裁判所も、都教委も、小池百合子も、この教員の声を聴け。
(2022年11月25日)
昨日、《東京「君が代」裁判5次訴訟》での第7回口頭弁論が開かれた。満席の709号法廷で、原告のお一人が、再処分の不当を「イジメ」だとする意見陳述を行った。まったく、おっしゃるとおりだと思う。裁判官3人は、きちんと耳を傾けている様子ではあったが、どれだけ身に沁みてお分かりだろうか。
下記に、その意見陳述の要旨を掲載する。
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東京「君が代」裁判五次訴訟 第7回口頭弁論 原告意見陳述要旨
原告 F(都立J高校全日制勤務)
私は2005年3月に、卒業式での2回目の不起立を理由として東京都教育委員会によって減給処分を受けました。この減給処分は、2013年9月の最高裁判決によって取り消されましたが、同じ年の12月には、改めて処分を出しなおすということで、新たに戒告処分を受けています。
都教委は再度の処分を発令した理由として、「誤った処分を正し、正しい処分へと訂正した」と主張しているとのことですが、この理由づけは後付けの言い訳にすぎません。処分の真の目的は、都教委の意に従わない者に対する攻撃の徹底であって、強大な権力を背景にした、少数者に対する「いじめ」であるとしか私には思えません。
都教委は、いじめ防止に取り組むように各学校に指導を続けてきていますが、その中でいじめの存在を認定する根拠の一つに、「被害者が「いじめ」と捉えていること」というものがあります。君が代不起立者に対する都教委の取り扱いは執拗で理不尽な「いじめ」であると捉えている被害者は、私だけではありません。
私の不起立に対する減給処分は最高裁で違法と判断されて処分の取消が命じられました。都教委の職務が違法と断じられたにもかかわらず、関係した職員は誰もその責任を取ることがなく、また、私たちに対する、そして都民に対する謝罪ないしは釈明のコメントを出すことも一切ありません。この係争事件に対して、都教委は裁判担当職員や顧問弁護士に多大な人件費や経費を支出し、原告には遅延損害金を支払いましたが、この財源は言うまでもなく都民の税金です。違法な処分を発したことによって都民に間接的に損害を与えたことにっいて、何ら説明もなされなかったことは、都民の信頼を裏切る信用失墜行為に相当するのではないでしょうか?
一方、都教委は私たちに減給処分を出した時には、報道機関に対して発表を行い、処分情報を長期にわたってホームページで公開しました。これらのことは、私たちの不起立を非違行為として世間にさらす一方で、自らの不祥事には蓋をする全く不公正な行為ですし、私たちに加えられた不利益や名誉棄損が回復されていないことは、非常に残念です。そしてこのような状態の中で、再処分としての戒告処分が発令され、再び非違行為があったとして、都教委のホームページ上に晒されたのです。
2013年9月の最高裁判決では「謙抑的な対応が教育現場における状況の改善に資するものというべきである」と裁判官の補足意見が付け加えられました。はたして、このような再処分の発令が「謙抑的な対応」と言えるでしょうか?
最高裁は、都教委に対して良識的な対応をやんわりと求めたのかもしれませんが、都教委は、使える手は何でも使うという姿勢で権力を行使している状態にあると思います。そしてとことん処分で不起立教員を追い込むことを全都に晒すことによって、教育現場はさらに萎縮していきました。私は、このような負のサイクルに歯止めをかけ、教育現場の改善のためにも再処分の取り消しを求めます。
再処分について改めて強調しておきたいことがあります。都教委は「減給処分は違法とされたから、裁判所が認めた戒告処分を出し直す」と主張していますが、再処分として出された戒告処分による経済的損失が、2005年当時に私が受けた減給処分より実質的に重い処分に変えられたという事実です。「10 ・23 通達」による「日の丸・君が代」の強制に対し、処分を振りかざされても異を唱えた教職員が膨大な人数に及んだと見るや、2006年に都教委はそれまで何十年も変えなかった懲戒処分に伴う給与支給に関する規定を変更し、勤勉手当の減額率を倍増させ、昇給率を下げることを決定し、戒告処分でもそれまでの減給処分を上回る経済的不科益を伴うものとしました。さらに、2012年1月、「裁量権の逸脱濫用により違法」として減給処分が取り消された最高裁判決が出されたのちの2013年には、処分量定に関する規定の再改定を強行しました。このことは、戒告処分を従来の減給処分より実質的に重い懲罰とすることで、都教委が裁判で負けても教職員に従前以上の圧力をかけることができもので、実質的に最高裁判決の効力を失わせ、判決に抗う行為であるという他はありません。
2003年の「10.23通達」発出から20年が経とうとしています。都立高校は大きく変わってしまいました。「日の丸・君が代」処分のことも、この処分以前の卒業式や入学式のことも知らない教員や生徒が多くなってきました。既に若い教員たちにとって、卒入学式における「日の丸」の掲揚や「君が代」の斉唱、職務命令による式の実施、座席の指定等は当たり前、2006年の通達から始まった職員会議での挙手裁決禁止も当たり前のことになっています。
2003年当時は、ほとんどの教員は「日の丸・君が代」の強制に反対しており、卒業式や入学式の開始前に、生徒や保護者に対して「式次第には国歌斉唱とありますが、強制ではありません」と説明することが多くの学校で行われていました。しかし「10.23通達」によって起立斉唱の職務命令が出され、命令に背けば処分となり、何度も命令違反を繰り返すと、累積加重で懲戒免職もあり得ると言われ、ある種のパニックが起きました。私たち教員は職務命令に対してどうするべきか、態度決定を迫られました。多くの教員は、処分を恐れ理不尽ながら起立する道を選びましたが、不起立を選択した教員も少なくおりませんでした。
異例の大量処分が発令された2004年、都教委は、処分された教員だけではなく、処分された教員のいる学校に対して、非違行為の再発を防止すると称して、全教員の参加を強制する「再発防止研修」を命じました。あたかも連帯責任を取らせるような研修ですが、その背景には、起立を強いられた教員の僻屈した思いを不起立教員に向けさせ、命令に従った教員と命令に背き処分された教員との間を分断する狙いがあったのだと思いますL言い換えれば、都教委が率先して同僚へのいじめに加担させる行為を行ったのです。
この研修に関し、学校によっては不起立教員を非難する事例もあったとは聞きますが、多くの場合は、不起立者に同情的で、理不尽な仕打ちをする都教委に対する抗論や怒りの声が上がっていました。
しかし、職務命令体制と職員会議での議決禁止体制が浸透していく中で、教育現場では、関連に意見を言い合い、協力して学校運営を行う日常は次第に失われていきました。現場の意見を聞く耳を持たなくなった東京の教育行政は硬直化して、誤ったことを行っても誰も正すことができない状態となっています。これまで20年間にわたって「10.23通達」の撤回を求めてきた私たちですが、謙抑的な姿勢も、柔軟な発想も持てなくなっている都教委に対しては、裁判所が「10.23通達は違法である」と判断していただく他はないと考えています。
裁判所には、この20年間の経過をよく確認していただき、慎重かつ公正な審理を進めていただくことをお願いいたします。