澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

いかなる犯罪者にも黙秘権を

ボストン爆発事件に関連して、毎日新聞に概要以下の報道がある。

「米国では刑事事件の容疑者に対し、黙秘権や、弁護士の立ち会いを求める権利などを通告する手続きが原則として確立され、『ミランダ警告』と呼ばれる。この警告を行わない場合、取り調べで得られた証拠は裁判で使用できない。
だが、公共の安全に関わる場合は同原則に例外が認められるという。ジョハル容疑者は爆発物を隠していたり共犯者がいたりする可能性があるため、当局は徹底的に尋問し情報を得たい意向だという。
米国では01年米同時多発テロ後、当時のブッシュ政権がテロ容疑者と見なした人物を令状なしで米海軍グアンタナモ基地(キューバ)の収容所に長期間拘束し、拷問だと疑われるような手段で尋問。人権擁護団体などから厳しく批判された。」

アメリカの刑事司法原則よ、しっかりせよ。このような事例でこそ、人権の普遍性が試される。アメリカの法文化が本物かが問われている。犯罪の結果が重大だからとして例外を認め、黙秘権を否定して拷問を認めるようなことがあってならない。いささかでも例外を認めれば、その例外の穴は際限なく大きく広がっていく。原則の絶対性を守れるかどうか、それこそが試金石だ。

このことが他人事でなく気になるのは、自民党の日本国憲法改正草案を思い起こすから。

日本国憲法36条は、(拷問及び残虐な刑罰の禁止)と標題を付して、「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。」と定める。言うまでもなく、天皇制政府が行った数知れぬ野蛮な拷問の反省と、これを再び繰り返さないという決意を示したものである。

ところがこれを自民党は「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、禁止する。」と改めようと提案している。「絶対にこれを禁ずる。」の条文から、ことさらに「絶対に」の3文字を削除しようというのだ。明らかに、「時と場合によっては」「事案の中身によっては」「公の秩序を維持するために必要不可欠な場合は」、例外を認めようとの思惑が透けて見える。

「黙秘権」あるいは「自己負罪拒否特権」は、公権力と対峙する人間の尊厳を認める基底的な人権である。この原則がいささかも、ないがしろにされてはならない。自民党はこの恥ずべき改正草案を撤回すべきであるし、オバマも自民党並みになってはならない。

付録のエッセイ
   『食卓の葉っぱ』
 柏餅の季節になった。ちょっと前は桜餅。普通、柏の葉っぱは食べない。桜の方は、葉っぱごと食べる。食べ物に利用される葉っぱについて少々。
「柏餅」 カシワの葉っぱは、保存した前年の葉を使う。毛が生えてゴワゴワして食べる気にはならない。でもほのかな香りはある。カシワは炊葉の意味で、食物を盛る葉のことをいった。(牧野・植物図鑑) 西日本では、サルトリイバラ(猿捕イバラ)のつやつやした葉二枚で挟んだものを柏餅といっている。
「桜餅」 大島桜の葉を使う。芳香はクマリン。こちらは柔らかいのでいくらでも食べられそうだが、肝毒性があるのでほどほどに。
「粽(ちまき)」 米を竹の皮に包んで蒸す。竹や笹は防腐、殺菌作用がある。ちまきは武士の戦場での携帯食、保存食として考えだされた。
「笹飴」 夏目漱石の「坊ちゃん」のなかで「何をみやげに買ってきてやろう」という問いに、ばあやの清が「越後の笹飴が食べたい」と答えて、有名になった。笹に飴を包んで、保存したもの。
「笹団子」 ヨモギを混ぜて団子を作り、中にあんこを入れて、笹の葉に包んだもの。やはり笹の葉の防腐、殺菌作用を利用した。
「ゲットウの葉」 ショウガ科。沖縄では、アロマオイルにも利用される甘い香りを放つ葉っぱをいろいろに利用する。ムーチーを包んで蒸したお餅。肉や魚を包んで蒸し焼き料理を作る。
「めはりずし」 漬けた高菜の大きな葉っぱを拡げて、おにぎりやおすしを包んで食べる。
「シソの葉」 シソの香りは胃液分泌を促し、食欲を増す。和製ハーブ。刺身のつま。味噌や唐辛子をくるんだもの。肉を包んでパリッと揚げたもの。そのほか利用の仕方はいろいろ。
「サンショウ」 冷や奴、タケノコの煮付けなどに付け合わせる。味噌と一緒に摺って、コンニャクに付けて焼いた味噌田楽。こう書いているだけで香ばしい匂いがしてくる。
「葉蘭」 薄いが、硬くてつやがある。長楕円形で50センチメートルもあるので、そのままお皿代わりに使ったり、カットしてお鮨やお弁当のしきりに使う。
「ナンテン」 健胃、解熱、鎮咳の生薬。折り詰めなどに添えて、防腐剤にする。
「椎の葉」 「家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る」(万葉集) 謀反の罪で19歳で絞首刑になった有間の皇子の歌。椎の葉は小さいので、枝ごと切りとった葉の集まりの上に、神へのお供えをして息災を祈ったといわれている。祈りは届かなかったようだ。
 みな昔は庭に植えてあったり、近所から採ってきて、季節季節に使ったものだ。子供のうちから慣れ親しんで利用法も飲み込んでいた。いまはみなパック詰めになって、売られている商品になってしまった。生の葉っぱは高価なものなので、印刷したビニールで代用されて、味も香りもない邪魔者扱いされていることさえある。全部そうなってしまえば、次のような事件も起こらない。
数年前、食堂の料理の飾りに使われた葉っぱを食べた客が中毒した事件が起きた。その葉が「アジサイ」。これを食べると、過呼吸、痙攣、麻痺から死に至る。みずみずしく柔らかそうに見えるけれど、絶対口にしてはいけない。もうすぐ美しいアジサイの花がが咲く。別名「七変化」という。

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Published in 日曜日, 4月 21st, 2013, at 17:19, and filed under 未分類.

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