万国のブロガー団結せよ?『DHCスラップ訴訟』を許さない・第2弾
「ブロガーは自らの思想や感性の表明に関して、妨害されることのない表現の自由を希求する。わけてもブロガーが望むものは、権力や経済的強者あるいは社会的権威に対する批判の自由である。プロガーの表現に不適切なところがあれば、相互の対抗言論によって是正されるべきである。ブロガーの表現の自由が実現するときにこそ、民主主義革命は成就する。万国のブロガー万歳。万国のブロガー団結せよ」
『DHCスラップ訴訟』の被告になって以来、ブログ・ブロガーを見る私の目は明らかに変わってきた。私もブロガーの1人だが、ブロガーというのはたいした存在なのだ。これまでの歴史において、表現の自由とは実質において「メディアの自由」でしかなかった。それは企業としての新聞社・雑誌社・出版社・放送局主体の自由であって、主権者国民はその受け手の地位に留め置かれてきた。メディア主体の表現の受け手は、せいぜいが「知る権利」の主体でしかない。
ブログというツールを手に入れたことによって、ようやく主権者一人ひとりが、個人として実質的に表現の自由の主体となろうとしている。憲法21条を真に個人の人権と構想することが可能となってきた。「個人が権利主体となった表現の自由」を手放してはならない。
だから、「立て、万国のブロガーよ」であり、「万国のブロガー団結せよ」なのである。各ブロガーの思想や信条の差異は、今あげつらう局面ではない。経済的な強者が自己への批判のブログに目を光らせて、批判のブロガーを狙って、高額損害賠償請求の濫訴を提起している現実がある。他人事と見過ごさないで、ブロガーの表現の自由を確立するために声を上げていただきたい。とりわけ、弁護士ブロガー諸君のご支援を期待したい。
いかなる憲法においても、その人権カタログの中心に「表現の自由」が位置を占めている。社会における「表現の自由」実現の如何こそが、その社会の人権と民主主義の到達度の尺度である。文明度のバロメータと言っても過言でない。
なにゆえ表現の自由がかくも重要で不可欠なのか。昔からなじんできた、佐藤功「ポケット注釈全書・憲法(上)」が、みごとな要約をしている。
「思想は、自らの要求として、外部に表現され、伝達されることを欲する。人は思想の交流によって人格を形成することができる。かくして、思想表現の自由の価値は、第一に、それが人間人格の尊厳とその発展のために不可欠であることに求められる。また、民主政治はいろいろの思想の共存の上に成り立つ。かくして、思想表現の自由の価値は、第二にそれが民主主義の基盤のために不可欠であることに求められる」
まず、人はものを考えこれを他に伝えることを本性とする。だから、人間存在の根源的要求として表現の自由が尊重されねばならない。また、政治社会の視点からは、表現の自由は民主主義に原理的に不可欠、というのだ。
このような古典的なそもそも論には、メディアの登場はない。インターネット・デバイスの発展によって、古典的なそもそも論の世界に回帰することが可能となりつつある。要するに、主権者の誰もが、不特定多数の他者に情報や思想を伝達する手段を獲得しつつあるのだ。これは、表現の自由が人格の自己実現に資するという観点からも、民主的政治過程に不可欠という観点からも、個人を表現の自由の主体とする画期的な様相の転換である。人権も民主主義も、形式的なものから実質的なものへの進化の可能性を秘めている。
憲法21条は、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と定める。ブロガーこそは、今や先進的な「言論の自由」の実質的担い手である。
私は、一ブロガーとして、経済的強者を「カネで政治を壟断しようとした」と批判して、被批判者から高額損害賠償請求訴訟の提起を受けた。はからずも、ブロガーを代表する立ち場で、経済的強者と対峙している。
この際、私は全国のブロガーに呼び掛ける。ブロガーの権利を守るべく、あなたのブログでも、呼応して声を上げていただきたい。「『DHCスラップ訴訟』は不当だ」と。「カネの力で政治に介入しようとした経済的な強者は、あの程度の批判は当然に甘受しなければならない」と。また、「言論を萎縮させるスラップ訴訟は許さない」と。
さらに、全ての表現者に訴えたい。表現の自由の敵対者に手痛い反撃が必要であることを。スラップ訴訟は、明日には、あなたの身に起こりうるのだから。
