澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

4月28日は「祝うべき日」ではない。

1952年4月28日に、サンフランシスコ講和条約が発効して日本は「独立」した。同時に、日米安全保障条約が発効して日本は、固くアメリカに「従属」することになった。沖縄・奄美・小笠原は本土から切り離され、アメリカ高等弁務官の施政下におかれた。それ故この日は、沖縄の人々には「屈辱の日」と記憶されることとなった。

私は、1966年の暮れ、返還前の沖縄に1か月ほど滞在したことがある。テト休戦によるベトナム帰りの米兵が那覇の町にあふれた時期でもあり、12年に1度の祭りという久高島のイザイホーが行われているときでもあった。

当時私は大学4年生だったが、就活とは無縁なアルバイト生活を送っていた。琉球大学と東大との合同チームが、大規模な沖縄の社会調査をするということになって、その調査員として応募し、まことに得難い貴重な経験をさせてもらった。

日の出埠頭から2泊3日の荒天の船旅だった。船中から伊江島の塔頭を眺めて那覇港にはいり、生まれて初めてのパスポートを手に、出入国審査や関税手続を経験して、沖縄の土地を踏みしめた。そこは、ドルが流通する経済社会であり、車輛が右側車線を走行する本土とは異なる世界であった。

輝く自然と魅力あふれる文化が根付いた小宇宙。しかし、異民族の支配を受け基地に囲まれたという限りでは「屈辱の世界」。日本国憲法の及ばない異空間でもあった。

4月28日は、沖縄にとっては本土と天皇によってアメリカに売り渡された「屈辱の日」、本土にとっては沖縄を売り渡した「恥ずべき日」に違いない。私は民族主義者ではないが、この日を祝おうという発想がどこから来るものか理解しがたい。

これを解き明かすのが、2011年2月に設立された「4月28日を主権回復記念日にする議員連盟」の設立趣意書の一節。「主権回復した際に、本来なら直ちに自主憲法の制定と国防軍の創設が、主権国家としてなすべき最優先手順であった」と記載されているとのこと。ああ、そういうことか。そういうことならよく分かる。

すべては歴史認識の問題なのだ。安倍晋三らにとっては、日本国憲法とは、占領軍が日本国民に押し付けた憲法でしかない。「東京裁判史観」あるいは「自虐史観」にもとづいて制定された日本国憲法は、そもそも正当性をもたない。彼らにとっての「主権回復」とは、押し付けられた憲法を清算すること、天皇を戴く国の憲法として書き換えることなのだ。

彼らに、侵略戦争への反省はない。戦争の惨禍への悔悟もない。今度は負けないように精強な国防軍を作ろう。それを可能とする自主憲法を制定しよう。そのような自主憲法制定が可能になった日として、4月28日を記念しよう。そして、その日を、日本民族の歴史、伝統、文化にふさわしい憲法を作る決意を固める日としよう。

これが安倍自民の本音である。とんでもない。4月28日を祝うことなど、断じてするものか。

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Published in 土曜日, 4月 20th, 2013, at 23:21, and filed under 未分類.

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