この集会準備に携わられた多くの皆様方に、厚く御礼を申しあげて、閉会の挨拶といたします。


 あなたも運動サポーターに︕ 運動への協力金を

 個人 1 口 500 円 / 団体 1 口 1,000 円  (何口でも結構です)
郵便振替口座 番号 00170-0-768037 
「安達洋子」又は「アダチヨウコ」(市民会議メンバーの口座です)

国際スタンダードでは、「日の丸・君が代」の強制はあってはならない。 ー ILO/ユネスコ勧告実現のための市民集会にご参加を。

(2022年7月17日)

「日の丸・君が代」ILO/ユネスコ勧告実施市民会議主催
再勧告実現! 7.24 集会案内

日本政府、君が代の強制で、国連機関に『また』叱られる!
~それでもまだ歌わせますか?~

日時 2022 年 7 月 24 日(日曜日)
   13 時 40 分~16 時 40 分(開場 13 時 20 分)
会場 日比谷図書文化館 (B1F)
   日比谷コンベンションホール  東京都千代田区日比谷公園 1-4
    03-3502-3340
資料代 500 円
主催 「日の丸・君が代」LO/ユネスコ勧告実施市民会議

 いま学校は、上位下達の徹底、教科書への政治介入など、国家による教育支配が進み、格差、いじめ自死、教職員の過重労働など疲弊しきっています。 
 東京では、「国旗に向かって起立し国歌を斉唱せよ、ピアノ伴奏をせよ」との職務命令に従わなかったとして、484名の教職員が処分され、その強制は子どもにまで及んでいます。
 2019年春、ILOとユネスコは日本政府に、「日の丸・君が代」の強制を是正するよう勧告しました。画期的な初の国際勧告です。
 しかし、文科省も都教委も、勧告を無視し続けており、私たちはセアート(ILO・ユネスコ合同委員会)へ訴え続けてきました。
 その結果、昨秋、日本政府への再勧告が盛り込まれた第 14 回セアート最終報告書が採択されました。今後ILO総会で議題にされます。
 子どもの未来、明日の教育のために、勧告実現に向けて、ぜひご一緒に取り組みましょう。

プログラム

■基調講演
 勝野 正章(東京大学)
  「現代社会における教師の自由と権利-教員の地位勧告から見る世界と日本」
 阿部 浩己(明治学院大学)
  「再勧告の意義と教育の中の市民的自由」
■特別講演
 岡田 正則(早稲田大学)「学問と教育と政治」
■座談
  「勧告を得るってどんな価値があるの?実現の困難は克服できるの?」
 阿部 浩己、寺中誠(東京経済大学)、前田 朗(東京造形大学名誉教授) 
■教育現場の声

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 あなたも運動サポーターに︕ 運動への協力金を

 個人 1 口 500 円 / 団体 1 口 1,000 円  (何口でも結構です)
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「教師の私が起立することは、大きな強制力を持って生徒を起立させ、その内心の自由を奪うことでした」 ー 東京「君が代」裁判の法廷で。

(2022年7月15日)
 昨日の東京地裁709号法廷。午後3時から、東京「君が代」裁判・第5次訴訟の第5回口頭弁論。担当裁判所は民事第36部。原告側から、準備書面(8)と(9)と書証を提出して、原告2人と代理人1人の口頭意見陳述があった。

 709号法廷の傍聴席数は42。その全席を埋めた傍聴の支援者を背に、意見陳述は迫力に満ちていた。原稿を目で追って読むのと、本人を目の前にしてその肉声を聴くのとでは、訴える力に格段の差が生じる。肉声なればこそ、本人の気迫が伝わる。それだけではなく、その必死さ、真摯さ、悩みや葛藤の深刻さが伝わる。聞く者の胸に響く。裁判官3名は、よく耳を傾けてくれた印象だった。

 次回も次々回も、原告2人と代理人1人の意見陳述の予定。真面目な教員であればこそ、「日の丸・君が代」強制に応じがたく、悩みながらも勇気をもって不起立に及んだ原告の心情に、担当裁判官の人間としての共感が欲しいのだ。

 昨日の法廷での、原告のお一人の陳述の内容をご紹介する。家庭科の教員をしておられる方。「起立して国旗に正対し、国歌を斉唱せよ」という職務命令に従えなくなったのは、担任した在日の生徒との関わり方に悩んでの末のことだという。

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 原告の一人として意見を申し上げます。
 1993年に都立高校の教員になり、足立高校定時制に勤めました。定時制の生徒の多くは、中学校時代まで不登校だったり問題行動を起こしたりと、教師や社会に対してよい印象を持っていません。真剣に向き合わないと欺瞞や嘘はすぐ見抜かれてしまいます。一日一日が真剣勝負です。私は生徒と同じ目線で対話を繰り返すことで信頼関係ができること、信頼関係ができれば生徒も変化していくことを学びました。