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このブログに目をとめた弁護士で、『DHCスラップ訴訟』被告弁護団参加のご意思ある方は東京弁護士会の澤藤(登録番号12697)までご連絡をお願いします。
また、訴訟費用や運動費用に充当するための「DHCスラップ訴訟を許さぬ会」の下記銀行口座を開設しています。ご支援のお気持ちをカンパで表していただけたら、有り難いと存じます。
東京東信用金庫 四谷支店
普通預金 3546719
名義 許さぬ会 代表者佐藤むつみ
(カタカナ表記は、「ユルサヌカイダイヒョウシャサトウムツミ」)
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クロスズメバチの自衛権
ホタルブクロも桃色月見草も花を咲き終えて、だらしなく野放図に伸びすぎた。申し訳ないが、花が終われば来年までお役御免だ。情け容赦もなくざくざくと刈り倒した。
と、ハチが何匹もとびだしてきて、飛び回っている。ミツバチぐらいの大きさで、ブンブンとうるさい。でもよく見ると、黄色の縞ではなくて、白黒の縞模様の胴体が、ミツバチよりずっとスリムだ。そして何倍もしつこくて、振り払っても振り払っても退却の気配が見えない。
と、突然脚をさされた。ズキンと痛い。指も手の付け根も、そのうえ背中まで刺された。長袖長ズボンの着衣のうえからだ。これはただ事ではないと気がついたときには、時すでに遅くまわりじゅうブンブンと取り囲まれてしまった。手を振り回し、一目散に駆けだした。しかし、敵は攻撃の手を緩めない。駆けても駆けてもついてくる。結局、あとでわかったことだが、6匹の狙撃兵を引き連れて、家に逃げ込んだ。蚊取り線香を振り回そうが、新聞紙でたたこうが、攻撃の手は緩めてくれない。激戦の末、一匹は風呂場に閉じ込め、5匹はたたき落とした。我が方の勝利。しかし我が方も無傷ではない。4カ所刺されてかなりの重症。たたいたために網戸は無残にも大穴を開けて損傷。
さされた場所は痛いことも痛いが、どんどんふくれてくるのが不気味。「アナフィラキーショック」という言葉が頭を駆け巡る。救急車を呼ぶべきか、自分で病院へ行くべきか。以前にもキイロスズメバチやアシナガバチに刺されていて、その時は大丈夫だったけれど、今度はダメじゃないかなどとどんどん気が弱くなる。
結局、今回は気を強く持った私の勝ち。痛いのを我慢していたら、3日後には痒くて痒くてたまらなくなり、1週間後にはポチンと刺し痕が赤く残った。今回は事なきを得たが、次回刺されたら、救急車のお世話にならなければならないかもしれない。
いろいろ調べて、我が敵はクロスズメバチだと判明した。毎年、2階の軒下にキイロスズメバチが一抱えもあるほどの立派な巣を作る。ところがどうしたことか、今年は気配も見せない。その隙を突いて、今まで見たこともないクロスズメバチが出現した。クロスズメバチは地下に巣を作るらしい。目のわるい私がその出入り口でも踏みつけてしまったのではないだろうか。怖くて激戦が始まった場所に近づけない。真相解明ができないのが残念だ。
長野県などではクロスズメバチの幼虫が珍重されて、食されていると聞く。かなりの美味らしい。何とか掘り出して、敵討ちをしてやりたいとも思うが、返り討ちに遭うのが落ちだと思ってあきらめている。
それにつけても、クロスズメバチにしてみれば、外敵からの急迫不正の侵害に対する自衛権の行使だったわけだ。普段は全く攻撃性はないと解説書に書いてある。しかし万が一理不尽にも我が一族が外敵から攻撃されれば、一致団結してひるむところなく剣をとって闘う。専守防衛の姿勢が徹底しているのだ。それもこれも、全員に等しく、守るべき大切なものがあってのことだ。
人間の場合はどうか。専守防衛を超えて集団的自衛権の行使までやりたくてしょうがない。できることなら他国を侵略して植民地化してしまいたい。そのための自衛ならざる戦争を厭わない。しかも、守るべき多くをもつ者のために、持たざる者が武器を取って命を落とす。この不平等と、不平等をカムフラージュするイデオロギーが耐えがたい。
集団的自衛権行使容認の人間は、専守防衛に徹したクロスズメバチに劣る。痛い目にあって、よくよく考えた貴重な結論。
(2014年7月14日)