桜咲く佳き日の同期会
今日は、学生時代の気のおけない仲間が集まっての同期会。
50年前お互い何の肩書もない同じ若者として、利害打算のない付き合いをした仲間。そして今、定年を過ぎた年になって、肩書を外し鎧を脱いで、昔に戻っての再度の利害打算のない付き合い。何の遠慮もなく、気兼ねもなく、心おきなく話の出来る楽しい半日だった。
それぞれ自分の生きてきた分野についての話しが尽きない。違う分野の人たちの話しに耳を傾けることはとても楽しい。昔から気のあったこの仲間には、金持ちも有名人もいない。しかし、みんながそれぞれの分野でそれぞれのやり方で社会を支えてきた。一人一人が、個人の尊厳の担い手なのだ。
私のブログもひとしきり話題となった。話題の中心は当然のことながら「宇都宮君おやめなさい」のシリーズについて。私の解説は、「『澤藤がケンカをはじめたようだが、どちらに理があるかを見極めよう』というのは友人の態度ではない。『あの澤藤が本気で怒っているのだから、友人として澤藤に味方しよう』と言ってもらいたい。そういう友人の支えがあったから、私もルビコンを渡ることができた。今は、気分爽快」というもの。
ところで、3月27日「毎日」朝刊の「そして名画があった」欄に、「武士道残酷物語」(今井正)が取りあげられていた。1963年4月の封切りだそうだ。今日集まった仲間が学生生活をはじめたころのこと。映画の原作は南條範夫の小説「被虐の系譜」(講談社)。映画では、現代のサラリーマン物語りが出て来るが、これは原作にはないそうだ。
南條は小説の中でこう書いている。
「本来は利害関係に基づく主従関係は、滅私奉公と言う美称を被(かぶ)せられて、次第により深く固定観念化してゆき、終に、利害を離れた没我的服従心にまで育て上げられていった」
この映画を紹介した玉木研二は、「扶持を喪って浪人の身となると言うことは、凡ての武士にとって、不断の脅威であり、最も恐るべき夢魔であった。これを避ける為には、いかなる屈辱も困苦も、受容しなければならない。」「競争の中で勝ち得たサラリー(扶持)と地位を失う恐怖、そして服従の心理は、昭和のサラリーマンとて無縁ではなかったに違いない。」と書いている。
その時代、私たちは受験競争と出世競争の間にある束の間の「間氷期」にあった。その後同時代を生きた多くは、「競争の中で勝ち得たサラリー(扶持)と地位を失う恐怖、そして服従の心理」の中で、生きてきたのではないか。
今日集まった仲間は、出世競争の意欲も服従の心理も欠いた面々。だから、思想や信条を超えて気が合うのだろう。
本日の東京の天気は上々。桜も咲いた。
銭湯で上野の花のうわさかな
佃育ちの白魚さえも花に浮かれて隅田川
花がほころべば、自ずと顔もほころぶ。春はよろしい。
50年前の仲間との交歓は、花の咲くころに初めて顔を揃えたあの頃に戻ること。
あれからの半世紀が平和であったことを有り難いと思う。人権も、民主主義も、もう少し高水準で推移したらよかったのに、とも。もっとも、この時代、私たちがつくってきたのだから、私たち自身の責任なのだが。
(2014年3月29日)