澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

目くそ君たち、大いに鼻くそを嗤え。

聖書には、引用される名言が多い。「汝らのうち、罪なき者まず石をなげうて」などは、その筆頭格だろう。ヨハネによる福音書第8章なのだそうだ。現代語訳では、「イエスは立ち上がって彼らに言われた、『あなたがたのうちで罪のない者が、まず彼女に石を投げなさい』」となっている。「故事俗信ことわざ大辞典」(小学館)をひもとくと、「この言葉によって、イエスは人が人を裁く権利のないことを悟らせた」との解説が見える。また、十王伝説では、閻魔は人を裁くその罪故に、毎日溶けた銅を飲む責め苦に耐えるのだという。他人の罪をあげつらうのは、罪なき聖者以外にはなしえず、清浄なる者にとっても他人の罪を裁くことは軽々になし得ることではないというのだ。

しかし、俗世は聖書にも仏教説話にもほど遠い。舛添要一の醜態を、我先に石もてなげうつ輩ばかり。これを「目くそが鼻くそを嗤う」という。「目やにが鼻垢を笑う」という語法もあるそうだ。

目くその筆頭は、石原慎太郎であろう。次いで、猪瀬直樹。鼻くそ君にも、3分の理があり、2分のプライドもあろう。この前任者二人に対しては、「ほかの人はともかく、おまえたち二人には言われたくない」との思いが強かろう。

続いて目立った目くそは、橋下徹、萩生田光一といったところ。萩生田光一(東京都第24区選出衆議院議員・内閣官房副長官)については、首を傾げる向きもあろうか。「安保関連法賛成議員の落選運動を支援する弁護士・研究者の会」が、4月28日付で東京地方検察庁に政治資金規正法違反で告発している御仁で、明らかに目くそというに相応しいお一人。
  http://rakusen-sien.com/rakusengiin/5625.html
この目くそ君。5月13日の舛添会見後、「(家族と会議?)それ嘘だろ! うさんくさいねえ。オレが記者なら追いかけるよ。これ以上のイメージダウンは勘弁願いたいね」と言っている(週刊文春)。目くそが鼻くそを嗤うの典型パターン。

鼻くそを嗤うのは楽だ。水に落ちた犬を叩くのはたやすい。正義は我にありとして、力を失った者を叩き続けるメディアに真のジャーナリズム魂があるのだろうか。

目くそにはなりたくない。目くそと呼ばれたくもない。ジャーナリスト諸君よ。鼻くそではなく、目くその方を追わないか。石原慎太郎の所業をもう一度洗い出さないか。政権で涼しい顔をしている連中とカネの問題を徹底して洗い出さないか。権力の座にある者、強い立場にある者、権威をひけらかしている者を批判してこそのジャーナリズムではないか。目くそ連中と一緒くたにされて本望か。

しかしだ。もう一段深く考えてみると、視点も変わる。諸々の目くそ君たちよ。目くそと言われて怯んではならない。自分のことは棚に上げて、大いに鼻くその非をあげつらえ。目くそと鼻くそは、実はいつでも交替可能な関係だ。昨日の鼻くそも、今日の目くそとなる。それでよいのだ。権力にある者の不正を批判することに資格は要らない。たとえ自分が汚くても、仮に自分に非があったとしても、権力者の不正批判は社会に有益なのだ。

だから、「汝らのうち権力の不正を目にした者、誰も躊躇なく石をなげうて」なのだ。「我が振り直す前に、権力者の振りに石をなげうて」なのだ。道徳の教えるところと、世俗の政治社会のありようとはかくも違う。

私は道徳にも宗教にも関心はないが、舛添叩きへの加担にいささかの躊躇がある。舛添潰しはもはや政権への打撃にならないのだ。のみならず、舛添後の都知事に最悪の候補者が出てくることにならないかという心配もある。

舛添叩きに加担することに躊躇しつつ、やっぱり舛添告発の代理人の一人となった。政治とカネの汚いつながりを断つために、目くその側に連なったのだ。
(2016/05/21)

「漁業で生活できる行政を」―浜の一揆訴訟の第3回法廷

本日は、風薫る盛岡で、浜の一揆訴訟の第3回法廷。地域によってはウニの口開けと重なったとのことだったが、30人の原告が法廷を埋め、報告集会も意気盛んなものとなった。

本日も、法廷では堂々の原告意見陳述があった。かつての三閉伊一揆発祥の地、田野畑村の延縄漁師が、「延縄では漁業を続けることができない。ぜひとも、固定式刺し網でのサケ漁の許可が必要なのだ」という内容。迫力に満ちたものだった。

法廷での陳述は、文章にして読めば分かる、というものではない。生身の人間の発声を通じての訴えは、重く心に響く。真摯さや切実さが伝わってくる。ブログでは伝わらないものもあるが、ご紹介したい。

田野畑村で漁船漁業を営んでおります。昭和33年8月生まれの私は、岩手県立 岩泉高校 田野畑校卒業と同時に、八戸市の水産会社に就職。最初の1年は日本近海を操業。2年目からはニュージーランド等、外国遠海までイカつり操業に従事しました。4年後には茨城県の水産会社に移り、2年間まき網船に乗り、機関助手として働きました。そして沖縄県に本社のある水産会社で現場が八戸市にある沖防波堤工事の作業船に一年ほど乗船しました。

その後、 村に帰って田野畑村漁業協同組合の大型定置網に従事。 一年後の昭和59年、25歳で結婚。所帯をもってからは、漁協理事を兼務する父親と一緒に、養殖の塩蔵ボイルワカメとサケ延え縄漁、そしてカゴ漁でタコを取って生計を維持してきました。父親と二人でしたから、最盛期にはサケ延え縄漁だけで900万円を超す収入もあり、最高収益の賞状を漁協からもらったことも2回あります。この間、3歳ちがいの娘2人を育て、双方とも高校まで卒業させてきました。

5年前の東日本大震災では、小型漁船は沖に避難して何とか助けました。 しかしサッパ船や、1.5トントラック、養殖ワカメの施設、サケ延え縄の諸道具、カゴ漁などの諸施設等一切を流失してしまいました。しかし、何としても生きなければならないために、サケ延え縄漁とカゴ縄だけは、隣り近所からの援助もいただきながら再開しました。こうして、震災1年目から何とか生活できるだけの収入は、かろうじて確保しました。

震災1年目の延え縄の水揚げは、およそ200万円でした。2年目は思いがけなく約700万円の豊漁でした。ところが3年目は、1年目よりもわずかに上回る250万円前後。そして今年は50万円にも届かない40万円ほどで、本当に何ともなりません。延え縄漁については、収入が多くても少なくても経費はほとんど変わらずに50万円前後です。サケ延え縄漁では、どうしても食べていけないのが現実なのです。
大震災のあった平成23年3月11日の2カ月後に、久慈市に住んでいる長女に初孫が生まれ、その時はお祝いをすることができました。でも、昨年2人目の誕生には、可愛さ・喜びは同じでも、満足できるお祝いすら与えることができませんでした。

田野畑漁協管内のサケ延え縄に従事する漁師は、従来50隻以上の出漁でしたが、今ではたった7隻しかありません。こういう状況の中で、三陸沿岸で漁業を続けていくためにはどうしてもサケ刺網漁の許可をえなければならず、それ以外には漁業を続けていく方法がありません。漁師として生きていくために、私は100人の原告の一人として名前を連ねています。

