澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

日弁連会長選挙 保守派も革新派も「弁護士自治を堅持」

今、弁護士会は春の恒例行事、役員選挙の真っ盛りである。梅の花が咲く初春の風物詩であり、子どもたちの受験シーズンとも重なる。東京弁護士会では、この時期、全館の会議室が選挙用に押さえられ、他の集会予定がとばっちりを受けることとなる。

今年(2018年)の弁護士会役員選挙は、日弁連・各単位会とも2月9日(金)が投開票。今年の選挙は、まずまず穏やかで波乱はなさそう。私が当ブログで繰りかえし指摘してきた「理念なき弁護士」たちの跳梁は見られない。

以下の記事をご覧いただきたい。
「『弁護士の役割や使命への自覚はなく、もっぱら経営の安定だけが関心事と見える』 平成27、28年度の東京弁護士会副会長選挙で「弁護士自治」の“廃止”を打ち出したロースクール世代の赤瀬康明(39)やその支持者に対し、同じ東弁所属の澤藤統一郎(74)が当時、ブログでこう強く批判した背景には、弁護士自治に対するベテラン世代の強い思い入れがある。

 弁護士自治は、弁護士が悲願の末に勝ち取った生命線だ。戦後の昭和24年に施行された弁護士法で、弁護士会は登録事務と監督・懲戒権を独占した。世界でもまれに見る、監督官庁を持たない自治体制は、戦前の教訓から生まれた。

戦前の旧弁護士法では、登録を法務府が管轄。監督・懲戒権は司法省が持ち、弁護士会は任意加入団体にすぎなかった。こうした状況下で、共産党員が検挙された昭和3年の「3・15事件」などで弁護人を務めた「日本労農弁護士団」が8年、治安維持法違反で一斉に逮捕され、弁護士資格を剥奪(はくだつ)されるなど、弁護士が言論統制の対象となるケースが相次いだ。

 弁護士は、使命とする「人権擁護と社会正義」を実現するためには、いかなる権力にも屈することなく、自由独立でなければならない。そのためには監督・懲戒に国家が介入できない仕組みが必要 -。その積年の願いを実現したのが現在の弁護士自治だ。強制加入制も、弁護士自治を担保するために必要不可欠な仕組みとして導入された。

それだけに、弁護士会の懲戒や会務活動は裁判所や行政の関与で代替可能-という赤瀬の「任意加入制導入」の主張は波紋を広げた。澤藤も『弁護士会自体が人材をきちんと育てていない。非常に危機感を持っている。今は(赤瀬は)泡沫(候補)だが、これから先は分からない』と若手の「弁護士会離れ」の予兆を感じたのだ。」

実はこれ、本年1月23日産経新聞の記事。【弁護士会 地殻変動(2)】というシリーズに、「『政治的な活動にうつつを抜かしている暇ない』ロースクール世代、ベテランと溝」というタイトルでの記事の冒頭部分。産経の記者に取材を受けて語ったことが、要領よくまとめられている。この部分に関しては、いつも私が非難してやまない産経とは思えぬ書きっぷり。これなら、「日の丸・君が代」にせよ、靖国にせよ、改憲問題にせよ、産経の取材を断る理由はなさそうだ。

「ロースクール世代」対「ベテラン世代」の意識の対立という構図が正確かどうかはともかく、弁護士自治を不要と広言する「理念なき弁護士」群の出現は、人権派にとっては恐るべき脅威であり、右派勢力にとっては輝く希望の灯だろう。

在野に徹することを使命とし、権力の介入を許してはならないと明確に自覚すべき分野として、《メディア》と《大学》と《在野法曹》とがある。それぞれに、理念の揺らぎが感じられるものの、まだまだ在野派健在なのだ。

今年(2018年)の会長選挙ではまともな議論が行われている。
日弁連会長選挙候補者は、いわゆる「主流派」から菊地裕太郎、「反主流派」からは武内更一。両候補の選挙公報の対比は興味深い。菊地の略歴はすべて元号表示、武内は西暦で統一されている。常識的には、保守対革新の対立と言ってよかろう。

菊地の訴えの項目は下記のとおり至極穏当なもの。
1.憲法の根本規範を護る
2.公正・公平な人権尊重の社会を目指して
3.弁護士業務基盤を確かなものにする
4.貸与制世代への対応
5.災害対策・被災者支援
6.刑事・民事の司法改革の推進
7.法曹養成制度について
8.弁護士自治を堅持し、司法の力を信じて一体感のある日弁連を

これに対する武内陣営のスローガンの大綱は以下のとおり。こちらは、穏やかならざる雰囲気を感じさせる。
【Ⅰ】9条改憲反対・とめよう戦争 共謀罪廃止
【Ⅱ】弁護士自治は権力・社会的強者と闘うための民衆の盾
【Ⅲ】弁護士貧困化攻撃をはね返そう

両陣営の主張のトーンはずいぶんちがうが、こと弁護士自治に関しては両陣営とも、「堅持」を積極的に訴えている。保守派の菊地もこう言っている。
「弁護士自治は、先達の熱い想いを込めて勝ち得た我われ弁護士にとってのアイデンティティを象徴する理念です。権力に怯まず恐れず対峙する弁護士・弁護士会の活動を支える制度的保障であります。故に、政治リスクの高まりは、弁護士自治リスクと表裏の関係にあり、日弁連は今、重大な局面にあります。弁護士自治を安定的・持続的な制度保障として確たるものにしていくには、不断の努力が欠かせません。」

もちろん、武内陣営も負けずにこう言う。
「弁護士自治は、民衆が権力や社会的強者から自らを守る盾の役割を弁護士に求めて弁護士法に規定させたものです。権力との対決を避けることは人びとの離反を招き、自治の基盤を失わせます。」

弁護士自治という制度の堅持とともに、この理念を承継する具体策が競われている。
これなら、今年の春はうららに過ごせそう。
(2018年1月31日)

橋下徹の対岩上安身(IWJ代表)提訴はスラップである。

東本高志さんが主宰するBlog「みずき」は、私の目につく範囲では、ブログ文化のひとつの到達点を示すものといえよう。掲載される写真は美しい。引用される記事の浩瀚さには驚くばかり。論説の姿勢の一貫性も立派なものだ。気付かなかった視点の指摘に膝を打つことも多々ある。よくぞ一人で、ここまでできるものと感心せざるを得ない。

しかし、ものごとの断定に過ぎるところがあって、それが一面では歯切れ良さの魅力にもなり、他方危うさを禁じえない。共産党や沖縄県政への批判には、耳を傾けるべきところがあろうとは思うが、過ぎたる辟易感を否めない。

もとより、バランスに気を使った発言などは面白くない。味方の批判は控えろと言論を封じ込めてはならない。そのとおりだとは思うのだが、ときに一言したくなることがある。

同ブログには、「憲法日記」の記事を取り上げていただいたことが何度かある。多くは肯定的に引用していただきありがたく思っている。そしてもちろん、幾たびかは厳しい批判もいただいている。それが必ずしも的はずれではないから、反論など考えもしなかった。

しかし、一昨日(1月28日)付の記事【山中人間話】欄に、「岩上安身(IWJ代表)のツイッターのリツイートが元維新の会代表で元大阪府知事の橋下徹から提訴されたのはスラップ訴訟ではありません。岩上安身のリツイートがデマだったからです――澤藤統一郎の憲法日記『スラップ被害者に「同憂相救う」の連帯を呼びかける』」が掲載されている。これは見過ごせない。

Blog「みずき」の断定に過ぎた側面が出てしまったと思うのだが、岩上さんと私の言論の信頼性(名誉というほど大袈裟なものではないが)にも関わることであり、橋下徹免責の内容でもあるので、一言せざるを得ない。

最初に関係する記事のURLを上げておく。
Blog「みずき」:2018.01.28 今日の言葉
http://mizukith.blog91.fc2.com/page-0.html

東本高志フェイスブック1月26日 4:15
https://www.facebook.com/takashi.higashimoto.1/posts/1247612708702487

橋下徹氏に訴えられた岩上安身氏が会見-弁護士ドットコム 2018年01月22日
https://www.bengo4.com/internet/n_7312/

スラップ被害者に「同憂相救う」の連帯を呼びかける。― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第117弾「憲法日記」
http://article9.jp/wordpress/?p=9812

