澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

大阪府知事は「アベ疑惑小学校」の認可を留保せよ

当ブログでは、2月11日(建国記念の日)に取り上げた「瑞穂の國記念小學院」の設立認可問題。次から次へと「疑惑」が噴出している。その「疑惑」とは、安倍晋三夫妻と真正右翼との関わりであり、その関わりが、国有地払い下げに格別の取り計らいをもたらしたのではないかという強い疑いである。

校舎建設は進んでいる様子だが、この右翼小学校の設立認可はまだ下りていない。その認可の権限は大阪府知事にある。「大阪府私立小学校及び中学校の設置認可等に関する審査基準」によれば、3月31日が手続的には、知事権限による認可の期限である。しかし、「首相関与の国有財産不正払い下げ疑惑」はますます深まっている。その解明あるまで、軽々に認可を与えてはならない。

本日(2月21日)の赤旗は、同紙が入手した、大阪府私立学校審議会(私学審)での審議録に基づいて、次のように報道している。

「府側は私学審での認可適当の答申を前提に15年2月に国有地の処分の是非を審議する国有財産近畿地方審議会が開かれると報告したものの、14年12月の(私学審)会議では結論を保留。15年1月27日に臨時の審議会(私学審)を開催。指摘された問題について学園側が提出した書類についてなお『人件費が30%いかない。相当ひどいことをしないとできない』『まずい場合は認可しかるべしを取り下げる』などの意見が出されました。しかし、学校建設にかかる工事請負契約の締結状況や寄付金の受け入れ状況、詳細なカリキュラム、入学志願の出願状況など、開校にむけた進捗状況を次回以降も審議会に報告する条件付きで認可適当と認め府に答申しています。」

私学審の認可適当の答申は実は条件付きなのだ。その条件に関わって、重要な事実が2点大きな疑惑として浮かびあがってきている。

第1点は、法人の基本財産でもある校地(校舎敷地、屋外運動場等)の取得が確定的であるかの疑問である。国有地を「ただ同然」で取得した疑惑の経過が世に明らかとされてなお契約が有効として維持されるかどうか、はなはだ疑問ではないか。適正な価格を再算定してなお、経営主体がこれを取得する十分な財政能力を有しているとは考え難い。

要するに、特別のはからいでの価格と支払い方法での校地取得を否定されたら、学校経営などできはしないだろうということだ。

近畿財務局と森友学園とが、どんなからくりを使って文字通り「ただ同然」で、国有財産をアベとつるんだ右翼に払い下げたか。今のところ、最もよく調べているのは、下記のサイトであろう。筆者は京都の自由法曹団員弁護士である。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/watanabeteruhito/20170220-00067887/

第2点は、「寄付金の受け入れ状況」についての疑惑である。森友学園が、「安倍晋三記念小学校」の校名で、設立費用の寄付を募集していたことが明らかになっている。いつからいつまで、安倍晋三の名を使って、いったいいくらの金額を集めたのか。これが明らかにされないうちの認可はあり得ない。アベ首相自身が、「自分の名が使われたことは知らなかった」と国会答弁しているのだ。アベは、金集めのために勝手に自分の名が使われたことをもっと怒ってしかるべきではないか。

私学審答申の「認可適当」の条件は、単に形式的に報告があればよいというものではない。報告の内容が、再議を必要とするものであれば、当然に条件成就とはならないはずではないか。

それにしても、「秘すれば花」とは風流の世界のこと。豊洲にしても、南スーダンの日報にしても、「隠すのは醜悪さを見られては困る」からなのだ。情報公開請求を拒否した近畿財務局の経過隠蔽が、疑惑の発端となったこの事件。隠しきれなくなっての疑惑がふくれ、その醜悪さが際立ってきた。

森友学園理事長籠池泰典とは、経営する塚本幼稚園の保護者に「よこしまな考え方を持った在日韓国人や支那人」などと記載したヘイトスピーチ文書を配布して物議を醸した人物。アベとは「類は友を呼ぶ」、あるいはもともとが「同じ穴のムジナ」というべきか。「あい寄る魂」は美しいが、政治右翼と真正右翼の醜悪この上ないあい寄る疑惑の関係。

両者の関係を白日の下にさらけ出す努力が今求められている。その疑惑解明までの間に、この「アベ疑惑小学校」設立の駆け込み認可があってはならない。
(2017年2月21日)

民主主義は、トランプ政権に打ち克てるか

トランプ新政権が発足して1か月。その行方が気になって仕方がない。民主主義という確立したはずの理念が揺らいでいるからだ。その妥当性や有効性があらためて問われている。アベ政権の暴走ぶりにも驚ろかされてきたが、トランプの乱暴さはそれに輪をかけたものになっている。

民主主義は、権力無謬の信仰とは無縁である。主権者無謬もない。国民の政権選択は常に暫定的なものに過ぎないとする。その暫定的な選択の誤りに対する修正の能力を、民主主義は期待しているのだ。ワイマール体制下でナチスドイツがやったことは、この「後戻りの道」を閉ざしたことだ。

いま日本もアメリカも、政権選択の誤りについての修正能力が試されている。アベにしてもトランプにしても、これだけ問題点が明確になれば、退陣を余儀なくされなければならない。ところが、コアな支持者として盲目的な右翼勢力のあることが不気味である。ポストトゥルースのこの時代、アナザーファクトしか見ようとしない支持者たちが、アベやトランプをのさばらせているのだ。

それでも、アメリカ側には幾つかの明るいニュースがある。最近の大統領が就任した日から数えて、不支持率が多数を占めるまでに要した日数は下記の通りなのだそうだ。(「お役立ち情報の杜」)http://useful-info.com/analyzing-president-trump-personality
 レーガン大統領  :  727日
 ブッシュ大統領-Ⅰ:1336日
 クリントン大統領 :  573日
 ブッシュ大統領-Ⅱ:1205日
 オバマ大統領   :  936日
 トランプ大統領  :      8日

支持率・不支持率には、いくつもの調査があるから、正確なことは言えない。それでも、トランプへのご祝儀蜜月期間が極端に短かったことは確かなようだ。

Gallup世論調査結果が発表された。2月13~15日の日程で行われたもの。トランプの支持率は40%で、就任1か月時点の調査としては、歴代の最低を記録したという。2大政党下での選挙の勝者である。当然過半数の支持があろうというもの。それが、40%でしかない。隠れトランプは、雲散霧消してしまったのではないか。

Gallupによると、アイゼンハワー大統領以来、就任1カ月目の支持率平均は61%で、トランプの支持率は平均を21%も下回るものとなっているのだそうだ。これまでの最低支持率は、ビル・クリントン大統領の51%。この最低記録を11%下回る新記録なのだそうだ。

アイゼンハワーからトランプまでの就任1か月後支持率は以下のとおり。
    Date        Job approval (%)
Trump 2017 Feb 13-15       40 %
Obama 2009 Feb 12-15      64 %
G.W. Bush 2001 Feb 19-21      62 %
Clinton 1993 Feb 12-14      51 %
G.H.W. Bush 1989 Feb 28-Mar    63 %
Reagan 1981 Feb 13-16       55 %
Carter 1977 Feb 18-21         71 %
Nixon 1969 Feb 20-25       60 %
Kennedy 1961 Feb 10-15       72 %
Eisenhower 1953 Feb 22-27   67 %
Average(平均)            61 %