生き残った私の小型船で、どうかサケ刺し網漁ができるよう、裁判官の皆様におかれましては実情をしっかりとお汲み取りいただき、適切なご判断をいただきますよう、どうぞ宜しくお願い致します。
 **************************************************************************
訴訟の進展は、下記の段階。
訴状⇒答弁書⇒原告準備書面(1)⇒被告第1準備書面⇒原告準備書面(2)

だが、原被告間の議論はまだ噛み合ったものとなっていない。原告の主張の概要は次のようなものである。

海洋の資源は原則として無主物であって、これを採捕(採取と捕獲を併せた立法上の造語)することは本来的に自由である。採捕を業として行うことは、営業の自由(憲法22条1項)に属する基本権として保障されている。
憲法上の基本権が、無制限な自由ではなく、「公共の福祉」による内在的な制約に服すべきことは当然としても、原則が自由であることは、その制約には、首肯しうるだけの、制約の必要性と合理性を根拠づける理由がなくてはならない。
原告は、自らの憲法上の権利を制約する行政庁の不許可処分を特定して、これを違法と主張しているのである。権利を制約した側の被告行政庁において、その適法性の根拠を主張し挙証する責めを負うべきは当然である。

原告の営業の自由を制約する法律上の根拠は、漁業法65条1項にいう「漁業調整の必要」と、水産資源保護法4条1項にいう「資源の保護培養の必要」以外にはない。岩手県漁業調整規則23条1項3号は、この両者を取り込んで「知事は、漁業調整又は水産資源の保護培養のため必要があると認める場合は起業の認可をしない」としている。

だから、被告は「漁業調整又は水産資源の保護培養のための必要」に当たる具体的事実を主張しなければならない。しかし、被告は自らした不許可処分の適法性の根拠について語るところはなく、もっぱら内規として取り決めた「取扱方針」によるとだけ主張して、具体的な根拠事実を主張しようとしない。原告に許可を与えれば漁業調整や水産資源の保護に不都合が生じる根拠となる具体的な事実についてはまったく主張しようとしない。

また、行政処分には理由の付記が不可欠であって、それを欠けば違法として取消理由となる。ましてや、本来国民の自由な行為を一般的に禁止したうえ、申請に従って個別に解除して本来の自由を回復すべき局面においては、飽くまでも許可が原則であって、不許可として自由を制約するには、合理性と必要性を備えた理由が要求される。その具体的な理由の付記を欠いた本件不許可処分はそれだけで手続的に違法である。

被告は、以上の原告主張に的確な対応をしていない。9項目の求釈明にも、真摯な回答をしようとしない。

本日の法廷では、裁判所から被告に対して、次のような指示があった。
「被告第1準備書面の2頁に、『被告知事は、原告らの固定式刺し網漁業の許可申請に対し、規則23条1項3号の上記規定(抽象的な規定内容)をそのまま解釈・適用して本件各不許可処分を行ったのではなく、同号の定め(漁業調整又は水産資源の保護培養の必要)を個別の漁業などの実情に応じて具体化した規程(審査基準。行政手続法5条)である取扱方針(乙2)を適用して許可の当否を判断したのである』と記載されていますが、『個別の漁業などの実情に応じて具体化した』とはどういうことなのか、その内容をもっと具体的に述べていただきたい。原告の反論や求釈明も同じ趣旨だと思われますので、次回までに被告の側でその点を明らかにしてください」

原告が指摘したとおりの裁判所の理解。浜の一揆、訴訟の進行は順調である。
(2016年5月20日)

改憲阻止を目指す野党選挙共闘実現の流れー32の一人区のうち、あますところはあと3区。

参院選の野党統一候補擁立の動きに注目し続けている。その成否が改憲阻止の成否に直結するからだ。アベ壊憲政権の与党勢力に3分の2の議席を与えてはならない。そのためには、明文改憲阻止の一点で野党の選挙共闘が不可欠だ。民進・共産・社民・生活の野党4党間で進んでいる、候補者統一が改憲を阻止しうる院内勢力を形づくることになる。そして、参院選後の総選挙での選挙協力にも道を切り開くことになる。

注目の一人区は全部で32(県数では34)。このところ、5月15日に鹿児島、16日に奈良、そして昨日(18日)和歌山と岩手の野党統一候補擁立の発表があった。残るは3選挙区、三重・香川・佐賀のみである。ここまでくれば、一人区全部で野党統一候補擁立実現の見通しが高くなってきた。がぜん、参院選は伯仲模様、熱を帯びたものとなってきている。

岩手は、民進が生活に譲った形での共闘成立。協議難航した生活と民進両党を説得したのが、間にはいった社民・共産の両党だったと報道されている。「野党共闘は衆参一体で捉えるべきだ」との立場から、生活推薦候補を参院選の共闘候補とし、民進推薦候補を次期衆院選岩手2区候補とする案を提示して、打開につなげたという。これで、野党4党対自公の一騎打ちとなる。注目選挙区の一つである。

和歌山の共闘模様は、やや複雑だ。すんなりの全野党合意ではない。
まず、安全保障関連法廃止を掲げる「市民連合わかやま」の主導で、統一候補者が模索された。「市民連合わかやま」が、各野党に呼びかけた政策の合意は次の3点である。
①安全保障関連法の廃止
②集団的自衛権行使容認の閣議決定の撤回
③日本の政治に立憲主義と民主主義を取り戻す

結局、「市民連合わかやま」は、この3項目の政策で参議院選挙の和歌山選挙区予定候補に由良登信弁護士(元和歌山弁護士会会長)を推薦することを決定し、民進、共産、社民の各野党に「野党統一候補として推薦いただきたい」と申し入れた。市民組織先行での野党への呼びかけは、「この指止まれ方式」だ。

これに対し、共産・社民・生活の3党は、この指にとまって、由良推薦を決めた。共産は独自候補を比例区に回してのこと。民進党県連の、この指への止まり方は微妙だった。自党の参院選予定候補者を「次の衆議院選挙の和歌山2区で候補とする」と「転戦」を発表はしたが、由良候補推薦とはならなかった。「基本的な理念や政策に違和感がある。野党の統一候補とは言えない」として、参議院選挙では、自主投票としたという。

複雑な事情は知り得ないが、民進も既に決めていた候補者を下ろしたのだ。由良候補を、「事実上の野党統一候補」と言ってよいだろう。

私は、由良さんをよく知る一人だ。日弁連の消費者委員会で活動をともにした。信頼のできる人だし、社会的弱者の立場に立つことを鮮明にしている人。到底、自ら国政に出ようというタイプには見えなかったが、この人が選挙に出るなら、なるほどよい候補者だ。人当たりが柔らかで、誰の意見にも穏やかに耳を傾ける。何よりも声がよい。歯切れがよいし、滑舌が滑らかで聞きやすい。そして、話が分かりやすい。説得力がある。
がんばれ、由良さん。がんばれ、和歌山野党共闘。

「野党は共闘」とは、市民の声であり、今や天の声でもある。野党はこの天の声に耳を傾けざるをえない。なんと言っても、これが大義なのだ。この大義が、由良さんのような無所属候補を擁立したのだ。これで、「野党共闘+市民の陣営」対「与党(自公)の陣営」の対立構図が明確になってきた。対立軸は、明文改憲と解釈改憲の是非である。「憲法擁護の、野党+市民」対「改憲の自公」の対立なのだ。