 外国籍の生徒も多く、私のクラスにも在日韓国人の生徒がいました。彼女は周囲に対してすぐとんがって喧嘩してしまい、問題を起こす生徒でした。彼女とは民族のアイデンティティを大切にして対話することを試みました。「もうひとつ名前があるでしょ」と、2人きりで話す時は本名で呼び、それに慣れた頃、地元の在日コリアンの高校生の集まりに誘いました。その時、彼女の表情がやわらいで、別人のようにおとなしくなりました。これが本当の彼女でした。とんがっていたのは、バカにされないように精一杯虚勢をはっていたからでした。自身の民族性にふれるうち少しずつ変化がみられ、クラスの女子とうまくやろうと努力し始めました。

 また家庭訪問をくりかえすうちに、彼女の母親も自分のことを話してくれるようになりました。戸籍がなくて大人になってから自分で取り寄せたこと、民族学校が閉鎖されてなかなか教育を受けられなかったことなど戦中戦後の苦労話です。生徒たちが抱えている問題の背景には戦争があることを実感しました。侵略戦争のシンボルだった日の丸君が代は、特にアジアの人々には強制すべきでないと確信を持ちました。

 4年生の担任を受け持ったクラスには、60代のOさんがいました。当時の卒業式では、式場に君が代・日の丸はなく、校長との話し合いで屋上に日の丸を三脚で立てていました。卒業前のHRでどんな卒業式にしたいか、日の丸・君が代についてどう思うか、話した時です。普段寡黙なOさんが怒りをあらわにしました。「私は小学校の頃、ガキ大将だった。戦争中は休みの日にも天皇関係の行事で学校があって、サボると教師に殴られた。戦争が終わると墨塗りの教科書になり、教師達の言うことが180度変わった。教師なんて信用できない。教育なんてくそ喰らえ、と思って中学卒業と同時に働きに出たが、社会に出ると学歴の壁は厳しかった。人生のしめくくりとして高校に来ました。その卒業式に日の丸・君が代はやめて下さい。」Oさんが教育に対してそんな思いでいたとは驚きでした。時代によってコロコロ言うことが変わるなんて信用できない。Oさんの言う通りです。Oさんに信用される教師になりたいと思いました。自分が正しいと思ったことはどんな時代がきても、信念を持ってちゃんと伝えられる教師になりたいと思いました。

 2003年10.23通達が出された時、私は豊島高校定時制の4年生の担任でした。職場は大混乱。生徒にどう話そうか悩んでいたら、当時大々的にニュースに流れていたので、生徒の方から自分達の卒業式はどうなるんだと質問や不安の声が飛びかいました。そこで学年合同HRを行うことにしました。1回目のHRは、不登校や引きこもりだったおとなしく真面目な生徒だけが参加していました。「色々変わって、教員の私には不起立の自由はないけど、生徒のみんなには内心の自由があるよ。」と説明しました。しかしいくら説明しても、「たまき(教師である私を生徒は名前で呼びます)も一緒に座ってよ」と、声があがるだけでした。

 式場で立つように言われて立たないのは勇気の要ることです。私が起立せず座ればそれが彼女たちの防波堤になると思いました。翌週2回目のHRの時は、前の週欠席していたヤンキーやギャルの一団が加わりました。彼らは日の丸・君が代があると「式っぽい」とか「かっこいい」と大賛成。そのとたん、前回のHRであれほど「たまきも一緒に座って」と声をあげていた生徒達が一斉に口をつぐみました。彼らが怖くて自分の意見が言えないのです。気まずい抑圧された雰囲気のままHRは終了しました。口をつぐんでいた生徒の一人が寄ってきて「歌いたくない人は座ってもいいでしょ」と念押ししにきました。意見を言えなくても行動できる生徒がいると救われた気持ちでした。

 さて卒業式はどうしようか。HRで自分の意見も言えない弱い彼らを守るには私が座るしかないと思いました。生徒の内心の自由は守りたい。しかし初めて出された職務命令に従わなければどうなるのか想像もつきません。まだ私は若かったし、定年までの人生を考えるとどうなるかわからない恐ろしさは半端ではありません。

 卒業式当日、悩み抜いた結果、苦渋の末に起立しました。すると「たまきも座って」と言っていた生徒たちがうらめしそうにこっちを見ています。そして「座ってもいいでしょ」と念押ししにきた生徒だけが座りました。でも、彼は落ち着きなさそうに周囲をきょろきょろ見渡し、居たたまれなくなって曲の途中からゆっくりと腰をあげ、曲の最後には立ちました。この光景は忘れられません。わたしは、立ったことを激しく後悔しました。私を頼ってきた生徒の信頼を完全に裏切ってしまいました。私が立つということは、生徒の内心の自由を守れなかっただけではなく、生徒を立たせてしまい、大きな強制力を持って生徒の内心の自由を奪うことだったのです。「教師なんて信用できない。教育なんてくそ喰らえ」と言ったOさんを思い出しました。

