澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

本郷三丁目交差点での訴え-集団的自衛権行使容認ノー

本日(4月9日)夕刻、地元「本郷湯島九条の会」などが本郷三丁目交差点で集団的自衛権問題で街頭宣伝活動を行った。これまで、特定秘密保護法についての訴えは何度も行ってきたが、集団的自衛権のテーマについては初めての行動。

久々に、街頭宣伝行動でマイクを握って、家路を急ぐ人々に、ショートフレーズで語りかける。

今、安倍内閣は、憲法解釈を大転換して、集団的自衛権の行使容認に踏み切ろうとしています。これは、憲法の平和主義を根底から突き崩すたいへん危険なたくらみとして到底見過ごすことができません。

歴代の自民党政権は決して憲法を大切にしようという姿勢ではなかった。それでも、「我が国では、憲法9条の制約があって集団的自衛権の行使は許されない」ということで一貫してきました。これまで何度も確認されてきた憲法解釈を投げ捨てて、集団的自衛権を認めようというこの乱暴なやりかたは、安倍内閣の暴走という以外に言葉がありません。

自衛権とは、自国が攻撃されたときに、やむを得ずこれに反撃する権利をいいます。現実に攻撃がなされていること、実力で反撃する以外に方法がないこと、反撃の程度が過剰にわたらないことの3点が要件とされています。

ところが、集団的自衛権とは自国が攻撃されていないのに、同盟国が攻撃されたら、それを自国への攻撃と見なして、攻撃された国と一緒に戦争ができるという権利のことです。謂わば人のケンカを買って出る権利のことを言います。自分が攻撃されているわけではないのですから、本来の意味での自衛権ではありません。

日本と軍事同盟を結んでいるアメリカは世界に軍隊を展開しています。現実にたくさんの戦争をしてきました。そのアメリカが世界のどこかで攻撃を仕掛けられたら、それがどこであろうとも日本も一緒になって攻撃を仕掛けた国を相手に戦うことができるということなのです。

「義務ではないから選択肢が増えただけで差し支えないじゃないか」などと言ってはいけません。これまで日本がアメリカの戦争に巻き込まれずに済んだのは、我が国が集団的自衛権の行使はできないという憲法上の大原則をもっていたからです。この貴重な原則を投げ捨てれば、日本は参戦を拒否できなくなります。

これまで、集団的自衛権はアメリカやソ連などの超大国が、目下の同盟国から要請を受けたとして軍事介入をする口実に使われてきました。いま、安倍政権は、日本をアメリカのケンカを買って出て、世界で戦争のできる軍事大国に育て上げたいのです。

あの戦争の惨禍から再出発した日本は、再びの戦争を絶対に繰り返すまいとして平和憲法を打ち立てました。平和憲法は、その前文で、誰もが平和に生きる権利があることを確認し、憲法9条で、戦争を放棄し、「陸、海、空軍、その他の戦力はこれを保持しない」と宣言しています。

戦力を持つことのできない日本が、どうして自衛隊を持てるのでしょうか。政府は、一貫して、「自衛隊は戦力ではない」と言い続けてきました。日本は、憲法で禁止されている戦力は持てないが、国に自衛権はある。自衛のための実力は戦力ではない。そのように説明してきました。これは、半分はまやかしですが、半分は真実と言えることでもあるのです。

自衛隊はあくまで、自衛のための実力なのですから、専守防衛に徹する編成や行動が強いられます。自衛の範囲を超えた武器、たとえば空母や大陸間弾道弾などの武器を持つことはできません。ましてや、自国では使えるはずのない核兵器も持てません。海外派兵はできませんし、カンボジアやイラクに派遣された自衛隊が、軍事作戦に従事することはありませんでした。

ところが、集団的自衛権を行使できるということになれば、専守防衛の原則が崩れます。軍備にしても、海外派兵にしても、歯止めがなくなります。これは、憲法の平和主義の原則が、まったくの骨抜きになることと言わざるを得ません。

安倍政権は「戦後レジームからの脱却」を叫んでいます。明文改憲、軍事力強化、特定秘密保護法、教育の国家主義化など、多方面での暴走が進んでいます。その中で、今最も重大なものが、集団的自衛権行使容認の閣議決定のたくらみなのです。

憲法の制約があって集団的自衛権の行使はできないとされているのですから、筋から言えば憲法改正以外に手段はないはずです。しかし、憲法改正の手続は国民投票で過半数の賛成を得なければならないのですから、安倍政権にその自信はありません。それなら、憲法を変えるのではなく、解釈を変えてしまおう。その発想が解釈改憲であり、閣議決定による集団的自衛権行使容認なのです。

憲法改正を実現するには厳重な手続的要件が定められています。それをすり抜けて、「国会の発議も、国民投票での過半数も得ることなく、一内閣の閣議決定だけで、憲法改正と同じことをやってしまおう」。これが安倍内閣のたくらみなのです。

政府の憲法解釈は、専門家集団としての内閣法制局が担当してきました。長年にわたる内閣法制局が担当した政府答弁の積み重ねで、「自衛隊が合憲であるためには専守防衛に徹しなければならない」「我が国では、憲法の制約があって集団的自衛権の行使はできない」という憲法解釈の見解が確定したものになっています。

安倍内閣にとってはこの内閣法制局見解が邪魔、なんと内閣法制局長官を最高裁判事に栄転させて、自分の言うことをよく聞くことを試し済みの、外務官僚小松一郎さんを後任に据えるという、異例の人事を行ったのです。やり口が姑息、汚い、と批判が噴出しています。

安倍内閣の手口の汚さはそれだけではありません。自分の言うことを聞きそうな権力迎合の人物だけを集めて、「安保法制懇」をつくり、集団的自衛権行使容認の可否について諮問をしているのです。答申の内容は分かりきっています。識者の意見を聞いたという形を整えて、閣議決定を行おうというのです。

安倍内閣のこのように姑息な手口は、今急速に国民の支持を失いつつあります。2月以来のあらゆる世論調査において、改憲反対の世論が急速に伸び、凋落した改憲賛成派を圧倒しています。朝日、毎日の調査だけはなく、読売や産経の調査結果も同様なのです。集団的自衛権行使容認派は永田町でこそ多数かも知れませんが、決して全国では多数派ではありません。

うららかなのどかな春の平和を大切にしたいものです。今日の平和を明日に続けましょう。私たちの今日の安全・安心と、子どもたちの未来のために、平和憲法の擁護を訴えます。閣議決定による憲法解釈の変更は禁じ手です。そんなことで平和を失うようなことがあってはなりません。

集団的自衛権行使容認の閣議決定ノー。安倍内閣ノー。その声を大きくしようではありませんか。
(2014年4月9日)

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