もう一つのニュースが、ニューヨーク・タイムズに載った精神科医連名の投書。「大統領職を安全に務めることは不可能だと信じる」とするもの。

投書はアメリカ精神医学会(APA)に所属する医師など専門家35人の連名で、2017年2月13日付けの紙面に掲載されたという。投書の見出しは、「精神保健の専門家はトランプ氏に警告する」。次のような翻訳が報道されている。

「トランプ氏の一連の発言や行動は、異なる意見を受容する能力に欠けることを示しており、彼は異なる見解に怒りの行動をとる。彼の言動は他者への共感能力に著しく欠けることを示している。こうした人物は自分の精神状況に合わせて現実を歪め、事実や事実を伝えようとする人物(ジャーナリストや科学者)を攻撃する」
「トランプ大統領の言動が示す重大な精神的不安定さから、われわれは彼が大統領職を安全に務めることは不可能だと信じる」

以下は、「J-CASTニュース」からの引用。その先の引用元は分からないが、信頼できそうな内容。

この投書が注目されたのは、反トランプの内容だけでなく、投書した医師たちが、アメリカ精神医学会の長年の倫理規定を意識的に破ったことにあるという。
  この規定はゴールドウォーター・ルールと呼ばれ、1964年に民主党のジョンソン大統領と共和党のゴールドウォーター上院議員が大統領選を争ったのを機に制定された。この選挙では、ある雑誌が「ゴールドウォーターのメンタル特集」というテーマで、各地の精神科医に大統領として適任かどうかを投票させた。ゴールドウォーター氏はすぐに雑誌を名誉毀損で訴え、裁判では勝訴した。
  このルールは精神科医がこうしたトラブルに巻き込まれないようにつくられた。「精神科医が自ら診察していない公的人物について、職業的意見を述べたり、精神状態を議論したりすることは非倫理的」と禁止した。1973年に制定され、今も有効だ。
  アメリカ精神医学会は2016年、「このルールを破って大統領候補の精神状態を分析することは「無責任で、レッテル貼りにつながり、非倫理的な行為だ」と厳しく戒めた。しかし、今回の医師らは投書の中で、「これまでの沈黙は失敗だった。この非常時にもう沈黙は許されない」と規定破りの決意を述べている。

アメリカの1964年の事件で、言論の自由の旗を掲げる側が敗訴した裁判例あることが信じがたい。このような判例が今も生きているとは到底思えない。それはさておき、トランプは、35人の精神科医をやむにやまれぬ気持にさせたのだ。「これまでの沈黙は失敗だった。この非常時にもう沈黙は許されない」
メディアと医師が、トランプとたたかう姿勢を見せている。アメリカのこととはいえ、この動きに勇気づけられる。日本もかくあらねば、と思う。

(2017年2月20日)

「保育園落ちた日本死ね!!!」の表現を擁護する

あの怒りのブログから1年。また、「保育園落ちた」の季節となった。「保活」(保育園就園活動)という言葉が定着しているそうだが、さて、深刻な保活事情は改善されているのだろうか。

毎日新聞はこう報じている。
「『日本死ね!!!』から1年 1年後も『待機ゼロ』無理 目標達成、首相『厳しい』」
「昨年2月に「保育園落ちた。日本死ね!!!」と窮状を訴える匿名ブログが共感を集めて社会問題化して1年。(2月)17日の衆院予算委員会で待機児童問題が取り上げられた。安倍晋三首相は「保育の受け皿は増やした」としつつ、政府が掲げる2017年度末の待機児童ゼロの目標達成は困難だとの見通しを示した。今年4月の入所を目指して落選した親たちには失望が広がっている。」

「保育園落ちた日本死ね!!!」という、このブログの衝撃は大きかった。意図したかどうかはともかく、市井の人の言語的表現がこれほどの社会的インパクトを獲得し、政権をうろたえさせた例は稀だろう。

当「憲法日記」では、昨年(2016年)3月15日に、「『保育園落ちた日本死ね』怒りのブログに、曾野綾子の『大きなお世話』」を書いた。今読み直してみて、書き換えなければならないところはない。目を通していただけたら、ありがたい。
http://article9.jp/wordpress/?p=6578

当時、「日本死ね!!!」という表現に違和感をもつという意見があった。いまだに散見される。「『死ね』は、人格否定の最たる表現」「いかなる場合にも禁句」という批判である。

だが、「日本死ね!!」の表現がなければ、このブログがこれほどのインパクトを持つことはなかった。そして、私自身は、「日本死ね!!」にさしたる違和感をもたなかった。このブログが大きな共感を呼んだのは、私のように違和感をもたなかった読み手が多かったからに違いない。むしろ、「日本死ね!!」という表現の過激に藉口した「日本」「国家」への批判抑制の論調の方に違和感をもった。自分の感性が鈍麻しているのかとも思ったが、そうではなさそうだ。

何よりも、このブログは弱者の悲鳴である。通常の言葉遣いでは到底気持が通じないという切羽詰まった状況が、このような強い言葉を選ばせている。強者が弱者に対して放つ、人格否定の文脈ではない。

しかも、日本人が日本人を対象に、自分も属している日本という国家の政策批判を展開しているというシチュエーションが重要なのだ。他者、他国、他グループに対する悪罵とは決定的に違っている。

他国に対する批判も、自国に対する批判も、表現の自由の範疇として保障の対象になることは当然である。当然ではあるが、自国に対する批判の方が、遠慮は要らない。他国に対する批判の言論には、慎重な配慮が必要との立論にはそれなりの理があろうかと思う。刑法は、第4章「国交に関する罪」の中に、第92条「外国国旗損壊罪」を設けている。「外国に対して侮辱を加える目的で、国旗を損壊する」ことが犯罪とされ、自国の国旗についての損壊を犯罪とはしていない(器物損壊が成立しうることは別として)。

また、「死ね」と言葉を投げつけられたのは、「日本」である。「日本」という国家は、組織であり機構であり制度であって、死ぬことはない。しかも、公権力の主体として最も辛らつな国民からの批判に晒されるべき存在といわねばならない。そのうえ、国家は人権享有主体ではない。「日本死ね」は、飽くまで、制度の不合理に対する怒りの比喩的な表現に過ぎないことが、一見明瞭なのだ。

仮に、このブログの表現が、「日本人死ね」であったとしたら、印象は相当に変わっていたはずである。私も違和感をもったかもしれない。さらに、特定の人名を出しての「○○死ね!!」であったら、このブログがこれほどの共感をもって受けとめられることはなかったに違いない。

昨年5月、在日への差別的表現を禁止した、ヘイトスピーチ対策法(フルネームは、「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」)が成立し、6月施行となった。同法第2条は、ヘイトスピーチを「差別的意識を助長・誘発する目的で、生命、身体、自由、名誉、財産に危害を加えると告げることや、著しく侮蔑するなどして、地域社会からの排除をあおる差別的言動」と定義している。同法は、差別解消のための努力を国の責務とし、自治体にも同様の努力義務を課している。

