澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

集団的自衛権行使容認閣議決定の読み方

一昨日(7月1日)の臨時閣議で成立した、「集団的自衛権の行使を容認する閣議決定」。正式には、「国の存立を全うし,国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」というタイトル。結構な長文であるだけでなく、本音を隠すための無意味な修飾語が多用されているために、読みにくい。読み通す意欲を減殺させる文書だが、私なりに全体の構造を明確にしておきたい。正確に読み通すために。

全体の構成は、長い前文のあとに本文4項目で成りたっている。第4項目はさしたる意味がない。次の1~3項が、いずれも戦争と平和に大きく関わり、立憲主義と平和主義に反するものとなっている。

1 武力攻撃に至らない侵害への対処
2 国際社会の平和と安定への一層の貢献
 (1)いわゆる後方支援と「武力の行使との一体化」
 (2)国際的な平和協力活動に伴う武器使用
3 憲法第9条の下で許容される自衛の措置

以上のタイトルは分かりにくい。修飾語を省き、これまでのマスコミ用語に置き換えれば、こうなる。
1 クレーゾーンにおける自衛隊対応の迅速化と武器使用拡大
2(1)戦闘地域での他国軍支援活動を可能に
 (2)駆けつけ警護における武器使用容認
3 集団的自衛権行使容認

まずは、第1項。クレーゾーン問題。もちろん尖閣を念頭においての議論である。軍隊ではない武装集団が離島を占拠した場合に自衛隊がどう対応すべきか。
閣議決定は、こう言っている。
「離島の周辺地域等において外部から武力攻撃に至らない侵害が発生し、近傍に警察力が存在しない場合や警察機関が直ちに対応できない場合(武装集団の所持する武器等のために対応できない場合を含む。)の対応において、治安出動や海上における警備行動を発令するための関連規定の適用関係についてあらかじめ十分に検討し、関係機関において共通の認識を確立しておくとともに、手続を経ている間に、不法行為による被害が拡大することがないよう、状況に応じた早期の下令や手続の迅速化のための方策について具体的に検討することとする。」

まさしく一触即発事態の具体的想定である。一定の場合の武器使用を認めるための法整備も明言されている。国内警備の問題として、海上保安庁や警察の問題に留めようとはせず、敢えて自衛隊の出番を拵えようというのだ。わが国が軍事力で対応すれば、相手国も「自国民の生命の安全を擁護するために」軍事力で応じることとなろう。相互の武力による威嚇のエスカレーションは、偶発的な要因によって暴発する危険を伴う。万全な備えをしての威嚇が日本の国民に安全をもたらすとは限らない。外交の努力を放棄しての武力の威嚇の危険は明白である。

次に、第2項(1)。これまではできないとされてきた「戦闘地域」での他国の軍隊への支援活動の容認である。面倒な話しだが、これまでは、「後方地域」あるいは「非戦闘地域」でなくては支援活動はできないとされてきた。自衛隊が戦闘に巻き込まれる危険を避けてのことでもあり、理屈の上からは「後方支援活動が支援対象の国の武力行使と一体化することになる」からでもある。これを「現に戦闘行為を行っている現場」でなければ、「戦闘地域」においても、「補給、輸送などの我が国の支援活動については、当該他国の『武力の行使と一体化』するものではないと割り切ろうというのである。そのような考え方に立って、「他国軍隊に対して、必要な支援活動を実施できるようにするための法整備を進める」という。自衛隊員に危険を背負わせることである。

次いで、第2項(2)。「駆けつけ警護における武器使用容認」。
閣議決定のポイントは、「多くの日本人が海外で活躍し、テロなどの緊急事態に巻き込まれる可能性がある中で、当該領域国の受入れ同意がある場合には、武器使用を伴う在外邦人の救出についても対応できるようにする必要がある」とするところ。

民間NGOや他国のPKO要員の危機を、「自衛隊が駆けつけて武器を使用して救助できるようにしてあげます」というものだ。この点は、憲法との整合性の欠落よりは、救出されるはずの海外NGOがこぞって反対していることに注目すべきである。彼らは、「平和の国日本に対する現地の信頼に守られてきた」「謂わば、憲法9条によって現地の反発から免れてきた」という。自衛隊が出てくる事態が、最悪であり、最も危険だと言っているのだ。今回の閣議決定に落胆し怒りを燃やしてもいる。もう、活動を続けられなくなるのではないかという声さえある。このことを噛みしめてみるべきだろう。