典型例としての愛媛県の例。無所属の候補と、これを擁立した市民組織「安保法制(戦争法)の廃止を求める愛媛の会」と4野党(ここでは、民進、共産、社民、新社会)との合意内容は以下のとおりである。
①憲法違反の安全保障関連法廃止と集団的自衛権行使容認の閣議決定の撤回を公約する
②安倍政権の打倒をめざす
③自民党改憲案にもとづく憲法改正を阻止する
④立憲主義と民主主義の回復をめざし、その姿勢を貫く

こうして、日本国民は、憲法12条の「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」を実践し、日本国憲法とその理念を、日々選び取り血肉化しているのだ。憲法を排撃すること厳しいアベ政権が、国民の憲法意識を鍛えているとも言えるだろう。

最後に、もう一度。がんばれ、由良さん。がんばれ全国の野党統一候補者の皆さん、そして共闘を支える野党と市民の皆さん。
(2016年5月19日)

竹田君のモノローグ-「前途には、越すに越せない障害物が山積」

私、竹田恒和です。恥ずかしながら、皇族の出です。オリンピックを取り巻いているのは、金持ちだけでなく王族や貴族が織りなす世界。クーベルタン自身が男爵でしたし、歴代9名のIOC会長のうち、5人は爵位の持ち主です。キラニンは男爵、サマランチは侯爵、ロゲは伯爵。世が世であれば、私だって爵位くらいはあったはず。

もっとも、出自の良さと能力には何の関係もありません。出自と廉潔さともなれば、なおさらのこと。もっとも、育ちの良さは、一般に逆境を切り抜ける強さに欠けることにはなるでしょう。私も、この点自信がありません。東京オリンピック招致不正疑惑についての厳しいご指摘、一々ごもっともと、私自身が思ってしまうのですから。安倍さんや、籾井さん、そして今もうひとり疑惑の渦中にいる舛添さんなどの強心臓を学ばねばならないと思いながらも、ままなりませんね。

一昨日(5月16日)から本日(18日)まで、三日続けて国会で疑惑追及の矢面に立たされました。部下が作った原稿を読むのが私の役目なのですが、当の私自身が出来のよい弁明とは思えないくらいですから、あれを聞いておられた多くの人びとが、疑惑を深めたであろうことはよく分かります。私は馬術の障害飛越競技選手でしたが、果たして眼前の障害を乗り越えることができるのだろうか。心細く不安でなりません。

私の弁明は、招致委員会が「ブラックタイディングス社」に2億3000万円を送金したことを認めるところから出発しています。送金の事実は証拠を押さえられていますから、否定することができません。2回に分けての送金の時期が、2013年9月の東京オリンピック招致を決めたIOC総会をはさんで、7月と10月。当然疑惑の対象となるわけです。

送金先の会社とどのように接触したのか。その素性をどう確認したのか、送ったカネの趣旨は何だったのか、そのカネはどのように使われたのか、送金先からカネの使途についてどのように報告を受けているか、ほかにもカネをばらまいていないのか…。想定される疑問に、スタッフが知恵を絞ってあの原稿を書いたのです。

具体的なことを書けばボロが出るわけですから、できるだけ抽象的に、あとからどうでも言い訳できるような文章を拵えてありますから、リアリティに欠けます。後ろめたい印象となったのは当然のこと。

しかしこう思ってくださる心温かい方もすくなくないと思うのです。
「オリンピック招致にワイロが動くのは常識じゃないの」「2016年大会招致の敗北は結局実弾が不足していたからでしょう」「招致に成功すれば見返りは十分なのだから思い切った『投資』が必要なことは理解できる」「コンサルなんて、ワイロあっせんに決まっているでしょうが」「ロビー活動って、結局はどうやって裏金を渡すかの密談以外の何ものでもありませんよね」「要は、ワイロを待ち構えているIOC委員に、どれだけの金額で、オ・モ・テ・ナ・シをするかだよ」

こういうものわかりのよい人びとを心の支えに、「カネはコンサル業務の対価としての支払いだ」とまずは構成しました。で、電通の名を出してこれに一部責任を転嫁し、「電通から、実績あるコンサル業者であることを確認した」と言ったのです。

ブラックタイディングスは、自分の方から売り込んできたのです。自分の実績も、IOC委員とのつながりについても、いろいろ話しただろうと思うのが常識的な判断。でも、そこを認めてしまっては、障害を飛越できません。飽くまでも、無理と知りつつ、「何も聞いていません」「委員との人的関係は知る由もありませんでした」とがんばるしかありません。

もっとも、何もかも知らぬ存ぜぬでは、「そんなことを調べもせずに2億ものカネを出したのか」「杜撰きわまる」と批判されますから、どこまで知らぬと押し通すかは微妙なところ。本当のことを語っては、「お・し・ま・い」なのですから、いかに本当らしく語るかが、苦心のしどころなのです。

招致決定以前の7月の支払いは、国際ロビー活動や情報収集業務として、招致後の10月の支払い分は、「勝因分析」業務として支払ったことにしました。「勝因分析に1億」って、そりゃ何だ? と突っ込まれるのは当然といえば当然。このコンサル会社は実はただのペーパーカンパニーで、裏で国際陸連前会長ラミン・ディアク氏の息子であるパパ・ディアク氏と繋がっていることを知っていただろうという追求を受けることになります。「知っていた」と言ってしまえば、一巻の終わりです。

どうしても逃げられないのが、コンサルタント料の約2億3000万円について、事前にも事後にも使途を確認していない、ということ。本日も、参考人として出席した衆院文部科学委員会で説明、このことを明言しました。だってね、まさか「事前に、ワイロとしての使途を確認」したり、「事後に、確実にワイロとしてターゲットに渡ったことの確認」などできるわけはないでしょう。だから、「使途の確認はしていない」と言わざるをえないのです。

すると、「使途の確認もすることなく2億を超えるカネを支払ったのか」「まことに不自然ではないか」「不見識」とお叱りを受けることになります。これは辛いが、じっと我慢する以外ありません。辻褄合わせは楽ではないのです。

結局、今はやりの第三者委員会方式による調査をすることにしました。弁護士など第三者の調査チームをつくるという、あのやり方です。ここにお任せして、招致関係者から聞き取り調査をしてもらおうというのです。これが一番楽で利口なやり方。うるさい記者には「第三者委員会で調査中で、その結論を待っています」と時間稼ぎができます。その内に、いろんな事件が起きて世論の逆風もおさまるに違いない、と思うのです。

うるさくない弁護士だけを集めて、調査チームを作って答申させるのです。あんまり、露骨な甘い調査ではいけない。さりとて本気になって厳格な調査など始められたら、なおいけない。その辺のアウンの呼吸を身につけた、大人の弁護士を見つけるのが、この種危機管理の要諦というもの。しかるべき人脈で、しかるべき弁護士を見つけることができるはずです。いざという時は、また、電通に頼みこめばよしなにはからってくれるでしょう。

私の後ろには、政権も東京都もついていたはずだったのです。ところが、東京都の方は当時の知事が不祥事で辞任し、その次の知事もおかしくなってしまっています。残るは、安倍政権なのですが、今度の参院選でどうなりますか。こちらも、心もとないありさまです。

そして心配は、日本での追求は飛越できたとしても、フランスの捜査当局がいったい何を見つけてしまうのか。心配で夜もオチオチ眠れません。いっそのこと、東京オリンピック返上覚悟で、洗いざらいぶちまけてしまったら、気持も軽くなろうかと思うのですが、そんな思い切ったことができないのは、やはり私の育ちの良さが邪魔しているのでしょうかね。
(2016年5月18日)

「起訴後勾留中の取調べに録画義務なし」との政府解釈にもかかわらず法案を推進する日弁連に強く抗議する ―「全過程可視化」はどこへ行ったのか?!

