澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

靖国参拝についての粟屋憲太郎君発言に拍手する

私は、1963年4月に大学の教養学部に入学した。半世紀も前のことになる。文系のクラス編成は、第2外国語取得者ごとになされた。ドイツ語既修者がA、未修者がB、フランス語既修者がC、未修者がD、そして中国語は未既修を分けずにEの記号を付されたクラスとされた。スペイン語クラスも、ロシア語クラスもなかった。私は、「Eクラス」で中国語を学んだ。クラス全員で27人。圧倒的な西高東低の時代の絶対少数派。

東西冷戦のさなかで、西側諸国の人民中国へのアレルギーは強かった。中国を承認する国は少なかったのだから無理もない。もちろん、日中間の国交もなかった。イギリスだけが早くから中国を承認していたのが不思議なくらい。1964年1月に、ドゴールのフランスが突然に中国を承認して、歴史は大きく変わった。64年以後Eクラスの人数も大幅に増えることになる。

63年入学までの絶対少数派Eクラスの内部結束は固かった。革命をなし遂げた中国共産党に共鳴する向きが主流であったが、必ずしもみんながそうではなかった。反権力・反権威・叛骨・在野精神などを共通に育んだのでなかったか。思想傾向などを超えて親密な交流が今も続いている。20歳前後の生き方の方向を決めようという時期をともにした友人はかけがえがない。みんな、さしてエラクはなっていない。久しぶりに会えば、肩書などはまったく無視して昔に帰る。

そのクラスメートの中から研究者の道に進んだ者が3名ある。そのうちの一人が粟屋憲太郎君。定年まで立教大学の教授だった。現代史の研究家として、とりわけ東京裁判の研究者として高名である。しばらく体調を崩していたが、先日のクラス会では元気な様子だった。

その席で、近々中国に出掛ける予定と言っていた。上海交通大学が、東京裁判の研究部門をもっており、そこでの講座を担当するとのこと。同大学名誉教授になっているとも言っていた。Eクラス出身者らしい活躍ぶり。

その彼が、いま、北京のようだ。たまたま一昨日(4月23日)のCRI(中国国際放送局)ネット配信記事に、粟屋君の談話が紹介されている。「歴史学者の粟屋氏、『靖国参拝は政教分離に相反する』」という標題。

「日本の新藤義孝総務大臣をはじめ、政治家約150人が靖国神社を参拝したことについて、北京を訪問している日本の歴史学者、粟屋憲太郎さんはCRIの記者に対し、靖国神社の歴史観を批判し、参拝は『政教分離の原則に相反するもの』だと訴えています。
 粟屋さんは『日本は、政治が右向きの中で、これだけ多くの国会議員が靖国神社を参拝したということは、たいへん残念なことだ。参拝する行為は、日本国憲法で規定している政教分離の政策に相反している』と話しています。
 日本現代史の専門家で、東京裁判の研究で知られる粟屋さんは『日本がサンフランシスコ講和条約で、東京裁判の判決を受諾している以上、A級戦犯を神として祀ることはまったくおかしいことだ』と指摘しています。
 また、『靖国神社にある遊就館を見れば、大東亜戦争肯定論であることがわかる。参拝により、戦争に含まれている国家犯罪などの問題を隠し、その正当化を図ろうとしているのが、靖国神社の歴史観である。そのような場所に現職の大臣までが参拝しているとは、全くどうかしていると思う』と憤慨しました。
 さらに粟屋さんは、1945年6月にフィリピンのルソン島で戦死した父親を例に挙げ、『家族に何も相談なく、靖国神社が父を祭神にした。それを撤回してくれと言っても、取り下げようとしない。そういう形で祀られた戦死者も多い』と話し、政教分離の原則からも『戦争犠牲者の哀悼は無宗教の千鳥ヶ淵戦没者墓苑で行うべきで、長い目から見れば、国は新しい追悼施設を作るべきだ』と主張しています」