 しかし私は生きていくために働かなくてはいけない。馘にならないで働き続けるには命令に従ってやり過ごすしかない。そう自分に言い聞かせて、その後は、君が代が流れる40秒間は心とからだを分裂させ、この辛いことをやり過ごす努力をしてきました。「私はここに立っているけど私の魂はここにはない」と、40秒の間、体育館の上空に魂を飛ばしていました。しかしいくら自分をごまかしても、息苦しさは増すばかりでした。

 2013年に担任を持つことになりました。10.23通達の出た年以来10年ぶりの担任です。入学者名簿を見ると、外国籍の生徒や障害を持つ生徒がいるなど様々です。今度は後悔したくない。また生徒と真摯に向き合いたい。今度こそ生徒に信用される教師になりたい。そう思うと、もう入学式でも卒業式でも立つことはできませんでした。

 生徒それぞれにいろいろな背景やルーツがあります。君が代を強制することは生徒の人権を侵害することです。起立斉唱の強制は、教師だけではなく、生徒たちも苦しめ、生徒の人権を抑圧しています。10.23通達と職務命令を続けることは、生徒の人権抑圧を許すことになります。どうか裁判所にはそのことに目を向けていただき、10.23通達を違法とする判断をお願いいたします。

東弁講堂「日の丸撤去事件」の顛末

(2022年6月1日)
 私の古巣である東京南部法律事務所から電話があった。「よい報せではありませんが…」という前置き。これは訃報だ、と覚悟した。案の定、坂井興一さんが亡くなったという報せだった。

 亡くなったのは5月21日だったが、ご家族の意向が「皆様へのお知らせは身内だけの葬儀を済ませたあとに」とのことだったという。コロナ禍の所為というよりは、いかにも坂井さんらしい。

 坂井さんとは半世紀以上の付き合い。6年間同僚として机を並べた間柄。私より2期上の身近な先輩。新人弁護士として指導も受け、大きく感化も受けてきた。あるとき、真顔で「君には思想があるか。命を掛けても貫こうという思想が…」と言われて戸惑った覚えがある。「そんなものはない」とだけ答えたが、「思想よりも命の方がずっと大切ではないか」と言えばよかった。それだって立派な思想ではないか。

 私とは同郷と言ってもよい。岩手県南の陸前高田出身で県立盛岡一高から現役で東大法学部に進学。在学中に司法試験に合格している。おそらく、生涯を通じて試験に落ちた経験のない人。囲碁の達者でもあった。

 その経歴は、官僚か裁判官、あるいは企業法務をやってもよかろう人だったが、すんなりと労働弁護士としておさまり、その立場を生涯貫いた。そして、あの〈奇跡の一本松の〉【陸前高田市・ふるさと大使】を務めてもいた。

 坂井さんについて思い出深いのは、東弁講堂「日の丸」掲額撤去事件である。
 かつて、東弁旧庁舎の大講堂正面には、額に納まった大きな日の丸が掲げられて参集者を睥睨していた。古色蒼然というよりは、アナクロこれに過ぎたるはなしと評するにふさわしい。私は、東弁に登録して弁護士になったとき、その講堂で宣誓式に臨んだが、この大きな「日の丸」が目に入らなかった。目に入らぬはずはないが、大して目障りとは思わなかったのだ。

 その後私は、岩手県弁護士会に登録を移し、11年を経た1988年夏に東弁に再登録した。そのとき同じ東弁講堂で2度目の宣誓をした際に見上げた「日の丸」が、この上ない異物として目に突き刺さった。これは何とかしなくてはならない。そう考えたのは、岩手靖国違憲訴訟を担当しての意識変革があったからである。

 私は、東京弁護士会運営の議会に当たる「常議員会」の委員に立候補して、その最初の会議の席で「日の丸の掲額は、弁護士会の理念に関わる問題と捉えねばならない」「東弁はこの講堂の『日の丸』を外すべきだ」と訴えた。

 そもそも「日の丸」は、国家のシンボルであって在野を標榜する弁護士会にふさわしいものではない。「日の丸」は日本国憲法とは相容れない軍国主義や侵略戦争とあまりに深く結びついた歴史を背負っている。憲法の理念に忠実であるべき弁護士会が掲げるに値しない。「日の丸」という価値的な評価の分かれるシンボルをあたかも、全東弁会員の意向を代表するごとくに掲額してはならない。

 一弁講堂には、「日の丸」ではなく、「正義・自由」との額が掲げられている。それに比較して東弁は恥ずかしいと思わねばならない、とも言った記憶がある。

 もちろん、これに異論が出た。当時、家永訴訟の被告側代理人だった弁護士から、このままでよいという発言があった。「日の丸」は国民全体のシンボルと考えて少しもおかしくない。何よりも、先輩弁護士たちが長く大切にしてきたものをわざわざ降ろす必要はない、というようなものだった。