「みずき」の当該ブログ記事は、1月26日付フェイスブックの引用である。その主要な点は下記のとおり。

岩上安身(IWJ代表)のツイッターのリツイートが元維新の会代表で元大阪府知事の橋下徹から提訴されたのはスラップ訴訟ではありません。岩上安身のリツイートがデマだったからです。自身に対するデマを名誉毀損として訴えるのは橋下であろうと誰であろうと当然のことです。それとも橋下のような右翼集団のボスにはデマを名誉毀損として訴える権利などないとでも言いたいのでしょうか? 澤藤統一郎弁護士の今回の岩上安身擁護の弁論は筋違いも甚だしいと私は思います。

『デマゴーグやヘイトスピーチに言論という同じ土俵でやり取りすべきではないので、今回橋下は正しい』(常岡浩介Twitter 2018年1月22日)

『自ら会見しておきながら、RTした元ツイートの内容も、RTを取り消した理由も「ノーコメント」。そりゃ、デマだからだよ。RTがそれだけで名誉毀損に当たる可能性があることは判例で明言。弁護士ドットコムがこんなに突き放した記事書いてるのは初めてみた』(同上)

私は常岡さんの見解に同意し、澤藤さんの見解には反対するものです。」

キモは以下の2行だ。
「自ら会見しておきながら、RTした元ツイートの内容も、RTを取り消した理由も『ノーコメント』。そりゃ、デマだからだよ。」
ジャーナリスト常岡浩介は、このように岩上RTの内容をデマと断定し、ブロガー東本もこれに賛同した。「デマへの訴訟。これをスラップとは言わない」との結論となった。

岩上側の1月22日記者会見が、RT内容をデマとする世人の思い込みを誘発し、その名誉毀損性肯定見解蔓延となったことが残念でならない。その直後に、原告橋下自身が提訴の対象としたRTの内容を、「僕が府の幹部を自殺に追い込んだという虚偽事実」と明らかにしている。実は、「僕が府の幹部を自殺に追い込んだ」という表現が果たしてデマといえるのか、ここが真の問題なのだ。

被告岩上側には大阪中心に弁護団ができると聞いている。いずれ、その弁護団の方針が明らかにされるだろうが、「知事である橋下が、大阪府の幹部職員を自殺に追い込んだ」というRTが表現の自由の保障を受けるべきものであることに関して、攻勢的に徹底して争われることになるに違いない。

すべての情報伝達命題は、「事実摘示」部分と、その事実を基礎とした「意見・論評」の部分とから構成されている。「橋下が府の幹部を自殺に追い込んだ」という命題においては、
(1) 「橋下の府幹部に対するハラスメント行為があった」
(2) 「その幹部が自殺した」
(3) 「自殺は橋下のハラスメントよって、追い込まれたものである」
という3構成要素から成り立っており、(1)と(2)とは、直接間接の証拠によって挙証の対象となる「事実の摘示」である。これに対して、(3)は、(1)と(2)を結ぶ因果関係の存在という推論的判断で、それ自体が直接の立証対象となるものではない。

この因果関係推論は、「意見・論評」の範疇として表現の自由が高度に保障されなければならない。とりわけ、府知事という権力者における部下に対する加害という批判の言論においては、最高度の尊重が要求される。

「自ら会見しておきながら、RTした元ツイートの内容も、RTを取り消した理由も『ノーコメント』。そりゃ、デマだからだよ。」は、前記(1)と(2)を否定して初めて口にすることができることになる。

この訴訟では、あらためて橋下の在職中のパワハラについての事実や、職員の受難の事実が総点検され挙証されることになるだろう。せっかく橋下自身が作った舞台だ。和解したり、取り下げに同意したりせず、徹底して有効に活用しない手はない。そのうえで、「公的立場にある(あった)人物の、自己への批判の言論に対する不寛容」という問題として裁判所だけでなく、世論にも強く訴えるべきだろう。

そのような構造を持つこの訴訟は、自分への批判嫌忌を動機とするスラップなのだ。この訴訟が原告橋下の敗訴で終わるとき、そのことが証明されることになるだろう。
(2018年1月30日)

2月1日(木)10時30分「DHCスラップ2次訴訟」第2回法廷 ― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第118弾

私(澤藤)自身が被告とされた「DHCスラップ訴訟」。今、「DHCスラップ第2次訴訟」となり、これに反訴(リベンジ訴訟)で反撃している。

その第2回口頭弁論期日(形式的には3回目)の法廷が近づいている。
 2018年2月1日(木)午前10時30分
 東京地裁415号法廷・東京地裁4階(民事第1部)

今回の法廷では、反撃訴訟訴状(反訴状)に対する反訴被告(DHC・吉田)側の答弁書の陳述が行われる。

どなたでも、なんの手続も必要なく傍聴できます。ぜひ、多数の方の傍聴をお願いいたします。なお、現在東京地裁庁舎では一部のエレベータが稼働していません。エレベータに行列ができています。少し早めに、お越しください。

なお、いつものとおり、傍聴された方には、これまでの進行の解説文と今回口頭弁論期日に陳述となるDHC・吉田側の答弁書のコピーを配布いたします。

また、閉廷後の報告集会は今回に限って行いません。閉廷後に控え室で多少の時間をとってご挨拶と、意見交換をいたしたいと思います。実は、2月1日は東京弁護士会役員選挙の真っ最中。東京弁護士会の会議室はすべて選挙事務所に割り当てられて借りることができません。しかも、アスベスト問題で裁判所のエレベータが満足には動かない事態。加えて、法廷でなすべきことは反訴被告側の陳述のみ。そんなわけで、これまでは毎回行ってきた報告集会を今回は行わず、法廷終了後に裁判所控え室で小さな報告会を行うことにします。
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この反撃訴訟において、何が問題とされているのか。是非とも、ご理解をいただきたい。ご理解だけではなく、ご支援もお願いしたい。言論の自由の保障のために、ひいては民主主義のために。

DHCと吉田嘉明は、私を被告としてスラップ訴訟を提起した。実は私だけでなく、同じ時期に少なくとも10件の同種の提訴をしている。提訴はせずに同種の言論妨害も行っているが、その件数は分からない。

吉田嘉明の私への提訴は、侵害された権利の回復を求めてのものではない。自分(DHCと吉田嘉明)への批判の言論を封じるための提訴だから違法なのだ。言論の自由をこよなく大切なものとするこの民主主義社会において、訴訟を言論封殺の手段としてはならない。これが、「スラップ訴訟を許さない」という意味である。

私は、当時吉田嘉明という人物については何も知らなかった。興味もなかった。だから、格別に先入意識はなく、吉田嘉明に対する侮蔑感も反感も持ってはいなかった。吉田の思想や差別的言動について知ることになったのは、スラップ訴訟の応訴の過程においてのことである。

私は、純粋に、彼が書いた週刊新潮手記を論評する限度で3本のブログ記事を書いた。典型的な政治的言論と言ってよい。中心は政治とカネの問題である。そして、カネの力での規制緩和に警鐘を鳴らし、消費者問題にも言及した。それが、経営者として規制緩和を目指す吉田嘉明にとっては不愉快な内容となった。しかし、だからといって私を訴えるのは筋違いも甚だしい。

当然のことながら、彼にも言論の自由はある。私の批判に異論や反論があれば、堂々と反批判の言論を行えばよい。富豪の彼には、私のブログとは較べものにならない、強力な反批判の言論のツールを持ち合わせている。

ところが、言論に対して批判の言論のツールを駆使することなく、いきなりの提訴。しかも6000万円という明らかに過大な請求。言論をもっての反論ではないこの提訴は、自分を批判するとこのような面倒なことになるぞ、という恫喝以外のなにものでもない。これがスラップというものだ。批判の言論の萎縮を狙っての提訴というところに、その本質がある。