そして最後が、集団的自衛権行使容認である。分かりやすくこう表現せずに、回りくどく「憲法第9条の下で許容される自衛の措置」などと言うのは、底意が見えている。個別的自衛権も、集団的自衛権も、実は「基本的な論理」において同じなんでですよ、とアピールしたいのだ。このことについての批判は、くり返さない。

一応、全体構造を以上のように押さえれば、あの閣議決定を批判的に読み通すことができるのではないだろうか。「立憲主義」と「恒久平和主義」違反の2点が浮かびあがって来るはずと思うのだが、いかがだろうか。

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             グリーン外交と花合戦
それほど外交的でも社交的でもない我が家に、ご近所やご通行中の皆様からお声がかかる。道路に面した幅1メートルほどの小さな花壇と、とっかえひっかえ出して並べる鉢植えやプランターに対するお褒めの言葉だ。特別たいして珍しいものがあるわけではない。ただ、自分でもきれいだなあと思うものを人にもお見せしたいという気持ちはある。

冬が終われば、スノードロップ、続いて水仙、賑やかなチューリップ、モミジの柔らかな芽生えが春を告げる。そうこうしているうちに二階の屋根より高いハナミズキが白い花をいっぱいつける。5月になるとニオイバンマツリがむせかえるような香りを放って、紫色の蕾と白い花をつける。早咲きのユリの蕾も色づいてくる。梅雨の時期にはピンクとブルーのガクアジサイが咲くし、ハンゲショウの葉先も真っ白に浮かび上がってくる。鉢植えのバラも咲いた。ギボウシの薄紫の花も並んで茎を立てている。オニユリのオレンジ色の蕾がえばって他を睥睨している。涼しげなスカイブルーのアガパンサスも今年は成績がいい。小さな水鉢の蓮もスイレンももうすぐ蕾を付けるだろう。

そして今はクチナシ。八重の大きな花が満開で、狭い通りじゅうが香りでいっぱい。野放図に伸びて、道路にはみ出しているが、もったいなくて切る勇気が出ない。そこで、我が儘ついでに、「花が終わったらカットします。しばらくご容赦を」と書いた短冊をつるした。そうしたらなかなか雰囲気がいい。今日見たら、「良い香り、嬉しいです」とメッセージが書き加えてあった。「きれいでいいわねえ」とお声もかかる。ほんとうに嬉しくってしょうがないけれど、花が終わったら約束どおりカットしなければなるまい。クチナシやニオイバンマツリは、かなり強剪定しても、毎年花を咲かせてくれるから本当は心配いらないのだが。

この横町の花好きは我が家だけではない。まず、町会長が色とりどりの菊をプランターに作って、秋になると道の両側に飾ってくれる。各家のブロック塀には季節ごとに釣り鉢に花があふれかえる。こちらが大きく目立つ花を飾れば、お隣は見たこともないシックな花を咲かせるという具合だ。うちのクチナシに並んでお隣のナツツバキの可憐な白い花が咲いている。グリーン外交と花合戦だ。

私たちはこんな風に毎日のささやかな楽しみを大切にして生きている。それなのに、これがいつまで続くのだろうかと不安を感じざるを得ない。

2005年3月、島本慈子のインタビューに答える、むのたけじの言葉をたくさんの人に知ってもらいたい。(岩波新書「戦争で死ぬ、ということ」)

「国会で有事に備えて国民保護法を作るといっているけれどね、1945年3月11日の朝、私は大空襲を受けた東京の下町を歩き回りました。死体が道路にいっぱいだった。戦争って一晩で十万人死ぬんですよ、あんた。誰がどうしてそれを助けるの。要するに、戦争が起こってしまえば助けようがない。本当に国民の安全を守ろうと思ったら、戦争をやっちゃだめなんだよ。やってしまってから助けるなんてことはできないということを、3月10日(東京大空襲の日)は教えている」

「恨みをかうからだめ、恨みをかわないようにやればいい。よそから攻められないような日本をつくればいい。原因を取り除くことが安全対策なんだと、あの戦争が教えたはず」

甘い花の香りを圧するように、きな臭さが漂ってくる。これを押し返して、花の美しさと、花を愛でる平和を守りたいと思う。
(2014年7月3日)

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Published in 木曜日, 7月 3rd, 2014, at 23:57, and filed under 集団的自衛権.

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