 幾ばくかの議論の応酬のあと、いったん執行部がこの議論を預かり、「日の丸」掲額の経緯や趣旨について調査をし、その報告に基づいて再検討ということになった。

 このときの東弁副会長で、この問題を担当したのが坂井さんだった。けっして私と示し合わせたわけではない。本当に偶然の成り行き。まずは、この額を外して、実況見分したところ、太平洋戦争直前の時期に、弁護士会から戦意高揚のためにどこかに奉納した幾品かのうちの一つで、額からは「武運長久」「皇国弥栄」などの添え書きもあったという。

 結局、どうしたか。「調査のために一度外した額ですが、とても重い。建物の劣化もあって壁面に再度取り付けることは危険で事実上不可能と判断せざるを得ません。もうすぐ新庁舎に移転することでもありますし、壁面の補修の予算は取れません」「やむを得ない事情として、ご了解ください」 

 これが、坂井さんらしい収め方だった。この期の理事会は、取り外した「日の丸額」を再取り付けはしないこととした。新庁舎に日の丸がふさわしいわけがない。右派も、「日の丸を掲げよ」などと提案できるはずもない。こうして、今東京弁護士会は「日の丸」とは無縁なのだが、これは坂井興一さんのお蔭でもある。

「悔しくて涙が出た」マリウポリでのロシア国歌 ー 国旗国歌(日の丸君が代)強制も同様なのだ。

(2022年5月13日)
 本日の毎日新聞朝刊・トップに「配給所 屈辱の露国歌」という大きな主見出し。これに「避難 命懸けのマリウポリ」という横見出しが付けられている。

 この記事は、マリウポリから西に200キロのサポロジェでの毎日記者による取材記事。取材対象は、マリウポリの住民だった母子。4月10日にロシア軍占領下のマリウポリから徒歩で脱出し、1か月近くの逃避行を続けてサポロジェで保護されたという。マリウポリへの砲撃と、露軍占領下の街の様子が生々しく語られている。その街の様子として次の一節がある。

 「露軍による占領後、ロシア側が開いた人道支援物資の配給所へ何度か足を運んだ。午前11時の開始を目がけ、腹をすかせた人々が早朝から列を作る。屈辱的だったのは、配給時にロシア国歌が流されることだった。『(露軍の攻撃で)家も日常生活も失った中で、悔しくて涙が出た』と唇をかみ締めた。」

 このマリウポリの女性にとってロシア国歌を聴かされることは、「悔しくて涙が出る」ほどの屈辱なのだ。その歌は、ロシアという国家の存在と、その国家による理不尽な支配を誇示するものなのだ。

 特定のデザインの旗が国旗となり、特定の歌詞とメロディーの曲が国歌となる。国旗国歌は、特定の国家のシンボルとなって、国家の存在に代わる意味づけを持つ。

 チャイコフスキーの序曲『1812年』では、フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」の旋律をもって侵略軍の激しい咆哮とし、やがてこれを撃退して祖国に平和が戻ったことを高らかな唱ってロシア帝国国歌が奏でられる。

 また、映画「カサブランカ」には、独仏の「歌合わせ」の有名な場面がある。酒場でドイツ兵たちが「ラインの守り」を高唱していると、レジスタンスのリーダーが客たちと歌う「ラ・マルセイエーズ」に圧倒されて、かき消されてしまう。

 旗も歌(あるいは曲)も、ときにその意味するところは大きい。マリウポリの街のロシア国歌は、この街の主人がロシアであることを我がもの顔に語っているのだ。

 同様に、卒業式での「国旗・国歌」への、起立・斉唱は国家への忠誠の象徴的行為である。「日の丸」への叩頭・「君が代」の高唱は、「日の丸・君が代」と一体となった神権天皇制や軍国主義の歴史受容の象徴的行為にほかならない。

 少なくとも、そのような理解は、思想・良心の自由として保障されなければならない。ロシア国歌を聴かざるを得ないことが、「悔しくて涙が出る」ほどの精神的苦痛であるなら、国旗・国歌(日の丸・君が代)を受容しがたい人に、起立・斉唱を強制することも同様の苦痛を伴う行為なのだ。精神的自由の根幹に関わる問題として、そのような強制は許されない。

 あらためて、象徴(シンボル)というものに対峙する精神のあり方について、理解を得たいと思う。聖なる画像を踏まざるを得ない信仰者の心の痛みを。他国の国旗国歌であろうと、自国の国旗国歌(日の丸君が代)であろうと、その思想や良心において受容しがたいものを強制される精神の苦痛を。