第2次大戦で反ファシズム連合国に敗れた日本が、国際社会に復帰することが許容された条件が、サンフランシスコ講和条約第11条「極東国際軍事裁判所並びに国内外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判の受諾」であった。憲法前文に謳われた「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることの決意」の具体化でもある。靖国に東京裁判で有罪となったA級戦犯を合祀すること、それに現職の大臣までが参拝することは、東京裁判受諾の国際誓約を反故にすることではないか。靖国と、靖国派政治家への彼の怒りが伝わってくる。

それにしても、粟屋君が「靖国の遺児」だとは知らなかった。インタビューに応じた言葉にも、理屈だけのものではない、情念のほとばしりが見て取れる。日本の良心を代表しての中国での発言に、賛意と敬意を惜しまない。

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       「ダイオウグソクムシ」(大王具足虫)の死の謎
今日は水族館の話。各地の水族館で「ダイオウグソクムシ」が人気を呼んでいる。ダイオウグソクムシは節足動物門等脚目スナホリムシ科の甲殻類で、ダンゴムシやワラジムシの仲間で最大のもの。ダイオウの名前がついているとおり、成長すれば体長50センチ、体重1キロ余になるという。メキシコ湾や西太平洋の深海に住み、沈んできた死骸の掃除をして生きている。

数年前、江ノ島水族館で、ピクリとも動かないダイオウグソクムシを、こちらもじっと動かず辛抱強く観たことがある。海水のなかに落ちてふやけた巨大なダンゴムシのようだった。いったい生きているのか、死んでいるのか、最後までわからなかった。

鳥羽水族館のダイオウグソクムシが、5年と43日絶食したまま、本年2月14日午後5時半頃死亡したと報じられた。「NO.1」と名付けられた、このダイオウグソクムシは死亡時、「水族館での飼育日数は2350日(6年と158日)、2009年1月2日に50グラムのアジを食べて以降、絶食日数は1869日(5年と43日)に達していた」(産経新聞3月14日)。2007年メキシコ湾から送られてきた時の体長29センチ、体重1キロのまま、死亡時までほぼ変化がなかったという。

生態については、鳥羽水族館の飼育員の森滝丈也さんが克明な飼育日記をつけており、正確な記録があるという。森滝さんは、水槽の水質、水温はもとより、餌は新鮮なイカ、ホッケ、サンマ、ニシン、シシャモ、ブリ、それでだめなら腐ったニシンと手を変え品を変えて、工夫を凝らして飼育に励んだ。NO.1は水族館に来て9カ月目と1年4カ月目に新鮮なシマアジを食べたその後は、何も口にしなくなってしまったらしい。絶食が報道されると、動画サイトには1年間に300万ものアクセスがあったという。その祈りも届かず、NO.1は絶命した。

NO.1の死後、森滝さんは「食べなくても生きることができる秘密」を解明するために解剖を行った。とうぜん「餓死」が疑われたが、甲羅の裏側など肉も痩せておらず、どうもそうではなさそうだ。不思議なことに、胃の内部は淡褐色の液体で満たされており、酵母様真菌が増殖していた。

もともと、ダイオウグソクムシは食が細く、1年間ぐらいの絶食は珍しくないらしい。新江ノ島水族館でも、3カ月に1度しか餌は与えていない。結局NO.1の生と死の謎は解明されなかつた。胃の中の酵母様真菌と長期間の絶食の関連性は、今後の研究にゆだねられた。

1日3度の食事作りに追われて家庭の主婦やスリムな体型維持に苦労している人にとって、NO.1の生き方ほど魅力的なものはない。iPS細胞やSTAP現象に勝るとも劣らない研究テーマとなるはずだ。1日も早くNO.1の生の秘密を解明してもらいたい。

もし、ヨーグルト状の酵母様真菌を3カ月に1回食べれば生きてゆけるとなったら…、人類は食糧獲得の競争から解放される。食事のための労働からも解放される。地上は、ダンゴムシ様人間の天国となるだろう…か。
(2014年4月25日)

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Published in 金曜日, 4月 25th, 2014, at 23:52, and filed under 未分類.

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