澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

大統領令拒否のイェーツの良心と、「日の丸・君が代強制」を拒否する教師の良心と。

サリー・クイリアン・イェーツ。オバマが任命し、トランプが解任したアメリカの司法副長官である。一昨日までは、まったく知らなかったその人が、昨日から今日(1月31日)にかけて、世界の注目を浴びる存在となった。

この人は、弁護士から検察官となり、連邦検事からオバマ政権で司法副長官に指名され連邦上院で承認を受けた。2015年5月のこと。その票決は84対12であったという。その1年半後に政権が交代したが、トランプ任命の司法長官に対する議会の承認が遅れる事態において、その空位を埋めるために、トランプの要請を受けて司法長官代行を引き受けた。暫定措置ではあるが、司法省のトップとなったわけだ。

こともあろうに、ならず者トランプは、イスラム教徒の多い中東・アフリカ7カ国(シリア・イラク・イラン・リビア・ソマリア・イエメン・スーダン)からの難民・移民の入国を一律制限する大統領令を発して、世界を混乱におとしいれた。米国内にもこの無謀な措置を違憲とする動きが澎湃として湧き起こった。違憲訴訟が起こされたら、政権側の法律家がこれに対応する。イェーツは、その元締めの立場に立たされた。

世界に衝撃が走った。「イェーツ米司法長官代行は30日、『大統領令は、合法であるとの確信が持てない』として、司法省は政権を擁護しないとの見解を明らかにした」というのだ。「この大統領令を法廷で弁護しないよう省内に指示した」「大統領令の合法性や政策としての有効性に疑問があると述べた」という表現の報道もある。

イェーツの決意は徹底していた。同省の弁護士らに、こう述べたという「大統領令が『常に正義を追求し真実を支持するという司法省の厳粛な義務と合致している』とは考えない」。

トランプ政権はただちに長官代行を解任し、後任を任命した。この間、わずか1時間であった。ホワイトハウスの声明は、イェーツ氏が「米国の市民を守るために作られた法律命令の執行を拒否し、司法省を裏切った」と言っている。

イェーツは、政権の上級法律顧問への書簡でこう言っているそうだ。
「(司法長官代行としての)私の責任は、司法省の立場が法的に正当化できると同時に、法律の最も正しい解釈に裏付けられいるよう、保障することです」、「私たちが法廷でとる立場は、常に正義を追求し、正しいことを支持するというこの機関の、厳粛な責務に常に一致していなければならない。」

本来、行政は上命下服の関係が貫かれた一体性を保持しなくてはならない。大統領令に公然と叛旗を翻したイェーツの行為には、当然に批判の立場もあろう。しかし、彼女の職責に関わる良心からは、やむにやまれぬ行為であったことが推察される。

行政の一体性だけでなく、そもそも政権の存立自体も、結局は国民の福利のために憲法が定めた制度である。違憲の大統領令の執行が国民の福利に反するこのときに、無難に大統領令に従うべきか、それとも、憲法の理念を遵守すべしという法律家の良心が命じるところに従うべきか。

彼女の立場や気持は、日の丸に正対して起立し君が代を斉唱するよう命じられた教員によく似ている。公務員としては職務命令に従うべきとされても、教育者の良心が命じるところにおいては起立してはならないのだ。国家は、国民に価値観を強制してはならない。ましてや教育の場で、国家主義を子どもたちに刷り込むことは許されない。教師として、そのような行為に加担してはならないとして不起立を貫いた延べ500人に近い教師が懲戒処分を受けているのだ。

どう考えても、人種・国籍・民族・宗教による差別意識丸出しの、違憲明白な大統領令が間違っている。多くの抗議によるその撤回あるいは是正が望まれる。日の丸・君が代も同様だ。石原慎太郎アンシャンレジーム都政が作りあげた、国家主義丸出しの「日の丸・君が代強制」が間違っているのだ。そして、その強制を支持しているアベ政権の歴史修正主義が間違っているのだ。

いま、世界の世論は、トランプを責めてイェーツを称賛している。これこそが歴史の求める健全な状況だ。日の丸・君が代強制も同じこと。良心に基づく不起立の教員を責めてはならない。強制と処分を繰り返している都教委をこそ、そしてその背後にあるアベ政権をこそ批判し責めるべきなのだ。
(2017年1月31日)

「でんでんアベ君」 私も国民も恥ずかしい。

アベ君。私は恥ずかしい。
キミに国語を教えた云々は、以前にも申しあげた。いつ、どこで師弟関係にあったか云々は野暮の骨頂。「昔々あるところ」云々で十分なことだ。その昔々以来、キミの言語能力に進歩はない。むしろ、退歩云々が取り沙汰されるばかり。キミの言語能力不足云々には私にも責任がある。なんともお恥ずかしい限りだ。

君の父君・安倍晋太郎は、政治家になる前は毎日新聞の記者だった。それなりに学識も民主的感覚もあったのだろう。その毎日新聞が、本日(1月30日)の「週刊漢字」欄に、「読めますか」と3個の熟語を掲載している。出題の意図を「首相発言で連想した語です」と明記した3語。その筆頭が「 ①云々」だ。

回答欄には、①「うんぬん」。…「安倍晋三首相は24日、国会で『訂正でんでんという指摘はまったくあたりません』と答弁した。『云々』を読み間違えたといわれている」とある。

アベ君、この漢字は「うんぬん」と読むんだ。「でんでん」では何のことだか分からない。君は大きな声で、自信ありげに分からない言葉を使っているのだ。

私は国語教師としてにわかに信じがたい。現代日本人の国語の能力がここまで落ちてしまっていることが。とりわけ政治家の、とりわけ首相の言語能力の劣化にはこちらが赤面させられる。未曾有の「みぞうゆう」云々の事件で唖然とさせられたものだが、あれが例外ということではなかった。アベ君、やっぱり君もお仲間だったか。

私の「恥ずかしい」という気持のよってきたる所以を分かっていただけるだろうか。君の常識や言語能力の欠如云々だけのことではないのだ。はからずも、今回の「でんでん事件」云々で明瞭になったのは、君は国会で自分の言葉で語っているのではないということだ。官僚の作文を、あたかも自分の言葉である如くに読み上げているだけのこと。しかも、自分でもよく分からないことを、いかにもわかった風に読み上げている。今回、はしなくもそのことを天下に示したのだ。言わば、何にも分かってはいない、君の化けの皮が剥がれたということだ。

私は口を酸っぱくしてキミに教えたはずだ。最も大切なのは国語の知識や技術ではなく、自分の意見や心情を相手に正確に伝えようという発信の熱意であり、相手の意見や心情を正確に読み取ろうという真摯な受信の姿勢なのだと。キミにはその両者がともに決定的に欠落しているのだ。

言葉が社会的存在であることもよく教えたはずだ。自分勝手な言葉の使い方は傲慢な性格の表れであって、言葉の受け手を困惑させるだけでなく、言葉の使い手の信用を落とすことにもなるのだと。君には、言葉を通じて国民の信頼を得る熱意も資質もない。そんなキミを教えた私が恥ずかしい。そんな君を首相にまでしてしまったことが、日本国民として恥ずかしくてたまらない。

実はこの「恥ずかしい」は、わが国だけのことではない。韓国・朴槿恵大統領疑惑の追及云々に大きな役割を果たしたのが、保守系の朝鮮日報。その朝鮮日報の昨年10月の社説が、大統領疑惑について「韓国民であることが恥ずかしい」云々と書いて話題となった。1987年の民主化によって政権は軍の手を離れて国民のものとなったはずなのに、未だにわが国(韓国)の民主主義の程度はこんなものであったか、という残念な気持を「恥ずかしい」と表現して共感を呼んだのだという。

米国のトランプ現象云々も同様だ。あの、慎みのなさ。他への思いやりの欠如。真実への謙虚さも人権への配慮もない、あのようなならず者同然の人物が超大国の大統領だというのだ。このことを良識ある国民が「恥ずかしい」というのは当然のことだろう。

しばらくは、良識ある人々が「恥ずかしい」思いをいだかねばならない、奇妙な時代なのかも知れない。しかし、カナダの首相も、フランスの大統領も、そしてドイツのメルケル首相も、トランプに言うべきことをきちんと言っている。

アベ君、君は何とも言わんのかね。野党には、居丈高に「でんでん」云々と声を張り上げても、手強そうなならず者には、ダンマリなのか。アメリカに駆けつけてトランプに擦り寄ったイギリスのメイ首相は、自国民から大きな『NO!』を突きつけられているぞ。

国語とは、あるいは言語とは、今のような言うべきときに、適切な表現を可能とする基礎学力なのだ。君は、自らの「でんでん」程度の能力を自覚して、どうせ相手に通じるような話をすることが無理だと考えてしまっているのだろうか。

君は、いろんな国に行って、いろんな相手に「価値観を同じくする」と言っているようだ。しかし、具体的にはいったいどんな価値観を同じくすると言っているのだろうか。抽象的に「法の支配」を意味する云々ということはできない。「法」は多面性を持っている。権力を制約する側面もあれば、権力を実行するプログラムとしての側面もある。法の内容もいろいろなのだ。

オバマとトランプ、明らかに価値観を同じくしていない。両人の言う「法の支配」の内実もまったく異なる。君は、両者に価値観を同じくするとは言えないのだ。

韓国も、アメリカも、そして日本も、こんな程度の人物を権力の座に据えてしまっていること、つまりはこんな程度の民主主義しか築いてこなかったことを「恥ずかしい」云々と言っているのだ。

だから安倍君、そろそろ政治から身を引いてはどうかね。君も私も、そして国民全体も、恥の上塗りをしないで済むことになる。その上であらためて、もう一度国語の勉強をしなおすことをお勧めする。そのときは、私も責任上、付き合うことにしたい。
(2017年1月30日)

「憲法日記」 本日連載第1400回

当ブログ「澤藤統一郎の憲法日記」が、日民協ホームページの軒先間借りから独立して、新装開店したのが2013年4月1日。以来、毎日一本の記事を途切れることなく掲載し続けて、およそ3年と10か月。本日で連続1400回となった。何がメデタイのか判然とはしないが、ともかく一人で祝うことにしよう。

1400日前の、連載第一回冒頭の記述を引用する。
春。新しい出発のとき。引越の季節でもある。
本「憲法日記」は、4月1日の本日、これまで長く間借りしていた日民協ホームページから引越をして、本サイトにての新装開店である。独立を宣言する心意気なのだが、これまでと何がどう違うことになるのかは、まだよく分からない。少なくとも、大家に気兼ねすることなく、独立自尊、のびのびと、言わねばならぬことを言いたいように言えることになる。もの言わぬは腹ふくるる業とか。恐いものなし。なんでも言うことにしよう。

以来今日まで、第一回で宣言したとおり、「なんでも言うことにし」てきた。「言わねばならぬことを言いたいように言ってきた」とも思う。

私の当ブログ執筆の基本姿勢は以下の如きものだ。
当たり障りのないことは、わざわざ時間をかけて書くに値しない。すべからく、「当たり障りのある」ことだけを記事にしなければならない。