私が事実無根の記事を書いたか。私が彼の人格を攻撃したか。いささかもそのようなことはない。だから、DHC・吉田の私に対するスラップ訴訟は請求棄却となった。一審も控訴審もそして最高裁もだ。しかし、吉田嘉明は負けることが明らかな提訴を敢えてして負けた、それだけのこと。なんの制裁も受けていない。むしろ、「私(吉田嘉明)を批判してみろ。高額損害賠償請求の提訴をするぞ」という威嚇の実績をつくったのだ。提訴した得は確保している。一方、私は故ない提訴を受けてこれを斥けて勝訴はしたが、私に生じた金銭的、時間的、精神的な損失は回復されていない。

だから、DHCと吉田嘉明にはしかるべき制裁措置が必要だし、私の損害は回復されなければならない。こうしてこそ、世にスラップが横行することを防止できる。典型としてのDHCスラップ訴訟にはきちんとしたケジメが必要だ。DHCスラップ2次訴訟(反撃訴訟)とは、そのような意味を持つ訴訟なのだ。

次回法廷で陳述予定の反訴答弁書の中に、いくつかDHC・吉田嘉明側の興味深い言い分が記載されている。以下は、その一節。
「反訴被告吉田は,日本国をより良くしようと脱官僚を掲げる政治家(註-渡辺喜美)を応援するために,大金(註-8億円)を貸し付けたのであって,政治を金で買うなどという気持ちなど微塵もなかった。当該貸付について,いろいろな意見を言うのはよいとしても,このような反訴被告吉田の純粋な思いを踏みにじるような事実無根の過激な罵倒に対して,名誉毀損だと主張して損賠賠償請求訴訟を提起することが違法になる余地など全くない。」

吉田嘉明には、「純粋な思い」があったのに、これを澤藤のブログの記載によって「踏みにじられた」という。澤藤は、「事実無根の過激な罵倒」をしたのだという。まるで私(澤藤)が、年端の行かぬ子どもをいじめているかのごとき言い分。これを、針小棒大とは言わない。誇大妄想と言うほかはない。

「反訴被告ら(註-DHC・吉田嘉明)は,8億円という貸付動機について事実と異なる言動をした者のうち,反訴原告(註-澤藤)のようにあまりにも酷い表現をした者に限定して訴訟提起しているのである。」

吉田嘉明が最も力んで主張しているのは、8億円の「貸付」動機である。吉田嘉明によれば、「日本国をより良くしようと脱官僚を掲げる政治家(註-渡辺喜美)を応援するために,大金(註-8億円)を貸し付けた」というのである。

今さら言うまでもないが、吉田嘉明は化粧品とサプリメントを製造販売する会社の経営者として厚労省の規制に服する。ところが、新潮手記の冒頭には、「厚労省の規制チェックは他の省庁と比べても特別煩わしく、何やかやと縛りをかけてきます」「霞ヶ関、官僚機構の打破こそが今の日本に求められる改革」「それを託せる人こそが、私の求める政治家」と無邪気に書き連ねているのだ。

並みの文章読解能力を持つ人がこの手記の記載を読めば、吉田嘉明が「国をより良くする」とは「脱官僚」と同義であり、「日本をダメにしている監督官庁の規制をなくすることを意味している」と理解することになる。彼が「国をより良くしようと脱官僚を掲げる政治家を応援するために、8億円もの大金を政治家に渡した」のは、「他の省庁と比べても特別煩わしい厚労省の規制チェックを緩和する」期待を込めてのことと考えざるをえない。彼の手記は、そのように理解を誘導する文章の筋立てとなっているのだ。

「政治家を金で買う」は、もちろん比喩である。8億という政治資金規正法上の手続に隠れた巨額の金を「脱官僚を掲げる政治家」に渡して、官僚による規制の緩和を期待することを、「政治家を金で買う」と比喩したのだ。この比喩を捉えて「事実無根」などということは意味をなさず、およそ反論になっていない。こんなことでの提訴は言いがかりも甚だしく、違法と認定してもらわねばならない。
(2018年1月29日)

切られちまった尻尾の愚痴ー名護市長選告示の日に

私が切られた尻尾だ。尻尾だって身体の一部じゃないか。よく言うだろう、「小指の痛みも全身の痛み」って。小指だけじゃない、尻尾だっておんなじだ。尻尾だって生きている。尻尾にだって意気地もあれば、いかほどかの魂もある。切られて、へっちゃらではないんだよ。でも、切られた尻尾と切られぬ小指。どうしてこんなにちがうんだろう。やっぱり、無念だ。しばらくは、切られた姿でのたうちまわっている以外にない。

切られた尻尾にも、名前はちゃんとある。俄然時の人になった、話題の松本文明。それが私の名だ。

3日前の1月25日のことだ。日本共産党の志位和夫が衆院本会議で代表質問をした。キョーサントーだぜ。アベシンゾーは、ヤジで「ニッキョーソはどうした。ニッキョーソ」って騒いでいたが、キョーサントーの方が敵としてはるかに手強いだろう。だから私は、アベシンゾーを手本に、隙あらばなんか言ってやろうと待ち構えていた。志位は、演説で沖縄の問題に触れた。沖縄は私が副大臣として関わるテーマだから、聞き耳を立てた。

演説のなかで志位は、沖縄で起きた米軍普天間飛行場所属ヘリの事故を巡る問題に触れた。保育園や小学校の保護者の不安の声を紹介して、普天間基地の存在と辺野古新基地建設を攻撃し、沖縄からの海兵隊撤退を求めた。

そこで、私は議場からヤジを飛ばした。「それで何人死んだんだ」と。一人も死んではいないだろう。機体が不時着したり、ヘリのドアが落ちたくらい、たいしたことではないじゃないか。たとえ事故が、保育園や小学校で起きたとしても、だ。キョーサントーは何を大袈裟なことを言っているんだ。私は一人の死者も出ていないという真実を語っただけのこと。このヤジのどこが問題なんだ。国会は言論の府だったはずじゃないか。この国の国会には言論の自由はないのか。

なんてったって、国土の防衛こそが最重要事だろう。安全保障は何にも勝る重大政策だ。中国に攻められてみろ。北朝鮮からのミサイルが飛んできたことを思え。ヘリの不時着やドアが校庭に落ちたくらいで騒いでいることが、なんと平和惚けの議論なのかよく分かるだろう。

私は、自分のヤジが取り立てて問題のあることではないと思っていたのだが、本会議終了後赤旗の記者から取材を受けた。やましいところはないから、ヤジを飛ばしたのが自分であることは認めた。もっとも、「死者が出なければ良いという考えか」という質問には、私もバカではないから「そんなことは全然ない」と返答しておいた。

ところが、この記事が翌26日の赤旗に出た。産経でも読売でもない。キョーサントーの機関紙だ。赤旗がなんと言おうと官邸も党も動じることはなかろうと思っていた。なんたって、官邸も党も、ホンネのところでは、私の発言とまったく同じ考えなんだから。上の方では言いにくいことをよく言ってくれたと褒められても良さそうなところ。だから、記者たちには、おわびも発言撤回も辞任もないと、強気に出て否定しておいた。官邸も党も私を守ってくれるはず、そう思っていた。

ところが、当てが外れた。私の読みが浅かった。官邸も党も、私に、即刻沖縄担当の内閣府副大臣を辞任しろというのだ。そりゃなかろうとは思ったが、どうにもしょうがない。ふてくされながらも辞表を提出し、メデイアからは「事実上の更迭」と書かれた。

タイミングが悪いと説得された。名護市長選挙の告示日が目前だ。2月4日に投開票を迎えるこの選挙戦への影響を懸念せざるを得ないというのだ。で、1月26日のうちに、アベシンゾーより事実上副大臣の更迭だ。要するに、トカゲの尻尾として切られたのだ。しょうがないけど、やっぱり釈然としない。

記者会見では神妙なところを見せた。「ただいま、総理にお会いをいたしまして、『大変誤解を招く発言でご迷惑をかけています』『ついては、辞表を持って参りましたので、よろしくお取りはからいをお願いします』ということです。辞表を提出をして参りました」

(首相からは)「いや、『特に今、この国が大変な時期なので、緊張感を持って対応してもらわないと、困ります』という注意を受けました」

「いずれにしても誤解を招いて、重要な予算審議、国会審議が始まる中で、沖縄県民並びに国民の皆さんに迷惑をかけたと思って直ちに今辞表を出してきたということであります」