法の定義だけでは分かりにくいとして、法務省人権擁護局は、各自治体にヘイトスピーチの典型を例示した文書を提供している。そのヘイトスピーチの典型例が、許されない他への打撃的言論の限界を考察するための参考になりそうである。

報道によると、その「典型例」はヘイトスピーチ対策法の定義規定(第2条)の条文から、差別的言動を下記の3種に分けている。
①「生命、身体、自由、名誉、財産に危害を加えると告げるもの」
②「著しく侮蔑するもの」
③「地域社会からの排除をあおるもの」

①の脅迫的言動としては、「〇〇人は殺せ」「〇〇人を海に投げ入れろ」といった殺害を含め、危害を加えることの扇動に当たるもの。
②の著しく侮蔑する言動としては、特定の人種、民族、出身国・地域の人について『ゴキブリ』などの虫、動物、物に例えることや隠語や略語を用いたり一部伏せ字にして罵るパターンも含まれる。
③の地域社会からの排除を扇動する言動としては、「〇〇人を叩き出せ」「〇〇人は国へ帰れ」「〇〇人を強制送還しろ」など、日本もしくは地域からの排除の扇動。
というものである。

ひるがえって、日本人による「日本死ね」発言。対外的には、国交に関する「差別的意識を助長・誘発する目的」もなければ、外国への侮辱にもあたらない。対内的にも、だれに対する関係でも危害の煽動になっていない。侮蔑の意味もなく、誰かを排除する意図もない。「被害」は、日本ないし国家という抽象的存在に限定されて、人権享有主体のだれをも傷つけてはいない。

「日本死ね」の表現はことさらに非難をするにはあたらない。これを非難することが結局は政権や国策の擁護になっていることに留意されなければならない。
(2017年2月19日)

卒業式直前・五者(原告団・元原告団)総決起集会で

弁護団の澤藤です。お集まりの皆さまに、冒頭のご挨拶を申しあげます。
本日はやや冷えておりますが、確実に春が近づいています。春は万物にとっての希望の季節。とりわけ学校にとっては、若者たちの巣立ちを祝い、また新しい生徒たちを迎え入れる、慶事の季節。

しかし、石原慎太郎第2期都政下で、「10・23通達」が発出されて以来、希望の春は憂鬱な春に変わってしまいました。それから年を重ねて今年は14度目の憂鬱な春。

この間、梅が咲けば重苦しい卒業式が間近となり、桜が咲けばまた重苦しい入学式。これは、きっと短い悪夢だ。いつまでもこんなことが続くはずはないと念じつつ闘いを続けながら、時を過ごしてまいりました。

この間、屈することなく闘い続けて来られた皆さまに心からの敬意を表明いたします。

この恐るべき事態がこんなにも続くとは、当初は思ってもみないことでした。これは、極右の知事が選挙で思いがけなくも308万票もとって舞い上がり、教育委員会を側近で固めてやってのけた、突出したできごとだと思っていたものです。知事が代わるまで教育委員が交替するまでの我慢…。ところが、今その知事の権勢は地に落ち、3代目の後継知事となっています。「10・23通達」発出当時の教育委員は、一人も残っていません。それでも、日の丸・君が代強制の「10・23通達」と卒業式入学式の「実施指針」は生き延びています。

じつは、私たちは「トンデモ知事」や、「トンデモ都教委」と闘ってきたのではなく、安倍政権の基本性格に見られるような、この時代の趨勢と切り結び闘ってきたのではないかと思うのです。

安倍政権は、明らかにこれまでの保守政権とは違います。従前の自民党の改憲案とは明確に質を異にする「自民党改憲草案」を掲げて、戦後レジームからの脱却を呼号する右翼政権。特定秘密保護法を成立させ、内閣法制局長官の更迭までして集団的自衛権行使容認の解釈改憲を強行し、戦争法成立を強行採決した暴走内閣。

このような国民主権や平和主義に背を向けて暴走する政治勢力が必要とするのが、ナショナリズムにほかなりません。ナショナリズムがもたらす、自国の優越意識と、他国への差別感情と排外主義。これらがなくては、改憲も軍事大国化もできることではありません。

ナショナリズムの第一歩。それこそが、日の丸・君が代の強制なのです。今は、そのようなナショナリズム鼓吹の時代なのではないでしょうか。

東京都に限らず、全国にナショナリズム鼓吹の風が吹いています。国旗国歌は小中学校高校だけでなく、保育園・幼稚園から国立大学にまで、事実上の強制が行われています。国家主義横行の時代には、平和も人権も蹂躙されていく。「国権栄えて民権亡ぶ」の図となるのです。

私たちの、日の丸・君が代強制との闘いは、そのような国家意思と切り結ぶ重大事なのだと考えざるをえません。

この間、法廷の闘いでは、まず予防訴訟があり、再発防止研修執行停止申立があり、人事委員会審理を経て4次にわたる取消訴訟があり、再雇用拒否を違法とする一連の訴訟がありました。難波判決や大橋判決があり、いくつかの最高裁判決が積み重ねられて、今日に至っています。

法廷闘争は一定の成果をあげてきました。都教委が設計した累積過重の思想転向強要システムは不発に終わり、原則として戒告を超える懲戒処分はできなくなっています。しかし、法廷闘争の成果は一定のもの以上ではありません。起立・斉唱・伴奏命令自体が違憲であるとの私たちの主張は判決に結実してはいません。戒告に限れば、懲戒処分は判決で認められてしまっています。

また、何度かの都知事選で、知事を変え都政を変えることが教育行政も変えることになるという意気込みで選挙戦に取り組みましたが、この試みも高いハードルを実感するばかりで実現にはいたっていません。

しかし、闘いは終わりません。都教委の違憲違法、教育への不当な支配が続く限り、現場での闘いは続き、現場での闘いが続く限り法廷闘争も終わることはありません。今、判決はやや膠着した状況にありますが、弁護団はこれを打破するための飽くなき試みを続けているところです。

時あたかも、第4次処分取消訴訟の東京地裁審理が結審を迎えます。来たる3月15日が結審の法廷となります。2月末〆切で、今弁護団は最終準備書面を作成中です。

その事件の判決が目ざすところは、これまでの最高裁の思想良心の自由保障に関する判断枠組みを転換して、憲法学界が積み上げてきた厳格な違憲審査基準を適用して、明確な違憲判断を勝ち取ることです。まだ、1件も大法廷判決はないのですから、事件を大法廷で審理して、あらたな判例を作ることはけっして不可能ではありません。

また、憲法19条違反だけでなく、子どもの教育を受ける権利を規定した26条や教員の教授の自由を掲げた23条を根拠にした違憲・違法の判決も目ざしています。国民に対する国旗国歌への敬意表明強制はそもそも立憲主義に違反しているという主張についても裁判所の理解を得たい、そう考えています。

国旗国歌は、国家と等値できる存在です。国旗国歌への敬意表明とは国家に対する敬意表明にほかなりません。ですから、公権力が国民に国旗国歌への敬意表明を強制することは、国家が主権者である国民に対して「オレを尊敬しろ」と強制していることなのです。主権者国民によって作られた国家が国民に向かって「オレを尊敬しろ」と強制することなどできるはずがない。それは、憲法的には背理であり倒錯だというのが、私たちの主張です。