「当たり障りのある」記事とは、直接間接に誰かにとって不愉快であり感情を害するもの。あるいはそれにとどまらず、場合によっては、対象人物の社会的評価を低下させる内容を含むものである。

通常、他人を批判することは避けたいとするのが人情。私もその例に漏れない。しかも私は、もともとが文系の人となり。どちらかといえば、花鳥風月や歴史をひもとくことが好み。そんな文章を書いている限り、舌禍も筆禍もないのだ。

当然のことながら、他人への批判には反論が待っている。反論や反批判の繰りかえしというしんどい作業を覚悟しなければ、「当たり障りのある」記事を書くことはできない。それでも私は、1400日前に、そのような覚悟をもって「当たり障りのある」ブログ記事を書き続けることを宣言したのだ。もちろん、アベ政権の憲法破壊の動きに、少しでも抵抗が必要だと考えてのことである。

表現の自由とは、だれをも傷つけない、毒にも薬にもならない内容の言論が保障されていることではない。権力と権威あるものを対象に、これに打撃を与え、「毒」になる内容の言論が保障されているということでなくてはならない。権力と権威は得てして暴走する、これを是正するのが批判の言論である。権力と権威の腐敗防止の役割も批判の言論が担う。そのことが、多くの人にとっての「薬」になる。当ブログは、そのような役割の一端を担いたい。

まずは、内閣、省庁、国会、裁判所、地方自治体などの権力機構やこれを担う官僚・公務員に対する批判の言論が徹底して保障されなければならない。とりわけ、政治家に対する批判の自由は格別に重要な意味を持つ。

次いで、天皇や天皇にまつわる制度を批判する言論の自由が保障されなければならない。天皇や皇族の行状、その経済的優遇措置、天皇の神聖性や文化的権威の維持に資する一切の思惑や賛美の意見や行事などを批判する言論が最大限に手厚く保障されなければならない。天皇こそが、歴史的に国民主権の敵対物であり、主権者意識確立を妨害する存在だからである。

さらに、社会的な強者としての財界、企業、事業者に対する批判においても躊躇さするところがあってはならない。

そして、メディアや、政党、大学や研究機関、あるいは巨大宗教団体など、社会的な権威や権力を持つ組織やそれを担う人物に対しても、批判の言論が保障されなければならない。

すべからく、権威や権力を持つ者は、その権威や権力の程度に応じて、批判に寛容でなくてはならない。

昨日の「DHCスラップ訴訟・勝利報告集会」で、田島泰彦教授が「国際動向のなかの名誉毀損法改革とスラップ訴訟」というタイトルでの記念講演があった。表現の自由を定めた、国連の「自由権規約(B規約)19条」の公的解釈とも言うべき「名誉毀損法の国際ガイドライン」が、いま大きく変更されようとしており、数ヶ月以内に発表があるはずとのこと。

その中で注目されるものは、「公人(あるいは公的人物)に対する批判の言論」を手厚く保障するという枠組みから、もっと広く「公共の関心事に関する言論」を手厚く保障するという枠組みになるはず、ということだった。「自由権規約(B規約)」は国内法としての効力を持つことになるのだから、心強い限りである。

今日までの1400回のブログでは、アベ政権・自公与党による明文改憲・解釈改憲の動きを批判し続けてきた。その同盟者としての橋下・維新もである。都政や歴史修正主義、諸悪法制定の動きにも警鐘を鳴らしてきた。

天皇や天皇制、天皇制にまつわる元号、祝日、叙位叙勲、公的行為を批判してきた。また、消費者の立場から企業や規制緩和論者を批判してもきた。全ては、弱者の側からの、強者に対する批判のオンパレードである。「宇都宮君立候補をおやめなさい」シリーズも、「DHCスラップ訴訟を許さない」シリーズも、弱い立場の人権に敵対する強者への挑戦の言論となっているはずである。

さて、1400回。もちろん、通過点に過ぎない。次は、満4年の記念日があり、1500回があり、さらに5年となる。改憲阻止を目指して、毎日コツコツと書き続けていくことになるだろう。2000回を迎えたときには、いったい何が主要なテーマとなっているのだろうか。
(2017年1月29日)

「ヘイト・デマ ニュース番組」の元凶・DHCとの闘いにさらなるご支援をー「DHCスラップ訴訟」を許さない・第99弾

よく晴れた、暖かい土曜日の午後。DHCスラップ訴訟勝利報告集会にご参集いただき、ありがとうございます。
本日講演いただいた田島泰彦先生、弁護団の皆さま、貴重な発言をいただいた皆さま、そしてこれまでのご支援をいただいた皆さまに心からの感謝を申しあげます。

元来が気の小さな私。多くの方からの応援の声に支えられて持ちこたえ、ようやく降りかかった火の粉を払うことができました。
嬉しいことに、この間多くの方から「DHCは怪しからん」「今後DHCの製品は絶対に買わない」「DHCのコマーシャルにはスイッチを切る」「機会あるたびに、周りの人にDHCや吉田嘉明の酷さを知ってもらうようお話ししている」と言っていただいています。不愉快な思いはさせられましたが、負けずにがんばった甲斐があったというものです。

とはいえ、考えてみれば、今のところは「降りかかった火の粉を払う」ことができただけ。もしかしたら、「斬りかかってきた刃を、ようやくかわした」だけというべきかも知れません。斬りかかった者には、相応の制裁がなされなければなりません。でなければ、この「犯人」からの再びの理不尽な攻撃の恐れは払拭されないからです。

斬りつけられ、あわや傷つくところだった被害者は、私一人ではありません。斬りつけられた刃が狙った真の被害者は、文明の基本原則である「言論の自由」であり、言論の自由に支えられた民主主義や人権など市民社会の普遍的な原理であったと思うのです。

DHCスラップ訴訟の勝訴によって、その被害は救済されたでしょうか。実は、多くの人が、DHC・吉田への批判に口をつぐみ、言論を萎縮している状況に変化はありません。DHC・吉田は刃を振り回すことによって、既に大きく「言論の自由」を傷つけているというべきではないでしょうか。

スラップとは、「勝訴による被害救済を目的とする訴訟」ではなく、「提訴自体がもつ批判の言論への萎縮効果を狙う訴訟」にほかなりません。ですから、DHC・吉田は、本件の提訴そのものによって既にその目的を遂げているのです。

DHC・吉田は、高額損害賠償請求訴訟の提訴で何人かの被告を恫喝し、そのことを通じて、自分を批判しようとしている多くの人たちの言論を萎縮させているのです。この事態において、「言論の自由」の被害を回復するには、反撃の訴訟が必要だと思います。

時はまさによし。この集会にタイミングを合わせた如くに、DHC・吉田嘉明のヘイト体質がいま大きな話題となっています。TOKYO MXテレビの「ニュース女子」沖縄ヘイト番組を制作放映した元凶はDHCにほかなりません。吉田嘉明とは、単に行政規制を嫌ってその緩和・撤廃を求めるネオリベ事業者であるだけでなく、在日差別の広言者として、また沖縄の平和運動への敵対者として私たちの目の前に姿を現しています。「澤藤被告始め数十名の反日の徒より、小生および会社に対する事実無根の誹膀中傷をインターネットに書き散らかされました」と、自分の批判者には「反日」とレッテルを貼る真正右翼以外の何者でもありません。

多くの方に、ご支援を得る条件が調っているではありませんか。私は、2年半の『被告業』を営んでまいりましたが、あらためて『原告業』『スラップ糾弾業』に転進することを宣告いたします。
新たな訴訟を通じて、スラップ訴訟が言論の自由に及ぼす害悪を告発し、闘い続けることで、スラップの「言論萎縮効果」ではなく、「反撃誘発効果」の成功例を作りたいと考えています。

もっとも、本日の議論でも繰り返されたとおり、DHC・吉田のスラップに対する制裁として、660万円程度の損害賠償請求訴訟では、経済的強者にとっては痛くも痒くもないだろう、という見方も当然にあり得ます。しかし、ホームページで自白しているとおり、吉田嘉明は自分への批判に対する耐性が脆弱なように見受けられます。他からの批判や反論が的を射たものであれば、十分に「痛くも痒くもある」ように思われます。訴訟という公正な場と手段による批判や反論は、それなりに有効で有益なスラップ抑制効果をもちうるのだと思っています。

もちろん、DHCのスラップやヘイトを阻止するために、真に実効性ある批判の手段としては、経済的な制裁が必要と考えるのが常識でしょう。スラップ常習企業として知られた武富士が結局は企業の体をなさずに没落したように、スラップやヘイトを繰り返す企業には、賢明な消費者による消費者主権の行使としての制裁が期待されるところです。そのことによってはじめて、現実的に企業の違法を是正することができると思うのです。

世論にそのような訴えを継続するためにも、DHC・吉田によるスラップの問題をいま獲得した勝訴の確定で終らせず、闘い続ける意義があると思うのです。私は、これまで『被告業』を営んでいる間を通じて、「幸せな被告」でした。ぜひ、皆さまの重ねてのご支援で「幸せな原告」にしていただけますようお願い申しあげます。

なお、下記のコンセプトで報告文集を作成します。
☆DHCスラップ訴訟の経過と勝利を記録し世に広める。
☆スラップ対策実務に役立つものとする。
☆読者対象は、市民+ジャーナリスト+弁護士。
☆発行主体はDHCスラップ訴訟弁護団(光前団長)
☆B5版横組み 本文144頁+表紙 1500冊を作成
頒価は1000円(+消費税)とし、利益は弁護団会計にいれる。
☆内容の概要(4部構成)
(1) 経過報告
(2) 感想・祝意・メッセージ
(3) 論文(弁護団長・田島先生・常任弁護団員)
(4) 資料(訴訟に提出されたものを主として)
本日の田島先生の講演は、論文として全文掲載いたします。
☆2月末発刊を目標とする。遅れても、3月上旬に。
まだ間に合います。この報告文集への寄稿をお願いします。論文・感想・エッセイ・メッセージ…、なんでも結構です。長さも問いません。こちらもよろしくお願いいたします。
(2017年1月28日)

盛岡地裁「浜の一揆訴訟」 傍聴満席の法廷で

原告ら代理人の澤藤大河です。原告準備書面(5)の内容を要約して陳述いたします。
本準備書面は、次回から立証段階にはいる予定で、主張段階最後の準備書面として、原被告双方の主張を整理し、原告主張を補充する目的とするものです。
その目的に従って、準備書面の構成は下記の4部になっています。
第1 原被告の各主張の整理
第2 被告の本案前の主張について
第3 「水産資源の保護培養の必要」について
第4 「漁業調整の必要」について

まず、第1に、原被告各主張の整理です。
この訴訟は、原告らのサケ刺し網漁許可申請に対して、被告・岩手県知事が不許可処分を行ったため、この処分の取消を求めるとともに、許可の義務付けを求める訴訟です。

