澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

明日第186通常国会開会

第186通常国会は、明日(1月24日)召集される。会期は6月22日までの150日間。
24日には首相の施政方針演説があり、28〜30日に衆参両院で与野党の代表質問が行われる。政府・与党は首相がソチ冬季五輪の開会式に出発する2月7日までに補正予算案を成立させ、その後、早期に14年度予算案の審議に入る方針。安倍政権は、「好循環実現国会」を掲げて成長戦略関連法案32本の提出を予定し、4月の消費増税による景気の腰折れ防止に全力を挙げる構え。これに対し、民主、共産両党は先の臨時国会で成立した特定秘密保護法の廃止法案を用意し、安倍政権との対決姿勢を強めている、と報じられている。衆参両院の憲法審査会も動き出すだろう。4月には、安保法制懇の答申を受けての集団的自衛権論議が白熱することになるだろう。教育委員会制度を見直す地方教育行政法改正案、労働者派遣法改正案、原発再稼動問題、原発輸出問題などもある。けっして、無風、平穏な通常国会となるはずはない。

ところで国会の招集は天皇の国事行為(憲法7条2号)である。第186通常国会の招集も天皇の「詔書」によって行われる。以下が、天皇の国会召集を伝える本年1月14日付「官報」(号外)の全文。

「詔書」
日本国憲法第7条及び第52条並びに国会法第1条及び第2条によって、平成26年1月24日に、国会の常会を東京に招集する。
 御名 御璽
平成26年1月14日
内閣総理大臣臨時代理
国務大臣 麻生太郎

「詔書」などという言葉が今も生きているのだ。それにしても、ことさらに主語を省いて、「国会の常会を東京に招集する」とは、何とも間の抜けた不思議な文章。

もしかして、「御名 御璽」(ぎょめい・ぎょじ)が分からぬ人がいるのではないだろうか。オリジナルの文書には、「明仁」の自署と、天皇印の印影がある。何故かは分からぬが、「明仁 印」とあからさまにしたのでは畏れ多いのだという。そのような配慮から、名前と印に尊敬語の「御」を付けて、「原文には、ここに天皇のお名前が書いてあり、ご印が押されているのですよ」とする約束事なのだ。戦前から少しも変わっていない。

なお、この天皇印たる「御璽」は金製で3寸四方の角印、重量は約3.55㎏あるのだという。昔、大学の講義でこのことを聴いたときのことを思い出す。当時は、裕仁が天皇であった時代。「必ず裕仁氏自らこの3キロ半の印を手にして押捺する」のだという。天皇の仕事はけっして楽ではない。「重」労働ですらあるという。大教室に満ち満ちた、当時の学生たちのトゲのある冷笑の雰囲気が懐かしい。

なお、この「詔書」に、内閣総理大臣臨時代理として麻生太郎が副署しているのは、安倍首相が外遊中だったため。

明日1月24日午後1時から10分間の予定で、開会式が行われる。この通常国会を招集した天皇が、自ら招集の「おことば」を述べる。場所は参議院本会議場。かつての貴族院である。その本会議場正面の議長席背後に玉座がしつらえてある。議場を見下ろすこの位置で、天皇は衆参両院の議員を見下しつつ、おことばを述べるのだ。国民の代表が、天皇を見上げつつ、その「おことば」をありがたく「うけたまわる」ことになる。

この玉座、正式には参議院で「御席」というそうだ。旧憲法時代、今の参議院は貴族院だった。天皇は、貴族院の玉座に臨席し、統治権の総覧者として、立法の協賛者である帝国議会の各議員を睥睨した。この建物の構造は、当時の主権者と臣民の位地関係を象徴するものであった。いま、同じ場所が参議院本会議場となり、同じ「玉座」から「象徴である天皇」が、「主権者である国民の代表」に「おことば」を発している。敗戦を挟んで、我が国は本当に変わったのだろうか。

「国会を召集すること」は天皇の国事行為の一つではあっても、「国会の召集」は「詔書」に署名捺印すれば済むことで、国会まで出向いて開会式に臨席し「おことば」を述べるなどは憲法に記されたことではない。

天皇の行為には、憲法に厳格に制限列挙された国事行為と、純粋に私的な行為との2類型がある。本来、この2類型しかなく、「おことば」や「皇室外交」はそのどちらでもない。憲法上の根拠を欠くものである以上、本来行うべきものではない。

ところが、天皇の国事行為と、純粋に私的な行為とは別に、天皇の「公的行為」という中間領域の範疇を認める立ち場があり、開会式のお言葉はこの範疇に属するものとして行われている。皇室外交や、園遊会の主催、国民体育大会、植樹祭への出席等々も同様。当然に、憲法違反だという批判がある。批判があるが、やめようとはしない。

やめようとしないのは、為政者が、天皇の権威主義的国民統合作用を統治の具として重宝と考えているからだ。為政者は、常に「民はもって之を由らしむべし。知らしむべからず」と考えている。天皇制下の擬似家族的連帯意識と家父長の権威に寄りかかる権威主義、そして序列感覚の涵養が、統治しやすい国民の育成にこの上なく便利だからである。

象徴天皇制は、憲法上の制度として軽々に改変することはできない。しかし、天皇の影響力の範囲は一寸たりとも拡大してはならない。また、「内なる天皇制」については、これを克服することが可能である。臣民根性を排して、主権者意識を育てよう。この主権者意識の育成を阻害するものこそ、「前主権者」である天皇制なのだ。まずは、政権による天皇の政治利用、天皇自身による天皇の政治利用をきちんと批判しよう。

開会式への意識的欠席は、議員の見識である。その反対に、国会開会式で天皇に平身低頭する国民の代表がいないか、明日はよく目を光らせようではないか。
(2014年1月23日)

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Published in 木曜日, 1月 23rd, 2014, at 23:57, and filed under 未分類.

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