 「愛国心涵養のために国旗国歌(日の丸君が代)の掲揚斉唱が必要」などという暴言は、個人を尊重する憲法原則の最も忌むべき謬論である。

「日の丸」を大切にし、「日の丸」を焼いた人。

(2022年5月7日)
 5月15日沖縄「返還」50周年を目前に、あらためて沖縄が注目されている。沖縄の歴史と歴史を引き摺っての現状に関して。何人かの著名人がその思いや見解を発信しているが、知花昌一さんもそのうちの一人。彼は、戦後1948年の生まれで、沖縄中部読谷の出身。読谷は、米軍の沖縄本島の上陸地である。

 1945年4月1日、米軍は、北谷、読谷に上陸した。この頃、現地のチビチリガマで「集団自決」が発生している。この米軍の上陸地点から、首里城の軍司令部までの戦闘地域を「中部戦線」と呼ぶ。日米が死力を尽くして戦った沖縄戦の主戦場である。

 米軍は上陸地点である北谷・読谷から首里城までの10キロの進軍に、ほぼ50日を要している。沖縄守備軍は この間の兵力10万を投入して、7万4千人(主戦力のほぼ7割)を失っている。1日あたり千人以上の死者を出していたことになる。太平洋戦争での唯一の本土地上戦であり、もっとも激しい戦いともいわれる。

 その読谷で生まれ育った彼も、高校生だった64年、沖縄にやってきた東京五輪の聖火ランナーを日の丸を振って迎えた。その日の丸は今も大切にとってあるという。「平和憲法があって、基本的人権がある。沖縄にないものが日本には全部あると思った」(以下、朝日)

 その彼が、87年、読谷村の国体会場での日の丸を引き下ろして燃やした。なにが、そうさせたのか。

 生まれ育った集落のはずれにある「チビチリガマ」が83年、本格的に調査された。スーパーを経営し、顔が広かった知花さんも参加。住民たちは少しずつ重い口を開き、沖縄戦で住民約140人が避難し、うち83人が「集団自決」した事実が初めてわかった。

 近所の遠縁の女性は6歳の長男を亡くしていた。いつも酔っ払っているオジイは、家族5人を手にかけた苦しみを紛らわすために酒を飲んでいた。「たくさんの人が、語れない過去を抱えて生きてきたことを知ったのです」

 72年に復帰が実現しても、米軍基地はなくならなかった。有事の核兵器の持ち込みを認めるなど、日米間の「密約」も次々と判明する。79年には、昭和天皇が終戦直後、沖縄の長期占領を望むとのメッセージを米国に伝えていたことも明らかになった。日本側の狙いについてはいくつかの解釈があるが、「沖縄は戦後も天皇に切り捨てられた」と映った。

 沖縄で国体が開かれた87年、知花さんは、掲げられた日の丸を引き降ろし、燃やした。「差別され、差別から逃れようと『天皇の国家』を信じ過ぎてしまったのが沖縄。その後悔と痛みを抱えて生きる人たちに対して、また天皇を象徴する旗が押しつけられたから、降ろすしかなかった」

 周知のとおり、刑法には「国旗損壊罪」などはない。それに代わるものとして、建造物侵入・器物損壊・威力業務妨害の3罪での起訴がなされ、有罪となった。量刑は、懲役1年・執行猶予3年。

 合衆国連邦最高裁の判例では、思想上の信念から国旗を焼却する行為は、「象徴的表現行為」の法理に基づいて、無罪となり得る。当然、弁護側はそのような弁論もしたが、判決(控訴審判決。最高裁への上告はなかった)は、「事案を異にする」として逃げた。けっして、「象徴的表現行為の法理」を否定してはいない。

 今、知花さんはこう言う。
 「沖縄戦24万人の犠牲の上に残された教訓はたった二つです。
  一つは、軍隊は住民を守らなかった。守らない。
  二つは、教育の恐ろしさ、大切さです。

 今、ロシアのウクライナ侵攻を機に、「国民の安全のためにもっと強い軍隊を」と望む声が一部にある。もう一度、沖縄戦を思い起こしたい。

 なお、私的なことだが、私と知花さんとは袖擦り合っている。
 1997年4月、地位協定に基づく《米軍用地特措法》という悪法の、その《再改悪》法が、国会通過の運びとなった。要するに住民の意思にかかわらず、軍用地の拡張を可能とする立法。これに沖縄が猛反対し、反戦地主会がその闘いの先頭に立った。知花さんを含む反戦地主21名が国会の本会議を傍聴して、悪法成立の瞬間に、一斉に抗議の声をあげた。これが議員運営委員会には不快と映り、21名全員警察署送りというたいへんな事態になった。