「いろんなメディアの方から、大きく問い合わせ、もろもろありまして。なるほど、これほど大きな誤解を受けているんだったら、もうその、なんというんでしょう。私がいろいろ今しゃべっていることはすべて釈明にしか聞こえない。弁解にしか聞こえない。これじゃやっぱりだめだ、と。ここはおわびをする方がいい、こういう思いを持ちました

自分でも何を言ってるんだかよくは分からない。「誤解」ってなんだ、誰にお詫びしているんだって、聞かれてまともに答えられるわけがない。面白くないのは、尻尾を切った頭の方が涼しい顔をして、イケシャシャアとしていることだ。同じ考えのはずなのに、すべてを尻尾のせいにして切り捨てたんだ。アベシンゾーというトカゲは、一体何本の尻尾を持っているんだろう。切る尻尾と残す尻尾。どう区別しているのか、どうにも腑に落ちない。

アベが口にした、「緊張感を持って対応」って、ホンネを漏らさぬよう緊張しろっていうことなんだ。うっかりホンネを言ってしまうと、せっかく欺して手にしていた票が逃げる、腹ふくるるを我慢して本当に思っていることをしゃべっちゃダメ、ということなんだな。

しかしだ、私よりずっと罪の重かろう閣僚連が、切られぬ尻尾として数多くいるのに、どうして私だけが切られるのか。腑に落ちない。安倍昭恵は切られぬ尻尾として残され、籠池夫妻が何ゆえ切られた尻尾になったんだ。加計孝太郎も相当に腐敗した危ない尻尾だ。それでも、どうして切られていないのだ。

だいたい、私は運が悪いのだ。2003年の第43回総選挙では、私の選挙運動員が大学生に現金12万円を渡したとして逮捕された。たったの12万円で逮捕だ。いつかの都知事選でのどこかの陣営でもあったことだが、あっちは見逃されているではないか。

いよいよ本日、名護市長戦が始まった。何が争われているのか。本当は、こうだ。自・公・維の側は、保育園や学校の安全などより、国防が第一なのだ。米日の軍事基地の効率的な運用のためには、騒音問題も、安全や治安問題も小さな問題だろう。「一人の死者も出してはいないんだから、取るに足りないのだ」がホンネだ。だけど、それを言っちゃあ勝てないから、衣の下の鎧を隠しながらの選挙戦。

その点、オール沖縄派は、辺野古新基地反対のホンネを語っての選挙だから、やりやすかろう。私は、結局、オール沖縄派に塩を送ったことになるだろうだから、私は、官邸と党に、お詫びをしたんだ。決して沖縄県民にお詫びをしたわけではない。むしろ、切られた尻尾として、何が正しい選択かを県民にお伝えしたのだから、御礼を言われてもいいんじゃないかな。
(2018年1月28日)

「日の丸・君が代」強制拒否訴訟から見える憲法状況

なんともお寒い晩ですが、こんな日に雪の残る悪路を踏み分けて「『日の丸・君が代』強制に反対!板橋のつどい・18」に足を運んでいただき、まことにありがとうございます。本日は、「日の丸・君が代」強制拒否訴訟から見える憲法状況というタイトルで、1時間余のお話しをさせていただきます。

はじめに、「日本国憲法が危ない」ということについて認識を共有していただき、次いで「日の丸・君が代」強制拒否訴訟の到達点と現在の課題を確認し、そこから見えてくる自民党改憲案(「日本国憲法改正草案」)の問題点や、天皇退位と「明治150年」問題、そして最後に「アベ9条改憲問題」との関わりについて触れたいと思います。

まず申しあげなければならないのは、いま憲法は危機にあると言うことです。とりわけ、9条が、つまりは平和主義が危ないということです。

これまでも、度々憲法は危機にあると言われてまいりました。自民党は、立党以来自主憲法制定を党是とする改憲指向政党です。政権与党が改憲指向政党なのですから、これまでも憲法は、恒常的に危機にあったとはいえるでしょう。しかし、今日のように具体的な改憲スケジュールが提示されたことは、かつてなかったことです。

今、国民投票法があり、それに伴う国会法も整備され、憲法改正案を作成し国民投票を発議する手続は調っています。しかも、衆参両院とも、改憲勢力が議席数の3分の2を超えています。改憲勢力は今がチャンスと意気込んでいるのです。

いま、アベ晋三は9条改憲案を提示しています。憲法の遵守に、最も忠実でなくてはならない人物が、憲法の攻撃に最も前のめりになっています。2017年5月3日、アベは右翼の改憲集会にビデオ・メッセージを送り、9条改憲を提案しました。9条の1項と2項はそのままとして、第3項を加えることで「憲法に自衛隊を明記する」という、「加憲的9条改憲案」です。

12月22日には、自民党は正式に改憲案の整理を行いました。そのとりまとめでは4項目についての改憲案が提示され、そのうち9条改正については2案が併記されています。2案の違いは、9条2項を残すか削除するかの点。2項を残すアベ9条改憲案は、対案と比較してマイルドに見える仕掛けとなっています。

この提案には、種本があります。右翼のシンクタンク日本政策研究センターの機関誌「明日への選択」16年9月号の伊藤哲夫論文。この日本会議常任理事という肩書を持つ人物が、加憲的9条改憲案の発案者です。

彼は、「加憲」を「あくまでも現在の国民世論の現実を踏まえた苦肉の提案でもある」「まずはかかる道で『普通の国家』になることをめざし、その上でいつの日か、真の『日本』にもなっていくということだ」と、現実主義の見地からの妥協案であるとしていますが、実はそれだけではない。彼は、その狙いが「護憲派の分断」にあると明言しています。

自衛隊違憲論者と、専守防衛に徹する限り自衛隊は合憲であると考える勢力の間に楔を打って分断するのだというのです。アベは、これに乗ったわけです。この点の警戒が重要だと思います。

本年1月4日、アベは伊勢神宮での記者会見の年頭所感で改憲に意欲を見せ、1月22日の施政方針演説でも、改憲の論議を活発にと言っています。3月25日の自民党大会には両案併記だった9条改憲案を党内で一本化し、改憲諸政党(公・維・希)と摺り合わせて、今国会中に改正原案を作成し、国会に改正原案発議をすることになります。

衆院には100人の賛成を付すことで、『改正原案』が発議されます。本会議で趣旨説明のあと、衆院の憲法審査会の審議に付され、過半数の賛成で本会議に報告となり、本会議で3分の2以上の賛成で衆院を通過し、参院に送られます。同じ手続を経て参院も3分の2以上の賛成で通過すると、改正原案は国会の『憲法改正案』となって発議されて、国民投票にかけられることになります。国民投票運動期間として、60日~180日が設定されて、国民投票での過半数の賛成で憲法改正が成立することになります。

しかし、実はこのスケジュールは極めてタイトだと言わざるを得ません。2019年の後半には、重要な政治日程が立て込んでいます。元号・退位・即位の礼・大嘗祭・参院選・消費税値上げなど。とすれば、勝負は今年ということになります。改憲勢力としては、来年4月頃までに国民投票の実施に漕ぎつけたいところ。

今、超党派で提起されている「9条改憲阻止の3000万署名」の成否が鍵となります。改憲にこだわっていたのでは、参院選には勝てないという空気を作り出さねばなりません。

そして、来年の参院選では、改憲反対を掲げる野党の共闘によって改憲勢力を3分の2以下に落とすことは、前回参院選の結果から見て十分に可能だと思われます。

そのような憲法情勢を念頭に、「日の丸・君が代」強制問題から見えてくるものをお話ししたいと思います。

第1は、「日の丸・君が代」強制拒否訴訟の到達点と課題です。
私は、次のように、訴訟の時期の区分ができると思っています。
1 高揚期(予防訴訟の提訴~難波判決)
※再発防止研修執行停止申立⇒須藤決定(04年7月)研修内容に歯止め
※予防訴訟一審判決(難波判決)の全面勝訴(06年9月)
2 受難期(最高裁ピアノ判決~)
※ピアノ伴奏強制事件の最高裁合憲判決(07年2月)
⇒これに続く下級裁判所のヒラメ判決・コピペ判決
難波判決 高裁逆転敗訴(11年1月)まで。
3 回復・安定期(大橋判決~)
※取り消し訴訟(第1次訴訟)に東京高裁大橋判決(11年3月)
全原告(162名)について裁量権濫用として違法・処分取消
※君が代裁判1次訴訟最高裁判決(12年1月)
君が代裁判2次訴訟最高裁判決(13年9月)
君が代裁判3次訴訟最高裁判決(16年7月)
間接制約論(その積極面と消極面)
*「間接」にもせよ、思想・良心に対する制約と認めたこと
*2名の裁判官の反対意見(違憲判断) とりわけ宮川意見の存在
*多数裁判官の補足意見における都教委批判