現在の最高裁判決の水準は、意に沿わない外的行為の強制が内心の思想・良心を傷つけることを認め、起立斉唱の強制は思想良心の間接的な制約にはなることを認めています。最高裁は、「間接的な制約に過ぎないのだから、厳格な違憲判断の必要はない」というのですが、「間接的にもせよ思想良心の制約に当たるのだから、軽々に合憲と認めてはならない」と言うべきなのです。卒業式や入学式に「日の丸・君が代」を持ち出す合理性や必要性の不存在をもう一度丁寧に証明したいと思います。

第4次訴訟では、ほぼ全員の原告が法廷で意見陳述をし、原告本人として証言しました。毎回の法廷が感動的なもので、裁判官も真面目によく聞いてくれたという印象でした。原告のみなさんが、悩みながらも、生徒の前で教師としての生き方が問われているとの思いから、不当な職務命令には従えないとした心情をよく理解してもらえたのではないかと思っています。

闘うことを恐れ、安穏を求めて、長いものに巻かれるままに声をひそめれば、権力が思うような教育を許してしまうことになってしまいます。苦しくとも、不当と闘うことが、誠実に生きようとする者の努めであり、教育に関わる立場にある人の矜持でもあろうと思います。

私たち弁護団も、法律家として同様の気持で、皆さまと意義のある闘いをご一緒いたします。今年の卒業式・入学式にも、できるだけの法的なご支援をする弁護団の意思を表明してご挨拶といたします。
(2017年2月18日)

3歳児に日の丸・君が代を刷り込め

「三つ子の魂百まで」というじゃないか。国民をマインドコントロールする遠大な計画は3歳児の教育から始めなければならない。そう。マインドコントロールとは、ナショナリズムを国民に吹き込むことだ。マインドコントロールという言葉の響きが嫌いなら、「思想の善導」と言い換えておこう。国旗・国歌(日の丸・君が代)とは、善良な思想の象徴だ。日の丸・君が代を抵抗なく受容することは、権力に従順な証しなんだ。だから、今回の「3歳児からの日の丸・君が代」、素晴らしいことじゃないか。さすがは、アベ政権。さすがに極右に支えられた政権。よくぞ、その役割を果たしているじゃないか。

教え込まなければ、国家の価値など分かるわけがない。ナショナリズムとは、自然に育つものではなく刷り込まねばならないことなのだ。先人がそのために、いかに真剣に国民を欺す努力を重ね、硬軟さまざまなその技を磨いてきたか。国家のためには命を捨てるとまでの国民精神を鍛え上げた、その成功の過程をもう一度よく振り返って、貴重な教訓を噛みしめなければならない。

とりわけ、今は基本的人権などという余計なことを学校が教える。国際化の時代と言われたり、コミュニティが大切だと言われたり。企業が国家を凌駕したり。国家を単位とするナショナリズムは旗色が悪い。誰かが先導し鼓吹しなければ、愛国心も国家ファースト主義も自然に育つものではないのだ。国民の側からのナショナリズム煽動の動きが弱ければ、国家自身がナショナリズムを鼓吹する以外にない。それが、日の丸・君が代強制のホンネでないか。そのどこが悪い。どこに問題があるというのだ。なんと言っても、国家あっての国民じゃないか。

ナショナリズムを叩き込むのは、余計な知恵の付かないうちがよい。生まれ落ちた瞬間から、日の丸であやされ、君が代を子守歌にする環境が最も望ましい。それが無理でも3歳からは、日の丸・君が代に親しむ環境を作るのだ。親しむというよりは、叩き込むというべきだろう。子どもに知恵が付いて、「国家よりは、個人の尊厳」とか、「主権者としての自覚」などと言いだしたらもうおしまいだ。3歳ならまだ間に合う。まだ、国家の何たる、民族の何たるかも分からない。日の丸・君が代と天皇制や戦争との結びつきも、何も知らない。知らないことが重要なのだ。ものの分からないうちがナショナリズム煽動と刷り込みのチャンスだ。勝負のときは短いのだ。

3歳児の公的な預け先は3系統ある。
文科省管轄の幼稚園。厚労省管轄の保育園。そして幼稚園と保育所の機能を併せ持つ内閣府管轄の「認定こども園」。その全てが、3歳児から「国旗・国歌に親しむ」教育を受けさせることになる。これは、われらナショナリストにとって欣快の慶事ではないか。

これまで、幼稚園と認定保育園とは国旗についてだけ「親しむ」とされていたが国歌については定めがなかった。保育園に至っては、国旗・国歌の両方について、何の定めもなかった。これは、どう考えてもおかしい。保育園とはまるで、若い両親が自分の仕事を優先して子どもを施設に預けさえすればよいかのごときではないか。保育園には、国家や自治体が金の補助をしているのだ。それなら、見返りに国家が望む子どもに育つよう、ナショナリズムを刷り込む。「預けた子どもに余計な思想教育などもってのほか」などという輩は、保育園からも幼稚園からも閉め出せばよいのだ。

塚本幼稚園を見よ。毎朝、感心にも君が代を唱い教育勅語を暗唱しているというではないか。だから、アベの妻が名誉校長になるのだ。それだけではない。国有地をただ同然で払い下げてもらえるのだ。国家のための教育を行っているところに、国家が報いるのは当然だろう。

キミ、人間が上手に生きていくために一番大切な資質って何だと思う?
それは、従順ということだ。あるいは順応能力と言ってもよい。国家に、体制に、社会に、企業に、無理なく逆らわずに生きていくことのできる資質。善導されたとおりに善良な思想を形成し、柔軟に自分を体制に合わせて生きていく能力だ。なまじ自主性だのプライドなど持ち合わせているとこの世は生きにくくなる。付け焼き刃でない、体制ベッタリの順応能力、その資質を育むには3歳児からだ。そこまで見越しての、3歳児からの日の丸・君が代教育なのだ。

アベ内閣の遠大な、愚民化教育政策に万歳三歳。いや万歳三唱!!
(2017年2月17日)

これで共謀罪が成立することになるのかー学習会寸劇

本日は、我が澤藤法律事務所の澤藤大河弁護士が、埼玉県川口市で「共謀罪」学習会の講師を務めた。パワポを駆使した学習会だったようだが、好評だったのは、冒頭披露した寸劇だったとのこと。

主催者側の総選挙埼玉県2区の候補者が法務委員会の質問者役を、大河が法務大臣役を演じて議論が白熱したという。以下に、その台本を掲載しておく。

犯罪が成立するためには、構成要件に該当する実行行為がなければならない。「人を殺す」「火を放つ」「人の身体を傷害する」「他人の財物を窃取する」などが実行行為である。その着手がなければ未遂罪も成立しない。ところが、例外的にもせよ予備や準備や共謀を処罰するとなると、構成要件的行為としての定型性を持たない日常行為が処罰の対象となってしまう。寸劇は、そのあたりの問題点を描いている。  **************************************************************************

ある日の法務委員会審議にて(架空の質疑)

