澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

「日本に報道の自由がないとの実感は全くない」との産経社説を憂うる。

下記は、一昨日(6月7日)の産経社説(『主張』)の書き出しの一文である。なんとなくおかしくはないか。私は、思わず吹き出してしまった。が、実は深刻に憂うべき一文なのだ。

 「本紙(註ー産経)もメディアの一員だが、日本に報道の自由がないとの実感は全くない。」

産経に、「報道の自由がないとの実感は全くない」はウソではなかろう。誰からの掣肘を受けることもなく、自由に紙面をつくって販売していられる。日本には満足すべき報道の自由がある。きっと、産経はそう思い込んでいるに違いない。

 しかし、その産経の『自由』は、産経が特定の立場性を有しているからなのだ。権力におもねり、権力に迎合し、権力を称揚し、権力が望む方向に世論を誘導しようとの立場。権力に抵抗する勢力を難じる立場。権力に癒着した権威に平伏してみせる立場。遅れた社会意識が形成する同調圧力を批判することなく、助長する立場…でもある

権力を称揚する立場の言論が権力から掣肘を受けるはずはない。権威に阿諛追従の言論が社会的制裁の対象になるはずはない。また、社会的多数派の同調圧力に迎合していれば自ずから我が身は安泰に違いない。あたりまえのことだ。

要するに、アベ政権を称揚し、天皇制に阿諛追従し、元号使用を肯定し、「日の丸・君が代」強制を当然視し、北朝鮮や韓国は怪しからん、夫婦同姓を貫こう、という立場での報道は、この社会ではなんの障害もなく安心して発信できるのだ。こんなことは、報道の自由の名に値しない。

権力に迎合する表現の垂れ流しなら、中国にも北朝鮮にも、シリアにもあるだろう。そんなものをジャーナリズムとは呼ばないし、報道の自由が保障されているとも言わない。

「報道の自由」、あるいは報道機関に主体を限定しない「言論の自由」「表現の自由」とは、権力が憎む内容の報道をする自由なのだ。政権の耳に痛い言論を述べる自由なのだ。社会の多数派が歓迎しない表現を敢えて行う自由のことなのだ。

資本主義体制を、保守政権を、アベ政権を、そして天皇制を批判する言論の自由こそが、憲法的保護が必要であり、保護を与えるに値する自由なのだ。産経流のアベ政権や天皇制に迎合する提灯報道の垂れ流しをもって「日本には報道の自由がある」などと言うことは、見当外れも甚だしい。

産経の社説は、こう続く。「見当外れの批判には堂々と反論すべきだ。言論と表現の自由に関する国連の特別報告者、デービッド・ケイ氏が、日本では現在もメディアの独立性に懸念が残るとする報告書をまとめ、24日に開会する国連人権理事会に提出する見通しだ。」

産経が懸念するのは、国連の特別報告者デービッド・ケイの国連人権理事会に提出予定の日本の言論と表現の自由に関する報告書」の内容である。

これについての、朝日の報道を引用しておこう。6月6日付の「表現の自由『日本は勧告をほぼ履行せず』国連特別報告者」という見出し。

「言論と表現の自由に関する国連の特別報告者デービッド・ケイ氏が、日本のメディアは政府当局者の圧力にさらされ、独立性に懸念が残るとの報告書をまとめた。「政府はどんな場合もジャーナリストへの非難をやめるべきだ」とした。
ケイ氏は2016年に日本を訪問し、翌年に報告書をまとめて勧告を行った。今回は続報として勧告の履行状況などを報告。政府に対する勧告11項目のうち、放送番組の「政治的公平」などを定めた放送法4条の撤廃、平和的な集会や抗議活動の保護など9項目が履行されていないとした。
今回、ケイ氏からの問い合わせに日本政府は答えなかったとしている。報告書は国連人権理事会に提出され、審議されるが、勧告に法的拘束力はない。」

どうして産経が目くじらを立てるのか理解に苦しむところだが、産経の社説の中に、次の一節がある。

「菅義偉官房長官は『不正確かつ根拠不明のものが多く含まれ、受け入れられない』と述べた。当然である。勧告に法的拘束力はなく、これまでも政府は逐一に反論してきた。」
なるほど、産経の主張とは、政府を代弁する立場なのだ。

また、産経社説はこうも言う。「人権理事会は加盟国の人権の状況を定期的に監視する国連の主要機関だが、恣意的に政治利用されることも多い。米国は昨年、『人権の名に値しない組織だ』などと批判し、離脱した。」
なるほど、産経の主張は、米国とも一致する立場なのだ。

トランプのアメリカが暴論を恣にして、世界の良識から孤立していることは周知の事実である。そのアメリカにアベ政権が追随し、そのアベ政権に産経が追随するの図である。

産経の強弁に拘わらず、日本のジャーナリズムは、政権批判、天皇制批判を語り得ない。明らかに言論の萎縮状況が蔓延している。この言論萎縮状況が、産経の立場からは、日本に報道の自由がないとの実感は全くない」と映るのだ。産経にこんなことを言わせておくジャーナリズムの現状。残念でならない。
(2019年6月9日)

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