澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

香港のストリート・デモクラシーに乾杯!!

このところ、香港の「逃亡犯条例」反対運動の成否が常に気がかりだった。学生や市民が闘っている真の相手が、あの中国共産党政権なのだから。私は「反中」でも「嫌中」でもないが、どこであれ人権を押さえ込もうという権力と闘う人々には精一杯の声援を送りたい。

天安門事件時代と基本的に変化の見えない大中国の政権に、小さな香港の人々がどこまで闘いうるのか、正直のところ不安でならなかった。2014年の雨傘運動も、あれだけの盛り上がりを見せながら、結局は真っ当な選挙制度の確立という基本的な要求を通すことができなかった。

だから、せめてもの声援を日本からも送らねばならない、微力ながらも国際世論喚起の一助となることで、香港の運動を励ましたいと考えていた。ところがどうだ。本日(6月15日)、「香港政府 『逃亡犯条例』改正延期発表」のニュースに、驚くとともに胸のすく思い。励ますどころか、こちらが大きく励まされた。学ぶところが大きい。

NHKが、こう報じている。「連日、抗議活動が続く香港で政府トップが緊急会見を行い、問題となっている条例改正案の審議入りを延期すると表明しました。林鄭行政長官は、中国本土への容疑者の引き渡しを可能にする逃亡犯条例の改正について『審議を延期する』『延期の期限は設けない』と明言しました。また、『抗議デモでけが人が出たことに心を痛めている』としました。」

法案審議の「延期」は、事実上の断念だと受け取られているようだ。この意義は大きい。明日(6月16日)は、6月9日以来の「日曜・大抗議デモ」が企画されていたが、勝利パレードに切り替えられるのだろうか。香港市民の意気天を突くものがあろう。

韓国の友人から、韓国には「ストリート・デモクラシーの文化」が育っていると教えられた。ろうそくデモに出るのは、学生ばかりではない。高校生も中学生も、親子連れも老人も、みんなで積極的に路上に出る。みんなが参加しやすい、デモや集会が企画される。厳しい局面でも、歌もあり踊りもある集会。その結実が、朴槿恵政権を倒して、現文在寅政権を誕生させた。私も、何回かの韓国の旅で、その片鱗を見てきた。実に明るく、積極的なのだ。

香港のデモもこれに似ている。目を惹いたのは次の報道。
「緊張が続く香港で14日、女性を中心に約6000人が集まり、当局による強制排除を批判しました。集会は子どもを持つ母親たちが呼び掛けたもので、主催者発表で約6000人が参加し、参加者のほとんどは女性でした。参加者は12日のデモで、警官隊が催涙弾やゴム弾を使って若者らを排除したことに対して、『子どもを撃つな』『学生を守れ』などと抗議の声を上げました。中国本土への容疑者の引き渡しを可能とする『逃亡犯条例』の改正案は市民の激しい反発を招き、審議入りが3日連続で延期されています。」(テレ朝)

写真に写った母親たちが掲げるプラカードには子ども(学生)たちは間違ってない』とある。路上のデモに出ようという子ども(学生)を、あぶないからやめろと説得するのではなく、警官隊に向かって『子どもを撃つな』『学生を守れ』と声を挙げる母親たち。ここにも、育ちつつある香港のストリート・デモクラシーを見ることができる。

さらに興味深いのは、デモ参加者は雨傘運動の経験から多くを学び、これを互いに共有して実践しているという。たとえば、ある団体は、フェイスブックに、デモの服装、前進と退却のタイミング、デモ隊の責任分担といった「対決ハンドブック」を掲載している。

そのなかには、逮捕された場合の対策についての章もあり、「自分の体に油性ペンで弁護士の電話番号を書いておくこと」と具体的なアドバイスがあるという。こういう若者たちが、路上に出ているのだ。

韓国や香港と比較して、日本における学生・市民の政治的行動力の脆弱さは否めない。さらに、問題は中国である。天安門事件を知らぬ世代が育っているという。香港の今の運動についても知らされていないという。それほどにも、政権の情報統制が行き届いているのだという。大中国の、この余裕のなさはどうしたものだろう。

中国共産党の結成が1921年。人民から針一本奪うことのない人民解放軍の堅固な倫理性が圧倒的な国民的支持につながって、中華人民共和国建国に至ったのが1949年10月のことだ。当時の理想・理念・志操は称賛に値するものだったことを疑わない。70年のうちに、あの革命中国の理想は風化してしまったのだろうか。
(2019年6月15日)

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