 自由法曹団からの連絡で、20名を超す弁護士が国会に駆けつけた(あるいは麹町署だったかも知れない)が、釈放ないまま身柄は分散留置ということになった。その留置先の一つに本富士署があり、そこに留置される被疑者については、私が弁護を引き受けることとした。私の事務所から、徒歩5分もかからない。たまたま、その本富士署に留置されたのが知花さんだった。

 もう一人の弁護士と、深夜、大声で、接見させろ、釈放しろと要求を重ね、弁護人選人届をとった。4月17日午後の逮捕で、翌18日朝検察官と交渉し、19日朝になって勾留請求ないまま釈放が決まった。釈放指揮のあった正午頃、私は知花さんの身柄を引き取って、タクシーに乗せ、江戸東京博物館ホールでの集会に送り届けた。

 幸い不起訴で事件は終了した。当時、私は多忙を極めていた。知花さんとの会話は、本郷から両国までのタクシーの中だけでのこと。あれから、知花さんと会う機会はない。私が「日の丸・君が代」強制問題と取り組むようになったのは、それからしばらくしてのことである。

東京「君が代」裁判5次訴訟。原告と代理人の意見陳述に改めて感動。

(2022年4月28日)
 石原慎太郎教育行政時代の悪名高き「10・23通達」から18年余。都立学校での「日の丸・君が代」強制の嵐はおさまることなく、猛威をふるい続けている。

 本日、第5次処分取り訴訟の第4回口頭弁論が、東京地裁709号法廷で開かれた。原告側が2通の準備書面を提出し、原告2人、代理人1人が、口頭で意見陳述をした。裁判官諸氏はよく耳を傾けてくれたと印象をもった。

 本日の法廷での、意見陳述、私も代理人席で聞いて感動した。弁護士として、自分が受任した人の発言に感動し、自分が受任している事件の意義を再確認するのは、至福のひとときである。

 「日の丸・君が代」の強制に服することができないと決意した人々とは、教育という営為を真剣に考え、子どものことを真面目に考える、優れた教師なのだ。自分に忠実でなければならないとする高潔な人々なのだ。その真面目さ、高潔さへの共感が感動となる。そしてその感動は、東京都教育委員会や背後で指図している東京都知事の理不尽への怒りとなる。

 本日の代理人意見陳述の原稿をご紹介したい。とても分かりやすい。誰にも、説得力があると思う。ぜひ、ご一読いただきたい。

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原告ら代理人国旗国歌法立法趣旨に関する意見陳述要旨

 原告ら訴訟代理人白井劍です。このほど提出した準備書面(6) では、国旗国歌法の立法趣旨からして起立斉唱の義務づけは許されないことを述べました。その要約に6分ほどのお時間を頂戴いたします。

 国旗国歌法の法案作成過程では、国旗国歌の尊重義務が条項から慎重に除外されました。2009年8月18日付朝日新聞には、法案作成に携わった人たちのインタビューが載っています。
 当時の官房副長官はこう述べています。「尊重義務などを書けば,罰則がなくても『義務を守らないのは,けしからん』などと言い出す人がいるかもしれない。そうした余地はないほうがいい』」。
 当時の内閣法制局長官はこう言っています。「君が代を歌わないことをとやかく言われたり,国旗に敬礼しなければいけなかったりする社会は窮屈だ。歌いたくなければ歌わずに済む社会が私はいい」。
 内閣官房長官であった野中広務氏は、法制化から4年経って10・23通達が発出されたのちに、教職員に対する懲戒処分について日弁連のインタビューに答えて、「立つ,立たん,歌う,歌わんで処分までやっていくというのは,制定に尽力した私の気持ちとしては不本意で,そのような争いを残念に思っております」と語っています。
 国旗国歌を尊重することを義務づけすべきでないとして、国旗国歌の尊重義務が法案作成過程で慎重に除かれたのです。

 しかし、それでも国会審議が進むにつれ国論を二分する国民的大議論が沸き起こりました。これを反映して国会でも白熱した議論になりました。政府は、「強制しない」、「教育現場での取り扱いに変更をもたらさない」と、くり返し一貫して答弁しました。
 内閣総理大臣「学校における国旗と国歌の指導は・・義務づけを行うことは考えておらず,現行の運用に変更が生ずることにはならない」。
 内閣官房長官「学校現場におきます内心の自由というものが言われましたように,・・式典等においてこれを,起立する自由もあれば,また起立しない自由もあろうと思うわけでございますし,斉唱する自由もあれば斉唱しない自由もあろうかと思うわけでございまして,この法制化はそれを画一的にしようというわけではございません」 
 文部大臣「教育の現場というものは信頼関係でございますので,・・処分であるとかそういうものはもう本当に最終段階,万やむを得ないときというふうに考えております」。
 政府委員「単に起立をしなかった,あるいは歌わなかったといったようなことのみをもって,何らかの不利益をこうむるようなことが学校内で行われ・・るということはあってはならないこと」。