残念ながら、「10・23通達」や懲戒処分の違憲判断は回避され、戒告処分の違法性は否定されました。他方、 減給・停職は裁量権濫用として違法とされ、裁判による取消が定着しています。これによって、当初石原教育行政がたくらんだ累積加重システムは破綻し、教員の抵抗は続いています。

訴訟が抱えている現在の課題について一言します。
第4次訴訟では、17年9月に一審判決があり、間もなく18年2月に控訴審第1回期日を迎えようとしています。
そこで、違憲判決を勝ち取る努力を続けています。
間接強制論は、国旗国歌への起立斉唱を、「儀式的行事における儀礼的所作」に過ぎないから、「思想良心への直接制約に該らない」といいます。しかし、果たしてそうでしょうか。今、権威ある宗教学者の助力を得て、「儀式的行事における儀礼的所作」が思想・良心の自由をいかに傷つけることになるかの意見書をまとめていただきました。近々、裁判所に提出し、これを基軸に判例を批判し違憲論を展開したいと考えています。

違憲論以外にも課題は山積しています。最高裁判例の枠の中で可能な限り憲法に忠実な判断を求めなければなりませんし、国際人権論からのアプローチも必要です。

そして、石原や小池のような右翼に都政を任せるのではなく、都政を都民の手に取り戻して、憲法の生きる都政を実現する運動が不可欠だと痛感しています。

第2 自民党改憲案(「日本国憲法改正草案」)との関わり

2012年4月の自民党改憲案は、かなりの程度にまで、自民党のホンネを語るものとなっています。その自民党改憲案第3条は、「(国旗及び国歌)とされ、
第1項 国旗は日章旗とし、国歌は君が代とする。
第2項 日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない。と明記されています。

自民党の公式解説(Q&A)では、さらに次のようになっています。
「我が国の国旗及び国歌については、既に「国旗及び国歌に関する法律」によって規定されていますが、国旗・国歌は一般に国家を表象的に示すいわば「シンボル」であり、また、国旗・国歌をめぐって教育現場で混乱が起きていることを踏まえ、3条に明文の規定を置くこととしました。
当初案は、国旗及び国歌を「日本国の表象」とし、具体的には法律の規定に委ねることとしていました。しかし、我々がいつも「日の丸」と呼んでいる「日章旗」と「君が代」は不変のものであり、具体的に固有名詞で規定しても良いとの意見が大勢を占めました
また、3条2項に、国民は国旗及び国歌を尊重しなければならないとの規定を置きましたが、国旗及び国歌を国民が尊重すべきであることは当然のことであり、これによって国民に新たな義務が生ずるものとは考えていません。

国旗国歌法には盛りこむことができなかった国旗国歌(日の丸君が代)尊重の義務を憲法に書き込もうというのが、自民党のホンネなのです。
ここに見えるものは、「国権」と「人権」の相克における、国権至上主義にほかなりません。

そもそも、日本国憲法否定の「自主憲法の制定」が自民党本来の党是であり使命とされています。これを正直に述べた改憲草案こそがアベ自民のホンネ。石原・小池ら右翼のホンネでもあります。自民党の人権なし崩し策動に、一歩の譲歩も許してはならないと思っています。「日の丸・君が代」強制に対するたたかいは、そのような改憲勢力のホンネとの切り結ぶ局面だと思っています。

 

第3 天皇退位と明治150年
「日の丸」も「君が代」も、天皇制とあまりに深く結びついた歴史をもっています。否定されたはずの、天皇の権力や権威が再び利用されようとしている今、「日の丸・君が代」強制への闘いは新たな意味を持つに至っています。
※天皇の生前退位表明は、明らかに越権。
※明治150年のイデオロギー攻勢
※自民党改憲草案前文冒頭
「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。
※草案第1条 「天皇は、日本国の元首であり…」
※草案第4条(元号について)
「元号は、法律の定めるところにより、皇位の継承があったときに制定する。
解説(Q&A) 4条に元号の規定を設けました。この規定については、自民党内でも特に異論がありませんでしたが、現在の「元号法」の規定をほぼそのまま採用したものであり、一世一元の制を明定したものです。」

第4 アベ9条改憲問題との関わり
教育における国旗・国歌の強制とは、国家と国民の対峙の場において、国家の存在が国民の人権に優越するという全体主義思想の表れです。また、「日の丸・君が代」の強制とは、歴史的に國體思想(天皇崇敬)に無反省な公権力の行使として許されることではありません。

戦前の「日の丸・君が代」強制は、とりわけ戦時色が強くなって以来、学校と軍隊とで忠君愛国が強調され、「日の丸・君が代」は愛国のシンボルとなりました。

愛国心教育や民族差別教育とは、戦争をしようという国の常套手段です。「戦争は教場から始まる」という名言を今再度噛みしめなければなりません。戦争の歴史とあまりに深く結びついたこの旗と歌、その押しつけを許さないという抵抗は、アベ9条改憲への反対と通底するものがあるはずだと思います。

(2018年1月27日)

もはや『詰み』だ! 森友問題 責任の徹底追及を求める院内集会

森友・加計問題の責任を追及している市民グループは9団体あるという。その内7団体が本日正午の院内集会に結集した。森友問題がメインだったが、「今治加計学園獣医学部問題を考える会」からの発言もあった。むんむんたる熱気渦巻く2時間。その熱気で、衆参両院の野党議員が駆けつけてくれた。あいさつした議員の数は20名。立憲・民進・希望・無所属の会・共産・社民・自由の各党。自・公・維3党以外が勢揃い。集会の熱気が議員の熱気を誘う。市民のイニシャチブが野党に共闘を促している。そんな雰囲気を実感させる集会だった。

120名で満杯の会場に200人の参加者。イスが足りずに、多くの人が立っていた。国民は決して、森友・加計問題を忘れてはいない。むしろ、これだけ事案の真相が明らかになってきたのに、どうして誰も責任を取ろうとしないのだ。どうして、アベ政権が続いているのだ。その無責任ぶりに、イライラが募っている。

もり・かけ問題の幕引きを許してはならない。アベは、国会で明言したではないか。「私か妻の関与が明らかになれば、総理だけでなく議員を辞職します」と。とっとと辞職してもらおうではないか。それが、市民の気持なのだ。

森友・加計問題とは何か。その本質は、アベ内閣による「政治と行政の私物化」である。アベと思想を同じくする「極右教育者」への国有地大安売りが森友問題。加計学園問題とは、特区における岩盤規制の破砕名目によるオトモダチへの獣医学部設置認可の特例。いずれも国民の共有財産の掠め取りをもたらしている。

多くの参加者から声が上がった。安倍昭恵と加計孝太郎を国会に呼び出して証人として尋問しよう。アベに責任を取らせよう。アベ内閣を退陣に追い込もう。そして、次の選挙では政権を交代させよう。

宮本岳議員が、飄々と語った。「事実の解明で、もはや詰みですよ。将棋ならとっくに潔く『負けました』というべきところ。しかし、アベ内閣は負けを認めようとしない。王さま取られたって、それでも負けたと言わない」「背任は明らかではないか。証拠隠滅も明らかではないか」「だから今、特捜もその存在意義を問われている。忖度なしに捜査に踏み切るのかどうか」。そのとおりだ。

もはや「責任をはっきりさせよう」という段階ではない。具体的に「どう責任を取らせるか」が問題なのだ。『しかるべき人にしかるべき責任を!』が本日の集会のメインテーマ。しかるべき人とは、本日の「森友問題論点整理」(醍醐聰さん)によれば、下から順に、まず近畿財務局幹部であり、佐川宣寿理国税庁長官であり、麻生太郎財務大臣であり、安倍昭恵夫人であり、安倍首相自身である。

その報告のまとめが次のとおりである。
※大阪地検はただちに財務省、近畿財務局の強制捜査に踏み切れ!
※麻生財務大臣は、確定申告が始まる2月16日までに、佐川国税庁長官を罷免(虚偽答弁、公文書管理法違反、証拠隠滅の罪)したうえで、自らも財務省トップとして引責辞任せよ!
※安倍首相は担当大臣の監督責任を果たさず、財務省職員の背任・虚偽答弁を放置し、1年間にわたって国政を混乱させた責任を取って辞職せよ!

