澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

土俵は女人禁制ーまるで「自民党改憲草案」並みのばかばかしさ

自民党は、2012年4月に「日本国憲法改正草案」を発表した。これは、自由民主党という戦後の日本を主導してきた政党が、いったい何者であるかを遺憾なく示す記念碑的重要文書である。のみならず、現在の政権党がいったいどんな政治社会の建設を意図しているのか、そのホンネを赤裸々に語った文化財的文書として定着している。この貴重な文書をゆめゆめ粗末に扱ってはならない。軽々に改竄させたり、隠蔽させてはならない。できることなら、額装して朝に夕にこれを復誦し、現政権のホンネはここにあることを肝に銘ずべき代物なのだ。

私も、「アベ改憲・4項目」だの、「アベ9条改憲7案」だのと、政権や自民党の本心ならざるフェイントにごまかされて、この貴重文書の存在を忘却の彼方に押しやっている日常に反省しきりである。

しかし、ありがたいことに、折に触れて、この自民党改憲草案の存在を想起せざるを得ない事態に遭遇する。そのたびに、ああ、自民党とはこんな党だったではないか、と自分に言い聞かせるのである。

そのようなことは、天皇制や「日の丸・君が代」や、政教分離や、緊急事態や、防衛問題などのテーマに多いが、一昨日(4月4日)のニュースに接して、「歴史・伝統・文化」というキーワードで、自民党改憲草案を想起した。

4日、京都・舞鶴市で行われた大相撲春巡業で、舞鶴市の多々見良三市長が、土俵上であいさつ中に体調を悪化させて倒れた。くも膜下出血の発症だったという。一刻を争う緊急事態に、医療の心得のある女性が、機敏に土俵上で市長の心臓マッサージを行った。場内アナウンスは、この女性の行為に感謝するどころか、「女性は土俵から降りてください」と複数回の指示をしたという。

「救命行為を直ちに中止せよ」というアナウンスは信じがたい。その行為が犯罪になることさえ考えられる。バカげた事態というのは適切ではない。誇張ではなく、恐るべき事態と言うべきだろう。問題は、なぜこんなことが起きたのかだ。

この問題について、日本相撲協会の八角理事長が、4日下記のコメントを出した。

本日、京都府舞鶴市で行われた巡業中、多々見良三・舞鶴市長が倒れられました。市長のご無事を心よりお祈り申し上げます。とっさの応急処置をしてくださった女性の方々に深く感謝申し上げます。
応急処置のさなか、場内アナウンスを担当していた行司が「女性は土俵から降りてください」と複数回アナウンスを行いました。行司が動転して呼びかけたものでしたが、人命にかかわる状況には不適切な対応でした。深くお詫び申し上げます。

以上が全文。「人命にかかわる状況には不適切な対応」とは、「人命にかかわるほどの状況でなければ、不適切な対応とは言えない」という含意が見え見えである。

この「女性は土俵から降りてください」発言は、「人命にかかわる状況には不適切な対応」だったと責められるべきではない。「人命にかかわる状況においてまでも女性差別を貫徹しようとしたことは、相撲協会の徹底した女性差別体質を現したものとして不適切な対応」なのだ。

今回の件は、「人命にかかわる状況」だったから例外的に臨機応変の対応をすべきだった、のではない。女性を土俵に上げてはならないなどという差別の愚かさ、ばかばかしさを如実に示したものと受けとめなければならない。女性という、社会の半数をなす人々を、穢れたものとする思想と行動の払拭が求められているのだ。

本日(4月6日)兵庫県宝塚市で開かれた予定の大相撲の地方巡業「宝塚場所」で、同市の中川智子市長が巡業の実行委員会に「土俵上であいさつしたい」との意向を伝えたが断られ、やむなく土俵下であいさつをした。「私は女性市長ですが人間です。女性であるという理由で、市長でありながら、土俵の上であいさつができない。悔しい。つらい」と訴えると、観客から拍手が起こったという。

この興行の主体は公益財団法人相撲協会である。「公益法人」でなくとも、大相撲は、十分に社会的な存在となっている。社会的な存在である以上は、性による不合理な差別は許されない。

協会に聞いてみたいものだ。
「なぜ、土俵は女人禁制なのか」「その女人禁制の理由は現在なお妥当性をもつのか」と。

女性差別の理由は、それが伝統とか文化であるから、というものでしかなかろう。伝統も文化も曖昧模糊。実はなんの実体もない。伝統とは因習に過ぎず、文化とは野蛮にほかならず、合理的理由を説明できないときの説明拒否の逃げの一言でしかないのだ。相撲協会は、こうはっきり言えるだろうか。「相撲は神事であり、神事では女性は穢れたものとされているから」と。そんな神は、敗戦時に、大日本帝国とともに滅亡して死に絶えたのだ。差別を合理化する神も神事も、生き返らせてはならない。どだい、女から生まれなかった横綱も大関もいないのだから。

こんなふうに考えると、自ずから「自民党改憲草案」が思い浮かぶのだ。党の公式解説書である、「Q&A」に、こんな文章がある。

(憲法)前文は、我が国の歴史・伝統・文化を踏まえた文章であるべきですが、現行憲法の前文には、そうした点が現れていません。

人権も民主主義も平和も、人類史的に普遍的な理念などと考えてはいけない。「日本の憲法は、日本固有の歴史・伝統・文化を踏まえたものでなくてはならない」という屁理屈の布石である。この「日本固有の歴史・伝統・文化」の尊重とは、とりもなおさず、天皇制であり、天皇制を支えた家制度であり、男性中心の女性差別である。究極には、個人の尊厳ではなく、国家や全体主義社会を優越的価値とする為政者に好都合な秩序観のことである。

念のため、「自民党改憲草案」の前文(抜粋)を掲記しておこう。
日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。
日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。
我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。
日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。」

土俵は女人禁制、それこそは、長い歴史と固有の文化の所産であり、男性である天皇を戴く国家での当然のありかたである。日本国民は、「和」とされる上下・貴賤の秩序を尊び、家族や社会全体をこのヒエラルヒーに組み込んで国家を形成する。
自民党は、この良き伝統を墨守して、ここに、土俵は女人禁制の良俗を守り抜くことを宣言する。

自民党・安倍政権と相撲協会、まことによく似ているではないか。
(2018年4月6日)

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Published in 金曜日, 4月 6th, 2018, at 23:01, and filed under 両性の平等, 明文改憲.

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