優華ちゃんへの「全面勝訴確定」のご報告
優華ちゃんは、本当なら今は6歳になっているはず。
もうすぐ、桜の花咲く小径を小学校に通うはずだった。家族の愛情に包まれて、おしゃべりしたり、唱ったり踊ったり。この世に生まれてきたことの幸せを謳歌しているはずだった。
けれども、現実には優華ちゃんの命はまことに儚なかった。生後わずか38日で優華ちゃんの心臓が止まった。手足は冷たくなり、動くことも声を出すこともなくなった。これからの生きる喜びが失われた。
優華ちゃんの生まれた産科のクリニックからは、胎児診断でも、出生時診断でも、退院時の診断でも、そして1か月健診でも、「問題はありません」と言われ続けてきた。だから、優華ちゃんのお父さんとお母さんは、どうしても納得出来なかった。
今の時代こんなに易々と赤ちゃんが死ぬはずはない。死んでよいわけはない。優華ちゃんの死は避けることができたはずではないのか。優華ちゃんの命は還ってこないけれども、優華ちゃんのために、その原因と責任とを可能な限り究明したい。けっして、優華ちゃんの死を黙って見過ごしにはできない。
こうして、優華ちゃん事件の法的な責任追及手続が開始された。担当したのは、私と安孫子理良弁護士の2名。証拠保全手続から、一審、控訴審、そして最高裁への上告受理申立事件までのフルコースだった。
一審判決が、請求額(5880万円)の満額を認容した。それだけでなく、担当医師によるカルテ改竄を事実上認め、死亡の機序も、2点の過失主張も、因果関係も、全て原告が主張したとおりに認められた。控訴審判決も控訴を棄却して一審判決をそのまま維持した。
そして本日、最高裁第1小法廷から、医療機関側の上告受理申立を不受理とする決定通知が届いた。控訴審判決から11か月余を経てのこと。これで、優華ちゃん事件は、優華ちゃん側の全面勝訴として確定した。そのことを、せめてもの手向けとして、優華ちゃんにご報告したい。
「優華ちゃん」の死因は、「大動脈弁狭窄症」だった。優華ちゃんには、「二尖大動脈弁」という先天性の心臓疾患があって、そのために出生直後から「大動脈弁狭窄症」が生じた。左心室から大動脈に通じる大動脈弁の狭窄によって、体循環の動脈血流出に支障が生じたのだ。それでも、胎児期から出生直後のしばらくは、努力性に左心室を働かせることによって全身への動脈血供給を保持したが、その代償機能が限界に達すると、「低心拍出量症候群」の発症となり、「心不全」となって死亡したのだ。
大動脈弁狭窄症は、診断が可能であるだけでなく、治療も可能である。標準的な能力を持つ医師による優華ちゃんへの誠実な診察さえあれば、正確な診断によって心臓専門医への搬送が可能となり、カテーテル治療と根治的手術とを組み合わせる確立された治療方法によって、高い確率で救命を期待しうる。他方、担当医の診断の見落としは、現実の優華ちゃんの症状進行が示しているとおり、容易に児の死亡の結果をもたらす。
だから、優華ちゃんの大動脈弁狭窄症は、典型的な「見落としてはならない」疾患なのだ。にもかかわらず、生後一月余の間、優華ちゃんの新生児診療を担当した被告クリニックの産科医は大動脈弁狭窄に伴う特有の心雑音を聴診することもなく、大動脈弁狭窄症由来の低心拍出量症候群による全身症状の悪化を問診・視診するでもなく漫然とその症状を看過し、自ら正確な診断をすることも専門医への搬送も怠った。その被告の診断義務違反によって、優華ちゃんはかけがえのない生命を失った。
本件判決では、医師のカルテ改ざんが認められている。カルテの記載をそのまま信用すれば、「十分な診察が行われており、児の症状から心疾患の診断は不可能」となりかねない。しかし、その記載の内容や外観を仔細に検討すれば、不自然さは否定し得ない。判決は、「カルテによる診療経過の事実認定はできない」ことを明言した。請求満額の認容は、このカルテの改ざんの事実が裁判官の心証形成に大きく影響している。このことを医師や医療機関の教訓としていただきたい。
