澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

77年目の7月7日

本日7月7日は盧溝橋事件勃発の日として記憶に刻しなければならない日。今年は、1937年の日中全面戦争開始から77年目の記念日だという。

北京城外の永定河にかかる盧溝橋は、マルコ・ポーロが『東方見聞録』の中で、世界一美しいとした橋。乾隆帝の筆になる「盧溝暁月」の碑とともに有名なこの橋の傍らで、醜悪な戦争のきっかけとなる事件が起きた。

7月7日夜に生じた、支那駐屯日本軍と中国軍の小競り合いは、同月11日の午後に現地では停戦協定が成立して紛争は終熄するはずだった。ところが、その同じ日に、近衛文麿内閣は閣議で河北への派兵を決定して、日中全面戦争への引き金を引いた。このときの派兵目的は「威力の顕示」であったという。

閣議決定のあった11日夜、近衛は、政界人、財界有力者、新聞通信関係などの言論界代表を首相官邸に集め、みずから政府の決意を披瀝し、挙国一致の協力を要請した。これを受けて、翌日の東京日々新聞は、「反省を促す為の派兵」との大見出しを付けて、「戦争拡大が挙国一致の方針である」ことを報じている。

にもかかわらず、近衛の真意は戦争不拡大にあったという。後にその手記でこう、言い訳じみたことを語っている。
「この日支事件というものは、わたしの第一次内閣の時に起こったものではあるが、組閣後わずかに1か月して突発した事件ではあり、しかも、それが軍機に関係しているので、政府といえども立ち入った意見を述べることができない。そういう事情にあったため非常にやりにくかった。その上、陸軍の内部には統制派、皇道派というような派閥があり、また陸軍省と参謀本部との間にも意見の対立があって、一方は思い切り支那を叩こうとし、一方は、支那よりも他の国に力点を置いているというようなわけで、軍の方針がまちまちであったことも更に事変の解決を困難なものとした」(「昭和の歴史・日中全面戦争」藤原彰)

なんと無責任な首相と軍、そして無責任体制の産物としての派兵の閣議決定。「軍機に関係しているので、政府といえども立ち入った意見を述べることができない」の「軍機」は、いま、「特定秘密保護法」と読み替えねばならない。

そして77年後の今日、盧溝橋にある中国人民抗日戦争記念館で開かれた記念式典で習近平国家主席が、こう演説した。

「日本の侵略者の野蛮な侵略に対し、全国の人々が命を省みず、偉大な闘争に身を投じた。今も少数の者が歴史の事実を無視しようしているが、歴史をねじ曲げようとする者を中国と各国の人民は決して認めない」(朝日)

また、中国の抗日戦争を「世界反ファシズム戦争の東の主戦場」と位置づけたとも報じられている。まことに真っ当な内容と肯かざるを得ない。

また、ロイター通信によれば、中国の李克強首相が7日、訪中しているドイツのメルケル首相や記者団に向け、「国民が常に心にしっかりと留めておくべき日」とした上、「日本の軍国主義者らが始めた大規模戦争に直面し、中国の人民は全力で立ち上がり、抵抗した」「われわれは過去に敢然と立ち向かうために、常に歴史を思い出す必要がある」と述べたという。

李首相には、第2次世界大戦後の責任のとりかたに関して、日本とドイツとの比較の視点があったのだろう。

本日、七夕の日でもある。夜分星は見えず、牽牛と織女の逢瀬は無理なようだ。大型台風の接近さえも予報されている。日中間の天の川に、晴れて鵲の橋がわたされるのはいつのこととなるのだろうか。
(2014年7月7日)

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Published in 月曜日, 7月 7th, 2014, at 23:54, and filed under 歴史認識.

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