もう一度繰り返そう。
■逃避し続けている安倍昭恵氏、佐川宣寿氏の責任追及を■
確定申告の時期を迎え、国会での虚偽答弁が露わになったにもかかわらず、公の場から逃亡し続けている佐川国税庁長官、自らが名誉校長を務めた学園が捜査を受け理事長夫妻が逮捕されているにもかかわらず、疑惑には一切、答えず、しゃあしゃあと内外を出歩き、はしゃいでさえいる安倍昭恵ーーーこの2人の責任を追及する正念場なのだ。そして、その次に、安倍本人に対する責任追及がある。
(2018年1月26日)

スラップ被害者に「同憂相救う」の連帯を呼びかける。― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第117弾

松井一郎の米山知事に対するスラップ提訴(12月6日)に続いて、今度は橋下徹がジャーナリスト岩上安身にスラップを仕掛けた(12月15日)。岩上の記者会見は1月22日。これについて、リテラが昨日(1月24日)付で詳しく報じている。
http://lite-ra.com/2018/01/post-3754.html

「橋下徹がリツイートしただけの岩上安身を名誉毀損で見せしめ提訴! 松井府知事の新潟県知事“誤読”提訴に続きスラップ攻撃」というタイトル。

なるほど、松井一郎のスラップは「誤読提訴」で、橋下徹のは「見せしめ提訴」なのだ。両訴訟の代理人弁護士は同一人。弁護士法人橋下総合法律事務所所属の弁護士。

松井スラップは、客観的には「誤読提訴」だ。1月19日の当ブログ、「これはこれは―知事が知事を被告にスラップ訴訟」を参照されたい。
http://article9.jp/wordpress/?p=9780
頭を冷やしてツイートを読み直してみれば、誤読は明らかだろう。それでも、あえて提訴までした意図は、社会に「松井を批判すると面倒なことになるぞ」という警告を発して威嚇することで、自分を批判する言論の抑止効果を狙ってのものと考えざるをえない。決して、毀損された名誉を回復する手段としての提訴ではない。

橋下スラップは、文字通りの「見せしめ提訴」だ。しかも、極めて安直な「お手軽提訴」でもある。リツイートのクリックひとつに対して110万円の請求。東京在住の被告に対し、大阪簡裁への提訴にもいやがらせ効果。まずは、東京への移送問題が前哨戦となる。

この訴状、請求の趣旨と請求原因の記載が、合わせてわずか3頁だという。この種の訴状は、極めて安直に書けるのだ。「被告の表現行為を特定し、この表現が原告の名誉を毀損したので、慰謝料と弁護士費用の損害賠償を求める」と言えば足りることになっている。

「当該の表現によって毀損される名誉よりも表現の自由の価値が優越する」という被告の立場は、公共性・公益性・真実(相当)性の違法性阻却3要件を立証してはじめて認めるられることになる。これが、我が国の名誉毀損訴訟の実務の実態なのだ。

だから、訴状は実に安直に書ける。しかし、答弁書は安直には書けない。違法性阻却3要件の主張挙証責任は、あげて被告に背負わされることになるからだ。提訴されたら、面倒極まりないという現実がある。そこが、スラップ横行の土壌となっている。

私は、DHC・吉田嘉明から、典型的なスラップ訴訟をかけられた。吉田は、提訴時には2000万円の請求で私を黙らせようとした。私が黙らず、当ブログでDHCスラップ訴訟を糾弾する記事を掲載し続けるや、2000万円の請求金額は6000万円に跳ね上がった。明らかに、黙らせることが目的の提訴なのだ。

DHCスラップ訴訟は私が完全勝訴して確定し、今反撃訴訟が始まったところである。なお、DHCスラップ訴訟に関連する記事は120件ほどになる。是非、下記のURLでお読みいただきたい。
http://article9.jp/wordpress/?cat=12

私に対するDHC・吉田嘉明の6000万円請求訴訟が古典的な大型スラップで、橋下の100万円訴訟が、お手軽・お気軽の新種小型スラップといえよう。吉田は請求金額で恫喝し、橋下はその手軽さで「見せしめの数」を恃もうということだろう。

私はかつて、万国のブロガー団結せよと訴えた。
万国のブロガー団結せよ-『DHCスラップ訴訟』を許さない・第2弾
http://article9.jp/wordpress/?p=3061

「万国のブロガー団結せよ」再論
http://article9.jp/wordpress/?p=6127

あらためて、この事態にスラップ被害者の連帯を呼びかけたい。勇ましくはなく、「同病相憐れむ」「同憂相救う」の互助精神から。

『呉越春秋・闔閭内伝』に、“復讐に生きた”伍子胥の言葉として、「同病相憐れみ、同憂相救う」が語られているという。父と兄とを殺した仇敵である楚の平王に燃える復讐心を抱いていた、あの伍子胥である。呉の力を借りて復讐を遂げ、亡き平王の墓をあばいて屍にむち打った人物が「同憂相救う」といっている。

私には水に落ちた犬を打つ趣味はないが、理由なく吠えられたら、吠えた犬には仕置きが必要だと考える。同じく吠えられた同士、「同憂」を抱える者として、「相救う」連帯を申し出たい。

情報を交換し、事蹟を集積し、対抗理論を検討し、そしてともに世論に訴えようではないか。表現の自由こそは民主主義社会を支える基礎である。これを失墜させようという輩への対抗においての連帯を。

この件についてのリテラのまとめに、賛成する。
「批判勢力を吊るし上げ、言論人やメディアを名指しながら罵倒して大衆を煽動する手法は、いまや、アメリカのトランプ大統領の戦術として知られるが、もともと橋下氏が政治家時代から繰り返してきたことだ。」「彼らにどんな思惑があるにせよ、こんなやり方を許してしまったら、日本の言論の自由が脅かされることになる。政治的スタンスとは関係なく、メディアは徹底的に批判していくべきではないか。」
(2018年1月25日)

「明治150年」と靖国と、そしてアベ。

一昨日(1月22日)、第196通常国会での首相の施政方針演説の冒頭は、次の言葉だった。
「150年前、明治という時代が始まったその瞬間を、山川健次郎は、政府軍と戦う白虎隊の一員として、迎えました。」

やれやれ。1868年の明治元年から数えて今年が「明治150年」。で、それがどうした? 明治で年を勘定することに、いったい何の意味があるというのだ?