取消訴訟における訴訟物、すなわち訴訟の対象となる法律関係は、処分の違法性です。 原告としては、処分を特定し、違法であることを主張すればそれで足りるものです。 本来、処分の違法性について、原告が証明する必要はありません。処分が適法で理由があることについて被告に証明すべき責任があるのです。

ところが、被告は、自らの行った処分適法の根拠について一切主張も証明もしようとしません。これまでの主張書面においても、具体的な事実関係は主張しない旨繰り返し述べていますし、それについての証明もするつもりもないということなのです。そのため、通説的な証明責任の分配の議論からすれば、当然に請求認容判決がなされなければならない状況にあります。
被告が、現在述べている意味のある主張は、義務付けの請求に関連して、原告らの許可申請が適法な申請ではないので、訴訟要件に欠けているということだけです。 訴訟提起から1年も経ってから、今更、訴訟前の申請手続が不適法だったなどとは、不誠実な主張と言うほかありません。この点については後に、第2で述べることにします。

他方で、私たちは、証明責任がないからといって、実質的な議論を避けるつもりはありません。

三陸沖を泳ぐサケは、無主物であり、そもそも誰が採るのも自由。これが原則であり、議論の出発点です。

魚類採取の自由は、経済活動としては憲法22条1項の営業の自由として、あるいは個別の行為自体は憲法13条によって保障されています。この憲法上の自由を制限するためには、公共の福祉による高度の合理性・必要性がなくてはなりません。

漁業法・水産資源保護法及び岩手県漁業調整規則は、特に「資源保護培養の必要性」と「漁業調整の必要性」がある場合に限り、サケ漁の許可申請を不許可にすることができると定めているのです。私たちは、資源保護培養の必要性や、漁業調整の必要性という実体法上の要件について、十分な議論を行うつもりですし、証明も行う予定です。
サケ漁の許可申請を拒否する根拠としての資源保護培養の必要性とは何か。それが本件では存在しないことについては第3で、また、漁業調整の必要性については同じく第4で詳しく述べます。

次に、本準備書面第2において、被告の本案前の主張について反論しています。
被告は、原告らの申請から2年、提訴から1年も経ってから、突然、原告らの申請は適法なものではないので義務付け訴訟の要件を満たさないと主張し始めました。被告の対応を信用して、今まで手続を重ねてきた原告らにとって、驚くべき主張と言うほかありません。
そもそも、原告らの申請は、被告側窓口である岩手県水産振興課と数ヶ月にわたる交渉、被告からの指示による要式の遵守と補正を繰り返して行ったものです。いまさら不適法だったなどとは、行政手続への信頼を裏切るものとして、許される主張ではありません。
原告らは、経済的にも困窮して、速やかなサケ刺し網漁を求めて提訴したのです。この期に及んで、1年もの時間を浪費させるような主張は受け入れられません。

裁判所にとっても、これまでの審理を無駄にする、大変な訴訟不経済をもたらすものではありませんか。もともと、これらの申請が不適法ならば、被告は不許可処分ではなく、申請に対して却下処分とすべきだったのです。却下処分をせず、間違えて不許可処分をしてしまったと突然言い張り、その不利益を原告に押しつけることは、到底許されません。

第3は、水産資源の保護培養の必要性についてです。
被告は、資源保護培養の必要性の実質的内容についての主張は一切していません。
それでも、被告は、資源保護の観点から、原告らに許可は出すべきではないと言いたいようです。
しかし、以下に述べるとおり、サケ資源の保護培養は十分に達成されており、原告の申請を不許可にする理由にはならないのです。
サケは、現在自然産卵によって増殖しているわけではなく、極めて大規模な人工増殖事業により繁殖しています。
サケ資源の再生産のためにはこの人工増殖事業に必要な卵の採取ができれば良いのであり、その分の卵が確保できれば、他の魚種のように、採りすぎを危惧する必要はありません。
許可申請の時点である2015年のデータを基に計算してみれば、岩手県内のサケ河川捕獲は45万尾でした。仮に、原告らに本件各請求にかかる許可を与えたとしても、原告らの刺し網漁により減少する河川捕獲サケは最大で90トン、2万7000尾程度に過ぎません。
すると、原告らの刺し網漁の分を差し引いても、なお、42万尾余りの河川捕獲が確保されることになります。
42万尾のサケの半数がメスとして、21万尾のメスから、一匹あたり約3500粒の卵が採取でき、7億3500万粒の卵が確保できます。この年の人工増殖事業で必要とされた卵の数は4億7000万粒程度ですから、本件許可をしたとしてもなお、必要量の倍量近くを確保できることになります。

資源保護培養の必要性という理由で、本件申請を不許可にすることはできないのです。

第4は、漁業調整の必要性です。
やはり、被告は、漁業調整の必要性の内容についての主張は一切していません。
それでも、漁業調整の観点からしても、原告らに許可は出すべきではないと言いたいようです。しかし、漁業調整の必要性の観点からは、むしろ原告らの申請を許可すべきことは導けても、不許可の理由を導くことは全くできないことなのです。

「漁業調整」とは、漁業関係法規によく出てくるテクニカルタームですが、その具体的内容が法律に定められているわけではありません。結局のところ、各漁業主体に漁業資源をどのように配分するのか、どのような手続で配分を決するべきかを指している言葉だと理解するしかありません。

では、どのような原則に基づいて分配すべきなのでしょうか。
漁業法で定められている、「民主化」という理念に基づき、何よりも平等公平に分配されることが必要なのです。現在、被告は、定置網事業者に、サケ資源の採取を独占させています。しかし、定置網事業者以外にも平等・公平にサケの採取を許可しなければならないのです。

主要事実として主張はしていないのですが、被告は、定置網事業者に、サケ資源を独占させている理由を、
①定置網運営漁協から各組合員に十分な利益配当があること、
②定置網業者の孵化事業への貢献、及び
③孵化事業への税金の投入がある、
などと言うようです。
しかし、
①定置網運営漁協から組合員に到底十分な利益配当があると言える状態ではありません。十分な配当があれば、原告らが不満をもって提訴に及ぶはずがありません。
定置網では十分な配当ができないということなら、定置網は投資に対する効率が悪いのです。むしろ刺し網漁を主体に、サケ漁全体の構造を変革すべきなのです。
②定置網業者の孵化事業への貢献
現在、サケの水揚げ量に応じて、7%の賦課金が課されています。定置網業者の孵化事業への貢献とはそれだけのことです。サケを採取した者がこれを負担することは当然のことです。原告らが、許可された場合には、当然これらの賦課金を負担することになります。
③孵化事業への税金の投入
税金を投じていることは、県民だれにもサケ漁への参入を認めるべき強い理由となります。税金を投じていればこそ、サケ漁にはより公平により平等に広く漁民の参入を認めるべきです。原告らも県民であり、税金納入者なのです。税金を投じたサケ孵化事業からの利益を、定置網事業者のみに独占させることの不当性は明らかで、原告らの申請を不許可とする理由とはなりえません。

最後に、特に強調したいことを申しあげます。本件では、漁民の利益と漁協の利益の衝突が問題になっています。被告は、「漁協が経営する定置網漁のサケ漁獲に影響があり得るから、漁民のサケ漁は認めない」という姿勢です。しかし、これは明らかにおかしい。

水産業協同組合法4条は、漁協存在の目的を「組合員のために直接の奉仕をすることを目的とする」と明記しているではありませんか。漁民あっての漁協であって、漁協あっての漁民ではないのです。主人公であるはずの漁民よりも、「組合員のために直接の奉仕をすることを目的とする」と法に定められた漁協を優先して、漁協の漁獲への影響を心配して、漁民のサケ採捕の申請を不許可にするとは、本末転倒甚だしいというほかありません。

しかも、原告は漁協の定置漁経営をやめろなどと言っているのではない。原告らに無制限にサケをとらせろと言っているのでもない。原告一人当たり、年間10トンに制限した、ささやかなサケの漁獲の許可を求めているに過ぎないのです。この点をご理解いただきたいと存じます。

以上の事実を証明するため、3人の証人と、4人の原告の人証の申請をいたします。
(2017年1月27日)

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    「DHCスラップ」勝利報告集会は明日(土曜日)午後
         弁護士 澤藤統一郎
私自身が訴えられ、6000万円を請求された「DHCスラップ訴訟」。その勝訴確定報告集会が明後日の土曜日に迫りました。その勝訴の意義を確認するとともに、攻守ところを変えた反撃訴訟の出発点ともいたします。ぜひ、集会にご参加ください。

日程と場所は以下のとおりです。
☆時 2017年1月28日(土)午後(1時30分~4時)
☆所 日比谷公園内の「千代田区立日比谷図書文化館」4階
   「スタジオプラス小ホール」
☆進行
弁護団長挨拶
田島泰彦先生記念講演(「国際動向のなかの名誉毀損法改革とスラップ訴訟」)
常任弁護団員からの解説
テーマは、
「名誉毀損訴訟の構造」
「サプリメントの消費者問題」
「反撃訴訟の内容」
☆会場発言(スラップ被害経験者+支援者)
☆澤藤挨拶
・資料集を配布いたします。反撃訴訟の訴状案も用意いたします。
・資料代500円をお願いいたします。
言論の自由の大切さと思われる皆さまに、集会へのご参加と、ご発言をお願いいたします。

        「DHCスラップ訴訟」とは
私は、ブログ「澤藤統一郎の憲法日記」を毎日連載しています。既に、連続1400日になろうとしています。
そのブログに、DHC・吉田嘉明を批判する記事を3本載せました。「カネで政治を操ろうとした」ことに対する政治的批判の記事です。
DHC・吉田はこれを「名誉毀損」として、私を被告とする2000万円の損害賠償請求訴訟を提起しました。2014年4月のことです。
私は、この提訴をスラップ訴訟として違法だとブログに掲載しました。「DHCスラップ訴訟を許さない」とするテーマでの掲載は既に、98回になっています。そうしたら、DHCと吉田嘉明は私のスラップ批判のブログ記事を違法として、私に対する損害賠償請求額を6000万円に跳ね上げました。
この訴訟は、いったい何だったのでしょうか。その提訴と応訴が応訴が持つ意味は、次のように整理できると思います。
1 言論の自由に対する攻撃とその反撃であった。
2 とりわけ政治的言論(攻撃されたものは「政治とカネ」に関わる政治的言論)の自由をめぐる攻防であった。
3 またすぐれて消費者問題であった。(攻撃されたものは「消費者利益を目的とする行政規制」)
4 さらに、民事訴訟の訴権濫用の問題であった。

私は、言論萎縮を狙ったスラップ訴訟の悪辣さ、その害悪を身をもって体験しました。「これは自分一人の問題ではない」「自分が萎縮すれば、多くの人の言論の自由が損なわれることになる」「不当な攻撃とは闘わなければならない」「闘いを放棄すれば、DHC・吉田の思う壺ではないか」「私は弁護士だ。自分の権利も擁護できないで、依頼者の人権を守ることはできない」。そう思い、自分を励ましながらの応訴でした。
DHCスラップ訴訟に勝訴はしましたが、降りかかる火の粉を避けたに過ぎません。スラップ訴訟による言論萎縮の効果を払拭するまでには至っていないのです。
スラップ常習者であるDHC・吉田には、反撃訴訟が必要だと思います。
引き続いてのご支援をお願いいたします。