以上のタイトルは、昨日(5月16日)日弁連会長に宛てた法律家8団体の抗議書のタイトルそのものである。相当に厳しいトーン。私は、この抗議に全面的賛成の立場だ。
 まずはこの抗議の全文をお読みいただき、事態の深刻さをご理解いただきたい。

日本弁護士連合会 会長中本和洋殿 
       2016年5月16日

私たちは,参議院で審議中の刑事訴訟法等改正法案は,司法取引や盗聴の大幅拡大,「部分録画」を許す取調べ録音録画など,冤罪防止どころか新たな冤罪を作り出す危険が高く,捜査権限の拡大強化と国民監視を図るだけの制度を法制化するものだとして,本法案の廃案を求めて運動を続けてきました。
本法案は今週5月19日(木)にも採決予定と言われていますが,審議すればするほど本法案の人権侵害性が明らかになり,審議は全く尽くされていません。
このような法案を数の力で成立させることは絶対に許されません。

私たちは,日弁連が,17年前には現行盗聴法の成立に強く反対したにもかかわらず,本法案について推進の立場をとったことを誠に残念に思ってきました。日弁連が本法案を推進する最大の理由は,「取調べの可視化」が法制化されることにあったと思います。日弁連は,この「可視化」がどれほど不十分なものであっても,法制化されること自体が冤罪防止のための「一歩前進」であるとして,盗聴拡大や司法取引の導入と引き換えにしても余りある価値があると考えてきたはずです。

ところが4月8日の今市事件の宇都宮地裁判決は,本法案の先取りのような形で取調べの録音録画が行われたことにより,被告人の有罪判決が導かれるという重大な事態を露呈しました。暴力を振るわれ,「殺してゴメンナサイと50回言わされた」などの自白強要場面は録画されず,屈服して自白した場面が録画されて公判廷で再生されることにより,映像の強烈なインパクトによって,自白の「任意性」が容易に導かれただけでなく,実質証拠としても機能して有罪判決に至ったのです。裁判員たちは,録画がなければ有罪判断はできなかったと語っています。本法案の録画対象事件の少なさや大幅な例外規定をもって「抜け穴だらけの可視化」,「いいとこ録り」などと批判してきた私たちも,現実の裁判を目のあたりにして,これほど酷いことになるとは思わなかったと青ざめています。冤罪被害者たちは,本法案の恐ろしさを肌で感じ,必死で反対しています。

それだけでなく,今市事件に関連する国会質疑においては,本法案の重大な「欠陥」が明らかになりました。
今市事件では,2月に商標法違反で起訴され,起訴後の勾留中に殺人罪の取調べが行われ,6月に殺人罪で再逮捕されています。この3か月半にわたる起訴後勾留中の取調べにおいて自白が強要されましたが,その部分は録画されていません。そして,参議院法務委員会で林刑事局長は,別件で起訴後の勾留中の「被告人」に対する本件の取調べは,「被疑者」(法案301条の2第4項)の取調べではないから,録音録画義務がないと明言したのです。
これでは,本法案が成立したならば,別件での起訴後勾留を利用して,いくらでも録画なして自白を強要し,自白に追い込んだところで本件で逮捕することが可能になってしまいます。

日弁連は,本法案は,取調べの「全過程可視化」を実現するものだと主張し続けてきましたが,政府の解釈によって,「全過程可視化」など全く実現しないことが,はっきりと明らかになったのです。
法案の採決が迫った5月12日,日弁連の刑事法制委員会が,上記の一点に絞り,日弁連は,法務省等に対し,起訴後勾留中の取調べについても録音録画義務があることを明確にする法案への修正を求めるべきだとの意見書を出しました。ところが,日弁連の正副会長会議は,この意見を受け入れず,政府の解釈が間違っているとして,法案修正を求めない結論になったとのことです。

私たちは,この日弁連の結論に強く抗議します。
政府がはっきりと「録音録画義務なし」との解釈を明言しているのですから,法案が成立すればその解釈どおりに実務は動くでしょう。何か月も,やりたい放題,録画なしで自白を強要でき,自白に追い込まれて「スラスラ」自白している場面だけ録画する。このような法案の成立を,日弁連が黙って見ていることが許されるのでしょうか。
「全過程可視化」はどこに行ったのでしょうか。
法案はまだ成立していないのです。
政府見解に抗議し,法案の修正を求めるのは当然のことでしょう。
それがダメなら、今からでも日弁連として法案に毅然として反対して下さい。
「日弁連が冤罪に加担した」と言われないために。
日弁連が冤罪被害者と国民の信頼を取り戻すために。

  社会文化法律センター
  自由法曹団
  青年法律家協会弁護士学者合同部会
  日本国際法律家協会
  日本民主法律家協会
  盗聴・密告・冤罪NO!実行委員会
  盗聴法廃止ネット
  盗聴法の拡大と司法取引の導入に反対する刑事法研究者の会

**************************************************************************
同じく8団体が、同じ日に民進党にも要請書を提出している。その、タイトルだけをお読みいただきたい。これで、本文はあらかた推察がつく。

冤罪防止を目的としたはずの刑事訴訟法等「改正」法案は、冤罪拡大の「大改悪」法案であることが、参院質疑の政府答弁で改めて明らかに!!
今市事件裁判判決(本年4月8日)を通して、「一歩前進」とされてきた取調べの可視化(録音・録画)が、「むしろ冤罪・誤判を誘導するという危険性」をメディアも報道!
私たちは、民進党が5月19日採決容認方針を撤回し、徹底かつ十分な審議を貫くことを強く求めます!

 **************************************************************************
法律家8団体がこぞって、刑事訴訟法等『改正』法案は、実は「冤罪・誤判誘発法」となる危険性を指摘しているのだ。そして、その指摘の内容は極めて具体的だ。今市事件の取り調べ経過と部分可視化による判決で、その危険は顕在化している、と警告し猛反対している。

今市事件の教訓は次のようなものだ。被告人は、まず「偽ブランド品のバッグを所持していた」という商標法違反の別件で逮捕され起訴された。起訴のあとは、取り調べに応じる義務はないとされているが、それはタテマエだけのこと。現実には本件の殺人事件について、ぎゅうぎゅう取り調べを受けた。このときに、自白強要があったが、この場面は録画されなかった。屈服して自白した場面だけが録画されて公判廷で再生されることになったのだ。「この,自白映像の強烈なインパクトによって,自白の『任意性』が容易に導かれただけでなく,実質証拠としても機能して有罪判決に至った」。裁判員たちは、「この映像がなければ有罪判決は出せなかった」と言っている。部分可視化がもたらした有罪判決であり、冤罪である可能性が限りなく高い。

しかも、この取り調べの「部分可視化」について、参議院法務委員会で法務省の刑事局長は,このような「別件で起訴後の勾留中の「被告人」に対する本件の取調べは録音録画義務がない」と明言している。つまりは、現法案が成立すれば今市方式が是認されるのだ。

日弁連は、「部分可視化でも一歩前進」の立場、また「刑事局長答弁は法(案)の解釈を間違えている」という立場でもある。これに対して、8団体意見は「このような制度化された部分可視化は冤罪を誘発する」、「立法担当者が明言する取り調べ運用は必ず実務となる」という批判。
信頼されている日弁連が間違うとことだ。朝日も毎日も批判をしにくい。むしろ、赤旗のほかでは、産経がきちんと問題点を報道するという奇妙なことが起こっている。