 そうして、ようやく成立にこぎつけたのが経過です。法制化直後の文部省通知も、「学校におけるこれまでの国旗及び国歌に関する指導の取扱いを変えるものではありません」と確認しています。
 教育公務員に対しても義務づけはしない。教育現場での取扱いを変えない。この国の立法府におけるその確認が、東京都においては一片の行政通達で簡単に反故にされてしまいました。それから18年余りが経ちます。

 10・23通達の異常さの本質は,「多元的価値を認めない」ことにあります。日の丸に向かって起立して君が代を歌うことだけが正しい。この価値観を生徒たちに教える。それが10・23通達の狙いだと都教委自身が述べています。将来,生徒が社会に出て,「国歌斉唱をする場に臨んだとき,一人だけ,起立もしない,歌うこともしない,そして,周囲から批判を受ける,そのような結果にならないよう指導する」と都教委の答弁書に述べられています。
 「周囲から批判を受ける結果にならないよう指導する」と都教委は言います。都教委のいう「指導」が効果を上げれば,尊重義務規定などなくても,国旗に向かって起立し国歌を斉唱しない人は、間違ったことをして「周囲から批判されるべき」人である、ということにされてしまいます。「指導」の効果を上げるため、教職員に起立斉唱を命じ懲戒処分を科して、「指導」を徹底しているのです。「指導」を受けた生徒が卒業して次々と社会に出ていく。時が経過すれば、「指導」の効果は、生徒を介して広く一般社会におよびます。それは、国旗国歌法に国旗国歌の尊重義務規定を入れたのと実質的に同じです。

 法案作成過程で慎重に尊重義務規定が除外されました。国会審議でも侃々諤々の議論を経て義務づけしないとくり返し確認されて成立にいたりました。その法律の立法趣旨を下位規範である通達が打ち破るという倒錯が起きています。起立斉唱の義務づけは、国旗国歌法の立法趣旨からも許されないことといわねばなりません。

                            以上

「もの言わぬ教師」が作り出されるとき、平和と民主主義は危機を迎える。

(2022年3月31日・本日毎日連続更新満9年)
 年度末の3月末日。例年、都立校関係者の『卒業式総括・総決起集会』が開催される。東京都教育委員会の《卒入学式における国旗・国歌(日の丸・君が代)強制》に抗議しての集会である。本年は、『卒業式総括・再任用打ち切り抗議 総決起集会』となった。

 私も出席して、都立校の校内で起こっている様々な出来事の報告を聞いた。共感し、励まされ、元気の出る話が多かった。誇張ではなく、立派な教育者が悩み嘆かざるを得ない事態に追い込まれ、それでもよく頑張っているのが現状である。私も要旨次のような報告をした。 

 悪名高い「10・23通達」の発出から18年余。今の高校生が生まれる前のことだと聞いて、改めて感慨深いものがあります。あれから毎春の卒入学式が、東京都の公立校における教職員に対する国旗・国歌(日の丸・君が代)強制の場となり、これに現場で、社会で、訴訟で闘ってきました。私たちは、この間何を求めて闘い、何を獲得して、未だ何を得ていないのか。

 この旗と歌とを、国旗・国歌と見れば、国家と個人が向き合う構図です。憲法は、個人の尊厳をこそ根源的な憲法価値としており、国家が個人に愛国心を強制したり、国家に対する敬意表明を強制することなどできるはずはなかろう。

 また、この旗と歌とを「日の丸・君が代」と見れば、この旗が果たした歴史と向き合わざるを得ません。「日の丸・君が代」こそ、戦前の天皇制国家とあまりにも深く結びついた、旗と歌。天皇制国家が宿命的にもっていた、国家神道=天皇教による臣民へのマインドコントロールの歴史を想起せざるを得ません。そして、軍国主義・侵略主義・民族差別の旗と歌。これを忌避する人に強制するなどもってのほか。

 そして、問題は教育の場で起きています。国旗・国歌(日の丸・君が代)の強制は。国家主義イデオロギーの強制にほかなりません。戦後民主主義は、戦前の天皇制国家による国家主義イデオロギー刷り込みの教育を根底的に反省するところから、出発しました。教育は、公権力から独立しなければならない。権力は教育内容を支配し介入してはならない。この大原則を再確認しましょう。

 法廷闘争では、懲戒権の逸脱・濫用論の適用に関して一定の成果を収めています。懲戒処分対象行為が内心の思想良心の表明という動機から行われたこと、行為態様が消極的で式の進行の妨害となっていないことなどが重視されて、「実質的な不利益を伴わない戒告」を超える過重な処分は違法として取り消させています。この点は、憲法論において間接的にもせよ思想良心の制約の存在を認めさせるところまで押し込んだことが、憲法論の土俵では勝てなかったものの懲戒権の濫用の場面で効果を発揮したものと考えています。