また、本件では、提訴時から産科クリニックの産科医による新生児診療の態勢や能力の欠如を問題としてきた。一審判決後医療側は、『このような、医師に不可能を強いる判決は、医師の業務を立ちゆかなくさせる不当なもの』と反発している。しかし、そんなことはない。東大病院輸血梅毒事件を典型として、不可能を強いるものと非難された判決の注意義務も、やがて臨床に当然の医療水準として定着してくる。そのようにして、臨床は進歩してきた。
患者が求める医療水準と、医師が受け入れ可能とする医療水準とは、宿命的に隔たりがある。双方が主張し合って、裁判所は社会を代表する立ち場で、判断をする。その判断の積み重ねが、臨床の改善・進歩に役立ってきた。患者が泣き寝入りしていたのでは、臨床の改善につながらない。患者や遺族が声をあげ、訴訟を提起し、一時的には医療側にとって不本意ではあっても、臨床の水準を一歩進める判決を勝ち取ることは、全患者のために、また、医療全体のために意義のあること。
本件に照らして具体化すれば、新生児診療に携わるすべての医師が、心疾患を診断して専門医に搬送すべきとする判断ができるよう、態勢を整備し技能を研鑚しなければならない。本日確定した本件は、そのような内実をもったものとして、新生児医療の改善に生かされなければならないと思う。
そのように臨床が改善されるなら、優華ちゃんにも、胸を張って本件訴訟と勝訴の意義を報告できることになる。
それにしても思う。本件のような本格的医療訴訟は、専門医の協力なしには遂行できない。本件の勝訴も、ひとえに誠実で有能な協力医の賜物である。医療機関の側につく協力医の心理的負担は軽い。しかし、患者側協力医の心理的な負担は限りなく重い。仲間の医師の責任を告発する立場に立つことになるのだから。真実を大切にする立ち場から、あるいは人権のために、専門家としての良心と職業倫理に忠実な医師には尊敬と感謝の念を禁じ得ない。
私も、弁護士ムラの仲間意識からする発想を反省しなければならない。弁護士であるだけでは、あるいは「人権派弁護士」の看板を掲げているからといって、当然に「基本的人権を擁護し、社会正義を実現」すべき使命を全うしているとは限らないのだから。
*******************************************************************
「フランシスコ法王」の魅力溢れる発信
普通「ローマ法王」と呼び習わされ、日本カトリック中央協議会では「ローマ教皇」と表記されることを望んでいるその方の、正式名称をご存じだろうか。
「ローマ司教、キリストの代理者、使徒の継承者、全カトリック教会の統治者、イタリア半島の首座司教、ローマ首都管区の大司教、バチカン市国の首長、神のしもべのしもべ」というのだそうだ。落語「寿限無」のようで思わず笑ってしまっては不謹慎。宗教的および世俗的権威のせめぎ合いの歴史を感じさせる単語のオンパレードである。
それとは別に、「パーパ」という非公式かつ親しみを込めた呼びかけもよく使われる。第266代ローマ教皇フランシスコ(78歳)は、「パーパ」という愛称にふさわしい魅力とアピール力を備えているようだ。アメリカ大陸アルゼンチン生まれの法王は史上初。それも貧しい者に心を寄せるイエズス会の出身。イタリア移民の子でブエノスアイレス大学で化学を修め、文学と心理学の教師をしたのち、本格的に神学を学んだという経歴を持つ。
昨年3月の就任以来、盛んにバチカン外交をくり広げ、話題を振りまいて注目を集めている。ことあるごとに熱く平和を語り、貧困撲滅を説く。妊娠中絶反対の意見は変えないけれど、避妊や離婚、神父の妻帯や同性婚などに理解を示す発言をして保守派から非難を浴びている。