DHC吉田への逆風のさなかに「勝利報告集会」ー「DHCスラップ訴訟」を許さない・第98弾

タイミングよく、DHCと吉田嘉明に対する世の批判の風が強く吹く中で、明後日(1月26日・土曜日)の午後、「DHCスラップ訴訟勝利報告集会」が行われる。

その集会の目玉は二つある。
一つ目は、田島泰彦上智大学教授(メディア法)の記念講演。タイトルが、「国際動向のなかの名誉毀損法改革とスラップ訴訟」。田島さんご自身が、「おそらく日本ではそういう議論がほとんどなかった論点と思います」という意気込みの講演。

二つ目が、反撃訴訟の概要発表と解説。攻守ところを変えて、今度はこちらが原告となってDHC・吉田に損害賠償請求訴訟を提起することになる。その訴訟の内容を明らかにする。

さて、DHC・吉田に吹く批判の風である。
本日の赤旗社会面(15面)のトップに、「沖縄デマ番組『ニュース女子』」「『事実まげた』放送せず」「ミヤギテレビ、社内考査で判断」の見出し。DHC提供のデマ・ヘイト番組『ニュース女子』のこの回の放映を、ミヤギテレビは放送しないと決めたのだという。その記事を紹介しておきたい。

 沖縄県東村高江の米軍ヘリパッド建設に反対している人は「金で雇われている」などとデマのリポートをしたテレビ番組「ニュース女子」を東京MXテレビが放送したことに批判が集中しています。この問題で、「ニュース女子」の放送枠があるローカル局「ミヤギテレビ」(仙台市)が社内の考査でこの回の番組を「事実をまげている」と判断、放送しないことを決めていたことが24日、本紙の調べで明らかになりました。
「ニュース女子」は化粧品・健康食品製造販売のDHC(吉田嘉明会長)が地方テレビ局から時間枠を買い取り、子会社「DHCシアター」が制作した番組を持ち込み、地上波で放送しています。ミヤギテレビは毎週水曜日の午前2時29分からの深夜時間帯に「ニュース女子」を放送しています。
 沖縄のデマリポートを合む回の「ニュース女子」について、同局が事前に行った考査では、放送法が定める「報道は事実をまげないですること」「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」という規定に照らして、放送できないと判断しました。(以下略)。

DHC・吉田嘉明のヘイト体質については、先日(本年1月17日)「吉田嘉明の驚くべきヘイトスピーチ-『DHCスラップ訴訟』を許さない・第93弾」で、DHCの公式ホームページに掲載されている、下記の会長メッセージをご紹介した。
http://article9.jp/wordpress/?p=7992
http://top.dhc.co.jp/company/image/cp/message1.pdf

もう一つ紹介しておきたい。同じサイトの同じコーナーにもう一つの「会長(吉田嘉明)メッセージ」がある。昨年(2016年)の2月21日付けのもの。実はこれが、DHCスラップ訴訟で、書証として提出されている。吉田嘉明の認識によれば、「いま日本に驚くほどの在日が住んでいます。」「似非日本人はいりません。母国に帰っていただきましょう。」「問題なのは日本人として帰化しているのに日本の悪口ばっかり言っていたり、徒党を組んで在日集団を作ろうとしている輩」「法曹界(裁判官、弁護士、特に東大出身)には特に多い」というのだ。「似非日本人が跳梁跋扈する世の中の、特に問題の法曹界の、その中枢に位置する最高裁に提出されているのだ。(第93弾参照)極めて興味深い内容なので、ご注目いただきたい。

標題は、「スラップ訴訟云々に関して」というもの。念のためだが、「云々」は「うんぬん」と読む。昨日(1月25日)アベ首相が予算委員会答弁で官僚の作文を棒読みした「でんでん」では何のことだか分からない。どだい、漢字が違っている。

記事の内容は、私(澤藤)への中傷に徹したもの。しかし、そのなかに幾つか重要な情報が含まれている。

https://top.dhc.co.jp/company/jp/cp.html

澤藤被告が「吉田嘉明が自分の儲けのために、尻尾を振ってくる矜持のない政治家を金で買った」とか「大金持ちが更なる利潤を追求するために、行政の規制緩和を求めて政治家に金を出した」とか、その他諸々の悪口雑言をインターネットに並べ立て小生を悪罵していたために提訴したわけですが、そのどこがスラップ訴訟なのでしょうか。事実無根の、全く根拠のない嘘でたらめを、しかも悪意を持って世間に広言されたら誰もが怒りに震えるのは当然のことでしょう。
私(澤藤)が、「事実無根の、全く根拠のない嘘でたらめ」を言った事実はない。このことは、訴訟で決着済みだ。また、私が「(吉田に)悪意を持って世間に広言」したこともない。「必要で適切な、徹底した批判」をしたに過ぎない。その批判の言論は、健全な民主主義社会における不可欠な構成要素として、発表の自由が保障されなければならない。

渡辺氏のことを矜持のない政治家だと贅言していますが、無名の弁護士が売名のために騒ぎまくっている行為こそが矜持のない醜態だといえるのではないでしょうか。…虚名の三百代言ごときに矜持がないなどとは言われたくはありません。
おやおや、「無名の弁護士」「売名」「騒ぎまくっている」「醜態」「虚名の三百代言ごとき」…。文脈から見て、これは明らかに私についてのこと。この原稿の掲載には、弁護士のチェックがはいっているのだろうか。相当にヤバイ。人格攻撃として、侮辱になり得る表現。提訴材料としてストックしておこう。2019年2月までは時効にかからない。

「行政の規制緩和を求めて政治家に金を出した」などと妄言していますが、小生がただの一度でも当時の渡辺議員に行政への橋渡しを依頼したことがあるのか、直接渡辺氏なり、厚労省の担当官に尋ねてみればわかることです。
この児戯に等しい立論に唖然とする。こんな程度の議論で、世の中に通用すると思いこんでいることが恐ろしい。

渡辺騒動の後、澤藤被告始め数十名の反日の徒より、小生および会社に対する事実無根の誹膀中傷をインターネットに書き散らかされました。
おやおや、唐突に「反日の徒」のレッテル。私も、「反日の徒」の一員のようだ。DHC・吉田を批判すれば「反日の徒」だという非論理で根拠のない決め付け。そして、相手に「反日の徒」とレッテルを貼れば、相手が恐れ入るだろう、あるいは社会が自分に味方してくれるだろうという、思考の幼児性。困ったもの。

当社の顧問弁護士等とともに、どのケースなら確実に勝訴の見込みがあるかを慎重に熟慮検討した上で、特に悪辣な十件ほどを選んで提訴したものです。専門の顧問弁護士が確実に勝てると思って行ったことです。やみくもに誰も被もと提訴したわけではありません。
これは、大切な情報。「専門の顧問弁護士が確実に勝てるとアドバイスした」から、「特に悪辣な十件ほど」を選んで提訴したという。それなら弁護士の責任が重大。

提訴後、澤藤被告の言論を封じたどころか、彼は連日のごとく悪口雑言をブログに書きまくっているではありませんか。全く萎縮などしていません。
これは吉田の指摘のとおり。確かに私は萎縮していない。むしろ怒って、批判を続けている。しかし、それは例外に過ぎない。社会の普通人は6000万円請求の提訴には萎縮せざるを得ない。私以外に被告とされた9人も、その周辺の被告にされなかった多くの人々も、「DHC・吉田を批判すると、むやみな高額損害賠償請求訴訟を提訴されることになる。提訴されては面倒この上ない。だからDHC・吉田の批判は控えた方が利口だ」ということになってしまっているのだ。

(澤藤は)そもそもスラップ訴訟の意味すら分かっていません。拡大解釈も甚だしい。SLAPP と はStrategic Lawsuit Against Public Participationの略で「社会参加を邪魔するための戦略的訴訟」ということですが、今回の訴訟のどこが被告の社会参加を邪魔しているのか、どこが戦略的なのか笑ってしまいます。
ホントに嗤ってしまう。だれから教えこまれたのか、受け売りの聞きかじりを、分かった風に言わない方がよい。Public Participationの典型が公的な言論である。公人、あるいは公的人物の公的事項に関する言論こそがPublic Participationであり、民事訴訟によるその妨害こそが、SLAPPといわれる訴訟類型の典型なのだ。

名誉棄損の裁判を起こすのは驚くほどの金銭を要し、普通の人はお金のことを考えただけで身を引いてしまいます。
ほう。吉田嘉明が「驚くほどの金銭」とはいくらの金額なのだろうか。いったい弁護士にいくら払ったのか、次の訴訟で問い質してみたいものだ。

インターネットの醜さはどうでしょうか。人間生活を完全に壊しています。
そのとおりだ、インターネットの世界では、匿名のネトウヨ諸君が百鬼夜行のありさまだ。植村隆さんの娘さんに対する中傷誹謗の醜さは、「人間生活を完全に壊しています」と言って過言でない。ここだけは見解が一致したようだ。

共同通信も最近では朝日に劣らず反日メディアなのではと危惧され始めています。どこの国の人かわからないような似非日本人が跳梁跋扈している世の中…。
この人の文章には、脈絡なく「反日」「似非日本人」が繰り返される。私(澤藤)も、「反日」「似非日本人」なのだ。

そして嘘、悪口の言いたい放題が許されている世の中には私は断固反対します。嘘つきは信用できません。
おそらくは、私(澤藤)の、DHC・吉田批判の言論を「嘘、悪口の言いたい放題」と言いたいのであろう。そして、私が裁判に勝ったことを「言いたい放題が許されている世の中」と憤懣やるかたないとし、その上で「そのような世の中」には「断固反対」というのだ。悔しさが滲み出ていることは察するが、吉田は裁判から何も学んでいないようだ。

私(澤藤)と、DHC・吉田とは同じ平面にいる対等の法主体ではない。私の吉田に対する批判の許容度は大きく、吉田の私に対する批判の許容度は小さいのだ。

吉田は大企業の経営者で、サプリメントや化粧品という消費者の健康に直接関わる商品の製造と販売に責任を負う立場にある。それゆえに、行政規制に服し、政治や行政に関与せざるを得ない公的立場にあるのだ。しかも、厚生行政に服することに公然と不服を表明し、行政規制の緩和や撤廃を政策として掲げる政治家に、巨額の裏金を提供してもいる。こういう人物にこそ、批判の言論が必要であり、こういう人物であればこそ言論による手痛い批判を甘受しなければならない。
吉田嘉明に限らず、同様の立場にあるものには、その理をよく弁えた言動が必要なのだ。
(2017年1月26日)
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「DHCスラップ」勝利報告集会は明後日の土曜日午後
弁護士 澤藤統一郎
私自身が訴えられ、6000万円を請求された「DHCスラップ訴訟」。その勝訴確定報告集会が明後日の土曜日に迫りました。その勝訴の意義を確認するとともに、攻守ところを変えた反撃訴訟の出発点ともいたします。ぜひ、集会にご参加ください。