明後日、5月19日(木)にも参議院での委員会採決強行があるかも知れない緊迫の状況。ぜひ反対の声に応じていただきたい。
(2016年5月17日)

「オリンピック・ワイロ誘致音頭」または「恥さらし音頭」

ハア~
あの日猪瀬が ながめた月が
きょうは 舛添ボロ照らす
次の次には 東京五輪
かたい約束 夢の夢
ヨイショ コリャ 夢となれ
オリンピックの 顔と顔
ソレトトント トトント 恥さらし

ハア~
あの日会議で もっともらしく
コントロールよ ブロックと
ウソを承知のしたり顔
ダマシとったが 我が手柄
ヨイショ コリャ 手柄顔
オリンピックの ウソとウソ
ソレトトント トトント 大ウソだ

ハア~
コンサル会社に払ったカネは
2億と少しのはした金
庶民騒ぐは すじちがい
これが相場のワイロ額
ヨイショ コリャ やすいもの
オリンピックの カネまみれ
ソレトトント トトント カネまみれ

ハア~
東京招致は 日本の知恵よ
ワイロとダマシの 大成功
追求されても二枚舌
日本の子どもに よい見本
ヨイショ コリャ 処世術
オリンピックの カネとウソ
ソレトトント トトント 大成功

ハア~
待ちに待ったる 世界のカネよ
西の国から 東から
北の空から 南の海も
越えて日本へ どんと来い
ヨイショ コリャ ザクザクと
オリンピックの カネとカネ
ソレトトント トトント ふんだくれ

ハア~
色もしぼんだ エンブレム 
大会経費は青天井
ゼネコン企業にはずむゼニ
いずれおとらぬ 無駄遣い
ヨイショ コリャ 人のカネ
オリンピックだ たかろうぜ
ソレトトント トトント この際だ

ハア~
終始一貫 無責任
どんなに金がかかっても
知事も首相も知らぬ顔
宴のツケは庶民宛
ヨイショ コリャ 気をつけよう
オリンピックの 霧と闇
ソレトトント トトント 無責任 

ハア~
政権はやせば 国民踊る
失政繕う 隠れみの
メディアこぞって 拍手の音に
アベの批判も かすみゆく
ヨイショ コリャ 思う壺
オリンピックの 笛太鼓
ソレトトント トトント もっと吹け

ハア~
暑い盛りの真夏の空に
聖火台など 要りはせぬ
省エネ日本の心意気
そのままギリシャにお返ししょ
ヨイショ コリャ お返ししょ
オリンピックは 要らないね
ソレトトント トトント 要らないよ

ハア~
リオの五輪は 政権ご難
東京五輪も ぐらぐら揺れて
オリンピックは 呪われづくし
いっそやめよう 東京五輪
ヨイショ コリャ 夢さませ
オリンピックの 夢と夢
ソレトトント トトント 悪夢だね

ハア~
東京五輪は 錦の御旗
東北復興そっちのけ
熊本復興どうでもよいさ
一極集中まっしぐら
いっそやめよう 東京五輪
ヨイショ コリャ 民のため
オリンピックは 困りもの
ソレトトント トトント やめちゃおう

ハア~
オリンピックのうらおもて
おもての成果は とりあって
うらの失敗 なすりあい
うらばっかりの
オ・モ・テ・ナ・シ
こんな五輪は返上だ 
ヨイショ コリャ 返上だ 
オリンピックは もう要らぬ
ソレトトント トトント 返上だ 
(2016年5月16日)

偶像も衆愚も 民主主義の反対概念である

36年ぶりに行われた北朝鮮の朝鮮労働党第7回党大会。
5月6日から始まって、最終日の9日に「決定書」が採択され、10日が祝賀行事であったとのこと。金正恩の事業総括報告に対して支持賛同が表明され、これが「偉大な綱領」とされた模様。そして、金正恩が最高位と位置付けられたという。

最高位とは、新設の「党委員長」ポストだとのこと。祖父、故金日成がかつて使っていた「党中央委員長」とは異なるとの説明だが、部外者には何のことだか分からない。どうでもよいことでもある。

韓国統一省関係者の「今回の党大会で最も重要なのが金正恩の偶像化」というコメントがメディアを賑わせた。権力者の偶像化? 個人崇拝? 今の時代に想像を絶する。反知性で知られる安倍晋三も考え及ぶまい。愚かな企てと笑って済まされることではない。他国とはいえ、無視しえない隣国でのこと。暗澹たる思い。

偶像となる権力者は、権力者を偶像として崇拝する衆愚の存在と一対をなす。領袖の演説に長い長い拍手を送るあの衆愚。喜々としてマスゲームのコマとなって、個性を埋没させるあの衆愚の姿だ。

日本における衆愚は、かつて臣民と呼ばれていた。明治政府は、「天子様」を偶像として臣民を教化し、『天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス』と憲法にまで書き込んだ。天皇こそが「最高位」であり、紛れもない偶像であった。実物とは似ても似つかぬ風貌の肖像画を描かせてこれを写真に撮って、ご真影なる偶像を作り上げ全国の学校に配布した。これに最敬礼する衆愚たる臣民たちがあればこその演出。

偶像と衆愚の一対は、理性を剥ぎ取られた衆愚を意のままに操る装置であり構造である。その完成形において、為政者は衆愚に対して、「天皇のために死ぬことこそが臣民の道徳」、「偶像のために死ね」とまで刷り込んだ。

為政者にとって、権力者の個人崇拝・偶像化はこの上ない調法な道具立てである。民衆の意思にしたがって権力が動こうというのではなく、権力の意向に従って民衆を動かそうとする場合の調法である。

日本における天皇の偶像化は19世紀の後半からおよそ100年続いた。世界の趨勢によほど遅れた事態と言わねばならない。21世紀の北朝鮮における金正恩の偶像化は、もはや世界の常識に反する愚挙である。民衆に対する徹底した服従と忠誠を求めることの愚挙というほかはない。

日本国憲法下では、このような愚挙は許されない。「民主主義」に反するからといってよいのだろうが、実は憲法には「民主主義」という用語が出てこない。

ポツダム宣言には、「民主主義」という言葉がある。
第10項の第2文「日本政府は日本国国民における民主主義的傾向の復活を強化し、これを妨げるあらゆる障碍は排除するべきであり、言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立されるべきである。」という用法。この「民主主義的傾向」の含意はよく分かる。

これに比べて、日本国憲法には、国民主権はあっても「民主主義」はない。前文の第1文には、「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。」という。この「人類普遍の原理」が民主主義であろう。

民主主義とは、集団の意思決定過程において、成員の意思を最大限尊重する手続的原則と言ってよいと思う。まず、衆愚ではない自己を確立した個人の存在が出発点にある。個人が先にあって、集団を形づくる。家族や小集団から、大規模集団、地域社会、国政に至るまであらゆる集団や組織に、民主主義が要求される。あらゆる集団に、衆愚も偶像も不要ということなのだ。

民主主義が浸透している社会では、自立した理性ある個人間の討議によって、集団の意思形成がはかられる。そのとき、個人は平等の発言権をもつことになる。すべての個人に、情報に接する自由と、表現の自由とが保障されなければならない。

偶像も衆愚も、民主主義の反対概念である。偶像化された個人は唾棄すべき存在である。崇拝される個人を、意識的に軽蔑しよう。そして、けっして衆愚にはならないと心しよう。
(2016年5月15日)