昨年11月の「使徒的勧告」という信者にあてた文書のなかで、「どうして高齢のホームレスが野ざらしにされて死亡することがニュースにならず、株価が2ポイント下がっただけでニュースになるのか」「飢えている人がいる一方で食べ物が廃棄されているのを見過ごし続けられるのか」と問い、市場に任せればうまくいくという「トリクルダウン理論」は「事実によって裏付けられたことは一度もない」と批判した。
法王の経済・社会認識は共産主義じみているという非難に対しては「マルクス主義は間違っている。しかし、私の人生で善良な人々であるマルクス主義者を多く知っているので、私は気を悪くしていない」(イタリア紙ラ・スタンパのインタビュー)とケロリとしている。昨年のクリスマスメッセージでは、シリアやアフリカで続く戦闘について、子どもや高齢者、女性ら社会的弱者が最大の犠牲者だとし、平和的解決を呼びかけた。
去る3月21日にはイタリア・マフィアに殺害された犠牲者の追悼式典で、「血塗られたカネや権力は死後まで特っていくことはできない」「マフィアの人々は生活を変えよ。悪行をやめよ。このまま続ければ、地獄が待っている。まだ、地獄へ行かないようにする時間はある」と呼びかけた。法王から「地獄に堕ちるぞ」と声をかけらけたら、改心しないわけには行くまい。
バチカン銀行のマネーロンダリング問題解決に取り組む法王にとって、いずれマフィアと対決しなければならないことは明らかだ。この呼びかけは法王が暗殺されることも辞さない決意をもっているというメッセージである。イタリア国家及び世界がてこずっているマフィアヘの命がけの宣戦布告をニコニコしながら(新聞の写真を見る限りでは)できる法王の勇気には驚きを禁じ得ない。
それだけではない。手紙や電話もまめに使う。国東市の小学校には就任祝いに対する返礼の手紙が届いて、小学生たちを大喜びさせた。3月21日の毎日新聞によると、イタリア北部に任むミケーレ・フェッリさんには「こんにちは、ミケーレ。フランシスコ法王です」という電話がかかってきた。家族の不幸を訴えた手紙に対する励ましと慰めの言葉が続いた。誰だって「はーい、法王です」という電話がかかってくれば、びっくりして感激する。
世界初の法王ファンのための週刊誌「私の法王」がイタリアで創刊され、創刊号は50万部という。昨年3月の就任から年末までの9ヵ月間にバチカンで行われたミサ、日曜の折りの集いに参加した信者の数は662万人で、前任のベネディクト16世時代の3倍にのぼるという。
ツィッターを初めて使った法王でもある。[親愛なる友よ、心から感謝します。私のために折り続けてください。法王フランシスコ]という他愛もないツィッターにフオロワーは500万人以上だという。
この人気にあやかろうという外国首脳との会談も目白押し。3月27日にはアメリカ大統領オバマがバチカンを訪れた。現代の聖俗ビックツー会談の雰囲気は和やかなものだったようだ。フランシスコ法王はバチカン自身の問題として前法王時代に明らかになった、聖職者の児童への性的虐待や、バチカン銀行のマネーロンダリング疑惑を抱えている。オバマ大統領はウクライナ問題はじめ星の数ほどの難問を抱えている。「お互いに苦労が多いですね」と慰め合ったのだろう。
しかし、この二人の会談のテーマとしては、お互いの悩み事よりは、世界の悩み事がふさわしい。平和と貧困の問題。この世から戦争の火種をなくすこと、そして飢えと格差をなくすこと。とりわけ経済格差は深刻だ。現在、世界の最富裕層85人の資産総額は下層の35億人分(世界人口の半分)に相当するという。それほどに経済格差が拡大している。法王も大統領もそろって批判はするが、宗教も国家も金融資本主義には手をこまねくしかないというのが現実だ。この点でも、二人は「お互いに苦労が多いですね」と慰め合ったのかもしれない。
とにかくフランシスコ法王のまっとうな宗教者としての発信は、信者でない人も含めて世界中の人々の心を揺さぶっている。儲けのためなら、武器も原発の輸出もいとわない人々は恥ずかしくはないか。貧しい人に高負担を強いる消費税に賛成する政党を支える宗教団体は恥ずかしくないか。
(2014年3月28日)