日程と場所は以下のとおりです。
☆時 2017年1月28日(土)午後(1時30分~4時)
☆所 日比谷公園内の「千代田区立日比谷図書文化館」4階
 「スタジオプラス小ホール」
☆進行
弁護団長挨拶
田島泰彦先生記念講演(「国際動向のなかの名誉毀損法改革とスラップ訴訟(仮題)」)
常任弁護団員からの解説
テーマは、
「名誉毀損訴訟の構造」
「サプリメントの消費者問題」
「反撃訴訟の内容」
☆会場発言(スラップ被害経験者+支援者)
☆澤藤挨拶
・資料集を配布いたします。反撃訴訟の訴状案も用意いたします。
・資料代500円をお願いいたします。
言論の自由の大切さと思われる皆さまに、集会へのご参加と、ご発言をお願いいたします。

「DHCスラップ訴訟」とは
私は、ブログ「澤藤統一郎の憲法日記」を毎日連載しています。既に、連続1400日になろうとしています。
そのブログに、DHC・吉田嘉明を批判する記事を3本載せました。「カネで政治を操ろうとした」ことに対する政治的批判の記事です。
DHC・吉田はこれを「名誉毀損」として、私を被告とする2000万円の損害賠償請求訴訟を提起しました。2014年4月のことです。
私は、この提訴をスラップ訴訟として違法だとブログに掲載しました。「DHCスラップ訴訟を許さない」とするテーマでの掲載は既に、90回を超します。そうしたら、私に対する損害賠償請求額が6000万円に跳ね上がりました。
この訴訟は、いったい何だったのでしょうか。その提訴と応訴が応訴が持つ意味は、次のように整理できると思います。
1 言論の自由に対する攻撃とその反撃であった。
2 とりわけ政治的言論(攻撃されたものは「政治とカネ」に関わる政治的言論)の自由をめぐる攻防であった。
3 またすぐれて消費者問題であった。(攻撃されたものは「消費者利益を目的とする行政規制」)
4 さらに、民事訴訟の訴権濫用の問題であった。

私は、言論萎縮を狙ったスラップ訴訟の悪辣さ、その害悪を身をもって体験しました。「これは自分一人の問題ではない」「自分が萎縮すれば、多くの人の言論の自由が損なわれることになる」「不当な攻撃とは闘わなければならない」「闘いを放棄すれば、DHC・吉田の思う壺ではないか」「私は弁護士だ。自分の権利も擁護できないで、依頼者の人権を守ることはできない」。そう思い、自分を励ましながらの応訴でした。
スラップ常習者と言って差し支えないDHC・吉田には、反撃訴訟が必要だと思います。引き続いてのご支援をお願いいたします。

領土・人民だけでなく、天皇が時まで支配する元号制

本夕、「日の丸・君が代」弁護団会議。処分取消・第4次訴訟の結審を間近に、最終準備書面の作成打ち合わせに忙しい。その席で、「被処分者の会」の共同代表である岩木俊一さんから興味深い文書をいただいた。

「平成元年3月8日」と日付のはいっている「小平高校PTA会報」(72号)の抜き刷りである。おそらくは、B5版の4ページもの。その2・3頁に、「元年に思う」として、4編のエッセイが掲載されている。これが、当時の都立高校の雰囲気を語っておもしろい。

昭和天皇(裕仁)は1989年1月7日に死去し、同日が昭和最後の日となった。翌1月8日皇太子明仁の即位と同時に元号法に基づく政令の公布によって、新元号が「平成」とされた。「元年に思う」は、この昭和から平成への改元の直後に、時代の変遷についての感想を特集したものだろう。いま、天皇(明仁)の生前退位の希望表明で、天皇の代替わりが近い。30年前の時代の空気の記録や、あの当時の人々の感想は参考とすべき貴重なものと思う。

「元年に思う」のエッセイは、トップに校長、次にPTA会長、そして教員2人が書いたもの。トップがPTA会長でなく校長という順序がなんとなく面白い。

校長の文章は、「改元の日の感慨」と題した、飽くまで校長らしいもの。冒頭部分を引用する。
「年頭、昭和天皇の崩御、そして昭和から平成へ改元の報を聞いた。昭和に生まれ昭和に育ち、やがて還暦を迎えようという一人の人間にとって、この日の感慨は語り尽くせないものがある。また、同年配の仲間の全てが、人生に一つ区切りがついたという感じをもったと語ってくれた。謹んで哀悼の意を表する次第である。… …」

「謹んでの哀悼の意」は、明らかに昭和天皇の死についてのものだが、実は「謹んで」の心情はあまり感じられない。

昭和の戦争や戦後の混乱の想い出を語り、最後を次のように締めくくっている。
「新しい平成の時代を築く若い人達のためにも、昭和の人間が、昭和の時代を生き抜いてきた姿を自信をもって示せなければならないものと思う。」

校長先生って、いつも教訓を語らなければならないからたいへんなんだ、とは思わせる。しかし、天皇や皇室に恐れ入るようなところはない。

次は、「平成元年にちなんで」というPTA会長の一文。これが実に淡々としている。「昭和から平成に? それがどうした?」という感じ。

「激動の昭和と言われ、戦後荒廃した地に、国民の勤勉性等にささえられ、経済成長を続け幾たびの不景気を乗り越えて、豊かな社会基盤が確立された昭和時代ではなかったでしようか。昭和の時代に全く新しい組織であるPTAが誕生し、今ではその活動も定着した感を持っていますが、今後益々人間の価値感が多様化し、その活動も多様化して来るものと思われます。平成元年を迎えたと言ってもその組織が急変するものではなく、今までに培った活動をペースに、その時宜に即した活動を展開し反省と進歩を繰り返しながら一歩一歩着実に前進するPTA活動が行なわれるのではないでしようか。… …」

天皇に触れるところは皆無。淡々とした、PTA活動に関する書き物。

さて、教員2人の文章はたいしたものだ。きちんとした社会時評になっている。
まずは、「マスコミの姿勢に思う」という数学科教員。天皇報道の過剰と姿勢を批判したもの。立派な感性の文章である。
「テレビは一日中コマーシャルもなく、同じ様な内容を流し続けている。すべてが天皇一色に塗り潰されてしまっていた。このマスコミの姿勢を見て感じた事を思いつくままに書いてみた。
この国の主人公はいったい誰なんだろうと思った。憲法で天皇は日本の象徴とされている。しかし、それは国民主権を前提にされているはずである。天皇の死に対していろいろな思いを持つ人がいるはずである。それなのに、その死をもって国民全体が、例えばテレビの楽しみを全く奪われてしまうのはおかしいのではないか。
又、私は何か恐しさをも感じた。現在のテレビの能力を考えたら、日本中が一つの権威に従う事を強制させられかねないと思ったからである。天皇の死に対して弔意を示す事に疑問を持つ事など異常であると思えてきかねないような状況であると感じたのである。昭和というのは、戦争というものと切り離しては見られないはずである。天皇と戦争責任という問題も避けて通れないはずである。… …」

昭和ー戦争ー天皇ー戦争責任。だれもが連想することだが、何となく口にしたり、文章にすることをはばかる雰囲気がある。PTA会報にきちんと載せていることに、敬意を表したい。

そして、最後が「元号について」と題する、社会科教員・岩木俊一さんの専門的な文章。区切って、全文をご紹介したい。

「昭和から平成への改元の直後、三年生担任は調査書の発行年月日、卒業見込み年月日の元号の書き替えに忙殺された。免許証を更新したら新免許証は『昭和67年の誕生目まで有効』とある。『昭和』は当面『平成』と読み替えるのだそうだ。一人の人間の生死によってかえられる元号というもの、何とも不便・不合理なものである。」
なるほど、天皇(裕仁)は1月に死亡したから、その直後の受験や卒業式準備の手続に多大な迷惑をかけたのだ。こんな実務への関与が、元号を「不便・不合理」とする実感につながる。そして、将来の時を表すのに、元号の不合理は致命的だ。これも、体験による実感に基づいた知見。

「元号は古代中国、漢の武帝の時、即位の年(前140年)を後から『建元』と称したのに始まる。以後、皇帝の代がわり、吉凶禍福等のたびに改元する。皇帝一代は一つの元号という『一世一元』の制はおくれて明の太祖朱元璋(在位1368~98)に始まる。元号制を支えるのは皇帝は領土、人民だけでなく時間をも支配するという観念であり、支配下の人民、周辺諸民族は『正朔を奉ずる』としてその元号の使用を強制された。
 元号を使用する者のみが皇帝の忠実なる臣下とされたのである。しかし中国では、かの『ラストエンベラー』溥儀(清・宣統帝、在位1508~12)が辛亥革命により退位したことにより元号も消滅した。専制皇帝の支配の終焉と運命を共にしたのである。」
本家である中国の元号使用の歴史と、元号の政治的役割がコンパクトにまとめられている。そして、問題は日本の事情である。

「日本で中国のマネをして元号を取り入れたのは645年、大化と称した。一世一元の制は明治維新の1868年に始まり、法的に確立するのは1889年の皇室典範によってである。固有の、また古来の伝統ではなく、むしろ絶対主義的天皇制国家の確立に即してつくられたと言えよう。」

一世一元の制は絶対主義的天皇制国家の確立に即して政治的要請からつくられた。これは、不便・不合理とは別次元の元号廃止論の根拠である。

「生徒に『君が生まれたのは西暦何年?』と聞くと多くの場合すぐには答えが返ってこない。国際理解の必要が声高に叫ばれる時代に、である。明治・大正・昭和といった日本にしか通用しない時代感覚では世界史、とくに近現代の国際関係はとらえ難い。
敗戦直後の1946年、石橋湛山は『欧米との交通繁しい今日、国内かぎりの大正昭和等の年次と西暦とを不断に併用しなければならない煩わしさは馬鹿馬鹿しき限りだ』と述べ、『元号廃止、西紀使用』を主張した。今日なお、正論と言えよう。国際理解に逆行し、専制支配の残滓ともいうべき元号、もうやめてもいい頃ではなかろうか。」

石橋湛山の元号廃止論は知らなかった。グローバリズムの観点からのもの。岩木さんは、「国際理解に逆行し、専制支配の残滓ともいうべき元号」とまとめて、廃止を主張している。本家の中国は元号を廃止した。欧米にもない。日本が、不便この上ない元号を維持しようという根拠は薄弱である。そして、天皇が時まで支配するという政治的思惑を秘めた元号は大いに有害といわねばならない。
(2017年1月25日)
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      「DHCスラップ」勝利報告集会にご参加を