安心して叩ける「水に落ちた舛添」をどこまで打つべきか

政治資金収支報告書虚偽記載問題についての舛添要一都知事による釈明記者会見は、火に油を注ぐ結果となった。まずは、世論の反応の健全さを肯定評価したい。

都庁ホームページの「知事の部屋」で、動画として繰りかえし見ることができるし、発言の全文が文字に起こされてもいる。知事には相当に辛い内容だが、早期にアップしたことにはそれなりの敬意を表さねばなるまい。
  http://www.metro.tokyo.jp/GOVERNOR/KAIKEN/TEXT/2016/160513.htm

舛添バッシング一色ともいうべき、この世論の反応は、政治資金公開制度が正常に作動した結果といってよい。これが、政治資金の動きを公開することによって、政治や政治家を「国民の不断の監視と批判の下に晒す」ことの効果だ。彼は、既にレイムダックであり、水に落ちた犬となっている。もはや彼のいうことに、何の説得力もない。リーダーとしての仕事はできない。

政治資金規正法には、世論の監視に期待するだけではなく、「政治資金の授受の規正その他の措置を講ずる」こいう側面もある。規正によって、「政治活動の公明と公正を確保し、もつて民主政治の健全な発達に寄与する」ということ。

こちらは、知事が主宰する政治団体の政治資金収支報告書虚偽記載を犯罪として処罰することを想定している。私は、水に落ちた犬を寄ってたかってむち打つ仲間に加わろうという趣味はないが、いくつか、やや不正確なコメントが見られるので、次のことだけを記しておきたい。

※「政治資金規正法の虚偽記載罪は、政治団体の会計責任者(あるいは会計責任者の職務を補佐する者)の身分犯で、政治団体の代表者(舛添)の犯罪ではない」
第一次的にはそのとおりである。しかし、舛添の私的なホテルの宿泊費支出を「会議費用」として収支報告書に記載したことに、舛添が絡んでいないはずはない。結局は、共同正犯(刑法60条)が成立し、同法65条1項(身分犯の共犯規定)により、舛添についても虚偽記載罪(政治資金規正法25条1項)が成立する。

※「報告書への虚偽記載罪は故意犯なので、『間違いだった』で済まされてしまう。」
これも間違い。政治資金規正法27条2項は、「重大な過失により、…第25条第1項の罪(虚偽記載)を犯した者も、これを処罰するものとする。」となっている。

※「報告書を事後に訂正すれば、虚偽記載罪は結局不可罰となる」
とんでもない大間違いである。虚偽を記載した報告書の提出によって、犯罪は完成する。その後の訂正は、犯罪の成否に何の関わりも持たない。「訂正すれば問題がないだろう」とは、いかな軽率者も口にしてはならない。むしろ、事後の訂正は、犯罪の自認にほかならない。

※「有罪になつても必ずしも公民権停止とはならない。執行猶予がつけば、あるいは罰金刑の場合は公民権停止を免れる」
これも不正確な言なので、条文を掲記しておく。
政治資金規正法第28条1項 (第25条・虚偽記載)の罪を犯し罰金の刑に処せられた者は、その裁判が確定した日から五年間公職選挙法に規定する選挙権及び被選挙権を有しない。
 また、(刑の執行猶予の言渡しを受けた者については、その裁判が確定した日から刑の執行を受けることがなくなるまでの間)選挙権及び被選挙権を有しない。

同条2項は、禁錮刑実刑に処せられた者については、「その裁判が確定した日から刑の執行を終わるまでの間+5年間」が、執行猶予の場合は、「その裁判が確定した日から刑の執行を受けることがなくなるまでの間」が公民権停止期間としている。

もっとも、以上の「5年」は原則で、裁判所は判決で、これを短縮することもゼロとすることも、情状によっては可能である。

選挙で選出された地位にある現職者は、公民権停止の効果としてその職を失う。

※なお、舛添に「会計責任者の選任・監督に過失(重過失である必要はない)があれば」、最高50万円の罰金に処せられる(25条2項)。これにも、原則5年の公民権停止がつくことになる。

**************************************************************************
ところで、舛添バッシングに関して、傾聴すべきブログの記事を目にした。
以下は、宮島みつやという論者による筆の冴えである。タイトルは、「舛添より酷かった石原慎太郎都知事時代の贅沢三昧、登庁も週3日!それでも石原が批判されなかった理由」というもの。
  http://lite-ra.com/2016/05/post-2228.html

…この問題では、舛添都知事をフクロ叩きにしているマスコミがなぜか一切ふれない事実がある。それは、東京都知事の豪遊、税金での贅沢三昧が、石原慎太郎・都知事の時代から始まっていたということだ。いや、それどころか、1999年から2012年まで続いた石原都政での知事の“公私混同”は舛添都知事を遥かに上回っていた。たとえば、04年、「サンデー毎日」(毎日新聞出版)が「『知事交際費』の闇」と題した追及キャンペーンを展開したことがある。「サン毎」が情報開示請求を通じて明らかにしたのは、高級料亭などを使って一回に数十万単位が費やされていた「接遇」の実態だった。これは、他の知事と比べても突出したもので、しかも相手の顔ぶれを見ると、徳洲会理事長の徳田虎雄氏や文芸評論家の福田和也氏など、ほとんどが石原氏の友人やブレーン。ようするに石原氏は“お友達”とのメシ代に税金を湯水のごとくぶっ込んでいたのだ。

 さらに、海外視察も豪華すぎるものだった。石原氏は01年6月、ガラパゴス諸島を視察しているが、公文書によれば、その往復の航空運賃は143万8000円、もちろんファーストクラスを利用していたとみられる。しかも、この視察で石原氏は4泊5日の高級宿泊船クルーズを行なっており、本人の船賃だけで支出が約52万円。この金額は2人部屋のマスタースイートを1人で使った場合に相当するという。なお、随行した秘書などを含む“石原サマ御一行”の総費用は約1590万円だった。

 訪問国や為替レートを考えると、これは、今問題になっている舛添都知事と同じ、あるいは、それ以上の豪遊を税金を使って行っていたといっていいだろう。ところが、当時、この「サンデー毎日」のキャンペーン記事を後追いするメディアは皆無。世論の反応も怒りにはならず、追及は尻すぼみに終わった。

 ご存知のとおり、石原氏は芥川賞選考委員まで務めた大作家であり、国会議員引退後、都知事になるまでは、保守論客として活躍していたため、マスコミ各社との関係が非常に深い。読売、産経、日本テレビ、フジテレビは幹部が石原べったり、「週刊文春」「週刊新潮」「週刊ポスト」「週刊現代」も作家タブーで批判はご法度。テレビ朝日も石原プロモーションとの関係が深いため手が出せない。

 批判できるのは、せいぜい、朝日新聞、毎日新聞、共同通信、TBSくらいなのだが、こうしたメディアも橋下徹前大阪市長をめぐって起きた構図と同じで、少しでも批判しようものなら、会見で吊るし上げられ、取材から排除されるため、どんどん沈黙するようになっていった。

 その結果、石原都知事はどんな贅沢三昧、公私混同をしても、ほとんど追及を受けることなく、むしろそれが前例となって、豪華な外遊が舛添都知事に引き継がれてしまったのである。

 にもかかわらず、舛添都知事だけが、マスコミから徹底批判されているのは、今の都知事にタブーになる要素がまったくないからだ。それどころか、安倍政権の顔色を伺っているマスコミからしてみれば、舛添都知事は叩きやすい相手なのだという。