 私たちの闘いの成果は、十分なものとは言えませんが、闘ったからこそ、石原慎太郎教育行政が意図した民主的な教員をあぶり出し放逐しようという、邪悪な企てを阻止し得たのだと思います。

 今、処分取消第5次訴訟。これまで積み残しの課題もあり、新たな課題もあります。この意義のある壮大な民主主義の闘いを、ともに継続していきたいと思います。

 そのあと、大阪高裁の「再任用拒否国家賠償訴訟」逆転勝訴判決の内容紹介をした。またまた、東京でも、再任用打ち切りが問題となっている。

 以下に、本日の集会が確認した抗議声明を掲載する。この声明、気迫に溢れた立派なものではないか。《「もの言わぬ教師」が作り出されるとき、平和と民主主義は危機を迎える》という指摘は、今の情勢を見るとき重いものがある。

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「君が代」処分を理由とした再任用不合格に抗議する声明

 1月19日、東京都教育委員会(都教委)により、1名の都立高校教員が校長を通じて再任用の不合格を告げられた。
 当該教員が定年を迎えるに当たり再任用を申し込んだ2019年以来3回にわたって、毎年繰り返されてきた「懲戒処分歴がある職員に刻する事前告知」の内容を強行したものである。これは以下のように幾重にも許しがたい暴挙であり、私たちは断固として抗議するとともに再任用不合格の撤回を要求する。

 まず、「事前告知」において問題として挙げられている処分は、2016年の卒業式における不起立に対する戒告処分であるが、当該処分については現在その撤回を求めて裁判を行っている係争中の案件であるにもかかわらず任用を打ち切ることは、裁判の結果如何によっては都教委が回復不能の過ちを犯すことにもなりかねない。
 また、すでに戒告処分によって不利益を被っている者に対して任用をも奪うことは、二重処罰と言っても過言ではなく、これが容認されるならば行政処分の中で最も軽いとされる戒告処分が免職にも相当することになる。
 さらに、「事前告知」では卒業式での不起立に対する戒告処分が理由として言及されていたにもかかわらず、今回の不合格通知に際しては理由すら明らかにされなかった。校長からの問い合わせに対しても、「判定基準を満たさなかった」とのみ回答した。しかも、再三にわたる私たちの要請や質問に対して、都教委は「合否に当たり、選考内容に関することにはお答えできません。」との回答に終始しており、任用を奪うという労働者にとっての最大の権利侵害に対して理由すら明らかにしない姿勢は、任命権考としての責任をかなぐり捨てたという他はない。
 何よりも、卒業式での不起立は一人の人間として教員としての良心の発露であり、過去の植民地支配や侵略戦争、それに伴うアジア各国の人々と日本国民の犠牲と人権侵害の歴史を繰り返さないため、憲法と教育基本法の精神に基づいてなされた行為であると同時に、憲法が規定する思想良心の自由によって守られるべきものである。

 「10・23通途」発出以来今日までの18年半の間に、通達に基づく職務命令によってすでに484名もの教職員が処分されてきたこの大量処分は東京の異常な教育行政を象徴するものであり、命令と処分によって教育現場を意のままに操ろうとする不当な処分発令と再任用の不合格に満身の怒りを込めて抗議し、その撤回を求める。
 あまつさえ都教委は再三にわたる被処分者の会、原告団の要請を拒んで紛争解決のための話し合いの席に着こうともせず、この問題を教育関係考自らの力で解決を図るべく話し合いを求めた最高裁判決の趣旨を無視して「職務命令」を出すよう各校長を指導し、結果として全ての都立学校の卒業式・入学式に際して各校長が「職務命令」を出し続けている。それどころか、二次~四次訴訟の判決によって減給処分を取り消された現職の教職員に対し、改めて戒告処分を発令する(再処分)という暴挙を繰り返し、再任用の打ち切りまで強行するに至っては、司法の裁きにも挑戦し、都民に対して信用失墜行為を繰り返していると言わざるを得ない。

 東京の学校現場は、「10・23通途」はもとより、2006年4月の職員会議の挙手採決禁止「通知」、主幹・主任教諭などの職の設置と業績評価制度によって、閉塞状況に陥っている。「もの言わぬ教師」が作り出されるとき、平和と民主主義は危機を迎える。
 私たちは、東京の学校に自由で民主的な教育を甦らせ、生徒が主人公の学校を取り戻すため、全国の仲間と連帯して「日の丸・君が代」強制に反対し、不当処分撤回一再任用打切りの撤回を求めて闘い抜く決意である。この国を「戦争をする国」にさせず、『教え子を再び戦場に送らない』ために!

 2022年3月31日
 四者卒業式・入学式対策本部
 (被処分者の会、再雇用2次訴訟を語りつぐ会、予防訴訟をひきつぐ会、解雇裁判をひきつぐ会)

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