弁護士澤藤統一郎

私自身が訴えられ、6000万円を請求された「DHCスラップ訴訟」。その勝訴確定報告集会のお知らせです。

この問題と勝訴の意義を確認するとともに、攻守ところを変えた反撃訴訟の出発点ともいたします。ぜひ、集会にご参加ください。

日程と場所は以下のとおりです。
☆時 2017年1月28日(土)午後(1時30分~4時)
☆所 日比谷公園内の「千代田区立日比谷図書文化館」4階
「スタジオプラス小ホール」
☆進行
弁護団長挨拶
田島泰彦先生記念講演(「国際動向のなかの名誉毀損法改革とスラップ訴訟)
常任弁護団員からの解説
テーマは、
「名誉毀損訴訟の構造」
「サプリメントの消費者問題ー規制緩和問題に切り込んで」
「反撃訴訟の内容」
☆会場発言(スラップ被害経験者+支援者)
☆澤藤挨拶
・資料集を配布いたします。反撃訴訟の訴状案も用意いたします。
・資料代500円をお願いいたします。
言論の自由の大切さと思われる皆さまに、集会へのご参加と、ご発言をお願いいたします。

         「DHCスラップ訴訟」とは
私は、ブログ「澤藤統一郎の憲法日記」を毎日連載しています。既に、連載1400日になろうとしています。
そのブログに、DHC・吉田嘉明を批判する記事を3本載せました。「カネで政治を操ろうとした」ことに対する政治的批判の記事です。 DHC・吉田はこれを「名誉毀損」として、私を被告とする2000万円の損害賠償請求訴訟を提起しました。2014年4月のことです。
私は、この提訴をスラップ訴訟として違法だとブログに掲載しました。「DHCスラップ訴訟を許さない」とするテーマでの掲載は既に、90回を超します。そうしたら、私に対する損害賠償請求額が6000万円に跳ね上がりました。
この訴訟は、いったい何だったのでしょうか。その提訴と応訴が応訴が持つ意味は、次のように整理できると思います。
1 言論の自由に対する攻撃とその反撃であった。
2 とりわけ政治的言論(攻撃されたものは「政治とカネ」に関わる政治的言論)の自由をめぐる攻防であった。
3 またすぐれて消費者問題であった。(攻撃されたものは「消費者利益を目的とする行政規制」)
4 さらに、民事訴訟の訴権濫用の問題であった。
私は、言論萎縮を狙ったスラップ訴訟の悪辣さ、その害悪を身をもって体験しました。「これは自分一人の問題ではない」「自分が萎縮すれば、多くの人の言論の自由が損なわれることになる」「不当な攻撃とは闘わなければならない」「闘いを放棄すれば、DHC・吉田の思う壺ではないか」「私は弁護士だ。自分の権利も擁護できないで、依頼者の人権を守ることはできない」。そう思い、自分を励ましながらの応訴でした。
スラップ常習者と言って差し支えないDHC・吉田には、反撃訴訟が必要だと思います。引き続いてのご支援をお願いいたします。

スパイにされた姉 戦時下カトリック弾圧―「共謀罪」の本質が見える

本日(1月24日)の衆議院本会議。代表質問で、志位共産党委員長が、今国会に提出予定とされる、共謀罪新設法案についてアベ首相を問いただした。正確には、組織犯罪処罰法の改正案。

既に「共謀罪」は手垢にまみれている。3度の廃案でイメージ悪過ぎの、悪あがき法案。政権は、「共謀罪」の用語使用を徹底して回避し、「テロ等準備罪」と呼称する方針と伝えられている。

志位委員長は、「法案のレッテルを貼りかえても、相談、計画しただけで犯罪に問える本質は変わらない。国民の思想や内心まで取り締まろうという共謀罪の法案提出は断念すべきだ」「テロ対策の名で、国民を欺き、国民の思想や内心まで取り締まろうという共謀罪は、物言えぬ監視社会を作る、現代版の治安維持法に他なりません」と論じたという。

これに対する、アベ答弁は、「東京オリンピック・パラリンピックの開催を3年後に控える中、テロ対策は喫緊の課題であり、国際組織犯罪防止条約の締結は、国際社会と緊密に連携するうえで必要不可欠だ」「犯罪の主体を、一定の犯罪を犯すことを目的とする集団に限定し、準備行為があって初めて処罰の対象にするなど、一般の方々が対象になるのがありえないことがより明確になるよう検討している。国民の理解を得られるような法整備に努めていく」「これを『共謀罪』と呼ぶのは全くの誤りだ」というもの。

相当にひどい不誠実な答弁ではないか。「法案のレッテルを貼りかえても、共謀罪の危険な本質は変わらない」という指摘に対して、アベの答弁は、「これを『共謀罪』と呼ぶのは全くの誤りだ」という噛み合わないものとなっている。共謀罪の恐るべき危険な本質を認めたからこそ、危険性を低減しようと「犯罪の主体を限定し」「国民の理解を得られるような法整備に務めている」のだろう。にもかかわらず、唐突に「『共謀罪』と呼ぶのは誤り」というのだ。何の論理も不要と、国民をなめきった居丈高な姿勢。到底真摯に国民の理解を求める態度ではない。

アベ答弁で浮かびあがったことは、ただ一つ。アベが「共謀罪」という言葉が嫌いで、法案や新設犯罪を「共謀罪」と呼ばれるのはイヤだということ。ならば、徹底して、共謀罪を連呼しようではないか。「共謀罪」「きょうぼう罪」「キョーボー罪」「きょうぼうざい」「キョウボウザイ」…。そして、法案の呼称をメディアの真っ当さの基準としよう。「共謀罪」というか、「テロ等準備罪」というか。これが、アベ政権におもねっているかいないかのリトマス試験紙だ。

「共謀罪は、物言えぬ監視社会を作る、現代版の治安維持法」という質問者の指摘は、いま多くの心ある国民が危惧しているところ。このタイミングに、毎日新聞1月22日朝刊に、治安維持法被害の実例を掘り起こした記事が出た。

「『スパイ』にされた姉 戦時下、カトリック信者弾圧」という、日曜日の朝刊に、文字通り1頁全面を使った大型レポート。長文だが貴重な記事。是非下記URLでお読みいただきたい。

http://mainichi.jp/articles/20170122/ddm/010/040/054000c

全国に無数にあった天皇制国家による弾圧の一つ。埋もれそうになったその悲劇を記者(青島顕)が掘り起こした。弾圧の手法は、特高警察による不敬罪と治安維持法の活用。弾圧されたのは、新潟県高田のカトリック信者とドイツ人神父。

 内務省警保局の内部資料「厳秘 特高月報」44年4月分には、新潟県特高課が「不敬その他の容疑」で信者7人を検挙し、サウエルボルン神父にも「嫌疑がある」とした記録がある。当事者の手記などによると、このうち、(中島)邦さんたち20代の女性信者3人と神父の計4人が起訴され、有罪判決を受けたとみられる。新潟地検に残る邦さんの判決文を合わせると、起訴の段階で罪名が治安維持法違反に変更されたと考えられる。

1925年に治安維持法が生まれて45年に廃止されるまでの20年間に、この法律で逮捕された人は、無慮7万人と推計されている。高田で逮捕された7人は、その1万分の1。同様の事件が、全国で無数にあったのだ。

記事のストーリーは、治安維持法で起訴されたクリスチャン中島邦さん(故人)を中心とする弾圧の悲劇。中島邦さんの妹笹川芳さん(78)への取材を通して、事件が語られている。

 日本が戦争一色の時代、カトリックの信者だった姉(中島邦さん・当時23歳)は熱心に教会へ通っていた。1944年4月、姉たち信者7人は突然、特別高等警察に拘束され、翌月にはドイツ人神父も捕まった。戦後、「人間と思えないほどやせ細った体」で姉は帰ってきたという。

驚くべきは、次の事実だ。
 当局から何の罪に問うているのかという説明はなく、「自分は刑法の不敬罪で捕まった」という信者もいれば、「治安維持法違反ではないか」という人もいた。世情不安の中、デマが広まっていく。信者や家族の中には戦後も「スパイ」とあざけられ、苦しんだ人がいた。

中見出しに大きく「戦後も続いた孤立」とある。弾圧を受けた人や家族は、当時「スパイ」「思想犯」として地域から排斥されただけでなく、戦後も孤立し地元から離れた人が多かったという。邦さんもブラジルに渡って、帰国することはなかった。悲しくも恐ろしいことに、権力だけでなく民衆も消極的ながら弾圧への加担者だったのだ。

もともと、治安維持法は、「国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的卜テシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ入シタル者」を処罰する立法だった。「国体ヲ変革シ」「私有財産制度ヲ否認スル」目的の結社といえば、だれもが共産党をイメージした。まさしく「3・15事件」に見られるとおり、治安維持法は共産党弾圧に猛威を振るった。しかし、まさか治安維持法がカトリック弾圧にまで及ぶとは思われていなかった。

41年改悪法は、「国体ヲ否定しまたは神宮もしくは皇室の尊厳を冒涜すべき事項を流布することを目的とする結社」に加入することはもちろん、「結社の目的遂行の為にする行為を為したる者」は1年以上の有期懲役とされた。

「目的遂行のためにする行為」とは、何と曖昧な構成要件。これこそ、権力側にとってみれば、気に入らない人物の気に入らない言動を、なんでも逮捕し処罰できる便利な道具なのだ。高田の中島邦さんらも、これに引っかけられたのだ。

振り返って、アベの言い分を見てみよう。「一般の方々が対象になることはありえない」「これを『共謀罪』と呼ぶのは全くの誤りだ」は成り立たない。例の如く「アンダーコントロールで、完全にブロック」の論法なのだ。問題は、犯罪の構成要件が曖昧なことである。犯罪行為と法益侵害の結果の両者が明確にされていなければ、弾圧の武器になる。治安維持法の目的遂行罪がそうであったし、共謀罪も本質的にそうならざるを得ないのだ。

かつては、「天子に弓引く非国民共産党ならしょっぴかれてもしょうがない」との社会の空気が治安維持法の成立と改悪を許した。が、結局弾圧されたのは共産党ばかりではなかった。社会民主主義も、労働運動も、自由主義も平和主義も、そして宗教団体も野蛮な天皇制政府の標的とされたのだ。今また、「オリンピック」と「テロ」をネタに空気を作って、共謀罪を成立させようということなのだ。

教訓を噛みしめたい。我々は、喉元過ぎたからといって熱さを忘れてはならない。むしろ、羮に懲りて膾を吹こう。吹き続けよう。権力を信用してはならない。権力こそは恐るべきものと心得なければならない。ましてやアベ政権においておや、である。
(2017年1月24日)

 

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     「DHCスラップ」勝利報告集会は今週土曜日
                   弁護士 澤藤統一郎
私自身が訴えられ、6000万円を請求された「DHCスラップ訴訟」。その勝訴確定報告集会が次の土曜日に迫りました。この問題と勝訴の意義を確認するとともに、攻守ところを変えた反撃訴訟の出発点ともいたします。ぜひ、集会にご参加ください。