アベシンゾ-ら右翼ご一統にとって、「取り戻すべき日本」とは大日本帝国憲法下の「明治の御代」なのであろう。明治維新の150年前こそは、誇るべき帝国が始まる記念すべき年なのだ。ふやけた民主主義の戦後70年とは、較べるもおろかということなのだ。

明治への改元は1868年10月23日(新暦)だが、その年の1月1日(旧暦)に遡って適用されることとされた。その明治元年は戊辰戦争で始まる。鳥羽伏見の戦いの開戦は、旧暦で1月3日のことだ。要するに。明治元年は内戦の年だ。この年、およそ1万人の戦死者が出ている。

同月6日徳川慶喜は、軍を残して大坂城を脱して12日に江戸城に入る。就任以来初めての江戸城入りであったそうだ。将が兵を捨てて、こっそりと逃げ帰ったのだ。かくて、徳川の世の終わりは誰の目にも明らかになったが、薩長軍は「玉」を手にして錦旗を掲げ、賊軍の血を求めて闘い続けた。その最大の戦闘が会津戦争だった。戊辰戦争の最中に、江戸城内で招魂祭が執り行われている。官軍の死者の霊だけをだけを招いて讃え鎮める儀式。これが靖国の源流になる。

150年前のこの年。まことに血なまぐさい動乱の時代であって、右往左往した人々は、美しくもなければ気高くもない。感動すべきなにものもなく、権謀術数渦巻く時代に、勝敗だけが明瞭だった。西南雄藩が幼帝を我がものに天下を壟断し、徳川家と奥羽越列藩は賊軍として逼塞を余儀なくされた。

この150年前の政治的対立の図式を今に留めているのが、靖国神社である。官軍の戦死者だけを祀る宗教的軍事施設として1869年に東京招魂社として建立され、1879年に靖国神社と改称した。あくまで官軍の施設であったから、その宗教思想は徹底した死者の差別である。自軍の戦死者の魂のみを、天皇への忠誠ゆえに尊い神として祀る。一方、敵軍たる賊側の死者を祀ることは決してない。

佛教には怨親平等という思想があり、永く日本の民衆に浸透していたとされる。日本の民衆は、蒙古軍の戦死者も篤く弔った。戦国の戦場でも、敵味方の区別なく戦死者は等しく葬られた。「死ねばみんな罪科のない仏」。これが日本の民衆の心情となり、そのように行動することが美風とされた。ところが、天皇の軍隊はちがった。官軍のみを手厚く神として祀り、賊軍の死者には埋葬さえ自由にさせなかったとされる。

会津戦争では、会津藩士側の死者は3000人に近いとされる。新政府軍は、その遺体の埋葬を許さなかったということが定説となっている。降伏から半年後の1869年2月に阿弥陀寺(同市七日町)に改葬されるまで遺体は野晒しだったとされ、それが新政府軍だった旧長州藩と感情的な溝をつくる要因の一つにもなっていた。

よく引かれるのは、太平洋戦争の終戦後に書かれた『会津史談会誌第33号』の『明治戊辰戦役殉難之霊奉祀ノ由来』である。新政府軍の命令によって遺体の埋葬が禁じられたという記述がある。この情報を元にした歴史小説などには「会津藩士の遺体埋葬を禁止し、腐乱するまで放置した」という記述が多く見られるという。

足を踏んだ方は忘れても、踏まれた方はその痛みを忘れがたい。アベは、長州人として会津の痛みが分かるまい。会津の側は、決して忘れない。「不可逆的な解決」などはあり得ないのだ。

もっともごく最近になって、会津側の戦死者567人については、藩の降伏から10日ほど後に埋葬され始めたとする史料が福島県会津若松市で見つかったと報じられている。「3000人が半年も野に晒されていた」という定説は、その限度であらためられなければならないようだが、史実の如何よりは、会津人を筆頭とする東北人の藩閥政治に対する反感の存在が問題なのだ。

アベ施政方針演説は、白虎隊の生き残りである山川健次郎に触れているが、山川も会津戦争戦没者遺体の埋葬が許されなかったと思い込んでいたはず。薩長閥政府への怨念やるかたないものをもっていたはずなのだ。

その会津の戦没者を賊軍として、官軍の英霊と差別する「軍事的宗教施設」が靖国神社である。戦前そのトップである宮司は歴代軍人がその地位を占めてきた。戦後、靖国神社が宗教法人に改組されて以来11代目の宮司に、なんと150年前の賊軍の将の末裔が就任した。

これが徳川康久(69)、その曾祖父が徳川慶喜だという。官軍神社のトップに賊軍の将の末裔。150年の長き間に、「官」と「賊」との恩讐は乗り越えられたか…。と思ったのは、束の間の幻。共同通信が、次の記事を配信している。

「靖国神社の徳川康久宮司が退任する意向を関係者に伝えていたことが23日、分かった。」という。ニュースソースは、「同神社関係者が明らかにした。」とのみされ、宮司自らのリークではない。また、「定年前の退任は異例。徳川氏は「一身上の都合」と周囲に説明している」というから、靖国神社に穏やかならざる雰囲気を感じさせる報道。なお、定年は75歳とのこと。あと6年を残しての「異例の退任」なのだ。

宮司退任の原因が、2年前のこれも共同通信のインタビュー記事にある模様。
この点は、「徳川幕府15代将軍慶喜を曽祖父に持つ徳川氏が共同通信のインタビューで示した明治維新に関する歴史認識について、同神社元総務部長が「会津藩士や西郷隆盛ら『賊軍』の合祀の動きを誘発した」と徳川氏を批判、波紋が広がっている。」と報じられていた。

宮司は共同通信インタビューで戊辰戦争に関してこう語ったという。
「幕府軍や会津軍も日本のことを考えていた。ただ、価値観が違って戦争になってしまった。向こう(明治政府軍)が錦の御旗(みはた)を掲げたことで、こちら(幕府軍)が賊軍になった」

この発言を受け、16年10月、亀井静香元金融担当相らが宮司に面会して、「西郷隆盛や会津白虎隊などの“賊軍”を合祀してほしい」を徳川氏に申し入れ、これが大ごとになった。亀井のこの行動に賛同したのは、石原慎太郎や中曽根康弘、石破茂など90人超だったという。

亀井によると、宮司は、「直ちにそういたします、とは言えません」との回答だったという。この対応について靖国神社元総務部長が「(明確に否定せず)合祀に含みを持たせた」などと反発した。

要するに、「靖国とは天皇の神社であり、官軍の神社なのだ。官と賊との区別を曖昧にすることは許されないのに、宮司たる者がなんたる発言」というわけだ。150年前創建当時の原理主義者と、150年目の復古主義者との角逐といってよかろう。そして、どうやら原理主義者、つまりは官軍派が賊軍の将の末裔に対する勝利を収めた如くなのだ。

明治は内戦で明けた。その内戦の確執は150年経ってもおさまっていない。靖国が内戦の死者の合祀施設から対外戦争の死者の合祀施設に基本性格を変えたとき、日本は天皇の権威と権力を最大限利用した軍国主義国家になっていた。明治150年とはそんな歴史である。こんなものを持ち上げてはならない。戦後の民主主義の歴史をこそ大切にしよう。日本国憲法制定以後70年余の国民主権の時代の積み重ねを誇りにしよう。
(2018年1月24日)

緊急院内集会のお知らせ ― もはや「詰み」だ! 森友/加計問題の責任を徹底追及!

通常国会が始まった。「アベ9条改憲」発議の阻止が最大の課題だが、森友・加計問題の追及の手を緩めてはならない。頃合いも良し。下記のとおり、森友・加計問題の追及の緊急院内集会が企画されている。この市民集会で、森友事件に関わる安倍昭恵、佐川宣寿、そして近畿財務局の担当職員の責任を具体的に追及しよう。そして加計問題についても責任をはっきりさせよう。

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森友問題疑惑追及の口火を切った、大阪豊中市市議の木村真さんら市民グループの発案で、緊急院内集会「もはや『詰み』だ! 森友/加計問題の責任を徹底追及!」を開催します。

時 1月26日(金)12:00~14:00(入館証渡し 11:20より)
所 衆議院第2議員会館 第1会議室(BF1)

真相解明作業はほぼ終わった。ここから先は検察の仕事。
大切なのは、「いかにして責任を取らせるか」だ。!
『しかるべき人にしかるべき責任を!』

近畿財務局の関係者や佐川国税庁長官を背任罪などで刑事告発した5つの市民団体が集い、衆参6つの野党国会議員にも出席を呼びかけています。

急なお知らせですが、ご都合がつきましたら、皆さまもお知り合いの方々にも声をかけていただき、ご参加くださるよう、お願いします。

予約制ではありませんが補助いすを含め、120名が入室限度の会場です。
ご参加くださる方は早めにお出かけください。

集会のチラシは下記でダウンロードできます。
http://sinkan.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/121-86bc.html

この集会は、森友問題を追求し、刑事告発をした5つの市民団体と衆参各党国会議員の発言・アピールを主にした集会です。

■逃避し続けている安倍昭恵氏、佐川宣寿氏の責任追及の正念場■
私たち「幕引きを許さない市民の会」としては、確定申告の時期を迎え、国会での虚偽答弁が露わになったにもかかわらず、公の場から逃亡し続けている佐川国税庁長官、自らが名誉校長を務めた学園が捜査を受け理事長夫妻が逮捕されているにもかかわらず、疑惑には一切、答えず、しゃあしゃあと内外を出歩いている安倍昭恵氏ーーーこの2人の責任を追及する正念場という心づもりで集会に臨みます。