「安倍首相が舛添都知事のことを相当嫌っているからね。舛添氏は第一次安倍政権で自民党が参院選で惨敗した際、『辞職が当然』『王様は裸だと言ってやれ』と発言するなど、安倍降ろしの急先鋒的存在だった。安倍首相はそんな舛添氏の口を塞ごうと内閣改造で厚労相にまで起用したが、内心ではかなり舛添に腹を立てていた。都知事になってからも、五輪問題で安倍の側近の下村(博文・前文科相)を批判したり、憲法問題で『復古的な自民党改憲草案のままなら自分は受け入れられない』などと発言をする舛添都知事のことを、安倍首相はむしろ目障りだと感じていたはず。だから、今回の件についても、舛添が勝手にこけるなら、むしろいいチャンスだから自分の息のかかった都知事をたてればいい、くらいのことを考えているかもしれない。いずれにしても、官邸の反舛添の空気が安倍応援団のマスコミに伝わっているんだと思うよ」(政治評論家)

 実際、普段は露骨な安倍擁護を繰り返している安倍政権広報部長というべき田崎“スシロー”史郎・時事通信社解説委員なども、舛添に対してはうってかわって、「外遊なんてほとんど遊びだ」と激しい批判を加えている。

 一方で、石原元都知事にその贅沢三昧のルーツがあることについては、今もマスコミはタブーに縛られ、ふれることさえできないでいる。

 舛添都知事の不正を暴くのは意味のあることだが、「マスコミもやる時はやるじゃないか」などと騙されてはいけない。強大な権力やコワモテ政治家には萎縮して何も言えず、お墨付きをもらった“ザコ”は血祭りにする。情けないことに、これが日本のメディアの現状なのである。(宮島みつや)

**************************************************************************
なるほど、舛添バッシングの構造は、こんなものかも知れない。少なくとも、こんな側面がある。私は、舛添擁護論に与しないし、告発も躊躇しないが、以上の指摘は心しておきたいと思う。
(2016年5月14日)

「壊憲か、活憲か」(ロゴス社)購読のお願い

村岡到さんが主宰するロゴス社が、「ブックレット・ロゴス」というシリーズを出している。
  http://logos-ui.org/index.html
このほど、そのNo.12として、「壊憲か、活憲か」が刊行された。村岡到編で、村岡到・澤藤統一郎・西川伸一・鈴木富雄の共著。

「壊憲か、活憲か」のタイトルについて、冒頭に村岡さんが次のように書いている。なかなかに面白く読ませる。

「硬い内容にならざるをえないので、最初は言葉のクイズから始めよう。
 憲法の「憲」の付く熟語をいくつ知っていますか? 誰もが知っているのは、賛否は別にして「護憲」だろう。「憲法を守る」を二文字にすれば「守憲」となるが、「主権」と同音なので、「護る」を選んだのであろう。
 その対極に「改憲」があると思われている。だが、いわば「左からの改憲」もあり得るので、「護憲」の対極は「壊憲」のほうが分かりやすい。「違憲」は、憲法に違反していることを意味する。「違憲立法審査権」は法律用語である。「違憲」の反対は「合憲」。公明党は「加憲」と主張している。
 近年は「立憲主義」が流行り言葉になっている。「活憲」=「憲法を活かす」も浮上しつつある。「婚活」になぞらえて「憲活」という人もいる(杜民党の吉田忠智党首)。「創憲」を見ることもあるが、「送検」されることを好む人はいない。憲兵はもういないが、憲政記念館はある。
 今や国会議員がわずか5人となった社民党の前身である社会党は最盛期には250人も議員がいたが、1996年に解党するまで自他ともに「護憲の社会党」と称していた。そのころは、日本共産党はけっして「護憲」とは言わなかった。社会党が解党した後、共産党は「護憲」と言うようになった。だが、「活憲」は好まないようである。だから、ほとんどの場合に「憲法を生かす」と表記する。「生かす」だと「生憲」となるが、これでは「政権」と紛らわしいから、こう書く人はいない。「制憲」の2文字はほとんど使われないが「制憲会議」はある。
 しかし、共産党系の運動でも「活かす」が使われることがある
。…以下略。」

前書きに記された問題意識は、以下のとおりである。
「戦争法は施行されたが、市民による戦争法廃止の闘いは依然として全国で大きな規模で展開されている。そこでは『立憲主義』が強調されている。だが、この言葉は、少し前まではほとんど使われていなかった。憲法について真正面から考え、自らの生活や活動のなかで活かす努力は不十分だったのではないか。この反省のなかから、私は、『壊憲か、活憲か』を基軸として、憲法について明らかにしなければならないと考えるようになった。
 すでに自民党の『日本国憲法改正草案』に対しては、多くの批判が提出されている。このブックレットでは、それらとは異なる角度から問題を提起する。
 この小さな本は、この危険な壊憲策動に対して、憲法はなぜ大切なのか(村岡到論文)、岩手靖国訴訟を例にした訴訟を手段として憲法を活かす活動(澤藤統一郎論文)、自民党は立党いらい『改憲』を一貫して掲げていたのか(西川伸一論文)、さらに今から140年以上も前の明治維新の時代に千葉卓三郎によって書かれていた憲法草案の先駆性(鈴木富雄論文)について明らかにする。
 ぜひとも、一読のうえ検討とご批判を切望する。」

面白そう。続きを読んでみたいと思われる方は、下記にご注文を。
2016年5月3日刊行で、四六判128頁、価格は1100円+税。

ロゴス〒113-0033東京都文京区本郷2-6-11-301
  tel  03-5840-8525
  fax 03-5840-8544

ついでに、私の執筆部分もお読みいただけたらありがたい。
目次は以下のとおり

まえがき
〈友愛〉を基軸に活憲を  村岡 到
  はじめに 〈活憲〉の広がり
  第1節 〈活憲〉の意味
  第2節 憲法の意義
  第3節 憲法や「市民」を軽視してきた左翼
  第4節 共産党の憲法認識の揺れ、確たる転換を
  第5節 「立憲主義」用語の曖昧さ
  第6節 〈友愛〉の定立を
  つなぎに

訴訟を手段として「憲法を活かす」
 ──岩手靖国訴訟を振り返って  澤藤統一郎
  はじめに
  「憲法を活かす」ことの意味
  岩手靖国訴訟の発端
  「政教分離」の本旨とは
  靖国問題とは何なのか
  岩手靖国訴訟──何をどう争ったのか
  原告らの法廷陳述から
  最低最悪の一審判決 
  勝ち取った控訴審での違憲判断
  安倍政権下特有の靖国問題
  「活憲」運動としての憲法訴訟
  おわりに

自民党は改憲政党だったのか
 ──「不都合な真実」を明らかにする  西川伸一
  はじめに
  第1節 党史にはどう書かれてきたのか
  第2節 綱領的文書にはどう書かれてきたのか
  第3節 自民党首相は国会演説でどう発言してきたのか
  むすび

日本国憲法の源流・五日市憲法草案  鈴木富雄
  第1節 五日市憲法草案の先駆的中身
  第2節 五日市憲法草案が発見された経過
  第3節 起草者・千葉卓三郎
  第4節 五日市の気風と五日市学芸講談会
  第5節 GHQが憲法原案作成に着手した背景
  第6節 「五日市憲法草案の会」の活動
  あとがき


著者紹介
村岡 到 季刊『フラタニティ』編集長
澤藤統一郎 弁護士
西川伸一 明治大学教授
鈴木富雄 五日市憲法草案の会事務局長

そして、小著には過分の出版記念討論会が予定されている。
 と き  2016年9月3日(土)午後1時30分
 ところ  明治大学リバティタワー6F(1064教室)
 報 告  村岡 到 澤藤統一郎 西川伸一 鈴木富雄
 司 会  平岡 厚
 参加費  700円