日程と場所は以下のとおりです。
☆時 2017年1月28日(土)午後(1時30分~4時)
☆所 日比谷公園内の「千代田区立日比谷図書文化館」4階
 「スタジオプラス小ホール」
☆進行
弁護団長挨拶
田島泰彦先生記念講演(「国際動向のなかの名誉毀損法改革とスラップ訴訟(仮題)」)
常任弁護団員からの解説
テーマは、
「名誉毀損訴訟の構造」
「サプリメントの消費者問題」
「反撃訴訟の内容」
☆会場発言(スラップ被害経験者+支援者)
☆澤藤挨拶
・資料集を配布いたします。反撃訴訟の訴状案も用意いたします。
・資料代500円をお願いいたします。
言論の自由の大切さと思われる皆さまに、集会へのご参加と、ご発言をお願いいたします。

       「DHCスラップ訴訟」とは
私は、ブログ「澤藤統一郎の憲法日記」を毎日連載しています。既に、連続1400日になろうとしています。
そのブログに、DHC・吉田嘉明を批判する記事を3本載せました。「カネで政治を操ろうとした」ことに対する政治的批判の記事です。
DHC・吉田はこれを「名誉毀損」として、私を被告とする2000万円の損害賠償請求訴訟を提起しました。2014年4月のことです。
私は、この提訴をスラップ訴訟として違法だとブログに掲載しました。「DHCスラップ訴訟を許さない」とするテーマでの掲載は既に、90回を超します。そうしたら、私に対する損害賠償請求額が6000万円に跳ね上がりました。
この訴訟は、いったい何だったのでしょうか。その提訴と応訴が応訴が持つ意味は、次のように整理できると思います。
1 言論の自由に対する攻撃とその反撃であった。
2 とりわけ政治的言論(攻撃されたものは「政治とカネ」に関わる政治的言論)の自由をめぐる攻防であった。
3 またすぐれて消費者問題であった。(攻撃されたものは「消費者利益を目的とする行政規制」)
4 さらに、民事訴訟の訴権濫用の問題であった。

私は、言論萎縮を狙ったスラップ訴訟の悪辣さ、その害悪を身をもって体験しました。「これは自分一人の問題ではない」「自分が萎縮すれば、多くの人の言論の自由が損なわれることになる」「不当な攻撃とは闘わなければならない」「闘いを放棄すれば、DHC・吉田の思う壺ではないか」「私は弁護士だ。自分の権利も擁護できないで、依頼者の人権を守ることはできない」。そう思い、自分を励ましながらの応訴でした。
スラップ常習者と言って差し支えないDHC・吉田には、反撃訴訟が必要だと思います。引き続いてのご支援をお願いいたします。

スラップを受任する弁護士の責任を問うー「DHCスラップ訴訟」を許さない・第97弾

DHC・吉田に対する反撃の訴訟に、共同不法行為者として、原告代理人として訴訟を担当した弁護士も被告にするかどうか。まだ結論に至っていない。考え方は、次のようなものだ。

専門家責任という成熟しつつある法律用語がある。専門家には、非専門家(素人)とは異なる高度の水準の注意義務が求められ、契約責任も不法行為責任も厳格に論じられなければならない、とする考え方。具体的には、医師・弁護士・公認会計士・不動産鑑定士・税理士などの有資格者、あるいは原発や石油プラント、航空機などの危険物の設計者などに、それぞれの専門家としての高度のあるいは厳格な責任があるとされる。

医療過誤訴訟において、診療の過程における医師の注意義務の水準が激しく争われ、次第に厳格なものとして定着してきた。実は、同じことが弁護士の執務遂行についても言えることなのだ。弁護士は、実務法律家として専門家たる力量と倫理性をもたなければならない。そのいずれかの欠如は弁護過誤として法的責任を生じうる。依頼者との関係では債務不履行となり、係争の相手方との関係では不法行為となりうるのだ。

加藤新太郎(元裁判官)は、弁護士の執務における弁護過誤の類型を、〔A〕依頼者に対する責任と、〔B〕第三者に対する責任とに大別した上、各々を3類型に分類している。

〔A〕依頼者に対する弁護過誤の類型
(1) 不誠実型
(2) 単純ミス型
(3) 技能不足型

〔B〕第三者に対する弁護過誤の類型
(1) 不当訴訟型
(2) 違法弁論型(名誉毀損型)
(3) 違法交渉型

依頼者に対する弁護士の責任は自明で分かり易い。「弁護士さんが勝てると言ったから、提訴を依頼したのに、ぶざまに負けた。話が違うじゃないか」という局面での責任。しかし、第三者に対する責任の方は必ずしも自明とは言いがたいかも知れない。この点について、加藤新太郎の説くところは、以下のとおりである。

「弁護士は、訴訟追行又は強制執行に際して損害を与えた場合、不法行為責任(民法709条)を追及される。
弁護士としては、『専門的知識・技能を活用して依頼者の利益のみならず関わりを生じた第三者の利益をも害することのないようすべき注意義務』(一般的損害発生回避義務)を負う。これは、弁護士の公的役割に由来するものであるが、実定法上の根拠としては、弁護士法1条2項にいう誠実義務と考えてよいであろう。すなわち、弁護士の誠実義務は、依頼者に対する関係のみならず、弁護士の執務のあり方全般を規律するものである」(「新・裁判実務体系 専門家責任訴訟法」)」

法律に素人である依頼者は、ブログ「澤藤統一郎の憲法日記」の記述によって、自分の名誉が傷つけられたとして、専門家としての力量を備えているはずの、資格を持った弁護士に提訴の可否を相談する。このとき、相談を受けた弁護士には専門家として、提訴の可否・当否を吟味し判断すべき義務があり、そのための力量と倫理が求められる。

相談を受けた弁護士はこう言うべきだったのだ。
「この提訴は勝ち目がない。かえって、訴訟の提起自体が不法行為責任を生じかねない。提訴という方法ではなく、あなたがもっている言論の手段を行使して反論すべき。威嚇効果を狙っているとしか考えられない非常識な高額請求などはもってのほか。」
「もちろん、訴訟を受任すれば、訴訟の帰趨にかかわりなく、私には多額の着手金が手に入ることになる。しかし、それは弁護士の倫理としていただくわけにはいかない。」

さて、この提訴が違法であるとして、だれに最も重い責任があるのだろう。専門家として、提訴の可否・当否の判断を誤った弁護士にこそ責任があるのではないだろうか。

ごく最近、ある事件をきっかけに、この点についての弁護士の責任が大きな話題となっている。
産経は、この件を次の見出しで報じた。「日弁連・AV出演拒否で女性に賠償請求 提訴の弁護士『懲戒審査相当』」「日弁連異例の決定 『正当な活動』反論も」

少し字句を補うとこういうことだ。「AV出演拒否で女性に賠償請求訴訟提訴を担当した弁護士の行為について、日弁連は懲戒審査に付することが相当と判断を示した」「日弁連としては異例の決定で、弁護士の行為を正当な活動とする反論もある」

報道によれば、ことの経過は、こんなところだ。
「アダルトビデオ(AV)出演を拒否した20代の女性に所属事務所が約2400万円の損害賠償を求めた訴訟をめぐり、日本弁護士連合会(日弁連)が、所属事務所の代理人を務めた60代の男性弁護士について『提訴は問題だった』として、『懲戒審査相当』の決定をした。」

「この女性は『タレントになれる』と18歳でスカウトされ、事務所と契約。その後、AV出演を求められ、拒否すると事務所から『違約金を支払え』などと脅された。女性が契約解除を求めると、事務所は男性弁護士を代理人として損害賠償訴訟を東京地裁に起こした。」「2015年9月の東京地裁判決は『事務所は高額の違約金を盾にAV出演を迫った』と指摘。『女性には契約を解除するやむを得ない事情があった』として請求を退けた。事務所側は控訴せず、判決は確定した。」(産経)

「損害賠償訴訟の判決によると、女性はAV出演を拒否すると会社から『違約金が1千万円かかる』と言われた。契約解除を求めると、会社はこの男性弁護士らを代理人として東京地裁に提訴。地裁は2015年9月、『強要できない仕事なのに、多額の違約金を告げて出演を迫った』として請求を棄却し、確定した。」(朝日)

問題は、この弁護士の提訴が、「女性を恫喝したAV出演強制を助長する行為」として、弁護士の非行にあたるかである。この弁護士が所属する第二東京弁護士会の綱紀委員会は非行にあたらずとして、懲戒審査に付さないことを決定した。しかし、日弁連の綱紀委員会はこの決定に対する異議を認めて、二弁の決定を取り消した。このため二弁の懲戒委員会は今年1月、懲戒審査を始めた、という。

日弁連の逆転決定の理由として、産経の報道では、
(1) 提訴はこの女性や同様の立場にいる女性にAV出演を強制する行為とみなされる恐れがある
(2) 請求額の妥当性や、提訴が女性の心理に与える圧力などを十分に検討していない

朝日の報道は、
(1)「高額請求の訴訟はAV出演を強制する威圧効果がある」
(2)「女性への影響の大きさ、請求内容を考慮すると問題がないとは言えない」
の各2点を挙げている。

両記事とも、「高額請求」が問題の一つとして挙げられている。また、識者のコメントとして、「弁護士は依頼者の利益だけでなく、社会的利益の実現も求められていることを理解すべきだ」「『弁護士職務基本規程』が不当な目的の訴訟の受任を禁じるなど、一定の制限が設けられており、提訴自体が懲戒対象になることもあり得る」などが掲載されている。

さて、DHCスラップ訴訟に当て嵌めてみるとどうだろうか。
(1) スラップの提訴は、吉田嘉明の行為を批判する政治的言論の発言者である被告(澤藤)や、同様の立場の発言者に言論抑制を強制する行為とみなされる恐れがある。
(2) 高額請求の訴訟は、言論抑制を強制する威圧効果がある。
(3) 受任弁護士は、請求額の妥当性や、提訴が言論の自由に与える圧力などをおよそ検討していない。

いまDHCスラップ訴訟弁護団が検討しているのは、原告代理人弁護士の不法行為責任であって、懲戒事由該当性ではない。しかし、先に見たとおり、提訴を不法行為とする弁護士の専門家責任の根拠は、弁護士倫理にある。日弁連の決定が、「提訴が女性の心理に与える圧力などを十分に検討していない」「高額請求の威圧効果」「請求額の妥当性」を問題にしていることに留意されなければならない。私に対する損害賠償請求額は、6000万円だった。その高額請求の意図にも鑑み、こんなことが許されてよかろうはずはない。

「弁護士職務基本規定」の2か条を引用しておきたい。

(違法行為の助長)
第14条 弁護士は、詐欺的取引、暴力その他違法若しくは不正な行為を助長し、又はこれらの行為を利用してはならない。
(強者による言論の自由抑圧は「不正な行為」である。弁護士は、提訴を手段とする不正な行為を助長しているのではないか)

(不当な事件の受任)
第31条 弁護士は、依頼の目的又は事件処理の方法が明らかに不当な事件を受任してはならない。
(吉田嘉明の依頼の目的は言論抑圧にあり、その提訴は「不当な事件」として受任してはならない)

弁護士が弁護士倫理を弁えれば、スラップ訴訟の大半はなくなるのだ。

念のため、付け加えておきたい。医師には患者からの診療の求めに応ずべき義務(応招義務)がある。医師法19条が「診療に従事する医師は、診察治療の求めがあった場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない」と定めているところである。弁護士にはこれがない。スラップの依頼などは、断固として断ってよい。むしろ、断るべきなのだ。