発言予定
● 主催者あいさつ
   木村真さん(豊中市市会議員「森友学園問題を考える会」)
● 森友問題論点整理
   醍醐聰さん(「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」)
● 各党参議院議員アピール
   立憲民主、希望、民進、共産、社民、自由の各党から
● 「森友・加計告発プロジェクト」田中正道さん
● 「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」
● 「健全な法治国家のために声を上げる市民の会」八木啓代さん
● 連帯アピール:「今治加計学園問題を考える会」黒川敦彦さん
● 各党衆議院議員アピール
   立憲民主、希望、民進、共産、社民、自由の各党から
● まとめの発言:「森友学園問題を考える会」山本一徳さん
主催 森友学園問題を考える会 tel 090-8199-8873

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豊中の木村真です。
森友問題の院内集会ですが、1月26日のお昼にやることとします。
醍醐先生からいただいたご提案のほか、他の皆さんからも様々なご提案・アドバイスをいただきました。「森友・加計告発プロジェクト」の田中正道さん、加計学園問題を追及してきた黒川敦彦さん、議員会館の会場予約でお世話になっている立憲民主の大阪府連代表・森山浩行衆院議員らとも相談の上、最終的に、私たち「森友学園問題を考える会」ミーティングで決定したものです。よろしくご了解ください。

時間は12:00~14:00、場所は衆議院第二議員会館の第一会議室です(定員81名、予備イスを出して最大で125名)。

タイトルは「もはや『詰み』だ! 森友問題 責任の徹底追及を求める集会」と考えています。

真相解明作業はほぼ終わったと考えており、ここから先は強制捜査権を持つ検察の仕事。大切なのはむしろ、「いかにして責任を取らせるか?」だと思っていますので、タイトルは単に「真相究明を求める」というだけではなくて、「責任追及」というニュアンスを込めたものとするつもりです。

醍醐先生には、冒頭に近い部分で、まず、森友問題全体の論点整理をお願いできれば、と思っています(国有地叩き売り事件、公文書管理、籠池氏の不当逮捕と異常な長期拘留・・・等につき、簡単なポイント解説)。

その後、「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」として、これまでの取り組みと進捗状況、わかる範囲で検察の捜査状況、今後の方針・取り組み予定・・・等についても、報告あるいはアピールをいただければ、と思っています。
以上、よろしくお願いいたします。

森友学園問題を考える会 豊中市議会議員 木村 真
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(2018年1月23日)

沖縄に春の訪れーめでたやな南城市長選にオール沖縄の勝利

さてもめでたや 新玉の春は心も若がえて 四方の山辺の花盛り…(「四季口説」(しちくどぅち))。昨日(1月21日)投開票の南城市長選で「オール沖縄派」候補が、現職の4戦を阻止して初当選した。今年を占う初春の吉事である。

沖縄の今年は、「選挙イヤー」だという。
1月21日投開票の南城市長選を皮切りに、ことしの沖縄は県知事選と17市町村での首長選、加えて30市町村で議員選挙、3つの補欠選挙と計51の選挙がある。その数もさることながら、中央政界の関心が高く、沖縄の将来を占う選挙が控えているのも特徴だ。「辺野古新基地建設の是非」を争う県知事選(11月想定)と、その前哨戦に位置づけられる名護市長選(2月4日投開票)だ(「沖縄タイムス」)。

その初戦での「オール沖縄派」の勝利だから、まずはめでたい。琉球新報の長い見出しは以下のとおり。
「南城市長選 瑞慶覧氏が初当選 古謝氏に65票差、市政交代 オール沖縄に追い風」

沖縄タイムスはこうだ。
「南城市長選:知事が支援する新人当選 瑞慶覧長敏氏、65票差で現職破る」

いずれも接戦・僅差を見出しにしているが、12年間継続した保守市政の岩盤を破って、現職四選を阻止したことの意味は大きい。

▽南城市長選開票結果
 当11429 瑞慶覧長敏 無新
   =社民・共産・社大・自由・民進推薦
  11364 古謝 景春 無現
   =自民・公明・維新推薦

なお、当日有権者数は3万4328人。投票総数は2万2973。有効投票数は2万2793、無効票は180。

何よりも、この選挙は「オール沖縄」の今後の消長を占う選挙だった。
琉球新報は、「2月の名護市長選、秋の県知事選の前哨戦とも位置付けられた選挙で、瑞慶覧氏を支援した『オール沖縄』勢力が弾みをつけた格好だ。」とし、
毎日は、「米軍機の相次ぐトラブルによる県民の不満の高まりが古謝氏への逆風になった面もある。安倍政権は今年、現職が翁長氏系の名護、那覇両市長選に勝利して県内全11市を政権寄りの首長で固め、翁長氏が掲げる『オール沖縄』を崩そうと狙っていただけに、南城市での敗北は痛手だ。」と評した。

ところで、全国の人々に、南城市の存在はどれほど認識されているだろうか。恥ずかしながら、私も「ナンジョウシ? どこ?」。

2006年、佐敷町・玉城村・知念村・大里村の合併で誕生した市だという。佐敷や玉城知念ならイメージが湧くのだが、どうも「南城」では。琉球王国を建国した尚巴志王の出身地でもあり、保守県政築いた西銘順治沖縄県知事(故人)は、南城名誉市民とのこと。西銘の男子二人は、自民党の国会議員となっている。本来保守の強いところなのだ。

学生時代に復帰前の沖縄に旅して、久高島で12年に一度午年の旧正月に行われる祭イザイホーのあることを知って、できれば見学をと思った。佐敷の馬天港から久高島に行く船便まで調べたが、わずかな宿代と交通費を捻出できず諦めたことがある。この馬天も久高も今は南城市だ。新市発足以来12年間の保守市政が、ここで「オール沖縄」派の市政に転換した意味は大きい。

次はいよいよ、名護市長選挙(1月28日告示、2月4日投開票)。「社民・共産・社大・自由・民進」のオール沖縄と、「自民・公明・維新」のオール保守の対峙という構図は南城市長選と同じ。ただ、オール沖縄側が現職で、オール保守側が新人候補と、攻守所が変わっている。

同市長選は、三選を目指す現職の稲嶺進氏(72)=社民、共産、社大、自由、民進推薦=と、元市議で新人の渡具知武豊氏(56)=自民、公明、維新推薦=の一騎打ちとなる見通しで、両陣営は選挙戦本番さながらの活動を繰り広げている。

下記は、本番さながらの選挙戦を闘っている現地からの檄。
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名護市民と沖縄県民の不屈の闘いの勝利を目指して。

名護市長選挙も告示まであとわずか。既に最終盤の模様です。
安倍反動内閣は2014年7月1日、憲法違反の集団的自衛権の行使容認と辺野古新基地建設の作業開始を同時に閣議決定しました。作業開始から3年半が経った今日でも建設工事は遅々として進まず、完成の目処が立たないのが現状です。それは県民の不屈の闘いによって拒否されているからです。こうしたなかで名護市長選挙が闘われています。
本来ならば当然に、辺野古新基地建設の是非が選挙戦最大の争点となるはずです。しかし、自公陣営とその候補者はデマと争点そらしに徹して、死にものぐるいで運動を強めています。
名護市民はSACO合意以降の20年間、日米両政府の悪政と闘ってきました。2010年1月には稲嶺市政を打ち立てて、市民が主人公の市政で市民のくらしと命を守る政治を貫いてきました。一方、市政の問題でも自公陣営とその候補者は市民の立場に立つことができず、対案すら提起できないためデマ宣伝に徹しているのです。
我々は市政の継続をめざして、この間全国の仲間のみなさんと団結して頑張ってきました。我々の闘いがオール沖縄陣営の団結と前進に大きく寄与しています。しかし、闘いを勝ち抜くためには最終の最終までの奮闘が必要です。共に頑張りましょう!
(2018年1月22日)

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