以上、伏してお願い申し上げます。
(2016年5月13日)

限りなくクロに近い濃いグレイ-舛添知事の政治資金規正法違反の疑惑

2年前(2014年)の2月、舛添都知事誕生の際には、ひそかに期待するところがあった。あの石原暗黒都政から脱却の展望が開けるだろうという思いである。石原は、2012年都知事選では舛添を支援することなく、こともあろうに田母神の応援に走った。こうして、舛添は石原後継の軛に縛られることのない好位置を占めたうえ、保守中道と公明票を集めて210万を越える大量得票で圧勝した。

舛添は、保守ではあるがリベラルに親和性をもつ位置に立つ。日の丸や君が代が好きなはずはない。よもや愛国心強制教育に固執するようなことはあるまい。石原アンシャンレジームに責任を負わない立場の舛添であればこそ、脱却も是正もできるのではないか。教育委員のメンバーも少しはマシになって、異常な教育行政は改善されるのではないか。そう考えたのは、甘かった。

舛添就任から1年経過しても、都教委の姿勢におよそ変化の兆しがみえない。彼の記者会見の発言を聞くうちに、「どうもこの人ダメなようだ」と思わずにはおられなくなった。この人、教育行政の実態をほとんど知らない。知ろうとする意欲がない。頭の中は、オリンピックのことだけでいっぱいなのだ。

2年待って、見切りを付けた。もう、舛添に期待するのはやめよう。舛添も闘うべき相手と見極めなければならない。そう考えを決めたころから、この人の公費の浪費や公私混同の話題が出てきた。私は何の躊躇もなく原則のとおりに批判した。

海外出張の大名旅行ぶりの指摘を受けて、この人は「トップが二流のビジネスホテルに泊まりますか?」「恥ずかしいでしょう」と居直った。おや、こういう人だったのか、と認識をあらためた。相手の批判を極端にねじ曲げたうえでの反論は理性ある人の対応ではない。批判者の誰も、「二流のビジネスホテルに泊まるべきだ」と求めてはいない。都の出張規程の上限である一泊42000円のホテルで十分ではないか。それを20万円に近いスイートに宿泊する必要はなかろうとの批判を真摯に受け止めようとしないのだ。

さらに、公用車での湯河原別荘通いが暴かれた。メデイアへの匿名内部告発が報道の発端だという。問題発覚以後の「ルールに則っているから問題ない」というこの人の姿勢に、これはダメだとあらためて思った。自分の利益のためなら、ルール最大限活用主義者なのだ。

そして、公私混同の極み。家族旅行費用を政治団体の資金から支出し、ホテルからの領収証を「会議費」とさせて、政治資金収支報告書に虚偽記載しているという報道。これまでのところ、この報道内容の信憑性は高い。これは重大問題だ。倫理や道義の問題ではなく、刑事制裁の対象となる事件だからだ。ことは、知事の座がかかる事態に発展しかねない。

公私混同よりも、政治団体のカネの流用よりも、政治資金規正法に基づく収支報告書への虚偽記載がポイントである。これは、逃れ方が難しい。

政治資金規正法第1条の(目的)規定を掲記する。ぜひ、目を通していただきたい。

第1条 この法律は、議会制民主政治の下における政党その他の政治団体の機能の重要性及び公職の候補者の責務の重要性にかんがみ、政治団体及び公職の候補者により行われる政治活動が国民の不断の監視と批判の下に行われるようにするため、政治団体の届出、政治団体に係る政治資金の収支の公開並びに政治団体及び公職の候補者に係る政治資金の授受の規正その他の措置を講ずることにより、政治活動の公明と公正を確保し、もつて民主政治の健全な発達に寄与することを目的とする。

「議会制民主主義下の政治活動は、国民の不断の監視と批判の下に行われなければならない」。その監視と批判を可能とすべく「政治資金の収支の公開」を制度として整える。その厳格な収支の公開を主権者の目に晒すことによって、「政治活動の公明と公正を確保し、もつて民主政治の健全な発達に寄与することを目的」とすると言っている。この法律による制度の中核をなしているものは「政治資金の収支の公開」という手法である。もとより、この公開は正確でなくてはならない。虚偽の公開は、国民の不断の監視と批判を妨げることから、政治活動の公明と公正を毀損し、民主政治の健全な発達を阻害する犯罪行為とされるのだ。

その趣旨を、同法25条1項3号は、「政治資金収支報告書…に虚偽の記入をした者」は、「五年以下の禁錮又は百万円以下の罰金に処する」と定める。

もっとも、政治資金規正法25条は、会計責任者の身分犯であって、直接には会計責任者の罪科が問われることになる。会計責任者は法27条2項「重大な過失により、…第25条第1項の罪を犯した者も、これを処罰する」によって、故意がなかったというだけでは免責されない。

そこで、虚偽記載罪については一般に、会計責任者が「殿のために」すべてをかぶって、「殿の与り知らぬこと」となし得るが、本件の場合にはそうはいかない。

家族旅行のホテル代の領収証取得には、会計責任者は関与していない。舛添の指示のとおりに、会計責任者が報告書に虚偽の記載をしたものと考えざるをえない。しかも、正月に「会議」などあり得ないことは会計責任者の分かること。結局は、舛添と会計責任者の共同正犯(刑法60条)が成立し、身分のない舛添も処罰対象となる(刑法65条1項)可能性が限りなく高い。

それだけでない。法28条は、公民権停止を定める。
第28条 (第25条の)罪を犯し罰金の刑に処せられた者は、その裁判が確定した日から五年間(刑の執行猶予の言渡しを受けた者については、その裁判が確定した日から刑の執行を受けることがなくなるまでの間)、公職選挙法 に規定する選挙権及び被選挙権を有しない。

公民権を失うとどうなるか。
地方自治法第143条 普通地方公共団体の長が、被選挙権を有しなくなつたとき…は、その職を失う。
のである。

公職選挙法違反でも政治資金規正法違反でも、特定の犯罪で有罪になった者には、公職にある資格がないとされる。舛添の政治資金収支報告書虚偽記載罪はそのような類型の犯罪なのだ。

なお、政治資金規正法第2条は、次のように(基本理念)を掲げている。
第2条 この法律は、政治資金が民主政治の健全な発達を希求して拠出される国民の浄財であることにかんがみ、その収支の状況を明らかにすることを旨とし、これに対する判断は国民にゆだね、いやしくも政治資金の拠出に関する国民の自発的意思を抑制することのないように、適切に運用されなければならない。

政治資金はすべて国民が拠出した浄財である。任意の拠出資金だけではなく、税金から支出された政党助成金も含まれている。この浄財の公と私の財布とのケジメを無視したことは、国民が拠出した浄財をクスネたということになる。

このことによって、多くの国民が「政治資金をカンパしても、結局こんな使われ方で終わってしまう」。「馬鹿馬鹿しくってカンパなどやっていられるか」ということになってしまう。このように「政治資金の拠出に関する国民の自発的意思を抑制した」点において、舛添知事の責任は大きい。

それにしても、である。先に、田母神が逮捕された。次いで、舛添も刑事責任を追求されかねない。他の候補者・陣営は安泰なのだろうか。そして、舛添の失職と新たな都知事選があるのだろうか。風雲は急を告げている。
(2016年5月12日)

澤藤統一郎の憲法日記 © 2016. Theme Squared created by Rodrigo Ghedin.