もっとも、刑事事件の受任はまったく別問題である。いかなる被疑者も被告人も、有罪の判決確定までは無罪の推定を受ける。また、いかなる被疑者も被告人も、国家権力による訴追を受ける場面では、弱者としてその人権が擁護されなければならない。刑事事件の受任が不当な事件の受任とはならない。
(2017年1月23日)

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     「DHCスラップ」勝利報告集会は今週土曜日
弁護士 澤藤統一郎
私自身が訴えられ、6000万円を請求された「DHCスラップ訴訟」。その勝訴確定報告集会が次の土曜日に迫りました。この問題と勝訴の意義を確認するとともに、攻守ところを変えた反撃訴訟の出発点ともいたします。ぜひ、集会にご参加ください。

日程と場所は以下のとおりです。
☆時 2017年1月28日(土)午後(1時30分~4時)
☆所 日比谷公園内の「千代田区立日比谷図書文化館」4階
 「スタジオプラス小ホール」
☆進行
弁護団長挨拶
田島泰彦先生記念講演(「国際動向のなかの名誉毀損法改革とスラップ訴訟(仮題)」)
常任弁護団員からの解説
テーマは、
「名誉毀損訴訟の構造」
「サプリメントの消費者問題」
「反撃訴訟の内容」
☆会場発言(スラップ被害経験者+支援者)
☆澤藤挨拶
・資料集を配布いたします。反撃訴訟の訴状案も用意いたします。
・資料代500円をお願いいたします。
言論の自由の大切さと思われる皆さまに、集会へのご参加と、ご発言をお願いいたします。

       「DHCスラップ訴訟」とは
私は、ブログ「澤藤統一郎の憲法日記」を毎日連載しています。既に、連続1400日になろうとしています。
そのブログに、DHC・吉田嘉明を批判する記事を3本載せました。「カネで政治を操ろうとした」ことに対する政治的批判の記事です。
DHC・吉田はこれを「名誉毀損」として、私を被告とする2000万円の損害賠償請求訴訟を提起しました。2014年4月のことです。
私は、この提訴をスラップ訴訟として違法だとブログに掲載しました。「DHCスラップ訴訟を許さない」とするテーマでの掲載は既に、90回を超します。そうしたら、私に対する損害賠償請求額が6000万円に跳ね上がりました。
この訴訟は、いったい何だったのでしょうか。その提訴と応訴が応訴が持つ意味は、次のように整理できると思います。
1 言論の自由に対する攻撃とその反撃であった。
2 とりわけ政治的言論(攻撃されたものは「政治とカネ」に関わる政治的言論)の自由をめぐる攻防であった。
3 またすぐれて消費者問題であった。(攻撃されたものは「消費者利益を目的とする行政規制」)
4 さらに、民事訴訟の訴権濫用の問題であった。

私は、言論萎縮を狙ったスラップ訴訟の悪辣さ、その害悪を身をもって体験しました。「これは自分一人の問題ではない」「自分が萎縮すれば、多くの人の言論の自由が損なわれることになる」「不当な攻撃とは闘わなければならない」「闘いを放棄すれば、DHC・吉田の思う壺ではないか」「私は弁護士だ。自分の権利も擁護できないで、依頼者の人権を守ることはできない」。そう思い、自分を励ましながらの応訴でした。
スラップ常習者と言って差し支えないDHC・吉田には、反撃訴訟が必要だと思います。引き続いてのご支援をお願いいたします。

トランプの就任に際して、大統領罷免制度を確認しておこう

現地時間の1月20日、米国でトランプ新大統領が就任した。就任記念式典に参集した群衆は少なく盛り上がりに欠け、一方、異例の大統領就任抗議の大集会は各地で大きな盛りあがりを見せたようだ。

なんとも奇妙な悪夢を見ている心もち。もちろん、日本との関わりでアメリカの事情に関心をもつことにはなるのだが、到底就任に祝意などあるわけがない。「アメリカ・ファースト」「バイ・アメリカン」「ハイヤー・アメリカン」を呼号するトランプと、これを支持の米国内の空気が薄気味悪い。偏狭なナショナリズムの連鎖と、保護貿易主義の連鎖をもたらしかねないからだ。多民族の移民国家として、自由と並んで多様性の尊重を信条としてきたはずのアメリカが本当に、すっかり変わってしまったのだろうか。

自分に言い聞かせる。今の時代に自国のみの経済繁栄があり得ないことはだれの目にも明らかではないか。米国内のあらゆるマイノリティが、トランプを指弾しているではないか。あらゆるマイノリティの連帯は、大きな反トランプ運動のうねりとなるだろう。そして、政権を挫折せしめるだろう。希望的にではあるが、そのように直感する。

トランプはできるだけ早期に、その地位を自ら辞任しなければならない。自ら辞任しないのなら罷免されなければならない。新大統領誕生のこの機会に、大統領罷免の手続を確認しておきたい。

韓国の朴大統領罷免の動きが話題となり、韓国の大統領罷免手続を興味深く知ったばかりのタイミング。韓国も米国も大統領制。訴追・弾劾・罷免の手続は基本的によく似ている。一院制で、憲法裁判所をもっている韓国では、議席総数(300)の3分の2(200)以上の賛成で、憲法裁判所への弾劾訴追をすることになる。訴追を受けた憲法裁判所では、9名の裁判官が弾劾審判を審理し、7人以上の票決参加が要件はあるが、多数決で罷免の可否を決することなる。かつて、盧武鉉大統領も訴追されたが、憲法裁判所の弾劾審判では、罷免否定の決定となった。今回も、審判の行方は予断を許さないという。

なお、韓国憲法の関係条文は以下のとおりである。
第65条① 大統領、国務総理、国務委員、行政各部の長、憲法裁判所裁判官、法官、中央選挙管理委員会委員、監査院長、監査委員その他法律が定めた公務員が、その職務執行に際して、憲法又は法律に違背したときは、国会は弾劾の訴追を議決することができる。
② 前項の弾劾訴追は、国会在籍議員の3分の1以上の発議がなければならず、その議決は、国会在籍議員の過半数の賛成がなければならない。ただし、大統領に対する弾劾訴追は、国会在籍議員の過半数の発議及び国会在籍議員の3分の2以上の賛成がなければならない。
③ 弾劾訴追の議決を受けたきは、弾劾審判があるときまで、その権限行使が停止される。
④ 弾劾決定は、公職から罷免するにとどまる。ただし、これにより民事上又は刑事上の責任が免除されない。

第111条① 憲法裁判所は、次の事項を管轄する。
第2号 弾劾の審判

二院制のアメリカでは、下院が訴追を決議して、上院が弾劾の可否を審議する。その制度の基本は合衆国憲法に規定されている。なお、大統領の弾劾裁判において罷免を可とするには、上院の出席議員の3分の2以上の同意が必要だという。

米国大使館の広報・文化交流部門であるアメリカンセンターJAPANのサイトが、合衆国憲法の邦訳を掲載している。訳が分かりにくいが、これによると憲法第2章[執行部]の第4条が[弾劾]と標題されて、以下のとおりの条文となっている。

「大統領、副大統領および合衆国のすべての文官は、反逆罪、収賄罪その他の重大な罪または軽罪につき 弾劾の訴追を受け、有罪の判決を受けたときは、その職を解かれる。」(この「軽罪」を「非行」と訳しているものもある)。

これまで弾劾裁判にかけられた大統領は2名。1867年にアンドルー・ジョンソンと、1999年にビル・クリントン。いずれも、下院では弾劾訴追の決議を受けたが、上院の審理では罷免を免れている。
トランプは異例づくしがお好きのようだ。初の罷免大統領として歴史に名を残してはどうだろう。

なお、昨年(2016年)には、韓国とならんで、ルセフ・ブラジル大統領の罷免も話題となった。次のように報道されている。

「ブラジル上院は8月31日、国家会計の不正操作に関わったとされるルセフ大統領を被告とする弾劾裁判の採決を実施し、賛成多数で有罪と判断して罷免し、ルセフ氏は失職した。上院全81議員のうち、有罪が61票、無罪が20票で、規定の3分の2以上を満たした。議長は最高裁長官が務めた。ルセフ氏は国家会計の状況を良好に見せるため、農業融資などを国営銀行に肩代わりさせたと認定され、失職に値すると判断された。15年1月から2期目を務めていたが、同年末から議会で弾劾手続きが始まり、今年5月からは職務停止中だった。」

この手続は、米国にそっくり。もしかしたら、トランプ弾劾のシミュレーションなのかも知れない。2016年は、大統領罷免の当たり年だったようだ。行け、颯爽と続け、ドナルド・トランプよ。
(2017年1月22日)

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☆時 2017年1月28日(土)午後(1時30分~4時)
☆所 日比谷公園内の「千代田区立日比谷図書文化館」4階
 「スタジオプラス小ホール」
☆進行
弁護団長挨拶
田島泰彦先生記念講演(「言論の自由」の今日的意義)
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言論の自由の大切さと思われる皆さまに、集会へのご参加と、ご発言をお願いいたします。

       「DHCスラップ訴訟」とは
私は、ブログ「澤藤統一郎の憲法日記」を毎日連載しています。既に、連続1400日になろうとしています。
そのブログに、DHC・吉田嘉明を批判する記事を3本載せました。「カネで政治を操ろうとした」ことに対する政治的批判の記事です。
DHC・吉田はこれを「名誉毀損」として、私を被告とする2000万円の損害賠償請求訴訟を提起しました。2014年4月のことです。
私は、この提訴をスラップ訴訟として違法だとブログに掲載しました。「DHCスラップ訴訟を許さない」とするテーマでの掲載は既に、90回を超します。そうしたら、私に対する損害賠償請求額が6000万円に跳ね上がりました。
この訴訟は、いったい何だったのでしょうか。その提訴と応訴が応訴が持つ意味は、次のように整理できると思います。
1 言論の自由に対する攻撃とその反撃であった。
2 とりわけ政治的言論(攻撃されたものは「政治とカネ」に関わる政治的言論)の自由をめぐる攻防であった。
3 またすぐれて消費者問題であった。(攻撃されたものは「消費者利益を目的とする行政規制」)
4 さらに、民事訴訟の訴権濫用の問題であった。

私は、言論萎縮を狙ったスラップ訴訟の悪辣さ、その害悪を身をもって体験しました。「これは自分一人の問題ではない」「自分が萎縮すれば、多くの人の言論の自由が損なわれることになる」「不当な攻撃とは闘わなければならない」「闘いを放棄すれば、DHC・吉田の思う壺ではないか」「私は弁護士だ。自分の権利も擁護できないで、依頼者の人権を守ることはできない」。そう思い、自分を励ましながらの応訴でした。
スラップ常習者と言って差し支えないDHC・吉田には、反撃訴訟が必要だと思います。引き続いてのご支援をお願いいたします。

 

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