Q 大臣、なぜ,今,共謀罪を新設するのですか。共謀罪は、犯罪の実行行為がなくとも刑罰を科する、極めて広汎な処罰範囲を持つことになります。過去にも多くの懸念があり、国民の強い反対で廃案に持ち込まれてきたではありませんか。
A 今、委員のご質問でございますが、共謀罪ではなく、「テロ等準備罪」でございます。国際組織犯罪防止条約の批准のために必要な法案であると考えております。
国際組織犯罪防止条約、一層効果的に国際的な組織犯罪を防止し,これと戦うための協力を促進することを目的とする国連条約です。
平成15年9月に発効しています。この条約については,同年5月にその締結について国会の承認を得ており,我が国としても,早期に締結することが重要です。
そこで,我が国も,国際社会の一員として,この条約を早期に締結し,国際社会と協力して,一層効果的に国際的な組織犯罪を防止するため,この条約が義務付けるところに従い,「テロ等準備罪」を新設する必要があります。

Q パレルモ条約は、テロ関係ないでしょう。大体何年に締結されたんですか。
A 平成12年です。

Q それじゃ、2000年じゃないですか。2001年の9・11の前じゃないですか。テロが国際的な関心事になる前の条約ですよ。だいたい、パレルモという都市で締結されて、パレルモ条約とも呼ばれるわけですが、パレルモとは、イタリア、シチリア島の都市です。つまり、マフィア、ヤクザ、そういう組織犯罪を対象にした条約じゃないですか。テロを対象にした条約ではなくて、経済的なマネーロンダリングを主たる対象にした条約じゃないですか。
A 委員は、よく勉強なさっているようですが、組織的な犯罪に対する対応は、テロでもテロ以外でも待ったなしなのであります。

Q 新たな刑罰法規を作ろうというのだから、やはり差し迫った必要性がなくてはならないわけです。では、どうして、テロが差し迫っているというのですか。日本がテロの脅威にさらされているという事ですか?
A 世界中で、不安定な地域がたくさんあります。これだけ安全保障体制が揺らいでおるわけでありまして、先進諸国、たとえばアメリカでの9・11事件、イギリス・ロンドンでの連続爆破テロ、フランス・パリでの出版社襲撃事件などが起こっているわけです。
日本だけが、これらの事件に目を背けていていいのでしょうか。自由と民主主義・人権という共通の価値を守るために、憎むべきテロリストとの戦いに、日本だけが安穏としていることはできないのです。

Q 立法事実として、日本でのテロの危険があるかとお聞きしている。
A それはいろいろな評価がありうる。日本人が、イラクやシリアで誘拐され、殺害される事件も起こっている。

Q 日本でのテロが差し迫っている状況にあるのかと聞いている。
A 我々は、テロの脅威から、国民を守るべき責務を負っております。常に備えなければならないのです。オリンピックも迫っております。安全なオリンピックを開催するためにも、どうしてもテロ等準備罪は必要なのです。

Q 具体的に、日本にテロが迫っていると、あなたですら断言できないようでは、どうして、テロ対策が必要なんですか。では、そのような共謀罪、もし成立してしまったら、犯罪を実行することを話し合っただけで処罰されてしまうのではないか。
A そんなことは、絶対にないのであります。準備行為がなければ、処罰されることはありません。
共謀が成立しただけ、つまり計画しただけでは、犯罪が成立しないことは、法文上明らかであります。一般の方が話しているだけで犯罪者になるなど、絶対にあり得ません。

Q 労働組合や、市民団体が犯罪集団に当たることはないのですか。
A 組織的犯罪集団だけしか、対象とならないことは、明文で規定しております。
適法な活動をしている労働組合や、その他の団体は、その目的が犯罪はないのですから、当然対象とはなりません。

Q そんなことを言っているが、では、更にお尋ねします。既に存在する適法な団体の目的が、ある時点から犯罪目的に変化したと認定することはあり得ないのか。
A 一般論としてお答えすると、一般人が対象となることはないのです。組織的犯罪集団だけしか、対象とならないことは、明文で規定しております。
もし、犯罪を企む集団であるのなら、すでにその集団の構成員は一般人ではないのです。

Q 今、大変な答弁が出た。つまり、「この法律が罰するのは、一般国民ではない」という意味は、「この法律が罰するときには、既に一般人ではないからだ」と、こういうことではないか。論理が逆転している。
A 委員の解釈は、あまりに一方的で偏っているのではないでしょうか。重大犯罪を目的とする団体に、それと知って属しているということは、一般国民の目から見て、一般人とは呼べないことは通常の感覚ではないですか。

Q そんなことはない。企業でも、市民団体・労働組合、サークルでも、適法な通常の団体が、ある時点から犯罪目的だと認定されることはありうるのだから、国民誰でも、共謀罪の犯罪者になり得るじゃないですか。
A 重大な犯罪を計画している団体に属して、具体的な重大犯罪を計画していたら、罰せられるべきは当然ではありませんか。

Q ついに、誰もが対象になりうることが分かりました。しかも、犯罪目的があるかどうか、計画があるかどうか、捜査段階では、判断するのは、裁判所ではなく、捜査機関、大体は警察になるわけです。
その結果、警察が、国民生活に監視の目を光らせ、あらゆる団体が犯罪目的をもっていないかを調べる。これは、まさに現在の治安維持法ではないか。
A 全くそうではございません。
治安維持法は、私有財産制を否定し、国体を変革しようとするという、思想そのもの、つまり、犯罪とは切り離して、特定思想を有する団体を結成すること、加入することを処罰する法律でございます。
今回の、テロ等準備罪は、思想のみを処罰するのものではありません。準備行為という行為を要求しています。
また、団体も重大犯罪を目的とするという、犯罪集団に限って対象とするものですから、ご指摘はあたりません。
捜査についても、捜査機関は、刑事訴訟法、その他関連法令を遵守し、裁判所の令状審査を経て、適法な捜査を行うことになりますので、委員のご指摘はあたらないものと思います。

Q 結局は捜査機関が、最初の判断をする。しかも、政府に批判的な活動をしていると、犯罪を行っているとして、捜査の対象とされかねない。しかも、計画と準備で犯罪が成立するのだから、団体監視を常に行うことが主たる捜査方法になることは明白ではないか。団体に対する警察の監視、団体内部でも密告を恐れて活動が萎縮する。これこそ治安維持法そのものではないですか。
A 委員は、少し感情的になっておられる。お答えしたとおり、一般人が処罰されることはないのです。まあ、治安維持法も一般人は処罰されることはなかったわけですが。

Q 処罰範囲が拡大しすぎる危険がある。
以下の具体例でお聞きします。共謀罪は成立するのか。
米軍基地の建設に反対している市民団体。ついに本格的工事着手が3日後に迫ってきた。メンバーのXYは、今度は工事現場のゲートに座り込んででも、美しい自然を守ろうと話し合った。
翌日、Yはゴザを購入した。
2日後、台風のせいで、海が荒れ、とりあえず工事は延期になった。
どうですか。
A 細かい点がわからないため、お答えしかねる。

Q どこがわからないのか。
A 共謀が成立したといえるのか、議論の様子や、ゴザの購入目的なども検討しなくては、犯罪成否は軽々に答えられない。

Q つまり、犯罪が成立しうるから検討が必要だということですか。
A 犯罪が成立するか否かは、常に微妙な事実の問題を含んでいるのであります。
最終的には裁判官が判断するわけでありまして、今、この事例についてどうかということは、大変難しく、私の頭脳ではお答えしかねる。

Q 結局、どちらの事案も共謀罪が成立しうること、少なくとも、絶対に共謀罪が成立しないわけではないという答弁だった。
共謀罪は、国民の自由な団体活動のみならず、表現の大幅な萎縮を生み出し、思想・信条の自由を侵害する、違憲なものであることが明白になりました。絶対に成立させるわけにはいきません。

(2017年2月16日)

「アメリカ・ファースト」ではなく、「トランプ・ファースト」「金儲け・ファースト」だろう。

トランプの長女がイバンカ。そのイバンカが手がけるファッションのブランド名が、「イバンカ・トランプ」だという。「イバンカ・トランプ」は、人気が低迷して売れ行きが悪くなった。大手百貨店が売り上げ3割減の不振を理由に「イバンカ・トランプ」の販売中止を決めたという。売れ行き不振がトランプの不人気のゆえか、商品の質の悪さか、それはどうでもよい。大統領の名を冠した商品が、売れても売れなくても、政治や行政と何の関係もない純粋に私的な領域の問題だ。

ところが、まず、トランプ自身が大手デパートに対して、ツイッターで激怒した。その行為が「公私混同だ」と批判されてのテレビ取材で、大統領顧問が「イバンカ・トランプ」の宣伝をしたというから、これは事件だ。トランプ一族とその取り巻き連中の薄汚さが芬々たる腐臭を放っている。

事件は、次のようであったらしい。2月9日、コンウェー大統領顧問がテレビ局フォックス・ニュースに出演した際に、「イバンカ・トランプ」の商品を買うよう国民に呼びかけたのだ。「とてもすてきで、私も幾つか持っている」「宣伝するわ」「皆さん、きょう、買いに行って!」と訴えたと報道されている。公私混同ここにきわまれり、ではないか。

コンウェーといえば、「オルタナティブ・ファクト」(「もう一つの事実」、あるいは「都合のよい真実」)発言で有名になった人。彼女にとっては、真実とは取り替えの利くもので、けっしてひとつのものではない。「とてもすてきで、私も幾つか持っている」もオルタナティブ・ファクトの類だろう。いや、彼女の発言の全てが真実とは思えない。大統領府の発言全体の信憑性が怪しい。

「連邦政府の倫理規定は、政府職員が立場を利用して商品を宣伝することを禁じている」と報道されているが、規定の有る無しにかかわらず当たり前のことだ。コンウェーの行為を倫理規定違反として公的機関に申告する動きは速かった。テレビ番組で発言を問題視した下院監視・政府改革委員会のチェイフェッツ委員長(共和党)が米政府倫理局に調査を申し立てた。

米政府倫理局は13日付で結論を出した。実に素早い。コンウェーが「公的な立場でテレビ番組に出演し、イバンカの製品を宣伝する機会として利用した」点を取り上げ、「公的立場の悪用を禁じる規定に明確に反する」と断定。ホワイトハウスに対し、コンウェーの発言を調査し、懲戒処分を検討するよう勧告した。

ウォルター・シャウブ局長名のこの勧告は、「コンウェー氏が行動規範を違反したと強く疑う理由があり、懲戒処分が必要」と指摘。そのうえで、トランプ政権に調査の実施を求めるとともに、「2週間以内に調査結果を提示し、懲戒処分を行ったら詳細を説明するよう」求める、具体的なものである。

この勧告は、2月14日公表され、15日には世界を駆け巡った。さて、ホワイトハウスはどうするか、注目しなければならない。トランプ政権の独善性の程度がいかほどのものか、また、自省や反省による自浄能力がいかほどのものか、それが問われている。

いくつかの感想がある。
一つは、トランプ一族の金儲けへの執念である。何もかも、金儲けのためなのだ。「アメリカ・ファースト」は嘘っぱち。「トランプ・ファースト」であり、「金儲け・ファースト」なのだ。政治も行政も選挙も、彼にとっては全てが金儲けの手段なのだ。

二つ目。そのような貪欲な金の亡者の大富豪を、失業や貧困に悩む大衆が支持し、大統領職に就けたというパラドックスである。トランプの政策は、けっして搾取や収奪、格差や貧困をなくするものではない。大企業減税と規制緩和の徹底した企業優遇策であり、長目では明らかに反労働者政策である。オバマケア撤回に見られる反福祉政策でもある。奴隷が、奴隷主を称賛するがごとき、奇妙な現象なのだ。

三つ目。それでも、政府倫理局の審理と結論の素早さには驚かざるをえない。迅速であるだけでなく、萎縮のない真っ当な結論も称賛に値する。「古い」アメリカのリベラルな秩序が、トランプ流の乱暴な暴走に歯止めを掛けているのだ。

共和党の委員長が共和党のトランプ政権の非に申立をしているのも立派ではないか。わが国で、自民党の議員がアベ内閣の非を申し立てることができるだろうか。アベの妻が名誉校長を務める小学校の敷地に、ただ同然で国有地を払い下げるなどの醜聞に、自民党員が疑義を糺すことができるだろうか。

わが国のチェック機関もこのようであって欲しい。たとえば、BPO。TOKYO MX「ニュース女子」番組(DHCシアター作成)についての辛淑玉さんの人権侵害申立に、迅速に曖昧さを残さない結論を出していただきたい。こんなに露骨なデマとヘイトにまみれた地上波放送は前例がないだろう。BPOの存在と役割が問われている。いや、BPOの存在意義をアピールする絶好の機会ではないか。
(2017年2月15日)

象徴天皇制のあり方について、横田耕一(九州大学名誉教授)の原則論

天皇(明仁)の生前退位希望発言をきっかけに、象徴天皇制のあり方をめぐる議論が活発化している。しかし、その活発化した議論は未整理のまま昏迷しており、幾つかの「ねじれ」さえある。泥縄的に天皇の生前退位を認める法整備が急がれているいま、原理的で原則的な象徴天皇についての議論が求められている。

天皇自身の生前退位希望発言は、象徴天皇の公的行為についての積極的拡大論とセットになっていて、その公的行為拡大論には、世論の一定の支持がある。これまでの天皇(明仁)の発言が憲法に親和的でリベラルなものと認識され、また被災地慰問や戦没者慰霊などの行為が世論から好感を持たれているという事情による。

そのため、いまリベラル派の一部にも「公的行為拡大」論を容認する論調が見られ、むしろ守旧派が「公的行為縮小」論を主張するという「ねじれ」た論争が展開されている。しかし、生前退位の可否と、公的行為容認の可否とは厳格に分けて論じなければならない。

明らかに、天皇自身が「象徴としての公的行為」拡大を意識し、そのような「象徴天皇像」を作ろうと意図してきた。今回の天皇の生前退位の法的措置を求める発言は、天皇が憲法解釈に容喙するものとして看過しえない。本来天皇とは、国民主権原理を標榜する日本国憲法体系の本流になく、その例外としての夾雑物的存在に過ぎない。天皇の存在と行動可能範囲、影響力を極小化する立論こそが出発点であって、「国民統合の象徴」という憲法規定からの法律効果を主張する議論を警戒しなければならない。

そのような視点から、信頼に足る論者の一人が、横田耕一(九州大学名誉教授)であろう。
「法学セミナー」(日本評論社)2017年2月号に、特別企画「座談会 憲法学から天皇の生前退位を考える(上)」が掲載されており、そこで、横田耕一さんが「象徴天皇制」についてのブレのない原則的な憲法論を展開している。

冒頭、横田さんが7ページに及ぶ発言で学説を整理している。これを目次にまとめてみる。
〔1〕大日本帝国憲法の「天皇制度」と、日本国憲法の「象徴天皇制度」とは、根本的に異なる。
 両者は、①天皇の「地位」、②その地位の「根拠」、③天皇の「権能」、において根本的に違うもの。
〔2〕両「天皇制度」の関係ー「断絶説」と「連続説」
 (1) 断絶説
 (2) 連続説
 (3) 現実は、「連続説」に立って展開している
〔3〕「主権者国民」の「総意」に基づく天皇制度
〔4〕「象徴」
 (1) 象徴の意味
 (2) 「日本国・日本国民統合の象徴」の意味
  そしてそのことに積極的な意味があるのか
〔5〕天皇の「お務め」
 (1) 国事行為
 (2) 私的行為は公務ではない
 (3) 「公的行為」
 ①「象徴としての行為」説(清宮四郎など)
 ②「公人としての行為」説(佐藤幸治など)
 ③「準国事行為」説(清水睦、岩間昭道など)
 ④「国事行為」説(宮澤俊義、高橋和之など)
 ⑤違憲説(横田説など)

横田さんの見解における結論は、以下のとおり明快である。
「私は、天皇はそのようなこと(公的行為)は一切やるべきではなく、憲法違反であるという立場です。この説に対しては、実際的でない、非常識という批判がありますが、何か実際的でないか、非常識であるかは、私には分かりません。」

そして、最後をこう締めくくっている。
「以上、五つの説を説明してきましたが、まとめると、国事行為以外に公的行為を認めた場合の問題点は、(1)その範囲が不明確になる、(2)責任の所在が不明確になる、(3)内閣による政治利用ができる、(4)天皇の意思が介在することで天皇が政治的機能を果たすことになる危険性があり、その結果として天皇制度の安定的な運用において困った事態が生じる可能性がある、といったところにあると考えられます。
今の天皇は国民意識に沿うことを行っているので評判が良いのですが、もしも変な天皇が出てきて変なことをやり出したらどうなるのかという話になります。これは受け取り側の意識の問題ですが、天皇の発意に内閣は背けないでしょう。今度のお言葉についても放っておくこともできるはずですが、それには背けないということがあるでしょう。
以上のことから言える大切なことは、第一に、仮に公的行為の存在を認める立場からしても、それは義務的行為ではない。だからそれが過多であれば適宜やめればよいだけの話です。そしてまた、政府見解によれば、皇族が公務をやってもよいことになっていますから、他の皇族に任せればよいわけです。
そして、第二に、天皇には積極的に国民を統合することは期待されていない。この二つをしっかり押さえて天皇の生前退位の問題を議論すべきです。これらのことについては、学説でもおそらく異論はあまりないだろうと思います。」

「公的行為」ないし、「象徴的行為」を、違憲として認めないのが横田説。国事行為以外に公的行為を認めることの問題点は既述のとおりで、積極説はその問題点に目をつぶるもの。

憲法に忠実な厳格解釈が、膨れ上がった公的行為という現実規制に有効に機能しうるかは、主権者としての意識をもった多くの国民の支持を得ることができるかに、かかっている。

(2017年2月14日)

アベとトランプ この朝貢外交に無批判であってよいのか

古代、中国の周辺諸国は皇帝に朝貢することで臣属の意を表した。進貢とこれを上回る恩賜があって、朝貢貿易が成立したという。周辺各国の安全保障と経済とは、この時代から超大国との関係に律せられていたのだ。

江戸時代、武家諸法度によって1万石以上の諸大名のすべてが、首都・江戸への参勤交代を義務づけられた。幕府に謀反の意を疑われることは、藩の命運に関わることとして、全ての大名が表面上喜々としてこの義務を果たし、その莫大な経費で藩の財政をすり減らした。

そして今、古代の皇帝の如くに、はたまた江戸時代の将軍の如くに君臨する、超大国の暴君・トランプの前に、アベ・シンゾーがひざまずき、満面の笑みをたたえて臣従の意を表明する。まさしく、その心根は朝貢であり、参勤交代にほかならない。恥ずかしくないのか。こちらは日本国民であることが恥ずかしくてならない。

トランプは、近代市民社会の理想や良識とは無縁の存在。ポピュリズムが生みだした、時代錯誤の醜悪なモンスターだ。格差と貧困にうちひしがれた大衆の支持で誕生した、大金持ちの支配者。その存在自体が説明不能のパラドックスである。

この皇帝は、実はさびしさをかこっていた。焦りもあった。まともな国の首脳たちは、朝貢にも参勤交代にも来ようとしないのだ。唯一、トランプに媚態を見せたイギリスのメイが、国内でブーイングを浴びている。そこへ、タイミングよく平身低頭のアベが来た。阿諛追従、お世辞とへつらいとゴマすり男。これ以上はない、見事な相性のカップル。

朝貢は服属国に経済的利益をもたらし、参勤交代は経済の疲弊をもたらした。アベの服属の結果は、朝貢よりは参勤交代に近いこととなるのだろう。

朝日が、「米メディア、冷ややかな見方も」と報じている。
「ただ、こうした首相の姿勢を、一部の米メディアは冷ややかに報じた。
NBCニュースの政治担当ディレクター、チャック・トッド氏はツイッターで「メイ英首相よりもさらに、日本の安倍首相はトランプ大統領に取り入ろうとしている」と投稿。米タイム誌(電子版)は「日本の首相は大統領の心をつかむ方法を示した。お世辞だ」と題した記事で「首相は記者会見で大げさに大統領をほめた」などと皮肉った。ニュース専門局MSNBCのアナリスト、デビッド・コーン氏もツイッターで「こんなに大統領におべっかを使う外国の首脳は見たことがない」と述べている。
CNNなど主要テレビは共同記者会見を生中継したが、終了後は日米関係にはほとんど触れず、大統領令を集中的に報じた。ワシントン・ポストは「安倍首相がホワイトハウス訪問。だが、入国禁止の大統領令がニュースを独占した」と報道。「晴れ渡った安倍首相との会談を、裁判所の判断が曇らせた」と表現した。」

毎日は、パックンことパトリック・ハーランの次の言を紹介している。
「自分と距離を置く首脳もいる中、最初から近付いてきた安倍首相は大統領にとってありがたい存在だったのだろう。日本国内には、大統領と距離を縮める首相に大きな批判はなく、厚遇ぶりをエンターテインメントとして見ているのでは」「対日・外交方針も固まっていない時期の厚遇の首脳会談はアメリカ人から見れば非常識。日米首脳の動向がアメリカでも報道されているのは、日本との外交政策が注目されているのではなく、大統領が非常識だから

皇帝側のメデイアがこれだけ冷めているのだ。属国側のメディアに、その気概ありや? 「こんなに大統領におべっかを使う外国の首脳は見たことがない」とまで言われることは、世界の良識からトランプの同類と見なされること。アベには、そのことをリスクとする認識があるか?
(2017年2月13日)

マイナンバー 知らせて危険。知らせられるともっと危険。

年末から年初にかけて確定申告のための支払い調書(源泉徴収の票)が届いた。
今までにないこととして、事前に「調書作成のためにマイナンバーをご連絡ください」とする問合せが何件かあった。そのいずれの問合せにも、「マイナンバー記載なしで調書の作成をお願いします」「その方がお互い面倒でないでしょう」ということで、なんの問題も起きていない。行政が「どうしても必要」という場合には、それなりの対応をしなければと思ってはいたが、そのようなケースに遭遇することはなかった。

マイナンバー、使って何の得もない。うっかり使えば、漏洩のリスクが大きい。知られた者も知らされた者も、リスクを抱えることになる。こんなもの、ないに越したことはない。こんな制度は眠り込ませるに如くはない。

目についた限りで、関連した幾つかの情報をご紹介する。

不記載の給与支払い報告書 市が受け取り拒否を撤回
小松島市(徳島県)「生活と健康を守る会」は、1月18日小松島市に対し、マイナンバー不記載を理由とする申請書等の受け取り拒否を改めるよう申し入れました。
 1月16日、漁業を営む会員の島田佳代さん(仮名、74歳)がマイナンバー不記載を理由に、市から給与支払報告書の受け取りを拒否されました。
 小松島市生健会は3月の税金集団申告に向け、昨年11月から税金学習会を3回開催。その中でマイナンバーについて学習をし、プライバシー侵害のおそれがあるため、マイナンバーは書かないことを確認してきました。
 1月18日は、毎月第1、第3月曜に開催している「なんでも相談会」の日でした。受け取りを拒否された島田さんは相談に訪れ、「給与支払報告書を仕上げ、市役所に提出しようとして拒否された」ことを話しました。
 早速、市に申し入れることにし、島田さんと井上博善会長ほか役員3人が参加しました。市役所からは税務課長と担当係長が出席。初めに、生健会から「給与支払報告書の受け取り拒否は、国の定めたマイナンバーの取り扱い原則から逸脱している。不記載でも受け取るのが原則だ。なぜ受け取り拒否したのか」と質問し、その経緯の説明を求めました。
 担当係長は「窓口担当職員から事情を聴いた。受け取り拒否でなく、会員の方がどうするか考えるため持ち帰った」との説明。島田さんは「マイナンバー不記載では受け取れないと、担当者が言った」と反論。
 その後担当係長から「行き違いがあり、迷惑をかけました。不記載の意思が確認できる場合は受理します」と謝罪がありました。
 その場で(マイナンバー記載のない)給与支払報告書を提出しました。
 2月14日から始まる確定申告のマイナンバー記載の取り扱いについても、尋ねました。「所得税に関するマイナンバーについては、市税務課(所得税申告を受け付ける市の窓口)では確認しないよう税務署から指示されている」「住民税については、マイナンバー記載の場合、証明するものの提示を求める。不記載の場合は、『来年の申告では記載するよう』指導する」との説明がありました。
 最後に井上会長は、「マイナンバー制度により事業所は事務が増えている。国民はマイナンバー漏えいによるプライバシー侵害を心配している。マイナンバー制度は廃止すべきである」と述べました。
(以上、2017年2月5日号「守る新聞」。同会ホームページから)

税申告マイナンバー不要 全生連が省庁交渉で確認

全国生活と健康を守る会連合会(全生連・安形義弘会餐)は8日、国が個人情報を管理するマイナンバー(共通番号)制度をめぐり、担当省庁と国会内で交渉し、税申告の際、マイナンバーの記入がなくても申告が受け付けられることを確認しました。総務省、国税庁、内閣府の3省と交渉しました。
 総務省の担当者は、「マイナンバーの記入がない場合も税申告を拒否することはない。申告を受け付ける。記入がないことによる罰則もない」と話しました。参加者は、新潟県南魚沼市の住民が税申告の際にマイナンバーを記入しないことを伝えたところ、市役所から「記入拒否の理由書を住所・氏名とともに提出せよ」と同市が作成した「マイナンバー未記入理由書」への記入を求められた事例を紹介。「まったく必要がないと周知徹底してほしい」と申し入れました。
 総務省の国税庁の担当者は、「法令上、そういった書類を出してもらう必要はない。自治体にもそういった指導はしていない」と回答しました。
 全生連はこのほか、▽行政から発送される通知などにマイナンバーを記載しない▽国民のプライバシーを侵害するマイナンバー制度そのものを廃止する-ことを求めました。
(しんぶん赤旗 2017年2月10日)

マイナンバー 記載なくても不利益ない 全中連に各省庁が回答
全商連も加盟する全国中小業者団体連絡会(全中連)が(2015年)10月27、28の両日に行った省庁交渉ではマイナンバー(共通番号)制度実施の延期・中止を求めるとともに「共通番号の記載がなくても提出書類を受け取り、不利益を与えないこと」などを要望しました。主だった各省庁の回答を紹介します。

【内閣府】
・「扶養控除等申告書」「源泉徴収票」などの法定資料や雇用保険、健康保険、厚生年金保険など書類に番号が記載されていなくても書類は受け取る。記載されていないことで従業員、事業者にも不利益はない。
・従業員から番号の提出を拒否されたときは、その経過を記録する。しかし、記録がないことによる罰則はない。
・「個人番号カード」の取得は申請によるもので強制ではない。カードを取得しないことで不利益はない。
【国税庁】
・確定申告書などに番号未記載でも受理し、罰則・不利益はない。
・事業者が従業員などの番号を扱わないことに対して国税上の罰則や不利益はない。
・窓口で番号通知・本人確認ができなくても申告書は受理する。
・これらのことは個人でも法人でも同じ。
【厚生労働省】
・労働保険に関して共通番号の提示が拒否され、雇用保険取得の届け出で番号の記載がない場合でも、事務組合の過度な負担が生じないよう、ハローワークは届け出を従来通り受理する。罰則や不利益はない。
・労働保険事務組合が番号を扱わないことによる罰則や不利益な扱いはない。
・番号を記載した書類を提出するとき、提出者本人の番号が確認できない場合でも書類は受理する。

以上のとおり、マイナンバー不記載による納税者等の不利益はない。一応、事業者にはマイナンバー記載の義務は定められており、労働者には協力義務があることにはなっている。だから、行政が、マイナンバー記載の指導を求めることは違法ではない。しかし、国民が自らのマイナンバー不記載の意思を明示すれば、法はこれを強制することを想定して作られてはいない。刑罰のないことはもちろん、強制や誘導のための一切の制度はない。

一方、うっかり番号を預かると、担当者には秘密保持義務が課せられ、「秘密を漏らし、又は盗用した者は、3年以下の懲役若しくは150万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する(番号法第50条)」とされる。これはたいへんなことではないか。
マイナンバー人に知らせて危険。人から知らせられると、もっと危険。
(2017年2月12日)

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